もしあの地下鉄が○○だったら

ナビゲーションに移動 検索に移動

独立項目

札幌市交通局

普通鉄道として開業していたら

現在、国内(というよりは世界で)唯一の「ゴムタイヤ案内軌条式地下鉄」である札幌市営地下鉄。もしこれが他の都市と同様の「鉄輪+レール方式」で建設されていたらどうなっていたか。

全般
  1. 南北線は定鉄跡地を利用、あるいは定鉄線をそのまま組み込んで藤野まで延びていた。
  2. 組み込むことを前提とすると、今の南平岸駅辺りから北方面は元来の定鉄線と南北線に分かれる。南北線は定鉄と相互乗り入れを行う。
  3. 定鉄は札幌駅の乗り入れを南北線を介して行う形を重視。よって気動車で札幌駅乗り入れを廃止する。
    • むしろ南平岸より北は地下鉄に置き換える形で廃止されている。
  4. 後に作られる東西線、東豊線も通常の鉄輪式で建設されていた。
    • 東豊線は時期次第では羊ケ丘通り沿いを走るリニア地下鉄になっていた可能性も
    • 東西線の東札幌以東は千歳線の旧線跡を流用していたかも。
  5. 定山渓行きの急行が検討される。地下鉄部は各駅停車、定鉄部は一部通過
  6. 一般鉄道形式のため、通常の除雪車が定鉄部分を使う。地下鉄部にシェルターは乗り入れ部の一部のみ。
  7. 定鉄が大雪で遅れると、南北線もその影響を受ける。よって、「地下鉄が大雪で遅れて…」が通用する。
  8. JR(旧国鉄)との乗り入れを検討するも、電化方式の違いで実施せずに終わる。
    • 札沼線が直流電化され南北線~札沼線の乗り入れが実施される。
      • 札沼線の電化区間は桑園~石狩当別
        • 桑園-新琴似間は筑肥線の姪浜以東の様に廃止されると思う。。
  9. 平岸-南平岸で空転しまくってダイヤが遅れる。
    • その対策の為に平岸に折り返し設備作って、大雪時は平岸で運転打ち切られそう。
  10. 日本でも「ゴムタイヤ式地下鉄」といえばパリやメキシコシティが連想されていた。
  11. 石狩モノレールはなく、南北線の石狩延伸が検討された。
車両編
  1. 定鉄が東急グループであることを考えると東急製車両が導入されていた可能性があり、開業時期を考えると東急8000系同型が入っていた。
    • むしろ7200系と同型の車両が入っていたのでは?
      • 7200系でも、現在事業用(デヤ7200)になってるアルミ製のアレの量産型か車体をハイテン鋼にしたものになっていたか。<初期ステンレス車は気密性に問題あり
  2. pixivにもこんなイラストが何枚かあった気が・・・
どんな車両がいる・いた?
  1. 札幌市営地下鉄南北線 1000系
    • 史実の1000型相応の車両。ただし20m3扉。
    • 車体は東急7200系を20mに引き延ばしたような印象だが、気密性向上の関係から普通鋼製で片引き扉。
      • 当初8000系に用いられるはずだった「額縁」顔を採用。ヘッドライトは4灯。
    • 台車は国鉄711系のものをベースにしたシュリーレン台車。
    • 制御器系は東急8000系をベースにした界磁チョッパ制御、勾配抑速ブレーキ付き。(雪によるスイッチ故障対策)
    • 初期型は先頭部にクロスシート装備。だが混雑激化により早期に撤去。
  2. 定山渓鉄道 1000系
    • 上の札幌市営1000系同型。
    • 一部に急行用転換クロスシート車が用意される。
  3. 札幌市営地下鉄南北線 2000系
    • 上記1000系の置換え用として登場。史実では5000系に相当する存在。
    • 前面は東急5000系、側面はJR東日本E127系にそっくりの構造となる。
    • IGBT素子VVVFインバータ制御。

横浜市営地下鉄

直通運転可能な構造だったら

全般
  1. 車両は全て20m4ドアに統一されていた。
  2. 運賃は安くなっていた...のか?
ブルーライン
  1. 小田急江ノ島線に乗り入れていた。
  2. 小田急3000形が直通対応車になっていた。
  3. 乗り換えなしで新横浜駅や横浜に行けるので江ノ島線は人気路線になっていた。
  4. ブルーラインが新百合ヶ丘まで延伸した暁には小田原線とも直通し、小田急のバイパス路線となっていた。
    • とはいってもりんかい線の例を見れば新宿~横浜~湘南台と片瀬江ノ島~横浜~新百合ヶ丘の方乗り入れになりそうな気がする。
    • むしろ東急や相鉄との棲み分けから小田急乗り入れは唐木田~新百合ヶ丘~新横浜(~ラッシュ時のみ関内)だけになっていた。
グリーンライン
  1. 横浜線に乗り入れていた。
  2. 横浜線の205系は地下鉄直通対応の新型車両で置き換えられていた。

京都市交通局

烏丸線が京都起点だったら

  • 史実では京都-竹田間が近鉄京都線と重複していますが…。
  1. 近鉄京都線のホームが全て地下化されるだろうから、新幹線と近鉄特急の乗り換えが史実よりも面倒になっていた。
    • とは言えJR奈良線の規格からして近鉄優位なのは変わりない。
    • カーブや躯体の関係上、新幹線ホームの真下に地下ホームを建設…と言うのは厳しそう。
      • ポルタあたりに斜め(北東から南西)向きで作られていたと思われる。
    • 京王新線方式で運営されていた可能性もある。
      • この場合京都以南の路線名と史実の市営十条の駅名はどうなってたか…
        • 意外と「近鉄烏丸線」になってたりして…。あと市営十条は「新十条」か「東十条」になっていただろう。「東十条」に関しては東京にあるがそれほど問題はないと思われる。京都駅も京都線と烏丸線では改札が別だったので「新京都」になってるとか?
          • 京都に関しては改札外乗り換えくらいは適用されていたのでは?
  2. 乗り入れ本数が史実よりも格段に増えていた一方、近鉄特急は史実通り京都止まりのままだった。
    • 北大路まで近鉄特急を乗り入れさせる陳情がどこかしらで出てくる。
  3. 竹田-三栖間は構想すらされない。
    • それ以前にその構想の元になった洛南新都市の計画自体ない。
  4. 車庫は北大路駅付近に建設された。
    • 北大路以北では環境などの絡みで難しそう。
    • キタオオジタウンが誕生しなかった可能性もある。
    • 東京メトロの鷺宮・竹ノ塚検車区みたいに乗り入れ先に広大な車庫を持つケースもあるから、史実通り竹田に作っていた可能性も否めない。

東西線と京阪京津線の相互直通運転が行われていたら

  • 史実では京阪の車両が東西線に片乗り入れしている為、東西線の車両が浜大津まで来ることはありません。
  1. 50系が「日本一撮影が困難な鉄道車両」と呼ばれる事は無かった。
    • 一方で性能を京津線の規格に合わせなければならない為、史実よりも製造費が高くなり京都市の財政を悩ませる事となる。
      • あるいは京阪直通用とそうでない車両に分かれていた。京阪直通用のみクロスシートが採用されていたかも。
      • そもそも併用軌道での追突事故対策でステンレスではなく普通鋼車体となっていた。
    • 言うまでもなく4両編成で製造されていた。
  2. 京都市役所前行きの本数が史実よりも大幅に減っていた。
  3. 京阪800系に固定クロスシートが採用されることはなかった。

神戸高速鉄道

乗り入れている4社が買収したら

  • 現在では阪神・阪急・神鉄が第2種鉄道事業として運営しています。
  1. 言うまでもなく、神戸高速鉄道の運賃は完全撤廃。
    • 梅田~姫路が1250円→1100円になって、JR昼特のチケット屋価格より安くなるから十分戦えそう。
  2. 元町・新開地間が阪神、三宮・高速神戸間が阪急、新開地・西代間が山陽、湊川・新開地間が神鉄となる。
    • 阪急の特急は新開地でなく高速神戸折り返しになる。
    • むしろ高速神戸~新開地間は阪神が第1種鉄道事業者、阪急が第2種鉄道事業者となり、阪急特急は新開地折り返しのままでは。
    • あるいは新開地~西代間も阪神。2011年現在駅名標も阪神タイプに交換されているし。
  3. 「高速神戸」のままでいいのか?
    • 高速長田駅は「山陽長田」になるとしてだ・・・。
    • 「神戸」も「ハーバーランド」もすでに名前が使われている…
    • 「神戸中央」はどうだ?
    • ここは思い切って「みなと神戸」とか?ハーバーランドの「ハーバー」は日本語で「港」という意味だし。あと駅の真上に湊川神社もあるので。
  4. あるとすれば阪急が最有力か。
    • 現在の第2種事業での扱いをそのまま第1種に変更するだけで良くないか?

神戸市交通局が建設していたら

大開
Daikai
新開地
Shinkaichi
神戸
Kōbe
  1. 西神線はともかく、並行する山手線のルートが大幅に変わっていた。
    • 新神戸-長田間がもう少し山寄りのエリアを通ることになるだろうから、山手線は三宮に寄れなかった。
      • ここは無理をしてでも三宮に寄っていただろう。
  2. もしくは東西線が阪神、西神・山手線が阪急と乗り入れと最初から決められていた。
    • この場合は地下鉄は新神戸まで建設されなかった。
      • その代わりに北神急行が三宮-谷上間を保有していた。
  3. 場合によっては山手線は建設されず、西神線と海岸線が直通していた。
    • 海岸線は現実よりも早く1980年代に開通している。
    • そうなると海岸線がそのまま新神戸・谷上に乗り入れていたかもしれない。JR三ノ宮駅の真下を通す事も出来なくは無さそうだし。
      • 海岸線の三宮駅から神戸空港まで地下鉄南北線(仮)を通そうとする構想が出るも計画倒れに終わる。
  4. 高速神戸駅はそのまま「神戸」を名乗っていた。
    • ハーバーランド駅に関してはおそらく史実通りだが、三宮-三宮・花時計前のような乗換制度が適用されていたかもしれない。

三宮側の乗り入れ先が一つだけだったら

現在東西線は高速神戸で分岐して阪神・阪急と乗り入れられるようになっているが、乗り入れている路線がどちらか片方だけだったら…。

全般
  1. 西元町駅か花隈駅のどちらかが存在しなかった。
  2. 高速神戸-新開地間のダイヤ設定に苦しめられることはなかった。
    • 新開地も高速神戸も1面2線の島式ホームだったと思われる。
      • あるいはどちらかが2面4線の待避可能駅となっていた。
阪神電鉄だけだったら
  1. 阪急は震災を機に三宮駅を頭端式ホームにしていた。
    • もしくは地下化して早々に地下鉄乗り入れを決めていた。
  2. 直通特急はもっと早くから運行されていた。
阪急電鉄だけだったら
  1. 阪神が三宮駅を大改造してまで元町駅まで延伸した意味がなくなる。
    • 有効活用のために一時的に地下鉄海岸線との直通構想が計画されていた。
    • 阪神は神戸市営地下鉄西神・山手線に乗り入れていたかも。
      • 地下鉄と阪神じゃ駅の位置が真逆だし、ましてや元町まで開業している以上山手線は厳しいんじゃないだろうか。海岸線なら西元町とハーバーランドを繋ぐだけで済むし。
        • この場合は三宮・花時計前-ハーバーランド間が存在しない。
      • 元町から大倉山まで延伸していた。大倉山は現実の高速神戸駅のような2面4線ホームとなっていたかも。
      • 海岸線に乗り入れていた場合、新長田駅で西神・山手線と線路がつながっていた。
  2. 山陽電鉄は今でも阪急に乗り入れていた。
    • 山陽電鉄は8両編成対応になっている。
    • 阪急梅田~山陽姫路で直通特急が運転されていた。行楽シーズンには河原町や嵐山への直通も運転される。

震災で大開駅が崩壊しなかったら

  1. 全線復旧は史実よりも早かった。
    • おそらくホームなどの修復などだけで済むので、大開駅のみ通過で先行復旧という事にはならなかった。
  2. 現在でも「地下鉄は地震に強い」と固く信じられている。

自社車両を保有していたら

  1. 開業時に導入された1形式のみで2010年の再編まで使われ続けそのまま廃車となる。

神戸市交通局

西神・山手線と海岸線が同一規格だったら

  • 史実だと海岸線のみリニア地下鉄となっていますが…。
  1. 新長田駅の構造が史実と異なっていた。
    • 史実通り海岸線が後に出来たとなると、高速神戸山手線の下にトンネルを掘って山手線と合流していたか?
  2. 「山手線との差別化を図る」と言う観点から、海岸線のHAT神戸方面への延伸がもう少し具体性を帯びていたかもしれない。
  3. 海岸線開業に備えて3000形が史実よりも増備されていた。
    • 3000形にIGBT-VVVF車が登場していた。

西神・山手線が狭軌だったら

  1. 谷上から更に神戸電鉄まで乗り入れる事が出来ていた。
    • 基本的に通勤客を運ぶ為に三田まで乗り入れるが、一部列車は有馬温泉にも行くダイヤになっていたか?
    • 既存の神鉄の車両は殆どが粟生線や公園都市線用に回される。
  2. 新神戸と谷上で乗務員交代を行う弊害を避ける為に、北神急行は第三種鉄道事業者に徹していたかもしれない。
    • 最初から神戸高速鉄道が施設を保有していた可能性もある。
    • 史実の2020年以降みたいに神鉄に運行を委託され、「神鉄新神戸線」になっていたかも。
  3. 阪急が西神山手線乗り入れを検討することはなかった。

北神急行電鉄線が神戸市営地下鉄だったら

  • 2020年に「北神急行線と市営地下鉄の一体的運行」され事実上市営化すると言われていますが…。
  1. 7000系は存在しなかった。
    • その代わりに地下鉄車両2000形が多く導入される。
  2. 運賃が大幅に安くなる。
    • 北区の開発はかなり進んでいる。
  3. 神戸電鉄の経営に影響はでるだろうか。
    • 競合を避けて粟生線の複線・高速化に注力した可能性も。
  4. 当初から山手線の一部だった。

福岡市交通局

七隈線の博多までの開業が史実よりも早まっていたら

史実では、2005年2月に天神南~橋本間が開業し、2022年頃に天神南~博多間が開業する予定です。

  1. 2005年2月に博多~橋本間として、開業していた。
    • 2005年2月に天神南~橋本間が先行開業し、天神南~博多間の開業が2009年3月にずれ込んでいた。
    • 2015年or2019年に天神南~博多間が開業していた可能性もある。
    • 3000系車両の導入数が多くなった。
  2. 利用客が史実よりも多くなっていた。
    • 沿線の住宅開発も史実よりも進んでいた。
  3. 朝夕ラッシュ時の混雑が激しくなった。
  4. 博多駅におけるホームの位置が史実と異なっていた。
  5. 天神南~博多間の中間駅は「キャナルシティ前」駅になっていた。
  6. 博多駅前の陥没事故はなかった。

七隈線が狭軌だったら

  1. 空港線に乗り入れていた。
  2. 博多駅は、中洲川端駅のような構造になっていた。