もし七年戦争でプロイセンが負けていたら

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その後のドイツ

  1. プロイセンはオーストリアロシアスウェーデンの元で分割される。
    • スウェーデン領プロイセンは北欧諸語と似ている北ドイツ語圏で
    • 現在のポーランド北部、バルト三国、ブランデンブルク北部、ニーダーザクセン州北部、ホルシュタイン地方、ザクセン=アンハルト州がスウェーデン領となる。
      • その結果スウェーデンは益々力が強くなってロシアのバルト海進出も無かったかも・・・
        • そして北欧諸国の統一国家もスウェーデン主導でやったかも(首都は当然ストックホルムで)
    • バイエルンフランスは戦争時の外交ミスが祟り、気がついたら蚊帳の有外。
      • それでもフランスはライン川左岸ぐらいは併合していただろう
    • その後のポーランド分割も例の三国の間で行われる。
  2. ドイツ再編・統一はオーストリア主導の下で行われる。したがってオーストリアの科学は世界一チイイイイ!!になったのか?
    • オーストリアは真のドイツ国家を主張しオーストリア人こそ真のドイツ人と考える人が多かったので統一後の国名はやっぱりドイツになったと思います。
  3. オーストリアの力が強くなるのでハプスブルグ家発祥の地であるスイスは力ずくで併合そていた可能性もあったかも
  4. オーストリアが嫌になったヒトラーは、スイスに亡命する。そこで芸術三昧の日々。
  5. ヨーロッパで膨張しすぎたオーストリアは結局イギリスやフランス、ロシアを相手に第一次世界大戦を起こし、史実どおり負ける。
    • そして戦後の講和会議でドイツは細かく分割される。
    • でも南ドイツ諸邦くらいはオーストリア領に留まったかも、首都が東により過ぎているのでミュンヘンに移転しろと南ドイツ諸邦の住民が文句を言ってくる。
      • 冷戦期が実史と同じようにあれば本当にオーストリアはミュンヘンに首都を移転していたかも知れない。
  6. ドイツ語はと言えば南ドイツ語が主流、北ドイツ語に当る部分はスウェーデン語と呼ばれている。
  7. ドイツ帝国が実史よりも早く成立するがこの世界のドイツの主体は「プロイセン」で無く「オーストリア」

海外

  1. イギリスは早めに手を引いたこともありフランスから海外植民地を奪うことができず、アメリカ独立で一気にジリ貧になる。
  2. そのためインドはフランスの影響が強くなる。
    • ナポレオンはエジプトと一緒にインドにも関心を示し、インドの植民地政策を急速に進める。
    • その結果、との三角貿易体制ができあがり、アヘン戦争を引き起こすのもフランスになる。
    • そして香港ではフランス語がメイン言語になる。
  3. 日本は明治維新後、オーストリアの政体を参考にする。
    • 多民族国家をうまく統治するコツを覚えようとするが、実は逆効果だった。(自治を一部の民族に大幅に認めてしまうため、他の民族からの独立運動も激しくなる)
    • で、朝鮮を完全に併合はできずに「大日本=大韓二重帝国」と称する。
    • それどころか下手すれば「大日本=アイヌ=琉球=大韓四重帝国」かも。
    • そこまでやるとしたら台湾も入れてあげた方が良いとおもいます。ただ、実際日本が近代併合した国は琉球と旧韓国だけなので「大日本=琉球=大韓三重帝国」ですむと思います。
    • ちなみに二重帝国内では遼東は韓国領