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ここでは「DEATH NOTE」の登場人物以外が拾った場合の反応を考えます。「DEATH NOTE」の登場人物は[[もし夜神月以外の人物がデスノートを拾っていたら]]へどうぞ。
新規追加は50音順でお願いします。
== 実在する人物 ==
==芸能人==
===大石内蔵助===
===愛河里花子===
#直ちに「吉良上野介義央」と書き込む。
現実は1967年10月7日生まれ。
#*もちろん死因は「大石内蔵助義雄に首を斬られて」。
;1967年(10月7日以外)生まれ
#**でもこれだと大石内蔵助義雄は心臓麻痺で即死するから叶わない。
#「42107」(しにとおない)ネタは生まれなかった。
#*キラになるのではなく、キラを殺すわけですね。
#*ただし7月31日は別。
#**4月17日ならまた別のネタになっていたが。


===たむらけんじ===
===安室奈美恵===
#東京で売れてる芸人の名前を全て書き込む。
*現実には1977年9月20日生まれ
#*但しムーディー勝山は書き込まない。じきに消えるから。
;1978年生まれ
#*陣内智則も。
#浜崎あゆみや椎名林檎と同い年になるので、1978年生まれは女性歌手の当たり年となっていた。
#炭火焼肉たむらに苦情を訴えた人のうち、店のアンケート等で本名が分かっている人の名前も全て書き込む。
#*現実以上に彼女らと比較されていた。
#結婚・妊娠が現実通りだったとしたら、未成年の19歳ということで現実以上に大騒ぎとなっていた。


===島田紳助===
===岩田光央===
#「明石家さんま」と書き連ねる。
現実は1967年7月31日生まれ。
#*撃っても罪にならない銃があるなら、6発中5発はみのもんたと本人が発言していたぞ。
;1967年(7月31日以外)生まれ
#「42731」(しになさい)ネタは生まれなかった。
#*ただし10月7日は別。


===明智光秀===
===植木等===
#「織田信長」と書くだろう
植木等は1926年12月25日(大正天皇崩御の日)に生まれたが、出生届を出し忘れたため戸籍上とは2ヶ月以上差がある。
#*そして死の寸前に妻夫木聡くんのもとにやってくる信長さん([http://www.tokyo-gas.co.jp/channel/200ch/ 参考])
;1927年2月25日生まれ
#戸籍遅れで彼の父が罰金を食らうことはなかった。
#昭和元年生まれの有名人が一人減る。


===ジョージ・W・ブッシュ===
===梅田彩佳===
#「…書ききれない」とわめき出すかも?
*現実では1988年度(1989年1月3日)生まれ。
#*とりあえずビン…、金…から書き始めて…、
;平成(1月8日以降)生まれ
#ところが名前のつづりを間違えてしまい効果なし。
#この場合もAKBグループに昭和64年生まれはいなかった。
#「サダム・フセイン」と書いた。
#(NMBに移籍した場合、)NMBに昭和生まれはいなかった。
#*内容は「サダム・フセインが48時間以内に撤退し、亡命先で心臓麻痺で死ぬ」
;1989年度生まれ
#*戦争もしないで石油の利権が手に入ったので、支持率が90%になった。
1989年4月2日以降に生まれていたら?
#AKBグループに昭和64年生まれのメンバーはいなかった。
#AKBにおいては倉持明日香以外の1989年度生まれのメンバーが増えていた。
#史実どおりにNMBへ移籍ならNMBに昭和生まれのメンバーはいなかった。


===リンドン・ジョンソン===
===押切もえ===
#ジョン・F・ケネディと書いていた。
*現実では1979年生まれ
#*見事ケネディ暗殺は謎に包まれた。
;1981年生まれ
#同年に「萌」の漢字が人名用漢字に採用されたため「押切萌」と漢字表記になっていた可能性もある。
#現実ほど蛯原友里(現実には同じ1979年生まれ)と比較されることはなかったかもしれない。
#*「エビもえ」という言葉も生まれなかったかも。


===東条英機===
===香里奈===
#総理期はルーズベルト。
*現実では1984年2月21日生まれ
#*その後、トルーマンを書く。
;1984年度生まれ
#**もちろん、たとえ敵国の指導者を粛清できても、敵国の工業力の優位を逆転することは不可能というのを理解するのは、ずっと後のことであった。
#1983年度生まれの女優のラインナップがさらに地味なものになっていた。
#同じ1984年度生まれの女優ということで栗山千明とよく比較されていた。


===高杉晋作===
===工藤静香===
#老中小笠原道行を書く。
*現実では1970年4月14日生まれ
#*ついでに徳川家茂を書く。
;1969年度生まれ
#同学年のアイドルである中山美穂・浅香唯・森高千里とはライバル同士として張り合っており、同時に比較されていた。
#*特に中山美穂や森高千里とは現実以上に仲がよかったかも。
#**その反面酒井法子(1971年2月生まれ)とは仲良しにならなかったかもしれない。
#おニャン子クラブへの加入が現実よりも早かったかも。
#キムタクとは結婚していなかったかもしれない。


===[[民主党]]の政治家===
===佐々木希===
#[[自由民主党]]の政治家の名前を書く。
*現実では1988年2月8日生まれ。
#*麻生首相は例外。
;1988年度(1988年4月2日以降)生まれ
#*谷垣総裁も例外。
#1988年生まれではなく'''1988年度'''生まれということで、現実以上に同学年の新垣結衣・戸田恵梨香・堀北真希・吉高由里子などと比較されていた。
#*今は安部総裁
#*逆に同学年(1987年度生まれ)の木下優樹菜とは現実ほど仲が良くならなかったかも。
;1988年2月4日生まれ
#同姓の俳優である佐々木蔵之介と同じ誕生日でしかもちょうど20歳違いということが話題になっていた。


===織田信長===
===ザ・たっち===
#ブッシュ同様「書ききれない」と言い出す可能性。<br>とりあえず顕如、朝倉義景、武田信玄…等から書き始める。
史実では1982年11月10日生まれ。
#*しかし、実際に顔を見たことがないので効果はなかった。
;1984年?以降生まれ
#史実では上杉和也事故死以前に生まれたため「拓也」「和也」だったが、この場合かずやも名前を変えていた(「勝也」など)。
#*場合によっては全く別の名前になっていたかも。
#*それでも兄が達也になるかは微妙なところ。


===やしきたかじん===
===志田愛佳 <!--(欅坂46)--> ===
#少なくとも東京で売れてるミュージシャンは書いている。
史実では1998年11月23日生まれ。
#[[日本テレビ|在]][[TBS|京]][[フジテレビ|キー]][[テレビ朝日|局]](何故か[[テレビ東京]]は含まれず)と[[朝日放送]]、[[NHK]]の関係者も。
;1990~91年度生まれ
#年齢的にはNegiccoに入っていただろう。
#その後Negiccoを卒業して入ったアイドルグループはAKB48か乃木坂46だったかもしれない。


===井伊直弼===
===篠田麻里子===
#吉田松陰らの名前を書く。
史実では1986年3月11日生まれ。
#*しかし、後に桜田門外でノートを落とし、それを拾った水戸藩の浪士に名前を書かれてしまう。
;1986年度生まれ
#AKB48時代においてメンバー組閣後に最年長であることは史実と変わらない。
#沢尻エリカ、上野樹里、北川景子、石原さとみ、井上真央などとともに1986年度生まれ一員として名を馳せていた。
#*1986年度生まれは女性芸能人にとっての黄金世代と呼ばれていた。


===金正日===
===関根勤===
#ブッシュ前大統領と小泉元首相、李明博韓国大統領は確実。
史実では1953年8月21日生まれ。
#独裁政治を批判した人民の名前。
;1950年以前
#しかし、ハングルには対応してなくて涙目。
# 「森田一義アワー 笑ってもいいとも!」 (フジテレビ系) には番組開始当初 (1982年) から出演していた。
#*途中でタモリの代理司会を担当することがあったかも。
;1962年8月21日
#同じ名前の宮崎勤と生年月日が同じことで散々ネタにされていた。
#*宮崎勤事件の際に何らかのコメントをしていた。


===ボビー・バレンタイン===
===瀬奈じゅん===
#自分を弾圧しようとしている米田容子の名前を書く。
;1974年度生まれ
史実では彼女の生年月日は1974年4月1日ですが、もし彼女が史実より1日以上遅く生まれていたら?
#史実通り宝塚の入団が1992年だったら大空祐飛がトップになれたか怪しい。<!--中卒で宝塚に入ったことになり、大空も中卒なので。-->
#*大空祐飛がトップになれずに退団した場合は壮一帆や北翔海莉もトップにならずに宝塚を去っていた。
#彼女がぎりぎりで宝塚に入団できる1995年に入団していたら史実で男役トップになっている真飛聖か大和悠河のどっちかが危うい状態になっていた。
#*新人公演主演の回数が増えていたかも。


===東原亜希===
===滝沢秀明===
#…すでに持っているので逆効果かもしれない。
;1982年度生まれ
#*デスブログvsデスノート。
滝沢秀明は昭和57年3月29日生まれですが、もし現実より4日以上遅く生まれていたらどうなっていたのでしょうか?
#**むしろデスブログ+デスノート
#ジャニーズの昭和57年度生まれが相葉雅紀の一人勝ちになることはなかった。
#*昭和58年4月2日以降に生まれていた場合は結局変わらないけど…(「現実より4日以上遅く生まれていたら」なので、昭和58年度以降に生まれた場合も含まれる)
#「タッキー&翼」が結成されず、最初からソロで活動していたかもしれない。
#*相葉雅紀とユニットを組んでいたかもしれない。
#「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」のキャストは史実と違っていた。
#*唯役は1983年度生まれ以降の女優、遥役は1982年度生まれの女優が起用されていた。
#**史実で唯役は深田恭子であるが、深田恭子では同年代になってしまうため。
#***水川あさみあたりが起用されていたかも。
#シニア向けヘアカラーのCMに出演することはなかった。


===ウラジーミル・プーチン===
===竹内結子===
#自分を批判するものを次々書いた。
;1980年度(1980年4月2日以降)生まれ
#*また死に方もさまざまな方法で書いた。
現実では1979年度(1980年4月1日)生まれ。
#1980年生まれではなく1980年'''度'''生まれの一員となっていた。
#少なくとも、広末涼子、田中麗奈、優香などと並び称される存在になっていた。


===長野智子===
===夏川純===
#冤罪被害者を裁いた裁判官の名前を書いた。
;1983年度生まれ
#*またそれらに関係する警察官、検察官の名前も書いた。
現実は1980年度生まれですが、事務所の戦略で1983年度生まれに詐称していた時期がありました。もし、本当に1983年度生まれだったら?
#*見事冤罪は減った。
#年齢詐称は起きなかった。
#グラビアから手を引くことはなかった。


===西谷文和===
===中山忍===
#「ジョージ・W・ブッシュ」、「ジョージ・H・W・ブッシュ」と書いた。
;1973年度生まれ
#*ブッシュ政権の閣僚の名前も書いた。
現実では1973年1月18日生まれ。
#松嶋菜々子、宮沢りえ、篠原涼子などのライバルとして張り合っていた。
#史実より地味な存在になることはなかった。
#*仕事も2時間ドラマに留まらず連ドラでの仕事にも恵まれていた。


===アレックス・ファーガソン===
===中山美穂===
#ベッカムの名前を書いた。
;1970年度生まれ
#プレミアリーグの主審も何人か書いた。
現実では1970年3月1日生まれ。
#ファンニステルローイの名前も書いた。
#1970年度生まれということで同学年の工藤静香、永作博美、加藤貴子、和久井映見、渡辺満里奈などといい意味で比較されていた。
#レアルへの移籍発表直後にC.ロナウドの名前を書いた。
#*特に永作博美とは同学年ながらルックスでのギャップの大きさが比較されていた。
#ベンゲル、モウリーニョといった他クラブの監督の名前を書いた。
#**永作が20代の頃、ドラマで女子高生役を演じた時には10代で母親役を務めた中山と比較されていた。
#10代で主婦キャラを演じることはなかった。
#*「ママはアイドル」「若奥さまは腕まくり」はなかった。よって、後藤久美子がブレイクすることもなかった。
#**後藤久美子はCMでもそれなりに注目されていたので史実と違った形でブレイクしていたかも。


===ナンシー関===
===橋本環奈===
#野島伸司の名前を書いた。
;1999年度生まれ
現実では1999年2月3日生まれ
#活動面においてはほぼ現実と変わらなかった。
#史実でRev.from DVLが解散した時には1999年度生まれのジンクス通りになっていた。
#*大橋のぞみ、吉田里琴(現・吉川愛)の二の舞になっていた。
#浅川梨奈のライバルとなっていた。
#*自身も対抗してグラビアに進出。


===金平桂一郎===
===福田充徳===
#間違いなく亀田史郎と書く。
;1985年生まれ
#彼の名前「充徳」は当時一万円紙幣の肖像だった聖徳太子に因むものだが、この頃には福澤諭吉が定着してくるので名前も福澤に因んだ「充吉」になっていたかもしれない。
#*ジャルジャルの福徳と混同されることもなかった。


===関塚隆===
===松平健===
#家本政明の名前は間違いなく書かれている。
;1684年度生まれ
#マルクス、フッキの名前も書いていた(両者共に対立、他クラブへ移籍)。
#紀州藩主の子供…… ではなく尾張藩領に生まれて徳川継友を暗殺して、八代将軍継友になり変わってたかもしれない。
#将軍になっていたら、江戸の町を出歩いて色々やっていたかもしれない。
#*その目的は、江戸庶民に対する辻斬りや闇討ちによるストレス発散。


===浅井昭衛===
===横浜流星===
#池田大作の名前を書いた。
*現実では1996年9月16日生まれ。
;1993年3月31日以前
#[[横浜DeNAベイスターズ|DeNAベイスターズ]]との因果関係は定かではないが、現在の 「ベイスターズ」 の名前になったのが1993年4月1日のことなので、もしかしたら 「流星」 という名前になっていなかった可能性がある。
#*「大洋」なら史実以上にネタにされていた。


===自称久喜市民===
;1998年10月26・27日
#鷲宮神社に行き、絵馬に書かれている名前をすべて書き込んだ。
#名前の由来は 「10月26日にベイスターズが日本一になったから」 ということになっていた。
#*が、大半はSNSのハンドルネームやアニメキャラだったためほとんど不発。


===ひろゆき===
===渡辺麻友===
#「としあき」と書いた。
*現実は1993年度(1994年3月26日)生まれ。
=== 阪神ファン ===
;1972年度生まれ
#[[読売ジャイアンツ|巨人]]の選手や監督の名前を書いた。
『さばドル』では38歳の高校教師が年齢を21歳詐称して渡辺麻友として活動していましたが、もし、現実(1993年度生まれ)より21年早く生まれていたら?
#乙女塾に加入していた。
#史実通りプロダクション尾木所属ならCOCOやribbonのメンバーと何らかの関係を持っていた。
#ソロ曲はポニーキャニオンからリリースしていた。
#1990年代半ば頃には脱アイドル化し、声優か漫画家に転向していた。
#『戦う!書店ガール』の亜希役は別のAKBメンバーがやっていた。
#(本当に年齢を詐称してAKBに入っていたら、)頭脳派アイドルとして活動していた。
#*発覚した時は騒ぎになったものの、(実年齢に見えないと言われて)発覚後も美魔女アイドルとして人気を博していた。
#*その前に(高校教師時代から)かわいい先生として人気だったかもしれない。


==他の作品のキャラクター==
==スポーツ==
===秋山澪===
===浅田真央===
#デスノートと知って気絶する。
*現実では1990年9月25日生まれ
#焼き捨てる。
;1990年6月30日以前生まれ
*参考:[[もしあの年の冬季オリンピックが○○だったら#浅田真央が特例で出場していたら|もし浅田真央が特例でトリノオリンピックに出場していたら]]
#年齢制限をクリアしてトリノオリンピックに出場していた。
#メダルを獲得し、平成生まれ初のオリンピックメダリストになっていた(史実では北京オリンピックの中村美里)。
#*場合によっては平成生まれ初の金メダリストが8年早く誕生していた(史実ではソチオリンピックの羽生結弦)。
#**その場合荒川静香の金メダルはなくなるため、一部のフィギュアスケートファンの間でしか記憶に残らない選手になっていた。


===風魔小太郎(無双)===
;1989年生まれ
*とりあえず現代にいたらと過程して考えます
#キム・ヨナとの1990年生まれ最強世代は形成されなかった。
#拾った時に取りあえずニュースに出た人の名前を書いてみる
#*キム・ヨナとの比較が減っていた。
#*当然書かれた人は死亡し更に人の名前を書いて実験
#*結果、世界をデスノートで混沌の世界にしようとする事を目標にする
#手始めに風魔が北朝鮮狩りを始める
#*北の将軍様は死亡、北朝鮮は文字通り混沌の世の中になる
#風魔が国会議員に立候補し当選
#台湾に侵略した中共をデスノートで手助けする
#*しかしその後、風魔が裏切ってデスノートの力で中国を崩壊させ複数の国に分裂
#国連もデスノートの力で崩壊させる
#ロシア・インド・インドネシアも無政府状態に陥り結果国自体が大分裂する
#欧州連合も風魔の策略で崩壊
#ついにはデスノートでアメリカを崩壊させてしまう
#最終的に世界の大国は日本だけとなり日本が超大国となり風魔は首相に就任する


===上条当麻===
===井岡一翔===
#右手で拾ったらその瞬間効力を失う、
*現実では1989年3月24日生まれ
#(左手だったら)インデックスを襲ってくる敵の名前を書く。
;1988年生まれ
#*でもやっぱり効かない?
#平成生まれ初の世界チャンピオンは亀田和毅だった。
#ボクシング界のハンカチ世代と呼ばれた。
#*史実でも学年は1988年度生まれだが、どうも平成生まれであることを強調されがち。


===鬼塚英吉===
;1989年1月1日~1月7日生まれ
#バカなので有効に活用出来ない
#昭和64年生まれの世界チャンピオンは亀田大毅だけじゃなかった。
#英語も分からないので担当のクラスの生徒に使い方を教えてもらう
#この場合も平成生まれ初の世界チャンピオンは亀田和毅に。
#手始めに本当にデスノートの効力を確かめるため生放送で某国に外遊しに来ていた北の将軍様の名前を書く
#*テレビの目の前で突然倒れ、鬼塚は心の中で(エェェェェェェェェェ◎×△◆○▽!!!!!?)と思う


===ルルーシュ・ランペルージ===
;1989年度生まれ
#'''ブリタニア人を全員抹殺。'''
#高校卒業年に北京オリンピックが開かれるため、井上尚弥のように進学しなかったかも。
#*ブリタニア人全員とやったらナナリーや自分も死んでしまう事になりバッドEND。
#即効自分の父親の名前を書く


===春麗===
===石川遼===
#「ベガ(シャドルー総帥)」と書くんでしょう。
*現実では1991年9月17日生まれ
;全般
#松山英樹と同学年でなくなるため、比較されることはなかった。


===シン・アスカ===
;1988年生まれ
#当然'''キラ・ヤマト'''。
#野球のハンカチ王子斎藤佑樹と同い年になるため、史実以上に比較された。
#*死因はフリーダムごとエクスカリバー(モビルスーツ・ZGMF-X56インパルスの剣)で串刺し。
#*どっちかの影が薄くなっていた可能性も。
#次に'''アスラン・ザラ'''


===涼宮ハルヒ===
;1989年生まれ
#まず、「面白そうなノートを拾ったわ」などとSOS団全員に見せびらかす。
#ゴルフに限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
#まさか本当に効果があるとは思わずキョンの名前を書いてしまう
#*史実と同じ年齢なら2006年4月にプロ契約。
#40秒後キョンは心臓麻痺で死亡
#*もし下記の[[#辻本賢人|辻本賢人]]が平成生まれだったら、辻本に遅れてしまうが。
#*ニックネームでも有効だったっけ?
#1989年度生まれならハンカチ世代の1つ下になるため、1989年度生まれは「ハニカミ世代」と呼ばれ史実以上に定着。
#**無効です
#*史実では1991年生まれにその名がついたが定着しなかった。
#ハルヒはショックを受けて閉鎖空間を発生してしまう
#長門と古泉のがんばりで何とか抑える。
#自分の好きな者を殺してしまったことをきっかけに今までの自己中な性格を直すきっかけとなる
#*いや、キョンを追いかけ自分の名前を書いて自殺。そして他のSOS団メンバーにも巻き添えを食らわす。
#**長門は巻き添えにならないかもしれない。人間外って対象になるのか?
#***長門が機械なのか生物なのかで死ぬか死なないか変わると思われる。
#*むしろ、無意識のうちに不思議能力でキョンを生き返らせる。
#てか、朝倉が暴走したのもハルヒが適当に「朝倉涼子」って書いたからかも(爆)


===キョン===
===伊藤美誠===
#通常の精神状態ならまずだれも書かない。
*現実では2000年10月21日生まれ
#ハルヒの自己中にキレかけたとき(その被害者はキョン自身ではなくみくるあたり)ハルヒの名前を書く。
;1988年生まれ
#40秒後ハルヒは階段を踏み外し脳挫傷で死亡。
#2007年には既に日本代表として定着していたため、[[wikipedia:ja:School Days|School Days]]のあのキャラと名前が似ていることが話題になっていた。
#当然、キョンは茫然自失。
#*「美しい伊藤誠」と呼ばれている。
#*程なくノートに自らの名前を書き{{あきまへん}}。
#**「世界を制する」などとも言われてる。
#**その時、何て書いたかが映り、本名が明かされる。
#*本人に影響が出ていた可能性も。
#福原愛とともに1988年度生まれが卓球界の黄金世代と呼ばれていた。
#一方で同い年の有力選手が平野美宇のように名前の語呂が似ている選手じゃなくなるため、比較されることは減っていた。


===江戸川コナン===
;1994年生まれ
#真っ先に黒の組織の人間の名前を書く。
#上記と少し違ってSchool Daysのアニメが放送されたあとに台頭してくる。
#*本名わからんだろwコードネームだけじゃ。
#*「あのキャラと似た名前の卓球選手がいる」と話題になっていた。
#本名が分かっていない者には効かなかった。


===野比のび太===
===井上尚弥===
#試しにドラえもんに使ってみる。
*現実では1993年4月10日生まれ
#*しかし、ドラえもんはロボットなので効果無し。のび太はただのノートだと思い、ジャイアンとスネ夫を書く
;1986年度生まれ
#**その、一時間後、野比家にジャイアン、スネ夫死亡の電話が掛かり、のび太絶望。
#北京オリンピックを目指していた。
#「DEATH」という単語が読めずただのノートと思い込み普通に使いだす
#井岡一翔より先に世界王座最短奪取記録を更新していた。
#*そのうち使わなくなって放置→しばらくたってから思い出して鼻をかむのに使う
#日本人初の3階級制覇も亀田興毅ではなく井上尚弥になっていた。
#**リュークはどこ行った?


===銭形警部===
;1991年度生まれ
#とりあえずどこかに保管したらそのまま紛失するので効果なし。
#おそらくは大学進学してロンドンオリンピックを目指していた。
#亀田和毅と同い年になるため、ライバル意識がより高まっていた。
#*階級さえ合えば、マスコミが対戦機会を巡りより報道が過熱していた。


===海馬モクバ===
===宇佐美貴史===
#兄(瀬人)を殺害し、海馬コーポレーションをのっとる
*現実では1992年5月6日生まれ
;1989年・1990年生まれ
#1989年または1990年生まれが「プラチナ世代」と呼ばれた。
#*史実で使われた「新黄金世代」が定着して「プラチナ世代」という呼称は最初から存在しなかった可能性もある。
#ロンドンオリンピックでは主力選手になっていた。


===アレン・ウォーカー===
;1993年1月1日~4月1日生まれ
#師匠クロスの名前を書く。
#この場合も1992年度生まれが「プラチナ世代」と呼ばれただろう。
#*クロスの名前を書こうとするがマリアンのスペルが分からなかったのでノートを燃やした。
#*ただし1993年生まれの選手とも比較されていた。
#ノートを燃やした。


===坂田銀時===
;1993年度生まれ
#「デスノートじゃん!でも・・・・・くだらね」と言って投げ捨てる
#1993年または1993年度生まれが「プラチナ世代」と呼ばれた。
#*だが現在では「プラチナ世代」の呼び名は死語となり「リオデジャネイロ世代」と呼ばれている。
#**1992年生まれはロンドン世代の最年少でオリンピックの代表選手も少なかったことから「ロンドン世代」とは呼びにくかった。
#リオデジャネイロオリンピックの予選に出場するも、久保裕也のようにクラブの都合でオリンピックには出場できなかったかもしれない。
#Jリーグ開幕の年に生まれたことから学生時代の話題性や期待度は史実以上だった。


===富士原なえか===
===内村航平===
#コガラシさんの名前を書く。
*現実では1989年1月3日生まれ。
#*しかしメイドガイにそんなものが効くんだろうか・・・
;1988年生まれ
#名前は「航平」ではなかった。
#昭和生まれで最も若いメダリストではなかったかも。
#昭和64年生まれの有名人が一人減る。


===ナギ(かんなぎ)===
;平成(1月8日以降)生まれ
#「ざんげちゃん」を書き込む。
#この場合も名前は「航平」だろう。
#平成生まれ初の金メダリストになっていた(史実ではソチ五輪の羽生結弦)。


===キリコ・キュービィ===
;1989年度生まれ
#とりあえずはヨラン・ペールゼンやジャン・ポール・ロッチナ、秘密結社の面々の名前を書き込む。
#名前は「航平」・・・だったのかな?
#しかし、自分の名前を書いても'''死ねない'''。
#ロンドン五輪で金メダルを取っていれば、平成生まれ初になる。


===中岡元===
===大谷翔平===
#戦争指導者の名前を次々書いた。
*現実では1994年7月5日生まれ
#*昭和が30年ほど縮んだ。
;1968年度生まれ
#史上2人目の日本人メジャーリーガーは野茂英雄ではなく大谷翔平になっていた。
#メジャーリーグで日本人初のノーヒットノーランを達成するのも大谷翔平に。
#もしかしたらドラフトで前年の桑田真澄事件の二の舞が起きていたかも。
#*高卒後即メジャーリーグ挑戦を表明しながら、どこかに1位指名されたため入団。それが単独指名だった場合は密約疑惑が出て大揉めに。
#**清原和博のような被害者が出ないため桑田ほど問題にはならないだろうが。
#*当時の事情だったらメジャー入りのためにドラフトされても拒否して渡米って可能性も否定できない。
#名前は「翔平」じゃなかった。
#*当時は「翔」が人名用漢字になかったため(追加されたのは1981年)。


===ケロロ===
;1980年度生まれ
#デスノートを使い、ペコポン人を殺す
#入学したのは専大北上。
#*最終的に、侵略する。
#1998年の専大北上はベスト8以上まで進出していた。優勝はなさそうだが。
#さらに、夏美を書き込む
#*この年の専大北上は選抜にも出場していた。
#*ところが、見つかってしまい、殴られる。デスノート没収
#横浜高校と対戦していれば、史実の大谷翔平と藤浪晋太郎の関係が大谷翔平と松坂大輔になっていた。
#*ただこの年は横浜-PL学園の名勝負があったため甲子園での試合としてはそっちの影に隠れそうだが。
#名前は「翔平」じゃなく「大輔」だったかもしれない。


===ラインハルト・フォン・ローエングラム===
;1991年度生まれ
#「私はこんなやりかたで勝ちたいわけではない!」と言って焚書するので効果なし。
#同じ岩手県の菊池雄星と同い年になるが、どうも入学先は花巻東ではなく別の学校になりそう。
#*菊池と大谷のどちらかが甲子園に出場できなかったことになる。
#もし史実通り花巻東に進学していたら2009年は花巻東が東北勢初優勝を達成。場合によっては春夏連覇している。


===広野健太===
;1992年度生まれ
#こんなやり方はヒーローらしくない!!と一喝。
#花巻東に入学していれば菊池雄星の1つ後輩だった。
#2009年夏は花巻東が東北勢初優勝を達成できていた。菊池が怪我をしても大谷でカバー。
#*岩手県史上最強のチームになっていただろう。
#*決勝戦が日本文理との対戦だったら[[もしあの年の高校野球で○○だったら/2000年代#2009年夏|ここ]]に書かれてるように、9回2アウトランナーなしから日本文理に大逆転負けする悲劇を味わっていたかも。
#**怪我している菊池を無理に登板→追い上げられて大谷に交代も逃げ切れずという結末(史実ではこれが中京大中京の堂林と森本で起きた)。
#史実と同じで高3の最後の夏は甲子園に出場できなかっただろう。
#*ただ前年に優勝していれば、閉会式での高野連会長の「大谷が見たかった」の発言はなかったと思われる。
#入学したのが岩手県内の別の学校の場合、高校2年時は花巻東に負けて出場できないが、3年時は出場できていた。


===ラッキーマン===
;1995年度生まれ
#英語が読めないのでメモ帳に使ってたらラッキーで宇宙人を倒しちゃう。
#史実と同じ花巻東に入学。
#3年夏の甲子園に出場できたため、閉会式での高野連会長の「大谷が見たかった」の発言はなかった。
#*だが例のサイン盗みを行った世代だったことになる。
#**サイン盗みはなかったかもしれない。場合によっては2013年夏は花巻東が優勝してる。


===ばいきんまん===
===香川真司===
#(アンパンマンとその仲間)などをの名前を書く。
*現実では1989年3月17日生まれ
#*そして、結末はやっぱり月みたいになる。
;1988年生まれ
#子供が怖がり視聴率低下。
#平成生まれ初の日本代表選手ではなかった。
#*そしてPTAに「子供に見せたくない番組」に載せられる。
#*この場合誰になっていたんだ?(詳しい人頼む)
#サッカー界のハンカチ世代と呼ばれた。
#*1988年度生まれは野球のハンカチ世代に対しサッカーの香川世代と呼ばれた可能性も。
#**史実でも学年は1988年度生まれだが、どうも平成生まれであることを強調されがち。


===鹿目まどか===
;1989年1月1日~1月7日生まれ
#『魔女』の名前を書き込む。
#唯一の昭和64年生まれの日本代表になっていた。
#*唯一の昭和64年生まれのワールドカップ出場選手にもなる。
#この場合も平成生まれ初の日本代表は別の選手に。


===Mr.Minecraft===
;1989年4月2日以降生まれ
#「クリーパー」と書きこむ。
#2008年北京オリンピックの代表には選ばれなかった。
#*アテネオリンピックの平山相太の例もあるのでその限りではないが。
#史実通りクラブの都合で2012年ロンドンオリンピックにも出場できなければ、香川はオリンピックを経験してない選手になっていた。
#北京世代の本田圭佑や1988年生まれの森本貴幸、吉田麻也などと一緒にされることはなく、1989年生まれの清武弘嗣やロンドン世代の大迫勇也、酒井宏樹などと比較されていた。


===サトシ===
===金本知憲===
#「ムサシ」「コジロウ」「ニャース」と書き込む。
*現実では1968年4月3日生まれ
;1968年4月1日以前生まれ
#現実より学年が1つ上(1967年度生まれ)となるので、桑田真澄・清原和博と同学年となっていた。
#*現実以上にこの2人と比較されるようになっていた。
#*更にもし桑田が1968年度生まれだったら、桑田と金本の学年が逆転していたため、桑田は金本の後輩となっていた。
#*現実以上に1967年度生まれが当たり年と呼ばれている。
#2009年現在、この年度生まれでは唯一の現役選手となっていた。
#世代の呼び方が「桑田・清原・金本世代」となっていたかも。
#*もしかすると「KKKトリオ」が出来ていたかもしれない。
#誕生日が[[33-4|3月34日]]と呼ばれることもなかった。
#史実通り2016年に阪神の監督に就任していた場合、桑田の巨人監督就任、佐々木のDena監督就任もあり得たかもしれない。
#*'''アレに手を染めてなかったら'''清原の西武監督就任もあったかも。
#**オリックスの監督に就任していた可能性もある。


===ベジータ===
===亀田大毅===
#「孫悟空」と書き込む。
*現実では1989年1月6日生まれ
;1989年1月8日以降生まれ
#史実通り行けば平成生まれの世界チャンピオン第1号になっていた。
#*史実での第1号は井岡一翔。
#**その井岡一翔と、平成元年生まれで同じ大阪市西成区出身なので現実以上に比較されていただろう。
#昭和64年生まれのプロボクサーは1人もいなかったかもしれない。
#内藤大助戦の反則行為に対して、特に年配から「これだから平成生まれは…」などと蔑まされていた。


===ラスコーリニコフ===
===桑田真澄===
#リザヴェータを殺さずに済むところから始まり、『罪と罰』のストーリーが根本的に変わっていた。夜神月同様行き着くところまで進んだ可能性も。
*現実では1968年4月1日生まれ
;1968年4月2日生まれ
もし桑田真澄の誕生日が実際(4月1日)より1日遅れで4月2日だったら。
#清原とは学年が異なるためKKコンビは誕生しなかった。
#*1983年夏の甲子園のPL学園優勝は無かった。
#**1983年夏は池田が史上初の甲子園3連覇を達成していた。
#*高校野球人気もそこまで上がらなかっただろう。
#*幽☆遊☆白書の桑原和真も、違う名前になっていた。
#**金本が1967年度生まれだったら金原和憲とかかな?
#清原の後輩となるので、高校でつぶされた可能性も。
#*野手に転向した。
#清原をドラフト指名する球団が1球団増えていた。
#*清原が巨人に入団していた可能性も。
#金本知憲(桑田より2日あとの4月3日生)のコメントにおける桑田の他人称が「桑田さん」ではなく「桑田」(あるいは「桑田君」)になっていた。
#*桑田真澄が1968年4月2日以降生かつ、金本知憲が1968年4月1日以前生だったら、逆に桑田の金本に対する他人称が「金本さん」になっていた。
#昭和42年度生まれが「KK世代」ではなく、「清原世代」と呼ばれていた。
#*そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
#**昭和43年度生まれが「KK世代」になっていたかも(この場合もう1つのKは金本のこと)。
#清原は投手をしていたかも。
#*その為、逆に清原が巨人のエースピッチャーだったかも。
#1986年のドラフト1位指名は桑田、近藤、阿波野の3人で占められることになった。


==関連項目==
===柴崎岳===
*[[デスノートを入手したら|世界各国の人々の反応/デスノートを入手したら]]
*現実では1992年5月28日生まれ
*[[もしデスノートが実在したら]]
;1989年・1990年生まれ
#2012年ロンドンオリンピックに出場していた。
#*活躍次第では44年ぶりのメダルを獲得できていた。
#場合によっては2014年ブラジルワールドカップの代表にも選出。
#2015年ごろにヨーロッパに移籍。2016年のクラブワールドカップは鹿島アントラーズは決勝に進出できなかった。
#*決勝に進出していてもレアル・マドリードに史実以上の大敗。


[[Category:もしも借箱/漫画・アニメ|あのひとかてすのおと]]
;1993年生まれ
[[Category:デスノート|もしあのひとがひろったら]]
#2016年リオデジャネイロオリンピックに主力として出場していた。
#*活躍次第では決勝トーナメントに進出できていた。
#2012年のアジアユースにも出場。場合によっては2013年のU-20ワールドカップに出場できていた。
#一方で2018年ロシアワールドカップの代表には選ばれなかったかも。
#*その場合日本は決勝トーナメントに進出できなかった可能性も。
 
===高木美帆===
*現実では1994年5月22日生まれ
;1994年7月1日以降生まれ
#年齢制限によりバンクーバー五輪に出られなかった。
#*トリノに出られなかった浅田真央同様の議論が起こっていた。
#ただしソチ五輪には出場していた。
#*姉妹同時出場が4年早く実現していた。
 
;1994年4月1日以前生まれ
#浅田真央の件を引き合いに出されることはなかった。
#1994年度生まれのオリンピック金メダリストが1人減っていた。
 
===田中将大===
*現実では1988年11月1日生まれ
;全般
#斎藤佑樹と甲子園決勝で対戦することはなかった。
#*学年が斎藤佑樹の1つ下だったら田中将大の2年時に対戦していた可能性はあるが。
#*斎藤佑樹と比較されることもなかった。
 
;1980年度生まれ
#松坂世代の1人になってる。
#*こちらは田中将大がどれだけ活躍しても「ハンカチ世代」のように世代の盟主が変わることはなかっただろう。
#入学するのは関西の学校。PL学園あたりか?
#*それだと1998年夏の横浜は春夏連覇できず、PL学園が優勝していた。
 
;1987年度生まれ
#高校生ドラフトのときと変わらず1987年度生まれがプロ野球界の黄金世代と呼ばれていた。
#*ちなみに現実でも高3のドラフトのときは1987年度生まれが史上最大の豊作と言われていた。
#*最初から「田中世代」と呼ばれる。
#**「ハンカチ世代」と呼ばれることを田中将大が嘆くことはなかった。
#*だがプロ入り数年後には田中将大だけの世代になってる可能性が高いか。
#駒大苫小牧は史実通り夏の甲子園2連覇するが、3年目の2006年は初戦敗退、または南北海道大会で敗退して出場できなかった。
#*だが2005年の駒大苫小牧は選抜も優勝。史上5校目の夏春連覇と史上6校目(当時)の春夏連覇、そして史上初の甲子園3連覇を達成していたかもしれない。
#史実通り2005年夏の甲子園準決勝で大阪桐蔭と対戦していた場合、この学年における斎藤佑樹のポジションは辻内崇伸になる。
#進学したのが駒大苫小牧ではなかった可能性もある。
#*駒大苫小牧は2004年だけの一発屋になり、2005~2006年は別の学校が優勝している。
#2005年の高校生ドラフトでの交渉権獲得くじの間違いは田中将大で起きていた。
#*辻内みたいに批判される発言をすることはなさそうか。
 
;1989年度生まれ
#1989年度生まれがプロ野球界の黄金世代と呼ばれていた。
#平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己ではなく田中将大になっていた。
#駒大苫小牧は2005年は優勝できないが、2006年か2007年に優勝していた。
#*早稲田実か佐賀北のどちらかは優勝できなかった。
#*2005年は大阪桐蔭が優勝していたか。
#2006年の甲子園決勝で斎藤佑樹のいる早稲田実と対戦した場合、どちらが勝っても引き分け再試合にはなっていない。
#*この試合が名勝負として語り継がれることはなかった。
#*史実通り引き分け再試合になっていても、学年が違うためここまで2人が比較されることはなかった。
 
;1991年度生まれ
#この場合も多分駒大苫小牧に入学。
#*この1つ下(1992年度生まれ)からは一転して別の学校に入学になりそう。特に2007年は特待生問題があったし。
#駒大苫小牧は2004年の初優勝後、2005年はベスト8くらい、2006~2007年は低迷し南北海道大会で敗退するが2008年か2009年に2度目の優勝を達成した。
#*連覇は達成してないため「北海道勢初優勝を達成した学校」と「田中将大の母校」としてだけ語り継がれる。
 
;1994年度生まれ
#入学するのは別の学校になる。
#北日本の学校なら光星学院が有力か。史実では光星学院出身の坂本勇人と少年野球でのチームメイトで、こちらの場合は坂本の後輩になる。
#*それだと2012年夏は光星学院が東北勢初優勝を達成していた。
#*青森山田か東北という可能性も。
#**青森山田に入学してた場合は青森山田の低迷が遅れ、光星学院の低迷がもう少し続いていた。2011・2012年は青森山田が甲子園で上位進出している。
#関西の学校だと報徳学園が有力か。
#*大阪桐蔭だった場合は甲子園での戦績は史実とほとんど変わらない。
 
===辻本賢人===
*現実では1989年1月6日生まれ
;1989年1月8日以降生まれ
#平成生まれのプロ野球選手第1号になっていた。
#*野球に限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
#*平成生まれが2年早くプロに入っていた。
#福田秀平は平成生まれのプロ野球選手第1号にはならなかった。
#*ただし平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己になったことは変わらない。
#NPBに昭和64年生まれの選手は1人もいなかった。
 
===西岡利晃===
*現実では1976年7月25日生まれ
;1975年以前生まれ
#現役時代が史実通りなら、37歳定年を待って引退となっていた。
#*史実ではラストファイトが36歳と2か月強だったので、引退届を提出した。
 
===武藤嘉紀===
*現実では1992年7月15日生まれ
;1977年生まれ
#同い年の三都主アレサンドロとの比較であだ名が「ムントス」になっていた。
#*サッカー雑誌の4コマ漫画で村井慎二がこう呼ばれたことがある。
 
;1993年生まれ
#2016年リオデジャネイロオリンピックに主力として出場していた。
#逆に2018年ロシアワールドカップの代表には選ばれなかった。
#A代表にデビューしたのは2016年、海外移籍は2016年秋か2017年だった。
 
===森本貴幸===
*現実では1988年5月7日生まれ
;1989年1月1日~1月7日生まれ
#数少ない(唯一か?)昭和64年生まれのJリーガーとなり、さらに同時期にプロ野球選手になった同じ昭和64年生まれの辻本賢人と比較されていた。
 
;1989年1月8日~4月1日生まれ
#平成生まれのJリーガー第1号になっていた。
#*サッカーに限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
#平成生まれ初のJリーグゴール、Jリーグ最優秀新人賞も記録。
 
;1989年度生まれ
#こちらも平成生まれのJリーガー、Jリーグゴール第1号になっていた。
#*ただしそれぞれ記録が1年遅れる。
#2008年北京オリンピックの代表には選ばれなかった。
#*2012年ロンドンオリンピックに出場していた。
 
===山田哲人===
*現実では1992年7月16日生まれ
;1991年生まれ
#「平成3年」なのでトリプルスリーと絡めたネタになる。
#もし平成3年3月生まれなら学年は1990年度生まれになる。
#史実通り履正社高校出身なら2008年の選抜に出場していた。
#*一方で夏の甲子園には1度も出られなかっただろう。
#1992年度生まれのプロ野球選手は千賀滉大が台頭するまで不作の世代と言われた。
 
;1993年生まれ
#こちらも末尾が3なのでトリプルスリーと絡めたネタになる。
#2011年の選抜は履正社が優勝していたかもしれない。
#もし1993年3月生まれなら学年は現実と同じ1992年度生まれ。
 
;1958年(昭和33年)生まれ
#1980年代前半にトリプルスリーを達成していた。
#上記の平成3年or1993年生まれ以上に3が並ぶが、あまり話題にならなかったかも。
#*「トリプルスリー」が流行語になることはない。
#*簑田浩二と同じ1983年に達成していれば、こちらも末尾が3なので話題になったか。
 
==政治家==
===東国原英夫===
;1897年生まれ
#史実通り宮崎県知事になっていた場合、岩切章太郎と一緒に観光宮崎の発展に力を尽くした。
#うまくいけば内閣総理大臣になれた。
#*地元宮崎の交通事情の改善に手を入れ、2016年現在、陸の孤島と称されることはなくなっている。
 
==その他==
===泉重千代===
*誕生は1865年8月20日とされているが、最近では1880年生まれという説が有力。
;1863年9月9日(以前)生まれ
#最高齢の記録はいまだ破られていない。
;1868年9月8日生まれ
#最後の江戸時代生まれにはなっていない。
#*最後の江戸時代生まれは中山イサ(1866-1977)。
#*最高齢になったのも1977年になってからだった。
;1880年生まれ
#最高齢にはならず、105歳まで生きた人、として認識されたのみだった。
#*少なくとも住んでいた伊仙町では表彰されていただろう。
#徳之島の知名度はそれほどなかった。
 
===木村次郎右衛門===
*現実では1897年4月19日生まれ。
;1899年生まれ
#1899年生まれの男性長寿者が少ないということはなかった。
;1897年3月19日生まれ
*本来は3月19日生まれであるものの役所のミスで4月19日となったようです。
#ディーナ・マンフレディーニは存命人物の中で世界最高齢になることはなかった。
 
===徳仁===
;1960年2月19日生まれ
#イギリスのアンドルー王子と生年月日が一緒だけあって、その人と比較された。
 
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[[Category:歴史のif検討委員会 芸能史]]
[[Category:歴史のif検討委員会 スポーツ史]]
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2019年2月19日 (火) 16:54時点における版

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芸能人

愛河里花子

現実は1967年10月7日生まれ。

1967年(10月7日以外)生まれ
  1. 「42107」(しにとおない)ネタは生まれなかった。
    • ただし7月31日は別。
      • 4月17日ならまた別のネタになっていたが。

安室奈美恵

  • 現実には1977年9月20日生まれ
1978年生まれ
  1. 浜崎あゆみや椎名林檎と同い年になるので、1978年生まれは女性歌手の当たり年となっていた。
    • 現実以上に彼女らと比較されていた。
  2. 結婚・妊娠が現実通りだったとしたら、未成年の19歳ということで現実以上に大騒ぎとなっていた。

岩田光央

現実は1967年7月31日生まれ。

1967年(7月31日以外)生まれ
  1. 「42731」(しになさい)ネタは生まれなかった。
    • ただし10月7日は別。

植木等

植木等は1926年12月25日(大正天皇崩御の日)に生まれたが、出生届を出し忘れたため戸籍上とは2ヶ月以上差がある。

1927年2月25日生まれ
  1. 戸籍遅れで彼の父が罰金を食らうことはなかった。
  2. 昭和元年生まれの有名人が一人減る。

梅田彩佳

  • 現実では1988年度(1989年1月3日)生まれ。
平成(1月8日以降)生まれ
  1. この場合もAKBグループに昭和64年生まれはいなかった。
  2. (NMBに移籍した場合、)NMBに昭和生まれはいなかった。
1989年度生まれ

1989年4月2日以降に生まれていたら?

  1. AKBグループに昭和64年生まれのメンバーはいなかった。
  2. AKBにおいては倉持明日香以外の1989年度生まれのメンバーが増えていた。
  3. 史実どおりにNMBへ移籍ならNMBに昭和生まれのメンバーはいなかった。

押切もえ

  • 現実では1979年生まれ
1981年生まれ
  1. 同年に「萌」の漢字が人名用漢字に採用されたため「押切萌」と漢字表記になっていた可能性もある。
  2. 現実ほど蛯原友里(現実には同じ1979年生まれ)と比較されることはなかったかもしれない。
    • 「エビもえ」という言葉も生まれなかったかも。

香里奈

  • 現実では1984年2月21日生まれ
1984年度生まれ
  1. 1983年度生まれの女優のラインナップがさらに地味なものになっていた。
  2. 同じ1984年度生まれの女優ということで栗山千明とよく比較されていた。

工藤静香

  • 現実では1970年4月14日生まれ
1969年度生まれ
  1. 同学年のアイドルである中山美穂・浅香唯・森高千里とはライバル同士として張り合っており、同時に比較されていた。
    • 特に中山美穂や森高千里とは現実以上に仲がよかったかも。
      • その反面酒井法子(1971年2月生まれ)とは仲良しにならなかったかもしれない。
  2. おニャン子クラブへの加入が現実よりも早かったかも。
  3. キムタクとは結婚していなかったかもしれない。

佐々木希

  • 現実では1988年2月8日生まれ。
1988年度(1988年4月2日以降)生まれ
  1. 1988年生まれではなく1988年度生まれということで、現実以上に同学年の新垣結衣・戸田恵梨香・堀北真希・吉高由里子などと比較されていた。
    • 逆に同学年(1987年度生まれ)の木下優樹菜とは現実ほど仲が良くならなかったかも。
1988年2月4日生まれ
  1. 同姓の俳優である佐々木蔵之介と同じ誕生日でしかもちょうど20歳違いということが話題になっていた。

ザ・たっち

史実では1982年11月10日生まれ。

1984年?以降生まれ
  1. 史実では上杉和也事故死以前に生まれたため「拓也」「和也」だったが、この場合かずやも名前を変えていた(「勝也」など)。
    • 場合によっては全く別の名前になっていたかも。
    • それでも兄が達也になるかは微妙なところ。

志田愛佳

史実では1998年11月23日生まれ。

1990~91年度生まれ
  1. 年齢的にはNegiccoに入っていただろう。
  2. その後Negiccoを卒業して入ったアイドルグループはAKB48か乃木坂46だったかもしれない。

篠田麻里子

史実では1986年3月11日生まれ。

1986年度生まれ
  1. AKB48時代においてメンバー組閣後に最年長であることは史実と変わらない。
  2. 沢尻エリカ、上野樹里、北川景子、石原さとみ、井上真央などとともに1986年度生まれ一員として名を馳せていた。
    • 1986年度生まれは女性芸能人にとっての黄金世代と呼ばれていた。

関根勤

史実では1953年8月21日生まれ。

1950年以前
  1. 「森田一義アワー 笑ってもいいとも!」 (フジテレビ系) には番組開始当初 (1982年) から出演していた。
    • 途中でタモリの代理司会を担当することがあったかも。
1962年8月21日
  1. 同じ名前の宮崎勤と生年月日が同じことで散々ネタにされていた。
    • 宮崎勤事件の際に何らかのコメントをしていた。

瀬奈じゅん

1974年度生まれ

史実では彼女の生年月日は1974年4月1日ですが、もし彼女が史実より1日以上遅く生まれていたら?

  1. 史実通り宝塚の入団が1992年だったら大空祐飛がトップになれたか怪しい。
    • 大空祐飛がトップになれずに退団した場合は壮一帆や北翔海莉もトップにならずに宝塚を去っていた。
  2. 彼女がぎりぎりで宝塚に入団できる1995年に入団していたら史実で男役トップになっている真飛聖か大和悠河のどっちかが危うい状態になっていた。
    • 新人公演主演の回数が増えていたかも。

滝沢秀明

1982年度生まれ

滝沢秀明は昭和57年3月29日生まれですが、もし現実より4日以上遅く生まれていたらどうなっていたのでしょうか?

  1. ジャニーズの昭和57年度生まれが相葉雅紀の一人勝ちになることはなかった。
    • 昭和58年4月2日以降に生まれていた場合は結局変わらないけど…(「現実より4日以上遅く生まれていたら」なので、昭和58年度以降に生まれた場合も含まれる)
  2. 「タッキー&翼」が結成されず、最初からソロで活動していたかもしれない。
    • 相葉雅紀とユニットを組んでいたかもしれない。
  3. 「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」のキャストは史実と違っていた。
    • 唯役は1983年度生まれ以降の女優、遥役は1982年度生まれの女優が起用されていた。
      • 史実で唯役は深田恭子であるが、深田恭子では同年代になってしまうため。
        • 水川あさみあたりが起用されていたかも。
  4. シニア向けヘアカラーのCMに出演することはなかった。

竹内結子

1980年度(1980年4月2日以降)生まれ

現実では1979年度(1980年4月1日)生まれ。

  1. 1980年生まれではなく1980年生まれの一員となっていた。
  2. 少なくとも、広末涼子、田中麗奈、優香などと並び称される存在になっていた。

夏川純

1983年度生まれ

現実は1980年度生まれですが、事務所の戦略で1983年度生まれに詐称していた時期がありました。もし、本当に1983年度生まれだったら?

  1. 年齢詐称は起きなかった。
  2. グラビアから手を引くことはなかった。

中山忍

1973年度生まれ

現実では1973年1月18日生まれ。

  1. 松嶋菜々子、宮沢りえ、篠原涼子などのライバルとして張り合っていた。
  2. 史実より地味な存在になることはなかった。
    • 仕事も2時間ドラマに留まらず連ドラでの仕事にも恵まれていた。

中山美穂

1970年度生まれ

現実では1970年3月1日生まれ。

  1. 1970年度生まれということで同学年の工藤静香、永作博美、加藤貴子、和久井映見、渡辺満里奈などといい意味で比較されていた。
    • 特に永作博美とは同学年ながらルックスでのギャップの大きさが比較されていた。
      • 永作が20代の頃、ドラマで女子高生役を演じた時には10代で母親役を務めた中山と比較されていた。
  2. 10代で主婦キャラを演じることはなかった。
    • 「ママはアイドル」「若奥さまは腕まくり」はなかった。よって、後藤久美子がブレイクすることもなかった。
      • 後藤久美子はCMでもそれなりに注目されていたので史実と違った形でブレイクしていたかも。

橋本環奈

1999年度生まれ

現実では1999年2月3日生まれ

  1. 活動面においてはほぼ現実と変わらなかった。
  2. 史実でRev.from DVLが解散した時には1999年度生まれのジンクス通りになっていた。
    • 大橋のぞみ、吉田里琴(現・吉川愛)の二の舞になっていた。
  3. 浅川梨奈のライバルとなっていた。
    • 自身も対抗してグラビアに進出。

福田充徳

1985年生まれ
  1. 彼の名前「充徳」は当時一万円紙幣の肖像だった聖徳太子に因むものだが、この頃には福澤諭吉が定着してくるので名前も福澤に因んだ「充吉」になっていたかもしれない。
    • ジャルジャルの福徳と混同されることもなかった。

松平健

1684年度生まれ
  1. 紀州藩主の子供…… ではなく尾張藩領に生まれて徳川継友を暗殺して、八代将軍継友になり変わってたかもしれない。
  2. 将軍になっていたら、江戸の町を出歩いて色々やっていたかもしれない。
    • その目的は、江戸庶民に対する辻斬りや闇討ちによるストレス発散。

横浜流星

  • 現実では1996年9月16日生まれ。
1993年3月31日以前
  1. DeNAベイスターズとの因果関係は定かではないが、現在の 「ベイスターズ」 の名前になったのが1993年4月1日のことなので、もしかしたら 「流星」 という名前になっていなかった可能性がある。
    • 「大洋」なら史実以上にネタにされていた。
1998年10月26・27日
  1. 名前の由来は 「10月26日にベイスターズが日本一になったから」 ということになっていた。

渡辺麻友

  • 現実は1993年度(1994年3月26日)生まれ。
1972年度生まれ

『さばドル』では38歳の高校教師が年齢を21歳詐称して渡辺麻友として活動していましたが、もし、現実(1993年度生まれ)より21年早く生まれていたら?

  1. 乙女塾に加入していた。
  2. 史実通りプロダクション尾木所属ならCOCOやribbonのメンバーと何らかの関係を持っていた。
  3. ソロ曲はポニーキャニオンからリリースしていた。
  4. 1990年代半ば頃には脱アイドル化し、声優か漫画家に転向していた。
  5. 『戦う!書店ガール』の亜希役は別のAKBメンバーがやっていた。
  6. (本当に年齢を詐称してAKBに入っていたら、)頭脳派アイドルとして活動していた。
    • 発覚した時は騒ぎになったものの、(実年齢に見えないと言われて)発覚後も美魔女アイドルとして人気を博していた。
    • その前に(高校教師時代から)かわいい先生として人気だったかもしれない。

スポーツ

浅田真央

  • 現実では1990年9月25日生まれ
1990年6月30日以前生まれ
  1. 年齢制限をクリアしてトリノオリンピックに出場していた。
  2. メダルを獲得し、平成生まれ初のオリンピックメダリストになっていた(史実では北京オリンピックの中村美里)。
    • 場合によっては平成生まれ初の金メダリストが8年早く誕生していた(史実ではソチオリンピックの羽生結弦)。
      • その場合荒川静香の金メダルはなくなるため、一部のフィギュアスケートファンの間でしか記憶に残らない選手になっていた。
1989年生まれ
  1. キム・ヨナとの1990年生まれ最強世代は形成されなかった。
    • キム・ヨナとの比較が減っていた。

井岡一翔

  • 現実では1989年3月24日生まれ
1988年生まれ
  1. 平成生まれ初の世界チャンピオンは亀田和毅だった。
  2. ボクシング界のハンカチ世代と呼ばれた。
    • 史実でも学年は1988年度生まれだが、どうも平成生まれであることを強調されがち。
1989年1月1日~1月7日生まれ
  1. 昭和64年生まれの世界チャンピオンは亀田大毅だけじゃなかった。
  2. この場合も平成生まれ初の世界チャンピオンは亀田和毅に。
1989年度生まれ
  1. 高校卒業年に北京オリンピックが開かれるため、井上尚弥のように進学しなかったかも。

石川遼

  • 現実では1991年9月17日生まれ
全般
  1. 松山英樹と同学年でなくなるため、比較されることはなかった。
1988年生まれ
  1. 野球のハンカチ王子斎藤佑樹と同い年になるため、史実以上に比較された。
    • どっちかの影が薄くなっていた可能性も。
1989年生まれ
  1. ゴルフに限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
    • 史実と同じ年齢なら2006年4月にプロ契約。
    • もし下記の辻本賢人が平成生まれだったら、辻本に遅れてしまうが。
  2. 1989年度生まれならハンカチ世代の1つ下になるため、1989年度生まれは「ハニカミ世代」と呼ばれ史実以上に定着。
    • 史実では1991年生まれにその名がついたが定着しなかった。

伊藤美誠

  • 現実では2000年10月21日生まれ
1988年生まれ
  1. 2007年には既に日本代表として定着していたため、School Daysのあのキャラと名前が似ていることが話題になっていた。
    • 「美しい伊藤誠」と呼ばれている。
      • 「世界を制する」などとも言われてる。
    • 本人に影響が出ていた可能性も。
  2. 福原愛とともに1988年度生まれが卓球界の黄金世代と呼ばれていた。
  3. 一方で同い年の有力選手が平野美宇のように名前の語呂が似ている選手じゃなくなるため、比較されることは減っていた。
1994年生まれ
  1. 上記と少し違ってSchool Daysのアニメが放送されたあとに台頭してくる。
    • 「あのキャラと似た名前の卓球選手がいる」と話題になっていた。

井上尚弥

  • 現実では1993年4月10日生まれ
1986年度生まれ
  1. 北京オリンピックを目指していた。
  2. 井岡一翔より先に世界王座最短奪取記録を更新していた。
  3. 日本人初の3階級制覇も亀田興毅ではなく井上尚弥になっていた。
1991年度生まれ
  1. おそらくは大学進学してロンドンオリンピックを目指していた。
  2. 亀田和毅と同い年になるため、ライバル意識がより高まっていた。
    • 階級さえ合えば、マスコミが対戦機会を巡りより報道が過熱していた。

宇佐美貴史

  • 現実では1992年5月6日生まれ
1989年・1990年生まれ
  1. 1989年または1990年生まれが「プラチナ世代」と呼ばれた。
    • 史実で使われた「新黄金世代」が定着して「プラチナ世代」という呼称は最初から存在しなかった可能性もある。
  2. ロンドンオリンピックでは主力選手になっていた。
1993年1月1日~4月1日生まれ
  1. この場合も1992年度生まれが「プラチナ世代」と呼ばれただろう。
    • ただし1993年生まれの選手とも比較されていた。
1993年度生まれ
  1. 1993年または1993年度生まれが「プラチナ世代」と呼ばれた。
    • だが現在では「プラチナ世代」の呼び名は死語となり「リオデジャネイロ世代」と呼ばれている。
      • 1992年生まれはロンドン世代の最年少でオリンピックの代表選手も少なかったことから「ロンドン世代」とは呼びにくかった。
  2. リオデジャネイロオリンピックの予選に出場するも、久保裕也のようにクラブの都合でオリンピックには出場できなかったかもしれない。
  3. Jリーグ開幕の年に生まれたことから学生時代の話題性や期待度は史実以上だった。

内村航平

  • 現実では1989年1月3日生まれ。
1988年生まれ
  1. 名前は「航平」ではなかった。
  2. 昭和生まれで最も若いメダリストではなかったかも。
  3. 昭和64年生まれの有名人が一人減る。
平成(1月8日以降)生まれ
  1. この場合も名前は「航平」だろう。
  2. 平成生まれ初の金メダリストになっていた(史実ではソチ五輪の羽生結弦)。
1989年度生まれ
  1. 名前は「航平」・・・だったのかな?
  2. ロンドン五輪で金メダルを取っていれば、平成生まれ初になる。

大谷翔平

  • 現実では1994年7月5日生まれ
1968年度生まれ
  1. 史上2人目の日本人メジャーリーガーは野茂英雄ではなく大谷翔平になっていた。
  2. メジャーリーグで日本人初のノーヒットノーランを達成するのも大谷翔平に。
  3. もしかしたらドラフトで前年の桑田真澄事件の二の舞が起きていたかも。
    • 高卒後即メジャーリーグ挑戦を表明しながら、どこかに1位指名されたため入団。それが単独指名だった場合は密約疑惑が出て大揉めに。
      • 清原和博のような被害者が出ないため桑田ほど問題にはならないだろうが。
    • 当時の事情だったらメジャー入りのためにドラフトされても拒否して渡米って可能性も否定できない。
  4. 名前は「翔平」じゃなかった。
    • 当時は「翔」が人名用漢字になかったため(追加されたのは1981年)。
1980年度生まれ
  1. 入学したのは専大北上。
  2. 1998年の専大北上はベスト8以上まで進出していた。優勝はなさそうだが。
    • この年の専大北上は選抜にも出場していた。
  3. 横浜高校と対戦していれば、史実の大谷翔平と藤浪晋太郎の関係が大谷翔平と松坂大輔になっていた。
    • ただこの年は横浜-PL学園の名勝負があったため甲子園での試合としてはそっちの影に隠れそうだが。
  4. 名前は「翔平」じゃなく「大輔」だったかもしれない。
1991年度生まれ
  1. 同じ岩手県の菊池雄星と同い年になるが、どうも入学先は花巻東ではなく別の学校になりそう。
    • 菊池と大谷のどちらかが甲子園に出場できなかったことになる。
  2. もし史実通り花巻東に進学していたら2009年は花巻東が東北勢初優勝を達成。場合によっては春夏連覇している。
1992年度生まれ
  1. 花巻東に入学していれば菊池雄星の1つ後輩だった。
  2. 2009年夏は花巻東が東北勢初優勝を達成できていた。菊池が怪我をしても大谷でカバー。
    • 岩手県史上最強のチームになっていただろう。
    • 決勝戦が日本文理との対戦だったらここに書かれてるように、9回2アウトランナーなしから日本文理に大逆転負けする悲劇を味わっていたかも。
      • 怪我している菊池を無理に登板→追い上げられて大谷に交代も逃げ切れずという結末(史実ではこれが中京大中京の堂林と森本で起きた)。
  3. 史実と同じで高3の最後の夏は甲子園に出場できなかっただろう。
    • ただ前年に優勝していれば、閉会式での高野連会長の「大谷が見たかった」の発言はなかったと思われる。
  4. 入学したのが岩手県内の別の学校の場合、高校2年時は花巻東に負けて出場できないが、3年時は出場できていた。
1995年度生まれ
  1. 史実と同じ花巻東に入学。
  2. 3年夏の甲子園に出場できたため、閉会式での高野連会長の「大谷が見たかった」の発言はなかった。
    • だが例のサイン盗みを行った世代だったことになる。
      • サイン盗みはなかったかもしれない。場合によっては2013年夏は花巻東が優勝してる。

香川真司

  • 現実では1989年3月17日生まれ
1988年生まれ
  1. 平成生まれ初の日本代表選手ではなかった。
    • この場合誰になっていたんだ?(詳しい人頼む)
  2. サッカー界のハンカチ世代と呼ばれた。
    • 1988年度生まれは野球のハンカチ世代に対しサッカーの香川世代と呼ばれた可能性も。
      • 史実でも学年は1988年度生まれだが、どうも平成生まれであることを強調されがち。
1989年1月1日~1月7日生まれ
  1. 唯一の昭和64年生まれの日本代表になっていた。
    • 唯一の昭和64年生まれのワールドカップ出場選手にもなる。
  2. この場合も平成生まれ初の日本代表は別の選手に。
1989年4月2日以降生まれ
  1. 2008年北京オリンピックの代表には選ばれなかった。
    • アテネオリンピックの平山相太の例もあるのでその限りではないが。
  2. 史実通りクラブの都合で2012年ロンドンオリンピックにも出場できなければ、香川はオリンピックを経験してない選手になっていた。
  3. 北京世代の本田圭佑や1988年生まれの森本貴幸、吉田麻也などと一緒にされることはなく、1989年生まれの清武弘嗣やロンドン世代の大迫勇也、酒井宏樹などと比較されていた。

金本知憲

  • 現実では1968年4月3日生まれ
1968年4月1日以前生まれ
  1. 現実より学年が1つ上(1967年度生まれ)となるので、桑田真澄・清原和博と同学年となっていた。
    • 現実以上にこの2人と比較されるようになっていた。
    • 更にもし桑田が1968年度生まれだったら、桑田と金本の学年が逆転していたため、桑田は金本の後輩となっていた。
    • 現実以上に1967年度生まれが当たり年と呼ばれている。
  2. 2009年現在、この年度生まれでは唯一の現役選手となっていた。
  3. 世代の呼び方が「桑田・清原・金本世代」となっていたかも。
    • もしかすると「KKKトリオ」が出来ていたかもしれない。
  4. 誕生日が3月34日と呼ばれることもなかった。
  5. 史実通り2016年に阪神の監督に就任していた場合、桑田の巨人監督就任、佐々木のDena監督就任もあり得たかもしれない。
    • アレに手を染めてなかったら清原の西武監督就任もあったかも。
      • オリックスの監督に就任していた可能性もある。

亀田大毅

  • 現実では1989年1月6日生まれ
1989年1月8日以降生まれ
  1. 史実通り行けば平成生まれの世界チャンピオン第1号になっていた。
    • 史実での第1号は井岡一翔。
      • その井岡一翔と、平成元年生まれで同じ大阪市西成区出身なので現実以上に比較されていただろう。
  2. 昭和64年生まれのプロボクサーは1人もいなかったかもしれない。
  3. 内藤大助戦の反則行為に対して、特に年配から「これだから平成生まれは…」などと蔑まされていた。

桑田真澄

  • 現実では1968年4月1日生まれ
1968年4月2日生まれ

もし桑田真澄の誕生日が実際(4月1日)より1日遅れで4月2日だったら。

  1. 清原とは学年が異なるためKKコンビは誕生しなかった。
    • 1983年夏の甲子園のPL学園優勝は無かった。
      • 1983年夏は池田が史上初の甲子園3連覇を達成していた。
    • 高校野球人気もそこまで上がらなかっただろう。
    • 幽☆遊☆白書の桑原和真も、違う名前になっていた。
      • 金本が1967年度生まれだったら金原和憲とかかな?
  2. 清原の後輩となるので、高校でつぶされた可能性も。
    • 野手に転向した。
  3. 清原をドラフト指名する球団が1球団増えていた。
    • 清原が巨人に入団していた可能性も。
  4. 金本知憲(桑田より2日あとの4月3日生)のコメントにおける桑田の他人称が「桑田さん」ではなく「桑田」(あるいは「桑田君」)になっていた。
    • 桑田真澄が1968年4月2日以降生かつ、金本知憲が1968年4月1日以前生だったら、逆に桑田の金本に対する他人称が「金本さん」になっていた。
  5. 昭和42年度生まれが「KK世代」ではなく、「清原世代」と呼ばれていた。
    • そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
      • 昭和43年度生まれが「KK世代」になっていたかも(この場合もう1つのKは金本のこと)。
  6. 清原は投手をしていたかも。
    • その為、逆に清原が巨人のエースピッチャーだったかも。
  7. 1986年のドラフト1位指名は桑田、近藤、阿波野の3人で占められることになった。

柴崎岳

  • 現実では1992年5月28日生まれ
1989年・1990年生まれ
  1. 2012年ロンドンオリンピックに出場していた。
    • 活躍次第では44年ぶりのメダルを獲得できていた。
  2. 場合によっては2014年ブラジルワールドカップの代表にも選出。
  3. 2015年ごろにヨーロッパに移籍。2016年のクラブワールドカップは鹿島アントラーズは決勝に進出できなかった。
    • 決勝に進出していてもレアル・マドリードに史実以上の大敗。
1993年生まれ
  1. 2016年リオデジャネイロオリンピックに主力として出場していた。
    • 活躍次第では決勝トーナメントに進出できていた。
  2. 2012年のアジアユースにも出場。場合によっては2013年のU-20ワールドカップに出場できていた。
  3. 一方で2018年ロシアワールドカップの代表には選ばれなかったかも。
    • その場合日本は決勝トーナメントに進出できなかった可能性も。

高木美帆

  • 現実では1994年5月22日生まれ
1994年7月1日以降生まれ
  1. 年齢制限によりバンクーバー五輪に出られなかった。
    • トリノに出られなかった浅田真央同様の議論が起こっていた。
  2. ただしソチ五輪には出場していた。
    • 姉妹同時出場が4年早く実現していた。
1994年4月1日以前生まれ
  1. 浅田真央の件を引き合いに出されることはなかった。
  2. 1994年度生まれのオリンピック金メダリストが1人減っていた。

田中将大

  • 現実では1988年11月1日生まれ
全般
  1. 斎藤佑樹と甲子園決勝で対戦することはなかった。
    • 学年が斎藤佑樹の1つ下だったら田中将大の2年時に対戦していた可能性はあるが。
    • 斎藤佑樹と比較されることもなかった。
1980年度生まれ
  1. 松坂世代の1人になってる。
    • こちらは田中将大がどれだけ活躍しても「ハンカチ世代」のように世代の盟主が変わることはなかっただろう。
  2. 入学するのは関西の学校。PL学園あたりか?
    • それだと1998年夏の横浜は春夏連覇できず、PL学園が優勝していた。
1987年度生まれ
  1. 高校生ドラフトのときと変わらず1987年度生まれがプロ野球界の黄金世代と呼ばれていた。
    • ちなみに現実でも高3のドラフトのときは1987年度生まれが史上最大の豊作と言われていた。
    • 最初から「田中世代」と呼ばれる。
      • 「ハンカチ世代」と呼ばれることを田中将大が嘆くことはなかった。
    • だがプロ入り数年後には田中将大だけの世代になってる可能性が高いか。
  2. 駒大苫小牧は史実通り夏の甲子園2連覇するが、3年目の2006年は初戦敗退、または南北海道大会で敗退して出場できなかった。
    • だが2005年の駒大苫小牧は選抜も優勝。史上5校目の夏春連覇と史上6校目(当時)の春夏連覇、そして史上初の甲子園3連覇を達成していたかもしれない。
  3. 史実通り2005年夏の甲子園準決勝で大阪桐蔭と対戦していた場合、この学年における斎藤佑樹のポジションは辻内崇伸になる。
  4. 進学したのが駒大苫小牧ではなかった可能性もある。
    • 駒大苫小牧は2004年だけの一発屋になり、2005~2006年は別の学校が優勝している。
  5. 2005年の高校生ドラフトでの交渉権獲得くじの間違いは田中将大で起きていた。
    • 辻内みたいに批判される発言をすることはなさそうか。
1989年度生まれ
  1. 1989年度生まれがプロ野球界の黄金世代と呼ばれていた。
  2. 平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己ではなく田中将大になっていた。
  3. 駒大苫小牧は2005年は優勝できないが、2006年か2007年に優勝していた。
    • 早稲田実か佐賀北のどちらかは優勝できなかった。
    • 2005年は大阪桐蔭が優勝していたか。
  4. 2006年の甲子園決勝で斎藤佑樹のいる早稲田実と対戦した場合、どちらが勝っても引き分け再試合にはなっていない。
    • この試合が名勝負として語り継がれることはなかった。
    • 史実通り引き分け再試合になっていても、学年が違うためここまで2人が比較されることはなかった。
1991年度生まれ
  1. この場合も多分駒大苫小牧に入学。
    • この1つ下(1992年度生まれ)からは一転して別の学校に入学になりそう。特に2007年は特待生問題があったし。
  2. 駒大苫小牧は2004年の初優勝後、2005年はベスト8くらい、2006~2007年は低迷し南北海道大会で敗退するが2008年か2009年に2度目の優勝を達成した。
    • 連覇は達成してないため「北海道勢初優勝を達成した学校」と「田中将大の母校」としてだけ語り継がれる。
1994年度生まれ
  1. 入学するのは別の学校になる。
  2. 北日本の学校なら光星学院が有力か。史実では光星学院出身の坂本勇人と少年野球でのチームメイトで、こちらの場合は坂本の後輩になる。
    • それだと2012年夏は光星学院が東北勢初優勝を達成していた。
    • 青森山田か東北という可能性も。
      • 青森山田に入学してた場合は青森山田の低迷が遅れ、光星学院の低迷がもう少し続いていた。2011・2012年は青森山田が甲子園で上位進出している。
  3. 関西の学校だと報徳学園が有力か。
    • 大阪桐蔭だった場合は甲子園での戦績は史実とほとんど変わらない。

辻本賢人

  • 現実では1989年1月6日生まれ
1989年1月8日以降生まれ
  1. 平成生まれのプロ野球選手第1号になっていた。
    • 野球に限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
    • 平成生まれが2年早くプロに入っていた。
  2. 福田秀平は平成生まれのプロ野球選手第1号にはならなかった。
    • ただし平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己になったことは変わらない。
  3. NPBに昭和64年生まれの選手は1人もいなかった。

西岡利晃

  • 現実では1976年7月25日生まれ
1975年以前生まれ
  1. 現役時代が史実通りなら、37歳定年を待って引退となっていた。
    • 史実ではラストファイトが36歳と2か月強だったので、引退届を提出した。

武藤嘉紀

  • 現実では1992年7月15日生まれ
1977年生まれ
  1. 同い年の三都主アレサンドロとの比較であだ名が「ムントス」になっていた。
    • サッカー雑誌の4コマ漫画で村井慎二がこう呼ばれたことがある。
1993年生まれ
  1. 2016年リオデジャネイロオリンピックに主力として出場していた。
  2. 逆に2018年ロシアワールドカップの代表には選ばれなかった。
  3. A代表にデビューしたのは2016年、海外移籍は2016年秋か2017年だった。

森本貴幸

  • 現実では1988年5月7日生まれ
1989年1月1日~1月7日生まれ
  1. 数少ない(唯一か?)昭和64年生まれのJリーガーとなり、さらに同時期にプロ野球選手になった同じ昭和64年生まれの辻本賢人と比較されていた。
1989年1月8日~4月1日生まれ
  1. 平成生まれのJリーガー第1号になっていた。
    • サッカーに限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
  2. 平成生まれ初のJリーグゴール、Jリーグ最優秀新人賞も記録。
1989年度生まれ
  1. こちらも平成生まれのJリーガー、Jリーグゴール第1号になっていた。
    • ただしそれぞれ記録が1年遅れる。
  2. 2008年北京オリンピックの代表には選ばれなかった。
    • 2012年ロンドンオリンピックに出場していた。

山田哲人

  • 現実では1992年7月16日生まれ
1991年生まれ
  1. 「平成3年」なのでトリプルスリーと絡めたネタになる。
  2. もし平成3年3月生まれなら学年は1990年度生まれになる。
  3. 史実通り履正社高校出身なら2008年の選抜に出場していた。
    • 一方で夏の甲子園には1度も出られなかっただろう。
  4. 1992年度生まれのプロ野球選手は千賀滉大が台頭するまで不作の世代と言われた。
1993年生まれ
  1. こちらも末尾が3なのでトリプルスリーと絡めたネタになる。
  2. 2011年の選抜は履正社が優勝していたかもしれない。
  3. もし1993年3月生まれなら学年は現実と同じ1992年度生まれ。
1958年(昭和33年)生まれ
  1. 1980年代前半にトリプルスリーを達成していた。
  2. 上記の平成3年or1993年生まれ以上に3が並ぶが、あまり話題にならなかったかも。
    • 「トリプルスリー」が流行語になることはない。
    • 簑田浩二と同じ1983年に達成していれば、こちらも末尾が3なので話題になったか。

政治家

東国原英夫

1897年生まれ
  1. 史実通り宮崎県知事になっていた場合、岩切章太郎と一緒に観光宮崎の発展に力を尽くした。
  2. うまくいけば内閣総理大臣になれた。
    • 地元宮崎の交通事情の改善に手を入れ、2016年現在、陸の孤島と称されることはなくなっている。

その他

泉重千代

  • 誕生は1865年8月20日とされているが、最近では1880年生まれという説が有力。
1863年9月9日(以前)生まれ
  1. 最高齢の記録はいまだ破られていない。
1868年9月8日生まれ
  1. 最後の江戸時代生まれにはなっていない。
    • 最後の江戸時代生まれは中山イサ(1866-1977)。
    • 最高齢になったのも1977年になってからだった。
1880年生まれ
  1. 最高齢にはならず、105歳まで生きた人、として認識されたのみだった。
    • 少なくとも住んでいた伊仙町では表彰されていただろう。
  2. 徳之島の知名度はそれほどなかった。

木村次郎右衛門

  • 現実では1897年4月19日生まれ。
1899年生まれ
  1. 1899年生まれの男性長寿者が少ないということはなかった。
1897年3月19日生まれ
  • 本来は3月19日生まれであるものの役所のミスで4月19日となったようです。
  1. ディーナ・マンフレディーニは存命人物の中で世界最高齢になることはなかった。

徳仁

1960年2月19日生まれ
  1. イギリスのアンドルー王子と生年月日が一緒だけあって、その人と比較された。