ページ「香川/西讃」と「もし沖縄戦がなかったら」の間の差分

< 香川(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(改変を取り消し(Chakuwiki:基本方針とガイドライン参照)(あとぶら下げのやり方も間違っている))
タグ: 改変
 
1行目: 1行目:
{{地域|name=西讃|reg=四国|pref=香川|ruby=せいさん|eng=Seisan}}


==西讃地方の噂==
#人口は200万を超えていた。
{{西讃}}
#*厳密には高度成長期一時激減、航空会社のキャンペーンが始まると人口増加に。
#盟主をめぐって丸亀と坂出が係争中だ。
#**ただし、観光地は首里城などの世界遺産と海水浴ぐらい。戦跡も基地も存在しない。
#*交通の便ではマリンライナーが停まりインターチェンジもある坂出が上。しかし人口、人口密度、知名度、イメージ、住みよさ、治安、といった他のありとあらゆる点では丸亀が上...だと思う。 --by高松市出身者
#***どうしても4000m滑走路の基地をおくならたぶん[[熊本市|ここ]]とか[[大村市|ここ]]かも。
#**個人的には知名度に関しては坂出の方が上だと思う。
#***美ら海は?
#***ただ丸亀は「丸亀製麺」のお陰で知名度が上がったような…。ただ丸亀製麺を運営する会社の本社は[[神戸市]]にある。
#**中学高校の修学旅行は今も少ない。
#**城郭ファンにとっては、丸亀が圧勝である。石垣の残った城跡を持っているだけでも評価は高いのに現存天守まであるんだしそらそうなるやろ。
#***その分[[北海道]]や海外に行く学校が増えていた。
#*四国を人間の頭に例えると首根っこにあたる瀬戸大橋を握っていて、しかも工場乱立で香川のGDPを稼いでるのが坂出。そりゃ丸亀なんかには負けられないと思うだろう。
#****広島に行く学校も増えていた。
#**川崎重工も昔ほど活力ないし、今治造船は丸亀に5万トンクラスのドックを作った。吉田工業は宇多津だし、コスモ石油は精製をやめてただの油槽所に。火力発電所と三菱ケミカルとライオンは丸亀に対してリードを保つ原力か。
#*****長崎でも可能。
#***吉田工業は決して[[YKK]]ではない。
#**基地の代わりに本土から大企業の工場が進出し、第二次産業比率が現実より上がっていた。
#紛らわしい市名が2つ(観音寺と善通寺)、そしてこれまた紛らわしい町名も2つ(多度津と宇多津)…。
#***沖縄の失業率が現実より低かった。
#全国的な[[讃岐うどん|うどん]]屋が多い。
#****[[ダイハツ工業]][[スズキ]]の小型車工場が進出。東南アジア向け輸出でフル稼働中。
#*有名なうどん店の多くはマイカーもしくはレンタカーでないとまず到達できない場所にある。
#*水も電力も逼迫していたため、今よりももっと多くダムが建設され、原発ですらできていた可能性が高い。
#西讃という場合、観音寺市と三豊市を指す場合と、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、三豊市、綾歌郡、仲多度郡を指す場合があり、紛らわしい。
#**原発は現に沖電が検討している。
#高松市のうち、国分寺もこっちと考えて良いかも。
#**海水を淡水化するプラントも沖縄のあちこちに設置されていた。
#*国分寺は旧綾歌郡だったが、その真北まで旧香川郡(下笠居地区)が迫っているから複雑だ。
#*沖縄県内で政令指定都市が実現している
 
#*とはいうが、実際には現在は100万人くらいになってた気がする。ついでに言うと人口トレンドも本土と同じようになっていた。
==主な市の噂==
#那覇の市街地は現在も東町と西本町。
*[[丸亀市]]
#*国際通りは単なる住宅街。
*[[観音寺市]]
#**そもそも「国際通り」ではなく、「新県道通り」か「牧志大通り」という名前になっている。
 
#*牧志公設市場や平和通り、むつみ通りの水上店舗は存在せず、代わりに東町にかつて存在した大市(うふいち)が公設市場や平和通りの役割を担っていた
==坂出市の噂==
#**沖縄戦が無くても、天久の新都心は開発され、那覇のメインストリートが変わった可能性がある。
*[[香川の駅#坂出駅の噂|坂出駅の噂]]
#*沖縄県立博物館は今も首里城北殿にある
*[[名園#香風園|香風園]]
#壺屋から読谷に移動する人がおらず、読谷村のやちむんの里は存在しなかった。
#鉄道の四国の玄関。以前は車もそうだったけど・・・[[鳴門市|鳴門]]におされ気味。
#*史実より、壺屋がもっと琉球文化を留めていた建物だったかもしれない。
#*玄関口としてはおされ気味だが、都市としては鳴門より断然大きい。
#少なくとも、100以上続く老舗が存在していた。
#*[[今治市|今治]]のことは眼中に無い。
#*中には400年以上続く店もあったかも……
#塩田が1970年代まで見られた。今では工業都市。
#*酒造工場も戦争の被害がないので、数百年のものの古酒(クースー)が飲めた。
#*塩の博物館があったはず。
#首里城が焼け落ちていないので、琉球史に関する資料が豊富に残っていた。
#*番の州あたりはその名残らしい。
#**そのため、学校の授業では日本史とは別に琉球史が存在していたかもしれない。
#**番の州は文字通り元々は「州」であって、塩田ではなかった。坂出は今の林田付近や大屋冨付近に、比較的小規模な塩田があったくらい。宇多津の駅やイオンがあるあたりは一面塩田だった。現在の県道33号線から北、大束川の西に囲まれたとこは広大な塩田跡地。
#*近世琉球の画家自了(じりょう)(城間清豊)が描いた絵が数多く残っていた。
#**西大浜、東大浜の辺りはほぼ全て塩田でしたよ。
#**自了だけではなく、多くの琉球の画家の絵が残っていた。
#工業がさびれ、都市は衰退。
#**円覚寺や崇元寺が現在でも現存しており、玉陵よりも先に国宝認定されているので、多くの観光客が訪れていた。
#*とは言っても財政は番の州の工業でかなり潤っているので合併の必要はなかった。隣の宇多津も同じ。共に香川の一匹狼である。
#***下手すると円覚寺と崇元寺は2000年代に世界遺産に認定されているかもしれない。
#**ただし丸亀との差が徐々に広がっていることには目をつぶっている。過去の栄華にすがり、香川2位の自負は捨てない。
#***円覚寺が現存しているという事は国王の御後絵も色が入った状態で見ることができる。
#**三豊に人口を抜かれようとも、三豊など知ったことではない。というか坂出のほうが断然都会である。
#***下手すると、王妃や王子の肖像画も残っていたかも。(尚貞王の長男尚純の肖像画や王族でもない蔡温の肖像画があるので、王妃や王子の肖像画が残っている可能性がある。)
#坂出駅の南側に訳のわからないモニュメント出現!
#**石畳が首里金城町だけではなく、首里全域、下手すると那覇辺りまで広がっていた。
#*名前は "unity" です。
#那覇市役所は郵政会社の南。だが、手狭になりやっぱり甲辰小学校と沖縄県庁の間に移転。
#例の事件(香川3人不明事件)の現場
#**10・10空襲がなければ県庁が原形とどめているため、別の意味で保存運動が巻き起こった。
#*とにかく、ろくなことでニュースには出てこない。
#***だが発掘中に湧田釜が見つかり、結果与儀駅か安里駅近くへ移転。
#**どういうこと?
#*山形屋は現在のポートホテルの向かい。
#***鉄塔倒壊事件とか、花火工場爆発事件とか。
#**たぶんリウボウは存在しない。ライバルは三越とJR高島屋。
#なぜか「高松カントリークラブ」がある。
#***県内資本は円山号を母体とするデパート。郵政会社向かいにある。
#瀬戸大橋を殆ど独り占め。
#****マルヤマに改名、県資本のデパートとして山形屋撤退後もしぶとく生き残る。
#香川に長期滞在中に行った坂出市郷土資料館の学芸員のおっちゃんは話し好きだった。「来週も来てや」と言われたが、残念ながら何度も行くほどの施設ではない。
#****ADOには非加盟、かつての史実のリウボウみたいに西武系か、別の本土系デパートの流通システムに組み込まれていた。
#綾歌町を入れたら、形が[[福井]]県に似そうだ。
#**だがやっぱり廃業、もしくは鹿児島山形屋の支店だったが本店が閉店決定。
#*綾歌町、そしてレオマを丸亀に持っていかれたことに納得がいっていない。
#**でもって跡地はJALシティホテルへ。
#**国分寺も高松に取られた。
#首里城より高い建物が簡単に建ってしまう。
#「瀬居島」と言うが、埋め立てによってもはや島ではない。
#*それでもやっぱり沖縄で一番高い建物はマンション。
#*小瀬居島は島だけど。
#那覇市は政令指定都市になる。
#*沙弥島も島じゃなくなったな。
#*昭和合併で実際の那覇・首里・小禄・真和志に加えて南風原・浦添・西原を合併、平成になって豊見城・宜野湾・与那原を合併。1993年5月20日に政令指定都市へ移行。
#**沙弥島まで埋め立てたのはいいが、埋め立てたエリアはだだっ広い空き地になりさがり開発計画も立っていない。造るだけ造って放置した感じがよく伝わってくる。
#*或いは平成の大合併で那覇のベッドタウンである浦添市と合併、政令指定都市へ以降というパターンも
#***イオンの物流センターが出来て、多少マシになったけど、まだ空き地が目立つ。記念公園だって本来の工業地区という目的からはかけ離れた施設。火力発電所の東側だって、投げ売りでようやくライオンに買ってもらえた。香川県行政のダメダメぶりが如実に見て取れる。
#鉄道は名護市まで延伸。
#この街の東にあって、東讃と西讃を分かつ五色台は、実は火山だったらしい。
#*戦後に1067mm軌間に改軌され、電化も行われる。
#駅の北側に庭園と公園を足して2で割ったようなものがある。結構造りが新しい感じがしたので、歴史あるものという感じはしないが、アレは何なのだろう。
#**電化が行われたのは国鉄民営化の直前になってから。1960年代~1980年代前半はキハ35系の天下となっていた。那覇-名護の急行列車には房総電化で捻出されて転属してきた冷房付きのキハ28形が使用されていた。
#*[[名園#香風園|香風園]]という、昔の商家の庭を整備し直して開放した庭園だったらしい。
#***遅くても1970年代には電化されていたんじゃ?
#ホテルが駅近辺にあまりなく、坂出北インター付近に固まっている。そのため公共交通での旅行では宿泊地に選びにくい。
#****戦前の沖縄に対する扱いをみれば、沖縄が戦後もずっと日本領のままの場合はむしろ四国以下の扱いになっていたのは充分想像できる。よって電化されるのは四国同様、国鉄民営化の直前になるのでは。
#市議選にて、得票順位は定員内なのに落選という珍事が発生したことがある。
#*電化後、直流電化された場合は普通列車に103系、205系、113系、211系が投入される。
#*実は得票数が「有効票総数/定員数の4倍」を下回ると、順位的にOKでも当選扱いにならないため。
#**むしろ電化は1986年で四国同様121系が新車で投入されたのでは。
 
#*交流電化された場合は普通列車に415系、713系が投入される。415系は3ドア+転換クロスシートのため、混雑が激しくなる。そこで2000年代にに4ドア通勤形電車「803系(303系の交流版)」が投入される。駆逐された415系は九州島に飛ばされる。(主に福北ゆたか線)
===与島===
#**交流電化の場合でも電化は1986年で、ステンレス製の713系1000番台が新車で投入される。415系の沖縄への投入はJR化後に九州からの転属という形で行われる。
#京阪フィッシャーマンズワーフが「京阪」を名乗っているのは[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]]がオープンさせたことによるものであって、決して詐称なんかではない。
#*1960年代前半に「越来線(大山~普天間~越来~具志川~石川~金武~辺野古~名護)(支線:石川~仲泊)」が開業する。
#*あまりの閑古鳥に京阪は撤退しました。
#*戦後に経営は沖縄県から国鉄に移管され、今ではJR沖縄となっている。
#*開業当初は栄えたこともあって周囲に土産店もあったが、衰退と共に土産店も閉店し、廃墟と化している。
#**さすがにJR九州管理でしょう。
#*バブルの頃だったか関西でもテレビCMが行われていた。
#***JR九州沖縄支社が誕生した。
#**ハスキーな歌声が印象的だった。
#*与那原線、糸満線と、名護線(延伸時に嘉手納線から改称)の嘉手納以南の区間は、都市近郊鉄道となっている。
#*京阪はこれで高松から撤退したはずなのに、何故か今でも[[香川の企業#百十四銀行|百十四銀]]と取引があるらしい。ソースは四季報。
#**名護本線と与那原線と糸満線は幹線に、越来線は地方交通線になる。
#[[瀬戸大橋]]の途中にあり、ここからもと来たところに折り返すこともできる。
#*名護線の嘉手納以北は観光鉄道の色が強い。
#小与島も存在する。
#**その後美ら海水族館へ延伸し、水族館へのアクセス鉄道として活躍。
#*昔は炭鉱で栄えたが、今は人口は数人しかいない。
#*本土からあまりにも離れているため、2010年代になっても国鉄車ばっかりだった。そのためにJR九州沖縄支社は「國鐵沖繩」と呼ばれる。
#*ホテルの廃墟がある。瀬戸大橋からも良く見える。
#*史実のバス同様、時間通りに電車が来ていなかったかも。
#鍋島灯台は灯台マニアには有名。
#*史実より多くの[[ニコニコ動画ファン/作品別/さ・た行#大変な途中下車シリーズファン|大変な途中下車シリーズMAD作者]]が沖縄に来て素材を集めてMADを作っていた。 
#意外と知られていないが、この島にも路線バスが通っている。
#**そしてJR沖縄が誕生する。
#*フィッシャーマンズワーフのすぐ近くにバスターミナルがあり、乗り継ぎ拠点となっている。
#*沖縄出身の鉄オタ、撮り鉄が出る。
#**しかし、その路線バスしかバスが来ないために中は寂しい状況で今を物語っている。
#**沖縄出身の途中下車MAD作者も出てくる。
#**瀬戸大橋開通当初は瀬戸大橋高速バスという岡山県と香川県を結ぶ高速バスもあり、この与島も停車していた。ただ広いバスターミナルはその名残。
#[[もし南西放送が開局していたら]]などはとっくに実現。
#**そんなバスターミナルもついに解体。今は外のバス停だけとなり、フィッシャーマンズワーフもなくなったが、バス停名は'''「瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ前」のまま'''である。
#*新聞は沖縄新報1紙だけ。
#***今は与島第二駐車場に改名。なぜか下電バスから半年遅れで琴参バスも改称。
#*下手するとそのまま「琉球新報」という名前だったかも。
#駅の近くに人工土地とかいうものがある。
#**決して「ウルマ新報」が前身の「琉球新報」ではなく、太田朝敷、高嶺朝教、尚順らが創設した「琉球新報」がそのまま残っていただろう。
#かつての与島村は埋め立てで坂出本土とつながった部分がある。
#**でもってテレビはほかに沖縄放送(JNN)、沖縄(または琉球)テレビ(クロスネット→FNN:もちろん西日本新聞の資本入り)、琉球朝日テレビ(ANN)
#*瀬居島と沙弥島ですかね。昔は三味線の形をした大きい島だったらしい。
#***第1局となる沖縄放送のラジオ開局は現実の琉球放送とほぼ同じ、テレビは現実の沖縄テレビとほぼ同じ。
#**沙弥島は柿本人麿碑がある。
#**沖縄新報が暴走すれば喧嘩別れで琉球タイムスが創刊。
 
#***どっちかは保守系の新聞。
==善通寺市の噂==
#****朝日と読売は、沖縄版が発行される。
[[画像:善通寺五重塔.JPEG|thumb|認知度は今ひとつ]]
#*****日経、毎日も刊行される。
駅の噂は[[香川の駅#善通寺駅の噂|善通寺駅]]まで。
#*NHKはテレビ開局まで那覇市首里寒川町、送信所は首里崎山町(のちテレビ送信所)。開局直前に久茂地(県庁と市役所の位置関係から現実の琉球放送周辺)へ移転。テレビ開局は1959年4月。
*寺としての善通寺は[[四国の寺院#善通寺|善通寺]]で。
#**マイクロ開通が「御成婚パレードを沖縄まで中継せよ!」と「プロジェクトX」のねたになる。
#善通寺は弘法大師(空海)生誕の寺院。
#**沖縄県の受信料納付率も現実より高かった。
#*ちなみに寺/市の名前となっている「善通」は空海の実父、「佐伯善通(よしみち)」の名前。
#*もしかしたら[[テレビ東京系列局新設#沖縄県民テレビ|TXN局]]も出来ていたかも…
#*高野山や東寺(京都)等の他の空海ゆかりの寺ほど一般に知られていないのが少し残念。
#**県民テレビのおかげで[[もしあの県のテレビ局がアニメ放送に意欲的だったら#沖縄|アニメ事情が改善される]]
#*真言にも派閥があり、善通寺派のお寺も多い。善通寺派は納骨を善通寺に行うらしい。
#***さすがにそこまでは厳しいんじゃないかと。
#*一日一回お大師様にごあいさつ。
#沖縄師範学校が国立沖縄大学になる。
#*弘法大師生誕の地は、「屏風浦」という地らしい。「内陸で生まれたはずなのになんでそんな海沿いの地名なんや?」と思うのは至極妥当。
#*場所が首里当蔵町なので日本一敷地面積が狭い国立大学になっていた可能性がある。
#**生誕の地は[[#多度津町|多度津]]の[[四国の寺院#海岸寺|海岸寺]]という説もあり、海岸寺が細々とその説を主張している。あちらは海沿いの街だし、地名が屏風浦で、なんと言っても空海の母親の実家があったところだから、そちらのほうが信憑性が高いと思うが、知名度や寺格等の問題で、そんな話はなかったことにされている。
#*でもその場合、史実の沖縄県立芸大のように首里、那覇、浦添辺りにキャンパスがあるので、大丈夫だ。
#TV等での「香川のお雑煮の餅にはあんこが入っている」という放送に違和感がある。
#**戦前に沖縄女子師範学校が存在していたが、そちらは国立沖縄女子大学になっていたか、前述する国立沖縄大学と併合していた可能性がある。
#*あん入り餅は高松・東讃の文化?
#*しかし、そっちは県立第一高等女学校と隣接していたので、ひめゆり女子教育大学か姫百合大学になっていたかも。
#*普通に入れている家庭が多い
#**沖縄芸術大学は存在せず、国立沖縄大学の1学部だった。
#善通寺市内で一番高い建物は、善通寺の五重塔。
#*あとから私立大学が琉球大学を名乗っていたかもしれない。
#*ちなみに1200年前の建物です。
#*沖縄国際大学は存在しない。
#**いや、120年くらい前の建物だったと思う。寺自体はそれくらいの歴史もあるけど。
#**それでも名桜大学はできた。
#*善通寺市営のプールのウォータースライダーかもしれない。
#**史実で沖縄国際大学にある学部が名桜大学にあったかも。
#四国の京都を自称している
#***いや、宮古島や八重山にも私立大学が誕生していたかも。
#うどんブーム仕掛け人が教授をしている大学がある。ちなみに一時期ダイエットで全国的に有名になった教授もいる。
#****それはちょっと無理では…
#*この大学は、社会的マイノリティーを入試で優遇すると打ち出していることで有名らしい。でも悪いが、優遇してもらっても入る気にはならないレベルと地元民が言っていた。そりゃあの偏差値と実績じゃあねえ……(これ以上は自重)
#*那覇大学も誕生しているに違いない。
#*しかも有名な仏教寺院の門前町にありながら、キリスト教を推すというKYっぷり……
#*開南中学校が開南学園として幼稚園から大学まで要していた。
#**その大学はプロテスタント系私立で、プロテスタント信徒でないと教職員に採用されないという規定があるんだよ。
#**そして開南高校(↑上記の戦後改組)は1999年よりはるか前に夏の高校野球で優勝していた。
#もともと陸軍の町。現在も陸上自衛隊の基地があり、最近拡充されて第14旅団となった。ちなみに明治時代に作られた帝国陸軍第11師団は初代の師団長は当時中将の乃木将軍。
#**だが、時代の流れで1980年代に男子校から男女共学になる。
#*5の大学も元陸軍敷地。そのため首の無い馬の幽霊が出るだの、兵隊の幽霊が行進するだの軍がらみの怪談がいくつか。
#**我喜屋優監督は興南高校ではなく、開南高校の監督だったかも。
#プールは秀逸。プールに行って天満屋ハピーによって帰るのが丸亀坂出民のデフォ。
#**何だかんだ言って沖縄工業高等専門学校と沖縄科学技術大学院大学は存在していた。
#*香川はここくらいしか魅力的なプールがないので、もっと西のほうの人も高松含む東讃の人も遊びに来る。
#海洋博は開催されなかった。
#*地下水を利用しているので渇水のときも営業できる。
#*2008年のサラゴザ博覧会が海洋博になる。
#夜になるといろんな所がライトアップされる。
#*本部は今でも村。
#高校野球で一時期全国的にも強かった尽誠学園はここにある。
#**本部は1940年に町になってるからそれは無い。
#*過去形かよ!
#*沖縄自動車道は国体までに整備される。
#*伊良部、谷、佐伯等を輩出している超名門。ただし、大阪からの留学生多し。
#*美ら海水族館は別の場所に出来ていた。
#駅の北側から寺の門前にかけて商店街が伸びている。でも95%がシャッター、残りの5%のうち95%が駐車場などに転換。実質営業しているのは銀行の支店くらいなもん。
#1973年に奥武山で沖縄国体が開催される。
#*唯一やってた途中の惣菜屋で50円のコロッケを所望したが、お世辞にも旨いとはいえなかった。
#*沖縄市は旧コザ市と美里村の両方に競技会場がある。(現実でもそうだけど)、ただし、メイン会場が那覇なので旧美里村泡瀬に大規模な県総合運動公園は存在しない。
#警察は丸亀に呑まれた。
#**少なくともコザなんて地名にはならないと思う。
#*警察署があったとこは、運転免許センターの出張所になったが、超絶使い勝手の悪いお役所仕事丸出しで、結局高松へ行くハメに。(私はゴールドなので行く権利はあったが高松へ行った)
#**もちろん、1970年のコザ暴動も無い。
 
#***越来市になっていた。
==三豊市の噂==
#*プロ野球公式戦は奥武山か浦添で毎年1回はある。
#鳥坂まんじゅうが美味。甘い物がダメな人でも美味しく食べられる。(私もその1人)
#**奥武山建て替えも早まった。か?
#*鳥坂まんじゅうの少し丸亀側の甘酒まんじゅうも美味。やわらかく冷めても美味しいのが売り。まんじゅう屋はこちらのほうが先らしい。
#皇室への価値観も様変わりしていた。
#**高齢のおばあちゃんが一人でやっていたが現在は息子さん?が切り盛りしている。
#*皇室番組は3本とも放送。
#***といっても鳥坂まんじゅうほど宣伝が上手ではないのか細々といった風情。
#*火炎瓶事件などおきない。逆に沖縄が攻撃される前に戦争を止めたとして昭和天皇が評価される。
#恐ろしいほどの田舎だが一応香川第3の都市。
#[[沖縄/中頭#石川|石川]]は市になれなかった。
#*面積が広いだけであり街自体は丸亀・坂出・観音寺の方が遥に都会。
#*越来村(実在したコザ市)は嘉手納町に吸収される。
#JRの予讃線だけでなく、わずかに土讃線も通っている。
#*昭和合併で次の市が誕生する。
#*讃岐財田駅は市内にある土讃線の駅。しかし、旧財田町の市街地から離れているし特急が止まらないため、住民には忘れられかけている。
#**嘉手納市((嘉手納+北谷:両町は分村していない)+旧越来村)
#郡名を継承したが、実はもともと合成地名(三野+豊田)。本当によかったのか。
#***北谷から嘉手納が分割されたので、北谷市では?
#*実はほとんど旧三野郡域しか含んでいない。
#**具志川市(旧具志川+旧美里村+旧石川)
#市役所本庁機能が豊中から高瀬に移る。
#中城村と北中城村も分離しない。
#*正式に高瀬に移った。
#*→イオンモール沖縄ライカム及びライカムという地名は存在せず、今も中城村字比嘉のままだった。
#海外の方が姉妹都市が多い。
#*金武村と宜野座村も。
#嫁入り道具として結婚式披露宴では「おいり」が用いられる。
#逆に喜屋武村・真壁村・摩文仁村が合併しないため、糸満市になる前に存在した三和村はない。
#*おいりはどうやら坂出を境としているらしい。府中まではあるが、国分寺から激減する。
#*平和記念公園も国際通り同様、住宅地になっている。
#*2枚しか入っていない小判型を巡って兄弟喧嘩が始まる。
#*真壁は町制を施行している。
#村八分など地域の風習が根強く残っている地域もあり、香川県内でも過去からの「仕来り」を多く残す地域である。
#*みなと村も存在しない。
#そのときに世間を騒がせている人物の似顔絵を使った看板が有名な、パンサーオートという中古車屋が豊中にある。
#**国場組は実際ほど大きくならなかったか、もっと大きいゼネコンが沖縄に存在していた。
#*看板は三豊市内に限らずところどころにある。至る所にある...というほどではない。
#現実とは逆に、沖縄は保守王国、つまり自民党最大の牙城となっていた。
#**善通寺市にもある。
#*→いや、それは無い。多少、自民党は強くなっても保守王国にはならない。
#*95年頃、[[オウム真理教|麻○彰晃]]の似顔絵を使った看板で強烈な印象を与えた。
#*基地反対運動も存在しないので、[[プロ市民|こいつら]]もいない。
#**当時小3かそのくらいだったが、あれは忘れられない。
#*基地反対運動のプロ市民は殆どがデマだが……
#*近年は総理大臣の似顔絵を使うことが多い。
#*故太田昌秀元知事が戦争体験をしていないので、県知事になる事もなかった。
#朝日に近い某新聞みたいな結構すごい名前の学校がある。
#**そのまま大学教授を続けていたかも
#[[香川の駅#津島ノ宮駅の噂|年に1.5日程度しか営業しない臨時駅]]が存在するのはこの市。鉄ヲタと神社へ行く家族連れで賑わう。
#**平和記念公園を作る事はなかった。
#*カーブ上でカントがきつく、ホームと電車がやたらと空くために営業日は周辺駅から乗客補助要員の駅員が集結するらしい。
#*故翁長雄志元知事は自民党を抜け出す事はなかった。
#*2013年は、予讃線開業100周年記念でなんと'''12月にも0.5日だけ営業'''という快挙?を達成した。
#*仲井眞弘多知事は史実通り知事をしている。
#*2015年5月にも駅開業100周年のイベント絡みで0.5日営業し、なんと'''営業日だけ設置の100周年記念駅名標まで作成'''(合わせて従来のものも貼り替え)し、JR側は決まった日以外の営業をするのもおいしいと思った模様。てか、100年も1.5日営業をやってたのか・・・。
#*史実の奄美群島区(中選挙区時代の1人区)のように保守系同士での政争が激しくなっていた。
#市北西部の半島、「三崎」なのか「荘内」なのか、地図によって異なる。結局のところどっちよ?
#*あるいは、保守派や戦闘的な左派から「お花畑」と揶揄されるような護憲・平和主義が主流だったかもしれない。
#*この半島は浦島伝説の地の一つとして一部では有名。
#**学生運動全盛期でも、沖縄の大学に過激派はほとんどいなかったかもしれない。
#**ところどころ、地名にも残っているそうな。
#*左派や、内地の保守派とは一線を画す保守派の団体はそれなりの勢力を保っている。
#*半島最高峰の山を紫雲出山という。由来は浦島さんの開けた箱から出てきた紫の煙が山の周りにたなびいたからだそうな。
#**内地の人々の沖縄に対する意識や、それに対する地元の人々の反感という問題は戦前からあったので。
#**ただ、紫雲出山の場合は、浦島伝説云々よりも[[弥生時代]]の高地性集落の遺跡の一つがあることで有名か?特に学生さんの多いChakuwikiの場合は。
#**逆に沖縄の右派は独立を主張していたかもしれない。
#***翌々考えてみたら、高地性集落ってのは、高い所が好きな人種の集落ってことだよな…… 「バカと煙は」っていうくらいだから[[借民]]の聖地って言っても良いかも……
#***本土寄りの右派とは一線を画し「琉球民族主義」を掲げるが、大きな勢力にはならなかったと思われる。
#**もっとも、県や市はそんなことよりも浦島伝説をアピールしたいようで、山頂公園の整備の際に御手洗を龍宮城にしてしまった。
#***[[もし琉球王国が存続していたら|琉球王国]]の復活を前提としている。
#**山頂からの景色は非常によろしい。落ち着いた、[[瀬戸内海|瀬戸の海]]と[[倉敷市|倉敷]]~[[福山市|福山]]辺りの陽の道や[[瀬戸大橋]]、[[笠岡市#笠岡諸島|笠岡沖の島々]]が見える。もしかすると、島から島へと渡ってゆく『[[Wikipedia:ja:瀬戸の花嫁|瀬戸の花嫁]]』も見られるかも。
#*間違っても沖縄のメディアが左派系だけになる事は無かっただろう。
#漫画「瀬戸の花嫁」の舞台。
#**→それに関しては史実より弱くとも沖縄に左派系のメディアはいる。
#*モデルは仁尾らしい。最も瀬戸内が出たのは最初の数話までで、後は嫁ぎ先の[[所沢市|所沢]]だが。
#**少なくとも、故瀬長亀次郎の知名度は低かったであろう。
#[http://sanpomen.jp/ このラーメン店]とは関係ない。
#**不屈館も無かった。
#*そもそも市内に店舗はない。
#**本島で保守系メディアが台頭しているため、八重山日報は沖縄本島版を刊行していない。
#要潤と馬渕英俚可が出身者。[[ファイル:三豊市PR看板.JPEG|thumb|180px|三豊市をPR]]
#***本島の保守系メディアはもちろん産経や八重山日報と提携。
#*なので、このお二人を三豊市ふるさと大使をやっていただいている。
#***八重山日報は知名度が低かった。
#*香川県が要潤を知事にしてうどん県とか言い出したもんやから、三豊市もうどん県みとよ市を名乗り、先のお二人を使った看板までこしらえた。
#*左翼系圧力団体や労組の反対がないので、沖縄でも「たかじんのそこまで言って委員会」が放映されていた。特に[[もし南西放送が開局していたら|南西放送]]が開局していたら確実に放映されていた。
#割とPR次第で名所になりそうなところが多い。しかしながら、PR不足で、一向に知名度が上がらない。
#沖縄戦を舞台にした音楽「さとうきび畑」や「島唄」などは存在しない。
#*父母が浜なんて、一部では日本のウユニ塩湖とか呼ばれており、インスタ映えする可能性が大きいのに、もったいない。
#*同バンドがヒットすることもなかった。
#*津島ノ宮は、県内ではそこそこ有名だが、あれ、多度津町のものと勘違いしている人、多くね?
#ブルーシールは存在していないかも。
#*讃岐本門寺とか四国霊場の寺院とか、結構あるんだけど、知名度は今ひとつ。
#プラザハウスは存在しない。
 
#ユニオンは存在するが、ジミーは存在しなかった。
===高瀬===
#*オリオンビールは1990年代になってから地ビールとして登場。
#明らかに市の中心はここ。
#タコスの具をご飯に乗せたタコライスは存在していない。
#*一部の特急も止まってたっけ。これ結構大事。
#*ポーク卵という家庭料理も存在しない。
#要潤の出身高校はここにある。
#琉球ガラスも存在しない。
#*うどん県のPRご苦労さまです。
#*琉球ガラスみたいなのはあるが、日本の影響を強く受けており、琉球霧子となっていた。
 
#*高度経済成長が始まる前は庶民はサツマイモやソテツを主食にしていた。そのため、昭和30年代まで沖縄ではソテツ中毒による死亡事故のニュースが報じられていた。
===山本===
#高校野球で沖縄勢の優勝が史実よりも早かった
#地味すぎる。
#*恐らく1980年代には優勝していたと思われる
#*地味というか「知らない」人が多い
#*むしろアメリカナイズがなく、戦前の甲子園に沖縄の高校が出場していないことを考えると、未だに優勝がないどころが、弱小県になっていた可能性の方が高い。
#日曜と祝日は公共交通で到達不能になる。
#琉球ゴールデンキングスは存在するが、野球同様、アメリカナイズが無いため、史実ほど盛り上がっていなかっただろう。
 
#*本拠地は恐らく史実(沖縄市)と違い、那覇市の奥武山あたりにある。
===豊中===
#那覇空港が存在したかどうかは微妙。
[[ファイル:本山寺仁王門.JPEG|thumb|240px|本山寺]]
#*おそらく主要な地域であったため、建設されていたでしょう
#地名の由来は「三豊(豊田)の真ん中」だが、前述の通り三豊市の中心は高瀬である
#*建設自体はほぼ確実に行われていたが、場所が違った可能性はある。
#大多数の人は「豊中」と聞くと大阪府[[豊中市]]の方を思い出す。
#飛び級市制(コザ・真和志・宜野湾・浦添・具志川・豊見城)や分立市制(石川)はなかったかも。でも豊見城はしていた?
#四国八十八ヶ所の第70番札所、本山寺がある。落ち着いた良いお寺である。
#*分立した町村もたくさんある。
#*鎌倉時代に建てられた本堂や室町時代の仁王門、明治時代の五重塔などがある。
#*それらの町村の行方(一部↑のほうと被る)
#**本堂は国宝。仁王門は国指定重要文化財。
#*#コザ市→嘉手納に編入。1980年ごろに市制。
#**こんな寺院がこれがのどかな田舎町に溶け込んで置かれているあたり、四国って仏教、特に真言宗が生活に溶け込んでいることが伺い知れる。
#*#真和志市→1954年に小禄村・首里市とともに那覇市に編入。
#*そんなお寺に向けて、「自分は創価学会だ」と猛アピールするようなことをしている家がある。ぶっちゃけ、家人に仏罰があたってもおかしくないレベル。
#*#宜野湾市・浦添市→1955年ごろに合併、宜添(よろぞえ)町。那覇のベットタウンとして栄え60年代に市制。
 
#*#*宜野湾の大部分は元々浦添だったから名前は浦添のままになる可能性がある。
===仁尾===
#*#石川市・具志川市→美里村と具志川村で里川村を形成。70年代町制、90年代に市制。
#三豊市仁尾町では、3月3日のひな祭りを祝う習慣がない。かつて旧暦の3月3日に細川土佐守の仁尾城が長曽我部軍に包囲され、落城した事による。
#*#*平成大合併で半島部2村も統合しうるま市に。
#ズバリ、サンシャインランド。
#*#名護市→屋部村を切り外さなかったため、羽地と久志の2村の編入で済んだ。
#*バブル崩壊後閉園した遊園地。
#**辺野古の海は今も綺麗だった。
#**今でも廃墟が残っているらしい。
#*#*本部町は名護市に編入されていた。
#*レオマワールドの力がデカかくて閉園。しかも、そのレオマも一旦は閉園。
#*#中城村は那覇のベットタウンとして栄え1970年ごろ市制。
#日曜と祝日は公共交通で到達不能になる。
#沖縄がアメリカに支配されることはなく、戦後はずっと日本支配だった可能性が高い。
#かつて太陽熱発電の実験が行われた。跡地は太陽光発電所になった。
#*もしそうだった場合、[[夜行列車/さ~な行#なは|寝台特急「なは」]]は誕生しなかった。
#観音寺へ向かう海沿いの道路のトンネルの入口付近に給水所がある。湧き水がうまい。
#*アメリカ文化の影響は本土より弱かったかもしれない。
#*七宝山の清水と言われる有名な水場で、西讃ではここまで車にポリタンクを積んで水を汲みに来る人も、そこそこ居たりする。
#*洋楽はそれほど盛んになっていない。
#父母が浜があるのは仁尾。
#**フィンガー5や紫(ロックバンド)は結成されなかったかも。
#*平成末期になって、日本のウユニ塩湖ということで、インスタグラムやツイッターでじわじわバズりはじめた。
#***いや、フィンガー5は結成されたかもしれないが、問題は紫、コンディショングリーンが結成されていたか?
 
#**1960~70年代辺りに、全国的な沖縄音楽ブームが起きていたかもしれない。
===財田===
#***青春歌謡やグループサウンズで、沖縄出身で沖縄音楽を取り入れた曲を歌い、全国区の人気を得る歌手がいたかも。
#「さい'''た'''」と読むが、駅名はなぜか「さぬきさい'''だ'''」。
#***沖縄フォークは史実より盛んになっていたかも。
#*駅があるとは知らなかった・・・。
#****その場合は政治色の無い歌が中心だっただろう。
#既に亡くなられた元町長は60歳近くにもなって、注文するうどんは「大大小」という大食漢だった。
#*[[マクドナルド]]や[[ケンタッキーフライドチキン]]などの米国系チェーン店が沖縄に進出するのは1980年代後半のバブル期になってからで、47都道府県の中では島根などと並んで最も遅い方であった。
#香川県最後の村。1970年に財田村が財田町になり香川県から村が消滅。
#*沖縄の食文化の欧米化はほとんどなかったため、平均寿命は男女とも日本一の座を21世紀に入っても維持し続けていた。
#四国明治の工場がある。その辺りは工場が立ち並び、ちょっとした工業団地。
#*軍道や政府道がないので沖縄県道は大半の府県同様、番号が1,2桁の路線が全て主要地方道、3桁の路線が一般県道になっていた。
 
#**番号がそのまま路線名になっている県道は存在せず。
===三野===
#「沖縄だけ別会社管轄」という事態は現実ほど多くなかった。
*駅の噂:[[香川の駅#津島ノ宮駅の噂|津島ノ宮駅]]
#*車のナンバーが「沖縄580」ではなく、「那覇」や「首里」と言った地域名が付いたナンバーだった。
#鳥坂(とっさか)まんじゅうがあるのはここ。
#**もちろん、730運動は起こらない。
#*善通寺市との境に非常に近いところにある。
#*電気は九州電力管轄。
#みの駅は以前三野町なのに「'''高瀬'''大坊駅」を名乗っていた。
#*auもバヤリースも本土と同じ。
#「三野」は[[ありがちな姓#香川|香川県に多くみられる苗字]]でもある。
#**それでもローソンやファミマなど小売業は(本土から遠いこともあって)別会社だと思う。
#[[四国の寺院#弥谷寺|弥谷寺]]がある。
#なぜかわからないが[[中華民国]]が居座る。
 
#*せいぜい中華民国亡命政府か、史実同様の[http://www.roc-taiwan.org/JP/NA/ 台北駐日経済文化代表処那覇分処]だと思うが。
===詫間===
#*1949年に中国本土が毛沢東政権になった後、中国本土から共産党支配を嫌って逃げてきた亡命者も多数流れ込んでいた。那覇市内のどこかには彼らによるチャイナタウンが作られていた。
#たっくま~
#南西航空はJAL直轄であり、コミューター路線は東亜国内航空→日本エアコミューターが担っていた。JACの資本に沖縄県も参加している。
#*「わびま」ではない。
#地理的に重要なポイントなのでどのみち基地問題は発生しているが、史実の闘争に比べれば圧倒的にマシな状態になっている。
#詫間カントリークラブが高瀬川に分断されている。
#*少なくとも普天間基地とキャンプ・ハンセンは存在しない。嘉手納はあったとしても史実の半分程度の面積になっている。
#「恐るべきさぬきうどん」シリーズの著者である田尾和俊氏の出身地。
#**代わりに九州([[佐世保市]]か[[大村市]]?)に海兵隊基地がある、か?
#浦島太郎伝説が有名らしい
#**あるいは[[岩国市]]の近くの島ひとつ丸ごと…?
#*その伝承の地には浦島太郎(爺)像もあるが、ペンキが剥げかけて本物感を醸し出している。
#**米軍基地が恐らく存在しないので、米軍関連の事件が無い。由美子ちゃん事件の由美子ちゃんや宮森小学校飛行機墜落事故で亡くなった子供達は今も生きていただろう。
#粟島海員学校は沢山の船乗りを輩出した。
#**それ関連で安室奈美恵やISSA、GACKT、玉城デニー、りゅうちぇる、といったハーフやクォーターの著名人が存在していない可能性が……
#*白と水色の建物で明治レトロ感を残している。
#*中国で[[もし中国国民党が中国共産党に勝っていたら|国民党が共産党に勝っていたら]]、米軍基地は存在しない一方で中国軍基地が出来て、リンク先のように日華安保や日華地位協定が結ばれていたら、沖縄が中国の植民地に近い状況になり、中国軍関係者による犯罪や交通事故が頻発していた。
 
#史実で種子島に建設された宇宙センターは与那国島に建設された
==綾歌郡の噂==
#沖縄にも100番台、200番台の国道があった
#郡名の由来は強引なものだった。
#*国道36号が鹿児島市~那覇市の路線として指定されていた。
#*阿野(あや)郡+鵜足(うた)郡の合成で、しかも無理やりに漢字を「綾歌」に変えた。
#**国道36号の沖縄県内区間は国頭街道(今帰仁村~那覇市)と同じルートを辿っている。
#**綾川と宇多津だと思ってる人も多い
#*1965年の道路法改正前に二級国道227号那覇名護線(那覇~首里~与那原~越来~金武~辺野古~名護、与那原~辺野古は史実の国道329号)と二級国道228号那覇与那原線(史実の国道331号南部区間)も指定されていた。
#*普通、綾歌と書いてあったら「あやか」と読みそうなもんだが、「あやうた」と読むのでなんだか由緒正しそうなのにこんなクソみたいな理由だったとは……
#総じて史実の[[鹿児島/奄美|奄美諸島]]とほぼ同じような変遷を辿っているイメージだな。
#*讃岐の郡は合成名だらけ。他には、大内郡+寒川郡→大川郡、三木郡+山田郡→木田郡、那珂郡+多度郡→仲多度郡、三野郡+豊田郡→三豊郡。合併せずに済んだのは香川郡と小豆郡だけ。
#沖縄県の市外局番は099xになっていたかも。
 
#*この場合、福岡市と長崎県壱岐・対馬の市外局番は091、北九州市・京築の市外局番は092x、それ以外の福岡県の市外局番は093x、佐賀県と壱岐・対馬以外の長崎県の市外局番は094x、熊本県の市外局番は095x、大分県の市外局番は096x、宮崎県の市外局番は097x、鹿児島県の市外局番は098xになっていた。
===宇多津町===
#「ゴジラ対メカゴジラ」の内容は大きく変わっていた。
*[[香川の駅#宇多津駅の噂|宇多津駅の噂]]
#*少なくとも舞台は沖縄ではなくなり、キングシーサーは誕生しなかった。
*道の駅:[[四国の道の駅#恋人の聖地うたづ臨海公園|恋人の聖地うたづ臨海公園]]
#奄美群島やトカラ列島、伊豆諸島が米軍占領下に置かれる事もなかった。
#ゴールドタワーと宇多津ビブレが妙に目立つ。
#宮崎が新婚旅行やプロ野球のキャンプ地として栄えることはなく東国原の登場まで知名度は上がらなかった。
#*坂出→宇多津の雰囲気は、関西で言うと茨木→万博公園ばりに世界が変わる…気がする。
#沖縄のヤンキーは少なく、成人式が荒れる事もなかった。
#*「ツインタワー瀬戸大橋タワー31」というマンションもな。
#*いや、成人式が荒れるのは戦争と貧困は意外と関係無さそうなので、成人式が荒れるのは史実とたいして変わらないだろう。
#**ツインタワーだが一本が31階、もう1本は14階である。実は宿泊ができることはあまり知られていない。
#*むしろ46年から50年代の戦後の混乱期やアメリカ統治下における復帰運動が無いので、史実より早く荒れる成人式が生まれただろう。
#明治城のどでかい酒瓶は実は正義のロボで、宇多津の平和を守っている。
#沖縄における6月23日は梅雨が明ける頃の1日という認識のまま。
#*ゴールドタワーには悪の組織があり、時々回覧板が回ってくる。
#*授業で平和学習も無ければ、「月桃の花」という歌はない。
#秘密のケンミンSHOWで「うだつ」と言われてしまった。徳島と間違えたのか?
#**元になった「GAMA」という映画は存在しない。
#宇多津新都市の住居表示は、浜○番町ではなく浜○番丁。
#ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊、なごらん学徒隊、瑞泉学徒隊の学校である県立第1高等女学校と第2高等女学校、第3高等女学校、首里高等女学校が現在でも存在している可能性がある。
#遊歩道が多い。
#*しかし、1950年代に第3高等女学校が県立三中(名護高校)と併合し、共学化する
#宇多津駅の南口から西へ行くとそこはすでに丸亀市。
#*そうなると、第1は乙姫高校か安里高校か?
#宇多津ビブレの中の大きな水槽では、実はダイビング体験が出来る。
#*いや、ひめゆり高校かも。
#*だいぶ前に水槽なくなっちゃった。
#*第2高等女学校は白梅高校になっていたかも
#*宇多津ビブレはできてからしばらくは映画館あり、温泉あり、プールありで香川県民にとって最強の遊び場だった。
#*仲宗根政善、仲原善忠は戦後も県立第1高等女学校が前身のひめゆり中学、高校の教師として勤務している。
#**香川で一番のショッピングセンターといえば宇多津ビブレだった。そう、ゆめタウン高松ができるまでは...
#*仲原善忠は史実通り大学教授だったかも
#**ゆめタウン高松をはじめより大きいショッピングセンターの出店が相次いだこと、お金のかかるレジャーが敬遠されるようになったことなどで、県民の間での宇多津ビブレの地位はどんどん下がってしまった。
#*そうなるとふじ学徒隊やでいご学徒隊の学校である積徳女学校や昭和高等女学校も残っていたかもしれない。
#西端の安達川の源流は果たしてどこに?
#首里高校、那覇高校は男子校のまま
#新都市住民と元からの宇多津住民とでいろんなことで微妙に噛み合わない。
#*1960年~70年代に那覇高校は県立第2高等女学校と合併して共学化していたかも
#[http://www.okasen.com/ おか泉]があるのはここ。1997年に坂出市から移ってきた。
#*首里高校は今でも男子校だった
#*地元民は行かないけど
#沖縄で男女別学が存在していた。
#18000人の小さな町だが見た目は10万都市並に見える・・・
#*開邦高校、那覇国際高校、向陽高校、球陽高校は存在していたか微妙。
#*しかし、人口密度は香川一!
#*→向陽高校と球陽高校はギリ存在していたじゃないか?
#**ちなみに、四国では2番目。1番は[[北島町|ここ]]
#島田叡は戦後になっても生存していた。
 
#*そもそも沖縄に来ていない。
====ゴールドタワーの噂====
#*それなら牛島満や太田実も戦後まで生存している。
#以前は「純金のトイレ」が有名だった。
#卒業式のメリケン粉投げも無かったし、ブレザー投げや首から下げるお菓子のレイも無かったかもしれない。
#*「純金のスリッパ」まであった。
#*卒業パーティも無かった。
#*トイレとしての利用は不可だった。言うまでもないが。
#沖縄の公立の幼稚園が小学校の敷地内に無かった。←沖縄の公立の幼稚園が小学校の敷地内にあるのはアメリカ統治下の影響。
#*2008年頃にどこかに売却され、今では拝むことはできない。
#*少なくとも公立校でも1ヵ年幼稚園ではなく、2カ年だった。
#2004年、レオマがリニューアルした後あたりにゴールドタワーもリニューアルした。
#*史実よりも3カ年幼稚園が多く設立されていた。
#ライトアップの色は翌日の天気予報で変わる。
#沖縄県民の苗字や名前が戦争によって変わるはなかった。
#*晴れなら緑、雨なら青。
#*沖縄戦で本家が1家全滅すると、分家が本家の苗字を名乗る事があったため。
 
#**また、戦争の戸籍紛失で戦後、名前が変わる事が多かった。
===綾川町の噂===
[[category:歴史のif検討委員会 太平洋戦争史|おきなわせん]]
#「[http://www.shikoku-np.co.jp/udon/shop/shop.aspx?id=515 山越]」があるのはこの町。
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 沖縄史|おきなわせんなかつたら]]
#*行って来たんだけど、'''入口に[[創価学会|例の三色旗]]があったのには萎えた。'''[[公明党|ココ]]のポスターもあるし・・・。
#**口コミで有名になった理由には、そこの会員が広めたからという説もある。
#合併によって綾南警察署が改名したが、どういうわけか「綾川警察署」じゃなくて「高松西警察署」…。位置的にもむしろ南西じゃね?
#高松空港は綾川町にも跨っている。
#綾歌郡なので一応中讃(県を2分する場合は西部)だが、結びつきは同じ中讃の丸亀や坂出より東讃の高松のほうが圧倒的に強い。
#うどん県なのにそばを売りにするレアな自治体。
 
====綾南====
*道の駅:[[四国の道の駅#滝宮|滝宮]]
#2008年にイオン綾川ショッピングセンターができた。
#イオンをはじめ、近年国道32号線沿いに大型店が次々に進出した。
#滝宮は「讃岐うどん発祥の地」とされている。
#滝宮駅から近い滝宮天満宮は、受験シーズンは梅の見ごろでもあるため参拝客が多い。
#天満宮と道の駅の間に滝宮公園がある。こちらは桜の名所。
#*桜の時期以外に行くと水の淀んだ川や1本だけ生えた松とかが見られるだけの、冴えない公園。
 
====綾上====
#島を除くと県内屈指の過疎地域。
 
==仲多度郡の噂==
#那珂郡と多度郡が合併してできたが、「那珂」の表記を「仲」に変えて「多度」にくっつけただけ…。
 
===琴平町の噂===
[[画像:Konpirasan.JPG||thumb|240px|こんぴらさん参道]]
*駅の噂:[[香川の駅#琴平駅の噂|琴平駅]]
# 何といっても、こんぴらさん。
#*金刀比羅宮の石段が1368段と、NHK高松第一放送の周波数が1368kHzというのは偶然?だよね。
#「灸まん」の看板がウザいくらいに乱立してる。
#「電車」はここまで。ここから先は「汽車」になる。
#*汽車は瀬戸大橋開通○○周年の時くらいしか走らない。言うなら「気動車」「ディーゼルカー」。
#*それを「汽車」と言わないか?あいにく四国民でないからワカランけど、この項は鉄ヲタ視点で書いたワケではない。
#**高徳線民だが「気動車」「ディーゼルカー」とか言わんぞ。汽車だ汽車。
#各地区のちょうさが喧嘩する氏子祭りがある。
#10月の琴平は祭りで賑やかである。
#*琴平地区 金毘羅宮 氏子祭(こんぴら氏子ちょうさ祭)(10/1~10/2)
#**毎年 10/1と10/2に実施されるため、平日になると人が集まりにくい。
#**土日の実施にしてほしいが、なかなか実現されない。
#*現在、8台の太鼓台が運行している。
#*金山寺太鼓台,阿波町太鼓台,西山太鼓台,高藪太鼓台
#*南新町太鼓台,旭町太鼓台,栄町太鼓台,札の前太鼓台,(谷川太鼓台[運行中止]
#**10/2の19:00頃に内町に行けばちょうさの喧嘩が行われる。
#**ルールは、かき棒が上になった方が勝者となる。
#**高藪太鼓台と阿波町太鼓台は永遠のライバルであり、派手な喧嘩が見れるため人気がある。
#**昔は、高藪 vs 阿波町は、あまりにも喧嘩が激しく、人の喧嘩もあったので機動隊が出ていた。
#***高藪太鼓台は、喧嘩をしまくるので、夜の運行が中止されていた時期があった。
#***今は、反省してルールを守るようになったので夜の運行も復活している。
#**ちょうさ好きな人が多い。
#*榎井地区 春日神社 ちょうさ祭(10/1~10/2)
#**現在、6台の太鼓台が運行している。
#**横瀬太鼓台,六条太鼓台,旗岡太鼓台,蔵中太鼓台
#**東中太鼓台,西中太鼓台
#*金毘羅宮例大祭(10/10~10/11)
#**行列はものすごく長い。やっこさん→おとうにんさん という流れで並んでいる。
#**おさがりは、全部見ようと思うと午前0時ぐらいまで見ることになるが、たくさんの人が見ている。
#***そのため毎年、臨時列車が用意される。
#**非常に厳かな行事である。
#**昔は、ちょうさも出ており非常に賑やかであった(噂)
#*その他にもこんぴらさん行けば色々とイベント盛りだくさん。
#昔は市街地に4つも鉄道の駅があった。今はJRの琴平駅と琴電の琴平駅。
#*昔はいかに鉄道が作りやすかったか、そしていかに過当競争が行われていたかである。
#見た感じはド田舎であるが、人口密度は1000を超え、香川県で2位である。
#資源エネルギー庁公認の'''ガソリンスタンド過疎地'''。県内だと直島町とここだけ。まあ実感はないけど。あと24時間営業のコンビニも2軒しかない。
 
===多度津町の噂===
*駅の噂:[[香川の駅#多度津駅の噂|多度津駅]]
#少林寺拳法の総本山がある。
#桜の木の数なら県内のどの花見スポットよりも多い気がする桃陵公園がある
#'''なぜか'''四国の鉄道発祥地となっている。
#*それは金比羅参りの客のために私財で鉄道を敷いた過去があるからです
#*1888年以降ではないよね?
#*1889年讃岐鉄道が丸亀~多度津~琴平間、後に国鉄。(1888(明治21)年に 伊予鉄道が 松山~三津間の営業を開始したのが最初であるが、これは 狭軌の軽便鉄道)
#*JR四国の多度津工場もある。
#昔は、[[福山市]]行きの船便が出ていた。
#*その昔は鞆港。さらに昔は尾道だった。
#一太郎やあーい
 
====白方====
[[ファイル:海岸寺三重塔.JPEG|thumb|海岸寺二重塔]]
#弘法大師空海誕生の地と言われている地域。
#*一般的には善通寺生誕説のほうが有名だし、丸亀藩もそれを認めているが、当時の通婚文化とかを考えると……
#三重塔と見せかけて二重塔になっている仏塔がある海岸寺がある。
#*弘法大師空海の誕生の地を主張しているが、多度津の人間も含めて、誰も見向きもしない。
#**江戸時代には善通寺と論争を起こすも、寺格の差などもあって負ける。
#*四国別格二十霊場の第18番札所。
#仏母院は弘法大師空海の母親である玉依御前の実家跡。
#*四国八十八箇所の別格霊場となっている。
#*昔は、四国霊場の巡拝に際してはここと海岸寺にも詣でるのが一般的だったらしいが、知名度等の低下により……
#奥白方は高松藩主が幕末期に欧米列強の侵略リスクが高まった際に、藩の避難場所にしようとしたところ。
#*家老の屋敷も残っている。
 
===まんのう町の噂===
[[ファイル:まんのう.jpeg|サムネイル|まんのう公園のクリスマスイルミネーション]]
#「満濃町」からいちいち平仮名にする必要性が全く見られん。
#*すまんのう。
#*なんか卑猥になってしまった。
#大根一本をお客さんにすってもらううどん屋がある。
#*「小縣家」のこと。しかし大根は3分の1しかすらないことが多く、残った大根は肥料にするという。
 
====琴南====
#「ことなん」ではなく「ことなみ」。
#温泉や遊歩道のある道の駅がある。
#隣り合う美馬市とは国道438号で繋がっている。
 
====満濃====
*湖沼:[[日本の湖沼#満濃池|満濃池]]
#池。
#*香川物映画の舞台。
#*香川最初の大型土木事業の舞台。
#春から夏にかけてだけ楽しめる公園がある。
#*[[園芸植物#アジサイ|紫陽花]]、[[ショウブ|菖蒲]]、[[園芸植物#牡丹|牡丹]]が楽しめる。まあまあええところである。
#四国ニュージーランド村が休園して久しい。
#国営讃岐まんのう公園はここ。毎年8月のロックフェス「MONSTER baSH」には2日で4万人以上が集まる。
 
====仲南====
#満濃がニュージーランド村なら、こちらは「四国お祭り村」。
#*今は潰れて[[廃墟ファン]]の格好のターゲットになっているらしい。
#かつて二宮忠八が「ライト兄弟よりも先に飛行原理を思いついた」樅ノ木峠がある。
#*この地にある道の駅の名も「空の夢もみの木パーク」。
 
[[Category:香川|せいさん]]

2021年8月10日 (火) 10:02時点における版

  1. 人口は200万を超えていた。
    • 厳密には高度成長期一時激減、航空会社のキャンペーンが始まると人口増加に。
      • ただし、観光地は首里城などの世界遺産と海水浴ぐらい。戦跡も基地も存在しない。
        • どうしても4000m滑走路の基地をおくならたぶんこことかここかも。
        • 美ら海は?
      • 中学高校の修学旅行は今も少ない。
        • その分北海道や海外に行く学校が増えていた。
          • 広島に行く学校も増えていた。
            • 長崎でも可能。
      • 基地の代わりに本土から大企業の工場が進出し、第二次産業比率が現実より上がっていた。
        • 沖縄の失業率が現実より低かった。
    • 水も電力も逼迫していたため、今よりももっと多くダムが建設され、原発ですらできていた可能性が高い。
      • 原発は現に沖電が検討している。
      • 海水を淡水化するプラントも沖縄のあちこちに設置されていた。
    • 沖縄県内で政令指定都市が実現している
    • とはいうが、実際には現在は100万人くらいになってた気がする。ついでに言うと人口トレンドも本土と同じようになっていた。
  2. 那覇の市街地は現在も東町と西本町。
    • 国際通りは単なる住宅街。
      • そもそも「国際通り」ではなく、「新県道通り」か「牧志大通り」という名前になっている。
    • 牧志公設市場や平和通り、むつみ通りの水上店舗は存在せず、代わりに東町にかつて存在した大市(うふいち)が公設市場や平和通りの役割を担っていた
      • 沖縄戦が無くても、天久の新都心は開発され、那覇のメインストリートが変わった可能性がある。
    • 沖縄県立博物館は今も首里城北殿にある
  3. 壺屋から読谷に移動する人がおらず、読谷村のやちむんの里は存在しなかった。
    • 史実より、壺屋がもっと琉球文化を留めていた建物だったかもしれない。
  4. 少なくとも、100以上続く老舗が存在していた。
    • 中には400年以上続く店もあったかも……
    • 酒造工場も戦争の被害がないので、数百年のものの古酒(クースー)が飲めた。
  5. 首里城が焼け落ちていないので、琉球史に関する資料が豊富に残っていた。
      • そのため、学校の授業では日本史とは別に琉球史が存在していたかもしれない。
    • 近世琉球の画家自了(じりょう)(城間清豊)が描いた絵が数多く残っていた。
      • 自了だけではなく、多くの琉球の画家の絵が残っていた。
      • 円覚寺や崇元寺が現在でも現存しており、玉陵よりも先に国宝認定されているので、多くの観光客が訪れていた。
        • 下手すると円覚寺と崇元寺は2000年代に世界遺産に認定されているかもしれない。
        • 円覚寺が現存しているという事は国王の御後絵も色が入った状態で見ることができる。
        • 下手すると、王妃や王子の肖像画も残っていたかも。(尚貞王の長男尚純の肖像画や王族でもない蔡温の肖像画があるので、王妃や王子の肖像画が残っている可能性がある。)
      • 石畳が首里金城町だけではなく、首里全域、下手すると那覇辺りまで広がっていた。
  6. 那覇市役所は郵政会社の南。だが、手狭になりやっぱり甲辰小学校と沖縄県庁の間に移転。
      • 10・10空襲がなければ県庁が原形とどめているため、別の意味で保存運動が巻き起こった。
        • だが発掘中に湧田釜が見つかり、結果与儀駅か安里駅近くへ移転。
    • 山形屋は現在のポートホテルの向かい。
      • たぶんリウボウは存在しない。ライバルは三越とJR高島屋。
        • 県内資本は円山号を母体とするデパート。郵政会社向かいにある。
          • マルヤマに改名、県資本のデパートとして山形屋撤退後もしぶとく生き残る。
          • ADOには非加盟、かつての史実のリウボウみたいに西武系か、別の本土系デパートの流通システムに組み込まれていた。
      • だがやっぱり廃業、もしくは鹿児島山形屋の支店だったが本店が閉店決定。
      • でもって跡地はJALシティホテルへ。
  7. 首里城より高い建物が簡単に建ってしまう。
    • それでもやっぱり沖縄で一番高い建物はマンション。
  8. 那覇市は政令指定都市になる。
    • 昭和合併で実際の那覇・首里・小禄・真和志に加えて南風原・浦添・西原を合併、平成になって豊見城・宜野湾・与那原を合併。1993年5月20日に政令指定都市へ移行。
    • 或いは平成の大合併で那覇のベッドタウンである浦添市と合併、政令指定都市へ以降というパターンも
  9. 鉄道は名護市まで延伸。
    • 戦後に1067mm軌間に改軌され、電化も行われる。
      • 電化が行われたのは国鉄民営化の直前になってから。1960年代~1980年代前半はキハ35系の天下となっていた。那覇-名護の急行列車には房総電化で捻出されて転属してきた冷房付きのキハ28形が使用されていた。
        • 遅くても1970年代には電化されていたんじゃ?
          • 戦前の沖縄に対する扱いをみれば、沖縄が戦後もずっと日本領のままの場合はむしろ四国以下の扱いになっていたのは充分想像できる。よって電化されるのは四国同様、国鉄民営化の直前になるのでは。
    • 電化後、直流電化された場合は普通列車に103系、205系、113系、211系が投入される。
      • むしろ電化は1986年で四国同様121系が新車で投入されたのでは。
    • 交流電化された場合は普通列車に415系、713系が投入される。415系は3ドア+転換クロスシートのため、混雑が激しくなる。そこで2000年代にに4ドア通勤形電車「803系(303系の交流版)」が投入される。駆逐された415系は九州島に飛ばされる。(主に福北ゆたか線)
      • 交流電化の場合でも電化は1986年で、ステンレス製の713系1000番台が新車で投入される。415系の沖縄への投入はJR化後に九州からの転属という形で行われる。
    • 1960年代前半に「越来線(大山~普天間~越来~具志川~石川~金武~辺野古~名護)(支線:石川~仲泊)」が開業する。
    • 戦後に経営は沖縄県から国鉄に移管され、今ではJR沖縄となっている。
      • さすがにJR九州管理でしょう。
        • JR九州沖縄支社が誕生した。
    • 与那原線、糸満線と、名護線(延伸時に嘉手納線から改称)の嘉手納以南の区間は、都市近郊鉄道となっている。
      • 名護本線と与那原線と糸満線は幹線に、越来線は地方交通線になる。
    • 名護線の嘉手納以北は観光鉄道の色が強い。
      • その後美ら海水族館へ延伸し、水族館へのアクセス鉄道として活躍。
    • 本土からあまりにも離れているため、2010年代になっても国鉄車ばっかりだった。そのためにJR九州沖縄支社は「國鐵沖繩」と呼ばれる。
    • 史実のバス同様、時間通りに電車が来ていなかったかも。
    • 史実より多くの大変な途中下車シリーズMAD作者が沖縄に来て素材を集めてMADを作っていた。
      • そしてJR沖縄が誕生する。
    • 沖縄出身の鉄オタ、撮り鉄が出る。
      • 沖縄出身の途中下車MAD作者も出てくる。
  10. もし南西放送が開局していたらなどはとっくに実現。
    • 新聞は沖縄新報1紙だけ。
    • 下手するとそのまま「琉球新報」という名前だったかも。
      • 決して「ウルマ新報」が前身の「琉球新報」ではなく、太田朝敷、高嶺朝教、尚順らが創設した「琉球新報」がそのまま残っていただろう。
      • でもってテレビはほかに沖縄放送(JNN)、沖縄(または琉球)テレビ(クロスネット→FNN:もちろん西日本新聞の資本入り)、琉球朝日テレビ(ANN)
        • 第1局となる沖縄放送のラジオ開局は現実の琉球放送とほぼ同じ、テレビは現実の沖縄テレビとほぼ同じ。
      • 沖縄新報が暴走すれば喧嘩別れで琉球タイムスが創刊。
        • どっちかは保守系の新聞。
          • 朝日と読売は、沖縄版が発行される。
            • 日経、毎日も刊行される。
    • NHKはテレビ開局まで那覇市首里寒川町、送信所は首里崎山町(のちテレビ送信所)。開局直前に久茂地(県庁と市役所の位置関係から現実の琉球放送周辺)へ移転。テレビ開局は1959年4月。
      • マイクロ開通が「御成婚パレードを沖縄まで中継せよ!」と「プロジェクトX」のねたになる。
      • 沖縄県の受信料納付率も現実より高かった。
    • もしかしたらTXN局も出来ていたかも…
  11. 沖縄師範学校が国立沖縄大学になる。
    • 場所が首里当蔵町なので日本一敷地面積が狭い国立大学になっていた可能性がある。
    • でもその場合、史実の沖縄県立芸大のように首里、那覇、浦添辺りにキャンパスがあるので、大丈夫だ。
      • 戦前に沖縄女子師範学校が存在していたが、そちらは国立沖縄女子大学になっていたか、前述する国立沖縄大学と併合していた可能性がある。
    • しかし、そっちは県立第一高等女学校と隣接していたので、ひめゆり女子教育大学か姫百合大学になっていたかも。
      • 沖縄芸術大学は存在せず、国立沖縄大学の1学部だった。
    • あとから私立大学が琉球大学を名乗っていたかもしれない。
    • 沖縄国際大学は存在しない。
      • それでも名桜大学はできた。
      • 史実で沖縄国際大学にある学部が名桜大学にあったかも。
        • いや、宮古島や八重山にも私立大学が誕生していたかも。
          • それはちょっと無理では…
    • 那覇大学も誕生しているに違いない。
    • 開南中学校が開南学園として幼稚園から大学まで要していた。
      • そして開南高校(↑上記の戦後改組)は1999年よりはるか前に夏の高校野球で優勝していた。
      • だが、時代の流れで1980年代に男子校から男女共学になる。
      • 我喜屋優監督は興南高校ではなく、開南高校の監督だったかも。
      • 何だかんだ言って沖縄工業高等専門学校と沖縄科学技術大学院大学は存在していた。
  12. 海洋博は開催されなかった。
    • 2008年のサラゴザ博覧会が海洋博になる。
    • 本部は今でも村。
      • 本部は1940年に町になってるからそれは無い。
    • 沖縄自動車道は国体までに整備される。
    • 美ら海水族館は別の場所に出来ていた。
  13. 1973年に奥武山で沖縄国体が開催される。
    • 沖縄市は旧コザ市と美里村の両方に競技会場がある。(現実でもそうだけど)、ただし、メイン会場が那覇なので旧美里村泡瀬に大規模な県総合運動公園は存在しない。
      • 少なくともコザなんて地名にはならないと思う。
      • もちろん、1970年のコザ暴動も無い。
        • 越来市になっていた。
    • プロ野球公式戦は奥武山か浦添で毎年1回はある。
      • 奥武山建て替えも早まった。か?
  14. 皇室への価値観も様変わりしていた。
    • 皇室番組は3本とも放送。
    • 火炎瓶事件などおきない。逆に沖縄が攻撃される前に戦争を止めたとして昭和天皇が評価される。
  15. 石川は市になれなかった。
    • 越来村(実在したコザ市)は嘉手納町に吸収される。
    • 昭和合併で次の市が誕生する。
      • 嘉手納市((嘉手納+北谷:両町は分村していない)+旧越来村)
        • 北谷から嘉手納が分割されたので、北谷市では?
      • 具志川市(旧具志川+旧美里村+旧石川)
  16. 中城村と北中城村も分離しない。
    • →イオンモール沖縄ライカム及びライカムという地名は存在せず、今も中城村字比嘉のままだった。
    • 金武村と宜野座村も。
  17. 逆に喜屋武村・真壁村・摩文仁村が合併しないため、糸満市になる前に存在した三和村はない。
    • 平和記念公園も国際通り同様、住宅地になっている。
    • 真壁は町制を施行している。
    • みなと村も存在しない。
      • 国場組は実際ほど大きくならなかったか、もっと大きいゼネコンが沖縄に存在していた。
  18. 現実とは逆に、沖縄は保守王国、つまり自民党最大の牙城となっていた。
    • →いや、それは無い。多少、自民党は強くなっても保守王国にはならない。
    • 基地反対運動も存在しないので、こいつらもいない。
    • 基地反対運動のプロ市民は殆どがデマだが……
    • 故太田昌秀元知事が戦争体験をしていないので、県知事になる事もなかった。
      • そのまま大学教授を続けていたかも
      • 平和記念公園を作る事はなかった。
    • 故翁長雄志元知事は自民党を抜け出す事はなかった。
    • 仲井眞弘多知事は史実通り知事をしている。
    • 史実の奄美群島区(中選挙区時代の1人区)のように保守系同士での政争が激しくなっていた。
    • あるいは、保守派や戦闘的な左派から「お花畑」と揶揄されるような護憲・平和主義が主流だったかもしれない。
      • 学生運動全盛期でも、沖縄の大学に過激派はほとんどいなかったかもしれない。
    • 左派や、内地の保守派とは一線を画す保守派の団体はそれなりの勢力を保っている。
      • 内地の人々の沖縄に対する意識や、それに対する地元の人々の反感という問題は戦前からあったので。
      • 逆に沖縄の右派は独立を主張していたかもしれない。
        • 本土寄りの右派とは一線を画し「琉球民族主義」を掲げるが、大きな勢力にはならなかったと思われる。
        • 琉球王国の復活を前提としている。
    • 間違っても沖縄のメディアが左派系だけになる事は無かっただろう。
      • →それに関しては史実より弱くとも沖縄に左派系のメディアはいる。
      • 少なくとも、故瀬長亀次郎の知名度は低かったであろう。
      • 不屈館も無かった。
      • 本島で保守系メディアが台頭しているため、八重山日報は沖縄本島版を刊行していない。
        • 本島の保守系メディアはもちろん産経や八重山日報と提携。
        • 八重山日報は知名度が低かった。
    • 左翼系圧力団体や労組の反対がないので、沖縄でも「たかじんのそこまで言って委員会」が放映されていた。特に南西放送が開局していたら確実に放映されていた。
  19. 沖縄戦を舞台にした音楽「さとうきび畑」や「島唄」などは存在しない。
    • 同バンドがヒットすることもなかった。
  20. ブルーシールは存在していないかも。
  21. プラザハウスは存在しない。
  22. ユニオンは存在するが、ジミーは存在しなかった。
    • オリオンビールは1990年代になってから地ビールとして登場。
  23. タコスの具をご飯に乗せたタコライスは存在していない。
    • ポーク卵という家庭料理も存在しない。
  24. 琉球ガラスも存在しない。
    • 琉球ガラスみたいなのはあるが、日本の影響を強く受けており、琉球霧子となっていた。
    • 高度経済成長が始まる前は庶民はサツマイモやソテツを主食にしていた。そのため、昭和30年代まで沖縄ではソテツ中毒による死亡事故のニュースが報じられていた。
  25. 高校野球で沖縄勢の優勝が史実よりも早かった
    • 恐らく1980年代には優勝していたと思われる
    • むしろアメリカナイズがなく、戦前の甲子園に沖縄の高校が出場していないことを考えると、未だに優勝がないどころが、弱小県になっていた可能性の方が高い。
  26. 琉球ゴールデンキングスは存在するが、野球同様、アメリカナイズが無いため、史実ほど盛り上がっていなかっただろう。
    • 本拠地は恐らく史実(沖縄市)と違い、那覇市の奥武山あたりにある。
  27. 那覇空港が存在したかどうかは微妙。
    • おそらく主要な地域であったため、建設されていたでしょう
    • 建設自体はほぼ確実に行われていたが、場所が違った可能性はある。
  28. 飛び級市制(コザ・真和志・宜野湾・浦添・具志川・豊見城)や分立市制(石川)はなかったかも。でも豊見城はしていた?
    • 分立した町村もたくさんある。
    • それらの町村の行方(一部↑のほうと被る)
      1. コザ市→嘉手納に編入。1980年ごろに市制。
      2. 真和志市→1954年に小禄村・首里市とともに那覇市に編入。
      3. 宜野湾市・浦添市→1955年ごろに合併、宜添(よろぞえ)町。那覇のベットタウンとして栄え60年代に市制。
        • 宜野湾の大部分は元々浦添だったから名前は浦添のままになる可能性がある。
      4. 石川市・具志川市→美里村と具志川村で里川村を形成。70年代町制、90年代に市制。
        • 平成大合併で半島部2村も統合しうるま市に。
      5. 名護市→屋部村を切り外さなかったため、羽地と久志の2村の編入で済んだ。
      • 辺野古の海は今も綺麗だった。
        • 本部町は名護市に編入されていた。
      1. 中城村は那覇のベットタウンとして栄え1970年ごろ市制。
  29. 沖縄がアメリカに支配されることはなく、戦後はずっと日本支配だった可能性が高い。
    • もしそうだった場合、寝台特急「なは」は誕生しなかった。
    • アメリカ文化の影響は本土より弱かったかもしれない。
    • 洋楽はそれほど盛んになっていない。
      • フィンガー5や紫(ロックバンド)は結成されなかったかも。
        • いや、フィンガー5は結成されたかもしれないが、問題は紫、コンディショングリーンが結成されていたか?
      • 1960~70年代辺りに、全国的な沖縄音楽ブームが起きていたかもしれない。
        • 青春歌謡やグループサウンズで、沖縄出身で沖縄音楽を取り入れた曲を歌い、全国区の人気を得る歌手がいたかも。
        • 沖縄フォークは史実より盛んになっていたかも。
          • その場合は政治色の無い歌が中心だっただろう。
    • マクドナルドケンタッキーフライドチキンなどの米国系チェーン店が沖縄に進出するのは1980年代後半のバブル期になってからで、47都道府県の中では島根などと並んで最も遅い方であった。
    • 沖縄の食文化の欧米化はほとんどなかったため、平均寿命は男女とも日本一の座を21世紀に入っても維持し続けていた。
    • 軍道や政府道がないので沖縄県道は大半の府県同様、番号が1,2桁の路線が全て主要地方道、3桁の路線が一般県道になっていた。
      • 番号がそのまま路線名になっている県道は存在せず。
  30. 「沖縄だけ別会社管轄」という事態は現実ほど多くなかった。
    • 車のナンバーが「沖縄580」ではなく、「那覇」や「首里」と言った地域名が付いたナンバーだった。
      • もちろん、730運動は起こらない。
    • 電気は九州電力管轄。
    • auもバヤリースも本土と同じ。
      • それでもローソンやファミマなど小売業は(本土から遠いこともあって)別会社だと思う。
  31. なぜかわからないが中華民国が居座る。
    • せいぜい中華民国亡命政府か、史実同様の台北駐日経済文化代表処那覇分処だと思うが。
    • 1949年に中国本土が毛沢東政権になった後、中国本土から共産党支配を嫌って逃げてきた亡命者も多数流れ込んでいた。那覇市内のどこかには彼らによるチャイナタウンが作られていた。
  32. 南西航空はJAL直轄であり、コミューター路線は東亜国内航空→日本エアコミューターが担っていた。JACの資本に沖縄県も参加している。
  33. 地理的に重要なポイントなのでどのみち基地問題は発生しているが、史実の闘争に比べれば圧倒的にマシな状態になっている。
    • 少なくとも普天間基地とキャンプ・ハンセンは存在しない。嘉手納はあったとしても史実の半分程度の面積になっている。
      • 代わりに九州(佐世保市大村市?)に海兵隊基地がある、か?
      • あるいは岩国市の近くの島ひとつ丸ごと…?
      • 米軍基地が恐らく存在しないので、米軍関連の事件が無い。由美子ちゃん事件の由美子ちゃんや宮森小学校飛行機墜落事故で亡くなった子供達は今も生きていただろう。
      • それ関連で安室奈美恵やISSA、GACKT、玉城デニー、りゅうちぇる、といったハーフやクォーターの著名人が存在していない可能性が……
    • 中国で国民党が共産党に勝っていたら、米軍基地は存在しない一方で中国軍基地が出来て、リンク先のように日華安保や日華地位協定が結ばれていたら、沖縄が中国の植民地に近い状況になり、中国軍関係者による犯罪や交通事故が頻発していた。
  34. 史実で種子島に建設された宇宙センターは与那国島に建設された
  35. 沖縄にも100番台、200番台の国道があった
    • 国道36号が鹿児島市~那覇市の路線として指定されていた。
      • 国道36号の沖縄県内区間は国頭街道(今帰仁村~那覇市)と同じルートを辿っている。
    • 1965年の道路法改正前に二級国道227号那覇名護線(那覇~首里~与那原~越来~金武~辺野古~名護、与那原~辺野古は史実の国道329号)と二級国道228号那覇与那原線(史実の国道331号南部区間)も指定されていた。
  36. 総じて史実の奄美諸島とほぼ同じような変遷を辿っているイメージだな。
  37. 沖縄県の市外局番は099xになっていたかも。
    • この場合、福岡市と長崎県壱岐・対馬の市外局番は091、北九州市・京築の市外局番は092x、それ以外の福岡県の市外局番は093x、佐賀県と壱岐・対馬以外の長崎県の市外局番は094x、熊本県の市外局番は095x、大分県の市外局番は096x、宮崎県の市外局番は097x、鹿児島県の市外局番は098xになっていた。
  38. 「ゴジラ対メカゴジラ」の内容は大きく変わっていた。
    • 少なくとも舞台は沖縄ではなくなり、キングシーサーは誕生しなかった。
  39. 奄美群島やトカラ列島、伊豆諸島が米軍占領下に置かれる事もなかった。
  40. 宮崎が新婚旅行やプロ野球のキャンプ地として栄えることはなく東国原の登場まで知名度は上がらなかった。
  41. 沖縄のヤンキーは少なく、成人式が荒れる事もなかった。
    • いや、成人式が荒れるのは戦争と貧困は意外と関係無さそうなので、成人式が荒れるのは史実とたいして変わらないだろう。
    • むしろ46年から50年代の戦後の混乱期やアメリカ統治下における復帰運動が無いので、史実より早く荒れる成人式が生まれただろう。
  42. 沖縄における6月23日は梅雨が明ける頃の1日という認識のまま。
    • 授業で平和学習も無ければ、「月桃の花」という歌はない。
      • 元になった「GAMA」という映画は存在しない。
  43. ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊、なごらん学徒隊、瑞泉学徒隊の学校である県立第1高等女学校と第2高等女学校、第3高等女学校、首里高等女学校が現在でも存在している可能性がある。
    • しかし、1950年代に第3高等女学校が県立三中(名護高校)と併合し、共学化する
    • そうなると、第1は乙姫高校か安里高校か?
    • いや、ひめゆり高校かも。
    • 第2高等女学校は白梅高校になっていたかも
    • 仲宗根政善、仲原善忠は戦後も県立第1高等女学校が前身のひめゆり中学、高校の教師として勤務している。
    • 仲原善忠は史実通り大学教授だったかも
    • そうなるとふじ学徒隊やでいご学徒隊の学校である積徳女学校や昭和高等女学校も残っていたかもしれない。
  44. 首里高校、那覇高校は男子校のまま
    • 1960年~70年代に那覇高校は県立第2高等女学校と合併して共学化していたかも
    • 首里高校は今でも男子校だった
  45. 沖縄で男女別学が存在していた。
    • 開邦高校、那覇国際高校、向陽高校、球陽高校は存在していたか微妙。
    • →向陽高校と球陽高校はギリ存在していたじゃないか?
  46. 島田叡は戦後になっても生存していた。
    • そもそも沖縄に来ていない。
    • それなら牛島満や太田実も戦後まで生存している。
  47. 卒業式のメリケン粉投げも無かったし、ブレザー投げや首から下げるお菓子のレイも無かったかもしれない。
    • 卒業パーティも無かった。
  48. 沖縄の公立の幼稚園が小学校の敷地内に無かった。←沖縄の公立の幼稚園が小学校の敷地内にあるのはアメリカ統治下の影響。
    • 少なくとも公立校でも1ヵ年幼稚園ではなく、2カ年だった。
    • 史実よりも3カ年幼稚園が多く設立されていた。
  49. 沖縄県民の苗字や名前が戦争によって変わるはなかった。
    • 沖縄戦で本家が1家全滅すると、分家が本家の苗字を名乗る事があったため。
      • また、戦争の戸籍紛失で戦後、名前が変わる事が多かった。