「もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本」の版間の差分
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2021年3月29日 (月) 15:54時点における版
大阪環状線
JR東西線
片町線
天満橋乗り入れが実現していたら
1960年代、片町線を片町から天満橋に延長する計画がありましたが結局実現しませんでした。もしこの時片町線が天満橋に延長していたら…
- 片町線沿線は現実より早く発展していた。
- 木津までの全線電化も国鉄時代に実現していたかも。
- 天満橋駅は地上駅となっていた。
- その後JR東西線開業時に片町駅ともども地下化。
- 京阪の地上ホームを間借りする形になっていたかもしれない。
- JR東西線の起点は天満橋駅となり、そこから現実の京阪中之島線のルートで中之島に向かっていた。
- 中之島からは海老江を経て尼崎に向かう。
- JR東西線は淀屋橋経由かもしれない。
- 中之島からは海老江を経て尼崎に向かう。
- 京阪中之島線は建設されず、代わって京橋からJR東西線のルートで北新地を経て福島に向かう新線ができていた。
- 福島からは阪神本線に直通。
- 現実の北新地駅が「京阪梅田」という名前にになっていた。
- 京都市中心部と堂島・桜橋の間の移動は京阪が主流になっていた。
- 片町駅が廃止されることは無かったため、学研都市線の愛称よりもまだ片町線の正式名称で親しまれていた可能性も。
- 車両は天満橋延長と同時に、武蔵野線同様に防火対策改造を施した101系1000番台が投入され、旧型国電は史実より早く姿を消していた。
- もし天満橋延長が大阪万博と同時期なら、自動改札機も天満橋駅に国鉄で最も早く設置されていた。
全線複線化されていたら
- 全線に渡り快速運転する列車が設定されていた。
- 塚口~奈良間に「学研快速」が設定され、停車駅は京橋までの各駅と放出・住道・四条畷・星田・河内磐船・長尾・松井山手・京田辺・同志社前・祝園・木津となっていた。
- 四条畷以東にも待避可能駅が設置されていた。
全線で7両編成での運転が史実より早く実現していたら
史実では、2010年3月に実現しました。
- 1989年3月の場合
- 木津 - 同志社前間の電化の完成とともに実施された。
- 京阪東ローズタウンの開発が史実より進んでいた。
- 207系電車は全て7両固定編成になっていた可能性が高い。
- 2002年3月の場合
- 321系電車は登場時から全線で運用されていた。
- 精華町・京田辺市の人口が若干増えていた。
- 松井山手 - 京田辺間の複線化が実現した可能性もある。
湖西線
北陸本線
紀勢本線
単線区間が全て複線化されていたら
- 特急がその分増発できる。
- 多少の動物の衝突事故があっても、さほど関係なくなる。
- 紀伊田辺以南は線形が特に悪いので、複線化に合わせて新線建設などの改良工事が行われていた。
- 羽越本線の村上~鶴岡みたいに基本的には並行して線形の悪いところだけ並行せずにトンネルを掘る形になりそう。
- そのせいで上下線で所要時間が異なる(特に特急)
- 羽越本線の村上~鶴岡みたいに基本的には並行して線形の悪いところだけ並行せずにトンネルを掘る形になりそう。
- 和歌山県の過疎化速度が、悪くても鈍化していた。
- 少なくとも御坊あたりまでは紀州路快速が走っていたかもしれない。
和歌山-和歌山市間が南海の路線だったら
- 貴志川線は南海のままだった。
- 貴志川線の一部になっていたと思われるが、この区間だけの運行も多かった。
- 車両は加太線と共通運用。
- 貴志川線は本線と同時に600→1500Vへの昇圧が行われていた。
- 1201形は本線が昇圧した1973年に全廃されていた。
- 本数は間違いなく増えていた。
- PiTaPa・ICOCAも史実より早く利用可能になっていたと思われる。
- 紀ノ川-紀和に新線を建設し、ターミナルを和歌山駅に集約することが検討される。
- 電化も史実より早かっただろう。
可部線
2003年に可部~三段峡間が廃止された可部線。もしこの可部線が別の道を辿ってたとしたらどうなっていたでしょう。
河戸まで電化していたら
- 河戸が可部駅に、今の可部駅は南可部駅になっていた。
- 河戸駅があったのは「亀山1丁目」なのでそれはない。
- ここに関しては史実通りだとは思うけど、駅名と地名が一致しないなんてよくある事でしょ。
- 河戸駅があったのは「亀山1丁目」なのでそれはない。
- 廃止は河戸以北になっていた。
- おそらく「可部~河戸間電化と同時に河戸以遠廃止」という形になっていた。
阪和線
大和路線
複々線化されていたら
- 複々線区間はJR難波~奈良
- 奈良折り返しの大和路快速が増えていた
- 大和路快速が飛ばしまくってた
- むしろ新快速になっていた
- ラッシュ時にはJR難波始発の大和路快速も設定され、増発されていた
- ラッシュ時は大阪方面からの五条行きも増えていた
- 近鉄に勝っていた
大阪鉄道が存続していたら
- 関西本線の奈良以西を建設した大阪鉄道は、のちに関西鉄道(現関西本線奈良以東を建設)に買収されましたが、もし大阪鉄道が存続していたら
- 関西鉄道は大阪鉄道買収前に浪速鉄道(現片町線)を買収していたので、片町線経由で名古屋大阪間を運行し東海道線と競争。
- 関西鉄道の国有化は史実どおり。
- 大阪鉄道は東海道線と競合しない大阪奈良間を運行しているので国有化されず。
- 現近鉄南大阪線は建設当初の構想どおりに大阪鉄道の支線として運用。のちに大阪鉄道が買収。
- 道明寺以北は建設されず柏原-道明寺-河内長野が大阪鉄道長野線。
- 古市以西も大阪鉄道本線と重複するので建設されず。
奈良線
一部複線化されていたら
JR藤森 - 宇治間、新田 - 城陽間、山城多賀 - 玉水間の複線化が行われる予定です。これらが複線化したら…
- みやこ路快速の所要時間が早まっていた。
- 京都~城陽間の普通が増発していた。
- 宇治~黄檗間にJR三室戸駅が開業していた。
- JR藤森~桃山にJR丹波橋駅も開業し、京阪・近鉄との乗換駅としてみやこ路快速も停車している。
- 北半分が全線複線、南半分が複線と単線が混在ということで西鉄天神大牟田線と何かと比較されていた。
- 快速の運行が21時台までに拡大していた。
- 区間快速も平日の23時台までに運行されていた。
全線複線化されていたら
- 桜井線、和歌山線の直通列車が運行されていた。
- 近鉄京都線に対抗上、快速急行が運行されていた。
- 京都~奈良間の特急列車が運行されていたかもしれない。
- こちらが「まほろば」を名乗るか?
- 恐らく1973年に関西線湊町~木津間と奈良線全線が電化された。
- 当初101・113系が使用された。
- 奈良電車区は'73年開設、101系も配置された。
- その後101系の置き換え用に103系が転属、105系の奈良線運用はなかった。
- 湊町~木津~京都間の列車が多かったかも。
京都~城陽間、山城多賀~玉水間の複線化が平成期に実現していたら
JR藤森 - 宇治間、新田 - 城陽間、山城多賀 - 玉水間の複線化が2023年度に実現する予定ですが、もっと早く実現していたら…
- 「一部複線化されていたら」の項目においていずれも実現していた。
- これに対抗するために、近鉄は急行を含む地下鉄烏丸線直通列車の増発に力を入れていた。
山陽本線
新長田-西明石間が方向別複々線だったら
現実では線路別複々線です。
- 須磨・垂水・舞子を通過する快速はなかった。
- 現状神戸~明石間ノンストップの新快速がこの区間のどこかで停まっていたかも。
- 下手したら東海道本線高槻~京都のように須磨~西明石間の普通電車の運転が減らされたかも。
- もちろん塩屋と朝霧に快速を停車して。
阪神大震災からの復旧が遅れていたら
- 阪急・阪神・山陽からの乗客転移は進まなかった。
- 阪急8200系のあの座席は収納式のままだった。
- 貨物の輸送シェアにも悪影響が出ていた。
おおさか東線
現在も奈良~尼崎間を結ぶ直通快速が運行されていたら
史実では、2019年3月に廃止されました。
- 321系電車がさらに増備された。
- JR河内永和駅、高井田中央駅の停車は史実通り。
関西高速鉄道の手で、建設されていたら
当初の予定では、そうする予定でした。
- 当然ながら、大阪外環状鉄道が設立されることはなかった。
- JR東西線とともに、1989年頃に着工された。
- おおさか東線は史実よりも早く開業していた。
- 久宝寺~放出間は1999年3月に、放出~新大阪間は2008年3月に、それぞれ開業していた。
新大阪~放出間が先に開業していたら
- 早くても、2006年頃に開業していた。
- 東淀川駅の橋上駅舎化が史実よりも早く実現していた。
- 新大阪~木津間の直通快速が運行されていた。
- 2008年頃に放出~久宝寺間が開業し、平城遷都1300年祭に間に合っていた。
- 新大阪~奈良間、尼崎~奈良間の直通快速が運行されていた。
- 線内列車には201系ではなく207・321系が運用されていた。
宇野線
岡山~茶屋町間が複線化されていたら
史実では、早島~久々原間で複線化されている。
- 特急列車と快速「マリンライナー」の速度が向上していた。
- 快速「マリンライナー」の停車駅が史実よりも少なくなっていた。
- 普通列車の本数が史実よりも多くなっていた。
- 大元付近は高架化後に複線化された。
- 複線化の費用を香川・高知・愛媛の四国3県の自治体が多く負担したと思われる。「四国新幹線より瀬戸大橋線の全線複線化が先」という意見で実施されたと見なされる。
- むしろ岡山県が費用負担でごねなかったらでは。
山陰本線
京都~園部間の複線化が別の時期に実現していたら
- 史実では、2010年に実現しました。
- 1990年代
- 京都~園部間の電化が1970年代に実現していた。
- 2000年代
- 京都~園部間の電化が1980年代前半か1988年に実現していた。
- 日中の嵯峨嵐山行きの普通列車が亀岡行きになって、増発されていた。
- 場合によっては、客車寝台特急の「出雲」が工事の影響で一時的に福知山線経由になっていた。
あの区間が複線化されていたら
- 史実では京都~園部・綾部~福知山・伯耆大山~安来・東松江~松江・玉造温泉~来待間が複線化されている。
- 園部~綾部
- 京都~福知山間を直通する普通・快速の本数が現実より多かった。
- 福知山~鳥取
- 確実に上記の園部~綾部間も複線化された。
- 智頭急行が存在しなかったら現実化していた。
- その場合京都以東から鳥取へ向かうメインルートに。
- 城崎(温泉)~鳥取間と播但線全線も電化される。
- 特急「あさしお」「はまかぜ」は電車化された。
- キハ189系は開発されていない。
- その場合「瑞風」の試験は史実とは異なる車両で実施された。
- 余部鉄橋の架け替えが複線化の一環で実施されたかも。