もし阪和電気鉄道が○○だったら
2021年3月29日 (月) 14:17時点におけるりんご3号 (トーク | 投稿記録)による版 (りんご3号 がページ「もしあの鉄道が国有化されなかったら/近畿」を「もし阪和電気鉄道が○○だったら」に移動しました)
- 現在の阪和線
- 単独会社で残った場合
- 戦後、昭和20年代中には超特急と同種の列車が復活する。
- 車両も南海の特急用車両と同等の転換クロスシート付き高性能車が投入されている。
- さらなる高速化に意欲を示し、国鉄より速く振り子超特急「くろしお」を開発し、南紀方面への看板列車となっていた。
- 停車駅は年々増加するようになり阪和間45分の無料列車は平成に入るとなくなるものの、それでも熊取以南各駅停車になることはなく、阪和間55分程度で結んでいる。東海道新幹線開業後は列車種別も「超特急」から「快速特急」に改称された。
- 沿線開発が早期に進んでいた。
- 山中渓の温泉街もなくなるどころか逆にもっと発展していた。遊園地「わんぱく王国」は阪和電鉄によって昭和30年代に開設されていた。
- 「わんぱく王国」ってあれふるさと創生1億円でつくったやつだからなぁ。ふるさと創生がなきゃ誰もつくらんのではないかな、少なくともあそこには。
- 元々砂川遊園を持っていたので終戦後それを再開させるだけだと思いますが。
- 長らく砂川遊園とみさき公園は激しい競争を繰り広げるが、USJの影響で奈良ドリームランドやあやめ遊園と同時期にどちらか片方が閉園に至る。宅地化したかもしれないし入場無料の公園になったもしれない。
- 山中渓の温泉街もなくなるどころか逆にもっと発展していた。遊園地「わんぱく王国」は阪和電鉄によって昭和30年代に開設されていた。
- 阪神電気鉄道と阪急電鉄同様、統合の話が昨今になって出た可能性もある。
- とすると、合併先は・・・南海?
- おそらく「南海阪和ホールディングス」になっていた。
- 下と殆ど変わらない姿になる可能性が
- とすると、合併先は・・・南海?
- 昭和40年代には名鉄8000系のような独自設計の白浜乗り入れ用ディーゼル特急車も登場している(但しエンジンはキハ181と同じ)。
- 駅や線路などの設備が全体的に改良されていた。
- 少なくとも昭和のうちに天王寺~杉本町間が高架化されていた。
- 日根野車両基地は昭和30年代に完成していた。
- 複々線区間も生まれている。
- 三国ケ丘駅は開業しなかった可能性がある。
- 開業していたとしても戦後の高度成長期となっていた。
- 天王寺駅にJR線との連絡線が建設されていないため、和歌山から直接東海道・山陽新幹線に乗り継ぐことができなくなっていた。
- あるいはなにわ筋線を自社で新大阪まで建設していた。
- もしくは大阪市営地下鉄の松屋町筋線が新大阪~梅田~天王寺に建設され、阪和電鉄と相互直通していた。
- 天王寺駅に隣接して「阪和百貨店」を開業していた。
- 戦後になって日根野~粉河間に新線を建設していた。
- 紀の川市は早くから発展し、昭和のうちに市制を施行していた。
- 免許の都合でむしろ日根野ではなく紀伊から延伸していた気がする。
- なんせ水間鉄道が清児あたりから熊取町を抜けて土丸、大木、犬鳴山から粉河までの免許もってたもんな。
- 貴志川線は阪和電鉄の1路線となっていた。
- 史実の南海和歌山軌道線も「阪和電鉄軌道線」になっていた。
- 貴志川からさらに学文路まで延伸され、さらに見好~高野山への支線も建設しようともくろむ。
- それも21世紀に入ると利用者減少で廃線の危機に。その後は史実と同じ展開を辿る。
- 財政難で車両の整備が行き届かず終戦直後に大事故を起こしてしまう。
- 国鉄→JR直通が会社の生命線となっていた。
- 「国鉄阪和線」という阪和電鉄を皮肉った言葉が存在していた。
- 国鉄→JR西日本との関係が強かったことから、国鉄民営化後JR西日本の資本が入るようになり、最終的には阪急阪神HDのように経営統合していた可能性もある。
- 史実の283系電車にあたる南紀特急の制御付き振り子電車への統一は計画通り行われてた。
- 浜寺公園を巡っての南海とのガチバトルは今も続いている。
- 工業地帯になる前に終わってると思われる
- 泉北高速鉄道は上野芝駅、もしくは大阪市高速電気軌道御堂筋線あびこ駅からの建設になり、ここの資本が投入されていた可能性が高い。
- バス部門が「阪和バス」として独立していた。
- 南海と統合されたままであった場合
- 新京阪線保有時代の京阪電気鉄道と同様、速達列車は山手線(旧:阪和電気鉄道本線)、地域列車が南海本線という棲み分けがなされる。
- 南海と国鉄の直通運転は、戦後も山手線経由のものに限られ、南海本線経由の列車は設定されない。
- 車両も一応は高野線や本線の流れをくむ形だが電装品は阪急京都線と同じく全て東洋電機製造製のものを採用し中空軸平行カルダン→TD駆動の流れを採用する。
- 1000系の車体で東洋GTO-VVVFの通勤型形式も登場。
- 天王寺駅、東羽衣駅は総合駅になったかもしれない。
- あと、三国ヶ丘も。
- 三国ケ丘には急行が停まってただろう。
- 三国ヶ丘駅の改札が高野線と阪和線で分離されることはなく、改札内で乗り換えられるようになっていた。
- 羽衣線と高師浜線が1本の路線となり、鳳~高師浜間の直通電車が運転されていた。
- 天王寺支線は廃止が早まった可能性がある
- 羽衣か三国ヶ丘に両者の連絡線が敷設されていた可能性がある
- これにより和歌山市経由での車両搬入がなくなる
- 関空への連絡鉄道は南海本線だけに接続し、山手線には接続しない。
- 僕は逆だと思います。
- 関空へのアクセスは南海の独占となっていた。しかし空港アクセス特急を新大阪や京都に直通させるため、天王寺駅にJRとの連絡線が新設されていた。
- ラピートが京都駅に発着していたかも。
- 新今宮に南海本線からの連絡線じゃない?関空から南海本線を通った方が距離近いやん。
- 高野線は三国ヶ丘分岐に変更された。
- 戦後南海が近鉄から分離独立した際阪和線が近鉄側に残った可能性もある。
- 紀勢線和歌山市~和歌山間を国鉄から譲渡された可能性も
- どちらにしても…
- 堺市はJR線が通らない唯一の政令指定都市になっていた。
- 青春18きっぷで大阪~和歌山間を移動する際には遠回りを強いられた。
- JRは関西空港への自社線を持っていない。
- 紀州路快速が熊取以南各駅停車になるようなことはなく、現在でも天王寺~和歌山を1時間以内で結んでいる。
- 奈良・桜井・和歌山線が国鉄→JRによる和歌山へのルートとして注目され、電化や複線化などの改良が現実よりも早く行われている。
- 京都~奈良~和歌山に特急が運転されていたかもしれない。
- 国鉄が紀勢本線として和歌山ー大阪間に独自に路線を建設していたかもしれない。
- 水間鉄道が買収されて粉河までの計画線を紀勢本線の一部にさせられていた。
- 最初から阪和電鉄を国有化する気が無かったのなら、八尾-藤井寺-美原-大阪狭山-和泉中央(おそらく駅名は異なる)-清児-犬鳴山-粉河と言った感じのルートで紀勢本線が出来ていただろう。
- そもそも1970年ごろの泉北高速鉄道の計画が(城東貨物線・おおさか東線)-加美-出戸(ここまで阪和貨物線)-初芝?-(ほぼ泉北高速鉄道)-和泉中央-日根野?-関西空港、という感じだったようだし
- 泉北高速鉄道は南海高野線ではなく阪和線からの分岐となっていたかも。