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#春も秋もなく、戦国時代がやってきた。したがって季節は夏と冬だけ。
#ドリフターズの、コメディアンとしての面だけでなく歌手グループとしての面もよく知っている。
#とにかくそこら辺いくさだらけ。
#*カントリーソング歌ってた。「俺たちゃシティーカントリーじゃない、ウエスタンカントリーなんだと、わざとだらしなくやったり粗野にやったりしてた」と長さんは自伝に記してた。
#*ただしせいぜい山賊同士の小競り合いっぽいのが基本。下剋上や謀略による国盗りやら、鉄砲とか大量虐殺みたいな派手な戦争は、16世紀半ば以降(だいたい信長の登場を待つ)。
#*加藤茶vs西城秀樹のドラムバトルは今でも伝説。
#実力さえあればトップをとれる。下剋上バブル到来。
#**加藤茶はもともとドラマー。だから互角に渡り合える。
#*もちろん一番の出世頭は豊臣秀吉。実家はただの農家で、ホントに頭と実力だけで天下を取っちゃった。
#船橋ヘルスセンター(現在の[[ららぽーと]])は、聖地だ。
#*実は農家ですらなかった可能性もあり。ただの流民系であったのではないかとすら…
#*三鷹公会堂も。
#日本全国で築城ラッシュが起き、土建屋が大いに隆盛した。
#途中で[[バラエティ番組ファン/あ行#オレたちひょうきん族ファン|フジテレビ]]に鞍替えした人はファン失格。
#ゲイが基本。ゲイの恋人がいないと、おかしな人と思われた。
#*ただし、8時35分前後に「ひょうきん絵かきうた」だけ見たという程度であれば許す。
#*戦場に女性はおらず、鍛え上げられた男だらけ→オトコの魅力に目覚める という武士・武将がかなり居たらしい。信長さえも…
#*「また来週!」の直後にチャンネルを変えて懺悔のお湯が降ってくるシーンを見たという程度も許す。
#*信長さえもどころではなく、小姓大好きであった。若年時の秘蔵は前田利家。
#*当時ビデオデッキを持ってなかったくせに「タケちゃんマン」の話題に妙に詳しかった奴は、ファンの資格を剥奪。
#*戦国大名は「小姓」を抱えていた。小姓は領地の美少年から選ばれ、大名の夜の相手を務めた。
#*この当時から2~3番組同時録画可能なレコーダーあれば、ここまで頭抱えずに済んだのに…。
#**恋した男子に「~~丸」と便所の名前をつけて鬼から遠ざけようとした
#**ただ当時は地方は民放2局、という地域も多かったのでそういう地域ではこんな悩みはなかったかな、と。
#**例:森蘭丸
#**当時民放2~3局しかなかった地域でも[[長野]]、[[石川]]、[[島根|山]][[鳥取|陰]]、[[熊本]]、[[宮崎]]の各県民は「ひょうきん族」とのチャンネル争いで頭抱えた。
#**この事が現代の「肉便器」の語源となっている。
#**[[長崎]]はいずれも見れなかった。全員集合は末期に[[長崎放送|NBC]]がネット開始、「ひょうきん族」は[[長崎のメディア#テレビ長崎|KTN]]では最終回まで放送がなく[[テレビ西日本|県]][[サガテレビ|外]][[テレビ熊本|局]]が映らなければ見れなかった。
#*ということはハードゲイだらけな戦国時代なわけで、「フォー!」が公用語に。
#*例の停電の頃には既に鞍替えしていたのだが、ちょうどこの日は「ひょうきん族」が野球中継で休みで久しぶりに見ようとしたらハプニングに遭遇、という人が結構いるはず。
#*ヴァイの方が基本。でも大名のセックスは正常位しか出来ないので、色んな技があるゲイの方に人気が集まっていた。
#**[[青森]]、[[岩手]]、[[福島]]、[[山口]]、[[高知]]の各県民は「ひょうきん族」に鞍替えできなかった(詳しくは各県のメディアのページを参照)。
#*戦場での連帯感を高めるためにも、必須の事項であった由。っちゅうことは、裏切りのいくつかはモーホーの痴話げんかであった可能性が大なのであった。
#***[[山梨]]、[[新潟]]、[[大分]]、[[鹿児島]]、[[沖縄]]の各県民も「ひょうきん族」に鞍替えできなかった。
#*「男と女、平等に相手が出来て一人前」というのが当時のスタンダード。
#***福島はチャンネル固定でひょうきん族に鞍替えできたんじゃ。
#やぁやぁ我こそはと戦う前に自己紹介を始めないとルール違反。
#****新潟は1983年10月、福島は1983年12月からひょうきん族へ鞍替え可能になった。
#*それは南北朝までだ。
#すわ親治が今どうしているのかとても気になる。
#*戦隊モノのヒーローはこの時代からやってきた。
#オープニングの歌とエンディングの歌に歌詞の字幕はなかったが、それでも歌詞を正確に知っている。
#室町時代が終わったわけではない。
#*加トちゃんの合いの手(「風邪ひくなよ!」「お風呂入れよ!」等)も全部把握している。
#*足利義昭を信長が京都から追い出した時点で、室町幕府による室町時代はおしまいね。その後は江戸幕府ができるまで安土桃山時代。
#**「歯ぁ磨けよ!」は、言うまでもなく[[ライオン (企業)|ライオン]]の歯ブラシ&歯磨き粉だ。
#**安土城ができるまで、だろ?時代区分ってな政権の中心地がどこにあったかな訳だし。
#**[[大映ドラマファン#スクール☆ウォーズファン|後座番組のファン]]は、「お風呂入れよ!」コールが出る前に風呂を済ませる。
#合戦で勝利を得ようと、未来の世界から軍隊を呼び寄せた大名がいた。
#*ゲストが小柳ルミ子のときはオープニング、エンディングで長さんや加トちゃんにイジられるのが楽しみだ。
#*でも現れたのが昭和時代の自衛隊だったので、平和ボケした自衛隊の力量は推して知るべし。
#作曲家・たかしまあきひこ氏が作曲した”盆回りのテーマ”には思わず反応してしまう。
#**二度目に現れたときは平成の自衛隊。未来兵器にやたら詳しい信長が登場。
#*部屋の模様替えなどの際に脳内でメロディを流し、ハイテンションで作業に勤しむ。
#*未来の世界から小説家を呼び寄せ軍師にした大名もいた。
#*セットを片付けるあの大道具さんにあこがれたことがある。
#*そういや長島巨人軍も戦国時代にきたね。
#**毎週各地であれだけ大掛かりな仕掛け仕込んだセットを作って生放送やってた当時のスタッフの皆様に(`・ω・´)ゞ
#*ただの工房(高校生)も来たな。
#*「[http://www.youtube.com/watch?v=ITfTTV_6zoQ&feature=related&fmt=18 盆回りのテーマ(コロムビア・オーケストラ演奏版)]」
#ザビエル来日によりポルトガル大ブームが起こる。髪形を真似て月代を剃るのが普及したのはこの頃より。
#*「盆回り」を聴くと、パトカーが民家の屋根に突撃するシーンが、脳内を駆け巡る。
#*ルイス・フロイスがやってきたときはソープランドが大流行した。風呂椅子もこの頃に生まれた。
#**あれ、今だったら間違いなく会場側から拒否されるな。時代の違いを実感させられる場面でもある。
#室町幕府は義昭が京都から追放された後も中国地方にあり続けた。
#誰かの後ろに危険が迫ると「志村~後ろ~!」と言う。
#*足利家自体は幕末まで生き延びた。
#DVDは当然買った。
#**証拠を所望いたす。
#*当然、特典付き限定版を購入。ハッピも、洗面器も、ヤカンも我が家にある。
#***14代足利将軍義栄の弟・義助の子孫。平島(阿波)公方と呼ばれたが、蜂須賀家に冷遇された。明治になって爵位を得られるよう猛運動したが、北朝を支援した足利氏への悪感情もあり叶えられなかった。
#ドリフの早口言葉を全部言える。
#****足利のライバル新田は男爵になったのにな。
#*放送当時、学校帰りに友達と早口言葉を競った。
#***別系統で喜連川藩5000石として残った。5000石なのに大名扱い(大名は通常10000石~)。大名格の出費がいるので大赤字。そこで他藩(伊達とか)が参勤交代で通りかかる頃を見計らってお出かけ。足利氏の後裔なので大藩の大名も無視できずにおみやげを渡してもらったりするのでそれでやりくり。(高校の日本史の教師が言ってましたが信憑性はないです。)
#*知り合いの結婚式の余興でこの早口言葉をやった(ヒゲダンスも)。
#****新田(岩松)家は250石でも大名扱い。藩邸は無論なく、懇意の旗本宅を間借りしていたらしい。
#長さんの号令については言うまでもない。
#投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
#*停電のときの「8時9分半だよ!」も好む。
#*印字打ちね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
#*長さんの葬儀の時、「8時だョ!」とテープを流した人物が気になる。
#キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
#*(1)長さん「番号!」 志村「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 加藤「三!」 (2)長さん「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 志村「のー」 加藤「三!」っていうのもあったねぇ。
#*のち、商業都市堺にザビエル公園建設さる。
#沢田研二は歌手ではなく志村の相方。
#*10~20代の女性の間でガラシャ・スタイルが流行
#*「勝手にシンドバッド」はサザンオールスターズよりも志村けんが先に発表していたと主張する。
#*ブライダルプランでは神前式の他に教会式が誕生。ウエディングドレスとブーケトスが若い女性の憧れとなってブームに。
#**歌手業より志村の相方業の方が合ってねぇか?あのお笑いのセンスは歌手にしては秀逸だと思うぞ。そこらのポッと出の歌手には絶対真似できねぇよ。
#*「愛ミナギル」が口癖だった。
#*桜田淳子も志村の相方。
#**本当に、愛みなぎってたのは[[wikipedia:ja:直江兼続|この人]](2009年大河ドラマの主人公)。
#*由紀さおりは……微妙。
#*教会の建設中は「こんな高い建物を建てて見下ろすとは何事か」と言われていたが、出来上がってみるとあまりの立派さに観光名所となる。反対の声はどこかに消えた。
#**由紀さんはバカ殿様の腰元ではハマるんだけどなあ。どちらかと言えば長さんの相方というイメージ。
#自治都市を標榜する堺の船場には商船と称した戦艦が多数停泊するなど、下手な大名が手出しすると軽く返り討ちにあうほどの軍備が整えられていたらしい。
#*小林幸子は歌手だけど、いかりやの相方でもあってほしい。
#*しかし信長に屈服した後は寂れまくり、さらに大坂合戦では豊臣方に焼き討ちされ、見る影もなく落ちぶれた。
#**同じく森幸子も。
#*しかしそんな目に合わされて黙ってるような上方商人ではなく、その後の江戸時代には江戸の町と違って武士がほとんどいない、大商業都市として大いに栄えることとなる。
#*「見て、あの星を…」の松田聖子もなかなか。
#*そんなしぶとくたくましい血は、現代の大阪人へと引き継がれていくのであった。
#*ここまで名前の出なかった研ナオコは歌手ではなく完全に「志村の相方」のコメディエンヌという認識だ。
#一夫多妻で児童ポルノ禁止法もない。さらには避妊具もないのでロリで孕ませスキーな人には桃源郷な時代。
#[[カラス]]のくちばしは黄色。黒ではない。
#*実際に12歳で妊娠とかもあった。(例、お江与)
#*[[wikipedia:ja:画像:Amsel auf der Wiese.JPG|こんな感じ?]]
#**今でもあるけど?
#[[筋肉少女帯ファン|K肉S女帯]](初期)の例の曲については本気で怒るべきか冗談だと受け流すべきか悩む。
#*子供が少ないと簡単に家が滅んじゃうので、強力な大名ほど子だくさん。子供が10人や20人いるのは珍しくない。
#*ご本人が笑って許しているので受け流すべきかと。
#*息子なら跡継ぎor家臣、娘なら他家の嫁にして姻戚を増やせるので、ガンガン嫁をとって、ぽこぽこ子供を産んでもらいました。どう見てもユートピアです。本当にありがとうございました。
#*それはむしろ番組のファンじゃなくてドリフターズファンの考えだろう。
#*しかしモテず、地位もないおいらの前世は独身で一生を終えたのだった。
#**「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」の一言でOK出たそうだが…。
#*だが、その桃源郷に性病という暗い影が差しかかってきたのもこの時代。
#***しかもO槻Kヂが面と向かって謝罪しての和解なんで無問題かと。
#ヴァイが基本なのに切腹だの討ち取ったりだのあったってことは何だ、Y太趣味まで公認されていたのか。よくよく考えてみるとすごい時代だな。
#山田満郎氏は神。
#*武田信玄の父親・武田信虎は、妊婦の腹を割いて胎児をひきずり出し、それを肴に酒を飲んだとか。まさにY太趣味だな。
#*山田氏は舞台装置家としてナントカ賞(スマン、賞の名前忘れた)を全員集合のセット作成で受賞してる。
#**?>Y太趣味
#**伊藤熹朔(いとうきさく)賞ですね。
#***猟奇的って意味。生きたまま解剖とか四肢切断とか死体損壊とか人肉食とか。
#***上にも書いたが、山田氏を支えたスタッフの皆様にも敬意を欠かさない。
#***[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E8%B3%80Y%E5%A4%AA 氏賀Y太]
#靴屋でドリフ靴を探したことがある。
#****実際にその人の作品を読んだけど……あれで勃つ人がいるの?
#*「白」だけど、ガッコの上履きにしていました。
#*織田信長は義理の弟(浅井長政)をブチ殺した(自害させた)後、その頭蓋骨に金箔を塗ってドクロの杯をつくって宴会をした。
#スイカはもちろんドリフ食い。
#実は上杉謙信タンはおにゃのこでした♪、っつー妄想が一部に人々にある。
#小学校時代、テレビに「ドリフ禁止」のシールが貼られていたが、かまわず見ていた。
#*一国の当主が嫁を一人ももらわなかった、月に一度は戦の途中でも引き上げて城に籠もった、死因が婦人病らしい、ってのがその根拠なんだそうだが、トンデモ学説として学会には相手にされてない。
#「赤盤」「青盤」とはもちろんザ・ドリフターズのベストアルバムのことである。
#*似たような説に、明智光秀は山崎合戦で死なず南光坊天海として生き延びたというのもある。こちらはなかなかに面白いので巷間にかなり流布されている。
#*ザ・ビートルズのことも知識としては知っている。ただし、ドリフが前座を務めたバンドとしてである。
#第三次旅行ブーム。目的地:[[京都]]。上杉謙信・武田信玄・今川義元・織田信長などの戦国大名が行く。
#1990年前後に放送された「思い出の全員集合スペシャル」をいまでもビデオに残している。
#*まろは途中で死んだでおじゃる。
#*そして、DVDに編集している。
#*信玄も途中で死んだ。
#TBSにどれだけ不満を持っていようと、TBSの放映したいかりや長介氏逝去~1周忌に伴う全員集合関連番組は欠かさず視聴&録画した。
#*謙信は観光はしたものの住むことは叶わなかった。
#れんがの壁を見るとヒゲダンスをしたくなる。
#**墓は高野山につくられた。命がけで戦った連中が、死後に都で仲良く枕を並べてるのは、なかなか深いものがある。合掌。
#*もちろん脳内では、音楽が鳴っている。
#*大内義興を忘れないでいただきたい。ちなみにライバル尼子経久は挑戦したが失敗した。
#**[[阪神タイガース|阪神]]の[[プロ野球選手ファン/阪神タイガース#北條史也ファン|北條]]がこれを登場曲にしたときは笑った。
#**失敗したのは二代目の晴久。経久は1511年に義興の軍に従軍して上洛している。
#7月19日(H20)は、[[東京/港区#赤坂・赤坂見附の噂|赤坂サカス]]に全員集合!
#上杉謙信・武田信玄が山梨と新潟の中間である長野で争う。
#イチローのレーザービームに恐怖心を覚える。
#* 平成の現代において各々の子孫がオセロで決着を付けた。上杉家の勝利。(CX:トリビアの泉:トリビアの種2006.03.29放送)
#*それは[[ニコニコ動画ファン/作品別/さ・た行#人類滅亡シリーズファン|ニコ厨]]だけ。
#**思えば[[wikipedia:ja:戦国自衛隊|戦国自衛隊]]でも上杉が勝ったな。
#挨拶は勿論「おぃっす!!」
#松永久秀、名器の茶釜(平蜘蛛)を抱えて自爆
#*「元気がないなぁ。じゃあもういっちょ、おいっす!!」
#*島井宗室及び神谷宗湛、燃え落ちる寸前の本能寺に侵入し茶器をくすねる。
#**「静かにしろ~!!。ここは戦場だ~!!」までやるとなおよろし。
#現代の自衛隊がタイムスリップして来てかなりの打撃を受ける。
#陸上自衛隊中央音楽隊も変わったなぁ…。軍歌系統じゃなくて、こういう系統の音楽もやるんだねぇ…。
#*米軍と一緒だったことも。
#[[富士市]]にできた[http://www.yoshiwara.net/news/2005/03_ikariya.html#anchor 長さん小路]を歩いておくべきかも。
#*織田信長や柴田勝家は実は元(昭和の)自衛隊員らしい。
#「なんだ、」に続くコトバは、「[[プロレスラーファン#アントニオ猪木ファン|コノヤロー]]」ではなく「ばかやろぅ」だ。
#上杉景虎は、実は新潟出身でもある影浦安武(通称あぶさん)の息子であり、その後謙信と名を変えた。その死後、跡目を争ったのが上杉達也・和也の双子の兄弟である。結果は和也が戦死し、達也は景勝と名を改めた。
#初歩の[[英語|英文]]と言えば、「じす いず あ ぺん」
#*うまい。
#*「アー・ミー・マー」「ユー・ユア・ヨー」「ヒズ・ヒム・ヒー」「シー・ハッ・ハー」も。
#*その後、上杉達也あらため景勝は、越前の浅倉氏(朝倉とも)と結び、関東方面の旧勢力である新田を打ち破った後、一度は覇を唱えたようであるが、その後詳細は不明である…。
#じゃんけんする時は「最初はグー!」である。
#どこかに現代とつながっている井戸がある。
#*いや、ファンじゃない人も普通に使いますよ。ちなみにこの掛け声はこの番組から広まった。
#*鉄砲が急速に普及したのは、実は妖怪対策。ただし、たいした効果はなかったらしい。
#**続けて「またまたグー!いかりや長介頭はパー!正義は勝つ!」もしっかりやる。
#[[堺市|]]では、堺民衆党が独裁政治を行う。(社会民主党ではない。)
#この番組のステレオ放送化に合わせて、当時まだ高価だった音声多重テレビを買ってもらった。
#忍術学園開校。初代校長 大川平次渦正。
#コントだけではなく、合間に歌手が歌う曲も毎週楽しみにしていた。
#大名はみんな京を目指したが、京の町は荒れ放題。天子様みずから絵や和歌を書いて、御所の前で売ったりしていた。
#居作プロデューサーや志村が言った「PTAはバラエティーは食べ物を粗末にすると教育に悪いと文句を言うくせに、ドラマは食べ物粗末にしても下ネタをしても何人殺しても何も言わないのか?」は最強の言葉だと思う。
#この時代から所領が千石以上で「武士」と呼ばれる。
#*居作さんは[[クイズダービーファン|土曜7時半の番組]]を手がけてた事もあって、神様のような存在だと思ってる人も多いと思う。
#四国では長宗我部元親が大活躍。大人気である。
#ドリフといえば大爆笑ではなくこちら。全員集合が放送されていた当時は大爆笑や[[バラエティ番組ファン/あ行#オレたちひょうきん族ファン|フジテレビの裏番組]]が遅れネットだった県(青森、岩手、福島、山梨、新潟、山口、高知、長崎、大分、鹿児島、沖縄)の県民はもちろん。
#*ゲームでも良く出る。BASARAはもちろん戦国無双にも[http://www.gamecity.ne.jp/sengoku2m/ 2猛将伝]でついに登場した。
#*上記のうち長崎は全員集合の放送開始が末期の1984年4月だった。
#*しかし、江戸時代に滅亡した長宗我部氏に代わって高知に来た山内なんとかは大河ドラマに出ても人気が無い・・・
 
#*元親は女と見間違えるほどの美男子だったらしい。[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC#.E6.81.8B.E3.81.AA.E3.82.93.E3.81.8B.E3.82.88.E3.82.8A.E5.A4.A7.E4.BA.8B.E3.81.AA.E7.89.A9.E3.81.8C.E3.81.82.E3.82.8B.E3.82.88.E5.9E.8B ここ]でも言われている。
{{動画}}
#*武器がなくなったらハリセンが武器の代わりになった。心理的ダメージで戦闘不能になった兵士も多かったらしい。
 
{{日本史}}
==関連項目==
[[category:日本史|せんごく]]
*[[もしいかりや長介が健在だったら]]
*[[もしあの人が健在だったら/お笑い#荒井注|もし荒井注が長生きしていたら]]
*[[もし今でも『8時だョ!全員集合』が続いていたら]]
*[[ドリフ大爆笑ファン]]
*[[バラエティ番組ファン/か行#加トちゃんケンちゃんごきげんテレビファン|加トちゃんケンちゃんごきげんテレビファン]]
 
{{DEFAULTSORT:はちしたよせんいんしゆうこう}}
[[カテゴリ:バラエティ番組ファン]]
[[カテゴリ:TBS]]

2021年5月1日 (土) 23:19時点における版

  1. ドリフターズの、コメディアンとしての面だけでなく歌手グループとしての面もよく知っている。
    • カントリーソング歌ってた。「俺たちゃシティーカントリーじゃない、ウエスタンカントリーなんだと、わざとだらしなくやったり粗野にやったりしてた」と長さんは自伝に記してた。
    • 加藤茶vs西城秀樹のドラムバトルは今でも伝説。
      • 加藤茶はもともとドラマー。だから互角に渡り合える。
  2. 船橋ヘルスセンター(現在のららぽーと)は、聖地だ。
    • 三鷹公会堂も。
  3. 途中でフジテレビに鞍替えした人はファン失格。
    • ただし、8時35分前後に「ひょうきん絵かきうた」だけ見たという程度であれば許す。
    • 「また来週!」の直後にチャンネルを変えて懺悔のお湯が降ってくるシーンを見たという程度も許す。
    • 当時ビデオデッキを持ってなかったくせに「タケちゃんマン」の話題に妙に詳しかった奴は、ファンの資格を剥奪。
    • この当時から2~3番組同時録画可能なレコーダーあれば、ここまで頭抱えずに済んだのに…。
      • ただ当時は地方は民放2局、という地域も多かったのでそういう地域ではこんな悩みはなかったかな、と。
      • 当時民放2~3局しかなかった地域でも長野石川熊本宮崎の各県民は「ひょうきん族」とのチャンネル争いで頭抱えた。
      • 長崎はいずれも見れなかった。全員集合は末期にNBCがネット開始、「ひょうきん族」はKTNでは最終回まで放送がなくが映らなければ見れなかった。
    • 例の停電の頃には既に鞍替えしていたのだが、ちょうどこの日は「ひょうきん族」が野球中継で休みで久しぶりに見ようとしたらハプニングに遭遇、という人が結構いるはず。
      • 青森岩手福島山口高知の各県民は「ひょうきん族」に鞍替えできなかった(詳しくは各県のメディアのページを参照)。
        • 山梨新潟大分鹿児島沖縄の各県民も「ひょうきん族」に鞍替えできなかった。
        • 福島はチャンネル固定でひょうきん族に鞍替えできたんじゃ。
          • 新潟は1983年10月、福島は1983年12月からひょうきん族へ鞍替え可能になった。
  4. すわ親治が今どうしているのかとても気になる。
  5. オープニングの歌とエンディングの歌に歌詞の字幕はなかったが、それでも歌詞を正確に知っている。
    • 加トちゃんの合いの手(「風邪ひくなよ!」「お風呂入れよ!」等)も全部把握している。
      • 「歯ぁ磨けよ!」は、言うまでもなくライオンの歯ブラシ&歯磨き粉だ。
      • 後座番組のファンは、「お風呂入れよ!」コールが出る前に風呂を済ませる。
    • ゲストが小柳ルミ子のときはオープニング、エンディングで長さんや加トちゃんにイジられるのが楽しみだ。
  6. 作曲家・たかしまあきひこ氏が作曲した”盆回りのテーマ”には思わず反応してしまう。
    • 部屋の模様替えなどの際に脳内でメロディを流し、ハイテンションで作業に勤しむ。
    • セットを片付けるあの大道具さんにあこがれたことがある。
      • 毎週各地であれだけ大掛かりな仕掛け仕込んだセットを作って生放送やってた当時のスタッフの皆様に(`・ω・´)ゞ
    • 盆回りのテーマ(コロムビア・オーケストラ演奏版)
    • 「盆回り」を聴くと、パトカーが民家の屋根に突撃するシーンが、脳内を駆け巡る。
      • あれ、今だったら間違いなく会場側から拒否されるな。時代の違いを実感させられる場面でもある。
  7. 誰かの後ろに危険が迫ると「志村~後ろ~!」と言う。
  8. DVDは当然買った。
    • 当然、特典付き限定版を購入。ハッピも、洗面器も、ヤカンも我が家にある。
  9. ドリフの早口言葉を全部言える。
    • 放送当時、学校帰りに友達と早口言葉を競った。
    • 知り合いの結婚式の余興でこの早口言葉をやった(ヒゲダンスも)。
  10. 長さんの号令については言うまでもない。
    • 停電のときの「8時9分半だよ!」も好む。
    • 長さんの葬儀の時、「8時だョ!」とテープを流した人物が気になる。
    • (1)長さん「番号!」 志村「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 加藤「三!」 (2)長さん「番号!」 高木「一!」 仲本「二!」 志村「のー」 加藤「三!」っていうのもあったねぇ。
  11. 沢田研二は歌手ではなく志村の相方。
    • 「勝手にシンドバッド」はサザンオールスターズよりも志村けんが先に発表していたと主張する。
      • 歌手業より志村の相方業の方が合ってねぇか?あのお笑いのセンスは歌手にしては秀逸だと思うぞ。そこらのポッと出の歌手には絶対真似できねぇよ。
    • 桜田淳子も志村の相方。
    • 由紀さおりは……微妙。
      • 由紀さんはバカ殿様の腰元ではハマるんだけどなあ。どちらかと言えば長さんの相方というイメージ。
    • 小林幸子は歌手だけど、いかりやの相方でもあってほしい。
      • 同じく森幸子も。
    • 「見て、あの星を…」の松田聖子もなかなか。
    • ここまで名前の出なかった研ナオコは歌手ではなく完全に「志村の相方」のコメディエンヌという認識だ。
  12. カラスのくちばしは黄色。黒ではない。
  13. K肉S女帯(初期)の例の曲については本気で怒るべきか冗談だと受け流すべきか悩む。
    • ご本人が笑って許しているので受け流すべきかと。
    • それはむしろ番組のファンじゃなくてドリフターズファンの考えだろう。
      • 「若い奴がバカやって頑張ってるんだから許してあげようよ」の一言でOK出たそうだが…。
        • しかもO槻Kヂが面と向かって謝罪しての和解なんで無問題かと。
  14. 山田満郎氏は神。
    • 山田氏は舞台装置家としてナントカ賞(スマン、賞の名前忘れた)を全員集合のセット作成で受賞してる。
      • 伊藤熹朔(いとうきさく)賞ですね。
        • 上にも書いたが、山田氏を支えたスタッフの皆様にも敬意を欠かさない。
  15. 靴屋でドリフ靴を探したことがある。
    • 「白」だけど、ガッコの上履きにしていました。
  16. スイカはもちろんドリフ食い。
  17. 小学校時代、テレビに「ドリフ禁止」のシールが貼られていたが、かまわず見ていた。
  18. 「赤盤」「青盤」とはもちろんザ・ドリフターズのベストアルバムのことである。
    • ザ・ビートルズのことも知識としては知っている。ただし、ドリフが前座を務めたバンドとしてである。
  19. 1990年前後に放送された「思い出の全員集合スペシャル」をいまでもビデオに残している。
    • そして、DVDに編集している。
  20. TBSにどれだけ不満を持っていようと、TBSの放映したいかりや長介氏逝去~1周忌に伴う全員集合関連番組は欠かさず視聴&録画した。
  21. れんがの壁を見るとヒゲダンスをしたくなる。
    • もちろん脳内では、音楽が鳴っている。
      • 阪神北條がこれを登場曲にしたときは笑った。
  22. 7月19日(H20)は、赤坂サカスに全員集合!
  23. イチローのレーザービームに恐怖心を覚える。
  24. 挨拶は勿論「おぃっす!!」
    • 「元気がないなぁ。じゃあもういっちょ、おいっす!!」
      • 「静かにしろ~!!。ここは戦場だ~!!」までやるとなおよろし。
  25. 陸上自衛隊中央音楽隊も変わったなぁ…。軍歌系統じゃなくて、こういう系統の音楽もやるんだねぇ…。
  26. 富士市にできた長さん小路を歩いておくべきかも。
  27. 「なんだ、」に続くコトバは、「コノヤロー」ではなく「ばかやろぅ」だ。
  28. 初歩の英文と言えば、「じす いず あ ぺん」
    • 「アー・ミー・マー」「ユー・ユア・ヨー」「ヒズ・ヒム・ヒー」「シー・ハッ・ハー」も。
  29. じゃんけんする時は「最初はグー!」である。
    • いや、ファンじゃない人も普通に使いますよ。ちなみにこの掛け声はこの番組から広まった。
      • 続けて「またまたグー!いかりや長介頭はパー!正義は勝つ!」もしっかりやる。
  30. この番組のステレオ放送化に合わせて、当時まだ高価だった音声多重テレビを買ってもらった。
  31. コントだけではなく、合間に歌手が歌う曲も毎週楽しみにしていた。
  32. 居作プロデューサーや志村が言った「PTAはバラエティーは食べ物を粗末にすると教育に悪いと文句を言うくせに、ドラマは食べ物粗末にしても下ネタをしても何人殺しても何も言わないのか?」は最強の言葉だと思う。
    • 居作さんは土曜7時半の番組を手がけてた事もあって、神様のような存在だと思ってる人も多いと思う。
  33. ドリフといえば大爆笑ではなくこちら。全員集合が放送されていた当時は大爆笑やフジテレビの裏番組が遅れネットだった県(青森、岩手、福島、山梨、新潟、山口、高知、長崎、大分、鹿児島、沖縄)の県民はもちろん。
    • 上記のうち長崎は全員集合の放送開始が末期の1984年4月だった。
トークに、8時だョ! 全員集合ファンに関連する動画があります。

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