「もしあの鉄道路線が開業していたら」の版間の差分
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2015年4月10日 (金) 15:38時点における版
- 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
- 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
独立項目
- もしあの国鉄路線が全通していたら
- もしあの新幹線が開業していたら
- もし筑波高速度電気鉄道が開業していたら
- もし名古屋急行電鉄が開通していたら
- もし沖縄の鉄道復旧計画が実現していたら
- もしあの鉄道路線が開業したら(現在構想がある路線はこちらへ)
分割項目
超広域
日本電気鉄道
こちらを参照。
- どのみち戦時中に国有化される。
- 東京オリンピックの時に開通したのは東北新幹線(上野-仙台)。その後、万博に合わせて山陽新幹線が広島まで開通。
- 東海道新幹線も建設が計画されるが、リニアモーターカーにすることになって建設中止。
- 開通していようがしてなかろうがたいして変わらないんじゃね?
- 東海道電気鉄道や名古屋急行電鉄は計画されず、近畿日本鉄道も名阪間で現実以上の厳しい運営を強いられた。
- NECが、鉄道事業を経営している、車両を製造していると誤解される。
- 木津川市の市制施行が早まっていた。逆に京都市は衰退していた。
日本環状線
戦前に軍事上の理由から計画された。
- 青函トンネルの建設・完成がさらに早まった。
- もし、国鉄が黒字時代に開業していたら、青函連絡船の廃止も無く、鉄道・船との併用が続いていた。
- 鉄道の日辺りに、鹿児島中央(当時:西鹿児島)駅発稚内行き臨時列車が運行されていた。
- または、日本一周列車が運行されたかも。
北海道
札幌急行鉄道
詳しくはこちらを参照。
- 定鉄は鉄道会社として生き残り、東急グループが札幌圏の交通を牛耳っている。
- 当然、ゴムタイヤ式地下鉄は存在して無く、地下鉄東西線は山鼻線と称して札幌急行の一支線扱い?
- 南区の人口が多くなり、南区と真駒内区に分区していた
- 北海道中央バスは東急傘下に入って銀赤塗装?
- 夕張は隠れた札幌のベッドタウンとして炭鉱閉山後もそこそこの人口を有し、財政再建団体入りは免れていた。
- むしろ錦沢のスイッチバック等の山越え区間がネックで夕張本町~栗山は廃線、一方南幌や長沼、栗山は札幌のベットタウンとして発展。
- 地下鉄と乗り入れていれば車両も勾配に強くなっていたので、新線を建設して錦沢のスイッチバックをやり過ごしていたかもしれない。
- むしろ錦沢のスイッチバック等の山越え区間がネックで夕張本町~栗山は廃線、一方南幌や長沼、栗山は札幌のベットタウンとして発展。
北海道拓殖鉄道延長線
北海道拓殖鉄道は上士幌から先、居辺を経由して池北線本別駅までの延伸計画を持っていた。
- 後に国有化されて国鉄北十勝線になっている。
- 北十勝線と白糠線をつないでバイパス線にする構想はなかった。
- 拓殖目的で作られたので規格が低いため。
- 白糠線の北進延長自体なかった可能性がある。
- 仮にバイパス線にするとしたら居辺~足寄間のバイパス線を作る必要がある。
- 拓殖目的で作られたので規格が低いため。
- 確実に特定地方交通線に指定されている。
- 赤字83線で廃止されていた。
愛別馬車軌道
比布~愛別を結ぶ軌間762mmの馬車軌道計画
- 改正鉄道敷設法138号に基づき国有化される。
- 改軌は1950年代までに行われている。
- 他の特殊狭軌線の改軌により多くの車両が流れ動力近代化を果たす。
- 優等列車や貨物列車の多くがこの路線を経由する。
- ただ途中駅はかなり減っているかもしれない。
温根湯軌道
留辺蘂~温根湯の軽便鉄道計画。
- 改正鉄道敷設法別表第147号に基づき買収される。
- 鉱山への路線である事から比較的早期に改軌とイトムカへの延伸が行われている。
- 貨物輸送のおかげで幹線となっている。
東北
磐城軽便鉄道
植田駅~山田~上遠野の鉄道を予定していた。
- 結局国鉄に買収され、国鉄磐城線となる。
- いずれ改軌される。
- 改正鉄道敷設法別表第32号に基づき上遠野から磐城石川までの延伸工事が行われる。
片浜軌道
江名~平(現いわき)の鉄道を予定していた。
- 江名鉄道ともども小名浜臨港鉄道の傘下に入る。
- 後に小名浜臨港鉄道、江名鉄道ともども国鉄に買収される。
- よって福島臨海鉄道は存在しない。そのかわり泉~小名浜~江名~平は国鉄片浜線となる。
鈴木学経営軌道
白河から七ヶ宿までを人車軌道で結ぶ計画だった。
- 着工直後に1067mmに規格を変更している。
- 確実にガソリンカーが導入されている。
- 二井宿までつなげようと計画するが干蒲までしか建設できずに終わる。
- 仮に開通していた場合は、高畠鉄道とともに山形交通の路線となる。
- 白棚線と同時期に国鉄に買収される。
- 路線名は上白線
- 戦後上山までの延伸工事が行われる。
- 結局特定地方交通線として国鉄から切り離されている。
岩木鉄道
弘前電気鉄道が西弘前~田代の目屋線を自力で建設できないために設立された。
- 開通後は弘南鉄道に合併して同社目屋線となっていた。
- 仮に国鉄に買収された場合西弘前から奥羽本線への連絡線が建設されていた。
- 国有化された場合、弘南鉄道は保証として国に中央弘前~板柳の建設のバックアップを求めていた。
- 国有化されてもされなくてもおそらく末端区間の存廃問題が提起されていた。
- 国有化されていた場合、1998年に黒石線とともに弘南鉄道に引き継がれていた。
- この場合、運営体制が抜本的に改革され、その結果現在でも黒石線とともに存続している。
- 国有化されていた場合、1998年に黒石線とともに弘南鉄道に引き継がれていた。
陸羽軌道
一関~巌美を結ぶ軌間762mmの馬車鉄道計画
- 昭和一桁頃に動力近代化が行われており、その際新設軌道に移される。
- 巖美渓や祭畤温泉への観光客に親しまれた。
- 白棚線と同じ頃に改正鉄道敷設法別表第12号に基づき買収される。
- キハ01系気動車やDD11形ディーゼル機関車が活躍していた。
- 国鉄再建時に第三セクターになっている。
蔵王高速電鉄
山形~上山を結ぶ計画だった。庄内交通などが出資。
- 備南電気鉄道(後の玉野市電)の車両はどうやってやりくりしたのやら。
- 庄内交通と山形交通の対立が激しくなっていた。
- 山形市を通っているので利用客はそこそこいる。
中国
呉軽便鉄道
呉~警固屋町を結ぶ計画だった。
- 改軌が行われている。
- 呉市電が乗り入れている。
- その後呉市電に吸収されているかもしれない。
- さらに南へ延びていた。
芸石鉄道
吉田口駅~大朝を結ぶ計画だった。
- 改正鉄道敷設法別表第92号に基づいて買収される。
- 終点の大朝駅は鉄道とバスの連接点として賑わっている。
長防軽便鉄道
小郡~萩を結ぶ鉄道計画だった。
- 陰陽連絡線の一つとして栄えている。
- 中間地点の美東は秋吉台・秋芳洞へのバスの乗り換えで賑わう。
- 美祢あるいは於福への支線が計画される。
- 確実に国鉄に買収される。
- 路線名は国鉄バスにならい防長線か。
- 史実では美祢線や山口線を走った優等列車や貨物列車のいくつかがこの路線を経由している。
- 路線名は国鉄バスにならい防長線か。
松江電気鉄道
- 出雲大社-美保関を結ぶ予定だったらしい。
- 松江側では島根大学の近くを通るため通学に役立っていた。
- ルートのほとんどが重複してしまう為、こちらが開業していた場合は一畑電鉄は存在しなかった可能性が高い。
- 境港まで延びていたら
- 美保関-境港間の開業は戦後にずれ込んでいた。
- 境港へ入る大型船の妨げにならないようにするため境水道を越える橋は国鉄境港駅より西側に建設。
- JR境線との直通が何回か検討される。
- 電鉄境港(仮)-電鉄出雲市or出雲大社前の特急が運転されていた。
- 境港市が「島根県境港市」と揶揄されることもあった。
四国
愛媛電気鉄道
阿波池田駅と川之江駅を結ぶ計画だった。
- 確実に国鉄に買収されている。
- そうなれば徳島と松山を結ぶ列車が運行されていた。
- 史実では同区間を結ぶバスが廃止になっているから、おそらく現代では電化廃止の上3セク化されている。
- 電化されていたら徳島県にも電車が走っていた。
四国中央鉄道
第一期線として立江駅と勝浦町を建設する予定だった。そして最終目標は長安口・木頭をへて土佐山田駅に至る計画だった。
- 石原産業がマンガンや銅や石炭をこの鉄道を使って運んでいた。
- 那賀川のダム建設で活躍していた。
- 森林鉄道が沿線から分岐していた。
- 全通していた場合は国鉄に編入される。
- 全通していなかった場合は南海電鉄(史実で一期線に沿って走るバスは南海系列の徳島バスだから)に編入される。
- 南海電鉄になっていた場合1990年代に廃止か3セク化されていた。
- あるいは、単独で南海系の零細鉄道会社になっていた。現在は車両のほぼ100%が南海のお古。
- 国鉄になっていた場合並行道路未整備を理由に特定地方交通線指定をまぬがれていた。
- 全通していた場合はゲーム「ものべの」にこの路線が登場していた。
- 全通していなかった場合は南海電鉄(史実で一期線に沿って走るバスは南海系列の徳島バスだから)に編入される。
上徳電気軽便鉄道
佐古駅と神山町を結ぶ計画だった。
- 一時期は周辺の鉱山からの貨物輸送で賑わう。
- その結果改軌が行われていた。
- 戦後南海電鉄(史実で予定線に沿って走るバスは南海系列の徳島バスだから)に編入される。
- 1980年代に廃止もしくは1990年代に3セク化されている。
九州
宮崎電気鉄道
宮崎駅から国富町を経て綾町へ至る計画だった。
- 九州中央山地国定公園や綾の照葉大吊橋への観光で賑わっていた。
- 国鉄に買収されたうえで森林鉄道の路盤を活用して小林まで延伸される。
- 戦時中に国に買収された国電の一つで、今は筑肥線の103系のお下がりが2両で走っている。
日向軌道延長線
二軒橋から先、村所までの延伸計画が存在した。
- 史実と異なり国鉄妻線に編入される。
- どこかの時点で改軌、改良が行われている。
- 村所から先、湯前までの延伸工事が行われていた。
- 全通した場合、湯前線ともども日肥線と改称される。
- 史実では実用化されなかった気動貨車キワ90形が実現している。
- 銀鏡軌道が日肥線の支線になったかどうかは微妙。
- おそらく分割民営化で国鉄から分離されている。
鹿児島南海鉄道
指宿枕崎線の延伸前、指宿~枕崎間を私鉄として開通させる計画が存在した。
- 開通後程なくして鹿児島交通に買収される。
- もし鹿児島交通が買収しなければ国鉄に買収されている。
- 鹿児島交通の路線になっていれば知覧線の頴娃延伸計画はより具体性を帯びていた。
- 国鉄に買収されなければおそらく南薩線と運命をともにしている。
高鍋鉄道
高鍋~木城町を結ぶ計画だった。
- 木材輸送で賑わっていた。
- 開業時は非電化だが後に電化され日向電気鉄道に名称を戻す。
- 電化後は木城から先、妻への延長をもくろむ。
- 開業時は非電化だが後に電化され日向電気鉄道に名称を戻す。
- 田口線や北恵那鉄道と同じく1076mmの森林鉄道と言われていた。
- 森林鉄道の路盤を活用し石河内への延伸をもくろむ。
臼杵鉄道
臼杵駅~三重町駅を結ぶ軽便鉄道の計画で史実では用地買収の途中で道路への転換と国鉄バス路線の開設に方針転換し、国道502号となった。
- 最近まで史実の国道502号にあたる道路は開設されず、やたら貧弱な道路しか存在しなかった。
- 最近になってようやく並行道路が開設される。
- 国鉄に買収され、臼三線と名乗る。
- 買収時点で当然ながら改軌が行われている。
- 豊肥本線のバイパス線として賑わっていた。
- 豊肥本線を通る貨物列車のほとんどや優等列車の半分がこの路線を通過していた。
- まともな並行道路が存在しなかったため、独占状態となっていた。
- 貨物営業もごく最近まで行われていた。
那珂川軽便鉄道
博多駅から博多南駅の周辺地域までを鉄道で結ぶ計画だった。
- 戦時統合で西日本鉄道に吸収され、同社の那珂川線となる。
- 福岡市内線の車両が乗り入れ、史実の揖斐線みたいな扱いとなっている。
- 市内線廃止後は筑豊電鉄みたいな路面電車みたいな鉄道線か宮地岳線のような扱いとなっている。
- 鉄道線として孤立しているため雑餉隈線計画はより重要視されていた。
- 当然ながら博多南線は存在しなかった。
海外
- ある程度地域別に並べるようにして下さい。
月尾銀河レール(韓国)
仁川駅と月尾島を結ぶモノレールだが試運転で問題が次々発覚し実質的に開業を断念した。
- 開通式には日本からも鉄道ファンが来ていた。
- 安全性に問題がなかった場合は仁川の新名所として定着できた。
- 2014年のアジア大会直前に新線開業もありえた。
- アーバノート方式のモノレールのモデル線としての役割も果たしていた。
- アーバノート方式の採用を検討している他都市の担当者も視察に来ていた。
- 現実同様の安全性の場合は乗客に負傷者が出る事故を間違いなく起こしていた。
- セウォル号事故以前に韓国の交通機関の安全性が広く問題視される事態になっていたかもしれない。
台北市電(台湾)
昭和初期に建設計画が持ち上がったが資金難により撤回された。
- 開業当初は内地のお古の木造車を使っていた。
- 当初計画にはなかった市東部や淡水河西岸への路線も計画される。
- 日本敗戦後は台湾電力あたりの持ち物になった可能性もある。
- 二・二八事件の際には車両や軌道などに大きな被害が出た。
- 例:軌道の敷石がバリケードの材料に使われる。
- モータリゼーションや設備の老朽化により1970年代に廃止される。
- 末期の電車はソウルや釜山の市電同様にアメリカのお古ばかりだった。
奉天市地下鉄道(中国)
計画はかなり細かくできていたが太平洋戦争勃発により着工できず。
- 日本が負ける前に完成できたのはせいぜい第一期の区間くらい。
- 戦時中の完成のはずなので満洲国時代の写真は極めて少ない。
- ソウルメトロ同様、満州国が建設した路線のみ左側通行になっている。
- 大阪市が計画に関与していたため『ごちそうさん』の劇中で言及されていたかもしれない。
- 場合によっては悠太郎が満州に送られた理由が「奉天の地下鉄建設」になっていた。
- 国共内戦や文化大革命などのせいで路線建設はたびたび中止を強いられていた。
- 戦前に計画された路線が大体できたのは90年代に入ってから。
- 北京や天津などの後に中国で建設された地下鉄にも影響を与えている。
テヘラン-マシュハド間高速電鉄線(イラン)
日本の協力で新幹線の技術を使って建設される予定だったがイラン革命により計画が消滅。
- こちらも参照のこと。
- イラン国鉄でも動力分散方式が広く取り入れられていた。
- 新幹線システムの輸出は史実より進んでいる。
- イスファハンやタブリーズへの路線も計画される。
- 「親日国イラン」を象徴するエピソードの一つとしてよく取り上げられる。
- イラン・イラク戦争で大きな被害を受けていた。
- 下手をすると運行中の列車がイラク軍に攻撃されていた。
ヒジャーズ鉄道メディナ-メッカ間(サウジアラビア)
第1次世界大戦の勃発により工事が中止された。
- 第1次大戦の勃発がもう少し遅れていれば間違いなく開業できていた。
- 両端がイスラム有数の聖地ということで第1次大戦でアラビアのロレンスに破壊された後も復旧できた。
- 聖地巡礼に訪れるイスラム教徒の需要があるため他の区間のようにほったらかしにはされなかったはず。
- イスラム教徒以外の乗車は禁止されている。
- そのせいでテレビ朝日の『世界の車窓から』にも登場できていない。
- 戦後にサウジ鉄道の他の区間と同じ1435mmへの改軌が行われる。
- ヒジャーズ鉄道特有の1050mm軌間だといろいろ不便な気がする。
- メッカへの空と海の玄関口であるジッダへの路線が作られた可能性あり。
超広軌鉄道(ドイツ)
ナチスドイツが東ヨーロッパやロシアなどとドイツ本土を結ぶ目的で計画していた軌間3000mmの鉄道だが第2次世界大戦で敗れたため着工されず。
- 世界最大の列車としてギネスブックに登録される。
- それでもナチスの亡霊呼ばわりされる。
- いずれにしろ東西ドイツで分断。
- 特に西側の部分はハブを失ってしまうため一部区間が廃止に追い込まれた恐れもある。
- 西側の部分は東西冷戦中にいったん標準軌の高速鉄道(史実のICE)を建設するも、東西ドイツ統一後に東西幹線を中心に超広軌鉄道がパリおよびオランダまで建設される。
- 流石にパリまでは開業できなかったんじゃないだろうか。在来線に乗り入れられるという優位性を持つTGVやICEがある以上、ヨーロッパの高速鉄道の標準規格もそちら側に移るだろうし。
- おそらく超広軌鉄道がベルリン中央にターミナルを移転し、結果としてベルリンが東西の高速鉄道の結節点になっていたと思われる。
- 超広軌鉄道のターミナルはベルリン、ハンブルク、ルール地方、ミュンヘン、カールスルーへ、アムステルダム、ロッテルダム、ハーグ、パリに分散配置。標準軌の高速鉄道は在来線に乗り入れられる特性を生かして短距離の系統特に南のヨーロッパへ向かう系統で威力を発揮。オランダの在来線は完全にローカル輸送に徹する。
- 流石にパリまでは開業できなかったんじゃないだろうか。在来線に乗り入れられるという優位性を持つTGVやICEがある以上、ヨーロッパの高速鉄道の標準規格もそちら側に移るだろうし。
- 西側の部分は東西冷戦中にいったん標準軌の高速鉄道(史実のICE)を建設するも、東西ドイツ統一後に東西幹線を中心に超広軌鉄道がパリおよびオランダまで建設される。
- 特に西側の部分はハブを失ってしまうため一部区間が廃止に追い込まれた恐れもある。
- ミュンヘン駅が巨大化。
- ベルリンのオストクロイツ駅なども巨大化していた。
- 現在の運行速度は時速300キロぐらい。
- 一方で、標準軌の路線網では、ドイツやオランダからの長距離国際特急列車が激減。全滅もありうる。
- ドイツやオランダ、ポーランドでは、標準軌の路線網のローカル転用が進む。
- ソ連が同じ規格のシベリア横断路線を計画するが建設中止に追い込まれる。
- が、後年になってルートを史実のシベリア鉄道より北寄りのルートでウラジオストックまで建設、さらにベーリング海峡を海底トンネルでくぐってアメリカまで建設する。また途中で分岐してアフガン経由でインドまで建設される。
- 流石にアメリカ大陸までは史実同様構想止まりになっていただろう。冷戦真っ只中に建設するわけにもいかないだろうし、何より工費が天文学的レベルになる。
- 建設費用をアメリカとカナダにも負担させる。
- インドまで建設されていた場合は史実の高速鉄道計画が存在しなかった。
- この場合史実の貨物鉄道計画も存在しなかった。
- 超広軌鉄道のインド国内での建設ルートにもよる。
- 流石にアメリカ大陸までは史実同様構想止まりになっていただろう。冷戦真っ只中に建設するわけにもいかないだろうし、何より工費が天文学的レベルになる。
- が、後年になってルートを史実のシベリア鉄道より北寄りのルートでウラジオストックまで建設、さらにベーリング海峡を海底トンネルでくぐってアメリカまで建設する。また途中で分岐してアフガン経由でインドまで建設される。
- 「トレイン・オン・トレイン」の実用化がかなり早まっていた可能性あり。
- 日本の弾丸列車計画→新幹線にも何か影響があったはず。
- 弾丸列車に関しては朝鮮・満州と線路幅を合わせたいという意図もあったから、せいぜい機関車の参考にしていたくらいではないだろうか。
- ドイツの東西分割を考えると、東側諸国が東ドイツの超広軌鉄道、西側諸国が標準軌(新幹線・TGVなど)の高速鉄道を採用していたと思われる。
- 西ドイツは超広軌鉄道に見切りをつけて、史実通りICE用の高速新線を建設(一部区間は超広軌鉄道の路盤を流用)していただろう。
- 超広軌鉄道が残ってしまう以上、ドイツ統一後にICEの高速新線を旧東ドイツ地域に延長する際に色々と問題が発生していた可能性あり。
- 結局、少なくとも東西幹線については、東ドイツに合わせた超広軌鉄道がパリおよびオランダまで建設されるので、標準軌の高速鉄道は南へ向かう路線のみが史実通りに建設されていた。
- 超広軌鉄道が残ってしまう以上、ドイツ統一後にICEの高速新線を旧東ドイツ地域に延長する際に色々と問題が発生していた可能性あり。
- 西ドイツは超広軌鉄道に見切りをつけて、史実通りICE用の高速新線を建設(一部区間は超広軌鉄道の路盤を流用)していただろう。
- 標準軌の高速鉄道は、西側諸国の中でもフランス・スペイン・イタリアなど南のヨーロッパ諸国で採用された。
- 南北アメリカ大陸の場合、アングロアメリカが東側諸国に合わせた東ドイツの超広軌鉄道、ラテンアメリカが標準軌の高速鉄道を採用。
- 中国も大陸側が東側規格、台湾が史実通り西側規格になっていたかもしれない。
- 中国大陸も東南部は日本や朝鮮半島、台湾、東南アジア諸国との直通のため標準軌の高速鉄道を採用。
- 中国も大陸側が東側規格、台湾が史実通り西側規格になっていたかもしれない。
- 超広軌鉄道の建設時期にもよるが、サンフランシスコのBARTが世界一軌間が広い鉄道の座につけなかった。
- 超広軌鉄道の建設がBARTの開業より後だった場合は、サンフランシスコのBARTが世界一軌間が広い鉄道の座についていたが、超広軌鉄道の開業によりその座を奪われる。
- 見た限りでは普通に戦時中に建設できていたのが大前提だと思うのだが…。
- 超広軌鉄道の建設がBARTの開業より後だった場合は、サンフランシスコのBARTが世界一軌間が広い鉄道の座についていたが、超広軌鉄道の開業によりその座を奪われる。
- ドイツ側が戦争で逆転勝利し、なおかつ超広軌鉄道が開通した場合、シベリアやフィンランドや中央アジアやインドや北米北部などがドイツ志向を強めるため、対アメリカの戦後処理にも影響が出たかも。こうなった場合にも、中国や東南アジアや中南米やサハラ以南のアフリカは、日本志向が残るだろうが。
トランスラピッド(ドイツ)
2004年頃にベルリン-ハンブルク間を開業させることを目標としていたが予算の目途がつかず着工できなかった。
- 開業時期は06年のドイツW杯直前か。
- 当初は物珍しさもありけっこう利用される。
- だが乗り換えの手間などを考慮すると現在は赤字路線か。
- フランクフルトやミュンヘンへの路線が計画されるが着工の見込みはない。
- 営業路線があるということでエムスランド実験線は史実より早く取り壊された。
- ベルリン側の起点は間違いなくベルリン中央駅。
- ICEと相互乗り入れできる車両の開発が一部で噂される。
- ICEとは規格が異なる上に同じ空間に乗り入れることができない。
- 規格が全く異なるので、日本の超電導リニアとは他国への売り込みで競合する程度の関係になっている。
- 上述の超広軌鉄道が実用化されていれば、トランスラピッドのルートはベルリン―ハンブルク間ではなくドイツ国内の別のルートで建設されていたはずである。
ドネツィク地下鉄(ウクライナ)
1992年に工事が始まったが慢性的な資金不足のため2011年に中止された。
- 現実でドネツィク市内を走っているトラムやトロリーバスは必然的に縮小を余儀なくされた。
- 2012年のUEFA欧州選手権の際には観客の輸送に大活躍した。
- 2014年ウクライナ騒乱の際には間違いなく戦場となった。
- ウクライナ政府軍と「ドネツク人民共和国」軍がトンネルや駅でどこかのFPSさながらの銃撃戦を繰り広げていた。
- 結果として復旧に数年かかるほどの被害を受けている。
ダカール・ニジェール鉄道クリコロ-ニアメ間(マリ・ニジェール)
フランス植民地時代にダカール港とニジェールを結ぶため計画された路線だが途中のクリコロまでしか建設されなかった。
- おそらくニジェール川に沿ったルートで建設される。
- ニジェール川の水運は大打撃を受けていた。
- 開通時期はフランスからの独立直前か。
- マリ国内では世界遺産のあるトンブクトゥやガオと首都バマコを結ぶ観光列車が運転されていた。
- ニジェールのウラン鉱石を積んだ貨物列車が多く運転された。
- 近年になって沿線住民への放射線の影響が心配される。
- 現在はマリ北部紛争の影響によりかなりの区間が運休中。
シンシナティ地下鉄(アメリカ)
第1次大戦後の資材高騰のためトンネルを作ったところで予算が尽き完成できず。
- オハイオ州初の地下鉄となっていた。
- シンシナティ市民がクリーブランドの市民に対してしばしば自慢していた。
- よく見かける広告といえばP&G、メイシーズ百貨店、チキータといった地元の大企業のもの。
- シンシナティの人口減少の幅は史実より小さかった。
- 現在でも30万人を下回っていない。
- 構内の治安は良くない気がする。
- ガイドブックなどで「地下鉄に乗車する際は泥棒などに注意してください」という趣旨のことを書かれた。