阪神・淡路大震災
2009年3月27日 (金) 11:53時点における>Asakazeによる版
- 1995年に起きた、日本の歴史に残る大きな地震である。
- この年には、大阪市の人口が爆破的に増えた。
- 多分この年は横浜市の人口を抜いていたと思う。
- 京都府の人口は増えなかったのだろうか?
- ↑少し遠すぎる。
- そもそもこの頃はまだ横浜市は大阪市の人口を抜いていなかったぞ。
- 京都府の人口は増えなかったのだろうか?
- 多分この年は横浜市の人口を抜いていたと思う。
- すでに神戸市は震災前の人口を上回っている。
- 震災前はたしか、100万人を超えてなかったような気がする。
- 震災前から神戸市は100万都市です。
- 震災前はたしか、100万人を超えてなかったような気がする。
- 阪神大震災に関する本などは、今でも多く出版されている。
- 図書館に行くと、必ずと言っていいほど震災の本がある。
- この地震がきっかけで世の中が耐震に取り組むようになった。
- たくさんの家が崩壊したのにも関らずパナホームの家だけは潰れなかったらしい。
- うちはパナホーム。よかった…。
- この震災がきっかけで日本の景気が悪くなった。
- やくざが始めて人様のお役に立った。
- しかし起きたことが皆悪いことばかりという訳ではない。某ラノベもこの地震がきっかけで誕生した。
- 不謹慎だが、作中世界でも発生していた場合は涼宮ハルヒ・キョンらも幼稚園(or小学校)の友達を失った経験があることも考えられる。
- 淡路夢舞台も、この地震のおかげで今のような立派な公園になっている。
- 「日本の建築物は地震に強い」という神話をあっさりと砕いた。
- JR西日本がいち早く復旧し、阪急電鉄や阪神電気鉄道の乗客を移行させた。
- それまでは代行バスが各地で活躍していた。
- 渋滞は酷く、阪神間に5・6時間を要するのが普通だったという。
- 全通するまでの間、あの手この手で阪神間代替ルートを模索した。大阪・三田・谷上・新神戸とか、大阪・住吉…徒歩…(阪急)御影・王子公園…徒歩…灘・三ノ宮とか。
- 駅間徒歩連絡の時代、神戸市の神社の境内を大量の通勤通学客が通っていたといわれている。
- この震災が契機で、阪神線「青木」の正しい読み方を知った人も少なくない。震災後、大阪側から最も早く神戸市内に食い込んだのが阪神本線であり、その神戸側暫定終点が青木駅だったため。
- それまでは代行バスが各地で活躍していた。
- 当時は全線非電化だった加古川線や播但線までも代替ルートとして活躍した。
- 明石海峡大橋はこの地震で、橋の長さが1mも延びた。
- しかしまだ道路部分の建設が始まっていなかったお陰で、被害は殆ど無かった。
- 地元民は今でも在京メディアの当時の報道姿勢を恨んでいる。
- 「東京じゃなくて良かった」と発言したり、至る所から煙の立ち上る神戸市内の映像を見て「温泉街みたい」と発言したり…。
- 必死で人を助けようとしている被災者に「何か一言」等と無神経にマイクを向けるレポーターもいた。
- 地震から数週間後、焼け野原になった街をバックに記念写真を撮るアホが多数出現し、さらに被災者の気持ちを逆なでした。
- 震源地の淡路市北淡町には、今でも当時の断層が保存されている。
- 今ではこれが旧北淡町最大の観光資源に。地元の人は正直複雑な心境らしい。
- 神戸市民にとっては、三宮の阪急ビルが倒壊したのが最大の衝撃だったらしい。
- 今なお新しいビルが建たず、空虚な姿をさらし続けているのが、神戸と阪急の没落を示しているようで居た堪れなくなるとも聞いた。
- JR西日本は上にもあった通り、JR神戸線へ阪神・阪急と山陽電気鉄道の客を移行させたが、その傍らで山陽新幹線の客を航空機に奪われた。
- この年、阪神タイガースは相変わらずの低迷球団(ちょうど60周年なのに60勝出来なかった)だったが、イチローがいたオリックス・ブルーウェーブはリーグ制覇、一躍市民の希望の星となった。
- この年のオリックスは、神戸のみならず全国の注目を一時的に集めたと思う。今と比較すると……
- 阪神競馬場が使えなくなったので、中央競馬の阪神開催は京都競馬場で代替された。
- 宝塚記念でライスシャワーの悲劇が起きた。
- この年の暮れにはマヤノトップガンが大活躍し、震災からの復興を目指す人々を勇気づけた。
- 馬主が神戸の人。