もしあの放送局が○○だったら/九州
RKB毎日放送
九州放送を名乗っていたら
- TVQ九州放送は「テレビ福岡」という名前で開局していた。
- 正式社名は「九州放送」で、略称は「RKB」のまま。
旧西部毎日テレビジョンとの合併がなかったら
- 日本テレビ系列になり、「RKB読売放送」もしくは「RKB福岡放送」になっていた。
- 当然福岡放送の開局もなかった。
- RKBが福岡放送を名乗らなければ、現実のTVQが福岡放送になっていた。
- 当然福岡放送の開局もなかった。
- 場合によっては九州朝日放送と合併していた。
- 福岡地区と北九州地区が別の放送区域になりかけるが、郵政省の意地で放送区域が統合される。
- 福岡県は4系列が全部VHF波になっていた。(KBC 1ch、RKB 4ch、SMT 8ch(北九州)、TNC 9ch)
- 西部毎日テレビジョンが開局したということで、CBCテレビの2013年4月1日以降のコールサインが別のものになっていた。
- 史実では、『JOAR』から(西部毎日テレビジョンが使用する予定だった)『JOGX』に変更。
RKBラジオがNRNに加盟していたら
ラジオ単営局のままだったら
テレビ西日本
九州朝日放送と合併していたら
→もしあの放送局が合併していたら#テレビ西日本・九州朝日放送
ネットチェンジがなかったら
- KBCはFBS開局までNETとフジのクロスネットだった。
- 最終的にKBCはNET系列、FBSはフジ系列となっていた。
- KTN、TKU、TOS、UMK、KTSはNNNメインのクロスネットとなっていた。
- KTN、TKU、KTSは後発局開局によりNNNフルネットとなっていた。
- sts、OTVはNNNフルネットだった。
- なので、沖縄県が日テレ空白地域にならなかった。代わりにフジ空白地域になっていた。
- NIB、KKT、KYTはFNN系列局として開局していた。
- TOSとTNCの関係が現実より良かった。
- 90年代には日テレとの関係が改善していたかもしれない。
- 九州・沖縄地方はフジより日テレがメジャーになっていた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放は開局当初より「ズームイン!!朝!」をネットしていた。
- もちろん、佐賀・宮崎・沖縄でズームインが見られないことはなかった(CATV経由での視聴を除く)。
- 8時台の朝の情報番組は「小川宏ショー」→「おはよう!ナイスデイ」ではなく「ミセス&ミセス」→「ルックルックこんにちは」を放送していた。
- TOS・UMKは現在も「とくダネ!」ではなく「スッキリ!!」を放送していた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放のクロスネット局はNNNの非マストバイ局に近い編成となっていた。
- 九州地方のsts以外の2番目に開局した民放は開局当初より「ズームイン!!朝!」をネットしていた。
- 勿論、福岡県民が暫くの間日テレの番組に苦しむことは無かった。
九州朝日放送
局名が「西日本放送」のままだったら
現存する九州朝日放送(KBC)は、創立当時「西日本放送」を名乗っていましたが、本放送開始時には現在の社名に変更しています。もし「西日本放送」のまま開局していたらどうなっていただろうか?
- 現存する香川・西日本放送は、多分「香川放送」で開局していた。
- 事実、香川・西日本放送の開局時の局名は、「ラジオ香川」であった。
- どうかな。瀬戸内放送などのスケールのでかい名前になっていただろう。
- 「四国放送」になっていたかもしれない。(その場合現実の四国放送は「徳島放送」)
- 史実だと四国放送のほうが早いんだな、これが。
- 香川・西日本放送の設立時の社名はラジオ四国だったので、新四国放送になっていた?
- 史実だと四国放送のほうが早いんだな、これが。
- 「高松放送」かもしれない。
- 本州の岡山県にも放送エリアが広がることから「本四放送」という社名になっていたかもしれない。
- むしろ、こちらが瀬戸内海放送を名乗り、実在のKSB瀬戸内海放送は、設立時の局名である「新日本放送」を名乗っていたか?(設立時、同じ「新日本放送」を名乗ったMBS毎日放送は、この時点で既に改称済み。)
- 当然コールサイン「JOGR」は、福岡・西日本放送に割り当てられ、現実の青森放送のコールサインは、別のコールサインが割り当てられていた。
- それこそ「JOIF」だろう。
- 現実のテレビ西日本との合併が現実に…。
- 合併しなくてもそういうの結構ない?(●●テレビ/テレビ●●と●●放送が共存)
- 久留米市に本社が置かれていたので佐賀県民のリスナーも多くなっていた。
KBCラジオがJRNに加盟していたら
テレビ西日本と合併していたら
福岡放送
不祥事により放送免許がはく奪されたら
サガテレビ
オープンネット局だったら
系列外の番組はテレビ東京系列ぐらいしかありませんが、仮に四国放送みたいな編成方針をとっていたら
- 水戸黄門やモーニングショーも放送されていた。
- 当然、スーパー戦隊シリーズも放送されていただろう。
- 高校野球やサッカーの佐賀大会も中継していた。
- もしかしたら日テレ・テレ朝とのトリプルクロスネットになっていた。
- それでも佐賀県民は在福局を見ている。
- VHFで開局していたらあり得たかもしれない。
- 佐賀県に第2局目が開局していたかもしれない。
長崎文化放送
日本テレビ系列局として開局していたら
- 4局目は間違いなく長崎朝日放送になっていた。
- いや、長崎朝日テレビ(NATまたはNATV)だったかもしれない。
- ANNの番組は4系列揃うまでNBCとNCCで等割りになっていた。
- 地球戦隊ファイブマンは、最終回までNBCで放送。
- 当然、NNN空白となることもなかった。
- 代わりにANN空白が長引いた可能性も。
- 長崎国際テレビを名乗った可能性も?
- ANN局が「長崎国際テレビ」と名乗ったかも。
フジテレビ系列局として開局していたら
- 長崎新聞に加えて西日本新聞とつながりが深くなる。
- KTNはNNNへネットチェンジ。
- NIBはテレビ朝日系列局として開局していた。
長崎新聞とのつながりがなかったら
- 長崎朝日放送を名乗っていたであろう。
- 静岡より先に朝日テレビ(長崎朝日テレビ)と名乗っていたかも。
- 長崎新聞のTV欄の並びも変わっていた。
- もちろん、朝日新聞とべったりの関係となっていた。
- 長崎新聞は、どこと仲良くなっていたのだろう?
- 長崎放送じゃないか?
関連項目
テレビ長崎
開局当初からフジテレビ系だけに加盟していたら
- 笑っていいともは開始当初から同時ネットだった。
- 夕やけニャンニャンも放送されていたかもしれない。
- 長崎の日テレ系列局はもっと早く誕生したかも知れない。
トリプルクロスネット局だったら
九州各地で第2のテレビ局が開局した際、テレビ熊本・テレビ大分・テレビ宮崎・鹿児島テレビはFNN・NNN・ANNのトリプルクロスネット体制になりましたが(現在はテレビ熊本と鹿児島テレビはFNNマストバイ・テレビ大分はFNNとNNNのクロスネット・テレビ宮崎のみトリプルネット継続)、テレビ長崎はANNには加盟せずFNNとNNNのクロスネット(1990年9月まで)となりました。 もし、KTNがANNにも加盟していて、トリプルクロスネット体制を引いていたら?
- KTNでもそれなりにNET→テレ朝の番組をやっていた。
- NCC開局以前はテレ朝の番組は大半がNBCでやっていて、KTNではあまり放送が無かった。
- 県内3局目が日本テレビ系列になっていた可能性あり。
- もっとも、県内3局目がテレ朝系で開局したことと、KTNがANNに入っていなかったことの関連性は不詳であるが。
- 昼ニュースはたぶんANNになっていた。
- ニュースのローテーションは朝、深夜→NNN、昼→ANNニュース、夕方→FNN。
- 下手すればNCCもNIBも開局しなかったかも。
NNSにも加盟していたら
クロスネット時代のKTNは日本テレビ系の番組を多くネットしていましたが、NNSには加盟していませんでした。もしクロスネット時代のKTNがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?
- 未放送のフジテレビ番組がもっと出ていた。
- 笑っていいともはNNN/NNS脱退まで未放送で、17時台は日本テレビの番組を放送していた。
- NBCは1975年以降(腸捻転解消時)、日本テレビの番組を放送することは無かったかもしれない。
- KTNでも、腸捻転解消後はテレビ朝日の番組を全く放送しなかった可能性もある。
VHFで開局していたら
開局構想は1962年からあり、VHFで郵政省に開設申請書を提出したこともあったそうです。
- 福島テレビや沖縄テレビとともに、地方のFNN局では珍しいVHF局になっていた。
- NCC開局時は親局・東長崎局・佐世保局などの受信世帯を中心に、電器店や折り込みチラシなどでUHFアンテナの設置促進キャンペーンが展開されていた。
- それでも番組編成は史実とあまり変わらない。
- NHK教育(現・Eテレ)から、1チャンネルを強奪。Eテレは9チャンネルに。
- その場合の地デジIDは、KTN・1、Eテレ・2、NHK総合・3、NIBは史実通りの4、NBCがアナログ同様5、NCCが6(その逆NCC・5、NBC・6)になる。
- 佐世保中継局(旧:JORY?)は12chになっていたであろうから、もしそうならば本局と支局でVHFチャンネルの番号が真逆になっていたことになる。
- コールサインは長崎:JORX-TV・佐世保:JORY-TV(福島テレビのPXの次はQXだがQXは当時NHKが使用していたため。名古屋テレビのLXの次の広島テレビにNXが割り当てられたのと同様の理由)。そのため、史実通りTBSが分社化した場合TBSテレビは別のコールサインを使っていた
- JOMXが割り当てられなかったのは当時NHK延岡・教育にJOMX-TVを割り当てるために民放テレビ単営局への割り当てが保留されたため。それを言えば読売テレビのJOIXはラジオではNHKが使用していたぞ。
- テレビ長崎以外にもVHF7chでの開局計画があった岐阜放送やテレビ静岡など比較的人口の多い県をエリアとする先発UHF局もVHFで開局していたかもしれない。
- その場合、最後のVHF親局はテレビ東京ではなかったかもしれない。
- 当時の人口規模と最初に予備免許が交付されたU局加えVHF1局地帯で電波的な余裕がある立地と考えるとKTNとGBSの他には恐らくSUT・NST・ITC・KTSあたりだろう。
- その場合、KTNを含めて以下のようなものになる。UHF局の割合が相対的に減るので、コールサインもかなり変化が見られたかも。
- テレビ静岡 (STC、SizuokaTelevisionBroadcastingCo.,Ltd.より、史実ではSUT) 静岡 JOQX-TV(7ch -10kHzオフセット(GBS・CXとの混信対策のため))/浜松 JOQY-TV(12ch +10kHzオフセット) - KSSはJOUY
- その場合だとしてもフジの映像周波数193.25MHz対してテレ静の音声周波数が193.74MHzになる訳だからどの道被る。(山梨のNHKが東京と同じチャンネル使ってるあたりゼロとは言えないが)もし7chだったらフジテレビの静岡沿岸部での遠距離受信が困難になっていた。
- 岐阜放送 (GBS) JOZF-TV(7ch +10kHzオフセット) - 広域局かつテレ朝系。独立局ではない。
- その場合メーテレはテレ朝系ではなく当初の予定通り日テレ系になり、中京テレビは開局しなかったか開局していても独立U局として開局していた。また、仮に開局していた場合、日経の資本が入っている関係からのちにテレビ東京系列の局となっていた。
- 岐阜県にはGBSとは別にテレビ単営の独立U局が存在していた。
- テレビ長崎 (KTN) 長崎 JORX-TV(1ch +10kHzオフセット)/佐世保 JORY-TV(12ch -10kHzオフセット、1991年呼出符号廃止)
- 新潟総合テレビ (NST) JOSX-TV(10ch -10kHzオフセット) - SDTはJODH
- 鹿児島テレビ (KTS) JOUX-TV(7ch) - 新潟テレビ21はJONH
- 石川テレビ (ITC) JOWX-TV(12ch +10kHzオフセット) - テレビ金沢はJOKH
- テレビ静岡 (STC、SizuokaTelevisionBroadcastingCo.,Ltd.より、史実ではSUT) 静岡 JOQX-TV(7ch -10kHzオフセット(GBS・CXとの混信対策のため))/浜松 JOQY-TV(12ch +10kHzオフセット) - KSSはJOUY
- その場合、KTNを含めて以下のようなものになる。UHF局の割合が相対的に減るので、コールサインもかなり変化が見られたかも。
長崎放送
土曜日ゴールデンのNTVネットを長崎国際テレビ開局まで続けていたら
NBCはかつて土曜日のゴールデンタイムは日本テレビ系同時ネットでした。1984年3月まで続きましたが、1991年3月(NIB開局直前)まで続けていたら?
- 「8時だョ!全員集合」は最終回まで未ネットのままだった。
- その次の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も最後の1年のみのネットになっていた。
- 24時間テレビも1990年(第13回)までリレー放送が続いた。
- 他の曜日も1984年3月以前の編成が残っていた。
- 「カックラキン大放送!!」や「太陽にほえろ!」等、史実ではKTNへ移行した番組は終了もしくはNIB開局までNBCでネットされた。
旧ラジオ長崎と旧ラジオ佐世保が別々にテレビ放送を始めていたら
ラジオ長崎は開始当初県北地区まで電波が届かなかったため、ラジオ佐世保が設立されました。その後当時の1県1局原則に伴い合併しましたが、もし合併が遅れるなどしてテレビもそれぞれ独自で開始されていたら?
- 合併後の系列で一悶着あったかもしれない。
- あるいは旧ラジオ佐世保のテレビ部門だけ「テレビ西海」として残っていた可能性がある。
- 「テレビ西海」はテレビ長崎が構想段階の際、申請があった6社の中に2社が存在していたので、本社が佐世保ならこの名前になっていたと思われる。
- 福岡(九州朝日放送とテレビ西日本)のように合併せず相互乗り入れをした場合、当然VHFでの展開となっていため、UHFアンテナを付けないと見られない平成新局2社は史実よりも苦戦していたかもしれない。
- あるいは旧ラジオ佐世保のテレビ部門だけ「テレビ西海」として残っていた可能性がある。
開局当初から県北にラジオ中継局を設置していたら
上述の通り、ラジオ長崎は開始当初県北地区まで電波が届かなかったため、ラジオ佐世保が設立されました。では県北地域にも最初から中継局があったら?
- 社名が「ラジオ長崎」の時代が史実よりも長かったので、略称が「NRT」(Nagasaki Radio & Television)もしくは「URN」(同局のコールサイン+長崎のN)になっていたかもしれない。
- ラジオ佐世保は設立されなかったので、佐世保地区のコールサインは史実ではNBCラジオ佐賀が使っている「JOUO」になっていた。
- 「JOMF」はNBCラジオ佐賀に割り当てられた可能性もある。
テレビ宮崎
宮崎県の民放テレビ局・テレビ宮崎(UMK)は現在はFNN・NNN・ANNのトリプルクロスネットですが、もし別な展開を迎えていたら?
NNSにも加盟していたら
UMKはFNSには加盟していますが、NNSには加盟していません。もしUMKがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?
- めざましテレビではなく、ズームインが放送されていた。
- ザ・サンデーも放送されていた。
- ただし、とくダネやにじいろジーンはそのまま。
- 日テレのゴールデンタイムの同時ネットが実施される曜日がフジを上回っていたかもしれない。
- 多分、月曜は完全に日テレ同時となっていた。
- 土曜のゴールデンは日テレと同時になっていただろう。
- 日テレの深夜番組もそれなりにやっていた。
- 24時間テレビも完全放送(ANNのニュース枠除く)。
- 水曜日のゴールデンタイムはフジテレビではなく日本テレビの番組が放送されていた。
- UMKがフジ系だという主張が出来なくなるので、宮崎ケーブルテレビでKTSの区域外再放送が行われている。
- 1998年-2008年はTNCが再送信されていた。
- 延岡地区ではTKUが再送信されている。
- 1990年代には、宮崎第3局がフジテレビ系列局として、開局していた可能性がある。
FNSマストバイ局だったら
- 宮崎でも「ニュースJAPAN」や火曜22時の関西テレビ製作のドラマが視聴できた。
- 月9ドラマや「ネプリーグ」や「SMAP×SMAP」もリアルタイムで視聴できた。
- 90年代には日テレとテレ朝のクロスネットの「宮崎県民テレビ(MKT)」が開局していた。
- それまで24時間テレビは宮崎放送でネット。
- それでも宮崎県内のCATV再送信は変わらない。
宮崎日日新聞の資本関係が薄かったら
- もちろん現在もMRTとの関係が深い。
南日本放送
宮崎県に進出していたら
鹿児島放送
南日本放送との1局2波体制で開局していたら
MBCの社史ではKKBとの関係を「兄弟会社を思わせるもの」と表現されているくらい開局時に協力的だったらしいですが
- 社屋もMBCと共有していた。
- テレビ西日本の資本は入っていない。
- 沖縄以外でもテレ朝系列は1局2波体制で開局するケースが多かった。
琉球朝日放送
史実(1995年10月1日)より早く開局していたら
- どのケースにも共通すること
- 琉球放送と同居ということにはならなかったかも。
- それでも、琉球放送会館の改築は史実通り行われている。
- 宮古・八重山両地区での中継局設置がRBC・OTVと同時期に行われていた。
- 南西放送もよほどのことがない限り開局してる。
- 遅くても、1993年頃までに開局していた。
- 南西放送は1994年頃に開局していた。
- 1995年に宮崎県に「宮崎朝日放送」が開局していた。
- それとも、福井県に「福井朝日放送」が開局していた。
- 本土復帰前に開局していたら
- 『KS』で始まるコールサインが付与されていた。
- 本土復帰後は史実通り『JORY-TV』(別のコールサインになっていた可能性もあるが)。
- 本土復帰後に開局していたら
- 沖縄海洋博関連の番組を放送していた。
- 1990年代前半に開局していたら
- 1994年4月に南西放送が開局していた。
- 宮古・八重山諸島におけるテレビ中継局が開局していた。
- 琉球放送と同居していたのは史実通り。
- 1995年10月に宮崎県に「宮崎朝日放送」が開局していた。
- 1993年の日本シリーズを見ることができた。
- 皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀における特別番組も放送されていた。
- 最終的に沖縄県は4局地域になっていた。
- 局名が「琉球文化放送」か「沖縄県民放送」辺りになっていたかもしれない。
- その際、沖縄タイムズ社との資本関係がより強まっていたかもしれない。
- 早くても、1990年10月頃に開局し、遅くても、1993年4月頃に開局していた。
- 1990年の7月までに開業出来ていたら、この年と翌年の甲子園決勝を中継していた。
琉球放送との関係が薄かったら
- 本社が琉球放送会館以外の場所になっていた。
- 当然会館の正面はでこぼこのまま。あるいは地上デジタル化で改築
- 候補地:
- 沖縄市など→那覇市に放送センターを置かなければならず可能性少ない
- 那覇市では久米、壷川(南西とは別の場所)、寄宮近郊など。いずれにせよ沖縄県庁からあまり離れていない。なお、開局当時那覇新都心は未開発なので、現在の沖縄タイムス隣接地への移転はあっても2020年前後。
- 送信所はFM沖縄送信所を利用していたかもしれない。
ラジオ沖縄
ラテ兼営局だったら
開局していなかったら
- 琉球新報は復帰前のストライキでつぶれていた。
- とっくに那覇バスターミナルまで道路拡張されている。
- 親子ラジオ組合はRBCに吸収された。あるいは復帰後大阪有線放送社に吸収され、その事業を継承。
- RBCがNRNにも加盟することになる。
1988年10月31日で免許が失効していたら
旧郵政省は、極東放送のFM移行の完了後、ラジオ沖縄も廃止し、琉球放送に一本化する予定でしたが、県内全マスコミの労働組合の反対によりお流れになり、周波数変更という代替措置がとられました。
- 当然JOXRのコールサインは現在空白。
- 廃止の瞬間まで泉崎からの放送だっただろう。
- 元シグマホテルは現在までに取り壊された
- 代わりにテレビ免許が与えられ、南西放送として再出発。
- もちろん、日本テレビ系列である。
- 首里崎山送信所は首里城の復元開始以前に取り壊し、もっと早く公園化された。
- 史実の昭和終焉のころに。
- 1988年11月1日付で、RBCはNRNにも加盟。
- 民教協にももっと早く加盟していた。
エフエム沖縄
ラテ兼営局だったら
FM放送の免許を申請してなかったら
エフエム沖縄の前身は1958年から1984年まで存在した「極東放送」というAMラジオ局でした。
- もちろん閉局しておらず、現在も放送中。
- 別の会社がFM放送の免許を申請していた。
- 沖縄は民放AM3局県になっていた
- NRNに加盟していたかもしれない。
- 平日の夜はオールナイトニッポンgold→(独自番組)→リッスン? ~Live 4 Life~→走れ歌謡曲が放送されていた。
- ラジオ沖縄は完全24時間放送が実現していた。
- 独立局継続ならアニラジを多くネットしていたかもしれない。
TVQ九州放送
史実(1991年4月1日)より早く開局していたら
- 1980年代に行われていた各球団による平和台球場での主催ゲームも中継されていた。
- ダイエー主催の試合も、初年度(1989年)から中継されていた。
- 宮城県や広島県でも、系列局が開局していた。
社名が「TXN九州」のままだったら
熊本県のケーブルテレビで再送信されていたら
- 熊本県のCATV加入率が現実より上がっていた。
- それでも人吉や水俣での再送信は微妙。
鹿児島読売テレビ
史実(1994年4月1日)より早く開局していたら
- 鹿児島県が史実より早く4局地域になっていた。
- 宮崎県での系列局が開局していた可能性がある。
- それとも、沖縄県に南西放送が開局した可能性がある。
- 計画通りに、上記の放送局が両方開局していた可能性が高い。
- 早くても、1990年4月頃に開局していた。
大分朝日放送
史実(1993年10月1日)より早く開局していたら
- その分、大分県のテレビ事情はマシになっていた。
- 宮崎県に宮崎朝日放送が開局していた可能性が高い。
- 4局化を求める声が出ていた。
長崎国際テレビ
史実(1991年4月1日)より早く開局していたら
- テレビ信州と同様に、ANNとのクロスネットとして、開局していた。
- 長崎文化放送の開局は史実通り。
- 宮崎県か沖縄県に日本テレビ系列局が開局していた可能性が高い。
沖縄テレビ放送
クロスネット局として開局していたら
- FNNとNNNのクロスネット局として、開局した場合
- かつてのテレビ長崎やテレビ熊本と同様な番組編成になっていた。
- 日本テレビ放送網は那覇市に支局を置くことはなかった。
- 南西放送が開局していた可能性が高い。
- トリプルクロスネット局として、開局した場合
- かつての鹿児島テレビ放送や新潟総合テレビと同様な番組編成になっていた。
- 日本テレビ放送網もテレビ朝日も那覇市に支局を置くことはなかった。
- 南西放送が開局していた可能性が高い。
- 琉球朝日放送は史実通りに開局していた。
- よって、最終的に4局地域になっていた。
琉球放送
ラジオ単営局のままだったら
エフエム九州
朝日新聞系の放送局のままだったら
- 開局当初は朝日新聞社や九州朝日放送(KBC)が支援していたことがあるそうです。
- もちろん、経営破綻することはなかった。
- KBCとの二元中継も健在。
朝日新聞以外の企業と組んでいたら
- 毎日新聞社
- 毎日新聞とともにRKB毎日放送も支援に回っていた。
- RKBとの二元中継があったかもしれない。
米軍放送(American Forces Network)
沖縄県以外でも日本人向けテレビ放送を行っていたら
→もしAFNが沖縄以外でも日本人向けテレビ放送を行っていたら
ラジオ部門とテレビ部門が分社化したら
もしあの放送局が… | |
---|---|
○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |