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{{Pathnav|バカ人物志|[[バカ人物志/中国|中国]]|[[武将伝/中国|武将伝]]|name=三国}}
==地域の噂==
==魏の武将==
*[[広島/安芸|安芸]] - [[広島市|広島]] 廿日市 [[呉市|]] [[東広島市|東広島]] 大竹 江田島 竹原 安芸高田
===夏侯惇===
*[[広島/備後|備後]] - [[福山市|福山]] [[尾道市|尾道]] 三原 府中 庄原 三次
#曹操に仕えた武将。
*[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/ 広島県庁HP]
#*曹操の挙兵当初から常に一緒に行動していた。
#*曹操の従兄弟だったらしい。
#隻眼だったので「盲夏侯」と呼ばれた。
#*片眼を戦場で射られ、矢を引き抜いたら眼球ごと抜けてしまい、それを食った……という勇ましい伝説があるが、なんぼなんでも作り話だろう。
#**横山三国志では作者曰く「別に食わせなくてもいいじゃん」ということで食べる描写はなかった。
#***演義では一応、「親から授かったこの身を無駄にしてなるものか」と叫んで食ったことになってるけどね。
#*本人は相当気にしてたらしく、このあだ名を嫌い、鏡で自分の顔を見る度に怒ってその鏡を割ってしまったと言う。
#三国志演義では数々の戦争で武功を挙げた猛将になっているが、夏侯惇が参戦したと正史に載っているのは2回だけ。しかも両方とも負け戦。
#*武功では劣っていても治水事業などで功績を挙げていたりもして、曹操が無能な人間を高位につけるわけがないので、本来は軍政家だったのかもしれない。
#*基本的に曹操の近くにいたため、記述が省かれてるだけだろう。
#最近は理想的なナンバー2として描かれることが多い。


==テーマ別の噂==
===張遼===
*[[広島の食文化]]
#曹操に使えた武将で、元は呂布の配下。
*[[広島の言葉]]
#*呂布とともに処刑されそうになった時、関羽が彼の命乞いをしたため、命を助けられることとなった。
*[[絶対条件#広島|広島人の絶対条件]]
#主に呉との戦で活躍し、呉では泣く子も黙ると恐れられた。
*[[広島の学業]]
#演義では矢が刺さった傷が元で死んだことになっているが、実際は普通に病死だったらしい。
**[[広島大学]]
#*横山三国志における矢の刺さった場所が・・・。
*[[広島出身の有名人]]
#おそらく魏最強の将軍。
*[[広島東洋カープ]]
#*呂布の配下時代は、劉備攻めの先陣を務めて散々に蹴散らし(関羽と張飛がいたはずなんだが・・・)、劉備は命からがら曹操の元に逃げ込んだ。
*[[サンフレッチェ広島]]
#*呉の合肥攻めでは少ない軍勢で孫権の本陣まで攻め込んで将軍数名を討ち取った。
*[[平和宣言都市・広島]]
*[[仁義なき広島]]
*[[広島の交通]]
**広島県のナンバープレート - [[広島ナンバー|広島]] [[中国・四国のナンバープレート#福山|福山]]
*交通機関の噂 - [[中国JRバス]] [[広島電鉄]] [[広交本社]]
*[[:Category:広島の企業|広島の企業]]
*[[広島のメディア]] - [[中国放送]] [[広島テレビ放送]] [[広島ホームテレビ]] [[テレビ新広島]]
*[[偽広島の特徴]]
*[[広島と他県の関係]]
*[[安芸vs備後]]


==広島の噂==
==蜀の武将==
#瀬戸内に沢山島があり「日本の[[エーゲ海]]」と名乗っているが「村上水軍」のイメージの方が強い。
===関羽===
#*しかも村上水軍は[[愛媛]]が本拠地
#蜀の劉備に仕えた武将。
#*瀬戸内海には1000個以上の島があるが、ほとんどが無人島。
#*義兄弟だが、「[[シスター・プリンセスファン|お兄ちゃん大好き]](おっさん声)」とか言ったりしない。
#**無人島の方がはるかに多いのは確かだが、人が住んでる島も100個以上あるんだから「ほとんど無人島」ってことはないのでは?
#智勇兼備の名将で、主君への忠義は絶大だった。
#*[[岡山]]の牛窓が「日本のエーゲ海」という意見あり。
#結構気難しいタイプだったようで、部下や領民は可愛がるが、同僚や目上の人物、他国の人々とはたびたび衝突したようだ。
#*言わないでしょう。岡山ならともかく言うかもしれないけど。
#*そのため、本来は味方であるはずの呉や、後方支援の味方まで敵に回してしまい、結局はそれが命取りになった。
#*Googleの検索件数だと、牛窓のほうが圧倒的に「日本のエーゲ海」。
#*呉「関羽殿、お宅の娘を嫁がせてくれ。我らと婚戚関係になって同盟を確固たるものにしよう」→関羽「犬に娘をやれるか!」→呉「犬だと…忘れんぞ」
#*「広島・瀬戸内海」と言ったら、「しまなみ海道」のイメージが強い。
#*後方支援「しまった、関羽への支援が足りない。怒らせると怖いし、感謝されたことないし、プライド高いし……よし、支援要請自体をなかったことにしよう」
#夜景を見に行くのはビルの上のレストランなどではなくて黄金山。
#死後、神様になった。
#*妹は、「ここだけ[[東京]]みたいじゃわ~」と言ってました。
#*なぜか武の神様ではなく、商人の守り神になった。しかも皇帝はおろか王にもなってないのに、「関帝」と名付けられた。
#*眺めは良いのですが、樹木が視界をさえぎっているところも多いです。(広島市安佐南区在住)
#**約束を必ず守る信義固さで、商取引に大事な信用の象徴→商売の神様となった。
#*デートスポット!でもそんなにカップルはいなかったなぁ~。オススメかも☆(安佐北区出身)
#**また敵中にあっても揺るがない忠誠で、後世の皇帝に「関羽を神として祭れば、ウチの部下も忠誠を尽くすだろう」と思われ、その後の皇帝に「ならば朕は『候』を贈り『関候』とするぞ」「それを倒した我が帝国は候より上の『関王』だな」「ならウチは更に『関帝』だ」「さ、更に上となると『皇』しかない…けど自分と同格では忠誠じゃないぢゃん」となった。
#*安全で誰も知らない夜景スポットが黄金山小学校の正門前。
#異様に嫉妬深いタイプでもあった。特に劉備の寵愛に関しては、自分をしのぐヤツが出現するのを絶対に許さなかった。
#*西区己斐東、これ最強。観音堂入り口バス停、己斐東小学校からの眺めは広島一。西広島駅からバスで8分
#*馬超、黄忠などに対してもものすごい敵愾心を燃やした。
#*でも結構ヤ○ザ屋さんが住んでる。恐い人が多いから注意w
#**馬超が劉備陣営に加わった時は、わざわざ諸葛亮に荊州から手紙を出して「馬超と俺とどっちが上だ?」と問い合わせた。諸葛亮はおっかなびっくり「張飛とどっこいどっこいというところ、ヒゲ殿にはとてもかないません」と機嫌をとった。
#**ヤ○ザ屋はいないよ。元カープの選手は多い。
#**黄忠を後将軍に任命する時も、諸葛亮はまだびびっていて、「同格の将軍にするなんて、雲長さんが怒りますよお」と劉備に訴えたが、劉備は「ワシがよく言い聞かせるから」と断行。案の定関羽は激怒し、「あんな老いぼれと同格なんて辛抱できん!」と荒れまくった。
#*黄金山は夜23時~翌朝5時までは立入禁止になるので遅い時間に行かないように。
#映画祭。
#ヒバゴンという怪獣がいる。
#実は劉備より年上という説が有力。
#*それも県北の西城町。
#ヒゲ。何といってもヒゲ。
#*比婆(ひば)山の怪獣なので。雪男みたいな外見らしいです。
#*これを敵の首に巻きつけて絞殺することもあった。
#*ヒナゴンという映画まで作られたが、全く認知度ゼロ。
#*専用のヒゲケースを持っていて、寝るときは痛まないようにヒゲをしまって寝ていた。
#*某キワモノノベルゲームで登場。色んな意味で脚光をあびた。
#*ヒゲがピンっと立つことによって、敵の来襲を察知できた。しかし味方の裏切りは察知できなかった。
#[[ハワイ]]の日系人が広島弁をしゃべるほど、海外移民が多かった。
#*ハワイだけではなく、[[ブラジル]]とか[[アメリカ]]とかにも多いっぽいです。ちなみに、[[北海道]]に[[北広島市]]があるのも、そのせいだとか……。
#*入植した地域の名称がすべてあるのが北海道の地名である。
# ひょっこりひょうたん島と同じ形の島がある。けれど人が住める大きさではない。
#*と言うかモデルとなった島
#**ひょうたん島のモデルは[[岩手/沿岸南部#大槌町の噂|こっち]]では?
#*完全に広島県でなく、島内を愛媛県との県境が走っている
#ポプラ(西日本のコンビニ)の本社が広島にあるという事を知っている人は少ない。
#*[[山陰]]に沢山出店しているので、あっちの方かと思っていた。
#*ちなみに100円均一のダイソーも広島に本社がある。
#*ダイソーは既に100円均一のショップではなくなった。200円、300円、500円の商品も扱ってる…。
#*ダイソーは大創産業の名から来ている。
#*ダイソーは広島市じゃなく東広島市という田舎にある。
#*ポプラの本社は安佐北区(広島市)。ポプラで弁当を頼むとレジで炊きたてご飯を詰めてくれる。
#*ポプラ本社は東京に移転するらしい噂。
#*以前九州で、「九州のコンビニはポプラやね!」とCMでやっていたためポプラの本社が福岡にあると思っている人多数。
#サンフレッチェの優勝経験を知っている人は少ない。
#*懐かしいですねぇ、もう10年以上前なんですねぇ。たしかアジア大会のあった年に優勝した覚えが。
#*前川、柳本、森山、風間、森保、高木、チェルニー、ハシェック、ノ・ジュンユン…。あの頃のメンバーは強かった。
#*バクスター監督…今は何処で何をしているのか?
#**J2落ちしたヴィッセル神戸の監督になったそうです。
#***その前は南アフリカの監督をやってました。
#*あの時カップ落として割ったよなw
#**何故か森山佳郎が割った事にされてたなw
#*サンフレッチェの応援団は、成績が良くなれば(翌年は)多くのファンが集まるけど、最近は「経営破たん」になるほど、ファンも少ないし。場合によっては、「J2での最下位が指定席」になると思うよ。
#*08年のゼロックス杯では優勝しました。というわけで戦力は悪くない。
#カープとサンフレッチェの影に隠れてはいるが、Vリーグ男子の古豪JTサンダーズ(旧専売広島)もあります。
#*ただし、成績次第では「もう、今年は負けたも当然だね。」と、辞職する人も多い。
#[[羽田空港|羽田]]から広島空港に向かう時間より、広島空港から下界に下りる時間の方が長い。
#*中心部より移転しちゃったからね。
#*ほんと、下界って感じするなあ。。
#*いかんせん遠すぎだよ。広島市と広島県の確執の結果とも。
#*県北東部の支配者、亀井様の力です。
#**ほんと無駄遣いもいいとこ。馬鹿すぎる。
#*大真面目に羽田-広島西航路を[http://www.ibexair.co.jp/ アイベックス]か[http://www.jair.co.jp/ ジェイエア]にやって欲しい。広島西飛行場に後ろ足で砂かけて撤退したジェイエアには無理かも知れないけど。
#*アクセスバスの料金も高いため、バスカードを買っておくとお得。
#*広島駅からの空港アクセスの所要時間を短縮することができるか、広島都市高速5号(一生懸命建設中!!)。
#熱しやすく冷めやすい性格
#*熱しにくく冷めやすいという説も。イベントツアーで広島の回は熱気が無いとも。
#**三連勝くらいしてやっと盛り上がってきたと思ったら、その後一敗しただけで観客減。
#*市民球場の観客動員数見れば一目瞭然。連勝し始めると観客は増えるが、負け始めるとそっぽを向いたように行かなくなる。ある面シビアなのかも。
#*広島人はオーケストラやオペラ等の『文化』に興味が薄い県民らしいから
#*あー、そうかも知れない。そういう「文化」に興味は薄い気がする。
#*地方なのにプロオーケストラ(広響)がある。オペラもそれなりに盛ん。世界的な大会・国際アニメーションフェスティバルも開催している。
#**ひょ~。
#*その象徴が、'''「広島東洋カープ」'''と、'''「サンフレッチェ広島」'''の年間の観客動員数。(成績によって、ファンの増減の変動が激しい。)
#**優勝か、それに順ずる成績だったら「観客動員数」は増加するが、(中盤以降に)成績が落ち込んでしまうと、観客動員数は激減…。
#**それどころか、この日の試合で(広島が)負けだすと、(試合の途中でも)お客さんが帰ってしまう…。
#*(サッカーの)ワールドカップの予選(または本選)の年でも、日本代表の成績や戦況次第で、テレビの視聴率に影響が…。
#秘密主義志向
#他力本願
#*正式な意味での他力本願の誤用。安芸門徒なので確かに一向宗は多いし、根付いている。
#**'''Huh?'''>正式な意味
#**ったく、これだから一向宗は…。
#*楽天主義的な人が多い気はします。
#*安芸門徒は盆の季節には灯篭を墓の周りに立てます。
#**盆灯篭、近頃はコンビニでも売ってます。盆灯篭を見ると夏だな~と感じる。
#**盆灯篭の代わりに「南無阿弥陀仏」と書かれた卒塔婆を立てる風習もあるが、西本願寺はこの風習を異安心(異端)として排斥している。
#***盆灯篭はやたらカラフルで派手。墓参りをする何も知らないお子様は、よく振り回している。
#***ちなみに初盆の人のは白色の盆灯篭を使う。
#*「寺町」という、その名の通りお寺ばかりが集まっている町がある。本願寺広島別院もここにある。異様に大きい本堂なので山陽本線広島ー横川間の車窓から目視できる。
#*一向宗系列の私立学校として崇徳学園がある。中高一貫制。
#**さらに、僧侶養成機関である学寮が観音町にある。ここで1年間の課程を修了した上で、西本願寺で習礼(研修)を受けることで、住職(教師)の免許をもらえる。
#*釈迦の誕生日である4月8日になると、一向宗主催で「入場無料」の「市民の仏教コンサート」が行われるが、入場できるのは整理券を入手できる一向宗僧侶と門徒だけで一般「市民」は排除される。ここでも安芸門徒の偽善ぶりと秘密主義志向が発揮されている。
#**もう一回言います。ったく、これだから一向宗は…。
#路面電車と車の事故がよくある
#*時々、迷子になった高速バスや観光バスも路面電車にぶつかる
#*先日パトカーも路面電車にぶつかった。
#*芸備線とシカとの事故もよくある
#*路面電車に雷が直撃したこともある。
#*'''広島人の車の運転は荒っぽい'''から、月に何回かの割合で起こっているかも…。
#*路面電車は渋滞と事故のもとだから地下鉄を通すべきだ。
#**地盤的に無理です。
#***技術的には可能らしいが、工事費が高くつくのだそう。地下鉄できても初乗り300円とかになりそう。
#*自転車、バイクで軌道を横切るときは注意しないとコケる。
#**雨で濡れたレールは特に滑りやすいよね。
#市内中心部の紙屋町‐八丁堀間は信号ごとに停留所があり、車内アナウンスは「続いて○○」「続いて××」となる。
#*昔は「続いて紙屋町」というアナウンスがありました。今は…、紙屋町西・東になったため聞くことができません。
#免許を取って初ドライブでみんな山賊という屋根なし和風ファミレスのようなところに行く。
#*広島市~岩国~山賊のコースは定番。いつ走っても気分爽快。
#*ただし、岩国~大竹間の[[国道2号|国道2号線]]はよく渋滞してます。ちなみに山賊は山口県。
#*山賊は飾り提灯がきれいなところでもあります。
#*山賊行ったことありますよ。まあー、うまかったすよ。しかし遠いよ「[[岩国]]」(by岡山人)
#*紛争勃発につき[[ノート:広島|ノート]]に移しました。
#嗜好や年収などが軒並み全国平均なので新商品投入を試すのに都合がいいらしく、よく全国販売に先駆けて広島で発売される(ex.某Mの豆腐バーガーなど。昔スーパーテレビでやってた)
#*テストマーケ地区は一般的に静岡や福岡、仙台や水戸などもあるよ。全国平均かどうかは?だけど。
#**広島でテストされるのは、まったくの新製品が多いという。仙台や水戸だとバージョンアップものがテストされるらしい。
#*2007年度版統計調査による経済指数でも最も全国平均(指数100)に近かった。ちなみに次に近かったのは静岡。
#*上記の「熱しやすく冷めやすい」性格から、ブームになり得るかを計り易いという話も。
#*『広島で事業が成功したら全国でも成功する!』らしい。
#身持ちの堅さ(浮気はしない・許さない)が全国一位。
#*昔の広島は、軍関係の施設が多かった関係上、恋愛&男女関係に対してマジメな人が多い。
#アーティストの全国ツアーで、中四国の代表都市にも関わらず素通りされることを不満に思っている
#そのおかげで西日本最大級のサマソニが生まれたじゃないか。といっても夏だけ
#*原因は観客が大勢入るような施設がないため。広島市民球場は市街地にあるため原則使用禁止されている
#*2つ、3つコンサートホールつくって欲しいわ。都市開発の一環として。インディーズはそこそこ活動してるから一応はなくてもやっていけるだろうけど
#*奥田民生の市民球場での弾き語りツアー、行きたかったなあ。
#*奥田民生のツアーで、市民球場が満員になったのを高校生や中学生は初めて見た。
#**実は隣のホテルから丸見えでした。
#*2007年8月9日に、さだまさしが長崎に向けて平和のメッセージを発するチャリティーコンサートを市民球場で開催することが決定。長崎でのコンサートはゲストが豪華なので、広島でも豪華ゲストが予想される。
#*たのきんトリオが福山にコンサートに来たとき、客の乗りが悪すぎる。二度とここでコンサートを開かない、って言ってたとか
#大人数集客できる音響効果を考慮した施設が郵便貯金ホールぐらいしかない
#*多目的施設ならいくつかある。
#紙ヒコーキを飛ばすためだけに建てた建物がある。観光としても結構人気。
#*それは広島市じゃないよ。上下か豊松か、備後にあったと思われ。
#**神石高原町(旧豊松村)に在ります。
#*大阪のテレビで取り上げられていた。
#実は軒並み、地価が結構する。平野が少ないため。福岡や札幌、仙台よりも平均地価は高い。
#*確かに地価は高い気がする。
#*広島市近郊の新興住宅地って、どこも坂やら山やらを整備している。確かにそのぶん、値段は張ってくる。
#夜景スポットは多数あるが、どの箇所も駐車場が少なく不満に思っている。
#*黄金山、絵下山、毘沙門台、高須、古田台…たしかに駐車場は少ないかな。
#*呉には灰が峰があります。なかなかのナイスビューです。すんごく風が強いけど。
#*福山のほうってあんまり夜景スポットは聞かない。あるんだろうけど。
#**グリーンラインの「ゴミの山」の横から眺めてください。
#**グリーンラインは暴走族対策の為夜間通行禁止
#*海田埠頭は駐車場は困らないけど。今夜も多数の車がいるだろうけど。
#*最近では、坂町にできた平成が浜っていう所もなかなかの様子。
#なにげにタウン情報誌が結構あるのが自慢だ。
#*ウインク・TJひろしま・フリーク…、確かに他所に比べると多いかも。
#*しかし、「ぴーぷる」がいつのまにか廃刊になっていたのが残念だった。
#**文通友達・彼氏彼女募集のコーナー、好きでした。よく出しました。
#*「レジャー広島」の表紙のダサさは、どうしようもなかった。
#**うん、確かにダサかった。「こんなにダサい娘出すなや!」と個人的には思ってました。
#この数年になって大型商業施設がガンガンできてきて、内心うれし&ホッとした。
#*観音、緑井、宇品、府中町のキリンビール跡地、呉。確かにできてきた。
#*人口115万の政令指定都市にふさわしいものがようやくできてきた感じはします。
#*中心部でなく、近郊にできてきた。中心部は土地がないものね。
#*[[JT]]跡地のイズミに期待。
#**[[松山市|海隔てた某都市]]と誤解してません?
#***誤解じゃないよ。だってゆめタウン出来たじゃん。
#↑と同様、この数年で道路整備が急速化してきて、新しくできてきた道に対応しきれていない。
#*都市高速整備、時間かかってるよなあ…まあ、しょうがないっちゃしょうがないけど。
#*東区の温品周辺見てると15年前の福岡南BP思い出す。
#*都市高速2号線は本気で建設してます。温品と天神川駅周辺は工事が活発だし、東雲は橋脚が建ってる。仁保は用地が確保されているし。
#*都市高速3号線は江波地区の住民による建設反対と観音地区の滑走路問題により、いつできるのかわからない?状態です。商工センターには建設用地まで用意してあるのに…。
#むかし、「ダイイチ」が「デオデオ」に改名した時、なんで?と思った。
#*ダイイチって第一産業じゃなかったけ?
#*そういや、ケントデリカットがよく出てた。当時のCMって。
#*けど、ヤマダ電機のほうが安そう
#*でも5年間保障があるからヤマダ電機よりいい。
#*ヤマダもベストも5年間保障やってますよねぇ、確か。
#*一部項目を[[デオデオ]]の項に移しました。
#*ついにビックカメラも広島に…、でもヨドバシは来ない。
#*ムネカネがフレスタになった時も違和感があったなぁ。
#*道下薬局の名前聞かなくなったなぁと思ったらどうもウォンツに変わったらしい
#*ユアーズはマルイシで合ってる…よね?
#冬になると、住民が総ぐるみでイルミネーションイベントをしている団地がある。
#*高須台のこと?知らんクルマが乗り付けてくるため、迷惑している住民もいるそう。
#*東の牛田に、西の高須。高級住宅地だよね。
#*高須台は西広島バイパス本線上からは近いうちに見えなくなります、遮音壁の工事をしているから。西バイ通る時の楽しみだったのに。
#*井口台もまぁまぁすごいです。ただ井口台の住民にとっては車がノロノロ運転になりホント迷惑・・・。
#**井口台はお金持ちの住む所ですから…。
#***そんなことない、
#土砂災害の発生率日本一。
#*いまだに去年の災害復旧工事行っているところが随所に…。
#台風や雪にJRが弱い。特に呉線。
#*同感。大雨の時には速攻で止まっちゃってます。単線だし、崩れやすい山の斜面とかも多そうだし。
#毎年、夏場に節水を呼びかけられるが、ジャージャーとガンガンにおかまいなく使っている。
#*基本的に、エコロジーといったものへの関心は薄いように思います。
#*福岡を見習おうよ、節水コマとかを活用するとか。
#県内に「[[マツダ]]」があるにも関わらず、大学生は堂々と他社のクルマ(Tヨタ、Sズキ)に乗っている。
#*広島の会社なのに乗っている人って少ないなあ、確かに。
#*いや、他県から見ると圧倒的にマツダ率が高い。
#**広島の交番で、ファミリアのパトカーを見た事がある。救急車もボンゴ・改だったような。
#*身の回りには最低でも2人はいるはず、マツダ関係者。
#*トヨタに乗るのがステータスの1つと思われてる風潮はある。
#*トヨタがステイタスなんて聞いたこともない。乗りたい車がマツダになければ他社の車でも乗るよ。
#*マツダが県内にあるから、とかいう考えは全くないように思うけど。
#*広島が長いと「マツダはダサい」というイメージが付くが、東京に出ると何故か「マツダ好き」になる。
#*他県では滅多に見かけないLaputaとかたくさん走ってる。岡山に入るとミニカとかが急増するけれど。
#*他県から来た友人を乗せてクルマで走っていると、目の前にLaputaが走っていたので「ラピュタは本当にあったんだ!」と言うと何故か大ウケ。
#*マツダ本社って広島市じゃないんだよな、府中町がマツダの法人税でウハウハでわざわざ広島市と合併しなくてもやっていけるから。
#*そもそも、大学の地元率がそれほど高くないから。愛知出身の人も当たり前にいるし。
#**広大の出身地別ランキングでは1位広島で2位が島根(島根県内にまともな大学がないから)で3位が福岡か兵庫らしいです。
#一般道では最低80キロ、高速では最低120キロ出さないと後ろから煽られる。
#*同感。国道2号線の出汐辺りの片側4車線区間とかまさにそう。
#*あと、2号線の大正交差点~中野東区間。ここは電車より速い。
#*追い越し車線はフリーウェイ区間だなあ、確かに。
#*広島での運転になれてしまうと、他県での運転はかったるい。
#*広島市内で運転できれば、どこでも運転できるって聞いたことあります。
#*広島は運転しやすい。運転できれば云々は京都の間違えでは?
#*なこたぁない。運転マナーの悪さは広島が一番。
#*いやいや、福岡よりマシ。過去に福岡で某バス会社の路線バスにあおられた事が…。
#**福岡では歩道を歩いているとクラクションを鳴らされます。
#*運転マナーの悪さは福岡か大阪が全国最悪だろうな。
#**大阪民国、福岡ン国、広島ンセー国、日本の中の韓国世界って感じ。
#**広島はかつて臨時で大本営があり、呉で戦艦大和も生み出した紛れもない日本国の一部だ。チョンコロなんかとごちゃ混ぜにするな(…ンセー国なんて聞いたことねえよw)。
#*それらを軽々超えてゆく愛知県…車がエライと思ってるからかも。
#**愛知(特に名古屋市内)は複数の車線をまたいでの進路変更をごく当たり前にやってますから…。
#**わしらぁも「名古屋走り」見習わなきゃいけんのぅw
#**名古屋県はトヨタ様のモノなので当然自動車が最優先、無灯火ウィンカーなしで中央よりの車線からブレーキかけずに左折は日常茶飯事
#*[[山陽自動車道]]の推奨走行速度は最低でも130キロ以上。追越車線をどかないバカは、たとえ長いトンネル内の車線変更禁止区間であろうが走行車線や登坂車線から捲るまでのこと。
#*少なくとも、中四国ワースト1であることだけは確実。しかし逆に、それは広島であることの誇り。
#駐車場の身障者用スペースは有名無実化している。
#*確かに。ガンガンにみんな、当たり前の顔して停めてるように思います。
#*時には軽自動車までが広いスペースを占領してたりね。
#*それは広島だけじゃない。国民全体のモラルの問題でしょ。
#*同感。身障者用のスペースに車を置かないなんて、日本全国だんだんなくなってきてるのでは?
#*カタワを甘やかす必要なんかない。
#*無駄に空いたスペースは効率良く使えたら最善だ。
#*関東に一時引っ越しててその後広島に帰ってきたら、結構色んな所で身障者スペースに車が停まってなくて驚いたけどなぁ。向こうは身障者スペースが開いてることがほとんどない。
#三原には、阿波踊りのルーツの、ヤッサ踊りがある。
#*ルーツだったの?知らなかった。三原の銘菓は「ヤッサ饅頭」。
#*で、ヤッサ饅頭の若社長の結婚の模様は日テレ系列「笑ってコラえて!」の日本列島結婚式の旅のコーナーに出てきた。
#*三原東高校卒の有名人は一文字弥太郎(ラジオパーソナリティ)です。
#*誰?それ。誰もが知ってるもっと有名な人おらんの。
#*三原ではムリかなあ。全国的有名人って。
#*真偽は不明だけど、野々村真の奥さんが、三原出身って聞いた事があるけど……。
#*たぶん真。現在の如水館高校出身。野々村夫妻の目撃情報多数。
#**当時は緑ヶ丘女子というズベ公学校だった。
#*10年くらい前だけど、三原のジャスコに夫婦で来てトークしてた。
#市内から西条方面へ移動しようとすると、断然電車の方が早い。
#*制限時速を無視して信号にひっかからずNon-Stopで行くことができなければ、電車と車が平行移動する場合は大抵どこでもそうなる。しかし可部線の場合は微妙かも。
#*矢野、八本松間の長さは異常。
#**瀬野-八本松間じゃ?
#「瀬戸ポン」は有名
#*ちなみに瀬戸内高校の事
#*言われてみれば山陽や崇徳、広陵はポンをつけて言いませんね…。
#「電車」といえば市内電車のこと。JR線は「汽車」という。
#*「電車」といえば広電のこと。JR線はJR。芸備線は汽車という。
#**芸備線はガソリン車。
#***違う、ディーゼル車。
#*修学旅行で路面電車を使ったとき路線バスに抜かれた。
#*いや、それは聞いた事無い。路面電車を広電、JRは基本的に電車、汽車を混同。
#*30代後半以降のネイティブは、広電を「電車」、JRを「汽車」と呼ぶ。
#*路面電車は「市電」、JRは「JR」。
#*大雪が降ったら止まる。
#ホームレス「広島 太郎」は実は名家の人
#*「広島太郎」の前身である「八丁堀太郎」今の広島太郎は2代目であり、初代は虚ろとゆう言葉がぴったりでアブナかった。
#もののけ姫に出てくる動物よりでかい動物が県内のいたるところを闊歩している。よく車で遭遇してボコボコにされる。山側だろうが島側だろうがシカやイノシシは道路できちんと棲み分けされている。
#距離感が異様に近い。初対面からタメ口を聞かれることがしばしば。
#レジャー施設が異様に少ない。
#*広島市近郊に海水浴場が存在しない。よって海水浴をする為に、市外まで出る必要が有る。
#**いや、ちゃんとあるよ、似島(南区)に。
#広島と言えば、昔から'''都市部では「ヤクザ&ヤンキーが多い」'''と話に聞きますが、それは(少なからず)「例の映画」や「えびす講」の影響によるかも。([[仁義なき広島]]参照)
#*でも実際、銀山町とか恐いよ
#*都町や福島町あたりは恐いと聞いたことあります。
#広島風お好み焼きはキャベツさえあれば作れる。関西風=蕎麦なし 広島風=蕎麦有りという区別は間違い。但し、作るのは簡単ではない。
#*本当につくったことあるのか?キャベツ以外に卵、豚の三枚肉、生地、そば、またはうどんが最低必要。キャベツだけならお好み焼きではないキャベツ焼きになる。
#*高校の近くとかにあるお好み焼き屋じゃ、ちゃっと”そば玉肉入り”と注文せんと、生地の間にキャベツとモヤシしか挟んでない代物が出てくるよ。
#*初耳。蕎麦かうどんか入ってないと成立しないと思うが・・・。
#レジャーといえば遊園地・テーマパークの類が全然流行らないで潰れる、タウン誌は多いのになぜだ・・・
#*昔は広島ナタリーがあった、そこに呉ポートピアランドができて客を食い合い、結局共倒れしたという悲しい歴史があるんよ。
#今夏の甲子園の決勝戦は絶対に忘れられない屈辱の試合だと思った人が多数。とくにこの1戦で佐賀県民とは仲良く出来ないと思う人も多数。
#紙と竹でできた盆灯篭は全国でも同じように売ってるものだと思うとりました。
#*県外の人が盆灯篭を見て『何なの、あの派手なアレは』と言われ、今まで当たり前だと思っていたのでショックでしたなぁ。
#熱し易く冷め易い、敗色濃厚だと投げやり、車の運転が荒い、他力本願の都合のいい楽天主義者・・・。はっきりいって広島人気質は[[韓国]]の国民性そのものです。同じく韓国気質の[[福岡]]人とも仲が良いのも実に頷けます。
#*韓国と一緒にするな!!!!
#*韓国と一緒にするなといっても項目34見れば異常性は一目瞭然。少なくとも日本人気質ではない。
#**一目瞭然(笑)ソースはchakuwiki・・・
#**チョンと関連づける事でしか他県を貶める事が出来ない低脳の事なんか無視でヨロ。
#*まぁ…例えば'''敬語にあたる方言がほぼ皆無'''というのを考えたとき、他者への思いやりとか、謙譲の美徳とか、そういう物を持っていないことは心に留めておこう。カープへのデレのないツンな態度もそうだろう…
#**待て待て、仁義なき戦いの他のキャストの金子信夫に対する科白、あれは敬語じゃないんか? あと他所に出て問題視される”~しちゃったんと”とか、消えた代表的広島弁、”がんす”とかあるじゃん。
#これといった特徴がない。宮島と原爆ドームが無ければ、観光客はスルー。
#*世界遺産クラスが二つもあれば十分である。一つもないのに観光都市で成り立ってる所は他にあるんだから。
#戦争について直接の責任を何も持たない高校生が金を払って修学旅行で韓国に行き、韓国一般市民の前で延々と土下座させることを是とするとんでもない学校がある。バックに売国的左翼過激派テロ集団の存在がある。しかも、所属している教職員がほとんど。
#*他県の人と高校生活の思い出を話しているうちに「あまりに歪んだ教育を受けてたんだな…。」と県外に出て初めて気付く。
#熊本と並んでハンドボールが盛ん。県内に男女とも強豪が本拠地を置く(湧永製薬とメイプルレッズ)。
#*地元FMで応援番組がある。
#行列に並ぶのは大嫌い。ラーメン一杯食べるのに何時間も並ぶ東京人が理解出来ない。というか、頭おかしいくらいに思っている。
#*同様のケースと言えば、(広島出身者から見た)「最近のコミックマーケット事情」や「東京観光」も挙げられる。
#地球で初めて原子爆弾が落とされた。
#*地上で爆発したのは2回目だったけどね
#*そのためか、今でも広島県民は「'''(「タ○ムボ○ン」シリーズの)敵メカの爆発シーン&ド○ロ雲'''」を見ると、(腹の中で)憤りを感じる人が多い…。(特に1970年代より前に生まれた人は。原爆を連想してか)
#カレーライスに生卵を入れて食べる習慣がある。
#*あとウスターソースもぶっかけるな。会社(東京)で山口県人に広島県人丸出しって言われたよ
#*カレーに生卵入れんの広島の風習?うちでもたまにやるんだけどby周防出身
#*テレビで「大阪ではカレーに生卵を入れる」とか言うのを見るまで一度も見たことがなかったのだが・・・。
#社会見学で何度か原爆資料館へと足を運ぶ機会があり、思春期に鬱が刻まれ成長する
#実は「かっぱえびせん」で有名なカルビーの発祥地である。
#*広島駅前にカルビーのジャガイモがポテチに変わっていくネオンサインがあったことは、既に過去の歴史
#岡山に異常な対抗意識があるのは内緒なので触れてはならない事項である。
#*そんな事ない。むしろ岡山が広島に対抗意識を燃やしている。
#**いや役所はともかく、岡山県民は広島のことを思い出しもしないよ。でも広島は自分を地方の中心と思っていて、それで喧嘩に
#*岡山「岡山の方が広島より都会」→広島「どこがぁ?」→岡山「駅前見れば一目瞭然」という喧嘩方程式
#*そうだったの?
#アメリカのナンシー・ペロシ議員は原爆死没者慰霊碑で献花を行った最高クラスの人物である
#*ペロシ米下院議長はアメリカの国賓として、世界的にはヨハネ・パウロ二世になるだろうか
#広島の気象台はがんこ。周囲の県は全て大雨洪水警報が出ていても、広島だけは注意報すら出てない事もよくある。学生泣かせ。
#*でもJRはあっさり止まっている
#日米政府間では「過去の事についてはお互い言うのはやめましょう」という事になっているが、広島市民は原爆問題ではたまにもめる。
#*例えば広電のに原爆ドームと厳島神社を並べて紹介した沿線案内を掲示し「広島が誇る世界遺産」として紹介した事や原爆切手問題で広島からは抗議になった事。
#新幹線の駅が多すぎやしないか?
#JRの電車はとにかくボロい。未だに非冷房が当たり前。
#*東京・名古屋・大阪ではすでに引退した113系が2009年になって新型車両として投入された。


===広島県内の地域性===
===張飛===
#広島市周辺の人たちがいう「市内」とは、広島市中心部。
#関羽と同じく、蜀の劉備に仕えた武将で、劉備、関羽と義兄弟になった。
#*呉や廿日市、東広島の人たちって確かにそう使っていますね。
#武勇は蜀軍の中でもトップクラスで、智略もあったようだ。
#*さらに、八丁堀とか紙屋町辺りの商業エリアっていう感じがします。
#*でも[[コーエーテクモゲームス|コーエー]]のゲーム・三国志シリーズでは、知力が異様に低くなっている。
#*市内とは6本の川の内側ですね。
#関羽とは逆に、同僚や目上の人物からの受けは良かったが、部下や領民には厳しかったようだ。
#*でもよく言われるのは「7つの川」。猿候川・京橋川・元安川・本川・天満川・福島川(今はない)・山手川(現太田川放水路)
#*関羽と同じく、それが命取りとなり、部下に寝首を掻かれてしまった。
#**大阪環状線の駅名が3つほど紛れ込んでる?
#*劉備から「おめえさんは手下を殺しすぎらあ。しかも殴ったヤツを平気で自分の側に置いてるってえじゃねえか。危ねえよそりゃあ」と忠告されたが、聞かなかったらしい。
#*7本目は光り輝く「流川」かと思ってた。
#**それどころか、「いや兄貴、俺だって考えちゃあいるんだぜ。ぶん殴る手下は身寄りが少ないヤツにしてるんだ。そうすりゃ下手うって殺しちまっても、後で仇を討たれる心配はないからよお」と答えたとも言う。本当だとしたら実はとんでもなくイヤなヤツである。
#**うまい!
#**案の定、虐待した部下たちに殺された。劉備は張飛の副官から報告が来たことを聞いただけで、<BR>「あちゃあ~、益徳が死んじまったか~orz」と落胆したそうな。
#*元々は「旧広島市」を指す意味で、合併して広島市民となった安佐南・安佐北区民等が使っていた名残。
#死後は、三国志の人物ではNo.1の人気者になり、京劇などでは主人公になったりと大忙し。
#*湯来町も広島市! 信じられねえ。
#『はるひ』ではない。
#*湯来と五日市は別の区にすべきでは?(たとえば佐伯北区と佐伯南区!)
#*[[涼宮ハルヒファン|宇宙人や未来人、超能力者に興味があったわけではない]]
#**無理無理、湯来は人口はorz(区に出来る訳がない
#得意技は燕返し。
#*西風新都あたりと一緒になって「新西区」とか。「広島市新西区」イイ(・∀・)
#現在の重慶では、張飛が酒の当てにしていたという料理が現存しているらしい。
#**いや、極めてダサい。
#***その前に安佐北区分裂。
#広島人は中区本通に行くことを「街に行く」と言う。
#*街に自転車で行くことができる距離に住んでいることがステータス。
#*家のすぐ近くに電停があると言うのもステータス。
#広島市は公園、緑が比較的多い
#広島にも関西風お好み焼きがある。(お好み焼きの徳川)
#*広島の会社なのに関西風がメインという変わった店である(広島風もある)
#*広島風の店ならそこら中に有るし企業として差別化のためか?
#*蛇足ながら広島風お好み焼きを広島焼きと呼ぶのは争いの元である
#同じ広島県民でも、(福山&尾道&三原などの)備後地方の住民は、「世間が一くくりにしている、広島県民のイメージ」を腹の中で嫌っている。
#*備後地方の住民の性格は、むしろ'''[[岡山]]県民'''とほぼ似ている。
#**だからといって'''岡山ごとき'''と一緒くたにはされたくはない気質がある。
#**[[安芸vs備後]]の項も参照。
#JRの電車がとにかくボロばっかり。東京や大阪では引退した113系が新車として投入された。


==広島の待ち合わせスポット==
===趙雲===
#広島/福山駅の釣り人<br>[[画像:1064330347-turibito.gif]]<br>(by 薔薇子)
#公孫瓉から蜀の劉備に乗り換えて活躍した武将。
#広島市中区江波の「おさんぎつね」
#三国志演義を読むと、けっこう見せ場が多くて、関羽・張飛に次ぐ地位に居たように見えるが、実は意外と重用されていない。
#広島駅南口の噴水。通称「銀の尻」
#*乱戦の中から阿斗を救ったとか、孫氏(孫権の妹で劉備の妻)が里に帰る時に阿斗を連れ出したのを奪回したとかいうのは作り話だし。
#広島市中区紙屋町のそごうの時計前。
#**阿斗を救ったのは事実。というか正史の本文にはそれしか功績らしいものは見当たらなかったりする…
#広島市中区パルコ本館裏のアリスガーデン。
#*益州攻略戦や夷陵の戦いなど、劉備にとって重要な戦争にはほとんど置いてきぼりをくらっていたし。
#広島市中区パルコ本館前。テレビ宣言の街角中継で夕食内容の予想が行われる。
#*「五虎将軍」に加えられたというのも「演義」の創作で、実際には、馬超と黄忠が関羽・張飛と同格の将軍に任命された時に外されていたし。
#*今は中継してません。
#**馬超は涼州軍団を率いており、黄忠は荊州勢のまとめ役みたいな立場だったので幹部に取り立てざるを得なかったが、趙雲は個人的就職だったので選に漏れたのだろう。
#尾道駅前の芝生。
#**実のところ、魏延よりも地位は低かったという説もあるし…
#劉備が関羽の復讐戦に猛り立った時、ただひとり冷静な意見を述べて反対した。
#*この辺のクールさが、情に走りがちな劉備陣営ではやや異質な感じだったのかも。
#**そもそも出兵に反対したという事自体、信憑性が低いけどね。
#三国志演義で脚色された部分を見ても、将としての活躍というより、個人的な武勇伝ばかり。たぶん軍勢を進退させる能力はあんまり無かったと思われる。
#*実際には劉禅の警護役みたいな立場だったように感じられるんだが、どうかな。趙雲が死んだ時に劉禅が大変心のこもった弔辞を送っているのは確かなようなので。
#昔見た実写映画(タイトル忘れた)では、馬上でバク転してた。
#某ゲームのおかげで美青年という印象が日本では植え付けられたが、劉備達よりも年上だったらしい。
#*漢中攻略戦の際、敵将が趙雲と聞いた曹操が「あの老いぼれ、まだ生きていたのか?」と述べたそうな。
#*中国で老将というと彼のことを指すとか。


==広島の冷蔵庫==
===馬超===
*もみじ饅頭
#蜀の五虎大将の一人として知られるが、元は西涼に割拠していた群雄である。
*[[オタフクソース]]
#演義では処刑された父・馬騰の仇討ちで兵を挙げるが、正史では逆に彼が兵を挙げたことで馬騰が処刑されている。
*牡蠣
#CV:服巻浩司
*広島菜漬
#おっかし~なかぶとをか~ぶる~♪<!--(わかる人にはわかるネタ)-->
*はっさくゼリー(このキャラクターは地味に人気があるようだ)
*かき醤油
*がんす
*薔薇(福山市のみ)
*尾道ラーメン(阿藻珍味製)
*男たちの大和カレー
*(一時代前までは)'''ぷよまん'''
*広島風お好み焼き
*やき餅咲ちゃん
*カープソース(県北だけ?)
**県北だけではないですよ。
*広島風つけ麺(広島名物としての知名度低い)
*あなごちくわ、鯛ちくわ(それも'''いずの'''のちくわ)
*せんじがら
*広島納豆(大粒・1パック売り)
*でべら(鰈の干物)
*乳団子(庄原限定)
*ヒロツクの子持ち昆布
*観音ねぎ
*ますやみそ
*チチヤスヨーグルト
*アヲハタジャム
*モーツァルトのティラミス
*アンデルセンのパン
*ふるさとレモン
*旅行の友(ふりかけ)
*寺岡家のたまごにかけるお醤油


[[Category:広島|*]]
 
[[Category:日本の都道府県|ひろしま]]
===黄忠===
[[Category:中国地方|ひろしま]]
#荊州平定後に劉備の配下となった武将。
[[Category:●島|ひろしま]]
#演義では五虎大将の一人。正史では関羽、張飛、馬超と同格の将軍に任命される。
#老将として知られており、現在でも老いてますます意気盛んな人を彼になぞらえて「老黄忠」と言うとか。
#弓の名手だったらしい。
 
===魏延===
#蜀の将軍で、劉備には絶賛されたが、諸葛亮とは反りが合わなかった。
#*劉備に絶賛されたからこそ、諸葛亮に疎まれたんだろう。
#諸葛亮の死後、実権を握ろうとして、楊儀と争い処刑された。
#*要は、蜀の荊州閥の勢力争いに敗れただけ。
#後世の扱いはひどい。
#*演義では完全に悪者扱い。
#*実力ある将軍だったのに・・・・・・。
#*墓をぶっ壊されてその上に線路を敷かれているらしい。
#魏との国境に近い漢中の太守を劉備から任され、大過なく治める。実は行政能力もけっこうあった。
#*最前線の司令官兼行政官として、魏の攻略法を考案し練り上げていたと思われる。その結果が長安への電撃侵攻作戦だったが、諸葛亮に一蹴される。そりゃ腐るわな。
#**後世にも、諸葛亮の言い分に理があったと認める人が多いが、魏延の作戦が通っていたらどうなっていただろうか。
#***実はこの作戦の記述は『魏略』によるもので、信憑性は低い。彼がこの作戦を本当に提案したのかは疑わしい。
#***仮にも漢を名乗る政権が長安を奪取すると言うことは、諸侯が雪崩を打って寝返る可能性もなきにしもあらずということか?
#困った人を放っておけない、情に厚い人間だったらしい。魏延金だけに。
 
===楊儀===
#蜀の武将というより文官。だが文官の項目がないので、ここにした。
#魏延の喧嘩相手として有名。
#*だが蜀建国の頃に上司の劉巴に逆らって左遷されている辺り、よく人と衝突するタイプだったようだ。
#魏延との対比で、魏延が劉備に、楊儀が諸葛亮に抜擢されたと思われがちだが、実は彼も劉備が抜擢した武将だ。
#*しかもかなりの高評価だったようだ。
#**ちなみに最初は関羽に仕えていたが、関羽の推薦で劉備の直臣になったという経歴がある。関羽からも認められていたようだ。
#***関羽がもてあまして劉備に押しつけたんだと思ってた。
#軍事には素人だったが、事務官としてはチートだったらしい。
#*軍事チートと事務官チートの対立。孔明も頭を悩ませるわけだ。
#最期は『魏に仕えていたらここまで落ちぶれなかっただろう』と不満を言った『'''として'''』、逮捕、投獄され『自殺』した。
#*楊儀が容疑者になってしまった。
 
===姜維===
#諸葛亮が晩年に見出した蜀の武将。
#末期の蜀軍を支え、しばしば魏に侵攻しようとした。
#*ずっと侵攻したがっていたのを、蒋琬や費褘に抑えられていたというのが実情。費褘が暗殺された途端に活発に軍事行動を始めた。
#*このため、三国志演義の読者からは人気が高いが、実際には姜維の連年の軍事行動で蜀の財政が著しく疲弊し、滅亡を早めたとも言える。
#**これが魏の狡猾な計略で、'''死間'''として姜維を送り込んでいたとか言うのだったら、びびるがなぁ。
#*後主・劉禅とその周辺に嫌われたのは主にそのせいで、宦官・黄皓の讒言があったためではない。
#*とはいえ、涼州方面に軍事拠点を作られてしまうと蜀が終わってしまうという現実があったわけで、北伐は別に私利私欲で行われたわけではない。
#*実際、蜀の存在意義は「魏を倒して漢を復興させる」だから魏への侵攻は間違いではなかったが、内政が整わない状態で侵攻していたのが問題だった。
#魏の鍾会が攻め込んでくるとかなわず降参。口ほどにもないヤツである。
#*あんまりだというので、後世の人は「鍾会に降ったのは計略で、機を見て鍾会を倒し、劉禅を救い出して蜀を再建するつもりだったのだ」ということにしたが、ほどなく殺されているため、そんなつもりがあったかどうかはわからない。たぶん作り話。
#*× 鍾会が攻めてきたので降参  ○鍾会と対峙中に'''首都の劉禅が降参'''
#*ちなみに降伏後に鐘会と手を組んで反逆を試みたが、どさくさに紛れて兵士に切り刻まれて殺されてしまった。
#生'''姜'''の繊'''維'''。
#*生'''姜'''の'''維'''新とも言う。
#死後に腹を切り裂いたら、肝が一升ほどの大きさって・・・。人間ちゃうやろ。妖怪か何かか。
 
==呉の武将==
===周瑜===
#孫策・孫権に仕えた武将。
#*孫策とは幼馴染みで、しかも相聟(嫁さん同士が姉妹)。
#*孫策の臨終の時、張昭と共に孫権を託される。
#赤壁の戦いで大活躍。
#*三国志演義ではしばしば諸葛亮に煮え湯を飲まされるが、実際にはほぼ単独で曹操軍を撃退した。
#劉備を全く信用してなかった。
#*そもそも周瑜と接触した時点での劉備は、ほとんど信用されるに足る履歴を持っていなかったのだから、それもやむを得ない。信用した魯粛のほうが奇特な人と言える。
#三国時代の'''リア王'''。
#*本人も「美周郎」とあだ名されたほどのイケメン。
#**「イケてる周サマ!」というところ。
#**しかも若かった。享年なんと37。
#*嫁の「小橋」も名だたる美人。
#**曹操が呉を攻めたのは「小橋」と孫策未亡人「大橋」の美人姉妹を得るためだったというような噂が流れたほど。
#*音楽にも堪能。
#**食事の時など、流れている音楽に間違いがあると、振り返って演奏者を睨みつけた。
#***宴会で酔っ払っていても。人はビビっていたそうな。
#*リア充でもあった。「爆発しろ」と思われていたかどうかは知らないが。
#ゲームとかでは、軍師扱いが多いが、どちらかというと将軍だろう。確かに頭脳明晰ではあるが。
#関西弁は似合わなさそう。「天はこの世に周瑜を生んどきながら、なんで諸葛亮も生んだんや!?」
#*実際には諸葛亮に会ったこともないし、存在も知らなかったらしい。劉備からの使者として名前くらいは聞いたかもしれないが。
#**諸葛瑾の親族程度の認識はあったんじゃないかな。弟というのまでは知らないまでも。
#***諸葛亮は赤壁前に外交官として孫権に会っているので、面識ぐらいはあるだろう。
#****周瑜が孫権のところに召還される前に諸葛亮は帰国していたと思われる。その後の荊州争奪の折りも、諸葛亮が大戦略を立てているとは周瑜は全く気づいていなかった。というか、周瑜は劉備自身を自分より格下に見ていたので、劉備の家来にまで興味を持ったとは考えられない。
#*****関羽、張飛は高く評価していた。劉備に美女をあてがって骨抜きにして、関羽、張飛を自分の部下に引き抜こうとしていたし。ただし孔明は全く気にしてなかった。
#[[大豆]]を発酵させて搾った液体。
#周瑜黄巾賊。
 
===魯粛===
#孫権に仕えた武将。
#演義などの影響で、頼りなげな文官のイメージがあるが、実際は武官で、頭脳明晰で果断な人物だった。
#*まだ呉に仕える前、周瑜が彼の家を訪問したとき、家にあった蔵のうち半分をそのままプレゼントした。
#*当時荊州に駐留していた関羽の元に単身乗り込み、領土(荊州南部)を奪い取ってみせた。
#**このとき関羽はぐうの音も出なかったという。
#**戦わずに勝つという孫子の兵法をまさに体現した人物。
#*赤壁の戦いの前に、孫権をおどかしたあたりもなかなかの骨っぽさ。
#**「ワイはええんでっせ。曹操に降伏しても、まあぼちぼちの身分で取り立てられると思いますわ。でもあんさんはどないでっか? もともと大した家柄でもなし、どないして身ィ立てる気やねん」<BR>これを聞いて孫権は慄え上がり、曹操との対決を決意したと言う。
#惜しむらくは、寿命には恵まれなかった。享年46。あと20年長生きしたら、どうなっただろうか。
#*息子の魯淑が、魯粛死後ほぼ一年後生まれだというのを逆算すると、'''腹上死'''していたのかもしれないとかなんとか。
#金持ちのボンボン。親族から変人呼ばわりされるほどのボンボン気質。
 
===賀斉===
#演義には登場しない、呉最強の将軍。
#*異民族討伐が主な任務だったので、演義では出番がなかった。
#いつも少ない兵力で出陣し、勝利を収めた。
#*異民族の中には、彼の名を聞いただけで震え上がる者も。
#合肥では、魏最強の張遼とぶつかり合い、張遼に奪われた大将旗を奪い返すという戦功を挙げる。
#*この時の張遼のチートな強さを考えれば、賀斉もどんだけ強いんだと。
#*その直後に孫権に説教。
#**賀斉「おめえは戦下手なんだからもう少し自重汁。」
#**孫権は「ごめんなさい」と平謝りだった。
#派手好きで、鎧や盾、戦艦などにも派手な装飾を施していたという。
 
===呂蒙===
#孫権に仕えた武将。
#無学だったが、孫権に薦められて書物を読むようになり、いっぱしの軍略家となる。
#*最初「忙しくて本なんぞ読んでられまへんわ」と逃げようとしたが、孫権はしつこく、「忙しいちゅーたらワイのほうがよっぽど忙しいわ。それでもワイはいつも本を手元に置くようにしとるんやで。何も学者になれゆーとるんやない、騙された思て読んでみ」と薦めた。しかも推薦図書まで何冊も挙げた。
#*そんなわけでたぶん最初はいやいや本を読み始めたと思われるが、だんだん面白くなったらしい。
#*この時期「呉下の阿蒙」の逸話を残す。
#**たまたま魯粛と話す機会があり、呂蒙が急に賢くなっていたので驚いた魯粛が「いやはや、呉の街の蒙ちゃんとはもう呼べんなあ」と慨嘆。
#**「男ゆうもんはな、3日顔合わせんかったら、眼ン玉見開いてよ~く見とかんとあかんで」と逆に魯粛に説教。
#***頑張ったのはわかるが、この上から目線はなんなんだ。
#関羽を打ち破る。
#*本人は意外と病弱で、関羽を破って間もなく病死。人々はみんな「関羽様のたたりじゃあ」と大騒ぎ。
#**呂蒙の霊「ちゃうわ! わしゃその前から病気やったんや! 信じてくれ~!」
 
===陸遜===
#孫権に仕えた武将。
#関羽の仇討に燃える蜀軍の迎撃の指揮を執った。
#*はやる諸将を抑えて時を待ち、敵軍の戦線が延びきり疲労の色が濃くなった機を見逃さず一気呵成に責め立て、劉備を白帝城に追い込んだ。
#長年に渡り呉に尽くしたが、後継者争いに巻き込まれて憤死。
#*蓄財などは感心がなく、死亡時に何の財産もなかったらしい。
 
==その他の武将==
===呂布===
#三国志の武将の中でも、武勇は随一。
#*演義ではアンタッチャブルな強さ。実際個人でも強かったのだろうが、騎馬民族の部隊を率いていたからとも。
#裏切り者の代名詞的な存在。
#*本人は裏切っているつもりはなかったかもしれない。
#**丁原「あいつは乱暴者で悪いヤツだって董太師に言われただ。だから首をとってやっただ」
#**董卓「あいつは帝を苦しめるひどいヤツだって王司徒が言ってただ。だからこらしめてやっただ」
#**袁術「身内を全部殺した董卓をおらが討ってやったのに、ちっともありがたがらねえで冷たかっただ。だから出てきてやっただ」
#**袁紹「なんでおらを殺そうとするだ。こんなヤツのとこには居たくねえだ」
#**劉備「おらがこんなに良くしてやっただに、ちょこまか動き回っておらを陥れようとするだ。ちょっくらお灸を据えてやるだ」
#***劉備が袁術の配下の紀霊に攻められた際、仲裁に入って、「おらは戦うのは嫌えだ。人を仲良くさしてやんのが好きなんだ」と言ったのは、案外本音だった可能性もある。
#その格好から、[[ゴキブリ]]と言われることも。
#イケメンだったらしい。
#曹操に敗れて捕まった時、「あんたの歩兵とおらの騎兵がありゃあ天下無敵だべ。これでまあ、天下は定まったってもんだ」と本気で言った。曹操もけっこうその気になりかけたが、傍らに居た劉備が水を差したので結局処刑。
#*呂布はこの時はじめて劉備に嫌われていたことに気づいたのであった。
#**「こんの、大耳野郎! 裏切ってばかりいんのはおらでねえ、おめえでねえか!」というのが、呂布の絶望を込めた最後の言葉。
#赤菟という最高級の名馬に乗っていた。
#*「人中に呂奉先あり、馬中に赤菟あり」と称えられた。
#*演義では呂布の死後、曹操から関羽に贈られたことになっているが、正史にはそんな記述は無い。それに呂布が死んだ頃には、赤菟もかなり高齢だったはず。
#**関羽が呂布未亡人を欲しがったという話もある。後世の人々は、なんとなく呂布から関羽へいろんなものが引き継がれたイメージを持ったのかもしれない。
#中国での評判は散々。裏切りはともかく、義父を2度も殺しているのが痛すぎる。(儒教的な意味で)
 
[[Category:バカ人物志/中国|ふしようてんさんこく]]
[[Category:三国志|ふしよう]]

2016年1月26日 (火) 15:10時点における版

魏の武将

夏侯惇

  1. 曹操に仕えた武将。
    • 曹操の挙兵当初から常に一緒に行動していた。
    • 曹操の従兄弟だったらしい。
  2. 隻眼だったので「盲夏侯」と呼ばれた。
    • 片眼を戦場で射られ、矢を引き抜いたら眼球ごと抜けてしまい、それを食った……という勇ましい伝説があるが、なんぼなんでも作り話だろう。
      • 横山三国志では作者曰く「別に食わせなくてもいいじゃん」ということで食べる描写はなかった。
        • 演義では一応、「親から授かったこの身を無駄にしてなるものか」と叫んで食ったことになってるけどね。
    • 本人は相当気にしてたらしく、このあだ名を嫌い、鏡で自分の顔を見る度に怒ってその鏡を割ってしまったと言う。
  3. 三国志演義では数々の戦争で武功を挙げた猛将になっているが、夏侯惇が参戦したと正史に載っているのは2回だけ。しかも両方とも負け戦。
    • 武功では劣っていても治水事業などで功績を挙げていたりもして、曹操が無能な人間を高位につけるわけがないので、本来は軍政家だったのかもしれない。
    • 基本的に曹操の近くにいたため、記述が省かれてるだけだろう。
  4. 最近は理想的なナンバー2として描かれることが多い。

張遼

  1. 曹操に使えた武将で、元は呂布の配下。
    • 呂布とともに処刑されそうになった時、関羽が彼の命乞いをしたため、命を助けられることとなった。
  2. 主に呉との戦で活躍し、呉では泣く子も黙ると恐れられた。
  3. 演義では矢が刺さった傷が元で死んだことになっているが、実際は普通に病死だったらしい。
    • 横山三国志における矢の刺さった場所が・・・。
  4. おそらく魏最強の将軍。
    • 呂布の配下時代は、劉備攻めの先陣を務めて散々に蹴散らし(関羽と張飛がいたはずなんだが・・・)、劉備は命からがら曹操の元に逃げ込んだ。
    • 呉の合肥攻めでは少ない軍勢で孫権の本陣まで攻め込んで将軍数名を討ち取った。

蜀の武将

関羽

  1. 蜀の劉備に仕えた武将。
  2. 智勇兼備の名将で、主君への忠義は絶大だった。
  3. 結構気難しいタイプだったようで、部下や領民は可愛がるが、同僚や目上の人物、他国の人々とはたびたび衝突したようだ。
    • そのため、本来は味方であるはずの呉や、後方支援の味方まで敵に回してしまい、結局はそれが命取りになった。
    • 呉「関羽殿、お宅の娘を嫁がせてくれ。我らと婚戚関係になって同盟を確固たるものにしよう」→関羽「犬に娘をやれるか!」→呉「犬だと…忘れんぞ」
    • 後方支援「しまった、関羽への支援が足りない。怒らせると怖いし、感謝されたことないし、プライド高いし……よし、支援要請自体をなかったことにしよう」
  4. 死後、神様になった。
    • なぜか武の神様ではなく、商人の守り神になった。しかも皇帝はおろか王にもなってないのに、「関帝」と名付けられた。
      • 約束を必ず守る信義固さで、商取引に大事な信用の象徴→商売の神様となった。
      • また敵中にあっても揺るがない忠誠で、後世の皇帝に「関羽を神として祭れば、ウチの部下も忠誠を尽くすだろう」と思われ、その後の皇帝に「ならば朕は『候』を贈り『関候』とするぞ」「それを倒した我が帝国は候より上の『関王』だな」「ならウチは更に『関帝』だ」「さ、更に上となると『皇』しかない…けど自分と同格では忠誠じゃないぢゃん」となった。
  5. 異様に嫉妬深いタイプでもあった。特に劉備の寵愛に関しては、自分をしのぐヤツが出現するのを絶対に許さなかった。
    • 馬超、黄忠などに対してもものすごい敵愾心を燃やした。
      • 馬超が劉備陣営に加わった時は、わざわざ諸葛亮に荊州から手紙を出して「馬超と俺とどっちが上だ?」と問い合わせた。諸葛亮はおっかなびっくり「張飛とどっこいどっこいというところ、ヒゲ殿にはとてもかないません」と機嫌をとった。
      • 黄忠を後将軍に任命する時も、諸葛亮はまだびびっていて、「同格の将軍にするなんて、雲長さんが怒りますよお」と劉備に訴えたが、劉備は「ワシがよく言い聞かせるから」と断行。案の定関羽は激怒し、「あんな老いぼれと同格なんて辛抱できん!」と荒れまくった。
  6. 映画祭。
  7. 実は劉備より年上という説が有力。
  8. ヒゲ。何といってもヒゲ。
    • これを敵の首に巻きつけて絞殺することもあった。
    • 専用のヒゲケースを持っていて、寝るときは痛まないようにヒゲをしまって寝ていた。
    • ヒゲがピンっと立つことによって、敵の来襲を察知できた。しかし味方の裏切りは察知できなかった。

張飛

  1. 関羽と同じく、蜀の劉備に仕えた武将で、劉備、関羽と義兄弟になった。
  2. 武勇は蜀軍の中でもトップクラスで、智略もあったようだ。
    • でもコーエーのゲーム・三国志シリーズでは、知力が異様に低くなっている。
  3. 関羽とは逆に、同僚や目上の人物からの受けは良かったが、部下や領民には厳しかったようだ。
    • 関羽と同じく、それが命取りとなり、部下に寝首を掻かれてしまった。
    • 劉備から「おめえさんは手下を殺しすぎらあ。しかも殴ったヤツを平気で自分の側に置いてるってえじゃねえか。危ねえよそりゃあ」と忠告されたが、聞かなかったらしい。
      • それどころか、「いや兄貴、俺だって考えちゃあいるんだぜ。ぶん殴る手下は身寄りが少ないヤツにしてるんだ。そうすりゃ下手うって殺しちまっても、後で仇を討たれる心配はないからよお」と答えたとも言う。本当だとしたら実はとんでもなくイヤなヤツである。
      • 案の定、虐待した部下たちに殺された。劉備は張飛の副官から報告が来たことを聞いただけで、
        「あちゃあ~、益徳が死んじまったか~orz」と落胆したそうな。
  4. 死後は、三国志の人物ではNo.1の人気者になり、京劇などでは主人公になったりと大忙し。
  5. 『はるひ』ではない。
  6. 得意技は燕返し。
  7. 現在の重慶では、張飛が酒の当てにしていたという料理が現存しているらしい。

趙雲

  1. 公孫瓉から蜀の劉備に乗り換えて活躍した武将。
  2. 三国志演義を読むと、けっこう見せ場が多くて、関羽・張飛に次ぐ地位に居たように見えるが、実は意外と重用されていない。
    • 乱戦の中から阿斗を救ったとか、孫氏(孫権の妹で劉備の妻)が里に帰る時に阿斗を連れ出したのを奪回したとかいうのは作り話だし。
      • 阿斗を救ったのは事実。というか正史の本文にはそれしか功績らしいものは見当たらなかったりする…
    • 益州攻略戦や夷陵の戦いなど、劉備にとって重要な戦争にはほとんど置いてきぼりをくらっていたし。
    • 「五虎将軍」に加えられたというのも「演義」の創作で、実際には、馬超と黄忠が関羽・張飛と同格の将軍に任命された時に外されていたし。
      • 馬超は涼州軍団を率いており、黄忠は荊州勢のまとめ役みたいな立場だったので幹部に取り立てざるを得なかったが、趙雲は個人的就職だったので選に漏れたのだろう。
      • 実のところ、魏延よりも地位は低かったという説もあるし…
  3. 劉備が関羽の復讐戦に猛り立った時、ただひとり冷静な意見を述べて反対した。
    • この辺のクールさが、情に走りがちな劉備陣営ではやや異質な感じだったのかも。
      • そもそも出兵に反対したという事自体、信憑性が低いけどね。
  4. 三国志演義で脚色された部分を見ても、将としての活躍というより、個人的な武勇伝ばかり。たぶん軍勢を進退させる能力はあんまり無かったと思われる。
    • 実際には劉禅の警護役みたいな立場だったように感じられるんだが、どうかな。趙雲が死んだ時に劉禅が大変心のこもった弔辞を送っているのは確かなようなので。
  5. 昔見た実写映画(タイトル忘れた)では、馬上でバク転してた。
  6. 某ゲームのおかげで美青年という印象が日本では植え付けられたが、劉備達よりも年上だったらしい。
    • 漢中攻略戦の際、敵将が趙雲と聞いた曹操が「あの老いぼれ、まだ生きていたのか?」と述べたそうな。
    • 中国で老将というと彼のことを指すとか。

馬超

  1. 蜀の五虎大将の一人として知られるが、元は西涼に割拠していた群雄である。
  2. 演義では処刑された父・馬騰の仇討ちで兵を挙げるが、正史では逆に彼が兵を挙げたことで馬騰が処刑されている。
  3. CV:服巻浩司
  4. おっかし~なかぶとをか~ぶる~♪


黄忠

  1. 荊州平定後に劉備の配下となった武将。
  2. 演義では五虎大将の一人。正史では関羽、張飛、馬超と同格の将軍に任命される。
  3. 老将として知られており、現在でも老いてますます意気盛んな人を彼になぞらえて「老黄忠」と言うとか。
  4. 弓の名手だったらしい。

魏延

  1. 蜀の将軍で、劉備には絶賛されたが、諸葛亮とは反りが合わなかった。
    • 劉備に絶賛されたからこそ、諸葛亮に疎まれたんだろう。
  2. 諸葛亮の死後、実権を握ろうとして、楊儀と争い処刑された。
    • 要は、蜀の荊州閥の勢力争いに敗れただけ。
  3. 後世の扱いはひどい。
    • 演義では完全に悪者扱い。
    • 実力ある将軍だったのに・・・・・・。
    • 墓をぶっ壊されてその上に線路を敷かれているらしい。
  4. 魏との国境に近い漢中の太守を劉備から任され、大過なく治める。実は行政能力もけっこうあった。
    • 最前線の司令官兼行政官として、魏の攻略法を考案し練り上げていたと思われる。その結果が長安への電撃侵攻作戦だったが、諸葛亮に一蹴される。そりゃ腐るわな。
      • 後世にも、諸葛亮の言い分に理があったと認める人が多いが、魏延の作戦が通っていたらどうなっていただろうか。
        • 実はこの作戦の記述は『魏略』によるもので、信憑性は低い。彼がこの作戦を本当に提案したのかは疑わしい。
        • 仮にも漢を名乗る政権が長安を奪取すると言うことは、諸侯が雪崩を打って寝返る可能性もなきにしもあらずということか?
  5. 困った人を放っておけない、情に厚い人間だったらしい。魏延金だけに。

楊儀

  1. 蜀の武将というより文官。だが文官の項目がないので、ここにした。
  2. 魏延の喧嘩相手として有名。
    • だが蜀建国の頃に上司の劉巴に逆らって左遷されている辺り、よく人と衝突するタイプだったようだ。
  3. 魏延との対比で、魏延が劉備に、楊儀が諸葛亮に抜擢されたと思われがちだが、実は彼も劉備が抜擢した武将だ。
    • しかもかなりの高評価だったようだ。
      • ちなみに最初は関羽に仕えていたが、関羽の推薦で劉備の直臣になったという経歴がある。関羽からも認められていたようだ。
        • 関羽がもてあまして劉備に押しつけたんだと思ってた。
  4. 軍事には素人だったが、事務官としてはチートだったらしい。
    • 軍事チートと事務官チートの対立。孔明も頭を悩ませるわけだ。
  5. 最期は『魏に仕えていたらここまで落ちぶれなかっただろう』と不満を言った『として』、逮捕、投獄され『自殺』した。
    • 楊儀が容疑者になってしまった。

姜維

  1. 諸葛亮が晩年に見出した蜀の武将。
  2. 末期の蜀軍を支え、しばしば魏に侵攻しようとした。
    • ずっと侵攻したがっていたのを、蒋琬や費褘に抑えられていたというのが実情。費褘が暗殺された途端に活発に軍事行動を始めた。
    • このため、三国志演義の読者からは人気が高いが、実際には姜維の連年の軍事行動で蜀の財政が著しく疲弊し、滅亡を早めたとも言える。
      • これが魏の狡猾な計略で、死間として姜維を送り込んでいたとか言うのだったら、びびるがなぁ。
    • 後主・劉禅とその周辺に嫌われたのは主にそのせいで、宦官・黄皓の讒言があったためではない。
    • とはいえ、涼州方面に軍事拠点を作られてしまうと蜀が終わってしまうという現実があったわけで、北伐は別に私利私欲で行われたわけではない。
    • 実際、蜀の存在意義は「魏を倒して漢を復興させる」だから魏への侵攻は間違いではなかったが、内政が整わない状態で侵攻していたのが問題だった。
  3. 魏の鍾会が攻め込んでくるとかなわず降参。口ほどにもないヤツである。
    • あんまりだというので、後世の人は「鍾会に降ったのは計略で、機を見て鍾会を倒し、劉禅を救い出して蜀を再建するつもりだったのだ」ということにしたが、ほどなく殺されているため、そんなつもりがあったかどうかはわからない。たぶん作り話。
    • × 鍾会が攻めてきたので降参  ○鍾会と対峙中に首都の劉禅が降参
    • ちなみに降伏後に鐘会と手を組んで反逆を試みたが、どさくさに紛れて兵士に切り刻まれて殺されてしまった。
  4. の繊
    • 新とも言う。
  5. 死後に腹を切り裂いたら、肝が一升ほどの大きさって・・・。人間ちゃうやろ。妖怪か何かか。

呉の武将

周瑜

  1. 孫策・孫権に仕えた武将。
    • 孫策とは幼馴染みで、しかも相聟(嫁さん同士が姉妹)。
    • 孫策の臨終の時、張昭と共に孫権を託される。
  2. 赤壁の戦いで大活躍。
    • 三国志演義ではしばしば諸葛亮に煮え湯を飲まされるが、実際にはほぼ単独で曹操軍を撃退した。
  3. 劉備を全く信用してなかった。
    • そもそも周瑜と接触した時点での劉備は、ほとんど信用されるに足る履歴を持っていなかったのだから、それもやむを得ない。信用した魯粛のほうが奇特な人と言える。
  4. 三国時代のリア王
    • 本人も「美周郎」とあだ名されたほどのイケメン。
      • 「イケてる周サマ!」というところ。
      • しかも若かった。享年なんと37。
    • 嫁の「小橋」も名だたる美人。
      • 曹操が呉を攻めたのは「小橋」と孫策未亡人「大橋」の美人姉妹を得るためだったというような噂が流れたほど。
    • 音楽にも堪能。
      • 食事の時など、流れている音楽に間違いがあると、振り返って演奏者を睨みつけた。
        • 宴会で酔っ払っていても。人はビビっていたそうな。
    • リア充でもあった。「爆発しろ」と思われていたかどうかは知らないが。
  5. ゲームとかでは、軍師扱いが多いが、どちらかというと将軍だろう。確かに頭脳明晰ではあるが。
  6. 関西弁は似合わなさそう。「天はこの世に周瑜を生んどきながら、なんで諸葛亮も生んだんや!?」
    • 実際には諸葛亮に会ったこともないし、存在も知らなかったらしい。劉備からの使者として名前くらいは聞いたかもしれないが。
      • 諸葛瑾の親族程度の認識はあったんじゃないかな。弟というのまでは知らないまでも。
        • 諸葛亮は赤壁前に外交官として孫権に会っているので、面識ぐらいはあるだろう。
          • 周瑜が孫権のところに召還される前に諸葛亮は帰国していたと思われる。その後の荊州争奪の折りも、諸葛亮が大戦略を立てているとは周瑜は全く気づいていなかった。というか、周瑜は劉備自身を自分より格下に見ていたので、劉備の家来にまで興味を持ったとは考えられない。
            • 関羽、張飛は高く評価していた。劉備に美女をあてがって骨抜きにして、関羽、張飛を自分の部下に引き抜こうとしていたし。ただし孔明は全く気にしてなかった。
  7. 大豆を発酵させて搾った液体。
  8. 周瑜黄巾賊。

魯粛

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 演義などの影響で、頼りなげな文官のイメージがあるが、実際は武官で、頭脳明晰で果断な人物だった。
    • まだ呉に仕える前、周瑜が彼の家を訪問したとき、家にあった蔵のうち半分をそのままプレゼントした。
    • 当時荊州に駐留していた関羽の元に単身乗り込み、領土(荊州南部)を奪い取ってみせた。
      • このとき関羽はぐうの音も出なかったという。
      • 戦わずに勝つという孫子の兵法をまさに体現した人物。
    • 赤壁の戦いの前に、孫権をおどかしたあたりもなかなかの骨っぽさ。
      • 「ワイはええんでっせ。曹操に降伏しても、まあぼちぼちの身分で取り立てられると思いますわ。でもあんさんはどないでっか? もともと大した家柄でもなし、どないして身ィ立てる気やねん」
        これを聞いて孫権は慄え上がり、曹操との対決を決意したと言う。
  3. 惜しむらくは、寿命には恵まれなかった。享年46。あと20年長生きしたら、どうなっただろうか。
    • 息子の魯淑が、魯粛死後ほぼ一年後生まれだというのを逆算すると、腹上死していたのかもしれないとかなんとか。
  4. 金持ちのボンボン。親族から変人呼ばわりされるほどのボンボン気質。

賀斉

  1. 演義には登場しない、呉最強の将軍。
    • 異民族討伐が主な任務だったので、演義では出番がなかった。
  2. いつも少ない兵力で出陣し、勝利を収めた。
    • 異民族の中には、彼の名を聞いただけで震え上がる者も。
  3. 合肥では、魏最強の張遼とぶつかり合い、張遼に奪われた大将旗を奪い返すという戦功を挙げる。
    • この時の張遼のチートな強さを考えれば、賀斉もどんだけ強いんだと。
    • その直後に孫権に説教。
      • 賀斉「おめえは戦下手なんだからもう少し自重汁。」
      • 孫権は「ごめんなさい」と平謝りだった。
  4. 派手好きで、鎧や盾、戦艦などにも派手な装飾を施していたという。

呂蒙

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 無学だったが、孫権に薦められて書物を読むようになり、いっぱしの軍略家となる。
    • 最初「忙しくて本なんぞ読んでられまへんわ」と逃げようとしたが、孫権はしつこく、「忙しいちゅーたらワイのほうがよっぽど忙しいわ。それでもワイはいつも本を手元に置くようにしとるんやで。何も学者になれゆーとるんやない、騙された思て読んでみ」と薦めた。しかも推薦図書まで何冊も挙げた。
    • そんなわけでたぶん最初はいやいや本を読み始めたと思われるが、だんだん面白くなったらしい。
    • この時期「呉下の阿蒙」の逸話を残す。
      • たまたま魯粛と話す機会があり、呂蒙が急に賢くなっていたので驚いた魯粛が「いやはや、呉の街の蒙ちゃんとはもう呼べんなあ」と慨嘆。
      • 「男ゆうもんはな、3日顔合わせんかったら、眼ン玉見開いてよ~く見とかんとあかんで」と逆に魯粛に説教。
        • 頑張ったのはわかるが、この上から目線はなんなんだ。
  3. 関羽を打ち破る。
    • 本人は意外と病弱で、関羽を破って間もなく病死。人々はみんな「関羽様のたたりじゃあ」と大騒ぎ。
      • 呂蒙の霊「ちゃうわ! わしゃその前から病気やったんや! 信じてくれ~!」

陸遜

  1. 孫権に仕えた武将。
  2. 関羽の仇討に燃える蜀軍の迎撃の指揮を執った。
    • はやる諸将を抑えて時を待ち、敵軍の戦線が延びきり疲労の色が濃くなった機を見逃さず一気呵成に責め立て、劉備を白帝城に追い込んだ。
  3. 長年に渡り呉に尽くしたが、後継者争いに巻き込まれて憤死。
    • 蓄財などは感心がなく、死亡時に何の財産もなかったらしい。

その他の武将

呂布

  1. 三国志の武将の中でも、武勇は随一。
    • 演義ではアンタッチャブルな強さ。実際個人でも強かったのだろうが、騎馬民族の部隊を率いていたからとも。
  2. 裏切り者の代名詞的な存在。
    • 本人は裏切っているつもりはなかったかもしれない。
      • 丁原「あいつは乱暴者で悪いヤツだって董太師に言われただ。だから首をとってやっただ」
      • 董卓「あいつは帝を苦しめるひどいヤツだって王司徒が言ってただ。だからこらしめてやっただ」
      • 袁術「身内を全部殺した董卓をおらが討ってやったのに、ちっともありがたがらねえで冷たかっただ。だから出てきてやっただ」
      • 袁紹「なんでおらを殺そうとするだ。こんなヤツのとこには居たくねえだ」
      • 劉備「おらがこんなに良くしてやっただに、ちょこまか動き回っておらを陥れようとするだ。ちょっくらお灸を据えてやるだ」
        • 劉備が袁術の配下の紀霊に攻められた際、仲裁に入って、「おらは戦うのは嫌えだ。人を仲良くさしてやんのが好きなんだ」と言ったのは、案外本音だった可能性もある。
  3. その格好から、ゴキブリと言われることも。
  4. イケメンだったらしい。
  5. 曹操に敗れて捕まった時、「あんたの歩兵とおらの騎兵がありゃあ天下無敵だべ。これでまあ、天下は定まったってもんだ」と本気で言った。曹操もけっこうその気になりかけたが、傍らに居た劉備が水を差したので結局処刑。
    • 呂布はこの時はじめて劉備に嫌われていたことに気づいたのであった。
      • 「こんの、大耳野郎! 裏切ってばかりいんのはおらでねえ、おめえでねえか!」というのが、呂布の絶望を込めた最後の言葉。
  6. 赤菟という最高級の名馬に乗っていた。
    • 「人中に呂奉先あり、馬中に赤菟あり」と称えられた。
    • 演義では呂布の死後、曹操から関羽に贈られたことになっているが、正史にはそんな記述は無い。それに呂布が死んだ頃には、赤菟もかなり高齢だったはず。
      • 関羽が呂布未亡人を欲しがったという話もある。後世の人々は、なんとなく呂布から関羽へいろんなものが引き継がれたイメージを持ったのかもしれない。
  7. 中国での評判は散々。裏切りはともかく、義父を2度も殺しているのが痛すぎる。(儒教的な意味で)