もしあの芸能人がブレイクしていたら
鳴り物入りでデビューした芸能人がもしブレイクしていたら?
- 新規追加は50音順でお願いします。
- 後に(別の形で)ブレイクした人・グループについては「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
- 実際にそこそこブレイクした人・グループについては「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
- 現在活動中の芸能人については現在活動しているジャンルへお願いします。
- 「○○といえば(別の××)だった」という投稿は禁止です。
独立項目
- もしあの芸人がブレイクしていたら
- もしあの俳優がブレイクしていたら(子役についてもこちらへ)
- もしあの歌手がブレイクしていたら
- もしあの女性アイドルがブレイクしていたら
- もしあの声優が○○だったら#ブレイクしていたら
男性アイドル
全般
- ジャニーズ以外の男性アイドルは市民権を得ていた。
- ジャニーズ事務所の天下を抑え込むことができていた。
- ジャニーズが必要以上に圧力をかけることもなかった。
- ジャニーズ所属者が激務を強いられることもなかった。
- ジャニーズの勢力は更に弱まっていた。
- 月刊平凡やKindaiが休刊になることもなかった。
- 男性アイドル雑誌はそもそも集英社が天下を取っていなかった。
個人
竹本孝之
1980年代初頭のアイドルブームの最中、サンミュージックよりデビューし、同期の近藤真彦らと人気を争っていたが、伸び悩んだ。もし近藤真彦並みの人気を得ていたら。
- ソロで苦戦するジャニーズを尻目に、サンミュージックはその後も男性ソロアイドルを次々とデビューさせていた。
- 川崎憲次郎と親戚であることが史実以上に広く知られていた。
ひかる一平
- ジャニーズはもっと積極的にソロ歌手をデビューさせていた。
- 史実でその後グループのセンターになったメンバーも何人かはソロでデビューしていた。
- 滝沢秀明・今井翼ソロデビュー報道の際に抹殺されることはなかった。
- ドラマや映画でも何回か主役を張っていた。
- 21世紀版「必殺仕事人」の主演も東山紀之ではなくひかる一平だった。
- たのきんの影が薄くなっていた。
グループ
OJS48
AKB48に関連するグループの1つで警察OBで構成される中高年男性アイドルグループ。現在でも活動しているが、他のAKB姉妹ユニットと同様にブレイクしていたら?
- 秋元康プロデュースの男性アイドルユニットは売れないというジンクスを破っていた。
- AKB48の男性版も結成させ、ジャニーズやEXILEと張り合っていた。
- アイドルは中高年でも通用する風潮が生まれていた。
- これを受けて二番煎じとするグループの結成が乱立していた。
- 仕事がAKB48グループのイベントや握手会の警備にとどまることもなかった。
男闘呼組
光GENJIと同様にブレイクしていたら
- TOKIOへの期待は史実以上に大きかった。
- 農家タレント(?)になることはなかったかも。
- アイドル業界もバンドブームに便乗していた
- 「ジャニーズのバンドは(売れても)中ヒット止まり」というジンクスはここで打破できていた。
- 岡本健一の息子・圭人のジャニーズ事務所入りがもっと話題を呼んだ。
KAT-TUN
オリコンチャート1位の常連であり、「Real Face」はミリオンセラーになったもののそれ以降はメンバーの度重なるスキャンダルで人気が伸び悩んだ。現在でも根強い人気はあるが、もし、SMAPや嵐と同様に国民的アイドルといえるまでブレイクしていたら?
- 嵐の仕事を奪っていた。
- SMAPも同様であった。
- その二つ以上に関ジャニの仕事を奪ってそうだ。
- ポストSMAPと呼ばれていたのだからむしろSMAPの仕事を確実に奪っていた。
- その二つ以上に関ジャニの仕事を奪ってそうだ。
- SMAPも同様であった。
- 赤西仁の早期脱退はなかった。
- 黒木メイサとは結婚していなかった。
- ジャニーズとスウィートパワーとの関係悪化も起きなかった。
- 『GTO』(2012年版)の主演も当初の予定通り赤西仁だった。
- 黒木メイサとは結婚していなかった。
- 田中聖は女や副業に手を出すことはなかった。
- 事務所を解雇されることもなかった。
- INKTも結成されなかった。
- クスリに手を出すこともなかった。
- キスマイの存在が薄れていた。
- Hey!sey!jump、Sexy zoneも。
- ゴールデンタイムに冠番組を持っていた。
- 嵐やSMAP同様、フジテレビで放送されていた。
- フジテレビからも史実以上に推されていた。
- 嵐やSMAP同様、フジテレビで放送されていた。
- スズキソリオのCMが事務所の先輩であるTOKIOに奪われることはなかった。
- 田口淳之介の脱退や活動休止もなかった。
- メンバーのスキャンダルもあるがオリコンチャート1位常連であることをいいことに落ち目であることを必死に隠そうとすることもなかった。
- AKB48といい意味で比較されることもなかった。
SMAP
2000年代あたりから国民的アイドルに成長したSMAPですが、もし6人時代にも史実以上に売れていたら。
- 森且行が喧嘩別れしてオートレーサーに転身することもなかった。
- ジャニーズ初のデビュー曲が1位じゃないグループと言われることもなかった。
- TOKIOやV6もデビュー曲が1位になってたかもしれない。
- 他のジャニーズと一緒にジャニーズカウントダウンに出演していたかもしれない。
- 音松くんも史実以上に続いていたかもしれない。
- 音松さん名義でおそ松さんの主題歌を担当していたかもしれない。
タッキー&翼
嵐と同様にブレイクしていたら
- メンバー個人の人気はありましたが、グループとしても人気があったらとします。
- (それぞれのソロも含め)もっと多くCDをリリースしていた。
- オリコン1位獲得ももっと多かった。
- 5大ドームツアーも実現できた。
- コンビで冠番組も持っていた。
- 嵐(及びメンバー)の仕事をいくつか奪っていた。
- 同じ2人組ユニットであるKinki kidsにも何らかの影響があった。
- そもそもエイベックスからリリースしていなかったらこうなっていただろう(エイベックスの全タイトルCCCD導入方針で伸び悩んだため)。
- ジャニーズはこれ以降もエイベックスに所属するグループが現れていた。よってジャニーズエンタティメントとジェイストーム所属に偏重することもなかった。
- ジェイストームは嵐専用じゃなくて?
- 嵐以外も所属していますが、何か?
- ジェイストームは嵐専用じゃなくて?
- ジャニーズとエイベックスとの関係が薄れることもなかった。
- ジャニーズはこれ以降もエイベックスに所属するグループが現れていた。よってジャニーズエンタティメントとジェイストーム所属に偏重することもなかった。
- エイベックスはEXILEに推し変することはなかった。
- E-girlsやJ SOUL BROTHERSも世に出ることはなかった。
- そもそもLDHを推していなかった。
- AAAも同様だった。
- E-girlsやJ SOUL BROTHERSも世に出ることはなかった。
- ジャニーズはこれ以降も2人組ユニットの結成に精力的になっていた。
- タッキーがシニア向けヘアカラーのCMに出演することはなかった(泣)。
- ヒロミに師事する形でリフォーム作業をやることもなかった。
- そもそも「有吉ゼミ」には出演していなかった。
- ヒロミに師事する形でリフォーム作業をやることもなかった。
- タッキーが細木数子の餌役にされる事もなかった。
- ソロ活動中心になることもなく、ユニットとしての活動も精力的になっていた。
- 活動休止を宣言することはなかった。
- そして解散することもなかった。
- タッキーの引退もなかった。
- ジャニーズの運営に携わることもなかった。
- 今井翼の退所、活動休止もなかった。
- 不仲説も出なかった。
- 滝沢秀明は三宅健とKEN☆Tackeyを結成することはなかった。
- 活動休止を宣言することはなかった。
CHA-CHA
- 光GENJIやSMAP並みにブレイクしていたら。
- 木野正人は脱退しなかったかもしれない。
- 勝俣州和はアイドルのイメージが強いままだった。
- お笑いタレントに転身していない。
- ジャニーズとジャニーズ以外の合同グループは多くなっていた。
- ただし、すべてのグループが長続きするとは限らない。
- ドリーミング以外にアンパンマンのエンディングを歌う歌手はもっと多くなっていた。
忍者
「ブレイクしていなかったら」にもありますが、光GENJIやSMAP並みに人気があったら?
- SMAPは売れないまま淘汰されていた。
- グループ名つながりでこの作品の主題歌を担当していた。
- 映画『忍者ハットリくん』の主演はメンバーから1人選ばれていた(史実では香取慎吾)。
- 古川英司と志賀泰伸が脱退することはなかった。
- 志賀が女に手を出して結婚することもなく、古川も体型管理をおろそかにすることがなかったらこうなっていたかもしれない。
- その後、四銃士というグループ名に改名することはなかった。
- 「少年忍者」時代にブレイクしていた場合、中村亘利はCHA-CHAには参加せず、草なぎ剛がSMAPとの兼任で参加していた。
- そもそも草なぎはSMAPに参加しなかった。
- 解散したとしてもメンバー全員のジャニーズ事務所退所はなかったはず。
幕末塾
平成初期に活躍した男性アイドルグループ。メンバーには彦摩呂などがいた。
- 彦摩呂はグルメリポーターに転向することはなかった。
- 石塚英彦の仕事を奪うこともなかった。
- 阿藤快も。
- ましてやあの体形になることはなく、バラエティ番組で幕末塾時代と比べられることはなかった。
- 体型の激変という点で渡辺徹が現実以上にネタにされていた。
- 石塚英彦の仕事を奪うこともなかった。
- 所属レーベルであるNECアベニューの主力になっていた。
- NECアベニューが廃業することもなかった。
- ジャニーズの仕事を奪っていた。
- 光GENJIは史実より早く解散に追い込まれ、SMAPもブレイクできなかった。
- 48グループのように兄弟分グループも誕生させていたとしたら、本当の意味でジャニーズ事務所と張り合っていた。
- 秋元康は男性アイドルのプロデュースでも名を馳せていた。
- おニャン子クラブと48グループの関係のように、2010年代現在も秋元氏プロデュースの男性アイドルグループが存在するかも。
- OJS48も成功していたかも。
- 48グループのイベントでの警備員としてだけでなく今でも歌手活動を続けている。
- EXILEの存在が薄れていた。
- 一世風靡セピアをトレースして結成されたのだから一世風靡セピアのポジションを確実に奪っていた。
- その後もメンバーチェンジを繰り返して活動をし続けていた。
FLAME
2000年のジュノンボーイから4人が集まって結成されたグループ。
- 金子恭平の脱退及び移籍はなかった。
- しかし史実でのEMALFに於いての脱退経緯を考えると、どのみち脱退は免れなかったかも。
- 史実で正式解散となった2010年以降も活動を継続していた。
- EMALF結成もなかった。
- FLAMEに続くジュノンボーイ出身グループが新たに結成されていた。
- 1年後輩に当たる小池徹平もウエンツではなくジュノンボーイ同士でユニットを結成していた。
- 嵐やEXILEの人気も史実ほどではなかった。
- KAT-TUNも赤西仁脱退の時点で解散していた。
- フライトマスターレーベルがw-inds.関連専門になることもなかった。
HEADS
アミューズが「ガキラッパー」のキャッチで売り出した男性アイドルグループ。
- ONE OK ROCKは結成されなかった。
- Takaは別のバンドでメジャーデビューを目指していた。
- ALEXの痴漢もなかったかも。
- 植原卓也の俳優デビューも遅れていた。
- 嵐やw-inds.をライバル視していた。
息っ子クラブ
おニャン子クラブの男性版として結成されたグループ。もしおニャン子並みの人気を得ていたら?
- 秋元康は男性アイドルのプロデュースでも名を馳せていた。
- 幕末塾は結成すらされなかったかもしれない。
- あるいは息っ子クラブの弟分として結成されていたかもしれない。
- AKB48の男性版が結成されてたかも。
- 幕末塾は結成すらされなかったかもしれない。
- 後におニャン子同様メンバー増員を繰り返した。
- ジャニーズの独壇場ではなくなっていた。
- 息っ子クラブはジャニーズとは違い、下積みという概念がないのでむしろ棲み分けがされていた。
- そもそも「夕やけニャンニャン」の絶頂期が続いていたらブレイクを果たしていた。
- おニャン子クラブの解散も遅れていた。
- 織田裕二がオーディションを受けていたことが現実以上に知られていた。
- つんく♂、奥田民生、クリス松村も。
- 仮に彼らがメンバー入りしたら、シャ乱Qやハロープロジェクト、ユニコーンが存在しなかったかもしれない。
- つんく♂、奥田民生、クリス松村も。
- 男子の男性アイドルへの関心が深まっていたらこうなっていたかも。
- 男性アイドルは女子に支持される風潮がこの時点で薄れていた。
- そもそもおニャン子クラブ未成年メンバーの喫煙事件さえなければ男子に支持される路線に変更することはなく、女子の支持も高まっていたのでかったのでその恩恵でブレイクすることができていた。
RUN&GUN
吉本興業が手掛けた男性アイドルグループ。グループ自体は一応存続しているものの現在は専らメンバーがソロで活動中。
- w-inds.を特にライバル視していた。
- 関ジャニ∞は表に出られなかったかもしれない。
- 吉本はNMB48に力を入れることはなかった。
モデル
泉里香
現在はモデルだけでなく、グラビアアイドルとしても活動している泉里香ですが、グラビア進出前はブレイクに至りませんでした。もし、グラビアアイドルだけでなく、本業のモデルとしてもブレイクしていたら?
- 乃木坂46メンバーがモデルとして台頭していなければ十分あり得た。
- 「Ray」を卒業することもなかった。
- 白石麻衣の存在が薄れていた。
- 佐々木希、桐谷美玲、小嶋陽菜のライバルとして張り合っていた。
- グラビア進出は多分なかった。
- モグラ女子の一員として名を馳せることもなかった。
- 遅咲きのグラビアアイドルとして壇蜜と比べられることもなかった。
- 蛯原友里、押切もえの仕事を奪っていた。
- セーラームーン出身でまた同じ関西出身ということで何かと北川景子と比較されていた。
エリー(旧芸名:渡邊エリー)
- 2006年度の新人てれび戦士として小関裕太と共に称される存在になってた。
- オーストラリア人とのハーフを代表するモデルになってた。
- ベッキーに雰囲気が似てることもあって、小ベッキーの呼び声は史実以上だった。
- どっちにしろ、現在は身長がかなり伸びていることもあって、小ベッキーではなくベッキー二世と呼ばれるようになってたかもしれない。
- 同じく天てれ卒業生の飯田里穂とともにラブライブの声優をやってたかもしれない。
- 渡辺えりとの混同が起きた。
- 同じハーフタレントの春香クリスティーンやトリンドル玲奈の仕事を奪ってたかもしれない。
新川優愛
- グラビアアイドル時代にブレイクしていたら
現在はモデル・女優として活動している新川優愛ですが、以前はグラビアアイドルとして活動していましたが、グラビアアイドル時代はブレイクには至らず、その後はモデルに転身してブレイクし、現在に至っています。もし、グラビアアイドル時代にブレイクしていたら?
- AKB48にグラビアの仕事を奪われていなかったらこうなっていた。
- 篠崎愛、吉木りさの仕事を奪っていた。
- 吉木りさは売れない演歌歌手という認識で終わっていた。
- 手島優、原幹恵も。
- 原幹恵に代わって志村ファミリー入りしていたかも。
- CM出演は女性向け商品より男性向け商品の方が多かった。
- 某生理用品や某ヘアカラーのCMキャラクターになることはなかった。
- そもそも出演CMは女性向け商品に偏重することはなかった。
- 同じくミスマガジングランプリ受賞者である乃木坂46の衛藤美彩と比べられていた。
- 久松郁実と比べられていた可能性もある(こちらはモデル、グラビア双方で成功しているため)。
- 『サンデージャポン』のゲストの常連になっていた。
- 「温泉女子部」や「肉食女子部」にもレギュラー出演していたかも。
- その分、『世界一受けたい授業』の常連ゲストにはなっていなかったかも。
- 『サンデージャポン』へのゲスト出演はモデル枠ではなくグラビア枠での出演だった。
- 現在では↓のグラビアアイドル達が出演するポジションについている。
- 壇蜜、小島瑠璃子、杉原杏璃、武田玲奈、橋本マナミの存在が薄れていた。
- 橋本マナミは売れない女優という認識で終わっていた。ましてや乃木坂46の橋本奈々未と混同されることもなかった。
- 柳ゆり菜、柳いろはも。
- 『王様のブランチ』のMCにはなっていなかった。
- seventeenに出ることはなく、西内まりやとの共演も少なかった。
- non-noのモデルにすらなっていなかったので新木優子と混同されることもなかった。
- 史実通りにモデルに進出してもモグラ女子の一員として名を馳せていた。
- 泉里香、馬場ふみかのライバルとして張り合っていた。
- グラビアとモデル両方で活躍できていたので、筧美和子、佐野ひなこ、久松郁実と現実以上に良い意味で比較されていた。
- ミスマガジンが休止になることはなかった。
- そもそも本人はモデルを志向していなかった。
- グラビアアイドル時代をひた隠すこともなかった。
- 結婚も遅れていたかもしれない。
- ソフトバンクのCMのでバスガイドを演じてしまうこともなかった。
西内ひろ
西内まりやの姉。現在でも活動しているが、西内まりや以上にブレイクしていたら?
- 桐谷美玲の良きライバルとなっていた。
- 同い歳で同じくモデル路線で売り出している小嶋陽菜に対してはライバル視していた。
- 橋本環奈がブレイクした時には同じグループに所属していたことが話題になっていた。
- DVL(Rev.from DVLの前身)時代にブレイクしていたら路線変更することなく、アイドルとして活動し続けていただろう。
- 橋本環奈と二分する存在になっていた。あるいは橋本環奈の存在が薄れていた。
- WikipediaでもDVL時代のことが言及されていた。
- 大人の事情が減っていた。
- DVL(Rev.from DVLの前身)時代にブレイクしていたら路線変更することなく、アイドルとして活動し続けていただろう。
- 肉体系キャラにはなっていなかった。
- 下着メーカーのモデルになったりミス・ユニバース・ジャパンに出場することはなかった。
- 妹にコンプレックスを抱いていることをネタにすることはなかった。
- 広瀬アリス、有村藍里といい意味で比べられていた。
- 世代は違うが石田ゆり子とも。
- 道端カレン・ジェシカ、能世あんな・えれなも同様。
- モデル姉妹は妹しか人気が出ないものとみなされることはなかった。
- モデルと歌手の違いはあるが倖田來未・misono姉妹とも比較されていた。
- 仕事の幅も史実より広がっていた。
- ドラマでもいい仕事を貰っていた。
- 女優で成功できていた場合、新垣結衣・戸田恵梨香などとともに88年度生まれの黄金世代の一員となっていた。
- CM出演本数も史実より多かった。
- ドラマでもいい仕事を貰っていた。
- 山田優や西山茉希などの仕事を奪っていた。
- 香里奈も。
- 妹が史実通り事務所を退所したら、姉として何らかの救いの手を差し伸べていたかも。
- あるいは妹に取って代わる存在になっていた。
- そもそも西内まりやが事務所社長と揉めていなかったらとばっちりを受けることもなかった。
モデルガールズ
オスカープロモーションに所属するモデルで構成されたガールズユニット。
- モデル体操が市民権を得ていた。
- 乃木坂46の存在の意義が薄れていた。
- 乃木坂46を始めとする坂道シリーズのファッションモデルへの台頭はなかった。
- 長身メンバーは人気が出ないというジンクスを打ち破っていた。
- 目標のとおり、紅白歌合戦出場や東京ドームでのコンサートが実現していた。
- KARAや少女時代の仕事を奪っていた。
- TWICEの影が薄くなっていた。
- E-Girlsも。
その他
石ダテコー太郎
- 石舘光太郎時代にブレイクしていたら
芸人としてブレイクしていたと仮定。
- 現在は脚本家・石ダテコー太郎として活動していますが、適切なジャンルがないのでここに記載しております。
- 脚本家への転向はなかった。
- 「アメトーク」のアニメ系企画に出演していた。
いとうまゆ
- 小林よしひさ、横山だいすけ、上原りさ並みにブレイクしていたら。
- 爆報!THE フライデーで取り上げられることはなかった。
- プリキュアのダンスの振り付けを担当していたかもしれない。
- 小林よしひさのパートナーはいとうまゆのイメージが強いままだった。
きよこ(旧芸名:タリキヨコ)
- VS嵐のみならず数多くのNHK以外の番組に出演していた。
- バリ舞踊タレントとしての注目度が上がっていた。
- 趣味どきっ!でバリ舞踊講座を開いていた。
瀬戸口清文
おかあさんといっしょの体操のお兄さんの在任期間は小林よしひさに抜かれるまでは最長でしたが、タレントとしても売れていたらどうなっていたか。
- 歌う体操のお兄さんとしての注目度が上がっていた。
- みんなの広場だわんぱーくにもゲスト出演していた。
- おかあさんといっしょの50周年コンサートにも出演していた。
- 亡くなった時には多くのファンやおかあさんといっしょの出演者からの悲しみの声が出てきた。
所ジョージ
自分の曲が売れないことを認めている所ジョージ。もし、歌手として売れていたら?
- 所ジョージの夢である「紅白出場」が実現することができた。
- 史実通り、タレント業、俳優・声優業、ビジネスをやって成功していた。
- 所ジョージがリスペクトしている吉田拓郎より売れてしまったら、所は複雑な気持ちになるかもしれない。
- フジテレビ「LOVE LOVE あいしてる」で所ジョージは吉田拓郎に「俺より売れてるじゃん。」と言われるかもしれない。
戸田ダリオ
- 日本版セサミストリートのみならず多くのNHK以外の番組にも出演していた。
- 俳優業にも挑戦していた。
- 歌手業ももう少し多かった。
- バラエティ番組にも多く出演していた。
- 杉田あきひろの逮捕の時には泣きながらコメントを述べていた。
馮智英
おかあさんのお姉さんの中では出演記録は最長でしたが、体操のインストラクターや歌手として卒業後も売れていたらどうなっていたか。
- おかあさんといっしょの50周年コンサートにも出演していた。
- みんなのうたで歌う機会が再び与えられた。
- 紅白出場も実現した。
- 佐藤弘道や速水けんたろうとの再共演が実現した。
- 「身体表現のおねえさんはブレイクしない」というジンクスはできなかった。
- 13年契約のおにいさんおねえさんはブレイクしないというジンクスを小林よしひさより先に破っていた。
松野ちか
- ワンワンパッコロキャラともワールドにゲスト出演していた。
- おかあさんといっしょの50周年コンサートにも出演していた。
- YOSHIKIの義妹としての注目度が高かった。
- ひろちかコンビ復活の話が出てきた。
六車奈々
- 東京進出に成功していたら
現在は関西ローカルを中心に活躍している六車奈々ですが、一時は女優として東京進出したものの、大ブレイクには至りませんでした。もし、東京進出に成功していたら?
- =「病院へ行こう!」が大ヒットしていたら、といえる。
- 藤原紀香の仕事を奪っていた。
- 同世代である松嶋菜々子、宮沢りえ、篠原涼子などのライバルとして張り合っていた。
- 吉田羊、吉瀬美智子の存在が薄れていた。
- 関西以外でも知名度を上げていた。
- ドラマでの仕事が更に増えていた。
- 活躍の場が競馬番組などに留まることもなかった。