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==戦国の女子==
{{地域|name=奄美|reg=九州|pref=鹿児島|ruby=あまみ|eng=Amami}}
===大祝鶴姫===
#伊予の河野氏の支族で、大三島神官家である大祝家の姫君。
#リアル美少女戦士。
#*戦死した兄に代わって水軍を率い、大内氏の侵攻軍を何度も撃退する。なんと16歳。
#*そのうち婚約者まで戦死したので、世をはかなんで自殺したという。まだ18歳。
#*大名なみの政治力を見せた女性や、武芸に優れた女性は何人も居るが、本来の意味で「女武将」と言えるのは彼女くらいかもしれない。
#**しかも正真正銘ハイティーンの「美少女武将」であり、恋人の後を追って自殺するようなけなげなおにゃのこでもあり、もっと[[オタク|こいつら]]の餌食になっても良さそうな気がするのだが。
#***[[戦国BASARAファン|ここ]]ではなってるぞ。
#**妹属性、さらに神官家の姫君なのだから巫女属性もある。究極的萌えキャラだと思う。
#大山祇神社には、鎧をまとった鶴姫の銅像がある。
#*というか、大山祇神社には鶴姫着用とされる胴丸がある。
#**女性用にしてはサイズが少し大きい、胸部が開いているのは体と鎧の間にある程度の隙間があった方が余裕ができて防御力が増すため、腰が細めなのは腰部を紐で縛って鎧の重量を分散させるため、など女性用とするにはやや苦しい点もある。
#***長身巨乳美少女だった、または先祖伝来の鎧を少し改造して無理して着てたと解釈すれば問題ない。
#****上記の属性+ロリ巨乳だと…!? やれば出来るじゃないか、3次元!
#鶴姫の存在を裏付ける良質な一次史料は乏しく、その生涯は18世紀後半に大山祇神社宮司の三島家が編纂した家記(という名の物語)に初めて現れる。いわば「作られた人物」。
#*更に言うと、昭和41年に三島家の子孫が彼女を主人公にした小説を出すまで、地元の大三島島民すら鶴姫を知らなかった。その後は町おこしのアイドルとして引っ張りだこに。
#**「鶴姫の鎧」とされる胴丸も小説の作者が同時期に言い始めた。鎧の研究家は、室町末期の鎧の胴は腰細の形が一般的と言い、女性用の作りという説を否定する。


===寿桂尼===
==ティーマ別ぬ噂==
#今川氏親の奥さん。氏輝・義元のママ。
*[[鹿児島のメディア#奄美ぬミヂィアぬ噂|奄美ぬミヂィア]]
#氏親の死後、若年の氏輝を助けて今川家を支える。
*[[国道58号]]
#氏輝と、そのすぐ下の弟・彦五郎がほぼ同時に謎の死をとげると、末っ子の義元を擁立して「花倉の乱」をしのぎきる。
*[[鹿児島の食文化#奄美ぬ食ぬ噂|奄美ぬ食文化]]
#*玄広恵探の側(福島氏側)へ走る者が最小限にとどまったのは「尼御台様には逆らえん」と思った家臣が多かったためらしい。
*[[鹿児島の交通|奄美ぬ交通]]
#本人の出身は中御門家。公家のお姫様のわりには肝っ玉が据わっていて権謀術数にすぐれ、「女戦国大名」とも呼ばれた。
*[[鹿児島の言葉#奄美ぬ言葉ぬ噂|奄美ぬ言葉]]
#*人を見る目も確か。義元に軍師の太原雪斎をつけたのも寿桂尼のはからいだったらしい。


===お市===
==奄美地方ぬ噂==
#[[織田信長]]の妹で、[[浅井長政]]に嫁ぐ。
{{奄美}}
#*絶世の美女で「四方(よも)様」と呼ばれた、と言われる。が、美しいには美しいがやたら背が高くてなかなか貰い手がなかった、という説もある。
#とても美しいところ。
#**妹のお犬に嫁入りで先を越されたのは事実。
#*美しい自然がまだ残っているところ。
#*長政の容貌はイケメン説とブサメン説があるので、「美男美女カップル」であったか「美女と野獣」カップルであったかわからない。
#マリンスポーツのメッカ。
#*スパイとして、長政を騙していた可能性も高い。
#亜熱帯性海洋気候
#朝倉攻めに行った信長の背後を長政が衝こうとした時、小豆袋を送って信長に警告した……というエピソードが有名だが、真偽のほどは不明。
#びっくりすると「'''はげ'''!」という。人によっては「あげ」「あけ」などなど。
#*小豆袋の上下を縫って、挟み撃ちにされることを暗示したというのだが、いかにも講談的であまり信憑性が無い。
#*「あぶじー!」とか「あぶじゃくりー!」とかもあるよね。標準日本語とは大違いです。
#長政の死後はしばらく信長の元に戻っていたが、信長の死後、柴田勝家と再婚。
#*「はげ」は感嘆詞。状況に応じていろんな使い方がある。
#*勝家を味方につけようとした織田信孝の政略だったらしい。
#*「はげ」の使い方がマスターできれば身も心も立派なシマンチュです。
#**秀吉もお市に惚れていたので、地団駄踏んだと言われる。
#**「シマンチュ」という言い方は、沖縄方言が世に出る前は殆ど耳にしなかった。「シマッチュ」というのが正しくない?
#*勝家が秀吉に敗死した際には夫に殉ずる。
#郷土料理に「'''鶏飯'''(ケイハン)」というのがある。めちゃ美味い!
#豊臣秀頼、徳川家光のお祖母ちゃん。
#*[[鹿児島]]の小中学校では給食に「奄美の鶏飯」があり、かなり人気。
#*明正天皇は曾孫である。
#*ローソンで販売開始。色んな意味で頑張れ。
#*徳島の大学の食堂でも、たまに限定メニューとして登場する。
#*ケイハンと言っても、[[京阪電気鉄道|ここ]]とは無縁。
#**[[京阪百貨店]]の物産展で鶏飯が食べられる日が来ないかなあ…(by京阪百貨店の地元民)
#文化人類学的に興味深い地域。毎年、[[関東|首都圏]]から調査で訪れる人が多い。
#*明大とか南山とか都立大とかいろんなところから来てます。
#サーフィンのスポットが結構ある。近年、訪れるサーファーが増えつつある。
#住民の足はもっぱら「車」です。なので、立派な体格の方が・・・多いわよね。
#*電車はありません。ごめんなさい。
#**しかしながら、奄美市笠利のあやまる岬公園にはサイクルトレインなるものが存在する。
#美しい女性多し。
#*たくましい男性も!
#*男性はイケメン多し!しかもマッチョです。
#多くの著名なミュージシャンが訪れている。
#沖縄じゃありません。鹿児島です!
#*でも、顔は沖縄よね。
#*苗字も[[沖縄]]系。我那覇美奈(歌手)とか。
#*我那覇は元々沖縄姓。奄美に多いのは一文字姓
#**そのツッコミは正しい。沖縄でメジャーな姓が奄美でもメジャーという訳ではない(てか、ドマイナー。)
#**つうか一文字姓も沖縄由来。琉球士族は唐名(からなー、代表尚家)と言う中国名を持っていたので、薩摩藩はそれに合わせただけ。
#**沖縄系の名前の人は漁業関係の仕事で移住してきたのよ。我那覇美奈は曾爺さんの代にだったかな。奄美市在住沖縄県人会の人に聞いた。
#*江戸時代の初期に琉球から薩摩藩に割譲された。ちなみに、琉球は薩摩藩の属領になった。
#**歴史的にみると奄美は琉球の一部であったが、そのことを沖縄に住んでいる人たちも忘れているらしい。
#***うそ。奄美は15世紀に[[wikipedia:ja:琉球王国|'''琉球王国に侵略、征服された'''。]]鎌倉時代にはちゃんと地頭もいた日本だったのに。琉球王国のどこが非武装平和国家だ!!
#****それでも沖永良部、与論は歴史的に見ると琉球の一部だった(三山統一前は北山所属、北山所属前も英祖王に朝貢していたらしい)。奄美を全て一括りにしてはいけない。
#**全部でも無いよ。でも内地の人で、沖縄=琉球って見方をしちゃってさ、奄美も沖縄だと思っている人がいる。
#*現地でみやげ物を選ぶときに、気をつけないと沖縄みやげを買ってしまうので、注意。
#*沖縄本島と鹿児島本土に迫害された歴史がある。
#やはり酒(焼酎)に強い人は多い。
#*そうでもないよ、おれ飲めないし。つうか九州以南は酒飲みが多いってのは都市伝説。事実は東北の方が酒飲み、で日本一は秋田。
#**それのデータで言うと鹿児島と宮崎と沖縄も飲む量多いから結局南九州は酒飲みと言う結果に
#人が良い!
#*踊り好きで、お酒もいける!ビバ奄美!
#小遣い稼ぎに[[蛇#ハブ|ハブ]]をとる人が結構いる。
#*道路でハブに出くわしたときの為に「'''ハブ捕獲キット'''」をトランクに忍ばせている人は少なくない。
#*奄美を走るタクシーには必ずハブ捕獲キットが積んである。
#*パトカーにも常備、転勤した警官はハブ捕り講習を受けるらしい。
#島民は意外と暑がり。(クーラーに慣れてしまっている。)
#成人式に女性は大島紬をまとう。
#*しかも、沖縄のように荒れない。
#都会に住む人間なら歩きそうな距離も、奄美の人はバスを使う。ある意味贅沢。
#他の九州地方同様、クリスチャン(カトリック)が多い。
#方言が、もはや日本語ではない。
#*爺さん婆さんの言葉は、既に宇宙語のレベルだ。(理解不能)
#*戦後、日本に返還された時に『言語一貫教育(方言追放運動?)』という教育方針で方言を禁止されたようだ。
#**方言を話した者は「私は方言を話しました」というプラカード(と親から聞いたが赤札だというところもある)を首から下げられ廊下に立たされるなどの屈辱的な仕打ちがあった。
#***モチロン、今は無い廃れた悪習ではあるが、今島口を喋る子供の数は減退の一途を辿る。
#***島口を見直す動きも活発化している。特に、朝崎郁恵・元ちとせ・中孝介(敬称略/三人とも歌手)の影響もあり、島唄は島内・島外問わず、人気が有ったりする。
#***ちなみに、この方言禁止の方策はフランスを参考にした物。
#****全国から軍人を集めてみたら、簡単な命令の伝達さえ支障を来したため、仕方なく行わざるを得なかった。
#****いわゆる「方言札」
#*以外にも鹿児島本土より標準語に近い発音。(訛りはあるが)
#**鹿児島本土より、お付き合いし易い人たちが多かったと記憶。特に女性の語り口調には癒されます。([[福岡]]人)
#一年中暖かいと思われがちだが12月から3月にかけては曇りがちで日照時間が短く陽が当たらない上に、風が強いため意外に寒い。
#*日本一日照時間が短い。
#*[[沖縄]]も12月から3月にかけて寒い。
#2009年7月22日、皆既日食
#*トカラ列島と種子島、屋久島でも見れる模様。
#**人大杉で旅券が取れなかった。損害と賠償を(ry
#***「旅券」って、日本国内だからパスポートはいらないが。
#****損害と賠償、と言ってる時点で某国人かと。
#***人大杉よりもむしろ悪天候が大きかったのでは?
#*この皆既日食で悪石島の名前を知った人も多いだろう。
#[[蛇#マムシ|マムシ]]のいる島といない島が交互にある。(喜界島出身ミュージシャン:談、ちなみにそこにはマムシがいないとのこと)
#*ちなみにマムシという種類のヘビは南西諸島には生息していない。ヒメハブを通称マムシと呼んでいるようである。
#タバコを吸おうとしてライターがない時に女性に「火を貸して」と言っちゃいけないっちば。
#「奄美群島」「奄美諸島」の2つの言い方があったが、今は公式的には「奄美群島」の方に統一(?)されているらしい。<small>俺には諸島と群島の違いはわからんが。</small>


===北政所===
==大島郡の噂==
#[[豊臣秀吉]]の奥さん。
#山口にも同名の郡がある。
#名前は「ねね」だか「おね」だか。
#*「お」は「おまつ」「おきぬ」とか言う時の「お」と同じで接頭辞なので、「おね」だとすると名前が「ね」だけになってしまう。それはさすがにないような気がする。
#**手紙の署名に「寧」とだけ書かれているのが根拠らしい(「ねね」という名前の他の人は「寧ゝ」という書き方をしていることが多いそうな)。しかし信長の娘も「五」とだけ署名した手紙を書いているし(それで「五徳」という珍妙な名前で呼ばれることも)、イニシャルみたいなものであった可能性が高い。
#*長らく「ねね」とされ、一時期「おね」が流行り、最近また「ねね」が復権している模様。
#*「おねい」説もある。
#足軽の頃の秀吉がさんざんアタックして結婚。
#*当時は奥さんの家のほうがちょっと上で、まあ平社員が係長の娘をめとった感じ。結婚してすぐ秀吉はちょっとだけ出世して主任クラスになった。
#**まあまあ、アゲマンと言ってよろしいかと。
#***主任クラスからさして時間かからず課長級の足軽大将→その後部長級の大将→取締役級の総大将に出世したからアゲマンだね。
#*前田利家の奥さんのおまつさんとは仲良しだったとか。
#**山内一豊の奥さん、お千代さんとも仲良し。お千代さんは晩年を高台寺近隣で過ごしたとか。
#自分に子供ができなかったせいもあり、秀吉配下の若者たちを大変かわいがった。
#*加藤清正や福島正則などの尾張系の若者をひいきして、石田三成などの近江系とは疎遠だったと思われているが、そんなことはない。近江系の連中が淀殿のほうに集まったというのも事実ではないようだ。
#**配下に当たる若者たちがバカをやれば叱るなどシメるところはシメたので尊敬されてた。
#秀吉の死後、豊臣家を護ろうとしたか、亡びるに任せようとしたか、解釈が分かれる。
#*淀殿とその子に乗っ取られた豊臣家には未練がなかったという考え方。
#*徳川体制下の一大名として残れるように尽力したが、淀殿がすべての助力をはねのけたのだという考え方。
#*最近では、今まで考えられていたほど大きな器の女性ではなかったのではないかという説も出ている。
#**最後まで庶民のオカミサン感覚で、政治力を働かせようという意思そのものが無かったのかもしれないというわけ。
#「北政所」の呼称は本来、関白の正妻という意味でしかなかったが、いつの間にか彼女個人のことを指すようになった。
#*旦那の前の時代にも関白の正妻はいたにはいた。けど、家柄は良いが存在が「アンタいたの?」くらいにマイナーだった、あるいは公的に北政所を称さなかった(諸文書内でのみ北政所を称した)。
#旦那の秀吉は嫁・姑問題で頭を痛めたんだろうと思いきや…秀吉実母・なか(大政所)とは実の母娘並みに仲がよかったとか。
#*旦那を心置きなく仕事させるためには姑と仲良くなければならない。という考えがあったのかも。でなければ旦那は遠征に次ぐ遠征でも武功立てられたわけで、まさに良妻賢母だ。
#ルイス・フロイスに「キリスト教徒じゃないけどすごい人格者」と書かせた人。基本的にはめっちゃいい人だったと思われる。
#*[[徳川家康|三河狸]]とは良好な関係で、諸大名も「難事は北政所様にお頼みいたせば通る」と信頼置いた。意外にも豪快な性格でもあったようで、関白就任後に諸大名の居る真ん前で旦那と尾張弁丸出しの夫婦喧嘩したり、聚楽第初訪問の大名のもとに酒肴をたくさん届けさせたりしたそうな。
#**徳川秀忠が人質として京都にいた際、息子のように接したとか。その結果秀忠は「京都にいる我が母に会いに行ってくる!!」とばかりに京都へ行くたびに訪問したそうな。豊臣家滅ぼしたのはお前だけどね!!


===芳春院===
===奄美大島ぬ噂===
#前田利家の奥さん。名前はおまつ。
→[[奄美大島]]
#*利家に嫁いだのは数え12歳のとき。最初の子供を生んだのはその翌年……。
#**そして最終的には11人産んでいる。
#北政所と仲良しだった。
#*安土城下で屋敷がお隣同士。いわば社宅のお隣さん。奥さん同士、お互いの家を訪問してはおしゃべりしていたらしい。
#*秀吉の母、大政所とも仲良し。
#けっこう気の強い女性で、「鑓の又三」と呼ばれた利家も尻に敷かれていたっぽい。
#*佐々成政の軍勢に攻められて利家がびびっていると、<BR>「だから常日頃、ええ家臣を集めときゃーせてゆーとったがね。それをゼニ惜しんでケチケチしとるから肝心の時に困りゃーが。いっそここのゼニ袋に槍持たせりゃええて」と痛烈な説教。利家はべそをかきながら奮闘してなんとか成政を撃退したそうな。
#利家の死後、息子の利長が家康暗殺計画の嫌疑をかけられた際に、進んで人質になるべく江戸へ行ってしまった。
#*大名が家族を江戸に置く先例となった。ある意味、徳川家にとって恩人とも言える。
#*もっとも、前田家が早々に腰砕けになったのを見てがっかりした連中も多かったらしい。「あの婆さん、余計なことを……」と思われたかも。


===山内千代===
===喜界島(喜界町)ぬ噂===
#友人のアイデアと内助の功で出世したという事実でお馴染みの[[戦国武将/ま~わ行#山内一豊|山内一豊]]の妻。
#鬼が島と間違われる。(鬼界島?)
#考えてみれば、平成のドケチな奥様方もドン引きするレベルの超ドケチ。
#*子どもの頃「機械島」だと思ってました。
#*ドケチ過ぎて、自分の家の旗印も余り物の布切れで縫って作るレベル。嘸かし恥ずかしかったろうが、これで旦那も家臣も文句を言わないのは、相当なかかあ天下だったからなんだろう。[[画像:丸に三葉柏.JPEG|thumb|120px|山内家旗印]]
#*初めて聞いたときは「奇怪島」だと思った。水木しげるが好きそうな島、みたいな。
#*そんなドケチ妻に馬代を所望した一豊。どういう心境だったのだろうか……
#*大昔とかは本当に鬼界ヶ島というように喜ではなく鬼で、鬼界ヶ島→鬼界島→喜界島になったらしい。確か教科書に載ってた。もしかしたらこの変化にまだたくさん名前変更あったような気がするが、鬼で会った事は確か。
#大東亜戦争前は内助の功の鑑として、教育現場で持て囃されていたが、戦後は山内千代を称えることはタブー同然とされていた。
#焼酎が美味。
#*戦後まともに高く評価して、色々書いてたのは、ぶっちゃけ司馬遼太郎くらい。功名が辻なんか、完全に千代の掌の中で一豊が転がされている感さえする。
#*焼酎党の間で伝説の「朝日」は喜界島の特産品。
#子供は女児一人をもうけただけ。しかも、その娘君は長浜城内で大地震の時に死亡。
#*マジですかー!
#*一部歴史系トンデモ本では一豊が、千代の肝っ玉ぶりにビビって床入りしても萎えたから出来なかったという珍説まである。
#*奄美の黒糖焼酎は、北へ行くほど旨いような気がする(気のせい?)
#湘南和尚は千代にとっては義理の息子。だけど旦那にとってはどうだったかが、割と不明。
#僅か16mileだがJALマイレージが貯まる為、搭乗回数を稼ぐ修行僧のメッカ。
#出自が不明。ある説では近江の地侍の娘、ある説では郡上八幡の小大名の娘など、諸説入り乱れている。
#美味しいを黒砂糖を作っている。
#*その割に母親の名前は法秀尼とされ、きちんといつ死んだかまでわかっていたりする。普通逆じゃね?
#*大規模な地下ダムがあるからな。
#外国からの観光客も良く見かける。
#数年前に始めて信号機が設置された。(警察署前)
#*信号機設置によって、かえって事故が増えたそうな。ちなみに喜界島の運転マナーは物凄く良い。停止線でちゃんと一旦停止するし。
#自衛隊の大規模な通信施設がある。[[画像:Hawaii in Kikai.JPG|thumb|right|120px|ハワイ]]
#*エシュロンではないかとの噂がある
#ハワイもある。
#*隆起珊瑚の島で、もともと天然のビーチがあまりない。
#俊寛が[[wikipedia:ja:流罪|流された]]
#*この島以外にも俊寛流刑地といわれる所は何箇所かある。
#*実は[[鹿児島/中南薩#三島村の噂|硫黄島]]かもしれないらしい。
#北海道ローカルの番組の水曜どうでしょうで大泉洋らが島をリアカーで一周した。
#*そして、大人の事情で「どうでしょうClassic」では放送されない事態になった。
#でかい電波傍受施設の象のオリがある。(でかいレーダー施設。もちろん軍施設)
#プロ野球選手を奄美大島より多く輩出している(つっても2対1ですがね)。
#*余談だが喜界島出身で初のプロ野球選手の名前が[[wikipedia:ja:高橋英樹 (野球)|高橋英樹]]ということでちょっと話題になった。
#**しかも後から[[広島東洋カープ|同じチーム]]に[[wikipedia:ja:高橋建|同姓かつ同じピッチャーである選手]]が入団したため、フルネームで呼ばれる機会が多かった。
#生徒会会計になった水泳部員。
#「クンマー」というケダモノ生物を食べる島。
#ゴマの生産が日本一。
#*もっとも、国産ゴマ自体のシェアが0.1%程度らしい。
#10世紀から太宰府と交流があった。しかも当時は奄美大島より立場が上だったとか。


===明智たま(細川ガラシヤ)===
===徳之島ぬ噂===
#[[明智光秀]]の三女。[[戦国武将/は行#細川忠興|細川忠興]]の奥さんになる。
#犬田布岬には、戦艦大和以下の特攻艦隊の戦没者の慰霊塔がある。実際は、徳之島は大和の沈没海域からかなり離れており、沈没地点から最も近い陸地ではない。
#評判の美人で、忠興もぞっこんだった。
#*ちなみに、沈没地点に一番近い陸地は、九州本土の南さつま市(旧坊津町)の坊ノ岬であり、坊ノ岬灯台が建っている。
#*奥さんの姿を見たってんで逆上し、出入りの植木屋を叩き斬ったことも。
#*犬田布岬は場所がわかりにくい。地元の人でも迷うとか。
#**この話、忠興の[[ベタなヤンデレキャラの法則|ヤンデレ]]っぷりが強調されがちだが、たまがキリシタンであることを知られたのではないかと怖れたからではないかという説もある。植木屋が隠密だと思ったんですな。
#**どう行っても、サトウキビ畑の行き止まりにぶつかる。
#*義父・明智光秀が謀反を起こしたときも、離縁せず幽閉にとどめていた。
#選挙に命がかかっている。
#**幽閉されていたのは雪深い山里だったが、忠興はものともせず通い、子供まで作った。
#*ホントです。
#キリスト教の信仰を貫き通した。
#*徳之島の選挙は全国的に有名だよねー。
#*本能寺の変ののち、謀反人の娘として幽閉される。この時期からキリシタンになったらしい。
#**かつて小選挙区制が導入される前に全国唯一の一人区だったのが奄美群島区で、しかも有力候補の一人は徳之島出身者。そんな訳で毎回凄まじいまでの命懸けの選挙戦を展開していた。小選挙区制に比例代表を加味したのは、この選挙区のバトルを知っていたからでは?
#*世の無常をはかなんでのことと思われているが、幽閉中に忠興が側室を持ったことにショックを受けたからかもしれない。
#***全く関係ない。普通に他の地域に含めてれば済むだけの話。
#**そもそも、この頃の常識として、離縁すれば済んだ話で、幽閉する必要は無かった。幽閉してでも別れたくなかったくらい忠興が執心していたということらしいが、そのくせ側室を持ったりしているいい加減さに腹が立ったことだろう。
#****でも、鹿児島2区に編入されたが、谷山人としては何で虎雄のガキ(裏切り者)が自分のところの議員になったのか釈然としないんだが。
#**父の光秀は、戦国時代の武将には珍しく側室を置かず、最後まで正妻ひとりだけだった人なので、余計潔癖性だったかも。
#*役場内での乱闘テレビ中継はここだったか。
#*ちなみにガラシヤという洗礼名はラテン語のGratia(グラツィア、恩寵)のこと。英語名にするとグレイス。日本名に訳すとめぐみさん。
#*当選者が、物凄い形相で勝利の舞を踊ってたのをテレビで見た覚えがある。
#**なので、「ガラ'''シャ'''」と拗音で呼ぶのは誤り。
#*町会議員選とかの時期に対立候補とかの話をしたときに「○○(対立候補とか支持者とか)沈めてやろうかね」と言った人がいたが最早冗談に聞こえなかった
#*忠興がどんなに説得しても信仰を捨てなかった。そりゃあんたが原因なんだからそうだろうて。
#徳之島の闘牛はダイナミック。
#**しかしそのため、忠興のヤンデレっぷりにさらに磨きがかかってしまう。
#*牛と牛との勝負。圧巻。
#関ヶ原の戦いの前、壮絶な最期を遂げる。
#*裏側では凄い勢いで札束が飛び交ったりしていた(昔の話。今は判らないが)
#*大坂方に人質として取られないよう、死を選ぶ。
#高橋尚子がトレーニングをしたコースがある。
#*しかしキリシタンの教えで自殺はできないので、家臣に刺殺させた。
#最近島内唯一のジョイフルができ、徳之島の若者の溜まり場になりつつある。
#**しかも主君の奥方と同じ部屋に居てはいけないと、家臣は隣の部屋から刺殺。でも、それは家臣としての立場なのか、忠興の嫉妬を恐れてなのかと勘ぐってしまう。
#*夜は酔っ払いの社交場。
#*もっとも、東軍武将の妻の中で、こんな過激な行動をとった人は他に居ないところを見ると、本当に死が必要であったのかどうかは微妙。
#買い物と言えばAコープかダイマルデパート。ただしダイマルデパートは「デパート」の名にもかかわらずかなり小さい。
#**忠興が家臣に「万一の時は奥を殺せ」と命じていたという噂もある。
#居酒屋などに置かれてるお酒は、黒糖焼酎「煌の島」通称「きらめき」がほとんどである。
#**たまのほうも、いい加減ヤンデレな夫についてゆくのが疲れたのかもしれない。
#2010年、基地移転問題でにわかに注目を集め始めた。
#**ガラシヤが壮絶な死に方をした故に西軍はそれ以上 人質を集めるのをやめたわけで、他の東軍武将の妻はそういうことをする必要がなくなった。
#*そして、大炎上してから虎雄さんにご挨拶。
#玉子ともいう。
#長寿と子宝の島とされている。
#*のび太のかあちゃんと名前がいっしょ
#[[ギニア]]出身のオスマン・サンコン氏が観光大使を務めている。
#生物の宝庫の島。


===淀殿===
====徳之島町ぬ噂====
#豊臣秀吉の愛妾。名前は茶々。
#実は、島の半分くらいだけ。
#*しかし夫は淀殿の父親(浅井長政、柴田勝家)を立て続けに自害に追い込んでいる。更に母親のお市をも自害に追い込んでいる。本当に良かったのか?
#*なのに島の名前全部とっちゃった。
#*淀 (今の京都競馬場付近) にお城を与えてもらってから淀殿と呼ばれることになったそうな。
#*亀津と東天城で合併して、それで島の名前取っちゃった。奄美市とかの(ある意味)先駆者。
#お市の長女。お市に似ていたので、お市に憧れていた秀吉が自分の物にしたと言われるが、さほどの美女でもなかったという説もある。
#中心は「亀津」と呼ぶ。
#*身長170センチという記録がある。当時の女としては超のつく長身。それで美人だとしたら、現代の[[ファッションモデル|スーパーモデル]]みたいなものか?
#*島民は亀津が島で一番の都会と思っている。
#秀吉の子を二人(鶴松と拾)も産む。鶴松は夭折したが、拾は成長して秀頼となる。
#*本土からの船舶はたいてい亀津に寄港するので、物流事情を考えると徳之島でトップクラスの都会。
#*父親は別に居たのだという噂も根強い。石田三成とか、大野治長とか、いろんな名前がささやかれる。
#**なんと、ファミレス[[ジョイフル]]がある。
#*秀吉が他の妻妾に子供を産ませられなかった、つまり秀吉が種無しだったからというわけだが、初期の側室である南殿には子ができているので、あまり信用できない。
#ソテツトンネルはここ。
#**南殿も秀吉の側室になった時すでに妊娠していたor子連れであった説があるが、種なし説から逆に敷衍された話のようでもある。
#過保護ママで、秀頼をすっかりダメにしてしまったらしい。
#*大坂の陣の時も、諸将が秀頼の出陣を熱望したのに、淀殿の反対で実現しなかったとか。
#*一方、大坂の陣の時期には、秀頼はそれなりの見識を持つ武将となっていたのに、母親と意見が合わず、城内が「淀殿派」と「秀頼派」に分かれてしまっていたという説もある。
#*千姫を逃がさないように着物の裾を踏んづけていた、という話は濡れ衣のようだ。
#かつては『淀君』と呼ばれていた。『君』とは遊女とかにつける名前なので、相当に蔑視されていたようだ。
#*でも徳川家の人も君付で呼ばれたりしているので、それだけで蔑視かというと分からない。そもそも「君」自体はいい意味で、遊女の方もそれにあやかって付けるのだから、揶揄して呼べは蔑称だし、素直に呼べば敬称だろう。
#ドラマではヒステリックに描かれることが多いが、実際は結構インドア気質らしい。


===お江===
====伊仙町ぬ噂====
#お市の三女で淀殿の妹、徳川秀忠の奥さん。
#世界長寿を2人も輩出した。すでに亡くなった。
#*名前は「お江与」「小督」などの説もある。ただし「小督」は「お江」をちょっとカッコ良く表記しただけと見られる。
#*「泉重千代」「本郷かまと」
#*秀忠と結婚するまでに、佐治一成、豊臣秀勝(3代目……秀次の弟)と結婚している。一成とは離婚、秀勝とは死別。
#**両者とも、長寿のギネス認定を取り消された。
#嫉妬深くて激しい性格とされることが多いが、永井路子氏は穏やかで順応性の高いタイプだったと推理している。ただしやや冷淡なところはあったようだ。
#犬田布岳という山に、悲しい美女伝説が残されている。
#*やきもち焼き説の根拠は、秀忠がお江の生前側室を置かなかったとか、一度だけ浮気したがその時できた子(保科正之)と対面しなかったとかによる。
#例の戦艦大和以下計10隻の特攻艦隊の戦没者の慰霊塔が建っている犬田布岬は、伊仙町に属する。
#**単に秀忠が淡泊だった(あるいは、お江だけを本心から愛していた)だけかもしれず、ここからやきもち説を導くのは強引な気がする。
#*伊仙町歴史民俗資料館にも、戦艦大和に関する展示コーナーがある。
#*手元で育てた次男の国松(忠長)を偏愛し、春日局のもとで育った長男竹千代(家光)を疎んじたという話もあるが、これも大した根拠は無い。
#大昔には、ここで製造されていた陶器が南西諸島や鹿児島本土の各所に流通していた。
#**国松がお江の手元で育てられたこと自体が事実ではないらしい。国松には土井利勝の妹が乳母としてついており、春日局と同じような立場だった。
#*カムィヤキと呼ばれる。
#最近の国営放送では、幼女の頃に黒衣装の組織によって南蛮渡来の毒薬を飲まされ、精神は子供のまま体だけ大人になってしまったと言う設定が追加された。
#石灰岩地域らしく、鍾乳洞が多いらしい。
#*この薬はお市や姉たちも少量だが飲んでしまい、実年齢よりも10歳~15歳年長に見えている事が視聴者によって確認されている。


===春日局===
====天城町ぬ噂====
#明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘で、本名はお福。
#アラビアを思わせるデザインの役場にハブの館というものが存在し、ハブが飼育されている。
#*母方の祖父は稲葉一鉄だったりする。戦国キャラとしては渋いところで固めた感じ。
#与名間のサンセットリゾート(宿泊施設)は海を一望できる露天風呂がある。きれいなので来島した芸能人やマラソン選手が良く泊まる。
#三代将軍家光の乳母で、大河ドラマの主人公にもなった。
#*北部のムシロ瀬ばかり有名だが、南部の千間海岸は多くの生物が生息している。
#*文字通り舐めるように可愛がったらしい。家光が疱瘡にかかると、薬断ちをして快癒を祈り、その誓い通りに生涯薬を服まなかったという。
#**家光がホモに走り、なかなか女を愛せなかったのは、春日局が過保護すぎたからという噂も。血はつながっていなくても、一種のマザコンですな。
#**家光が春日局に「私からよく言っておくから薬を飲んでくれ」と頼むが、春日局は飲んだふりをして布団に垂らしたとも言われる。
#*春日局自身も疱瘡の後遺症であばた面だったが、ドラマではもちろんすべすべお肌になっていた。
#家康の愛人説もあるが、本当かどうか。
#春日という地名にある、郵便局のことではない。
#*徳川家の使者として朝廷に赴いた際、無位無官では天皇に拝謁できないので、特別に局(つぼね)号を賜った。だかられっきとした正式の名乗りである。
#家光を疎んじて忠長ばかり愛した秀忠夫妻と仲が悪かったというのはどうも俗説らしい。
#*春日局のほうが一方的に対抗意識を燃やしていたということはあり得るが。


===千姫===
===沖永良部島ぬ噂===
#豊臣秀頼の奥さん。徳川秀忠&お江の娘。
#このあたりから、鹿児島なのか沖縄なのか境界が曖昧になっている。
#*さらに言えば、[[徳川家康]]と浅井長政はお祖父ちゃん、お市の方はお祖母ちゃん、織田信長は大伯父さん、柴田勝家は義理のお祖父ちゃん、豊臣秀吉は義父にして義理の伯父さん、淀殿は伯母さん。そして亭主の秀頼は母方の従兄になる。実にもって絢爛たる系譜である。
#*沖縄の北部(=やんばる、今帰仁<なきじん>)と文化的つながりがある。
#**ついでに言うと、3代将軍家光は同母弟。
#*徳之島以北が本土音階なのに対しこちらは琉球音階。殆ど同じ民謡が、あたかも長調と短調のごとくそれぞれ違う音階で歌われる。
#秀頼とは不仲だったという説と、ラブラブだったという説がある。
#*現地民の顔を見ても、鹿児島と沖縄の中間という感じがする。
#*不仲説は子供が生まれていないため。しかし、立花宗茂と誾千代なんかでもそうだが、子供が生まれていない夫婦をすぐ不仲と切り捨てる歴史学者の態度ってどうなんだろう。
#*沖縄のテレビ局とFMラジオ局もこのあたりから受信できるようになる。
#*大坂城落城前に、亭主と運命を共にせず脱出していることも、不仲説の根拠とされる。
#*センター試験は、長らく沖縄県の会場が割り当てられていた(与論島も含む)
#**しかし、嫁が敵の一族の娘であった場合、落城前に相手に返すのは戦国時代の普通の作法である。祖母のお市も、小谷城落城に際して浅井家から織田家に返されている。夫婦仲とは全く無関係な話。
#**2017年は名瀬(奄美大島)に変わった。与論島は名護で変わらず。
#**もちろん、淀殿が千姫の返還に反対して着物の裾を踏んづけていたなどというのも、あり得ない話である。
#ここの浜辺はとても綺麗!サイパンにでもいるようです。
#**そして、秀頼と淀殿の命乞いのために徳川方に派遣されたというわけでもない。要するに、あくまで通常の作法に則っただけと思われる。
#珊瑚礁は沖縄本島に比べたら生きている割合が高いので、お勧め。特に屋子母海岸。
#**従って、坂崎直盛が炎上する大坂城から千姫を救出したというのも作り話。
#*屋子母海岸は確かに美しいが、他は???
#***ただし直盛が、千姫の再婚先を捜すよう家康から頼まれたのは本当らしい。ところが熊姫(家康の孫娘)の横槍で、彼女と本多忠政(忠勝の息子)の間の息子である忠刻と結婚することになってしまい、メンツを潰された直盛は荒れまくって狂態をさらし、お家断絶となる。
#西郷どんの2回目の流刑地。
#二度目の亭主の本多忠刻は、徳川四天王・本多忠勝の孫にしてはえらく病弱で、すぐ死んでしまう。
#現存しているフーチャーは、いわれてるほど大したことはない。
#*その後、吉田御殿なるところに住んで若い男をあさり、情事が済むと殺してしまった……という淫乱伝説が語られるようになるが、フィクションである。
#台風が来るとスーパーマーケットから生鮮食品が消える。
#**♪吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が♪ という歌が千姫のことだという説があるが、これは「吉田御殿」ではなく吉田宿(今の[[豊橋市|豊橋]])の遊女のこと。
#朝刊が昼ごろに来る。
#*南日本新聞の場合は、鹿児島市→鹿児島空港→沖永良部空港のルート。
#鍾乳洞の宝庫。
#「おきのえらぶ」でも「おきえらぶ」でも正しいらしい。
#こち亀に出た事があるらしい。


===片倉喜多===
====和泊町ぬ噂====
#出自は伊達家臣・鬼庭良直の娘だが…いろいろあって[[戦国武将/か行#片倉景綱|片倉景綱]]の異母姉になる。
#明治時代に知名から分離。
#文武両道に通じて兵書も好む。「小十郎殿の姉上」というより「小十郎殿の姐御」と呼びたくなる女性。
#西郷隆盛上陸の地だ。
#*こう書くと豪放磊落な「ゴッド姉ちゃん」のようだが弟と20も年が違うので姉弟というより半分親子みたいなもの。
#なぜか「国頭」という地名がある。
#片倉氏旗指物(黒釣鐘)をデザインした。現在の[[白石市]]市章である。
#*なので[[沖縄/国頭#国頭村ぬ噂|国頭村]]には無い「国頭小学校」がある。
#没後は「喜多ほどの者の血筋絶やすにはあまりにも惜しい!」と仙台藩2代目・伊達忠宗が片倉家分家として田村家から養子出させて片倉姓を継がせた。
 
[[Category:バカ人物志/日本|しよしてんせんこく]]
====知名町ぬ噂====
[[Category:戦国時代_(日本)|しよしてん]]
#もともと島全体で「知名村」だった(やがて町制)。
#ローマ字で書くと「[[中華人民共和国|China]]」だが、歴然とした日本の領土だ。
#*同名の惑星があるが、さすがにそっちは「Chinacho」。
#知名度は・・・高いはず。
 
===与論島(与論町)ぬ噂===
#鹿児島県です。
#*沖縄の離島を特集した本にも、鹿児島の離島の中でここだけ一緒に載っていることが多い。
#*本土発のツアーは、「屋久島・奄美諸島」のパンフ(鹿児島経由)と、「沖縄・離島」(那覇経由)のパンフの両方に載っていて、わけが分からなくなりがち。
#*行政上は鹿児島県だけど実態はどうみても沖縄県です、本当にニフェーデービル。
#*手元の「沖縄県道路地図<!--ライトマップル2012年版-->」にも、与論島がちゃっかり載っている。しかもわざわざ別枠で。
#*琉球朝日放送の放送終了映像では、沖縄本島と周辺の島々に併せて与論島も光で描かれている。
#*町議員が「NHKのラジオが受信できません」と総務省に質問したところ「名護中継局を受信してください」という[http://www.kiyamakouzou.jp/?p=1291 回答が返ってきた]ことがある。
#**さすがにこれではいけないということで、2015年度にFM中継局が設置されるらしい。
#***2015年8月、NHK第1・第2のFM中継局が設置された。
#沖縄本島まで20kmぐらい。
#本土復帰する時アメリカは沖縄軍政下に残そうとした。
#海岸が、チョー綺麗!!!グアムみたいです。
#*でも残念なことに、海底はけっこう死んでますよね・・・。
#*世界的に見ても稀なほどの透明度らしい。
#一部の勢力がヨロンパナウル王国を名乗り独立運動を展開中。
#*ちゃんとパスポートもある。
#与論献奉という、[[沖縄/宮古#宮古島ぬ噂|宮古島]]のオトーリに似た飲み方がある
#*もちろん使うのは島の黒糖焼酎「有泉」。
#*ヨロンヨロンなるまで飲む。
#一昔前まで、特定の年齢までに結婚できなかった女性はみんなの前で踊りを踊るという、一種罰ゲームのような風習があった。
#鉄道はないが、「駅」はある。
#*隣駅はあの「[[鹿児島市の駅#鹿児島駅の噂|鹿児島駅]]」らしい。(鹿児島市の中心駅は「[[鹿児島中央駅]]」)
#'80年代のブームの頃はすごかったらしい。
#*沖縄復帰前は日本最南端だった。茶花の通りは原宿並に人が訪れたらしいけど今じゃ完全に忘れ去られた島。
#**廃墟と化したホテルの残骸があちこちある。
#**80年代は沖縄復帰後じゃないか。
#*そう、すごかった。空港ができたか航空便の開設だかで<!--あるいは両方?-->、行きやすくなったというのがキッカケだったと記憶する。
#同音の世論と間違えられやすい為「ヨロン」と表記されることが多い。
#*はっきり言って、カタカナ表記は格好悪い。
#その昔、「花の応援団」というマンガで「与論の夜は腕次第!」というキャッチフレーズがあったがホントか?
#鹿児島・沖縄からの空・船の便は、いずれも極端に少ない。
#*沖縄本島にさほど離れていないとはいえ、気軽には行けない。
#**[[沖縄/国頭#国頭村ぬ噂|奥]]に港が出来れば、、、
#2012年に3週連続で台風に襲われた。
#*2013年も毎週のように台風に襲われた。
#島の形が[[ボードゲーム#人生ゲーム|人生ゲーム]]のルーレットに似ていることに着目して、島全体を人生ゲームのすごろくにしてしまった。
#ここでも沖縄[[ポッカサッポロフード&ビバレッジ|ポッカ]]の「さんぴん茶」が買える。物流に関しては沖縄寄りであることは確か。
#台風襲来後のニュース映像は町役場撮影。だからどのテレビ局でも同じ映像が流れる。
#沖縄復帰前、「分断の地」であるこの島と沖縄本島最北端から船を出して交流し、復帰を祈願するイベントがあった。
#*互いの地がよく見えるように篝火も焚いていた。
#「星の砂塩」がよく採取される。
 
[[Category:鹿児島|あまみ]]
[[Category:日本の島|あまみ]]

2021年8月12日 (木) 23:32時点における版

ティーマ別ぬ噂

奄美地方ぬ噂

屋久 種子
十島
大和
龍郷 奄美
宇検 奄美大島 喜界
瀬戸内
加計呂麻



徳之
伊仙
知名 和泊 沖永良部島
与論
沖縄
  1. とても美しいところ。
    • 美しい自然がまだ残っているところ。
  2. マリンスポーツのメッカ。
  3. 亜熱帯性海洋気候
  4. びっくりすると「はげ!」という。人によっては「あげ」「あけ」などなど。
    • 「あぶじー!」とか「あぶじゃくりー!」とかもあるよね。標準日本語とは大違いです。
    • 「はげ」は感嘆詞。状況に応じていろんな使い方がある。
    • 「はげ」の使い方がマスターできれば身も心も立派なシマンチュです。
      • 「シマンチュ」という言い方は、沖縄方言が世に出る前は殆ど耳にしなかった。「シマッチュ」というのが正しくない?
  5. 郷土料理に「鶏飯(ケイハン)」というのがある。めちゃ美味い!
    • 鹿児島の小中学校では給食に「奄美の鶏飯」があり、かなり人気。
    • ローソンで販売開始。色んな意味で頑張れ。
    • 徳島の大学の食堂でも、たまに限定メニューとして登場する。
    • ケイハンと言っても、こことは無縁。
      • 京阪百貨店の物産展で鶏飯が食べられる日が来ないかなあ…(by京阪百貨店の地元民)
  6. 文化人類学的に興味深い地域。毎年、首都圏から調査で訪れる人が多い。
    • 明大とか南山とか都立大とかいろんなところから来てます。
  7. サーフィンのスポットが結構ある。近年、訪れるサーファーが増えつつある。
  8. 住民の足はもっぱら「車」です。なので、立派な体格の方が・・・多いわよね。
    • 電車はありません。ごめんなさい。
      • しかしながら、奄美市笠利のあやまる岬公園にはサイクルトレインなるものが存在する。
  9. 美しい女性多し。
    • たくましい男性も!
    • 男性はイケメン多し!しかもマッチョです。
  10. 多くの著名なミュージシャンが訪れている。
  11. 沖縄じゃありません。鹿児島です!
    • でも、顔は沖縄よね。
    • 苗字も沖縄系。我那覇美奈(歌手)とか。
    • 我那覇は元々沖縄姓。奄美に多いのは一文字姓
      • そのツッコミは正しい。沖縄でメジャーな姓が奄美でもメジャーという訳ではない(てか、ドマイナー。)
      • つうか一文字姓も沖縄由来。琉球士族は唐名(からなー、代表尚家)と言う中国名を持っていたので、薩摩藩はそれに合わせただけ。
      • 沖縄系の名前の人は漁業関係の仕事で移住してきたのよ。我那覇美奈は曾爺さんの代にだったかな。奄美市在住沖縄県人会の人に聞いた。
    • 江戸時代の初期に琉球から薩摩藩に割譲された。ちなみに、琉球は薩摩藩の属領になった。
      • 歴史的にみると奄美は琉球の一部であったが、そのことを沖縄に住んでいる人たちも忘れているらしい。
        • うそ。奄美は15世紀に琉球王国に侵略、征服された鎌倉時代にはちゃんと地頭もいた日本だったのに。琉球王国のどこが非武装平和国家だ!!
          • それでも沖永良部、与論は歴史的に見ると琉球の一部だった(三山統一前は北山所属、北山所属前も英祖王に朝貢していたらしい)。奄美を全て一括りにしてはいけない。
      • 全部でも無いよ。でも内地の人で、沖縄=琉球って見方をしちゃってさ、奄美も沖縄だと思っている人がいる。
    • 現地でみやげ物を選ぶときに、気をつけないと沖縄みやげを買ってしまうので、注意。
    • 沖縄本島と鹿児島本土に迫害された歴史がある。
  12. やはり酒(焼酎)に強い人は多い。
    • そうでもないよ、おれ飲めないし。つうか九州以南は酒飲みが多いってのは都市伝説。事実は東北の方が酒飲み、で日本一は秋田。
      • それのデータで言うと鹿児島と宮崎と沖縄も飲む量多いから結局南九州は酒飲みと言う結果に
  13. 人が良い!
    • 踊り好きで、お酒もいける!ビバ奄美!
  14. 小遣い稼ぎにハブをとる人が結構いる。
    • 道路でハブに出くわしたときの為に「ハブ捕獲キット」をトランクに忍ばせている人は少なくない。
    • 奄美を走るタクシーには必ずハブ捕獲キットが積んである。
    • パトカーにも常備、転勤した警官はハブ捕り講習を受けるらしい。
  15. 島民は意外と暑がり。(クーラーに慣れてしまっている。)
  16. 成人式に女性は大島紬をまとう。
    • しかも、沖縄のように荒れない。
  17. 都会に住む人間なら歩きそうな距離も、奄美の人はバスを使う。ある意味贅沢。
  18. 他の九州地方同様、クリスチャン(カトリック)が多い。
  19. 方言が、もはや日本語ではない。
    • 爺さん婆さんの言葉は、既に宇宙語のレベルだ。(理解不能)
    • 戦後、日本に返還された時に『言語一貫教育(方言追放運動?)』という教育方針で方言を禁止されたようだ。
      • 方言を話した者は「私は方言を話しました」というプラカード(と親から聞いたが赤札だというところもある)を首から下げられ廊下に立たされるなどの屈辱的な仕打ちがあった。
        • モチロン、今は無い廃れた悪習ではあるが、今島口を喋る子供の数は減退の一途を辿る。
        • 島口を見直す動きも活発化している。特に、朝崎郁恵・元ちとせ・中孝介(敬称略/三人とも歌手)の影響もあり、島唄は島内・島外問わず、人気が有ったりする。
        • ちなみに、この方言禁止の方策はフランスを参考にした物。
          • 全国から軍人を集めてみたら、簡単な命令の伝達さえ支障を来したため、仕方なく行わざるを得なかった。
          • いわゆる「方言札」
    • 以外にも鹿児島本土より標準語に近い発音。(訛りはあるが)
      • 鹿児島本土より、お付き合いし易い人たちが多かったと記憶。特に女性の語り口調には癒されます。(福岡人)
  20. 一年中暖かいと思われがちだが12月から3月にかけては曇りがちで日照時間が短く陽が当たらない上に、風が強いため意外に寒い。
    • 日本一日照時間が短い。
    • 沖縄も12月から3月にかけて寒い。
  21. 2009年7月22日、皆既日食
    • トカラ列島と種子島、屋久島でも見れる模様。
      • 人大杉で旅券が取れなかった。損害と賠償を(ry
        • 「旅券」って、日本国内だからパスポートはいらないが。
          • 損害と賠償、と言ってる時点で某国人かと。
        • 人大杉よりもむしろ悪天候が大きかったのでは?
    • この皆既日食で悪石島の名前を知った人も多いだろう。
  22. マムシのいる島といない島が交互にある。(喜界島出身ミュージシャン:談、ちなみにそこにはマムシがいないとのこと)
    • ちなみにマムシという種類のヘビは南西諸島には生息していない。ヒメハブを通称マムシと呼んでいるようである。
  23. タバコを吸おうとしてライターがない時に女性に「火を貸して」と言っちゃいけないっちば。
  24. 「奄美群島」「奄美諸島」の2つの言い方があったが、今は公式的には「奄美群島」の方に統一(?)されているらしい。俺には諸島と群島の違いはわからんが。

大島郡の噂

  1. 山口にも同名の郡がある。

奄美大島ぬ噂

奄美大島

喜界島(喜界町)ぬ噂

  1. 鬼が島と間違われる。(鬼界島?)
    • 子どもの頃「機械島」だと思ってました。
    • 初めて聞いたときは「奇怪島」だと思った。水木しげるが好きそうな島、みたいな。
    • 大昔とかは本当に鬼界ヶ島というように喜ではなく鬼で、鬼界ヶ島→鬼界島→喜界島になったらしい。確か教科書に載ってた。もしかしたらこの変化にまだたくさん名前変更あったような気がするが、鬼で会った事は確か。
  2. 焼酎が美味。
    • 焼酎党の間で伝説の「朝日」は喜界島の特産品。
    • マジですかー!
    • 奄美の黒糖焼酎は、北へ行くほど旨いような気がする(気のせい?)
  3. 僅か16mileだがJALマイレージが貯まる為、搭乗回数を稼ぐ修行僧のメッカ。
  4. 美味しいを黒砂糖を作っている。
    • 大規模な地下ダムがあるからな。
  5. 外国からの観光客も良く見かける。
  6. 数年前に始めて信号機が設置された。(警察署前)
    • 信号機設置によって、かえって事故が増えたそうな。ちなみに喜界島の運転マナーは物凄く良い。停止線でちゃんと一旦停止するし。
  7. 自衛隊の大規模な通信施設がある。
    ハワイ
    • エシュロンではないかとの噂がある
  8. ハワイもある。
    • 隆起珊瑚の島で、もともと天然のビーチがあまりない。
  9. 俊寛が流された
    • この島以外にも俊寛流刑地といわれる所は何箇所かある。
    • 実は硫黄島かもしれないらしい。
  10. 北海道ローカルの番組の水曜どうでしょうで大泉洋らが島をリアカーで一周した。
    • そして、大人の事情で「どうでしょうClassic」では放送されない事態になった。
  11. でかい電波傍受施設の象のオリがある。(でかいレーダー施設。もちろん軍施設)
  12. プロ野球選手を奄美大島より多く輩出している(つっても2対1ですがね)。
  13. 生徒会会計になった水泳部員。
  14. 「クンマー」というケダモノ生物を食べる島。
  15. ゴマの生産が日本一。
    • もっとも、国産ゴマ自体のシェアが0.1%程度らしい。
  16. 10世紀から太宰府と交流があった。しかも当時は奄美大島より立場が上だったとか。

徳之島ぬ噂

  1. 犬田布岬には、戦艦大和以下の特攻艦隊の戦没者の慰霊塔がある。実際は、徳之島は大和の沈没海域からかなり離れており、沈没地点から最も近い陸地ではない。
    • ちなみに、沈没地点に一番近い陸地は、九州本土の南さつま市(旧坊津町)の坊ノ岬であり、坊ノ岬灯台が建っている。
    • 犬田布岬は場所がわかりにくい。地元の人でも迷うとか。
      • どう行っても、サトウキビ畑の行き止まりにぶつかる。
  2. 選挙に命がかかっている。
    • ホントです。
    • 徳之島の選挙は全国的に有名だよねー。
      • かつて小選挙区制が導入される前に全国唯一の一人区だったのが奄美群島区で、しかも有力候補の一人は徳之島出身者。そんな訳で毎回凄まじいまでの命懸けの選挙戦を展開していた。小選挙区制に比例代表を加味したのは、この選挙区のバトルを知っていたからでは?
        • 全く関係ない。普通に他の地域に含めてれば済むだけの話。
          • でも、鹿児島2区に編入されたが、谷山人としては何で虎雄のガキ(裏切り者)が自分のところの議員になったのか釈然としないんだが。
    • 役場内での乱闘テレビ中継はここだったか。
    • 当選者が、物凄い形相で勝利の舞を踊ってたのをテレビで見た覚えがある。
    • 町会議員選とかの時期に対立候補とかの話をしたときに「○○(対立候補とか支持者とか)沈めてやろうかね」と言った人がいたが最早冗談に聞こえなかった
  3. 徳之島の闘牛はダイナミック。
    • 牛と牛との勝負。圧巻。
    • 裏側では凄い勢いで札束が飛び交ったりしていた(昔の話。今は判らないが)
  4. 高橋尚子がトレーニングをしたコースがある。
  5. 最近島内唯一のジョイフルができ、徳之島の若者の溜まり場になりつつある。
    • 夜は酔っ払いの社交場。
  6. 買い物と言えばAコープかダイマルデパート。ただしダイマルデパートは「デパート」の名にもかかわらずかなり小さい。
  7. 居酒屋などに置かれてるお酒は、黒糖焼酎「煌の島」通称「きらめき」がほとんどである。
  8. 2010年、基地移転問題でにわかに注目を集め始めた。
    • そして、大炎上してから虎雄さんにご挨拶。
  9. 長寿と子宝の島とされている。
  10. ギニア出身のオスマン・サンコン氏が観光大使を務めている。
  11. 生物の宝庫の島。

徳之島町ぬ噂

  1. 実は、島の半分くらいだけ。
    • なのに島の名前全部とっちゃった。
    • 亀津と東天城で合併して、それで島の名前取っちゃった。奄美市とかの(ある意味)先駆者。
  2. 中心は「亀津」と呼ぶ。
    • 島民は亀津が島で一番の都会と思っている。
    • 本土からの船舶はたいてい亀津に寄港するので、物流事情を考えると徳之島でトップクラスの都会。
  3. ソテツトンネルはここ。

伊仙町ぬ噂

  1. 世界長寿を2人も輩出した。すでに亡くなった。
    • 「泉重千代」「本郷かまと」
      • 両者とも、長寿のギネス認定を取り消された。
  2. 犬田布岳という山に、悲しい美女伝説が残されている。
  3. 例の戦艦大和以下計10隻の特攻艦隊の戦没者の慰霊塔が建っている犬田布岬は、伊仙町に属する。
    • 伊仙町歴史民俗資料館にも、戦艦大和に関する展示コーナーがある。
  4. 大昔には、ここで製造されていた陶器が南西諸島や鹿児島本土の各所に流通していた。
    • カムィヤキと呼ばれる。
  5. 石灰岩地域らしく、鍾乳洞が多いらしい。

天城町ぬ噂

  1. アラビアを思わせるデザインの役場にハブの館というものが存在し、ハブが飼育されている。
  2. 与名間のサンセットリゾート(宿泊施設)は海を一望できる露天風呂がある。きれいなので来島した芸能人やマラソン選手が良く泊まる。
    • 北部のムシロ瀬ばかり有名だが、南部の千間海岸は多くの生物が生息している。

沖永良部島ぬ噂

  1. このあたりから、鹿児島なのか沖縄なのか境界が曖昧になっている。
    • 沖縄の北部(=やんばる、今帰仁<なきじん>)と文化的つながりがある。
    • 徳之島以北が本土音階なのに対しこちらは琉球音階。殆ど同じ民謡が、あたかも長調と短調のごとくそれぞれ違う音階で歌われる。
    • 現地民の顔を見ても、鹿児島と沖縄の中間という感じがする。
    • 沖縄のテレビ局とFMラジオ局もこのあたりから受信できるようになる。
    • センター試験は、長らく沖縄県の会場が割り当てられていた(与論島も含む)
      • 2017年は名瀬(奄美大島)に変わった。与論島は名護で変わらず。
  2. ここの浜辺はとても綺麗!サイパンにでもいるようです。
  3. 珊瑚礁は沖縄本島に比べたら生きている割合が高いので、お勧め。特に屋子母海岸。
    • 屋子母海岸は確かに美しいが、他は???
  4. 西郷どんの2回目の流刑地。
  5. 現存しているフーチャーは、いわれてるほど大したことはない。
  6. 台風が来るとスーパーマーケットから生鮮食品が消える。
  7. 朝刊が昼ごろに来る。
    • 南日本新聞の場合は、鹿児島市→鹿児島空港→沖永良部空港のルート。
  8. 鍾乳洞の宝庫。
  9. 「おきのえらぶ」でも「おきえらぶ」でも正しいらしい。
  10. こち亀に出た事があるらしい。

和泊町ぬ噂

  1. 明治時代に知名から分離。
  2. 西郷隆盛上陸の地だ。
  3. なぜか「国頭」という地名がある。
    • なので国頭村には無い「国頭小学校」がある。

知名町ぬ噂

  1. もともと島全体で「知名村」だった(やがて町制)。
  2. ローマ字で書くと「China」だが、歴然とした日本の領土だ。
    • 同名の惑星があるが、さすがにそっちは「Chinacho」。
  3. 知名度は・・・高いはず。

与論島(与論町)ぬ噂

  1. 鹿児島県です。
    • 沖縄の離島を特集した本にも、鹿児島の離島の中でここだけ一緒に載っていることが多い。
    • 本土発のツアーは、「屋久島・奄美諸島」のパンフ(鹿児島経由)と、「沖縄・離島」(那覇経由)のパンフの両方に載っていて、わけが分からなくなりがち。
    • 行政上は鹿児島県だけど実態はどうみても沖縄県です、本当にニフェーデービル。
    • 手元の「沖縄県道路地図」にも、与論島がちゃっかり載っている。しかもわざわざ別枠で。
    • 琉球朝日放送の放送終了映像では、沖縄本島と周辺の島々に併せて与論島も光で描かれている。
    • 町議員が「NHKのラジオが受信できません」と総務省に質問したところ「名護中継局を受信してください」という回答が返ってきたことがある。
      • さすがにこれではいけないということで、2015年度にFM中継局が設置されるらしい。
        • 2015年8月、NHK第1・第2のFM中継局が設置された。
  2. 沖縄本島まで20kmぐらい。
  3. 本土復帰する時アメリカは沖縄軍政下に残そうとした。
  4. 海岸が、チョー綺麗!!!グアムみたいです。
    • でも残念なことに、海底はけっこう死んでますよね・・・。
    • 世界的に見ても稀なほどの透明度らしい。
  5. 一部の勢力がヨロンパナウル王国を名乗り独立運動を展開中。
    • ちゃんとパスポートもある。
  6. 与論献奉という、宮古島のオトーリに似た飲み方がある
    • もちろん使うのは島の黒糖焼酎「有泉」。
    • ヨロンヨロンなるまで飲む。
  7. 一昔前まで、特定の年齢までに結婚できなかった女性はみんなの前で踊りを踊るという、一種罰ゲームのような風習があった。
  8. 鉄道はないが、「駅」はある。
  9. '80年代のブームの頃はすごかったらしい。
    • 沖縄復帰前は日本最南端だった。茶花の通りは原宿並に人が訪れたらしいけど今じゃ完全に忘れ去られた島。
      • 廃墟と化したホテルの残骸があちこちある。
      • 80年代は沖縄復帰後じゃないか。
    • そう、すごかった。空港ができたか航空便の開設だかで、行きやすくなったというのがキッカケだったと記憶する。
  10. 同音の世論と間違えられやすい為「ヨロン」と表記されることが多い。
    • はっきり言って、カタカナ表記は格好悪い。
  11. その昔、「花の応援団」というマンガで「与論の夜は腕次第!」というキャッチフレーズがあったがホントか?
  12. 鹿児島・沖縄からの空・船の便は、いずれも極端に少ない。
    • 沖縄本島にさほど離れていないとはいえ、気軽には行けない。
      • に港が出来れば、、、
  13. 2012年に3週連続で台風に襲われた。
    • 2013年も毎週のように台風に襲われた。
  14. 島の形が人生ゲームのルーレットに似ていることに着目して、島全体を人生ゲームのすごろくにしてしまった。
  15. ここでも沖縄ポッカの「さんぴん茶」が買える。物流に関しては沖縄寄りであることは確か。
  16. 台風襲来後のニュース映像は町役場撮影。だからどのテレビ局でも同じ映像が流れる。
  17. 沖縄復帰前、「分断の地」であるこの島と沖縄本島最北端から船を出して交流し、復帰を祈願するイベントがあった。
    • 互いの地がよく見えるように篝火も焚いていた。
  18. 「星の砂塩」がよく採取される。