「もしバブルが崩壊していなかったら/鉄道」の版間の差分
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#M250系「スーパーレールカーゴ」が量産化されていた。 | #M250系「スーパーレールカーゴ」が量産化されていた。 | ||
#*佐川急便のほか、ヤマト運輸や福山通運・西濃運輸などもこれを運行していた。 | #*佐川急便のほか、ヤマト運輸や福山通運・西濃運輸などもこれを運行していた。 | ||
#**M250系の交直両用バージョンが誕生し、青函トンネル及び関門トンネルを通過。東京~福岡、東京~五稜郭間にも設定されていた。 | |||
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2021年1月23日 (土) 17:32時点における版
鉄道
- 地方の赤字ローカル線が普通に運行している。
- 北海道は鉄道王国に。
- スキー場経営や数々のリゾート列車が成功していれば下手すりゃ九州以上のスピードで完全民営化・上場を果たしていたかもしれない。
- シュプール号は今でも存続している。
- そのためシュプール号の数が増えてきている可能性も。
- シュプール号は今でも存続している。
- スキー場経営や数々のリゾート列車が成功していれば下手すりゃ九州以上のスピードで完全民営化・上場を果たしていたかもしれない。
- いや、全路線3セクで存続。
- 高金利の状態が続くので、経営安定基金の運用益による赤字補填も容易になっていた。
- 本州三社はもちろん、JR九州・四国・北海道・貨物も完全民営化を達成。
- 東証一部上場もとっくに達成。
- JR北海道とJR四国の赤字はとっくに解消されていた。もちろん新幹線効果で黒字化されていただろう。
- 東証一部上場もとっくに達成。
- 現実以上に車社会になって、地方の路線は壊滅していそうな気もする。
- でもって不動産開発してなんとか生き延びている。
- JRが存在せず、JNRだった可能性は?
- バブル真っ只中の1987年に国鉄民営化が行われたから無いと思う。まあ、それでもJRの状況が史実より良くなっていた事は変わらないが。
- まあ、それでもJR東日本とJR東海の態度がもう少し優しくなっていたかもしれない。それでも女性専用車の対応はどうなっているか分からないが。
- バブル真っ只中の1987年に国鉄民営化が行われたから無いと思う。まあ、それでもJRの状況が史実より良くなっていた事は変わらないが。
- 野上電鉄が廃止に追い込まれることもなかった。
- 新車も予定通り導入されていた。
- 写真撮影も禁止されることもなかった。
- 職員の態度が横柄になることもなかった。
- 利用客はもとより、鉄道ファンに対してももっと謙虚になっていた。
- 野上電鉄が南海貴志川線の経営を引き受けていたかも。
- その場合、野上電鉄が和歌山電鐵に社名を変更していた。
- 野上電鉄は大井川鐡道のような観光路線への転身を果たし、走る鉄道博物館として名を馳せていた。
- そもそも補助金交付が打ち切られることもなかった。栗原電鉄もくりはら田園鉄道に転換されることもなかった。
- 南部縦貫鉄道も廃止されることなく、新幹線連絡鉄道として存続していた。
- 廃止決定の時期を考慮すると特定地方交通線の廃止に関しては史実と全く変わらなかった。
- ただし第3セクター化後に廃止される路線は少なくなっていた。
- 新潟交通電車線は廃止にならなかった。
- 島原鉄道は鉄道事故、路線復旧で経営が悪化することもなく、島原外港-加津佐間が廃止されることもなかった。
- 北海道は鉄道王国に。
- ここのように、ほとんどの鉄道会社の本業が不動産業になっている。
- 四国の都市化が進んだことから紀淡海峡大橋が架けられ、ここに四国新幹線と南海電気鉄道徳島線が通っている。
- 京阪中之島線と阪神なんば線は20世紀中に開業、2008年現在JRと南海のなにわ筋線の建設工事が行われている。
- 中之島線は2008年現在、大阪南港を経て神戸空港まで延長され、阪神なんば線とも相互直通運転が行われている。
- 大阪市営地下鉄今里筋線も上新庄-湯里六丁目の全線が2006年に開業していた(井高野-今里は20世紀のうちに開業済み)。
- 大阪モノレールも1997年には門真市どころかJR久宝寺まで開業し、2010年代に入ると久宝寺から堺方面に延伸されていた。
- おおさか東線は1997年に放出~久宝寺が開業し、2008年の時点で新大阪まで全通していた。
- 新大阪~奈良の直通快速も終日30分間隔で運行されていた。
- 赤川鉄橋は史実通り複線化されるが、地元民の生活道路としてすでに定着していたので、隣に代わりの人道橋が新設されていた。
- 阪和貨物線の旅客化も実現し、杉本町以西も南港・夢洲・舞洲を経て桜島まで開通、おおさか東線・梅田貨物線・桜島線と合わせて壮大な環状線を形成していた。
- 杉本町以西は「おおさか西線」という路線名が与えられていた。
- 京阪は最大10連化が実現していた。
- 全都道府県に路面電車が走っている。
- そのために大都市ではマイカー規制を行っていた。
- だけど路面電車の開業により、バスが廃止になっていた可能性がある。特にバスが通っている道路は…。バスよりも路面電車の方が発展していたかもしれない。
- 北大阪急行が箕面どころか亀岡まで延伸されていた。
- 箕面有料道路も亀岡まで開通。
- 亀岡市の人口が30万人を越え、特例市となっていた。
- 北大阪ネオポリスや茨木台は巨大ニュータウンとなっていた。もちろん↑の北大阪急行により新大阪や梅田・難波まで電車1本で結ばれる。
- 彩都や箕面森町の開発も現実よりも早く行われた。
- 北大阪急行線及び御堂筋線中津-江坂では最高速度が70km/hから95km/hに引き上げられ、江坂以北では急行運転も実施されていた。
- 餘部橋梁は1990年代のうちに架け替えられていた。
- ついでに城崎~鳥取の電化も行われていた。
- 大都市圏の鉄道は複々線が当たり前となっている。
- 運休で遅れるなどはあまり無くなる事に。利用者が少なく、田舎な所は複線程度だろう。単線は余程田舎ではなければ見かけられない。
- ただし地価暴騰のせいで4線全て同一平面上に作れることはあまりない。
- おそらく地下に複々線の線路を敷いていた。
- もちろん貨物列車の運転も史実以上になっており、貨物列車も在来線並みに新車導入していただろう。貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていたかもしれない。
- スーパーレールカーゴのような貨物電車がほとんどの主要幹線に運転されていた。
- 運休で遅れるなどはあまり無くなる事に。利用者が少なく、田舎な所は複線程度だろう。単線は余程田舎ではなければ見かけられない。
- 交通系ICカードは現実よりも早いペースで普及が進み、2013年現在JR全線で利用可能となっていた。
- 無人駅の多い路線のワンマン列車は車載型ICカードリーダーで対応。
- 大阪~名古屋や東京~静岡など、各社のエリアを跨る利用も可能になっている。
- 私鉄やバスでも利用できる会社が増えていた。
- ICカードは21世紀を待たずに実現していた。Suicaペンギンは20世紀末から登場しており、PASMOも2001年~2002頃に実現していただろう。
- Pitapaは最初からプリペイド式の設定があったかも。
- ICカードはJR各社別になることはなく、JRグループ統一のものになっていた。
- 磁気カードは2010年代中盤には絶滅していた。
- 東武鬼怒川線や箱根登山鉄道小田原-箱根湯本間も20世紀のうちに複線化されていた。
- それと同時に10両編成以上の列車が入れるようになっている。
- ニューシャトルは21世紀に入る前に黒字化しており、2000系の導入も1990年後半から行われている。2020系は2004年頃に導入され、現在は3000系が導入されてるだろう。
- そして現在は内宿駅から延伸しており、鴻巣の免許センターどころか熊谷駅まで伸びている。大宮方面も伸びており、浦和方面・県庁まで延伸していただろう。
- 東北新幹線の見返りで丸山~久喜間も開業している。丸山駅が内宿駅ルートとの分岐点になり、丸山発も出来る。延伸計画ももちろん存在しており、南栗橋駅まで延伸していただろう。
- 用地買収や大宮駅の構造を考えると大宮以南への延伸は不可能であり、大宮以南はニューシャトルとは別の鉄道が造られていた。
- 伊奈町は合併計画よりも市制を目指しており、90年代後半に市制されていたかもしれない。
- 2020系はLED式の表示器ではなくLCDが設置されていた。しかし、駅案内のみしか無かったかもしれない。3000系にはトレインチャンネルと駅案内が両方設置されるようになった。
- ニューシャトルのSuica対応は史実より早まり、2001年頃に実現していた。それでも「ニューシャトルSuika」は出なさそうだが。
- ニューシャトルの発車メロディは大宮駅と鉄道博物館駅の下りホームだけではなく他の駅や鉄道博物館駅の上りホームにも導入されていたはず。鉄道博物館の上りホームは「銀河鉄道999」だが、他の駅は別の発車メロディになっていたと思う。
- ニューシャトルの大宮駅はややパンクしているので「ニューシャトルはの路線内に落ちると感電する危険がある」ということでホームドア設置されていたかも。
- 同時に無人運転に切り替えられる。
- そして現在は内宿駅から延伸しており、鴻巣の免許センターどころか熊谷駅まで伸びている。大宮方面も伸びており、浦和方面・県庁まで延伸していただろう。
- 川越線は日進~川越間を複線化されていた。川越線、埼京線、りんかい線の本数も増えており、どこから運休しても直通運動は継続していただろう。ただ、川越~高麗川間は複線化する構想はあるものの、人口数の関係で出来なさそう。
- りんかい線はJR路線として開業しており、大宮~新木場間を埼京線と呼ばれていた。なので京葉線直通もとっくに実現出来ていた。駅のアナウンサーも「りんかい線直通」…ではなく「京葉線直通…」になっていた。
- 史実のりんかい線内の運賃はそれほど高くなかった。お台場や東京ビッグサイトに行く客が史実よりも増えていただろう。
- 西大宮駅も21世紀入る前に開業しており、鉄道博物館駅もニューシャトルに影響があるだろうが関係無く2007年に開業していた。
- 南古谷~指扇駅間も新駅が開業しており、駅名は「古谷本郷」になっていた。駅舎は南古谷駅とはまったく違うが橋上駅にはなっていないかもしれない。
- 埼京線や川越線は京浜東北線みたいに5分に一本列車が走っていた。それでも山手線には敵わないし、一方の山手線は1分に一本列車が走っていたかもしれない。ラッシュ時は数秒に一本列車が走っている事に…。
- りんかい線はJR路線として開業しており、大宮~新木場間を埼京線と呼ばれていた。なので京葉線直通もとっくに実現出来ていた。駅のアナウンサーも「りんかい線直通」…ではなく「京葉線直通…」になっていた。
- トレインチャンネルはテレビの番宣は史実よりも流れており、占い関係も出来ていたかもしれない。音も流れていたかもしれない。
- 電車内の紙広告の全廃されていた。
- トレインチャンネルの番宣はTOKYO MXやフジテレビBS番組だけではなく、NHKや日テレやTBSやテレ朝やテレ東もトレインチャンネル番宣していただろう。
- トレインチャンネルに経済情報が流れており、もちろんニューヨークダウ平均株価と日経平均株価が表示されていた。
- 京阪特急のLCDにはテレビチューナーも組み込まれており、テレビ番組を放送することも可能。よってテレビカーは廃止ではなく発展解消という形となった。
- 関東の鉄道でもLCDにテレビ番組を流すように改良されていたかもしれない。これによりテレビ離れは問題にならなかった。
- 車内案内アニメーションLCDのJR東日本は冷静になる事は無く埼京線だけではなく横浜線や南武線や山手線にもあったはず。(場合によっては京葉線も)
- 終夜運転がされているため、「のりかえのお客様は、終電の時刻にご注意ください」の表示は無かった。
- 文字ニュースは今でも「日テレNEWS24」が放送されており、場合によっては「ホウドウキョク24」も放送されていただろう。
- 中央線LCDの時点で17インチ・アスペクト比16:9に拡大されていた。よってはE233系のLCDは全て17インチ・アスペクト比16:9に一致していた。
- 音が出ると「うるさい」と感じる旅客が一定数いそうなので音付きにはならないと思う。
- 下手をするとその件で旅客が鉄道会社を訴えるような事件(類例あり)さえ発生しかねない。
- ゆりかもめはすでに環状線運転をしていたかもしれない。勝どき駅を経由し、新橋駅を通っていたかもしれない。
- 埼玉高速鉄道は浦和美園駅で一部開業する事は無く、最初から蓮田駅で全線開業していた。東川口経由ではなく当初の予定通り東浦和駅経由で開業していた可能性も否定出来ない。
- 蓮田駅どころか、羽生駅まで延長する構想が出ている。その場合は、秩父鉄道直通は行われただろうか?
- 埼玉高速鉄道は第三セクターではなく東京メトロ南北線の延伸として開業していた。もちろん蓮田行きと赤羽岩渕行きと別れていたかもしれない。
- 湘南新宿ライン、上野東京ラインも21世紀入る前に開業していた。後者は路線名が史実と違っていたかもしれない。湘南上野ライン辺りが有力か?
- 上野東京ラインは常磐線も東海道線直通しており、品川駅で終点駅になる事は無かった。また、横須賀線直通も出来ていたかもしれない。大宮駅や宇都宮駅にも湘南色・スカ色E217系が見かけており、連結車両はE217系も対応している。
- 常磐新宿ラインも実現していたかも。もちろん東海道線と横須賀線直通付き。常磐新宿ラインは常磐線と常磐快速線が通っていただろう。
- 反対住民に屈して上野から品川の間は地下線になる。
- 長距離の私鉄列車も計画される。東武鉄道は東北地方まで結ぶ鉄道を計画されたり、東急は埼玉方面まで延伸する計画されたり、西武鉄道は再び軽井沢方面まで延伸計画が出来る。秩父鉄道に至っては旧大滝村どころか、山梨県方面まで延びている。
- 東武鉄道に関しては東武東上線を群馬県方面の延伸計画が再び出来ていたかもしれない。流石に新潟までは伸ばさないと思うが。
- また、神奈川にも東武鉄道が進出していたかもしれない。神奈川県も一部武蔵国なので。路線は東武横浜線辺りか?
- 既存路線の輸送力強化や沿線の開発などに相当な労力を使わなければならなかったはずなのでそこまで進んだかどうか疑問。
- 山陽電鉄が岡山まで延伸する計画も再浮上していたかもしれない。
- 東武鉄道に関しては東武東上線を群馬県方面の延伸計画が再び出来ていたかもしれない。流石に新潟までは伸ばさないと思うが。
- 環状線も史実以上に開業しており、上記の通りのゆりかもめや地下鉄丸ノ内線や都営大江戸線辺りが実現出来ていたかもしれない。
- 京浜東北線はさらに乗客数が増えて大宮方面や大船方面を延伸計画をするが、大宮方面は車庫の関係で籠原駅までの延長になって、大船方面は平塚駅か小田原駅まで延長していただろう。
- これにより、東海道線内や高崎線内や宇都宮線内も液晶画面(TIMS)用の情報送信用の地上設備があり、近郊型もLCDが導入されていた。たとえ面倒でも。
- 相模鉄道は20世紀末のうちに相模本線といずみ野線と共に平塚駅まで延伸していただろう。平塚駅は東海道線と京浜東北線と相模鉄道の駅となっており、史実以上に発展していただろう。
- 平塚市は下記の通り新幹線駅も存在しているため、湘南の中心と言えは平塚市になっていた。でも平塚市民は湘南と呼ばれるのは嫌っているため、「西湘と呼べ」と史実以上に言われていたかもしれない。
- 場合によっては東急も平塚駅まで延伸していたかもしれない。東急田園都市線の延伸線で平塚市内の新幹線駅にも出来ており、終点は平塚駅だろう。
- 神奈川東部方面線も開通していた。
- 青梅線は当初の予定通り檜原村まで延びていただろう。奥多摩駅よりも檜原駅(仮)の方が知名度が高く奥多摩駅は史実よりやや地味な駅になっていた。檜原村は駅の開業により町制化していた。
- 青梅駅での系統分断もなかった。青梅特快も奥多摩行きになっていた。
- 都営三田線も埼玉方面まで延伸しており、東武東上線と乗り入れしていただろう。延長区間は西高島平→新倉→和光市→東上線直通…でもちろん森林公園駅までの直通。ローカル区間の東上線は直通は当然あり得ない。
- 西武新宿線は予定通り本川越駅から延伸していただろう
- 候補は鴻巣駅か桶川駅方面まで伸ばしていただろう。前者なら羽生駅まで延伸構想が出来るが、実現は出来ておらず、後者なら久喜駅まで延伸していたかもしれない。
- 西武新宿線複々線化&地下鉄乗り入れも実現していた。
- 情報配信サービス「山手線トレインネット」は首都圏全線で行われていた。名前も「トレインネット」になっており、トレインチャンネル並みに発展していた。
- 電車が遅れても一部複々線化や予備用線路が出来ており、遅刻してもすぐ平常運転に戻っていた。また、点検になっていても短時間で終わっていた。今では1分~3分で終わっていたかもしれない。
- 現有設備をフルに使った過密ダイヤの場合はそんなに簡単にいかないと思う。
- 史実のバブル景気期に計画していたJR・大手私鉄の終夜運転が実現していた。コスト上困難の事を考えると90年代後半か2000年代に実現していたと思われる。
- 恐らく最初は首都圏で行われ、次に関西圏にも行われ、そのうち日本全国で終夜運転が実現していた。但し、少ない人口・単線等などの田舎にある鉄道は流石に終夜運転は行われないだろう。
- 終夜特急というのも誕生していたかもしれない。JR関係や大手私鉄は絶対にやりそうな気がする。
- 騒音訴訟を起こされるリスクがあるためほとんど地下を走る路線限定。
- 東武東上線のローカル区間(小川町~寄居間)は本線扱いになっていた。上記に書いてある通り寄居駅から延伸しているため。
- 系統分断はなかった。全列車寄居行きになっていた。
- つくばエクスプレスは21世紀入る前に開業していた。目安としては1998年頃。当然当初の予定通りJR(常磐新線)として開業していたかもしれない。駅名も何個かまともだったはず。
- つくば駅の先も延伸しており、茨城空港を経由し水戸駅まで延びていた。もちろん常磐線直通で後にE521系が導入されていた。
- 鹿島鉄道の用地が流用されていた。
- 今頃磁気の切符は廃止され、全てICカードになっていたかもしれない。ただ、地方とか田舎には磁気の切符が継続していたかもしれない。もちろんこの頃にはタッチ式のICカードも廃止され、タッチしなくても通れる改札機が実現していた。
- 大間線は実現しており、第二青函トンネルも実現していただろう。ただ、大間~函館に津軽海峡大橋が出来ているため、こちらのルートは大間~井戸になっていたかもしれない。
- 史実では1968年に予定線でなくなって以降建設再開の計画は出ていない。
- 沖縄に鉄道が開業しており、JRの管理はJR九州で、私鉄列車は琉球鉄道とゆいレールが開業していた。那覇~名護間の路線は確実にJR九州が運営していた。ひょっとすると国頭もJR九州が運営していたかもしれない。
- 東武野田線は大宮駅から延伸する計画していた。恐らく経由は鶴綾駅で目的は東武東上線との乗り入れを良くするために延伸していたに違い無い。
- 桃花台新交通線(ピーチライナー)は廃止されなかったどころか、逆に高蔵寺駅・岩倉駅まで路線を延ばして都市近郊の交通機関として機能していた。小牧市民も名古屋への移動にはピーチライナーで岩倉駅に出るのが一般的になっていた。
- 富士山登山鉄道は普通の鉄道としてとっくに開業しており、静岡側も富士山登山鉄道構想が出来ていて起点は富士駅か御殿場駅になっていた。
- 世界遺産登録前までは富士山頂まで鉄道を敷く計画が公然と語られる。
- 津軽海峡大橋は瀬戸大橋の構造と同じように鉄道部が出来ていた。大間~第二青函トンネル~井戸の普通鉄道は津軽海峡大橋の鉄道部開業よりも早く開業しているので、津軽海峡大橋の鉄道部はモノレールか。
- 埼玉県や千葉県にも市営地下鉄が出来ていた。埼玉県の方はもちろん県庁や浦和や大宮などを通っており、千葉県は幕張を中心に通っていたかも。
- 羽田空港新線は新宿ルート、東京ルート、新木場ルート同時期に開業していた。また東急の羽田空港の乗り入れ(蒲蒲線)も実現している。
- 羽田空港は神奈川県からのアクセスも出来ており、神奈川県東部方面線が予定通り羽田空港まで延伸していた。
- 西武安比奈線はとっくに復活しており、的場駅の延伸どころか坂戸駅か川島町方面まで延伸していた。川島町方面まで延伸していたら延伸した西武新宿線と直通していたかも。
- 東京や大阪や名古屋だけではなく愛知県以外の県内にも環状線が出来ていた。神奈川県はグリーンラインどころか、ブルーラインも環状線化していた。また名古屋はJR東海も名古屋駅を中心環状線を開業していた。
- 京都には七条~東大路~北大路~西大路通に環状の地下鉄が開業し、観光の重要な足となっている。
- そこはLRTの方が受ける気がする。
- 京都には七条~東大路~北大路~西大路通に環状の地下鉄が開業し、観光の重要な足となっている。
- 日暮里・舎人ライナーは六木方面や鳩ヶ谷駅まで延伸していたかもしれない。六木方面が本線として鳩ヶ谷方面は支線かもしれない。
- 横浜市営地下鉄はグリーンラインやブルーラインだけではなく、レッドラインやイエローラインやピンクラインなども開業していたかもしれない。横浜市の地下鉄もかなり複雑になっていた。
- JR北海道は安全面がおそろかにならず、事故や不祥事を多発させることは無かった。場合によっては2005年以前のJR西日本もならなかったかもしれない。
- 東京湾アクアラインの鉄道部の管理はJR東日本になっていた。ルートは川崎→浮島→風の塔→うみほたる→木更津金田→巖根→木更津になっていたかも。
- 江差線は北海道新幹線の開通でや木古内~江差間が廃止される事は無く、江差駅から延伸しており天ノ川駅が本当に開業していたかも。
- 札幌都市圏など確実に利用者が見込める地域で建設する方が合理的。
- 湘南新宿ラインは開業当初から浦和駅やさいたま新都心駅が停車駅になっており、川口駅や蕨駅も湘南新宿ラインの停車駅になっていたかも。(もちろん宇都宮線と高崎線も停車している。)
- また特別快速は恵比寿駅も停車駅になっていただろう。
- 上野東京ラインと湘南新宿ラインの誤乗は無かっただろう。
- LED表示機はフルカラー化されていた。駅内LEDも車内LEDも完全フルカラー化されていた。現在は液晶タイプになっているような気がする。
- いくら金があっても青色LEDが実用化しないとフルカラーLEDは造れない。青色LEDの開発とバブルは無縁だと思うが…。
- もしあの駅が開業したらやもしあの鉄道路線が開業したらやもしあの鉄道路線が開業していたらに書かれている内容のいくつかが実現していたかもしれない。
- 駅は無茶苦茶多くなっており、スピードもそれほど出なくなっているだろう。また、史実では計画されていない駅もこちらの世界で計画されている駅も少なくない。
- 地上げ屋の暗躍により意外と進まない気がする。
- 山手線のラッシュ時は数秒に一本列車走っているので、ラッシュ時は秒単位も表示されていたかも。まあ、秒単位は流石に大体になりそうだが。
- 何か発生した際に間違いなく追突事故が多発するため安全上不可能。
- 西武新宿線の西武新宿駅は歌舞伎町駅に改名され、JR新宿駅(新宿東口駅?)まで延伸されていた。
- 都営浅草線は予定通り蒲田駅まで延伸していた。西馬込駅で中途半端に終点駅になる事は無く西馬込駅行きも無かった。
- 強風で簡単に運休になる事は無く、強風でも普通に平常運転になっている。埼京線や京葉線や武蔵野線は強風になっても遅れる事が無かっただろう。
- その代償として各地で車窓からの景観が奪われる。
- 発車メロディーは地方の鉄道会社も導入されており、田舎駅は田舎に合った発車メロディになっていただろう。
- ラッピング鉄道は全面広告バスみたいになり、全面的にラッピングされていただろう。もちろん山手線や京浜東北線だけではなく色んな鉄道路線にラッピング鉄道が走っていただろう。
- 埼京線みたいに新幹線に並行した高架化する路線が出来ていただろう。東海道新幹線の東京~新横浜~小田原辺りが実現出来そうな気がする。
- 少なくとも一部の駅員の態度は悪いという事は無かったはず。あってもそれほど問題にはならなかっただろう。
- 動労千葉は今より落ち着いた物になっていた。千葉支社にもちゃんと新車が導入されていたはず。ストライキは死後になっていた可能性がある。
- 調子に乗って給料引き上げを要求する。で業績がいいので運転士の平均年収が1000万円台になる。
- 東労組の組合員大幅減少もなく毎年給料が上がる。
- 秩父鉄道は今でも東武東上線と直通しており、浅草~寄居~秩父~三峰口の特急が今でも運行されていた。
- 仙石線は直流運転しているため、E231系かE233系が導入されていたかもしれない。E231系は総武本線ベースになり、E233系なら中央線ベースになっていたかも。但し液晶は付かない。
- 副都心線と有楽町線は東武東上線が延伸しているため、森林公園駅どころか渋川駅まで直通運転していたかもしれない。
- 南北線は蓮田駅から直通運転し、久喜駅か古河駅か小山駅まで乗り入れいた。また、岩槻駅から分岐点になり東武野田線の大宮方面や春日部方面も当初の予定通り直通運転していた。
- 東北地方の鉄道は交流運転がメインだったが、徐々に直流運転化されていたかもしれない。関東でも白河行きや郡山行きが見かけるようになり、始発駅黒磯行きが史実以上に増えていた。
- 交直流車を導入した方が安上がりな気がする。
- 千葉都市モノレールは幕張にも出展。幕張メッセや幕張新都心にも駅が出来る。ビルの近くにモノレールが通る工夫もしていただろう。
- JR東日本とJR東海の関係は史実よりマシな関係になっていた。JR東海はここまで鉄オタに嫌われる事は無かったはず。
- 東武鉄道と西武鉄道や小田急とJR東日本などの関係も史実よりマシになっていた。直通運転も史実以上に行われていた。
- ピギーバック輸送が廃止されることはなかった。
- トラックが道路上に増えることなく、交通量も幾分緩和されていた。
- JR東海の新快速はJR西日本と同様特別快速と同じ種別として運転しており、130km/h以上の最高運転速度を持っていた。JR東日本にも新快速が運転されていたかもしれない。
- こちらの世界の新快速の最高運転速度は160km/hとして運転されていたかもしれない。もっともJR西日本の方が実現しそうなイメージがするが。
- 神奈中も鉄道部門が出来ていたかもしれない。その場合、相鉄と小田急をライバル目線になっていたか。
- 地価暴騰のさなかにそのような贅沢はまず不可能だったのでは。
- 秩父鉄道は現在も東武鉄道とJR東日本直通運転を行っており、秩父にE231系やE233系や50000系が見かけている。
- 大島や佐渡島などの島にも鉄道路線が出来ており、車両は主に古くなった車両を使用していただろう。
- 女性専用車は存在しなかった。史実ほど女性優遇の世の中になっていないため。あってもそれほど揉める事は無かったかもしれない。
- 現実でも日本社会は世界的に見るととても「女性優遇」とは言えない気がする。
- JR各社は現実ほど新幹線偏重にならず、在来線にも力を入れていた。
- 新幹線と並行する在来線にも新快速みたいな高速列車が運行されていた。
- 播州赤穂~豊橋間直通の新快速も運行されている。
- 在来線特急の車内販売が廃止されることもなかった。
- 整備新幹線の並行在来線は第三セクターに転換されることもなくJRによる運営のままであった。
- 新幹線と並行する在来線にも新快速みたいな高速列車が運行されていた。
- 北海道新幹線開通後も青函トンネル区間に18きっぷで乗る際追加料金を請求されることはなかった。
- イギリスのように各地の廃止路線が保存鉄道として一部復活していた。
- JRや大手私鉄が海外の私鉄買収に乗り出す事例もあった。
- 神戸電鉄粟生線の利用客が減少し、廃線が検討されるという状況にはならなかった。
- 沿線の新興住宅地が増加し、鈴蘭台~志染間が全て複線になっていた。
- スピードアップも実現していただろう。
- 場合によっては神戸市営地下鉄西神・山手線を押部谷あたりまで延伸し、粟生線に標準軌に改軌して相互直通運転が実現していたかも。
- Suikaは当初の予定通りウォークスルー方式で導入されていた。
- 『タッチ&ゴー』ではなく『ウォーキング&スルー』というキャッチフレーズになっていた。
- ICカード専用改札も当初から導入されていた。
- JR北海道とJR四国の経営状況が良くなっていたかも。廃線が大量に起きる事は無かった。
- トレインチャンネルで1社のCMしか流れないという事は無かった。
- 大井川鐵道は大雨による土砂崩れでも早期運転再開出来ていただろう。
- 東葉高速鉄道は東京メトロ東西線として開業していたか?
- もしかすると千葉駅まで延伸する構想も存在していたかもしれない。
- むしろ成田空港かも。
- もしかすると千葉駅まで延伸する構想も存在していたかもしれない。
- 埼玉県の鉄道博物館は史実の京都鉄道博物館並みの大規模な博物館になっていた。
- 名古屋のリニア鉄道館も。
- 美濃太田車両区に放置されていた車両(キハ30や103系など)も展示されていた。
- リニア鉄道館は展示車両の増加に伴い拡張され、保存車両の入れ替えに伴い公開終了した車両が解体に追い込まれることはなかった。
- 京都鉄道博物館は展示車両の車内を基本的に公開していた。博物館に隣接する嵯峨野線の新駅も博物館開館と同時に開業している。
- そればかりか、九州や北海道にも同様の博物館が開館していた。
- 東京総合車両センターにある157系や御料車なども鉄道博物館で展示されていた。
- JRだけでなく大手私鉄も同様の鉄道博物館を作っていた。
- 名古屋のリニア鉄道館も。
- 東京駅100周年記念Suicaみたいに特別なSuicaが続々と登場していただろう。
- 大手私鉄は今でも春になったらストライキを行っている。
- オリエント急行の再来日が実現していた。
- それがきっかけで日本の豪華寝台列車を海外に乗り入れさせようという構想が出ていた。
- 汐留貨物駅の土地は売却できていない。
- 鉄道雑誌の内容は現在も読み応えのあるものだっただろう。
- 鉄道ジャーナルは今も列車追跡シリーズをやっている。
- 鉄道ファンの新車ガイドは今も当該車両の営業運転開始前に掲載され、且つ車両の詳細にまで踏み込んでいた。
- 鉄道ピクトリアルの私鉄を紹介する臨時増刊号は今も年2~3冊刊行され、関東・関西の大手私鉄は勿論のこと地方の中小私鉄についても特集を組んでいた。
- ヤマハ製の発車メロディは新宿駅、渋谷駅とどまらず東京駅、上野駅、池袋駅、横浜駅、大宮駅のターミナル駅で導入していた。
- 埼京線ホームの渋谷駅でもヤマハ製の発車メロディが導入していた。
- 1990年代以降の発車メロディはコストダウンを図ったシステムが採用されているが、これが史実と異なっていた可能性もある。
- 宗次郎のメロディ「清流」、「雲を友として」、「心」、「四季」は著作権料の問題で消滅する事は無かった。(『清流』に関しては鶴岡駅の入線メロディーとして使われているが…)
- 「四季」は暗すぎて消滅していただろう。
- さくら夙川駅の接近メロディも「コブクロの桜」のままだったのかも。
- JR東日本新潟支社での発車メロディ導入も2000年代前半に行われていた。
- いわゆる洗脳発車メロディーはあまり存在していないかもしれない。
- JR東海は新幹線至上主義に走ることはなかった。
- 300系以降、座席数を統一が徹底されることもなく、更なるサービス低下も起きなかった。
- 新幹線だけでなく、ローカル線の観光列車にも力を入れていた。
- トロッコファミリー号が廃止されることはなかった。
- 動力分散方式を徹底することもなく、機関車・客車を全廃に追い込むこともなかった。
- それすらなかったのでブルトレが廃止されることはなかった。
- 鉄道系ゲームや展望ビデオにも協力的になっていた。
- 「陸中」と「よねしろ」は快速に格下げされることはなく、特急に格上げされていた。
- 「陸中」に至っては特急型気動車に置き換えられ、JR東日本は特急型気動車を保有しないといわれ続けることもなかった。
- そもそもJR東日本は幹線だけでなく、地方交通線にも特急の設定に積極的になっていた。
- エル特急が衰退することもなかった。
- 運賃値上げが現実以上に進んでいた。
- JRの初乗りは山手線ですら今ごろ200円なっていた。(ちなみに現実でも民営化以降も運賃値上げは行う方針でした)
- 私鉄も高架化や複々線化の費用徴収を名目に値上げに踏み切る。
- JR西日本の「昼間特割きっぷ」や近鉄の「名阪まる得きっぷ」の廃止は現実よりも早かった。
- 川島令三が自らの著書で主張していた種々の構想の多くは実現していたかもしれない。
- ローカル線や路面電車では信用乗車方式が現実以上に普及していた。
- 自動改札におけるキセル乗車防止システムはなかったかもしれない。
- JR九州が特急王国になることもなかった。
- 多くの観光列車は快速として運行していた。
- 山陽電鉄は8連が入線可能なように改良され、阪神のほか阪急からの直通特急も運行されていた。
- 福岡空港-勝田に「福岡高速鉄道」という第三セクター路線が開業し、福岡市営地下鉄と直通運転していた。福岡空港-志免-宇美-勝田というルートで、志免-勝田は旧国鉄勝田線の線路敷を利用して建設された。
- 阪急が1992年にCIを導入することはなく、旧社章が引き続き使われていた。
- それに対し南海は関西国際空港開港という大チャンスを控えていたのでCI制定→塗装変更は史実通りだっただろう。
- CI導入は21世紀に入ってからだった。
- 関西の新快速は混雑が激しくなったことから京阪神間では昼間でも1時間に8本の運転(7.5分毎)になっていた。
- その分快速が減らされていた。
新幹線
- 日本全土に新幹線を敷設(当然北海道新幹線なんかも全線開通)。
- 新幹線は2000年には盛岡~札幌・博多~鹿児島・高崎~金沢~大阪・浜松~四国内~東九州周り鹿児島が全通している。
- 各種工事期間や設備調達を考慮すると物理的に難しいと思われる。
- バブルが崩壊しようとも、鹿児島までは開通。
- 東海道新幹線は東京~新大阪の全線が複々線となり、新大阪駅の容量不足から大阪駅乗り入れが実現する。
- これは中央新幹線になってそうな気がする。
- 東北新幹線の東京~くりこま高原間も複々線していただろう。多分新宿ルートと分けていただろうが。くりこま高原~東京間で運休になっていても片方は一応運転していただろう。
- うめきたの開発と同時に新幹線の大阪駅乗り入れが実現していた。
- 那覇まで延長されてたかもしれない。
- 韓国へも。
- さらに、中華人民共和国・モンゴル・ロシアの沿海地方のウラジオストク・ハバロフスク・モンゴルを超えてイルクーツク・そしてロシアの各主要都市を通じてモスクワまで延長される。
- 例えば、非常に住宅地地価が安く、建物価格も安いロシアで巨大な庭付きの邸宅に住んで、地価が高騰している日本の大都市(平日は、日本の大都市でカプセルホテルに泊まる・休日はロシアに住む)に通勤する者も登場!!!
- 国際路線建設のノウハウ確立だけでも数十年くらい費やしそう。
- さらに沿線がどこも日本とは微妙な関係にある国ということも問題を複雑化させうる。
- さらに、中華人民共和国・モンゴル・ロシアの沿海地方のウラジオストク・ハバロフスク・モンゴルを超えてイルクーツク・そしてロシアの各主要都市を通じてモスクワまで延長される。
- 韓国へも。
- 東海道新幹線は東京~新大阪の全線が複々線となり、新大阪駅の容量不足から大阪駅乗り入れが実現する。
- 計画のみに終わった「個室ひかり」「スーパーひかり」などが実現している。
- 阪急・近鉄といった私鉄も東京~大阪間に新幹線を建設している。
- 並行在来線問題は浮上せず、そのままJRが経営している。
- 碓氷峠を挟む信越本線の横川~軽井沢間は廃止されず、軽井沢への観光鉄道として新幹線開業前より盛況を見せている。
- しかも、日本で唯一の客車普通列車となっている。
- リニアモーター駆動となっている。
- この1駅区間だけでも金を払う価値があると思っている人は多いだろうから、分社化して極端に値上げしても許される…はず。
- しかも、日本で唯一の客車普通列車となっている。
- 碓氷峠を挟む信越本線の横川~軽井沢間は廃止されず、軽井沢への観光鉄道として新幹線開業前より盛況を見せている。
- 長野新幹線以後に開通した新幹線についても最高速度300km/h以上で走行できる設計となっていた。
- 東京~新青森間では最速列車で3時間を切っていた。
- 現在は騒音対策で新幹線を少し小型し、最高速度400km/h以上で走行できるようになっていたかもしれない。東海道新幹線はカーブ問題があり、実現は難しいがそれでも最高速度は史実より早くなっていただろう。
- そこまでいくとすれ違いの風圧で脱線事故が発生しかねない。
- 東海道新幹線でも区間によっては(直線が続く京都~米原など)最高300km/h運転が実現していた。
- 新幹線は2000年には盛岡~札幌・博多~鹿児島・高崎~金沢~大阪・浜松~四国内~東九州周り鹿児島が全通している。
- 世界で初めてリニアモーターカーを実用化。リニア新幹線の工事も着々と進んでいる。
- 現実に東京五輪が開催される2020年には東京~大阪間が開業し、さらに博多までの延伸が計画される。
- 東京-名古屋間は2003年10月に先行開業していた。名阪間は京都と奈良で駅誘致をめぐる対立もあって着工が遅れ、結局2020年3月の開業となる。
- もしかすると東北地方までの延伸も計画され、リニアは博多から新青森まで結ばれていたかもしれない。これにより東北地方も経済的に良くなり仙台は福岡のような大都市になり、青森はベイエリアとして大発展していたかもしれない。
- リニアは最高速度は800km/hになっており、東京~大阪間が一時間切るようになる。もちろんこの速度だとのぞみタイプになりそうだが。
- リニア開通でのぞみが廃止される事はまずあり得ない。リニアは通勤向けの新幹線で、新幹線ののぞみはゆったり乗る方で観光に行くタイプになっていたかもしれない。
- 神奈川や静岡から東京への通勤・通学需要も相当にあるはず。
- 現実に東京五輪が開催される2020年には東京~大阪間が開業し、さらに博多までの延伸が計画される。
- 今でも新幹線は2階建てで、食堂車や個室グリーン車がある。
- 食堂車に大手ファーストフードが出店している。
- 食堂車はレストラン並みに大発展していたかもしれない。グランクラス向けに高級料理も出来ていたかもしれない。
- 東海道新幹線でもグランクラスが導入されていた。
- むしろグリーン個室が東北・東海道共に存続した。もちろん北陸新幹線にも。
- それどころか東海道新幹線(山陽新幹線)も二階建てになっていた。
- 在来線も含め車内販売が衰退することはなかった。
- 特急列車のほとんどに車内販売があり、車内限定グッズなども盛んに販売されている。
- 東海道・山陽ブルートレインの食堂車も廃止されることなく存続し、列車の廃止・減便も行われなかった。さらに東京-博多間の「あさかぜ1・4号」にはA寝台5両やラウンジカーを連結したオール個室寝台の豪華寝台列車が新製で投入され、列車名も「ななつ星」と改称されていた。
- 東京-下関間の「あさかぜ」や関西-九州のブルートレインは電車化・全個室化されて存続していた。
- ブルトレの列車名は由緒正しいものが多いので風格を出すため名称はそのままだったのでは。
- JR東海は新幹線至上主義に走ることはなく、新幹線車両はある程度統一されたものになることもなかった。
- 在来線のイベント列車ですら一般車両を使うこともなく、質素なものになることもなかった。
- あまりも新幹線の利用者が増えてしまい、三階建ての新幹線が構想されていたかもしれない。ただ、トンネル問題があり実現するかは微妙な所だが…。
- おそらく大人だと座席に座っても確実に頭が天井につっかえる。
- 海外メディアに「陸の奴隷船」などと酷評されるのは必至。
- E7系辺りも2階建てとして登場していたかもしれない。よってE4系の引退は史実通りか?
- 2階建て車両でも270km/h以上の高速運転ができる車両が開発されていた。
- 東海道・山陽新幹線でもオール2階建て車両が登場している。
- 食堂車に大手ファーストフードが出店している。
- 九州新幹線鹿児島ルートは2004年に全線開通し、2011年には長崎ルートも開通していた。東北新幹線も2002年に新青森まで伸び、2010年には北海道新幹線新青森-新函館も開通していた。北陸新幹線も2000年代半ばには金沢まで開通していた。
- 2015年3月には金沢-敦賀が、2016年3月には新函館北斗-札幌が開業していた。
- 2020年頃には敦賀~新大阪が開業していたかもしれない。もちろん東京オリンピックに間に合っていたかもしれない。
- 2015年3月には金沢-敦賀が、2016年3月には新函館北斗-札幌が開業していた。
- 現在は常磐新幹線や紀伊新幹線や房総新幹線も計画しており、全都道府県に新幹線が通っている事になる。場合によっては成田新幹線も計画復活していたかもしれない。成田新幹線は房総新幹線と一緒になるような気がする。
- 上記の成田新幹線に加えて羽田新幹線や関空新幹線(仮)も開業していただろう。関空新幹線は紀伊新幹線の支線になる。
- 人口が増えていく中、新幹線の新駅もどんどん開業している。東北新幹線なら久喜駅と古河市内の新駅で、上越新幹線は新鴻巣駅で、東海道新幹線は相模新駅(新平塚駅?)とみなみびわ湖駅が開業している。
- 北海道新幹線は旭川駅どころか稚内駅まで計画している。その先はサハリンまで延伸する構想が存在しており、国際新幹線が実現していただろう。日本の国際新幹線は距離的に考えて博多~釜山間と稚内~ユジノサハリンスク間だろう。
- 大宮駅通過新幹線は無く、上野駅全停車新幹線が実現していたかもしれない。もちろん東海道新幹線みたいに列車増発の目的として大宮発、上野発が出来ていた。
- 赤羽駅に新幹線駅設置を求める人が出てくるが、駅が近いという事で実現は出来ないかもしれない。列車増発としてなら出来そうだが…。
- 秋葉原駅も同様。駅が近いという事で新駅設置は見送りになる。新幹線ではなく上野東京ラインなら実現出来そうだが…。
- 赤羽駅に新幹線駅設置を求める人が出てくるが、駅が近いという事で実現は出来ないかもしれない。列車増発としてなら出来そうだが…。
- 場合によっては東海道新幹線直通が実現していたかもしれない。多分短期で廃止されそうだか…。
- 北関東→関西、東海→東北などの需要を創出できたら問題なく存続しそう。
- 上越新幹線新宿ルートが実現していたか?開業時期を考えると東北新幹線新宿ルートも出来ていたかもしれない。新幹線は新宿駅と東京駅で別れていた。
- 大宮以南の110km/h制限も200km/hに緩和されていた。
- 埼京線の行き先がハッキリと見える事は無かったはず。そのうちに250km/hまで引き上げていたかもしれない。流石にやまびこは上野~東京間になるとスピードは制限されていただろうか。
- 騒音問題をどうにかできているのが大前提。
- 新中小国~木古内間区間も140km/hではなく240km/hに緩和されていた。
- 大宮以南の110km/h制限も200km/hに緩和されていた。
- 新幹線にも液晶ディスプレイが実現出来ていた。史実のE4系の時点ではE231系山手線のように珍しかったが、史実のE5系からは当たり前になっていたかもしれない。
- 大手私鉄にも新幹線が出来ていたかもしれない。一番やりそうなのは東武鉄道辺りか。そうなるとスペーシアはやや地味な鉄道になっていたかもしれない。
- JRと協調気味の関東私鉄ではなく対決姿勢の関西私鉄の方が建設しそう。
- 現在なお、ふるさとチャイムが使われていたかもしれない。くりこま高原駅にもふるさとチャイムが使われていた。また東海道新幹線や山陽新幹線にもふるさとチャイムが導入されていただろう。
- もしくは新幹線ホームにも在来線の発車メロディが使われていただろう。もちろん全新幹線駅に対応していただろう。ただ、一部のみベルのままの新幹線駅もあるかもしれない。
- リニアは第二東海道新幹線がやっていたかもしれない。中央新幹線はもちろん普通の新幹線として開業してる。
- 新幹線が沢山開業しているため、東京駅と上野駅はパンクしていたかもしれない。最悪大宮駅もパンクしていた可能性がある。これを気に新幹線ホームにもホームドアが導入していた。
- 東海道新幹線は全駅ホームドア設置されていただろう。これによりドクターイエローを撮る人にとっては不便になっていたかも。
- むしろ上越新幹線は新宿発着となり、ここに東海道新幹線も乗り入れていただろう。
- 史実よりも海外も新幹線やリニアが開業していた。もちろん日本製の新幹線でJR東日本、JR東海、JR西日本が中心に海外用の新幹線が導入されていただろう。アメリカはもちろんの事、中国やイギリスにも導入されていた。
- 在来線が標準軌でない国の場合は日本方式が圧倒的な強さを見せていた。
- 上記の第二青函トンネルを経由する新幹線も実現していた。これで函館駅にも新幹線駅が出来ていた。ルートと停車駅は八戸~大間~井戸~函館~新函館北斗になっていただろう。
- 貨物新幹線は2000年代に実現していただろう。全ての新幹線には複々線化されており、それほど新幹線に影響が出なかったであろう。
- 一部の新幹線は複々線化されており、新幹線の運行にそれほど影響はなかっただろう。
- のぞみは新横浜駅停車は2000年代前半から全停車しており、新幹線品川駅も21世紀を待たずに1998年頃に開業していただろう。
- ひょっとすると新幹線にも環状線が出来ていたかもしれない。山手新幹線で停車駅は上野→東京→品川→渋谷→新宿→池袋→上野になっていた。但し、環状線としての運転はあまり無く直通の運転として活躍していただろう。
- こいつらが「山手新幹線に秋葉原駅停車を実現しよう」と新駅設置運動が行われている。当然「近すぎるからいらない」などと簡単には設置出来ない。
- 品川-渋谷と池袋-上野にはそもそも線路が建設されない気がする。
- 地下新幹線というジャンルが出来ていた。地下鉄新幹線は用地が無いなか地下で通る新幹線として活躍している。
- 実現出来そうなのは成田新幹線と関空新幹線かもしれない。前者に関してはルートも大幅に違っており、東京駅の京葉線ホームの近くに成田新幹線ホームが出来ていたかもしれない。
- JR東海の東海道新幹線のCMシリーズ「クリスマス・エクスプレス」は1992年以降も継続していた。そのためJR東海のサウンドロゴは東海ローカル以外でも今も流れていただろう。
- 「そうだ、京都、行こう。」「今、ふたたびの奈良へ」「Tokyo Bookmark」の他にも神奈川や大阪や静岡や岐阜なども観光CMが出来ていたはず。
- 前者と中者は関西でも放送され、後者は関東でも流れていた可能性がある。
- 「そうだ、京都、行こう。」「今、ふたたびの奈良へ」「Tokyo Bookmark」の他にも神奈川や大阪や静岡や岐阜なども観光CMが出来ていたはず。
- のぞみは静岡県が冷静される事は無く静岡駅がのぞみ停車駅になっていたかもしれない。これより新横浜~名古屋間のノンストップは無くなる事になるが、全停車駅にはならないと思うが。
- 北海道新幹線の新函館駅はもう少し函館市に近い所に建設されていた。それでも場所は史実通り北斗市だけど。
- 岐阜県内の新幹線は岐阜羽島駅だけではなく北陸中京新幹線開業の伴い大垣市内にも設置されていた。もちろん東海道新幹線と北陸中京新幹線停車である。
- 新幹線の空港アクセス駅はとっくに実現しており、東海道新幹線に富士山静岡空港駅や山陽新幹線に広島空港が出来ていた。
- 関空国際空港や中部国際空港や茨城空港にも新幹線駅が出来ていた。関空国際空港は関空リニアと紀伊新幹線(関空新幹線)で中部国際空港は東海道新幹線の支線で茨城空港は常磐新幹線辺りか。
- 広島空港に関しては逆に広島-東京の旅客が航空機に流れる助けになりかねないため設置できないと思う。
- 在来線の終夜運転は当たり前になり、終夜新幹線運転も実現していたかもしれない。と思ったら騒音問題があるため、スピード制限が行われていたかもしれない。
- 小田原駅は観光客増加のため、のぞみも停車していたかもしれない。小田原駅発が実現し、東海道新幹線本数はさらに増発していた。京都駅とライバル扱いされていたが京都の圧勝に終わる。
- 米原駅にものぞみが停車していたかもしれない(北陸中京新幹線が実現していないか、米原-敦賀間のみだった場合の話)。
- 静岡・浜松に停車する列車もできていた。
- 北海道新幹線は稚内、釧路(根室)、網走とルートが分類し、延びていただろう。もちろん全て東京発が存在している。
- 現在は室蘭ルート、オホーツク海ルートも構想されている。北海道は新幹線だらけになっており、日本で一番多い新幹線駅になっていたに違いない。
- 現在は新幹線の最高速度を500km/h以上まで走行する構想が出ている。一方のリニアはもちろん1000km/hまで走行する構想が出ていた。(こちらの世界の最高速度は新幹線は400km/hでリニアは800km/hである。)
- 災害時などの安全性を考慮するとかなり厳しい。
- 東海道新幹線の発車ベルも発車メロディ化されていた。JR東日本タイプとは違い新幹線に合った美しいメロディになっていたかもしれない。
- 新幹線の中でインターネット端末や無線が出来ていたかもしれない。景色を見ながら動画を見る人がいたり、新幹線を調べる鉄道ファンがいたりする。
- 現実でも無線LANが使える東海道以外の路線でも利用可能になっていた。
- 新幹線の車内LEDは2段式表示になっていた。上が「次は○○」で、下はニュースや運行情報や「ただいま○○を通過しました」などが表示されていた。あるいは車内LEDではなくE993系みたいに表示機が液晶化されていたかもしれない。
- 読みやすい字の大きさを確保するのにかなり苦戦しそう。
- 東海道新幹線にも東北新幹線みたいに連結新幹線が実現していたかもしれない。恐らく東海道新幹線と北陸中京新幹線が連結していたかもしれない。
- もしかするとのぞみより早い新幹線が実現していたかもしれない。こちらの停車駅は東京~名古屋~新大阪~広島~博多~鹿児島中央になっていた。
- 東海道新幹線は九州新幹線直通も行われていた。こだまは流石になさそうだが、ひかりやのぞみには九州新幹線直通があったはず…。
- 新幹線にもグリーン車自由席が出来ていた。指定席と一緒にあり、区別していたかもしれない。まあ、どちらかというとグリーン車指定席の方が豪華かもしれないが。
- 前橋新幹線はミニ新幹線としてではなく、両毛新幹線として開業していただろう。ただ、小山駅と宇都宮駅どっちが停車するか揉めていたかもしれない。でも、やはり県庁中心に停車するようにと思われるので宇都宮駅停車の方が実現的だろう。
- 北陸新幹線と直通運転し、北関東と南関東のバックアップが実現出来ていただろう。
- というか、ミニ新幹線自体存在しない。当然秋田新幹線や山形新幹線は開業しておらず、代わりに東北縦断新幹線が開業していた。三重新幹線も構想されなかった。こちらは…中央新幹線として開業しているか。
- ミニ新幹線の発想は昭和の頃からあったためそれはない。
- ドクターイエローも最新車両が導入され、N700系ベースの新幹線も出来ていただろう。ドクターイエローは東北新幹線方面にも通っていたかもしれない。
- というか、こちらの世界だとそこらじゅうに新幹線が出来ているからドクターイエローも1車両じゃ物足りないから、2、3車両開発されていたかもしれない。
- 現実の運行頻度から推定すると1編成でも十分だと思われる。
- テレビなどでドクターイエローが取り上げられる際も検測機器にぼかしがかかることはなかっただろう。
- ドクターイエローは2010年代に入ってN700系タイプの車両に更新されていた。
- というか、こちらの世界だとそこらじゅうに新幹線が出来ているからドクターイエローも1車両じゃ物足りないから、2、3車両開発されていたかもしれない。
- 北陸新幹線の支線として大宮~川越~秩父~佐久平の路線も構想されていた。支線とはいっても、熊谷方面よりもこちらの方が時間短縮しそうな気がするが。
- 川越市は「小江戸に通ったら雰囲気が崩れる」と反対運動が行われ、新幹線川越駅は地下駅として開通していたかもしれない。秩父市も「秩父の自然に新幹線が通ったら風景が崩れる」と言われてしまう。北陸新幹線の秩父支線はかなり苦戦や苦労が強いられていたかもしれない。
- 新幹線は「幹線鉄道」と法律にはっきり書かれているのでそのようなローカル支線ができることはないはず。
- 川越市は「小江戸に通ったら雰囲気が崩れる」と反対運動が行われ、新幹線川越駅は地下駅として開通していたかもしれない。秩父市も「秩父の自然に新幹線が通ったら風景が崩れる」と言われてしまう。北陸新幹線の秩父支線はかなり苦戦や苦労が強いられていたかもしれない。
- 中四国横断新幹線は松江~岡山~高松~高知だけではなく、松江~広島~松山~高知も開業していた。もちろん広島~松山間には新瀬戸大橋が出来ている。
- 東海道新幹線に支線が出来ており、横須賀方面と中部国際空港を結んだ支線が出来ていたかもしれない。どっちみちミニ新幹線として開業しなさそう。
- 横須賀方面は後に東京湾口道路に新幹線を通らせて房総新幹線と繋がっていただろう。現在は支線から独立し、本線として活躍している。路線名は東京湾口新幹線か。
- 北陸新幹線の停車駅問題は起こっておらず、かがやきは高崎駅も停車し、はくたかは熊谷駅も停車していたと思う。本庄早稲田駅は駅が近すぎるし、微妙な所だが…。あってもはくたか程度か。
- 東北横断新幹線は秋田~盛岡と仙台~山形~鶴岡と仙台~秋田だけではなく、山形~盛岡や秋田~八戸なども構想しており、東北地方の経済や発展や人口も急速に増えていた。
- 古い新幹線(0系や100系や300系)に関しては海外に移動して第二の人生を送っていただろう。
- ちなみに現実でも0系が1編成台湾に売られている。
- フリーゲージトレインの開発がさらに急務となっていた。
- 2010年代後半にはすでに実用化されていたかも。それ以前に近鉄が在来線仕様のフリーゲージトレインを実用化させていた。
- E7系もE5系同様車両性能上320km/hまで運転可能になっていた。
- 700系も500系と肩並ぶ300km/hで運転可能になっていたかも。
- N700S系は800系として登場していたかもしれない。
- 800系は九州新幹線にあるので1000系になっていたかもしれない。
- 0系は東海道新幹線の運用も山陽新幹線とともに2008年に引退した。
- 100系は2012年まで東海道新幹線でも走っていた。
- 500系は東海道新幹線からの運用を離脱することもなかった。
- Maxの愛称だったE4系は東北新幹線からの運用を離脱することもなかった。
- 0系は永久保存を前提にイベント用として残されていたかも。
- 500系は本来の性能をフルに発揮できていた。
- JR東海も500系を作っていたかも。
- 現在でも320km/h対応していた。
- 700系は500系の改良型車両となっていた。九州新幹線の800系も500系ベースの車両となっていた。
- 21世紀に入ると「N500系」という車両が登場していた。
特急
- JR特急の私鉄乗入れが衰退することはなかった。
- 「サンダーバード」は北陸新幹線の開通まで富山地鉄直通が存在し、「あさぎり」は運転区間が新宿~静岡に延長されている。2010年前後にはJR371系、小田急20000形の後継車両も登場していた。
- 富山地鉄がJR乗り入れ用の独自の特急車両を保有したかも。
- 「サンダーバード」だけでなく「北アルプス」の富山地鉄乗り入れも復活。名鉄キハ8500系が立山まで乗り入れていた。
- 「北アルプス」が廃止されることはなく、中部国際空港に乗り入れて高山本線沿線からの空港アクセスとして重宝されていた。
- 「サンダーバード」は北陸新幹線開業後も富山直通が残っていた。
- 東武東上線も秩父鉄道への乗り入れを廃止することもなかった。
- そもそも信楽高原鐡道の事故さえなければ…。
- おおさか東線開業後は新大阪-吉野にもおおさか東線・大和路線・和歌山線経由でJRと近鉄を直通する特急「よしのエクスプレス」が運行されていた。
- JR289系と近鉄26000系を使用し、近鉄26000系のデラックスシート車はJR線内ではグリーン車の扱いになっていた。停車駅はJR線内が新大阪・放出・王寺・高田・吉野口で、近鉄線内は阿部野橋発着の特急と同じ停車駅になっていた。
- 「サンダーバード」は北陸新幹線の開通まで富山地鉄直通が存在し、「あさぎり」は運転区間が新宿~静岡に延長されている。2010年前後にはJR371系、小田急20000形の後継車両も登場していた。
- 京阪や阪急京都線の特急は今も京阪間ノンストップを維持。
- いずれは指定席車も連結されていた。
- 京阪特急の指定席も20世紀のうちに実現していた。阪急の京とれいんも改造ではなく全くの新製で、全車指定席(和風車以外はリクライニングシート車)となっていた。
- 京阪は特急に振り子電車を導入していたかも。
- 指定席車両にはトイレも設置されていた。
- 阪急9300系は2扉車となり、1990年代のうちに登場していた。
- いずれは指定席車も連結されていた。
- 東京メトロ千代田線だけではなく他にも地下鉄路線に特急や急行が乗り入れていたかもしれない。ほぼ直通運転になりそうだけど。
- 東京メトロや都営地下鉄も特急列車が開発されていた。基本的には地下鉄内しか走らないが乗客数増加のより地上でも走れるようになっていたかもしれない。
- 特急でもトレインチャンネルのような液晶ディスプレイが出来ていた。但し、在来線と大幅に違い、乗客サービスとして開発されていたかもしれない。
- むしろ各座席に液晶テレビが取り付けられていた(現実にバブル期には存在した)。
- スペーシアは日光線系統だけではなく、伊勢崎線系統や東上線系統にも走っていただろう。野田線内も特急列車が走っており、大宮~春日部~北千住~浅草と大宮~春日部~東武動物公園~東武日光と走っていただろう。
- 日光系統のスペーシアの殆どは北千住-下今市ノンストップを維持していた。
- 振り子車両が現実よりも普及していた。
- JR北海道キハ261系・JR東日本E257系・JR西日本287系は振り子車両として登場していた。空気バネによる車体傾斜機構は現実よりも普及しなかった。
- JR四国2600系も当初から振り子車両として登場していた。
- 「はくたか」はJR東日本の運用を撤退することもなく、485系としての「はくたか」は北陸新幹線の開通まで存続していた。
- むしろ681系と683系の「はくたか」は「スーパーはくたか」と名乗っていたかもしれない。
- さらには気動車特急が増加していた。
- 寝台特急列車の廃止が少なくなっていた。
- 一部の列車が583系で運転されていたかもしれない。
- その分、「きたぐに」以外でも583系の塗装変更が行われていた。
- 「きたぐに」は特急化していたかもしれない。
- その分、「きたぐに」以外でも583系の塗装変更が行われていた。
- 285系サンライズエクスプレスが8編成まで製造されていたはず。
- サンライズエクスプレスの九州方面へ向かう列車が存在する。
- 「サンライズ富士」や「サンライズはやぶさ」などができる。
- 「はやぶさ」は東北新幹線の列車名には採用されなかった。
- 「サンライズ富士」や「サンライズはやぶさ」などができる。
- JR東日本の路線も走る可能性も。
- その場合、「サンライズ北陸」や「サンライズ日本海」が誕生するかもしれない。
- サンライズエクスプレスの九州方面へ向かう列車が存在する。
- 一部の列車が583系で運転されていたかもしれない。
- 小田急ロマンスカーは1990年代以後も基本的に前面展望車が投入されていた。
- 30000形は「EXE」ではなく新型の前面展望車「○SE」として投入されていた。
- 50000形「VSE」は4編成投入され10000形「HiSE」を全編成置き換えていた。
- それでも60000形「MSE」は地下鉄及び御殿場線乗り入れの関係上展望室は設置されなかった。
- 但し現実よりも前面展望に配慮された構造になっている。先頭車はハイデッカーになっていたかも。
- 名鉄2200系の特別車にも展望席が設置されていた。
- JR各社も展望席を備える特急形車両を開発していた。
- ジョイフルトレインとかではなく定期特急に投入されていた。
- 半数の列車は新宿-小田原ノンストップを維持していた。
- 東京-博多を結ぶ豪華夜行寝台特急(九州エクスプレス)構想が実現し、列車名は「ななつ星」となっていた。
- 車両は24系の改造ではなく完全な新製車となり、寝台車・食堂車・バーラウンジ車が連結されていた。
- 寝台車はオールA寝台個室とし、1人用・2人用・4人用が設定され、全室シャワールーム付きとなっていた。
- 食堂車及びバーラウンジ車は2階建てとし、バーラウンジ車は編成の端に連結して車端部にはパンタグラフを設置し、階下はSIV電源室となっていた。
- 近鉄の難波-賢島間の特急は全列車鶴橋-宇治山田間ノンストップを維持し、全列車が伊勢志摩ライナーに置き換えられていた。
- 名古屋-賢島間の特急も半数は名古屋-宇治山田間ノンストップの甲特急で、甲特急は全列車伊勢志摩ライナーに置き換えられていた。
- 伊勢志摩ライナーやさくらライナーは史実以上に増備されていた。近鉄特急から車内販売が一時廃止されることもなかった。
- 車内販売が衰退することはなかった。
- 各業者ともコンビニなどに対抗するために車販だけで変えるオリジナル商品を充実させていた。
- 近鉄京都・橿原線と吉野線を直通するフリーゲージトレインの特急も実用化されて運行されていた。
貨物
- 武蔵野南線はすでに旅客化されており、南船橋~武蔵小杉(新川崎?)までが武蔵野線になっていた。この場合横浜や大船まで直通運転していそうな気がするが。
- もしかすると塩浜~府中本町~南浦和~西船橋~塩浜の大環状運転が実現していたかもしれない。混雑率も半端ではなかった。
- JR貨物が黒字になった頃に貨物列車も一般乗客が乗れる構想出てくるが、一般じゃ流石に難しく問題が出ていたかもしれない。イベントなら実現出来そうだが。
- JR貨物の営業線区は史実以上に増えており、川越線に再び貨物列車が通るようになったり相模線や八高線にも貨物列車が通っていた。
- 東海道貨物線は大江戸線の工事で休止する事は無く、現在も東海道貨物線は活用されている。また、現在は旅客化されており羽田新線や東海道線羽沢支線が通っている。
- E233系をベースとした貨物列車が導入されていたかもしれない。まあ、先頭部だけだろうが。
- 古くなった車両を貨物列車として再利用していた可能性もある。改造されてイメージと違う車両になっていたかもしれないが。
- 上記にも書いてあるが、貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていた。JR貨物は宅急便トレインとして活躍していたかもしれない。
- 現実以上にトラック運転手の不足が深刻化するのでカートレインとピギーバック輸送を足して二で割ったような形態の輸送が考案されていた。
- 敷地内を自動で電気駆動で運転する鉄道貨車に適したサイズの大きさのトラックが考案されているかもしれない。
- 東海道本線名古屋口の本数がひっ迫して貨物専用の線路が敷設されていた。
- 場合によっては東海交通事業城北線と愛知環状鉄道線が貨物の迂回ルートになっていた。
- EF200形電気機関車が本来の性能を発揮していた。
- M250系「スーパーレールカーゴ」が量産化されていた。
- 佐川急便のほか、ヤマト運輸や福山通運・西濃運輸などもこれを運行していた。
- M250系の交直両用バージョンが誕生し、青函トンネル及び関門トンネルを通過。東京~福岡、東京~五稜郭間にも設定されていた。
- 佐川急便のほか、ヤマト運輸や福山通運・西濃運輸などもこれを運行していた。
駅
- 東京駅の赤レンガ駅舎は解体され高層ビルに建て替えられていたかも。
- 赤レンガ駅舎の外壁だけが高層ビルに張り付く形で保存されている。
- そして、赤レンガ駅舎の一部は鉄道博物館に保存されていただろう。反対運動で建て替え中止ならなければの話だが。
- それでも、「赤レンガを解体するとはどういう事だ」と大規模な反対運動が行われ、何らか影響が出来ていたかもしれない。
- 復元工事が早まる可能性の方が高そう。
- 上野駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。
- 動物園をモチーフとしたビルになっていただろう。もちろん上野動物園のパンダもコラボしていただろう。
- せいぜい一部装飾がそれっぽくなる程度と予想。
- 動物園をモチーフとしたビルになっていただろう。もちろん上野動物園のパンダもコラボしていただろう。
- 東京駅は新宿駅や池袋駅や渋谷駅のような大都市駅になっていただろう。なのでビックカメラかヨドバシカメラが出来ていただろう。
- 大宮駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。西口は新幹線開業に建て替えられているので東口のみ高層ビルになっていたかもしれない。大宮駅東口も史実の西口並みに発展していたかも。
- 鉄道博物館駅はニューシャトルとJR線乗り換え駅になっているため、駅構内は巨大化していたかもしれない。JR線入口も出来ていた。
- 赤レンガ駅舎の外壁だけが高層ビルに張り付く形で保存されている。
- 山手線・京浜東北線の品川~田町の新駅は2000年代に出来ていた。駅名は「高輪」で、車両センターも21世紀入る前に廃止されていた。場合によっては泉岳寺駅とのアクセス地下道が出来ていたかもしれない。
- 現在は品川駅~大崎駅間の新駅が出来ていただろう。品川駅~大崎駅間は2キロあるため。恐らく2010年代か2020年の東京オリンピックに出来ていただろうが?
- 2008年以降に橋上駅化が行われた駅は2000年頃~に橋上駅化が行われていた。
- 川越線の日進駅は2004年頃に橋上化され、ロータリーも史実より広くなっており、バスも市のコミュニティバスだけではなく東武バスも通っていた。
- 横須賀線は大井町~武蔵小杉間の駅の間が広すぎるという事で大田区にも駅が出来ていたかもしれない。場所は上池上辺りで駅名は「池上」になっていた。バス停の上池上は「池上駅北口」に改名されていた。
- 少なくとも東京駅に在京大手私鉄のターミナル駅があった。乗り入れしたのは東武鉄道、西武鉄道、東急、小田急・京急・京王辺りかもしれない。
- 東武鉄道は東武東上線が乗り入れ、西武鉄道は西武池袋線・新宿線、東急は東急東横線か東急田園都市線か?在京大手私鉄のターミナル駅で東京駅は渋谷駅並みに発展していただろう。
- 赤羽駅、新橋駅にも在京大手私鉄のターミナル駅が出来ていた。赤羽駅は東武鉄道で、新橋駅は京急辺りか?
- 地下鉄との相互乗り入れで都心へのルートは確保済みのため二重投資になってしまう。
- 横浜駅はとっくに全ての工場が終わっているため「日本のサクラダファミリア」と言われる事は無かっただろう。新横浜駅篠原口も南口としてリニューアルし、田舎の新幹線駅と呼ばれ扱いされる事は無かった。
- 京浜東北線は新駅がどんどん開業していた。特に品川~横浜間辺りが新駅ラッシュになると思われる。大田区にJR駅が何個かあったはず。
- 武蔵野線も八王子~西船橋間全線新駅ラッシュになっていた。越谷レイクタウン駅や吉川美南駅も2000年代前半から開業していた。
- 高崎線の新駅みなみ北本駅は実現していたが、駅名はみなみ北本駅ではなかった可能性が高い。恐らく新北本駅か二ツ谷駅か?
- 原宿駅の近くにある宮延ホームは2001年以降も使われており、現在は老朽化で宮延ホームを建て替えていたかもしれない。運行の影響などは無くなると思われる。
- ホームドアは21世紀を待たずに実現しており、しかも山手線のホームドアはわずか半年で全駅に導入されていた。現在はホームドアにも液晶ディスプレイが付いている。山手線だけではなく京浜東北線、埼京線、中央線などにもホームドアが導入されていた。
- 駅ホームでの全身事故は史実より少なくなっていた。ただ、踏切での全身事故は相変わらず変わってなく多い。これを解決するために踏切にも何か工夫していたかもしれない。
- 現実でも一部駅では70年代から既に存在。
- 京浜東北線は根岸線内の桜木町~大船でもホームドアが導入していた。
- 導入されるホームドアもフルスクリーンタイプが主流になっていた。90年代以降に開業した路線や新駅では全てこのタイプで設置されており、撮影が困難な車両が多かった。
- 北大宮駅には史実では宇都宮線は通過になっているが、東武野田線との乗り換えを良くするために宇都宮線にもホームが設置されていたかもしれない。もちろん快速は通過となる。
- 渋谷駅の埼京線ホームは渋谷の再開発が1990年代後半から行われていたとしたら、2000年代に山手線ホームの隣に移転していた。
- 新幹線開通で廃止された宇都宮線と高崎線停車駅の日暮里駅は2000年頃に再び停車するようになっていただろう。そのため、常磐線と乗り換えしやすくなっていた。
- 北与野駅はさいたま新都心駅の裏なので利用者もそれなりに多くなっていた。埼京線の中で利用客数がワースト1から脱出していた。
- 北与野駅は快速が停車するようになっていたはず。
- 江差線の天の川駅は停車駅に生まれ変わっていたかもしれない。利用者はやはり少ないが、現在は観光開発により利用者はそれなりに増えていたかも。
- 竜飛海底駅は旅客営業を行っていたかもしれない。吉岡海底駅の旅客営業やや厳しいと思う。
- 土合駅は予定通りエスカレーターが出来ていたかもしれない。もちろん上りと下りが設置されていた。
- 駅の発車、接近メロディーにヒット曲を使うことが現実以上に普及していた。
- 南小谷駅は現在もJR東日本からJR西日本への乗り入れを行っており、南小谷~糸魚川間の電化の計画が構想される。
- 大阪駅のリニューアル(ノースゲートビルの建設など)は20世紀のうちに完成していた。
- 梅田貨物駅の吹田操車場跡への移転も20世紀のうちに実施されていた。
- 近鉄阿部野橋駅の300m高層ビル化(あべのハルカス)も20世紀のうちに完成済み。
- JRと私鉄及び私鉄同士がノーラッチで乗り換えられる共同使用駅が減ることはなかった。
車両
- 古い車両及び旧型の車両の廃車が現実より進んでいた。
- JRや大手私鉄の車両は全て平成生まれに置き換わっている。
- 鉄道会社や自治体、マニアに経済的な余裕があるので、廃車の保存は史実以上に積極的に行われている。
- 鉄道会社はもちろんのこと、個人経営の「鉄道博物館」なるものができていた。
- 地方中小私鉄でも自社発注車両が幅を利かせている。
- いくつかの中小私鉄で設計がある程度共通化されている。
- 伊豆急行の100系置き換え用にはJRや東急の中古車ではなく、自社発注・独自設計の新型車が投入されていた。その車両には転換クロスシートが採用され、乗り入れ先のJR東日本区間(熱海-伊東)においても転換クロスの車両に特別料金なしで乗車できるようになっていた。
- すでに鉄道博物館には201系や205系や209系も展示されていた。あるいは地方や第二セクターや海外に移動して第二の人生を送っていたかも。(201系と205系は海外に移動しているのは史実通りだが。)
- リニア鉄道館にも311系が、京都鉄道博物館にも207系0番台や221系が展示されていた。311系や221系にも海外に譲渡されたものが多数ある他、221系の一部は富山地方鉄道に譲渡されて10020系などを置き換えていた。
- もしかすると古い車両を改良と改造し、LED表示機やLCDや自動放送が付き地方に移動していた可能性もある。特に205系や209系はかなりあり得そうだが。
- アルナ工機はアルナ車両にならず、武庫川車両工業は解散しなかった。
- 阪急や阪神が積極的に新車を投入するため。
- 東急車輛製造も総合車両製作所にならなかった。
- 285系交直流版が実現していた。
- 寝台列車は衰退せず、2000年代中盤には「トワイライトエクスプレス」に新型の客車が投入されていた。
- 長距離寝台列車が開業しており、札幌~鹿児島中央まで一本で行く寝台列車が出来ていたかもしれない。もちろん東海道本線・山陽本線方面。
- 夢空間も専用編成として作られていて、「カシオペア」「TRAIN SUITE 四季島」も10年早く登場していた。
- 寝台列車は衰退せず、2000年代中盤には「トワイライトエクスプレス」に新型の客車が投入されていた。
- 近鉄「しまかぜ」も現実より早く登場していた。
- 現実の伊勢志摩ライナーがしまかぜになっている。
- 小田急50000形VSEは1996年に登場していた。また、同時期に登場した30000形は史実とは異なって50000形をボギー車にしたような車両となり、愛称もMSEと名乗っていた。
- もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JRに書かれている内容のいくつかが実現していた。
- 「走るんです」は登場せず、JR東日本や関東私鉄は205系・211系準拠の車両を製造しつづけていた。
- むしろ、209系以降は国鉄車両みたいに長い寿命を持つ車両を製造していた。E233系の誕生は非常に遅れていた。
- 201系、205系、209系も中小私鉄に鉄道車両の購入や譲渡されており、現在も秩父鉄道に元国鉄車が走っていた。
- 首都圏を中心とする車両設計の標準化は行われず、現在でも鉄道会社各社が特色のある車両を導入している。
- 南海8000系は現実とは異なり、1000系をベースとした塗装車体になっていた。
- 通勤車両でも一部にクロスシートを設置するケースが増えていた。
- 京急も銀電が導入されることはなかった。
- そもそも普通列車用車両の質が低下することはなかった。701系やE127系はロングシートで製造されることなく、物議を醸すことはなかった。
- むしろ、209系以降は国鉄車両みたいに長い寿命を持つ車両を製造していた。E233系の誕生は非常に遅れていた。
- JRを中心とした特急形車両は前面展望可能な車両が主流となっていた。特にグリーン車。
- JR西日本の283系は史実よりも多く投入され、「オーシャンアロー」のみならず北近畿方面や「やくも」にも運用されるようになっていた。その結果287系は登場しなかった。
- どっちみち北近畿方面用に導入されてる気がする。
- JR西日本の283系は史実よりも多く投入され、「オーシャンアロー」のみならず北近畿方面や「やくも」にも運用されるようになっていた。その結果287系は登場しなかった。
- 液晶ディスプレイは21世紀が入る前に実現していた。209系から本格的に導入され、209系京浜東北線で試験テストを行っていた。後にE231系の導入は史実通りで、近郊型もLCDが導入されていただろう。
- 東武鉄道の液晶ディスプレイ進出は50000系の時点で本格的に導入されていた。トレインチャンネルような物も当然ある。
- 流石にこの頃になると、9050系の液晶タイプではなく山手線の液晶になっていただろう。まあ、不具合は無さそうだけど、イタズラはされていた可能性がある。
- 209系の時点で自動放送装置が採用されていたかもしれない。声は史実通り三浦七緒子とクリステル・チアリ。
- 普通列車のグリーン車導入は90年代後半から導入されていた。史実の東海道線、高崎線、宇都宮線、常磐線、横須賀線・総武快速線湘南新宿ラインに加えて当初から中央線にも導入されていた。
- 現在は埼京線、武蔵野線、京葉線、京浜東北線、常磐快速線、横浜線、南武線辺りもグリーン車が導入されていた。
- 仙台地区にも半室グリーン車(クロハE721?)が登場していた。仙石線にデュアルシート車は登場せず、代わりに半室グリーン車が登場していた。
- 大阪環状線の新車導入は2000年代前半に行われていた。車両は223系か。103系と201系はこの時点で別の所に移動していただろう。
- むしろ4扉の207系あるいはその改良型が投入されてそう。
- 少なくとも日本製の鉄道が海外の鉄道に導入される事が多くなっていた。中国製の鉄道導入などは当然あり得ない。
- 現実以上に多様な国の環境に合った車両が開発されるため国内用車両へのフィードバックも期待できた。
- ひょっとすると鉄道にトイレの設置が義務付けられていたかもしれない。しかし色々問題があり、短期で廃止されていた可能性がある。
- 半自動ドアの鉄道は完全廃止になっていた。何処の場所に行っても自動ドアばかりになっていただろう。
- むしろ押しボタンで開閉するタイプのドアが現実以上に普及していた。
- E993系の「ACトレイン」は今でも運転されており、現在も次世代旅客サービスを開発されていただろう。E233系やE235系にも史実には無い機能を持っていたかもしれない。
- 天井に情報表示装置が組み込まれていた。恐らくE233系かE235系辺りに実現していた。もちろんこの実現で中吊り広告は廃止されている。
- それ以前に209系のWVTIの液晶ディスプレイが実現しているため、天井にはWVTI(トレインチャンネル?)と情報表示装置が組み込まれていた。
- 収納座席も実現しており、ラッシュ時の立客を防いでいただろう。また収納座席は史実では2席しか無かったが、実現時には4席出来ていただろう。
- グリーン車にインターネット端末が実現されていた。もちろんLAN無線なのでニンテンドーWi-Fiも出来ているはず。
- 「JRでDS」というコンテンツが出来ていたかもしれない。JR東日本は任天堂の公式スポンサーなので。
- ということは、車内無料Wi-Fiが当たり前ってことか。
- E235系は車内の端にも液晶ディスプレイが組み込まれていた。E235系は液晶だらけになっており大規模デジタルサイネージ化されていたかもしれない。
- 車内の端の液晶はタッチパネル式にする構想も出てくるが、色々問題があり構想のまま消えていたかもしれない。
- 天井に情報表示装置が組み込まれていた。恐らくE233系かE235系辺りに実現していた。もちろんこの実現で中吊り広告は廃止されている。
- E233系2000番台のLCDは一つしか設置される事は無く、当初からトレインチャンネルも導入し、最初から2画面になっていた。
- 東武60000系に関しても同様。
- 一部のJR鉄道が電化されていた。本数もやや多くなっており、直通運転も存在していた。
- 八高線は209系と205系が八王子~高崎を走っており、八王子発高崎行きが復旧し高崎線のバイパスになっていた。
- 烏山線は宇都宮線直通であり、E231系とE233系と211系が運転されていた。EV-E301系「ACCUM」は無かったか、別の路線で運転されていた。
- JR西日本広島支社はとっくに新車だらけになっていた。国鉄車だらけになる事は無かっただろう。
- デザインは223系の顔に、忠実の227系の塗装?
- 関西圏の103系も殆ど絶滅危惧種。
- 関西私鉄の車両の置き換えも関東並みになっていた。
- 車内の防犯カメラは埼京線だけではなく、山手線や京浜東北線や武蔵野線などにも導入されていた。埼京線のマナーは史実よりも良くなっており、LCD破壊事件も無かったかもしれない。
- 徳島県が47都道府県で唯一鉄道が無いと言われる事は無かっただろう。気動車は見かけづらくなり、高徳線辺りが電化していた。
- 長野地区や新潟地区でもE231系とE233系が見かけていたかもしれない。前者なら上野発軽井沢行きが出来そうな気がする。
- 静岡地区もE233系やE231系が見かけている。沼津行きどころか静岡行きまで出来ていたかもしれない。もっともJR東日本とJR東海の仲良くなっていたらの話だが。
- オリエント急行の来日運転が毎年行われていた。
- むしろオリエント・エクスプレス・ホテルズ社が日本用の「ジャパン・オリエント・エクスプレス」(仮)などという豪華列車をデビューさせていた。
- JR東日本はバブル崩壊後資金不足になる事はなく、製作費用を安くしようとする事は無く、209系以降も柔らかい座席で窓ガラスにカーテンが付いていただろう。
- 209系の誕生する際、説明文に「寿命半分」と書く事は無かっただろう。当然「走ルンです」や国鉄厨も存在しなかったはず。国鉄厨はあっても史実ほど居なかったと思う。
- 車両計画がいい加減になることもなかった。
- 103系は当初の目標通りに2005年度中に全廃することができていた。常磐線快速と仙石線の103系が暫定的に残留することもなかった。
- JR九州も同様であり、キハ200系は線区ごとに車種統一され、在来車と並行して運用することもなかった。
- 香椎線のキハ200系が指宿枕崎線に転用されることもなかった。
- 筑肥線の103系も全廃に追い込まれていた。
- というか、JR東日本の施策自体がやる気がないモノになることはなかった。よって、ここに書かれているいくつかの施策にも意欲的になっていた。
- JR西日本もJR東日本並みに古い車両を置き換えられ、場合によってはJR西日本も車両形式名の頭にWが付いていたかもしれない。
- 車内の防犯強化や生活が現実よりも豊かになっているので、新車が破壊される事は無かったはず。LCD破壊、ステッカー切り裂きも当然無い。
- 土佐電のように海外の古い車両を購入して走らせる私鉄が続出。
- ドレミファインバータを導入する私鉄も増えていたかも。
- 水戸岡デザインがもう少し豪華になっていた。
- 例:800系全車両の妻壁に金箔、305系の全車両の床が木。
- JR東日本の車両の質が下げることはなかった。
- E217系は転換クロスシート案が採用されていた。
- グリーン車が4列シートになることもなかった。
- デュアルシートが近郊型電車に導入されていた。もちろん追加料金なしで。
- 伊豆急は1990年代以降もリゾート21を導入し続けていた。
- JR113系や東急8000系の中古車を購入することはなかった。
- 有料特急専用仕様車も登場していた。
- 京阪5000系の後継となる2代目の5扉車が2010年代に入って登場していた。もちろん座席昇降装置完備で。
模型
- TOMIXの全車両がハイグレード仕様になる。
- マイクロエース製品は全て国内で生産されている。
- KATOは103系一般型とキハ20をリニューアルしていた。
- 東京堂モデルカンパニーや河合商会は倒産しなかった。
- 学研やエンドウもNゲージから撤退しなかった。
- 学研やエンドウのNゲージ撤退はバブル崩壊以前に撤退したのですが。
- 学研やエンドウもNゲージから撤退しなかった。
- 全国展開する模型店が増えていた。
- TOMIXの製品は追加された形式への対応がおざなりになることはなかった。
- サハ208形は登場直後に製品化されていた。
- アーバンライナーや253系も登場時の編成のままで放置プレイされることはなった。
- E217系も同様だった。
- 300系も増結セットが発売当初から製品化されていた。
- TOMIXの製品ラインナップは国鉄型車両に偏重することはなかった。
- 私鉄においても通勤形も精力的に製品化していた。
- JR特急形も積極的に製品化していた。
- 西武5000系やEF64 1000番代などが絶版になることはなかった。
- KATOの京急800形も絶版になることはなかった。
- 東北、四国、九州地方の新型車両も積極的に製品化していた。
- その分、マイクロエースが力を入れることはなかったかも。
- 特に東北と四国は「Nゲージが不毛」と言われることもなかった。