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{{投稿規制|正式な方針(進学・入団・野球浪人等)が確定していない選手についての投稿}}
豊臣家は大阪の役の際、浪人の追放や大阪城を出て[[大和郡山市|大和郡山]]に国替えするか、江戸に上るか、淀殿を人質として差し出すことを条件を突き出しましたが、豊臣家が断固拒否したために大阪の役で滅ぼされてしまいました。<br>
*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
もし条件をすべて呑んで、せめて織田氏や足利氏のように、小藩ながらも生きながらえてたらどうなっただろうか?
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
#淀殿の評価はガラリと変わっていた。
#さらに小藩に飛ばされる(九州の小さな藩とかに)
#*例[[wikipedia:ja:三池藩|ここ]]とか。
#**この場合、[[wikipedia:ja:島原の乱|島原の乱]]ときに乱の首謀者と決め付けられて結局攻め滅ぼされていた可能性もある。
#***本当に首謀者になっていた可能性もあるが。
#*江戸から近い房総や常陸じゃないかな?
#*喜連川藩みたいに「十万石格(実際の石高は一万石未満)」の扱いになっていた。
#江戸時代は財政難に陥る。
#*参勤交代の費用やら、手伝普請とかで。
#**[[wikipedia:ja:宝暦治水|宝暦治水]]も薩摩藩の代わりにやらされていた。
#御家騒動も起きている。
#豊臣ではなく、「木下」か「羽柴」を名乗っている。
#*羽柴姓を名乗って選挙に出ている三上氏は羽柴姓を名乗れなくなる。
#*[[バカとテストと召喚獣ファン|この作品]]の某登場人物<!--木下秀吉-->も違う名前だっただろうな…
#明治維新の時の藩主が「俺はいつ関白になれるのだ」と発言。
#明治維新の後、公爵の位を受ける。
#*貴族院議員の議長も歴任したかもしれない。
#織田信成のように子孫が何かのスポーツで活躍。
#堂上公家として存続していたかも。


==原辰徳(1980)==
[[Category:歴史のif検討委員会 日本史|とよとみけそんそく]]
※史実では巨人に入団
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
 
==清原和博(1985)==
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
 
==立浪和義(1987)==
※史実では中日に入団
;南海
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
 
;中日のその後
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
 
==野茂英雄(1989)==
※史実では近鉄に入団
;ロッテ
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
 
;ダイエー
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#元木大介は無事巨人入り。
 
;オリックス
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
 
;日本ハム
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
 
;阪神
#大阪出身なので一躍大スターに。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#*でも92年は優勝できたのかも
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
 
;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
 
;ヤクルト
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
 
;近鉄のその後
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
 
==小池秀郎(1990)==
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
 
;近鉄
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#とはいうものの入団しただろうか?
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
 
;ヤクルト
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
 
;西武
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
 
==松井秀喜(1992)==
※史実では巨人に入団
;阪神
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
 
;中日
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
 
;ダイエー
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#王の後継者として期待される。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#*生卵事件もなかった。
 
;巨人のその後
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
 
==福留孝介(1995)==
;中日
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名ニ遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
 
;巨人
#原俊介はすんなり中日が獲得。
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}。
 
;近鉄は
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
 
==原俊介(1995)==
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
 
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
 
==松坂大輔(1998)==
※史実では西武に入団
;横浜
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
 
;日本ハム
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
 
==田中将大(2006)==
※史実では楽天に入団
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
 
;日本ハム
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
#斎藤佑樹は指名しなかった。
 
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
 
==中田翔(2007)==
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
==大田泰示(2008)==
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
 
[[category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|とらふとちゆうせん]]

2012年4月23日 (月) 23:09時点における版

豊臣家は大阪の役の際、浪人の追放や大阪城を出て大和郡山に国替えするか、江戸に上るか、淀殿を人質として差し出すことを条件を突き出しましたが、豊臣家が断固拒否したために大阪の役で滅ぼされてしまいました。
もし条件をすべて呑んで、せめて織田氏や足利氏のように、小藩ながらも生きながらえてたらどうなっただろうか?

  1. 淀殿の評価はガラリと変わっていた。
  2. さらに小藩に飛ばされる(九州の小さな藩とかに)
    • こことか。
      • この場合、島原の乱ときに乱の首謀者と決め付けられて結局攻め滅ぼされていた可能性もある。
        • 本当に首謀者になっていた可能性もあるが。
    • 江戸から近い房総や常陸じゃないかな?
    • 喜連川藩みたいに「十万石格(実際の石高は一万石未満)」の扱いになっていた。
  3. 江戸時代は財政難に陥る。
    • 参勤交代の費用やら、手伝普請とかで。
      • 宝暦治水も薩摩藩の代わりにやらされていた。
  4. 御家騒動も起きている。
  5. 豊臣ではなく、「木下」か「羽柴」を名乗っている。
    • 羽柴姓を名乗って選挙に出ている三上氏は羽柴姓を名乗れなくなる。
    • この作品の某登場人物も違う名前だっただろうな…
  6. 明治維新の時の藩主が「俺はいつ関白になれるのだ」と発言。
  7. 明治維新の後、公爵の位を受ける。
    • 貴族院議員の議長も歴任したかもしれない。
  8. 織田信成のように子孫が何かのスポーツで活躍。
  9. 堂上公家として存続していたかも。