もし任天堂のゲームハードが○○だったら
2014年7月3日 (木) 21:57時点における>無いですによる版 (全部は必要なし)
スーパーファミコン
FC・SFC両用ファミコンが発売されていたら
ファミコン・スーパーファミコンの製造が打ち切られた2003年秋から出回っている「ファミコン互換機」ですが、その中には任天堂からは発売されなかった、ファミリーコンピューターとスーパーファミコンの両方のカートリッジを1台で楽しめる機種が出回っています。
もし、任天堂がファミリーコンピューターとスーパーファミコンを1台で楽しめるファミコンを発売していたら?
- 価格はスーファミの定価+10,000円ぐらい。
- 1993年までに発売されていたらニューファミコンは発売されなかった。
- いわゆる「ファミコン互換機」について、任天堂が取締りを強化していた。
- 地デジのご時世になってRF接続で苦しむ必要がなくなった。
- AVファミコン涙目w
- スーファミコントローラでファミコンをやるとき、ABボタンはそのままABだがXYはそれぞれABボタンの連射となってジョイカードいらず。
- あとⅡコンのマイクはLとR同時押し。
- スーファミでファミコン周辺機器を使うアダプタも登場したが、ジョイカードは先述のSFCコントローラに、ファミリーベーシックはバッテリーバックアップに、光線銃はスーパースコープに取って代わられ引退。
スーパーファミコンが1989年に発売されていたら
スーファミは1990年11月に発売されましたが、当初は1989年中に発売予定でした。何度か延期されて実際の発売日まで延期されましたが、もし予定どおり1989年中に発売されていたら…
- 「ドクターマリオ」や「ヨッシーのたまご」のSFC版が出ていた。
- ドクターマリオはニンテンドウパワー書換専用でスーファミでも出てました。お間違えのなきよう。
- あくまでニンテンドウパワー書換専用ではなく、ROMカセットで出ていたという意味です。
- ドクターマリオはニンテンドウパワー書換専用でスーファミでも出てました。お間違えのなきよう。
- ディスクシステムは実史以上に衰退が進み、ソフト供給は1990年7月頃に終了し、ディスクライターも1991年10月頃には消滅していた。
- SCEとの交渉結果が変わっていた可能性もあり。
- 当時はCDの弱さがさらにデメリットだったため、提案なんかされず、よって蜜月状態は解消されない。
- セガやNECが失敗騒動をしまくって、ある程度時期が経って、ようやく光ディスクの質が整い、スーファミようプレステが販売される。
- 一部のファミコンソフトがスーパーファミコンに変更して発売される
- 「ドラゴンクエストⅣ」はスーパーファミコンで発売されていた。
- 大容量を生かし、イベントなどが増えていた可能性も。
- 現実には没になったモンスターも普通に出てくる。
- AIの作戦に「めいれいさせろ」が追加されていた。
- 大容量を生かし、イベントなどが増えていた可能性も。
- コナミのスーパーファミコン参入第1段は「グラディウスⅡ」だった
- FC版「パロディウスだ!」は発売されず最初からスーパーファミコンで発売されていた
- PCE版は発売しなかったかも知れない
- SFC用のドラえもんゲームシリーズの第1作目は「のび太と妖精の国」ではなく「ギガゾンビの逆襲」だった。
- FC版は発売しなかった。
- そのため「のび太と妖精の国」は第2作目に変更された。他の作品も徐々にずれた。
- 第4作目「のび太と月の王国」はプレイステーションで第1作目として発売された。
- 「魔界のダンジョン」は存在したかどうかは微妙。
- 第4作目「のび太と月の王国」はプレイステーションで第1作目として発売された。
- そのため「のび太と妖精の国」は第2作目に変更された。他の作品も徐々にずれた。
- FC版は発売しなかった。
- 他の任天堂ハードも1年ずつ早まっていたかもしれない(NINTENDO64=1995年、ゲームキューブ=2000年、Wii=2005年、Wii U=2011年)。
ニンテンドウ64
CD-ROM形式だったら
- 任天堂とソニーの決別はなかった。
- PS本体も史実以上に大ヒット。
- 仮にソニーと決別しても、後継ハードの売り上げはPSをしのげなくとも現実より売り上げはよかった。
- スターフォックス64はロムカセットの容量の少なさからボイスデータを圧縮してできた雑音を無線の通信のように仕立てるというテクニックが使われたがそれは行われなくなる。