阪神タイガース/暗黒時代

< 阪神タイガース
2013年6月19日 (水) 00:50時点における>吉田宅浪による版 (あれから随分、年が過ぎたんですなあ…… そろそろ優勝させんと。)
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※暗黒時代の外国人選手についてはこちらへお願いします。

暗黒の17年間の噂

  1. 1992年に優勝を逃したのは「八木の幻のホームラン」のせいだと今でも主張する。
    • その元凶はラッキーゾーンの撤去だったりして。
    • 「あれが入ってたら、優勝してたかも…」
  2. 「中継ぎ課」「神のお告げ」「F1セブン」など、この時代の阪神を語る上でネタに欠かさない。
    • この当時を知っているファンは、今でも「F1セブン」の7人が言える。
    • 正確には「F1エイト」で赤星、藤本、沖原、上坂、平下、松田、高波、田中の8人だが、既に全員阪神を辞めている。
  3. 川藤がコーチを2年間やっていたことを知っている。
    • 守備走塁コーチって・・・。
    • ひどいノックだったらしい。
      • 外野へと打ち上げたらスタンドイン→川藤「おら取りに行かんか!気合で!」
  4. オマリーと関川と野田が移籍先で大活躍。
    • しかし、関川・久慈の代わりに獲得した矢野・大豊もチームに貢献。
      • 矢野輝弘は暗黒時代から抜け出すのにも貢献した。
        • 矢野が正捕手になったのもチームが後に強くなったきっかけの一つだった。
      • 矢野が出て行って久慈が代わりに入った中日が突如優勝し、久慈がまた阪神に戻ったら突然阪神が優勝した。どっかの本では「不幸な矢野と幸運な久慈」と揶揄されていた。
      • 矢野が移籍してきた当初、活躍できなかった時ファンに「関川返せ、久慈返せ!」と野次られたらしい。
      • トレードされた当初は矢野はあまり期待されていなかったため、関川や久慈が出たことを恨めしく思ったものだが、最終的には矢野が一番活躍した。
      • 大豊はそこそこ活躍したが、ノムさんと喧嘩して阪神から出て行った…。
    • 放出した選手は活躍するという嫌なジンクスがあった。
  5. FAで獲った石嶺と山沖・・・。
    • 松永も入れようや。
      • 奴はトレードできてFAで出て行った。典型的な失敗トレード。
      • 松永は日本のFA宣言者第1号。
    • モミーは阪神好調時代に来たからか、阪神での成績があんまり良くなくても責める人は少ない。
      • A井さんは・・・危ないな。
        • 「優勝争いができるチームへ行きたい」、一応優勝争いはしているから、ある意味夢は叶っているのかw
  6. 「3連戦のうち1つくらいは勝つだろう」と思って3試合のチケットを取ったら、3試合とも完封負け。
  7. 19時からの野球中継が始まったとき、既に先発投手は降板。
    • 紳助が「阪神戦は18時から放送せえへんと先発投手が誰だかわからへん」と言ってたなあ。
  8. 4番の打率が2割5分・・・。
    • 3番だけど、バースは86年に.389も打った(シーズン日本最高打率)。
      • あのイチローよりも高いので、この当時を覚えているファンにとっては彼(バース)を誇りに思える。
    • 一方で新庄と桧山が巨人の清原と年間三振数を競っていた時代も……
  9. そういえば、たけし軍団にも負けたなあ。
    • その翌日、日光猿軍団と試合させようや!とか冗談を言った思い出がある。これで本当に試合やって負けた日には・・・。
    • ちなみにその翌年に阪神は2位になった
    • 弁護すると、本来とは違うポジションを守ってた・・・というのもある。野手がピッチャーやったりとか。←弁護になってるかどうか微妙だけど。
    • ダンカンいわく「帰りにブルペンをチラ見したら軟式球山積み。メッチャクチャ本気じゃねーかよ!と思った」だそうだ。まぁ選手が本来のポジション守ったら、いかに軟式でもたけし軍団ボロボロだったろうけど。
      • 中野猛虎会会長職的にはどんな気分だったんだろう?
    • スポーツ新聞は「阪神13位」とこの事象を報じた。むろん、PLや智辯和歌山にも負けるのではないか、と揶揄されていたときにも同じ表現が使われた。
      • なおマスコミを中心に暗黒時代の阪神は「ダメ虎」と表現することが最も多かったと思われる。
  10. 開幕戦は捨てゲーム、もしくは相手チームに対するボーナスステージ。
    • とある年の開幕戦、1回の表先頭バッターがヒットを放ち、「今年は行ける!」と思ったが、その後一人のランナーも出せずにボロ負け。
      • 和田がヒットを打つも、攻撃的2番の桧山がゲッツー、そのままパーフェクトでゲームセット。
    • 開幕戦の最多失点は17点(2001年ごろ)。でも巨人相手じゃ無理ないな…。
  11. 一時阪神の選手はオールスターのファン投票で新庄だけでチームの9割超の投票を獲得していた
    • そして2001年のオールスター投票では阪神の選手に1票も入らなかった
    • 「1票も」はサスガにない。1人もファン投票で選ばれなかったって事でしょ?
  12. チームの弱さは初期の楽天と良い勝負
    • 2008・09年のベイスでもいいでしょう。
      • その後の2年も90敗前後の戦績となり、遂に……となってしまったことを考えれば、まだ阪神のほうが良かった気がする。
  13. 松井在籍時の巨人「30点」取られて敗北した
    • 2003年8月のオリックス-ダイエーによる1-29がセパ分裂後新記録だったことからも分かる通り、戦後に1試合30失点(得点)はないはずだが。
      • 戦中なら阪急-南海で阪急が32得点やってるけど。
    • 3連戦で計30失点ってっこと(2005年日本シリーズの33失点のように)?
  14. 「巨人vs阪神」の伝統の一戦が「巨人vs中日」にとって変わる噂が絶えなかった
    • 阪神が完全に強くなりだす前の巨人・中日の開幕戦の時、テレビで「このカード(巨人・中日戦)は球史に残る名勝負が多い」と歴代の巨人・中日戦の特集をしていた。
      • そのテレビの特集では、阪神のことがすっかり忘れられている感じがした。
        • 巨人・中日の名勝負特集なので、阪神のことは忘れられててもおかしくなかった。
  15. 弱体化し過ぎて阪神身売りの噂が絶えなかった
    • 「今日も安全~」○○○○が政界スキャンダルを起こす前、200億円で買収話を持ちかけたことがあるらしい。
    • よく言われてたのはサントリーだったような気がするけど。でも自前でOB雇っちゃった(?)からなァ。
      • 吉本案もあったはず。
        • その吉本はオリックスと仲がいいみたい。
  16. 甲子園優勝校にも負けるのではないかとも毎年のように噂された。
    • PLより弱いのはお約束だったもんなぁ
  17. 村○ファンドによって一過性の暗黒時代がもたらされた事もある。
    • 天罰下り済み。
    • 旧ブレーブス親会社の傘下に入ってしまったので、今なお暗黒と見ている人もいるらしい。
      • 梅田で便乗商法するようになったことも影響している。
  18. 周りはみんな半袖の時から始まるストーブリーグ
    • それも着出した頃
    • 「鯉のぼりを下ろす頃には…」
      • ドラフト会議終了時に翌々年の構想を練っていた。
  19. 早ければ梅雨明けと同時に、来年のことを考え始めるが、4番とエースピッチャーには、まだ見ぬ新外国人を指名する。
  20. 「甲子園球場をPL学園の本拠地にするよ」とマンガに書かれていた。
  21. ピッチャーが好投している時に限って、打てない打線
    • でも、打線が爆発すると投手陣が大炎上
  22. 「明日も勝~つ!」は、当然禁句だ。
    • 日ハム時代も見事に発動。何故か所属チームではなく、阪神に。
    • 1999年、巨人槙原の敬遠球をサヨナラ打にした時に言ったら、翌日は敗戦、本人は5打席無安打(しかも3打席連続三振)……。同じ年、巨人戦で決勝本塁打を打ったときに懲りず発言したら、次の日から怒涛の12連敗
    • また、「優勝です!」と1992年に言ったら見事ヤクルトに優勝を取られた。
  23. 桑田佳祐に「今年の阪神は8位」と言われた事がある。当然、反論も出来ず・・・。
    • ちなみにこの御仁はアンチ巨人。巨人が負けた日のラジオでは「松田(巨人ファンのドラマー)ざま見ろ」とよく言う。
    • 「週刊ベースボール」の読者投稿コーナーでも、「あったら怖い」に「湘南シーレックス(2000年から2010年までの横浜の2軍名)に抜かれ、7位に転落する阪神。」と書かれていたこともあった…(その頃横浜はAクラスを謳歌しており、阪神の成績回復に合わせるかのごとく暗黒時代に突入)
  24. カラオケで六甲おろしを歌うと、映像に出てくるのは85年のV戦士
    • その映像を見て、85年を懐かしく思う。
  25. 藪の一発病、今岡のやる気のない走塁、桧山のセカンドゴロ量産は、暗黒時代後期を語る上で欠かせない。
    • 今岡は併殺王としても君臨。どんだけチャンスつぶすんや!
    • 今岡がノムさんに嫌われた理由がよく分かる。
  26. 1992年の成績は2位ではなく準優勝である
    • この年のセ・リーグは首位から最下位までのゲーム差がわずか9という大激戦(というよりダンゴレース)だった。だから成績的には大したことは無いのだが、それでも準優勝である
      • 常勝の中日が最下位。阪神と中日の立場が逆転した年だった。
      • この年のセ・リーグのペナントレースは、1998年のパ・リーグに共通する。
        • その98年のパ・リーグも、首位から最下位までが僅差の大混戦だった。
    • ヤクルト優勝の際は甲子園で胴上げを見る羽目に。場内は帰れコールだったらしい。
      • ちなみに98年の横浜、02年の巨人(試合は相手のサヨナラ暴投で勝ったが)の際はそんなことなかった。
        • ヤクルトのときは優勝争いしてて、その年は色々とお互いあったからな。
  27. 再建請負人のノムさんですら再建失敗。おまけに嫁の不祥事まで。
    • ただ赤星や井川らが育ったのは事実。もちろん、2003年の優勝は移籍組が活躍したからというのもあるが。
      • 赤星や井川らが育った事については、今最近の強めの阪神の基礎や土台を築き上げたとしてノムさんの功績は大きいかも。
  28. 最下位が指定席。
    • 最下位ではなく、「6位入賞」である。
  29. 巨人を3タテしただけで、その3タテした試合のビデオが売られたらしい。
    • 2リーグ分裂~99年までの甲子園で巨人を3タテした全カードの映像集だった。ここで訂正。
    • こういうのを見て憂さを晴らしていたのだろうか・・・。
    • 実際、1度でも巨人を3タテできたら、半年はその話題で盛り上がれた。
  30. 暗黒末期の頃、阪神タイガースの人生ゲームが売られたらしい。
    • 私、持ってます。
  31. 山田勝彦の打率=山田の身長。
    • この人が出て行ってから東邦高校はセンバツ優勝、阪神は18年ぶりの優勝、日ハムは44年ぶりの日本一。楽天は創設7年目で日本一か?
  32. 「4番ファースト藪」ってありましたよね???
    • 2000年ごろの、遠山と葛西のワンポイントスイッチに似てる…。
    • 2000年の4月頭ぐらいに藪が4番ファーストで偵察オーダーに入った。4番に偵察とか言ってはいけない。
  33. 99年前半戦の快進撃には、野村監督の人形が作られたらしい。
    • その年は首位に短期間だったもののなったことがあった。
    • そのときに飛び込んだファンがいる。
    • 1999年ということもあって、ノストラダムスに絡めて「ノス虎ダムス」なんて本も刊行された。恐怖の大王はノムさんとサッチーだったとか。
  34. 何となく暗黒時代の阪神って今のベガルタと共通点ありそうな気がする
  35. 何年だったか忘れたけど、村山が長嶋から疑惑のHR打たれた展覧試合と同じ日に、岡田がガリクソンから逆転満塁HRを打って、大騒ぎになったことがある。
    • 平成元年のことだった。天覧試合の30年後だった。
  36. 13ゲーム差をひっくり返される大失態。暗黒臭がしてきたorz。
    • 「若手育成に失敗」、「贔屓で起用した選手が小さくまとまった」育成面でも暗黒臭がする。
      • この辺、2006年ごろのアンチ巨人による巨人批判と共通していないか?
    • かといって、ここで岡田が辞任すると吉田辞任後の阪神と同レベルになりそうな……
    • 2009年、予想以上のペースで懸念が現実化しつつある。
      • もし真弓監督がここで解雇されてしまえば、1987年の吉田解雇後の流れが復活してしまいそうな気がする。監督に全てをなすりつけてフロントが変わろうとしないのであれば、打開は不可能だろう。
      • しかし後半盛り返し、9月に入るとCS出場が射程圏に入るほどになっていた。
    • 絶対負けてはいけない試合で連敗。ついに暗黒の門が開いたか?
  37. もしサッカーのようなシステムだったら8部リーグ辺りまで降格していたかも知れない。
  38. 阪神だけ1軍を他球団の2軍にし、2軍は3軍として草野球専門球団にしたらどうか…って話を飲み屋で当時はしていたと、暗黒時代を懐かしむファンから聞いたことがある。
    • 上にもあったが91年にたけし軍団に2軍が負けたので、プロ野球界の面子を保つためにはこれもしょうがない・・・って。じゃあ翌92年の戦績は何なんだ?
    • 因みに98年に18連敗した球団も阪神と試合した翌年の92年、同じようにたけし軍団と戦って負けたんだが。
      • 2005年にはこの両球団が日本シリーズで対決した。
        • 弱小だった両チームが強くなって、当時を知るファンにとっては「変わったなぁー」と思えた。
    • また、ノムさんが社会人野球のシダックスの監督になった時に、阪神2軍と試合してシダックスが勝った。
    • しかし一方で、2軍は1軍が最下位常連だった時期に優勝や日本一を経験したりしている。それもノムさんが1軍監督だった頃(1999年と2001年)。そのときの2軍監督は岡田。
      • 阪神の珍プレー特番でもよく取り上げられた。
      • 「阪神二軍日本一、野村阪神首位一日」と締めくくった1999年。
      • 「阪神の選手は1.5軍ばかりだった」ともよく言われた。
  39. 2009年3月、暗黒時代になった原因と言われたカーネル人形が24年ぶりに発見される。
    カーネル人形は見つかったが…
    • 呪いが解けるのか、それとも眠りを妨げられたカーネル人形の呪いが増大するのか・・・。
    • 2003年と2005年に優勝している以上、呪いのことは「日本一出来ない理由」として今後は語られるのかと思っていたが……既に海に流されていてもおかしくないと思っていたので、発見は正直驚き。
    • その後、オープン戦では阪神災難続き・・・。
      • ファラオの呪いのように掘り起こしたのがやっぱりマズかったか?
      • 対巨人戦でも2008年から引きずって11連敗・・・
        • やっとストップ、しかし前監督7敗は自分のせいなのに全部現監督のせいみたいに言っていた・・・。
      • OBの無責任な現体制批判も暗黒復活の兆しかなぁ。
      • 遂に暗黒末期の監督相手に借金記録を久々に二桁とさせられた……これで最下位チームとはまだゲーム差ありってのが信じられない。
      • 今年(2009年)はカーネル人形発見に加え阪神なんば線の開業で奈良方面からの観戦も便利になったことなど明るい話題もあっただけに成績低迷は残念だ。
        • 結局4位。
          • 終いには、赤星引退という嫌なニュースで1年を締めくくった・・・。
        • カーネル人形は阪神なんば線開業を祝っていたのかも。
  40. オープン戦とペナント戦は全く別物だった。
    • オープンで無駄に力を使っていた。
      • それでペナントで力が出なかったかも。
      • オープン戦では調子良かったのに、油断していたのかペナント戦では振るわなかったり。
      • ペナントレースに突入しても「まだオープン戦」などと言っていた。
  41. 監督は常に口笛を吹いていた。
    • あのノムさんも吹くようになった。
  42. 定位置につくことが確定すると、とたんに強くなった。
    • シーズン終わりがけに連続安打とか……
      • スタンドから「こんなとこで打つなアホ!シーズン中盤に打っとけ!」とヤジが飛ぶ。
    • 確かに(強くなっている最近以上に)前半戦より後半戦の方が、印象に残る勝ち試合が多い。
  43. すべての出発点は掛布とバースの不遇引退・解雇だった。
    • この1988年には球団社長の自殺まで・・・チームもフロントも空中分解した。
    • そもそも掛布が88年に引退するきっかけとなった、86年に掛布が死球で左手を骨折し選手生命を棒に振っていたことが(本当の)始まりだった。
  44. 他球団(特に巨人)にとって当時の阪神は、一番戦いやすいチームだったかも。
    • 「楽勝」と思いながら余裕こいた奴も多かったかも。
    • 現在の銀行球団と同レベルに見られていたのだろうか。
    • 暗黒17年間(16年か18年という時もある)というが、巨人には17年間連続負け越しという記録も作ってしまった。
    • 1990年ごろのファミコン雑誌には野球ゲームで「タイガースで優勝することはほぼ不可能」と書いてあった。
  45. 阪神電車の株主総会、財務や経営のことはほとんど議題にならず、タイガースの事が主な議題となる。
    • 勿論本社の財務・経営、タイガース以外のレジャー関連、その他モロモロについては、質疑応答もあるしヤジのひとつも飛ぶ。しかしタイガース関連の質疑応答に比べれば大したことないレベル。
    • 今の株主総会でもタイガースの話題が全体の多くの割合を占めている気がするが。特に不振シーズンのあととかは。
    • この辺りは、阪急阪神ホールディングスに移行しても変わらず。
  46. 近鉄ファンにバカにされる。
    • 近鉄もタイガースと同じで、強い時と弱い時の差が激しかったと思う。
    • オリックスファンからもバカにされてたはず。
    • 阪神なんば線の開業前、西大阪線延伸計画と呼ばれていた頃の鉄道関係書籍に「これができれば日本一弱いプロ野球球団の親会社同士のレールがつながる」と書かれた。
      • 阪神がそして強くなったと思ったら、近鉄が消滅した……
      • なお、その本の作者は阪神 vs 近鉄の日本シリーズが西大阪延伸線(→阪神なんば線)全通時に実現してほしいと作中でコメントしていた。
      • ちなみに阪神なんば線開業後、一度もリーグ優勝していない。
  47. 死のロードの前に、とっくに死んでいた・・・
    • 優勝できないのを死のロードのせいにしがちなファンが多かったが、現実にはオールスター前に定位置だった。
  48. この17年間、阪神以外のセ・リーグ5球団全てリーグ優勝を果たしていた。
    • いかに、当時の阪神が弱かったのかがよくわかる。
    • その中には38年ぶりの球団もありましたけどね……
    • 1974年~2005年のロッテや1981年~2006年の日本ハムも、優勝のブランクの間に相手チーム全部に優勝されていた。
  49. これだけ弱い時代のことがネタになる球団は、阪神以外は無いかもしれない。
    • どこだったか忘れたが、1シーズンに100回負けた球団もあるのに。
      • いやそれもタイガースじゃないの?
      • 日本だったら史上最低勝率と最多敗数は真珠球団が達成しています。
      • 南海とダイエーのほうがBクラス年数は長かったのにそんなにネタにはならないしなあ。まあ生卵はやばかったけど。
        • 確かに南海・ダイエーは20年間Bクラスにいたし、暗い話題と言えば生卵事件くらいしか思いつかないが、明るい話題も少ない気がする。
  50. どういうわけか、この時代の野球ゲームでも、1シーズンプレイすると阪神は必ず最下位になる。
  51. スタメン9人のうち6人の応援歌が、ヒッティングマーチ2番。
  52. 1962年、1964年と優勝をしてから21年間優勝をしていなかったのでもしかしたら今度優勝するのは2005年から数えて21年後かもしれない。そこからまた18年間優勝できなくなるかもしれない。
    • 日本一にいたってはハレー彗星接近の前年の1985年。次の阪神の日本一は次のハレー彗星接近の前年である2060年になるかも知れない。
  53. TV番組でアナウンサーが「阪神もっと頑張ってくださいよ~」と言っていたが本音は逆であった。
    • 巨人ファン?
  54. 東京ドームでの巨人戦だと放送時間延長どころが逆に放送時間の半分も経たないうちに終わってしまったらしい。言うまでもなく巨人の勝ち。
  55. 優勝がなくなってからの試合は親善試合だ。
    • 最下位が決まってからじゃないの?
    • 親善試合になると何故か勝ちだす。しかも記録をまでこさえたりしだす始末。
  56. 2008年のV逸以来、暗黒突入の噂がしばしば現れたが、2012年7月になってもう冗談視できなくなってきた……
    • その時から言われる戦力老朽化、若手の不在は全く解消せず。2009年・2011年と4位も2回経験。成績はヤクルト以下に。
      • ついには5位に。CS進出も厳しくなった状況。阪神ファンの心境はいかに。
    • 掛布・バースの1988年の不遇解雇に似た匂いまで最近は……ここの項目に書かれる伝説が増えるかもしれない。
      • 金本・城島引退、コバロリ戦力外と、いくら成績が酷かったとはいえベテランを一気に切ったら戦力が崩壊しそう。球児は間違いなく出ていくし、鳥谷もまだ分からないのに。
        • 鳥谷は残留。でも平野が……
    • 挙句、フロントは若手育成よりオチメの選手に大金を払って獲得って……
      • 一部では、骨董品商売とまで言われている。 
  57. 20年間も負け越しを続けるMLBパイレーツがせめてもの慰め?

暗黒時代のファン

  1. 阪神が弱かった頃にガラガラの甲子園で応援していた人こそ、本当の阪神ファン。そしてそういう人は決まって、現状に嫌気が差して球場に来ていない。
    • あの頃は、負け試合を観に行った事のスラングに「芝生鑑賞をして来た」というモノがあった。
      • うちの学校では「小/中連体の下見に行ってきた」というのが流行った@西宮
      • 高校野球の下見に行って来た」ってのも聞いた(大阪尼崎在)。
    • 暗黒から応援していて、今は鼻高々な人ももちろんいる。
    • この頃の自由な阪神のほうが好きだった人も少なくない…はず。
  2. また、ヤクザだが選手応援歌作曲センス最高の中虎連合応援団がいなくなり、健全だが応援歌作曲センス皆無のダサ黄色ジャージ応援団が跋扈していることに憂いている。
    • 個人的な話で申し訳ないが、シーツの応援歌のファンファーレだけは評価してる。それでもアリアスの「メシアフロムUSA」には負けてるけど・・・。
      • 特に八木や秀太の応援歌は良かったし、今でも口ずさんでしまう。今のバルの応援歌なんかかなりやる気がない。
        • 秀太の曲って確かにええ曲なんやけど、元々中野が使ってたオヤジギャグソングなんだよな……
      • 確かにこの暗黒時代の選手の応援歌は意外と良い曲が多かった。自分もこの時代の選手の曲で好きな曲は多い。
  3. 苦しい時は、あの85年の栄光の映像を見て耐えてきた。
    • そのため2003年5月9日に「平成の三連発」(横浜戦)を目撃し、これでこの年の優勝を確信したファンもいた。
  4. 10点のリードでも逆転されるんじゃないかとハラハラしながら観戦。
    • でもいつだったか、1回に満塁ホームラン2本打った時はやり過ぎだと思った。
      • 1996年10月の試合で新庄と塩谷が記録していた。確かに凄かった。
      • 某特番では「(6位入賞が確定して)開き直ったら強い」と揶揄された。
  5. そう言えば昔、徳光が「阪神が優勝する事はハレー彗星が来るのと同じ位の珍事」って言ってたけど
    • 空き巣に入られた家主が一番嘆いたのが「頼むから優勝記念のライターだけは返してくれ。もう二度と手に入らんのやから」・・・
      • わかるぞ~~、わかるぞ~~
    • 1985年のこと。この発言の2年後だったか、暗黒突入は。
  6. 負けることを前提に試合を見に行く。ゆえに万が一勝ってしまったら、球場の外でも馬鹿騒ぎ。
    • 勝った時の甲子園の高架下は、無法地帯だった。
  7. 大量得点をあげて勝つと、自分の身に良からぬことが降りかかるのではと、不安になる。
    • あるいは大連敗と言う反動がくるに違いないと思っていた。
  8. いつかバースが選手として帰ってくることを、本気で願っていた。
    • 「ああ、ここにバースがおったらなぁー」と呟いた人もいたはず。
      • それで、生まれた格言「バースの再来」。実際に、再来といってよかったのはオマリーとパチョレック、アリアスくらいかな。(2003年以前)
        • それ以外はバースの再来の再来と言われる始末。
  9. ファンの合言葉はあと100連勝すれば逆転優勝できるから。
    • シーズン前に先発投手の勝利数を予想して合計すると、余裕で100勝を越える。しかしその内容は「藪18勝、川尻15勝、湯舟15勝、中込13勝、山崎10勝」のような到底不可能な設定。
    • 夏を超える頃には「残り試合全勝でAクラスや!!」と目標が下方修正されている。
  10. シーズン中は、3日に1回はファンを辞めようと思っていた。
    • それでも関西の球団ファンに転じることができず、ずるずるとファンを続けていた。
      • それらの球団が好調&優勝したとき、にわかでそっちのファンに転じるものもいた。
        • その中には、単に優勝セールや騒ぎ事狙いの人も結構いそうだが。
        • ★縦縞のハッピを着た人が、グリーンスタジアム藤井寺に来てた。
      • その他球団のファンに乗り換えようと思っても、やっぱり阪神に未練があり乗り換えきれなかった。
        • 親の影響でファンになったとかいう場合、特に多い。
      • ファンを辞めたいと思っても、一度も浮気しなかったのは「真のファン」。
  11. 圧倒的な負け試合の中トラッキーのパフォーマンスが唯一の楽しみだった・・・
  12. この頃からファンをやってる人は、2007年オールスター明けの驀進劇~嘘のような連敗を見て心のどこかでホッとしたハズ。
    • 「9連勝したら10連敗する」なんて事が多々あったモノだ。暗黒時代は。
    • 2008年の戦績(13ゲーム差からのV逸)を見ても、この時代からの阪神ファンの中には「当然だろう」「むしろ安心した」と思う人が少なからずいるらしい。
  13. 当時からのファンは、「自分が観戦したから負けた」とか、「自分がファンだから最下位」とかいう考えが染み付いてしまっているので、強い今でもチームに申し訳なくて観戦できない。
    • そのためどれだけ他球団とゲーム差が離れようと、リバウンドを恐れる阪神ファンは今なおいる。
    • 怪我をしたり物をなくした日は、試合に運が向いてくると思って観戦に行った人もいるらしい。もちろん、更に憂鬱になることの方が多かったらしいが・・・
    • これと関係あってか強くなっている最近でも、負けかけていると「見てたら負ける…」と思い、テレビのチャンネルを変えたくなる。
      • 甲子園などの球場で見ているときも、ピンチになると目をそらしたくなる。
  14. 3連戦で「斎藤・桑田・槙原」をぶつけてくる読売は、血も涙もないと思っていた。
    • 槙原だけは嫌な思い出ばかりでもないけどね。
    • 槙原は伝説のバックスクリーン3連発や新庄の敬遠球サヨナラのイメージが強すぎる。
    • だが、槙原が出てきたら勝てる気が全くしなかったのも事実。
    • 槙原の阪神戦成績は38勝10敗と、阪神戦がもっとも得意だった。2つの負け試合が有名すぎるために意外な印象がするが。
    • 兵庫出身の村田が阪神戦にやたらに強かった。
    • あの頃の読売は人でなし集団に見えた。
      • 阪神ファンのアンチ巨人傾向はいつになっても変わらないが、この頃は巨人を試合以外の面でしか貶めることができなかった。
      • ジャンパイアとかドームランなどを唱える輩もこの頃は多かった気がする。
  15. 1回の攻撃、1番和田豊の応援歌を歌い始めた時が、試合で一番楽しい時だった。
    • 「おとこーならいーのちかけーてーぼーるーにーくーらーいつーけー♪」
      • 「ゆけよーゆけよーわだゆたーかーおまえーのーでんばんだぜー♪」
    • その次が「こーのーいちだにかーけろー♪」だった事がある。暗黒史に残る謎の「スタメン2番・桧山」・・・(しかも開幕3連戦でやった)
      • 2番は「レツゴーレツゴーてるーよし」がデフォじゃないのか!?
        • 中日に行ってまた阪神に戻った久慈か・・・。沖原に応援歌を譲ってもらえずヒッティングマーチ2番だったな・・・。
        • 実は、最初にこの歌を使っていた吉竹も2番打者というのが多かった。
    • シーズン中の希望といえば、和田の打率だけだったというファンは決して少なくない。
      • 暗黒期後半は新庄の珍プレーもだぜ。
    • 2001年の和田の引退スピーチを聞いていた人は、2003年の優勝の感動も一入だったと聞く。
      • また某所では選手としての和田豊と、2012年以降のスパイスを別人扱いしているところがある。
      • 2012年は、アレやったけれども、2013年は、交流戦前の時点で破竹の勢いで突っ走ってて、和田の優勝への意気込みが伝わってくるようで、これも、あの引退スピーチが思い起こされてなんか泣けてくる……
        • 優勝してしもたら往年のファンは発狂するかも……
  16. 負け試合を見せられ、「二度と見に来るか!ボケ!」と捨て台詞を残し、次の日も同じ席で観戦
    • 阪神ファンの悲しき習性。今の横浜ファンより熟成されていただろうか。
      • それでもあちらは内川・村田といった個人タイトル獲得選手が出てくるだけかなりマシなはず。
        • 和田豊とか、どんでんとかってタイトル持ってなかった?
    • とりあえず得点してくれれば何でも良かった。
  17. 子どもの時、「何で阪神は勝てないの?」と親父に聞いたら「阪神だからに決まっとるやろ!」と言われ、それ以上何も言えなかった。
    • 僕も昔、「何で阪神と巨人はこんなに強さの差が激しいの?」とオカンに聞いたら「阪神と巨人は、小6と小1の喧嘩みたいなもんやから、しゃーないやん」と言われて納得せざるを得なかった。
    • 「阪神は草野球チームでリーグに入れてもらっているんだ」って言われた人もいたと聞いたことがある。
  18. ぶっちぎりで指定席への道を突っ走ってた時、七夕の短冊に「阪神が優勝しますように」と書かれているのを見て、思わず泣きそうになった
    • 優勝は無しでも良いから3位にはなってくれって言っていた人がいたぞ
    • ゴメン、絵馬に書いたわ。
    • 1992年は狂喜乱舞(だった、途中までは。) byその時はまだ生まれていなかった中学生
    • 甲子園裏の素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)の絵馬には「せめて3位、最悪でも4位に入ってくれ~」「Aクラスなんて贅沢言わん!せめて5位に…」「もう最下位は嫌や~」など切実なメッセージがあった。
      • 5位入着させてくださいと書いたことあるわ。でもその年も(ry
  19. 5位のことを「セリーグの5本の指に入った」と言う。
    • 又は、競馬風に入着、もしくは着を拾うともいう。
    • 1990年代後半は最下位が当たり前だったので、1997年に5位になっただけでも嬉しかった…。
      • 「今年のタイガースはよく頑張りました。大躍進の5位!」とバラエティ特番でも言われました……
  20. 15年前の虎の涙が、今、美味い!
    • 2008年現在で唯一の現役、檜山がそんなに貢献しているかどうかは微妙なところである。
      • 「焼酎」の話よ。
    • 2003年に阪神百貨店の優勝セールで日本酒買ったけど、2年後に飲む事になるとは思わなかった。
  21. 新聞の順位表は下から見てしまう。
  22. イチローの打率よりも、勝率が低くなったらどうしようと戦々恐々。
  23. 俺が小学生の頃、ポケモンで阪神はコガネライコウズだよなと言ったらライコウ好きの俺の友達がきつい一言(以下↓)
    • ハア!あんなチームライコウが可哀そうだよ!、阪神はゴ○○○ズで十分だよ!」と言っていた
    • ちなみに「ゴ○○○ズ」はポケモンですら無いし・・・
    • 実はアニメ版ポケットモンスターには「コガネエレブース」が登場しているんだよね。コイキングスとかも出てた(元ネタはあえて言うまい)。そしてエレブースの成績はというと・・・お察し下さい。しかしポケモンでもネタにされる阪神って・・・
  24. 「せめてゲームの中だけは・・・」とファミスタパワプロに現実逃避を試みるも、ちっとも現実逃避になっていなかった。
    • 上のほうにも書かれていたが、攻略本でも駄目押しされる始末。
    • パワプロ95では結構強いけどな 他は知らんが
  25. 「最下位を脱出した」だけで、道頓堀川へ戎橋から飛び込む人がいた。
  26. 当然のことではあるが、最近以上に大阪の巨人ファンが少なくなかった。阪神ファンとしては、地元にも関わらず、(色んな意味で)肩身の狭い思いをせざるを得なかった。
    • 友達や先輩に好きな球団を聞いたところ、大阪にも関わらず「巨人」と答える人が多く、がっかりした。
      • 続けて「何で巨人なん?」と聞くと「阪神ショボいやん」と答えていた。確かに無理なかったな。
        • 今中学生だが、今でも名残か(もしくは再来か)その傾向がある。野球部員の3割は巨人ファン。ちなみに4割阪神、2割オリックス。
          • そのうち、また出てくるんやろな。「実は俺阪神ファンだったんだ」とかホザク奴。
        • この頃の関西の巨人ファンは1985年の阪神優勝以前(特に昭和40年代の巨人の超黄金時代)よりも多くいたかもしれない。
        • 小学校の同級生で、クラスに1人以上は巨人ファンがいた。よりによって星野監督時代で阪神ファンの先生のクラスだった。
    • こういう人たちに限って、星野監督時代ににわかで阪神に乗り換えてきた…。
      • “仲間”が増えたのは少しうれしいが、素直に喜べなかった。
      • 素直に喜べなかったというよりも腹が立った。
      • 「よく巨人を捨てれたな」とも思った。
        • それから数年経ってから八木や新庄を忘れてる事からも今なおにわかが健在なのが伺える。
          • にわかに対して「これまで阪神の『ハ』の字も出さんかったくせに今更阪神もないやろ!」と怒るファンも少なくない。
            • 全くその通り。
      • 阪神が強くなりだした星野監督時代、にわか阪神ファンが多かったがアンチ阪神も相変わらず多かった。
        • 俺自身、阪神ファンになりたての2001年頃は「阪神ショボい」とからかわれていたが、阪神が強くなればなったで「優勝しやがって…」みたいなことを言われた。
          • あっ! にわかめっけた。でも正直でよろしい。
          • 2001年(野村最終年、和田引退年)なら「ニワカ」でも「弱い現状含めて愛してる」ということだから、良いファンだと思うが。
            • そもそも「にわか」と常にいってたら、新規ファンが入ってこなくなってしまう。
              • あの~~、「でも正直でよろしい。」と書いて良い評価をさせてもろたんですけども……
              • 2003年や2005年の優勝をみてからファンに成った人ならともかく、暗黒最末とはいえもう12年経ってる人を「にわか」というのに違和感を覚えたもので。
              • へえ!そんなに経ってたんか…… 感覚的にはまだ5年くらいしか経ってないもんやとばっかり思ってた…… 年とるとなんか5年10年くらいの感覚ってずれてくるんよね、すんません。
            • 野村最終年って、スコア的には弱かったけど充分復調傾向出てたような気がする。
      • 結局、彼らは真弓、和田の時代に巨人ファンに戻っていった。
  27. 2008年、阪神ファンが巨人のホームランになる打球を妨害したが、実は暗黒時代には新庄の打球を妨害して2ベースにしてしまった。
    • その人の試合後の処遇については定かではないが(応援団員だった)、新庄本人は後のTV出演時に彼を擁護する発言をしていた。
  28. 現在はみんな座っているけど、暗黒期はガラガラのアルプススタンドで立って応援。
    • もしくは席で横になって野球鑑賞。
    • それでも流し素麺や麻雀をしていないだけマシだと思う。
  29. ペナント中、試合が無い日だけほっとすることが出来た。
    • 試合に勝てた日も心穏やかになることは出来なかった(後遺症が怖かった)。
    • ペナント中の試合が無い日だけでなく、ペナント終了後の“本当の”ストーブリーグに入った時もほっとできる。
      • ある意味、気分転換のしやすい時だった。
  30. 序盤だけ好調ということが多かったため、優勝した2003年も実はずっと阪神半疑(半信半疑)だった。
    • 6月、7月、8月と月が変わる度に、「そろそろダメだろう」と思っていた。この年も死のロードは大きく負け越したからなお更。
      • いしいひさいちの漫画で、あまりに阪神が序盤独走するのでナベツネが強引に2003年のシーズンを前期後期制にしたところ、阪神の選手がとりあえず前期優勝だと大はしゃぎして「今年このまま優勝できるとは誰も思っていなかった」というオチがあった。
    • そしてそれが現実になってしまったのが2008年……暗黒時代からのファンだからまだ耐えられたが、やはり悲しい。
    • 当時の阪神に慣れてるだけに、2、3位で優勝を逃した時「昔(つまり当時)を思えば、恵まれている」と思う。
    • この当時のことがあるだけに、快進撃を続けていても、いつ没落するか心配でチームの快進撃を素直に喜びづらかった。
  31. 甲子園球場には失策という名前のコントを見に行っていた。
    • 巨人をはじめとする他の球団選手にどれだけ笑われ、さらにどれだけTVのネタにされただろう・・・
      • キヨに笑われた新庄、成長が見えない今岡……
    • ゴロが失策で本塁打になってしまったことまで・・・
    • 凡フライでもちゃんとキャッチできるかどうか常に不安な状態で試合を見ていた。
  32. 余りに球団が不甲斐無かったため、ファンが抗議で応援するのをやめてしまった時期がある。
    • 「鳴り物中断」と週刊誌にも書かれた。
      • 鳴り物中断どころか、阪神側スタンドがほぼ無人だった時期もあった。
  33. 試合で一番盛り上がるのが、途中経過で読売が負けているのを知った時。
    • 他力本願しかできなかった。
    • あるいは「阪神対巨人3連戦のうち、1勝でもいいからしてくれ」と思っていた。口が裂けても勝ち越しとか三タテなんて望めなかった。
      • 万が一勝ち越しでもしようものなら2カ月間、そして3タテしようものなら半年間は話のタネになった。
    • ちなみに現在でも途中経過で読売が負けているのを知った時は凄まじく盛り上がる。
      • 土・日に虚塵(巨人)がデーゲームで負けた日の阪神のナイターでも良く盛り上がる。2010年夏などの首位争い中なら尚更。
  34. 元阪神ファンであった者や関西出身者で、他球団で活躍している選手を見ると、羨ましく思うとともに自軍のフロントを恨んだ。
    • 90年代後半だと代表は松井。
      • 次が古田だけど、何故か池山はあんまり言われないなぁ。
      • 最近では巨人の坂本。
      • 松井はプロ入り前阪神ファンだったので、大リーグ時代「もし日本球団に復帰したら「阪神松井」を見てみたい」と思っていたが2012年シーズン限りで現役引退…。ついに「阪神松井」を見ることはかなわなかった。
    • 野球を題材にしたギャグ漫画だと、野村監督が松井を阪神に移籍させようとして失敗する場面がよくあった。
    • その点では、下柳(日ハム時代に中野猛虎会所属)が阪神に来てくれてホンマに良かったと思っているファンは多数。
  35. 2003年の優勝を見たとき、次はまた18年後に違いないと思っていた。
    • 阪神優勝特集の漫画でも「18年後また会いましょう」なんて記していたのが沢山あった。
    • 1985年の21年ぶり優勝時にも同じように「次は20年後だろう」と思っていた人はいるらしい。ほとんど事実(そこまでの過程は悲惨だが)となったが。
    • 2004年にスポニチの4コマで岡田監督(当時)と巨人・堀内監督(当時)が話をしていて、堀内に「また去年みたいに優勝するでしょ。…18年後に」と言われ、岡田が「分かりやすいオチや…。」と呟いた。
    • そういう意味では、2005年の優勝を見たとき、阪神が強くなったのを喜ぶ反面、10~20年に一回しか優勝できなかった事もあって正直びっくりした人も多くいたはず。
      • 実際、ココリコ遠藤がスポニチの取材で「次は50歳ぐらいまで待たなアカンと思ってた」と言っていた。
  36. 試合で大量の得点差を相手に対してつけると、「今日はもうええ、明日に取っといてくれ」と願った。
    • もちろん、連勝は初めから期待していなかった。
  37. 2001年のみだったが、実はここよりも先にビッグフラッグを使っていた。
    • 紺色で「Let's Go!Tigers」と書いてあるでっかい旗。ナゴヤ東京で使っているのを見たが迫力があった。
  38. ロッテと大洋に親近感があった。
    • それゆえ2005年の日本シリーズは、始まるまでは期待していたファンも多かった。
  39. リーグ優勝といえば、セではなく、ス(=ストーブの略)だった。

暗黒時代のマスコミ

  1. 「猛虎!破竹の2連勝!」とデイリースポーツに書かれる。
    • 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
      • キャンプの50m走のタイムが1面になった事もあるぞ。
    • デイリーはこの時期の阪神に慣れたのか、阪神の戦果を大本営発表みたいに報道できるようになった。それは今も変わらず。
    • そんな感じで尽くしてくれてる、デイリーに対して、最近の阪神はつめたい。暗黒時代もず~~っと見守ってくれてた唯一の新聞なのに。
  2. デイリースポーツの一面に「坪井4の2、行けるぞ新人王!」とでっかく書かれ、その下に小さく「チームは5連敗」と書かれていたことは内緒だ。
    • 一応、特別表彰はして貰えた。川上憲伸・高橋由伸・小林幹英と争ったから(新人王は川上)
    • 彼に限らずルーキーは活躍していた。
      • でも、いつの間にか忘れられていく。
  3. 「や~ってくれたね~、タイガース~♪家庭円満、タイガース~♪」
    • 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
      • 負けソングの方が聞く機会が多かったことは秘密だ。
        • 勝ったときしかこの「プロ野球イレコミ情報」は見ていなかったので、前者の曲しか頭に残っていないという人もいる。
          • せっかく連勝してもそれがズームインのない金・土の試合で、日曜日は負けて結局月曜日は負けソングなんてお約束も。
    • このコーナーで「85年の優勝がきっかけで阪神ファンになったら…、大乃国(康:第62代横綱)が横綱になったのでファンになったら…。そして僕の仇名は疫病神に決まりました」という視聴者のハガキが紹介されたことがある。
    • 「負ける気せんね」と「ハイハイ敗」って言うのか。曲は聴いたことあるが、曲名があるとは知らなかった。
      • これらを歌ったのは、当時ズームイン!!のキャスターだった讀賣テレビのアナウンサー。後述の「なんぎやなぁ」を流行らせたのもこの2人。
        • 今や彼等は理事・報道局次長(実質局長)に編成局アナウンス部長。時の流れを感じる。
          • 理事の方が退社して2年ほど経って、もう一度iTunesで再リリースした。しかも、発売同日に歌謡曲部門1位獲得!!
    • なんぎやなぁ」は1987年の流行語。しかし本当の難儀はここから16年も続いた。
      • 1987年、「一昨年の優勝が嘘みたい…」という台詞も流行った。この台詞の通りだった。
  4. 東スポが「阪神1位!!」と見出しを書いたが「評論家によるセリーグ最下位予想」のことだった。
  5. サンテレビの夏休みちびっ子解説者にまで、ダメ出しを受ける
  6. エイプリルフールで「阪神優勝!」と会見したら、その年最下位になったらしい。
    • 1998年のこと。87年から2001年まで15年中10年が最下位と言う惨状だったから、吉田監督も関係者もみなやけくそだった。
      • 同年放送された「テツワン探偵ロボタック」のある回で、敵キャラが虎ファンで「今年は優勝だタイガース!バッティング対決」というものをやっていた。
        • さらに、その回に出て来た暗号が85年のスタメンの背番号。
        • その2年前に放送されていた「激走戦隊カーレンジャー」のある回でも、虎ファンのメンバーが阪神のハッピを着て「今年こそ頼むで」と神社に願掛けに行っていた。
          • そのメンバーは「何年待たせれば気が済むんねん」と半分キレていたのは言うまでもない。
    • このエイプリルフールの優勝会見は同年の寅年にちなんだものだったらしい。
      • 開催したのは球団ではなく日本外国特派員協会。エイプリルフールとはいえ外国の方もえげつない。
    • いや、優勝したぞ!2軍が……
  7. 1995年にサンテレビジョンが阪神球団60周年を記念し、「今年の阪神はいつ60勝するか」と視聴者クイズをしたら、130試合中46勝しか出来なかった。
    • そして「出来ない」と書いた視聴者が実際にいて、正解となったらしい・・・
    • 途中から、「ホームラン60発はいつか」に変更してクイズをまた出したとか。
    • 2008年にサンテレビは「優勝時の岡田監督の胴上げ回数」を視聴者クイズとして流し、この伝説の続きを作った。いい意味じゃないだろうが・・・
    • この年は阪神・淡路大震災があり、同じ関西球団のオリックスがリーグ優勝して神戸市民を勇気付けたのに対して、西宮市に本拠を置く阪神は前年の戦績を大きく下回って4位から6位に転落、明暗がはっきり分かれることになった(それでも人気までは逆転しなかった)。
      • 「オリックスは震災に見舞われたファンに元気を与えてくれたが、阪神はファンを失望させた」と某ラジオ局のDJが言っていた。その同じ局で別のDJが「オリックスはみんなの夢をかなえてくれたが、阪神は現実の厳しさを教えてくれた」と言っていた。
      • この年は藤井寺市に本拠地を置いていた近鉄も前年の成績を大きく下回り2位から6位に転落、完全にオリックスと阪神・近鉄で明暗が分かれる恰好になってしまった。ちなみに甲子園が震災で使えない時に藤井寺球場で阪神がオープン戦を開催したことがある。
  8. 志村けんのコント番組でもネタにされたことがある。
    • タイガースの選手扮する志村と田代まさしに、オーナー扮する桑野信義が球団移籍を通告するもの。
    • 桑野は志村がヤクルトへ、田代が読売へ行くのを命じたが、野球をするわけではなく、志村が乳飲料配達を、田代が新聞配達をするというオチ。
  9. 「珍プレー好プレー」では阪神一球団だけで番組の半分くらいになるほどのネタができた。
  10. 20年ほど前の関口宏のクイズ番組で、「今年優勝しないと思う球団は?」という調査があって、12位から2位までは紹介されたが、関口には「1位はお分かりだと思うのであえて紹介しません」と言わてしまった。言うまでもなく1位は阪神だった。
    • 「クイズ1○○人に聞きました」か?
    • 『100人に聞きました』で阪神が次に優勝するのは何年後というのがあって、1位は『永遠に見られない』。TBSに苦情電話をしたのは言うまでもない・・・
  11. フジテレビのプロ野球ニュースで人気を博した佐々木信也氏が、十数年ぶりにテレビに登場した時のこと。開幕直前とあってインタビュアーがペナントや順位等の予想を尋ねたところ、佐々木氏に「セリーグについては阪神の6位はほぼ決定的」と簡単にまとめられてしまった。
    トークに、阪神タイガース/暗黒時代に関連する動画があります。
  12. 1995年6月、新庄のホームランになりそうな球を応援旗で叩き落した事件の数日後、サンデーモーニングで、評論家の定岡正二が「あの大きな旗を球場に持ってくること自体が、間違いなんです!」と言っていた。
    • 同じ放送で、ケント・ギルバートが「こういう事件は残念ですが、阪神ファンこそ本当のファンですね。」と言っていた。
      • その放送で、定岡の「あの大きな旗を…」の発現の前に関口宏が「(旗を)あんな真ん前で振ってちゃダメだよね。後ろで振ってちゃ良いけど」と言っていた。
      • さらに定岡は「根本的に、一部の人は野球を見ずにただ騒ぐ為に来てるんです!」と完全に(一部の)阪神ファンを“批判”していた。
        • まあ、定岡はそもそもアンチ阪神で有名だったからほっとけばよろしい。
    • 中村監督(当時)が審判に猛抗議し、試合が終わっていないのに怒り狂ったファンがゴミやメガホンをグランドに投げ捨てた。しかも横浜スタジアムで相手は唯一のお得意先だったから、怒りはさらにヒートアップ。
    • 9回表で1点ビハインド。ホームランになれば同点の展開だった。

阪神タイガース
項目別:親会社 | ダメ外人 | アンチ阪神 | 暗黒時代
本拠地:甲子園球場/大阪ドーム/甲子園駅
ファンの噂:阪神ファン暗黒時代 | 選手別 | ファン?
○○に言いたい:球団に言いたい | ファンに言いたい
勝手国:阪神タイガース共和国
研究:死のロードを解消する方法 | 用語:33-4
もしも借箱(プロ野球編) | 歴史のif検討委員会(野球)
偽モノの特徴:偽球団 | 偽選手/偽星野/偽新庄 | 偽ファン | 偽甲子園