ページ「もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら」と「夏季オリンピック」の間の差分

(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
(文字列「[[category:」を「[[カテゴリ:」に置換)
 
編集の要約なし
 
1行目: 1行目:
*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
{{Pathnav|オリンピック|name=夏季大会}}
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
*新規追加は開催年順かつ開催地が正式に決定してからでお願いします。
*史実でプロ入りしていない選手は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
==第1回~第13回==
*抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合は[[もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら]]へお願いします。
===[[ギリシャ#アテネ|アテネ]](1896年)===
==1980年代以前==
#全借民の中で見たことがある奴がいたら驚いてやる。
===江夏豊(1966)===
#*俺、見に行った事あるよ?・・・すいません、2004年の方でした・・・。
※史実では阪神に入団
#資金不足のため金メダルがなかったとか。
;巨人
#女子競技は全くなかった。
#1968年の奪三振がさらに増えていた。
#高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
#南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
#現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
#引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。


;東映
===[[パリ]](1900年)===
#尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
#万博と一緒にやったため5か月以上かかった。
#日本ハムへの売却時に放出されたかも。
#*当時は万博のおまけ扱いだったそうな。
#高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
#生きた鳩を撃つ競技があったらしい。
#最年少と思われるボート競技の金メダリスト、競技終了後に姿を消す。
#結局現在オリンピックと正式に認められているのは陸上競技だけ。
#クリケット競技が唯一行われた。しかしイギリス連邦でないフランスでクリケットはマイナー。


;阪急
===[[セントルイス]](1904年)===
#2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
#マラソン1位の選手が自動車でショートカットしていたというズルが発覚。もちろんメダル剥奪。
#黄金時代がもう少し長く続いていた。
#ヨーロッパの多くの選手が「遠い」と参加を拒否したためメダルはほとんどアメリカが持って行った。
#山口高志はずっと先発主体だった。
#アイヌやインディアンなど少数民族の体力測定が行われたのは黒歴史。
#トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。


===江川卓(1978)===
===[[ロンドン]](1908年)===
*[[もし江川問題が○○だったら#阪神以外が交渉権を獲得していたら]]
#本来ローマで行われる予定だったがヴェスヴィオ火山の噴火被害により急遽開催地変更。
===木田勇(1978)===
#マラソンが42.195kmで競うようになったのはこの大会から。
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
#*ウィンザー城の庭から競技場の貴賓席前までがこの距離だったらしい。
;大洋
#*最初に競技場に入ってきたピエトリが役員の助力でゴールする羽目になったのも2.195kmのせいだとか。
#在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
#日本選手の参加はなかったが日本のマスコミ(大阪毎日新聞)による取材はあった。
#*広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
#1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
#*そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。


===岡田彰布(1979)===
===[[スウェーデン#ストックホルム|ストックホルム]](1912年)===
※史実では阪神に入団
#マラソンの世界一遅い公式記録(54年8ヶ月6日5時間32分20秒)が生まれたのはこの大会。
#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
#*棄権の意思が運営側に伝わっていなかった為、失踪して行方不明扱いに。開催55周年記念式典で[[wikipedia:ja:金栗四三|当事者のこの方]]がゴールインしてようやくこの大会の全競技が終了。
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
#日本が初めて参加した大会。


;阪急
===ベルリン(1916年)===
#当時の打線に更に磨きがかかっていた。
#初めて中止になった大会。
#三塁ではなく、外野に転向していたか?
#*オリンピックのために休戦という古代オリンピックの精神は引き継がれなかった。
#松永の代わりに阪神へトレードされた。
<!--===アントウェルペン(1920年)===
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
===パリ(1924年)===-->
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。
===アムステルダム(1928年)===
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
#男子三段跳で織田幹雄が金メダルを獲得。
#*表彰式では他国の旗より4倍ある巨大な日章旗が掲揚され、君が代も「千代に八千代に」から吹奏された。
#人見絹枝が激走。
#*女子100mで準決勝敗退後、「このままでは日本に帰れない」とエントリーだけしていた800mに出場。
#**レース後に参加選手全員が倒れこむ激戦の中、銀メダルを獲得。
#この大会からテニスが除外。テニスのオリンピック復帰は60年後のソウルまで待つことになった。
#文芸コンクールが同時に行われていた。優勝はポーランドのカジミェシュ・ヴィエジンスキ。


;西武
===[[ロサンゼルス]](1932年)===
#石毛の三塁転向は遅れていた。
#半世紀ちょっと後と同様に無投票で開催地が決まった。
#1985年も日本一になれた。
#バロン西がウラヌス号に騎乗し金メダルを獲得。
#実況放送を行う予定だったがオリンピック委員会と放送局がもめたため競技の様子のメモを頼りに実況っぽく再現する「実感放送」が行われた。
#*アナウンサーの気分が乗りすぎて男子100m走の模様を伝えるのに1分もかかってしまった。
#日本のマスコミが大いに白熱し始めたのはこの大会から。
#*どの新聞社も号外を出しまくった。
#*オリンピックに便乗した広告も出始めた。
#*日本でオリンピックの選手応援歌が作られたのも確認できる限りこの大会から。
#**「走れ大地を」。作曲は山田耕筰。当時大ヒットし、4年後にも再発された。


;南海
===[[ベルリン]](1936年)===
#大阪出身ということで歓迎される。
#前畑ガンバレ
#王監督の後任になっていた可能性が高い。
#聖火リレーがこの大会から始まる。
#藤原満の引退後三塁に再転向した。
#*ちなみにこの大会のものはドイツ軍の偵察を兼ねていたという。
#連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
#友情のメダル。
#サッカーで奇跡が起きた。
#*「日本人、日本人、また日本人」byスウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサー
#ヒトラーのたっての要望によりハンドボールが追加された。
#東亜日報が孫基禎のユニフォームに描かれた日の丸を塗りつぶし発禁処分を受けた。
#この大会の記録映画が好評を博したため以後の大会でも記録映画の制作が義務付けられるようになった。
#*再現映像がかなり含まれているのは秘密。
#*日本版では前畑が金メダルを獲得した女子200メートル平泳ぎが追加されている。
#ジェシー・オーウェンスが陸上競技4冠を達成した。


;近鉄
===東京(1940年)===
#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
関連項目:[[もし1940年の東京オリンピックが開催されていたら]]
#大石より先にバファローズの監督に就任した。
#1940? いや、2600でしょ。
#幻。
#中止直前には軍から「メインスタジアムを木か石で作れ」という無茶苦茶な命令があったらしい。
#この大会を機にNHKはテレビ放送を始める予定だった。
#中止が決まる前に、既にテーマ曲が作られていた。
#同じ頃札幌オリンピックや東京万博もやろうとしていた。
#代わりに開催されたのが紀元二千六百年奉祝東亜競技大会。なお集客面ではオリンピックに遠く及ばなかった。
#この頃に生まれた人たちが1964年の東京オリンピックの選手の中心世代となった。
#この大会が決定した時に、当時読売新聞運動部記者の川本信正が「五輪」という略称を考案。


===原辰徳(1980)===
==第14回~第27回==
※史実では巨人に入団
===ロンドン(1948年)===
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#敗戦国抜き…のはずがイタリアは出場。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
#そのころ日本では[[wikipedia:ja:古橋廣之進|トビウオ]]が驚異的な記録を出す。
#*入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
#*巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
#**大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
#無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
#入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。


;広島
===[[フィンランド#ヘルシンキ|ヘルシンキ]](1952年)===
#川口和久は他球団に指名されていた。
#[[wikipedia:ja:エミール・ザトペック|チェコ製の人間機関車]]が長距離でその性能をフルに発揮。
#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
#*後に[[阪神タイガース|日本のプロ野球]]で[[wikipedia:ja:村山実|その名が有名になる]]ことを、この時は誰も知る由もなかった。
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
#トビウオは旬を過ぎていたためメダルならず。
#当然あの手首負傷はない。
#この回から、再び日本独自の応援歌が作られるようになった。
#2000本安打も達成していたはず。
#*この年の[[NHK紅白歌合戦ファン|NHK紅白歌合戦]]でも藤山一郎によって歌われている。紅白で歌われた初の五輪ソングでもある。


;大洋
===[[メルボルン]](1956年)===
#1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
#初の南半球開催。
#FAで駒田を取りに行っていなかった。
#*開催時期も11~12月。
#*屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
#馬術だけストックホルムだった。
#2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
#*当時はオーストラリアに馬を持ち込む際の検疫に恐ろしく時間がかかっていたため。
#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
#ハンガリー動乱の影響が水球の試合にも及んだ。
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
#*応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
#田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
#*近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
#ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。


===石毛宏典(1980)===
===[[ローマ]](1960年)===
※史実では西武に入団
#裸足で走ったのはこちら。
#体操会場は「テルマエ・ロマエ」だった<!--(カラカラ浴場跡地)-->。
#*日本の団体5連覇はここから始まった。
#モハメド・アリが金メダルを川に流した。


;阪急
===[[東京]](1964年)===
#バンプ・ウィルスの加入はなかった。
[[画像:JA8978_HND.jpg|thumb|160px|今の日本にはこの夢が必要だ・・・??]]
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
#高度経済成長期真っ只中。
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
#*[[東海道新幹線]]が開業するきっかけとなった。
#このときは、裸足で走らなかった。
#*しかもせっかく日本のメーカーが送った靴を使わず、海外の靴を履いて出場した模様。
#一方その頃[[中華人民共和国|新中国]]は核実験をしていた。
#日本に魔女軍団発生。
#*魔女軍団の活躍がママさんバレー普及のきっかけになったらしい。
#閉会式で独立宣言した[[ザンビア|国]]がある。
#*国旗も期間中に新調。(イギリス領北ローデシア→ザンビア)
#「世界中の青空がここ東京に集まったかのようです」は名言だがその裏で大変なことが起こっていた。
#*詳細は忘れたが撮影技術か通信技術の欠陥で、晴天でなければカラー放送の中継が大変なことになっていたらしい。
#このオリンピックが無かった場合、この年の国体は天皇杯・皇后杯は無しとなっていた可能性が高い。
#関西人もオリンピックに夢中になった結果、[[阪神タイガース|関西勢]][[福岡ソフトバンクホークス#南海時代の噂|どうし]]の日本シリーズはたいして見向きもされず、甲子園はスカスカだったという。
#*その日本シリーズ、オリンピックに配慮して開幕前に終わらせるつもりだったのだが、天候に泣かされ最終戦と開会式がかぶってしまった。
#ユニットバスや冷凍食品が広く普及するきっかけになった。
#本大会の開催地を決めるIOC総会での平沢和重の演説はもはや伝説。
#閉会式は選手が勝手に流れ込むというグダグダだったが、以降のオリンピックでもこんな感じになった。
#開会式は各テレビ局で中継していたが、なぜかテレ朝だけオリンピックの文字が使われていなかった。 
#前年のケネディ暗殺などで使われ始めた衛星中継が本格的に行われるようになった。
#聖火リレーはギリシャからレバノン、イラン、インド、ビルマ、フィリピンなどを通って日本まで運ばれた。
#*太平洋戦争で戦場となった地域も通ることで平和と和解のためというイメージを強く打ち出した。
#*香港を出ようとしたところで台風の直撃を受け危うく国内でのリレー開始に間に合わないところだった。
#[[もし中国国民党が中国共産党に勝っていたら|中国で国民党が共産党に勝っていたら]]南京での開催になっていたが、東京での開催は12年遅れていた。


===金村義明(1981)===
===[[メキシコ#メキシコシティ|メキシコシティ]](1968年)===
※史実では近鉄に入団
#初めて衛星による世界生中継を行った。
#アンラッキーアイテムは黒い手袋。
#*彼らに賛同して手袋を貸してあげた銀メダルの人も追放された。
#やっぱり釜本さん。
#南アフリカを参加させようとして危うく大規模なボイコットが発生するところだった。
#標高が高いために陸上では好記録が続出。
#*男子走り幅跳びの世界記録は20年以上更新されなかった。


;阪急
===[[ミュンヘン]](1972年)===
#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
[[画像:MunchenSOP.jpg|thumb|50px|ハードル走ポスター]]
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?
#ある球技の日本チーム、大会前、テレビ番組にレギュラー出演。
#パレスチナにドンパチくらわれた。
#*ベルリン大会の全体主義的なイメージを払拭すべく警備を控えめにしていたのが裏目に出た。
#*一旦は政府スポークスマンが「全員無事」と発表したが実際に待っていたのは最悪の事態だった・・・。
#この大会のピクトグラム等グラフィックデザインは、[[航空会社/ヨーロッパ#ルフトハンザドイツ航空|ルフトハンザ]]やシェーバーのBRAUNのロゴと同じデザイナーによるもの。
#陸上男子100mでは優勝候補のアメリカ選手2名が2次予選に遅刻して失格となった。


===荒木大輔(1982)===
===[[モントリオール]](1976年)===
※史実ではヤクルトに入団
#麻生太郎がクレー射撃の選手として出場。
#アフリカでボイコットが相次いだ。
#ハイライトといえばコマネチの10点満点。
#*ただし電光掲示では最高でも9点台しか想定していなかったため「1.00」と表示された。
#*このときに米ABCが使った「妖精コマネチのテーマ」は、アメリカにおいてオリンピックから生まれた初のポピュラーヒットになった。
#**元々はオリンピックともコマネチとも全く関係ない映画のサントラ曲。
#当初の予算を大幅にオーバーしてしまい大赤字に。さらにそれを補填するために税金が投入される事になってしまった。
#*赤字を完済したのは大会から30年後の2006年である。
#*下記のロサンゼルスオリンピックにて商業化路線をとるきっかけになった。


;巨人
===[[モスクワ]](1980年)===
#史実より引退が早くなっていた。
#日本人は、開催期間中のことを、よく知らない。
#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
#テレ朝が独占放送権を取得していた。
#王監督就任時に野手への転向を打診される。
#*アメリカでは3大ネットワークがソ連の映画や紹介番組を放送してソ連当局の気を引き放映権獲得を目指していた。
#くまのミーシャ。
#*閉会式で泣いていた。
#[[Genghis Khan(Dschinghis Khan)ファン|ジンギスカン]]の「もすか~う♪」。
#大会期間やその直後の現地ではキャビアがいつもより安かったらしい。
#*日本人やアメリカ人の観光客が来ることを想定して大量に用意していたがボイコットによりさっぱり売れなかった模様。


===高野光(1983)===
===[[ロサンゼルス]](1984年)===
※史実ではヤクルトに入団
#五輪はカネになると気づかせた大会。
#いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
#*スポンサーが集まらなければ開催中止や主催団体の変更(国連かユネスコに)もありえたらしい。
#野球。日本はアマ選手で金メダル。
#*ほかには女子マラソンが追加、テニスが復活。
#**アンデルセンといえば童話作家ではない。
#***彼女が熱中症でふらつきながらも諦めずに歩いてゴールする姿に感動。
#*マイケル・ジョーダンの伝説が始まった。
#*自転車初メダルで超特急に格上げ。
#キャラクターは「はっとはっとはっとっと イーグルハットではっとっと」でおなじみのイーグルサム。
#*イーグルサムのデザイナーは後に[[福岡ソフトバンクホークス|日本プロ野球の鳥類球団]]のマスコットも手がけた。
#団塊ジュニアあたりの世代にとっては、初めて見たオリンピックがこれ。
#*モントリオール五輪はまだ幼少期、モスクワは日本選手団がボイコットしたため。
#開会式でのパラシュートが印象的だった。
#*あとロス五輪といえばロケットベルト。
#不参加だった北朝鮮もこの大会を記念する切手を発売した。
#写真フィルム業界でスポンサーだったのは常連のコダック(米)ではなくまさかの富士フイルム(日)。
#今でもオリンピックというと象徴的にテレビでちょくちょく使われるジョン・ウィリアムズのあの曲はこの大会でのテーマ曲。


;西武
===[[ソウル]](1988年)===
#渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
<!--嫌韓ネタはほどほどに願います-->
#*渡辺←→高野のトレードがあったかも。
#マスコットキャラは虎と狸のあいの子みたいな感じ。
#渡辺が西武監督に就任することはなかった。
#東京に続きアジア二回目の開催
#卓球とバドミントンが追加されたのはこの大会。
#*韓国だもの、テコンドーも忘れちゃいかん。
#**この時は公開競技で、正式種目になったのはシドニーだった。
#開会式で、[[鳩|焼き鳥]]が調理された。
#*そのせいで、以後生きた鳩が飛ばされることはなくなった。
#ベン・ジョンソンがドーピングしたのもこの大会。
#妙に「鈴木大地、金メダル!」という実況を覚えている。
#愛知県民にとっちゃ苦い思い出……(名古屋五輪構想)
#NHKが大会ごとにテーマ曲を決めるようになったのはこの大会から。
#ロイ・ジョーンズの金メダルが盗まれた。
#16年ぶりにほぼ全世界の国と地域が参加した。
#旧ソ連、東ドイツにとってはこれが最後のオリンピックとなった。
#*日本からの視点では夏冬通じて昭和最後のオリンピック。平成最後のオリンピックも平昌であり、偶然にも韓国での開催となった。
#ここからシドニーまでの間は日本のメダル総数が激減する。
#*その原因ってなんなんだろう?(いろいろ聞くが詳細はわからない)
#*そのせいで1960年代生まれは金メダリストが少ない。
#**正確には1962~1971年生まれが谷間世代。
#*何気に1970年代前半生まれの団塊ジュニア世代の黄金期も含まれている。
#**この辺りで日本で開催できていたら低迷期もなかったのに…と悔やまれる。ちょうどバブル期と言うこともあり大いに盛り上がっていただろう。
#北朝鮮はこの大会の開催を妨害しようとして大韓航空機を爆破した。
#*しかしソ連など共産圏諸国を怒らせてしまい逆効果に。


;大洋
===[[バルセロナ]](1992年)===
#銚子利夫は他球団に指名されていた。
#ヤワラちゃん初出場。
#*長内孝は広島で現役を全うした。
#*というか柔道女子はこっから。
#名言。『今まで生きてきた中で…』
#*『こけちゃいました』も、味わい深い。
#*日本人選手としては当時史上最年少の金メダルで、2021年の東京五輪まで30年近くも記録が破られなかった。
#聖火を弓矢で点火する演出は、秀逸だった。
#*あれを超える演出はおそらく無理だろう。
#[[Queenファン]]にとっては特別な思いがある大会。
#[[ジャニーズファン#光GENJIファン|君は夏のマタド~ル♪]]
#ドリームチームが躍動。
#案の定「スペイン語とカタルーニャ語のどちらを優先するか」でモメた結果、開会式の入場行進はフランス語基準の順番になった。
#*そのため、ギリシャ→アフガニスタンときた次の3番目に入場したのが南アフリカ(フランス語ではAfrique du Sud。ちなみにスペインの両言語ではSudが先にくる)だった。


;阪急(オリックス)
===[[ジョージア州#アトランタ|アトランタ]](1996年)===
#投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
#聖火点火者がパーキンソン病のモハメド・アリ。これには誰もが仰天。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
#*聖火台はどう見ても[[マクドナルド|マックフライポテトの容器]]。
#阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
#川口能活に神が降臨したのはこの大会。
#引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
#メインスタジアムは後に野球場として生まれ変わった。
#平成生まれがリアルで見たことがあるのはこの大会以降。
#史上初めてIOCに加盟している全ての国と地域が選手を派遣できた。
#「自分で自分を褒めたい」。
#開催地決定直後に[[コカ・コーラ]]の関係者が都市名の入った記念バッジを配ったため「最初からアトランタに決まっていたのではないか」と一部で噂された。
#*敗れたアテネのあるギリシャではコカ・コーラの売り上げが一時激減したらしい。
#*実際はアテネなど他の候補都市のバッジも全て準備済みだった。
#開会式の際に選手が入場してくるスロープの向こうにマクドナルドのネオンサインが映り込んでしまった。
#*結局IOC関係者が閉店中の店に侵入して無理やり消灯したとか。
#この大会のために開発されたIBMの結果速報システムが開会後しばらく無茶苦茶なデータしか出せなかった。
#*「900歳の走り高跳びの選手」「身長12センチの選手と身長19メートルの選手の対戦」などのデータが報道機関に届いてしまったらしい。
#[[ニコニコ動画ファン|ニコ厨]]にとってはゲームのハイパーオリンピックのバグ動画で有名。


===広沢克己(1984)===
===[[シドニー]](2000年)===
※史実ではヤクルトに入団
#20世紀最後のオリンピック
#聖火の最終ランナーが選手から出た事に誰もが驚きを覚えた。
#*そして聖火台が突然止まったことにも仰天。
#南半球なので夏オリンピックというよりは春オリンピックに。
#ある試合結果を伝える番組中、アナウンサー落涙。
#開会式の日本代表の服装のセンスに誰もが納得{{極小|するわけがない}}。
#*一部では「日本選手団はみんな同性愛者なのか?」と囁かれたとか。
#**男同士でちょっと仲がいいとすぐそっちの扱いする小学生並みだな。
#「悔しい」と言えば、ザブングルじゃなくて田島寧子。
#[[モーニング娘。ファン|人生って素晴らしい~♪]]
#この時の男子柔道では決勝で「世紀の大誤審」が発生。被害にあった日本人選手は銀メダルに終わった。
#日本男子不振。なんと女子はメダル13個に対して男子は5個しか獲得できず(しかも柔道とレスリングだけ)。
#*だが金メダル数は男子のほうが1つ多いという近年とは逆の結果に。
#*体操と競泳はアテネ以降名誉挽回。
#野球はプロ選手の参加が認められたが、日本代表は初めてメダルを逃した。
#*と言っても参加したプロ選手は大半がパ・リーグの選手だった。その理由はナベツネのせい。
#**セ・リーグからも一応2人だけ参加した選手はいた(当時[[中日ドラゴンズ|中日]]の鈴木郁洋・当時[[広島東洋カープ|広島]]の河内貴哉)。
#**河内じゃなくて河野昌人ね。2017年に亡くなった。
#男子100m自由形予選で、[[赤道ギニア]]のエリック・ムサンバニ(モーサンバーニー)選手が有名になった。


;西武
==第28回以降==
#大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
===アテネ(2004年)===
#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
#長嶋ジャパンの予定だったけど体調不良のため誰かに代わった。
#巨人に移籍していなかったかもしれない。
#*キヨシ。後の[[横浜DeNAベイスターズ]]としての初代監督になる事に。
#*当時は「熱いぜ!ニッポン!」ではなかった。
#*ちなみに唯一野球でセ・パ全12球団が選手を派遣した大会だった。
#**前回のシドニーはナベツネのせいでセ・リーグからは中日と広島から1選手ずつしか派遣されず、その次の北京は完全実力主義での選出だったためか広島・オリックスからは選出0だったため。
#マラソンでトップのランナーが拉致されて3位になった。
#*F1イギリスGPの妨害をしたときにバリチェロが優勝したので今回はブラジル人を負かせにいったとの噂。
#*妨害されたランナーは[[#リオデジャネイロ(2016年)|地元大会]]では聖火点灯の大役に。
#ハンマー投げ金メダリストがドーピングで剥奪されるというハプニング。
#*繰上げで室伏幸治が金メダルに。
#*男子100mのガトリンもドーピングで金メダル剥奪されたね。
#日本に神が舞い降りたとしか思えない好調ぶりだった。金16個は出来過ぎ。
#*女子レスリングの追加が大きいかと。
#*その割に同年の「今年の漢字」は「金」ではなかった(新潟中越地震など災害が多かったので「災」になった。)。
#「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だッ!」
#*「[[ゆずファン|栄光の架橋]]」は歴代のNHKオリンピック中継テーマソングの中でも最高だと思う。
#**ああ、でも「[[いきものがかりファン|風が吹いている]]」も捨てがたい・・・あれ。
#***「[[Mr.Childrenファン|Gift]]」も捨てがたいぞ。
#なんだかんだで2010年代のギリシャ金融危機の遠因の一つ。
#ギリシャは入場行進どうするのだろうと思ったら、先頭で旗手だけ入場→最後に選手入場というウルトラCを披露。


;日本ハム
===[[北京]](2008年)===
#大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
#聖火リレーだけである意味かなり盛り上がった。
#*山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
#*チベット問題。
#鳥の巣が開会式会場になった。
#花火をCGで代用したせいで大問題。
#*歌が口パク疑惑も生まれて大問題。
#*少数民族の子供たちの群れもほとんどが本物の少数民族ではないという事も・・
#自転車ロードレース・男子で銀メダリストがドーピングで剥奪された。
#ソフトボール決勝での決着シーンでの解説者の騒ぎっぷりが今でも耳にこびり付いている・・・。
#*元教え子なんだしそこは大目に見てあげようよ。
#GG佐藤のエラーは色んな意味でファンを失望させた。
#*テレビでは高校野球の決勝戦と同時に行っており、エラーで即チャンネル変更!したファンも多いのでは。
#**もっとも、この年の甲子園決勝は超ワンサイドゲームだったのだが。
#陸上男子4継が銅メダルを獲得したが、その際バトンが行方不明になった。
#*9年後に金・ジャマイカのドーピング発覚で銀に繰り上げ。[[#リオデジャネイロ(2016年)|直前の大会]]での陸上男子トラックでの最高記録はタイ記録に。
#日本で一番にわかを呼んだのはフェンシング。
#北島康介のコメントをよくよく聞いていると、4年前の名言と同じことを再び言っている。
#エガちゃんが瞬間最高視聴率を取った事も忘れちゃいけない。
#開催地が日本に近く時差が少ないので、多くの競技を生で見られた。
#*しかし競泳の決勝はほとんどが午前中だったので生では見られなかった日本人も多かったと思う。
#**「放映権料たくさん払ってやったんだからアメリカのゴールデンタイムに合わせろよ byテレビ局」ということらしい。
#**案の定12年後もそうなる模様。
#開催国中国選手団は、約1名が恥を晒した。
#21世紀生まれ(もしくは2000年以降生まれ)がリアルで見たのはこの大会以降。
#この大会のおかげで日本での中国語学習者が増えたらしい。
#男子柔道の低迷期の幕開け
#*その他野球・サッカーで日本男子の不振が目立った。
#**サッカーはロンドンでリベンジした。
#大阪府民にとっては苦い思い出。(2008 オリンピックを大阪に!)
#*バブル崩壊後の失われた30年さえなかったら実現できていただろうに…。
#大会前には大規模なボイコットが発生しそうな雰囲気もあったがそんなことはなかった。
#後々になってジャマイカの金メダルが剥奪された。
#民放テレビ3局以下の地域のケーブルテレビ加入者にとっては、区域外再送信(放送)局の地デジ化の契機となった大会でもある。
#*全国的に2008年8月(開会式直前)にデジタル放送の区域外再送信が認められたケースが多い。
#石井慧とソフトボール以外の金メダリストはアテネとの連覇ばかり。ちょっと新鮮味が欠けた大会。
#*ちなみに石井慧も柔道男子100kg超級としてはアテネの鈴木桂治と2大会連続金メダル。
#国民党が共産党に勝っていたら、中国での夏季オリンピックは44年早く1964年に南京で実現していただろうに。


===清原和博(1985)===
===[[ロンドン]](2012年)===
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
[[画像:JA8290 B767-300 RJTT.JPG|thumb|220px|こころを一つに、頑張ろう日本代表]]
#まさかの「サッカーイギリス代表チーム」実現へ。
#*ちなみに男子は52年ぶり、女子は史上初。
#*でも、男子は[[サッカーイングランド代表|イングランド]]と[[ウェールズ]]だけ。OAでギグスを呼んだのはすごいけど。
#*女子もイングランドと[[スコットランド]]だけ。
#**結局、男女ともベスト8どまり。
#リーマンショック不況を受け、節約志向の運営。
#*メインスタジアムは五輪終了後減築、聖火リレーは英国内周遊のみ。
#**このスタジアム、ウエストハムの本拠地になるはずだったが色々あって現在は白紙らしい。
#***色々あったが結局ウエストハムの本拠地となった。
#**聖火リレーに関しては、北京でみられた政治的妨害行為を防ぐのも理由とか。
#*オリンピックパーク内の競技場は、大会終了後にロンドン市内の他の場所に移設したり、[[リオデジャネイロ]]に移設して4年後再利用したりするらしい。
#ロンドンでは三度目、でも日本選手団が出場するのは初めてのロンドン。
#開会式前からいきなり奇跡が起こった・・・。
#*ただしこの勝利を「奇跡」と呼ぶことに抵抗がある人もいる。
#日本の報道では、英国名物ブックメーカーがやたらと取り上げられている。
#開会式では、女王陛下がボンドガールになった。
#*また、Mr.ビーンことローワン・アトキンソン氏の凄さを思い知らされた開会式でもあった。
#*閉会式にはモンティパイソンも。
#日本はなんやかんやでメダル数最多。金は少なかったけど。
#*種目初のメダルや久しぶりのメダルが多かった。
#**また、団体でのメダル獲得も多かった。
#*7個の金メダルのうち、4個をレスリングで獲得。
#**もっと言えば、金メダル7個中6個が格闘技(レスリング、ボクシング、柔道)。
#「オリンピックの影響でロンドン周辺の交通は麻痺する」という脅しを1年以上前からかけまくった結果、五輪期間中に市内は閑古鳥に。
#卓球少女がついにメダル獲得。「自分の娘がメダルを取った気分」と世のオバサマ方がコメント。
#*ANA所属なので特別機にも写真が載っていたが全員メダル獲得となった。ちなみにJALは体操で金の方。
#開会式のインドの選手団の列に謎の女が乱入。
#トライアスロンの自転車競技中に尿意を催した選手が続出。
#*女子では金メダルと銀メダルのタイム差が1秒未満だった。
#*トライじゃなくて男子ロードじゃね?ツールを知ってる人ならおなじみの光景。
#女子サッカーの試合で北朝鮮の選手紹介のとき韓国の国旗を出してしまった。
#誤審も相次いだ。
#*日本がらみでも多かった。
#**男子体操で日本チームが「ルールに従って」抗議の際に現金を渡したら、まさかの問題視。
#開催国だけあってイギリスが3番目に多い金メダルを獲得。
#日本柔道がまさかの低迷。何があった。
#*金メダルを取ったのは女子1人。男子はオリンピック初の金メダルゼロという不名誉な記録を打ち立ててしまった。
#**その日本唯一の金メダリストである松本薫、実は[[石川]]県勢並びに[[北陸]]勢史上初の個人金メダリストだった<del>…富山、福井マジで頑張れ</del>。
#*あれは「柔道」ではなくて「'''JUDO'''」という別の競技だという声が。
#**今回ばかりはそれを言う人はただの俄か。最も柔道らしい柔道をしていたのが日本をとことん苦しめたロシアだというのはなんとも皮肉。
#**「ジュリー」という外来語が柔道関連の語として話題になったのもそれを感じさせる。
#*「あかり」って名前の[[wikipedia:ja:緒方亜香里|選手]]に[[ゆるゆりファン|\アッカリ~ン/]]ってツイートで応援したら、早速\アッカリ~ン/(敗退)してしまった。
#*当時の監督はそのせいか柔道界を干され、今は(2016年)バラエティー番組で活躍している。
#バドミントン女子ダブルスで[[中華人民共和国|3]][[韓国|強]][[インドネシア|国]]が無気力試合。おかげで日本はタナボタに近い銀メダル。
#*この種目では大会前に注目されていなかったほうのペアが活躍する、という法則が今後できるのだろうか。
#マスコットのデザインがかなり不気味。インパクトはあるけれど…
#フェンシング団体で銀メダルを獲った太田雄貴に対する地元・大津市比叡平での扱い…。
#*素直に「郷土のアスリート」として応援されずに、「皇子山での事件から逃げたりする為の単なる道具」にされてしまっていた。
#金メダルが少なかった上に代表選手が高齢のレスリングに集中したため、平成生まれ初の金メダリスト誕生はおあずけになってしまった。
#*内村航平は1989年1月3日生まれでギリギリ昭和(おそらく昭和64年生まれ唯一のメダリストになる)。
#若い[[Queenファン]]は閉会式でリアルタイムのB・メイ(ギタリスト)とR・テイラー(ドラマー)をTV越しで目の当たりにした事であろう。
#*亡きF・マーキュリーもビジョン越しに出て来たとは…。


===阿波野秀幸(1986)===
===[[リオデジャネイロ]](2016年)===
※史実では近鉄に入団
#1904年セントルイスオリンピック以来、112年ぶりにゴルフが行われる。
#1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
#*ラグビーは1924年パリ大会以来92年ぶり。ただし7人に人数を減らして。
#10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
#**前回ではサッカーで組まれた「イギリス代表」がこっちでも実現。しかもイングランド・スコットランド・ウェールズの3国から。
#指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
#メインスタジアムは1950年ブラジルW杯の「マラカナンの悲劇」が起きた場所。
#*夏季五輪で陸上競技場がメインスタジアムにならなかったのは戦後ではおそらく初めて。
#*サッカーに関して言えば、今回はついに「歓喜の地」となった。
#なお1次審査でのリオデジャネイロの得点は落選したドーハより低かった。
#開催期間が8月5日から21日なので「夏季オリンピック」なのに現地の冬に開催されることになる。
#いろいろと時代の節目になった大会。
#*21世紀生まれ初の日本代表選手が競泳に選ばれたことはあまり知られてない(2000年生まれの某選手は有名だが)。
#*卓球女子団体は昭和生まれ&平成生まれで1000年代生まれ&2000年代生まれの3人組に。
#*2019年に天皇陛下が退位されるので平成最後の五輪。
#**平成最後の五輪で初の平成生まれの金メダリストが誕生した。
#***夏季限定ね。冬季を含めると既に平成生まれの金メダリストは羽生結弦が出ていたのと、2018年の平昌オリンピックが平成最後の五輪になる。
#開幕前に大統領が職務停止となったため、大統領代行が開会宣言をする異常事態となった。
#おそらく必要ないだろうとは誰もが思っているだろうが、競泳会場にライフガードがいた。現地の法律でそう決まっているんだから仕方ないね。
#メダリストにはブーケの代わりに歯ブラシ立て<!--エンブレムをかたどった置き物-->が授与された。白井くんがそう言ってたんだから間違いない。
#4年前「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言った本人が今度は「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言われる側に。
#*「オリンピック4連覇クラブ」会員が4人から6人に増えた。
#日本は今回もなんやかんやで過去最多のメダル数。前回より金の数も多く、初のメダル獲得となった競技・種目がいくつもあったので満足度も高め。
#*金メダルは劇的逆転が目立ったイメージ。特にレスリングとバドミントン。
#日本柔道完全復活。特に前回金0個に終わった男子は全階級でメダルを獲得して序盤の快進撃に貢献した。
#*「井上康生は有能だった」「前監督はバラエティタレントの方が合っていたんだな」と思った人はかなりいるはず。
#多くの日本人がその内容を心配していたであろう「閉会式での東京紹介」、蓋を開けてみれば大絶賛。
#*キャプテン翼を出すならブラジルで国民的ヒーローとなったジャスピオンも出せば良かったのにと思ったが、日本での知名度がいまいち足りなかったか。
#開会式で日系人が登場した部分は日本時間8月6日8時15分(広島原爆投下時刻)に合わせたとか。
#難民選手団が初めて結成された。
#夏季オリンピック開催時は夏の高校野球の開催時期をずらす傾向にあるが、今回はオリンピックと高校野球の開催時期が完全に一致した。
#プールの水が緑に変色する事件発生。


;大洋
===[[東京]](2020年)===
#史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
==== 開催決定 ====
#長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
#一時期危ぶまれていたレスリングが行われる
#*野村弘樹のブレイクが遅れる。
#*候補に挙がりながら外れてしまった野球・ソフトボールも後から追加。
#巨人のコーチには就任しなかった。
#メインスタジアムとなる新国立競技場のイメージ図がSF映画に出てくる侵略宇宙人の母船に見えてしまう。
#*その壮大なスケールゆえに再考を求める意見多数。
#*コンペの最終候補には外側を林にした古墳的なものもあった。
#日本の[[wikipedia:ja:滝川クリステル|お・も・て・な・し]]精神が各所で発揮される予定。
#当初は広島も開催を目指していた。
#*長崎との共同にするつもりだったが、IOCに突っ込まれた挙句、日本での誘致は東京一本に絞ったため頓挫。
#この大会を連想させる語句を下手に商用目的で使うとJOCに怒られるらしい。
#競合相手が[[マドリード]]と[[イスタンブール]]だったが、前者は勇み足で「オリンピックスタジアム」と最寄り駅を作ってしまっていたとか……
#*後者イスタンブールもすでに2000年代前半からオリンピックスタジアムを建てていたり・・・
#開催決定以降、何か東京に関する事で良くない事が起きる度に安易に「返上!返上!」って言い出す人が極一部にいて煩わしいのは気のせいだろうか。
#*最近ではシャレにならなくなっていると思うが。
#国会などでヘイトスピーチ規制を呼び掛ける際に必要性の根拠としてよく言及される。
#*オリンピックを理由にたばこの大規模喫煙規制が行われる予感。 
#開会式が冗談抜きで秋元康のプロデュースになりそう。
#*聖火リレーや開会式にAKB48のメンバーが出てもおかしくないだろう。
#**でもAKBがオリンピックまで持つか…。既に全盛期は過ぎてるっぽいし。
#***むしろ坂道シリーズっぽい。
#***オリンピックを前にAKB人気は凋落した…。


;巨人
==== 各種問題が浮上 ====
#やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
#なんかすごいことになってる(2015年9月現在)。詳細は速報規制に触れるので割愛。
#西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
#*エンブレムは割と早く代案決まった(16年4月)だけど、まだ国立競技場改築などいろいろな問題が。
#*大半は「金かかりすぎ」というのが根底にある。
#**「世界一カネのかからない五輪」だったはずなのに。
#これにより東京圏の大規模施設が改修に入り、使えなくなる予定。
#*有明のイベントもできなくなる可能性が出てきた。
#招致開始から5年、旗振り役のはずの都知事は早4人目。
#*4人目のせいでオリンピック開催に影響がでていたり…。
#この五輪招致成功に触発されたのか大阪も2025年の万博を誘致することになった。
#*こちらも誘致成功。ただオリンピック共々前回(1964年東京五輪及び1970年[[大阪万博]])ほどの盛り上がりはないように思う。前回は高度成長期だったので日本全体で盛り上がっていた。
#猛暑になるたび「IOCは日本の夏の暑さをなめているのでは?」という意見が。
#*1秒でウソとわかる大本営発表こいたJOCと、それを真に受けたIOCのせい。
#**IOCもIOCで大口スポンサーで莫大な放映権を買っているアメリカ大手放送局の都合(7,8月はアメリカ国内で人気スポーツ中継が少ないとか)が第一の守銭奴ですし
#**立候補ファイルには、8月の東京は温暖でアスリートに理想的な気候と書かれていた。
#東京以外の地域で行う予定の競技が多いせいで、実質「関東五輪」または「東日本五輪」ではないかという話も。


===立浪和義(1987)===
==== コロナ問題と開催延期 ====
※史実では中日に入団
#流行り風邪のせいで、中止風・延期風が吹いてきた。(20年3月)
;南海
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)


;中日のその後
<!--===[[パリ]](2024年)===
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
===[[ロサンゼルス]](2028年)===-->
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
[[Category:オリンピック|*かき]]
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
 
===長嶋一茂(1987)===
※史実ではヤクルトに入団
;大洋
#史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
#外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
 
===川崎憲次郎(1988)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#中日に移籍することはなかった。
#*勿論川崎祭も起きてない。
#吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
 
===野茂英雄(1989)===
※史実では近鉄に入団
;ロッテ
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
#*12球団OKじゃなかったっけ?
 
;ダイエー
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#元木大介は無事巨人入り。
#*元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
 
;オリックス
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#*その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#*佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
#**ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
 
;日本ハム
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
 
;阪神
#大阪出身なので一躍大スターに。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#*でも92年は優勝できたのかも
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
#***ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
 
;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#***日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
 
;ヤクルト
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
#*ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
#石井一久は指名されていないかもしれない。
 
;近鉄のその後
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
 
==1990年代==
===小池秀郎(1990)===
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
 
;近鉄
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#とはいうものの入団しただろうか?
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
 
;ヤクルト
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
 
;西武
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
#前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
#高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
 
;中日
#岐阜出身なので歓迎される。
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
#高木監督時代に優勝していた。
#1997年の最下位は回避できた。
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
 
;広島
#大野や川口の後釜と目される。
#1996年は優勝していた。
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。
 
===矢野輝弘(1990)===
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
;巨人
#村田真一と兼用で捕手を務めていた。
#*村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
#阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
#*ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
 
;中日のその後
#殆ど影響無し?
#*史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
#野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
 
;阪神のその後
#正捕手は山田勝彦のままだった。
#*当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
#上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
#*その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
#*阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
#*2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
 
;全般
#声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
#*野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
#阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
 
===斎藤隆(1991)===
※史実では横浜に入団
;中日
#1998年は中日が優勝していた。
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。
#*中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
 
===松井秀喜(1992)===
※史実では巨人に入団
;阪神
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#*優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
#**現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
#*普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
#**1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#*上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
#*ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
#萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
#天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
 
;中日
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
#**王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
#1996年最終戦での敬遠はなかった。
#*もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
#福留孝介は入団しなかった可能性も。
#*福留は当初遊撃手。
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
#*1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
#*1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
#入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
 
;ダイエー
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#王の後継者として期待される。
#*「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#*生卵事件もなかった。
#星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
 
;巨人のその後
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
#外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
#長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
#「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
 
;全てに言えること
#長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
#*長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
 
===伊藤智仁(1992)===
;広島
#ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
#投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
 
;オリックス
#小林宏は入団しなかった。
#*小林-オマリーの14球もなかった。
#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
 
===福留孝介(1995)===
;全般
#中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
 
;中日
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
#1996年と1998年に優勝していた。
 
;巨人
#原俊介はすんなり中日が獲得。
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}。
#*高橋由伸よりも清水が指名されていない。
#佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
 
;オリックス
#1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
#2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
#2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
 
;ヤクルト
#岩村明憲は指名されていない。
#池山隆寛の引退が早まっていた。
#外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
 
;近鉄は
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
 
===原俊介(1995)===
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
 
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
 
===松坂大輔(1998)===
※史実では西武に入団
;横浜
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#*マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
#*その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#*古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
#**逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]]
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
 
;日本ハム
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
#父の出身地である[[稚内市]]で主催試合が行われた。
 
===新垣渚(1998)===
※史実ではオリックスの指名を拒否
;ダイエー
#無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
#暴投記録更新は史実通りかも。
#*2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
#2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
#1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
 
===田中賢介(1999)===
;中日
#荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
 
==2000年代==
===寺原隼人(2002)===
※史実ではダイエーに入団。
;共通する事
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
 
;巨人
#2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
 
;横浜
#2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
 
===辻内崇伸(2005)===
* 関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;オリックス
#史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
#女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
#T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
#*「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
#母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない
 
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)===
*関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;ソフトバンク
#史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
#*柳田は地元の広島に指名されていたかも。
#ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
#*今宮健太を獲得していなかったかも。
#史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
#*この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
 
===田中将大(2006)===
※史実では楽天に入団
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
#*2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
#2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
 
;日本ハム
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
#斎藤佑樹は指名しなかった。
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
 
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
#広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
#*同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
#2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
 
===堂上直倫(2006)===
※史実では中日に入団
;巨人
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
 
;阪神
#野原将志を獲得することはなかった。
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
 
===中田翔(2007)===
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
;阪神
#福留は阪神に入団していなかっただろう。
#*福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
#*古巣中日への復帰もあった。
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
 
;ソフトバンク
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
 
===大田泰示(2008)===
※史実では巨人に入団。後に日本ハムへトレード。
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
#結局は史実とあまり変わらず、か?
#*史実より一軍出場は多かったと思う。
#巨人の背番号55は空き番号のまま。
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
 
==2010年代==
===斎藤佑樹(2010)===
※史実では日本ハムに入団
;東京ヤクルト
#神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
#かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
#史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
#*その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
#*高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
#*オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
#**西野真弘の指名もなかった。
#*オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
#*それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
#斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
#1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
#*最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
 
===山田哲人(2010)===
※史実ではヤクルトに入団
;オリックス
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
 
===菅野智之(2011)===
※史実では日本ハムの指名を拒否
;巨人
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
#当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
#*松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
#この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?-->
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
#*東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
#*2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
#背番号は最初から「18」を付けていた。
#*杉内俊哉は「21」あたりか。
 
===藤岡貴裕(2011)===
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
;横浜
#高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
 
===藤浪晋太郎(2012)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
#石山は指名されなかった。
#*その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
#*2015年も日本一になれていた。
 
;ロッテ
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
 
;オリックス
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
#2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
 
;阪神のその後
#2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
#*西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
#*和田豊の監督退任が早まっただろう。
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
#金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
 
===石川歩(2013)===
※史実ではロッテに入団
;巨人
#ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
#*そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
#巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
 
===大瀬良大地(2013)===
※史実では広島東洋に入団
;東京ヤクルト
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
#史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
#被本塁打が相当なものになっていたかも。
#広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
 
===松井裕樹(2013)===
※史実では楽天に入団
;DeNA
#地元出身選手の指名で大フィーバー。
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
 
===山﨑康晃(2014)===
※史実ではDeNAに入団
;阪神
#呉昇桓が中継ぎになっていた。
#「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
#横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
#ヤスアキジャンプをやることはなかった。
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
 
===高山俊(2015)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
#河載勲は契約されていなかった。
#*背番号は「00」を背負っていた。
#**山田哲人の後を受けて「23」かも。
#***大成していた場合、青木復帰はなかった。
#真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
#阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
#*同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
#**そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
#*逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
#*競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
#2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
 
===柳裕也(2016)===
※史実では中日に入団
;DeNA
#DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
#今永昇太、濱口遥大、大貫晋一、石田健大、平良拳太郎による令和ベイスターズ投手王国を築いていた。
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
#2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
 
===清宮幸太郎(2017)===
※史実では日本ハムに入団
;ヤクルト
#王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
#史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
#*清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
 
;巨人
#背番号は「55」を背負っていた。
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
 
;阪神
#甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#*甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
#2018年の阪神は最下位を免れていた。
#背番号は「31」を背負っていた。
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#背番号は「3」を背負っていた。
#*松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
 
===村上宗隆(2017)===
※史実ではヤクルトに入団
;楽天
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
#*35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
 
===馬場皐輔(2017)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
 
===根尾昂(2018)===
※史実では中日に入団
;日本ハム
#「大谷2号」として、注目されていた。
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
 
===藤原恭大(2018)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
 
;阪神
#地元のスター選手として注目されていた。
#史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
#*2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
#**もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
 
===小園海斗(2018)===
※史実では広島に入団
;DeNA
#遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
#*仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
#*1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
#宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
 
===佐々木朗希(2019)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
#背番号は「18」を背負っていた。
 
;日本ハム
#背番号は「11」を背負っていた。
#同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
 
==2020年代==
===佐藤輝明(2020)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
 
;巨人
#坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
#*巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
#田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
#助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
#平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
 
===早川隆久(2020)===
※史実では楽天に入団
;ロッテ
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|とらふとちゆうせん]]

2021年7月28日 (水) 22:28時点における版

  • 新規追加は開催年順かつ開催地が正式に決定してからでお願いします。

第1回~第13回

アテネ(1896年)

  1. 全借民の中で見たことがある奴がいたら驚いてやる。
    • 俺、見に行った事あるよ?・・・すいません、2004年の方でした・・・。
  2. 資金不足のため金メダルがなかったとか。
  3. 女子競技は全くなかった。

パリ(1900年)

  1. 万博と一緒にやったため5か月以上かかった。
    • 当時は万博のおまけ扱いだったそうな。
  2. 生きた鳩を撃つ競技があったらしい。
  3. 最年少と思われるボート競技の金メダリスト、競技終了後に姿を消す。
  4. 結局現在オリンピックと正式に認められているのは陸上競技だけ。
  5. クリケット競技が唯一行われた。しかしイギリス連邦でないフランスでクリケットはマイナー。

セントルイス(1904年)

  1. マラソン1位の選手が自動車でショートカットしていたというズルが発覚。もちろんメダル剥奪。
  2. ヨーロッパの多くの選手が「遠い」と参加を拒否したためメダルはほとんどアメリカが持って行った。
  3. アイヌやインディアンなど少数民族の体力測定が行われたのは黒歴史。

ロンドン(1908年)

  1. 本来ローマで行われる予定だったがヴェスヴィオ火山の噴火被害により急遽開催地変更。
  2. マラソンが42.195kmで競うようになったのはこの大会から。
    • ウィンザー城の庭から競技場の貴賓席前までがこの距離だったらしい。
    • 最初に競技場に入ってきたピエトリが役員の助力でゴールする羽目になったのも2.195kmのせいだとか。
  3. 日本選手の参加はなかったが日本のマスコミ(大阪毎日新聞)による取材はあった。

ストックホルム(1912年)

  1. マラソンの世界一遅い公式記録(54年8ヶ月6日5時間32分20秒)が生まれたのはこの大会。
    • 棄権の意思が運営側に伝わっていなかった為、失踪して行方不明扱いに。開催55周年記念式典で当事者のこの方がゴールインしてようやくこの大会の全競技が終了。
  2. 日本が初めて参加した大会。

ベルリン(1916年)

  1. 初めて中止になった大会。
    • オリンピックのために休戦という古代オリンピックの精神は引き継がれなかった。

アムステルダム(1928年)

  1. 男子三段跳で織田幹雄が金メダルを獲得。
    • 表彰式では他国の旗より4倍ある巨大な日章旗が掲揚され、君が代も「千代に八千代に」から吹奏された。
  2. 人見絹枝が激走。
    • 女子100mで準決勝敗退後、「このままでは日本に帰れない」とエントリーだけしていた800mに出場。
      • レース後に参加選手全員が倒れこむ激戦の中、銀メダルを獲得。
  3. この大会からテニスが除外。テニスのオリンピック復帰は60年後のソウルまで待つことになった。
  4. 文芸コンクールが同時に行われていた。優勝はポーランドのカジミェシュ・ヴィエジンスキ。

ロサンゼルス(1932年)

  1. 半世紀ちょっと後と同様に無投票で開催地が決まった。
  2. バロン西がウラヌス号に騎乗し金メダルを獲得。
  3. 実況放送を行う予定だったがオリンピック委員会と放送局がもめたため競技の様子のメモを頼りに実況っぽく再現する「実感放送」が行われた。
    • アナウンサーの気分が乗りすぎて男子100m走の模様を伝えるのに1分もかかってしまった。
  4. 日本のマスコミが大いに白熱し始めたのはこの大会から。
    • どの新聞社も号外を出しまくった。
    • オリンピックに便乗した広告も出始めた。
    • 日本でオリンピックの選手応援歌が作られたのも確認できる限りこの大会から。
      • 「走れ大地を」。作曲は山田耕筰。当時大ヒットし、4年後にも再発された。

ベルリン(1936年)

  1. 前畑ガンバレ
  2. 聖火リレーがこの大会から始まる。
    • ちなみにこの大会のものはドイツ軍の偵察を兼ねていたという。
  3. 友情のメダル。
  4. サッカーで奇跡が起きた。
    • 「日本人、日本人、また日本人」byスウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサー
  5. ヒトラーのたっての要望によりハンドボールが追加された。
  6. 東亜日報が孫基禎のユニフォームに描かれた日の丸を塗りつぶし発禁処分を受けた。
  7. この大会の記録映画が好評を博したため以後の大会でも記録映画の制作が義務付けられるようになった。
    • 再現映像がかなり含まれているのは秘密。
    • 日本版では前畑が金メダルを獲得した女子200メートル平泳ぎが追加されている。
  8. ジェシー・オーウェンスが陸上競技4冠を達成した。

東京(1940年)

関連項目:もし1940年の東京オリンピックが開催されていたら

  1. 1940? いや、2600でしょ。
  2. 幻。
  3. 中止直前には軍から「メインスタジアムを木か石で作れ」という無茶苦茶な命令があったらしい。
  4. この大会を機にNHKはテレビ放送を始める予定だった。
  5. 中止が決まる前に、既にテーマ曲が作られていた。
  6. 同じ頃札幌オリンピックや東京万博もやろうとしていた。
  7. 代わりに開催されたのが紀元二千六百年奉祝東亜競技大会。なお集客面ではオリンピックに遠く及ばなかった。
  8. この頃に生まれた人たちが1964年の東京オリンピックの選手の中心世代となった。
  9. この大会が決定した時に、当時読売新聞運動部記者の川本信正が「五輪」という略称を考案。

第14回~第27回

ロンドン(1948年)

  1. 敗戦国抜き…のはずがイタリアは出場。
  2. そのころ日本ではトビウオが驚異的な記録を出す。

ヘルシンキ(1952年)

  1. チェコ製の人間機関車が長距離でその性能をフルに発揮。
  2. トビウオは旬を過ぎていたためメダルならず。
  3. この回から、再び日本独自の応援歌が作られるようになった。
    • この年のNHK紅白歌合戦でも藤山一郎によって歌われている。紅白で歌われた初の五輪ソングでもある。

メルボルン(1956年)

  1. 初の南半球開催。
    • 開催時期も11~12月。
  2. 馬術だけストックホルムだった。
    • 当時はオーストラリアに馬を持ち込む際の検疫に恐ろしく時間がかかっていたため。
  3. ハンガリー動乱の影響が水球の試合にも及んだ。

ローマ(1960年)

  1. 裸足で走ったのはこちら。
  2. 体操会場は「テルマエ・ロマエ」だった。
    • 日本の団体5連覇はここから始まった。
  3. モハメド・アリが金メダルを川に流した。

東京(1964年)

今の日本にはこの夢が必要だ・・・??
  1. 高度経済成長期真っ只中。
  2. このときは、裸足で走らなかった。
    • しかもせっかく日本のメーカーが送った靴を使わず、海外の靴を履いて出場した模様。
  3. 一方その頃新中国は核実験をしていた。
  4. 日本に魔女軍団発生。
    • 魔女軍団の活躍がママさんバレー普及のきっかけになったらしい。
  5. 閉会式で独立宣言したがある。
    • 国旗も期間中に新調。(イギリス領北ローデシア→ザンビア)
  6. 「世界中の青空がここ東京に集まったかのようです」は名言だがその裏で大変なことが起こっていた。
    • 詳細は忘れたが撮影技術か通信技術の欠陥で、晴天でなければカラー放送の中継が大変なことになっていたらしい。
  7. このオリンピックが無かった場合、この年の国体は天皇杯・皇后杯は無しとなっていた可能性が高い。
  8. 関西人もオリンピックに夢中になった結果、関西勢どうしの日本シリーズはたいして見向きもされず、甲子園はスカスカだったという。
    • その日本シリーズ、オリンピックに配慮して開幕前に終わらせるつもりだったのだが、天候に泣かされ最終戦と開会式がかぶってしまった。
  9. ユニットバスや冷凍食品が広く普及するきっかけになった。
  10. 本大会の開催地を決めるIOC総会での平沢和重の演説はもはや伝説。
  11. 閉会式は選手が勝手に流れ込むというグダグダだったが、以降のオリンピックでもこんな感じになった。
  12. 開会式は各テレビ局で中継していたが、なぜかテレ朝だけオリンピックの文字が使われていなかった。 
  13. 前年のケネディ暗殺などで使われ始めた衛星中継が本格的に行われるようになった。
  14. 聖火リレーはギリシャからレバノン、イラン、インド、ビルマ、フィリピンなどを通って日本まで運ばれた。
    • 太平洋戦争で戦場となった地域も通ることで平和と和解のためというイメージを強く打ち出した。
    • 香港を出ようとしたところで台風の直撃を受け危うく国内でのリレー開始に間に合わないところだった。
  15. 中国で国民党が共産党に勝っていたら南京での開催になっていたが、東京での開催は12年遅れていた。

メキシコシティ(1968年)

  1. 初めて衛星による世界生中継を行った。
  2. アンラッキーアイテムは黒い手袋。
    • 彼らに賛同して手袋を貸してあげた銀メダルの人も追放された。
  3. やっぱり釜本さん。
  4. 南アフリカを参加させようとして危うく大規模なボイコットが発生するところだった。
  5. 標高が高いために陸上では好記録が続出。
    • 男子走り幅跳びの世界記録は20年以上更新されなかった。

ミュンヘン(1972年)

ハードル走ポスター
  1. ある球技の日本チーム、大会前、テレビ番組にレギュラー出演。
  2. パレスチナにドンパチくらわれた。
    • ベルリン大会の全体主義的なイメージを払拭すべく警備を控えめにしていたのが裏目に出た。
    • 一旦は政府スポークスマンが「全員無事」と発表したが実際に待っていたのは最悪の事態だった・・・。
  3. この大会のピクトグラム等グラフィックデザインは、ルフトハンザやシェーバーのBRAUNのロゴと同じデザイナーによるもの。
  4. 陸上男子100mでは優勝候補のアメリカ選手2名が2次予選に遅刻して失格となった。

モントリオール(1976年)

  1. 麻生太郎がクレー射撃の選手として出場。
  2. アフリカでボイコットが相次いだ。
  3. ハイライトといえばコマネチの10点満点。
    • ただし電光掲示では最高でも9点台しか想定していなかったため「1.00」と表示された。
    • このときに米ABCが使った「妖精コマネチのテーマ」は、アメリカにおいてオリンピックから生まれた初のポピュラーヒットになった。
      • 元々はオリンピックともコマネチとも全く関係ない映画のサントラ曲。
  4. 当初の予算を大幅にオーバーしてしまい大赤字に。さらにそれを補填するために税金が投入される事になってしまった。
    • 赤字を完済したのは大会から30年後の2006年である。
    • 下記のロサンゼルスオリンピックにて商業化路線をとるきっかけになった。

モスクワ(1980年)

  1. 日本人は、開催期間中のことを、よく知らない。
  2. テレ朝が独占放送権を取得していた。
    • アメリカでは3大ネットワークがソ連の映画や紹介番組を放送してソ連当局の気を引き放映権獲得を目指していた。
  3. くまのミーシャ。
    • 閉会式で泣いていた。
  4. ジンギスカンの「もすか~う♪」。
  5. 大会期間やその直後の現地ではキャビアがいつもより安かったらしい。
    • 日本人やアメリカ人の観光客が来ることを想定して大量に用意していたがボイコットによりさっぱり売れなかった模様。

ロサンゼルス(1984年)

  1. 五輪はカネになると気づかせた大会。
    • スポンサーが集まらなければ開催中止や主催団体の変更(国連かユネスコに)もありえたらしい。
  2. 野球。日本はアマ選手で金メダル。
    • ほかには女子マラソンが追加、テニスが復活。
      • アンデルセンといえば童話作家ではない。
        • 彼女が熱中症でふらつきながらも諦めずに歩いてゴールする姿に感動。
    • マイケル・ジョーダンの伝説が始まった。
    • 自転車初メダルで超特急に格上げ。
  3. キャラクターは「はっとはっとはっとっと イーグルハットではっとっと」でおなじみのイーグルサム。
  4. 団塊ジュニアあたりの世代にとっては、初めて見たオリンピックがこれ。
    • モントリオール五輪はまだ幼少期、モスクワは日本選手団がボイコットしたため。
  5. 開会式でのパラシュートが印象的だった。
    • あとロス五輪といえばロケットベルト。
  6. 不参加だった北朝鮮もこの大会を記念する切手を発売した。
  7. 写真フィルム業界でスポンサーだったのは常連のコダック(米)ではなくまさかの富士フイルム(日)。
  8. 今でもオリンピックというと象徴的にテレビでちょくちょく使われるジョン・ウィリアムズのあの曲はこの大会でのテーマ曲。

ソウル(1988年)

  1. マスコットキャラは虎と狸のあいの子みたいな感じ。
  2. 東京に続きアジア二回目の開催
  3. 卓球とバドミントンが追加されたのはこの大会。
    • 韓国だもの、テコンドーも忘れちゃいかん。
      • この時は公開競技で、正式種目になったのはシドニーだった。
  4. 開会式で、焼き鳥が調理された。
    • そのせいで、以後生きた鳩が飛ばされることはなくなった。
  5. ベン・ジョンソンがドーピングしたのもこの大会。
  6. 妙に「鈴木大地、金メダル!」という実況を覚えている。
  7. 愛知県民にとっちゃ苦い思い出……(名古屋五輪構想)
  8. NHKが大会ごとにテーマ曲を決めるようになったのはこの大会から。
  9. ロイ・ジョーンズの金メダルが盗まれた。
  10. 16年ぶりにほぼ全世界の国と地域が参加した。
  11. 旧ソ連、東ドイツにとってはこれが最後のオリンピックとなった。
    • 日本からの視点では夏冬通じて昭和最後のオリンピック。平成最後のオリンピックも平昌であり、偶然にも韓国での開催となった。
  12. ここからシドニーまでの間は日本のメダル総数が激減する。
    • その原因ってなんなんだろう?(いろいろ聞くが詳細はわからない)
    • そのせいで1960年代生まれは金メダリストが少ない。
      • 正確には1962~1971年生まれが谷間世代。
    • 何気に1970年代前半生まれの団塊ジュニア世代の黄金期も含まれている。
      • この辺りで日本で開催できていたら低迷期もなかったのに…と悔やまれる。ちょうどバブル期と言うこともあり大いに盛り上がっていただろう。
  13. 北朝鮮はこの大会の開催を妨害しようとして大韓航空機を爆破した。
    • しかしソ連など共産圏諸国を怒らせてしまい逆効果に。

バルセロナ(1992年)

  1. ヤワラちゃん初出場。
    • というか柔道女子はこっから。
  2. 名言。『今まで生きてきた中で…』
    • 『こけちゃいました』も、味わい深い。
    • 日本人選手としては当時史上最年少の金メダルで、2021年の東京五輪まで30年近くも記録が破られなかった。
  3. 聖火を弓矢で点火する演出は、秀逸だった。
    • あれを超える演出はおそらく無理だろう。
  4. Queenファンにとっては特別な思いがある大会。
  5. 君は夏のマタド~ル♪
  6. ドリームチームが躍動。
  7. 案の定「スペイン語とカタルーニャ語のどちらを優先するか」でモメた結果、開会式の入場行進はフランス語基準の順番になった。
    • そのため、ギリシャ→アフガニスタンときた次の3番目に入場したのが南アフリカ(フランス語ではAfrique du Sud。ちなみにスペインの両言語ではSudが先にくる)だった。

アトランタ(1996年)

  1. 聖火点火者がパーキンソン病のモハメド・アリ。これには誰もが仰天。
  2. 川口能活に神が降臨したのはこの大会。
  3. メインスタジアムは後に野球場として生まれ変わった。
  4. 平成生まれがリアルで見たことがあるのはこの大会以降。
  5. 史上初めてIOCに加盟している全ての国と地域が選手を派遣できた。
  6. 「自分で自分を褒めたい」。
  7. 開催地決定直後にコカ・コーラの関係者が都市名の入った記念バッジを配ったため「最初からアトランタに決まっていたのではないか」と一部で噂された。
    • 敗れたアテネのあるギリシャではコカ・コーラの売り上げが一時激減したらしい。
    • 実際はアテネなど他の候補都市のバッジも全て準備済みだった。
  8. 開会式の際に選手が入場してくるスロープの向こうにマクドナルドのネオンサインが映り込んでしまった。
    • 結局IOC関係者が閉店中の店に侵入して無理やり消灯したとか。
  9. この大会のために開発されたIBMの結果速報システムが開会後しばらく無茶苦茶なデータしか出せなかった。
    • 「900歳の走り高跳びの選手」「身長12センチの選手と身長19メートルの選手の対戦」などのデータが報道機関に届いてしまったらしい。
  10. ニコ厨にとってはゲームのハイパーオリンピックのバグ動画で有名。

シドニー(2000年)

  1. 20世紀最後のオリンピック
  2. 聖火の最終ランナーが選手から出た事に誰もが驚きを覚えた。
    • そして聖火台が突然止まったことにも仰天。
  3. 南半球なので夏オリンピックというよりは春オリンピックに。
  4. ある試合結果を伝える番組中、アナウンサー落涙。
  5. 開会式の日本代表の服装のセンスに誰もが納得するわけがない
    • 一部では「日本選手団はみんな同性愛者なのか?」と囁かれたとか。
      • 男同士でちょっと仲がいいとすぐそっちの扱いする小学生並みだな。
  6. 「悔しい」と言えば、ザブングルじゃなくて田島寧子。
  7. 人生って素晴らしい~♪
  8. この時の男子柔道では決勝で「世紀の大誤審」が発生。被害にあった日本人選手は銀メダルに終わった。
  9. 日本男子不振。なんと女子はメダル13個に対して男子は5個しか獲得できず(しかも柔道とレスリングだけ)。
    • だが金メダル数は男子のほうが1つ多いという近年とは逆の結果に。
    • 体操と競泳はアテネ以降名誉挽回。
  10. 野球はプロ選手の参加が認められたが、日本代表は初めてメダルを逃した。
    • と言っても参加したプロ選手は大半がパ・リーグの選手だった。その理由はナベツネのせい。
      • セ・リーグからも一応2人だけ参加した選手はいた(当時中日の鈴木郁洋・当時広島の河内貴哉)。
      • 河内じゃなくて河野昌人ね。2017年に亡くなった。
  11. 男子100m自由形予選で、赤道ギニアのエリック・ムサンバニ(モーサンバーニー)選手が有名になった。

第28回以降

アテネ(2004年)

  1. 長嶋ジャパンの予定だったけど体調不良のため誰かに代わった。
    • キヨシ。後の横浜DeNAベイスターズとしての初代監督になる事に。
    • 当時は「熱いぜ!ニッポン!」ではなかった。
    • ちなみに唯一野球でセ・パ全12球団が選手を派遣した大会だった。
      • 前回のシドニーはナベツネのせいでセ・リーグからは中日と広島から1選手ずつしか派遣されず、その次の北京は完全実力主義での選出だったためか広島・オリックスからは選出0だったため。
  2. マラソンでトップのランナーが拉致されて3位になった。
    • F1イギリスGPの妨害をしたときにバリチェロが優勝したので今回はブラジル人を負かせにいったとの噂。
    • 妨害されたランナーは地元大会では聖火点灯の大役に。
  3. ハンマー投げ金メダリストがドーピングで剥奪されるというハプニング。
    • 繰上げで室伏幸治が金メダルに。
    • 男子100mのガトリンもドーピングで金メダル剥奪されたね。
  4. 日本に神が舞い降りたとしか思えない好調ぶりだった。金16個は出来過ぎ。
    • 女子レスリングの追加が大きいかと。
    • その割に同年の「今年の漢字」は「金」ではなかった(新潟中越地震など災害が多かったので「災」になった。)。
  5. 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だッ!」
    • 栄光の架橋」は歴代のNHKオリンピック中継テーマソングの中でも最高だと思う。
  6. なんだかんだで2010年代のギリシャ金融危機の遠因の一つ。
  7. ギリシャは入場行進どうするのだろうと思ったら、先頭で旗手だけ入場→最後に選手入場というウルトラCを披露。

北京(2008年)

  1. 聖火リレーだけである意味かなり盛り上がった。
    • チベット問題。
  2. 鳥の巣が開会式会場になった。
  3. 花火をCGで代用したせいで大問題。
    • 歌が口パク疑惑も生まれて大問題。
    • 少数民族の子供たちの群れもほとんどが本物の少数民族ではないという事も・・
  4. 自転車ロードレース・男子で銀メダリストがドーピングで剥奪された。
  5. ソフトボール決勝での決着シーンでの解説者の騒ぎっぷりが今でも耳にこびり付いている・・・。
    • 元教え子なんだしそこは大目に見てあげようよ。
  6. GG佐藤のエラーは色んな意味でファンを失望させた。
    • テレビでは高校野球の決勝戦と同時に行っており、エラーで即チャンネル変更!したファンも多いのでは。
      • もっとも、この年の甲子園決勝は超ワンサイドゲームだったのだが。
  7. 陸上男子4継が銅メダルを獲得したが、その際バトンが行方不明になった。
    • 9年後に金・ジャマイカのドーピング発覚で銀に繰り上げ。直前の大会での陸上男子トラックでの最高記録はタイ記録に。
  8. 日本で一番にわかを呼んだのはフェンシング。
  9. 北島康介のコメントをよくよく聞いていると、4年前の名言と同じことを再び言っている。
  10. エガちゃんが瞬間最高視聴率を取った事も忘れちゃいけない。
  11. 開催地が日本に近く時差が少ないので、多くの競技を生で見られた。
    • しかし競泳の決勝はほとんどが午前中だったので生では見られなかった日本人も多かったと思う。
      • 「放映権料たくさん払ってやったんだからアメリカのゴールデンタイムに合わせろよ byテレビ局」ということらしい。
      • 案の定12年後もそうなる模様。
  12. 開催国中国選手団は、約1名が恥を晒した。
  13. 21世紀生まれ(もしくは2000年以降生まれ)がリアルで見たのはこの大会以降。
  14. この大会のおかげで日本での中国語学習者が増えたらしい。
  15. 男子柔道の低迷期の幕開け
    • その他野球・サッカーで日本男子の不振が目立った。
      • サッカーはロンドンでリベンジした。
  16. 大阪府民にとっては苦い思い出。(2008 オリンピックを大阪に!)
    • バブル崩壊後の失われた30年さえなかったら実現できていただろうに…。
  17. 大会前には大規模なボイコットが発生しそうな雰囲気もあったがそんなことはなかった。
  18. 後々になってジャマイカの金メダルが剥奪された。
  19. 民放テレビ3局以下の地域のケーブルテレビ加入者にとっては、区域外再送信(放送)局の地デジ化の契機となった大会でもある。
    • 全国的に2008年8月(開会式直前)にデジタル放送の区域外再送信が認められたケースが多い。
  20. 石井慧とソフトボール以外の金メダリストはアテネとの連覇ばかり。ちょっと新鮮味が欠けた大会。
    • ちなみに石井慧も柔道男子100kg超級としてはアテネの鈴木桂治と2大会連続金メダル。
  21. 国民党が共産党に勝っていたら、中国での夏季オリンピックは44年早く1964年に南京で実現していただろうに。

ロンドン(2012年)

こころを一つに、頑張ろう日本代表
  1. まさかの「サッカーイギリス代表チーム」実現へ。
    • ちなみに男子は52年ぶり、女子は史上初。
    • でも、男子はイングランドウェールズだけ。OAでギグスを呼んだのはすごいけど。
    • 女子もイングランドとスコットランドだけ。
      • 結局、男女ともベスト8どまり。
  2. リーマンショック不況を受け、節約志向の運営。
    • メインスタジアムは五輪終了後減築、聖火リレーは英国内周遊のみ。
      • このスタジアム、ウエストハムの本拠地になるはずだったが色々あって現在は白紙らしい。
        • 色々あったが結局ウエストハムの本拠地となった。
      • 聖火リレーに関しては、北京でみられた政治的妨害行為を防ぐのも理由とか。
    • オリンピックパーク内の競技場は、大会終了後にロンドン市内の他の場所に移設したり、リオデジャネイロに移設して4年後再利用したりするらしい。
  3. ロンドンでは三度目、でも日本選手団が出場するのは初めてのロンドン。
  4. 開会式前からいきなり奇跡が起こった・・・。
    • ただしこの勝利を「奇跡」と呼ぶことに抵抗がある人もいる。
  5. 日本の報道では、英国名物ブックメーカーがやたらと取り上げられている。
  6. 開会式では、女王陛下がボンドガールになった。
    • また、Mr.ビーンことローワン・アトキンソン氏の凄さを思い知らされた開会式でもあった。
    • 閉会式にはモンティパイソンも。
  7. 日本はなんやかんやでメダル数最多。金は少なかったけど。
    • 種目初のメダルや久しぶりのメダルが多かった。
      • また、団体でのメダル獲得も多かった。
    • 7個の金メダルのうち、4個をレスリングで獲得。
      • もっと言えば、金メダル7個中6個が格闘技(レスリング、ボクシング、柔道)。
  8. 「オリンピックの影響でロンドン周辺の交通は麻痺する」という脅しを1年以上前からかけまくった結果、五輪期間中に市内は閑古鳥に。
  9. 卓球少女がついにメダル獲得。「自分の娘がメダルを取った気分」と世のオバサマ方がコメント。
    • ANA所属なので特別機にも写真が載っていたが全員メダル獲得となった。ちなみにJALは体操で金の方。
  10. 開会式のインドの選手団の列に謎の女が乱入。
  11. トライアスロンの自転車競技中に尿意を催した選手が続出。
    • 女子では金メダルと銀メダルのタイム差が1秒未満だった。
    • トライじゃなくて男子ロードじゃね?ツールを知ってる人ならおなじみの光景。
  12. 女子サッカーの試合で北朝鮮の選手紹介のとき韓国の国旗を出してしまった。
  13. 誤審も相次いだ。
    • 日本がらみでも多かった。
      • 男子体操で日本チームが「ルールに従って」抗議の際に現金を渡したら、まさかの問題視。
  14. 開催国だけあってイギリスが3番目に多い金メダルを獲得。
  15. 日本柔道がまさかの低迷。何があった。
    • 金メダルを取ったのは女子1人。男子はオリンピック初の金メダルゼロという不名誉な記録を打ち立ててしまった。
      • その日本唯一の金メダリストである松本薫、実は石川県勢並びに北陸勢史上初の個人金メダリストだった…富山、福井マジで頑張れ
    • あれは「柔道」ではなくて「JUDO」という別の競技だという声が。
      • 今回ばかりはそれを言う人はただの俄か。最も柔道らしい柔道をしていたのが日本をとことん苦しめたロシアだというのはなんとも皮肉。
      • 「ジュリー」という外来語が柔道関連の語として話題になったのもそれを感じさせる。
    • 「あかり」って名前の選手\アッカリ~ン/ってツイートで応援したら、早速\アッカリ~ン/(敗退)してしまった。
    • 当時の監督はそのせいか柔道界を干され、今は(2016年)バラエティー番組で活躍している。
  16. バドミントン女子ダブルスで3が無気力試合。おかげで日本はタナボタに近い銀メダル。
    • この種目では大会前に注目されていなかったほうのペアが活躍する、という法則が今後できるのだろうか。
  17. マスコットのデザインがかなり不気味。インパクトはあるけれど…
  18. フェンシング団体で銀メダルを獲った太田雄貴に対する地元・大津市比叡平での扱い…。
    • 素直に「郷土のアスリート」として応援されずに、「皇子山での事件から逃げたりする為の単なる道具」にされてしまっていた。
  19. 金メダルが少なかった上に代表選手が高齢のレスリングに集中したため、平成生まれ初の金メダリスト誕生はおあずけになってしまった。
    • 内村航平は1989年1月3日生まれでギリギリ昭和(おそらく昭和64年生まれ唯一のメダリストになる)。
  20. 若いQueenファンは閉会式でリアルタイムのB・メイ(ギタリスト)とR・テイラー(ドラマー)をTV越しで目の当たりにした事であろう。
    • 亡きF・マーキュリーもビジョン越しに出て来たとは…。

リオデジャネイロ(2016年)

  1. 1904年セントルイスオリンピック以来、112年ぶりにゴルフが行われる。
    • ラグビーは1924年パリ大会以来92年ぶり。ただし7人に人数を減らして。
      • 前回ではサッカーで組まれた「イギリス代表」がこっちでも実現。しかもイングランド・スコットランド・ウェールズの3国から。
  2. メインスタジアムは1950年ブラジルW杯の「マラカナンの悲劇」が起きた場所。
    • 夏季五輪で陸上競技場がメインスタジアムにならなかったのは戦後ではおそらく初めて。
    • サッカーに関して言えば、今回はついに「歓喜の地」となった。
  3. なお1次審査でのリオデジャネイロの得点は落選したドーハより低かった。
  4. 開催期間が8月5日から21日なので「夏季オリンピック」なのに現地の冬に開催されることになる。
  5. いろいろと時代の節目になった大会。
    • 21世紀生まれ初の日本代表選手が競泳に選ばれたことはあまり知られてない(2000年生まれの某選手は有名だが)。
    • 卓球女子団体は昭和生まれ&平成生まれで1000年代生まれ&2000年代生まれの3人組に。
    • 2019年に天皇陛下が退位されるので平成最後の五輪。
      • 平成最後の五輪で初の平成生まれの金メダリストが誕生した。
        • 夏季限定ね。冬季を含めると既に平成生まれの金メダリストは羽生結弦が出ていたのと、2018年の平昌オリンピックが平成最後の五輪になる。
  6. 開幕前に大統領が職務停止となったため、大統領代行が開会宣言をする異常事態となった。
  7. おそらく必要ないだろうとは誰もが思っているだろうが、競泳会場にライフガードがいた。現地の法律でそう決まっているんだから仕方ないね。
  8. メダリストにはブーケの代わりに歯ブラシ立てが授与された。白井くんがそう言ってたんだから間違いない。
  9. 4年前「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言った本人が今度は「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言われる側に。
    • 「オリンピック4連覇クラブ」会員が4人から6人に増えた。
  10. 日本は今回もなんやかんやで過去最多のメダル数。前回より金の数も多く、初のメダル獲得となった競技・種目がいくつもあったので満足度も高め。
    • 金メダルは劇的逆転が目立ったイメージ。特にレスリングとバドミントン。
  11. 日本柔道完全復活。特に前回金0個に終わった男子は全階級でメダルを獲得して序盤の快進撃に貢献した。
    • 「井上康生は有能だった」「前監督はバラエティタレントの方が合っていたんだな」と思った人はかなりいるはず。
  12. 多くの日本人がその内容を心配していたであろう「閉会式での東京紹介」、蓋を開けてみれば大絶賛。
    • キャプテン翼を出すならブラジルで国民的ヒーローとなったジャスピオンも出せば良かったのにと思ったが、日本での知名度がいまいち足りなかったか。
  13. 開会式で日系人が登場した部分は日本時間8月6日8時15分(広島原爆投下時刻)に合わせたとか。
  14. 難民選手団が初めて結成された。
  15. 夏季オリンピック開催時は夏の高校野球の開催時期をずらす傾向にあるが、今回はオリンピックと高校野球の開催時期が完全に一致した。
  16. プールの水が緑に変色する事件発生。

東京(2020年)

開催決定

  1. 一時期危ぶまれていたレスリングが行われる
    • 候補に挙がりながら外れてしまった野球・ソフトボールも後から追加。
  2. メインスタジアムとなる新国立競技場のイメージ図がSF映画に出てくる侵略宇宙人の母船に見えてしまう。
    • その壮大なスケールゆえに再考を求める意見多数。
    • コンペの最終候補には外側を林にした古墳的なものもあった。
  3. 日本のお・も・て・な・し精神が各所で発揮される予定。
  4. 当初は広島も開催を目指していた。
    • 長崎との共同にするつもりだったが、IOCに突っ込まれた挙句、日本での誘致は東京一本に絞ったため頓挫。
  5. この大会を連想させる語句を下手に商用目的で使うとJOCに怒られるらしい。
  6. 競合相手がマドリードイスタンブールだったが、前者は勇み足で「オリンピックスタジアム」と最寄り駅を作ってしまっていたとか……
    • 後者イスタンブールもすでに2000年代前半からオリンピックスタジアムを建てていたり・・・
  7. 開催決定以降、何か東京に関する事で良くない事が起きる度に安易に「返上!返上!」って言い出す人が極一部にいて煩わしいのは気のせいだろうか。
    • 最近ではシャレにならなくなっていると思うが。
  8. 国会などでヘイトスピーチ規制を呼び掛ける際に必要性の根拠としてよく言及される。
    • オリンピックを理由にたばこの大規模喫煙規制が行われる予感。 
  9. 開会式が冗談抜きで秋元康のプロデュースになりそう。
    • 聖火リレーや開会式にAKB48のメンバーが出てもおかしくないだろう。
      • でもAKBがオリンピックまで持つか…。既に全盛期は過ぎてるっぽいし。
        • むしろ坂道シリーズっぽい。
        • オリンピックを前にAKB人気は凋落した…。

各種問題が浮上

  1. なんかすごいことになってる(2015年9月現在)。詳細は速報規制に触れるので割愛。
    • エンブレムは割と早く代案決まった(16年4月)だけど、まだ国立競技場改築などいろいろな問題が。
    • 大半は「金かかりすぎ」というのが根底にある。
      • 「世界一カネのかからない五輪」だったはずなのに。
  2. これにより東京圏の大規模施設が改修に入り、使えなくなる予定。
    • 有明のイベントもできなくなる可能性が出てきた。
  3. 招致開始から5年、旗振り役のはずの都知事は早4人目。
    • 4人目のせいでオリンピック開催に影響がでていたり…。
  4. この五輪招致成功に触発されたのか大阪も2025年の万博を誘致することになった。
    • こちらも誘致成功。ただオリンピック共々前回(1964年東京五輪及び1970年大阪万博)ほどの盛り上がりはないように思う。前回は高度成長期だったので日本全体で盛り上がっていた。
  5. 猛暑になるたび「IOCは日本の夏の暑さをなめているのでは?」という意見が。
    • 1秒でウソとわかる大本営発表こいたJOCと、それを真に受けたIOCのせい。
      • IOCもIOCで大口スポンサーで莫大な放映権を買っているアメリカ大手放送局の都合(7,8月はアメリカ国内で人気スポーツ中継が少ないとか)が第一の守銭奴ですし
      • 立候補ファイルには、8月の東京は温暖でアスリートに理想的な気候と書かれていた。
  6. 東京以外の地域で行う予定の競技が多いせいで、実質「関東五輪」または「東日本五輪」ではないかという話も。

コロナ問題と開催延期

  1. 流行り風邪のせいで、中止風・延期風が吹いてきた。(20年3月)