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{{日本の駅|東北|宮城}}
{{Pathnav|バカ人物志|[[バカ人物志/中国|中国]]|[[武将伝/中国|武将伝]]|name=三国}}
{{お願い/日本の駅|[[宮城]]県内}}
==魏の武将==
==主な駅==
===夏侯惇===
*[[仙台駅]] [[仙台市/泉区#泉中央駅の噂|泉中央駅]]
#曹操に仕えた武将。
#*曹操の挙兵当初から常に一緒に行動していた。
#*曹操の従兄弟だったらしい。
#隻眼だったので「盲夏侯」と呼ばれた。
#*片眼を戦場で射られ、矢を引き抜いたら眼球ごと抜けてしまい、それを食った……という勇ましい伝説があるが、なんぼなんでも作り話だろう。
#**横山三国志では作者曰く「別に食わせなくてもいいじゃん」ということで食べる描写はなかった。
#***演義では一応、「親から授かったこの身を無駄にしてなるものか」と叫んで食ったことになってるけどね。
#*本人は相当気にしてたらしく、このあだ名を嫌い、鏡で自分の顔を見る度に怒ってその鏡を割ってしまったと言う。
#三国志演義では数々の戦争で武功を挙げた猛将になっているが、夏侯惇が参戦したと正史に載っているのは2回だけ。しかも両方とも負け戦。
#*武功では劣っていても治水事業などで功績を挙げていたりもして、曹操が無能な人間を高位につけるわけがないので、本来は軍政家だったのかもしれない。
#*基本的に曹操の近くにいたため、記述が省かれてるだけだろう。
#最近は理想的なナンバー2として描かれることが多い。


==[[東北新幹線]]==
===張遼===
===白石蔵王駅の噂===
#曹操に使えた武将で、元は呂布の配下。
{{駅名標/東日本|name=白石蔵王|ruby=しろいしざおう|back=福島|next=仙台|back2=Fukushima|rome=Shiroishi-Zaō|next2=Sendai|back-link=福島駅 (福島県)|next-link=仙台駅}}
#*呂布とともに処刑されそうになった時、関羽が彼の命乞いをしたため、命を助けられることとなった。
所在地:白石市
#主に呉との戦で活躍し、呉では泣く子も黙ると恐れられた。
#駅名は白石蔵王。なぜか「新白石駅」にならなかった。
#演義では矢が刺さった傷が元で死んだことになっているが、実際は普通に病死だったらしい。
#*実は「白石蔵王」か「蔵王白石」かでずいぶん隣町ともめた。
#*横山三国志における矢の刺さった場所が・・・。
#*当初、東北本線と新幹線の交差点に新白石駅を作る予定だったが、地元が反対したため別々の駅になった。
#おそらく魏最強の将軍。
#**噂です。鉄道にまつわる「噂」や「伝説」は山のようにあります。
#*呂布の配下時代は、劉備攻めの先陣を務めて散々に蹴散らし(関羽と張飛がいたはずなんだが・・・)、劉備は命からがら曹操の元に逃げ込んだ。
#**地元のタクシー運転士とチャットした時、運転士が「政治家が悪い」と言った。
#*呉の合肥攻めでは少ない軍勢で孫権の本陣まで攻め込んで将軍数名を討ち取った。
#各駅停車タイプの仙台行きやまびこはなぜかこの駅だけ通過する。
#*逆につばさ併結のやまびこは白石蔵王に停車する。
#*東京~仙台間の完全な各駅停車のやまびこはたった4往復。
#*新白河より停車列車は少ない。新白河にはなすのがある。
#安中榛名駅ができるまでは、日本一乗客の少ない新幹線駅を、くりこま高原駅と争っていた。日本一駅前に何もない新幹線駅は、もちろんくりこま高原駅で、ずっと変わっていないが。
#*くりこま高原駅前にイオン出店。
#あまりにも利用者が少なかったので、逆にJR東日本の新幹線関係CMはここで撮影される事が多かった。
#*当時キャンペーンガールだった小泉今日子がよく来ていた。
#白石市民は比較的気軽に仙台や福島にでれるので、わざわざ不便な白石蔵王から新幹線に乗らない。
#*白石蔵王駅から国分町まで30分かからないため、ごく一部の国分町好きの白石市民は白石蔵王駅を多用している。
#福島に行くのにも50分、仙台に行くのにも50分、鈍行で1時間に1本で役に立たないから1時間に1本の新幹線でも白石蔵王駅から乗ってしまう。わざわざ仙台や福島など遠くに行く人などめったにいない。
#*白石駅から福島駅までは40分かからず、仙台行きは1時間に2本の時間帯がほとんど。
#**数年前に大河原発着の電車のほぼ全部が白石発着になったので、仙台方面は今は1時間に3本の時間帯が多い。
#最近、JR幹部による白石蔵王イジメが時刻表上で展開されている。
#*準速達のMaxやまびこが白石蔵王に停車するようになった代わりに、各停タイプのやまびこが白石蔵王'''だけ'''通過するようになった。
#*白石蔵王~新白河・那須塩原・小山の利用者には良い迷惑。
#*仙台の人は、白石蔵王停車のMaxが鬱陶しい。
#白石蔵王駅と白石駅発着の乗車券が共通。両駅の駅係員に確認済み(2013.5)。
#*例えば白石→福島の乗車券は特急券と併用すると白石蔵王駅から新幹線乗車可能。逆に白石蔵王駅発着の乗車券でも白石駅から乗車可能(もちろん特急券のほうが使用不可)。
#*この駅での乗換も可能。例えば仙台→白石(下車)→(徒歩など)→白石蔵王→郡山以遠は乗車可能。ただし片道100km未満の切符(仙台→福島など)は途中下車不可、要注意。


===古川駅の噂===
==蜀の武将==
{{駅名標/東日本|name=古川|ruby=ふるかわ|back=仙台|next=くりこま高原|back2=Sendai|rome=Furukawa|next2=Kurikoma-Kōgen|back-link=仙台駅|next-link=#くりこま高原駅の噂}}
===関羽===
所在地:大崎市
#蜀の劉備に仕えた武将。
#旧名は陸前古川駅。東北新幹線開業の2年前に現在地に移転、改名した。
#*義兄弟だが、「[[シスター・プリンセスファン|お兄ちゃん大好き]](おっさん声)」とか言ったりしない。
#[[古河市|古河]]によく間違えられる。
#智勇兼備の名将で、主君への忠義は絶大だった。
#陸羽東線との接続は大して良くない。
#結構気難しいタイプだったようで、部下や領民は可愛がるが、同僚や目上の人物、他国の人々とはたびたび衝突したようだ。
#*小牛田-古川間を電化さえすれば小牛田止の電車を延長して仙台直通できるのに。
#*そのため、本来は味方であるはずの呉や、後方支援の味方まで敵に回してしまい、結局はそれが命取りになった。
#[[仙台駅]]まで、路線バスが出てるらしい。
#*呉「関羽殿、お宅の娘を嫁がせてくれ。我らと婚戚関係になって同盟を確固たるものにしよう」→関羽「犬に娘をやれるか!」→呉「犬だと…忘れんぞ」
#*いつも混雑しているよぉ~。
#*後方支援「しまった、関羽への支援が足りない。怒らせると怖いし、感謝されたことないし、プライド高いし……よし、支援要請自体をなかったことにしよう」
#実は1日に2往復東京発着のはやてが停車する。
#死後、神様になった。
#陸羽東線は高校生の喫煙や暴力沙汰など車内の治安が非常に悪い。
#*なぜか武の神様ではなく、商人の守り神になった。しかも皇帝はおろか王にもなってないのに、「関帝」と名付けられた。
#*三年乗ってたけどそんなことなかったよ
#**約束を必ず守る信義固さで、商取引に大事な信用の象徴→商売の神様となった。
#ここから古川始発小牛田行きに乗ったら、4両中乗客4人、私の乗った車両は私の貸切状態だった。
#**また敵中にあっても揺るがない忠誠で、後世の皇帝に「関羽を神として祭れば、ウチの部下も忠誠を尽くすだろう」と思われ、その後の皇帝に「ならば朕は『候』を贈り『関候』とするぞ」「それを倒した我が帝国は候より上の『関王』だな」「ならウチは更に『関帝』だ」「さ、更に上となると『皇』しかない…けど自分と同格では忠誠じゃないぢゃん」となった。
#「土日きっぷ」の東北新幹線利用可能駅最北端。
#異様に嫉妬深いタイプでもあった。特に劉備の寵愛に関しては、自分をしのぐヤツが出現するのを絶対に許さなかった。
#*だから土日きっぷで一番得をしているのは古川市民?という噂も。
#*馬超、黄忠などに対してもものすごい敵愾心を燃やした。
#JR貨物の駅があるが、貨物列車はやってこない。集められた鉄道コンテナは、トラックで宮城野貨物駅に運ばれる。
#**馬超が劉備陣営に加わった時は、わざわざ諸葛亮に荊州から手紙を出して「馬超と俺とどっちが上だ?」と問い合わせた。諸葛亮はおっかなびっくり「張飛とどっこいどっこいというところ、ヒゲ殿にはとてもかないません」と機嫌をとった。
#この駅を以って先はJR東のお荷物。小沢一郎、鈴木善幸の政治力で、お荷物でも新幹線が走ってしまった。
#**黄忠を後将軍に任命する時も、諸葛亮はまだびびっていて、「同格の将軍にするなんて、雲長さんが怒りますよお」と劉備に訴えたが、劉備は「ワシがよく言い聞かせるから」と断行。案の定関羽は激怒し、「あんな老いぼれと同格なんて辛抱できん!」と荒れまくった。
#*つまり新幹線などという立派な交通機関はド田舎岩手・青森には不釣合い、都会の宮城までがふさわしいと?ぶっちゃけ仙台以外は岩手も青森も宮城も変わらないから、身の程知った方がいいと思うよw
#映画祭。
#**そうはいっても古川以北の東北新幹線の駅で古川より乗車人数が多いのは盛岡と新青森だけなんだよねww
#実は劉備より年上という説が有力。
#ヤンキー、暴走族がいまだにいるガラの悪い駅。
#ヒゲ。何といってもヒゲ。
#在来線も自動改札導入しろよ、おぅ早くしろよ
#*これを敵の首に巻きつけて絞殺することもあった。
#*専用のヒゲケースを持っていて、寝るときは痛まないようにヒゲをしまって寝ていた。
#*ヒゲがピンっと立つことによって、敵の来襲を察知できた。しかし味方の裏切りは察知できなかった。


*その他の路線 - 陸羽東線
===張飛===
#関羽と同じく、蜀の劉備に仕えた武将で、劉備、関羽と義兄弟になった。
#武勇は蜀軍の中でもトップクラスで、智略もあったようだ。
#*でも[[コーエーテクモゲームス|コーエー]]のゲーム・三国志シリーズでは、知力が異様に低くなっている。
#関羽とは逆に、同僚や目上の人物からの受けは良かったが、部下や領民には厳しかったようだ。
#*関羽と同じく、それが命取りとなり、部下に寝首を掻かれてしまった。
#*劉備から「おめえさんは手下を殺しすぎらあ。しかも殴ったヤツを平気で自分の側に置いてるってえじゃねえか。危ねえよそりゃあ」と忠告されたが、聞かなかったらしい。
#**それどころか、「いや兄貴、俺だって考えちゃあいるんだぜ。ぶん殴る手下は身寄りが少ないヤツにしてるんだ。そうすりゃ下手うって殺しちまっても、後で仇を討たれる心配はないからよお」と答えたとも言う。本当だとしたら実はとんでもなくイヤなヤツである。
#**案の定、虐待した部下たちに殺された。劉備は張飛の副官から報告が来たことを聞いただけで、<BR>「あちゃあ~、益徳が死んじまったか~orz」と落胆したそうな。
#死後は、三国志の人物ではNo.1の人気者になり、京劇などでは主人公になったりと大忙し。
#『はるひ』ではない。
#*[[涼宮ハルヒファン|宇宙人や未来人、超能力者に興味があったわけではない]]。
#得意技は燕返し。
#現在の重慶では、張飛が酒の当てにしていたという料理が現存しているらしい。


===くりこま高原駅の噂===
===趙雲===
{{駅名標/東日本|name=くりこま高原|ruby=くりこまこうげん|back=古川|next=一ノ関|back2=Furukawa|rome=Kurikoma-Kōgen|next2=Ichinoseki|back-link=#古川駅の噂|next-link=岩手の駅#一ノ関駅の噂}}
#公孫瓉から蜀の劉備に乗り換えて活躍した武将。
所在地:栗原市
#三国志演義を読むと、けっこう見せ場が多くて、関羽・張飛に次ぐ地位に居たように見えるが、実は意外と重用されていない。
#いわて沼宮内駅開業前は唯一のひらがな入りの新幹線駅だった。
#*乱戦の中から阿斗を救ったとか、孫氏(孫権の妹で劉備の妻)が里に帰る時に阿斗を連れ出したのを奪回したとかいうのは作り話だし。
#ココの発車メロディは目黒とは違う
#**阿斗を救ったのは事実。というか正史の本文にはそれしか功績らしいものは見当たらなかったりする…
#*目黒だけじゃないと思うけど、なぜ目黒?
#*益州攻略戦や夷陵の戦いなど、劉備にとって重要な戦争にはほとんど置いてきぼりをくらっていたし。
#**目黒が最初の使用駅だから。目黒メロ→「Water Crown」 五反田メロ→「Cielo Estrellado」
#*「五虎将軍」に加えられたというのも「演義」の創作で、実際には、馬超と黄忠が関羽・張飛と同格の将軍に任命された時に外されていたし。
#フル規格では、日本一田舎の新幹線の駅。秋田新幹線、山形新幹線は別として。
#**馬超は涼州軍団を率いており、黄忠は荊州勢のまとめ役みたいな立場だったので幹部に取り立てざるを得なかったが、趙雲は個人的就職だったので選に漏れたのだろう。
#*安中榛名駅は?
#**実のところ、魏延よりも地位は低かったという説もあるし…
#*いわて沼宮内駅は?
#劉備が関羽の復讐戦に猛り立った時、ただひとり冷静な意見を述べて反対した。
#**自分で考えれ
#*この辺のクールさが、情に走りがちな劉備陣営ではやや異質な感じだったのかも。
#***要するに、日本一田舎ではない!
#**そもそも出兵に反対したという事自体、信憑性が低いけどね。
#何故くりでんと交差するところに造らなかったのだろうか
#三国志演義で脚色された部分を見ても、将としての活躍というより、個人的な武勇伝ばかり。たぶん軍勢を進退させる能力はあんまり無かったと思われる。
#*元々はその場所に「栗原登米」駅として開業予定だったが、旧築館町と旧若柳町の確執で結局その2町の中間の旧志波姫町に駅が設置された。
#*実際には劉禅の警護役みたいな立場だったように感じられるんだが、どうかな。趙雲が死んだ時に劉禅が大変心のこもった弔辞を送っているのは確かなようなので。
#*[[東北自動車道|高速道路]]のアクセスのためでもある。
#昔見た実写映画(タイトル忘れた)では、馬上でバク転してた。
#やっと田んぼ以外のものが駅前にできます。ってイオンスーパーセンターだけど。
#某ゲームのおかげで美青年という印象が日本では植え付けられたが、劉備達よりも年上だったらしい。
#パークアンドライドの成功例。
#*漢中攻略戦の際、敵将が趙雲と聞いた曹操が「あの老いぼれ、まだ生きていたのか?」と述べたそうな。
#くりはら田園鉄道とつなげれば、くりでんの運命もまた変わったかもしれない・・・
#*中国で老将というと彼のことを指すとか。
#*日本全駅下車を達成した横見浩彦さんも「鉄子の旅」でそのことを嘆いていた。(第四巻 第30旅カミムラメモ)
#せっかくバスが乗り入れているのに、新幹線到着の2分前に発車するなど、連絡する気がなかったミヤコーバス(現在は撤退した)。
#あきらかに通過列車のほうが多い!!!
#*それは古川~新花巻間全駅にあてはまるのだが。
#以上を見ても明らかだが、正当な評価が得られていないかわいそうな駅。
#*所在地が町のくせに(現在は合併して市になったが)、市街地から遠いくせに、在来線と乗り換えできないくせに、などいちゃもんを付けられる。
#**乗客数が水沢江刺や新花巻より多いことは認めたくないらしい。
#たかだか標高20m、周りは田んぼだらけ、どう見ても「高原」とは程遠い。
#*東急田園都市線[[東京の駅/南・西多摩#南町田駅の噂|南町田駅]]より低い(標高75m)。


==[[東北本線]]==
===馬超===
===石越駅の噂===
#蜀の五虎大将の一人として知られるが、元は西涼に割拠していた群雄である。
所在地:[[宮城/仙北#登米市の噂|登米市]]
#演義では処刑された父・馬騰の仇討ちで兵を挙げるが、正史では逆に彼が兵を挙げたことで馬騰が処刑されている。
#石越駅は明らかに隣の栗原市(若柳)を指向しているため、若柳駅の方が妥当だとも言われる。
#CV:服巻浩司
#*が、石越町民にとってみればあくまでも石越駅である。
#おっかし~なかぶとをか~ぶる~♪<!--(わかる人にはわかるネタ)-->
#その石越駅は元くりはら田園鉄道の起点駅。
#*東北本線仙台支社の最北端駅で隣駅は岩手県。但し東北本線上で宮城県最北端駅は石越駅ではなく有壁駅(有壁駅の両隣駅が岩手県のため)。


===岩切駅の噂===
{{駅名標/東日本2|name=岩切|ruby=いわきり|roma=Iwakiri|back=ひがしせんだい|next=りくぜんさんのう|back2=Higashi-Sendai|next2=Rikuzen-Sannō|back-link=#東仙台駅の噂}}
所在地:[[仙台市/宮城野区|仙台市宮城野区]]
#利府線の分岐駅。
#仙台のはじっこ
#[[東大阪市]]の[[近鉄奈良線|石切駅]]ではない。
#*岩沼とか石越とかややこしい。
#仙台駅から2つ目の駅
#仙台駅と岩切駅間は東北本線と利府線が両方使えてお得
#*利府線は正しくは東北線の支線である。
#洞ノ口(どうのくち)エリア
#どうやら岩切城というのがあったらしい事を今知った
#駅の南側に行くのに、大きく迂回しなければらない。しかも、アンダーパスが狭くて暗くて車が多く通るので危ない。
#宮城スタジアムでイベントがあると、利府駅と共にここが最寄り駅にされる。徒歩1時間30分。歩けと!
#*イベントによってはここからシャトルバスが出ることがある。
#泉中央駅行のバスが出ている。1日2本・・・。結構近い位置にあるのに、泉中央に用事があるときは仙台駅経由である。
#東仙台駅は岩切駅の管理下にある。
#「岩切」という姓はここではなく[[宮崎]]県に多い。


===東仙台駅の噂===
===黄忠===
{{駅名標/東日本2|name=東仙台|ruby=ひがしせんだい|back=せんだい|next=いわきり|back2=Sendai|roma=Higashi-Sendai|next2=Iwakiri|back-link=仙台駅|next-link=#岩切駅の噂}}
#荊州平定後に劉備の配下となった武将。
所在地:仙台市宮城野区
#演義では五虎大将の一人。正史では関羽、張飛、馬超と同格の将軍に任命される。
#仙台駅から一駅目の駅である
#老将として知られており、現在でも老いてますます意気盛んな人を彼になぞらえて「老黄忠」と言うとか。
#[[仙台市/宮城野区|光ヶ丘スペルマン病院]]
#弓の名手だったらしい。
#*例の事件で全国に知れ渡る
#**例の事件は置いといて、病院名がやらしい。区切らないで読め。
#*[[VOWファン|この人達]]は事件の前から知っていた。
#中3ガスパン遊び事件


===南仙台駅の噂===
===魏延===
{{駅名標/東日本|name=南仙台|ruby=みなみせんだい|back=名取|next=太子堂|back2=Natori|rome=Minami-Sendai|next2=Taishido|back-link=#名取駅の噂|color=#32CD32}}
#蜀の将軍で、劉備には絶賛されたが、諸葛亮とは反りが合わなかった。
所在地:[[仙台市/太白区|仙台市太白区]]
#*劉備に絶賛されたからこそ、諸葛亮に疎まれたんだろう。
#県内では、かなり利用者が多い駅なのに、駅自体にも、周囲の町にも特徴といえる特徴はほとんど無い。
#諸葛亮の死後、実権を握ろうとして、楊儀と争い処刑された。
#西口から駅構内まで行くのはかなり不便。
#*要は、蜀の荊州閥の勢力争いに敗れただけ。
#3番線は一日に三本しか電車が止まらないが、何故この三本だけ3番線に止まらなければいけないのか激しく謎である。
#後世の扱いはひどい。
#*錆止め列車じゃない?
#*演義では完全に悪者扱い。
#**スーパーひたちに追い抜かれるため
#*実力ある将軍だったのに・・・・・・。
#*墓をぶっ壊されてその上に線路を敷かれているらしい。
#魏との国境に近い漢中の太守を劉備から任され、大過なく治める。実は行政能力もけっこうあった。
#*最前線の司令官兼行政官として、魏の攻略法を考案し練り上げていたと思われる。その結果が長安への電撃侵攻作戦だったが、諸葛亮に一蹴される。そりゃ腐るわな。
#**後世にも、諸葛亮の言い分に理があったと認める人が多いが、魏延の作戦が通っていたらどうなっていただろうか。
#***実はこの作戦の記述は『魏略』によるもので、信憑性は低い。彼がこの作戦を本当に提案したのかは疑わしい。
#***仮にも漢を名乗る政権が長安を奪取すると言うことは、諸侯が雪崩を打って寝返る可能性もなきにしもあらずということか?
#困った人を放っておけない、情に厚い人間だったらしい。魏延金だけに。


===宮城野駅の噂===
===楊儀===
所在地:仙台市宮城野区
#蜀の武将というより文官。だが文官の項目がないので、ここにした。
#仙台における鉄道貨物のターミナル駅。東北本線宮城野支線唯一の駅。宮城野原駅と区別するために宮城野貨物駅と呼ばれ、こちらの方が定着している。
#魏延の喧嘩相手として有名。
#鉄道貨物が廃止になった、山形駅や古川駅から鉄道コンテナがトラックで運ばれてくる。
#*だが蜀建国の頃に上司の劉巴に逆らって左遷されている辺り、よく人と衝突するタイプだったようだ。
#JR貨物の旅行代理店がひっそりと営業している。
#魏延との対比で、魏延が劉備に、楊儀が諸葛亮に抜擢されたと思われがちだが、実は彼も劉備が抜擢した武将だ。
#[[宮城球場]]に隣接しており、ここを潰して仙台ドームの用地に、という声がある。
#*しかもかなりの高評価だったようだ。
#真夜中になるほど忙しい。
#**ちなみに最初は関羽に仕えていたが、関羽の推薦で劉備の直臣になったという経歴がある。関羽からも認められていたようだ。
*その他の路線 - 東北本線宮城野支線
#***関羽がもてあまして劉備に押しつけたんだと思ってた。
#軍事には素人だったが、事務官としてはチートだったらしい。
#*軍事チートと事務官チートの対立。孔明も頭を悩ませるわけだ。
#最期は『魏に仕えていたらここまで落ちぶれなかっただろう』と不満を言った『'''として'''』、逮捕、投獄され『自殺』した。
#*楊儀が容疑者になってしまった。


===名取駅の噂===
===姜維===
{{駅名標/東日本Y|name=名取|ruby=なとり|rome=Natori|back=南仙台|next-a=館腰|next-b=杜せきのした|back2=Minami-Sendai|next2-a=Tatekoshi|next2-b=Morisekinoshita|back-link=#南仙台駅の噂|next-link-a=#館腰駅の噂|color-a=#32CD32|color-b=#0055ff|color2-b=#0000ee}}
#諸葛亮が晩年に見出した蜀の武将。
{{駅名標/東日本|name=名取|ruby=なとり|back=杜せきのした|next=南仙台|back2=Mori-Sekinoshita|rome=Natori|next2=Minami-Sendai|next-link=#南仙台駅の噂|color=#0055ff|color2=#0000ee}}
#末期の蜀軍を支え、しばしば魏に侵攻しようとした。
所在地:[[宮城/仙南#名取市の噂|名取市]]
#*ずっと侵攻したがっていたのを、蒋琬や費褘に抑えられていたというのが実情。費褘が暗殺された途端に活発に軍事行動を始めた。
#[[仙台空港鉄道]]の起点駅。
#*このため、三国志演義の読者からは人気が高いが、実際には姜維の連年の軍事行動で蜀の財政が著しく疲弊し、滅亡を早めたとも言える。
#岩沼駅は特急ひたちが何便か停車するのに対し、名取駅は全便通過。仙台空港鉄道の乗換駅になったのに。
#**これが魏の狡猾な計略で、'''死間'''として姜維を送り込んでいたとか言うのだったら、びびるがなぁ。
#*休日限定の快速も全線通過する(毎日運転の快速は止まる)
#*後主・劉禅とその周辺に嫌われたのは主にそのせいで、宦官・黄皓の讒言があったためではない。
#*昔は普通列車の一部も通過していた(快速ではない)。
#*とはいえ、涼州方面に軍事拠点を作られてしまうと蜀が終わってしまうという現実があったわけで、北伐は別に私利私欲で行われたわけではない。
#*特急ひたちで空港に行く人間はいないので止る必要が無い、在来線で十分事足りる。
#*実際、蜀の存在意義は「魏を倒して漢を復興させる」だから魏への侵攻は間違いではなかったが、内政が整わない状態で侵攻していたのが問題だった。
#2番線の駅名標はJRのものを全て青色にした物で、結構レア。(南仙台方面も青色になっている)※右下図参照
#魏の鍾会が攻め込んでくるとかなわず降参。口ほどにもないヤツである。
#仙台空港鉄道ができたせいで仕事が増えて、駅員にとってはいい迷惑らしい。毎日一人は「イオンモールにはどうやって行けばいいですか?」という人が来る。助役の人に聞いたから本当の話。
#*あんまりだというので、後世の人は「鍾会に降ったのは計略で、機を見て鍾会を倒し、劉禅を救い出して蜀を再建するつもりだったのだ」ということにしたが、ほどなく殺されているため、そんなつもりがあったかどうかはわからない。たぶん作り話。
#*名取駅でJRの切符を買って、仙台空港鉄道に乗り、到着した駅で出られない人が多数存在する。
#*× 鍾会が攻めてきたので降参  ○鍾会と対峙中に'''首都の劉禅が降参'''
#**名取発でなく他の駅発でもある。ちなみにそのきっぷを空港鉄道の自動精算機に通すと、出られるよう処理される。
#*ちなみに降伏後に鐘会と手を組んで反逆を試みたが、どさくさに紛れて兵士に切り刻まれて殺されてしまった。
*その他の路線 - 仙台空港鉄道
#生'''姜'''の繊'''維'''。
#*生'''姜'''の'''維'''新とも言う。
#死後に腹を切り裂いたら、肝が一升ほどの大きさって・・・。人間ちゃうやろ。妖怪か何かか。


===館腰駅の噂===
==呉の武将==
{{駅名標/東日本|name=館腰|ruby=たてこし|back=岩沼|next=名取|back2=Iwanuma|rome=Tatekoshi|next2=Natori|back-link=#岩沼駅の噂|next-link=#名取駅の噂|color=#32CD32}}
===周瑜===
所在地:名取市
#孫策・孫権に仕えた武将。
#元仙台空港最寄り駅。
#*孫策とは幼馴染みで、しかも相聟(嫁さん同士が姉妹)。
#*一応有人駅だが、駅員詰め所は掃除用具入れのように狭い。
#*孫策の臨終の時、張昭と共に孫権を託される。
#*仙台市内からなら、ここまで鉄道、ここから路線バスが最安。
#赤壁の戦いで大活躍。
#10年ほど前に駅前に停まっていた「ベンツのタクシー」に乗って空港まで行ったら3千円以上かかった記憶があるけど、今でもあるの?
#*三国志演義ではしばしば諸葛亮に煮え湯を飲まされるが、実際にはほぼ単独で曹操軍を撃退した。
#*ちょっと前は、[[光岡自動車]](ガリュー?)の個人タクシーが停まっていたな・・・。
#劉備を全く信用してなかった。
#西口(?)の[[ファミリーマート]]は、ニキビより簡単に潰れましたね。
#*そもそも周瑜と接触した時点での劉備は、ほとんど信用されるに足る履歴を持っていなかったのだから、それもやむを得ない。信用した魯粛のほうが奇特な人と言える。
#三国時代の'''リア王'''。
#*本人も「美周郎」とあだ名されたほどのイケメン。
#**「イケてる周サマ!」というところ。
#**しかも若かった。享年なんと37。
#*嫁の「小橋」も名だたる美人。
#**曹操が呉を攻めたのは「小橋」と孫策未亡人「大橋」の美人姉妹を得るためだったというような噂が流れたほど。
#*音楽にも堪能。
#**食事の時など、流れている音楽に間違いがあると、振り返って演奏者を睨みつけた。
#***宴会で酔っ払っていても。人はビビっていたそうな。
#*リア充でもあった。「爆発しろ」と思われていたかどうかは知らないが。
#ゲームとかでは、軍師扱いが多いが、どちらかというと将軍だろう。確かに頭脳明晰ではあるが。
#関西弁は似合わなさそう。「天はこの世に周瑜を生んどきながら、なんで諸葛亮も生んだんや!?」
#*実際には諸葛亮に会ったこともないし、存在も知らなかったらしい。劉備からの使者として名前くらいは聞いたかもしれないが。
#**諸葛瑾の親族程度の認識はあったんじゃないかな。弟というのまでは知らないまでも。
#***諸葛亮は赤壁前に外交官として孫権に会っているので、面識ぐらいはあるだろう。
#****周瑜が孫権のところに召還される前に諸葛亮は帰国していたと思われる。その後の荊州争奪の折りも、諸葛亮が大戦略を立てているとは周瑜は全く気づいていなかった。というか、周瑜は劉備自身を自分より格下に見ていたので、劉備の家来にまで興味を持ったとは考えられない。
#*****関羽、張飛は高く評価していた。劉備に美女をあてがって骨抜きにして、関羽、張飛を自分の部下に引き抜こうとしていたし。ただし孔明は全く気にしてなかった。
#[[大豆]]を発酵させて搾った液体。
#周瑜黄巾賊。


===岩沼駅の噂===
===魯粛===
{{駅名標/東日本|name=岩沼|ruby=いわぬま|back=槻木|next=館腰|back2=Tsukinoki|rome=Iwanuma|next2=Tatekoshi|next-link=#館腰駅の噂|color=#0000ee}}
#孫権に仕えた武将。
所在地:[[岩沼市]]
#演義などの影響で、頼りなげな文官のイメージがあるが、実際は武官で、頭脳明晰で果断な人物だった。
#[[常磐線]]の本当の終点。
#*まだ呉に仕える前、周瑜が彼の家を訪問したとき、家にあった蔵のうち半分をそのままプレゼントした。
#岩沼駅5番線では「岩沼椅子取り合戦」なるものが行われている。
#*当時荊州に駐留していた関羽の元に単身乗り込み、領土(荊州南部)を奪い取ってみせた。
#*下り「東北本線」が岩沼駅に到着すると、超満員で混雑の酷い「東北本線」に立ってた客が、座席が少し空いている「東北本線(岩沼始発)」の席目がけて一斉にダッシュする現象(平日)。意外と見ごたえがある。そのため岩沼始発に乗る市民はその電車到着の前に座るか発車ギリギリ族のどちらかが多い。
#**このとき関羽はぐうの音も出なかったという。
#仙台へ行くときは始発列車か快速にしか乗らない。仙台帰りは乗る車両にこだわる人が多い。(東北本線、阿武隈急行は最も後ろのドア、但し岩沼終点は後ろから2番目のドア、常磐線は一部を除き後ろから2番目のドア周辺が出口に近いため、混む)
#**戦わずに勝つという孫子の兵法をまさに体現した人物。
#岩沼駅3番線に入る列車はかなり揺れる。4番線から発車する列車も揺れる。
#*赤壁の戦いの前に、孫権をおどかしたあたりもなかなかの骨っぽさ。
#岩沼駅東口の駐輪場は恐らく日本一駐輪代が●い。(東口大手2社135円/日)
#**「ワイはええんでっせ。曹操に降伏しても、まあぼちぼちの身分で取り立てられると思いますわ。でもあんさんはどないでっか? もともと大した家柄でもなし、どないして身ィ立てる気やねん」<BR>これを聞いて孫権は慄え上がり、曹操との対決を決意したと言う。
#*安い…
#惜しむらくは、寿命には恵まれなかった。享年46。あと20年長生きしたら、どうなっただろうか。
#岩沼駅前の本屋は想像以上に夕方混む。
#*息子の魯淑が、魯粛死後ほぼ一年後生まれだというのを逆算すると、'''腹上死'''していたのかもしれないとかなんとか。
#*ここの本屋は2009年4月30日をもって閉店。
#金持ちのボンボン。親族から変人呼ばわりされるほどのボンボン気質。
#**「駅前再開発の為」って張り紙がしてあったけど、いったいいつ始まるんだ。話が出てからかれこれ5~6年経ってるぞオイ
#***昭和50年代頃と平成初期にも駅前再開発の話があったが、結局やらないで終わっている。
#****2009年7月現在、民主党の事務所に・・・税金払いっぱなしよりはマシだけどさぁ・・・
*その他の路線 - [[常磐線]]


===白石駅の噂 ===
===賀斉===
{{駅名標/東日本|name=白石|ruby=しろいし|back=越河|next=東白石|back2=Kosugo|rome=Shiroishi|next2=Higashi-shiroishi|color=#32CD32}}
#演義には登場しない、呉最強の将軍。
所在地:[[白石市]]字沢目・字兎作
#*異民族討伐が主な任務だったので、演義では出番がなかった。
#白石蔵王駅と連絡バスで結ばれている。
#いつも少ない兵力で出陣し、勝利を収めた。
#*つーか普通の路線バス。白石蔵王駅始発〜白石駅〜各方面へ分散する
#*異民族の中には、彼の名を聞いただけで震え上がる者も。
#仙台方面からの上り普通列車の半数近くは白石打ち切り。
#合肥では、魏最強の張遼とぶつかり合い、張遼に奪われた大将旗を奪い返すという戦功を挙げる。
#昔は夜行寝台も停車したし駅弁も売っていた。
#*この時の張遼のチートな強さを考えれば、賀斉もどんだけ強いんだと。
#*現在でも冬季臨時で、ゲレンデ蔵王号が停車する。
#*その直後に孫権に説教。
#東京行きの夜行バスも駅前で乗降できる。ただし往復割引はなくなった。
#**賀斉「おめえは戦下手なんだからもう少し自重汁。」
#*そのバス停は2009年2月頃に廃止された。
#**孫権は「ごめんなさい」と平謝りだった。
#[[北海道]]に白石駅があるが、無関係。([[北海道旅客鉄道]]・[[札幌市交通局]])
#派手好きで、鎧や盾、戦艦などにも派手な装飾を施していたという。
#*いや、関係はある。白石市の人が移り住んだのが札幌白石区。両自治体は姉妹都市。
#*でも、[[鶴見線]][[神奈川の駅/川崎市#武蔵白石駅の噂|武蔵白石駅]]とは、本当に関係ない。
#*肥薩線にもある
#*なんと、ソウルの'''韓国鉄道公社'''一山線にも、白石(ぺクソク)駅がある。もちろん、関係はない。
#大河原駅より乗降客数が少ないのを気にしている。
#*2008年度は槻木駅にまで抜かされてしまった。
#**槻木駅の乗降客には阿武急乗換客も含まれている。
#1番線ホームにある油庫の中には、鉄道の部品や駅名標などが展示してある。
#1番線ホームから名産の温麺(うーめん)が食べられた(今もできるのか?)。改札外のキオスクがホームにちょびっと進出してそこが温麺の立ち食い屋という按配。冬に食う天ぷら温麺は激ウマだったなぁ…。
#*今はない。
#1番線・2番線の接近放送が音割れするくらいでかい。3番線だけ普通。


===松島駅の噂===
===呂蒙===
所在地:[[宮城/中部#松島町|松島町]]
#孫権に仕えた武将。
#松島の最寄り駅は松島駅ではなく松島海岸駅。
#無学だったが、孫権に薦められて書物を読むようになり、いっぱしの軍略家となる。
#仙石線へは高城町駅のほうが近い。
#*最初「忙しくて本なんぞ読んでられまへんわ」と逃げようとしたが、孫権はしつこく、「忙しいちゅーたらワイのほうがよっぽど忙しいわ。それでもワイはいつも本を手元に置くようにしとるんやで。何も学者になれゆーとるんやない、騙された思て読んでみ」と薦めた。しかも推薦図書まで何冊も挙げた。
#仙台までだったら、ここからのほうが本数が多い。
#*そんなわけでたぶん最初はいやいや本を読み始めたと思われるが、だんだん面白くなったらしい。
#隣の塩釜駅まで10kmもある。
#*この時期「呉下の阿蒙」の逸話を残す。
#**たまたま魯粛と話す機会があり、呂蒙が急に賢くなっていたので驚いた魯粛が「いやはや、呉の街の蒙ちゃんとはもう呼べんなあ」と慨嘆。
#**「男ゆうもんはな、3日顔合わせんかったら、眼ン玉見開いてよ~く見とかんとあかんで」と逆に魯粛に説教。
#***頑張ったのはわかるが、この上から目線はなんなんだ。
#関羽を打ち破る。
#*本人は意外と病弱で、関羽を破って間もなく病死。人々はみんな「関羽様のたたりじゃあ」と大騒ぎ。
#**呂蒙の霊「ちゃうわ! わしゃその前から病気やったんや! 信じてくれ~!」


===鹿島台駅の噂===
===陸遜===
{{駅名標/東日本|name=鹿島台|ruby=かしまだい|back=品井沼|next=松山町|back2=Shinainuma|rome=Kashimadai|next2=Matsuyamamachi|color=#32CD32}}
#孫権に仕えた武将。
所在地:[[大崎市#旧鹿島台町|大崎市]]
#関羽の仇討に燃える蜀軍の迎撃の指揮を執った。
#駅前になぜか[[宮城/仙北#美里町|美里町]]が作った駐車場がある。
#*はやる諸将を抑えて時を待ち、敵軍の戦線が延びきり疲労の色が濃くなった機を見逃さず一気呵成に責め立て、劉備を白帝城に追い込んだ。
#松島駅より客がかなり多いのに半分くらいが松島で折り返してしまうのが不満。
#長年に渡り呉に尽くしたが、後継者争いに巻き込まれて憤死。
#*帰るときになって二本連続で松島行きが来たりする!
#*蓄財などは感心がなく、死亡時に何の財産もなかったらしい。
#*それをなくすため東口を作り市街を広げて更に客を増やす予定だったが、合併後の財政難により見送られている。
#*JRではよくある話。豊田止まり(中央線)、蒲田止まり(京浜東北線)、国府津止まり(東海道線)と挙げればキリがない。
#**豊田や蒲田や国府津は大きな車両基地があるからだが松島は単なる中間駅なのであった。
#市の中心と言っている古川駅へは小牛田で乗り換えるため、仙台のほうが大抵時間が短くて本数も多い。
#*塩釜駅だったら古川の半分くらいの時間。
#中山平温泉駅まで58.4km。これは同じ市町村内では、路線が大幅な遠回りをする岩泉町・一関市・登米市・新幹線を除くと東北で一番遠い。
#*[[宮古市]]に抜かれました。
#この広い大崎市でSuica対応の自動改札機が鹿島台駅だけなのが自慢。
#*古川駅の新幹線自動改札機もsuica対応機に。今んとこモバイルだけらしいけど


===小牛田駅の噂===
==その他の武将==
{{駅名標/東日本|name=小牛田|ruby=こごた|back=松山町|next=田尻|back2=Matsuyamamachi|rome=Kogota|next2=Tajiri|color=#32CD32}}
===呂布===
所在地:[[宮城/仙北#美里町|遠田郡美里町]]
#三国志の武将の中でも、武勇は随一。
#読みは「こうしだ」ではなく「こごた」。
#*演義ではアンタッチャブルな強さ。実際個人でも強かったのだろうが、騎馬民族の部隊を率いていたからとも。
#*たまに、「小午田」と書いてしまう。
#裏切り者の代名詞的な存在。
#小田と牛飼という地名を組み合わせた合成地名。
#*本人は裏切っているつもりはなかったかもしれない。
#昔は鉄道の街として古川並みに栄えていた時期もあった。
#**丁原「あいつは乱暴者で悪いヤツだって董太師に言われただ。だから首をとってやっただ」
#駅の隣にやたら広い操車場がある。
#**董卓「あいつは帝を苦しめるひどいヤツだって王司徒が言ってただ。だからこらしめてやっただ」
#陸羽東線に乗る人は切符を買ってくださいと階段に掲示してある。自動改札そばの窓口で、本当に切符が買える。古川とかで石巻線とかの無人駅から乗って清算しようとすると時間がかかるから、ここで買うのはお勧め
#**袁術「身内を全部殺した董卓をおらが討ってやったのに、ちっともありがたがらねえで冷たかっただ。だから出てきてやっただ」
*その他の路線 - 陸羽東線 石巻線
#**袁紹「なんでおらを殺そうとするだ。こんなヤツのとこには居たくねえだ」
#**劉備「おらがこんなに良くしてやっただに、ちょこまか動き回っておらを陥れようとするだ。ちょっくらお灸を据えてやるだ」
#***劉備が袁術の配下の紀霊に攻められた際、仲裁に入って、「おらは戦うのは嫌えだ。人を仲良くさしてやんのが好きなんだ」と言ったのは、案外本音だった可能性もある。
#その格好から、[[ゴキブリ]]と言われることも。
#イケメンだったらしい。
#曹操に敗れて捕まった時、「あんたの歩兵とおらの騎兵がありゃあ天下無敵だべ。これでまあ、天下は定まったってもんだ」と本気で言った。曹操もけっこうその気になりかけたが、傍らに居た劉備が水を差したので結局処刑。
#*呂布はこの時はじめて劉備に嫌われていたことに気づいたのであった。
#**「こんの、大耳野郎! 裏切ってばかりいんのはおらでねえ、おめえでねえか!」というのが、呂布の絶望を込めた最後の言葉。
#赤菟という最高級の名馬に乗っていた。
#*「人中に呂奉先あり、馬中に赤菟あり」と称えられた。
#*演義では呂布の死後、曹操から関羽に贈られたことになっているが、正史にはそんな記述は無い。それに呂布が死んだ頃には、赤菟もかなり高齢だったはず。
#**関羽が呂布未亡人を欲しがったという話もある。後世の人々は、なんとなく呂布から関羽へいろんなものが引き継がれたイメージを持ったのかもしれない。
#中国での評判は散々。裏切りはともかく、義父を2度も殺しているのが痛すぎる。(儒教的な意味で)


===有壁駅の噂===
[[Category:バカ人物志/中国|ふしようてんさんこく]]
所在地:栗原市
[[Category:三国志|ふしよう]]
#両隣の駅は岩手県。そのため宮城県なのに仙台支社ではなく盛岡支社。
#同じ市内にある瀬峰駅は30km離れている上に、県境を2つまたぐ。
 
==[[仙山線]]==
===北仙台駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=北仙台|ruby=きたせんだい|back=東照宮|next=北山|back2=Tōshōgū|rome=Kita-Sendai|next2=Kitayama|back-link=#東照宮駅の噂|color=#32CD32}}
所在地:仙台市青葉区
#おもいっきり市内中心部にあるのに「北」仙台。
#*「北仙台」と言えば、市内誰でもどこでもこの駅周辺を指す。旭が丘や泉区の立場って一体・・・。
#正式な地名は「昭和町」だが、地元住民ですらその事実は忘れられがちである。
#地下鉄の乗換は若干不便。
#*仙台駅から中山方面へいくバスが、会社帰りとかにそこを経由する便だと不愉快になる。
#**(誰も降りないし乗らない。次バス停葉山町は目と鼻の先)
#*かつてに比べて市西部→仙山線→地下鉄→中心街の乗り換えは減ったらしい。
#バスプールがあるが、殆ど使用されていない。
#*都心であるにも関わらず、毎時2本のみって…。
#*隣の葉山町は毎時10本以上走っています。イジメ?
#*バスであと数停留所なのに高い地下鉄に乗り換える人もいないわけで、パスプールがあっても意味がないということか。
#北仙台の自転車屋ではなぜか萌え萌えなアニソンやエロゲソングが流れている。
#駅舎改築に絶望した!
#*「さよなら絶望先生」風の駅になってしまった。
#*「昭和レトロ体」ですね。別に「絶望先生」のための書体ではありません。
#**「昭和モダン体」ね。一応。
#「北仙台シティプレイス」の中央広場からはJR北仙台駅のホームが目と鼻の先だが、入り口がない。
#*JRの北口がないのはガチで不便。何とかならないのか?
#昭和町交差点から直接JR北仙台駅に行けるようにして欲しい。仙山線沿いに歩道作ってさ。
#とても一日の利用客が10000人以上あるとは思えない駅である。
 
===東照宮駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=東照宮|ruby=とうしょうぐう|back=仙台|next=北仙台|back2=Sendai|rome=Tōshōgū|next2=Kita-Sendai|back-link=仙台駅|next-link=#北仙台駅の噂|color=#32CD32}}
所在地:仙台市青葉区
#駅の入口が児童公園。
#*あの公園は東北少年院跡地
#大の大人が通勤のために公園の中を歩くのは正直痛い。
#*園内で幼児が砂遊びしていれば尚更。
#**つぶらな瞳で「何、このおじさんたち?」って見られた時の罪悪感といったらないよ…。
#元々は公園の南側に仙山線乗降専用の小道があった。
#*しかしJRはそれを改良工事で封鎖しやがった!
#**まさに'''改悪'''工事ですな。
#車でどうやってこの駅に到達し、乗り降りするのだろう?
#*駐車場はもちろんない。
#*実現不可能確定のプラン、東照宮駅パークアンドライド化計画発動しかないね。
#店がない。本当に何もない。
#*コンビニは一応ある。
#駅前の横断歩道は渡りづらい。
#*宮町通りの信号が赤になっても、北六番丁から左折する車が多いため常に車が走っている。
#**地元では、小松島方面から車が来なくなったのを見計らって、(花京院方面から来る車が来ていても)そのまま渡るのが暗黙の了解です。
#**まともに車が止まるのを待っていたら、いつまで経っても渡れない。
#日光に置いたら、世界遺産の中にある駅になる。
#*家康公御用達???
#駅の入り口が大変分かりにくい。
#*地図で場所は分かっても、どうやってホームまで行けばいいのか周囲の小道を探し回ることに。
#かつては仙台鉄道の東照宮前駅だったそうだ。
 
==[[仙石線]]==
===あおば通駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=あおば通|ruby=あおばどおり|back=|next=仙台|back2=|rome=Aoba-Dōri|next2=Sendai|next-link=仙台駅|color=#87CEEB}}
[[画像:AobadoriST01.jpg|frame|駅構内]]
所在地:[[仙台市/青葉区|仙台市青葉区]]中央
#あおば通駅は仙石線の「仙台駅」になる予定だったとか。仙石線の仙台駅は「仙台東口駅」になる予定だったとか。
#*駅職員の勤務交代態勢はJR仙台駅と一体化しているらしい。
#地下鉄の仙台駅と直結している。
#仙台駅へは歩いても行けるが少し遠い。
#*遠いんけ?たかだか500~600mくらいやんけ。
#*この近いような遠いような微妙な距離感故、バスに乗り継ぐなら、行きは仙台駅で降りてパスプールへ歩き、帰りは降車場に近いあおば通駅で乗車するみたいな感じになる。
#高城町駅からだと、仙台駅までは400円、あおば通までだと480円になってしまう。短い距離にかかわらず、かなり損な気分になる。
#*石巻駅では仙台まで820円・あおば通まで950円。隣の陸前山下なら両駅とも820円。やっぱり損な気分。
#*仙台とあおば通の距離約400メートル。400メートルで80円…
#**もし[[東海旅客鉄道|ココ]]の路線だったら、両方480円にしてたかもね。(新幹線品川開業で実行しやがった・・・被害者は熱海駅)
#*宮城野原からならあおば通までも仙台までも同じ140円。通勤通学にお勧めです。
#JRの名が付いている出入口は2か所だけ。他は、仙台市営地下鉄のマークが付いた出入口である。
#*地下の出入り口と地下鉄乗換え口を含めると全部で4箇所になる。
#*エレベーターも含めると5箇所になる。
#*乗客の流れとしては地下鉄及びJR仙台駅と一体化していそうだ。あおば通駅入り口から地下に入って地下鉄仙台駅にて乗車しても不都合ないし。
#仙台市営地下鉄との専用連絡口がある。
#*でも、東京とかにあるような乗り換え専用改札ではない。一方の改札を出てもう一方の改札に入るようになっている。その間では地上に出られない。
#**じゃ間違って出ちゃったら大変だ・・・
#***H24.6.30にエレベーターが出来たので解決!(地下鉄の北改札の前まで上がれる)
#ここと地下鉄仙台駅とJR仙台駅の関係は、淡路町駅と小川町駅と新御茶ノ水駅の関係とクリソツである。
#旧仙石線仙台駅(地上)の発車メロディが今はこの駅で使われている。静かな地下駅なので美しく響く。
 
===榴ヶ岡駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=榴ヶ岡|ruby=つつじがおか|back=仙台|next=宮城野原|back2=Sendai|rome=Tsutsujigaoka|next2=Miyaginohara|back-link=仙台駅|next-link=#宮城野原駅の噂|color=#87CEEB}}
所在地:仙台市宮城野区榴岡
#[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の本拠地県営宮城球場のもうひとつの最寄り駅。
#*駅舎はカラスコに占領されている。
#榴ヶ岡公園と仙台サンプラザの最寄り駅はここ。
#*仙台サンプラザは市立伝染病院の跡地。
#仙台駅からあまりにも近すぎる。
#*但し、歩くと15分は掛かる。
#*中心街に近いあおば通駅まで直通なので、歩いたり駐車場を探して自動車を使うのよりだいぶ便利である。
#駅の近くにスーパーがあるので、花見や試合がある日は非常に便利。
 
===宮城野原駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=宮城野原|ruby=みやぎのはら|back=榴ヶ岡|next=陸前原ノ町|back2=Tsutsujigaoka|rome=Miyaginohara|next2=Rikuzen-Haranomachi|next-link=#陸前原ノ町駅の噂|color=#87CEEB}}
所在地:仙台市宮城野区
#[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の本拠地県営宮城球場の最寄り駅。
#*そのおかげで駅舎がイーグルスカラーになった。
#*プロ野球をやる日は普段通過する快速がとまります。
#海浜幕張、水道橋に続いて今度はここの発車メロディーが楽天の応援歌に・・・なるといいよね。
#*数秒で終わるベルから変えるのは結構無理。変えるとしたらダイヤを崩さなければならなくなる。
#**サビの部分を1パターンだけであれば実現できそう。
#**停車時間が30秒足らずの西武鉄道でさえ5秒ぐらいのメロディを増やしていってるので、無理なことは無いんじゃないかな。あとは地元のやる気次第。
#**2010年、ついに実現!
#駅を出て北の方に数分歩くと、地上を仙石線が走っていたことの線路跡が空き地となって残っている。
 
===陸前原ノ町駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=陸前原ノ町|ruby=りくぜんはらのまち|back=宮城野原|next=苦竹|back2=Miyaginohara|rome=Rikuzen-Haranomachi|next2=Nigatake|back-link=#榴ヶ岡駅の噂|color=#87CEEB}}
所在地:仙台市宮城野区
#ここから仙石線は地下に入る。
#*駅東側の宮城の萩大通りは、仙石線地上時代に踏みきりでの大渋滞が続く幹線道路であった。
#壮大な駅舎がある。地上二本地下二本ぐらい路線が乗り入れていても違和感がないが、実は仙石線一本のみ(しかも本体は地下)である。
#*区役所所在地の貫禄を見せたいのか、何か用途を考えているのか。
#*駅南側に少し仙石線地上時代の空き地が残っている。何か作れるかもしれない。
#**「宮城野区文化センター」が完成。幸町にあった宮城野図書館がここに入った。
#*区役所所在地の貫禄としては、快速が止まってくれないものかね?
#駅西側に区役所と旧原町宿の伝統的な商店街、東側はかつての旧軍駐屯地歓楽街だった。
#*宮城野区の中心というほど大規模な商業地でもない。車社会の現在はむしろ北の幸町が中心街かも。
#*仙石線利用者の場合は商業需要が各駅に分散しそうだ。快速が停車し乗降客も多い多賀城駅に至るまで、仙台市内の仙石線利用者は各駅に分散している。
 
===苦竹駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=苦竹|ruby=にがたけ|back=陸前原ノ町
|next=小鶴新田|back2=Rikuzen-Haranomachi|rome=Nigatake
|next2=Kozurushinden|color=#87CEEB}}
所在地:仙台市宮城野区
#隣の小鶴新田が開業するまでは、当駅折り返しの電車もあった。
#*折り返しではない、車庫(電車区)への出入りのため。
#**実は、その前にも、陸前原ノ町電車区があった。
#***陸前原ノ町にあった電車区が現在地(福田町のちょい西)に移転したので、陸前原ノ町止まりだった車庫に入る電車が苦竹止まりになった。何が「実は・・・」だよ
#ここの竹は苦い・・・のか???
 
===小鶴新田駅の噂===
所在地:仙台市宮城野区
#仙石線の中で、一番新しい。
#関東圏の駅のような雰囲気をかもし出している。
#*関東には「小島新田」駅がある。紛らわしい。
#車庫出入りの関係で電車は最近まで隣の苦竹止まりだったが、ここ止まりになった。
 
===陸前高砂駅の噂===
{{駅名標/東日本|name=陸前高砂|ruby=りくぜんたかさご|back=福田町|next=中野栄|back2=Fukudamachi|rome=Rikuzen-Takasago|next2=Nakanosakae|next-link=#中野栄駅の噂|color=#87CEEB}}
所在地:仙台市宮城野区
#アニメ「かんなぎ」の舞台にもなった。
#*本当はモデルとして取り上げられた。作中では実際の駅の雰囲気がそのままな感じになっている。
#*しかしアニメに登場した地下道は架空のモノで、実際には存在しない。
#**実際には、地下道のある場所には踏切がある。
#*恐らくこれから'''[[アニメファン|お客さん]]'''が増えるでしょうねぇ。
#**まあ、元から乗り降りする人が非常に多い駅ですからね。
#*この駅を堪能してから漫画の聖地である石巻駅へ・・・というパターンがあるかもしれない。
#仙台市内の仙石線の駅の中では、唯一発車ベルがない。
 
===中野栄駅の噂===
所在地:仙台市宮城野区
#東北初の橋上駅。
#比較的最近にできた駅の割りに、国鉄末期時代を思わせるような雰囲気をかもし出している。
#*28年前だよ。
#人の名前っぽい。
#仙台まで190円なのに、あおば通り230円。だれも後者行かないよなぁ
 
===松島海岸駅の噂===
所在地:松島町
#日本三景松島の最寄り駅。
 
===高城町駅の噂===
所在地:松島町
#松島町の中心となる駅。
#あおば通から乗ったときに、初めてホーム内踏切が登場する。ちなみに、地下にもぐる前は、榴ヶ岡、宮城野原、陸前原ノ町にも存在していた。
 
===手樽駅の噂===
所在地:松島町
#周りには民家が数軒あるだけの何もない駅。
#乗車人数は仙石線の中で一番少ない。
 
===石巻駅の噂===
<!--{{駅名標/東日本2|name=石巻|ruby=いしのまき|back=陸前山下|next=|back2=Rikuzen-Yamashita|roma=Ishinomaki|next2=}}-->
[[画像:IshinomakiSt00.jpg|thumb|120px|石ノ森キャラがいっぱいの駅舎]]
所在地:[[石巻市]]
#日本最北端の直流電化駅。
#*「JR」最北端では?(弘南・十和田・函館市・札幌市)
#**十和田は2012年3月で…。
#かつては汽車駅(石巻線)・電車駅(仙石線)の2駅舎が駅前広場をはさんで存在した。駅長室とみどりの窓口は汽車駅に置かれた。
#駅舎本体・内部に石ノ森章太郎のサイボーグ009のキャラクターの像がいっぱい(駅前にも他のキャラクターがいます)。
 
==[[東日本旅客鉄道/東北地区#陸羽東線の噂|陸羽東線]]==
===東大崎駅の噂===
<!--{{駅名標/東日本|name=東大崎|ruby=ひがしおおさき|back=西古川|next=西大崎|back2=Nishi-Furukawa|rome=Higashi-Ōsaki|next2=Nishi-Ōsaki|color=#808080}}-->
所在地:大崎市
#「東大崎」だが大崎市中心部(古川駅)より西にある。
#*「東大崎村」の時代に設置したため。
#[[山手線]]の駅ではない。
 
===鳴子温泉駅の噂===
所在地:大崎市
#ホームへ降り立った途端、'''硫黄臭い'''。
 
==[[東日本旅客鉄道/東北地区#石巻線の噂|石巻線]]==
===女川駅の噂===
所在地:[[宮城/南三陸#女川町の噂|女川町]]
#駅から女川港まですぐ。磯の香りが漂ってくる。
#温泉が併設。
#東日本大震災で駅舎が流失。ただし隣にあったトイレは八角形だったためか残った・・・
#*バリアフリー化で改札口からホームに上がるエレベータを工事中だった。3月末の使用開始予定だったが一度も使われることなく流された・・・
 
[[Category:東北の駅|みやき]]
[[Category:宮城|えき]]

2016年1月26日 (火) 15:10時点における版

魏の武将

夏侯惇

  1. 曹操に仕えた武将。
    • 曹操の挙兵当初から常に一緒に行動していた。
    • 曹操の従兄弟だったらしい。
  2. 隻眼だったので「盲夏侯」と呼ばれた。
    • 片眼を戦場で射られ、矢を引き抜いたら眼球ごと抜けてしまい、それを食った……という勇ましい伝説があるが、なんぼなんでも作り話だろう。
      • 横山三国志では作者曰く「別に食わせなくてもいいじゃん」ということで食べる描写はなかった。
        • 演義では一応、「親から授かったこの身を無駄にしてなるものか」と叫んで食ったことになってるけどね。
    • 本人は相当気にしてたらしく、このあだ名を嫌い、鏡で自分の顔を見る度に怒ってその鏡を割ってしまったと言う。
  3. 三国志演義では数々の戦争で武功を挙げた猛将になっているが、夏侯惇が参戦したと正史に載っているのは2回だけ。しかも両方とも負け戦。
    • 武功では劣っていても治水事業などで功績を挙げていたりもして、曹操が無能な人間を高位につけるわけがないので、本来は軍政家だったのかもしれない。
    • 基本的に曹操の近くにいたため、記述が省かれてるだけだろう。
  4. 最近は理想的なナンバー2として描かれることが多い。

張遼

  1. 曹操に使えた武将で、元は呂布の配下。
    • 呂布とともに処刑されそうになった時、関羽が彼の命乞いをしたため、命を助けられることとなった。
  2. 主に呉との戦で活躍し、呉では泣く子も黙ると恐れられた。
  3. 演義では矢が刺さった傷が元で死んだことになっているが、実際は普通に病死だったらしい。
    • 横山三国志における矢の刺さった場所が・・・。
  4. おそらく魏最強の将軍。
    • 呂布の配下時代は、劉備攻めの先陣を務めて散々に蹴散らし(関羽と張飛がいたはずなんだが・・・)、劉備は命からがら曹操の元に逃げ込んだ。
    • 呉の合肥攻めでは少ない軍勢で孫権の本陣まで攻め込んで将軍数名を討ち取った。

蜀の武将

関羽

  1. 蜀の劉備に仕えた武将。
  2. 智勇兼備の名将で、主君への忠義は絶大だった。
  3. 結構気難しいタイプだったようで、部下や領民は可愛がるが、同僚や目上の人物、他国の人々とはたびたび衝突したようだ。
    • そのため、本来は味方であるはずの呉や、後方支援の味方まで敵に回してしまい、結局はそれが命取りになった。
    • 呉「関羽殿、お宅の娘を嫁がせてくれ。我らと婚戚関係になって同盟を確固たるものにしよう」→関羽「犬に娘をやれるか!」→呉「犬だと…忘れんぞ」
    • 後方支援「しまった、関羽への支援が足りない。怒らせると怖いし、感謝されたことないし、プライド高いし……よし、支援要請自体をなかったことにしよう」
  4. 死後、神様になった。
    • なぜか武の神様ではなく、商人の守り神になった。しかも皇帝はおろか王にもなってないのに、「関帝」と名付けられた。
      • 約束を必ず守る信義固さで、商取引に大事な信用の象徴→商売の神様となった。
      • また敵中にあっても揺るがない忠誠で、後世の皇帝に「関羽を神として祭れば、ウチの部下も忠誠を尽くすだろう」と思われ、その後の皇帝に「ならば朕は『候』を贈り『関候』とするぞ」「それを倒した我が帝国は候より上の『関王』だな」「ならウチは更に『関帝』だ」「さ、更に上となると『皇』しかない…けど自分と同格では忠誠じゃないぢゃん」となった。
  5. 異様に嫉妬深いタイプでもあった。特に劉備の寵愛に関しては、自分をしのぐヤツが出現するのを絶対に許さなかった。
    • 馬超、黄忠などに対してもものすごい敵愾心を燃やした。
      • 馬超が劉備陣営に加わった時は、わざわざ諸葛亮に荊州から手紙を出して「馬超と俺とどっちが上だ?」と問い合わせた。諸葛亮はおっかなびっくり「張飛とどっこいどっこいというところ、ヒゲ殿にはとてもかないません」と機嫌をとった。
      • 黄忠を後将軍に任命する時も、諸葛亮はまだびびっていて、「同格の将軍にするなんて、雲長さんが怒りますよお」と劉備に訴えたが、劉備は「ワシがよく言い聞かせるから」と断行。案の定関羽は激怒し、「あんな老いぼれと同格なんて辛抱できん!」と荒れまくった。
  6. 映画祭。
  7. 実は劉備より年上という説が有力。
  8. ヒゲ。何といってもヒゲ。
    • これを敵の首に巻きつけて絞殺することもあった。
    • 専用のヒゲケースを持っていて、寝るときは痛まないようにヒゲをしまって寝ていた。
    • ヒゲがピンっと立つことによって、敵の来襲を察知できた。しかし味方の裏切りは察知できなかった。

張飛

  1. 関羽と同じく、蜀の劉備に仕えた武将で、劉備、関羽と義兄弟になった。
  2. 武勇は蜀軍の中でもトップクラスで、智略もあったようだ。
    • でもコーエーのゲーム・三国志シリーズでは、知力が異様に低くなっている。
  3. 関羽とは逆に、同僚や目上の人物からの受けは良かったが、部下や領民には厳しかったようだ。
    • 関羽と同じく、それが命取りとなり、部下に寝首を掻かれてしまった。
    • 劉備から「おめえさんは手下を殺しすぎらあ。しかも殴ったヤツを平気で自分の側に置いてるってえじゃねえか。危ねえよそりゃあ」と忠告されたが、聞かなかったらしい。
      • それどころか、「いや兄貴、俺だって考えちゃあいるんだぜ。ぶん殴る手下は身寄りが少ないヤツにしてるんだ。そうすりゃ下手うって殺しちまっても、後で仇を討たれる心配はないからよお」と答えたとも言う。本当だとしたら実はとんでもなくイヤなヤツである。
      • 案の定、虐待した部下たちに殺された。劉備は張飛の副官から報告が来たことを聞いただけで、
        「あちゃあ~、益徳が死んじまったか~orz」と落胆したそうな。
  4. 死後は、三国志の人物ではNo.1の人気者になり、京劇などでは主人公になったりと大忙し。
  5. 『はるひ』ではない。
  6. 得意技は燕返し。
  7. 現在の重慶では、張飛が酒の当てにしていたという料理が現存しているらしい。

趙雲

  1. 公孫瓉から蜀の劉備に乗り換えて活躍した武将。
  2. 三国志演義を読むと、けっこう見せ場が多くて、関羽・張飛に次ぐ地位に居たように見えるが、実は意外と重用されていない。
    • 乱戦の中から阿斗を救ったとか、孫氏(孫権の妹で劉備の妻)が里に帰る時に阿斗を連れ出したのを奪回したとかいうのは作り話だし。
      • 阿斗を救ったのは事実。というか正史の本文にはそれしか功績らしいものは見当たらなかったりする…
    • 益州攻略戦や夷陵の戦いなど、劉備にとって重要な戦争にはほとんど置いてきぼりをくらっていたし。
    • 「五虎将軍」に加えられたというのも「演義」の創作で、実際には、馬超と黄忠が関羽・張飛と同格の将軍に任命された時に外されていたし。
      • 馬超は涼州軍団を率いており、黄忠は荊州勢のまとめ役みたいな立場だったので幹部に取り立てざるを得なかったが、趙雲は個人的就職だったので選に漏れたのだろう。
      • 実のところ、魏延よりも地位は低かったという説もあるし…
  3. 劉備が関羽の復讐戦に猛り立った時、ただひとり冷静な意見を述べて反対した。
    • この辺のクールさが、情に走りがちな劉備陣営ではやや異質な感じだったのかも。
      • そもそも出兵に反対したという事自体、信憑性が低いけどね。
  4. 三国志演義で脚色された部分を見ても、将としての活躍というより、個人的な武勇伝ばかり。たぶん軍勢を進退させる能力はあんまり無かったと思われる。
    • 実際には劉禅の警護役みたいな立場だったように感じられるんだが、どうかな。趙雲が死んだ時に劉禅が大変心のこもった弔辞を送っているのは確かなようなので。
  5. 昔見た実写映画(タイトル忘れた)では、馬上でバク転してた。
  6. 某ゲームのおかげで美青年という印象が日本では植え付けられたが、劉備達よりも年上だったらしい。
    • 漢中攻略戦の際、敵将が趙雲と聞いた曹操が「あの老いぼれ、まだ生きていたのか?」と述べたそうな。
    • 中国で老将というと彼のことを指すとか。

馬超

  1. 蜀の五虎大将の一人として知られるが、元は西涼に割拠していた群雄である。
  2. 演義では処刑された父・馬騰の仇討ちで兵を挙げるが、正史では逆に彼が兵を挙げたことで馬騰が処刑されている。
  3. CV:服巻浩司
  4. おっかし~なかぶとをか~ぶる~♪


黄忠

  1. 荊州平定後に劉備の配下となった武将。
  2. 演義では五虎大将の一人。正史では関羽、張飛、馬超と同格の将軍に任命される。
  3. 老将として知られており、現在でも老いてますます意気盛んな人を彼になぞらえて「老黄忠」と言うとか。
  4. 弓の名手だったらしい。

魏延

  1. 蜀の将軍で、劉備には絶賛されたが、諸葛亮とは反りが合わなかった。
    • 劉備に絶賛されたからこそ、諸葛亮に疎まれたんだろう。
  2. 諸葛亮の死後、実権を握ろうとして、楊儀と争い処刑された。
    • 要は、蜀の荊州閥の勢力争いに敗れただけ。
  3. 後世の扱いはひどい。
    • 演義では完全に悪者扱い。
    • 実力ある将軍だったのに・・・・・・。
    • 墓をぶっ壊されてその上に線路を敷かれているらしい。
  4. 魏との国境に近い漢中の太守を劉備から任され、大過なく治める。実は行政能力もけっこうあった。
    • 最前線の司令官兼行政官として、魏の攻略法を考案し練り上げていたと思われる。その結果が長安への電撃侵攻作戦だったが、諸葛亮に一蹴される。そりゃ腐るわな。
      • 後世にも、諸葛亮の言い分に理があったと認める人が多いが、魏延の作戦が通っていたらどうなっていただろうか。
        • 実はこの作戦の記述は『魏略』によるもので、信憑性は低い。彼がこの作戦を本当に提案したのかは疑わしい。
        • 仮にも漢を名乗る政権が長安を奪取すると言うことは、諸侯が雪崩を打って寝返る可能性もなきにしもあらずということか?
  5. 困った人を放っておけない、情に厚い人間だったらしい。魏延金だけに。

楊儀

  1. 蜀の武将というより文官。だが文官の項目がないので、ここにした。
  2. 魏延の喧嘩相手として有名。
    • だが蜀建国の頃に上司の劉巴に逆らって左遷されている辺り、よく人と衝突するタイプだったようだ。
  3. 魏延との対比で、魏延が劉備に、楊儀が諸葛亮に抜擢されたと思われがちだが、実は彼も劉備が抜擢した武将だ。
    • しかもかなりの高評価だったようだ。
      • ちなみに最初は関羽に仕えていたが、関羽の推薦で劉備の直臣になったという経歴がある。関羽からも認められていたようだ。
        • 関羽がもてあまして劉備に押しつけたんだと思ってた。
  4. 軍事には素人だったが、事務官としてはチートだったらしい。
    • 軍事チートと事務官チートの対立。孔明も頭を悩ませるわけだ。
  5. 最期は『魏に仕えていたらここまで落ちぶれなかっただろう』と不満を言った『として』、逮捕、投獄され『自殺』した。
    • 楊儀が容疑者になってしまった。

姜維

  1. 諸葛亮が晩年に見出した蜀の武将。
  2. 末期の蜀軍を支え、しばしば魏に侵攻しようとした。
    • ずっと侵攻したがっていたのを、蒋琬や費褘に抑えられていたというのが実情。費褘が暗殺された途端に活発に軍事行動を始めた。
    • このため、三国志演義の読者からは人気が高いが、実際には姜維の連年の軍事行動で蜀の財政が著しく疲弊し、滅亡を早めたとも言える。
      • これが魏の狡猾な計略で、死間として姜維を送り込んでいたとか言うのだったら、びびるがなぁ。
    • 後主・劉禅とその周辺に嫌われたのは主にそのせいで、宦官・黄皓の讒言があったためではない。
    • とはいえ、涼州方面に軍事拠点を作られてしまうと蜀が終わってしまうという現実があったわけで、北伐は別に私利私欲で行われたわけではない。
    • 実際、蜀の存在意義は「魏を倒して漢を復興させる」だから魏への侵攻は間違いではなかったが、内政が整わない状態で侵攻していたのが問題だった。
  3. 魏の鍾会が攻め込んでくるとかなわず降参。口ほどにもないヤツである。
    • あんまりだというので、後世の人は「鍾会に降ったのは計略で、機を見て鍾会を倒し、劉禅を救い出して蜀を再建するつもりだったのだ」ということにしたが、ほどなく殺されているため、そんなつもりがあったかどうかはわからない。たぶん作り話。
    • × 鍾会が攻めてきたので降参  ○鍾会と対峙中に首都の劉禅が降参
    • ちなみに降伏後に鐘会と手を組んで反逆を試みたが、どさくさに紛れて兵士に切り刻まれて殺されてしまった。
  4. の繊
    • 新とも言う。
  5. 死後に腹を切り裂いたら、肝が一升ほどの大きさって・・・。人間ちゃうやろ。妖怪か何かか。

呉の武将

周瑜

  1. 孫策・孫権に仕えた武将。
    • 孫策とは幼馴染みで、しかも相聟(嫁さん同士が姉妹)。
    • 孫策の臨終の時、張昭と共に孫権を託される。
  2. 赤壁の戦いで大活躍。
    • 三国志演義ではしばしば諸葛亮に煮え湯を飲まされるが、実際にはほぼ単独で曹操軍を撃退した。
  3. 劉備を全く信用してなかった。
    • そもそも周瑜と接触した時点での劉備は、ほとんど信用されるに足る履歴を持っていなかったのだから、それもやむを得ない。信用した魯粛のほうが奇特な人と言える。
  4. 三国時代のリア王
    • 本人も「美周郎」とあだ名されたほどのイケメン。
      • 「イケてる周サマ!」というところ。
      • しかも若かった。享年なんと37。
    • 嫁の「小橋」も名だたる美人。
      • 曹操が呉を攻めたのは「小橋」と孫策未亡人「大橋」の美人姉妹を得るためだったというような噂が流れたほど。
    • 音楽にも堪能。
      • 食事の時など、流れている音楽に間違いがあると、振り返って演奏者を睨みつけた。
        • 宴会で酔っ払っていても。人はビビっていたそうな。
    • リア充でもあった。「爆発しろ」と思われていたかどうかは知らないが。
  5. ゲームとかでは、軍師扱いが多いが、どちらかというと将軍だろう。確かに頭脳明晰ではあるが。
  6. 関西弁は似合わなさそう。「天はこの世に周瑜を生んどきながら、なんで諸葛亮も生んだんや!?」
    • 実際には諸葛亮に会ったこともないし、存在も知らなかったらしい。劉備からの使者として名前くらいは聞いたかもしれないが。
      • 諸葛瑾の親族程度の認識はあったんじゃないかな。弟というのまでは知らないまでも。
        • 諸葛亮は赤壁前に外交官として孫権に会っているので、面識ぐらいはあるだろう。
          • 周瑜が孫権のところに召還される前に諸葛亮は帰国していたと思われる。その後の荊州争奪の折りも、諸葛亮が大戦略を立てているとは周瑜は全く気づいていなかった。というか、周瑜は劉備自身を自分より格下に見ていたので、劉備の家来にまで興味を持ったとは考えられない。
            • 関羽、張飛は高く評価していた。劉備に美女をあてがって骨抜きにして、関羽、張飛を自分の部下に引き抜こうとしていたし。ただし孔明は全く気にしてなかった。
  7. 大豆を発酵させて搾った液体。
  8. 周瑜黄巾賊。

魯粛

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 演義などの影響で、頼りなげな文官のイメージがあるが、実際は武官で、頭脳明晰で果断な人物だった。
    • まだ呉に仕える前、周瑜が彼の家を訪問したとき、家にあった蔵のうち半分をそのままプレゼントした。
    • 当時荊州に駐留していた関羽の元に単身乗り込み、領土(荊州南部)を奪い取ってみせた。
      • このとき関羽はぐうの音も出なかったという。
      • 戦わずに勝つという孫子の兵法をまさに体現した人物。
    • 赤壁の戦いの前に、孫権をおどかしたあたりもなかなかの骨っぽさ。
      • 「ワイはええんでっせ。曹操に降伏しても、まあぼちぼちの身分で取り立てられると思いますわ。でもあんさんはどないでっか? もともと大した家柄でもなし、どないして身ィ立てる気やねん」
        これを聞いて孫権は慄え上がり、曹操との対決を決意したと言う。
  3. 惜しむらくは、寿命には恵まれなかった。享年46。あと20年長生きしたら、どうなっただろうか。
    • 息子の魯淑が、魯粛死後ほぼ一年後生まれだというのを逆算すると、腹上死していたのかもしれないとかなんとか。
  4. 金持ちのボンボン。親族から変人呼ばわりされるほどのボンボン気質。

賀斉

  1. 演義には登場しない、呉最強の将軍。
    • 異民族討伐が主な任務だったので、演義では出番がなかった。
  2. いつも少ない兵力で出陣し、勝利を収めた。
    • 異民族の中には、彼の名を聞いただけで震え上がる者も。
  3. 合肥では、魏最強の張遼とぶつかり合い、張遼に奪われた大将旗を奪い返すという戦功を挙げる。
    • この時の張遼のチートな強さを考えれば、賀斉もどんだけ強いんだと。
    • その直後に孫権に説教。
      • 賀斉「おめえは戦下手なんだからもう少し自重汁。」
      • 孫権は「ごめんなさい」と平謝りだった。
  4. 派手好きで、鎧や盾、戦艦などにも派手な装飾を施していたという。

呂蒙

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 無学だったが、孫権に薦められて書物を読むようになり、いっぱしの軍略家となる。
    • 最初「忙しくて本なんぞ読んでられまへんわ」と逃げようとしたが、孫権はしつこく、「忙しいちゅーたらワイのほうがよっぽど忙しいわ。それでもワイはいつも本を手元に置くようにしとるんやで。何も学者になれゆーとるんやない、騙された思て読んでみ」と薦めた。しかも推薦図書まで何冊も挙げた。
    • そんなわけでたぶん最初はいやいや本を読み始めたと思われるが、だんだん面白くなったらしい。
    • この時期「呉下の阿蒙」の逸話を残す。
      • たまたま魯粛と話す機会があり、呂蒙が急に賢くなっていたので驚いた魯粛が「いやはや、呉の街の蒙ちゃんとはもう呼べんなあ」と慨嘆。
      • 「男ゆうもんはな、3日顔合わせんかったら、眼ン玉見開いてよ~く見とかんとあかんで」と逆に魯粛に説教。
        • 頑張ったのはわかるが、この上から目線はなんなんだ。
  3. 関羽を打ち破る。
    • 本人は意外と病弱で、関羽を破って間もなく病死。人々はみんな「関羽様のたたりじゃあ」と大騒ぎ。
      • 呂蒙の霊「ちゃうわ! わしゃその前から病気やったんや! 信じてくれ~!」

陸遜

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 関羽の仇討に燃える蜀軍の迎撃の指揮を執った。
    • はやる諸将を抑えて時を待ち、敵軍の戦線が延びきり疲労の色が濃くなった機を見逃さず一気呵成に責め立て、劉備を白帝城に追い込んだ。
  3. 長年に渡り呉に尽くしたが、後継者争いに巻き込まれて憤死。
    • 蓄財などは感心がなく、死亡時に何の財産もなかったらしい。

その他の武将

呂布

  1. 三国志の武将の中でも、武勇は随一。
    • 演義ではアンタッチャブルな強さ。実際個人でも強かったのだろうが、騎馬民族の部隊を率いていたからとも。
  2. 裏切り者の代名詞的な存在。
    • 本人は裏切っているつもりはなかったかもしれない。
      • 丁原「あいつは乱暴者で悪いヤツだって董太師に言われただ。だから首をとってやっただ」
      • 董卓「あいつは帝を苦しめるひどいヤツだって王司徒が言ってただ。だからこらしめてやっただ」
      • 袁術「身内を全部殺した董卓をおらが討ってやったのに、ちっともありがたがらねえで冷たかっただ。だから出てきてやっただ」
      • 袁紹「なんでおらを殺そうとするだ。こんなヤツのとこには居たくねえだ」
      • 劉備「おらがこんなに良くしてやっただに、ちょこまか動き回っておらを陥れようとするだ。ちょっくらお灸を据えてやるだ」
        • 劉備が袁術の配下の紀霊に攻められた際、仲裁に入って、「おらは戦うのは嫌えだ。人を仲良くさしてやんのが好きなんだ」と言ったのは、案外本音だった可能性もある。
  3. その格好から、ゴキブリと言われることも。
  4. イケメンだったらしい。
  5. 曹操に敗れて捕まった時、「あんたの歩兵とおらの騎兵がありゃあ天下無敵だべ。これでまあ、天下は定まったってもんだ」と本気で言った。曹操もけっこうその気になりかけたが、傍らに居た劉備が水を差したので結局処刑。
    • 呂布はこの時はじめて劉備に嫌われていたことに気づいたのであった。
      • 「こんの、大耳野郎! 裏切ってばかりいんのはおらでねえ、おめえでねえか!」というのが、呂布の絶望を込めた最後の言葉。
  6. 赤菟という最高級の名馬に乗っていた。
    • 「人中に呂奉先あり、馬中に赤菟あり」と称えられた。
    • 演義では呂布の死後、曹操から関羽に贈られたことになっているが、正史にはそんな記述は無い。それに呂布が死んだ頃には、赤菟もかなり高齢だったはず。
      • 関羽が呂布未亡人を欲しがったという話もある。後世の人々は、なんとなく呂布から関羽へいろんなものが引き継がれたイメージを持ったのかもしれない。
  7. 中国での評判は散々。裏切りはともかく、義父を2度も殺しているのが痛すぎる。(儒教的な意味で)