もしモンゴル帝国が今でも存在していたら
ナビゲーションに移動
検索に移動
東アジア
魏・呉・蜀
- 三国時代、現在まで続行
- 中国が分裂状態のまま現在に至るので秦の始皇帝は再評価されず暴君のまま
- ほぼそのままの領域で三国共に存続していたら魏王朝(と言うか魏国?)が女真やモンゴル等の異民族支配を跳ね除けていたので世界史や東洋史が大幅に違っていた
- チベットは中国に併合されず大チベットに近い領域で存続している
- 流石に魏が異民族地域を併合できても史実のウイグル自治区、内モンゴル、満州が限界だったはず
- 場合によってはウイグル自治区と満州の半分がロシア領になっていた
- 蜀の正式名称は漢だったので漢国として対外的に有名になっていた
- 俗称で蜀漢と呼ばれる事はあっても蜀と呼ばれる事は無かったはず
- 漢国の読みが「かんこく」なので現実世界の韓国と読みが一緒なのでヤヤコシイ事に・・・
- 漢国大使館と韓国大使館を間違えて行ってしまうと言う事例が多発していた
- そのため朝鮮人や朝鮮語は今でも普通に使われてる
- 流石にニュースでは朝鮮では無く、韓国籍や韓国人が使われてただろうが・・・
- いや、多分こうなっていた。
- 或いは大韓民国成立時に候補として挙げられていた「高麗民国」が正式な国名になっていた
- 五穀米と呉国米の区別が付かなくなる
- そのため呉国産の米は呉国産米と言われるのがメジャーに成る
- 或いは呉国と書いて「くれこく」と読んでいたかも知れない
- 漢が敵国になるでどこかの時代で漢字や漢民族などの漢を魏に変えていた
- 一例、漢民族→魏民族、漢字→魏字、漢語→魏語
- 中国なども魏に置き換わり魏国語とか魏国史とかになっていたはず
- 冷戦中に魏が共産化して大魏人民共和国が成立していた
- ただ毛沢東が湖南省出身(大部分が呉に属する)と言う事を考えると魏はソ連の衛星国のままだった
- 毛沢東は呉国の最大野党である呉国共産党の指導者として有名になる
- さらにいうと呉国共産党は毛沢東派と親ソ連派に分裂していた
- 冷戦が米独ソの三つ巴になっていた場合、魏がソ連陣営に、呉がドイツ陣営に、蜀がアメリカ陣営になっていた。
- 長江は国際河川になっていた
- 三峡ダムは建設されない
- 中国が分裂して三人の皇帝が長い間存続するので皇帝の地位が安売りとなり、三国に影響を受けた国の君主は当初から君主号に皇帝を名乗っていた
- 新羅、ベトナム、琉球の君主も統一かそれに近い時期に皇帝を名乗っていた
- 天皇の君主号が誕生せず日本の君主も皇帝を名乗っていたかも知れない
- 朝鮮やベトナムが中華王朝一編の属国にならなかった
- 李氏朝鮮は史実ほど中華王朝の属国にならなかったはず
- 19世紀までこの状況が続いていたら列強に利用されかねない。
- イギリスあたりが三国同士の戦争を仕向けるだろう。結果的に沿岸の港は割譲されるか租借地になり、大半の都市に租界が置かれる。せいぜい第一次世界大戦でドイツの第二次世界大戦で日本のは返還されるくらい。
極東共和国
詳しくはここを参照。
- 第二次大戦末期にソ連が日本に参戦することはなかった。
- 逆に日本に占領されるかもしれない。
- その場合、北樺太は確実に日本領となっていた。
- 逆に日本に占領されるかもしれない。
- 石油などの資源が豊富なのでそこそこ発展する。
- ハバロフスクに遷都されている。
- 冷戦末期に革命がおきて、資本主義に移行する。
- ソ連崩壊時にロシアはさらに小さな国になっていた。
- サハを併合していた。
秦
- 正式名称は大秦帝国
- 始皇帝が即位した時の暦を採用していた
- 秦は諡号を辞めたため一般的にならなかった
- その場合日本でも神武天皇ではなく一世天皇または始天皇になっていた
- 天皇の号は誕生せず日本でも皇帝が君主の名前として使われた
- 世界最長の王朝となっていた
- もしかすると現在では日本の天皇家のように権威のみの存在になっていたかも?
- これは王朝は長続きすると王家の権力が低下してくため
- 隣国の新羅(朝鮮)もベトナムの王朝も長続きしていた
- 李成桂、及び李氏は新羅で権力を握った将軍または宰相一族という認知度で終わっていた
- 長安ではなく咸陽が発展していた
- 領域は史実の宋(北宋)と同じくらいに落ち込んでいた
- 今でも宦官がいる。
- さすがに諸外国からの非難により廃止していそう。
- 現代日本でも秦国(中国)の事を「支那」と言っても問題なかっただろう。
- むしろ「支那」も「中国」も生まれず「秦国」と呼んでいたのでは。
- 欧米で「China」になるのは史実通り。
前蜀・後蜀・呉・南唐・呉越・閩・荊南・楚・南漢・北漢
いわゆる五代十国の十国だけ存続していたら
- まず、宋は存在しないか早期に滅亡している。
- チベットが大チベットに近い領土で存続している。
- ベトナムの北半分は南漢の領土。
- この場合も19世紀までこの状況が続いていたら列強に利用されかねない。
- ヨーロッパのように東アジアにも多数の国家があるのが当たり前になっていた。
- 唐王朝はローマ帝国のような存在として捉えられる。
- 朝鮮やベトナム(南漢?)も「中華系国家」の一員となっていた。
- アジア版欧州連合が誕生していたかもしれない。
宋
- 最盛期の領地で存続していた場合この世界の中国の範囲は現実の世界よりも遥かに狭かった
- チベットは宋国(中国)に併合されずに大チベットに近い領土で存続
- 周辺の大理や女真、ウイグルも独立国として存続していた
- 河北省は満州の一部として完全に組み込まれていた
- 首都の開封は現在でも中国有数の大都市
- 高速鉄道も史実と大幅に違う計画になっていた
- 最初に建設される区間は開封~青島線となり後に西安ルートも完成して西安~青島線となっていた
- 直接国境を接しないので朝鮮は中国(というか宋国)の属国にならず、むしろベトナムが中国の属国として有名になっていた
- 東京と言えば東京開封府の方が有名になり現実世界の東京都は江戸東京都か江京都辺りになっていた
- 同時代に存続した遼や高麗も存続していたら東京遼陽府や東京慶州府もあったので尚更。
- ベトナムのトンキン地方やトンキン湾も別の名前になっていた。
- 北の金と平行して存続した場合
- 首都の臨安(杭州)は上海よりも大きな都市になっていた
- 宋国史(この世界の中国史)では古代は中国北部が歴史の舞台になる事が多いので、長安や洛陽を首都とする王朝の歴史は金国か宋国の歴史かで論争が続く
- 「金王朝」はこの国の蔑称ではなくれっきとした国家。
大韓帝国
- 現在の太極旗とは細部の違う旧太極旗を使っていた
- 反日感情は史実よりも大幅に少なかったはず・・・
- それでも秀吉は嫌われる。
- 史実で大韓帝国を指していた「旧韓国」なんて言葉は今でも使われない
- 場合によっては日本の華族制度よりも強固な貴族制が今でもあった
- 太平洋戦争で枢軸国側についていた場合、アメリカの圧力で貴族制が解体されていた
- こうなっていたら満州国は高句麗時代の経緯から韓国が作っていた。
- 日独伊三国同盟ではなく韓独伊三国同盟が結成されていた。
- 太平洋戦争では日本が韓国に攻められていた。
- あるいはタイのように枢軸国についても終戦と同時に宣戦布告を無効にして、枢軸国扱いを受けなかった可能性もある。
- むしろ下記のように伊藤博文の案が採用されたら史実の満州のような扱いを受けたか?
- 国名は戦後「大韓民国」に変更されたかも。
- 太平洋戦争で枢軸国側についていた場合、アメリカの圧力で貴族制が解体されていた
- 韓国国花は「ムクゲ」か「スモモ」のどちらかで今でも議論が続く
- 複数存在している国は結構あるから、両方認められているかと。(日本でも桜と菊の両方が国花とされることが多い)
- 結局ムクゲは国花、スモモ(李)は「王室の花」ということで落ち着く。
- 史実どおりソ連や中華人民共和国が成立していた場合、冷戦中は北部の共産ゲリラに散々悩まされる事に・・・
- 冷戦時代は史実と同様に南部が主に発展していた。
- 現実世界の韓国よりも発展が遅いのでソウルオリンピックは2000年以降に開催されている
- 平昌五輪は冬季五輪の競争率が低いので史実とほぼ同じ時期に開催できるだろう、ただ仮に2018年を逃したら後にアルマティとか北京が控えてるので厳しかっただろうが・・・
- 1988年の夏季五輪は名古屋で開催された。
- 2000年がソウルの場合、北京は2010年の冬季五輪に立候補していた。
- ソウル夏季五輪に次ぐ韓国の冬季五輪が平壌で開催される可能性が。
- 清からの独立後、自力で発展できて、日本に併合・合邦されなくても成長できていなければこうなっていた。
- パク・ソヒの漫画『らぶきょん LOVE in 景福宮』は存在しない。
- 保護国化時に伊藤博文の案を採用してたらこうなっていたかも。
- 熊本市は現在も九州の中心都市である。
- 熊本市はソウルと仲良くしていたかも。
- 大韓航空はKLMのように王室系の航空会社に。
- 鴨緑江が東西冷戦の最前線と化し、香港共々「竹のカーテン」と呼ばれる。
- 文化大革命の終結まで中国人の亡命者が多かった。
- 中国で改革開放政策が実施されるまで、国境警備が東西ドイツ国境並みに厳重だった。
- 学生運動で「王政反対」が多く掲げられる。
- 在日コリアンは現実ほどいたか。
- 韓流ゴリ押しは?
- 北部への鉄道路線整備は現実より進んでいた。
- 京義線は'00年代にソウル~開城間が電鉄化され、開城がソウルの衛星都市に。
- 文山以南は複々線化されたかも。
- 高速鉄道は京釜高速線の次に京義高速線が建設されていた。
- 金剛山電気鉄道は現在も存続し、ソウルからの直通列車が多数運行される。ソウルから近い人気観光地に。
- 京義線は'00年代にソウル~開城間が電鉄化され、開城がソウルの衛星都市に。
- 韓台関係は悪化しなかった。
- 冷戦期にアメリカから大々的な支援を受けた。
- 米軍基地は同時期に多く設置されたと思われる(特に北部、鴨緑江付近)。
- 平壌は日本の札幌のように北部の中心都市となり、一部の省庁と研究機関が移転してきた。
- ソウルは古くからの中心地である江北の方が発展する。
- 江南は日本でいう東京23区の隅田川以東のような下町に。
- PSYの「江南スタイル」は「江北スタイル」になっている。
- あるいは「ソウルスタイル」になったか?
- 独島(日本名:竹島)と対馬の領有権を主張している。
- この歌は史実以上にヒット。
- 関連項目
唐
- 唐皇室は今では完全に漢族の扱いになっていた
- 実際は鮮卑系貴族との婚姻を繰り返してよく分からない状況
- 2000年に遣隋使(遣唐使になったのは唐建国後だが)が初めて派遣された年から1600年なので日唐交流1600周年を祝っていた
- 双方の君主の訪問もあり得たかも知れない
- 古代において唐は大国だったので唐国皇帝は極東地域ではそれなりの権威を持つ
- 最盛期の領土を保持していた場合、世界史が相当、変わっていた可能性も
- 史実のモンゴル帝国のポジションを担っていたかも・・・
- 唐は最盛期の時代、中央アジアの大部分を支配していた、ここを今でも保持していたら間違いなくロシア・ソビエトとは度々、衝突していたはず
- この場合、今頃イスラム過激派のテロに悩まされているかも知れない
- 或いは中央アジアは今でも仏教が主流
- ソビエトの支援を受けた唐国共産党が唐国内でゲリラ闘争を開始する
- 冷戦時代はアメリカから大々的な支援を受けていた
- むしろ冷戦がアメリカvs唐vsソビエトになっていたかも。
- この場合、今頃イスラム過激派のテロに悩まされているかも知れない
南越国
- 現実の広東省の経済力と史実で所有していた広東省・広西自治区・ベトナム北部の人口(合計で約2億人)を考えると冷戦時代に資本主義国家だった場合、相当経済力の高い国になっている
- 冷戦期は隣接する中国に対抗するためアメリカからの大々的な支援を受けていた
- 現実の台湾や韓国と同時期に発展しアジアNIESの一角にまでなっていた
- 1988年、2000年、2008年、2020年の何れかに番禺(広州)でのオリンピック開催が実現していた
- 首都の番禺(広州)は最低でも史実の韓国のソウル特別市と同等位の経済力の高い都市になっていた
- 冷戦時代に共産主義国家だった場合は現実のベトナムのような立場になっていたが、ドイモイ政策のような改革開放政策で社会主義市場経済となって、上記の資本主義国家となっていた場合同様に発展している。
- 海南島は中国ではなく南越国の領土
- 史実で海南島にある中国のロケット発射場は別の場所に建設されていた
- 言語の南越語(仮名)は史実のベトナム語と広東語の中間のような言語になっていた
- 史実のベトナム南部はチャンパが現在まで存続する
- メコンデルタ全域は今でもカンボジア領
- 近代ではイギリスかフランスの保護国になっていた可能性も
- ベトナムが存在しない以上、代わりにここで史実のベトナム戦争のような戦争が勃発していたかもしれない。
- 東アジアではなく東南アジアの国になっている。
渤海
- 遼はそんなに大きくなることもなくモンゴル帝国に滅ぼされていた。
- 渤海自身も高麗同様にしばらく属国化されていた。
- 19世紀には親露派と親中派が対立。
- 後に日本も間違いなく介入している。
- 第2次大戦終結後まで日本の強い影響化に置かれてた
- 辛亥革命のしばらく後に王政が打倒されていた。
- 第2次大戦後は共産化しソ連の衛星国になっていた。
- コメコンにも加入している。
- 最悪の場合、北朝鮮みたいに独裁国家として存続…
- 現在は海上貿易の拠点として経済成長を遂げている。
- いわゆる「中国東北地方」は史実より狭い。
- 国土は中国東北部東部、樺太、咸鏡道の大部分、沿海州と言った所か
- ソ連の侵攻具合にもよるが北方領土問題も無く、朝鮮半島全域が韓国領だったかも・・・
- 千島列島全域は日本が所有している
- 高句麗が渤海の前身国家であることから、高句麗の歴史を朝鮮の歴史として語ることが減っていた。
琉球王国
- もし琉球王国が存続していたらも参照。
- 日本に併合されなくても史実の大韓帝国のように統監府が置かれ遅かれ早かれ日本の保護国になっていた
- 薩摩藩の影響が大きかった奄美諸島は琉球王国との条約で正式に日本領として編入される
- 国際情勢を考えると冷戦時代~現在はアメリカの強い影響下に置かれる
- 米軍基地もそれなりに置かれるが史実よりマシ
- 琉球王国とアメリカの関係は現実のキューバ革命前のキューバとアメリカのような関係になっていた
- 冷戦時代はアメリカの大々的な支援を受けていた
- 現在では反米勢力の左派政党もある程度の勢力を保っている
- 琉球藩
明治時代、日本は沖縄県を設置する前に琉球王国を事実上の領土として琉球藩として日本へ併合します。では沖縄県が設置されず琉球藩のままで現在まで続いていたら
- どの道、日本領土になるのは変わらないので何れかのタイミングで琉球藩は沖縄藩へと改称していた
- 藩庁(県庁)は那覇市にならず首里市のまま
- この場合、史実の琉球大学の場所に藩庁(県庁)が置かれていた
- 或いは王宮が首里、藩庁(県庁)が那覇と政府所在地が分離されている
- しかし王宮が首里にある以上、首里市と那覇市が史実通り合併しても名称は首里市になっていた
- 現在の名称は沖縄藩王国、或いは君主制が大戦後に廃止されていた場合、沖縄自治共和国の何れか
- 何らかの形で琉球(沖縄)の君主制が現在まで続くので日本からの独立要求は史実より高かったかも知れない
モンゴル帝国
- チンギスハーンが即位した年を紀元元年とする年号を採用していた。
- ちなみに史実で一時期使われていた「ジンギスカン暦」はチンギス・カンの生まれた年を元年としていた。
- ジンギスカン紀元の1年はチンギス・カンが大ハーン(皇帝)に即位した年(1206年)です。
- ちなみに史実で一時期使われていた「ジンギスカン暦」はチンギス・カンの生まれた年を元年としていた。
- 日本も実史に加え、幾度か襲撃を受けている。ヨーロッパも同様。
- そして日清・日中の両戦争などで逆襲。
- 第二次世界大戦では西からドイツが、東から日本が挟み撃ちしていた。
- そして欧州の親日度が更に高まる。
- 一度勢力が衰退したら再び領土拡大を目指すのは困難だと思うが…。
- そして日清・日中の両戦争などで逆襲。
- 清はハーンを名乗らなかった。
- モンゴル高原のみ
- フビライの時に分裂したので、現在では実際のモンゴルに当たるところだけが領土になっている。
- その場合、ソ連の支援は得られないため鉄道は敷設されていないかも。
- それでも、内モンゴルは含んでいそう。
- 近現代では中華民国とソ連の緩衝国家としてそれなりの役割を果たす。
- 北元が現在でも残っていたらありえた。
- この国がモンゴル人民共和国になっていた。
- 最盛期の版図を維持
- フビライの時分裂しなかったか、後に再統一された場合。
- オスマン帝国が出現せず、いまだに東ローマ帝国があったかもしれない。
- よって今のバルカン紛争も起こらない。列強が介入してくれば話は別だが。
- むしろ東ローマ帝国もモンゴル帝国によって滅ぼされていた。
- シベリアもなし崩し的にモンゴル領。
- よってロシアは帝国にもなれず(東ローマの後継を自称)、王国が続いて永遠とヨーロッパの辺境国扱い。社会主義革命もなかった。
- ロシアは全域モンゴル帝国に併合。
- ロシア語は国連の公用語になっていなかった。
- ロシアは全域モンゴル帝国に併合。
- 世界大戦後はモンゴル帝国とアメリカ合衆国の間で冷戦。
- 君主制vs共和制ということになるので、日本はモンゴル側についていたか、あるいはアメリカの圧力で天皇制が廃止されていた。
- 20世紀になってからの世界では立憲君主制の定着や共和制の多様化などが進んでいるのでそのような観点は対立の基軸になりえない。
- 例えば、第1次世界大戦では君主制のイギリス・日本・ロシア・イタリアと共和制のアメリカ・フランスが同じ陣営に属していた。
- 第2次世界大戦でソ連とアメリカが同じ陣営に属していた事を考えると政治体制の違いから対立してくるので有り得るかも。
- そもそも日本自体モンゴル帝国に併合(江戸時代あたりに元寇があった場合)。
- 例えば、第1次世界大戦では君主制のイギリス・日本・ロシア・イタリアと共和制のアメリカ・フランスが同じ陣営に属していた。
- モンゴル帝国で社会主義革命が起き、ここがソ連となっていた可能性も。
- 元のみが存続
- 史実での後の清にあたる領域を支配していた。
- 漢民族(特に華北人)とモンゴル人と満州人の同化が進む。
- 日本で一般にイメージされる「中国の風俗」にモンゴル的な要素がより多く入っていた。
- 今でもパスパ文字が使われている。
清
- 近代化に成功していたらありえた。
- 日露戦争以降親日だったので、日中戦争や太平洋戦争は起こらなかった。
- 20世紀の中国が悲惨な事になることはなかった以上、中国共産党は存在しなかったか存在しても現実の日本共産党位の勢力しかなかった。
- 第一次世界大戦では史実の中華民国同様に中立国だったが途中で連合国として参戦していた。
- 第二次世界大戦では連合国だがあまり目立たなかった。
- ということは、国際連合の常任理事国になれなかった可能性が高い。
- 近代化の成功や失敗を問わずグレゴリオ暦は1920年頃までには導入されていた。
- 近代化に成功していたら、全ての租界や租借地は1920年頃までには返還されていた。
- その場合、日中戦争がなかった以上1940~50年代には高度経済成長期が到来していた。
- 日本より先だった場合、北京オリンピックが1952年か1956年に、上海オリンピックが2008年に実施されていた。
- この場合、東京オリンピックは1968年に実施されていた。
- 日本より先だった場合、北京オリンピックが1952年か1956年に、上海オリンピックが2008年に実施されていた。
- さらに当然、立憲君主制に移行し、「君臨すれども統治せず」のようなイギリスに近い政治体制になっていた。
- その場合、日中戦争がなかった以上1940~50年代には高度経済成長期が到来していた。
- 支配階級だった満州族が漢民族に同化してしまったため、正式国名を中華帝国(英語名:Empire of China)に改名していた。
- そして自国の呼称は中国になっていた。よって、「清朝」は歴史学的な呼称になっていた。
- 全盛期の領土を保持していた場合、外モンゴル、沿海州とシベリアの一部(外満州)、トゥバ、カザフスタン最東部、キルギスとタジキスタンの東部、アフガニスタンの最東端、カシミールの一部、カチン州も中国領だった。
- この場合、カザフスタンの建国当初の首都はシムケントかカラガンダになっていた。
- アルナーチャル・プラデーシュ州は今でも中国の支配下にある。
- 現実のロシアのアムール州も中国領なので、その地域にあるロシアのロケット発射場はカムチャッカ辺りに建設されていた。
- 北樺太は日本領だった。
- 樺太も自国領と主張するかも。
朝鮮人民共和国
第二次世界大戦後に朝鮮総督府から朝鮮の行政権を移譲された臨時政府。
- 連合国軍の傀儡国家になる。
- 金日成と李承晩は納得しないので内戦の危機が。
- とりあえず朝鮮半島は分断されない。
- 朝鮮国に国名を変更していた。
満州国
鄭氏台湾
- 明国の後継を自負。
- 大陸の領有権を主張している。
- これは現実の中華民国と同じ。
- 大陸の領有権を主張している。
- 清は陸軍は強かったが、元が騎馬民族であったため海軍が激弱だった。
- 琉球王国は薩摩藩・清だけでなく明(の後継の鄭氏)へも朝貢していた。
- 鎖国せず、日本・清より早く近代化に成功していたので存続していた。
- 関連項目
東南アジア
ベトナム帝国
- 首都のフエと外港のダナンはそれなりに大きな都市になっていた
- ベトナム中部の経済力がスカスカなんて言われる事は無かった
- 首都のフエはベトナム戦争で破壊されない代わりに高層ビルが乱立し、世界遺産登録も無かった
- 西側との国交樹立は史実のベトナムより早かった
- 冷戦終結後旧東側の多くと国交を結ぶ
ラオス王国
- 右派がクーデターか何かで政権を奪取しパテート・ラーオは非合法化された。
- その後も90年代までパテート・ラーオの残党が山奥でゲリラ活動をしていた。
- 最近まで中華人民共和国ではなく中華民国を承認していた。
- ビエンチャンの街並みがビルだらけに。
- ホームレスの数も史実よりずっと多い。
- 鉄道復活ももう少し早かったはず。
- ルアンパバーンの王宮は現役なので世界遺産の登録範囲から外れている。
西パプア共和国
蘭芳<らんほう>公司
ボルネオ島西部にあった客家(華僑)による共和制国家。清の朝貢国だったが、同国の弱体化により、安全保障が確保されなくなった結果、オランダによる植民地化で滅亡した。
- 蘭領東インドに含まれる保護国だった(史実でも1912年頃までは保護国で存続していたらしい)。
- 1970年代位までオランダの保護領だった。
- それか英国とオランダの緩衝地帯とされていた(タイと同じ理由)。
- 現在では蘭芳共和国と呼ばれている。
- 広東省出身者が多かったので公用語は客家語と広東語。
- アジアNIESの一員を占めていたかもしれない。
- 観光開発されて多くの人が訪れていた。
- 香港と台湾、シンガポールと関係が深かった。
ベトナム共和国
- ベトナム戦争で勝利したか痛み分けに終わったらあり得た。
- もしくはそれ自体がなかった。
- ひょっとしたら中華民国のようにフーコック島に逃れたかも。
南アジア
インド・グリーク諸国
現在のインド北部とパキスタンに存在していたギリシャ人の征服王朝群。
- ギリシャ語文化圏を含むローマ帝国(ビザンツ帝国を含む)とは友好関係にあった。
- 古代ギリシャ宗教、仏教、ヒンドゥー教等が主要宗教。
- 現在ではキリスト教やイスラム教もそれに加わっている。
- 現在ではギリシャ語から派生し、周辺のインド・イラン語族の言語を影響を受けた別言語が公用語となっている。
- 文化的には現在のギリシャとイラン、北インドが混ざった様なものだった。
- 南インドは別の国になっていたかもしれない。
西アジア
アフガニスタン
アフガニスタン王国
- 今のような酷い惨状はなかった。
- 勿論、ソ連のアフガニスタン侵攻もなかった。
- よってモスクワオリンピックのボイコットも無く、ムジャヒディンが結成されない以上、アメリカがソ連に対抗するためのムジャヒディンへの支援が無く、タリバンも存在しなかった。
- 代わりにソ連はポル・ポト政権打倒のためにカンボジアに侵攻していたか?
- 史実でのムジャヒディンの政権やタリバンの政権よりずっとましであった。と言うより上記の通り、ムジャヒディンやタリバンは存在しなかった。
- 鉄道や道路などのインフラが充実し、国民への教育も男女平等に行き届いていた。
- ザヒル・シャー国王が現実通り、2007年まで生きていた場合、1933年から74年間、国王の座に居たことになり、近世以降の君主としては最も在位の長い君主になっていた。
- アフガニスタンでの資源調査も現実より進んでいる。
アフガニスタン民主共和国
- 全般
- 今のようなひどい惨状はなかった。
- 史実でのムジャヒディーンの政権やタリバーンの政権よりずっとましであった。
- 鉄道や道路などのインフラが充実し、国民への教育も男女平等に行き届いていた。
- 社会主義だったらインフラは充実しない。イスラム国家だったら女子への教育は行わない。
- 上の考えは間違い。例えばイギリス時代の鉄道の再建や鉄道の新規開設を行ったのは現政権以外では実は人民民主党政権だけだったりする。
- 治安も景気も史実よりよい。
- ただし社会主義から資本主義への移行の際にはある程度混乱が発生していた。
- 移行していたかなぁ
- 文化財はきちんと保護されていた。
- バーミヤンの大仏爆破などありえない。
- アフガン国内の世界遺産の数がもう少し増加していた。
- ランボー3の舞台は別の国になっていた。
- 治安が安定していれば観光大国になっていたはず。
- アリアナ・アフガン航空はヨーロッパのみならず東アジアにも路線を拡大していた。
- どこかのアライアンスに加盟していた。
- 日本からのツアーも行われている。
- そんなに観光名所はない。
- 外国人旅行者を引きつける要素は少なくないように思えるのだが・・・。
- 実際、内戦前の70年代には年間9万人以上の観光客(主に欧米から)が訪問していた。
- 日本人でもバックパッカーの間ではそれなりに人気があった上、兼高かおるも訪問したことがある。
- バックパッカーが行くようなところは観光名所じゃないだろ。
- 「日本人でも・・・」のくだりは日本人にとってまだアジア観光が一般的でなかった1970年代の状況を描写したものなのでその後の嗜好の変化などにより多くの旅行者が訪れる可能性は否定できない。
- そもそもバックパッキングは予算や荷物の量、移動手段などに基づく定義なのでバックパッカーが一般的な観光旅行でも目的地となる観光名所を訪問しても特におかしくはない。
- アリアナ・アフガン航空はヨーロッパのみならず東アジアにも路線を拡大していた。
- 現在の国名は「アフガニスタン共和国」か。
- ウズベキスタンやカザフスタンなどと同様、社会主義ではない独裁体制が続いているかもしれない。
- この場合も、アフガニスタンでの資源調査が現実より進んでいる。
- アミーンが穏健な政策をとっていたら
- インフラ整備や改革のスピードが遅れていた。
- 女性解放のスピードなどは遅れているが少しずつ達成される。
- イスラム過激派の蜂起はあまり起きない。
- その代わり毛派が蜂起するが史実ほど激しい内戦にはならなかった。
- 隣国イランのイスラム革命の影響を防ぐのに苦慮する。
- ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカが賛成していたら
- ムジャヒディーンは一人残らず殲滅されている。
- イラン革命後はイランと激しく対立するようになる。
- イラン革命打倒のための重要な拠点となっている。
- イラン・イラク戦争の際にイランを攻撃していたら「イラン・イスラム共和国」はこの時点で崩壊していた。
- その後中東をめぐる米ソの対立が激しくなっていたかもしれない。
- 場合によっては冷戦の流れが大きく変わっていた。
- イスラム過激派問題はそこまで深刻になっていなかった。
- 国際的な広がりはなく各国ごとの組織が活動するという形になっていた。
- ソ連崩壊後は民主化した上で親米国となっている。
- 人民民主党は人民派、旗派の他にさらに世俗主義派、社会民主主義派、共産主義堅持派に分かれていた。
- おそらく旧人民民主党系の数政党が政権交代を繰り返す形となっている。
- 人民民主党は人民派、旗派の他にさらに世俗主義派、社会民主主義派、共産主義堅持派に分かれていた。
- 少なくともモスクワ五輪のボイコットはない。
- ナジブラ政権の和平協定がうまくいっていたら
- 一党独裁と社会主義体制は廃止される。
- 最初の自由選挙では祖国党が辛勝するものの派閥抗争により党が分裂し下野する。
- ハルク・パルチャムに分裂してしまう。
- パルチャムの現指導者はドスタム将軍になっている。
- 近年になってパキスタンの支援を受けたムスリム同胞団系の政党が議席を伸ばしていた。
- 親中派政党が親ソ派、イスラム派にとってのキャスティングボードとなっていた。
アフガニスタン・イスラム首長国
- アメリカが北部同盟を見捨ててタリバンが全土掌握に成功していた場合だろう。
- チェチェン独立承認したためロシアとの関係はすこぶる悪い。
- ロシアがアフガンにまた侵攻するかは微妙。
- タリバンを支援したパキスタンも仲が悪い。このによりインドが親露国に。
- ロシアがアフガンにまた侵攻するかは微妙。
- ビンラディンはこの国で暮らす。
- 北朝鮮やポルポト政権もかくやの圧政が行われ、国内はボロボロになる。
- おそらくだが中国がこの国の最大支援国になる。
- 反中の場合ウイグル独立承認とかやりかねない。
イエメン人民民主共和国
- 存続するとすればベトナムのドイモイ政策のような社会主義市場経済の導入が行われている。
- ただしイエメン社会党の一党制は変わらず。
- そのせいで報道の自由などのランキングでは下位の常連国となっている。
- 国際社会からは「無理に民主化しても国が荒れる可能性が高いので仕方ない」と認識されていた。
- 政治、経済ともにベトナムとの関係が深くなっている。
- 近年では徐々に中国との交流が増えている。
- ただしイエメン社会党の一党制は変わらず。
- 中東では珍しい世俗・進歩的国家となっている。
- このためベトナムのように社会主義国でも親米的な国家となっている。
- 冷戦時代は親ソ連・反米(アメリカからテロ支援国家認定されていた位)だったが、冷戦終結とともにアメリカと関係改善。
- このためベトナムのように社会主義国でも親米的な国家となっている。
- 社会主義市場経済で北イエメンの経済水準をすでに超えていた。
- 治安も多分南イエメンの方が良好だった。
- イスラム過激派は徹底的に弾圧され存在しない。
- 中東革命も南イエメンではたぶん不発に終わっている。
- 北イエメンにおける中東革命では南イエメン系勢力が世俗勢力のまとめ役となっている。
- その後自由選挙で南イエメン系のイエメン人民党(仮)が権力を握り南北統合をしようとする。
- あるいは北イエメン解放民族戦線(仮)としてゲリラ戦を行い政権を打倒していた。
- この時イスラム過激派に対し南イエメン系勢力がベトナムの軍事指導を受け軍事的殲滅を行っていた。
- 「南北イエメン統一」は一部過激派が主張しているだけで絵空事に過ぎなかった。
イエメン民主共和国
1994年に上記のイエメン人民民主共和国復活を目標として建国されたが内戦で敗北。
- おそらく沿ドニエストルみたいな感じになっている。
- 建前のみ社会主義をとっているが昔ほど徹底していない。
- 多くの国が北イエメンを承認するので、承認する国も少ない。
- 現在では「民主主義と民族の権利のための共同体」に加盟しているかもしれない。
- ソマリランドとも(似たような境遇の国ということで)国交を樹立してそう。
- 中東革命に伴う内戦ではソマリランドのように一切北を無視している。
- イエメン社会党の一党独裁は相変わらず変わらない。
イスラエル王国
- 今でもダビデとソロモンの子孫が代々王位に就いていた。
- 同じくソロモンの子孫が王位についていたエチオピアと深い関係にあったが、史実通りエチオピア王政が崩壊していたら急速に関係悪化していた。
- ユダヤ人の海外離散はなかった。
- ヒトラーはそこまで悪人扱いされていない。
- 陰謀論のネタが枯渇している。
- 杉原千畝は無名のまま。
- 十字軍やイスラム勢力をすべてはねのけてきたのだから、かなりの軍事力であろう。
- 現代のアメリカも恐れて手が出せない。
- キリスト教もイスラム教も生まれていない。
- イエスは「イスラエル王国の復興」をめざしていたので、王国が存続していれば存在意義を失う。
- ただ改革者として登場する可能性はあるが、「キリスト教」というほど独立した宗教には発展していないだろう。
- ムハンマドはみずからの宗教をユダヤ教・キリスト教の後継者もしくは集大成と位置づけているので、キリスト教が無ければ彼の宗教も全く違った形になっていたはず。
- となると、ヨーロッパで主流の宗教はギリシャ・ローマ神話に由来する宗教?
- イエスは「イスラエル王国の復興」をめざしていたので、王国が存続していれば存在意義を失う。
- 中東の殆どを自国の領土としていたかも。
- 少なくとも現実のイスラエルよりは大きいだろう。
- 「パレスチナ」という固有名詞はなかった。
イスラム帝国
アッバース朝
- カリフの地位がオスマン家に乗っ取られる事は無かった
- イスラム教の聖地であるメッカを巡ってアイユーブ朝やオスマン帝国とは度々対立していた
- オスマン帝国の成立が史実通りの場合、大シリア地方西部はオスマン帝国領→欧米の植民地の歴史を辿る
- オスマン帝国やサウード王国、列強諸国との抗争で現在の領土は現実世界のイラクとサウジアラビア西部、湾岸諸国を合わせた領域まで落ち込む
エルサレム王国
- 地理的にはアジアだがほとんどヨーロッパとして扱われている。
- この国のサッカー協会は最初からUEFAに加盟していた。
- イスラム勢力から領土を守るため相当な軍事力を蓄えていた。
- 現実のイスラエル同様国民皆兵の意識が根付いていた。
- 「十字軍の名残」といえば真っ先にこの国の存在を思い浮かべる人が多い。
- 十字軍に対する歴史的評価は良くなっていた。
- 交易維持の都合などからオスマン帝国とは意外と仲が良かったかもしれない。
- イスラム圏に近いためルネサンスでは重要な役割を果たしていた。
- 19世紀に立憲君主国となる。
- 第1次大戦後に旧エデッサ伯領、アンティオキア公国、トリポリ伯領の領有を要求するが拒否される。
- パレスチナ地域は現実より平和な気がする。
- 現在も「ユダヤ人の民族国家」は絵空事にすぎない存在のまま。
- ユダヤ人は第二次大戦後多くがアメリカに移住するかナチス無き(西)ドイツに帰還していた。
オスマン帝国
- 第一次世界大戦には参戦せず中立を保つ。
- 代わりにイタリアが連合国に寝返ずに、中央同盟国側で参戦していた。
- ジャスミン革命をうけて帝政独裁を倒そうとするデモが起こる。
- そもそもジャスミン革命自体がオスマン帝国から始まっていた。
- トルコ民族主義の高まりから正式に「オスマントルコ帝国」または「トルコ帝国」に改名していたかも
- 実際オスマン帝国末期はトルコ人の知識人を中心にオスマン帝国のことをトルコ帝国と呼ぶ人も多かった
- パレスチナに移住したユダヤ人は委任統治したイギリスではなくオスマン帝国本土でテロを起こす
- 希土戦争でムスタファ・ケマル率いるアンカラ政府軍が敗れていればこうなっていた。
- 現在のトルコではムスタファ・ケマルは反乱者扱いだった。
- 領土はセーブル条約に定められていたようにイスタンブール周辺とアナトリア内陸部のみ。
- イタリアやフランスに占領された地域は後に返還されたかもしれない。
- 現在もアナトリアにギリシャ人が多く住んでいた。
- ギリシャ人とトルコ人の間で紛争が発生していた可能性もある。
- トルコ語はみみずのようなアラビア文字で書くオスマントルコ語を今でも使ってた。
- その結果、より「中東」イメージが強くなる。
- 全盛期の領土を保持していた場合、中東・地中海世界の大国として君臨していた。
- 場合によってはオスマン帝国で社会主義革命が起こり、ここがソ連のような国になっていたかもしれない。
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
一時期アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアは一つで共和国を構成していました
- 民族の居住地域がさらに多様化していた。
- やはりトルコとの仲は悪そう。
- そんな中で親トルコ的なアゼルバイジャン人が独立運動を展開する。
- ソ連崩壊で独立するも内戦が起きるのは変わらない。
- コーカサスのユーゴスラビアで済めばいいがソマリア状態になっている可能性も。
- 国境線を変えたくない国際社会の意向により、さらに悲惨な状態になっていたと思われる。
クルディスタン人民共和国(マハバード共和国)
- クルド人が世界最大の少数民族になることはなかった。
- フセイン政権でクルド人が攻撃された時多くのクルド系イラク人がマハバードに逃げ込んだ。
- 現在ではイラク・クルディスタンとの合同が検討されていた。
- 一党独裁制もそれを見越して近年になりやっと放棄。
ペルシア帝国
アケメネス朝
- ゾロアスター教が中東や中央アジア一帯に広まっていた
- 史実通りイスラム教が成立しても、イスラム教の代わりにゾロアスター教が東南アジアや中央アジアに広まる
- よってインドネシアやマレーシアはゾロアスター教を信仰する国になっていた
- 東南アジアにおいてイスラム過激派の活動は無かった
- その代わりフィリピンでキリスト教のフィリピン伝来が史実通りだった場合ゾロアスター教の過激派がフィリピンで活動していた
- 流石にイスラム過激派と提携事は無かったはず
- イスラム教シーア派は広まらずマイナーな宗派になっていた
- マケドニアにペルシアが滅ぼされないためヘレニズム文化は成立しない
- アケメネス朝が西部で存続するためイスラム世界のモンゴル人征服が無く、アッバース朝は史実より長続きしていた
サファヴィー朝
- 正式名称はイラン帝国
- 首都のエスファハーンは高層ビルが乱立し現実世界のカイロのような都市になっていた
- オスマン帝国滅亡時までイスラム圏の盟主の地位を争う
- おそらくスンニ派のオスマン帝国とシーア派のサファヴィー朝という構図になっていた。
- 北部は余り発展せず、本格的な発展はカスピ海で油田、天然ガスが発掘されるのを待つ事になっていた
- ジャスミン革命で立憲君主制へ移行していた
- いずれにせよこれに近い状態になっていた。