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==豊臣秀吉の噂==
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#[[猿]]もしくは禿[[ネズミ]]
*商業施設 -[[京都の商業施設#イオンモール久御山、イオンタウン久御山|イオンモール久御山、イオンタウン久御山]]
#日本初の農民出身の天下人。
#*秀吉のように貧農出身で国のトップになれた人は日本史では珍しいが、[[中国]]の歴代皇帝でそのような人は珍しくはない。
#**明の朱元璋など
#**あとは漢の高祖(劉邦)だけじゃないかな? 劉宋の武帝(劉裕)とか、後梁の太祖(朱全忠)とか、天下王朝とは言えない泡沫王朝の皇帝なら何人か居るが。
#最初は木下藤吉郎、それから羽柴筑前守秀吉と改名。
#*秀吉に改名した方が先なので、「木下藤吉郎秀吉」「木下秀吉」と書物に書かれた時代もある。
#**実は、羽柴と豊臣の間に平→源→藤原→近衛と名を変えているとかいないとか。
#*「羽柴」の姓は、丹羽長秀と柴田勝家から1字ずつとったが、柴田からは嫌な顔をされた。
#片手の親指が6本あった。
#*''親指が''6本て、おいおい。
#*偉大な人物には異常な身体的特徴がある、という中国伝来の通説によって創られた話である可能性もないではない。
#**例えば孔子とか、文献の記述通りならほとんど化け物のような容貌になる。
#**いずれにせよ、秀吉の六本指はよく知られた話だったのだが、戦後になって身体障碍者差別がうるさく言われるようになると、誰も触れなくなった。
#***指が6本あったことはむしろ昔は天下人であることの証明だったのにな。
#太閤とも呼ばれる。ちなみに、母ちゃんは大政所、嫁は北政所と呼ばれる。
#*太閤というのは関白職を引退して自分の子に継がせた人を呼ぶ一般呼称なのだが、ただ太閤といえば誰もが秀吉をイメージする。
#**中納言の唐称「黄門」が徳川光圀ばかりを意味するのと似ている。
#***[[名古屋駅]]太閤通口や[[神戸市/北区#有馬温泉の噂|有馬温泉]]の太閤橋とか。
#*別に、釣りキチだったわけではない。
#子孫はいないと言われる。
#*豊臣秀頼は妾の淀殿との間にできた子供。大坂夏の陣で母子とも自刃し、正妻の千姫(家康の息子で秀忠が父)との間にできた子供は[[大阪市|大坂]]夏の陣後に殺されたり尼寺に入れられたりして、血縁は断絶。
#**揚げ足取りのようで悪いんだけど、その言い回しって「千姫=家康の息子で、秀忠は息子」にも見える。あえて書くなら千姫は「家康の孫。父は秀忠」「『家康の息子の秀忠』が父」の方がわかりやすい。
#*壮年のころ名乗っていた羽柴って苗字は丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ拝借して勝手に名乗った勝手に作った苗字ってよく歴史モノの小説なんかに出てくるが現代の羽柴さんは末裔なのか?ま、確実に末裔ではないと思われる人もいますが…。
#**丹羽さんは[[愛知/西尾張|愛知県北尾張]]や[[岐阜/中濃|岐阜県中濃]]にありがちな姓。
#*そういえば同じ滅ぼされた家系でも、蘇我さん、平さん、楠木さん、武田さん、織田さんなどは今でも結構いるけど、豊臣さんだけは聞いたことがない。
#**[[山口/長門|山口県の日本海側]]には豊臣家の末裔がいるらしい。
#**実は「豊臣」は名字ではなくて源平藤橘などと同じ「氏」。だからこの例だと蘇我は氏だけど、楠木は橘、武田は源、織田は平の方の名乗りにそれぞれ相当する。
#覇王。
#*しかも農民出身
#最も有名な下克上の代表例。
#*成り上がった距離日本史上ナンバーワン。
#**[[男性歌手ファン/さ~わ行#矢沢永吉ファン|永ちゃん]]もびっくり。
#[[女子伝/戦国#北政所|奥さん]]の名前は「ねね」だったか「おね」だったかよくわからない。
#*まあ、漢字の「寧」をなんと読むかはさておき、当時の女性の名前が残っているだけでも上出来だが。
#*個人的には、ひらがな一文字の名前ってのはさすがにないんじゃないかと思う(「お」は名前の一部ではなく「おまつ」「おふく」同様の接頭辞)。
#*秀吉とは、この時代には珍しい恋愛結婚。
#**昔の歴史漫画(学校の図書館にあるようなの)では前田利家と取り合ったことになってたな。
#***最近の創作では利家の正室まつとねねの親友の間柄がよく描かれている感じ。史実でもまつはの家臣の妻としては別格の待遇を受けていた。
#*秀吉との間に子はできなかったが、側室たちの間柄を調整したり、秀吉の女遊びの手綱を取ったりと、豊臣の家庭を運営していた賢妻。
#**豊臣家に人質に出ていた子供の頃の徳川秀忠を実母の如く世話した母性の人でもある。恩を感じていた秀忠は将軍になった後父の家康以上にねねを手厚く保護をした。
#*秀吉が人妻(それも大名クラスの)がマイブームになったとき、ターゲットになった女にそれとなく伝えて、ことごとく失敗させたらしい。
#**側室のうち淀君含めて3人が織田氏出身なのが、秀吉の心情というかコンプレックスを表していると思う。
#**意外なことに、公家出身の側室はいない。
#***ただ、秀吉の側室から公家の正室に転身したものは居た。
#***一方、秀次には何人か公家の出の側室が居た。実はこのへんに嫉妬したから秀吉は秀次を殺したという説もある。
#*ねねが秀吉を弔うために建立した、高台寺にある蒔絵の模様は秋草が多い。おそらく秀吉の辞世の句由来の意匠で、夫の死後、追憶の中に生きたねねの思いが感じられる。
#*秀吉と二人きりで話している時は夫婦共にお国ことばの尾張弁(名古屋弁)丸出しで会話していたという。
#台湾にあると言われた、存在自体が怪しい(アトランティスみたいなの)国に貢物を要求した。
#養女が狐つきになったとき、[[狐]]の総元締めの[[京都市/伏見区|伏見大社]]に、「うちの娘から出て行かなかったら、全国の伏見神社を取り潰し、日本中で狐狩りするからそのつもりでね♪」という<del>脅迫状</del>願文を出したことがある。
#*伏見大社じゃなくて伏見稲荷大社ね。この時代は伏見稲荷神社だったはず。
#[[大垣市#墨俣|墨俣]]での功績の話は偽書に基づく創作の可能性が極めて高い。
#*しかしドラマの題材には数多くされてしまっているという・・・
#江戸時代を黒歴史としたい新政府と軍部の意向で、近代の日本では持ち上げられた。
#*江戸幕府が今に至る商業都市としての繁栄をもたらしたはずの大阪でも、それゆえ過度な秀吉信仰が……
#**とどのつまりが「[[徳川家康]]をののしる会」。[[堺市]]民は秀吉には余り良い印象がないんだが……。
#***秀吉はなぜか堺の市民を何度も虐待している。理由不明。
#****しかも信長の代からの堺の代官である松井有閑を唐突に罷免したりもしている。こちらも理由不明。
#*****千利休を自害へ追い込んだのも。
#*戦前の唱歌に「豊臣秀吉」というのがあった。
#**朝鮮出兵を「余力を用いて、世界に日本の国威を示した」としていた辺り時代を感じさせる。
#*滝廉太郎も「荒城の月」や「箱根八里」と同時期に「豊太閤」を作曲している。
#**1900年の中学唱歌にこの3曲は入選したのだが、今では豊太閤のみ忘れ去られた。
#**いずれも日本の国威を世界に指し示したと秀吉を持ち上げている。
#大阪府[[守口市]]には日吉町・豊秀町・橋波など、この人に縁のある地名が結構ある。
#*「日吉」は幼少期の「日吉丸」に、「橋波」は「羽柴」に由来していることは言うまでもない。
#平成に入って[[大阪の城#大阪城|大阪城]]や[[夕張市]]を狙いだした。
#*[[五所川原市#金木の噂|みちのく]]の方にミサイルや戦車を保有しているという噂。
#*お亡くなりになりました。
#**亡くなられた日が統一地方選の日だった奇妙な一致。最後まで選挙のことを考えていたのだろうか?
#***2015年4月26日でしたね。
#鳴かないホトトギスを鳴かせるのが上手だった。
#晩節を汚しまくったと現代では評価されている。
#*晩節どころか征服事業も何かと強引にやったおかげで、各地の戦国武将・大名ファンからのヘイトは高い。
#実は、かなりチンチクリンだったらしい。
#*「禿ネズミ」のあだ名はその為だ。
#1537年生まれ、尾張国中村(現在の[[名古屋市/中村区|名古屋市中村区]])出身。
#誕生日は以前は1月1日とされていたが現在は2月6日が正しいらしい。
#1568年頃から[[神戸市/北区#有馬温泉の噂|有馬温泉]]へ頻繁に行かれ、有馬温泉の整備を行った。
#[[京阪本線]]沿線は秀吉ゆかりの地が目白押し。大阪城、守口、万年寺山([[枚方市#枚方市駅周辺の噂|枚方市駅近く]])、淀城、伏見城(桃山)、伏見稲荷、高台寺etc。
#*秀吉の墓の豊国廊も京阪本線沿線(七条駅が最寄)。
#*伏見城と伏見稲荷は4km離れている。
#[[名古屋市/瑞穂区|名古屋市瑞穂区]]に本社を置くストーブのトヨトミ(旧・豊臣工業)の社名の由来。
#大阪府[[大東市]]に秀吉という運送会社がある。
#安倍首相は秀吉を偉大なる先輩と尊敬。
#ジミー大西([[八尾市]]出身)の本名の大西秀明の秀は秀吉が由来。
#浅井長政を攻めた時はお市を死なさずに[[織田信長|信長]]のもとに帰すことに貢献したが、柴田勝家を攻めた時はそのお市を自害に追い込んでしまった。
#あまり印象に無いが、ほんの一時期だけ今川の家臣になっていたらしい。
#近江の今浜を[[長浜市|長浜]]へ改名した。


==久御山町の噂==
==関連項目==
#久美浜と混同される
*[[豊臣秀吉ファン]]
#*友人が、「自転車でくみ…まで行ってきてん!」「え?久美浜?すごいやん!」「くみ…ね」「久美浜やろ、京都の北の。」「いや、久御山」。
[[Category:戦国武将|とよとみひてよし]]
#**'''久'''世郡の'''御'''牧と佐'''山'''2つの村を合併した合成地名。(久美浜は「久美の浜」から。)
#***このうち佐山のほうは交通情報で今もおなじみである。
#*久美浜とは同じ京都府内だが直線距離で110km離れている。
#実は財政に関しては優等生。だから合併はいや。
#*周囲の市町村に比べて工場が多い分、税収も多い。
#**京都府では唯一、地方交付税を受けていない。
#「踊る」のロケ地だった。レインボーブリッジとは程遠い。
#*映画の撮影のために工事を前倒しした。ちなみにイオンの看板も映っている。
#ジャスコは京都市民も利用する。
#*ジャスコ周囲の渋滞は異常。下手をすると自動車より徒歩の方が早く抜けれるケースも。
#京都府で一番都会な町。と言うのも昼間人口が増加(京都のお陰)する為だが、京都(市)の延長線(京都都市圏)である為、衛星都市だったりする(所謂ベッドタウン)
#野球解説者、片岡篤史の出身地。阪神時代の応援歌にも歌われた「実家の檜風呂」がある。
#*ヒノキなのは風呂じゃなくて、サウナ。本人談。
#*あのファンファーレ、恐らく球史に残る名珍曲だと思う。
#*本人は地元愛に満ちまくった御仁である。曰く、「京都 ええわあ~」。
#久御山JCTは周りが田んぼばかりのためかかなり立派に見える。
#*田んぼばかりなのは、このあたりが旧巨椋池の干拓地だから。
#*府内屈指の高さがある[[京都放送|KBS京都]]のラジオ送信塔(137m)も目立つ。
#**その送信塔の愛称が「くみやま夢タワー137」って…。(radikoやワイドFMにリスナーが行ってしまっているAM放送の抵抗か?)
#久御山町と[[京都市/伏見区|伏見区]]の境(府道宇治淀線沿い)には、[[八幡市]]の飛び地が結構ある。[[地理ファン]]はご確認を。
#*明治期に木津川の流路変更があった関係。「古堤防イワラ」「古堤防中村」などの小字に名残が見られる。
#なぜだか、宇治・宇治田原・城陽3市町の境に久御山町の飛び地がある。
#[[京阪電気鉄道|京阪電車]]も一応通る。
#*久御山町には駅はなく、車がないと不便。最寄り駅は近鉄大久保駅か、京阪淀駅。JR新田駅もね。
#**バスで行く場合は上記の各駅からしか行くことが出来なかったが、2018年3月17日から松井山手駅からも行き易くなった。([[京阪バスグループ#京都京阪バス|京都京阪バス]]が運行する為、運賃はやや高め)
#***この路線ができたお陰で大阪~京都を路線バスだけで移動しやすくなった。但し京都京阪バスなので京阪バスの1dayチケットは使えない。
#*京都競馬場にも一部かかっている。
#**ゆえに久御山町の広域避難場所に指定されている。
#町役場の場所が端っこ過ぎ。
#*町役場のすぐそこに、京都市の南端がある。
#**八幡市の飛び地なんかもあって本当に境界がややこしい…。
#久御山高校のサッカー部があの「[[FCバルセロナ]]」のようだと一躍話題に。
#久御山中学校は剣道が強い。どの学校も歯が立たない。
#噂によると[[餃子の王将|京都王将]]の工場があるらしい。かつてはここで主力商品である餃子の餡や皮、その他様々な商品の仕込みをこさえ、全国に出荷していたとか。今は[[福岡市/東区#香椎・千早|福岡の貝塚]]と[[船橋市|船橋の習志野]]に工場があるから、多分、九州・山口と静岡以東は別だろうけど。
#NTTの収容先が異なる村同士が合併してできた町のため、町の東西で市外局番が異なり、市内通話にならない。
#*その為、役場には両方のNTTビルから電話回線が引いてある。
#2014年10月に桂川イオンができてからは、京都市民はあまり利用しなくなった。
#*よって、渋滞も緩和し、前よりも行きやすくなった。
#*それを見越してか、久御山ジャスコは中身がほとんどジャスコだった高槻に似たものから、よくあるイオンのSCスタイルに変更(これにより、イオンモール久御山へ変更)。専門店を増やして増床したせいで平面駐車場部分がかなり削られた。
#*久御山町、伏見区南部、宇治市、城陽市、八幡市、枚方市北部、京田辺市からの来客が多い。
#全般的に道路交通が脆弱な山城エリアにおいて、ここだけやたら大きな道路が多い。
#*[[国道1号]]、[[京滋バイパス]]、[[第二京阪道路]]、[[国道24号 (京奈和自動車道)|国道24号(大久保バイパス)]]、[[国道478号]]など。
#**でも鉄道駅は(ry
#1968年(昭和43年)に国道1号枚方バイパスが開通してから発展するようになった。それまでは国道がなかった。1973年に国道24号大久保バイパスが開通、1988年に京滋バイパスが開通、2003年に国道478号と第二京阪道路が開通した。
#*昔からある道は主要府道宇治淀線がメイン。
 
[[Category:日本の町村]]

2021年4月4日 (日) 18:01時点における版

豊臣秀吉の噂

  1. もしくは禿ネズミ
  2. 日本初の農民出身の天下人。
    • 秀吉のように貧農出身で国のトップになれた人は日本史では珍しいが、中国の歴代皇帝でそのような人は珍しくはない。
      • 明の朱元璋など
      • あとは漢の高祖(劉邦)だけじゃないかな? 劉宋の武帝(劉裕)とか、後梁の太祖(朱全忠)とか、天下王朝とは言えない泡沫王朝の皇帝なら何人か居るが。
  3. 最初は木下藤吉郎、それから羽柴筑前守秀吉と改名。
    • 秀吉に改名した方が先なので、「木下藤吉郎秀吉」「木下秀吉」と書物に書かれた時代もある。
      • 実は、羽柴と豊臣の間に平→源→藤原→近衛と名を変えているとかいないとか。
    • 「羽柴」の姓は、丹羽長秀と柴田勝家から1字ずつとったが、柴田からは嫌な顔をされた。
  4. 片手の親指が6本あった。
    • 親指が6本て、おいおい。
    • 偉大な人物には異常な身体的特徴がある、という中国伝来の通説によって創られた話である可能性もないではない。
      • 例えば孔子とか、文献の記述通りならほとんど化け物のような容貌になる。
      • いずれにせよ、秀吉の六本指はよく知られた話だったのだが、戦後になって身体障碍者差別がうるさく言われるようになると、誰も触れなくなった。
        • 指が6本あったことはむしろ昔は天下人であることの証明だったのにな。
  5. 太閤とも呼ばれる。ちなみに、母ちゃんは大政所、嫁は北政所と呼ばれる。
    • 太閤というのは関白職を引退して自分の子に継がせた人を呼ぶ一般呼称なのだが、ただ太閤といえば誰もが秀吉をイメージする。
      • 中納言の唐称「黄門」が徳川光圀ばかりを意味するのと似ている。
    • 別に、釣りキチだったわけではない。
  6. 子孫はいないと言われる。
    • 豊臣秀頼は妾の淀殿との間にできた子供。大坂夏の陣で母子とも自刃し、正妻の千姫(家康の息子で秀忠が父)との間にできた子供は大坂夏の陣後に殺されたり尼寺に入れられたりして、血縁は断絶。
      • 揚げ足取りのようで悪いんだけど、その言い回しって「千姫=家康の息子で、秀忠は息子」にも見える。あえて書くなら千姫は「家康の孫。父は秀忠」「『家康の息子の秀忠』が父」の方がわかりやすい。
    • 壮年のころ名乗っていた羽柴って苗字は丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ拝借して勝手に名乗った勝手に作った苗字ってよく歴史モノの小説なんかに出てくるが現代の羽柴さんは末裔なのか?ま、確実に末裔ではないと思われる人もいますが…。
    • そういえば同じ滅ぼされた家系でも、蘇我さん、平さん、楠木さん、武田さん、織田さんなどは今でも結構いるけど、豊臣さんだけは聞いたことがない。
      • 山口県の日本海側には豊臣家の末裔がいるらしい。
      • 実は「豊臣」は名字ではなくて源平藤橘などと同じ「氏」。だからこの例だと蘇我は氏だけど、楠木は橘、武田は源、織田は平の方の名乗りにそれぞれ相当する。
  7. 覇王。
    • しかも農民出身
  8. 最も有名な下克上の代表例。
    • 成り上がった距離日本史上ナンバーワン。
  9. 奥さんの名前は「ねね」だったか「おね」だったかよくわからない。
    • まあ、漢字の「寧」をなんと読むかはさておき、当時の女性の名前が残っているだけでも上出来だが。
    • 個人的には、ひらがな一文字の名前ってのはさすがにないんじゃないかと思う(「お」は名前の一部ではなく「おまつ」「おふく」同様の接頭辞)。
    • 秀吉とは、この時代には珍しい恋愛結婚。
      • 昔の歴史漫画(学校の図書館にあるようなの)では前田利家と取り合ったことになってたな。
        • 最近の創作では利家の正室まつとねねの親友の間柄がよく描かれている感じ。史実でもまつはの家臣の妻としては別格の待遇を受けていた。
    • 秀吉との間に子はできなかったが、側室たちの間柄を調整したり、秀吉の女遊びの手綱を取ったりと、豊臣の家庭を運営していた賢妻。
      • 豊臣家に人質に出ていた子供の頃の徳川秀忠を実母の如く世話した母性の人でもある。恩を感じていた秀忠は将軍になった後父の家康以上にねねを手厚く保護をした。
    • 秀吉が人妻(それも大名クラスの)がマイブームになったとき、ターゲットになった女にそれとなく伝えて、ことごとく失敗させたらしい。
      • 側室のうち淀君含めて3人が織田氏出身なのが、秀吉の心情というかコンプレックスを表していると思う。
      • 意外なことに、公家出身の側室はいない。
        • ただ、秀吉の側室から公家の正室に転身したものは居た。
        • 一方、秀次には何人か公家の出の側室が居た。実はこのへんに嫉妬したから秀吉は秀次を殺したという説もある。
    • ねねが秀吉を弔うために建立した、高台寺にある蒔絵の模様は秋草が多い。おそらく秀吉の辞世の句由来の意匠で、夫の死後、追憶の中に生きたねねの思いが感じられる。
    • 秀吉と二人きりで話している時は夫婦共にお国ことばの尾張弁(名古屋弁)丸出しで会話していたという。
  10. 台湾にあると言われた、存在自体が怪しい(アトランティスみたいなの)国に貢物を要求した。
  11. 養女が狐つきになったとき、の総元締めの伏見大社に、「うちの娘から出て行かなかったら、全国の伏見神社を取り潰し、日本中で狐狩りするからそのつもりでね♪」という脅迫状願文を出したことがある。
    • 伏見大社じゃなくて伏見稲荷大社ね。この時代は伏見稲荷神社だったはず。
  12. 墨俣での功績の話は偽書に基づく創作の可能性が極めて高い。
    • しかしドラマの題材には数多くされてしまっているという・・・
  13. 江戸時代を黒歴史としたい新政府と軍部の意向で、近代の日本では持ち上げられた。
    • 江戸幕府が今に至る商業都市としての繁栄をもたらしたはずの大阪でも、それゆえ過度な秀吉信仰が……
      • とどのつまりが「徳川家康をののしる会」。堺市民は秀吉には余り良い印象がないんだが……。
        • 秀吉はなぜか堺の市民を何度も虐待している。理由不明。
          • しかも信長の代からの堺の代官である松井有閑を唐突に罷免したりもしている。こちらも理由不明。
            • 千利休を自害へ追い込んだのも。
    • 戦前の唱歌に「豊臣秀吉」というのがあった。
      • 朝鮮出兵を「余力を用いて、世界に日本の国威を示した」としていた辺り時代を感じさせる。
    • 滝廉太郎も「荒城の月」や「箱根八里」と同時期に「豊太閤」を作曲している。
      • 1900年の中学唱歌にこの3曲は入選したのだが、今では豊太閤のみ忘れ去られた。
      • いずれも日本の国威を世界に指し示したと秀吉を持ち上げている。
  14. 大阪府守口市には日吉町・豊秀町・橋波など、この人に縁のある地名が結構ある。
    • 「日吉」は幼少期の「日吉丸」に、「橋波」は「羽柴」に由来していることは言うまでもない。
  15. 平成に入って大阪城夕張市を狙いだした。
    • みちのくの方にミサイルや戦車を保有しているという噂。
    • お亡くなりになりました。
      • 亡くなられた日が統一地方選の日だった奇妙な一致。最後まで選挙のことを考えていたのだろうか?
        • 2015年4月26日でしたね。
  16. 鳴かないホトトギスを鳴かせるのが上手だった。
  17. 晩節を汚しまくったと現代では評価されている。
    • 晩節どころか征服事業も何かと強引にやったおかげで、各地の戦国武将・大名ファンからのヘイトは高い。
  18. 実は、かなりチンチクリンだったらしい。
    • 「禿ネズミ」のあだ名はその為だ。
  19. 1537年生まれ、尾張国中村(現在の名古屋市中村区)出身。
  20. 誕生日は以前は1月1日とされていたが現在は2月6日が正しいらしい。
  21. 1568年頃から有馬温泉へ頻繁に行かれ、有馬温泉の整備を行った。
  22. 京阪本線沿線は秀吉ゆかりの地が目白押し。大阪城、守口、万年寺山(枚方市駅近く)、淀城、伏見城(桃山)、伏見稲荷、高台寺etc。
    • 秀吉の墓の豊国廊も京阪本線沿線(七条駅が最寄)。
    • 伏見城と伏見稲荷は4km離れている。
  23. 名古屋市瑞穂区に本社を置くストーブのトヨトミ(旧・豊臣工業)の社名の由来。
  24. 大阪府大東市に秀吉という運送会社がある。
  25. 安倍首相は秀吉を偉大なる先輩と尊敬。
  26. ジミー大西(八尾市出身)の本名の大西秀明の秀は秀吉が由来。
  27. 浅井長政を攻めた時はお市を死なさずに信長のもとに帰すことに貢献したが、柴田勝家を攻めた時はそのお市を自害に追い込んでしまった。
  28. あまり印象に無いが、ほんの一時期だけ今川の家臣になっていたらしい。
  29. 近江の今浜を長浜へ改名した。

関連項目