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[[江戸時代]]
*[[東京都交通局]]
==江戸幕府の将軍==
==都電荒川線の噂==
#ところで、将軍は本当に「殿!殿ー!」と呼ばれていたのか?
[[画像:TEA7016F02.jpg|frame|7000形と満開の[[桜|ソメイヨシノ]]]]
#*「上様」では??
#[[カード#パスネットの噂|パスネット]]は使えないが、バス共通カードが使える。
#*「殿」=「城主・領主」って意味らしい。だから大名から旗本まで、「殿」は全国にたくさんいた。
#*[[Suica]]も使えます。
#「副将軍」という官職が正式にあったと思う人は多い。
#**[[PASMO]]も使えます。
#*水戸のご老公とか。
#***つまるところバスと同じ扱いなので、バスチケットが付きます。
#*伊達政宗もそう称してましたな。
#*実際、バスと鉄道を折衷したようなテイストの乗り物。ホームはあっても改札はないので駅というよりバス停のような感じ。
#*実質的なその役目は大老(老中)だったが。
#**実際に駅ではなく停留所だからね。
#徳川家○な人が多い。歴代将軍の7割を占めている。
#**だから、降りようとする停留所が近づいたときに降車ブザーを押さないと、乗客がいない場合は通過してしまう。
#*家光以後、前将軍の直系の後継者には「家」がつけられている(家綱・家継・家重・家治・家慶・家定)。
#***都電に限らずどこの路面電車でも同じだと思うが。
#**明治以後は一華族、戦後は一般国民だが、徳川本家では現在でもこの命名法が生きている。
#****今の都電は乗降がなくても一旦停止(かそれに近い徐行)をし、信号が変わるのを待って発車するはず。
#***今の当主は傍系(それでも一応は家康の直系)から婿入りしたので全然別の名前だが、後継者(長男)にはやはり「家」の字がつけられている。
#**軌道内を自動車が走れる区間があるので、ブレーキ灯まである…
#*傍系でも、わりに若い頃に後継者に指名されていた人には、元服時に「家」がつけられたり改名したりしている(家斉・家茂)。
#***東京では軌道内が自動車乗り入れ可になってる。ほんとはこれは例外的扱い(本来は右折などやむをえない場合を除いて乗り入れ不可)なので、東京で慣れてしまってほかの地域に行くと大変なことになる場合も。
#**ちょいと待て。家茂はもともと慶福。将軍になったときに改名。
#****一回広島に行ってみようね。
#*けっこう大人になってから将軍になったが、改名した人も居る(家宣)。
#*****広島は軌道内で往生こいてると'''[[名鉄特急の車両#7000系|パノラマカー]]もかくやの如き勢いで容赦なく電車がつっこんでくる'''と聞いた事がありますが。
#*「家」がついていないのは4人。
#****乗り入れ可の場合でも電車の走行を妨げてはいけないので、電停や信号以外で停まることはなく、バスよりもスムーズ。
#**秀忠の頃は、まだ「家」が通字になっていなかった。家康の子で「家」のついた人はひとりも居ない。
#***ブレーキ灯は2006年に発生した電車同士の衝突事故(下記参照)を受けて設置されたもの。
#**綱吉・吉宗・慶喜は傍系で、壮年になってから将軍になり、改名しなかった。
#*フリーパスは乗務員さんに直接見せます。
#池袋乗り入れの構想がある。
#*東京都ではなく豊島区(というか豊島区長)が熱心に計画を弄り回している。実現するかは???
#元々は王子電気軌道という私鉄であり、後に東京都(当時は東京市)が買収した。
#路面電車と言われるけど、実際に公道に線路があるのは尾久と王子の一部だけであとは全区間軌道専用の用地上を走る。
#*だから線路を引っ剥がされずにすんだ。
#**宮ノ前付近の併用軌道は道路拡幅の上専用化された。今残っているのは飛鳥山~王子駅前間のみ。
#***京阪京津線よりも併用軌道の区間が短い。だから路面電車とは言えない。
#*昭和40年代後半「ニューヨークにもロンドンにも既に市電はない! これからは自動車と地下鉄の時代だ!」と、都電を引っぺがす→平成時代になって環境問題深刻化→路面電車はエネルギー効率もよく維持コストも地下鉄より安く世界各国で評価が高い→「何であんな事をしてしまったんだ……」
#**あと、交通局が当時経営難に陥ったからという理由もある。
#***地下鉄建設するよりは都電運営し続けたほうがよかったのでは…
#**っつーても地下鉄で空いてる路線なんてないんだけどな。
#***ん? [[東京メトロ南北線|Nanboku Line]]は?
#****思ってるよりは混んでるよ。市ヶ谷~[[東京23区の駅#飯田橋駅の噂|飯田橋]]辺りを中心に。
#*****三田線の8両化を阻む程度には空いているがな。どちらもよく使うが明らかに南北線の方が空いている。
#**昭和40年代までは東半分は三ノ輪橋-王子-赤羽の路線だったが、王子-赤羽間は道路上だったので廃止された。
#***都電全盛期の27系統(赤羽~王子~三ノ輪橋)と32系統(早稲田~荒川車庫前)を統合したのが荒川線。
#***そして当時の王子-赤羽間の経路の真下に、現在[[東京メトロ南北線]]が走っている。
#****都バス王57系統も都電代替として設定以来走っているが、混雑するのはついでに付け加えられた王子-豊島五丁目団地間という有様。
#*路面電車をなくして後悔したのは東京だけではない。
#*と、全国的に路面電車の良さが見直されてる中で市電を廃止し、一層の中心部の空洞化・郊外の過疎化が進んでしまった岐阜市・・・
#**でも路面電車より地下鉄のほうが環境にやさしいがな、なぜなら路面電車は惰性で走行する機会があまりないし、それに近郊線にも乗り入れられないからな日本の場合
#***地下鉄は車両以外の設備で消費するエネルギー量がハンパ無い。ただ東京の地下鉄は全線消費エネルギーに見合う輸送実績があるが。それと[[wikipedia:ja:福井鉄道福武線|こちらも参照]]の事。
#****あと広電の宮島線とかかつての名鉄岐阜市内線電車とか。
#***地下鉄はエネルギー効率という点では路面電車より有利だが、駅間が延びたり乗り降りが大変だったりと利用者には必ずしも優しくない。実際、大江戸線の開業を機に都バスの路線網がかなりの規模で見直された(並行路線をほぼ全廃した)が、不評のためのちに一部の区間でバスが復活した。
#**これだけ車が普及してしまった今の社会に特別広い道路が無い場所に路面電車をひいておくのは結構キツい。経済成長のタイミングもあったことだし淘汰されたのは仕方ないことかと。定時で運行できるバスを考える方がコスト面でも柔軟性でも現実的じゃないかな。
#***道路にバスが定時運行できる余裕があるなら路面電車でも同じ事。
#*専用軌道区間を電車が走っていないときに見るとまるで普通鉄道のような趣。
#保存鉄道のような意味合いを期待して乗りに行くと、一般客でフツーに混んでいるので戸惑う鉄ヲタ多数。
#*日暮里・舎人ライナー出来て更に乗客が増えた気が‥‥
#北千住延伸。
#*三ノ輪から千住大橋―北千住。
#**さらに北千住-亀有-亀有警察署(現実で)ってのが「こち亀」にあった。
#*東池袋四丁目-池袋駅前間の支線建設計画もある。
#**豊島区営LRTか?
#発車するときにベルが「カンカーン!」と2回なる(チンチン電車と呼ばれている由来)。
#*「チンチン電車」のもともとの由来は車掌が運転士に発車を促す合図の電鈴の音。都電はその愛称にちなんでワンマン化の際にそれを再現する仕組みを搭載した(一度扉を開けたあと全ての扉が閉まると自動的にベルが2回鳴る)。
#*首都圏在住の人は「チンチン電車」という言われると、主にこの路線を思い浮かべる。
#**まあ、関東は他に路面電車無いし([[さいたま市]]と[[宇都宮市]]がLRTの導入を検討してるけど)
#***前橋市長も検討しているみたいですよ。
#運賃は一律<!--160円-->。
#*都バスより安い!
#王子駅の西の坂は、乗ってみて驚いた。あんな坂上るのかよ、と。
#*他に長崎くらいしかあんな坂を上ってる路線はないかも。サスガは「坂の都」。
#**長崎の市電にもあそこまで急な坂はなかった(谷の底をぬうように走っている)。鉄輪でよく滑らずに走れるものだ。
#*昔都電が主要な交通機関だった頃は、都電が通れるように道幅を拡幅したり、都電が登れるように坂を緩くした場所があった。今でも道路の線形が不自然だったり、交通量の割に妙に幅が広かったりといった痕跡が。
#*たまにで良いから大塚~向原&千登世橋の切り通しも思い出してあげて‥‥
#以前ブレーキ検査中の試運転電車に後ろから営業電車が激突して乗客が多数ケガという事故があった。ブレーキ試験は車庫でやればよかったのに。
#*高速からの急ブレーキ性能試験だから車庫では無理。今でもやってる。
#荒川車庫の隣には昔走っていた都電が2両保存されている。[[画像:TD5501.JPG|thumb|150px|5501号保存車]]
#*「都電おもいで広場」。展示車両の中は簡単な資料館になっていたり、隣は荒川車庫で電車の出入りが激しかったりで結構飽きない。しかも無料。[[鉄道ファン|鉄道が好きな人]]にはお勧め。
#都営交通で唯一女性乗務員がいる。
#*都営バスにもいるので嘘。
#*2007年8月の時点で[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]にもいた。
#王子のホームの入口に駅員がいて、運賃は乗る前に駅員に払う。
#*‥‥ときもあるw
#早稲田電停とは遠く離れた所に同名の駅を作られたり、[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]には向原電停を無視されたり、[[東京メトロ副都心線|副都心線]]の乗換駅には「鬼子母神前」の名前を無視された挙句「雑司ヶ谷」の名前を変えさせられる羽目になったりと、営団時代から東京メトロとは相性が悪い。
#*車内に「副都心線の乗り換えは鬼子母神前です」と書いてあった。
#*そういえば[[都営地下鉄新宿線]]の急行も東京メトロとしか乗換えが出来ない駅は悉く通過してるな(新宿三丁目・九段下・小川町・住吉)。
#お年寄りや観光客が多いせいか、比較的乗務員さんは親切で朗らかな人が多い様な気がする。
#*とげ抜き地蔵の縁日(4が付く日)と休日が重なると、最寄り電停の庚申塚を挟む大塚駅前~王子駅前間はおばあちゃんで大混雑。
#多くの踏切の警報音は[[小田急電鉄]]のものと同じ。
#とにかく踏み切りだらけ。
#*おかげで煩い。沿線の桜丘高校のOBだが学校の前にも踏切があって勉強の邪魔。それ以上に電車がすっ飛ばすから煩いけど。
#沿線で白十字の広告をやたらと見かける。
#軌間が[[都営新宿線]]や[[京王線]]と同じ。新宿三丁目まで延伸して夢の相互乗り入れが実現…はしないな。


==歴代将軍様の噂==
==車両の噂==
===徳川家康===
[[画像:7500.jpg|thumb|240px|惜別 7500形]]
#家康、鯛の天ぷらの食い過ぎで食中毒にかかり死ぬ。
#6152号「一球さん」は、[[京福電気鉄道|京福電鉄]]のせいで廃車になった。
#*食中毒なんて健康オタクの家康らしからぬ死に方だ。実際は胃癌との説が濃厚らしい・・・。
#*その後、荒川車庫に置くスペースと予算が無いとかで6152号は荒川遊園に貰われて行った
#*でも、実際に70過ぎまで生きたんだから、当時は大往生と言っても良いよな。
#*しかし2008年、同形式(6000形)の6086号が新たに荒川車庫へ里帰り。留置スペースと予算は何処から…
#経営者たちにもっとも人気がある歴史人物。
#新型車落成!
#*腹黒いところはあんまり見習って欲しくないなあ。
#*何形よ!?
#*[[中華人民共和国|中国]]の経営者・サラリーマンにも人気らしい。([[毎日放送|この局]]の番組で出ていた。)
#イスが少ない。前向きのイス、1人がけにする必要あんのか?しかもシルバーシートだから座れないし。
#徳川家が政権を世襲することを示すため、さっさと秀忠に譲位。
#*昔みたいに全部長いイスに。
#*しかし、それなら自分は陰に回って秀忠を立てればよいものを、いつまでも大御所として出しゃばり続ける。どういうつもりなんだか。
#*常に「乗っているお年寄りの数>全座席数」なので、若い人はまず座れない…
#*これについては「豊臣家の問題を自分の代でなんとか片付けて、息子に楽させたい」と好意的な見方をする人もいるにはいる。でも大半の人はこの時点で腹黒い狸親父のイメージ確立。
#**巣鴨に程近い庚申塚駅があるからね。
#*大御所家康と同じように、信長は信忠に、秀吉は秀次に、その在世中に家督および公的な地位を譲りかつ実権は握り続けていたが、この点で腹黒さを誹謗されるのはなぜか家康のみ。
#2000年ぐらいから車体に広告が貼られるようになったが、貼られているのはほとんどが旧型車両で新型には貼られていない。
#**しかし秀次を族滅した秀吉に比べると、自らの正妻と嫡子を殺し次男を冷遇し三男に家を継がせた家康の場合、その点ではあまり非難されていない。
#*他の会社の広告車両と違って前と後ろだけ元の色を残してあって中途半端。
#***信康と築山殿は信長の命令でしょうがないし秀康は気まぐれで手をつけてた奥女中との子だからなぁ。
#**都電は都営バスと同じ扱いなので。視覚障害者団体やバス事業者同士の取り決めで、路線バスは前面を事業者のカラーのままにする必要があったはず。
<!--#鯛の天ぷらに当たって死んだことになっているが、直接の死因は胃ガン説が有力。 重複内容ゆえCO-->
#実は7000形と7500形は都内ではここでしか味わえないレトロな音を上げている。
#実は,武田信玄との戦いで敗れ、アレを漏らしたことで有名。
#*……ことはなかったりする。軌道線用の車両はVVVF化後も釣り掛け式か直角カルダンが主流なんで路面電車のある地区ならたいてい聞ける。
#*しかも、その直後の情けない顔をわざわざ絵師に描かせる物好き。
#**むしろ、軌道線車両の分際でWNドライブを使っていたりするのこそ、いまや[[福井鉄道|ここ]]ぐらいしかない。
#**あの絵は、見るたびに無謀なことはするまいという自戒の為に描かせたそうだけど。
#**都内の軌道線はここ以外だと[[東急世田谷線|ここ]]ぐらいだが、レトロな音は味わえない。軌道と言えるかは置いといて。
<!--#**尻に灯がつき 味噌が垂れ 自分が未だ あおいを悟る。-->
#アルナ車両が2015年2月ごろに、新型車両(14億円分)(両数不明)を受注。今度こそ7000形は追い出されてしまう。
#*その後で餅を食い逃げしたとかしなかったとか。
#*と思いきややっぱり7000形は現役続行。もはや走る化s(ry
#無類の健康オタクとして有名。
===6000系===
#*事実上の首都を秋葉原近くにおいた。
[[ファイル:Toden6000.JPG|thumb|150px|府中で見守られている]]
#*医師を信用せず、常に自分自身で調合した薬を服んでいた。
#都電全盛期の主力車両。かつては都区内全ての地域で見かけることができた
#**おそらく医学的知識は当時の医師の誰よりも豊富だったが、その知識を人々のために役立てようという意識はこれっぽっちもなく、ひたすら自分の健康のみを冀(こいねが)った。
#荒川線内でも2000年まで6152号(通称:一球さん)が現役で走っていた
#**一応、孫のために薬を調合したりしている。
#現在は6086号が何処からか戻ってきて荒川車庫内で保存(?)されている
#**死んだ時も、自分で調合した薬しか服まなかったので治療が間に合わなかったという話。
#*これは故・岸由一郎氏の尽力によるものが大きい
#*いつからそんなに詳しく知るようになったのか。家康七不思議の一。
#*貴重な旧都交通局塗装の車両
#終生のライバルはサナダ虫だった。
#[[府中市_(東京)|府中市]]の6191号も岸氏の手によって徹底的な修復が行われていた。何かの縁であろうか
#*サナダ虫一家の長男に女狐(実は重臣の娘)を娶わせて飼いならすことに成功、だが父親には再三翻弄され、次男には危うく槍で刺し殺されそうになる。
#*外観だけに留まらず、機能面でも修理を行っている。……まさか、動態保存する気?
#**大阪夏の陣であやうく爆死されそうになったとか。
#実は[[都営地下鉄三田線|地下鉄]]の同じ系列を名乗っていた車両よりも後まで在籍していた。
#俺の大名を斬首するなどひどいことするねぇ・・・・
#かつてプラレールで販売されていた「ちんちんでんしゃ」のモデルはこの電車。車輪の色は赤で、ベル&動力と電池を分離するため、敢えて2両で販売していた。
#[[]]
#*これを機に、[[江ノ島電鉄|江ノ電]][[箱根登山鉄道|登山電車]]も期間限定で、これの塗装変更品を販売していた。
#東照宮の神様。
#**こちらも当然チンチンと鈴が鳴るが、車輪は黄色かった。
#[[江戸時代|江戸幕府]]を開いた。
#大塚では黄色+青帯のワンマン色に変更の上、格子の中で保存されている。
#暴れん坊将軍のひいお爺さん。
#*近所のたばこ店に頼まないと開けてくれないらしい。
#*ついでにあっちのほうもかなり暴れん坊だったらしい。
#飛鳥山公園の保存車は気軽に乗ることができる。
#*子供は十一男五女。別名「三河の後家殺し」([[コーエー]]の攻略本より)
#Always 三丁目の夕日にも、模型で登場していた。
#耐えて忍んで我慢して、最後に笑った人。
#*金太郎塗装も黄色+赤帯も両方出ていた。
#*「織田が捏ね 羽柴が搗きし天下餅 すわりしままに食ふは徳川」と狂歌にされた。
#この人の最大の武器は、長寿だったことだろう。
#*そりゃあ75歳まで生きりゃあねぇ。20代~40代で死んでることがごく普通で、60まで生きられることすら稀なあの時代にあっては…。
#信楽焼の物が有名。
#いちゃもんをつけるのが好き。
#死ぬ間際に豊臣を潰した。
#名古屋から美女という美女を悉く江戸に連れて行ったために、名古屋に残された女性はみな{{あきまへん}}になってしまったらしい。
#*家康がいつ名古屋にいたんだ?それを言うなら浜松だろ。
#**某ドラマで東京もんがそう言っとった。
#*北常陸から秋田へ行った殿様でも同じ話があるねえ。
#[[春日井市]]民は「勝川」の名付け親だと思っている。
#*厳密には戦の途中で立ち寄った「かちがわ」の「かち」に、縁起を担いで「勝」の字を当てたと伝承されている。
#自称源氏。まあ、噂の域を超えているが。
#江戸→[[東京]]だけでなく、今日の[[名古屋市|名古屋]]および[[大阪市|大阪]]の街の原型をつくったのも実質的にこの人といえる。
#*「大阪=商都」ってのは、江戸幕府の政経分離政策の結果。堂島・天満・船場などもこの時代から生まれている。
#*名古屋は清州越しで著名に。


===徳川秀忠===
===7000形===
#パパ家康の存在感の陰に隠れて、けっこうえげつないことをしている人。
[[ファイル:Toden7022.JPG|thumb|150px|初代ワンマン復刻塗装]]
#*大名家のお取り潰しは、秀忠の治世中がいちばん多い。
#6000系と同様、都電全盛期の主力車両
#*パパの影に隠れて目立たずに後を継いだため、しがらみがなかったからと思われる。
#初期型と後期型では、顔が全く違う
#**福島正則が改易されるときのコメント、「先代なら言いたいこともあるが、当代ではどうしようもないわ」が象徴している。
#*のではなく、ワンマンかに際して新しい車体に載せ替えたためにこうなった。
#恐妻家と言われているが、それも偽装っぽい。
#**更新直後は、黄色+青帯(ワンマン車の色)だった。
#*そうかな。妾はいなかったし、うっかり女に産ませた保科正之とはだいぶ大人になるまで面会しなかったし・・・。
#***2005年度にその塗装に復元された車両が1両登場した。7022号車。
#隆慶一郎の小説では必ず悪役のボスになっている。
#***それどころか6000形に準じた黄色+赤帯(ツーマンの色)の塗装も登場した。なぜか黄色の部分が[[西武鉄道|西武]]より明るいレモン色。ワンマンで赤帯をつけるのは違和感を感じる。
#*柳生宗矩を片腕にして陰謀の限りを尽くす。
#都電廃止の段階でこの7000形も当初の製造両数の過半数は廃車されたが、6000形や7500形と比べると保存車両は少ない印象がある。
#*正室の於江の方も悪役。
#都電最後の釣り掛け駆動車。
#将軍にはなったが、源氏の長者にはなってない。
#『女子かしまし物語』([[モーニング娘。ファン|モーニング娘。]])のPV撮影に使用された。
#石高10万石にも満たない小大名の真田幸村に喧嘩を売ったがあっさりと負ける。それが原因で関ヶ原の戦いには間に合わなかった。(藁)
#[[NHK教育テレビジョン|NHK教育(Eテレ)]]の[[天才てれびくんシリーズファン|天才てれびくんワイド]]にあったミュージックてれびくん(MTK)のコーナーでやっていた「地図」のPV撮影にも使われた。
#*しかも部下は徳川の主力部隊。そのせいで家康は論功行賞で外様大名に大盤振る舞いせざるをえなくなる。
#8500形導入後、一部が豊橋鉄道市内線に流された。
#**彼が大名を潰しまくったのは、それを挽回するためかもしれない。
#*前扉が折り戸に改造されたが、それ以外は都電時代の面影が残っている(未更新時代の外観)。
#**家康が亡くなってから時をおかずに、弟・松平上総介忠輝を越後高田から秋田へ転封させた。
#**東海唯一の正真正銘の「チンチン電車」。
#*大名なのは幸村の親父の昌幸。念のため。
#*更に函館市電でも走っている。函館市電では、都心で廃線になった車両を旧車体のまま譲渡してワンマン化させて走り続けている。
#**上田城外戦では勝っていたが、それを罠だと気付かず、城内にうまく引き込まされて真田伏兵団にボロクソにやっつけられた。
#*これに懲りた秀忠は、大阪冬の陣では江戸から伏見を17日で移動するという強行軍を決めて遅参せずには済んだのだが、今度は兵が疲れまくって戦えなくなってしまい、汚名返上どころか汚名挽回という結果になっている。


===徳川家光===
===7500形===
#ホモだったので周囲を心配させた。
#7500形淘汰決定。ああなぜ都は7000形を選んだんだ。7500のほうがいいのに。
#*おかげで大奥が出来たわけで。
#*推測に過ぎないけど「7000形は車体更新時に台枠ごと新造、7500形の台枠は古いまま」だったとか…?でも7000形も'90年代に何両か廃車されてるんだよな・・・・。
#*ようやく抱いた最初の女は尼さん。中性的な感じが、導入には良かったんでしょうね。
#**叡電みたいにカルダン駆動化すれば長生きしていたかも。
#**その後も「尼さんプレイ」が大好きだったとか。
#***京王5000系から台車等を流用も一つの手だったかな(軌間が同じであるから)。
#*正妻は完全な政略結婚だったため、冷え切った夫婦仲どころか半軟禁状態。
#荒川線以外で使われた最後の新造車両
#親父の秀忠が嫌いで、「徳川家2代目」を名乗り、秀忠の治世を無かったことにした。
#初期型、ワンマン改造型、車体更新型の三種類が存在した
#*源氏の長者としての2代目だったのは本当。
#*初期型と車体更新型は、もはや別の車両
#*この頃までは、全国の武士を支配する根拠は「征夷大将軍」ではなく「源氏の長者」の地位だったという説もある。源氏の長者にならなかった秀忠が、なんとなくみんなから軽く見られていたっぽいのもそのせいかも。
#[[東京/台東区#上野公園の噂|上野公園]](動物園)と[[東京/文京区#根津の噂|根津]]の境界の辺りに保存車がある。方向幕は「池之端児童遊園」。
#*一方祖父の家康が大好きで東照宮を作った。また、自分と似た境遇の伊達政宗を重宝していた。
#*更新車体の保存車は↑が唯一だが、車体更新前のものであれば荒川車庫前の「都電おもいで広場」や[[小金井市]]の「江戸東京たてもの園」をはじめとして都内数箇所に保存されている。
#名君説と暗君説があるが、俺は名君説を支持したい。
#**江戸東京たてもの園の保存車両は、紐を引っ張るとベルが「チン」と鳴るようにしてあるため、子供に遊ばれ、そのうち同じ小金井公園内の蒸気機関車+客車みたいな無残な姿になりそうな。東側運転台のは、既にもげそうな感じ。
#*「将軍家光忍び旅」([[テレビ朝日]])を見てなんとなくそう思いたくなったのは内緒。
#7000形もそうだが、旧車体・新車体とも30年持っていない。路面電車としては異常なまでの車両寿命の短さである。
#*夜な夜な変装して辻斬りにいそしんでいましたが・・・、名君?。
#江戸四大飢饉のうちの一番初め、「寛永の大飢饉」発生。
#[[wikipedia:ja:松平長七郎|長七郎]]の伯父さん。
#実は、織田信長の姪の子供。織田家の血筋も入っている。
#*浅井長政も忘れないで。
#青山忠俊とのエピソードは完全に家光が手玉に取られた感がある。
#家光時代の幕閣は、秀忠時代からの土井利勝に加え、「知恵伊豆」松平信綱、初代会津藩主保科正之、阿部忠秋、酒井忠勝と多士済々。
#御三家の尾張義直とは険悪な仲であり(義直は謀反の嫌疑までかけられている)、紀州頼宣とも微妙な関係であったらしい。逆に水戸の頼房とは一緒に夜遊びに感けるなど良好な仲であった。
#暴君ネロもびっくりするほどのキリスト教徒の大粛清を行った。
#*いつヨーロッパから十字軍が来てもおかしくなかった状況だったが、同じころドイツで三十年戦争があったおかげで堂々と粛清できた。
#*宣教師が「殉教しろ」と命じたこと、日本の信者の質が高かったことも要因。キリスト教の歴史を見てみれば、島原の乱以外に反乱が起こらなかったのは奇跡。その島原の乱も半分はキリスト教と関係ない浪人だったみたいだし。


===徳川家綱===
===8500形===
#大老・酒井忠清の言うなり。なんでも「そうせい」と許可したので「そうせい公」と渾名された。
<!--[[画像:TDA8501F00.jpg|thumb|90px|<Small>新庚申塚駅にて</Small>]]-->
#*幕末の毛利敬親も「そうせい侯」と呼ばれた。
#上記の形式を置き換えるために製造された
#**毛利の方は、伊藤博文や井上馨などを輩出するなど、呆れるほど上手くいった。
#*だが、財政難により頓挫
#***毛利は殿様が口をはさむと優秀な人材が伸びないと思ったからそうせいそうせいと言っていたらしい。いわゆる放任主義というやつ。ただ、重要な場面は全部敬親が決断していたそうだ。
#都電としては28年ぶりの新型車両であった
#家光の長男。産まれてすぐに「後継者」として育てられる。
#この電車から中扉ブザーが森尾高音ブザーからホロホロブザーに変更された。
#幼少期時江戸城天守閣へ登った際近習の者が遠眼鏡をすすめたが、「自分は少年ながら将軍である。もし将軍が天守から遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、おそらく世人は嫌な思いをするに違いない」と遠眼鏡を手に取らなかった。
#前扉は片開きのままであるが、中扉は本形式より両開きに。
#*島流しになり、流人となった者の話を聞き、家綱は「彼らは一体何を食べているのだ?」と側近に尋ねたが誰も答えられず、それに対し家綱は「命を助けて流罪にしたのに何故食料を与えないのか?」と言った。それを聞いた父の家光は喜び、「これを竹千代(家綱)の仕置きはじめにせよ」と家臣に命じ、流人に食料を与えるようになった。
#*ドアの窓が丸いという点が仙台市交南北線の車両に似ている。
#外様大名などに一定の配慮を行なった(末期養子の禁を緩和等)
#*前扉も片開きであることにも関わらず、両開きに合わせて小さい楕円窓が二つ並んでいる。
#*そりゃ将軍就任早々に「由比正雪の乱」が起こってるからな。
#前面の窓が釣り掛け時代より大きくなった。
#**エピソードを見る限りかなり優しかったんだね。お父さんと違って。
#*[[江ノ島電鉄#2000形|江ノ電2000形]]と同じ。
#都電最後の巻取式方向幕車両でもあった。
#*「ワンマン入口」の表記もこの形式が最後。


===徳川綱吉===
===9000形===
#犬公方。
[[画像:TDA9001F00.jpg|thumb|90px|<Small>荒川車庫にて</Small>]]
#*犬を特に保護したのは自分が戌(いぬ)年だったからだが、犬以外の動物も保護していた。
#旧東京市電をモチーフにした車両
#*世の中から殺伐とした気風を無くそうとの深慮遠謀のつもりだったらしい。
#*通称、レトロ車両
#*それなのにお膝元の江戸城で、浅野内匠頭が刃傷沙汰を起こしてしまった。ブチ切れるのも無理はない。
#**プレスリリースでは、トロリーポールや網の救助機が描かれていたが、実用性の高いシングルアームパンタグラフとスカートに計画変更。
#*元々は「動物を可愛がろう」という程度の御触書だったのに、みんなにおちょくられて次第に厳罰化。
#**内装も木目調で照明は電球色で、手すりが真鍮製などかなり凝った作りである。
#金銀を改鋳。
#***地味にLED表示機の下に液晶テレビを備えるが、お花見トレインみたいなイベント時以外は蓋が被せてあり、使っていない。
#*実行した荻原重秀は、「通貨とはそれ自体の価値を持つものではなく、発行者の信用によって価値を獲得するものだ」という経済思想を世界で最初に考えついた天才。
#*シンボルマークも銀杏ではなく、東京都の都章である
#*つまり、「実際の小判一枚にどれだけの分量の金が含まれていようと、それを幕府が一両と言えば一両になるんだ」という「信用貨幣」の考え方で、欧米でこの考え方が始まったのはずっと後のこと。
#*ただし性能は最新型で、VVVFインバータ制御を搭載する。
#**実際、綱吉の時代は江戸時代通しても有数の好景気に恵まれている。
#2両のみ存在
#*しかし、あまりに天才的すぎて誰も理解できず、奸物の汚名だけをこうむって失脚。
#*9001:赤
#**天才というのは、評価してくれる人が居てはじめて能力を発揮できるんですね。
#*9002:青
#*日本が鎖国していて、外国との決算が限られていたからこそ築けたと思う。もし、貿易が盛んだったら、外国でも通用する品位の安定した貨幣を作らざるを得なかっただろう。
#**こないだ青いの乗ったケド、CPが殆ど鳴り止まないのには閉口。
#*この政策によりマネーサプライが増加し、元禄景気が発生した。
#貸し切りに使うとしたらこの車両が最適。
#**世界でも最も早い金融政策であると言えるだろう。
#新造費が今までの車両の中で最も高い。
#*もし荻原重秀が書物を残していたら、アダム・スミスと並ぶ経済学の古典となっていたと思われる。
#*一両約2億円。8800が一両1億4000万なのでかなりの奮発ぶり。
#*荻原重秀を追い落とした新井白石は、その書物の中で荻原重秀をdisりまくった。
#**経済論争が口汚いのは、この時代からの伝統である。
#学問好きで、儒学を諸大名に講義したり、湯島聖堂を建てさせた。
#*ただし、その学問の中には経済学は含まれない。上項の荻原重秀の経済理論はまったく理解できなかった。
#**経済学は、この時期西洋でもようやく研究され始めた頃。この時期の日本でそれを求めるのは無い物ねだりに等しい。
#*そのおかげでようやく学問が社会に必要だと認知され始めた。それまで学者は社会の落伍者扱いだった。
#「低身長症説」がある。
#*根拠は徳川氏の菩提寺である大樹寺に収められている歴代将軍の位牌はそれぞれの身長に合わせて作られている、という説があり、綱吉のそれは124cmしかなかったことである。
#*もっとも、この位牌は、骨が残っている将軍と比較した結果、割といい加減に作られているらしい。
#母親孝行息子か、ただのマザコンかは微妙。
#*母親の桂昌院は元八百屋の娘で名前をお玉。「玉の輿」の由来はこの人から。
#優秀であれば外様大名でも登用したりした。
#綱吉の治世の前半は基本的には善政として「天和の治」と称えられている。
#*前半はな。
#*後半も方針は変わっていない。が、彼の政策を理解していない人が多数派だったことや、地震や富士山噴火が起こるなどしたために悪口を書かれるハメに。
#忠臣蔵や水戸黄門にはつきものの将軍の為、知名度は高い。が、やや悪役になる。
#グリーンピースやシーシェパードなどの一部動物愛護団体の関係者にとっては'''理想の君主'''。
#*つまり理想的なテロリスト、と。
#*ぶっちゃけ当時は人間の方がよほどテロリスト。ささいな喧嘩で刃傷沙汰になったりなんて日常茶飯事。要するにテロリストを普通の人間に教化してくれた人と言える。


===徳川家宣===
===8800形===
#綱吉の甥。
[[画像:TDA8801F.png|thumb|90px|<Small>町屋二丁目駅</Small>]]
#*家光の三男綱重の息子。綱吉は家光の次男。
#2009年に登場した車両
#法度類を変更しないようにと綱吉から遺言されたが、さっさと生類哀れみの令を廃止してしまった。国じゅうみんなが「GJ!」と思った。
#デザインを一新し、車体色もピンクと白になった
#*'''実は廃止されていない。'''罰則は無くなったので実質的には廃止だが。しかしこれも「違反者がいなくなったから」というのが理由らしい。
#*ピンクのほか、紫や黄色など車両ごとに様々な色が登場した。
#*近年の研究では、生類哀れみの令は未だに戦国の遺風で人命軽視が著しい社会を変える為に、ワザと極刑を科す事で生命尊重を植えつけようとしたという説が強い。まあ、この時期に解除したのは妥当な判断だと思うが。
#これをもって、今度こそ旧形式を全て置き換える予定
#**ちょいと先を読みすぎた法律だったしな。
#*と思ったら7000形の現役続行が決定。良かったのかどうなのか
#***そして柳沢吉保が空気を読んで引退。
#*代わりに7500形が生贄になった
#*綱吉との仲が悪かったという理由も。
#性能は9000形とほぼ同じ。
#*家宣は葬儀の2日前に綱吉の柩の前で、側用人の柳沢吉保に対し「生類憐みの禁令に触れ、罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のために、あえて遺命に背くこととする」と言った。柳沢は何も言えなかったらしい。
#*それにより8千人近くが釈放された。
#*どうもこれは作り話らしく、実際は綱吉路線を引き継いだらしい。収容されてる人間の数もいくらなんでも多すぎる。
#新井白石を重用したが、白石が経済音痴だったので財政悪化。
#*田沼の水が恋しくなったのもこの頃でしたっけ?
#**それは「寛政の改革」。徳川家斉の項を参照のこと。
#*通貨の金銀含有率を上げてマネーサプライを減らしたため、日本はデフレ不況に陥ってしまった。
#*この政策は現在の日銀に受け継がれている。
#**きれい事だけではだめなんだな。
#増上寺の遺体調査によると美男子だったらしい。
#48歳で将軍に。しかし在位3年で死去。
#綱吉から養子(後継者)として迎えられて江戸城西の丸に入った時、下心を持つ諸大名や旗本が賄賂に近い祝い品を持って来た。が家宣はこれらを全く受け取らなかったと。後に将軍になると、人事を一新して不正を厳しく取り締まった。


===徳川家継===
====
#新井白石のごり押しで、4歳で将軍になる。
*三ノ輪橋 - 荒川一中前 - 荒川区役所前 - 荒川二丁目 - 荒川七丁目 - 町屋駅前 - 町屋二丁目 - 東尾久三丁目 - [[東京23区の駅/荒川区・北区#熊野前駅の噂|熊野前]] - 宮ノ前 - 小台 - 荒川遊園地前 - 荒川車庫前 - 梶原 - 栄町 - 王子駅前 - 飛鳥山 - 滝野川一丁目 - 西ケ原四丁目 - 新庚申塚 - 庚申塚 - 巣鴨新田 - [[東京23区の駅#大塚駅の噂|大塚駅前]] - 向原 - 東池袋四丁目 - 都電雑司ヶ谷 - 鬼子母神前 - 学習院下 - 面影橋 - 早稲田
#*親父の家宣は、息子が幼少なのを案じ、次の将軍に尾張徳川家の吉通を推薦したが、白石は儒教的スジ論から反対。
#*「それならせめて吉通殿に後見して貰ってはどうだ」という家宣の提案にも白石は反対。こっちは自分の権力低下を恐れたか?
#8歳で病死。これにて秀忠の直系子孫は全滅。
#*新井白石、間部詮房などの権臣たちは、次の吉宗に忌避されて軒並み失脚。吉通を迎え入れていれば降格程度で済んだかもしれないのに……。
#*ちなみに7歳で婚約。
#*「家を継ぐ」なのに後継ぎを残さぬまま亡くなっちゃった・・・。
#日光の輪王寺宮が江戸城を訪れた際、深々と頭を下げる彼に対して、子供ながら家継は軽く会釈して見送った。その姿はとても自然で大人顔負けであったらしい。


===徳川吉宗===
----
#暴れん坊将軍。
{{東京都交通局}}
#*↑というと痛快なイメージがあるが、実はどっちかというと陰謀や裏工作が得意だったらしい。将軍になった経緯もいまいち不透明。
#*努力家。政務が忙しい中、[[明]]の法律書から博物学書、果ては[[三国志ファン|三国志演義]]まで様々な知識を吸収して、政策に生かそうとした。
#*劇中、江戸城のシーンで姫路城の天守閣を用いているが、江戸城天守は吉宗が生まれる数十年前に明暦の大火で消失しており、その後現在に至るまで再建されていないため、この描写はおかしい。
#目安箱設置。
#*名君の証左とされるが、高級官僚と仲の悪い独裁者が直接民衆と結びつこうとするのは珍しくないことで、そんなに褒めた話ではない。
#**目安箱は明治になるまであった。
#米公方。
#*徹底した農本主義者で、かなりの水準に達してきていた商品経済や金融経済をひたすら弾圧。
#**一説によると母親は百姓の娘だとか。
#*それで不況も何回か起こった。一方で、貨幣改鋳によるマネーサプライとかもやって、物価安定に尽力した面もあるが。
#*享保の改革は、それでも寛政や天保より幾分かまし。まだ経済学を勉強しているから。
#**実は寛政の改革の松平定信は、懐徳堂などの先進的な学問も知ってはいる。殆ど政策に生かせてないけど。
#**そもそも当時経済学という学問が、日本どころか世界でも殆ど存在していない。それなのに、経済の無知を理由で吉宗を責めるのは、「後出しじゃんけん」でしょう。
#**先代より劣ってしまっては「駄目なんじゃね?」と言われるのはしかたない。
#***財政再建の一番の要因は上米令と増税によるもの。結局は百姓一揆が激増。
#*吉宗の死後、傍らに置いていた箱の中から数百枚の反故紙が見つかった。そこには細かい文字で、浅草の米相場価格がびっしりと書かれていた。
#紀伊藩の四男なのに、兄達が次々と早死。22歳で紀伊藩主となる。その後第7代将軍・徳川家継がわずか8歳で亡くなり、見事将軍に。
#*どっかの大学の数学者は、これを天文的確率と計算した。
#*系譜から行けば将軍職は尾張藩に回る可能性があったが、当主が三代連続不審死を遂げるなど藩内はゴタゴタしており、結局吉宗が将軍に選ばれた(これも天文的確率?)
#ブス専。大奥に不器量な娘だけ残したり、不器量で嫁の貰い手がなかった娘に一目惚れして側室にしたりしている。
#*美人は大奥以外でも仕事があるとした名将軍との説も
#*それに、ブスの娘を残してくれた父親が家臣だったら感謝で幕府に尽くすだろうし。毛利家でも優秀な武将の娘(ブス)を嫁に迎えることで・・・ということがあったらしいし。
#パチスロでも大人気。
#近年、業績に関して突っ込まれているが、やっぱり名君。
#*足高の制と、やはり彼の時代に許された御家人株の売買による農民や町人の登用によって、身分制の枠を超えた人事が可能になった。この制度がなかったら、勝海舟や川路聖謨といった幕末の人物が全く活躍出来なかっただろう。
#*[[根菜#薬用ニンジンの噂|高麗人参]]をはじめとする薬種国産化プロジェクトにより、博物学をはじめとした科学が発達しただけでなく、日本全体の公共的な利益や国民全体の福利厚生の発想を生んだ。「技術立国・日本」の元祖と言えるかもしれない。
#**御三卿の創設だけは擁護不能。幕府滅亡の遠因を作ってしまっている。
#酪農も推奨している。
#*インドから牛のつがいを輸入して飼育していた。その乳でチーズやバターをつくって薬のように食べていた。
#「米が無いのならイモでも食べれば」という発想で「さつまいも」を奨励。
#理系かつ体育会系。
#*鷹狩を頻繁にやっていた。
#*冬でも薄着で平気でいたとか。
#*庭に望遠鏡を据えて星を観測したり、白毛が多いオシドリを品種改良でつくって、その種を「白鴛鴦」と名付けたりしている。


===徳川家重===
{{DEFAULTSORT:とてんあらかわせん}}
#言語不明瞭で、家重の言っていることがわかるのは側用人の大岡忠光だけだった。
[[Category:東京都交通局|あらかわせん]]
#病気がちで、あんまり表に出てこなかった。
[[Category:東京の鉄道]]
#本人がはたして人として暗愚であったかどうかは微妙。
[[Category:路面電車]]
#*大岡忠光や、田沼意次のような人物を登用している点を見れば人を見る目はあったのかも。
#大河ドラマ「八代将軍吉宗」で、中村梅雀が名演技を見せた役。
#*西田敏行氏演じる吉宗が「ヤツは酒を呑み過ぎる」と嘆いてた。史実と違うかもしれないが。
#実は女だったかもしれないという噂あり。
#バカ殿様のモデル。
 
===徳川家治===
#頭は良かったがオネショの癖が抜けなかった。渾名は小便公方。
#*それは9代将軍家重だろ
#**違うよ。
#***何を根拠にそんなこといってるの?
#田沼意次を重用し、吉宗が弾圧した商品経済・金融経済を大いに奨励。
#*しかし家治が死去したので頓挫。
#杉田玄白、平賀源内などオモシロ文化人が大活躍。
#将棋にはまる。将棋についての本まで書いた。
#*将棋は棋譜が残っており、(もし棋譜が純粋に徳川家治自身の実力のみで指されたと仮定すれば)現在のアマ高段者レベルだったと推定される。
#習字の手習いで「龍」の字を書いた時、あまりにのびのびと紙いっぱいに書いたので最後に点を打つ場所が無くなってしまった。すると家治は紙の外の畳の上に点を打ったのであるが、吉宗はこれを知って家治を大いに褒めたという。
#祖父である吉宗のように「名君たらん」といつも意識し、食べ物にして変わったものが出ると「これは先々代様も食べられたものか?」と確認するほどだったという。
#ある激しい雨の日、家治は1人の近習が空を見上げ溜息をついてるのを目にした。別の者にその訳を聞いたところ、「あの者は貧しく、家が朽ちて雨漏りがしており、今頃親が苦心していることを思っているのでしょう」と答えた。更に家治は幾らあれば直せるのかと聞くと、「100両もあれば直せると思います」と答えた。家治は密かに溜息をついていた近習を呼ぶと「孝を尽くせ」と100両を渡したという。
 
===徳川家斉===
#オットセイ将軍。
#*なんと28男27女をもうけた。その他にも御落胤が何人も……
#*それらの子の片づき場所を確保するため、あちこちの大名家に無理を強いた。
#**その結果、有力大名のほとんどに家斉の血筋が入ったが、皮肉なことに家斉の出身である一橋家は後に家斉の血筋が途絶えてしまった。
#***御三家、御三卿の中で唯一家斉の企みを免れた水戸家の跡取りが一橋家の養子に入った。
#*家斉の21女溶姫を押し付けられた加賀藩主前田斉泰は、彼女を迎えるために藩邸に赤い門をわざわざ建立した。これが後に移築されて[[東京大学|東大]]名物の赤門となった。
#*精力絶倫で身体も頑健。在位中の病歴は風邪で数回寝込んだのみ。
#**養育費も幕府財政を悪化させる原因に・・・。
#*精力増強のため、オットセイのペニスを粉末にしたものを飲んでいたから。
#文化文政時代到来。江戸期文化の爛熟期。
#*時代劇に出てくる風俗は大体この時代のもの。元禄時代のはずの水戸黄門や忠臣蔵モノでも同様。女性の髷の形からして違うんですが……。
#**シーボルトのおかげで当時の医学技術が進歩した。
#生きているうちに太政大臣になった武家出身の人物は、彼を含めてたった6人しかいない。
#*あと5人は、平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠。ちなみに織田信長には明治になってから太政大臣の官位が追贈された。
#**豊臣秀吉は武家ではなく公家として太政大臣になった。
#幼少の頃、カニや鶏を殺して遊んでいたという嫌な逸話がある。
#最初に松平定信が田沼路線を否定した構造改革を行うが、あまりに恐怖政治とデフレ不況がひどかったので7年で失脚。
#*家斉自身にも倹約を押しつけられ、一度定信を斬ろうとしたが止められた。
#家斉の在位50年は歴代将軍の最長記録。
#「白牛酪」(はくぎゅうらく)という今で言うチーズのような高タンパク乳製品を大変好んだ。また生姜を好み、1年中食べていた。
#*長生きの原因?
#外交に無関心ではいられなくなったのはこの頃。
 
===徳川家慶===
#14男13女をもうけたがほとんど夭折、ただひとり育った家定とは不仲という、子供運の悪い人。
#黒船来航の騒ぎの中死去。老中・阿部正弘などは「なんでこのクソ忙しい時に……」と舌打ちしたことであろう。
#最初に水野忠邦が構造改革を行うが、あまりに恐怖政治がひどかったので3年で失脚。
#家慶は趣味に生きた将軍で、政治を省みなかった。そのため、諸大名の間では評判が悪く、家臣の意見を聞いても「そうせい」というのみであったから、「そうせい様」と呼ばれていた。
#*それで子供には早世されてしまったのか。
#*同じ「そうせい侯」でも長州藩主とは偉い差……
#天保の大飢饉や大塩の乱、黒船来航といった大事件、蛮社の獄や天保の改革といった狂気としか思えない圧政によって庶民の信頼をほぼ完全に失った。
 
===徳川家定===
#早々とタネ無し認定され、在世中から後継者争いが始まっていた。
#*また脳性麻痺の説も。
#*人前に出るのが苦手で、乳母である歌橋にしか心を開かなかったらしい。
#豆やイモを煮るのが得意だった。松平春嶽から「イモ公方」と呼ばれたとか呼ばれないとか。
#*カステラ作りも得意だったと言われる。
#*豆やイモを煮ては家臣に食べさせてうれしがったという。
#ガイキチ将軍といわれたとか。
#新型銃を献上されたとき、その銃を構えて家臣を追いかけ回した。
#一橋慶喜が大嫌いで登城すると聞いたとき一日中奇声を発していたとか。
#篤姫の夫。
#ハリスと引見した際、言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動をとったとある。しかし、家定はハリスに対して「遥か遠方より使節をもって書簡の届け来ること、ならびにその厚情、深く感じ入り満足至極である。両国の親しき交わりは幾久しく続くであろう合衆国プレジデントにしかと伝えるべし」と告げ、将軍らしい態度も見せた。が、立派な返答をしたのは床下に控えていた代理であり、足を踏み鳴らしたのは代理に対して合図を送っていたという説もある。{{Long article L}}
#ペリーが来航したり、開国条約を結んだりという非常時に、30代の家定はガチョウを追いかけ回したりして遊んでいた。もう開き直っていたのかもしれない。
 
===徳川家茂===
#井伊直弼のごり押しで就任。
#*ところがその井伊直弼は恐怖政治を行った挙げ句、あっという間に暗殺されてしまう。
#徳川将軍で唯一皇女(和宮)と結婚。仲が良かったのか悪かったのかよくわからない。
#*家茂が亡くなったとき、和宮が詠んだ歌は泣ける。
#みずから長州征伐に出向く途中、大坂城で病死。
#*責任感は強かったんだろうね。大坂城から逃亡した慶喜とはえらい違い。
#甘いお菓子が大好きだった。
#*ゆえに虫歯だらけだったとか。
#*脚気で死んだのは、こういう偏食が祟ったからとも。
#幼少の頃は池の魚や籠の鳥を可愛がるのを楽しみとしていた。しかし13歳の時に将軍として元服すると、それらの楽しみを捨てて文武両道を修めるように努めた。病弱な体なのにささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は幕臣たちを当時も没後も感激させたという。
#後継ぎには徳川亀之助(田安家)を指名していた。一番血筋が近い人物だったが…。
 
===徳川慶喜===
#非常な切れ者だった説と、けっこうアンポンタンだった説が入り乱れている、最後の将軍。
#*目的のために手段を選ばない、かなり非情な人だったのは確からしい。
#*桂小五郎に家康の再来だと言わしめた男
#*変な行動が多すぎて、百年以上経った今でも「有能」か「無能」か、評価が極端に分かれる男。
#大政奉還をおこなう。
#*{{薩長}}の機先を制し、大義名分を失わせるためだった。自分は新政権の首班になる気満々。
#*窮した薩摩藩は、岩倉具視と図って倒幕の密勅を偽造。慶喜はあわてて逃げ出す。謀略戦は「より」手段を選ばなかった薩摩側の勝利。
#将軍を辞めてからは、死ぬまで悠々自適な生活をしていた。
#*写真撮影を趣味にしたり、明治初期に当時珍しかった自転車に乗っていたりしていた。
#**でも撮影技術はイマイチ。「俺の写真、投稿してもなかなか採用されないんだよ」と悩んでいたらしい。
#***ただ最近はネームバリューと、この時代の写真そのものが希少であるため、評価が上がっている。
#***ちなみに慶喜の写真を世に出したのは、曾孫でカメラマンの徳川慶朝氏。
#*手裏剣の達人で、毎日鍛錬を欠かさなかったとか。
#*投網は玄人はだし、日本刺繍もかなりの腕前。この芸達者さんめ。
#*特技は飯盒でご飯を炊くこと。つくづく趣味に生きる人だ。
#**しかもその飯盒は自分が調達した銀塊で造幣局に作ってもらった。
#*撮りテツの元祖との噂もある。
#子供の頃は寝相が悪く、矯正するために枕の両脇にカミソリを立てて寝かされた。
#長州は最初から敵だったので恨みはなかったが、薩摩は途中から倒幕に寝返ったので、死ぬまで恨んだ。
#身長が意外と低く、150cmぐらいだったらしい。
#*当時の成年男子の平均身長なんて160cmにも満たないくらいじゃないの?
#[[フランス]]マニア。
#他の徳川の親戚には怨まれている。まあ当然か。
#子供の頃、事情を知らなければいじめと思われそうな「豚一様」というあだ名で呼ばれていた。
#*「(薩摩名物の)豚肉がお好きな一橋様」という意味。
#本寿院から蛇蝎の如く嫌われていた。
#*名前を聞くだけでも気分が悪くなるほどだった。
#大正まで生きた。
#*もしかしたら、幼い時分、「ケイキさんに頭をなでなでしてもらった」というお年寄りが今なおご存命かも知れない。
 
{{DEFAULTSORT:せいいたいしようくんえと}}
[[Category:日本史]]
[[Category:バカ人物志]]

2015年10月16日 (金) 10:30時点における版

都電荒川線の噂

7000形と満開のソメイヨシノ
  1. パスネットは使えないが、バス共通カードが使える。
    • Suicaも使えます。
      • PASMOも使えます。
        • つまるところバスと同じ扱いなので、バスチケットが付きます。
    • 実際、バスと鉄道を折衷したようなテイストの乗り物。ホームはあっても改札はないので駅というよりバス停のような感じ。
      • 実際に駅ではなく停留所だからね。
      • だから、降りようとする停留所が近づいたときに降車ブザーを押さないと、乗客がいない場合は通過してしまう。
        • 都電に限らずどこの路面電車でも同じだと思うが。
          • 今の都電は乗降がなくても一旦停止(かそれに近い徐行)をし、信号が変わるのを待って発車するはず。
      • 軌道内を自動車が走れる区間があるので、ブレーキ灯まである…
        • 東京では軌道内が自動車乗り入れ可になってる。ほんとはこれは例外的扱い(本来は右折などやむをえない場合を除いて乗り入れ不可)なので、東京で慣れてしまってほかの地域に行くと大変なことになる場合も。
          • 一回広島に行ってみようね。
            • 広島は軌道内で往生こいてるとパノラマカーもかくやの如き勢いで容赦なく電車がつっこんでくると聞いた事がありますが。
          • 乗り入れ可の場合でも電車の走行を妨げてはいけないので、電停や信号以外で停まることはなく、バスよりもスムーズ。
        • ブレーキ灯は2006年に発生した電車同士の衝突事故(下記参照)を受けて設置されたもの。
    • フリーパスは乗務員さんに直接見せます。
  2. 池袋乗り入れの構想がある。
    • 東京都ではなく豊島区(というか豊島区長)が熱心に計画を弄り回している。実現するかは???
  3. 元々は王子電気軌道という私鉄であり、後に東京都(当時は東京市)が買収した。
  4. 路面電車と言われるけど、実際に公道に線路があるのは尾久と王子の一部だけであとは全区間軌道専用の用地上を走る。
    • だから線路を引っ剥がされずにすんだ。
      • 宮ノ前付近の併用軌道は道路拡幅の上専用化された。今残っているのは飛鳥山~王子駅前間のみ。
        • 京阪京津線よりも併用軌道の区間が短い。だから路面電車とは言えない。
    • 昭和40年代後半「ニューヨークにもロンドンにも既に市電はない! これからは自動車と地下鉄の時代だ!」と、都電を引っぺがす→平成時代になって環境問題深刻化→路面電車はエネルギー効率もよく維持コストも地下鉄より安く世界各国で評価が高い→「何であんな事をしてしまったんだ……」
      • あと、交通局が当時経営難に陥ったからという理由もある。
        • 地下鉄建設するよりは都電運営し続けたほうがよかったのでは…
      • っつーても地下鉄で空いてる路線なんてないんだけどな。
        • ん? Nanboku Lineは?
          • 思ってるよりは混んでるよ。市ヶ谷~飯田橋辺りを中心に。
            • 三田線の8両化を阻む程度には空いているがな。どちらもよく使うが明らかに南北線の方が空いている。
      • 昭和40年代までは東半分は三ノ輪橋-王子-赤羽の路線だったが、王子-赤羽間は道路上だったので廃止された。
        • 都電全盛期の27系統(赤羽~王子~三ノ輪橋)と32系統(早稲田~荒川車庫前)を統合したのが荒川線。
        • そして当時の王子-赤羽間の経路の真下に、現在東京メトロ南北線が走っている。
          • 都バス王57系統も都電代替として設定以来走っているが、混雑するのはついでに付け加えられた王子-豊島五丁目団地間という有様。
    • 路面電車をなくして後悔したのは東京だけではない。
    • と、全国的に路面電車の良さが見直されてる中で市電を廃止し、一層の中心部の空洞化・郊外の過疎化が進んでしまった岐阜市・・・
      • でも路面電車より地下鉄のほうが環境にやさしいがな、なぜなら路面電車は惰性で走行する機会があまりないし、それに近郊線にも乗り入れられないからな日本の場合
        • 地下鉄は車両以外の設備で消費するエネルギー量がハンパ無い。ただ東京の地下鉄は全線消費エネルギーに見合う輸送実績があるが。それとこちらも参照の事。
          • あと広電の宮島線とかかつての名鉄岐阜市内線電車とか。
        • 地下鉄はエネルギー効率という点では路面電車より有利だが、駅間が延びたり乗り降りが大変だったりと利用者には必ずしも優しくない。実際、大江戸線の開業を機に都バスの路線網がかなりの規模で見直された(並行路線をほぼ全廃した)が、不評のためのちに一部の区間でバスが復活した。
      • これだけ車が普及してしまった今の社会に特別広い道路が無い場所に路面電車をひいておくのは結構キツい。経済成長のタイミングもあったことだし淘汰されたのは仕方ないことかと。定時で運行できるバスを考える方がコスト面でも柔軟性でも現実的じゃないかな。
        • 道路にバスが定時運行できる余裕があるなら路面電車でも同じ事。
    • 専用軌道区間を電車が走っていないときに見るとまるで普通鉄道のような趣。
  5. 保存鉄道のような意味合いを期待して乗りに行くと、一般客でフツーに混んでいるので戸惑う鉄ヲタ多数。
    • 日暮里・舎人ライナー出来て更に乗客が増えた気が‥‥
  6. 北千住延伸。
    • 三ノ輪から千住大橋―北千住。
      • さらに北千住-亀有-亀有警察署(現実で)ってのが「こち亀」にあった。
    • 東池袋四丁目-池袋駅前間の支線建設計画もある。
      • 豊島区営LRTか?
  7. 発車するときにベルが「カンカーン!」と2回なる(チンチン電車と呼ばれている由来)。
    • 「チンチン電車」のもともとの由来は車掌が運転士に発車を促す合図の電鈴の音。都電はその愛称にちなんでワンマン化の際にそれを再現する仕組みを搭載した(一度扉を開けたあと全ての扉が閉まると自動的にベルが2回鳴る)。
    • 首都圏在住の人は「チンチン電車」という言われると、主にこの路線を思い浮かべる。
      • まあ、関東は他に路面電車無いし(さいたま市宇都宮市がLRTの導入を検討してるけど)
        • 前橋市長も検討しているみたいですよ。
  8. 運賃は一律。
    • 都バスより安い!
  9. 王子駅の西の坂は、乗ってみて驚いた。あんな坂上るのかよ、と。
    • 他に長崎くらいしかあんな坂を上ってる路線はないかも。サスガは「坂の都」。
      • 長崎の市電にもあそこまで急な坂はなかった(谷の底をぬうように走っている)。鉄輪でよく滑らずに走れるものだ。
    • 昔都電が主要な交通機関だった頃は、都電が通れるように道幅を拡幅したり、都電が登れるように坂を緩くした場所があった。今でも道路の線形が不自然だったり、交通量の割に妙に幅が広かったりといった痕跡が。
    • たまにで良いから大塚~向原&千登世橋の切り通しも思い出してあげて‥‥
  10. 以前ブレーキ検査中の試運転電車に後ろから営業電車が激突して乗客が多数ケガという事故があった。ブレーキ試験は車庫でやればよかったのに。
    • 高速からの急ブレーキ性能試験だから車庫では無理。今でもやってる。
  11. 荒川車庫の隣には昔走っていた都電が2両保存されている。
    5501号保存車
    • 「都電おもいで広場」。展示車両の中は簡単な資料館になっていたり、隣は荒川車庫で電車の出入りが激しかったりで結構飽きない。しかも無料。鉄道が好きな人にはお勧め。
  12. 都営交通で唯一女性乗務員がいる。
    • 都営バスにもいるので嘘。
    • 2007年8月の時点で浅草線にもいた。
  13. 王子のホームの入口に駅員がいて、運賃は乗る前に駅員に払う。
    • ‥‥ときもあるw
  14. 早稲田電停とは遠く離れた所に同名の駅を作られたり、丸ノ内線には向原電停を無視されたり、副都心線の乗換駅には「鬼子母神前」の名前を無視された挙句「雑司ヶ谷」の名前を変えさせられる羽目になったりと、営団時代から東京メトロとは相性が悪い。
    • 車内に「副都心線の乗り換えは鬼子母神前です」と書いてあった。
    • そういえば都営地下鉄新宿線の急行も東京メトロとしか乗換えが出来ない駅は悉く通過してるな(新宿三丁目・九段下・小川町・住吉)。
  15. お年寄りや観光客が多いせいか、比較的乗務員さんは親切で朗らかな人が多い様な気がする。
    • とげ抜き地蔵の縁日(4が付く日)と休日が重なると、最寄り電停の庚申塚を挟む大塚駅前~王子駅前間はおばあちゃんで大混雑。
  16. 多くの踏切の警報音は小田急電鉄のものと同じ。
  17. とにかく踏み切りだらけ。
    • おかげで煩い。沿線の桜丘高校のOBだが学校の前にも踏切があって勉強の邪魔。それ以上に電車がすっ飛ばすから煩いけど。
  18. 沿線で白十字の広告をやたらと見かける。
  19. 軌間が都営新宿線京王線と同じ。新宿三丁目まで延伸して夢の相互乗り入れが実現…はしないな。

車両の噂

ファイル:7500.jpg
惜別 7500形
  1. 6152号「一球さん」は、京福電鉄のせいで廃車になった。
    • その後、荒川車庫に置くスペースと予算が無いとかで6152号は荒川遊園に貰われて行った
    • しかし2008年、同形式(6000形)の6086号が新たに荒川車庫へ里帰り。留置スペースと予算は何処から…
  2. 新型車落成!
    • 何形よ!?
  3. イスが少ない。前向きのイス、1人がけにする必要あんのか?しかもシルバーシートだから座れないし。
    • 昔みたいに全部長いイスに。
    • 常に「乗っているお年寄りの数>全座席数」なので、若い人はまず座れない…
      • 巣鴨に程近い庚申塚駅があるからね。
  4. 2000年ぐらいから車体に広告が貼られるようになったが、貼られているのはほとんどが旧型車両で新型には貼られていない。
    • 他の会社の広告車両と違って前と後ろだけ元の色を残してあって中途半端。
      • 都電は都営バスと同じ扱いなので。視覚障害者団体やバス事業者同士の取り決めで、路線バスは前面を事業者のカラーのままにする必要があったはず。
  5. 実は7000形と7500形は都内ではここでしか味わえないレトロな音を上げている。
    • ……ことはなかったりする。軌道線用の車両はVVVF化後も釣り掛け式か直角カルダンが主流なんで路面電車のある地区ならたいてい聞ける。
      • むしろ、軌道線車両の分際でWNドライブを使っていたりするのこそ、いまやここぐらいしかない。
      • 都内の軌道線はここ以外だとここぐらいだが、レトロな音は味わえない。軌道と言えるかは置いといて。
  6. アルナ車両が2015年2月ごろに、新型車両(14億円分)(両数不明)を受注。今度こそ7000形は追い出されてしまう。
    • と思いきややっぱり7000形は現役続行。もはや走る化s(ry

6000系

府中で見守られている
  1. 都電全盛期の主力車両。かつては都区内全ての地域で見かけることができた
  2. 荒川線内でも2000年まで6152号(通称:一球さん)が現役で走っていた
  3. 現在は6086号が何処からか戻ってきて荒川車庫内で保存(?)されている
    • これは故・岸由一郎氏の尽力によるものが大きい
    • 貴重な旧都交通局塗装の車両
  4. 府中市の6191号も岸氏の手によって徹底的な修復が行われていた。何かの縁であろうか
    • 外観だけに留まらず、機能面でも修理を行っている。……まさか、動態保存する気?
  5. 実は地下鉄の同じ系列を名乗っていた車両よりも後まで在籍していた。
  6. かつてプラレールで販売されていた「ちんちんでんしゃ」のモデルはこの電車。車輪の色は赤で、ベル&動力と電池を分離するため、敢えて2両で販売していた。
    • これを機に、江ノ電登山電車も期間限定で、これの塗装変更品を販売していた。
      • こちらも当然チンチンと鈴が鳴るが、車輪は黄色かった。
  7. 大塚では黄色+青帯のワンマン色に変更の上、格子の中で保存されている。
    • 近所のたばこ店に頼まないと開けてくれないらしい。
  8. 飛鳥山公園の保存車は気軽に乗ることができる。
  9. Always 三丁目の夕日にも、模型で登場していた。
    • 金太郎塗装も黄色+赤帯も両方出ていた。

7000形

初代ワンマン復刻塗装
  1. 6000系と同様、都電全盛期の主力車両
  2. 初期型と後期型では、顔が全く違う
    • のではなく、ワンマンかに際して新しい車体に載せ替えたためにこうなった。
      • 更新直後は、黄色+青帯(ワンマン車の色)だった。
        • 2005年度にその塗装に復元された車両が1両登場した。7022号車。
        • それどころか6000形に準じた黄色+赤帯(ツーマンの色)の塗装も登場した。なぜか黄色の部分が西武より明るいレモン色。ワンマンで赤帯をつけるのは違和感を感じる。
  3. 都電廃止の段階でこの7000形も当初の製造両数の過半数は廃車されたが、6000形や7500形と比べると保存車両は少ない印象がある。
  4. 都電最後の釣り掛け駆動車。
  5. 『女子かしまし物語』(モーニング娘。)のPV撮影に使用された。
  6. NHK教育(Eテレ)天才てれびくんワイドにあったミュージックてれびくん(MTK)のコーナーでやっていた「地図」のPV撮影にも使われた。
  7. 8500形導入後、一部が豊橋鉄道市内線に流された。
    • 前扉が折り戸に改造されたが、それ以外は都電時代の面影が残っている(未更新時代の外観)。
      • 東海唯一の正真正銘の「チンチン電車」。
    • 更に函館市電でも走っている。函館市電では、都心で廃線になった車両を旧車体のまま譲渡してワンマン化させて走り続けている。

7500形

  1. 7500形淘汰決定。ああなぜ都は7000形を選んだんだ。7500のほうがいいのに。
    • 推測に過ぎないけど「7000形は車体更新時に台枠ごと新造、7500形の台枠は古いまま」だったとか…?でも7000形も'90年代に何両か廃車されてるんだよな・・・・。
      • 叡電みたいにカルダン駆動化すれば長生きしていたかも。
        • 京王5000系から台車等を流用も一つの手だったかな(軌間が同じであるから)。
  2. 荒川線以外で使われた最後の新造車両
  3. 初期型、ワンマン改造型、車体更新型の三種類が存在した
    • 初期型と車体更新型は、もはや別の車両
  4. 上野公園(動物園)と根津の境界の辺りに保存車がある。方向幕は「池之端児童遊園」。
    • 更新車体の保存車は↑が唯一だが、車体更新前のものであれば荒川車庫前の「都電おもいで広場」や小金井市の「江戸東京たてもの園」をはじめとして都内数箇所に保存されている。
      • 江戸東京たてもの園の保存車両は、紐を引っ張るとベルが「チン」と鳴るようにしてあるため、子供に遊ばれ、そのうち同じ小金井公園内の蒸気機関車+客車みたいな無残な姿になりそうな。東側運転台のは、既にもげそうな感じ。
  5. 7000形もそうだが、旧車体・新車体とも30年持っていない。路面電車としては異常なまでの車両寿命の短さである。

8500形

  1. 上記の形式を置き換えるために製造された
    • だが、財政難により頓挫
  2. 都電としては28年ぶりの新型車両であった
  3. この電車から中扉ブザーが森尾高音ブザーからホロホロブザーに変更された。
  4. 前扉は片開きのままであるが、中扉は本形式より両開きに。
    • ドアの窓が丸いという点が仙台市交南北線の車両に似ている。
    • 前扉も片開きであることにも関わらず、両開きに合わせて小さい楕円窓が二つ並んでいる。
  5. 前面の窓が釣り掛け時代より大きくなった。
  6. 都電最後の巻取式方向幕車両でもあった。
    • 「ワンマン入口」の表記もこの形式が最後。

9000形

荒川車庫にて
  1. 旧東京市電をモチーフにした車両
    • 通称、レトロ車両
      • プレスリリースでは、トロリーポールや網の救助機が描かれていたが、実用性の高いシングルアームパンタグラフとスカートに計画変更。
      • 内装も木目調で照明は電球色で、手すりが真鍮製などかなり凝った作りである。
        • 地味にLED表示機の下に液晶テレビを備えるが、お花見トレインみたいなイベント時以外は蓋が被せてあり、使っていない。
    • シンボルマークも銀杏ではなく、東京都の都章である
    • ただし性能は最新型で、VVVFインバータ制御を搭載する。
  2. 2両のみ存在
    • 9001:赤
    • 9002:青
      • こないだ青いの乗ったケド、CPが殆ど鳴り止まないのには閉口。
  3. 貸し切りに使うとしたらこの車両が最適。
  4. 新造費が今までの車両の中で最も高い。
    • 一両約2億円。8800が一両1億4000万なのでかなりの奮発ぶり。

8800形

ファイル:TDA8801F.png
町屋二丁目駅
  1. 2009年に登場した車両
  2. デザインを一新し、車体色もピンクと白になった
    • ピンクのほか、紫や黄色など車両ごとに様々な色が登場した。
  3. これをもって、今度こそ旧形式を全て置き換える予定
    • と思ったら7000形の現役続行が決定。良かったのかどうなのか
    • 代わりに7500形が生贄になった
  4. 性能は9000形とほぼ同じ。

  • 三ノ輪橋 - 荒川一中前 - 荒川区役所前 - 荒川二丁目 - 荒川七丁目 - 町屋駅前 - 町屋二丁目 - 東尾久三丁目 - 熊野前 - 宮ノ前 - 小台 - 荒川遊園地前 - 荒川車庫前 - 梶原 - 栄町 - 王子駅前 - 飛鳥山 - 滝野川一丁目 - 西ケ原四丁目 - 新庚申塚 - 庚申塚 - 巣鴨新田 - 大塚駅前 - 向原 - 東池袋四丁目 - 都電雑司ヶ谷 - 鬼子母神前 - 学習院下 - 面影橋 - 早稲田

東京都交通局

地下鉄:浅草線三田線新宿線大江戸線
荒川線 日暮里・舎人ライナー 上野懸垂線
都営バス営業所別江戸川営業所|臨海支所|北営業所|杉並支所