もしおニャン子クラブが解散していなかったら
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- 会員番号が2007年現在で500番程度にまで達している。
- 後に現実世界で解散後に登場する「乙女塾」や「チェキッ娘」も、おニャン子の連番となっている。
- 2012年頃に1000番台を突破する。
- 現実世界の乙女塾では「歌手」「女優」「モデル」と3つのコースがあったが、このifおニャン子においては、2001年以降に「声優」コースが追加されている。
- さらに「お笑い」と「アナウンサー」も追加される。
- 1990年代以降のフジテレビの女性アナウンサーは全て「アナウンサー」コースからの採用となっていた。
- 高島彩、中野美奈子、加藤綾子らもおニャン子クラブ「アナウンサーコース」の出身であった。
- 1990年代以降のフジテレビの女性アナウンサーは全て「アナウンサー」コースからの採用となっていた。
- 「モデル」は「グラビア」に改名される。
- 「改名」というより「モデル」コースから「グラビア」コースが分離独立する。なお分離独立前の「モデル」コースはモデルとグラビアアイドルの両方の養成を目的としていた。
- 「グラビア」コースには、小池栄子や根本はるみなど史実のイエローキャブ所属のグラビアアイドルが在籍していた。
- 篠崎愛・天木じゅん・長澤茉莉奈も在籍していたかも。
- また別枠としてスポーツ特別枠『Sナンバー』が設けられる。(ちなみにS001は福原愛)
- S002は浅尾美和、S003は安藤美姫あたりか?
- Sナンバー会員によるサッカーチーム「おニャン子FC」がなでしこリーグ入りする。
- S007辺りに高野人母美かな?
- 野球の片岡安祐美も入っていたりして。
- それら全てからドロップアウトしたメンバーの受け皿として、密かに「バラエティ」が用意される。
- 「バラドル」自体は80年代後半にはあったはずだが。
- トーク番組専門のバラドルとして育成し直すコースってことでOK?
- 「バラドル」自体は80年代後半にはあったはずだが。
- 現実世界では1989年に「芸能(タレント)」と「モデル」の2コース制で乙女塾が誕生、程なく「芸能(タレント)」コースが「歌手」と「女優」の2コースに分裂し3コース制となるが、ifおニャン子では現実世界でおニャン子が解散した1987年にコース制が導入される。
- コース制導入時は「芸能(タレント)」と「モデル」の2コース制なのは史実の乙女塾と同じ。その後史実で乙女塾が誕生した1989年に「芸能(タレント)」コースが「歌手」と「女優」の2コースに分裂し3コース制となる。
- 更に、「ロックバンド」コースも設けられる。
- 「ジャズ」コースや「フュージョン」コースも作られ、アイドル性を兼ね備えたジャズミュージシャンやフュージョンミュージシャンがおニャン子から多数輩出される。
- T-SQUAREのメンバーチェンジの際もおニャン子クラブ「フュージョンコース」卒業生のフュージョンミュージシャンがスクェアの新メンバーとして加入するようになる。
- 上原ひろみ・矢野沙織はおニャン子クラブジャズコースから輩出され、小林香織はおニャン子クラブフュージョンコースから輩出された。
- ジャズピアニストの山中千尋も追加。
- 「イージーリスニング」コースも作られ、日本のアーティストが不在だったイージーリスニングのミュージシャンを多数輩出するようになる。
- 21世紀に入ってからはイージーリスニングの現役アーティストはリチャード・クレイダーマンを除けばおニャン子クラブ「イージーリスニングコース」のメンバーor卒業生によって占められる。
- 「ジャズ」コースや「フュージョン」コースも作られ、アイドル性を兼ね備えたジャズミュージシャンやフュージョンミュージシャンがおニャン子から多数輩出される。
- いや、おニャン子クラブは男子中高生をターゲットにしていたのでモデルコースはむしろ、グラビアコースになっていた。
- いずれは女子中高生にも目を向けるようになるのでモデルコースが開設される。
- さらに「お笑い」と「アナウンサー」も追加される。
- 外国人メンバーを専門に養成する部署が設けられ、山本スーザン久美子が講師を務めている。
- イギリスのマン島出身のベッキー・クルーエルも加入していた。
- 中国からローラ・チャンも参加。
- さらに外国人メンバー専門部署を母胎として、後述の「おニャン子クラブKOREA」「おニャン子クラブSHANGHAI」「おニャン子クラブLONDON」「おニャン子クラブNEWYORK」「おニャン子クラブLOSANGELES」「おニャン子クラブPARIS」が設立される。
- 「おニャン子クラブGERMANY」も追加。
- 城之内早苗が講師を務める「演歌特別コース」も設けられる。
- 水樹奈々も声優コース併修で在籍する(会員番号は200番台と思われる)。
- さくらまやも在籍する。
- 吉木りさも。
- 史実のAKB48メンバーである岩佐美咲もここ出身だった。
- 史実のモーニング娘。メンバーである中澤裕子も在籍する。
- 島田紳助が校長を務める「おニャン子クラブWEST」や田中義剛の「おニャン子クラブNORTH」が設けられる。
- 名古屋には「CENTRAL」が、沖縄には「SOUTH」が設けられる。
- あと福岡には「KYUSYU」が設けられる。
- 「おニャン子クラブKYUSYU」の校長は南こうせつ。
- 「おニャン子クラブCENTRAL」の校長はつボイノリオ、「おニャン子クラブSOUTH」の校長は喜納昌吉。
- 韓国には「おニャン子クラブKOREA」が作られ、校長は草なぎ剛が就任。
- KARAや少女時代などは此処から出ていた。
- T-ara・RAINBOWもおニャン子KOREA出身。
- ユンソナやチェ・ジウはおニャン子KOREA女優コース出身。
- 史実のSKE48、NMB48、HKT48のメンバーはそれぞれ「おニャン子クラブCENTRAL」「おニャン子クラブWEST」「おニャン子クラブKYUSHU」に在籍していた。
- あと福岡には「KYUSYU」が設けられる。
- 中国には「おニャン子クラブSHANGHAI」が作られ、山口淑子が校長に就任。
- 既出のローラ・チャンもここから輩出。
- 史実のSDN48のチェン・チューも輩出。
- イギリスには「おニャン子クラブLONDON」が作られ、ビル・シャープが校長に就任。
- 既出のベッキー・クルーエルもここから輩出。
- アメリカではニューヨークに「おニャン子クラブNEWYORK」が、ロサンゼルスに「おニャン子クラブLOSANGELES」が作られる。
- 「おニャン子クラブNEWYORK」の校長はスティーブ・ガッド、「おニャン子クラブLOSANGELES」の校長はスティーブン・スピルバーグ。
- フランスには「おニャン子クラブPARIS」が作られ、リチャード・クレイダーマンが校長に就任。
- ドイツには「おニャン子クラブGERMANY」が設立され、KRAFTWERK(クラフトワーク)のラルフ・ヒュッターが校長に、元メンバーのフローリアン・シュタイナーが副校長に就任。
- デビュー曲もKRAFTWERKが手掛ける。
- 名古屋には「CENTRAL」が、沖縄には「SOUTH」が設けられる。
- 「モデル」コースに蛯原友里や押切もえが在籍していた可能性もある。
- 佐々木希も。
- 山田優と西山茉希も忘れんといてください。
- 桐谷美玲も。
- 2017年現在では「モデル」コースが「モグラ女子」の登竜門になっていたかも。
- その場合、筧美和子・久松郁実・馬場ふみかあたりもここに在籍していた。
- プチセブンの休廃刊は史実よりも10年早かった可能性もある。それどころかSEVENTEENも廃刊に追い込まれていたかもしれない。
- むしろそこの専属モデルを務めていた。
- それ以前にも藤原紀香・平子理沙・伊東美咲・田丸麻紀などが在籍していた。
- モデルコースの存在で女子の関心も高まる。よって、女性アイドルグループ=男性に支持される印象が薄れる。
- 音楽プロデューサーが秋元&後藤コンビから変化していた可能性もある。
- 小室哲哉やつんく♂、小林武史らがプロデュースに名乗りを上げる。
- その結果、モー娘。が飲み込まれている。
- またはモー娘。そのものが結成されなかった可能性あり。
- 『きらりん☆レボリューション』がフジテレビ系列での放送となる。
- 新潟では時差ネットが同時ネットになる程度で、それほど変わらないような気が。
- つんく関連ではキャナァーリ倶楽部もヤバイような。
- 結果、東京でもきらレボの後番がこっちになる。
- 『きらりん☆レボリューション』がフジテレビ系列での放送となる。
- アニソン界からは、TWO-MIX、矢吹俊郎らがプロデュースを手がけ、一部作詞に卒業生の水樹奈々が参加する。
- ハロプロやAKB、アイドリング、ももいろクローバー、制服向上委員会などは結成されなかった。
- AKBは18で既出。ハロプロ、ももクロ、SKIはおニャン子に飲み込まれている(おニャン子から派生orメンバーがおニャン子のメンバーになっている)。
- アイドリングも既出ですね。
- 小室哲哉やつんく♂、小林武史らがプロデュースに名乗りを上げる。
- 安室ちゃんや朋ちゃんらも会員番号200番台付近に在籍していた経験がある。
- あと篠原涼子も。
- 浜崎あゆみも。
- 倖田來未や木下優樹菜が300番台ぐらいに在籍していた可能性もある。
- 安達祐実や広末涼子や飯塚雅弓は200番台くらいに、上戸彩や松下萌子や村上綾歌は300番台くらいに、中川翔子や平野綾は400番台くらいに在籍していたかも。
- 新垣結衣や戸田恵梨香が500番くらいに在籍していた可能性もある。
- 高橋愛や辻希美、加護亜依も400番ぐらいに在籍していただろう。
- 大島優子・小嶋陽菜・篠田麻里子も500番くらいに在籍。
- 前田敦子・高橋みなみといった1991年生まれ組は、600番台に在籍。
- 真野恵里菜は600番台に、和田彩花・前田憂佳・百田夏菜子らも800番ぐらいに在籍していた。
- 松本梨香や釘宮理恵、堀江由衣とかは一体何番ぐらいに在籍していたんだろう?
- 堀江由衣は100番台から200番代の間、釘宮理恵は200番台から300番台の間。松本梨香は60番台。
- ジャズピアニストの上原ひろみは200番台くらいに、ジャズやフュージョンのサックス奏者・小林香織は300番台くらいに、ジャズサックス奏者の矢野沙織は400番台くらいに在籍。
- ジャズピアニストの山中千尋も80番台から90番台、或いは100番台前半に在籍していた。
- 川上とも子や桑島法子は100番台~150番台の間、豊口めぐみは200番台から250番の間、斎藤千和は300番台から350台の間になっていた。
- 伊東美咲、菅野美穂は200番台あたりに在籍していた。
- 保田圭、安倍なつみは200番台くらいに在籍していたかもしれない。
- 白石麻衣や西野七瀬は800~850番台、平手友梨奈、今泉佑唯は900番台、小坂菜緒や加藤史帆は930~950番台くらいに在籍。
- 浜崎あゆみも。
- プロデューサーの交代のたびに楽曲のコンセプトやオーディション方法などが変わる。
- あと篠原涼子も。
- 卒業したOGたちが「おニャン子同窓会」を主宰。結婚・引退後もコンサートなどにも頻繁に顔を出している。
- やはり国生さゆり女史がリーダーを務めているでしょう。
- それでも名倉潤(ネプチューン)夫人は参加しない。
- 秋元&後藤両氏のご夫人方も参加せず。
- 木村拓哉夫人も参加せず。
- やはり国生さゆり女史がリーダーを務めているでしょう。
- お台場に常設会場の「おニャン子シアター」ができる。
- Windowsのフォントに「MS ルリール」が標準インストールされている。
- 写研のフォントがWindowsに標準インストールされることはまず考えられない。
- バレンタインの季節には、毎年新メンバーで『バレンタインキッス』のリメイクが行われる。
- THE IDOLM@STERはおニャン子クラブとの完全タイアップ作品として発売される。
- むしろ『AKB0048』や『AKB49〜恋愛禁止条例〜』がおニャン子クラブとのタイアップ作品になる(当然タイトルも『おニャン子』を含んだものに変わっている)。
- 90年代半ば頃から中学生の正規メンバーが認められるように。
- その結果、「学業優先」が形骸化。
- さらには小学生主体の「C組」が結成される。
- 大橋のぞみや芦田愛菜も「C組」に在籍していたかも。
- ねずみっ子クラブの存在の意義が薄れていた。
- 2chの芸能カテゴリに「おニャン子板」が設けられ、ファン、アンチ入り乱れて混沌とする。
- 痛い発言を繰り返すファン住人に対して「猫ヲタ」や「おニャン子厨」といった蔑称も登場。
- 一方でアンチ住人は「嫌猫厨」などと呼ばれるようになる。
- 膨大かつ多角化したメンバーの把握・育成を目的とした学校法人化を目指すようになる。
- 『ザ・ベストテン』が現実世界よりも1年以上早く打ち切られている(出演拒否が87年以降も続くため)。
- AKB48やアイドリング!!!は結成されず。
- JALのCMで相武紗季ちゃんが替え歌を歌う事も無かった。
- いや相武紗季自体がおニャン子クラブのメンバーだった可能性も考えられる。
- 恐らくボランティア活動や国際親善活動にも力を入れることになるだろう。
- 阪神大震災や新潟県中越沖地震などの際にも被災地慰問、チャリティー・ツアーの実施などで相応の活躍をしていただろう。
- 秋元、後藤、木村、名倉各夫人4名もこういうときは参加していたのでは?
- 木村夫人は、アイドル四天王の一人になるくらいだったから、ちょっと厳しいと思う。秋元、後藤、名倉夫人くらいだと参加できたかと思われる。
- この場合、J-FRIENDSはなかった。
- 秋元、後藤、木村、名倉各夫人4名もこういうときは参加していたのでは?
- スマトラ沖地震と津波、ハリケーン・カトリーナなどの際にもチャリティー・ツアーを開催していたと思われる。
- 阪神大震災や新潟県中越沖地震などの際にも被災地慰問、チャリティー・ツアーの実施などで相応の活躍をしていただろう。
- 「母子二代にわたるメンバー」ってのが必ず出てくる。
- 1990年代前半の「アイドル冬の時代」は到来しなかった。
- 1970年代に生まれた第二次ベビーブーム世代のアイドル歌手が多数生まれていた。
- 高橋由美子や椎名へきるなどもおニャン子クラブのメンバーだった可能性もある。
- 東京パフォーマンスドールや桜っ子クラブさくら組なども誕生していない。
- というより史実におけるTPDや桜っ子クラブのメンバーもおニャン子のメンバーだったか、あるいはTPDや桜っ子クラブがおニャン子から派生していた。
- むしろおニャン子のライバルとして切磋琢磨していたと思う。メンバー構成は変わってただろうけど。
- というより史実におけるTPDや桜っ子クラブのメンバーもおニャン子のメンバーだったか、あるいはTPDや桜っ子クラブがおニャン子から派生していた。
- 中澤裕子もおニャン子クラブのメンバーだったかもしれない。
- 1990年代のバンドブームや小室系ブーム、さらには一連のコギャルブームの到来もなかった。
- 茶髪やナマ足、ミニスカ制服、ルーズソックスは史実ほどのブームにはならなかった。おニャン子クラブ自体が女子高生たちのファッションリーダーになるため。
- おニャン子クラブは男子中高生をターゲットにしていたのでむしろほぼ現実と変わらず、棲み分けがされている。
- 茶髪やナマ足、ミニスカ制服、ルーズソックスは史実ほどのブームにはならなかった。おニャン子クラブ自体が女子高生たちのファッションリーダーになるため。
- 1970年代に生まれた第二次ベビーブーム世代のアイドル歌手が多数生まれていた。
- スフィア(戸松遥・豊崎愛生・高垣彩陽・寿美菜子)などの声優ユニットはおニャン子クラブ「声優コース」から誕生していた。
- 水樹奈々などアニソン&声優アーティストのコンサートにコーラス&バックダンサーとしておニャン子メンバーが数名派遣されていた。
- ちなみに、声優コース第1期生として、前述の椎名へきる・堀江由衣・田村ゆかりらが輩出されており、水樹奈々(「演歌コース」併修)・平野綾・茅原実里は第2期生である。
- 悠木碧・竹達彩奈・花澤香菜らは第3期生。
- おニャン子とファンの交流を図るためメンバーがウェイトレスを務めるメイド喫茶が開店する。
- 但し人気メンバーは芸能活動が忙しくてシフトに入れないので芸能活動の少ないメンバーがおもにメイド喫茶のシフトに入る。
- お台場・秋葉原・渋谷・池袋・中野・札幌・名古屋・大阪・福岡・那覇・ソウル・上海・ニューヨーク・ロサンゼルス・ロンドン・パリ・ベルリンに出店。
- おニャン子がメイドを務めるメイド喫茶はCafe Mai:lishやぴなふぉあのライヴァルとしてメイドスキーからも人気を集める。
- メイリのメイド・ありさ(史実では2011年5月8日にメイリを卒業)やさやか(史実では2009年1月18日にメイリを卒業)、ぴなメイドのまゆみ(史実ではタレント活動しながら2011年現在もぴなに在籍)もアイドルとしてのおニャン子クラブのライヴァルとなった。
- あるいは史実とは異なりありさや関本小夜香(元メイリッシュ・さやかのコスプレネーム)、田川まゆみ(ぴなふぉあ・まゆみのタレント名)がおニャン子のメンバーになり、おニャン子がメイドを務めるメイド喫茶のウェイトレスとなる。
- メイリのメイド・ありさ(史実では2011年5月8日にメイリを卒業)やさやか(史実では2009年1月18日にメイリを卒業)、ぴなメイドのまゆみ(史実ではタレント活動しながら2011年現在もぴなに在籍)もアイドルとしてのおニャン子クラブのライヴァルとなった。
- 1991年にS13シルビアがマイナーチェンジされた際おニャン子クラブがCMキャラクターに採用され、おニャン子の曲がCMソングに起用された。
- その結果、史実以上にS13が大ヒットする。
- 続いてS14でも引き続きおニャン子がCMに起用され(勿論CMソングもおニャン子自身が歌った)、史実とは異なりS13と同じ位売れる。
- 3ナンバー化したので走り屋からはそっぽを向かれたが、デートカーとしての人気を維持した。
- シルビアが売れた続けたことにより若者のクーペ離れ、さらには若者のクルマ離れが今ほど深刻にはならなかった。
- 当然S15で生産中止になることもなく、2011年現在もシルビアは日産自動車のドル箱である。
- その間もおニャン子が一貫してシルビアのCMに出演、CMソングも一貫しておニャン子が担当。
- その代わりS13の2代前で当時そこそこ売れたS110が史実以上に影が薄くなっていた。
- 胎内市で夏の終わりに開催されている天文イヴェント「胎内星まつり」にもおニャン子が参加、同イヴェントで開催される星空コンサートにも出演する。
- 胎内星まつりへの出演がきっかけで天文学ファンと兼任するおニャン子ファンが続出。
- 胎内星まつりの企画を担当しているJPL日本プラネタリウムラボラトリーの代表・沼澤茂美がおニャン子関連イヴェントで司会を務めるようになる。
- 多忙を極める秋元氏は、アメリカ長期滞在などできず『川の流れのように』を作ることはなかった。
- 既に1995年頃には、おニャン子結成当初の雰囲気は「じゃあね」といった感じになっていた。
- 史実の後のモーニング娘。やAKB48を見るに、95年に結成10周年で盛り上がる頃にはファン層が入れ替わり、人気のピークも過ぎていそう。
- 後のハロプロや48グループ以上の次元で、文字通りジャニーズの女性バージョン化していたかも。
- ジャニーズ事務所と比較されているとしたら、母子二代に渡るメンバーが出てきたら男闘呼組とHey!Say!JUMPの岡本親子を引き合いに出されていたりして。
- 運営もジャニーズ事務所並みの影響力を持っていた。
- 人気は低迷する
- なんで?
- 世代交代で初期メンバーが減っていくにつれて旬が過ぎたとみなされ人気が下り坂になってもおかしくない。
- なんで?
- 学研の雑誌「MOMOCO」は史実より4年ほど早く1990年には廃刊になっていた。
- 矢部美穂(史実では1992年にモモコクラブに初登場)はおニャン子クラブのメンバーになっていた。
- ベテラン芸能人に対する酷使も減っていた。
- =「夕やけニャンニャン」の視聴率が低下していなかったら、といえる。