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#大阪万博に合わせての開業となっていた。 | |||
#開業当初の車両は103系1000番台だった。 | |||
#路線名は「東西線」ではなかった。 | |||
#*恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。 | |||
#**片町線のラインカラーは「水の都大阪」の中心地を通る理由で青22号に変更か。代わりに阪和線のカラーが赤1号辺りになる。 | |||
#***開業当初の保安装置はATC-4であった。2000年頃にATS-P(全線形)に更新される。 | |||
#****207系・321系の集電装置は1両辺り1基のみ(103系1000代に合わせ)。 | |||
#****建設費縮減のため建築限界が[[東京メトロ千代田線|営団千代田線]]とほぼ同じ(上記の103系1000代が走行していた)可能性があるため207系・321系は209系1000代・E231系800代・E233系2000代同様拡幅車体不採用だった。 | |||
#一部の駅名が違っていた。 | |||
#*大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。 | |||
#**史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。 | |||
#***大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。 | |||
#****自動改札機が国鉄で最初に設置されたかも。 | |||
#地下区間は現実よりも浅い場所に建設されていた。 | |||
#片町線と福知山線は早くに近代化されていた。 | |||
#*1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。 | |||
#**田辺町の市制施行が20年位早まっている。 | |||
#当時は淀川を地下トンネルで潜る技術が確立されていなかったため、海老江以北は地上区間になっていた可能性もある。 | |||
#阪神国道線の代替路線としても位置づけられていたため、阪神国道線・甲子園線は史実より5年早く廃止されていた。 | |||
#学研都市の開発開始が20年位・松井山手のそれが10年位早まっている。 | |||
#*[[同志社大学|同志社]]の(京)田辺キャンパス開設も。 | |||
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*もともとJR東西線は片福連絡線として国鉄時代に計画され、1981年に運輸省から認可されたもの。国鉄の財政難で着工・開業がJR化後にずれ込んだが、もし国鉄時代に開業を果たしていたら? | *もともとJR東西線は片福連絡線として国鉄時代に計画され、1981年に運輸省から認可されたもの。国鉄の財政難で着工・開業がJR化後にずれ込んだが、もし国鉄時代に開業を果たしていたら? | ||
#おそらく[[もしあの鉄道路線のルートが○○だったら/JR西日本#JR東西線|大阪駅経由になっていた]]。 | #おそらく[[もしあの鉄道路線のルートが○○だったら/JR西日本#JR東西線|大阪駅経由になっていた]]。 | ||
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#**というわけで海老江駅は史実通り海老江駅として開業していた。 | #**というわけで海老江駅は史実通り海老江駅として開業していた。 | ||
#*北新地は桜橋の仮称ではなく片町線大阪駅となっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。 | #*北新地は桜橋の仮称ではなく片町線大阪駅となっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。 | ||
;1990年 | |||
#国際花と緑の博覧会の開催を機に、開業していた。 | |||
#*国際花と緑の博覧会へのアクセス路線として、賑わっていた。また、JR神戸線・JR宝塚線から片町線に向かう臨時列車も運行されていた。 | |||
#福知山線の新三田~篠山口間の複線化も1990年頃に完成した。 | |||
#207系電車の登場が史実より早まり、開業時に登場した。 | |||
#*それ以前に205系1000番代(207系900番代を基本に、車内外A-A対応、先頭車を207系900番代同様にした車両)が淀川電車区・高槻電車区・明石電車区に配置される。当初は黄5号の帯を貼付。その代わり205系0番代は近畿圏に配置されない。また、史実の205系1000番代にあたる車両は製作されない。 | |||
#駅名は史実通り。また、地下路線として、開業していたのも史実通り。 | |||
#堂島・北新地・南森町付近の再開発が史実より早く進んでいた。 | |||
#同年に開業した京葉線とともに注目された。 | |||
#おおさか東線の開通が史実より早まっていた。 | |||
#*1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。 | |||
#*衣摺加美北駅の開業も早まっていた。 | |||
#京葉線と同様に日本鉄道建設公団の手によって、建設された。 | |||
#場合によっては、1989年3月に開業していた可能性もある。 | |||
;1990年代(1991年以降) | |||
#国鉄(JR西日本)の手によって、工事が行われた。 | |||
#*関西高速鉄道は設立されなかったかもしれない。 | |||
#*いや、京葉線と同様に日本鉄道建設公団によって、建設された。 | |||
#早くても、1993年3月に、遅くても、1996年3月に開業していた。 | |||
#*1995年開業の場合、阪神大震災の復旧を優先したことから3月ではなく10月頃の開業となっていた。 | |||
#おおさか東線の開通が史実より早まっていた。 | |||
#*1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。 | |||
#207系電車が1990年に登場し、開業までに103系電車が片町線での運用から撤退していた。 | |||
#*福知山線での運用も史実よりも早く撤退していた。 | |||
#1994年までに開業していたら、1995年の阪神・淡路大震災の影響で一時的に不通になっていた。 | |||
==待避線が設けられていたら== | ==待避線が設けられていたら== |
2021年3月29日 (月) 16:09時点における版
開業していなかったら
- 片町線は今でも片町駅が終点。
- 「学研都市線」の愛称が現在でもあまり浸透せず、「片町線」と呼ぶ人の割合が増えていた。
- ラインカラーは黄緑のまま。草津線のラインカラーは桜桃色になっていた。
- 地下鉄大阪ビジネスパーク駅が片町駅を名乗っていた。
- 「学研都市線」の愛称が現在でもあまり浸透せず、「片町線」と呼ぶ人の割合が増えていた。
- 京阪の利用客は現実ほど減らなかった。
- 梅田から住道・産業大学前方面に向かう近鉄バスが今でも数多く運行されている。
- 京阪中之島線は中之島へは向かわず、南森町からJR東西線のルートで福島方面に向かっていた。
- 阪神と乗り入れていた可能性もある。
- おおさか東線のダイヤ設定にもかなり影響を与えていた。
- 少なくとも全通まで直通快速が設定される事はない。
- 大阪環状線の大阪-京橋間の混雑は緩和されず、激しい状態が続いていた。103・201系の置き換えも4ドア車で行われていた。
- 地下鉄千日前線が野田阪神以北へ延伸されていた。
- ニコニコのとある界隈で流行った末に煽り動画が作られて大炎上したのは別の駅だった。
別の年に開業していたら
- 1970年
- 大阪万博に合わせての開業となっていた。
- 開業当初の車両は103系1000番台だった。
- 路線名は「東西線」ではなかった。
- 恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。
- 片町線のラインカラーは「水の都大阪」の中心地を通る理由で青22号に変更か。代わりに阪和線のカラーが赤1号辺りになる。
- 開業当初の保安装置はATC-4であった。2000年頃にATS-P(全線形)に更新される。
- 207系・321系の集電装置は1両辺り1基のみ(103系1000代に合わせ)。
- 建設費縮減のため建築限界が営団千代田線とほぼ同じ(上記の103系1000代が走行していた)可能性があるため207系・321系は209系1000代・E231系800代・E233系2000代同様拡幅車体不採用だった。
- 開業当初の保安装置はATC-4であった。2000年頃にATS-P(全線形)に更新される。
- 片町線のラインカラーは「水の都大阪」の中心地を通る理由で青22号に変更か。代わりに阪和線のカラーが赤1号辺りになる。
- 恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。
- 一部の駅名が違っていた。
- 大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。
- 史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
- 大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。
- 自動改札機が国鉄で最初に設置されたかも。
- 大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。
- 史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
- 大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。
- 地下区間は現実よりも浅い場所に建設されていた。
- 片町線と福知山線は早くに近代化されていた。
- 1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。
- 田辺町の市制施行が20年位早まっている。
- 1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。
- 当時は淀川を地下トンネルで潜る技術が確立されていなかったため、海老江以北は地上区間になっていた可能性もある。
- 阪神国道線の代替路線としても位置づけられていたため、阪神国道線・甲子園線は史実より5年早く廃止されていた。
- 学研都市の開発開始が20年位・松井山手のそれが10年位早まっている。
- 同志社の(京)田辺キャンパス開設も。
- 1980年代半ば
- もともとJR東西線は片福連絡線として国鉄時代に計画され、1981年に運輸省から認可されたもの。国鉄の財政難で着工・開業がJR化後にずれ込んだが、もし国鉄時代に開業を果たしていたら?
- おそらく大阪駅経由になっていた。
- JR東西線という路線名にはならなかった。
- 片町駅は現実の大阪城北詰駅の場所で地下化されて存続。
- 片町線・福知山線に203系が投入されていた。
- あるいは常磐緩行線から103系1000番台が転入していた。
- もしかしたら207系900番台がこっちに投入されたかも。
- カナリアとオレンジの帯を巻く。
- 片町線の快速運転は史実より早く開始されていた。
- 大阪城北詰は片町、大阪天満宮は南森町、北新地は桜橋、新福島は福島、海老江は野田阪神駅、御幣島は歌島橋、加島は竹島となっていた。
- 某所で竹島駅がネタにされる。
- JR西日本ですら野田阪神の仮称を捨てたのに国鉄が(地名化しているとはいえ)他社名を含む駅名を採用するなど尚更ありえない。
- というわけで海老江駅は史実通り海老江駅として開業していた。
- 北新地は桜橋の仮称ではなく片町線大阪駅となっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
- 1990年
- 国際花と緑の博覧会の開催を機に、開業していた。
- 国際花と緑の博覧会へのアクセス路線として、賑わっていた。また、JR神戸線・JR宝塚線から片町線に向かう臨時列車も運行されていた。
- 福知山線の新三田~篠山口間の複線化も1990年頃に完成した。
- 207系電車の登場が史実より早まり、開業時に登場した。
- それ以前に205系1000番代(207系900番代を基本に、車内外A-A対応、先頭車を207系900番代同様にした車両)が淀川電車区・高槻電車区・明石電車区に配置される。当初は黄5号の帯を貼付。その代わり205系0番代は近畿圏に配置されない。また、史実の205系1000番代にあたる車両は製作されない。
- 駅名は史実通り。また、地下路線として、開業していたのも史実通り。
- 堂島・北新地・南森町付近の再開発が史実より早く進んでいた。
- 同年に開業した京葉線とともに注目された。
- おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
- 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
- 衣摺加美北駅の開業も早まっていた。
- 京葉線と同様に日本鉄道建設公団の手によって、建設された。
- 場合によっては、1989年3月に開業していた可能性もある。
- 1990年代(1991年以降)
- 国鉄(JR西日本)の手によって、工事が行われた。
- 関西高速鉄道は設立されなかったかもしれない。
- いや、京葉線と同様に日本鉄道建設公団によって、建設された。
- 早くても、1993年3月に、遅くても、1996年3月に開業していた。
- 1995年開業の場合、阪神大震災の復旧を優先したことから3月ではなく10月頃の開業となっていた。
- おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
- 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
- 207系電車が1990年に登場し、開業までに103系電車が片町線での運用から撤退していた。
- 福知山線での運用も史実よりも早く撤退していた。
- 1994年までに開業していたら、1995年の阪神・淡路大震災の影響で一時的に不通になっていた。
待避線が設けられていたら
- おそらく待避線設置駅は御幣島・大阪天満宮
- 東西線新快速は予定通り運転される。
- おおさか東線直通快速も増発
ホームドアが3ドア対応だったら
- 北新地駅・大阪天満宮駅などに設置されているホームドアは4ドア対応です
- 2011年以降も223系による直通快速が運行されていた。
- 逆に207系・321系は追い出されていた。
- もしかしたら323系がこちらにも投入されていたかも。
- 2030年代にJR西日本から4ドア車が消える公算が高まる。