もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/関東
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東京
京王御陵線
- 戦後に御陵前から高尾山口に延伸され、高尾線に改名されていた。
- 中央本線にも横山駅ができていた。
- ここが京王と中央線の接続駅になり、京王の高尾駅は開業しない。
- ルートを考えると中央線の横山駅が出来ずに史実通り高尾で接続という可能性もあり得る。但し京王の駅は史実とは異なり北口に設置されているだろう。
- ここが京王と中央線の接続駅になり、京王の高尾駅は開業しない。
- めじろ台が不便になっていた。
- そもそも京王が同地域を開発していない。
- 駅間距離にもよるが、山田小学校付近にめじろ台駅を設置していたかもしれない。
- もしくは万葉公園が存在せず、横山駅南口から史実のめじろ台駅の場所まで一直線の道路ができていた。
- 駅間距離にもよるが、山田小学校付近にめじろ台駅を設置していたかもしれない。
- そもそも京王が同地域を開発していない。
- 高尾に天皇陵があるという事がもっと知られていた。
京成白鬚線
けいせいひきふね | 向島 | やひろ | |||||
Keisei-Hikifune | |||||||
Mukoujima | Yahiro |
- 向島駅は廃止されていない。
- 駅前周辺は今頃再開発の真っ只中。
- 金町線みたいになっていた。
- 東向島駅がその後出来る。
- 南千住界隈の再開発に乗じて、隅田川を越えて南千住まで延伸。次いで町屋まで延伸し、上野方面に直通する。
- 京成上野→日暮里→押上(東京スカイツリー)のみ停車の特急を走らせ、山手線からダイレクトにスカイツリーに行けるようになる。この場合、都営バスの都08急行は誕生しない。
東急砧線
- 現役当時は軌道線と一体に運用されていたようですが、法規上は地方鉄道だったということなので、こちらに載せます
- そのままだと1372mm軌間・600Vの離れ小島のような路線になるため、旧玉川線廃止時に改軌と昇圧が行なわれる。
- 高架化時には1面1線の専用ホームが設けられていた。
- 現在は7700系3両が2編成ぐらいこの路線用に用意されている(長津田配置)。
- 新7000系が砧線にも導入されていたかもしれない。
- それ以前はこどもの国線と共通運用だった(車両は東急標準塗装)。
- 普通鉄道規格に改良されているとしたら、中耕地駅は廃止されていた可能性が高い。
- 玉川キャンパスの位置の関係上、駒澤大学の通学定期券の有効範囲は砧本村(史実では二子玉川)までになっていた。
目黒蒲田電鉄新奥沢線
- 国分寺方面へ延長の望みが断たれた以上、しばらくは盲腸線として運行されることとなる。
- 旧3000系列辺りが2両に短縮されて運行されていた。
- 終点は新奥沢から奥沢に付け替えられていた。
- むしろ九品仏前(現・自由が丘)か田園調布を終点としていた可能性大。前者ならば都営三田線との直通構想時に活用が検討されるが…。
東武啓志線
光が丘 | |||||
ひかりがおか Hikarigaoka | |||||
● | |||||
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(東京都練馬区) | Tagara-Koko たがらこうこう {{{next3}}} |
- もし東上鉄道が東武に併合されなかったらでは非電化のままということになっているが、仮に残っていたとすれば遅くとも光が丘地域の開発が行なわれる'80年代までには電化されていた。
- 4~6両編成による線内折り返しとなっていたか、池袋直通の10両編成の電車が走っていたか…。
- 朝夕10両編成で池袋直通、それ以外は6両で線内折り返しだと思う(平日ダイヤのみ、休日ダイヤは日中直通)。
- 上板橋駅は最低でも準急の停車駅になっている。
- 有楽町線接続以前の西武練馬駅みたいになっていた可能性もあり。
- 上板橋は史実よりも繁栄していた。
- 光が丘から短時間で池袋に出られるので、12号線の計画に多少影響があったかもしれない。
- 多分光が丘駅自体は啓志線と大江戸線の乗換駅になってた。
- 現実のグラントハイツ駅(こっちの世界では田柄高校駅に改名)から一駅分伸びて直結。
- 多分光が丘駅自体は啓志線と大江戸線の乗換駅になってた。
- 光が丘は東武が分譲していた。
東京鉄道郵便局専用地下鉄
- 鉄道廃線跡を歩くという本に掲載されていたので載せます。
- 地下鉄ということを考えると路線的に改造されて東京メトロの路線の一部になっている。
- おそらく丸の内線の支線になっている。名前は東京メトロ丸の内線郵便局支線?
- 日本一短い地下鉄路線は名古屋の上飯田線ではなくてこの路線のことを示した。
- アルゼンチンから里帰りした車両を使って遺構見学ツアーが行われる。
- ブラタモリやタモリ倶楽部の地下鉄特集にも登場してタモリさんが遺構を訪ねている。
- 1915年開業という事で日本初の地下鉄路線としてアピールしていた。(宮城電気鉄道が1925年、銀座線が1927年なので)
空中ケーブルカーひばり号
- 109と並ぶ渋谷のランドマークとして定着していた。
- 渋谷は若者の街ではなく、子連れ客も多い街になっていた。
- スクランブル交差点とともにドラマやアニメなどへ登場していた。
- 東急百貨店東館は解体されていない。
- 西館も玉電ビルの4F建てのまま。
神奈川
湘南軌道
- 相模川以西での南北方向の交通手段として重宝された。
- 小田急秦野駅に乗り入れていた。
- 大秦野駅のままだったかも。
- いずれにせよ、ここや二宮駅に停車する特急・快速が増えている。
- 後に小田急と合併して「小田急秦野線」になる。
- 単線電化、4両編成の普通電車がピストン運行。小田急線内で唯一普通しか走らない路線となっている。
- 5000形や9000形といった本線から転用された車両が使用されており、「秦野中古車センター」と揶揄される。
- 二宮は市制施行していた。
- 橘町(現小田原)や中井町と昭和の大合併の時代に合併していた可能性も
- この場合、二宮ではなく西湘市になっていた。
- 橘町(現小田原)や中井町と昭和の大合併の時代に合併していた可能性も
ドリーム交通
- 湘南モノレールは跨座式モノレールで開業して相互直通運転していた。
- 直通しない場合、「大船からモノレールに乗って…」の文言だけ聞いて誤乗する事象が多発。通常、モノレールへの乗換駅では、「モノレール」と聞けば一つのモノレールを指すが…
- 大船駅は懸垂式と跨座式、二種類のモノレールが見られる駅となっていた。
- 誤乗防止のため、ドリーム交通の駅は「ドリーム大船」湘南モノレールは「湘南大船」のように改称される。
- 後からできた湘南モノレールは、モノレールではなく「ツリーラック」と名乗ったかもしれない。
- 直通しない場合、「大船からモノレールに乗って…」の文言だけ聞いて誤乗する事象が多発。通常、モノレールへの乗換駅では、「モノレール」と聞けば一つのモノレールを指すが…
- ドリームランド閉鎖後に赤字路線に転落するが、宅地化が進みなんとか廃止されずに済む。
- ドリームランド自体の寿命もちょっと伸びたかもしれない。
- そもそもドリーム交通の欠陥がなく運行されていれば渋滞がでかくなることもなく史実よりも来客者は多かったはず。少なくともディズニーランド開園までは。
- ディズニーランド開園後も庶民的な遊園地として栄えていた。
- そもそもドリーム交通の欠陥がなく運行されていれば渋滞がでかくなることもなく史実よりも来客者は多かったはず。少なくともディズニーランド開園までは。
- 史実より早く宅地化が進み、乗客の数は相当増えていた。
- その場合、ドリームランドの廃止は史実より早かったかもしれない。
- 中間にも駅が設置されていた。
- 小雀信号所が駅に昇格していた。
- 田谷駅と相模原宿駅も開設。
- 相模鉄道に譲渡された。
- よって相鉄モノレールに改称。
- ドリームランド自体の寿命もちょっと伸びたかもしれない。
- 湘南台方面への延伸が計画される。
- 長後まで延伸する構想は実際にあったらしい。
- 更に伊勢原まで延伸した。
- もしくは愛川町方面。
- 付近の道路の渋滞は史実ほどにはならなかった。
- ホームドアも設置されていた。
- 複線化されていた。
- 史実の計画同様、規格がモノレールからHSSTに変更されていたかもしれない。
- 日本跨座式に変更され、大阪モノレールや北九州モノレールと同じ規格の電車が導入された。
- よって関東唯一の日本跨座式モノレールに。
- 現状でも多摩都市モノレールは日本跨座式モノレールなので“関東唯一”とはならないはず。
- ワンマン運転開始。
- ドアチャイムは8000系、9000系の2次車と同じ音に。
- 複線化。
- よって関東唯一の日本跨座式モノレールに。
- ダイエーグループから神奈中に移管されていた可能性もある(神奈川最大のバス会社に鉄道部門を新設)。
- あるいは、小田急、相鉄、神奈中の三社が出資した「神奈川高速鉄道」という社名の第三セクターになる。
東急東横線(横浜-桜木町間)
- みなとみらい線は現実より苦戦している。
- 京阪中之島線みたいになっていた。
- みなとみらい線が当初の計画通りJR横浜線との相互直通運転になっていたらおそらくこの区間は残っていたであろう。
- 横浜駅のみ地下化され桜木町方面と元町・中華街方面の分岐駅として2面4線になっていた。
- 各停が桜木町行き、特急・急行が元町・中華街行きになっていた。
- 副都心線との直通時に、菊名止まり(旧・日比谷線直通)の各駅停車が元町・中華街行きになる。
- 横浜駅で緩急接続ができるようになり菊名~元町・中華街(桜木町)で電車が詰まることがなくなっていた。
- 横浜線快速は今でも菊名を通過していた。
- 東横線の高島町駅が存続するので、みなとみらい線の新高島駅は開業しなかった。
小田急向ヶ丘遊園モノレール線
- 日本唯一のロッキード式モノレールとして現在も運行中。
- 向ヶ丘遊園や生田緑地などを貫いて長津田まで伸びていた。
- 更に、大和を経て平塚まで伸びていた。
- 北側は調布、武蔵小金井、小平まで伸びていた。
- 量産車も製造されていた。
- 車内BGMは廃止されていた。
- 代わりに英語放送が追加されていた。
- 車内BGMは季節ごとにころころ変わるものに。
- 自動放送は西村文江さんとクリステル・チアリさん。
- 向ヶ丘遊園が藤子・F・不二雄ミュージアムになったので、現在では車両にドラえもんのラッピングが施されている。
- ドラえもんのうたが車内で流れる。
- 自動放送は水田わさびが担当していた。
- 車内には未来をイメージしたラッピングが施されている。
- ドラえもんのうたが車内で流れる。
- 改修のために長期間運休されていた。
- ひょっとしたらその時にロッキード式から通常方式に変更されていたかもしれない。
- 日本跨座式かつ複線式に。
- あるいは新交通システム(自動運転)に。
- で、運転再開後はやっぱりドラえm(ry
- ひょっとしたらその時にロッキード式から通常方式に変更されていたかもしれない。
横浜博覧会協会臨港線
- 横浜博覧会開催中に旧国鉄の貨物線を流用して運行された。
- 閉会後は横浜市に経営が移管されていた。
- あくまでも観光鉄道として存続させるため、地下鉄やバスとは異なる運賃体系になっていた可能性大。
- 路盤は複線だったものの線路自体は単線だったので、汽車道の整備は万国橋交差点まで史実通り行われていた。
- 赤レンガ倉庫付近に駅の新設が検討される。
- 横浜開港150年の際には横浜港駅の復元・線路新設も検討されていた。
- 三陸鉄道にこの路線の車両が譲渡されることはなかったので、後にレトロ調車両が導入されていたかどうか怪しい。
横浜博覧会ゴンドラリフト
- 横浜そごうの2Fから横浜博覧会会場付近を結んでいた。厳密には遊具の扱いになりますが便宜上ここに。
- そごう破綻時に廃線の危機に立たされるも、何かしらの手段で現在まで生き延びている。
- みなとみらい線開業までは横浜駅からみなとみらいへの移動手段の一つとして重宝されていた。
- 今も残っていればみなとみらいを中心とした横浜の夜景を一望できる為、その手の需要もいくらかあったと思われる。
- 何かしらの愛称が募集されていたかもしれない。
- 現実で考えられているみなとみらいのロープウェイ構想では桜木町~みなとみらいの間なので計画に影響はないはず。
- ただしもう一つの案として出されている横浜駅~山下ふ頭のルートは完全に被るため延長扱いになっていた可能性も。
- うまくいけば日本に都市型ロープウェイを定着させることができたかもしれない。
埼玉
東武鉄道熊谷線
- 当然熊谷駅から妻沼地区へのバスは出ていなかった。
- 1985年頃に10000系ベースのキハ3000形気動車が、2005年頃には50000系ベースのキハ5000形気動車がそれぞれ登場していた。
- それを作るぐらいなら前者が登場するぐらいの時期に電化していると思う。
- 気動車要員が確保できるのでAIZUマウントエクスプレスの東武日光駅乗り入れが早く実現していた。
- 電化し、小泉線と西小泉で接続して熊谷発館林行きが運行されていた。
- 2010年に電化が完成、キハ5000形が50030系として電車に改造されていた。
- 特急「りょうもう」に新宿発着・熊谷経由が設定される。
- 新宿~熊谷間は湘南新宿ライン・高崎線経由。
- 秩父鉄道との関係で、東武では唯一のPASMO・Suica使用不可路線になっていた。
- 熊谷-上熊谷で複線を共有する。
- 今は新小泉駅まで延長されている。場合によっては東松山駅まで伸びていたかも。
- その場合、東上線から熊谷経由太田・館林行きが運行されていたかも。
- 本線系と東上線の間の車両回送はこの線を経由して行われていた。
- 東京都内~熊谷がJRの独占状態にはならず、東武もある程度競争力を有していた。
- いずれにせよ熊谷駅は新幹線開通あたりで地下化されていた。
- 同時に秩父鉄道と線路が分離されていた。
- 秩父鉄道に経営転換され同社の「妻沼線」になっていたかも。
武州鉄道
東武根古屋線
- 現在は秩父駅まで延長し、旅客化している。
- 今でも東秩父村には鉄道が通っている。
- それでも東秩父は小川町・比企郡志向が高い。
本庄電気軌道
- 児玉町は合併する事無く市制施行していた。
西武安比奈線
- 書類上は「休止」ですが実質廃線同然のためこちらへ。
- 2016年11月末に正式に廃止決定。
- とっくに車両基地が完成しており、南入曽と機能を分担していた。
- ついでに的場までの延伸も実現しているはず。
- 新所沢行きの多くが南大塚行きになっていた。
- 国道16号をまたぐ高架橋が完成していた。
- 南入曽車両基地跡地に新駅が設置されていた。(地主の反対によりなくなってしまったらしい)
西武大宮線
- 大宮・川越間の都市間輸送よりも途中駅からの乗客をメインに存続。
- それでも川越線電化前は川越線の本数が少なかったこともあり、大宮-川越を通しで乗車する客も結構いて、朝夕には急行も設定されていた。だが川越線の電化と埼京線直通で利用者が減ったため1990年代前半に急行を廃止して途中駅の客をこまめに拾う方針に転換し、2000年代以降はLRT化されていた。
三峰ロープウェイ
- 三峯神社の大渋滞はマシになっていた。
- 西武観光バス三峯神社線は現在でも土曜・休日のみの運行だった。
- それでも毎月1日の運行と大輪駅までは毎日運行になっていた。
- 大輪駅ー三峰口駅間のシャトルバスも運行していた。
- 子会社に移管され宝登ロープウェイと一体運営になった。
千葉
成田鉄道多古線
- 成田空港の完成で一部区間は経路変更された。
- あるいは、三里塚-千代田(芝山町)が分断されて、三里塚で八街線のみになり、千代田で芝鉄か京成東成田線と直結・改軌していた。
- ターミナル直下に乗り入れる形かも。
- それでもスカイライナーはほとんど空港止まり。
- 銚子から成田空港への抜け道として利用される。
- 「京成多古線」になっている。
- その場合、千代田附近で芝山鉄道と合流し、八日市場まで3線軌条というのもあり得た。
- 成田鉄道芝山線(蓮沼線?)になっていた可能性もあり。
- 海水浴シーズンになると上野~八日市場で特急が運行されていた。
- 下記のように標準軌に改軌されたら本線に編入されたかも。
- その場合、千代田附近で芝山鉄道と合流し、八日市場まで3線軌条というのもあり得た。
- 上と少しカブるが、芝山鉄道はここと合流する所まで延伸して京成に吸収され、山武市への延伸計画は無かった。
- 桜の時期の三里塚公園辺りを一大観光地として売り出していた。
- 「三里塚」という地名のイメージは少しは良くなっていたか?
- 「道の駅多古」が鉄道駅兼用になっていた。
- 計画段階であった多古-小見川の鉄道も建設され、東総地区の鉄道網がもう少し充実していたかも知れない。
- 一応JRのレール幅で考えてきたが、京成と接続すれば八街線も含めて全て標準軌もあり得る。
- その場合、京成のお古天国になっていたかも。
- これに相当するバスが現在JRバス関東であることを考えると、戦時国有化→国鉄・JR線として組み込みという可能性も考えられる。
- 現実以上に沿線では住宅地開発が進められこのサイトで紹介されるニュータウンが増えた。
南総鉄道
- 上総鶴舞への延伸を果たし、房総半島横断線のひとつとして機能。
- おそらくいずれはいすみ鉄道並みの赤字路線になるとは思うが。
- 史実を考えれば、戦時統合で袖ヶ浦自動車→小湊鉄道になってた。
- そうなると逆に延伸が進むかもしれない。
九十九里鉄道
- 改軌&電化して東金線、外房線経由で千葉まで直通。
- または東金から松尾経由で芝山千代田から延伸した芝山鉄道と接続。
- どちらにせよ、都内(東京or京成上野)から観光特急が運転される。
- 片貝が開港場に指定されていたら国有化された可能性あり。
成田鉄道八街線
- 多古線と共通運用すべく電化・改軌され、成田-三里塚-八街の直通運転が実現していた。
- ナローから一気に標準軌もあり得る。
- 富里市の東側を通っているため、市の中心が今よりもずれていた。
- 富里を走る唯一の鉄道になっていた。
- 市制施行そのものが史実より早かった。
- 八街市も昭和時代に市制し、また成田都市圏になっていた。
東葛人車鉄道
- 千葉県営鉄道の代わりに都営新宿線と直通していた。
- 当然だがいまでは人車ではないはず。
スカイウェイ(東京ディズニーランド)
かつて東京ディズニーランド内にはスカイウェイと称するロープウェイがあり索道規則(鉄道事業法に統合)に基づいて運行されていた。
- スポンサーは日本通運から日本郵政あたりに変更された。
- バリアフリー工事で長期間運休していた。
- 鉄オタがこれに乗るためにディズニーランドに入園するというケースもあった。
- その際には、ウエスタンリバー鉄道と舞浜駅リゾートラインとここを回るのが定番ルートと化していた。
茨城
鹿島鉄道線
- つくばエクスプレスが石岡まで延伸された暁には電化され、秋葉原~鉾田間の直通電車が運行される。
- 鉾田と大洗鹿島線の新鉾田駅が統合される。
- 茨城空港(百里基地)へのアクセス鉄道として活用されていた。
- デュアルモードシート車両によるエアポート快速が運行される。
- 都心からの利便性が高まることで、茨城空港は格安航空会社やチャーター便が多数発着。秋葉原はバックパッカーで賑わうかも。
- 羽田・成田発着に比べて距離が短くなる北海道方面へのLCCの発着が多かった。大手航空会社も新千歳便を羽田発着よりも安い運賃設定で多数就航させていた。少なくとも茨城県民や千葉県の常磐線・TX沿線住民が北海道へ行く場合は羽田を利用せず必ず茨城空港を利用していた。
筑波鉄道
- 線内のどこかがつくばエクスプレスの終点になっていた。
- 同時に筑波駅は「筑波山口駅」に改名。TXのつくば駅は「つくば中央駅」として開業。
- 「筑波山口」駅がつくばエクスプレスとの乗換駅になっていた。
- 土浦市民はもとより、つくば・土浦への通勤通学者も利用することで主要区間の複線電化がある。
- 筑波山口~岩瀬間で快速が運転される。
- 少なくとも真壁に停車。
- 「パスネット」は使えなくても「Suica」・「Pasmo」は使えるようになっていた…はず。
- 常総線と竜ケ崎線と接続するようになり、再び関東鉄道の路線に戻る。
- 八高線からキハ30形が大量に転入。
- しかし、例の事故によってNDCに置き換え。
- 桜川市は路線バスがない市になっていたが、真壁地区には鉄道で行けるので不便ではなくなっていた。
- 土浦が開港場に指定されていたら国有化された可能性あり。
常総筑波鉄道鬼怒川線
- ここも関東鉄道になり、下館までの直通列車が運転されていた。
- あるいは、常総線列車に併結されていた。
- 集落の中心から離れた所を走っているため、いずれ筑波鉄道や鹿島鉄道と同じ運命を辿っていたかもしれない。
- 逆に、スピードアップが成功すれば、沿線開発もあったかも。
- 知らない人が聞くと、「温泉街へ行く鉄道ですか?」と勘違いされそう。
- 古河まで延伸して「関東鉄道古河線」に改称。
日立電鉄
- 再び日立駅延伸が議論され、なんとか実現する。
- 常磐線鮎川駅の新設も議論される。
- 東京メトロ銀座線か丸ノ内線で使用してたステンレス車がワンマン改造されて使用されてた。
- 水木駅の電鉄プラザはコンビニに建て替えられ、駅併設になる。
栃木
東武鉄道矢板線
- 東北本線・東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道に乗り入れ、宇都宮と会津方面を結ぶ短絡線として機能。
- JRから鬼怒川方面に向かうルートとしても矢板ルートのほうが好まれるだろう。
- 難読駅名が多い路線として一部のファンに注目される。
- ゆくゆくは電化されて他の路線と同様に電車が走っていた。
- 21世紀を迎えてしばらくたっても釣りかけ電車オンリー。その後6050系or8000系を投入。
- 蒸気機関車全廃以降は中小私鉄から購入した気動車を導入。
- 2014年5月に起きたバスの突然運休事件はなかった。
- 遅くまで蒸気機関車が走っていた路線なのでSL大樹が入線するかもしれない。
鍋山軌道
- 改軌して国鉄に直接つながるようになっていた。
- 旅客はレールバスを使っていた。
- ゴクジョやもっけ、ほしのの。にも登場していた。
- 鍋山街道沿いに足尾への延長を計画していた。
- 着工していても星野あたりで力尽きていたかもしれない。
- 足尾から中禅寺湖、日光方面への延伸も…
- 着工していても星野あたりで力尽きていたかもしれない。
東武大谷軌道線
- 宇都宮駅前まで延伸できていた。
- 存続しても慢性的な赤字で悩まされていた。
- 電化もできず札幌みたいに路面ディーゼル車を導入していた。
- 1930年代までに電化された可能性あり。
- 宇都宮市が公金を使って西原延伸と電化、LRT化を強行するが赤字がかえって増えて宇都宮市が財政再建団体に転落する。
- (2000年代まで存続できたら)「宇都宮ライトレール」は2000年頃に設立され、この路線を譲受していた。
東野鉄道
- 確実になかがわ水遊園まで開業してるハズ。
- 当初の計画通り常陸大子駅まで伸ばすか南下して烏山駅か、茂木駅まで伸ばしてるハズ。
塩原電車
群馬
草軽電気鉄道
- 草津温泉・軽井沢観光の目玉になっていた。
- 762mm路線の生き残りとして更に注目されていた。
- あるいは1067mm軌間に改軌され、国鉄信越本線との直通電車が運行されていた。
- その場合、同時に大規模なルート変更がなされて長大トンネルと鉄橋が連なる本格的山岳鉄道になっていただろう。一部にラックレール軌道が導入されていたかも。
- 横軽間廃止後はしなの鉄道と直通している。
- あるいは1067mm軌間に改軌され、国鉄信越本線との直通電車が運行されていた。
- 独特の集電装置も注目されていた。
- さすがにL形電機にガタが来るので、他の廃線になった軽便から電車を譲受する。
- 西武が軽井沢まで延長されていたら池袋から西武線経由で草津温泉まで直通特急が運転されていた。
- 草軽電鉄自体西武と合併していた可能性もある。
- 東急グループだったので実際に延長されていたとしても相当後の話になっていた。
- 草軽電鉄自体西武と合併していた可能性もある。
- 東急の五島一族の手によって、立派な観光鉄道となっていたのかもしれない。
- ここにも東急7200系や1000系が転入していた。
- 西武が既に手をかけていた軽井沢を避け、東急陣営によって草津温泉が大きく開発されていた。
- 箱根山戦争の第二ステージが繰り広げられていた可能性が大。
- ここにも東急7200系や1000系が転入していた。
- 最近国境平駅を標高日本一の駅として売り出していた。
赤城登山鉄道
- 那須高原とライバル化していたかもしれない。
- 急行「じょうもう」は廃止される事は無かったかもしれない。