日本ハムファイターズの噂編集
- 東京ドーム時代はドーム関係者からは結構ひどい扱いを受けていたとか。ホークスと同じで移転して正解だったよ。
- 球場の運営会社社長は「日ハムには出て行って欲しい」と言ったとかの噂。しかしまだ完全に縁は切れていない…(東京を捨てるデメリットが大きいからだろうが)
- 昔義兄弟の選手がいた。
- 理由は嫁さん同士が双子の姉妹だから。
- ちなみにコユキと松浦(後者は既に離婚)
- 津野浩と西崎も義兄弟
- ドーム完成前最後の円山もハム主催のロッテ戦。
- 実は本拠地が後楽園だった時代から毎年最低1試合は円山で主催試合をやっていた
- 後楽園時代、球場で結婚式やってた(第一次大沢政権)。
- ソレイタ・ブリューワなど豪快・熱血漢外国人選手がいたのは遠き思い出か…。
- 背番号10のマット・ウィンタースもお忘れなく。通称:踊るホームラン王。遂にタイトル取れなかったけど雨天中断時やラッキーセブン時のエンターテイナー力でファン増やした。今はここの駐米スカウト。
- 東京ドーム時代の頃、開幕戦の始球式にとある声優を呼んだことは今では苦い思い出。
- 確かにスタンドは大勢のお客で埋まった。そう、始球式が終わるまでは…
- 誰? そんだけ客呼べる声優って。林原めぐみ?
- 堀江由衣&サエキトモですね。(当時放映されていた「六門天外モンコレナイト」絡み)
- 椎名へきるもやってたような。
- 埋まったのはスタンドでなく指定S席。
- その後の虎党声優の始球式の先便と言えよう。
- 西武ライオンズは永遠の敵
- 過去の数々の屈辱は忘れられない
- 西武のせいで70勝もしたのに優勝を逃した年がある。
- 東京ドームで胴上げされたこともある。
- 2008年は札幌ドームで胴上げされた。(日本ハムは勝ったが、2位オリックスが負けたせい)
- 東京時代のファンは北海道のハムファンの様子を見てどう思う・・・。
- 翌年は同じ場所でお返し。しかもサヨナラ勝利。
- 東京ドームのライトスタンドが半分ぐらい西武ファンの時もあった。
- 秋山がバッターボックスにたつとブーイングしていた時期があった。
- 応援団が「青のメガホン捨ててください」とゴミ袋で叫んでいた時もあった。
- 小学生の時クラスに西武ファンが多く、肩身が狭い思いをした(在京ハムファン)
- ロッテが優勝しても許せるが、西武が優勝すると許せないファンが多い。
- 実は2004年の日本シリーズのことはほとんど記憶にない。
- 西武がBクラスになって溜飲を下げたファンも多い
- リーグ違うけど巨人も永遠の敵
- 主力選手は奪われるし、東京時代は巨人のせいで大変な目にあったし。
- 変わりに来たのが、ダシの抜け切った石井丈裕とか新谷とか・・・。
- 嗚呼、'81年日本シリーズ後楽園決戦。ラッパも吹いてない時代の日ハムの応援が物凄く味が出てて面白かった。ニコ動に上がってたから見てみるべし。(ギョロタンもいるよ!)
- 巨人には年棒高騰選手を引き取って貰ってもいる。マイケル中村とか。代わりに貧打を補うため二岡を得た。
- その後のマイケルと二岡を見ると、引き取ってもらって正解だったと思う。
- ロッテの方が凄いと思うぞ。「西武には負けられない」って応援歌があるほどだし。
- 平和台事件(西鉄と毎日)以来の禍根だから、熟成されている。今は西武側よりロッテ側が一方的に抱いている気もするが。
- 熱烈なハムファンのえのきどいちろうは、年中西武を敵にできると言って「日光アイスバックス」の応援をしている。
- 西武のホッケーチーム解散したけどどうすんだろうね。
- ダイエーが南海時代から21年連続で西武に負け越していたが、日本ハムも2007年にようやく20年ぶりに勝ち越した。
- 2006年に優勝したときも、西武には7勝13敗と大幅に負け越した。
- 西武が不調だった1996年、2005年ですら五分五分。特に2005年はあと1つ勝てば勝ち越しだったが、残り5試合で5敗してしまった。
- 久々に勝ち越した2007年もこちらが優勝争い、相手がBクラスだったにもかかわらず、最後の2連戦で連勝してようやく勝ち越した。
- 近藤監督時代はとんでもない企画が組まれていた。
- 仮装無料、キス無料など、すごいことやってた。
- 企画商品だけど、西崎の「声の出るポスター」も近藤監督時代だったような。それを考えると、何か最近のカープみたいにフロントがぶっ飛んでたな。
- 近藤監督流審判への抗議スタイルは、互いの鼻がくっつき合うんじゃないかってくらいの至近距離での主張。審判氏いわく「近藤監督の、あの至近距離での抗議は、内容はともかくとして、スタイルとしては完全なパフォーマンス。『パ・リーグは客が少ない。お前もパに来い。何かやらかして客集めせんか』と言ってたし」と。
- 実は「マスコットの着ぐるみ」を最初に採用した球団。
- 正式名称はギョロ目の舌吉(タンキチ)。略してギョロタン。
- その風貌たるや、昨今ブームとなってる耳毛ファッサーの竜のマスコットどころの話ではない。
- 昔は多摩川河川敷が練習場だった。巨人の練習場は川を挟んだ斜向かい。
- 選手が客の前で着替えたりしてた。電車が通ると試合中断するわ、大雨が降ると水没するわ。しかも川の構造のせいか、巨人のグランドより水没率が高かった。
- 便所は仮設で客も選手も一緒に使うし、外野はペンペン草が芝代わりだし、大雨後はヌルヌルして守れたもんじゃないってブーブー言われるし…。貧相過ぎだつ~の!
フライヤーズの噂編集
- 東急→急映→東急→東映→日拓ホームと、オリオンズやライオンズ以上に球団名の変遷が激しかった。
- ちなみに急映の「映」は東映ではなく大映である。オリオンズ(の前身の金星スターズ)に手を付けていなければ、こっちが「大映フライヤーズ」になっていたかもしれない。
- 正直日拓ホームは「七色のユニフォーム」以外にほとんど印象がない気がする。
- 太平洋クラブ同様、企業としての知名度もそんなに高くない。今や不動産よりもパチンコ事業がメイン。
- 名前だけ見ると三井ホームやタマホームの同業者と思いそうだが、「新宿東口でやたらと目立っているエスパス日拓の運営会社」と言えばどんな会社かすぐに理解できるだろう。
- 青汁のCMでおなじみの八名信夫が東映の投手だったのは結構有名。
- 鉄道系球団では珍しく、系列鉄道沿線に本拠地スタジアムがなかった。阪急、近鉄(末期を除く)、阪神、西武は下り方面にあったし、南海、西鉄もかろうじて沿線にあった。東急が東映に移管した同時期に沿線の駒沢に東映駒沢球場ができたが、それも東京オリンピックで撤収されている。
- 西鉄の平和台は沿線か……?と思ったが、福岡は路面電車の市内線も西鉄運営だったわ
- 鉄道漫画で「鉄道とプロ野球」を取り上げる場面でもあまり言及されていない。どうやら東映へ移行した時期があまりにも早かったこともあり、「映画会社系」球団のイメージしか無い様である。
- 映画会社球団は他に大映と松竹があったが、短命で消えた松竹は優勝球団という称号があるのでまだ語られることがある……
- 黒い霧事件で大ダメージを受けたのは西鉄のイメージが強いが、東映も相当。ゆえにここも日拓に身売りされた……