もしあの鉄道が国有化されなかったら/東北

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2021年3月29日 (月) 09:57時点におけるりんご3号 (トーク | 投稿記録)による版 (もしあの鉄道が国有化されなかったら/東日本より分割)
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宮城電気鉄道

  • 現在の仙石線
  1. 宮城電気鉄道のままだった。もしかしたら東北唯一で日本最北の大手私鉄になっていたかも。
    • 関連事業が栄えなければ中小私鉄どまりではないかと。
      • それでも広電レベルの私鉄にはなっていた。
      • 少なくとも『私鉄なにそれおいしいの』という状態にはならなかったのは確実。
      • 仙台市民は「準大手私鉄」を自称。
  2. 石巻線はとっくに電化されていた。
    • 宮城電気鉄道に対抗して仙台~小牛田~石巻の快速ができていた。
  3. もちろん元山手線の205系が投入されることはなかった。205系は房総地区に投入されていた。
    • 代わりに元東急の中古車が投入されることに。
      • 特に終戦直後はお下がりの寄せ集めを併結運用し鉄道マニア垂涎になってたかも
        • 205系についてはあっても東日本大震災後の被災による車両不足を補うために応援車両として緊急的に投入された程度。
  4. Suicaは導入しなかったが、PASMOには参加したので結局Suicaは使えることに。
  5. 運賃は今より2倍近く高い。
    • 東北本線との対抗上、北陸線に並行する富山地鉄みたいに中距離は安め、初乗りと長距離は高めに設定するかも
  6. 仙台駅で「松島への観光は東北本線をご利用ください」とアナウンスされる。
  7. 東北本線にも松島海岸駅が出来る。
    • 地形上の制約から駅前広場などを十分整備できず、宮電松島駅に比べ微妙な作りに。
  8. 仙台市営地下鉄を買収する。
    • どうやって?
    • というより仙台市営地下鉄自体が存在しなかった可能性が高い。宮電が残っていれば『中心部は市電、郊外は宮電、中長距離はJR』と住み分けが進んだはず。
      • つまり市電が廃止されないで残った可能性の方が高いかと。
  9. 仙台~あおば通り間は仙台市営地下鉄の路線になっていた。
    • そして青葉城までは路線が伸びていたかもしれない。
    • 東西線はリニアではなく、普通鉄道規格であった。
    • 史実通り八木山までだと仙台市地下鉄の距離が短くなるので、モノレールとして建設される予定だった頃の構想と一体化して愛子まで地下鉄が建設されていたかもしれない。
  10. 石巻駅は未だ分かれたまま。
  11. 仙台鉄道と秋保電鉄を買収する
    • 国有化される代わりに、仙北鉄道や仙台市電などを巻き込んで戦時統合(宮城地方鉄道?宮城民営鉄道?)していたかもしれない
    • 長町~仙台~東照宮間のJR線に沿って新線開業。
    • 神戸高速鉄道のような方式になっていたかも
      • 阪急が絡んで吉岡~三本木~古川間に新線を建設(史実でも計画あり)
        • 「仙台都心・秋保温泉まで乗り換えなし」をうたって古川~秋保温泉に無料直通特急を運転し東北線(のちに新幹線)に対抗する
  12. 丸光とエンドーチェーンを買収して小売業に進出。現さくら野は宮電百貨店に。石巻店も現存。
    • 今は亡き古川駅前のニチイ(サティ)も宮電古川ショッピングセンターとして現存かリーマンショックまで延命していた
  13. 宮城交通というバス会社はなく、宮城県内のバスの多くは宮城電気鉄道(もしくはその子会社であるミヤデンバス)が運行している。
    • それでも名鉄グループになっていた可能性はある。
  14. 宮城県内のどこかの民放に出資していた。
  15. 最近になって「日本で初めて地下路線を作った会社」ということをアピールし始めた。
    • 仙台駅地下ホーム構内に「日本地下鉄道発祥の地」のプレートが誇らしげに設置されている。
  16. JR仙台支社は競合する東北本線・石巻線などのサービス改善に乗り出し、パターンダイヤやJR東では珍しい転換クロスシートの快速電車の投入などを行なっていたかもしれない。
    • 東京の本社との関係が国鉄本社と大鉄局みたいな関係になっていた。
    • レッドアローを譲り受けて特急の運行を始めた宮電に対抗し、JRは「秋田リレー」に用いられたキハ110系300番台を特急仕様の内装のまま仙台―石巻間(小牛田経由)の快速に投入。
    • 仙台ー古川間の新幹線の格安往復切符や、小牛田ー古川間を電化して仙台行き快速列車を運転など。
  17. 長町~仙台空港・丸森経由福島、古川~築館~平泉に至る壮大な路線拡張計画を発表していた(資本的に厳しいか)
    • 仙台空港鉄道は少なくとも宮電が出資の3セクか、純民間で建設されたかもしれない
  18. 東北本線に対抗するため高城町まで無理やり複線化し、仙台~高城町間の各駅停車を増発、松島観光を大々的にアピール。石巻始発の特急との緩急分離を実現。
  19. 仙石東北ライン?何それ?
    • かわりに貨物用の連絡線が東北線と接続していたかもしれない。
      • 日本鉄道→国鉄も貨物(と塩釜方面の旅客輸送)用に塩釜線を建設していたから、連絡線が建設されなければこれが現在まで存続していたと思われる。
  20. 他の東北の私鉄と同様に、この会社も東急の車両を譲受していたかもしれない。
  21. 関連会社の松島遊園地・水族館は2016年現在もリニューアルして存続。仙台うみの杜水族館?なにそれ?
  22. 沿線の多賀城・塩釜などは宮電の手により宅地開発がなされ、現実より活気づいていた。
  23. 国鉄→JR東日本に対抗するため、特急電車は料金不要の2ドアオールクロスシートとしている。特急の停車駅は多賀城・本塩釜・松島海岸・矢本。急行はこのほか東塩釜や高城町・野蒜などに停まる。
  24. 東名駅や野蒜駅が東日本大震災により大規模な被害を受け、高台側に線路を付け替えるのは現実通りとなるが、ここが寸断されると仙台~石巻間の輸送をJRなどに取られてしまうため、現実の何倍ものスピードで(被災から遅くとも2年以内には)復旧される。

陸奥鉄道

  • 現在の五能線の一部
  1. 昭和30年代に閑散路線として廃止が検討され、昭和40年代までには消えていた可能性が高い。
    • 残ったとしたら、川部から津軽鉄道と接続する五所川原まで。
      • 津軽鉄道と統合し、川部から津軽中里までの路線となったかも。
        • 津軽鉄道が陸奥鉄道国有化の補償金で作られたという経緯を考えると、津軽鉄道の一路線か最悪存在しなかった。
      • 鯵ヶ沢もしくは深浦から能代間は、廃止されている。
    • 東能代駅が能代駅に改称されていた。
      • 上記に記述の通り、「鯵ヶ沢(深浦)~能代間」が廃止されていたら、「(実史の)能代~東能代間」は、奥羽本線支線となり、電化されていた。
  2. 官鉄により五所川原~大釈迦間の路線が開設されていた。
    • そうしなければネットワークに不自然な切れ目が生じてしまう。
電化されていた場合
  1. 路線は鯵ヶ沢ー弘前間だった
  2. 弘南鉄道とも乗り入れがあったかもしれない
    • というより戦時中に統合されている。
非電化だったら
  1. リゾートしらかみみたいな観光列車があったかもしれない
  2. JRとの乗り入れが行われてた
    • ただし信楽の事故を契機に廃止となった。
  3. 黒石線はこちらに譲渡された。