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* | ==福岡県庁が○○== | ||
** | ===北九州市=== | ||
** | #福岡市は博多市と2つに分かれていた。 | ||
*** | #*近年になって政令指定都市となって合併した。静岡市みたいに。 | ||
***[[ | #山陽新幹線は博多まで建設されない。 | ||
*** | #*小倉が起点・終点となる。 | ||
*** | #*博多は九州新幹線の中間駅。 | ||
#*史実より早く九州新幹線が建設されていた。 | |||
#もちろんテレビ局もすべて北九州市にある。 | |||
#*山口県には山口放送しかなく、逆に佐賀県は史実のサガテレビのほかにも佐賀放送(AMラジオと兼営)と佐賀朝日放送が開局していた。 | |||
#*日本放送協会の地域拠点局の立場は福岡局ではなく、[[福岡のメディア#NHK北九州放送局|小倉放送局]]に移っていた。 | |||
#西鉄とダイエーは福岡市ではなく北九州市に球団を作った。 | |||
#*大相撲の九州場所も福岡市ではなく、北九州市で行われる。 | |||
#*アビスパは本城陸上競技場を本拠にしていて、収容人員がとっくの昔にJ1基準を満たしている。 | |||
#**ギラヴァンツ北九州はJ1に昇格していたりJ2に降格していたりを繰り返すポジションになっており、アビスパは万年J2のチームになっていた。 | |||
#*西鉄に関しては親会社の路線網自体史実と大幅に変わっている。 | |||
#筑後地方は佐賀県か熊本県と合併していた。 | |||
#*歴史的経緯を考慮すると肥前東部(現実の佐賀県)とまとまり「三潴県」だった。 | |||
#北九州空港は関空と同時期に埋め立てが終わって開業していた。 | |||
#県域は「豊前全域+筑前」か。 | |||
#その前に「北九州市」は誕生せず「小倉市」だった。 | |||
#*さいたま市のような合併が無いともいえないが。 | |||
#*県名も「小倉県」になっていた可能性が高いので、合併しても「小倉市」のままだっただろう。 | |||
#[[下関市]]が越県合併を画策していた。 | |||
#*同時に山口の県庁所在地が下関に置かれていたら、史実の大津と京都のような関係だった。 | |||
#もちろん読売の西部本社は現在も小倉にある。 | |||
#史実の北九州モノレール+西鉄北九州線の一部に相当するルートで市営地下鉄が建設されている。 | |||
#八幡製鉄所の遊休地にはスペースワールドではなく「八幡副都心」が建設される。 | |||
#小倉駅が九州の玄関口としてさらに発展した。 | |||
#地下鉄が走っていた。 | |||
#西鉄は小倉をターミナルとしてた。 | |||
===飯塚市=== | |||
#県名は名実ともに筑豊県。 | |||
#*郡名からとって「穂波県」では。 | |||
#北九州市と福岡市は均等に発展していた。 | |||
#*場合によっては北九州市や史実の福岡市(博多+福岡)が成立していないかもしれない。 | |||
#県土一時間構想なるものを発表し、道路整備に力を入れる。 | |||
#*福智山地と三郡山地にバンバンとトンネルを掘る。 | |||
#*九州自動車道は飯塚経由で、北九州福岡間には別の高速道路が出来ていた。 | |||
#炭鉱衰退後も、筑豊地域はそれほど過疎化してない。 | |||
#筑後南部は冷遇されている。 | |||
#*大川・柳川は佐賀に、大牟田は熊本への編入を模索する。 | |||
#新幹線は現在と同じルート。 | |||
#*むしろ「小倉→飯塚→久留米」という感じだったのでは。 | |||
#芦屋も飯塚の外港として栄える。 | |||
#*市制施行しこちらが「芦屋市」を名乗っていたかもしれない。 | |||
#**神戸の東隣にある方は「精道市」だった。 | |||
===久留米市=== | |||
#久留米市は、九州初の政令指定都市に北九州市よりも先になっていた。 | |||
#筑後川対岸・佐賀県鳥栖市との越境合併で人口は200万人を越え、名古屋に代わる日本第三の大都市圏となっていた可能性も。 | |||
#当然、州都の最有力候補に | |||
#筑後・筑前・史実の佐賀県に相当する領域が「三潴県」になっていた。 | |||
#*豊前は単独の「小倉県」。 | |||
#大刀洗陸軍飛行場が戦後に「久留米空港」(三瀦空港?)として生まれ変わる。 | |||
#久留米ラーメンと博多ラーメンの地位がひっくり返る。 | |||
#ブリヂストンの登記上の本店が今も置かれている。 | |||
#*創業者の出身地つながりで東芝の関連企業もいくつか立地している。 | |||
===太宰府市=== | |||
#歴史的な必然性は小さくなかったと思う。 | |||
#*律令制があまり揺らがなければおそらく当確。 | |||
#*大内氏か秀吉あたりが築城や町割を行っていたら江戸時代にもそこそこの規模の都市として生き延びられていた。 | |||
#全国の人が「太宰府」と「大宰府」の使い分けに苦しめられる。 | |||
#太平洋戦争末期の空襲により太宰府天満宮は燃えていた。 | |||
#博多も何だかんだで外港として結構栄える。 | |||
#旧筑紫郡のほとんどが太宰府市のものに。 | |||
==佐賀県庁が○○== | |||
===鳥栖市=== | |||
#[[佐賀市|佐賀]]よりは大きな町になっている・・・・はず? | |||
#*人口は佐賀よりは多い。 | |||
#**30~40万人はいくだろう。 | |||
#***20万人が多分限界、合併で30万人を超す。 | |||
#****元々、発展する見込みのある土地なんだから、県庁が置かれていたならもっといってたはずだろう。 | |||
#佐賀線は最初っからなかったことになる。 | |||
#鳥栖駅は高架駅になっている。 | |||
#*ついでにバスターミナル付きの駅ビルも完成していた。 | |||
#**あの古い駅舎はとっくに解体されていた。 | |||
#***鳥栖機関区は田代あたりに移転。 | |||
#****鳥栖駅前の古いビルは高層ビルになっている。 | |||
#小郡から西鉄鳥栖線みたいなものが開通していた。 | |||
#*いや、多分西鉄は鳥栖を通るだろう。 | |||
#九州新幹線が鳥栖に止まっても誰も文句を言わない。 | |||
#*その代わり「久留米に新幹線を止めるなんて税金の無駄だ!」と叫ばれる。 | |||
#平成になって、[[久留米市]]を編入しようとする動きが出てくる。 | |||
#*そして政令指定都市を目指すが、60万人前後のため多分無理。 | |||
#**平成の大合併の結果、うきはまでも飲み込み、福岡県が寸断される事態に。 | |||
#***久留米市を飲み込んだ新生・鳥栖市は名古屋並の大都会に。 | |||
#現在の佐賀市は観光と農業だけで細々とやっている。 | |||
#*下手をすれば人口10万人未満。 | |||
#**最近までかもめは通過していた。 | |||
#「佐賀だけ通ってればいいか」という話になり長崎新幹線は作られない。 | |||
#*いや、それでも長崎県出身の政治家がごり押しで作ろうとする。 | |||
#**佐賀は通らず、博多から唐津、佐世保経由で作られる。 | |||
#そもそも県名が佐賀県ではなかったはず。 | |||
#*鳥栖県かな? | |||
#佐賀空港は誕生しなかったかもしれない・・。 | |||
#*仮に誕生しても佐賀ではなく鳥栖辺りに作られていただろう。 | |||
#*そして[[福岡空港]]は廃港の危機に・・。 | |||
#鳥栖から遠い県北西部は分離。[[唐津市]]は福岡県に、[[伊万里市]]と[[佐賀/松浦#有田町の噂|有田町]]は長崎県になる。 | |||
#「さが錦」は「とす錦」になっていた。 | |||
#*「とす錦」って、あんまり美味しそうな名前じゃないな・・・って、お菓子の話じゃないのか? | |||
#福岡県鳥栖市と云われることはなかったかも | |||
===武雄市=== | |||
#大合併以降は中核市に移行できるぐらいの人口は保有していた。 | |||
#*それでも最大35万人弱? | |||
#武雄温泉の利用客は現実より増えていた。 | |||
#県名は武雄県かな? | |||
#鳥栖は現実ほど大きくない。 | |||
#*市になれたかどうかも不詳。 | |||
#*プレミアム・アウトレットも嬉野か呼子あたりに建設されていた。 | |||
#*逆に現実より人口多いかもしれんよ。 | |||
#辰野金吾が温泉の楼門どころか市庁舎や県庁まで設計している。 | |||
#肥前全域が県域なら可能性はあったかもしれない。 | |||
===唐津市=== | |||
#JR[[長崎本線]]は現実の筑肥線・松浦鉄道(伊万里以南)のルートとなっていた。 | |||
#*具体的には博多~東唐津~山本~伊万里~有田~早岐~大村~諫早~長崎。 | |||
#*長崎本線は当然交流電化され、姪浜~博多間は廃止されなかった。 | |||
#**福岡市営地下鉄空港線は[[西日本鉄道/路線別#天神大牟田線|西鉄天神大牟田線]]と乗り入れていた。 | |||
#史実では実現しなかった国鉄呼子線が実現していた。 | |||
#*場合によっては戦前に私鉄として開業できていた。 | |||
#福岡空港への利用の便が良いので、佐賀空港が造られることはない。 | |||
#唐津周辺だけやたら発展して、佐賀や鳥栖などが冷遇されそう。。。 | |||
#佐賀県の自動車は「佐賀ナンバー」じゃなくて「唐津ナンバー」にしてしまう。 | |||
#名護屋城の建造物が一部復元される。 | |||
#交通の便を考慮して壱岐・対馬がこの県に属していた。 | |||
===有田町=== | |||
#もちろん有田町は市制施行している。 | |||
#*有田市はこちらになり、現実の和歌山県有田市は「箕島市」となっていた。 | |||
#**有田みかんは無名なままだった。 | |||
#有田焼が現実以上に有名になっていた。 | |||
#*いまでもじゅうぶん有名じゃないの? | |||
#長崎本線は現在も大村経由。 | |||
#県名は「有田県」となっていたかもしれない。 | |||
===鹿島市=== | |||
#九州新幹線長崎ルートは肥前鹿島経由となっていた。 | |||
#「かしま」というと茨城県の[[鹿嶋市|ここ]]よりもこの佐賀県鹿島市の方が有名になっていた。 | |||
#*そっちは市名の頭に常陸をつけざるを得なかっただろう。 | |||
#鹿児島と紛らわしくなっていた。 | |||
#それでも祐徳稲荷が「日本三大稲荷」末席の座を不動とすることはない。 | |||
==長崎県庁が○○== | |||
===佐世保市=== | |||
#人口は西彼6町を統合する前の長崎市ぐらい(約40万人)。 | |||
#*対して長崎市の人口は今の半分(約22万人)。 | |||
#佐世保ナンバーのほうが有名になっていて、長崎ナンバーは仮にできたとしてもマイナーな存在になるかも。 | |||
#今頃西九州自動車道は完成している。 | |||
#*長崎自動車道の全通が遅れた可能性も。 | |||
#**20世紀中に開通できなかった場合、管轄もNEXCO西日本ではなく国土交通省になっていたかも。 | |||
#長崎自動車道は西彼杵半島回りで建設されていた。 | |||
#*それはさすがに大村、諫早を敵に回してしまいそう・・・。 | |||
#新幹線も、佐世保周りのルートで建設。 | |||
#*唐津は経由している。 | |||
#**博多−東唐津−伊万里−早岐−新大村−諫早−長崎(?) | |||
#*というか佐世保止まりだろ。わざわざそれ以上いく必要があるか? | |||
#**いや、大村にある長崎空港がハブ空港として拡張されるし、長崎に車両基地を設ける可能性が高いので、結局長崎まで伸びる。 | |||
#佐世保駅が先代の長崎駅に対抗して、三角屋根の駅にしていた。 | |||
#*自動改札機の導入も佐世保駅が先。 | |||
#西肥バスが県下一のバス会社に。 | |||
#*佐世保バスに改名した可能性も。 | |||
#**そうすると[[長崎のバス#佐世保市営バス|佐世保市営バス]]が県営バスに。あれ、そしたら現実の[[長崎県交通局|県営バス]]は? | |||
#西海市を統合していた可能性も。 | |||
#長崎県を佐世保県と間違う人が出てくる。 | |||
#*実際に佐世保県にされたかも? | |||
#現県庁の目の前の坂の名前が変わる | |||
#佐世保市交通局が路面電車を運行している。 | |||
#*長崎市にも長崎電軌の路面電車が走っているかは微妙・・。 | |||
#フリーポートを長崎か佐世保のどちらかに建設するかで揉める | |||
#原爆は史実同様、長崎市に落とされているかもしれない・・。 | |||
#*原爆投下地の決定では地形に重きが置かれていたのでおそらく史実と変わらない。 | |||
#米軍基地が長崎市に・・・はダメだな、やっぱり。 | |||
#TV・ラジオ局は恐らく在福岡局による福岡広域圏のエリア。 | |||
#*もちろん佐世保には独立U局が出来る。 | |||
#*独立U局は欲しいけど、福岡局の広域エリアってのは勘弁してください(by長崎県民)。 | |||
#戦前には海軍が県政にしきりに首を突っ込んでいた。 | |||
#佐世保都市圏の通勤通学需要のおかげで松浦線がJRの路線として生き延びている。 | |||
===諫早市=== | |||
#人口は35万人ぐらいになっていた。 | |||
#新幹線は諫早から西は計画すらなかった。 | |||
#諫早駅が先代の長崎駅に対抗して、三角屋根の駅にしていた。 | |||
#*自動改札機の導入も諫早駅が先。 | |||
#[[長崎バスグループ#長崎自動車の噂|長崎バス]]は諫早にも進出。 | |||
#眼鏡橋といえば諫早が本家扱い。 | |||
===大村市=== | |||
#人口は最低30万人、良ければ40万人は超えていたであろう。 | |||
#長崎空港と県庁が近くなるので、高速バスの空港線は現実より本数が少ない。 | |||
#長崎新幹線の一次開業は大村駅~武雄温泉駅間になっていた。 | |||
#大村線はとっくの昔に電化されている。 | |||
#*というか現実の大村線が長崎本線となっていた。佐世保線は早岐~佐世保間のみ。 | |||
#県庁舎建て替えの際、ホントにその可能性があった。長崎以外の佐世保、平戸、島原・・・みんな賛成だったんだが。。。 | |||
===島原市=== | |||
#島鉄はJR九州に買収されていた。 | |||
#*そもそも明治時代に九州鉄道が自力で島原まで路線を作っていたのでは。 | |||
#普賢岳の被害により、地域経済衰退が現実以上に進行していたかも… | |||
#*「復興事業」「防災のため」などの名目によりよく分からないハコモノが乱立している。 | |||
#島原にも高速道路ができていた。 | |||
#平成合併の結果島原半島の全域が島原市のものに。 | |||
#放送では熊本との相互乗り入れが検討される。 | |||
===五島市=== | |||
#不便すぎる | |||
#結構な人口密度になっている | |||
#本土地区の交通整備は進んでいる。特に航路関係 | |||
#江戸時代に対ヨーロッパ・中国貿易を離島の福江にまとめた(→福江市街地発展)というのが背景か。 | |||
#*そうでもなければ交通が発達していない時代に県庁を呼べる理由が見当たらない。 | |||
===平戸市=== | |||
#松浦鉄道は第三セクターではなくJRのまま。 | |||
#*筑肥線、松浦線、大村線が「長崎本線」になって電化されている。 | |||
#*博多−東唐津−伊万里−平戸口−佐世保−諫早−長崎を走る急行「平戸」は廃止されず、特急になって「みどり」なみの本数で運転されている。 | |||
#*たびら平戸口駅は「平戸口駅」のまま。もしくは「平戸駅」になっている。 | |||
#**おそらく旧田平町はもっと昔から平戸市になり、発展している。 | |||
#「長崎カステラ」は「平戸カステラ」の名で有名になる。 | |||
#平戸から遠く、交流もほとんどない島原半島は熊本県になる。 | |||
#*逆に佐賀県伊万里市は長崎県に。 | |||
#オランダ商館が長崎に移転しなければ考えられた。 | |||
#ウチワエビが需要増に伴う乱獲により絶滅の危機に。 | |||
==熊本県庁が◯◯== | |||
===宇土市=== | |||
#熊本も八代も均等なレベルの都市になっていた。 | |||
#*そもそも清正公が字を変えなかったため今でも「隈本」だった。 | |||
#史実でも計画が存在した宇土から矢部を経て高千穂に至る鉄道が建設され高千穂鉄道と繋がっていたかも。 | |||
#*現実世界の熊延鉄道が廃止されてしまったのを考慮するとそれは微妙。 | |||
#要するに小西行長が肥後全域を支配していた場合。 | |||
#*この場合小西が改易された後も後継の大名はすんなり宇土城に入ったはず。 | |||
#現実の熊本市南区のかなりの部分は宇土市に編入されていた。 | |||
===八代市=== | |||
#史実とは逆に八代県が白川県を吸収合併していた。 | |||
#八代vs熊本が実施されていた。 | |||
#現実より九州新幹線の部分開業に異議を唱える人が減っていた。 | |||
#*なお新幹線は何とかして八代駅に乗り入れていた。 | |||
#秀吉の九州平定の時には八代が肥後最大の都市だったためこうなる可能性は十分あったと思う。 | |||
==大分県庁が○○== | |||
===中津市=== | |||
#大分県ではなく中津県になっていた。 | |||
#*[[大阪]]にある阪急と大阪市営地下鉄の両中津駅がここにあると勘違いされる。 | |||
#*福島駅と合わせると梅田駅の次の駅に都道府県名を名乗る駅が2つあることになっていた。 | |||
#福岡県の行橋市以南は中津県となっていた。 | |||
#*代わりに日田市が福岡県に編入されていた。 | |||
#*むしろ豊前・豊後の全域が中津県になっていたのでは。 | |||
#史実の大分市は現在も「府内」のまま。 | |||
#中津市の市域が山国川の向こうまで広がっている。 | |||
#慶応大学の分校ができていた。 | |||
#耶馬渓が戦後に大開発されホテルや旅館が林立。 | |||
#*耶馬渓鉄道の末裔にあたる鉄道路線もまだ生き延びている。 | |||
===佐伯市=== | |||
#大分県ではなく佐伯県になっていた。 | |||
#*または、海部県になっていた。 | |||
#中津市と宇佐市と日田市と玖珠郡は福岡県所属だった。 | |||
#*代わりに宮崎県北部と熊本県阿蘇地方が佐伯県所属だった。 | |||
#日豊本線の佐伯~延岡間のルートは蒲江経由で普通列車の運行本数は1時間に1本ぐらいだったかも。 | |||
#現実の大分市は「府内」のままで人口は現実の別府市や延岡市ぐらいだった。 | |||
#佐伯市の地形が山がちであるため人口は多くて25万人ぐらいだった。 | |||
#*延岡市の人口は現実の都城市ぐらいで別府市の人口は現実の中津市ぐらいだった。 | |||
#[[広島市/佐伯区|広島の佐伯]]がいつも誤読されることとなっていた。 | |||
#*間違えられないようにするため名称が「五日市区」になっていた。 | |||
#旧海軍絡みで重工業がそれなりに発達していた。 | |||
===別府市=== | |||
#別府県か速見県になっていた。 | |||
#大分市は府内市になっていた。 | |||
#*だが3路線4方向の鉄道路線が分岐するので交通の要衝として栄えていた。 | |||
#*よって別府vs大分が実施されていた。 | |||
#*昭和合併あたりで大分が別府に飲み込まれる一方で鶴崎市が現存していた。 | |||
#日本屈指の温泉地にある県庁所在地として有名になる。 | |||
==宮崎県庁が○○== | |||
#宮崎市の市制施行が最悪昭和の大合併期にずれ込んでいた。 | |||
#*その場合そもそも「宮崎市」でなく、「大淀市」「赤江市」「日向太田市」「日向中村市」「城ヶ崎市」のいずれかになる。 | |||
#*史実の旧宮崎町に当たる自治体も、地域内で町場だった名前から「上野村」「江平村」あたりになって、結局は上記の市に編入される。 | |||
===延岡市=== | |||
#宮崎市と延岡市の人口はそっくり入れ替わっていた。 | |||
#*県名も「延岡県」となっていた。 | |||
#延岡自動車道はとっくに全線4車線で供用している。 | |||
#*逆に宮崎自動車道は建設されなかったか、遅れていた。 | |||
#*[[もしあの高速道路の経由地が異なっていたら/西日本#八代以南が西回り経由|九州自動車道も西回りになっていた。]] | |||
#*鹿児島本線も当初から西回りで建設された。 | |||
#日豊本線の特急「ソニック」は延岡発着となっていた。 | |||
#*宗太郎越えの区間が改良されていた。 | |||
#高千穂鉄道は南阿蘇鉄道とつながっていた。 | |||
#*もちろん大雨で被災しても復旧されていた。 | |||
#*そもそも3セクではなく国鉄→JR日肥線。 | |||
#都城市は宮崎県ではなく鹿児島県となっていた。 | |||
#*東国原英夫氏は鹿児島県知事になっていた。 | |||
#[[旭化成|イヒの会社]]の本社は東京へ移転しなかった。 | |||
#*その会社の尽力もあり延岡空港が昭和30年代に開港。 | |||
#各放送局の延岡本局は一体どの山になっていたのだろうか。 | |||
#*史実の愛宕山では明らかにカバー面積が狭すぎる。 | |||
#*おそらく遠見半島(遠見山)と思われる(実際にMRT延岡アナログ局の設置予定地でもあった) | |||
===都城市=== | |||
#延岡市の人口は10万人に満たなかった。 | |||
#*延岡市は大分県に編入されていた。 | |||
#**特急「にちりん」は都城駅発着で、「ソニック」の一部の便は延岡駅発着だったかも。佐伯~延岡間の本数は現実より増えていた。宗太郎越えや宮崎以南の区間はとっくに早く改良されていた。 | |||
#**寝台特急「富士」も1980年から1997年まで都城発着だった。 | |||
#***都城発着は「富士」ではなく「彗星」。富士が都城発着になった時期はない。 | |||
#****”都城が県庁所在地だったら「富士」も都城発着になっていた"という意味ですが。(by2つ上書いた人) | |||
#*現実の佐伯市と同じくらいの人口だったかも。 | |||
#*内藤家の危機感が史実以上になるので、旭化成の工場群はやっぱりある。 | |||
#*元々城下町だったので、県政上では北部の拠点として重要視されるのは変わらず。 | |||
#そもそも県名が都城県、または、諸県県になる。 | |||
#*史実の都城県は、現在の宮崎県南部+大隅半島+霧島市。 | |||
#鹿児島県境に近すぎる(現実でも滋賀県の例はあるが)のは不自然なので、実際に都城との繋がりが深い現在の曽於市・志布志市・大崎町も都城県に編入される。 | |||
#宮崎自動車道は都城自動車道として建設され、なぜか終点が志布志になる。 | |||
#*そして都城から東九州自動車道が伸びる。高岡経由で延岡へ。 | |||
#平成の大合併で三股町が編入される。 | |||
#鹿児島弁とは微妙に違う都城弁の「微妙な違い」が史実以上に強調される。 | |||
#テレビ局の略称は史実どおりである(MRT都城放送、UMKテレビ都城) | |||
#テレビ・FM親局が鰐塚山に置かれるのは変わらないが、そのための道路は三股から敷設される。 | |||
#都城大丸(またはそれに相当する百貨店)は2015年現在も健在。もしくは都城山形屋がある。 | |||
===旧佐土原町=== | |||
#佐土原町は宮崎市に合併されず、佐土原市となっていた。 | |||
#*逆に宮崎市が佐土原市に合併されていた。 | |||
#県名が宮崎県ではなく佐土原県になっていた可能性もある。 | |||
#*史実でも佐土原県は短期間だがあった。 | |||
#いずれは蛯原友里が県知事になっていた? | |||
===高鍋町=== | |||
#多くの偉人を輩出した藩校明倫堂の精神が残っていて教育県と呼ばれている。 | |||
#*センター試験の県別平均点は中上位あたりに食い込んでいる。 | |||
#高鍋から西都を経て湯前まで鉄道が通っていた。 | |||
#*史実の妻線とそう変わらない運命をたどっていたのでは。 | |||
#空港は新田原基地と共用。 | |||
===旧美々津町=== | |||
#美々津県時代と同じ県庁所在地である。 | |||
#日向市ではなく美々津市になっていた。 | |||
#現実の日向市街地に当たる地域は細島港が開発されるまであまり栄えていなかった。 | |||
#美々津駅には全ての列車が止まるようになっていた。 | |||
#*美々津にもインターチェンジが設置されていた。 | |||
#「神武東征の出発地」という伝承にちなみ明治時代くらいに巨大な神宮が創設された。 | |||
#*八紘之基柱も美々津にできていた。 | |||
==鹿児島県庁が○○== | |||
===旧谷山市=== | |||
#現状とあまり変わらない気がするが、谷山市は戦前に市制施行していたか、鹿児島市に編入されてた。 | |||
#江戸時代から島津家がこの付近を開発しているのが前提。 | |||
#*集成館なども谷山に建設されていた。 | |||
#「大坂の陣で敗れた豊臣秀頼が落ち延びてきた」という伝説が観光PRなどに多用される。 | |||
===旧国分市(霧島市)=== | |||
#薩摩半島と大隅半島の陸の中間地点に位置していて、鹿屋も鹿児島も対等なレベルの都市になっていた。 | |||
#平野部が広いので鹿児島市よりも大都市が作れた。 | |||
#鹿児島空港が溝辺あるので空港からのアクセスが非常に便利。 | |||
#九州新幹線も国分駅が終点となっていた。 | |||
#*そして大隅線も戦前に国分~垂水間が完成して、赤字ローカル線にはならず廃止にならなかっただろう。 | |||
#江戸時代にたびたび持ち上がった薩摩藩主の移転計画が実現していたら充分可能性があった。 | |||
#*この場合山口と国分がなにかと比べられている気がする。 | |||
#*この場合、県名が曽於県になる。 | |||
#*この場合、薩摩藩という呼称が一般的になるか微妙なところである(山口のほうは萩藩が一般的) | |||
#鹿児島市の位置づけはあくまで「風光明媚な元城下町」。 | |||
#肥薩線は「国分本線」の一部であり続け近代化もされていた。 | |||
#1993年の水害といえば8.1水害である。 | |||
===鹿屋市=== | |||
#平野が広いので都市が作りやすい。 | |||
#廃藩置県後一時都城県の一部だったのでまずありえない。 | |||
#県庁設置理由に不平士族の反乱や桜島噴火対策が絡んでいる。 | |||
===旧高山町(肝付町)=== | |||
#≒もし肝付氏が島津氏に勝利したら、である。それ以外に高山が県庁所在地になりえる要因が見当たらない。 | |||
#そもそも、県名が肝属県または肝付県になる。 | |||
#九州自動車道がえびの~都城~高山のルートで建設され、史実のえびの~鹿児島間は建設されない。 | |||
#*後に八代~川内~国分~都城のルートが南九州西回り自動車道として整備される。 | |||
#大阪行きのフェリーが志布志ではなく、波見発着になる。 | |||
#高山市が飛騨高山市になる。 | |||
#*飛騨高山が「ひだこうやま」と読み間違えられる。 | |||
#流鏑馬が県の代表的祭事となり、テレビで生中継される。 | |||
#肝属川の魔改造が江戸時代のうちに実行される。 | |||
#*それでも1938年の水害は発生し、現実の8.6水害がごとく語り継がれる。 | |||
#佐多岬観光が現況よりは多少ましになる。 | |||
#ゲゲゲの鬼太郎の一反木綿が肝付弁(鹿児島弁)を喋るようになる。 | |||
===旧加治木町(姶良市)=== | |||
西南戦争による被災で、一時的に柁城小学校敷地に臨時庁舎が設置されていた。 | |||
#地理的におおむね[[#旧国分市(霧島市)]]の場合と同様。 | |||
#きっかけが西南戦争なら、県名が鹿児島県で県庁所在地が加治木市ということになる。 | |||
#鹿児島空港に相当する施設は当初から現在地(溝辺)に設置される。 | |||
#現実の姶良市+溝辺(要は江戸時代の始良郡域)が、そのまま加治木市になる。 | |||
#*曖昧さ回避問題が発生しないため、現実の旧吾平町が「姶良町」を名乗り、「姶良」は鹿屋市の地名として定着する。 | |||
===指宿市=== | |||
#指宿県になっていた。 | |||
#指宿vs鹿児島が実施されていた。 | |||
#*下記通り市来も交通の要衝になるので指宿と鹿児島と市来が指宿県下の3大都市になっていた。 | |||
#鹿児島本線は指宿本線となり、市来以南は加世田を経由して指宿に達していた。 | |||
#*国道3号と南九州自動車道も。 | |||
#*日豊本線と国道10号と九州自動車道は鹿児島から指宿が追加されていた。 | |||
#*よって指宿方面と鹿児島方面への交通路の分岐点となる市来はかなり発展し指宿と鹿児島に並ぶ指宿県下の3大都市になっていた。 | |||
#日本屈指の温泉地にある県庁所在地として有名になる。 | |||
#池田湖周辺が大規模に開発されイッシーなど出現しようがなくなる。 | |||
===旧川内市(薩摩川内市)=== | |||
#薩摩国府所在地からそのまま発展し続けることが前提。 | |||
#仙台を「『宮城』の仙台」と区別する用法が全国区となる。 | |||
#*県庁所在地となると駅名も曖昧さ回避をする必要が生じるかも。 | |||
#川内港が早期に開発されるため、甑島航路も20世紀中に川内に集約されている。 | |||
#はたして原発は建設されただろうか。 | |||
==沖縄県庁が○○== | |||
===首里=== | |||
1879年に廃藩置県により沖縄県が首里に設置されましたが、この後に県庁は那覇に移転します。しかし仮に県庁が琉球王国時代と同じ首里(現在の那覇市の一部)に県庁があったら | |||
#沖縄県は行政は首里が中心となるが経済は那覇になる。 | |||
#1954年には那覇を吸収合併して首里市となる。 | |||
#*沖縄市かも。 | |||
#**コザ・美里は別名称となる。 | |||
#*真和志村は無論、浦添市(首里の前の王朝所在地)・西原町(隣接)も吸収される。一方小禄村は豊見城村に吸収され豊見城市か小禄市になっていたかも。 | |||
#のちに政令指定都市移行の話し合いがされて旧那覇市は那覇区に | |||
#*逆に旧首里市は中央区になる。 | |||
#沖縄都市モノレール(ゆいレール)の現存する首里駅が「県庁前駅」に、現存する県庁前駅が「パレットくもじ前駅」か「[[wikipedia:ja:琉球放送|琉球放送]]前駅」となった。 | |||
#*間違ってもそれはないな。旧那覇が新都心になっただろ。 | |||
#*第一、県庁が置かれたとしたら史実の旧博物館か首里城だろ。今の駅のある場所からは1km前後離れてるぞ。 | |||
#*RBCにしても、那覇の久茂地にはない。首里城内は不可能だがその近く(旧国頭街道儀保あたり)じゃないのか? | |||
#*本土の例だと、城を改変して県庁建てるのは良くある事。 | |||
#**その場合、史実の琉球大学の場所に県庁があった | |||
#**下手をすると明治のうちに首里城の建築がことごとく取り壊されていた。 | |||
#寄宮は畑から郊外型都市に脱皮。知事公舎もない。 | |||
#戦前の沖縄県営鉄道の起点は首里近郊。 | |||
#現在の国際通りがない。 | |||
#*よって首里からスタートする国道331号線は旧長江堤・十貫瀬を経由して旧那覇を抜け明治橋を渡る。 | |||
#国道58号線は牧港以南も旧国頭街道と同じルート。 | |||
#*鳥堀交差点が史実の旭橋交差点と同じ役割を果たしていた。 | |||
#[[偽沖縄の特徴/市町村#偽那覇ぬ特徴|このページ]]が「偽首里ぬ特徴」になっていた。 | |||
#初期の首里市域の町名は「首里○○町」ではなく「○○町」になっており、逆に旧那覇市域の町名が「那覇○○町」になっていた。 | |||
===石川(現・うるま市)=== | |||
戦後初の暫定政府は、戦後すぐに収容された住民によって人口が増えた石川市に置かれました。これがそのままだったら。 | |||
#首里・那覇は寂れた。 | |||
#*現在の読谷村みたいなやちむんの里になっていた。 | |||
#**琉神マブヤーはもちろん壺屋が舞台。 | |||
#*首里城はあっさりと復元。 | |||
#*というか、牧志から西はいまだに基地。 | |||
#**皮肉にも、軍港以外の埋め立てはなく、緑地が復活している。今の前島は干潟のまま。 | |||
#史実よりもはるかに早く石川・具志川・与那城・勝連が合併。 | |||
#*新市名はもちろん沖縄市。 | |||
#*読谷を併合した可能性あり。 | |||
#**金武も巻き込む。 | |||
#*与那城・勝連は別の市だったかもしれない。 | |||
#人口はわずか4kmしかない仲泊-東恩納間に集中。 | |||
#*字石川にオフィス街ができる。 | |||
#*航空制限や景観の制約がないため、超高層ビルはとっくにできていた。 | |||
#**それでもやっぱりマンションが一番高い。 | |||
#石川高校は県の名門校となった。 | |||
#NHK沖縄かRBCの本社、およびラジオの送信所は栄野比にあった。 | |||
#*テレビ送信所は石川岳かな? | |||
#*ちなみに、琉球大学も栄野比周辺にできた。 | |||
#沖縄電力の発電所は石川にはない。 | |||
#*でも本社はできた。 | |||
#国道58号の終点は東恩納。 | |||
#*仲泊以北は史実と変わらないルート。 | |||
#*沖縄県区間は現実より30キロも短い。 | |||
#*東恩納-首里間が国道330号として制定される。 | |||
#**東恩納-与那原-南部一周-首里の国道331号も指定。 | |||
#***糸満からは現実の県道77号-国道507号-県道46号を経由。 | |||
#沖縄海洋博覧会は那覇の現実の空港地域で開催された。 | |||
#金武湾が埋め立てられ、港や空港も建設された。 | |||
#[[石川|ここ]]の県庁所在地だと間違える人が多数出てくる。 | |||
===知念(現・南城市)=== | |||
その後、暫定政府は知念村(現南城市)に移転します。しかし、1949年に布令が出され、戦後も那覇市が沖縄の中心となり今日に至ります。 | |||
#やっぱり那覇は寂れた。 | |||
#知念は市制施行して知念市となるも、沖縄の中心にふさわしい名前として、佐敷町・玉城村を併合し、首里の東という首東(すあがり)市となる。 | |||
#*皮肉にも平成大合併の項目にあるような東方(あがりかた)市だったかも。 | |||
#石川市は消滅し、美里村の一部に戻る。 | |||
#*逆に知念市は存続していた。 | |||
#地形上手狭となり、佐敷に移転。 | |||
#その後、与那原・西原を併合し、ついに首里を併合して新首里市となる。 | |||
#港は馬天港が、空港は[[もしあの空港が違う場所に建設されていたら#那覇空港が違う場所|旧沖縄東飛行場]]が発展する。 | |||
#当然ながら、親慶原周辺が都市化したため、ダイキンオーキッドレディスゴルフは別の場所で開催されている。 | |||
===沖縄市=== | |||
1980年代、国体を契機に沖縄市へ県庁を移す運動が一部で起こり、1986年旧県庁舎解体後に「湧田釜」が発見され移転運動はピークに達しましたが、湧田釜は運び出され、現在は那覇新都心に移転した博物館に置かれました。そうではなくて、湧田釜および旧立法院の現地保存が決まっていたら。 | |||
#移転先は沖縄市美里 | |||
#*沖縄市への改称が実を結ぶことになる。 | |||
#嘉手納基地に近いため14階建てにはならない。 | |||
#那覇は人口減少して現在20万くらい。 | |||
#総合事務局、国の出先機関、地方裁判所も中部に移転し、那覇には南部地域の出先機関だけ残る。 | |||
#*カフーナ旭橋が誕生しないので旧自治会館が残存する。 | |||
#*新都心の国第2合同庁舎も誕生してない。そればかりか新都心は森林公園へ。 | |||
#NHKは2006年に沖縄市コザ十字路近くへ移転。 | |||
#*QABはRBCが沖縄市役所近辺にビル建てて開局。 | |||
#那覇-沖縄市間は今頃鉄道敷設が始まっていた。 | |||
#*鉄道は現実のおもろまち駅-牧港-コンベンションセンター前-普天間-プラザハウス-沖縄市役所経由県庁前。 | |||
#**モノレールではSPEEDが足りないので高架LRT。 | |||
#湧田釜は現地保存、武徳殿と旧立法院も保存、県庁跡は湧田公園となる。 | |||
#そのうち大合併構想が持ち上がり・・・・・・ | |||
#*沖縄市は北中城村、北谷町を合併。 | |||
#**北谷町は流石に無理だと思う。代わりに具志川市、石川市とは合併していた。 | |||
#*負けじと那覇市は浦添市、宜野湾市を合併。 | |||
#*最終的に両市合併。 | |||
#コリンザとミュージックタウンの計画はない。 | |||
#*コザショッピングセンターは増築してダイエー沖縄店となるも2005年に閉店。 | |||
#*沖縄市立図書館は沖縄市文化センターから美里地域に移転していた。 | |||
#沖縄市一番街や銀天街の衰退もなかった(?)。 | |||
#*どっちみち郊外店舗には食われてる。 | |||
#*逆に国際通りがマジで寂れたかも。 | |||
#沖縄市は2010年頃までには特例市に、2016年の中核市人口要件引き下げ後には中核市になっていた。 | |||
#*2018年末に那覇市と沖縄市が中枢中核都市に指定されていた。 | |||
===おまけ=== | |||
#ここへきて移転計画が再浮上してる・・・・・・ | |||
#*那覇の14階建て+カフーナはどうするんだよ! | |||
#*それより首里城を県庁本館(知事室を移転)、泉崎を那覇総合行政庁舎にしてほしい。 | |||
{{もし県庁}} | |||
[[カテゴリ:もしあの県の県庁が○○に置かれていたら|きゆうしゆう]] | |||
[[カテゴリ:九州地方|もしけんちよう]] |
2021年3月4日 (木) 20:47時点における版
福岡県庁が○○
北九州市
- 福岡市は博多市と2つに分かれていた。
- 近年になって政令指定都市となって合併した。静岡市みたいに。
- 山陽新幹線は博多まで建設されない。
- 小倉が起点・終点となる。
- 博多は九州新幹線の中間駅。
- 史実より早く九州新幹線が建設されていた。
- もちろんテレビ局もすべて北九州市にある。
- 山口県には山口放送しかなく、逆に佐賀県は史実のサガテレビのほかにも佐賀放送(AMラジオと兼営)と佐賀朝日放送が開局していた。
- 日本放送協会の地域拠点局の立場は福岡局ではなく、小倉放送局に移っていた。
- 西鉄とダイエーは福岡市ではなく北九州市に球団を作った。
- 大相撲の九州場所も福岡市ではなく、北九州市で行われる。
- アビスパは本城陸上競技場を本拠にしていて、収容人員がとっくの昔にJ1基準を満たしている。
- ギラヴァンツ北九州はJ1に昇格していたりJ2に降格していたりを繰り返すポジションになっており、アビスパは万年J2のチームになっていた。
- 西鉄に関しては親会社の路線網自体史実と大幅に変わっている。
- 筑後地方は佐賀県か熊本県と合併していた。
- 歴史的経緯を考慮すると肥前東部(現実の佐賀県)とまとまり「三潴県」だった。
- 北九州空港は関空と同時期に埋め立てが終わって開業していた。
- 県域は「豊前全域+筑前」か。
- その前に「北九州市」は誕生せず「小倉市」だった。
- さいたま市のような合併が無いともいえないが。
- 県名も「小倉県」になっていた可能性が高いので、合併しても「小倉市」のままだっただろう。
- 下関市が越県合併を画策していた。
- 同時に山口の県庁所在地が下関に置かれていたら、史実の大津と京都のような関係だった。
- もちろん読売の西部本社は現在も小倉にある。
- 史実の北九州モノレール+西鉄北九州線の一部に相当するルートで市営地下鉄が建設されている。
- 八幡製鉄所の遊休地にはスペースワールドではなく「八幡副都心」が建設される。
- 小倉駅が九州の玄関口としてさらに発展した。
- 地下鉄が走っていた。
- 西鉄は小倉をターミナルとしてた。
飯塚市
- 県名は名実ともに筑豊県。
- 郡名からとって「穂波県」では。
- 北九州市と福岡市は均等に発展していた。
- 場合によっては北九州市や史実の福岡市(博多+福岡)が成立していないかもしれない。
- 県土一時間構想なるものを発表し、道路整備に力を入れる。
- 福智山地と三郡山地にバンバンとトンネルを掘る。
- 九州自動車道は飯塚経由で、北九州福岡間には別の高速道路が出来ていた。
- 炭鉱衰退後も、筑豊地域はそれほど過疎化してない。
- 筑後南部は冷遇されている。
- 大川・柳川は佐賀に、大牟田は熊本への編入を模索する。
- 新幹線は現在と同じルート。
- むしろ「小倉→飯塚→久留米」という感じだったのでは。
- 芦屋も飯塚の外港として栄える。
- 市制施行しこちらが「芦屋市」を名乗っていたかもしれない。
- 神戸の東隣にある方は「精道市」だった。
- 市制施行しこちらが「芦屋市」を名乗っていたかもしれない。
久留米市
- 久留米市は、九州初の政令指定都市に北九州市よりも先になっていた。
- 筑後川対岸・佐賀県鳥栖市との越境合併で人口は200万人を越え、名古屋に代わる日本第三の大都市圏となっていた可能性も。
- 当然、州都の最有力候補に
- 筑後・筑前・史実の佐賀県に相当する領域が「三潴県」になっていた。
- 豊前は単独の「小倉県」。
- 大刀洗陸軍飛行場が戦後に「久留米空港」(三瀦空港?)として生まれ変わる。
- 久留米ラーメンと博多ラーメンの地位がひっくり返る。
- ブリヂストンの登記上の本店が今も置かれている。
- 創業者の出身地つながりで東芝の関連企業もいくつか立地している。
太宰府市
- 歴史的な必然性は小さくなかったと思う。
- 律令制があまり揺らがなければおそらく当確。
- 大内氏か秀吉あたりが築城や町割を行っていたら江戸時代にもそこそこの規模の都市として生き延びられていた。
- 全国の人が「太宰府」と「大宰府」の使い分けに苦しめられる。
- 太平洋戦争末期の空襲により太宰府天満宮は燃えていた。
- 博多も何だかんだで外港として結構栄える。
- 旧筑紫郡のほとんどが太宰府市のものに。
佐賀県庁が○○
鳥栖市
- 佐賀よりは大きな町になっている・・・・はず?
- 人口は佐賀よりは多い。
- 30~40万人はいくだろう。
- 20万人が多分限界、合併で30万人を超す。
- 元々、発展する見込みのある土地なんだから、県庁が置かれていたならもっといってたはずだろう。
- 20万人が多分限界、合併で30万人を超す。
- 30~40万人はいくだろう。
- 人口は佐賀よりは多い。
- 佐賀線は最初っからなかったことになる。
- 鳥栖駅は高架駅になっている。
- ついでにバスターミナル付きの駅ビルも完成していた。
- あの古い駅舎はとっくに解体されていた。
- 鳥栖機関区は田代あたりに移転。
- 鳥栖駅前の古いビルは高層ビルになっている。
- 鳥栖機関区は田代あたりに移転。
- あの古い駅舎はとっくに解体されていた。
- ついでにバスターミナル付きの駅ビルも完成していた。
- 小郡から西鉄鳥栖線みたいなものが開通していた。
- いや、多分西鉄は鳥栖を通るだろう。
- 九州新幹線が鳥栖に止まっても誰も文句を言わない。
- その代わり「久留米に新幹線を止めるなんて税金の無駄だ!」と叫ばれる。
- 平成になって、久留米市を編入しようとする動きが出てくる。
- そして政令指定都市を目指すが、60万人前後のため多分無理。
- 平成の大合併の結果、うきはまでも飲み込み、福岡県が寸断される事態に。
- 久留米市を飲み込んだ新生・鳥栖市は名古屋並の大都会に。
- 平成の大合併の結果、うきはまでも飲み込み、福岡県が寸断される事態に。
- そして政令指定都市を目指すが、60万人前後のため多分無理。
- 現在の佐賀市は観光と農業だけで細々とやっている。
- 下手をすれば人口10万人未満。
- 最近までかもめは通過していた。
- 下手をすれば人口10万人未満。
- 「佐賀だけ通ってればいいか」という話になり長崎新幹線は作られない。
- いや、それでも長崎県出身の政治家がごり押しで作ろうとする。
- 佐賀は通らず、博多から唐津、佐世保経由で作られる。
- いや、それでも長崎県出身の政治家がごり押しで作ろうとする。
- そもそも県名が佐賀県ではなかったはず。
- 鳥栖県かな?
- 佐賀空港は誕生しなかったかもしれない・・。
- 仮に誕生しても佐賀ではなく鳥栖辺りに作られていただろう。
- そして福岡空港は廃港の危機に・・。
- 鳥栖から遠い県北西部は分離。唐津市は福岡県に、伊万里市と有田町は長崎県になる。
- 「さが錦」は「とす錦」になっていた。
- 「とす錦」って、あんまり美味しそうな名前じゃないな・・・って、お菓子の話じゃないのか?
- 福岡県鳥栖市と云われることはなかったかも
武雄市
- 大合併以降は中核市に移行できるぐらいの人口は保有していた。
- それでも最大35万人弱?
- 武雄温泉の利用客は現実より増えていた。
- 県名は武雄県かな?
- 鳥栖は現実ほど大きくない。
- 市になれたかどうかも不詳。
- プレミアム・アウトレットも嬉野か呼子あたりに建設されていた。
- 逆に現実より人口多いかもしれんよ。
- 辰野金吾が温泉の楼門どころか市庁舎や県庁まで設計している。
- 肥前全域が県域なら可能性はあったかもしれない。
唐津市
- JR長崎本線は現実の筑肥線・松浦鉄道(伊万里以南)のルートとなっていた。
- 具体的には博多~東唐津~山本~伊万里~有田~早岐~大村~諫早~長崎。
- 長崎本線は当然交流電化され、姪浜~博多間は廃止されなかった。
- 福岡市営地下鉄空港線は西鉄天神大牟田線と乗り入れていた。
- 史実では実現しなかった国鉄呼子線が実現していた。
- 場合によっては戦前に私鉄として開業できていた。
- 福岡空港への利用の便が良いので、佐賀空港が造られることはない。
- 唐津周辺だけやたら発展して、佐賀や鳥栖などが冷遇されそう。。。
- 佐賀県の自動車は「佐賀ナンバー」じゃなくて「唐津ナンバー」にしてしまう。
- 名護屋城の建造物が一部復元される。
- 交通の便を考慮して壱岐・対馬がこの県に属していた。
有田町
- もちろん有田町は市制施行している。
- 有田市はこちらになり、現実の和歌山県有田市は「箕島市」となっていた。
- 有田みかんは無名なままだった。
- 有田市はこちらになり、現実の和歌山県有田市は「箕島市」となっていた。
- 有田焼が現実以上に有名になっていた。
- いまでもじゅうぶん有名じゃないの?
- 長崎本線は現在も大村経由。
- 県名は「有田県」となっていたかもしれない。
鹿島市
- 九州新幹線長崎ルートは肥前鹿島経由となっていた。
- 「かしま」というと茨城県のここよりもこの佐賀県鹿島市の方が有名になっていた。
- そっちは市名の頭に常陸をつけざるを得なかっただろう。
- 鹿児島と紛らわしくなっていた。
- それでも祐徳稲荷が「日本三大稲荷」末席の座を不動とすることはない。
長崎県庁が○○
佐世保市
- 人口は西彼6町を統合する前の長崎市ぐらい(約40万人)。
- 対して長崎市の人口は今の半分(約22万人)。
- 佐世保ナンバーのほうが有名になっていて、長崎ナンバーは仮にできたとしてもマイナーな存在になるかも。
- 今頃西九州自動車道は完成している。
- 長崎自動車道の全通が遅れた可能性も。
- 20世紀中に開通できなかった場合、管轄もNEXCO西日本ではなく国土交通省になっていたかも。
- 長崎自動車道の全通が遅れた可能性も。
- 長崎自動車道は西彼杵半島回りで建設されていた。
- それはさすがに大村、諫早を敵に回してしまいそう・・・。
- 新幹線も、佐世保周りのルートで建設。
- 唐津は経由している。
- 博多−東唐津−伊万里−早岐−新大村−諫早−長崎(?)
- というか佐世保止まりだろ。わざわざそれ以上いく必要があるか?
- いや、大村にある長崎空港がハブ空港として拡張されるし、長崎に車両基地を設ける可能性が高いので、結局長崎まで伸びる。
- 唐津は経由している。
- 佐世保駅が先代の長崎駅に対抗して、三角屋根の駅にしていた。
- 自動改札機の導入も佐世保駅が先。
- 西肥バスが県下一のバス会社に。
- 西海市を統合していた可能性も。
- 長崎県を佐世保県と間違う人が出てくる。
- 実際に佐世保県にされたかも?
- 現県庁の目の前の坂の名前が変わる
- 佐世保市交通局が路面電車を運行している。
- 長崎市にも長崎電軌の路面電車が走っているかは微妙・・。
- フリーポートを長崎か佐世保のどちらかに建設するかで揉める
- 原爆は史実同様、長崎市に落とされているかもしれない・・。
- 原爆投下地の決定では地形に重きが置かれていたのでおそらく史実と変わらない。
- 米軍基地が長崎市に・・・はダメだな、やっぱり。
- TV・ラジオ局は恐らく在福岡局による福岡広域圏のエリア。
- もちろん佐世保には独立U局が出来る。
- 独立U局は欲しいけど、福岡局の広域エリアってのは勘弁してください(by長崎県民)。
- 戦前には海軍が県政にしきりに首を突っ込んでいた。
- 佐世保都市圏の通勤通学需要のおかげで松浦線がJRの路線として生き延びている。
諫早市
- 人口は35万人ぐらいになっていた。
- 新幹線は諫早から西は計画すらなかった。
- 諫早駅が先代の長崎駅に対抗して、三角屋根の駅にしていた。
- 自動改札機の導入も諫早駅が先。
- 長崎バスは諫早にも進出。
- 眼鏡橋といえば諫早が本家扱い。
大村市
- 人口は最低30万人、良ければ40万人は超えていたであろう。
- 長崎空港と県庁が近くなるので、高速バスの空港線は現実より本数が少ない。
- 長崎新幹線の一次開業は大村駅~武雄温泉駅間になっていた。
- 大村線はとっくの昔に電化されている。
- というか現実の大村線が長崎本線となっていた。佐世保線は早岐~佐世保間のみ。
- 県庁舎建て替えの際、ホントにその可能性があった。長崎以外の佐世保、平戸、島原・・・みんな賛成だったんだが。。。
島原市
- 島鉄はJR九州に買収されていた。
- そもそも明治時代に九州鉄道が自力で島原まで路線を作っていたのでは。
- 普賢岳の被害により、地域経済衰退が現実以上に進行していたかも…
- 「復興事業」「防災のため」などの名目によりよく分からないハコモノが乱立している。
- 島原にも高速道路ができていた。
- 平成合併の結果島原半島の全域が島原市のものに。
- 放送では熊本との相互乗り入れが検討される。
五島市
- 不便すぎる
- 結構な人口密度になっている
- 本土地区の交通整備は進んでいる。特に航路関係
- 江戸時代に対ヨーロッパ・中国貿易を離島の福江にまとめた(→福江市街地発展)というのが背景か。
- そうでもなければ交通が発達していない時代に県庁を呼べる理由が見当たらない。
平戸市
- 松浦鉄道は第三セクターではなくJRのまま。
- 筑肥線、松浦線、大村線が「長崎本線」になって電化されている。
- 博多−東唐津−伊万里−平戸口−佐世保−諫早−長崎を走る急行「平戸」は廃止されず、特急になって「みどり」なみの本数で運転されている。
- たびら平戸口駅は「平戸口駅」のまま。もしくは「平戸駅」になっている。
- おそらく旧田平町はもっと昔から平戸市になり、発展している。
- 「長崎カステラ」は「平戸カステラ」の名で有名になる。
- 平戸から遠く、交流もほとんどない島原半島は熊本県になる。
- 逆に佐賀県伊万里市は長崎県に。
- オランダ商館が長崎に移転しなければ考えられた。
- ウチワエビが需要増に伴う乱獲により絶滅の危機に。
熊本県庁が◯◯
宇土市
- 熊本も八代も均等なレベルの都市になっていた。
- そもそも清正公が字を変えなかったため今でも「隈本」だった。
- 史実でも計画が存在した宇土から矢部を経て高千穂に至る鉄道が建設され高千穂鉄道と繋がっていたかも。
- 現実世界の熊延鉄道が廃止されてしまったのを考慮するとそれは微妙。
- 要するに小西行長が肥後全域を支配していた場合。
- この場合小西が改易された後も後継の大名はすんなり宇土城に入ったはず。
- 現実の熊本市南区のかなりの部分は宇土市に編入されていた。
八代市
- 史実とは逆に八代県が白川県を吸収合併していた。
- 八代vs熊本が実施されていた。
- 現実より九州新幹線の部分開業に異議を唱える人が減っていた。
- なお新幹線は何とかして八代駅に乗り入れていた。
- 秀吉の九州平定の時には八代が肥後最大の都市だったためこうなる可能性は十分あったと思う。
大分県庁が○○
中津市
- 大分県ではなく中津県になっていた。
- 大阪にある阪急と大阪市営地下鉄の両中津駅がここにあると勘違いされる。
- 福島駅と合わせると梅田駅の次の駅に都道府県名を名乗る駅が2つあることになっていた。
- 福岡県の行橋市以南は中津県となっていた。
- 代わりに日田市が福岡県に編入されていた。
- むしろ豊前・豊後の全域が中津県になっていたのでは。
- 史実の大分市は現在も「府内」のまま。
- 中津市の市域が山国川の向こうまで広がっている。
- 慶応大学の分校ができていた。
- 耶馬渓が戦後に大開発されホテルや旅館が林立。
- 耶馬渓鉄道の末裔にあたる鉄道路線もまだ生き延びている。
佐伯市
- 大分県ではなく佐伯県になっていた。
- または、海部県になっていた。
- 中津市と宇佐市と日田市と玖珠郡は福岡県所属だった。
- 代わりに宮崎県北部と熊本県阿蘇地方が佐伯県所属だった。
- 日豊本線の佐伯~延岡間のルートは蒲江経由で普通列車の運行本数は1時間に1本ぐらいだったかも。
- 現実の大分市は「府内」のままで人口は現実の別府市や延岡市ぐらいだった。
- 佐伯市の地形が山がちであるため人口は多くて25万人ぐらいだった。
- 延岡市の人口は現実の都城市ぐらいで別府市の人口は現実の中津市ぐらいだった。
- 広島の佐伯がいつも誤読されることとなっていた。
- 間違えられないようにするため名称が「五日市区」になっていた。
- 旧海軍絡みで重工業がそれなりに発達していた。
別府市
- 別府県か速見県になっていた。
- 大分市は府内市になっていた。
- だが3路線4方向の鉄道路線が分岐するので交通の要衝として栄えていた。
- よって別府vs大分が実施されていた。
- 昭和合併あたりで大分が別府に飲み込まれる一方で鶴崎市が現存していた。
- 日本屈指の温泉地にある県庁所在地として有名になる。
宮崎県庁が○○
- 宮崎市の市制施行が最悪昭和の大合併期にずれ込んでいた。
- その場合そもそも「宮崎市」でなく、「大淀市」「赤江市」「日向太田市」「日向中村市」「城ヶ崎市」のいずれかになる。
- 史実の旧宮崎町に当たる自治体も、地域内で町場だった名前から「上野村」「江平村」あたりになって、結局は上記の市に編入される。
延岡市
- 宮崎市と延岡市の人口はそっくり入れ替わっていた。
- 県名も「延岡県」となっていた。
- 延岡自動車道はとっくに全線4車線で供用している。
- 逆に宮崎自動車道は建設されなかったか、遅れていた。
- 九州自動車道も西回りになっていた。
- 鹿児島本線も当初から西回りで建設された。
- 日豊本線の特急「ソニック」は延岡発着となっていた。
- 宗太郎越えの区間が改良されていた。
- 高千穂鉄道は南阿蘇鉄道とつながっていた。
- もちろん大雨で被災しても復旧されていた。
- そもそも3セクではなく国鉄→JR日肥線。
- 都城市は宮崎県ではなく鹿児島県となっていた。
- 東国原英夫氏は鹿児島県知事になっていた。
- イヒの会社の本社は東京へ移転しなかった。
- その会社の尽力もあり延岡空港が昭和30年代に開港。
- 各放送局の延岡本局は一体どの山になっていたのだろうか。
- 史実の愛宕山では明らかにカバー面積が狭すぎる。
- おそらく遠見半島(遠見山)と思われる(実際にMRT延岡アナログ局の設置予定地でもあった)
都城市
- 延岡市の人口は10万人に満たなかった。
- 延岡市は大分県に編入されていた。
- 特急「にちりん」は都城駅発着で、「ソニック」の一部の便は延岡駅発着だったかも。佐伯~延岡間の本数は現実より増えていた。宗太郎越えや宮崎以南の区間はとっくに早く改良されていた。
- 寝台特急「富士」も1980年から1997年まで都城発着だった。
- 都城発着は「富士」ではなく「彗星」。富士が都城発着になった時期はない。
- ”都城が県庁所在地だったら「富士」も都城発着になっていた"という意味ですが。(by2つ上書いた人)
- 都城発着は「富士」ではなく「彗星」。富士が都城発着になった時期はない。
- 現実の佐伯市と同じくらいの人口だったかも。
- 内藤家の危機感が史実以上になるので、旭化成の工場群はやっぱりある。
- 元々城下町だったので、県政上では北部の拠点として重要視されるのは変わらず。
- 延岡市は大分県に編入されていた。
- そもそも県名が都城県、または、諸県県になる。
- 史実の都城県は、現在の宮崎県南部+大隅半島+霧島市。
- 鹿児島県境に近すぎる(現実でも滋賀県の例はあるが)のは不自然なので、実際に都城との繋がりが深い現在の曽於市・志布志市・大崎町も都城県に編入される。
- 宮崎自動車道は都城自動車道として建設され、なぜか終点が志布志になる。
- そして都城から東九州自動車道が伸びる。高岡経由で延岡へ。
- 平成の大合併で三股町が編入される。
- 鹿児島弁とは微妙に違う都城弁の「微妙な違い」が史実以上に強調される。
- テレビ局の略称は史実どおりである(MRT都城放送、UMKテレビ都城)
- テレビ・FM親局が鰐塚山に置かれるのは変わらないが、そのための道路は三股から敷設される。
- 都城大丸(またはそれに相当する百貨店)は2015年現在も健在。もしくは都城山形屋がある。
旧佐土原町
- 佐土原町は宮崎市に合併されず、佐土原市となっていた。
- 逆に宮崎市が佐土原市に合併されていた。
- 県名が宮崎県ではなく佐土原県になっていた可能性もある。
- 史実でも佐土原県は短期間だがあった。
- いずれは蛯原友里が県知事になっていた?
高鍋町
- 多くの偉人を輩出した藩校明倫堂の精神が残っていて教育県と呼ばれている。
- センター試験の県別平均点は中上位あたりに食い込んでいる。
- 高鍋から西都を経て湯前まで鉄道が通っていた。
- 史実の妻線とそう変わらない運命をたどっていたのでは。
- 空港は新田原基地と共用。
旧美々津町
- 美々津県時代と同じ県庁所在地である。
- 日向市ではなく美々津市になっていた。
- 現実の日向市街地に当たる地域は細島港が開発されるまであまり栄えていなかった。
- 美々津駅には全ての列車が止まるようになっていた。
- 美々津にもインターチェンジが設置されていた。
- 「神武東征の出発地」という伝承にちなみ明治時代くらいに巨大な神宮が創設された。
- 八紘之基柱も美々津にできていた。
鹿児島県庁が○○
旧谷山市
- 現状とあまり変わらない気がするが、谷山市は戦前に市制施行していたか、鹿児島市に編入されてた。
- 江戸時代から島津家がこの付近を開発しているのが前提。
- 集成館なども谷山に建設されていた。
- 「大坂の陣で敗れた豊臣秀頼が落ち延びてきた」という伝説が観光PRなどに多用される。
旧国分市(霧島市)
- 薩摩半島と大隅半島の陸の中間地点に位置していて、鹿屋も鹿児島も対等なレベルの都市になっていた。
- 平野部が広いので鹿児島市よりも大都市が作れた。
- 鹿児島空港が溝辺あるので空港からのアクセスが非常に便利。
- 九州新幹線も国分駅が終点となっていた。
- そして大隅線も戦前に国分~垂水間が完成して、赤字ローカル線にはならず廃止にならなかっただろう。
- 江戸時代にたびたび持ち上がった薩摩藩主の移転計画が実現していたら充分可能性があった。
- この場合山口と国分がなにかと比べられている気がする。
- この場合、県名が曽於県になる。
- この場合、薩摩藩という呼称が一般的になるか微妙なところである(山口のほうは萩藩が一般的)
- 鹿児島市の位置づけはあくまで「風光明媚な元城下町」。
- 肥薩線は「国分本線」の一部であり続け近代化もされていた。
- 1993年の水害といえば8.1水害である。
鹿屋市
- 平野が広いので都市が作りやすい。
- 廃藩置県後一時都城県の一部だったのでまずありえない。
- 県庁設置理由に不平士族の反乱や桜島噴火対策が絡んでいる。
旧高山町(肝付町)
- ≒もし肝付氏が島津氏に勝利したら、である。それ以外に高山が県庁所在地になりえる要因が見当たらない。
- そもそも、県名が肝属県または肝付県になる。
- 九州自動車道がえびの~都城~高山のルートで建設され、史実のえびの~鹿児島間は建設されない。
- 後に八代~川内~国分~都城のルートが南九州西回り自動車道として整備される。
- 大阪行きのフェリーが志布志ではなく、波見発着になる。
- 高山市が飛騨高山市になる。
- 飛騨高山が「ひだこうやま」と読み間違えられる。
- 流鏑馬が県の代表的祭事となり、テレビで生中継される。
- 肝属川の魔改造が江戸時代のうちに実行される。
- それでも1938年の水害は発生し、現実の8.6水害がごとく語り継がれる。
- 佐多岬観光が現況よりは多少ましになる。
- ゲゲゲの鬼太郎の一反木綿が肝付弁(鹿児島弁)を喋るようになる。
旧加治木町(姶良市)
西南戦争による被災で、一時的に柁城小学校敷地に臨時庁舎が設置されていた。
- 地理的におおむね#旧国分市(霧島市)の場合と同様。
- きっかけが西南戦争なら、県名が鹿児島県で県庁所在地が加治木市ということになる。
- 鹿児島空港に相当する施設は当初から現在地(溝辺)に設置される。
- 現実の姶良市+溝辺(要は江戸時代の始良郡域)が、そのまま加治木市になる。
- 曖昧さ回避問題が発生しないため、現実の旧吾平町が「姶良町」を名乗り、「姶良」は鹿屋市の地名として定着する。
指宿市
- 指宿県になっていた。
- 指宿vs鹿児島が実施されていた。
- 下記通り市来も交通の要衝になるので指宿と鹿児島と市来が指宿県下の3大都市になっていた。
- 鹿児島本線は指宿本線となり、市来以南は加世田を経由して指宿に達していた。
- 国道3号と南九州自動車道も。
- 日豊本線と国道10号と九州自動車道は鹿児島から指宿が追加されていた。
- よって指宿方面と鹿児島方面への交通路の分岐点となる市来はかなり発展し指宿と鹿児島に並ぶ指宿県下の3大都市になっていた。
- 日本屈指の温泉地にある県庁所在地として有名になる。
- 池田湖周辺が大規模に開発されイッシーなど出現しようがなくなる。
旧川内市(薩摩川内市)
- 薩摩国府所在地からそのまま発展し続けることが前提。
- 仙台を「『宮城』の仙台」と区別する用法が全国区となる。
- 県庁所在地となると駅名も曖昧さ回避をする必要が生じるかも。
- 川内港が早期に開発されるため、甑島航路も20世紀中に川内に集約されている。
- はたして原発は建設されただろうか。
沖縄県庁が○○
首里
1879年に廃藩置県により沖縄県が首里に設置されましたが、この後に県庁は那覇に移転します。しかし仮に県庁が琉球王国時代と同じ首里(現在の那覇市の一部)に県庁があったら
- 沖縄県は行政は首里が中心となるが経済は那覇になる。
- 1954年には那覇を吸収合併して首里市となる。
- 沖縄市かも。
- コザ・美里は別名称となる。
- 真和志村は無論、浦添市(首里の前の王朝所在地)・西原町(隣接)も吸収される。一方小禄村は豊見城村に吸収され豊見城市か小禄市になっていたかも。
- 沖縄市かも。
- のちに政令指定都市移行の話し合いがされて旧那覇市は那覇区に
- 逆に旧首里市は中央区になる。
- 沖縄都市モノレール(ゆいレール)の現存する首里駅が「県庁前駅」に、現存する県庁前駅が「パレットくもじ前駅」か「琉球放送前駅」となった。
- 間違ってもそれはないな。旧那覇が新都心になっただろ。
- 第一、県庁が置かれたとしたら史実の旧博物館か首里城だろ。今の駅のある場所からは1km前後離れてるぞ。
- RBCにしても、那覇の久茂地にはない。首里城内は不可能だがその近く(旧国頭街道儀保あたり)じゃないのか?
- 本土の例だと、城を改変して県庁建てるのは良くある事。
- その場合、史実の琉球大学の場所に県庁があった
- 下手をすると明治のうちに首里城の建築がことごとく取り壊されていた。
- 寄宮は畑から郊外型都市に脱皮。知事公舎もない。
- 戦前の沖縄県営鉄道の起点は首里近郊。
- 現在の国際通りがない。
- よって首里からスタートする国道331号線は旧長江堤・十貫瀬を経由して旧那覇を抜け明治橋を渡る。
- 国道58号線は牧港以南も旧国頭街道と同じルート。
- 鳥堀交差点が史実の旭橋交差点と同じ役割を果たしていた。
- このページが「偽首里ぬ特徴」になっていた。
- 初期の首里市域の町名は「首里○○町」ではなく「○○町」になっており、逆に旧那覇市域の町名が「那覇○○町」になっていた。
石川(現・うるま市)
戦後初の暫定政府は、戦後すぐに収容された住民によって人口が増えた石川市に置かれました。これがそのままだったら。
- 首里・那覇は寂れた。
- 現在の読谷村みたいなやちむんの里になっていた。
- 琉神マブヤーはもちろん壺屋が舞台。
- 首里城はあっさりと復元。
- というか、牧志から西はいまだに基地。
- 皮肉にも、軍港以外の埋め立てはなく、緑地が復活している。今の前島は干潟のまま。
- 現在の読谷村みたいなやちむんの里になっていた。
- 史実よりもはるかに早く石川・具志川・与那城・勝連が合併。
- 新市名はもちろん沖縄市。
- 読谷を併合した可能性あり。
- 金武も巻き込む。
- 与那城・勝連は別の市だったかもしれない。
- 人口はわずか4kmしかない仲泊-東恩納間に集中。
- 字石川にオフィス街ができる。
- 航空制限や景観の制約がないため、超高層ビルはとっくにできていた。
- それでもやっぱりマンションが一番高い。
- 石川高校は県の名門校となった。
- NHK沖縄かRBCの本社、およびラジオの送信所は栄野比にあった。
- テレビ送信所は石川岳かな?
- ちなみに、琉球大学も栄野比周辺にできた。
- 沖縄電力の発電所は石川にはない。
- でも本社はできた。
- 国道58号の終点は東恩納。
- 仲泊以北は史実と変わらないルート。
- 沖縄県区間は現実より30キロも短い。
- 東恩納-首里間が国道330号として制定される。
- 東恩納-与那原-南部一周-首里の国道331号も指定。
- 糸満からは現実の県道77号-国道507号-県道46号を経由。
- 東恩納-与那原-南部一周-首里の国道331号も指定。
- 沖縄海洋博覧会は那覇の現実の空港地域で開催された。
- 金武湾が埋め立てられ、港や空港も建設された。
- ここの県庁所在地だと間違える人が多数出てくる。
知念(現・南城市)
その後、暫定政府は知念村(現南城市)に移転します。しかし、1949年に布令が出され、戦後も那覇市が沖縄の中心となり今日に至ります。
- やっぱり那覇は寂れた。
- 知念は市制施行して知念市となるも、沖縄の中心にふさわしい名前として、佐敷町・玉城村を併合し、首里の東という首東(すあがり)市となる。
- 皮肉にも平成大合併の項目にあるような東方(あがりかた)市だったかも。
- 石川市は消滅し、美里村の一部に戻る。
- 逆に知念市は存続していた。
- 地形上手狭となり、佐敷に移転。
- その後、与那原・西原を併合し、ついに首里を併合して新首里市となる。
- 港は馬天港が、空港は旧沖縄東飛行場が発展する。
- 当然ながら、親慶原周辺が都市化したため、ダイキンオーキッドレディスゴルフは別の場所で開催されている。
沖縄市
1980年代、国体を契機に沖縄市へ県庁を移す運動が一部で起こり、1986年旧県庁舎解体後に「湧田釜」が発見され移転運動はピークに達しましたが、湧田釜は運び出され、現在は那覇新都心に移転した博物館に置かれました。そうではなくて、湧田釜および旧立法院の現地保存が決まっていたら。
- 移転先は沖縄市美里
- 沖縄市への改称が実を結ぶことになる。
- 嘉手納基地に近いため14階建てにはならない。
- 那覇は人口減少して現在20万くらい。
- 総合事務局、国の出先機関、地方裁判所も中部に移転し、那覇には南部地域の出先機関だけ残る。
- カフーナ旭橋が誕生しないので旧自治会館が残存する。
- 新都心の国第2合同庁舎も誕生してない。そればかりか新都心は森林公園へ。
- NHKは2006年に沖縄市コザ十字路近くへ移転。
- QABはRBCが沖縄市役所近辺にビル建てて開局。
- 那覇-沖縄市間は今頃鉄道敷設が始まっていた。
- 鉄道は現実のおもろまち駅-牧港-コンベンションセンター前-普天間-プラザハウス-沖縄市役所経由県庁前。
- モノレールではSPEEDが足りないので高架LRT。
- 鉄道は現実のおもろまち駅-牧港-コンベンションセンター前-普天間-プラザハウス-沖縄市役所経由県庁前。
- 湧田釜は現地保存、武徳殿と旧立法院も保存、県庁跡は湧田公園となる。
- そのうち大合併構想が持ち上がり・・・・・・
- 沖縄市は北中城村、北谷町を合併。
- 北谷町は流石に無理だと思う。代わりに具志川市、石川市とは合併していた。
- 負けじと那覇市は浦添市、宜野湾市を合併。
- 最終的に両市合併。
- 沖縄市は北中城村、北谷町を合併。
- コリンザとミュージックタウンの計画はない。
- コザショッピングセンターは増築してダイエー沖縄店となるも2005年に閉店。
- 沖縄市立図書館は沖縄市文化センターから美里地域に移転していた。
- 沖縄市一番街や銀天街の衰退もなかった(?)。
- どっちみち郊外店舗には食われてる。
- 逆に国際通りがマジで寂れたかも。
- 沖縄市は2010年頃までには特例市に、2016年の中核市人口要件引き下げ後には中核市になっていた。
- 2018年末に那覇市と沖縄市が中枢中核都市に指定されていた。
おまけ
- ここへきて移転計画が再浮上してる・・・・・・
- 那覇の14階建て+カフーナはどうするんだよ!
- それより首里城を県庁本館(知事室を移転)、泉崎を那覇総合行政庁舎にしてほしい。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
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