ページ「第二次世界大戦中の戦闘機」と「もし磐前県が存続していたら」の間の差分

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==アメリカのWW2中の戦闘機==
{{Pathnav|もしあの県が存続していたら|[[もしあの県が存続していたら/東北|東北]]|name=磐前県}}
[[画像:f6f-hidan.jpg|thumb|さすがF6Fだ、なんともないぜ!]]
*現在の福島県[[福島/浜通り|浜通り]]。県庁所在地は平(現在のいわき駅<!--南口-->付近)。
#撃たれ強い機体が多い。
**いわゆる浜通りに加えて田村・石川・東白川の3郡も磐前県。分水嶺的に結局福島県に盗られそうだけど。
#12,7mm機銃が大好き。
#*6門とか8門とか積んでバリバリ撃ちまくる。
#頑丈でパワフル、大戦初期の戦闘機は燃費が悪い・・・アメ車とイメージと重なる。
#*F4Fは増槽無しでスピットファイアの倍は飛んだが……まぁこれが例外なのかな。艦上機だしね。
#*ああ、P-40辺りの事ですな。
#陸軍の兵士には「海軍の戦闘機が飛んでくると手を振るが陸軍の戦闘機が飛んでくると急いで自分が隠れるたこつぼを掘る」というジョークがあったらしい。
#海軍機はF、陸軍機~空軍機はPで始まる。
#*海軍機は、Fの後の数字はメーカー毎の連番、その後のアルファベットがメーカーを示している。
#**主立ったメーカー記号は、ブリュースター=A、ボーイング=B、 カーチス・ライト=C、ダグラス=D、グラマン=F、グッドイヤー=G、マクドネル=H、チャンス・ヴォート=U。欠番になっているところには主だって'''いない'''メーカーがいるはず。
#**そのため、F2AとF4Fが同期生だったり、全然関係ないF4FとF4Uがあったり、F4Fの転換生産型がFM-1、FM-2だったりと、知らない人間には登場順を想像することすら難しい。
#*陸軍機は、Pの後の数字は概ね全軍を通じての通し番号。


===F2A===
==全般==
#愛称はバッファロー。
#浜通りと[[福島/中通り|中通り]]が別の県になるため、福島原発は存在せず、福島原発事故も発生しなかった。
#メーカーはブリュースター。
#*現実の大熊町と双葉町は同じ市域の「熊川市」で、常磐自動車道熊川ICの近くに工業団地が建設された。
#実はF4Fとの競争試作で勝った。
#**国道288号の始点である熊川の方が、富岡や浪江よりも発展していたかもしれない。(史実の中通りに置き換えると、「郡山の位置に白河が在る」状態になっている。)
#米軍で使用された機体は良いとこ無しだったが、北欧に渡った44機は、対ソ戦で10対1というとんでもないキルレシオで大活躍した。
#**この合併後の市名が「熊川市」なのは、史実の大熊町中心部を流れる河川「熊川」に由来した名称。市制は1950年代前半の町村合併の時で、長塚村+新山町+大野村+熊町村の4町村合併に伴うもの。
#*それほど乗り手の技量の差が大きかった。
#**国道6号と国道288号の交差点は、牛踏交差点(国道6号の255.6km里程標の脇)でも小入野交差点(国道6号の249km里程標の近く)でもなく、国道6号の252km里程標の近くになっていた。(史実でいう福島原発入口交差点からやや南に位置する。)
#米海軍パイロットは、この機体で宙返りができなかったらしい。
#**史実で福島原発の原子炉建屋が建てられた場所は、遊園地を持つ海浜公園(国営か磐前県営)になっていた。名称は、7世紀後半の「陸奥国の石城郡の苦麻の村」に因んで、「みちのく苦麻の邑(くまのむら)海浜公園」か。
#植民地部隊の機体は早々に駆逐された。
#**史実の大熊町域+双葉町域における小中学校も、当然、史実より多かった。
#***小学校として夫沢小学校(前述の「みちのく苦麻の邑海浜公園」の近く)、小入野小学校、松倉小学校(長塚駅(史実の双葉駅)より山側)が、中学校として夫沢中学校、長塚中学校、新山中学校が、それぞれ存在していた。又、双葉北小学校は長塚小学校を称し、双葉南小学校は新山小学校を称していた。
#*那須白河新首都構想(史実のFIT構想)に、磐前県は加入しなかった。
#*福島県は、山地に囲まれた内陸県になっていた。
#*浜通りが「中村県」<!--磐前県が成立する前、浜通り夜ノ森以北は「中村県」だった。-->として分離独立していた場合も同様だが、水戸と仙台の間の旧城下町に、もう一つ県庁が存在する好影響は大きい。仙台も[[山形市|山形]]ベッタリにはならず、浜通りも現実とは真逆で隆盛し、存在感も強かった。
#**史実通り3/11巨大地震が発生した場合、新聞やテレビでの「岩手・宮城・福島・茨城・千葉の各県」という表記が、「岩手・宮城・'''磐前'''・茨城・千葉の各県」になっていた。
#***小名浜に建設された洋上風力発電施設も、「いわさき未来」か「おなはま未来」という名称になっていた。
#***藤沼ダム決壊による集落壊滅や県庁・須賀川市役所の損壊のあった福島県を外す訳はないだろう。
#****それは違う。盆地のみの福島県みたいな「海無し県」は外されて、宮城県や磐前県みたいな「海有り県」しか表記されなかったと思うよ。(岩手県だって盆地のみの「海無し県」だったら、「岩手」とは表記されなかったはず。)
#***震災後の東北七魂祭(またはそれに相当する東海岸復興祈念祭)には、やはりフラガールが出場していたのだろうか。
#****湯本地域が平市に含まれない場合はじゃんがら念仏踊りが参戦していたのだろうか。
#***当然、与党政治家や復興支援団体は、「磐前の復興」というフレーズを唱えていた。
#**磐前県に加えて、[[もし三陸が1つの県だったら|三陸が「閉伊県」として分離独立していたら]]、東北太平洋沿岸は、現実とは真逆で冷遇されなかった。
#*東京電力の発電所は存在しないので、ひょっとしたらJヴィレッジが広野に建てられなかったかもしれない。
#**広野に建てられる火力発電所は、常磐共同火力の保有物になっていた。
#**Jヴィレッジに相当するサッカーのキャンプ施設の誘致合戦には、広野も加わっていた。
#平と小名浜は同じ市域に入らなかった。旧城下町で県庁所在地の平市(現実の[[いわき市]]湯本傾城以北)と、港町で工業地域の小名浜市(現実のいわき市湯本傾城以南)に分かれている。
#*県庁効果で、平市の人口は20万人近くに達していた。小名浜市の人口も、現実同様に15万人超となっている。
#*小名浜市の観光キャッチフレーズが「サンシャイン小名浜」になっていた。
#**当然、フラガールも小名浜市の名物になっている。
#**県立水族館は小名浜に立地しているが、名称は勿論「アクアマリン小名浜」になっている。
#*常磐自動車道の平市の立て札には、白水阿弥陀堂が描かれている。
#*[[国道6号]]の3地点までの距離標識は、石岡<!--水戸まで20km-->や亘理<!--中村まで28km-->では、「平」が最も遠い地点として表示されている。
#*磐前県中心部としての各市町村のアイデンティティが強いため広域合併の気運が起こらず、平成の大合併を経てももっと細かく分かれていたかも。勿来市、常磐市、久倉町(久之浜+四倉)などなど。
#**四倉は平市に編入され、[[もしあの地域が他の市町村に編入されていたら#いわき市久ノ浜地区→広野町|久ノ浜は広野市に編入されている]]可能性が高いと思う。
#第二次大戦前のラジオタワーは、史実通り原町(発信塔)と富岡(受信塔)に建設された。
#*第二次大戦後には、原町か富岡に工業高専が立地している。
#**原町か富岡に立地する工業高専には、電気通信に関する学科が設置されていた。
#茨城県と磐前県を合わせた語として、「常磐 (ときわ)」以外に「イバサキ」「イワラキ」という俗称が用いられている。(茨城県と千葉県を合わせて「常総」や「チバラキ」と呼ぶのと同様)
#第二次大戦後の駅弁大学として「磐前大学」が平に立地する。
#*高度経済成長後には、平に国立「平医科大学」が設立された。
#**医師不足は軽減されているため、大野病院事件は起こっていない(そもそも熊川市立病院になっていた)。
#**寧ろ単科の「平医科大学」ではなく、磐前大学に医学部と薬学部が設置されている。
#*明星大学の分校は、平ではなく、別の場所に立地していた。
#**史実のいわき明星大学が設置している学部のうち、法文系学部は国立磐前大学が設置し、医療系学部は磐前県立大学が設置していた。
<!--#***否、前述・後述の通り法文系学部も医療系学部も、磐前大学が設置している。-->
#***史実のいわき明星大学の位置に、磐前大学が立地していた。
#*磐前県立大学は、中村に立地している。
#**原町じゃないの?
#***原町には、寧ろ高度成長期に国立工業高専が立地する可能性が高い(国立工業高専は、非城下町の工業都市に立地する例が目立つ為。その一方で、国立大学や県立大学は基本的に城下町に立地する例が目立つから、平以外だと小高か中村のどれかになるだろう)。
#*磐前大学の前身になった第二次大戦前の国立学校は、平高等工業学校と磐前師範学校。法文系学部は、磐前大学の設立と同時に設置された。
#**平高等工業学校の設立は1920年代で、鉱山工学に関する学部も設置された。鉱山に関する学部は、後身になった磐前大学にも継承された。
#***磐前大学の鉱山学部は、後に地理学部に改組された。地理学部の付属機関として、地質研究所も設置された。
#*磐前大学の略称・通称は「ばんだい」。
#**学園祭では、玩具メーカー「[[バンダイナムコグループ#バンダイ|BANDAI]]」のキャッチフレーズをパロディにして、「楽しい時を創る大学・磐大」というキャッチフレーズが使用されているかも。
#*東日本大震災後には、磐前大学にも、磐前県の復興支援を目的とするシンクタンクやプロジェクトが設立された。予想される名称としては、「磐前大学前進プロジェクト」や「常磐沿岸復興支援センター」など。
#観光面では、茨城県と磐前県を一括りにして「常磐」(由来は[[常磐線]]から)というエリア名の観光ガイドが販売されている。
#*細かいエリア名を入れると、「常磐 ~水戸 岩城 相馬~」や「常磐 ~水戸 平 中村~」と称した観光ガイドも販売されている。
#*全国規模で展開されるご当地グッズ(ご当地ショボーン、ご当地妖怪ウォッチ、ご当地ハローキティなど)の磐前県版は、フラガール、白水阿弥陀堂、浪江焼きそば、相馬野馬追いが常連になっている。
#**ご当地妖怪ウォッチの場合、フラガールや白水阿弥陀堂はジバニャンが描かれているが、浪江焼きそばはコマさんが描かれているかも。相馬野馬追いはジバニャンが描かれるかコマさんが描かれるかは未知数。
#***相馬野馬追だと、ジバニャンかブシニャンが描かれている。
#*阿武隈高原地域の自然景勝では、夏井川渓谷が磐前県立自然公園に指定されていた。
#**平郊外に県立公園(史実の「福島県立いわき公園」に相当)は建設されず、その代わりに阿武隈高原地域に「磐前県民の森」が建設された。
#***「磐前県民の森」に、磐前県立自然博物館が併設されているかも。
#*松川浦や四倉や小名浜の海産物イベント、浪江焼きそばコンテスト、川内高原そば祭りが、それぞれ磐前県を代表するグルメイベントになっていた。
#1月9日が「磐前県民の日」になっていた。(由来は、磐前県が成立した1872年1月9日に因む。)
#小名浜に測候所は設置されず、県庁所在地の平に地方気象台が設置されている。
#*天気予報は、磐前県南部として平(平地方気象台)、磐前県北部として中村(中村測候所)の予報が報じられている。
#*県域テレビや県域新聞の天気予報では、水戸([[茨城|茨城県]]北部沿岸)と仙台([[宮城|宮城県]]常磐側)の予報が必ず掲載されている。
#**その一方で、中通りや会津地方の天気予報は掲載されていない。
#*波浪注意報や地震情報や海洋情報でも、「磐前県沖」という語が使用されている。
#県立高校の名称や立地も、史実とは異なっていた。
#*史実における磐城高校は「平高校」、相馬高校は「中村高校」、双葉高校は「熊川高校」になっていただろう。
#**郡名由来なら「標葉高校」もあったが、「○ねば高校」とバカにされていた。
#*私立高校に、「磐城」(磐城平城跡の近く)や「相馬」(中村城跡の近く)を付けた学校が存在している。考えられる名称:磐城昇竜<!--磐城平城の別名「竜が城」に由来-->高校、相馬育英<!--中村藩の藩校「育英館」に由来-->高校。
#*甲子園の磐前県代表の常連は、県立高校だと平高校と熊川高校、私立高校だと「磐城○○高校」か「相馬○○高校」のどれか。
#**平市民球場が、甲子園の磐前県予選の常連会場になっていた。
#***この平市民球場が、2013年のプロ野球オールスターゲームの会場になっていたかも。
#**甲子園の常連には、小名浜海星高校も。
#*県立工業高校の立地は、勿来、平、小高、中村の4ヶ所。
#**平工業高校、小高工業高校、中村工業高校の3校が、花園の磐前県代表の常連になっていた。
#*県立水産高校は史実通り小名浜に立地するが、冷戦後に「小名浜海星高校」に改名した。
#**小名浜海星高校が保有する船舶名は、「磐前丸」や「常磐丸(ときわまる)」辺りか。
#*国立の磐前県代表の常連は、平工業高校、平高校、広野高校の3校。
#サッカーの地域リーグのチームとして、「平バンディッツ<!--史実のバンディッツ岩城に相当-->」や「中村SC<!--史実の相馬SCに相当-->」が存在する。広野を本拠地とするチームも存在しているだろう。
#*この外には、平古河FCが東北リーグ1部(地域リーグ)に所属しているが、JFLに昇格していたかも。
#**2015年の平古河FCのセカンドユニフォームは、「空色と桃色<!--実史における桃色は、福島市界隈の桃をイメージした物-->の波柄付き」にはなっていない。
#*その後「いわさきFC」<!--いわきFCに相当-->ができた。
#**漢字表記で「磐前FC」になっていそう。或いは、「磐前○○FC」という名称になっているかも。
#*湘南ベルマーレは、「東北の湘南」つながりで磐前県を本拠地とするクラブと事業提携した。
#*サッカー以外のプロスポーツチームとして、平を本拠地とするBJリーグ(プロバスケットボール)のチームも結成されている。
#磐前県歌の歌詞には、「太平洋」と「阿武隈」が必ず含まれている。
#*この他の磐前県のシンボルとしては、黒松が磐前県の県樹となり、浜菊が磐前県の県花になっていた。
#*県章は、平仮名の「い」と「○」を組み合わせたデザインになっていただろう。(大雑把に言うと、1980年代の日本テレビの紋章から、内側の円を外した物みたいなデザイン。)
#「雪が降らない県」の一つに、磐前県が挙げられる事も多いだろう。
#*史実におけるJヴィレッジと同じく、雪が降らない気候を利用して、プロスポーツチームのキャンプの誘致も盛んに実施されている。
#*花卉ではカーネーションが、果樹では柚子が、それぞれ磐前県を代表する農産物になっていた。
#**磐前県産の柚子のブランドに、「北限ゆず」と称する物も流通していただろう。
#***後に北限柚子ブランドは福島県に奪われる(信夫山産)。
#*「東北の湘南」の異名を県全体で売り出していた。
#*2015年のJRグループによるデスティネーションキャンペーンは、福島県ではなく、磐前県が対象になっていた。
#**考えられるキャッチフレーズは、「いいね、前向き、いわさき」か。
#*折木鉱泉や入梅鉱泉など、常磐湯本温泉以外の温泉・鉱泉も、観光パンフレットに掲載されている。
#都市対抗野球の磐前県勢は、常磐炭鉱(後に改組されてオール常磐に改名)と常磐興産が常連になっていた。
#後述の通り、県全体の人口が史実より多い為に、磐前県に充てられる市外局番は4つに増えていた(史実の浜通りは0244、0240、0246の計3つ)。
#*磐前県に充てられる市外局番は、021Xになっていただろう(史実で021Xを使用している県が存在しない為)。
#**この場合、宇多郡・行方郡が0214、標葉郡が0217、楢葉郡が0215、磐前郡・菊多郡が0216になっていただろう。
#県立博物館は:(1)総合博物館(名称:磐前県立博物館)が平に、(2)歴史博物館(名称:磐前県立歴史博物館)が平に;自然博物館(名称:磐前県立自然博物館)が前述の阿武隈高原地域に、それぞれ開設されるか;のどれかになっていた。
#*これら三つの博物館のどれかが、磐前県の東日本大震災に関する資料を展示していた。
#磐前県の人口は、13132<sub>6</sub>年=2000<sub>A</sub>年時点で、概ね2<sup>4</sup>×6<sup>6</sup>人(六進表記で24,000,000人、十進表記で746,496人)に増えていた。
#*福島原発が存在しないので、大震災後の13200<sub>6</sub>年=2016<sub>A</sub>年でも極端に減ってはいない。


===F4F===
==政治・経済==
#愛称はワイルドキャット。野生の猫。
#ゼビオの本社は平のまま。
#*実際野生を思い浮かばせるような感じでない。
#*当然、ゼビオのテレビCMは、磐前県のテレビ局のみで放送され、福島県のテレビ局では放送されない。
#*俗語で「気の強い女」の意味もある。
#**店舗あるんだから普通にやるだろ。
#性能は敵国の零式艦上戦闘機二一型同等かそれ以下。
#東邦銀行と福島銀行は、磐前県や茨城県に支店を出していない。
#*などという神話があったが、とっくに崩れた。トータルのキルレシオは1:2.5ぐらい。
#*東邦銀行は、磐前県内では平に支店を出している(新潟市に支店を出している為、平も同様)が、茨城県内には支店を出していない。
#*駆逐艦を撃沈するなど活躍している。
#*否、東邦銀行は、茨城県内では水戸に支店を出している。一方で、常陽銀行の福島県内支店は、郡山と白河のみ。(いずれも、支店の地盤は[[東日本旅客鉄道/関東地区#水郡線の噂|水郡線]]沿線)
#海軍の艦載機。
#史実と同様に、磐城銀行と相馬銀行が存在した。これらは、世界恐慌時代の「一県一銀行」政策によって合併され、「磐陽銀行」になっている。
#メーカーはグラマン。
#*「磐陽銀行」の本店所在地は、言うまでもなく平。
#主な活躍時期は太平洋戦争初期。
#*第二次大戦後には、中村に本店を置く戦後地銀が設立された。銀行名は、「奥相銀行」か「東奥銀行」か?
#*というのも誤りで、F6Fの実戦配備は1943年後半。F4F自身は終戦間際まで生産・運用されている。
#*当然、「磐陽銀行」は、茨城県と宮城県に支店を出している。
#**大重量の新型機の運用が難しい護衛空母で主に使われた。
#**少なくとも、水戸、助川、仙台、亘理の計4ヶ所には支店を出している。
#武装=12,7mm機銃
#**「磐陽銀行」は、福島県内では郡山か福島市のどちらか、或いは郡山と福島市の両方に支店を出している(水戸に本店を置く常陽銀行が、宇都宮に支店を出している為、「磐陽銀行」も同様)。
#*4門型と6門型がある。
#磐前県知事は、東北地方知事会と関東地方知事会の両方に加入している。
#**6門型は弾数が減り、重量も増えたので不評。
#*この他に、宮城県・磐前県・茨城県・(新治県・)千葉県で「常磐本線沿線知事会議」を設立して、それに加入しているかも。
#実は原設計は複葉機である。
#*常磐新幹線の整備新幹線昇格を!と気勢を上げていた。
#*剥き出しの車輪にその名残がある。
#**もし「常磐新幹線を整備新幹線に!」と唱える者がいるとしたら、磐前県知事ではなく、磐前県選出の国会議員だろう。
#僚機とカバーし合う戦法で零戦に対抗。「1機のF4Fは1機の零に負けるが、2機のF4Fは10機の零に勝る」と言われた。
#**磐前県知事は、[[茨城]]県知事や[[宮城]]県知事と手を結んで、「常磐自動車道の全通を!」と気勢を上げていた。
#北アフリカではFw190をぶち落としてもいる。
#全体の人口ももう少し増えているため「相双」という包括的なくくりは存在しない(そもそも'''相'''馬郡や'''双'''葉郡が出来た郡合併が起こらなかった可能性がある)。
#*直線番長のドイツ戦闘機はF4Fの旋回性能に翻弄された。って'''あれ?'''
#*県の出先機関やChakuwikiの県地図テンプレの区分は北から順に「中村(行方・宇多)」「熊川(標葉・楢葉)」「田村」「平(石城)」「両川(石川・東白川)」。
#艦上機がショボボンなイギリスにも輸出。
#**田村合同庁舎は、三春だと史実以上に端過ぎるので船引町に置かれていた。
#*イギリスやドイツからしてみれば、本体のタンクだけで1000km以上(F4F・1240km、零戦・2222km)飛ぶ戦闘機に、さらに増槽つけて殴り合ってたなんて空想の領域だったろう。
#**両川地域の中心は棚倉町。
#**寧ろ、磐前県庁の地域区分は、「県北 (宇多・行方)」「標葉」「楢葉」「県南 (磐前・菊多)」の4つだろう(夜の森を無視できまい)。田村郡と石川郡と東白川郡が磐前県に含まれてる場合には、それぞれ「田村」と「両川 (石川・東白川)」になっている。
#*相馬郡、双葉郡、石城郡が設置された郡合併は起こらず、宇多郡・行方郡・標葉郡・楢葉郡・磐前郡・菊多郡の6つに分かれていた。
#**1968年に大久川流域で発見された恐竜の化石は、「''フタバ''スズキリュウ(''双葉''鈴木竜)」ではなく、「'''ナラハ'''スズキリュウ('''楢葉'''鈴木竜)」と呼ばれていた。
#***新種かどうかの判別に時間がかかり、2006年ようやく「'''ナラハ'''サウルス・スズキイ」という学名がついた。
#史実の浜通り出身福島県議は、磐前県議になっていた。
#*渡辺敬夫は、磐前県議会議長を経て、どこかの市長選挙(小名浜市長選挙か平市長選挙か?)に出馬した。<!--(史実では、福島県議会議長を経て、いわき市長選挙に出馬し当選した。)-->
#大企業の工場の誘致や、工業団地や流通基地(トラックターミナルなど)の造成も、磐前県庁によって推進された。
#*工業団地の分布も、南部に偏らず、夜の森付近や北部にも立地している。
#**磐前県庁に最寄りの平IC付近には、物流企業が多く集まる流通基地が造成された。(史実の好間工業団地に位置)
#**一方、史実の好間工業団地に当たる工業団地は、更に22km北の広野IC付近に立地して、広野工業団地になっていた。
#***タンガロイの本社は、広野工業団地に転入して来た。
#***広野市は久之浜を編入しており、人口は3万5千人位に増えていた(史実の磯原と同規模)。
#**小名浜には、史実と同じく自動車・金属・化学の工場や工業団地が立地している。
#**[[#全般|前述]]の通り、夜の森に近い熊川には、精密機器の工業団地が立地している。
#**史実の小名浜と平の関係と同じく、新地には金属・化学の工場や工業団地が立地して、中村には食品・小型機器・工具の工場や工業団地が立地している。
#*高度成長期の臨海工業地帯は、史実通り小名浜と新地に造成された。
#**小名浜臨海工業地帯の充実度は史実通りだが、新地臨海工業地帯も史実以上に充実していた。
#***山元や亘理も、新地の工場群の通勤圏になっていた。
#**「太平洋ベルト」には、東海道沿線・紀伊半島・瀬戸内のみならず、常磐沿岸である茨城県と磐前県が含まれていた。
#**高度成長期の新産業都市は史実通り小名浜界隈だが、指定地域名は「平・小名浜地域」か「磐前県南」のどれかになっていた。
#*[[もし福島県浜通りが宮城と茨城で分割されていたら|夜の森以北が宮城県になっていた場合]]や史実と同じく、高度成長期には、[[日立製作所|日立]]グループの工場が、浪江と原町に進出していた。
#**ひょっとしたら、[[栃木|栃木県]]や[[山口|山口県]]と同じく、冷戦時代には、磐前県の日立グループの工場が、アマスポーツチームを保有していたかもしれない。
#***この場合、冷戦後には、チームが自然消滅するか、分離独立したチームとして存続するかのどれかになっていた。
#磐前県庁は、当初は田町(通称:並木通り)に立地していた(史実における磐前県庁の位置が田町)。しかし、1897年の常磐本線の開通がきっかけで、1900年代に堂の前交差点の南脇に移転して現在に至っている。
#*大黒屋は、十五町目交差点の近くに立地していた。
#国政選挙において、中選挙区制(1993年以前)の磐前県の選挙区は、夜の森を境に磐前1区(夜の森以南)と磐前2区(夜の森以北)に分かれていた。
#*小選挙区制施行後(1994年以後)の磐前県の選挙区は、3つに分かれていた。
#**小選挙区制の予想されるエリア:磐前1区…概ね磐前郡+菊多郡(平、小名浜など)。磐前2区…概ね楢葉郡+標葉郡(広野、熊川、川内、都路など)。磐前3区…概ね宇多郡+行方郡(中村、小高など)。
#*国政選挙では、各党首は磐前県でも街頭演説を実施していた。
#**「東海岸縦断」「常磐沿岸縦断」と称して、宮城県~磐前県~茨城県で日程を組む党首もいただろう。なお、三陸が「閉伊県」として独立した県であれば、これに閉伊県も加わっている。
#*磐前県選出の有力国会議員は、冷戦時代が天野光晴や田中直紀、冷戦後が吉野正芳。
#**常磐自動車道の熊川ICの開通式には、天野光晴も出席していた。平~熊川の開通時期は1993年3月18日(木曜日。東京~平の開通(1988年3月24日<木曜日>)から満5年後)で、1993年3月当時の天野が、高齢のために政界を去って日本道路公団の最高顧問に就任したのは史実通り。


===F4U===
==交通==
#愛称はコルセア。海賊。
#平⇔[[福島市|福島]]や平⇔[[会津若松市|会津]]の高速バスは運行されていない。その代わり、平⇔[[水戸市|水戸]]、平⇔中村/仙台、中村⇔東京の高速バスが運行されている。
#逆ガル翼が何よりの特徴。
#*同じく、浪江⇔福島の長距離バス(福浪線。史実では2004年3月まで存続)も運行されなかった。又、史実の国道114号は、浪江と福島市を結ぶ路線ではなく、別の路線になっていた。
#F6Fに次いで零式艦上戦闘機を撃墜した戦闘機。
#**福島~浪江で6号に合流~熊川になっていたかも。いずれにしても県境を跨ぐので阿武隈高原部は史実以上に整備が遅れていた。
#こちらも海軍の戦闘機
#***寧ろ、福島~浪江の直結国道は無く、二本松~浪江or小高の直結国道(史実の国道459号)のみになっていた。小高が海側ターミナルの場合には、大柿ダム脇から八条石トンネルを刳り貫いて、小高へ通じる短絡線が整備された。
#メーカーはチャンスヴォート
#****沿岸部と常磐津島(高原部)を結ぶトンネルも、八条石トンネルが刳り貫かれた一方で、原浪トンネル(大柿ダム脇~原ノ町駅山側)は刳り貫かれなかっただろう。
#性能は文句なし。
#**国道114号は、中村~福島~[[米沢市|米沢]]~[[村上市|村上]]で太平洋沿岸と日本海沿岸を結ぶルートになっていた(福島~米沢は国道13号と重複)。一方、国道115号は福島~土湯温泉~猪苗代のみ、国道113号は[[宮城/仙南#山元町の噂|山元]]~白石~赤湯のみのルートになっていた。
#武装=12,7mm機銃
#*水戸⇔二本松/仙台の高速バスも運行されていない。全線が常磐自動車道を経由する水戸⇔浪江/仙台か水戸⇔小高/仙台の高速バスが運行されている。
#タイヤで有名なグッドイヤーでも生産。
#小高以北に、福島交通の路線バスは運行されていない。小高以北の路線バスは、常磐交通か宮城交通かのどれかのエリアになっている。
#最初は海兵隊が戦闘爆撃機として採用した。
#[[常磐自動車道]]は、1990年代後半に[[仙台市|仙台]]まで全通した。
#*「ちょっwww前が見えねぇwww着艦とか無理」と、苦情が殺到した。
#*一方、[[磐越自動車道]]の全通は、早くて2000年代後半。
#朝鮮戦争でも活躍した・・・・かな?
#*磐越自動車道は、[[郡山市|郡山]]⇔会津のみが四車線区間で、平⇔郡山は対面通行区間のまま。その代わり、常磐自動車道は、平⇔仙台も含めて全線が四車線区間になっていた。
#実戦参加した最後のレシプロ戦闘機。
#*東京⇔仙台の高速バスは、雪の降る[[東北自動車道]]を経由せず、雪の降らない常磐自動車道を経由する路線が増えていた。
#*常磐自動車道はもちろん全線4車線。
#*広野、常磐富岡、亘理の各ICが、北の外れではなく、中心市街地の近くに建設された。
#**史実の常磐富岡ICの位置に、夜の森SAが建設された。尚、磐前県内の常磐自動車道のSAは、南から順に湯の岳SA、夜の森SA、真野川SAの計3箇所。
#*亘理以北も初めから常磐自動車道として開通しており、仙台東部道路という名称にはなっていない。
#**当初の仙台側の終点は仙台福室IC(史実の仙台港北IC)で、常磐自動車道と三陸自動車道の境も仙台福室ICになっていた。
#***[[石巻市|石巻]]方面に路線(三陸自動車道)が延長された際に、仙台福室ICが史実のいわき中央ICみたいな構造に変わっていた。
#**宮城県内の常磐自動車道のSAやPAは、南から順に浜吉田SAと七郷PA(若林JCTから少し北)の計2箇所。
#*平IC(史実のいわき中央IC)料金所における主要IC10箇所で、常磐自動車道は水戸方面と仙台方面の両方が表示され、磐越自動車道は「福島飯坂」が表示されない。
#**平IC料金所に表示される主要IC10箇所:(常磐道水戸方面)湯本 勿来 日立中央(or助川) 水戸|(常磐道仙台方面)四倉 熊川 中村 仙台福室|(磐越道)小野 郡山
#**平JCTの方向表示:(常磐道水戸方面)日立(or助川) 水戸|(常磐道仙台方面)中村 仙台|(磐越道)郡山 会津若松
#*茨城県水戸以北にある常磐自動車道の料金所では、平方面は仙台(仙台福室IC)まで表示されている。<!--{実際に、栃木県宇都宮以北にある東北自動車道の料金所では、郡山方面は仙台(仙台宮城IC)どころか青森まで表示されている。}-->
#*同じく、中村IC(史実の相馬IC)や仙台福室ICなど、磐前県北部や宮城県にある常磐自動車道の料金所でも、平方面は水戸まで表示されている。
#*常磐自動車道の全通後に、東北自動車道の仙台宮城ICが「仙台青葉IC」か「仙台折立IC」に改名されたかもしれない。
#**この場合、仙台までの表示の略称は、常磐自動車道と三陸自動車道が「福室」、東北自動車道が「青葉」または「折立」。用例:「福室まで200km」「青葉(or折立)まで150km」
#*[[東日本高速道路#三陸自動車道|三陸自動車道]]の松島以北は、着工が日韓WC(2002年6月)より後。
#**利府~松島の開通は、史実通り1986年9月27日。仙台~利府の開通は、2001年8月1日<!--史実で東仙台IC~仙台港北ICと亘理~岩沼の開通、若林JCT~南仙台IC/JCTの全通に該当。いずれも、新世紀宮城国体(2001年9月)と日韓WC(2002年6月)に間に合わせている。-->。松島~石巻の開通(仙台と石巻が繋がる)は、最短でも2005年。
#**常磐自動車道の仙台⇔平は四車線化が2000年代に完了したが、三陸自動車道の仙台⇔石巻は四車線化が東日本大震災(2011年3月)より後になっていた。
#常磐線の機関庫も「旧城下町同士」である平と中村に建設され、中村市(現実の相馬市)が平市と同じく10万人都市に発展していた。なお、浜通りの中村が1950年頃に市制を布いて「中村市」になり、高知県の中村は「土佐中村市」になっている。
#*中村にも、大黒屋や伊勢甚みたいな都市型デパートか、リオンドールみたいなスーパーマーケットの本社が立地している。
#*「はつかり」の常磐線内停車駅は、上野駅、水戸駅、平駅、中村駅、仙台駅の5ヶ所になっていた。
#*広野と原町の間では、国道6号に出る一般道路の標識は、「(←北) 中村 + 平 (南→)」という表示が基本になっている。
#*平とその周辺の常磐自動車道では、ICと路肩の遠方表示が、南が「水戸」、北が「中村」と表示されている。
#*史実の常磐線が、「常磐'''本線'''」という路線名になっていた。
#**水戸以北の常磐本線沿線が、[[宇都宮市|宇都宮]]以北の[[東北本線]]並みに発展していた。
#***柿岡地磁気観測所が設立されるのでそれはまったくもってありえない。
#*ひょっとしたら、常磐本線が、平以北も含めて全線が複線化されているかも。
#**もし常磐本線が全線複線化されていたら、水戸など茨城県北部でも仙台方面へのフリー切符が販売され、夜の森以北でも東京方面へのフリー切符が販売されているだろう。
#*震災とは無関係に、人口は中村>原町になっている。
#*北の山越え連絡鉄道として、中村~丸森~福島の連絡鉄道(阿武隈急行構想)が、計画倒れにならずに完成していた。路線名は、中村~丸森~福島の路線が「丸森線」を称して、丸森~槻木の路線は「槻木線」を称していた。
#**国鉄時代末期には、これらの路線は阿武隈急行(第3セクター)に移管されていた。この際に、福島~丸森~槻木が「阿武隈急行本線」を称して、中村~丸森は「阿武隈急行中村線」を称していた。
#***阿武隈急行への移管後は、相馬野馬追いが開催される7月に、「野馬追い周遊切符」を発売しそう。
#***阿武隈急行の運営には、宮城県庁と福島県庁に加えて、磐前県庁も出資している。
#バブル景気の後に、磐前空港が開設されていた。立地は広野か富岡の辺り。
#*平地が乏しい地勢だから、空港の建設は無理だろう。その代わりに、仙台空港や羽田空港へのアクセスの良さが重視されていた。
#県内連絡路線として、鉄道敷設法にある植田~石川(位置的に棚倉終点になっていたか?)の鉄道路線が開業していた。
#山側幹線である国道399号は、勿来ICから少し山側が南のターミナルになり、丸森(宮城県)が北のターミナルになっていた。
#*勿来ICから少し山側~平IC<!--(史実のいわき中央IC)-->から少し山側の道路と、飯館~玉野~丸森の道路が開削されて、これらも国道399号になっている。
#*国道399号もしっかり整備されて、史実ほどの「酷道」にはならなかった。
#*国道399号沿道にも、道の駅が数軒建てられいた。
#東日本大震災後の常磐本線の復旧には、沿線の市町村役場だけではなく、磐前県庁も関与した。
#*磐前県知事は、村井嘉浩(宮城県知事)にも常磐本線の復旧を支援するよう要望した。
#*津波に破壊された駒ヶ嶺~浜吉田の線路・駅舎が山側に移転して復旧したのは史実通りだが、同じく津波に破壊された富岡(史実で福島原発事故の立入禁止区域)の線路・駅舎も山側に移転して復旧したかもしれない。
#**これらの線路・駅舎の山側移転も、史実より早く完了し、2015年末までには復旧した。これらの山側移転の完了を以って、常磐本線は全線復旧した。(史実では、路線が山側に移転した駒ヶ嶺~浜吉田の復旧が2016年12月10日。)


===F5U===
==メディア==
#愛称はフライングパンケーキ。空飛ぶケーキ。
#当然、磐前県には福島民友と福島民報の支局も存在しない。
#*「フライングフラップジャック」とも。意味は同じ。
#*磐前県内で、福島民友と福島民報を納入している図書館は、平にある磐前県立図書館ぐらい。
#マニアック過ぎて知ってる人少ない。
#*磐前県外の地方紙では、河北新報(宮城県仙台の地元紙)が平総局と中村支局を設置している程度。茨城新聞(水戸の地元紙)の支局は、史実と同様で設置されない。
#形がマジでパンケーキ。
#2013年の大河ドラマは、会津を舞台にした「八重の桜」ではなく、徳川時代の磐城平藩や中村藩、或いは戦国時代の岩城家や相馬家をテーマにした作品が放送された。
#実戦投入されてない。
#*あまりにも地味すぎて批判の的となる。
#*しかも試作機が完成したのは終戦間近。」
#県域テレビ局として「テレビ磐前」と「常磐テレビ」が立地する。
#「STRIKERS 1945 II」で自機として選べる。
#*中通りや[[山口|山口県]]と同様に、平と中村にテレビ局が分散していたかも。
#**平と中村に分散している場合の民放テレビ局は:平が常磐放送(TBS系列)とテレビ磐前(フジ系列orテレ朝系列)で、中村が常磐テレビ(日テレ系列)と磐前総合放送(フジ系列orテレ朝系列)かも。
#*朝の中継ポイントの常連は、四倉港、小名浜港、夜ノ森公園、松川浦のどれか。
#*県域ラジオ局としては「常磐放送」が存在するが、ラ・テ兼営放送局として設立されたかも。
#**「常磐放送」がラ・テ兼営放送局である場合、県域ラジオはAM局で、テレビ放送はTBS系列局になっていた。
#***磐前県内の常磐自動車道や国道6号などに掲示されるAMラジオ局の看板は、エリア内である常磐放送が表示され、エリア外であるラジオ福島は表示されない。
#**「常磐放送」の英語名略称は、「JBC (Joban Broadcasting Company)」になっていた。
#*NHKの県域放送は、NHK平放送局が担当している。
#**NHK平放送局が制作する県域ローカルニュース番組として、「いわさきイブニングワイド」が放送されている。この他には、東北ローカルニュース番組として、「おはよう磐前」や「クローズアップいわさき」が放送されている。
#*県域テレビ局は計4局が立地するが、1983年までに4局が開業している。<!--近隣県を見ると、実史で新潟県と福島県の県域民放テレビ局は、3局目の開業(放送開始)が1981年で、4局が斉った年が1983年。-->
#県域FMラジオ局として、「エフエム磐前」が平に立地している。
#*1981年までラジオタワーが建っていた原町には、「原町コミュニティFM」が設立された。設立時期は1990年代で、全国的にコミュニティFM局が乱立した時期。
#*コミュニティFM局の「SEA WAVE FM」は、平ではなく、小名浜に立地している。正式名称は「小名浜市民コミュニティ放送」。
#**一方で、平に立地するコミュニティFM局は、「平シティエフエム」だろう。
#県域新聞として「磐前新聞」(本社:平)が創立されている。
#*茨城県の常磐線沿線には、福島民友と福島民報を納入せず、その代わりに磐前新聞を納入している図書館が数軒存在する(日立市立記念図書館、水戸にある茨城県立図書館など)。
#ゼビオ、マルト、スパリゾートハワイアンズの各CMが、磐前県ローカルCMの常連になっていた。
#*スパリゾートハワイアンズは、「常磐ハワイアンセンター」を称していた時代から、磐前県ローカルCMを流していた。
#[[DASH村]]は磐前県に存在する事になるが、福島原発が存在しない為に、強制退去を免れてそのまま存続していた。
#*DASH島という企画は制作されなかった。
#*2003年と2006年にDASH村で起こった火災は、福島民報ではなく、磐前新聞によって報じられた。
#*三瓶明雄は、福島県伊達市に移住せず、そのまま磐前県に留まっていた。
#テレビ番組雑誌は、宮城県と磐前県で一つのエリア(宮城・磐前版)になり、福島県は単独のエリア(福島版)になっていた。
#磐前県を舞台にした漫画やアニメも制作された。
#*茨城県または宮城県を舞台にした漫画やアニメでは、主人公の対抗チームに磐前県を本拠地とするキャラクターが登場しているかも。その逆もまた然り。


===F6F===
==関連項目==
#愛称はヘルキャット。地獄猫。
*[[もし福島県浜通りが宮城と茨城で分割されていたら]]
#*「魔女」とか、「悪女」という意味があるそうです。
#零式艦上戦闘機を一番多く撃墜した戦闘機。
#F4Fの後継機。
#2000馬力級のハイトルクエンジン。
#形からは想像できないような高性能。
#*意外と運動性も良かった。
#武装=12,7mm機銃。
#F4Fと比べて設計の目新しさは全く無い。そこが採用の決め手。
#*ただ、大きさを比べると相当でかくなってる。
 
===F8F===
#ベアキャット。
#*直訳するとパンダ?
#超高性能。
#Fw190の設計思想に影響を受けている。
#*零戦の影響もそれなりに受けている。
#アメリカ製の機体には珍しく、機体は徹底的に小型化された。[[零戦]]より小さい。
#*おかげでコクピットも零戦より狭くなってしまい、パイロットには不評だった。
#活躍の場がなく、いつの間にかいなくなった。
#*ペイロードが少なかったのが災いして、F4Uに主力の座を奪われてしまった。
#*でもベトナム戦争の前哨戦であるインドシナ戦争ではフランス海軍の供与機が活躍したりしている。
 
===P-38===
#ライトニング。
#19XXシリーズの主役。
#*ストライカーズ1945シリーズにも登場。しかし中途半端な性能の上に当たり判定がでかいマゾ仕様の最弱機・・・
#**1945ではホーミングミサイルが使えてフォーメーションアタックのチャージも速いからそこそこの機体だった、1945IIになってフォーメーションアタックがスーパーショットに変更されたため優位性が薄れ、追い打ちのようにF5U登場で酷い機体に。1945+は…もうどうしようもないわ。
#山本五十六長官機を撃墜した機体として有名。
#日本軍から「双胴の悪魔」という仇名を付けられた。
#*ドイツ軍じゃなかった?日本軍は「ぺロハチ」と言っていたような…。
#一撃離脱に徹するようになるとたちまち強力になった。
 
===P-39===
#通称エアラコブラ。
#機体中央に積んだエンジン、プロペラ軸に装備した37mm機関砲、三輪車式の着陸脚と、数々の新機軸が導入された。
#太平洋では[[零戦]]の性能についていけず、「カツオブシ」のあだ名でカモ扱い。
#*重心位置に置いたエンジンのおかげで安定が良すぎて、戦闘機に必要な加速や運動性能が足りなかったらしい。
#大西洋のイギリスでは、「こんなのいらない」とソ連に送ってしまった。
#だがソ連では、地上攻撃に制空戦闘に大好評で、アメリカに「もっと欲しい」と要求。結局、生産された大多数がソ連に送られることになる。
 
===P-40===
#ウォーフォーク。
#*Warhawkなので、ウォーホークの方がしっくりくる。
#陸軍航空隊。
#映画パールハーバーで零式艦上戦闘機と空戦。
#*映画の中ではドッグファイトを演じた挙句にゼロ戦二機を空中衝突させるという離れ業をやってのけた。
#**実際には、零戦の方が運動性能が高いのでこういう事をやるのはムリ。
#***大戦初期は低空低速のドッグファイトというP40が最も苦手、しかも零戦が最も得意とする勝負を挑み撃墜されるパイロットが続出した。
#運動性は零戦にまったく歯が立たなかったが、撃たれ強い機体とパワフルなエンジンを生かした一撃離脱戦法で挑めば互角に戦えた。
#航続距離の短さはBF109に引けを取らなかった・・・
 
===P-47===
#サンダーボルト。
#空飛ぶ樽。
#*横から見ると太っちょだけど前から見るとそうでもなかったりする。
#ごつくて頑丈な機体に大量の武装を載せ、重くなった分は大出力のエンジンで相殺するという、いかにもアメリカンな機体。
#*アメリカ人の好みにも合ったのか、戦後エアレースなど民間でも人気があった。
#*現在も飛行可能な機体が多数現存している。
#*いかにも重くて航続距離が短いように見えるが、決してそんな事はない。
#12,7mm機銃8丁搭載。この火力と軽爆撃機並みに積める爆弾&ロケット弾で欧州戦線の地上攻撃に大活躍。
#*おかげで二代目「サンダーボルト」の名は、専門の[[攻撃機#A-10|攻撃機]]に受け継がれることになる。
#「家族への写真にはP-51、生き残るならP-47」と言われた。
 
===P-51===
#マスタング。
#第二次世界大戦中最高の戦闘機。
#*世界の戦闘機トップ10では初期のジェット機を押しのけて上位に食い込んだ。
#陸軍航空隊。
#映画プライベートライアンで一瞬だけでる。
#数々のエースパイロットが生まれた。
#前採用の戦闘機じゃ爆撃任務のB17をロクの守れないから開発。
#今でもアメリカの大戦機愛好家の方達が乗りまわしてる。
#俳優のトムクルーズ氏も所有している。
#架空戦記ではカマセ犬になる。(日本の架空戦闘機にバタバタ撃ち落される。)
#*つまり架空戦記でもなければバタバタ撃ち落せない程の高性能機なのである。
#**あの、加藤中佐率いる第64飛行隊の隼に落とされていますんですが…。(落とした檜さんは『隼でも対抗できる』とかいってたな)
#***一部の実力者達が互角に戦っている間に他の味方はどうしていたのかなって話ですなw
#****対抗できたのは一部の実力者だけ・・・
#*****大戦後期は旧式機だから、それは当たり前だと思うよ。
#*****疾風や紫電改、5式戦なら、対抗できた。(て言うか、ライバル機)
#**1×1のドッグファイトなら、紫電改や疾風の方が強いです…。(運動性能では比較になりません)編隊空戦ならムスタングの方が上ですが。
#***ところが編隊空戦でも、同じ日本軍でも'''陸軍の無線機はそれなりに通じた'''ので手ごわかったんだな。
#実は(試作機だけだけど)艦上型も作られ、試験飛行の結果も悪くないので、ノースアメリカン社が米海軍に売り込んだ。でも米海軍の整備陣から「海で貴重な、真水を使わなきゃならん機体なんぞいらん!」と言われ、買ってもらえなかったエピソードがある。
#*…というわけではなく、着艦特性の問題らしい。
#最初は戦闘爆撃機として開発された。戦爆としての名前は「A36 アパッチ」
#*違う。初期型(P-51A)はアリソンエンジンを搭載していたが、高々度性能が低かったので、マーリン搭載のP-51B登場後に戦爆に転用したら上手くいったので本格的な対地攻撃機形が作られた。
#ドイツ人が設計し、イギリス人のエンジンを載せ、アメリカ人が量産した。そりゃ強くなるよw
#横から見るとデブっちい。斜め前から観賞しましょう。
 
===P-61===
#ブラックウィドウ。
#*クロゴケグモという意味。
#夜間戦闘機。
#多分陸軍航空隊。
#レーダーが付いている。
#なんかの漫画に出てた。
#旋回砲塔搭載。
#双発。
 
===P-63===
#キングコブラ。
#上記P-39のコンポーネントを踏襲しつつも、その実ほぼまっさらの新型機。
#性能は高かったが水平速度がP-51ほど出なかったのと航続距離が短かったのとで主力機の座を逃した。
#*そしてやっぱり大半がソ連に送られた。
 
===F-82(ツインマスタング)===
#マスタングを横に2機並べて、翼をのばして繋げただけというとんでもなく安易な戦闘機。安易な改造の割には駄作機化しなかったようだ。
#*[[こちら葛飾区亀有公園前派出所ファン|こち亀]]いわく「アメリカ人の合理精神はすごすぎる」「2本組のアイスキャンデーみたいだ」
#*じつは大部分は新設計だったりする。
#朝鮮戦争で活躍したらしい。
#元の名前はP-82。あまりにもわかりにくい海軍機の名称を整理するにあたって、「三軍統一呼称」の名目の元、名前を変えられてしまった。
#航空自衛隊でも使用したジェット練習機T-33の原型であるジェット戦闘機P-80(F-80)より数字が大きいことでもわかるとおり、ジェット戦闘機より年下のレシプロ戦闘機である。
===フライングパンケーキ===
#形がパンケーキ。これで飛ぶんだからすごいものだ。
 
==イギリスのWW2中の戦闘機==
#アメリカと比べるとどうしても地味な印象を受けてしまう。
#*だってスピットファイア以外は本当に地味なんだもん。
 
===モスキート===
#ベニヤ板製だが超傑作機。
#爆撃機として作ったつもりが余りにも出来がよく戦闘機にまで使われた。
#家具作りのテクニックが流用
#ベニヤ板製故か飛べる現存機が無いらしい。
#*確かあるよ。
#*WWII時の主要なRAF機はBoBミュージアムがフライアブルで所有指定している。
#夜間戦闘機型も生産された。夜間戦闘機としてはトップクラスの性能ではないだろうか。
#*単発のF6F-Nシリーズがあるのでそれはない。
#*トップクラスと書いてあるじゃないかw
#基地の家具で修理した事もある。
 
===デファイアント,ロック===
#駄作機。
#まったく役に立たない動力砲塔。
#機体上部に装備した旋回式の機銃のみが武装の戦闘機。
#*コンセプトは同じだが、まったく別の機体。デファイアントは空軍、ロックは海軍の所属である。
#「敵は前方にしか撃てないが、こちらは四方八方に撃てる。圧倒的じゃないか我が軍は」というコンセプトだったが、逆に前方が無防備であることが速攻でばれて戦闘機失格。
#こんな機体が同じ時期に2種類存在するのがイギリス軍クオリティ。
#*海軍は当初デファイアントのキャリアライズを希望したのだが、空軍の横槍で頓挫。その為、海軍機であるスクア艦爆をベースに作ったのがロック。
#飛ばせるより、滑走路上のあちこちに停めておいて(割と手軽に)移動できる(そこそこ)強力な対空機銃としての方が役に立った。
#銃塔部分は上部を外し、かつ背面飛行でないと脱出不能というマゾ設計。
#それでも、デファイアントはBoBでちょっとだけ活躍した。
#*鈍いJu-87相手じゃないかw
 
===スピットファイア===
#大戦中の三大イギリス傑作機の一角を占める。
#ドイツ空軍のアドルフガーランドは空軍司令官のゲーリングに向かって「イギリス軍のスピットファイアが欲しい」と言い切った。
#*スピットファイアの方が航続距離が長かった為。もっとも日米から見ればどんぐりの背比べだったのだが。
#*隼辺りがドイツに渡っていたら、と考えると少し想像が膨らむ。
#**いずれは物量戦と燃料不足で負けていたさ。
#タイ、ビルマ、オーストラリア上空で日本軍とも戦っている。ただし、ゼロ戦や隼などの日本軍の戦闘機には簡単に打ち落とされていた。
#*本国の中古で、しかも輸送中に劣化してた。
#*士気の問題もあると思う。ここで負けたら祖国自体が無くなるBOBと、本国から遠く離れたオセアニアでは緊迫感が全然違う。
 
===ハリケーン===
#戦闘機としてはいまいちだったが戦闘攻撃機としては結構活躍した。
#*イギリス版「P-40」だよね。
#*戦闘攻撃機型は武装が7.7mm×12→20mm×4→40mm×2と大きく変遷した。
#**この12丁装備型に撃たれたパイロット曰く「クリスマスツリーが突っ込んでくるみたいだった」とのこと。そりゃあ煌びやかだったことでしょう。
#戦闘機はスピットファイアが食い止めてハリケーンは爆撃機を迎撃する、という役割分担だったらしい。
#帆布張りの胴体のおかげで痛みにくく、砂漠のアフリカ戦線で大活躍。
#スピットファイア同様、日本軍の戦闘機とも戦ったが、スピットファイア以上に日本軍戦闘機には歯が立たなかった・・・。
 
===タイフーン,テンペスト===
#イギリス天災シリーズ第二弾。[[戦闘機#ユーロファイター|こっち]]じゃないよ。
#ハリケーンの後継の戦闘機として開発されたが、先代同様戦闘攻撃機として活躍。
#2種類のエンジンが想定されていたが、どちらもイギリス製の変態系エンジンである。
#アドバンスド大戦略98Ⅱでは超優秀ロケット弾発射機として使われる。
#テンペストはタイフーンの改良型。こいつは戦闘機としても一流でタイフーンのような任務でも一流だった。
#*4機の試作機にそれぞれ別のエンジン(どれも2000馬力クラスの高性能)を載せて一番良いのを採用するという、同時期の日本が聞いたら泣きそうな方法で開発された。
#**ただし日本がとっくに火星二〇系の量産準備に入ってる頃に、'''クランクシャフトが空飛んでったり'''、'''始動に失敗すると爆発したり'''とかそんなんばっか。
 
===ボーファイター===
#何でも屋。
#ボーフォートの姉妹品なので慣れるまで見分けられない。
#後部座席は完全に独立しているので寂しそう。
#対地攻撃、対艦攻撃、対爆撃機戦闘、対重戦闘機戦闘、偵察eteとなんでもこなした。
 
===フルマー===
#何を血迷ったか洋上航法手席を装備した戦闘機。
#日本海軍パイロットの"スピットファイア撃墜"報告の中にはこいつがずいぶんと紛れ込んでいる。
 
===グラジエイター===
#イタリアのCR.42と同じ複葉戦闘機。ただし、イギリス軍がこれを大戦中期まで主力として使っていたかは別。
 
==ドイツのWW2中の戦闘機==
#プロペラ軸に機銃を仕込むのが大好き。
#夜間戦闘機のアンテナが素敵。
#*格好いいけど空気抵抗はかなり大きかったらしい。
#空軍内部で重武装重視か運動性重視かで論争が起きたらしい。
 
===メッサーシュミットBf109===
#ドイツ軍の傑作機。
#*航続距離が短いのが難点。(ドイツの戦闘機はみんなそう。)
#**重武装化に手間取った。
#様々な改良を施し大戦末期まで使ったが最後は魔改造気味になって扱いにくくなった。
#開発当初は主翼に機銃を搭載する事を想定していなかった。
#*搭載する予定のモータカノンが不調だった事も重なって大戦後期まで重武装化に手間取ってしまった。
#零戦より古参だが、最後まで若輩機に屈する事がなかった。
#第二次大戦後、[[チェコ]]で生産されたBf109(チェコ名称:アヴィアS-199)を、独立戦争中の[[イスラエル]]が導入。
#*アラブ諸国のスピットファイアや、マッキMC205相手に奮戦することになる。
 
=== フォッケウルフ Fw190 ===
#ドイツ軍の超傑作機。
#*アメリカ軍から'''ドイツ軍最良戦闘機'''と評された。
#傑作機ではあったが、それでもマスタングは荷の重い相手だった。
#*A9までは高度7千メートル以上が苦手だった。
#最初はBf109をバックアップする機体として開発されたが、予想以上に高性能だったため主力戦闘機の座に並ぶことになる。
#初期型は空冷エンジン、改良型では液冷エンジンを使用。
#*これは液冷エンジンがBf109に優先使用されるので、競合を避けるための措置。
#設計者のクルト・タンク博士の哲学、'''『戦闘機は競走馬ではない。軍馬なのだ』'''を形にした機体。
#最終型?のD-9は胴体部分が延長されたお陰で別の戦闘機に見える。
#*A-9まではお世辞にもスマートとはいえない無骨なデザインだが軍馬だからこれでいいのだ。
#戦地での運用をかなり意識した設計がされていた。
#*部品を間違えて取り付けてもすぐわかるようにしていたらしい。
 
=== フォッケウルフ Ta152  ===
#ドイツ軍の超超傑作機。
#開発者のタンク博士が自ら操縦して試験飛行中に米軍のマスタングに遭遇、攻撃されたがあっさり振り切って逃げた。
#*我に追い付く敵機無し。
#**競技場のサラブレッドではなく戦場の軍馬なのだがサラブレッドより足が速かった。
#高高度戦闘機としては文句無しだが、低空、中高度では実力を発揮できなかった。
#スミソニアンに一機だけ解体状態で保存されているとか、復元希望!
#運用開始は1945年1月、遅すぎた・・・
#実戦投入されたFWの中では唯一のモーターカノン搭載機・・・だったはず。
#博士の異常な愛情。または私はいかにしてDBへのこだわりを捨てユンカースを愛するようになったか。
#まぁ皆が知ってるカタログ値は実際に計測したわけでは……うわっ、何をする!?やめ…
 
=== ハインケル He219  ===
#ドイツ軍初の本格夜間戦闘機。
#ドイツの夜間戦闘機ではモスキート(夜戦型)とまともに戦える数少ない機体だった。
#射出座席装備。
 
===メッサーシュミットMe163===
#航続時間8分を誇る世界初の「ロケット」戦闘機。
#*滞空時間を12分に延ばした試作機もあったらしい。
#薬品漏れを起こしてパイロットが溶けてしまう事があったらしい。
#*溶けると困るのでパイロットスーツの素材にアスベストを導入したらしい。
#コメットさん。
#基地を迂回されてお役御免に。
 
 
===メッサーシュミットMe262===
#世界初の実用ジェット戦闘機。
#空軍のブタ元帥はジェットの将来性を理解する事が出来なかった。
#速度が一気に低下してしまう為、急旋回はご法度だった。
#*速度低下どころかエンジンが停止する事もあった。
#*速度が上がれば無敵だったが、低速、特に離着陸時はただのカモ。これを護衛するのに使われたのがTa152 。
#**そのTa152も低空では性能を充分に活かせなかった。
#さっさと戦闘機型を投入すれば良かったのに・・・ちょび髭の伍長め!と嘆くドイツ軍ファンは多いらしいw
#トップエースを集めた第44戦闘団に配備され、ドイツ空軍最後の輝きを見せた。
#*指揮官はアドルフガーランド、夢のスーパーエース部隊。
#**これまでに無い新型を扱う為に各営業所のトップを集めて部署を立ち上げて苦労しながらノウハウを掴み、やっと成績が上がった頃には会社が倒産してしまった。
#現在アメリカで、飛行可能なレプリカが製作されている。オリジナルの製造元メッサーシュミット社(現EADS社)正式許可だそうな。
#エンジンスロットルの操作が速度に反映されるまでにタイムラグがかなりあった。その為、隊長機が加速するのを見てから自機の出力を上げたのでは間に合わないと言う現象が…。
 
===ハインケルHe162===
#ハインケル社開発のジェット戦闘機。通称はザラマンダー(火トカゲ)。
#「安く大量生産できるジェット機を緊急に作れ。あと資源も節約してね」という空軍の無茶な要求に、ハインケル社が応えてしまった機体。
#*ジェット機でありながら、機体の大部分が木でできている。
#*1944年9月30日に空軍省とハインケル社が契約、同年10月29日設計完了、同年12月6日に初飛行、翌年1月にテスト部隊に納入という恐るべき速さ。
#脱出する時に下手をするとエンジンに吸い込まれてミンチにされてしまう恐ろしい国民戦闘機。
#接着剤が取れてバラバラになることもあった。
 
===ドルニエDo335===
#コクピットの前後にエンジンを搭載するドルニエ社製超個性的双発戦闘機。
#*格好良いのか悪いのか・・・とにかく個性的なデザイン。
#愛称はプファイル(矢)。
#*開発現場では「アマイゼンベア」(オオアリクイ)のあだ名で呼ばれた。横から見ると確かに似ている。
#この機体を2機横に繋げた「四発機」の計画もあった。実現していたら、ツインムスタング以上のゲテモノぶり。
 
===ホルテンHo229===
#全翼型戦闘爆撃機、しかもジェットエンジン搭載。
#試験飛行のみで実戦には参加しなかったらしい。
 
===メッサーシュミットBf110===
#双発で高速な重戦闘機、として開発された。
#戦闘機として使えたのは大戦初期だけだった。
#*バトル・オブ・ブリテンでは大損害を出してしまった。
#**でも代わりにドイツ本土を爆撃しにきたB-17やハリファックスを大量に打ち落とした。
#攻撃機や夜間戦闘機のイメージが強い。
#これに乗ってヘス副総統がイギリスへ脱出。
 
===メッサーシュミットMe210===
#Bf110の高性能バージョン、になる筈だった・・・
#操縦性は劣悪なのに生産を強行してしまった・・・
#改良したものの操縦性は好転しなかったので後継機Me410を開発する事に・・・
#あまりの欠陥機ぶりに、設計者が軍事裁判にかけられたほど。
 
===メッサーシュミットMe410===
#Me210の再設計バージョン。
#確かにBf110を超える性能を発揮して投入した初期は爆撃機の迎撃に活躍したものの、やっぱり米英の戦闘機には歯が立たなかった。
#それでも攻撃機や偵察機としては活躍できた。
#こいつは夜間戦闘機にしなかったのだろうか?
 
===バッヘムBa349===
#通称はナッター、滞空時間2分を誇る恐怖の有人ミサイル。
#*一応改良型もあったらしい。滞空時間は倍の4分だとかw
#専用のランチャーから発射された後は目標近くに無線誘導され、目標に向かって機種のロケット弾を発射!その後パイロットはパラシュートで脱出する。
#有人の実験では発射の衝撃でパイロットが失神して墜落死するという無残な結果しか得られなかったらしい。
#こんな無茶な代物を有人で実験する辺り、当時の第3帝国の窮状が窺える。
#操縦席天蓋のヒンジは家具から転用。当然発射と同時に取れた。
 
==旧日本軍の戦闘機==
#ほとんどの戦闘機が運動性能、速度重視。
#*防弾はその後。
#**速度はそれなりに出るがトルクが細かったりする。
#***格闘戦と航続距離重視、じゃない?
#****確かに・・・・。しかし、例外も多々あるよ。(紫電など)
#*****それでも日本軍の「短い」ってのは1000kmちょっとのことだから……600~700km程度でごちゃごちゃやってた独英の戦闘機とは文字通り桁が違う。
#**防弾に関しては陸軍と海軍で温度差があった。陸軍は早い時期で防弾を考えていた。
#アメリカと違い、20mm機関砲が大好き。
#*アメリカ機の防弾装置をブチ抜くため。
#*アメリカの攻撃機から戦艦を守るための武装。
#終戦直前に開発された戦闘機は性能の良いものばっかり。(烈風や震電など)
#*カタログスペック上はね・・・。  熟練工は徴兵され、資材は底をつき・・・・・。
#**震電に至っては試験飛行しただけで終戦。
#***なんとか実戦投入された機体は「対抗できた」が精一杯。
#ちなみに陸軍の無線機は[[NEC|日本電気]](NEC)、海軍は日本無線。
#*両者の性能差、信頼性の差は戦後会社の規模として反映されてしまった……
#**NEC:世界で通じる日本の情報機器トップメーカー。スパコンを製造できる世界でも数えるほどしかない企業。
#**JRC:通好みのPHS以外はおおよそ一般に知られていない通信機器メーカー。
#*あの加藤建夫は無線による連携戦を重視していたらしい。上手くいくとその日は上機嫌だったとか。
#**他にも陸軍の戦闘機隊指揮官には無線を重視していた人間が多い。死重扱いして無線機下ろしたりアンテナ切断したりしてた海軍とは真逆。海軍の方が技術的に造詣があったなんてのは[[wikipedia:ja:陸軍悪玉論|かのステレオタイプ]]に毒された人間の妄想でしかない。
#*陸軍の航空無線は本州全域をカバーする能力を持つらしい。
#P-40と同様の"90°回して収納する脚"は最後まで真似できなかった。
 
=== 零戦 ===
→[[零式艦上戦闘機]]へ。
 
=== 紫電、紫電改 ===
#アメリカの新鋭機と互角に戦える戦闘機だったらしい。
#*F4U:1942年登場 F6F:1943年登場 対する紫電改は1945年。本当の米新鋭機が相手ならかなり不利。
#アメリカ軍からは、とても優秀な戦闘機と評された。
#*ヘルキャットやF4U相手なら、相手とほぼ同じ技量を持ってたら、落とすことは可能だったらしい。(P-51相手なら、ちょっとの技量がなければだめだが)
#**ほぼ同じ技量の持ち主とやらは大戦中期から減っていく一方だった・・・
#***中間程度のパイロットのことです
#が、紫電の方は割と駄作っぽい。
#*「改」とついてはいるが、実はほとんど別物である。
#**実は水上戦闘機をベースにしている。
#自動空戦フラップはアナログコンピューターを使っているわけではなく、ただの水銀スイッチ。
#機体強度はこの時代の戦闘機としては最低水準。急降下で逃げたり横滑りさせるとやばい。
 
=== 雷電 ===
#零戦の後継機らしい。
#*日本の兵士達からの評判は悪かったらしいがアメリカの兵士達からは、乗り心地が良いと言われた。
#*一応、局地戦闘機(迎撃機)だったが高高度での迎撃は、不可能に近いらしい。
#**不可能では無かった。まあ、零戦に比べたらまだマシ。
#***マシどころか、マリアナから東京を空襲に向かったB-29が厚木の雷電に襲い掛かられてバタバタッと落とされることは良くあった。
#****B-29のクルーがこの恐怖から解放されるのは、ルメイの無差別爆撃で雷電を飛ばすことが困難になってから。
#一部の機には排気タービンが搭載されているが不安定な為、なかなか、B-29を落とすことが出来ない。
#*排気タービン積んだのは試作型だけ。設計ほどには過給してくれず。 しかもソレが重すぎて、従来型より上昇性能が悪い。
#日本版P-47サンダーボルト。
#雷電でムスタングを二機撃墜すると言う離れ技をやった少尉がいる。
#*赤松貞明少尉。後期の数少ないエースで零戦でもF6FやP-51を撃墜している。
#**この人はもはや超人なので…。 
#***っつーか、日本人は[[wikipedia:ja:ハンス・ウルリッヒ・ルーデル|某大佐]]の事を超人・生軍神扱いしてるけど、日本人にも無体なの多いんだよな。なんつっても日本機はドイツ機の倍の距離飛べても「アシが短い」って言われる世界だから。
 
===疾風===
#日本機の中で珍しく、防弾性に優れている。
#*しかし、F6Fには敵わなかったらしい。
#**F6F? ムスタングじゃなくて?
#***しかし、日本軍機の中でムスタングと互角に戦えるのは当機くらい
#****互角とは言えないが紫電改、五式戦もなかなかの戦果を挙げた。
#*実は、陸軍が海軍の零戦をインスパイヤして作った戦闘機が当機。
#**インスパイヤと言うより、中島飛行機の保守的な技術が生かされている
#***零戦の雰囲気なんてどこにも無い…。純中島式。
#****実は零戦の方が中島の97戦をパクってる。
#実戦投入された旧日本軍の中で一番速い。
#*最高速度680km/h超。ただし、アメリカ製のハイオクガソリン、アメリカ製のエンジンオイル、アメリカ製の点火プラグ、アメリカ製の電気ケーブルを使ったときの記録。
#*最速は「戦闘機」という限定がつく。
#日本軍最優秀戦闘機。
#*まともに動けばね。
#**最初の100機くらいはまともに動く。
 
===桜花===
#1200キロの爆弾を装備させた人間爆弾。あたれば、戦艦を一撃で撃沈させられる。使用する際は一式陸攻に装備して空中で切り離す。
#*しかも、ロケットエンジン。やろうと思えば音速を超えることも可能。母機は、元々銀河だった。
#**音速はとても無理だった。漫画のようにロケットをいっぺんに点火することは不可能だったそうだ。
#***投下後ロケット点火で数秒だけ加速、そんで滑空して特攻するモノ。遅過ぎてポンポコ撃ち落とされたって話だぞ?
#***母機は当初から一式陸攻。しかし下記の用に母機もろとも撃ち落される事が多かったためより高性能な銀河を母機とする型が計画された。
#*しかし、目標に達する前にアメリカの戦闘機に母機(一式陸攻)もろとも撃ち落とされ、桜花により撃沈された船は無い。
#**駆逐艦1隻沈めてますよ。あと貫通してから爆発したものもあるとか。
#***たった一隻じゃないか。損害と戦果の割合が大きすぎる。最も特攻自体(ry
#でも、ザ・コックピットの「音速雷撃隊」では、戦艦に命中し、その戦艦は沈んでいった。当ったときの威力は捨てがたい。
#*[http://jp.youtube.com/watch?v=x8XYI4FyixY 空母じゃなかった?]
#桜花で特攻するよりも零戦や一式戦闘機で特攻したほうが死亡者数を減らせるのでは?まあ、威力は桜花の方が高いけど。
#連合国が付けたコードネームは'''BAKA'''。これについてはまったく同意する。
#*搭乗員は真剣だったのだろうが、事前検討や訓練の段階で破綻は明らかであるにもかかわらず、実戦投入を強行した上層部は馬鹿呼ばわりされても仕方がないと思う。
#**確かに部下に「死ね!」と言っておきながら、自分たちは安全圏にいる上官はまったく呆れるほどバカ。自分だったら部下に死ね呼ばわりするくらいなら自分で特攻して死ねって思う。
#***そういうことを言っているのではない。必要なら命をかけろと命令するのが軍隊だが、それは状況を冷徹に判断して行うこと。上官としての義務を放棄した者を馬鹿と言っている。
#***一方で通常夜間攻撃で戦果をあげ続けた部隊も存在するのだが、そこの隊長は'''斜銃馬鹿'''だったりする。
#*連合国の連中にしてみれば特攻なんてあまりにもバカバカしいやり方だったこともあるが、高射砲をガンガン撃ちまくってもお構い無しに体当たりを仕掛けてくる特攻隊に前線の水兵たちは戦々恐々となっていたため、士気を上げる目的で嘲笑するかのようなネーミングがなされた。
#**確かにザ・コックピットを見た時、桜花が敵空母に突撃するとき、洋巡艦等からの対空砲が後方で炸裂してた。
#***いやお構い無しって言うのはそこじゃなくて、アリの這い出る隙間も無いほど撃ちまくって大半が撃墜されてるにもかかわらずなお体当たりを仕掛けてきて、しかもそれが毎日続くんですよ。中にはションベン漏らしたヤツがいるとかいないないとか。そんな中ついに特攻専用兵器まで繰り出してきたから '''baka bomb''' なんていうコードネームがつけられたわけで。
#****話題がだんだん桜花じゃなくて、特攻の話になってきたような。
#****コードネームの件では避けられないことなんで勘弁してください…
#以外に零戦と同じく、桜花のバリエーションは多いが実線投入されたのは11型だけ。
#ここでは指揮官の心構えや覚悟じゃなくて「戦闘機/第二次世界大戦中」について語っていただきたいものだw
#試作品には地上発射型、潜水艦発射型がある。すべて運用してればソ連のミサイル飽和攻撃作戦もびっくりなことに
#*ソ連もびっくりの集団自殺ってか?w
#ってか炸薬量1200kgって事はまんま大和型の砲弾だったのか?
 
===震電===
#エンテ式(後ろにプロペラ)の局地戦闘機(迎撃機)。実用高度12000メートルで試作機一機しか存在しなかった。
#*この機があったら、B-29の本土爆撃を食い止められたかもしれない。
#*たしか、保存機があったような
#**アメリカのスミソニアン航空博物館に分解された状態で保存されている。
#*実用高度12000メートル、最高時速750キロ、どちらも机上の計画で終わってしまった。
#同型機にアメリカ軍のP-55がある。
#*そのアメリカでさえ、XP-55を実線投入できなかった。
#よく、架空戦記では架空機のモデルにされることが多い。
#*「スカイ・クロラ」には、無残に変わり果てた震電が登場している。
#計画最高時速750キロ。この時点で反則な戦闘機。
#本機のデザインは日本軍というよりドイツ軍の試作機と言われた方が納得できる気がする。
#1回しか飛ばなかったために結局真の性能は謎のまま。
#*エンジン全開でもないのにトルクが強く、当て舵をしないとまっすぐ飛べなかった。
#離陸で尻餅をつくため、途中でちっこい補助輪が付いた。
 
===隼(一式戦闘機)===
#疾風と同じく、陸軍が海軍の零戦をコピーした機。
#*性能は、零戦と同じかそれ以下
#**でも、上昇力、加速力は零戦よりも当機のほうが上
#*コピーでもなんでもない。と、いうかどこを見ればそんな結論になるのか?
#*試作機の完成はキ-43の方が先だから、明らかにガセ。逆に12試艦戦の試作機は、キ-43の試作機が完成してからモックアップ審査を受けている。怪しい・・・
#零戦と同じく防御力が低い。
#*その性能の悪さから一式戦闘機に残された道は特攻しかなかった。
#*後期型は防御使用だし、ムスタングを落しているよ
#**防弾は最初から想定していた。陸軍機は九七式の途中から全部防弾仕様。ブローニングM2(12.7mm)程度なら不意打ちぐらいは堪えられる。これ重要。
#***始めから燃料タンクに防弾ゴム、巻いてあったんだよね。
#タイ軍でも使用された。
#加藤建夫率いる飛行第64戦隊で有名。
#零戦のコピーじゃない。まったくの別設計。
#*と言うより、計画が零戦よりも前。
#武装も貧弱。機首両側にしか機銃を装備できない。
#*まぁ零戦が対戦闘機で7.7㎜しか使えなかったのに比べれば幾分マシかと。
#1943年の時点で「P-38に翻弄され、もはや一式戦の時代に非ず」と嘆く軍人がいたらしい。
#*初戦のように相手を格闘戦に引き込むのが難しくなったからね。
#大戦中期を過ぎた頃には機体の長所を最大限に活かせるベテランパイロットでなければまともに戦えなかったらしい。
#乗員の保護、という点では零戦よりは考えていた。「被弾し、発火した時の事を考慮して」胴体内に燃料タンクを設置しなかった。
#*零戦の胴体タンクはエンジンの後ろ側に小さいのがあるのだが、栄一二型から二一型への換装によってスペースが圧迫され何の為にあるのかわからない'''生産性を阻害するだけの存在'''になっていた。
#隼三型ではムスタングを圧倒できると豪語したパイロットもいた。
#*逆に連合軍ではP-51やスピットファイアMk.XIであっても隼と格闘戦は厳禁とされていた。
#**つまり、それだけ陸軍には腕のいいパイロットが残っていたのである。そこまでの経緯も違うだろうが、やはり一番大きいのは、零戦と隼(を含めた陸軍戦闘機全般)の決定的な差、つまり防弾の有無だろう。最初はヘボでも出撃を繰り返せばベテランだ。
#隼二型でB-29に火を吹かせた豪の者もいる。
#加速性能が良かったためP-47やP-51といった米英の新鋭機にも劣らず、低空においてP-47が急加速した一式戦に引き離された、という事例も報告されている。
#*三型になると零戦より防弾・上昇力・運動性が優越した機体になり、米軍から「零戦よりも手強く油断のならない機体」と評価された。ただ火力が不足・・・
#*二型の時点で米軍のM2ブローニング.050cal(12.7mm)ではやや力不足だった。これは同時期の陸軍機全般に言える。
#*そもそも陸軍は三式戦、四式戦と隼・鍾馗の後継機をちゃんと開発させている。米軍だってF4F(性格にはゼネラルモータースFMだけど)を終戦間際まで生産している。
#名パイロット檜與平氏は有名だよね。[http://www.youtube.com/watch?v=0yHlloZoUeM 生前のお言葉。]
 
=== 烈風 ===
#零戦の本当の後継機。艦上戦闘機でもある。
#*性能がよく最高時速624キロ、高度6000メートルまで6分5秒と良いが航続距離が零戦より短い。
#量産機が名古屋港沖に捨てられたがそこに防波堤が築かれてしまい、現存機は無い。
#「零戦なみの格闘戦性能・F6F並みの速度性能・発動機は誉を使用すべし」という、日本海軍上層部からの無茶な要求を突きつけられて開発せざるを得なかったので、開発が大幅に遅れてしまった。エンジンはのちに換装した。
#*そもそも開戦後の昭和17年の段階で完成していない(三菱ハ43はもちろん、誉も完成していたとは言い難い)エンジンを頼りに開発やった時点で間違い。
#**最初からハ43でやってたとしても、どうせ終戦には間に合わない。最初からハ43で設計したキ-83も震電も結局間に合っていない。
 
=== 秋水 ===
#陸軍と海軍が協力して開発した局地戦闘機。
#しかし、飛行時間がたったの4分のため、空戦が終了したら、滑空して基地に戻るらしい。
#*基地は[[柏市|柏飛行場]]。
#ロケットエンジン搭載。ドイツから設計図を貰うはずだったが届かなかったため自前で開発するハメに。
#*Me-163の設計図を機密の為に二隻の潜水艦で二つに分けて運んだら一方が撃沈されたために片割れの設計図で何とかしなければならなかった。
#*ロケットエンジンの燃焼室を溶接で作る技術が日本になかったため、金属の塊から削り出して作ったらしい。こういう職人芸ならあったわけだ。
#*エンジンの陸軍名称は「特呂二号」、海軍名称は「KR-10」という。
#**これは、陸軍は「特殊ロケット」の、海軍は「くすり(薬)ロケット」の略。どっちもセンスねえ……。
#***漢字を織り交ぜることによって米英軍にその名称の意味を理解できにくくする意図もあったとか。
#高速化対応のため水平尾翼が無い。
#使用する燃料が金属を腐食させるため、燃料ビンは瀬戸物で作られた。[[佐賀/松浦#有田町の噂|有田]]、[[愛知/東尾張#瀬戸市の噂|瀬戸]]、[[愛知/知多#常滑市の噂|常滑]]、[[甲賀市#信楽の噂|信楽]]など、日本各地の生産地が駆り出された。
 
=== 剣 ===
→[[爆撃機#キ-115 剣|爆撃機]]へ。
=== 橘花 ===
#ジェットエンジン搭載の特別攻撃機。
#搭載してたエンジン「ネ-20」の不調で実用化にはならなかった。
#ムスタングよりスピードが遅い。
 
=== 五式戦闘機 ===
#四式戦の後継機。
#三式戦「飛燕」の液冷エンジンを空冷に変えただけだが空冷エンジンにした方が性能的によかった。
#液冷エンジンの生産が進まず「首無し」の飛燕が大量にあったため、これも余っていた空冷エンジンを無理やり搭載。
#*そのわりに性能の低下がそれほどなかったので陸軍大喜び。
#*空冷エンジンの搭載方法は、ドイツのFw190を参考にした。
#「奇跡の高性能機」として、本土防空に投入された。
#*パイロットの腕にもよるが、ヘルキャットやマスタングにも対抗できたという。
#性能的には三式戦「飛燕」より劣るのは事実。ただし信頼性は格段に上。武器は信頼性が第一なのは銃のAK-47シリーズが証明している。
#*もしかしたら3年早く実用化していたかもしれない機体。
#*三式戦に劣るのは実は水平最大速度で、マッハ以前のレシプロ戦闘機ではそれほど重要ではなかったりする。
#**エンジンが軽くなったおかげでそれ以外のスペックはおおむね上がっている。
#水平速度は三式戦2型より遅く、三式戦1型甲~丙と同程度、三式戦1型丁よりは速い。
#その他、急降下加速性能:三式>五式 上昇力:三式<<五式 運動性能:三式<五式 等。
 
=== 屠竜 ===
#37ミリ機関砲が素敵な夜間戦闘機。
#「双発の屠龍萌え」と叫ぶ奴ここに一人。
#*否、ここにもまだ居りますぞ!!
 
===飛燕(三式戦闘機)===
#和製メッサーシュミット。シルエットの美しさなら日本戦闘機随一。
#'''まともに動けば'''良い戦闘機だったのだが・・・。
#*日本の戦闘機全般に言える。
#**特に液冷エンジンの分野で弱かったし・・・
#***液冷エンジンと言うよりは……
#****まず選んだエンジンが間違い。DB601は過剰に繊細に出来ていて、ドイツでもDBは政府と軍部が搭載機をかなり絞っていた。
#*****クランクシャフト支持のローラーベアリングは意味がなかったとさえ言われる(普通はオイルメタルによるプレーンベアリング。現代でも、ここにローラーベアリング、ボールベアリングを使うエンジンはない)。
#****陸軍のニッケル使用制限に対し、川崎が生産数確保の為代用資材でそのまんま生産したのも原因。
#*****海軍の熱田は愛知がクランクシャフトを始めとする部品の焼付時間を超長時間化して対応した。その為熱田は不良品の発生率は空冷とほとんど変わらなかった。
#****そもそも、空冷では過給器周りを除けば米英と対等、部分的には進んでいた面さえあるのに、液冷というだけでメッタメタなのはどう考えてもおかしい。
#*****当時のドイツ製品は、アメリカでさえコピー生産を投げ出す代物が多かった。現代の日本製品みたいなもの。
 
=== 二式単座戦闘機(鍾馗) ===
#地味だが日本最優秀迎撃機
#*上昇力は日本軍機最強。5000mまではP-51をも凌ぐ4分20秒、通常出力で8000mまで8分台!
#**水メタノール噴射と推力式単排気管を付けて使い方を間違っていなければ高高度のB29なんて・・・
#ゲテモノ40㎜砲を搭載できる。
===試作戦闘機閃電===
#試作機だが連合軍のコードネームがある。
#日本機にしては変わった形状。
#*サーブJ21が実用化してるので、一応飛ぶ形ではある。
 
==イタリアのWW2中の戦闘機==
===CR.42===
#これに関してはなにも言うまい。
#いや、最速複葉機ってことは言っておいてもいいだろう。
#*スピードが出るってことは、むしろ逆に撃墜されやすいということはツッこんだら負けである。
#戦前に水上機で速度記録作った国の飛行機とは思えない。
 
===MC.200サエッタ===
#ハリケーンと互角に戦うことができ、ソ連のI-15をフルボッコにした。
===MC.202フォルゴーレ===
#紅の豚の戦闘機ではない。
#実は強い。スピットファイアより上。
 
==フランスのWW2中の戦闘機==
#影が薄くて、殆ど話題にされない。
===モラン・ソルニエ 406===
#フランス語読みだと「モラーヌ・ソルニエ」
#[[軍事ファン]]にはこの機体そのものより、「拾ってきた露助のエンジンを載せたら元より性能が上がりました」という、[[フィンランド#フィンランドと戦争|フィンランド]]の魔改造機のほうが有名。
#*その名も「ラグ(超)・モラーヌ」
#**超はメルケ・モラーヌだよ。ラグは「ラヴォーチキン(LaGG)のエンジンを積んだモラーヌ」のこと。
#***ちなみに、この「ラヴォーチキンのエンジン」は、原型MS406の積んでいたイスパノ・スイザのエンジンにロシアのクリモフ設計局が手を入れて強化(860馬力→1100馬力)した物である。なので、魔改造というより「サードパーティ製の他機種用強化パーツを流用した」くらいの方が実情に近い。


===ドボアティン 520===
#Bf109とほぼ同性能。ながら航続距離は倍あった。
#*Bf109'''E'''ね。
#フランス空軍→ビシー政権・自由フランス空軍→(戦後の)フランス空軍で使用、というふうに、政治にかなり翻弄された機体。
==ユーゴスラビアのWW2中の戦闘機==
===イカルス IK.2===
#この機体がゲームに登場してたらたいしたものだ。
===イカルス IK.3===
#Bf109Eより性能が優れていたが、数で押された。
==オランダのWW2中の戦闘機==
===フォッカー D.21===
#欧州でも太平洋でも活躍の機会がまったく無かった機体。下手すると同時期のポーランド機やイタリア機に劣るかもしれない。(さすがにCR.42辺りには勝つんでしょうが)
#*確か「あの」フィンランド空軍が使っていたんじゃなかったかな?
#**Yes.40機弱で180機以上のソ連機を撃墜する活躍を見せた。
#**フィンランドの気候に合わせ、着陸脚の車輪をソリに交換して使用。
==ソ連のWW2中の戦闘機==
===I-15===
#日ソ国境やスペインで頑張ったが、ヤラレメカのイメージしかない。
#*だって複葉戦闘機だもん。
===I-16===
#世界初の単葉引き込み脚(でも手動)の戦闘機
#ノモンハンでは一撃離脱で日本機を悩ませた。
==ポーランドのWW2中の戦闘機==
===PZH.11===
#どう見ても第一次大戦の頃の戦闘機にしか見えません。本当にありがとうございました。
==関連項目==
*[[戦闘機]]
*[[戦闘機/アメリカ]]


[[Category:軍事|たいにしせかいたいせん]]
[[カテゴリ:もしあの県が存続していたら|いわさきけん]]
[[Category:航空機|たいにしせかいたいせん]]
[[カテゴリ:福島|もしいわさきけんかそんそくしていたら]]

2021年3月1日 (月) 12:35時点における版

  • 現在の福島県浜通り。県庁所在地は平(現在のいわき駅付近)。
    • いわゆる浜通りに加えて田村・石川・東白川の3郡も磐前県。分水嶺的に結局福島県に盗られそうだけど。

全般

  1. 浜通りと中通りが別の県になるため、福島原発は存在せず、福島原発事故も発生しなかった。
    • 現実の大熊町と双葉町は同じ市域の「熊川市」で、常磐自動車道熊川ICの近くに工業団地が建設された。
      • 国道288号の始点である熊川の方が、富岡や浪江よりも発展していたかもしれない。(史実の中通りに置き換えると、「郡山の位置に白河が在る」状態になっている。)
      • この合併後の市名が「熊川市」なのは、史実の大熊町中心部を流れる河川「熊川」に由来した名称。市制は1950年代前半の町村合併の時で、長塚村+新山町+大野村+熊町村の4町村合併に伴うもの。
      • 国道6号と国道288号の交差点は、牛踏交差点(国道6号の255.6km里程標の脇)でも小入野交差点(国道6号の249km里程標の近く)でもなく、国道6号の252km里程標の近くになっていた。(史実でいう福島原発入口交差点からやや南に位置する。)
      • 史実で福島原発の原子炉建屋が建てられた場所は、遊園地を持つ海浜公園(国営か磐前県営)になっていた。名称は、7世紀後半の「陸奥国の石城郡の苦麻の村」に因んで、「みちのく苦麻の邑(くまのむら)海浜公園」か。
      • 史実の大熊町域+双葉町域における小中学校も、当然、史実より多かった。
        • 小学校として夫沢小学校(前述の「みちのく苦麻の邑海浜公園」の近く)、小入野小学校、松倉小学校(長塚駅(史実の双葉駅)より山側)が、中学校として夫沢中学校、長塚中学校、新山中学校が、それぞれ存在していた。又、双葉北小学校は長塚小学校を称し、双葉南小学校は新山小学校を称していた。
    • 那須白河新首都構想(史実のFIT構想)に、磐前県は加入しなかった。
    • 福島県は、山地に囲まれた内陸県になっていた。
    • 浜通りが「中村県」として分離独立していた場合も同様だが、水戸と仙台の間の旧城下町に、もう一つ県庁が存在する好影響は大きい。仙台も山形ベッタリにはならず、浜通りも現実とは真逆で隆盛し、存在感も強かった。
      • 史実通り3/11巨大地震が発生した場合、新聞やテレビでの「岩手・宮城・福島・茨城・千葉の各県」という表記が、「岩手・宮城・磐前・茨城・千葉の各県」になっていた。
        • 小名浜に建設された洋上風力発電施設も、「いわさき未来」か「おなはま未来」という名称になっていた。
        • 藤沼ダム決壊による集落壊滅や県庁・須賀川市役所の損壊のあった福島県を外す訳はないだろう。
          • それは違う。盆地のみの福島県みたいな「海無し県」は外されて、宮城県や磐前県みたいな「海有り県」しか表記されなかったと思うよ。(岩手県だって盆地のみの「海無し県」だったら、「岩手」とは表記されなかったはず。)
        • 震災後の東北七魂祭(またはそれに相当する東海岸復興祈念祭)には、やはりフラガールが出場していたのだろうか。
          • 湯本地域が平市に含まれない場合はじゃんがら念仏踊りが参戦していたのだろうか。
        • 当然、与党政治家や復興支援団体は、「磐前の復興」というフレーズを唱えていた。
      • 磐前県に加えて、三陸が「閉伊県」として分離独立していたら、東北太平洋沿岸は、現実とは真逆で冷遇されなかった。
    • 東京電力の発電所は存在しないので、ひょっとしたらJヴィレッジが広野に建てられなかったかもしれない。
      • 広野に建てられる火力発電所は、常磐共同火力の保有物になっていた。
      • Jヴィレッジに相当するサッカーのキャンプ施設の誘致合戦には、広野も加わっていた。
  2. 平と小名浜は同じ市域に入らなかった。旧城下町で県庁所在地の平市(現実のいわき市湯本傾城以北)と、港町で工業地域の小名浜市(現実のいわき市湯本傾城以南)に分かれている。
    • 県庁効果で、平市の人口は20万人近くに達していた。小名浜市の人口も、現実同様に15万人超となっている。
    • 小名浜市の観光キャッチフレーズが「サンシャイン小名浜」になっていた。
      • 当然、フラガールも小名浜市の名物になっている。
      • 県立水族館は小名浜に立地しているが、名称は勿論「アクアマリン小名浜」になっている。
    • 常磐自動車道の平市の立て札には、白水阿弥陀堂が描かれている。
    • 国道6号の3地点までの距離標識は、石岡や亘理では、「平」が最も遠い地点として表示されている。
    • 磐前県中心部としての各市町村のアイデンティティが強いため広域合併の気運が起こらず、平成の大合併を経てももっと細かく分かれていたかも。勿来市、常磐市、久倉町(久之浜+四倉)などなど。
  3. 第二次大戦前のラジオタワーは、史実通り原町(発信塔)と富岡(受信塔)に建設された。
    • 第二次大戦後には、原町か富岡に工業高専が立地している。
      • 原町か富岡に立地する工業高専には、電気通信に関する学科が設置されていた。
  4. 茨城県と磐前県を合わせた語として、「常磐 (ときわ)」以外に「イバサキ」「イワラキ」という俗称が用いられている。(茨城県と千葉県を合わせて「常総」や「チバラキ」と呼ぶのと同様)
  5. 第二次大戦後の駅弁大学として「磐前大学」が平に立地する。
    • 高度経済成長後には、平に国立「平医科大学」が設立された。
      • 医師不足は軽減されているため、大野病院事件は起こっていない(そもそも熊川市立病院になっていた)。
      • 寧ろ単科の「平医科大学」ではなく、磐前大学に医学部と薬学部が設置されている。
    • 明星大学の分校は、平ではなく、別の場所に立地していた。
      • 史実のいわき明星大学が設置している学部のうち、法文系学部は国立磐前大学が設置し、医療系学部は磐前県立大学が設置していた。
        • 史実のいわき明星大学の位置に、磐前大学が立地していた。
    • 磐前県立大学は、中村に立地している。
      • 原町じゃないの?
        • 原町には、寧ろ高度成長期に国立工業高専が立地する可能性が高い(国立工業高専は、非城下町の工業都市に立地する例が目立つ為。その一方で、国立大学や県立大学は基本的に城下町に立地する例が目立つから、平以外だと小高か中村のどれかになるだろう)。
    • 磐前大学の前身になった第二次大戦前の国立学校は、平高等工業学校と磐前師範学校。法文系学部は、磐前大学の設立と同時に設置された。
      • 平高等工業学校の設立は1920年代で、鉱山工学に関する学部も設置された。鉱山に関する学部は、後身になった磐前大学にも継承された。
        • 磐前大学の鉱山学部は、後に地理学部に改組された。地理学部の付属機関として、地質研究所も設置された。
    • 磐前大学の略称・通称は「ばんだい」。
      • 学園祭では、玩具メーカー「BANDAI」のキャッチフレーズをパロディにして、「楽しい時を創る大学・磐大」というキャッチフレーズが使用されているかも。
    • 東日本大震災後には、磐前大学にも、磐前県の復興支援を目的とするシンクタンクやプロジェクトが設立された。予想される名称としては、「磐前大学前進プロジェクト」や「常磐沿岸復興支援センター」など。
  6. 観光面では、茨城県と磐前県を一括りにして「常磐」(由来は常磐線から)というエリア名の観光ガイドが販売されている。
    • 細かいエリア名を入れると、「常磐 ~水戸 岩城 相馬~」や「常磐 ~水戸 平 中村~」と称した観光ガイドも販売されている。
    • 全国規模で展開されるご当地グッズ(ご当地ショボーン、ご当地妖怪ウォッチ、ご当地ハローキティなど)の磐前県版は、フラガール、白水阿弥陀堂、浪江焼きそば、相馬野馬追いが常連になっている。
      • ご当地妖怪ウォッチの場合、フラガールや白水阿弥陀堂はジバニャンが描かれているが、浪江焼きそばはコマさんが描かれているかも。相馬野馬追いはジバニャンが描かれるかコマさんが描かれるかは未知数。
        • 相馬野馬追だと、ジバニャンかブシニャンが描かれている。
    • 阿武隈高原地域の自然景勝では、夏井川渓谷が磐前県立自然公園に指定されていた。
      • 平郊外に県立公園(史実の「福島県立いわき公園」に相当)は建設されず、その代わりに阿武隈高原地域に「磐前県民の森」が建設された。
        • 「磐前県民の森」に、磐前県立自然博物館が併設されているかも。
    • 松川浦や四倉や小名浜の海産物イベント、浪江焼きそばコンテスト、川内高原そば祭りが、それぞれ磐前県を代表するグルメイベントになっていた。
  7. 1月9日が「磐前県民の日」になっていた。(由来は、磐前県が成立した1872年1月9日に因む。)
  8. 小名浜に測候所は設置されず、県庁所在地の平に地方気象台が設置されている。
    • 天気予報は、磐前県南部として平(平地方気象台)、磐前県北部として中村(中村測候所)の予報が報じられている。
    • 県域テレビや県域新聞の天気予報では、水戸(茨城県北部沿岸)と仙台(宮城県常磐側)の予報が必ず掲載されている。
      • その一方で、中通りや会津地方の天気予報は掲載されていない。
    • 波浪注意報や地震情報や海洋情報でも、「磐前県沖」という語が使用されている。
  9. 県立高校の名称や立地も、史実とは異なっていた。
    • 史実における磐城高校は「平高校」、相馬高校は「中村高校」、双葉高校は「熊川高校」になっていただろう。
      • 郡名由来なら「標葉高校」もあったが、「○ねば高校」とバカにされていた。
    • 私立高校に、「磐城」(磐城平城跡の近く)や「相馬」(中村城跡の近く)を付けた学校が存在している。考えられる名称:磐城昇竜高校、相馬育英高校。
    • 甲子園の磐前県代表の常連は、県立高校だと平高校と熊川高校、私立高校だと「磐城○○高校」か「相馬○○高校」のどれか。
      • 平市民球場が、甲子園の磐前県予選の常連会場になっていた。
        • この平市民球場が、2013年のプロ野球オールスターゲームの会場になっていたかも。
      • 甲子園の常連には、小名浜海星高校も。
    • 県立工業高校の立地は、勿来、平、小高、中村の4ヶ所。
      • 平工業高校、小高工業高校、中村工業高校の3校が、花園の磐前県代表の常連になっていた。
    • 県立水産高校は史実通り小名浜に立地するが、冷戦後に「小名浜海星高校」に改名した。
      • 小名浜海星高校が保有する船舶名は、「磐前丸」や「常磐丸(ときわまる)」辺りか。
    • 国立の磐前県代表の常連は、平工業高校、平高校、広野高校の3校。
  10. サッカーの地域リーグのチームとして、「平バンディッツ」や「中村SC」が存在する。広野を本拠地とするチームも存在しているだろう。
    • この外には、平古河FCが東北リーグ1部(地域リーグ)に所属しているが、JFLに昇格していたかも。
      • 2015年の平古河FCのセカンドユニフォームは、「空色と桃色の波柄付き」にはなっていない。
    • その後「いわさきFC」ができた。
      • 漢字表記で「磐前FC」になっていそう。或いは、「磐前○○FC」という名称になっているかも。
    • 湘南ベルマーレは、「東北の湘南」つながりで磐前県を本拠地とするクラブと事業提携した。
    • サッカー以外のプロスポーツチームとして、平を本拠地とするBJリーグ(プロバスケットボール)のチームも結成されている。
  11. 磐前県歌の歌詞には、「太平洋」と「阿武隈」が必ず含まれている。
    • この他の磐前県のシンボルとしては、黒松が磐前県の県樹となり、浜菊が磐前県の県花になっていた。
    • 県章は、平仮名の「い」と「○」を組み合わせたデザインになっていただろう。(大雑把に言うと、1980年代の日本テレビの紋章から、内側の円を外した物みたいなデザイン。)
  12. 「雪が降らない県」の一つに、磐前県が挙げられる事も多いだろう。
    • 史実におけるJヴィレッジと同じく、雪が降らない気候を利用して、プロスポーツチームのキャンプの誘致も盛んに実施されている。
    • 花卉ではカーネーションが、果樹では柚子が、それぞれ磐前県を代表する農産物になっていた。
      • 磐前県産の柚子のブランドに、「北限ゆず」と称する物も流通していただろう。
        • 後に北限柚子ブランドは福島県に奪われる(信夫山産)。
    • 「東北の湘南」の異名を県全体で売り出していた。
    • 2015年のJRグループによるデスティネーションキャンペーンは、福島県ではなく、磐前県が対象になっていた。
      • 考えられるキャッチフレーズは、「いいね、前向き、いわさき」か。
    • 折木鉱泉や入梅鉱泉など、常磐湯本温泉以外の温泉・鉱泉も、観光パンフレットに掲載されている。
  13. 都市対抗野球の磐前県勢は、常磐炭鉱(後に改組されてオール常磐に改名)と常磐興産が常連になっていた。
  14. 後述の通り、県全体の人口が史実より多い為に、磐前県に充てられる市外局番は4つに増えていた(史実の浜通りは0244、0240、0246の計3つ)。
    • 磐前県に充てられる市外局番は、021Xになっていただろう(史実で021Xを使用している県が存在しない為)。
      • この場合、宇多郡・行方郡が0214、標葉郡が0217、楢葉郡が0215、磐前郡・菊多郡が0216になっていただろう。
  15. 県立博物館は:(1)総合博物館(名称:磐前県立博物館)が平に、(2)歴史博物館(名称:磐前県立歴史博物館)が平に;自然博物館(名称:磐前県立自然博物館)が前述の阿武隈高原地域に、それぞれ開設されるか;のどれかになっていた。
    • これら三つの博物館のどれかが、磐前県の東日本大震災に関する資料を展示していた。
  16. 磐前県の人口は、131326年=2000A年時点で、概ね24×66人(六進表記で24,000,000人、十進表記で746,496人)に増えていた。
    • 福島原発が存在しないので、大震災後の132006年=2016A年でも極端に減ってはいない。

政治・経済

  1. ゼビオの本社は平のまま。
    • 当然、ゼビオのテレビCMは、磐前県のテレビ局のみで放送され、福島県のテレビ局では放送されない。
      • 店舗あるんだから普通にやるだろ。
  2. 東邦銀行と福島銀行は、磐前県や茨城県に支店を出していない。
    • 東邦銀行は、磐前県内では平に支店を出している(新潟市に支店を出している為、平も同様)が、茨城県内には支店を出していない。
    • 否、東邦銀行は、茨城県内では水戸に支店を出している。一方で、常陽銀行の福島県内支店は、郡山と白河のみ。(いずれも、支店の地盤は水郡線沿線)
  3. 史実と同様に、磐城銀行と相馬銀行が存在した。これらは、世界恐慌時代の「一県一銀行」政策によって合併され、「磐陽銀行」になっている。
    • 「磐陽銀行」の本店所在地は、言うまでもなく平。
    • 第二次大戦後には、中村に本店を置く戦後地銀が設立された。銀行名は、「奥相銀行」か「東奥銀行」か?
    • 当然、「磐陽銀行」は、茨城県と宮城県に支店を出している。
      • 少なくとも、水戸、助川、仙台、亘理の計4ヶ所には支店を出している。
      • 「磐陽銀行」は、福島県内では郡山か福島市のどちらか、或いは郡山と福島市の両方に支店を出している(水戸に本店を置く常陽銀行が、宇都宮に支店を出している為、「磐陽銀行」も同様)。
  4. 磐前県知事は、東北地方知事会と関東地方知事会の両方に加入している。
    • この他に、宮城県・磐前県・茨城県・(新治県・)千葉県で「常磐本線沿線知事会議」を設立して、それに加入しているかも。
    • 常磐新幹線の整備新幹線昇格を!と気勢を上げていた。
      • もし「常磐新幹線を整備新幹線に!」と唱える者がいるとしたら、磐前県知事ではなく、磐前県選出の国会議員だろう。
      • 磐前県知事は、茨城県知事や宮城県知事と手を結んで、「常磐自動車道の全通を!」と気勢を上げていた。
  5. 全体の人口ももう少し増えているため「相双」という包括的なくくりは存在しない(そもそも馬郡や葉郡が出来た郡合併が起こらなかった可能性がある)。
    • 県の出先機関やChakuwikiの県地図テンプレの区分は北から順に「中村(行方・宇多)」「熊川(標葉・楢葉)」「田村」「平(石城)」「両川(石川・東白川)」。
      • 田村合同庁舎は、三春だと史実以上に端過ぎるので船引町に置かれていた。
      • 両川地域の中心は棚倉町。
      • 寧ろ、磐前県庁の地域区分は、「県北 (宇多・行方)」「標葉」「楢葉」「県南 (磐前・菊多)」の4つだろう(夜の森を無視できまい)。田村郡と石川郡と東白川郡が磐前県に含まれてる場合には、それぞれ「田村」と「両川 (石川・東白川)」になっている。
    • 相馬郡、双葉郡、石城郡が設置された郡合併は起こらず、宇多郡・行方郡・標葉郡・楢葉郡・磐前郡・菊多郡の6つに分かれていた。
      • 1968年に大久川流域で発見された恐竜の化石は、「フタバスズキリュウ(双葉鈴木竜)」ではなく、「ナラハスズキリュウ(楢葉鈴木竜)」と呼ばれていた。
        • 新種かどうかの判別に時間がかかり、2006年ようやく「ナラハサウルス・スズキイ」という学名がついた。
  6. 史実の浜通り出身福島県議は、磐前県議になっていた。
    • 渡辺敬夫は、磐前県議会議長を経て、どこかの市長選挙(小名浜市長選挙か平市長選挙か?)に出馬した。
  7. 大企業の工場の誘致や、工業団地や流通基地(トラックターミナルなど)の造成も、磐前県庁によって推進された。
    • 工業団地の分布も、南部に偏らず、夜の森付近や北部にも立地している。
      • 磐前県庁に最寄りの平IC付近には、物流企業が多く集まる流通基地が造成された。(史実の好間工業団地に位置)
      • 一方、史実の好間工業団地に当たる工業団地は、更に22km北の広野IC付近に立地して、広野工業団地になっていた。
        • タンガロイの本社は、広野工業団地に転入して来た。
        • 広野市は久之浜を編入しており、人口は3万5千人位に増えていた(史実の磯原と同規模)。
      • 小名浜には、史実と同じく自動車・金属・化学の工場や工業団地が立地している。
      • 前述の通り、夜の森に近い熊川には、精密機器の工業団地が立地している。
      • 史実の小名浜と平の関係と同じく、新地には金属・化学の工場や工業団地が立地して、中村には食品・小型機器・工具の工場や工業団地が立地している。
    • 高度成長期の臨海工業地帯は、史実通り小名浜と新地に造成された。
      • 小名浜臨海工業地帯の充実度は史実通りだが、新地臨海工業地帯も史実以上に充実していた。
        • 山元や亘理も、新地の工場群の通勤圏になっていた。
      • 「太平洋ベルト」には、東海道沿線・紀伊半島・瀬戸内のみならず、常磐沿岸である茨城県と磐前県が含まれていた。
      • 高度成長期の新産業都市は史実通り小名浜界隈だが、指定地域名は「平・小名浜地域」か「磐前県南」のどれかになっていた。
    • 夜の森以北が宮城県になっていた場合や史実と同じく、高度成長期には、日立グループの工場が、浪江と原町に進出していた。
      • ひょっとしたら、栃木県山口県と同じく、冷戦時代には、磐前県の日立グループの工場が、アマスポーツチームを保有していたかもしれない。
        • この場合、冷戦後には、チームが自然消滅するか、分離独立したチームとして存続するかのどれかになっていた。
  8. 磐前県庁は、当初は田町(通称:並木通り)に立地していた(史実における磐前県庁の位置が田町)。しかし、1897年の常磐本線の開通がきっかけで、1900年代に堂の前交差点の南脇に移転して現在に至っている。
    • 大黒屋は、十五町目交差点の近くに立地していた。
  9. 国政選挙において、中選挙区制(1993年以前)の磐前県の選挙区は、夜の森を境に磐前1区(夜の森以南)と磐前2区(夜の森以北)に分かれていた。
    • 小選挙区制施行後(1994年以後)の磐前県の選挙区は、3つに分かれていた。
      • 小選挙区制の予想されるエリア:磐前1区…概ね磐前郡+菊多郡(平、小名浜など)。磐前2区…概ね楢葉郡+標葉郡(広野、熊川、川内、都路など)。磐前3区…概ね宇多郡+行方郡(中村、小高など)。
    • 国政選挙では、各党首は磐前県でも街頭演説を実施していた。
      • 「東海岸縦断」「常磐沿岸縦断」と称して、宮城県~磐前県~茨城県で日程を組む党首もいただろう。なお、三陸が「閉伊県」として独立した県であれば、これに閉伊県も加わっている。
    • 磐前県選出の有力国会議員は、冷戦時代が天野光晴や田中直紀、冷戦後が吉野正芳。
      • 常磐自動車道の熊川ICの開通式には、天野光晴も出席していた。平~熊川の開通時期は1993年3月18日(木曜日。東京~平の開通(1988年3月24日<木曜日>)から満5年後)で、1993年3月当時の天野が、高齢のために政界を去って日本道路公団の最高顧問に就任したのは史実通り。

交通

  1. 平⇔福島や平⇔会津の高速バスは運行されていない。その代わり、平⇔水戸、平⇔中村/仙台、中村⇔東京の高速バスが運行されている。
    • 同じく、浪江⇔福島の長距離バス(福浪線。史実では2004年3月まで存続)も運行されなかった。又、史実の国道114号は、浪江と福島市を結ぶ路線ではなく、別の路線になっていた。
      • 福島~浪江で6号に合流~熊川になっていたかも。いずれにしても県境を跨ぐので阿武隈高原部は史実以上に整備が遅れていた。
        • 寧ろ、福島~浪江の直結国道は無く、二本松~浪江or小高の直結国道(史実の国道459号)のみになっていた。小高が海側ターミナルの場合には、大柿ダム脇から八条石トンネルを刳り貫いて、小高へ通じる短絡線が整備された。
          • 沿岸部と常磐津島(高原部)を結ぶトンネルも、八条石トンネルが刳り貫かれた一方で、原浪トンネル(大柿ダム脇~原ノ町駅山側)は刳り貫かれなかっただろう。
      • 国道114号は、中村~福島~米沢村上で太平洋沿岸と日本海沿岸を結ぶルートになっていた(福島~米沢は国道13号と重複)。一方、国道115号は福島~土湯温泉~猪苗代のみ、国道113号は山元~白石~赤湯のみのルートになっていた。
    • 水戸⇔二本松/仙台の高速バスも運行されていない。全線が常磐自動車道を経由する水戸⇔浪江/仙台か水戸⇔小高/仙台の高速バスが運行されている。
  2. 小高以北に、福島交通の路線バスは運行されていない。小高以北の路線バスは、常磐交通か宮城交通かのどれかのエリアになっている。
  3. 常磐自動車道は、1990年代後半に仙台まで全通した。
    • 一方、磐越自動車道の全通は、早くて2000年代後半。
    • 磐越自動車道は、郡山⇔会津のみが四車線区間で、平⇔郡山は対面通行区間のまま。その代わり、常磐自動車道は、平⇔仙台も含めて全線が四車線区間になっていた。
    • 東京⇔仙台の高速バスは、雪の降る東北自動車道を経由せず、雪の降らない常磐自動車道を経由する路線が増えていた。
    • 常磐自動車道はもちろん全線4車線。
    • 広野、常磐富岡、亘理の各ICが、北の外れではなく、中心市街地の近くに建設された。
      • 史実の常磐富岡ICの位置に、夜の森SAが建設された。尚、磐前県内の常磐自動車道のSAは、南から順に湯の岳SA、夜の森SA、真野川SAの計3箇所。
    • 亘理以北も初めから常磐自動車道として開通しており、仙台東部道路という名称にはなっていない。
      • 当初の仙台側の終点は仙台福室IC(史実の仙台港北IC)で、常磐自動車道と三陸自動車道の境も仙台福室ICになっていた。
        • 石巻方面に路線(三陸自動車道)が延長された際に、仙台福室ICが史実のいわき中央ICみたいな構造に変わっていた。
      • 宮城県内の常磐自動車道のSAやPAは、南から順に浜吉田SAと七郷PA(若林JCTから少し北)の計2箇所。
    • 平IC(史実のいわき中央IC)料金所における主要IC10箇所で、常磐自動車道は水戸方面と仙台方面の両方が表示され、磐越自動車道は「福島飯坂」が表示されない。
      • 平IC料金所に表示される主要IC10箇所:(常磐道水戸方面)湯本 勿来 日立中央(or助川) 水戸|(常磐道仙台方面)四倉 熊川 中村 仙台福室|(磐越道)小野 郡山
      • 平JCTの方向表示:(常磐道水戸方面)日立(or助川) 水戸|(常磐道仙台方面)中村 仙台|(磐越道)郡山 会津若松
    • 茨城県水戸以北にある常磐自動車道の料金所では、平方面は仙台(仙台福室IC)まで表示されている。
    • 同じく、中村IC(史実の相馬IC)や仙台福室ICなど、磐前県北部や宮城県にある常磐自動車道の料金所でも、平方面は水戸まで表示されている。
    • 常磐自動車道の全通後に、東北自動車道の仙台宮城ICが「仙台青葉IC」か「仙台折立IC」に改名されたかもしれない。
      • この場合、仙台までの表示の略称は、常磐自動車道と三陸自動車道が「福室」、東北自動車道が「青葉」または「折立」。用例:「福室まで200km」「青葉(or折立)まで150km」
    • 三陸自動車道の松島以北は、着工が日韓WC(2002年6月)より後。
      • 利府~松島の開通は、史実通り1986年9月27日。仙台~利府の開通は、2001年8月1日。松島~石巻の開通(仙台と石巻が繋がる)は、最短でも2005年。
      • 常磐自動車道の仙台⇔平は四車線化が2000年代に完了したが、三陸自動車道の仙台⇔石巻は四車線化が東日本大震災(2011年3月)より後になっていた。
  4. 常磐線の機関庫も「旧城下町同士」である平と中村に建設され、中村市(現実の相馬市)が平市と同じく10万人都市に発展していた。なお、浜通りの中村が1950年頃に市制を布いて「中村市」になり、高知県の中村は「土佐中村市」になっている。
    • 中村にも、大黒屋や伊勢甚みたいな都市型デパートか、リオンドールみたいなスーパーマーケットの本社が立地している。
    • 「はつかり」の常磐線内停車駅は、上野駅、水戸駅、平駅、中村駅、仙台駅の5ヶ所になっていた。
    • 広野と原町の間では、国道6号に出る一般道路の標識は、「(←北) 中村 + 平 (南→)」という表示が基本になっている。
    • 平とその周辺の常磐自動車道では、ICと路肩の遠方表示が、南が「水戸」、北が「中村」と表示されている。
    • 史実の常磐線が、「常磐本線」という路線名になっていた。
      • 水戸以北の常磐本線沿線が、宇都宮以北の東北本線並みに発展していた。
        • 柿岡地磁気観測所が設立されるのでそれはまったくもってありえない。
    • ひょっとしたら、常磐本線が、平以北も含めて全線が複線化されているかも。
      • もし常磐本線が全線複線化されていたら、水戸など茨城県北部でも仙台方面へのフリー切符が販売され、夜の森以北でも東京方面へのフリー切符が販売されているだろう。
    • 震災とは無関係に、人口は中村>原町になっている。
    • 北の山越え連絡鉄道として、中村~丸森~福島の連絡鉄道(阿武隈急行構想)が、計画倒れにならずに完成していた。路線名は、中村~丸森~福島の路線が「丸森線」を称して、丸森~槻木の路線は「槻木線」を称していた。
      • 国鉄時代末期には、これらの路線は阿武隈急行(第3セクター)に移管されていた。この際に、福島~丸森~槻木が「阿武隈急行本線」を称して、中村~丸森は「阿武隈急行中村線」を称していた。
        • 阿武隈急行への移管後は、相馬野馬追いが開催される7月に、「野馬追い周遊切符」を発売しそう。
        • 阿武隈急行の運営には、宮城県庁と福島県庁に加えて、磐前県庁も出資している。
  5. バブル景気の後に、磐前空港が開設されていた。立地は広野か富岡の辺り。
    • 平地が乏しい地勢だから、空港の建設は無理だろう。その代わりに、仙台空港や羽田空港へのアクセスの良さが重視されていた。
  6. 県内連絡路線として、鉄道敷設法にある植田~石川(位置的に棚倉終点になっていたか?)の鉄道路線が開業していた。
  7. 山側幹線である国道399号は、勿来ICから少し山側が南のターミナルになり、丸森(宮城県)が北のターミナルになっていた。
    • 勿来ICから少し山側~平ICから少し山側の道路と、飯館~玉野~丸森の道路が開削されて、これらも国道399号になっている。
    • 国道399号もしっかり整備されて、史実ほどの「酷道」にはならなかった。
    • 国道399号沿道にも、道の駅が数軒建てられいた。
  8. 東日本大震災後の常磐本線の復旧には、沿線の市町村役場だけではなく、磐前県庁も関与した。
    • 磐前県知事は、村井嘉浩(宮城県知事)にも常磐本線の復旧を支援するよう要望した。
    • 津波に破壊された駒ヶ嶺~浜吉田の線路・駅舎が山側に移転して復旧したのは史実通りだが、同じく津波に破壊された富岡(史実で福島原発事故の立入禁止区域)の線路・駅舎も山側に移転して復旧したかもしれない。
      • これらの線路・駅舎の山側移転も、史実より早く完了し、2015年末までには復旧した。これらの山側移転の完了を以って、常磐本線は全線復旧した。(史実では、路線が山側に移転した駒ヶ嶺~浜吉田の復旧が2016年12月10日。)

メディア

  1. 当然、磐前県には福島民友と福島民報の支局も存在しない。
    • 磐前県内で、福島民友と福島民報を納入している図書館は、平にある磐前県立図書館ぐらい。
    • 磐前県外の地方紙では、河北新報(宮城県仙台の地元紙)が平総局と中村支局を設置している程度。茨城新聞(水戸の地元紙)の支局は、史実と同様で設置されない。
  2. 2013年の大河ドラマは、会津を舞台にした「八重の桜」ではなく、徳川時代の磐城平藩や中村藩、或いは戦国時代の岩城家や相馬家をテーマにした作品が放送された。
    • あまりにも地味すぎて批判の的となる。
  3. 県域テレビ局として「テレビ磐前」と「常磐テレビ」が立地する。
    • 中通りや山口県と同様に、平と中村にテレビ局が分散していたかも。
      • 平と中村に分散している場合の民放テレビ局は:平が常磐放送(TBS系列)とテレビ磐前(フジ系列orテレ朝系列)で、中村が常磐テレビ(日テレ系列)と磐前総合放送(フジ系列orテレ朝系列)かも。
    • 朝の中継ポイントの常連は、四倉港、小名浜港、夜ノ森公園、松川浦のどれか。
    • 県域ラジオ局としては「常磐放送」が存在するが、ラ・テ兼営放送局として設立されたかも。
      • 「常磐放送」がラ・テ兼営放送局である場合、県域ラジオはAM局で、テレビ放送はTBS系列局になっていた。
        • 磐前県内の常磐自動車道や国道6号などに掲示されるAMラジオ局の看板は、エリア内である常磐放送が表示され、エリア外であるラジオ福島は表示されない。
      • 「常磐放送」の英語名略称は、「JBC (Joban Broadcasting Company)」になっていた。
    • NHKの県域放送は、NHK平放送局が担当している。
      • NHK平放送局が制作する県域ローカルニュース番組として、「いわさきイブニングワイド」が放送されている。この他には、東北ローカルニュース番組として、「おはよう磐前」や「クローズアップいわさき」が放送されている。
    • 県域テレビ局は計4局が立地するが、1983年までに4局が開業している。
  4. 県域FMラジオ局として、「エフエム磐前」が平に立地している。
    • 1981年までラジオタワーが建っていた原町には、「原町コミュニティFM」が設立された。設立時期は1990年代で、全国的にコミュニティFM局が乱立した時期。
    • コミュニティFM局の「SEA WAVE FM」は、平ではなく、小名浜に立地している。正式名称は「小名浜市民コミュニティ放送」。
      • 一方で、平に立地するコミュニティFM局は、「平シティエフエム」だろう。
  5. 県域新聞として「磐前新聞」(本社:平)が創立されている。
    • 茨城県の常磐線沿線には、福島民友と福島民報を納入せず、その代わりに磐前新聞を納入している図書館が数軒存在する(日立市立記念図書館、水戸にある茨城県立図書館など)。
  6. ゼビオ、マルト、スパリゾートハワイアンズの各CMが、磐前県ローカルCMの常連になっていた。
    • スパリゾートハワイアンズは、「常磐ハワイアンセンター」を称していた時代から、磐前県ローカルCMを流していた。
  7. DASH村は磐前県に存在する事になるが、福島原発が存在しない為に、強制退去を免れてそのまま存続していた。
    • DASH島という企画は制作されなかった。
    • 2003年と2006年にDASH村で起こった火災は、福島民報ではなく、磐前新聞によって報じられた。
    • 三瓶明雄は、福島県伊達市に移住せず、そのまま磐前県に留まっていた。
  8. テレビ番組雑誌は、宮城県と磐前県で一つのエリア(宮城・磐前版)になり、福島県は単独のエリア(福島版)になっていた。
  9. 磐前県を舞台にした漫画やアニメも制作された。
    • 茨城県または宮城県を舞台にした漫画やアニメでは、主人公の対抗チームに磐前県を本拠地とするキャラクターが登場しているかも。その逆もまた然り。

関連項目