もし新治県が存続していたら

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宇都宮県

  • 現在の栃木県北部・東部
  1. 著名な観光地である那須と日光が別の県に…
  2. 現実以上に東北扱いがひどかった。
  3. U字工事は宇都宮県の宣伝にひた走る。
  4. 「宇都宮SC」のサポーターが現実より減っている。

旧栃木県

  • 現在の栃木県西部、群馬県東南部
  1. 小山、栃木、佐野、足利、桐生、太田、館林おまけに日光はこの県。
    • みんなで合併し政令指定都市になってしまう。
  2. 北関東で一番まとまりに欠ける県となる。
    • 日光を除けばむしろまとまっている印象だが?
  3. 栃木県に利根川が通る。
  4. 足尾が群馬県にあるという誤解が生まれない。
  5. 両毛線の複線区間が増えていた。

旧茨城県

  • 現在の茨城県県央・県北・県西のうちの旧真壁郡の地域
  1. 現実以上に東北扱いがひどかった。
    • 戦国時代の東北を題材にしたRPGでは、茨城県は「阿武隈山地の一角」として東北扱いされる。この場合、佐竹家(茨城県)、岩城家(磐前県南部)、相馬家(磐前県北部)、伊達家(宮城県、福島県北部)、田村家(福島県中部)の5家門が絡む内容になる。
  2. 日立製作所の存在感が強い。
  3. 茨城空港はギリ茨城県。
  4. 玉里村は新治県だったので、小美玉市も誕生しなかった。
    • 美野里町は新治県石岡市との越境合併を画策する。
      • 竹原村(美野里町南部)が堅倉村(同北部)を裏切って石岡市に加わっていた。
  5. 高校野球では、水城高校が圧倒的な強さを誇っていた。
    • しかし高校野球界では弱小県として有名。
    • 水戸商や水戸啓明(旧・水戸短大付)じゃなくて?
    • 明秀日立は野球・サッカーとも史実より早く全国大会出場を果たせた。
  6. 微妙に霞ヶ浦に面している。
  7. 下妻無尽は「つくば銀行」なんて名乗らず、新治県土浦市の関東銀行とも合併しなかった。
    • 常磐銀行(ときわぎんこう。本店:茨城県の水戸)と五十銀行(本店:新治県の土浦)は世界恐慌時代に合併されず、常磐銀行が茨城県最大の地銀になっていた。
  8. 茨城町、大洗町は史実より小さい。
  9. 県民が一丸となってホーリーホックを応援する。
    • もしかしたら、レイソルが日立に本拠地を置いていたかもしれない。
      • となると鈴木隆行もレイソルでプロデビューした?
        • それなら大津祐樹もじゃないか?
  10. 東白川郡と浜通り夜ノ森以南が茨城県に編入されていた
  11. キー局の放送エリア外だったかも。
    • 浜通り夜ノ森以南が茨城県に編入されていた場合、2局くらいは平に本社を置いていた。
    • 「茨城放送」が、テレビ局として設立されていた。
    • 史実の宇都宮以北や高崎以北が東京キー局のエリア内である事を考えれば、羽鳥以南が別の県であっても、水戸以北も東京キー局のエリア内に入れられていただろう。
  12. 県議会議長選出をめぐる「黒い霧事件」は起こらなかった。
  13. 筑波山が別の県になる為、茨城県歌の1番に登場する山は八溝山になっている。

新治県

  • 現在の茨城県県南・鹿行、千葉県香取・海上・匝瑳地域。
  1. 県のアイデンティティはアントラーズぐらい。
    • 城之内早苗か大岩剛が、新治県の観光大使になっていた。
  2. 土浦はもっと発展している。つくば市は現実でいうひたちなかみたいな立場になっていた。
    • 土浦のベッドタウンとして古くからそこそこ発展してしまっただろうから、学園都市ができたかどうかは微妙である。
    • 県庁所在地の土浦は、1920年代に市制を敷いていた。
    • 土浦海軍航空隊(通称:予科練)も史実通り立地し、阿見町は土浦市に編入されていた。
      • 90年代初頭に特例市または中核市入りを果たしている。
  3. 横芝光町は誕生しない。
  4. 下総町と大栄町は成田市にならなかった。
  5. 高校野球では、常総学院高校が圧倒的な強さを誇っていた。
    • 銚子商は?
  6. 土浦―江戸崎―佐原の路線が開通していた。
    • JRなら鹿島神宮か銚子、関鉄なら筑波方面に直通する列車が存在する。
    • 土浦~谷田部~水海道の常南電気鉄道が開通していた。なお、常南電気鉄道もやがて関東鉄道に編入された。
      • 常南電気鉄道谷田部線が開通していたら、第二次大戦後には谷田部城近辺に研究所群が建設され、名実ともに「谷田部研究学園都市」になっていたかもしれない。
        • もしも名実ともに「谷田部研究学園都市」になっていた場合、谷田部大学と熊本大学が細川家つながりで姉妹校になっていた。
        • この場合、「城下町・谷田部」をテーマにした地域振興団体が活動し、城下町時代と研究学園都市時代の双方に注目した「昔と今が出会う街 谷田部」というキャッチフレーズを掲げている(史実の鹿嶋市がこのキャッチフレーズ)。
          • やたべみらい市が誕生していた可能性がある。
      • 常総鉄道は関東鉄道に加わらなかった。(常総線は新治県を通っていない(取手~旧千代川村は印旛県、下妻~下館は茨城県)ため。)
  7. 行方市の人たちは、霞ヶ浦大橋が開通するまで土浦に行くのに不便な思いをしていた。
  8. 銚子が県庁所在地の土浦に次ぐ大都市となり、史実ほど衰退してはいなかった。
    • 史実では千葉県で千葉に次いで市制施行されたのに今じゃ人口約6万8000人…好きな街なのに(by数回犬吠埼へ初日の出を見に行った人)。
  9. この地域が東北だとバカにされることはまずない。むしろ南関東扱いされる。
    • 新治県は、現実の埼玉県と同様な扱いを受けている。
      • 研究学園都市と併せて副都心ともいえるオフィス街、文教エリアが形成された。
    • 気象庁の予報区分では埼玉県と新治県で「関東中部」という区分が設けられていた。
    • 取手や守谷から東京に通勤する人々は「新治都民」と呼ばれていた。
  10. 関鉄筑波線は廃止されず、現実の旧筑波町(つくば市北半分)は冷遇されなかった。
    • 現実の旧筑波町が「筑波市」か「筑波小田市」になり、現実の旧桜村(つくば市南半分)は「筑波市」か「筑波学園市」になっていた。
      • 普通に全部合併して「筑波市」だったのでは。
    • 史実通りTXが開通した場合、TXは筑波駅(史実の旧筑波町)まで開通していた。
      • 路線は土浦駅または新土浦駅まで伸びている。
  11. 五十銀行が世界恐慌後も存続し、新治県で最大の地銀になっている。
    • アントラーズの選手が、五十銀行の宣伝キャラとして登場している。
      • 隣県の地銀との合併を繰り返し、常総銀行を名乗り、関東銀行、つくば銀行を傘下に加えている
  12. 県域UHFテレビ局として「新治テレビ」が土浦に立地する。(千葉テレビやとちぎテレビみたいなテレビ局)
    • 茨城放送と併せて「7イス!3ちゃんねる」という愛称が存在している(現実の「5いっしょ3ちゃんねる」)
  13. 第二次大戦後の駅弁大学は「新治大学」という名称で、西には土浦に、東には鹿嶋か香取にキャンパスが立地している。
    • 略称として「治大(バリダイ)」がある。
    • 一方、五年制工業高専は銚子に立地し、「銚子高専」という名称になっている。
    • 東京教育大学は筑波大学にはならず、キャンパスは多摩地域に移転していた。谷田部研究学園都市が実現していた場合は新治大学が谷田部キャンパスを増設していた。
  14. 県名を食べ物に置き換えるネタでは、新治県は「レンコン県」や「醤油県」と呼ばれている。
  15. ながらく自動車のナンバープレートは「新治」しかなかったが、ご当地ナンバーとして「土浦」が登場。
    • 霞ヶ浦」ナンバーや「筑波山」ナンバーが登場しているかも。
      • 谷田部研究学園都市が実現していた場合、「谷田部」ナンバーや「やたべ」ナンバーが登場する
  16. 本新島村・十余島村・金江津村はどうあがいても新治県のままだった。
  17. 岩上二郎は茨城県那珂市出身なので、「新治県」知事には就任しなかった。
    • 一方、竹内藤男は新治県鉾田市出身なので、「新治県」知事に就任していた。
  18. 柿岡に地磁気観測所は建設されなかった
  19. 西日本の方から新潟県と間違われることが続出する
  20. 土浦駅前中心市街は4車線以上の道路と化している
  21. 新治県と埼玉県で「中関東」という概念が成立していた。
  22. 「常総新聞」という県域紙が発行されていた。

印旛県

  • 現在の下総国に相当する地域(新治県除く)
  1. 佐倉が発展、千葉は…
  2. 全部下総なので「常総市」は誕生しなかった。
    • 県内のどこかに下総市が誕生した
  3. TDR、成田空港はここ。
  4. 旧埼玉県が存続していたら、そこといがみ合う。
  5. 「ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
  6. 総武本線、常磐線、東北本線がすべて通る。
  7. 新治と合わせて「インバリ」と言われていた。
  8. 藤代高校が未だに甲子園出場を果たせていないかもしれない。
  9. 古河と野田を結ぶ鉄道が開通していた。

木更津県

  • 現在の千葉県上総・安房
  1. 袖ヶ浦ナンバーなんてできない。
  2. 千葉県営鉄道の勢力圏にならないため久留里線の開業が遅れる。
    • 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
      • そして現実のいすみ鉄道ルートで大原に到達する。
  3. ハマコーが県知事になっていたはず。
  4. 山武郡土気町は千葉市に編入されず大網町・白里町・増穂町と合併していた。

旧埼玉県

  • 領土は現在の埼玉県東部・荒川左岸、チャクウィキでいう「東埼玉県」
    • 旧埼玉県になるまでは大宮県や浦和県であり、赤羽、板橋、練馬なども旧埼玉県の領土であった。
  1. 旧入間県(チャクウィキでいう「西埼玉県」)よりも東京都との交流が深い。
  2. 秩父などを版図に含まれていないため現実の埼玉県よりもさらに観光地に乏しくなり、単なる東京のベットタウン化の傾向が強まる。
    • しかい各地の開発や経済が順調にうまくいけば、県の財政や経済はかなり豊かになっているであろう。
    • 城跡と神社が観光の柱になる。
    • アニオタと鉄オタの聖地という側面が濃くなった。
  3. 日本一標高の低い県になる。
  4. 山間部に予算をつぎ込まなくても良いので開発は史実以上に進められる。

入間県

  • 領土は現在の埼玉県西北部・荒川右岸・秩父地方、チャクウィキでいう「西埼玉県」
  1. 現実の西武池袋線、西武新宿線や東武東上線のように入間県民は移動し、現在のさいたま市よりも東京との交流が深まる。
  2. 明治時代では川越や熊谷は浦和や大宮、川口などより発展をしていたため、新幹線のルートは川越あたりに駅ができていた。
    • 中山道鉄道建設の際の資材運搬の都合で高崎線は史実通り、東北本線の熊谷分岐は無くはないだろうけど厳しい。だとすると新幹線だけ川越を通るのは考えづらい。
      • 大宮を通過して熊谷に停車する特急があったかもしれない。
  3. プロ野球球団があるのに、Jリーグのクラブがないという事態になっていた。
  4. 西武大宮線は建設されなかった。
  5. 東上鉄道は東武と合併せず、戦時統合で武蔵野鉄道・旧西武鉄道と合併し西武農業鉄道となった。戦後は西武と東上は再分離して東上は独立した会社になり、西武農業鉄道は史実通り西武鉄道となった。一方、東武は武蔵国の西側に路線網を持つことはなく、東武百貨店池袋店も東上百貨店となっていた。

熊谷県

  • 領土は上記の入間県と群馬県の大部分
  1. 政治・経済規模で熊谷県は旧埼玉県に勝っていたため、旧埼玉県だけ「ださいたま」とみなされていた。
  2. 上越新幹線は大宮よりも熊谷に多く停車し、駅前も熊谷駅前は大宮駅前よりも発展していた。
    • 高崎線と東北線が分岐する駅も熊谷駅になっているであろう。
    • 東京一極集中が進んだところで熊谷県より東京寄りである埼玉県に逆転されそうではあるが・・・
  3. 天気予報で、埼玉県は浦和(さいたま)よりも熊谷の気象を予報することに関して、県南の住民たちもそれほど違和感は感じないと思われる。
    • 熊谷県南部の住民は熊谷より浦和(さいたま)の予報をあてにする。
      • 3〜4地域に分ける場合は「水上(みなかみ)」「熊谷」「秩父」「所沢」になっていたはず。
  4. あまりにも、旧埼玉県が熊谷県と比較して弱いがために、旧埼玉県が東京都になっていた。
    • 熊谷県は群馬的な要素も含まれてくるので、旧埼玉県は南関東、熊谷県は北関東とみなされたかもしれない。
  5. ザスパ草津の天皇杯初出場が遅れていた可能性がある。
  6. 毎年「日本一暑い県」と呼ばれる。
  7. 県の形が「シャチホコみたい」と言われていた。
  8. 所沢が東京都への編入を求めていた。
  9. ベイシアが埼玉県内に史実以上に出店していた。
    • 史実で埼玉西部が地盤のベルク、ヤオコーはそこまで大きくなかった。
    • 一方で(ここでの)埼玉県内ではそこまで強くなく、茨城のカスミなどが強かった。
    • セーブオンは最後まで同地域から撤退しなかった。

品川県

  1. この県においては"多摩地域"という言葉が歴史用語としてだけしか残らなかった。
    • 神奈川県とまぎらわしい。
    • 実際に現神奈川県域を含んでいたこともあった(武蔵知藩事からの移行期)
  2. それでも町田、八王子は神奈川県に編入されていた。
  3. 神奈川県、特に横浜が今ほど強い存在になっていなかった。
  4. あれこれありつつも、東京府に結局編入されていた。
  5. 「東京」国際空港が品川県にある事になり、東京ジャイアニズムの一種扱いされる。

小菅県

  1. 現足立区域が東京扱いされていないのでそこの地価はかなり安かった。
  2. 東京府編入を求める運動が早々起きていたか、印旛県を併合して、現神奈川県における川崎市の立ち位置を得ていた。
  3. 東京拘置所はもちろんできなかった。

韮山県

  • 領土は東京都多摩地域・山梨県東部・神奈川県西部・静岡県東部
  1. 東京都の範囲は狭くなっていた。
    • 東京都区部+横浜市+川崎市+三浦半島ぐらいになる。
  2. 県庁所在地が伊豆に置かれるため、御殿場と大月を結ぶ鉄道が建設されていた。

足柄県

  • 領土は現在の神奈川県西部と伊豆半島
  1. 相模原は政令指定都市になれなかった。
    • もしくは県庁が相模原に移動していた。
    • 現実の相模原市の市域は神奈川県と足柄県に分かれているので、相模原市は現実とは違った形で誕生していた。
      • 史実における相模原市の高座郡に相模原市が出来て、津久井郡には津久井町が出来ていた。
  2. 小田原が県庁所在地になるため、東海道新幹線は三島駅より小田原駅の方が多く停車している。
    • 新幹線開業前の東海道本線の特急も停車本数が多かった。157系特急「あまぎ」も4往復中2往復が停車していた。
    • 現在は東海道新幹線の小田原駅発も計画されるが実現しないまま現在に至る。
    • 東海道新幹線の新横浜駅~小田原駅間の新駅は神奈川県と足柄県が争っていた。結果的には足柄県の平塚市内に出来ていたかもしれない。
  3. 相模川が県境になるため、「湘南」ブランドは存在しない。
    • サザンの地盤は鎌倉や江ノ島で、足柄県は含まれない。
    • 史実の湘南ベルマーレが、七夕に由来するチーム名になっていたかもしれない。
    • 湘南は神奈川県。西湘が足柄県になっていた。
    • 平塚市は神奈川県なのか、茅ヶ崎市は足柄県なのか混乱していた可能性が高い。
  4. 静岡県駿東郡小山町の足柄駅は別の駅名に。
    • 竹之下駅になっていた。
  5. 戦後、小田原に「足柄大学」という駅弁大学が設立されていた。
  6. 小田原を本店とする地方銀行も設置されていた。一方、横浜銀行の県内の支店は平塚・厚木・秦野・小田原だけ。
  7. 「足柄新聞」という県域紙が発行されていた。また、テレビ放送は関東広域圏ではあるが、「テレビあしがら」という独立局(旧UHF局)も設立されていた。
  8. 小田原市はおおよそ20万人~30万人はいた。
    • 少なくとも前橋市や水戸市ぐらいは人口が居た。
    • 箱根町は5万人以上居て箱根市となっていたかも。
      • 大磯は市制施行していたか怪しい。
  9. 熱海市と湯河原町と真鶴町の合併は問題無く合併出来ていた。