「戦国時代 (日本)」の版間の差分

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#****新田(岩松)家は250石でも大名扱い。藩邸は無論なく、懇意の旗本宅を間借りしていたらしい。
#****新田(岩松)家は250石でも大名扱い。藩邸は無論なく、懇意の旗本宅を間借りしていたらしい。
#投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
#投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
#*[[印字打ち]]ね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
#*印字打ちね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
#キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
#キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
#*のち、商業都市堺にザビエル公園建設さる。
#*のち、商業都市堺にザビエル公園建設さる。
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#現代の自衛隊がタイムスリップして来てかなりの打撃を受ける。
#現代の自衛隊がタイムスリップして来てかなりの打撃を受ける。
#*米軍と一緒だったことも。
#*米軍と一緒だったことも。
#*織田信長や柴田勝家は実は元(昭和の)自衛隊員らしい。
#上杉景虎は、実は新潟出身でもある影浦安武(通称あぶさん)の息子であり、その後謙信と名を変えた。その死後、跡目を争ったのが上杉達也・和也の双子の兄弟である。結果は和也が戦死し、達也は景勝と名を改めた。
#上杉景虎は、実は新潟出身でもある影浦安武(通称あぶさん)の息子であり、その後謙信と名を変えた。その死後、跡目を争ったのが上杉達也・和也の双子の兄弟である。結果は和也が戦死し、達也は景勝と名を改めた。
#*うまい。
#*うまい。

2008年6月18日 (水) 09:40時点における版

  1. 春も秋もなく、戦国時代がやってきた。したがって季節は夏と冬だけ。
  2. とにかくそこら辺いくさだらけ。
    • ただしせいぜい山賊同士の小競り合いっぽいのが基本。下剋上や謀略による国盗りやら、鉄砲とか大量虐殺みたいな派手な戦争は、16世紀半ば以降(だいたい信長の登場を待つ)。
  3. 実力さえあればトップをとれる。下剋上バブル到来。
    • もちろん一番の出世頭は豊臣秀吉。実家はただの農家で、ホントに頭と実力だけで天下を取っちゃった。
    • 実は農家ですらなかった可能性もあり。ただの流民系であったのではないかとすら…
  4. 日本全国で築城ラッシュが起き、土建屋が大いに隆盛した。
  5. ゲイが基本。ゲイの恋人がいないと、おかしな人と思われた。
    • 戦場に女性はおらず、鍛え上げられた男だらけ→オトコの魅力に目覚める という武士・武将がかなり居たらしい。信長さえも…
    • 信長さえもどころではなく、小姓大好きであった。若年時の秘蔵は前田利家。
    • 戦国大名は「小姓」を抱えていた。小姓は領地の美少年から選ばれ、大名の夜の相手を務めた。
      • 恋した男子に「~~丸」と便所の名前をつけて鬼から遠ざけようとした
      • 例:森蘭丸
      • この事が現代の「肉便器」の語源となっている。
    • ということはハードゲイだらけな戦国時代なわけで、「フォー!」が公用語に。
    • ヴァイの方が基本。でも大名のセックスは正常位しか出来ないので、色んな技があるゲイの方に人気が集まっていた。
    • 戦場での連帯感を高めるためにも、必須の事項であった由。っちゅうことは、裏切りのいくつかはモーホーの痴話げんかであった可能性が大なのであった。
    • 「男と女、平等に相手が出来て一人前」というのが当時のスタンダード。
  6. やぁやぁ我こそはと戦う前に自己紹介を始めないとルール違反。
    • それは南北朝までだ。
    • 戦隊モノのヒーローはこの時代からやってきた。
  7. 室町時代が終わったわけではない。
    • 足利義昭を信長が京都から追い出した時点で、室町幕府による室町時代はおしまいね。その後は江戸幕府ができるまで安土桃山時代。
      • 安土城ができるまで、だろ?時代区分ってな政権の中心地がどこにあったかな訳だし。
  8. 合戦で勝利を得ようと、未来の世界から軍隊を呼び寄せた大名がいた。
    • でも現れたのが昭和時代の自衛隊だったので、平和ボケした自衛隊の力量は推して知るべし。
      • 二度目に現れたときは平成の自衛隊。未来兵器にやたら詳しい信長が登場。
    • 未来の世界から小説家を呼び寄せ軍師にした大名もいた。
    • そういや長島巨人軍も戦国時代にきたね。
    • ただの工房(高校生)も来たな。
  9. ザビエル来日によりポルトガル大ブームが起こる。髪形を真似て月代を剃るのが普及したのはこの頃より。
    • ルイス・フロイスがやってきたときはソープランドが大流行した。風呂椅子もこの頃に生まれた。
  10. 室町幕府は義昭が京都から追放された後も中国地方にあり続けた。
    • 足利家自体は幕末まで生き延びた。
      • 証拠を所望いたす。
        • 14代足利将軍義栄の弟・義助の子孫。平島(阿波)公方と呼ばれたが、蜂須賀家に冷遇された。明治になって爵位を得られるよう猛運動したが、北朝を支援した足利氏への悪感情もあり叶えられなかった。
          • 足利のライバル新田は男爵になったのにな。
        • 別系統で喜連川藩5000石として残った。5000石なのに大名扱い(大名は通常10000石~)。大名格の出費がいるので大赤字。そこで他藩(伊達とか)が参勤交代で通りかかる頃を見計らってお出かけ。足利氏の後裔なので大藩の大名も無視できずにおみやげを渡してもらったりするのでそれでやりくり。(高校の日本史の教師が言ってましたが信憑性はないです。)
          • 新田(岩松)家は250石でも大名扱い。藩邸は無論なく、懇意の旗本宅を間借りしていたらしい。
  11. 投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
    • 印字打ちね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
  12. キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
    • のち、商業都市堺にザビエル公園建設さる。
    • 10~20代の女性の間でガラシャ・スタイルが流行
    • ブライダルプランでは神前式の他に教会式が誕生。ウエディングドレスとブーケトスが若い女性の憧れとなってブームに。
    • 「愛ミナギル」が口癖だった。
      • 本当に、愛みなぎってたのはこの人(2009年大河ドラマの主人公)。
    • 教会の建設中は「こんな高い建物を建てて見下ろすとは何事か」と言われていたが、出来上がってみるとあまりの立派さに観光名所となる。反対の声はどこかに消えた。
  13. 自治都市を標榜する堺の船場には商船と称した戦艦が多数停泊するなど、下手な大名が手出しすると軽く返り討ちにあうほどの軍備が整えられていたらしい。
    • しかし信長に屈服した後は寂れまくり、さらに大坂合戦では豊臣方に焼き討ちされ、見る影もなく落ちぶれた。
    • しかしそんな目に合わされて黙ってるような上方商人ではなく、その後の江戸時代には江戸の町と違って武士がほとんどいない、大商業都市として大いに栄えることとなる。
    • そんなしぶとくたくましい血は、現代の大阪人へと引き継がれていくのであった。
  14. 一夫多妻で児童ポルノ禁止法もない。さらには避妊具もないのでロリで孕ませスキーな人には桃源郷な時代。
    • 実際に12歳で妊娠とかもあった。(例、お江与)
      • 今でもあるけど?
    • 子供が少ないと簡単に家が滅んじゃうので、強力な大名ほど子だくさん。子供が10人や20人いるのは珍しくない。
    • 息子なら跡継ぎor家臣、娘なら他家の嫁にして姻戚を増やせるので、ガンガン嫁をとって、ぽこぽこ子供を産んでもらいました。どう見てもユートピアです。本当にありがとうございました。
    • しかしモテず、地位もないおいらの前世は独身で一生を終えたのだった。
    • だが、その桃源郷に性病という暗い影が差しかかってきたのもこの時代。
  15. ヴァイが基本なのに切腹だの討ち取ったりだのあったってことは何だ、Y太趣味まで公認されていたのか。よくよく考えてみるとすごい時代だな。
    • 武田信玄の父親・武田信虎は、妊婦の腹を割いて胎児をひきずり出し、それを肴に酒を飲んだとか。まさにY太趣味だな。
      • ?>Y太趣味
        • 猟奇的って意味。生きたまま解剖とか四肢切断とか死体損壊とか人肉食とか。
        • 氏賀Y太
          • 実際にその人の作品を読んだけど……あれで勃つ人がいるの?
    • 織田信長は義理の弟(浅井長政)をブチ殺した(自害させた)後、その頭蓋骨に金箔を塗ってドクロの杯をつくって宴会をした。
  16. 実は上杉謙信タンはおにゃのこでした♪、っつー妄想が一部に人々にある。
    • 一国の当主が嫁を一人ももらわなかった、月に一度は戦の途中でも引き上げて城に籠もった、死因が婦人病らしい、ってのがその根拠なんだそうだが、トンデモ学説として学会には相手にされてない。
    • 似たような説に、明智光秀は山崎合戦で死なず南光坊天海として生き延びたというのもある。こちらはなかなかに面白いので巷間にかなり流布されている。
  17. 第三次旅行ブーム。目的地:京都。上杉謙信・武田信玄・今川義元・織田信長などの戦国大名が行く。
    • まろは途中で死んだでおじゃる。
    • 信玄も途中で死んだ。
    • 謙信は観光はしたものの住むことは叶わなかった。
      • 墓は高野山につくられた。命がけで戦った連中が、死後に都で仲良く枕を並べてるのは、なかなか深いものがある。合掌。
    • 大内義興を忘れないでいただきたい。ちなみにライバル尼子経久は挑戦したが失敗した。
      • 失敗したのは二代目の晴久。経久は1511年に義興の軍に従軍して上洛している。
  18. 上杉謙信・武田信玄が山梨と新潟の中間である長野で争う。
    • 平成の現代において各々の子孫がオセロで決着を付けた。上杉家の勝利。(CX:トリビアの泉:トリビアの種2006.03.29放送)
  19. 松永久秀、名器の茶釜(平蜘蛛)を抱えて自爆
    • 島井宗室及び神谷宗湛、燃え落ちる寸前の本能寺に侵入し茶器をくすねる。
  20. 現代の自衛隊がタイムスリップして来てかなりの打撃を受ける。
    • 米軍と一緒だったことも。
    • 織田信長や柴田勝家は実は元(昭和の)自衛隊員らしい。
  21. 上杉景虎は、実は新潟出身でもある影浦安武(通称あぶさん)の息子であり、その後謙信と名を変えた。その死後、跡目を争ったのが上杉達也・和也の双子の兄弟である。結果は和也が戦死し、達也は景勝と名を改めた。
    • うまい。
    • その後、上杉達也あらため景勝は、越前の浅倉氏(朝倉とも)と結び、関東方面の旧勢力である新田を打ち破った後、一度は覇を唱えたようであるが、その後詳細は不明である…。
  22. どこかに現代とつながっている井戸がある。
    • 鉄砲が急速に普及したのは、実は妖怪対策。ただし、たいした効果はなかったらしい。
  23. では、堺民衆党が独裁政治を行う。(社会民主党ではない。)
  24. 忍術学園開校。初代校長 大川平次渦正。
  25. 大名はみんな京を目指したが、京の町は荒れ放題。天子様みずから絵や和歌を書いて、御所の前で売ったりしていた。
  26. この時代から所領が千石以上で「武士」と呼ばれる。
  27. 四国では長宗我部元親が大活躍。大人気である。
    • ゲームでも良く出る。BASARAはもちろん戦国無双にも2猛将伝でついに登場した。
    • しかし、江戸時代に滅亡した長宗我部氏に代わって高知に来た山内なんとかは大河ドラマに出ても人気が無い・・・
    • 元親は女と見間違えるほどの美男子だったらしい。ここでも言われている。
    • 武器がなくなったらハリセンが武器の代わりになった。心理的ダメージで戦闘不能になった兵士も多かったらしい。
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