ページ「野球ファン」と「もし中央本線が調布・府中経由だったら」の間の差分
(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動
検索に移動
>無いです 細 (→日本代表(侍ジャパン)ファン: 「C」だと広島と間違われるよ) |
細 (文字列「[[category:」を「[[カテゴリ:」に置換) |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Pathnav|もし中央東線が○○を通っていたら}} | |||
{{駅名標/東日本|name=調布|ruby=ちょうふ|back=国領|next=西調布|back2=Kokuryo|roma=Chofu|next2=Nishi-chofu|color=#F15A22}} | |||
#[[府中市 (東京)|府中]]が今の立川クラスの繁華街に。 | |||
#*調布は現実の吉祥寺に。 | |||
#谷保に中央線の駅ができる。国立という地名は生まれず、市の名前も谷保市になる。 | |||
#*保谷市とまぎらわしい、とのツッコミ多数。 | |||
#**おそらく保谷よりこっちの知名度の方が勝ると思うので、保谷市「が」まぎらわしいといわれることになる。 | |||
#***最初から「西東京市」になっていたのかもしれない。 | |||
#府中駅は中央線・南武線・武蔵野線・西武多摩湖線の乗換駅になる。青梅線は谷保-奥多摩間。 | |||
#*立川は青梅線の一中間駅。日野の北隣程度の扱いになる。 | |||
#*青梅線電車は基本的に府中まで乗り入れる。 | |||
#*南武線が府中駅に乗り入れるならば、東京競馬場の位置が少し変わるか? | |||
#**もしかしたら目黒から府中ではなく、立川or谷保に東京競馬場が移設されていた可能性がありそう。立川競輪場は多摩競輪場に名義変更して大国魂神社の近くに開設。 | |||
#新宿~中野~荻窪~三鷹~国分寺~立川~拝島に「西武立川線」ができる。 | |||
#*西武拝島線は存在せず。 | |||
#*武蔵電軌(京王の開業前の社名)は青梅街道沿いの路線を建設して、その後紆余曲折を経て「西武新宿線」になる。 | |||
#[[京王電鉄|京王]]は存在せず、「玉南電鉄」が府中~関戸~高幡不動~八王子~高尾山口を走る。 | |||
#*のちに西武と合併、武蔵境~府中間が建設され「西武高尾線」となる。 | |||
#*玉南電鉄自体がそもそも京王の関連会社として立ち上げられたものなので、存在していなかった可能性がある。 | |||
#**場合によっては[[南武線|南武鉄道]]辺りが分倍河原付近~高幡不動まで支線を建設していたかもしれない。 | |||
#***この場合は史実同様八王子まで延びているだろう。但し国有化で北野~八王子間は横浜線と共用する構造になっているはず。 | |||
#**南武鉄道が路線を建設しなかった場合は関戸~北野辺りは高幡不動以外、戦後まで山林や原野が殆どを占めていた。戦後になって多摩ニュータウン開発地域の一部となり、西武と小田急がこの地域への新線建設を出願する。 | |||
#*京王が存在しないため、[[京王井の頭線|井の頭線]]は戦後[[小田急電鉄]]に帰属していた。 | |||
#**中央線のない吉祥寺では止まらず田無まで延長したと思われるので、西武と合併した可能性もある。 | |||
#***元々から小田急系の会社だし、大東急になる以前に小田急に合併していたから、小田急帝都線→大東急井の頭線→小田急井の頭線じゃないかとは思う。 | |||
#*中央線「特別快速」名称は違ったものになっていたかも。 | |||
#[[東京/杉並区|杉並区]]が[[東京/練馬区|練馬区]]と同程度の扱いにされる。 | |||
#*世田谷区の南部・西部が「玉川区」になっている。 | |||
#西武国分寺線はJR川越線として府中~本川越間を走る。 | |||
#*そして、南武線に直通。 | |||
#*埼京線は、大崎~川越間のことを言う。 | |||
#**大宮~川越間の正式路線名は、大宮線 | |||
#*川越~高麗川間は、高麗線。直通の関係上高麗川方面が上りになる。 | |||
#中央特快・新宿以西の停車駅は新宿・笹塚・武蔵烏山(現実の千歳烏山)・調布・府中・谷保・以下各駅。 | |||
#*停車駅多すぎ。新宿・調布・府中・谷保・以下各駅だろう。 | |||
#中央線の開通でこの地域の人口増加が加速。調布町と神代町は合併せず、戦前に調布市、神代市に昇格。一方武蔵野町、三鷹町は戦後になって合併して武蔵野市になる。 | |||
#新宿駅へは現在の東新宿駅あたりから左へカーブして入る形となった。 | |||
#*東京方面へは曙橋・市谷本村町経由で延伸。 | |||
#**逆に都営地下鉄新宿線が信濃町・千駄ヶ谷・四ツ谷を通るルートになっていた。 | |||
#新宿駅の一つ八王子寄りの駅が代々木駅になり、史実の代々木駅は千駄ヶ谷駅を名乗る。 | |||
#*地点によるが、代々木西参道と名付けられたかも。 | |||
#多摩都市モノレールは史実通りのルート。ただし立川北・立川南ではなく普通に立川駅を名乗っていた。 | |||
#複々線区間は、御茶ノ水~調布。 | |||
#*快速のホームがあるのは、笹塚、明大前、桜上水、武蔵鳥山、つつじヶ丘 | |||
#**明大前とつつじヶ丘の駅名は松原、金子のままだろう。故に八高線の金子駅が別の駅名になっているはず。 | |||
#***所在地の大字から「南峯」を名乗る。 | |||
#現実の京王相模原線はJR橋本線。 | |||
#*中央線(各停)が橋本まで直通している。 | |||
#**土休日にはホリデー快速が茅ヶ崎まで運転する。 | |||
#*むしろ西武が多摩ニュータウンに乗り入れているので相模原線は建設すらされなかった。 | |||
#ほぼ間違いなく世田谷区を通ってた。 | |||
#*当然ながら世田谷区内で唯一のJR線になっていた。 | |||
#*史実の京王線よりも南側に走っていた。 | |||
#そもそも飯田橋以西は違うルートになっていた。 | |||
#*停車駅は飯田橋(ここまで史実通り)、神楽坂(快速停車)、牛込、北曙橋、東新宿(快速停車)、新宿(快速停車)、代々木、参宮橋、南初台、代々木西原(快速停車、平日の快速は特快や特急を除き各駅停車)、南北沢、東松原(休日快速も停車)、松原、北経堂、北船橋(休日快速と特快も停車)、上祖師谷、北狛江(休日快速も停車)、南国領、新布田、調布(緩行線終着駅、ここから休日快速も各駅停車で特快や特急も停車)、南飛田給、多摩川競艇場、新是政、新府中(特快も停車)、南分倍、落川、百草園前、程久保(特快も特急も停車)、南平、八王子(ここから史実通り) | |||
#*中央緩行線(各駅停車)は昼間は調布が終着駅になっていた。 | |||
{{DEFAULTSORT:ちゆうおうほんせんちようふふちゆう}} | |||
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線のルートが○○だったら]] | |||
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]] | |||
[[カテゴリ:中央快速線|もしちようふふちゆう]] | |||
[[ |
2021年7月28日 (水) 19:05時点における版
調布 | ||||
ちょうふ | ||||
国領 | 西調布 | |||
Kokuryo | Chofu | Nishi-chofu |
- 府中が今の立川クラスの繁華街に。
- 調布は現実の吉祥寺に。
- 谷保に中央線の駅ができる。国立という地名は生まれず、市の名前も谷保市になる。
- 保谷市とまぎらわしい、とのツッコミ多数。
- おそらく保谷よりこっちの知名度の方が勝ると思うので、保谷市「が」まぎらわしいといわれることになる。
- 最初から「西東京市」になっていたのかもしれない。
- おそらく保谷よりこっちの知名度の方が勝ると思うので、保谷市「が」まぎらわしいといわれることになる。
- 保谷市とまぎらわしい、とのツッコミ多数。
- 府中駅は中央線・南武線・武蔵野線・西武多摩湖線の乗換駅になる。青梅線は谷保-奥多摩間。
- 立川は青梅線の一中間駅。日野の北隣程度の扱いになる。
- 青梅線電車は基本的に府中まで乗り入れる。
- 南武線が府中駅に乗り入れるならば、東京競馬場の位置が少し変わるか?
- もしかしたら目黒から府中ではなく、立川or谷保に東京競馬場が移設されていた可能性がありそう。立川競輪場は多摩競輪場に名義変更して大国魂神社の近くに開設。
- 新宿~中野~荻窪~三鷹~国分寺~立川~拝島に「西武立川線」ができる。
- 西武拝島線は存在せず。
- 武蔵電軌(京王の開業前の社名)は青梅街道沿いの路線を建設して、その後紆余曲折を経て「西武新宿線」になる。
- 京王は存在せず、「玉南電鉄」が府中~関戸~高幡不動~八王子~高尾山口を走る。
- のちに西武と合併、武蔵境~府中間が建設され「西武高尾線」となる。
- 玉南電鉄自体がそもそも京王の関連会社として立ち上げられたものなので、存在していなかった可能性がある。
- 場合によっては南武鉄道辺りが分倍河原付近~高幡不動まで支線を建設していたかもしれない。
- この場合は史実同様八王子まで延びているだろう。但し国有化で北野~八王子間は横浜線と共用する構造になっているはず。
- 南武鉄道が路線を建設しなかった場合は関戸~北野辺りは高幡不動以外、戦後まで山林や原野が殆どを占めていた。戦後になって多摩ニュータウン開発地域の一部となり、西武と小田急がこの地域への新線建設を出願する。
- 場合によっては南武鉄道辺りが分倍河原付近~高幡不動まで支線を建設していたかもしれない。
- 京王が存在しないため、井の頭線は戦後小田急電鉄に帰属していた。
- 中央線のない吉祥寺では止まらず田無まで延長したと思われるので、西武と合併した可能性もある。
- 元々から小田急系の会社だし、大東急になる以前に小田急に合併していたから、小田急帝都線→大東急井の頭線→小田急井の頭線じゃないかとは思う。
- 中央線のない吉祥寺では止まらず田無まで延長したと思われるので、西武と合併した可能性もある。
- 中央線「特別快速」名称は違ったものになっていたかも。
- 杉並区が練馬区と同程度の扱いにされる。
- 世田谷区の南部・西部が「玉川区」になっている。
- 西武国分寺線はJR川越線として府中~本川越間を走る。
- そして、南武線に直通。
- 埼京線は、大崎~川越間のことを言う。
- 大宮~川越間の正式路線名は、大宮線
- 川越~高麗川間は、高麗線。直通の関係上高麗川方面が上りになる。
- 中央特快・新宿以西の停車駅は新宿・笹塚・武蔵烏山(現実の千歳烏山)・調布・府中・谷保・以下各駅。
- 停車駅多すぎ。新宿・調布・府中・谷保・以下各駅だろう。
- 中央線の開通でこの地域の人口増加が加速。調布町と神代町は合併せず、戦前に調布市、神代市に昇格。一方武蔵野町、三鷹町は戦後になって合併して武蔵野市になる。
- 新宿駅へは現在の東新宿駅あたりから左へカーブして入る形となった。
- 東京方面へは曙橋・市谷本村町経由で延伸。
- 逆に都営地下鉄新宿線が信濃町・千駄ヶ谷・四ツ谷を通るルートになっていた。
- 東京方面へは曙橋・市谷本村町経由で延伸。
- 新宿駅の一つ八王子寄りの駅が代々木駅になり、史実の代々木駅は千駄ヶ谷駅を名乗る。
- 地点によるが、代々木西参道と名付けられたかも。
- 多摩都市モノレールは史実通りのルート。ただし立川北・立川南ではなく普通に立川駅を名乗っていた。
- 複々線区間は、御茶ノ水~調布。
- 快速のホームがあるのは、笹塚、明大前、桜上水、武蔵鳥山、つつじヶ丘
- 明大前とつつじヶ丘の駅名は松原、金子のままだろう。故に八高線の金子駅が別の駅名になっているはず。
- 所在地の大字から「南峯」を名乗る。
- 明大前とつつじヶ丘の駅名は松原、金子のままだろう。故に八高線の金子駅が別の駅名になっているはず。
- 快速のホームがあるのは、笹塚、明大前、桜上水、武蔵鳥山、つつじヶ丘
- 現実の京王相模原線はJR橋本線。
- 中央線(各停)が橋本まで直通している。
- 土休日にはホリデー快速が茅ヶ崎まで運転する。
- むしろ西武が多摩ニュータウンに乗り入れているので相模原線は建設すらされなかった。
- 中央線(各停)が橋本まで直通している。
- ほぼ間違いなく世田谷区を通ってた。
- 当然ながら世田谷区内で唯一のJR線になっていた。
- 史実の京王線よりも南側に走っていた。
- そもそも飯田橋以西は違うルートになっていた。
- 停車駅は飯田橋(ここまで史実通り)、神楽坂(快速停車)、牛込、北曙橋、東新宿(快速停車)、新宿(快速停車)、代々木、参宮橋、南初台、代々木西原(快速停車、平日の快速は特快や特急を除き各駅停車)、南北沢、東松原(休日快速も停車)、松原、北経堂、北船橋(休日快速と特快も停車)、上祖師谷、北狛江(休日快速も停車)、南国領、新布田、調布(緩行線終着駅、ここから休日快速も各駅停車で特快や特急も停車)、南飛田給、多摩川競艇場、新是政、新府中(特快も停車)、南分倍、落川、百草園前、程久保(特快も特急も停車)、南平、八王子(ここから史実通り)
- 中央緩行線(各駅停車)は昼間は調布が終着駅になっていた。