長崎/島原
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島原半島の噂
- 島原半島全部が心霊スポットである。
- どこの家庭でも、高齢者は地域伝承の怪談など、怖い話のレパートリーが豊富である。
- 島原の乱は島原城で起こったと他県の人に認識されている。本当は原城なのに・・・
- しかもキリシタンが騒動を起こしたぐらいにしか認識されていないが、乱の直接の原因は領主の大悪政によるもの。
- 島原の乱のあとにその領主は幕府によって打ち首になったことからもわかる
- 切腹ではなく「打ち首」なのが重要。
- 島原の乱のあとにその領主は幕府によって打ち首になったことからもわかる
- このあと、島原半島を治めた領主は復興のため、色々な手を尽くしてあちこちから民百姓を集めた。そのため島原の方言は独自のものとなる。
- 全国で二番目の生産量の素麺も、中国から直接伝来説のほかに、瀬戸内海の小豆島の人々が移民し、技法を広めた説がある。
- 島原の乱では実際に島原城も戦場になっている。蜂起した一揆勢が城門まで攻め寄せた。参勤交代中で200名しか残っていない藩士と切支丹でない村や町の住人は城に篭城し協力して一揆勢と戦って援軍が来るまで持ちこたえた。
- 援軍到来と天草での敗戦で一揆勢は島原城そして長崎制圧を諦め、逆に原城に篭城する事になった。
- しかもキリシタンが騒動を起こしたぐらいにしか認識されていないが、乱の直接の原因は領主の大悪政によるもの。
- 棚田が綺麗!!
- 家の造りや、農地の整備の仕方が九州の外の地域と少し違う。なんとなく風景が四国の農村に似ている。(石垣の組み方など)
- 道の舗装率もかなり良い
- 普賢岳災害復興資金で、見事に九州で一級の観光地に変身
- 「北目」「南目」地域で、住民の気質が違う
- 「北目」=のんびり/「南目」=テキパキ…古く「島原の乱」による影響と云われている
- 「島原の乱」の時は、旧有馬氏のお膝元だった「南目」に一揆に参加する村が多かった反面、「北目」は切支丹への立ち返りを拒んで藩に協力する村が多かった。
- 「北目」=のんびり/「南目」=テキパキ…古く「島原の乱」による影響と云われている
- 若い女性も自分のことを「おい」などと言う。
- 東北地方だと自分のことを「わ」などというようだが、島原では「おまえ」のことを「わ」などという。
- 歴史のほとんどが「雲仙」「島原の乱」抜きには語れない
- 福岡のラジオ局「LOVE FM」の電波が入る。救われた気がした。
- 人情味溢れ、温厚で柔軟な人たちが多いことで知られる島原半島だが、旧○々石町、旧○江町の住人はガラが悪いことで有名。
- この町に加え西有家の中学校は毎年安定したクオリティのDQNを輩出している。近年その質の低下が見られる
- 島原鉄道の末端部(島原外港から先)が廃止に…。
- 火砕流災害から復旧した区間も廃止。もうちょっと区間を削れないものか…
- 島原鉄道の料金はものすごく高い。
- 半分観光鉄道みたいなもんだからね。
- 島原の人は五島、壱岐、対馬はもちろん、平戸、北松、佐世保にも(たぶん)行ったことがない。
- そもそも同じ県内だと思ってないかも。お互い様だが・・・
- 佐世保はハウステンボスがあるから、行ったことがある人は多いと思う。
- 深江から口之津まで地域高規格道路を作り、口之津から天草まで、天草から鹿児島の長島町まで二つの橋を架けて阿久根市と繋げるという壮大な計画があるが、あまり知られていない。
- 道路脇にちょくちょく看板が立っている
- 南北では複数の町が合併して市制、残った中心都市が隣町と小さく合併という構図が淡路島とかぶる。
- 下に温泉の噂があるが、温泉だけでなく自然地形(雲仙の地獄や普賢岳の土石流関連)、歴史関連(島原城&武家屋敷、原城跡)と、実は結構観光資源はたっぷり。超オススメです。
島原半島の温泉の噂
- このサイトのユーザー諸氏のご両親(恐らく団塊世代)様に、雲仙温泉は超オススメです。正に「九州の軽井沢」という感じで、歩いて散策するのにも広すぎないし、泉質も最高(湯の花有り)で、旅館も妙にファッション化されてないので、落ち着いて過ごせるところです。
- 外見は地味だが、通は湯■ホテルを選ぶ。実は雲仙温泉の源泉なのだ。
- いろんな種類の温泉が密集している。単純泉、硫黄泉、食塩泉、炭酸泉、重曹泉…などなど。
- 長崎県交通局は元々はここ観光客輸送を目的に設立された。
- 普賢岳噴火時には直接は関係なかった雲仙温泉が風評被害にあったとか。
- 某超大国の大統領と同じ読みの温泉が知名度アップを図ろうとしているが、福井県小浜市に比べるといまいち影が薄い。
島原市の噂
- 雲仙普賢岳で有名。というか、雲仙普賢岳の噴火で有名…
- 精霊流しの時、爆竹を鳴らし競い合い、一番音が大きい方が勝ちだという謎の競争意識がある。
- 島原名物である具雑煮とお雑煮の区別がつかない。
- しかし、具雑煮は美味しかった。通は餅ではなく、ご飯を入れておじやで頂くらしい。
- 個人的には椎茸が特に旨かった。あんな旨い椎茸は食べた記憶がない。
- ただ、鶏肉本体はあまり旨くなかった。他の具材に旨味を奪われたのか?
- 具だくさんのが具雑煮では?普通、あんなに具を入れない。
- 島原市でも具雑煮を出すのは数軒らしいが、店によって味付けは違うそうです。
- ひらがなで「ぐぞうに」と書いてあったのを見たときは何かわからんかった。
- 具雑煮の名店「姫松屋」本店は、島原城のお堀のそばにあるが事実上の支店であり、地元の通の人たちは新町店に行く。こちらが発祥店。
- ちょっと都会に行くなら長崎市より熊本市(オーシャンアローか有明フェリーで)
- 島原高校生は、母校を『しまこう』『しまたか』『たか』と言うが、島原工業生は、『しまこう』とはあまり使わず『こうぎょう』
- 島高生女子は、半島NO1のダサさを誇る制服に、入学前は憧れ、入学後は落胆する。
- 最近は憧れてない。
- 冬寒く、夏暑い制服。夏服は麻と毛でできていたような。
- 海の向こうのクマタカを真似してると思われたくないので島高関係者(特に教員)はシマコウを好む。
- 工業はシマコウの後に出来たのであくまでコウギョウ。シマコウの呼び名を譲る義理は無いと思っている。
- 島高生女子は、半島NO1のダサさを誇る制服に、入学前は憧れ、入学後は落胆する。
- 島原外港から上陸する人は、眉山を指して「あれが雲仙かぁ~」と思ってしまう。
- 「島原大変肥後迷惑」・・・・大変・・迷惑・・そんな次元の天変地異ではなかった。
- 島原・肥後合わせて1万5千人もの死者が出た。これの約200年後に起きたのが普賢岳噴火。
- 九州なのにしまばるではなく普通にしまばら。
- 市内いたるところ湧き水だらけでアーケードの側溝に蓋が無く鯉が泳いでいるのが丸見え。ここで建物に地下を造るとあっという間に水没するものと思われる。
- ゆめタウンができそうだったのに地元のアーケードの人たちの反抗で中止。
- 長崎の放送局の電波より、熊本、福岡の電波の入りがよく、長崎県知事より、熊本県知事の知名度が高い。
- ケーブルテレビは長崎・熊本・福岡すべての民放、NHK総合も長崎・熊本が再送信されている。
- ワンセグでさえも、長崎のは入らなかったが熊本のはちゃんと入った。
- 現長崎県知事は島原高校出身であることも少しは思い出してあげてください。
- 島原藩に島原城は似合わない(石高的な意味で)。
- クリスマスの季節になると、城をツリーに見立ててイルミネーションする。
- 昔は南蛮貿易が出来たから農業生産の石高(表高)以上の収入があったが、貿易禁止でそれができなくなった。なのに松倉さんがバブルな頃を引きずって豪華な城を建てちゃった。で、建築のための過重な労役と年貢の取り立て → 島原の乱。
- 島原ではイギリスを食している。
- それは「イギス」という海藻で作った…って言っちゃいけないの?
- 日本一面積がちっさい湖がある。
- ネットで検索すると山形県の白竜湖(0.06平方km)が出てくるが、白土湖は約1ha=0.01平方kmらしい。天然の火山性陥没湖では日本最小とか。
- 2010年3月にアフガニスタンで拉致されたイスラムに詳しい自称ジャーナリストの常岡浩介氏は島原で生まれた。
- 家庭ゴミは道路脇にそのまま置かれる。燃えるゴミの日は道路脇にずらっとゴミが並ぶ。
- 溶岩ドーム巻きだの火砕流丼だのを出す寿司屋がある。商魂たくましいっちゅーか。
- 武家屋敷があり、石垣の高さを揃えている。が、江戸時代は各家で石垣の高さはバラバラで生け垣の家もあったらしい。あくまでも観光客向けに造った物。
- 3軒は中に入れる。庭もきれいにしてあるが、昔は庭の奥に生け垣が二重にしていたらしい。奥に武家の生活のための菜園・果樹があり、客間からはそれが見えないようにするための二重の生け垣。今は観光のために庭整備しちゃった。
- 島原の乱の影響か、奈良県五條市とはいまでも冷戦状態である。この地では松倉勝家など蛆虫以下の極悪人扱いだが、奈良では名君扱いされている。
有明
- 島原地方で唯一、島原市入りした。
- 防災無線で時報をやたらと鳴らす。(朝8時、昼12時、夕方5時、夜9時)
雲仙市の噂
- 雲仙普賢岳の頂上は旧小浜町にあることを知る人は少なく、島原市にあると思われている。
- まだ市制間もないこともあり、住民はいまだに住所を書き間違える。
- 雲仙市役所は吾妻町だが、雲仙警察署は小浜町。
愛野
- ジャガイモ生産量は、北海道の次にランクされていたはず…?
千々石
- ミゲル。
- 「ちぢわ」。読めません。
- 南島原市民は一度は「じゃがちゃん」を口にしたことがある。
- 白い砂浜と松林が続く風景は絶品。日本の白砂青松百選にも選ばれている。
- 日露戦争で活躍した「軍神」橘周太中佐を祀った橘神社がある。桜がきれい。
- 小さな水力発電所があるが、れっきとした九州電力の管理である。一時期は日本最小の水力発電所と言われた。
- 千々石から小浜へ海沿いに抜ける県道は雲仙鉄道(島原鉄道の子会社)の線路跡。廃線マニアには有名。
小浜
- いまいち目立たない。
- 旧小浜町は雲仙普賢岳や雲仙温泉を有していたんだが。
- 過去形かよ。
- 旧小浜町は雲仙普賢岳や雲仙温泉を有していたんだが。
- アメリカ民主党大統領候補、バラック・オバマ氏の知名度に便乗するも、福井のほうの小浜の影に隠れたまま。
- 2005年の合併に加わらなければ2008年にもうちょっと有名になれたかもしれない。
- ちゃんぽん番長なる市職員がいる。小浜ちゃんぽんガイドマップを作成した
- ちゃんぽん番長。今度はスイーツにも手をだす
- 11月上旬のある日は、必ず高校生でごった返す。
国見
- 国見高校がある。
- サッカーでおなじみ。
- 駅にサッカーボールのモニュメントがある。
- 国道の街路灯もサッカーボールの形。
- 多比良がね(カニ)が地元で有名。
- NHKで唯一放送の際にスーツを着たことがないという司会者がいる
瑞穂
- 実は合併協議会から脱出したことがある。
- 大正と西郷で「瑞穂」。何でまたこの名前?
南島原市の噂
- 有家町と西有家町が互いに新市の覇権を巡って争っている。
- 両町の「有家」の部分は「ありえ」と読む。ありゃ?「いえ」の「い」は?
- 有家と西有家で島原高校に進学するか口加高校に進学するか分かれる。
- もう、いっそのこと島原半島全体で雲仙市でも島原市でもよかったのに、と思っている。
- 半島全体でその2つのどっちかだったら島原しかありえん。島原の名を簡単に消せるはずがなかろう。
- 住人の殆どは、島原の乱で元々の住人が(ほぼ)全滅した後に、幕府の移住政策によって四国や九州各地から移り住んできた人たちの末裔と言われている。
- そのため、新しい方言が出来たと云われる。
- 排他的な九州の一般的な田舎と違って、余所者に対する極度な偏見がない。
- 恐らく九州でも数少ないまともな田舎。ここに馴染めなかったら、九州の他の田舎では生きていけない。
- お年寄りは、方言だけでなく高田社長並!?の標準語を話すことができる。
- テレビはひまわりやカボチャ(ケーブルテレビ)のできる前は、もっぱらテレビ熊本(熊本の放送が長崎よりきれいに映る)視聴者。
- 夕方は、KKTのテレビタミン視聴者のほうが多いかもしれない。
- ここいらで、一番人が集る場所がジャスコだ。
- その近くにマルキョウ(福岡の有名なスーパー)も出来ていて、妙に開けたモンだと実感…
- マルキョウの近くに、ディスカウントショップのダイレックスも出来たね。
- ファミマ帝国だったが、遂にセブンが進出。
- 正月・お盆時のジョイフルは大盛況。
- ピエトロまであるのには、マジでビビッた
- しかも100円ショップ「ダイソー」もいっぱいある
- ピエトロは潰れて岩盤浴の施設になりました。
- その岩盤浴もつぶれました
- ジャスコはここいらのDQNたちの社交場としての役割を果たしている。
- その近くにマルキョウ(福岡の有名なスーパー)も出来ていて、妙に開けたモンだと実感…
- 住所の殆どが「甲」「乙」「丙」「丁」。通信簿じゃあるまいし…
- 「戊」「己」まであるが特に「戊」が住所の人は口頭で住所を伝えるのにかなり苦労するという。
- 「戊辰戦争」の「戊」じゃん。義務教育受けた奴なら書けて当然。
- 「己」まででよかったと…、「庚」があったらもっと説明しづらい。
- 「戊」「己」まであるが特に「戊」が住所の人は口頭で住所を伝えるのにかなり苦労するという。
- 長崎で「有馬」と言うと、神戸・有馬温泉とかよりも南島原市の旧北有馬町・旧南有馬町辺りになる。
- 市内には18もの駅があったがほんの1日ですべて廃止に。
- ポカリスエットのCMでも使われた路線だったのに。
- 市役所は西有家町にあるが、警察署は口之津町にある。
- 島原の乱で一揆勢が立てこもった原城はここ。
- 原城歴史資料館というものがあるが、原城から離れている。民間の施設で、民家に郷土資料その他諸々を詰め込んでいる。お留守のときは資料館入り口に書いてある電話番号で呼ぶと5分少々で開けに来てくれる。
深江
- 旧深江町は、普賢岳の噴火のときに重大な被災地になった。ただ、島原市ばかりが全国的に注目されたため、義援金はそちらに集中してしまった。
- 島原でも旧千々岩町とタメを張る柄の悪さが自慢。
- 道の駅に普賢岳噴火の際の土石流で埋まった民家を展示してある。
加津佐
- ここがあの長崎人を裏切ったアホ防衛大臣の地元…。
- かつては神童とよばれ、東大に進学した時は町を上げてのお祭り騒ぎとなった。
- で、彼の母校は県下有数の進学校である「口加高校」
- 口之津+加津佐=「口加」高校というがさつなネーミングセンス
- 実は、グラウンド以外の敷地は口之津。
- しかし、それも昔の話。
- 口之津+加津佐=「口加」高校というがさつなネーミングセンス
- で、彼の母校は県下有数の進学校である「口加高校」
- かつては神童とよばれ、東大に進学した時は町を上げてのお祭り騒ぎとなった。
- 元島鉄の終着駅
口之津
- 海の男たちの間では有名なところ。
- 世界中の海に船員を送り出す。
- そのため、国立の技術学校がある。
- 世界中の海に船員を送り出す。
- 南島原警察署はここにある。
- 小学校の校舎のデザインが斬新。
- 校舎が船の形。さすが船員の町。
- ちなみに体育館はクジラの形。
- そう言えば下水処理場も船の形。
- 水族館と間違え入る人がいる。
- そのため入口に「ここは下水処理施設です」とでかでかと看板がある。
- 水族館と間違え入る人がいる。
- 校舎が船の形。さすが船員の町。
- 実は戦国時代、有馬晴純が領主だった頃は貿易港として栄えた。
- しかし、息子の大村純忠が貿易港を長崎に変更してしまった。そして口之津は寂れていった。
- もし貿易港が口之津のままだったら口之津県になってたかもしれない。
- しかし、息子の大村純忠が貿易港を長崎に変更してしまった。そして口之津は寂れていった。
布津
- 旧布津町(ふつちょうと読む)
- ふつうの町だなんて言われるがそんなレベルじゃ語れないくらいふつう
- 島原半島の中で一番小さな町だった。なので人口も極端に他の町と比べて少なかった。
- この町で「松島」姓の人は、島原の乱のあと東北仙台から連れてこられた入植者の末裔だと云われている。
- 中学校は全校生徒150人もいないが数々の部活で県大会でも上位入賞している。空手は全国制覇もしちゃってる
- コンビニといえばヤマザキYショップである。これしかない
警告: 既定のソートキー「しまはら」が、その前に書かれている既定のソートキー「しまばら」を上書きしています。