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==東京近郊のJR線==
{{Pathnav|城|日本の城|name=東海}}
===常磐線の噂===
==[[岐阜]]==
'''[[ここが変だよ常磐線]]'''
*[[岐阜の城]]
#普通(中電)・快速(取手止まり)・各駅停車(千代田線直通)の3種類の種別がある。
#常磐線(E531系)にもグリーン車が導入されることになった。
#北千住~綾瀬間は常磐緩行線なのか千代田線なのかよくわからない。
#*各駅停車が走っているのは千代田線。しかし、快速線(綾瀬駅にはホームすらない)があるため、この区間は両者が並走していることになっている。なお取手方面から北千住駅まで各駅停車で来て千代田線ホームから降りても東京メトロの初乗り運賃は取られないという「特例」になっている。
#*ただし、JR千代田線という路線は存在しない。
#*路線としては常磐緩行線が正解。別に地下鉄車両のみが各駅停車で走っているわけではなく、地下鉄千代田線と相互乗り入れを行ってる。ただし、快速(普通)とは区別される。
#E501系は一部の鉄な高校生に「バカ電」と呼ばれていた事がある。着席数が少ない上に本車配置のあおりで8時32分取手発上り中電が15両から12両に減車された為。
#天候変化に弱くすぐ止まると有名だったが、最近はだいぶ改善されている。
;駅
上野 - 日暮里 - 三河島 - 南千住 - 北千住 - 綾瀬 - 亀有 - 金町 - [[松戸]] - 北松戸 - 馬橋 - 新松戸 - 北小金 - 南柏 - [[]] - 北柏 - 我孫子 - 天王台 - 取手 -


===東海道線の噂===
==[[静岡]]==
;駅
===韮山城===
[[東京駅|東京]] - 新橋 - 品川 - [[川崎]] - [[横浜駅|横浜]] - [[戸塚]] - 大船 - 藤沢 - 辻堂 - 茅ヶ崎 - [[平塚]] - 大磯 - 二宮 - 国府津 - 鴨宮 - [[小田原]] - 早川 - 根府川 - 真鶴 - 湯河原 - [[熱海]] -
*所在地[[伊豆の国市]]
#平山城。北条早雲が拠点として以来の後北条氏の城で、豊臣秀吉の北条攻めで攻められた城。
#*周囲の山に豊臣方の陣を貼った場所がある。
#二の丸のところは隣の韮山高校のテニスコート。
#本丸の続きにはもう少し高い山に続く。そっちを本丸にしなかったのは水の問題とかかな?


===横須賀線の噂===
===山中城===
# 品川~横浜は痴漢・露出系AV撮影の名所。
*所在地:[[三島市]]
#千葉からずっと乗っていると、錦糸町までは快速なので優越感があるが、品川を過ぎると東海道線の迂回型各駅停車となるので、大船まで屈辱を感じてしまう。
#三島市街から箱根峠へ登る途中にある山城。小田原の後北条氏の防衛ライン。
#*錦糸町まででも、特急通過待ちがあると各駅より遅かったりするので、屈辱的。
#*城跡の中を旧東海道の道と国道1号が通る。山城にしては結構広い。
;駅
#戦国時代末期の山城。山城が建てられた時代の一番終わり頃。
[[東京駅|東京]] - 新橋 - 品川 - 西大井 - 新川崎 - [[横浜駅|横浜]] - 保土ヶ谷 - 東戸塚 - [[戸塚]] - 大船 - 北鎌倉 - [[鎌倉]] - 逗子 - 東逗子 - 田浦 - [[横須賀]] - 衣笠 - 久里浜
#戦国時代末期の関東の城なので、石垣は使われていない。土のまま、今は芝草やツツジが植えられているけれど。なお、建物はない。
#*石垣はなくても土塁や堀、特に堀の中に残る畝は立派。見応えがあるよ。
#*斜面上の堀の中にも畝を設け、水をためられるようになっていた。最悪の場合はそこに溜まった水も使うつもりだったとか。
#本丸よりも隣の北の丸の方が、一段高くなっていて本丸っぽい。
#これだけ立派な山城なのに、1日で落城。さしもの城も後北条氏の軍勢も、豊臣秀吉の数万の大軍が相手では…


===横浜線の噂===
===駿府城===
# 横浜線の沿線都市(八王子、相模原、町田、横浜)の住民は自分たちの市が一番都会だと言い張ってやまない。
*所在地:[[静岡市/葵区]]
#* ぱっと見横浜が一番都会に見えるが、真の姿は農村地帯。
#[[徳川家康]]の隠居したあとの城。銅像あり。
#* しかも町田には相原、八王子にはみなみ野というド田舎が控えている。よって真の市街地を通るのは相模原。
#*そのため[[皇居]]と石垣がよく似ている。皇居の石垣を6~7割スケールダウンした感じ。
#**それぞれの市の中心駅で考えると町田≧八王子>橋本>新横浜になる。横浜駅は横浜線の駅ではないのでこの際除外
#元は[[戦国武将/あ行#今川義元|今川義元]]の城でもある。まぁ、その後の家康が大人物すぎて目立たないんですが。
# 国鉄時代、横浜線の営業係数は全国3位だった。
#*駿府今川館のことか。[[武田信玄|甲斐の虎]]に攻められて(これにより今川氏はほぼ実質的に滅亡)焼き尽くされた。
# JRは東急が大嫌いで、菊名に快速を止めない。長津田だって、当時の市長に怒られるまで止めなかった。
#堀、土塁はあるが建物はない結構広い公園。現在も発掘整備しているみたいだけれど。
#*菊名に横浜線の快速が停まらないのは、横浜-菊名間の運賃が東急は150円、JRは160円だから。たった10円のためだけに停めず、乗り換え客を食い止めようと無駄な抵抗をしている。
#県庁にも土塁に囲まれている部分がある。
#** 菊名より八王子寄りの駅で、横浜までの切符を買おうとすると、JRの切符しか買えない。「菊名乗換え→横浜」という選択肢は券売機にない。
#*あのあたりの石垣は復元か、場合によったら現代になってそれっぽく作っただけかも。
#** そんな横浜線菊名駅もついに2006年3月18日を以て、快速停車駅になることが決定。「東急線で渋谷方面から桜木町方面に行く際に、菊名駅でJRに乗り換えてもらえれば」とのこと。
#** しかし快速停車の理由があまりにもふざけているために一部サイトで横浜線への不満が続出し議論が紛糾した。
#"横浜"線なのに、東神奈川までしか行かない。京浜東北線・根岸線に直通しない東神奈川止まりの電車だとイライラする。
#*相鉄線以上に、横浜の田舎部を走行している。
#小机駅に「横浜国際総合競技場の最寄り駅」であることが必死に書かれている。
#他社線に乗り換えるのがなんか不便。
#実は特急が走っていたり、東急の新車も走ったりしている。
#*たまに、八王子駅に止まってることがある。
;駅
(桜木町 - [[横浜駅|横浜]] -)[[神奈川区#東神奈川駅前の噂|東神奈川]] - [[神奈川区#大口駅付近の噂|大口]] - [[港北区#菊名|菊名]] - [[新横浜駅|新横浜]] - [[港北区#小机|小机]] - [[横浜市/緑区#鴨居|鴨居]] - [[横浜市/緑区#中山|中山]] - [[横浜市/緑区#十日市場|十日市場]] - [[横浜市/緑区#長津田|長津田]] - 成瀬 - [[町田]] - 古淵 - 淵野辺 - 矢部 - [[相模原]] - [[橋本]] - 相原 - 八王子みなみ野 - 片倉 - [[八王子]]


=== 京浜東北線・根岸線の噂 ===
===掛川城===
# 北浦和・浦和・南浦和は埼玉でも高額所得者の山の手地区。
[[画像:掛川城全景.JPEG|thumb|180px|初冬の掛川城]]
# ここ最近は中央線以上に人身事故がよく発生する。
[[画像:掛川城天守閣.JPEG|thumb|180px|天守閣]]
# 元祖走ルんです。
[[画像:掛川城御殿.JPEG|thumb|180px|御殿]]
# なんちゃって鉄オタは東北本線・東海道本線の各駅停車と勘違いしている。
*所在地:[[掛川市]]
#*確かに東北本線・東海道本線の緩行線ですが、何か?(某鉄道関係者)
#掛川城に山内一豊がいたことがあったので、功名が辻が大河ドラマになったことでかなりアピールしている。
# もう車両が壊れかけている。ドアのチャイムとか。
#*そのせいで観光に来るオバサン共が、道を封鎖してて邪魔。
# 横浜駅で電車を乗り間違えると、八王子に連れて行かれる。
#*本当は、愛知出身だけどね
# 電車線(近距離路線)なのに大船-大宮全線乗ると約2時間かかる
#*で、最終的には高知だけどね
;駅
#*大河ドラマ「風林火山」の方でもアピールしていた。
大宮 - さいたま新都心 - 与野 - 北浦和 - 浦和 - 南浦和 - 蕨 - 西川口 - [[川口]] - 赤羽 - 東十条 - 王子 - 上中里 - 田端 - 西日暮里 - 日暮里 - 鶯谷 - [[上野]] - 御徒町 - [[秋葉原]] - 神田 - [[東京駅|東京]] - 有楽町 - 新橋 - 浜松町 - 田町 - 品川 - 大井町 - 大森 - 蒲田 - [[川崎]] - 鶴見 - [[神奈川区#子安・新子安及び大口周辺の噂|新子安]] - [[神奈川区#東神奈川駅前の噂|東神奈川]] - [[横浜駅|横浜]] - 桜木町 - 関内 - 石川町 - 山手 - 根岸 - 磯子 - 新杉田 - 洋光台 - 港南台 - 本郷台 - 大船
#掛川城は市民の募金で再建されたが、木造の再建(中身も昔の作りを踏襲)という点が珍しく、それがきっかけで全国に城再建ブームが巻き起こった。ちなみに照明は東海道線の終電に合わせて消える。
#*実は高知城天守閣のまるまるコピーである。(掛川城の資料が全然残ってなかったため)
#**高知城に行ったらあまりにそっくりで驚いた。
#***元をたどれば高知城がもともとの掛川城をコピーしたものである。
#****山内一豊が、高知城の天守を作る際「全て掛川城のとおりに」と指示したせい。
<!-- #天守閣は山内一豊がその後に移って建てた高知城をモチーフに造ったとか。 -->
#*木造で当時の技術に忠実に再現したため、階段が物凄く急勾配。城の階段は急なものだが、それ中でも急な方だと思う。
#何気に日本100名城に入っている。
#*浜松城が入って無くて何で掛川城が入っているか疑問だったが、木造再建や重要文化財の御殿、道を駅から景観整備して散歩してて気持ちいい環境を整備したことが入選に繋がったのだろう。
#**逆に浜松城は徳川家康のお陰で知名度は高いが、石垣がショボイし見所があまりない。中の展示も、昔は徳川重臣らの鎧が一杯あって(複製だったかもしれないが)壮観だったけど、今は微妙なパネル解説が大半だし。
#**まあ100名城の選定基準なんて、無茶苦茶にも程があるっていうくらい無茶苦茶だし良いんじゃない?
#小山の上に建ち、新幹線からでもよく見える。
#関ヶ原の合戦の時に山内一豊が他人のアイデアを盗用し、徳川家康に提供した城。
#ここ数年、将棋の王将戦七番勝負がここで開催されている。
#*実際に対局が行われる建物は21世紀になって建てられたものだが。
#近くに二宮尊徳の活動を受け継いだ大日本報徳社の本部がある。
#*講堂は重要文化財。城観光のついでにどうぞ。
#天守閣ばっかりに目が行きがちだが、御殿の方が歴史的価値は高い。
#*天守閣:復元。御殿:現存。そりゃそうだろと。
#*他にも櫓が一つあるがこれも確かそんな感じで、歴史的価値は天守より上。
#御殿と天守で共通入場券になっている。
#*因みに天守閣から先に行くと、親切なおばさんがわざわざ御殿までの行き方と見どころを教えてくれる。


=== 山手線の噂 ===
===高天神城===
;駅
*所在地:掛川市
[[品川]] - 大崎- 五反田 - 目黒 - [[恵比寿]] - [[渋谷]] - 原宿 - 代々木 - [[新宿]] - 新大久保 - 高田馬場 - 目白 - [[池袋]] - 大塚 - [[巣鴨]] - 駒込 - 田端 -西日暮里 - 日暮里 - 鶯谷 - [[上野]] - 御徒町 - [[秋葉原]] - 神田 - [[東京駅|東京]] - 有楽町 - [[新橋]] - 浜松町 - 田町 - 品川
#難攻不落だった山城。
#偉大な父親・武田信玄も落とせなかった城だが、武田勝頼が徳川方から攻め落とした。
=== 埼京線の噂 ===
#*それで勝頼は調子に乗って信玄以来の重臣の言うことを聞かなくなったとかいう解釈もありますが。
# 下りの終電が終わるのが意外に早い。
#*その後、長篠合戦などを経て武田氏滅亡1年ほど前にまた徳川方に攻め落とされる。
# 朝の女性専用車両は香水の匂いがすごい。
#その後、防衛拠点としての機能はなくしたので建物の類いは残ってない。神社くらい。
# りんかい線でヲタク・川越線でDQN高校生を同じ列車で運んでる。
#山城で結構登るけど、木が生えているので展望は良くない。
# 痴漢で有名。
#現代道路事情的には幹線道路に面してたりはしないが、道中に結構高天神城への道しるべはある。親切。
# 朝ラッシュ時のすし詰め具合はまさに最凶線。ものすごい圧力でドアに押し付けられると窓ガラスが割れるんじゃないかと思う。
# 金曜日のみ運転の電車がある。
;駅
大宮 - 北与野 - 与野本町 - 南与野 - 武蔵浦和 - 北戸田 - 戸田 - 戸田公園 - 浮間舟渡 - 北赤羽 - 赤羽 - 十条 - 板橋 - [[池袋]] - [[新宿]] - [[渋谷]] - [[恵比寿]] - 大崎


=== 川越線の噂 ===
===横須賀城===
# …単線である。
*所在地:掛川市
# 強風で運行休止になってしまう。あるいは徐行運転。
#掛川市だと掛川城の城下街のイメージが強すぎるが、一応この横須賀も江戸時代は城下街だったんだぜ。
#*埼京線が長時間遅れたりすると、川越~大宮は簡単に運休する。こんなんでええのか?
#建物こそなけれど、石垣など、結構残ってる。説明番や立体模型もあって展示説明は充実している方だと思う。
# 大宮~川越間は埼京線の電車がそのまま乗り入れる。田園地帯に10両編成の電車が走行するのはある意味で壮観。
#元は武田氏の所有だった高天神城を攻めるために建てられた城。
# 2ちゃんねるによると、沿線某高校の生徒がよく乗っていて、マナーがやたら悪いという。高校名にちなんで「バカエ」と罵倒されている。
#昔々は海に繋がる湊があって、街道にも面していた。交通の要衝にあった城らしい。
# 無人駅がある。この間やっと改札が付きました。
;駅
大宮 - 日進 - 指扇 - 南古谷 - [[川越]] - 西川越 - 的場 - 笠幡 - 武蔵高萩 - 高麗川


===八高線の噂===
===二俣城===
#その昔死者160人を越える事故を短期間に2度も起こした。
*所在地:[[浜松市/天竜区]]
#東京を走っているのに地方交通線の運賃が適用されている…。
#天竜川に面した平山城。天守台などに石垣が残る。
#*国鉄時代に一度廃線になりかけた。
#武田・徳川の長年の抗争の舞台。
#米軍基地内を走る唯一の路線。
#*そこそこの堅城で徳川方が頑強に籠城戦をしていたようだが、天竜川から取水している櫓を武田側が上流から筏を流すことにより破戒、開城に至る。
#東京近郊区間で唯一の気動車。(高麗川~高崎)
#徳川家康の長男・信康が切腹したのがここ。母・築山殿とともに武田方に内通していると織田信長に疑われたのが原因。信長から信の字をもらうくらいだったのにね。
#路線名の由来は、八王子と高崎の頭文字からなのだが、高麗川で運行形態が分かれている為、八王子と高麗川の頭文字だと思っている人も増えている。
#*運行形態が分かれているのは、高麗川以南のみ電化されたから。
;駅
八王子 - 北八王子 - 小宮 - 拝島 - 東福生 - 箱根ヶ崎 - 金子 - 東飯能 - 高麗川 - 毛呂 - 越生 - 明覚 - 小川町 - 竹沢 - 折原 - 寄居 - 用土 - 松久 - 児玉 - 丹荘 - 群馬藤岡 - 北藤岡 - 倉賀野 - 高崎


=== 武蔵野線の噂 ===
===鳥羽山城===
# 公営ギャンブル場を数珠繋ぎにする親父列車、ギャンブル路線。
*所在地:浜松市/天竜区
#*沿線に東京競馬場(府中本町)と中山競馬場(船橋法典)の2つの中央競馬場がある。
#二俣城と対になっている平山城。
#**他にも戸田ボート、川口オート、浦和競馬場など国内主要ギャンブルが揃う。
#郭とか、盛り土などが残る。盛り土と門の関係なんかが分かって良い。
# 都心に直結しない路線なのにかなり混雑している。
#*郭によってはあんまり整備されてない木の茂った暗がりですが。
#*まぁ、基本は東京-府中本町だから時間はかかれど途中で眠っても都心着きますし、[[東京ディズニーランド|某所]]へも一本で行けますし。
#ローラー滑り台があり、そこそこ長い。
#* ラッシュ時には主要駅のほかに東浦和駅や新八柱駅などでもホーム整理員が普通にいる。
#朝、船橋法典から乗る客はドアの近くにかたまり座席の前へ移動しようとはしないので座席前は空いているのにドアにはさまったりして発車が遅れる。
# 風が吹くと運転を見合わせ、強風で運休する。
#* 大雨になると徐行運転または間引き運転、もっと酷ければ運休となる。
#* 平成になって間もなく、豪雨で新小平駅が水没して運休したこともある
#* JR京葉線はもっと風に弱い。風だけでなく、雨でも地震でもすぐ止まる。
#* 東西線はその昔、強風のせいで脱線したことがある。
#* ↑その現場を見に行ったことがある。脱線と言うより、鉄橋から2両ほど落ちていた。
#** 強風というか、竜巻だった。
#* 東京都に5駅しか存在しない。
#*たま~に真冬にも関わらず暖房のスイッチが入ってない事も…。
#東京都を出て東京都へ入る路線なので田舎者はどっち方面に乗れば行きたい所に着くのか不明になる事が多い。
#*府中本町(東京都)から東京駅まで武蔵野線で行こうとすると、下手な旅行並に(約二時間)時間がかかる。途中駅で乗り換えを強くお奨めする。
#西国分寺では、東京行きが中央線ホームと武蔵野線ホームの両方に来るので、迷っている人が時々いる。
#*武蔵野線の快速東京ゆきより、中央線の各駅停車東京ゆきの方が早く着く。
#もともと貨物線に駅を付けたので貨物列車が優先。その合間に電車が走っている。
#武蔵野線の電車は全部205系。ほとんどが山手線からのお下がり。
#*4・5号車に埼京線のお下がりを組み込んでいる編成もいる上、一旦南武線に転属して武蔵野線に回った編成も存在する。
#*武蔵野線はイビツな編成(大窓車と小窓車の混結)が多い。特にM32・M35編成(サハだけ大窓の編成はまだ許せる)。
#*開通時は中央線のお下がり(101系)だった。しかしそれをわざわざ103系に置換えジェット音を沿線に撒き散らすバカをする。
#新座駅の発車ベルの音は鉄腕アトムの曲。今もそうなんだろうか?
#武蔵野線は東西南北や新などの接頭語が付いた駅が多い。逆に地名(市名)をそのまま駅名にしているのは新座・吉川・三郷の3駅だけ。


;駅
===浜松城===
府中本町 - 北府中 - 西国分寺 - 新小平 - 新秋津 - 東所沢 - 新座 - 北朝霞 - 西浦和 - 武蔵浦和 - 南浦和 - 東浦和 - 東川口 - 南越谷 - 吉川 - 新三郷 - 三郷 - 南流山 - 新松戸 - 新八柱 - 東松戸 - 市川大野 - 船橋法典 - 西船橋
[[画像:浜松城天守閣.JPEG|thumb|240px|天守閣]]
*所在地:[[浜松市/中区]]
#小山の上に天守閣が建つ。新幹線からは、、、見えてなかったと思う。
#*すぐ近くのホテルコンコルド浜松の方が立派で微妙に萎える。
#*石垣が古様なのだろうが、全体的にしょぼい。
#**あれは野面積みというやつで、むしろそれが良いのであるが、それが分からん人は多そう。
#*浜松市役所辺りが三の丸だったらしい。
#新幹線からは見えないが、駅からは徒歩15分くらい。意外と近いのだが、なぜか地元民はバスで行けと勧めてくる。
#*ヒント:地下道
#*鉄なら2駅だけ遠鉄に乗車するというのもあり。
#江戸時代、この藩から老中などに出世した大名が多かったことから出世城とも呼ばれる。
#三方原の合戦の時に[[戦国武将/た行#武田信玄|武田信玄]]に追い立てられた徳川家康がミソを漏らしながら逃げ込んだ城。
#城の展示は昔のほうが良かった。
#*昔は薄暗かったが家康や徳川四天王ら家臣の甲冑をズラリと展示(レプリカかもしれないが)。今はありきたりなパネル解説が大半。
#百名城認定からは漏れている。でもぶっちゃけ山中城とかよりも史料館としての機能や石垣の保存具合など格段に優れている気がする。
#*最近復元作業を本格化させると決まったらしい。とりあえず櫓門を一つ復元完了。


===京葉線の噂===
==[[愛知]]==
#新浦安・幕張ベイタウンは千葉県の新しい高級住宅街。(チバリーヒルズは除く)
===長篠城===
;駅
*所在地:[[愛知/東三河#新城市の噂|新城市]]
東京 - 八丁堀 - 越中島 - 潮見 - 新木場 - 葛西臨海公園 - 舞浜 - 新浦安 - 市川塩浜 - 二俣新町- 南船橋 - 新習志野 - 海浜幕張 - 検見川浜 - 稲毛海岸 - 千葉みなと - 蘇我
#豊川と宇連川の合流地点に立地する、長篠合戦の舞台となった城。
#*この川に面する南西側・南東側は結構 崖。
#百名城にも選ばれている。きっと長篠合戦の舞台になったから。長篠合戦の少し後に廃城になったこともあり建物も残ってないし、城の遺構としてはそんなに特筆するものはない。
#郭とそれを隔てる土塁が少しと堀の跡がある。
#JR飯田線を挟んで南側も城の範囲。駐車場から下って線路を越えると行けるけど、行く人あんまりいなさそう。
#小さいながらも資料館あり。
#なんと言っても鳥居強右衛門が英雄。
#*長篠合戦の時に、徳川方で城に籠もっていて、落城間近というときに徳川・織田に援軍要請のため城を抜けて武田の包囲網をかいくぐり、岡崎からの帰りに武田につかまって「援軍は来ない と城に伝えれば助けてやる」と言われたのに、殺されるのがわかって「もう援軍は来る!」と城に叫んで磔にされた。通称 はりつけ強右衛門。
#*彼の磔の碑は城とは川を挟んで反対側。行こうとすると結構面倒。
#*彼が城を抜けた時点で、本丸の隣の弾正郭と瓢(ふくべ)郭は落ちていた。少数で籠城していたのによく強右衛門が戻ってくるまで落城しなかったもんだ。長篠合戦の織田徳川方勝利の立役者はこの城の籠城兵だろうな。
#城の向かいの食事処の前に「心」と書かれた石がある。長篠合戦の将兵の慰霊と、世界平和を願ったものだが、名義人が「宗家 織田信成」。信成君、スケートだけじゃなくてこんなところでも活躍してたんだ。


===南武線の噂===
===吉田城===
# 南武線は酔っ払いのゲロとヤンキー女子高生のお陰で非常に臭い。便利でも乗らないほうがいい。
[[画像:ToyohashiCsl00.jpg|thumb|240px|櫓しか建物がないけど]]
# 南武線:営業距離が川崎駅~立川駅間で35.5km。その間に川崎競馬場、東京競馬場、京王閣競輪、立川競輪と公営ギャンブル施設が4件という公営ギャンブル過密沿線であることはあまり知られていない。
*所在地:[[豊橋市]]
#*多摩川競艇…
#豊川沿いに建つ。櫓があって、堀、石垣土塁がちょこちょこあるけれど、基本的には公園。
#*昼間の運転本数は平日は1時間5本だが、中央競馬が開催される休日は7本に増える。東京競馬場でGⅠレースが催される日はさらに臨時列車が走る。
#*豊橋公園は(日中に限れば)駐車料金は無料。意外と穴場。そして公園なのでそこそこ人は見かける。
;駅
#**だが駐車場から城は見つけにくい。
[[立川]] - 西国立 - 矢川 - 谷保 - 分倍河原 - 府中本町 - 南多摩 - 稲城長沼 - 矢野口 - 稲田堤 - 中野島 - 登戸 - 宿河原 - 久地 - 津田山 - 武蔵溝ノ口 - 武蔵新城 - 武蔵中原 - 武蔵小杉 - 向河原 - 平間 - 鹿島田 - 矢向 - 尻手 - 川崎
#東海道筋のそこそこな規模のお城だけれど、さりとて誰が城主とかあんまり有名じゃないなぁ。
=== 浜川崎線(南武支線)の噂 ===
#*新幹線停車駅には城下街が多いけれど、豊橋は認識されているのか否か。
# 首都圏の路線なのに無人駅がある。
#**100名城以外の城を、結構見回っているけど、豊橋へ行くまで存在自体知らなかった。
#湾岸エリアの各会社に従業員をデリバリーする電車のため、どの駅とどの線がつながっているのかは利用者以外判らない。
#**一方で、三河吉田というのが何処に在るのかを探す自分が居たことは言うまでもない。
#鉄ちゃん初心者が好奇心から乗車すると駅から出られない・乗り継げずに帰れない・昼間電車がなく夕方までホームで待ちぼうけなど悲惨な目に遭う。
#**水戸黄門で吉田が舞台になったときに「現在は豊橋と呼ばれている」とナレーションが付いてたような。
#*↑昼間に電車が無いのは、鶴見線(大川支線)では?
#*城主が誰かを知らない人は多いが、江戸時代にはここの城主になることは老中への登竜門だったらしい。逆に言うと、それだけコロコロ変わるからそんなことになるとも言える。
;駅
#*強いてあげれば、池田輝政が、一番有名どころか?もっとも、徳川の江戸移封から関ヶ原までの10年かそこらだけども。
尻手 - 八丁畷 - 川崎新町 - 浜川崎
#櫓だけしかないが、何年か前に新しく別の櫓が復元されたらしい。[[画像:空き缶造りの吉田城.JPG|140px|thumb|非鉄筋コンクリート造]]
#*しかもそれは、鉄筋コンクリート製でもなければ、木造でもないという変わったもので。
#**鉄筋コンクリート製ではないが金属製の城というのは異質かも知れんね。
#*新しい方は、城内立ち入りどころか、半径30cm以内まで近づくこともできない。
#あくまで、市内観光のついでに行くべきもの。期待していかん方がええ。これだけ見て帰るってのはオススメしない。
#*ぶっちゃけ、横の豊橋市公会堂と市役所の方が見もの。
#*ぶっちゃけ、豊橋ハリストス正教会の方が味がある。
#*まあ、どれもチャチイんだけどもね…… 大人しく、ヤマサ蒲鉾だけ買って、豊川稲荷か蒲郡でも行くほうが良いかもしれん。
#*豊橋で観光しようと思ったら、動植物公園に行ったほうがいいと思う・・・。
#**歴史を感じたいなら動植物園と同じく隣駅・二川の東海道二川宿がおすすめ。こっちの吉田城の城下町も東海道 吉田宿だったけれど、さすがに市街地になりすぎているので。
#**鉄道ファンには井原の日本一急なカーブがおすすめ。
#再建模擬櫓下の遊歩道は[[聖飢魔IIファン|聖飢魔II]]のジェイル大橋代官お勧めの癒やしスポット。
#存在感の薄い城ではあるが豊橋市のマンホールの図案には採用されている。


===鶴見線の噂===
===田原城===
#弁天橋にある「鶴見線営業所」で管理されている。
*所在地:[[愛知/東三河#田原市の噂|田原市]]
#大川支線:本当にラッシュ帯にしか電車が走らない。
#三河田原駅から10分ちょい歩いた所にある城。
;駅
#*分類的には平城だが、少しだけ登る。
鶴見 - 国道 - 鶴見小野 - 弁天橋 - 浅野 - 安善 - 武蔵白石 - 浜川崎 - 昭和 - 扇町
#田原藩1万2千石の割には立派。
#*この程度の石高で城持大名なのは珍しい。まあ、そういう無駄なことをしてるから、渡辺崋山が藩政改革をしなければいけないほど財政難になるのだが。
#*しかし、昭和期の再建なので全体的にやや装飾過剰。あとやはり広くはないので、博物館以外に時間が潰せるような見所は殆ど無い。
#何はなくとも渡辺崋山。
#*二の丸にある田原市博物館は、大抵華山及びその関係人物、或いは弟子筋の画家の展示をしている。
#**すぐネタ切れになりそうに思えるが、華山の画系は「崋椿系」と言葉があるほど多いため、割と平気だったりする。もっと評価されていい画家が沢山いるので紹介頑張ってほしいなあ。
#本丸が神社で、二の丸に博物館、さらには崋山神社。あとは学校だった建物を利用した郷土資料館も(博物館は有料だがこちらは無料)。それっぽい建物は門くらいか。
#石垣は結構あるんだが、明治なのか大正なのか昭和なのかよくわからん再建部分も多いとか。


(海芝浦支線)浅野 - 新芝浦 - 海芝浦
===岡崎城===
[[画像:OkazakiCsl00.jpg|thumb|240px|岡崎城。松が邪魔…]]
*所在地:[[岡崎市]]
#徳川家康の初期の居城。
#*とはいえ思い入れは殆ど無かったようで、もっと豊かな国が手に入るとあっさりとそっちに移っている。
#**思い入れのない城に、長男の信康を配置するとは思えないのだが・・・その辺実際どうなんだろ。
#おもてなし隊みたいなのもいる。
#*名古屋城にもいる。愛知の城では定番なのか?
#**名古屋城であたったので、岡崎でも真似たんだろう。
#城下町、というか、旧東海道の宿場町の町筋もちょっと整備されている。
#JRの岡崎駅から近いとおもったら、名鉄の東岡崎駅の方が近いとは・・・。<del>案内悪い。すっかりだまされた。</del>
#*というより岡崎市の中心部に近いのは名鉄東岡崎駅の方。
#*東岡崎よりも最寄りは岡崎公園前(≒中岡崎)だよね。
#往時は石高が五万石だったがすぐ下まで船が入っていた。
#*その模様はマンホールの絵柄にも採用されている。
#天守閣近くの石碑には現在では偽物であることが確実視されている「東照公遺訓」が本物として堂々と刻まれている。


(大川支線)武蔵白石 - 大川
===犬山城===
[[画像:InuyamCsr00.jpg|thumb|180px|元個人所有の国宝天守]]
{{Media1|[[トーク:東海の城]]|犬山城|画像}}
*所在地:[[愛知/西尾張#犬山市の噂|犬山市]]
#個人の国宝の城
#*…だった。今は犬山市の所有。
#**ではなくて、第12代城主を理事長とする財団の所有となっている。
#*一時期ひと悶着あっ(控えーい!!)
<!--重複 #現存12天守の一つにして、個人所蔵のお城。
#*名古屋藩家老の子孫、成瀬さんがお持ちだったが、今は財団の管理だったかな。-->
#*最近、国の保有になったんじゃなかったっけか?
#現存天守では日本最古らしい。でも、城にあった説明書きには「国宝の四城では最古」程度にしか書かれていない。謙虚だなぁ。
#*裏では世界遺産に登録してもらいたくて汲々としている。だから(すでに世界遺産の)姫路城より古いことが重要。
#**姫路城の拡大登録なら何とかなるような気がする。
#*福井県の丸岡城とどっちが現存日本最古だか、最近入れ替わったとこだから?
#愛知県民が誇るべき城は、コンクリート製の名古屋城よりもこの全国12しかない現存天守を持つ犬山城の方がいい気がする。景観も良いし。
#犬山城の天守閣には歴代の城主たちの肖像や写真があり入場券には犬山城のほかに犬山市の博物館とかにもセットでいけるようになってる。
#木曽川沿いに建ち、天守からは木曽川の風景が良い。
#*景色がいいのは当たり前のように見えるが、周囲にある高層ビルのせいで景観が悪いのは結構ザラなので。
#*すぐ横の名鉄犬山ホテルには、国宝の茶室・如庵があるが、林に遮られて全く見えない、残念。
<!--修正済み #*長良川じゃないよ木曽川だよ。-->
#*天候に恵まれると御嶽山も見える。
#JR高山本線乗車中に、見える場所がある。
#元日に行くと天守閣より下の神社のほうがずっと混んでいる。


=== 高崎線の噂 ===
===名古屋城===
# ほとんどの下り列車が籠原止まりだが、籠原がどこにあるのかはあまり知られていない。
[[画像:Meijo01.jpg|frame|天守閣]]
# 大宮駅基準で平日19時前後にはなぜか下り普通列車が途絶える「魔の時間帯」が存在し、満を持してやってくる大宮1907発籠原行きはとんでもなく混雑する。しかしみんな上尾や桶川等で降りていってしまうため、籠原がどこにあるのかはやはり知られていない。
*所在地:[[名古屋市/中区]]
#*7/8のダイヤ改正で大宮発1904になったね。でも20時台のは変わらないらしい
#尾張名古屋は城でもつ。
#*20時台でも同様のパターンがある。大宮以南の駅(赤羽を除く)では20分以上待つ為、更に悲惨。
#*意外と「伊勢音頭」の一フレーズであることは知られていない。単語だけ有名。
#平日の下り電車の帰宅時間帯には、上尾で全乗客の1/2が降り、桶川でさらにその1/2が降り、北本でその残りの1/2が降り、鴻巣でさらにその残りの1/2が降りる。この「1/2の法則」は深谷駅くらいまで続く。
#*「[[三重/伊勢|伊勢]]は[[津市|津]]で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ」ってフレーズなんだよね。
#大宮駅~宮原駅間は隣同士、尚且つ同市内(旧大宮市時代から)にも関わらず、高崎線内で一番距離が長いとの噂。初乗り130円の区内で、大宮~宮原180円。所要時間5分強。
#本丸・二の丸・三の丸がそのまま地名になっている。
#*高崎線内の最高駅間距離は熊谷-籠原間で6.6Km、大宮-宮原間は4.0Kmで高崎線内では本庄-神保原間と並んで12位。ちなみに熊谷駅と籠原駅も熊谷市内です。
#天守閣の真下にある剣掘にはその昔、名前の通り刃が突き立てられていたという説明を見て興味深く覗いて見ると、マンホールの蓋が2~3見えてちょっとがっかりする。
# 北本駅は湘南新宿ラインの特別快速は止まるが上野発の快速アーバンは止まらない。
#名古屋で最もデフォなコンサート会場の1つである、愛知県体育館がある。
# そんな微妙な待遇の北本駅、実は鴻巣駅よりも乗降客数が多い。
#*あそこは空襲まで名古屋東照宮があった。
;駅
#*[[大相撲ファン|大相撲名古屋場所]](7月場所)の開催地。
大宮 - 宮原 - 上尾 - 北上尾 - 桶川 - 北本 - 鴻巣 - 北鴻巣 - 吹上 - 行田 - 熊谷 - 籠原 - 深谷 - 岡部 - 本庄 - 神保原 - 新町 - 倉賀野 - 高崎
#*前の広場に、酔っぱらって裸で踊っちゃってるような男性の像がある。
=== 宇都宮(東北)線の噂 ===
#空襲で焼失した本丸御殿の復元が始まったが、[[プロ市民|自称オンブズマン]]がぎゃあぎゃあわめき散らしている。
# 宇都宮市民が「俺らは東北本線沿線住民じゃない!」ってダダをこねて愛称にした路線。東北地方の人は宇都宮線であることに不満を持っている。
#*大戦で炎上させた米軍は「誤爆だった」といっているが、その補償に一銭も出していない。アメリカクオリティ。
#*正直、東京都民や埼玉県民などは「東北本線」でもいいと思っている。逆に東北蔑視の意味がこもっているとして宇都宮線の愛称を嫌う傾向にある。
#**軍が入っていたので攻撃は致し方のない面もあるが…、
#*にもかかわらず、東海道線は東海道線のまま、常磐線は常磐線のままである。何たる皮肉。
#**それよりも、一般市民の住居を丸焼けにしたことの方が道義的に問題と思う。
#**「東海道」に「田舎」のイメージはない。もともと京と江戸を結ぶ道だし
#*寄付金も集まっているので賛成派が多いと思われる。
#**水戸は常陸の国だから常磐で合ってるし。
#*観光資源としては弱い、むしろ教育・文化的価値の方があるだろう。
#*東海道線はJR伊豆線or静岡線、常磐線は水戸線にしろ!
#*自称オンブズマンはぎゃあぎゃあわめき散らかせておけばいいのである。どうせどこぞ他から転入してきたエセ市民が主力であろう。
#**じゃあ、現行の水戸線はどうすれば???
#*2013年5月末から部分的に公開開始。
#***小山-水戸だから「小水線」
#**復元障壁画は現代の模写にしては頑張っていると思うが、ただでさえ模写に劣化は付き物であるのに、そもそも現代では当時ほど良質の紙や絵の具が手に入らないし、日常的に筆を使わず昔ほどの厳しい絵筆の修練を積まなくなった今の日本画家では、昔ほどの生きた線を引けないので、どうしても見劣りしてしまうのはしょうがない。
#****お水のおねぇさん達が沢山乗ってそうでちょっとドキドキ。
#*天守閣炎上の原因になった焼夷弾は金鯱を下ろすための足場に引っかかって発火した。
#**伊豆は方向はずれ、静岡じゃ遠すぎ。せいぜい「小田原線」
#河村市長はコンクリートの天守閣もなんとかしたいらしい。
#***それだと小田急と同じになるという理由ですでに一度却下されたことがあるらしい。
#*あんな天守でも市民の寄付で建てられたことを考えれば、建て替えは容易ではあるまい。
# 朝ラッシュ時の上り電車は、古河以南からの乗車では座ることが出来ない。
#*木造となると防火対策もどえらいことになりそうだ。
# 平日は朝10時まで上り快速電車が運転されない。(高崎線では通勤時間帯にも快速運転がある。)
#*それより木造であんな巨大な天守を作る(そして100年以上もたせる)技術を持った棟梁が、今の世にいるのか?
# 快速電車を利用すると上野から栃木県の小山市まで1時間6分で到達出来る。ただし、快速電車の本数は1時間に1本と絶望的に少ない。
#**いる。 というか技術継承的にもおそらく今が最後のチャンス。
#* 注)現在殆どの快速は湘南新宿ライン直通のため上野に快速はやってこない。本数の少なさは変わらず。
#*気持ちは分からんでもない。当時はエレベータ付き天守閣で違和感は無かったのかもしれないが。
# 湘南新宿ラインは埼京線,横須賀線,宇都宮線,川越線,りんかい線の何れかにダイヤの乱れが発生すると、途中駅では運転見合わせ、運転開始前の場合は運休となることが非常に多い。
#**でもバリアフリーにしないと、このご時世障碍者団体が大ブーイングである。案の定もめている。
# [[宇都宮]]餃子を食べに行くための路線
#*天守閣内の展示スペースが広いのは良いことだと思う。他の城だと空間がないせいで、説明が不十分だったりありきたりになったりするし。
#湘南新宿ライン誕生当初、「大船」はまだ京浜東北線でなじみがあったのが「横浜近辺」としか認識がなく、「逗子」はどこなのかもわからない乗客が多かった。
#模造天守であることがしばしばバカにされる。
#*新宿駅での「小金井」行にとまどう東京都民もいた。
#*エレベーターは名古屋市民に散々ネタにされている。
# 湘南新宿ラインの電車は赤羽-大宮間では貨物船を走行する。この間はノンストップの為、普通電車の走行する最高速度クラスとなる120km/hの速度を体感することが出来る。
#金のシャチホコで有名
# 朝ラッシュ時は5-10分間隔で運転されるが、昼間は普通電車の間隔が最大20分近くも開く。夕方ラッシュ時にも下り寝台特急が運転されるため、普通電車の間隔が最大20分近く開く。
#*初代は焼失するまで金網で覆われていた。
# 新幹線を使わない客への嫌がらせとしか思えない、古河止まりのホームライナーがある。
#*90年代には名古屋港で遊覧船になっていた。
# 上野駅では殆どのホームが同じ発車ベルを使っているため、発車ベルが鳴ってもどの列車が発車するのかまったく分からない。
#*明治初期には万博での展示のためウィーンに出張したこともある。
# 正式には山手線は東北本線を経由して運転しているが、宇都宮線には何もメリットが無い。
#*復元された2代目が屋根の上に乗った直後に伊勢湾台風が直撃し完成記念式典が中止された。
# 同様に埼京線や京浜東北線も東北本線の一部だが、宇都宮線には何もメリットが無い。
#**一部では「鯱が水を呼んだ結果ではないか」とも噂されたとか。
# 宇都宮線の赤羽-大宮間を含む定期券を作った場合、同区間の宇都宮線,京浜東北線,埼京線の全ての駅で入退場が出来る。
#[[JR列車/さ行#しらさぎ|しらさぎ]]は名古屋行きだが、[[兵庫の城#姫路城|白鷺城]]は名古屋城ではない。
# 東京駅への直通の向けた工事が行われているが、常磐線に大半の本数が割り当てられる為に大きな利便性向上は見込めない。むしろダイヤの乱れが発生した場合の対処が複雑となるため、デメリットとなる可能性がある。
#そう言えば、那古野城の上というか、改築に当たるんだっけか。
#*そんな話は聞いたことがない。常磐線は特急だけじゃなかったのか?
#現在の愛知県庁本庁舎(重要文化財)の最上部にもこの城の天守閣とそっくりの屋根が載っている。
# 閉塞区間が長いため、快速電車に乗っても前の電車につかえて徐行運転となることがほとんどである。そのため、前を走行していた各駅停車を追い越しした後の回復運転は、程よいの恐怖を味わうことが出来る。
#ここを見に行くくらいなら犬山城をお勧めしたい名古屋市民は多い。
# 平日昼間のグリーン車に乗っている人を見たことがない。ま、あれだけ料金が高けりゃ、ね…。
;駅
上野 - 尾久 - 赤羽 - 浦和 - さいたま新都心 - 大宮 - 土呂 - 東大宮 - 蓮田 - 白岡 - 新白岡 - [[久喜]] - 東鷲宮 - 栗橋 - 古河 - 野木 - 間々田 - 小山 - 小金井 - 自治医大 - 石橋 - 雀宮 - [[宇都宮]] - 岡本 - 宝積寺 - 氏家 - 蒲須坂 - 片岡 - 矢板 - 野崎 - 西那須野 - 那須塩原 - 黒磯


=== 総武快速線の噂 ===
===清洲城===
#青函トンネルができるまでは、馬喰町が日本一深い駅だった。
[[画像:KiyosuCsl00.jpg|thumb|240px|清洲城。作り物ですけど。]]
#*土合(上越線)は?
*所在地:[[清須市]]
#*土合は山だから標高は高い
#織田信長の若い頃の拠点。
#両国駅で、嘗ての始発ホームを見ると隔世の感を感じずにいられない。
#戦国ファンにはだいぶ有名。
#[[千葉駅]]の総武快速線の発着番線はバラバラ。
#*しかし信長が絡むと、[[近畿の城#安土城|安土]][[岐阜の城#岐阜城|岐阜]]が手強い。
;駅
#清洲越で、全て名古屋にもってかれた。
東京 - 新日本橋 - 馬喰町 - 錦糸町 - 新小岩 - [[市川]] - [[船橋]] - 津田沼 - 稲毛 - 千葉
#良く言うと歴史初心者向け、悪く言うとにわか向けの城。
#*敷地が東海道線で分断されているから仕方がないとはいえ、場所をずらして復元。
#**更に当時の設計図が全く残ってないとはいえ、現代目線で再建しすぎ。
#***安土城を手本に派手に復元。いくら信長の城とはいえ、当時はこんな姿じゃないだろう・・・。
#*中の解説もわかりやすいが、細かい所まで手が届いていない。


=== 中央・総武線各駅停車の噂 ===
===小牧山城===
*所在地:[[小牧市]]
#織田信長が美濃攻めのために築いた山城。
#小牧・長久手の戦いの際には家康がここに籠城した。
#小牧空港への着陸(北から)は、この城を見下ろしながら。


;駅
==[[三重]]==
三鷹 - 吉祥寺 - 西荻窪 - 荻窪 - 阿佐ヶ谷 - 高円寺 - 中野 - 東中野 - 大久保 - 新宿 - 代々木 - 千駄ヶ谷 - 四ツ谷 - 信濃町 - 飯田橋 - 水道橋 - 御茶ノ水 - 秋葉原 - 浅草橋 - 両国 - 錦糸町 - 亀戸- 平井 - 新小岩 - 小岩 - 市川 - 本八幡 - 下総中山 - 西船橋 - 船橋 - 東船橋 - 津田沼 - 幕張本郷 - 幕張 - 新検見川 - 稲毛 - 西千葉 - 千葉
===桑名城===
*所在地:[[桑名市]]
#揖斐川河口近くに立地する平城。堀も広い。
#本丸跡は神社になっている。が、軽トラが停まってたり柿安の本社が見えていたり、なんか冷遇されている。
#[[戦国武将/は行#本多忠勝|本多忠勝]]さんの銅像がある。
#東海道は江戸方面に行くとき、この城の脇から海を渡っていった。七里の渡し。
#櫓が1つ復元されているが1階は近くの水門のコントロール施設になっている。


=== 中央快速線の噂 ===
===亀山城===
#全車201系で運転。2006年12月からE233系が運用開始。
*所在地:[[亀山市]]
#中央線で当たり前だったオレンジ色201系はE233系導入でもうすぐ消滅。その代わり、オレンジ色201系は大阪環状線で当たり前になる。
#建物は櫓だけ。
#部分部分 石垣が崩れていたり、ちょっと残念。しかも昭和に造った部分だったり。
#*かつて地震発生の折、江戸期の構造物は無傷と言っても良かったのに、昭和に作ったモノはすぐ壊れたとか言う城がここだっけ。
#旧東海道がそばを通る。
#正直、城よりも旧街道の方が力を入れて整備されている。


沿線にすむ若者は音楽やサブカルチャーなどに没頭し、頭には夢と電波が詰め込まれている。だが、中央線車内には現実を戦うサラリーマンが詰め込まれている。
===津城===
;駅
*所在地:[[津市]]
東京 - 神田 - 御茶ノ水 - 四ツ谷 - 新宿 - 中野 - 高円寺 - 阿佐ヶ谷 - 荻窪 - 西荻窪 - [[吉祥寺]] - [[三鷹]] - 武蔵境 - 東小金井 - 武蔵小金井 - 国分寺 - 西国分寺 - 国立 - [[立川]] - 日野 - 豊田 - [[八王子]] - 西八王子- 高尾
#堀の大きい平城。
#築城名人・[[戦国武将/た行#藤堂高虎|藤堂高虎]]が建てた。銅像がある。
#藤堂氏の家紋にちなんで、ゆるキャラはシロモチくん。
#「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」が、「城で持つ」のは残念ながら津城ではない。
#日本庭園の門は安濃津藩の藩校で使われたものを別の場所から移築してある。
#津観光においては津観音や専修寺と並ぶ貴重な見どころの一つだがそこまで時間が潰せるわけではない。
#*せめて復元された櫓に入れたら…。


=== 青梅線の噂 ===
===松阪城===
# 「市民の足」+「通勤通学の足」+「レジャー・観光の足」という多目的な路線。
*所在地:[[松阪市]]
#* その割に運行ダイヤはのんびりしているが。
#小山の上にある平山城。
# 無人駅がいくつかある。ほんとにある。([[青梅市|青梅]]より西)
#建物等はないけれど、石垣は残る。
#*青梅から先は完全に山の中。都会型の電車が走ってることに違和感すら覚える。
#本居信長の住居 (鈴屋) が近くにあるが、もちろん移設されたもの。
# 車両は[[東京#JR.E4.B8.AD.E5.A4.AE.E7.B7.9A|JR中央線]]と同じ、オレンジ色の車両。
#*ちなみに元々あった場所は現在空き地。なぜ移設したかは謎。
#* 中央線直通があるから、なんだろうか?
# 中央線人身事故の余波を食らってダイヤが乱れることが多いが、青梅線に限って見ると事故・故障・遅延はほとんどない。
#* でも、「台風による倒木」で止まったことはあった。
#* そう言えば、大雪でも青梅─立川間くらいは動いていたような。
# [[立川]]から下りに乗ると、まず拝島に着いたあたりで車内が空いてきて、青梅に着く頃にはガラガラになる。
#* 立川─拝島間はベッドタウン[[昭島市]]内であるということと、拝島でJR五日市線・八高線・西武拝島線に乗り換える客が多いからだと思われる。
#* ぶっちゃけ青梅まで行くと人が少ないってだけかも知れない。
#* 青梅市までは住宅地と呼べるが、その更に西となると山! なので、青梅駅を過ぎた途端に田園風景(と多摩川上流の渓谷)が味わえる。立川から片道1時間弱で行ける自然豊かな地域である。……もちろん東京都内である。
# 立川から乗る場合、青梅行き・武蔵五日市(JR五日市線)行き・拝島行き のどれかに乗ることになる。西立川〜拝島間の住民はどの電車でも最寄り駅に止まるので、羨ましがられる。
#* 拝島までは青梅線・五日市線が同じ線路を走っているため。五日市線は拝島駅で分岐する。
#* ちなみに奥多摩行きは青梅発なので、青梅で乗り換える。昔は立川─奥多摩直通運行があった。
# 朝の通勤時間帯、青梅始発の中央線直通東京行きが出る。それの座席を狙って、わざわざ最寄り駅から2〜3駅引き返して青梅駅で乗車するのは当たり前である。
#* ちなみに、07:49発青梅─立川─東京 直通の通勤特快を利用すると、東京駅到着が09:09。計1時間18分かかる。出張ではない。
#* もちろん立川移東は物凄い勢いの通勤ラッシュとなる為、飲食物を持ち込む人など滅多にいない。
# 日曜の朝、下り線車両内のおばちゃん人口密度が異様に高くなる。御嶽などの山に登りに行くらしい。
#* 日曜夕方まで、上り線車両内のおっちゃん人口密度が異様に高くなる。立川の場外馬券売り場か立川競輪へ向かうらしい。中には南武線→武蔵野線に乗り換え、府中競馬場へ行くおっちゃんも含まれるだろう。
#* 平日の昼間や休日、おそらくは[http://www.showapark.jp/ 国営昭和記念公園]への行き帰りであろうお子様の集団+引率の先生というセットが車内を占めることもある。
#* おばちゃんにしろおっちゃんにしろお子様にしろ、「車内での暗黙の了解」を知らないので大変にウザい。
;駅
[[東京/西多摩#.E5.A5.A5.E5.A4.9A.E6.91.A9.E7.94.BA|奥多摩]] - 白丸(しろまる) - 鳩ノ巣(はとのす) - 古里(こり) - 川井 - 御嶽(みたけ) - 沢井 - 軍畑(いくさばた) - 二俣尾 - 石神前 - 日向和田 - 宮ノ平 - [[青梅市|青梅]] - 東青梅 - 河辺(かべ) - 小作(おざく) - [[東京/西多摩#.E7.BE.BD.E6.9D.91.E5.B8.82.E3.81.AE.E5.99.82|羽村]] - [[東京/西多摩#.E7.A6.8F.E7.94.9F.E5.B8.82.E3.81.AE.E5.99.82|福生]] - 牛浜(うしはま) - 拝島 - [[昭島市|昭島]] - 中神 - 東中神 - 西立川 - [[立川]]


=== 五日市線の噂 ===
===伊賀上野城===
# なんと言っても、名物は '''単 線''' である。
*所在地:[[伊賀市]]
#* 駅に入る時だけレールが別れ、駅で停車中に上りと下りがすれ違う。
#天守の天井に大量の色紙が貼られているのが印象的。
#* 実際、本数も少ないらしい。終電間際でもないのに立川駅でダッシュしている人がいると思うと、大抵武蔵五日市行きに飛び乗っている。終電も早い。
#*大正から昭和初めにかけて活躍した画家や書家などの作品が並ぶ。出来にバラつきがあるがなかなか壮観。
# 下りの場合で言うと、[[立川]]から拝島までは[[東日本旅客鉄道#.E9.9D.92.E6.A2.85.E7.B7.9A.E3.81.AE.E5.99.82|JR青梅線]]と同じ路線を走る。拝島駅から分岐し、そこからが五日市線となる。
#この手の城では珍しく木造天守。
#* 上りなら、立川行きの五日市線に乗り、途中の拝島から青梅線の路線に入ることになる。
#[[三重の交通#伊賀鉄道|伊賀鉄道]]の駅名に名がいろいろと残る。
#* もちろん、拝島駅発着も多数ある。
#敷地内には他にも観光移設が揃っている。
# ダイヤの乱れや運行停止は滅多に無いが、あったとしてもその理由は'''自然災害'''。人災で止まったのは聞いたことがない。
#*[[芸術家伝/日本#松尾芭蕉|芭蕉翁記念館]]は、正直地味すぎ。俳聖殿はまあ散歩がてら観るならいいけど。
# 秋川市と五日市町が合併して出来たのが[[東京/西多摩#.E3.81.82.E3.81.8D.E3.82.8B.E9.87.8E.E5.B8.82.E3.81.AE.E5.99.82|あきる野市]]だが、秋川駅・武蔵五日市駅と駅名には合併前の市の名が残っている。
#*忍者博物館は値段がやや高いだけあって結構本格的。
#* 「あきる野駅」になったのか? と言った人もいた。どうしてそうなるのか。
#**忍者伝承館は、神代文字をまともに捉えてるのはどうかと思うが、全体的な解説はしっかりしている。
#** 西秋留駅から秋川駅に変わったからでは?
#城のあちらこちらに忍者{{極小|の人形}}が潜んでいる。
#* ちなみに、「秋川」はあきる野市を流れる川の名前。シーズンには鮎を狙う釣り人で賑わう。
#堀の石垣は結構立派。
#**東秋留駅もあるよ。
#本丸の石垣も立派 …なんだが、裏手には土が盛られているところがあって簡単に上れそうになってる。
# 4項の合併の結果、五日市線のほとんどがあきる野市内を走る結果となった。
#ちなみに三重にはもう一つ上野城がある(伊勢上野城)。ただし、こちらは現在神社になっている。
#* 例外は拝島駅(地図上では[[東京/西多摩#.E7.A6.8F.E7.94.9F.E5.B8.82.E3.81.AE.E5.99.82|福生市]]と[[昭島市]]に跨がっている)と熊川駅(福生市内)。
<!-- #正確には「五日市線」。
修正しました。申し訳無い。 -->
#やっと発車ベルがついた。
#今はどうか知らないが、昔はドアがボタンで開閉できるようになっていた
#秋川駅は学生が多い。[http://www.tokaisugao.ac.jp/SugaoHome.html 東海大菅生]と[http://www.mnh.ed.jp/index.htm 明大中野八王子]があるから。
;駅
武蔵五日市 - 武蔵増戸(むさしますこ) - 武蔵引田(むさしひきた) - 秋川 - 東秋留 - 熊川 - 拝島


[[Category:鉄道|ひがしにほんりょかくてつどう]]
===神戸城===
[[Category:JR|ひがしにほんりょかくてつどう]]
*所在地:[[鈴鹿市]]
#町中に公園になって残っている平城。その名の通り神戸氏が居て、北勢地方に勢力を持っていた。
#*神戸氏は織田信長に攻められて、信長の息子の信孝を養子に入れることで和睦(実質降伏)。
#*公園は(失礼ながらこの程度の城にしては)そこそこの範囲ではあるが、本丸がちょっと高くなっていてその中に天守台があるくらいしか残ってない。
#そばには高校あり。城跡のセオリー。
#読み方は「かんべ」です。念のため。
 
===鳥羽城===
*所在地:[[三重/志摩#鳥羽市の噂|鳥羽市]]
#かつては海に面していた海城。平山城。
#*現在では海は少し遠のいたが、城に登れば海や島が見えるし、アシカかオットセイの鳴き声も聞こえる。 …向かいの鳥羽水族館から。
#城主は水軍で有名な九鬼氏だった。
#*関ヶ原の合戦時には九鬼嘉隆は西軍についてこの城に、その子・守隆は東軍について父子相争うハメに。
#**…その実は父子別れて東西どちらが勝っても家が持つように、という企みだったので、鉄砲が空砲だったりしたらしい。
#**西軍敗戦後、父・嘉隆は城から抜けて答志島に逃げた。息子は徳川に助命嘆願し、受け入れられたんだがその知らせがつく前に父は切腹。もうちょっと待てれば、、という茶番劇から一転して悲劇の舞台の城。
#**余談。守隆の跡は家督争いが起こり、その息子達は2つの家に別れて摂津三田・丹波綾部という山奥へ移封することに。水軍の猛者達の末裔は水軍の城から引き離されてしまった。
#石垣は結構立派。北東側(近鉄側)には7段くらいの石垣が。
#二の丸には水軍の城らしく、帆船の形をした遊具がある。
#*本丸には何もない。正直、本丸より二の丸の方が、整備されている感がある。
#城跡らしく、横に市役所がある。
#*海に近い高台になので、災害時の避難所となっている。高台だし市役所真横だし、避難所としては好立地。
#城の横を流れる川がかつては志摩と伊勢との国境だったらしい。
#*城のあった時代と、国境の時代は知らないけれど、城の範囲はひょっとすると国境をまたいでいたのかも。
 
[[Category:日本の城|とうかい]]
[[Category:東海地方|しろ]]

2019年9月9日 (月) 22:16時点における版

岐阜

静岡

韮山城

  1. 平山城。北条早雲が拠点として以来の後北条氏の城で、豊臣秀吉の北条攻めで攻められた城。
    • 周囲の山に豊臣方の陣を貼った場所がある。
  2. 二の丸のところは隣の韮山高校のテニスコート。
  3. 本丸の続きにはもう少し高い山に続く。そっちを本丸にしなかったのは水の問題とかかな?

山中城

  1. 三島市街から箱根峠へ登る途中にある山城。小田原の後北条氏の防衛ライン。
    • 城跡の中を旧東海道の道と国道1号が通る。山城にしては結構広い。
  2. 戦国時代末期の山城。山城が建てられた時代の一番終わり頃。
  3. 戦国時代末期の関東の城なので、石垣は使われていない。土のまま、今は芝草やツツジが植えられているけれど。なお、建物はない。
    • 石垣はなくても土塁や堀、特に堀の中に残る畝は立派。見応えがあるよ。
    • 斜面上の堀の中にも畝を設け、水をためられるようになっていた。最悪の場合はそこに溜まった水も使うつもりだったとか。
  4. 本丸よりも隣の北の丸の方が、一段高くなっていて本丸っぽい。
  5. これだけ立派な山城なのに、1日で落城。さしもの城も後北条氏の軍勢も、豊臣秀吉の数万の大軍が相手では…

駿府城

  1. 徳川家康の隠居したあとの城。銅像あり。
    • そのため皇居と石垣がよく似ている。皇居の石垣を6~7割スケールダウンした感じ。
  2. 元は今川義元の城でもある。まぁ、その後の家康が大人物すぎて目立たないんですが。
    • 駿府今川館のことか。甲斐の虎に攻められて(これにより今川氏はほぼ実質的に滅亡)焼き尽くされた。
  3. 堀、土塁はあるが建物はない結構広い公園。現在も発掘整備しているみたいだけれど。
  4. 県庁にも土塁に囲まれている部分がある。
    • あのあたりの石垣は復元か、場合によったら現代になってそれっぽく作っただけかも。

掛川城

初冬の掛川城
天守閣
御殿
  1. 掛川城に山内一豊がいたことがあったので、功名が辻が大河ドラマになったことでかなりアピールしている。
    • そのせいで観光に来るオバサン共が、道を封鎖してて邪魔。
    • 本当は、愛知出身だけどね
    • で、最終的には高知だけどね
    • 大河ドラマ「風林火山」の方でもアピールしていた。
  2. 掛川城は市民の募金で再建されたが、木造の再建(中身も昔の作りを踏襲)という点が珍しく、それがきっかけで全国に城再建ブームが巻き起こった。ちなみに照明は東海道線の終電に合わせて消える。
    • 実は高知城天守閣のまるまるコピーである。(掛川城の資料が全然残ってなかったため)
      • 高知城に行ったらあまりにそっくりで驚いた。
        • 元をたどれば高知城がもともとの掛川城をコピーしたものである。
          • 山内一豊が、高知城の天守を作る際「全て掛川城のとおりに」と指示したせい。
    • 木造で当時の技術に忠実に再現したため、階段が物凄く急勾配。城の階段は急なものだが、それ中でも急な方だと思う。
  3. 何気に日本100名城に入っている。
    • 浜松城が入って無くて何で掛川城が入っているか疑問だったが、木造再建や重要文化財の御殿、道を駅から景観整備して散歩してて気持ちいい環境を整備したことが入選に繋がったのだろう。
      • 逆に浜松城は徳川家康のお陰で知名度は高いが、石垣がショボイし見所があまりない。中の展示も、昔は徳川重臣らの鎧が一杯あって(複製だったかもしれないが)壮観だったけど、今は微妙なパネル解説が大半だし。
      • まあ100名城の選定基準なんて、無茶苦茶にも程があるっていうくらい無茶苦茶だし良いんじゃない?
  4. 小山の上に建ち、新幹線からでもよく見える。
  5. 関ヶ原の合戦の時に山内一豊が他人のアイデアを盗用し、徳川家康に提供した城。
  6. ここ数年、将棋の王将戦七番勝負がここで開催されている。
    • 実際に対局が行われる建物は21世紀になって建てられたものだが。
  7. 近くに二宮尊徳の活動を受け継いだ大日本報徳社の本部がある。
    • 講堂は重要文化財。城観光のついでにどうぞ。
  8. 天守閣ばっかりに目が行きがちだが、御殿の方が歴史的価値は高い。
    • 天守閣:復元。御殿:現存。そりゃそうだろと。
    • 他にも櫓が一つあるがこれも確かそんな感じで、歴史的価値は天守より上。
  9. 御殿と天守で共通入場券になっている。
    • 因みに天守閣から先に行くと、親切なおばさんがわざわざ御殿までの行き方と見どころを教えてくれる。

高天神城

  • 所在地:掛川市
  1. 難攻不落だった山城。
  2. 偉大な父親・武田信玄も落とせなかった城だが、武田勝頼が徳川方から攻め落とした。
    • それで勝頼は調子に乗って信玄以来の重臣の言うことを聞かなくなったとかいう解釈もありますが。
    • その後、長篠合戦などを経て武田氏滅亡1年ほど前にまた徳川方に攻め落とされる。
  3. その後、防衛拠点としての機能はなくしたので建物の類いは残ってない。神社くらい。
  4. 山城で結構登るけど、木が生えているので展望は良くない。
  5. 現代道路事情的には幹線道路に面してたりはしないが、道中に結構高天神城への道しるべはある。親切。

横須賀城

  • 所在地:掛川市
  1. 掛川市だと掛川城の城下街のイメージが強すぎるが、一応この横須賀も江戸時代は城下街だったんだぜ。
  2. 建物こそなけれど、石垣など、結構残ってる。説明番や立体模型もあって展示説明は充実している方だと思う。
  3. 元は武田氏の所有だった高天神城を攻めるために建てられた城。
  4. 昔々は海に繋がる湊があって、街道にも面していた。交通の要衝にあった城らしい。

二俣城

  1. 天竜川に面した平山城。天守台などに石垣が残る。
  2. 武田・徳川の長年の抗争の舞台。
    • そこそこの堅城で徳川方が頑強に籠城戦をしていたようだが、天竜川から取水している櫓を武田側が上流から筏を流すことにより破戒、開城に至る。
  3. 徳川家康の長男・信康が切腹したのがここ。母・築山殿とともに武田方に内通していると織田信長に疑われたのが原因。信長から信の字をもらうくらいだったのにね。

鳥羽山城

  • 所在地:浜松市/天竜区
  1. 二俣城と対になっている平山城。
  2. 郭とか、盛り土などが残る。盛り土と門の関係なんかが分かって良い。
    • 郭によってはあんまり整備されてない木の茂った暗がりですが。
  3. ローラー滑り台があり、そこそこ長い。

浜松城

天守閣
  1. 小山の上に天守閣が建つ。新幹線からは、、、見えてなかったと思う。
    • すぐ近くのホテルコンコルド浜松の方が立派で微妙に萎える。
    • 石垣が古様なのだろうが、全体的にしょぼい。
      • あれは野面積みというやつで、むしろそれが良いのであるが、それが分からん人は多そう。
    • 浜松市役所辺りが三の丸だったらしい。
  2. 新幹線からは見えないが、駅からは徒歩15分くらい。意外と近いのだが、なぜか地元民はバスで行けと勧めてくる。
    • ヒント:地下道
    • 鉄なら2駅だけ遠鉄に乗車するというのもあり。
  3. 江戸時代、この藩から老中などに出世した大名が多かったことから出世城とも呼ばれる。
  4. 三方原の合戦の時に武田信玄に追い立てられた徳川家康がミソを漏らしながら逃げ込んだ城。
  5. 城の展示は昔のほうが良かった。
    • 昔は薄暗かったが家康や徳川四天王ら家臣の甲冑をズラリと展示(レプリカかもしれないが)。今はありきたりなパネル解説が大半。
  6. 百名城認定からは漏れている。でもぶっちゃけ山中城とかよりも史料館としての機能や石垣の保存具合など格段に優れている気がする。
    • 最近復元作業を本格化させると決まったらしい。とりあえず櫓門を一つ復元完了。

愛知

長篠城

  1. 豊川と宇連川の合流地点に立地する、長篠合戦の舞台となった城。
    • この川に面する南西側・南東側は結構 崖。
  2. 百名城にも選ばれている。きっと長篠合戦の舞台になったから。長篠合戦の少し後に廃城になったこともあり建物も残ってないし、城の遺構としてはそんなに特筆するものはない。
  3. 郭とそれを隔てる土塁が少しと堀の跡がある。
  4. JR飯田線を挟んで南側も城の範囲。駐車場から下って線路を越えると行けるけど、行く人あんまりいなさそう。
  5. 小さいながらも資料館あり。
  6. なんと言っても鳥居強右衛門が英雄。
    • 長篠合戦の時に、徳川方で城に籠もっていて、落城間近というときに徳川・織田に援軍要請のため城を抜けて武田の包囲網をかいくぐり、岡崎からの帰りに武田につかまって「援軍は来ない と城に伝えれば助けてやる」と言われたのに、殺されるのがわかって「もう援軍は来る!」と城に叫んで磔にされた。通称 はりつけ強右衛門。
    • 彼の磔の碑は城とは川を挟んで反対側。行こうとすると結構面倒。
    • 彼が城を抜けた時点で、本丸の隣の弾正郭と瓢(ふくべ)郭は落ちていた。少数で籠城していたのによく強右衛門が戻ってくるまで落城しなかったもんだ。長篠合戦の織田徳川方勝利の立役者はこの城の籠城兵だろうな。
  7. 城の向かいの食事処の前に「心」と書かれた石がある。長篠合戦の将兵の慰霊と、世界平和を願ったものだが、名義人が「宗家 織田信成」。信成君、スケートだけじゃなくてこんなところでも活躍してたんだ。

吉田城

櫓しか建物がないけど
  1. 豊川沿いに建つ。櫓があって、堀、石垣土塁がちょこちょこあるけれど、基本的には公園。
    • 豊橋公園は(日中に限れば)駐車料金は無料。意外と穴場。そして公園なのでそこそこ人は見かける。
      • だが駐車場から城は見つけにくい。
  2. 東海道筋のそこそこな規模のお城だけれど、さりとて誰が城主とかあんまり有名じゃないなぁ。
    • 新幹線停車駅には城下街が多いけれど、豊橋は認識されているのか否か。
      • 100名城以外の城を、結構見回っているけど、豊橋へ行くまで存在自体知らなかった。
      • 一方で、三河吉田というのが何処に在るのかを探す自分が居たことは言うまでもない。
      • 水戸黄門で吉田が舞台になったときに「現在は豊橋と呼ばれている」とナレーションが付いてたような。
    • 城主が誰かを知らない人は多いが、江戸時代にはここの城主になることは老中への登竜門だったらしい。逆に言うと、それだけコロコロ変わるからそんなことになるとも言える。
    • 強いてあげれば、池田輝政が、一番有名どころか?もっとも、徳川の江戸移封から関ヶ原までの10年かそこらだけども。
  3. 櫓だけしかないが、何年か前に新しく別の櫓が復元されたらしい。
    非鉄筋コンクリート造
    • しかもそれは、鉄筋コンクリート製でもなければ、木造でもないという変わったもので。
      • 鉄筋コンクリート製ではないが金属製の城というのは異質かも知れんね。
    • 新しい方は、城内立ち入りどころか、半径30cm以内まで近づくこともできない。
  4. あくまで、市内観光のついでに行くべきもの。期待していかん方がええ。これだけ見て帰るってのはオススメしない。
    • ぶっちゃけ、横の豊橋市公会堂と市役所の方が見もの。
    • ぶっちゃけ、豊橋ハリストス正教会の方が味がある。
    • まあ、どれもチャチイんだけどもね…… 大人しく、ヤマサ蒲鉾だけ買って、豊川稲荷か蒲郡でも行くほうが良いかもしれん。
    • 豊橋で観光しようと思ったら、動植物公園に行ったほうがいいと思う・・・。
      • 歴史を感じたいなら動植物園と同じく隣駅・二川の東海道二川宿がおすすめ。こっちの吉田城の城下町も東海道 吉田宿だったけれど、さすがに市街地になりすぎているので。
      • 鉄道ファンには井原の日本一急なカーブがおすすめ。
  5. 再建模擬櫓下の遊歩道は聖飢魔IIのジェイル大橋代官お勧めの癒やしスポット。
  6. 存在感の薄い城ではあるが豊橋市のマンホールの図案には採用されている。

田原城

  1. 三河田原駅から10分ちょい歩いた所にある城。
    • 分類的には平城だが、少しだけ登る。
  2. 田原藩1万2千石の割には立派。
    • この程度の石高で城持大名なのは珍しい。まあ、そういう無駄なことをしてるから、渡辺崋山が藩政改革をしなければいけないほど財政難になるのだが。
    • しかし、昭和期の再建なので全体的にやや装飾過剰。あとやはり広くはないので、博物館以外に時間が潰せるような見所は殆ど無い。
  3. 何はなくとも渡辺崋山。
    • 二の丸にある田原市博物館は、大抵華山及びその関係人物、或いは弟子筋の画家の展示をしている。
      • すぐネタ切れになりそうに思えるが、華山の画系は「崋椿系」と言葉があるほど多いため、割と平気だったりする。もっと評価されていい画家が沢山いるので紹介頑張ってほしいなあ。
  4. 本丸が神社で、二の丸に博物館、さらには崋山神社。あとは学校だった建物を利用した郷土資料館も(博物館は有料だがこちらは無料)。それっぽい建物は門くらいか。
  5. 石垣は結構あるんだが、明治なのか大正なのか昭和なのかよくわからん再建部分も多いとか。

岡崎城

岡崎城。松が邪魔…
  1. 徳川家康の初期の居城。
    • とはいえ思い入れは殆ど無かったようで、もっと豊かな国が手に入るとあっさりとそっちに移っている。
      • 思い入れのない城に、長男の信康を配置するとは思えないのだが・・・その辺実際どうなんだろ。
  2. おもてなし隊みたいなのもいる。
    • 名古屋城にもいる。愛知の城では定番なのか?
      • 名古屋城であたったので、岡崎でも真似たんだろう。
  3. 城下町、というか、旧東海道の宿場町の町筋もちょっと整備されている。
  4. JRの岡崎駅から近いとおもったら、名鉄の東岡崎駅の方が近いとは・・・。案内悪い。すっかりだまされた。
    • というより岡崎市の中心部に近いのは名鉄東岡崎駅の方。
    • 東岡崎よりも最寄りは岡崎公園前(≒中岡崎)だよね。
  5. 往時は石高が五万石だったがすぐ下まで船が入っていた。
    • その模様はマンホールの絵柄にも採用されている。
  6. 天守閣近くの石碑には現在では偽物であることが確実視されている「東照公遺訓」が本物として堂々と刻まれている。

犬山城

元個人所有の国宝天守
トーク:東海の城に、犬山城に関連する画像があります。
  1. 個人の国宝の城
    • …だった。今は犬山市の所有。
      • ではなくて、第12代城主を理事長とする財団の所有となっている。
    • 一時期ひと悶着あっ(控えーい!!)
    • 最近、国の保有になったんじゃなかったっけか?
  2. 現存天守では日本最古らしい。でも、城にあった説明書きには「国宝の四城では最古」程度にしか書かれていない。謙虚だなぁ。
    • 裏では世界遺産に登録してもらいたくて汲々としている。だから(すでに世界遺産の)姫路城より古いことが重要。
      • 姫路城の拡大登録なら何とかなるような気がする。
    • 福井県の丸岡城とどっちが現存日本最古だか、最近入れ替わったとこだから?
  3. 愛知県民が誇るべき城は、コンクリート製の名古屋城よりもこの全国12しかない現存天守を持つ犬山城の方がいい気がする。景観も良いし。
  4. 犬山城の天守閣には歴代の城主たちの肖像や写真があり入場券には犬山城のほかに犬山市の博物館とかにもセットでいけるようになってる。
  5. 木曽川沿いに建ち、天守からは木曽川の風景が良い。
    • 景色がいいのは当たり前のように見えるが、周囲にある高層ビルのせいで景観が悪いのは結構ザラなので。
    • すぐ横の名鉄犬山ホテルには、国宝の茶室・如庵があるが、林に遮られて全く見えない、残念。
    • 天候に恵まれると御嶽山も見える。
  6. JR高山本線乗車中に、見える場所がある。
  7. 元日に行くと天守閣より下の神社のほうがずっと混んでいる。

名古屋城

天守閣
  1. 尾張名古屋は城でもつ。
    • 意外と「伊勢音頭」の一フレーズであることは知られていない。単語だけ有名。
    • 伊勢で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ」ってフレーズなんだよね。
  2. 本丸・二の丸・三の丸がそのまま地名になっている。
  3. 天守閣の真下にある剣掘にはその昔、名前の通り刃が突き立てられていたという説明を見て興味深く覗いて見ると、マンホールの蓋が2~3見えてちょっとがっかりする。
  4. 名古屋で最もデフォなコンサート会場の1つである、愛知県体育館がある。
    • あそこは空襲まで名古屋東照宮があった。
    • 大相撲名古屋場所(7月場所)の開催地。
    • 前の広場に、酔っぱらって裸で踊っちゃってるような男性の像がある。
  5. 空襲で焼失した本丸御殿の復元が始まったが、自称オンブズマンがぎゃあぎゃあわめき散らしている。
    • 大戦で炎上させた米軍は「誤爆だった」といっているが、その補償に一銭も出していない。アメリカクオリティ。
      • 軍が入っていたので攻撃は致し方のない面もあるが…、
      • それよりも、一般市民の住居を丸焼けにしたことの方が道義的に問題と思う。
    • 寄付金も集まっているので賛成派が多いと思われる。
    • 観光資源としては弱い、むしろ教育・文化的価値の方があるだろう。
    • 自称オンブズマンはぎゃあぎゃあわめき散らかせておけばいいのである。どうせどこぞ他から転入してきたエセ市民が主力であろう。
    • 2013年5月末から部分的に公開開始。
      • 復元障壁画は現代の模写にしては頑張っていると思うが、ただでさえ模写に劣化は付き物であるのに、そもそも現代では当時ほど良質の紙や絵の具が手に入らないし、日常的に筆を使わず昔ほどの厳しい絵筆の修練を積まなくなった今の日本画家では、昔ほどの生きた線を引けないので、どうしても見劣りしてしまうのはしょうがない。
    • 天守閣炎上の原因になった焼夷弾は金鯱を下ろすための足場に引っかかって発火した。
  6. 河村市長はコンクリートの天守閣もなんとかしたいらしい。
    • あんな天守でも市民の寄付で建てられたことを考えれば、建て替えは容易ではあるまい。
    • 木造となると防火対策もどえらいことになりそうだ。
    • それより木造であんな巨大な天守を作る(そして100年以上もたせる)技術を持った棟梁が、今の世にいるのか?
      • いる。 というか技術継承的にもおそらく今が最後のチャンス。
    • 気持ちは分からんでもない。当時はエレベータ付き天守閣で違和感は無かったのかもしれないが。
      • でもバリアフリーにしないと、このご時世障碍者団体が大ブーイングである。案の定もめている。
    • 天守閣内の展示スペースが広いのは良いことだと思う。他の城だと空間がないせいで、説明が不十分だったりありきたりになったりするし。
  7. 模造天守であることがしばしばバカにされる。
    • エレベーターは名古屋市民に散々ネタにされている。
  8. 金のシャチホコで有名
    • 初代は焼失するまで金網で覆われていた。
    • 90年代には名古屋港で遊覧船になっていた。
    • 明治初期には万博での展示のためウィーンに出張したこともある。
    • 復元された2代目が屋根の上に乗った直後に伊勢湾台風が直撃し完成記念式典が中止された。
      • 一部では「鯱が水を呼んだ結果ではないか」とも噂されたとか。
  9. しらさぎは名古屋行きだが、白鷺城は名古屋城ではない。
  10. そう言えば、那古野城の上というか、改築に当たるんだっけか。
  11. 現在の愛知県庁本庁舎(重要文化財)の最上部にもこの城の天守閣とそっくりの屋根が載っている。
  12. ここを見に行くくらいなら犬山城をお勧めしたい名古屋市民は多い。

清洲城

清洲城。作り物ですけど。
  1. 織田信長の若い頃の拠点。
  2. 戦国ファンにはだいぶ有名。
    • しかし信長が絡むと、安土岐阜が手強い。
  3. 清洲越で、全て名古屋にもってかれた。
  4. 良く言うと歴史初心者向け、悪く言うとにわか向けの城。
    • 敷地が東海道線で分断されているから仕方がないとはいえ、場所をずらして復元。
      • 更に当時の設計図が全く残ってないとはいえ、現代目線で再建しすぎ。
        • 安土城を手本に派手に復元。いくら信長の城とはいえ、当時はこんな姿じゃないだろう・・・。
    • 中の解説もわかりやすいが、細かい所まで手が届いていない。

小牧山城

  1. 織田信長が美濃攻めのために築いた山城。
  2. 小牧・長久手の戦いの際には家康がここに籠城した。
  3. 小牧空港への着陸(北から)は、この城を見下ろしながら。

三重

桑名城

  1. 揖斐川河口近くに立地する平城。堀も広い。
  2. 本丸跡は神社になっている。が、軽トラが停まってたり柿安の本社が見えていたり、なんか冷遇されている。
  3. 本多忠勝さんの銅像がある。
  4. 東海道は江戸方面に行くとき、この城の脇から海を渡っていった。七里の渡し。
  5. 櫓が1つ復元されているが1階は近くの水門のコントロール施設になっている。

亀山城

  1. 建物は櫓だけ。
  2. 部分部分 石垣が崩れていたり、ちょっと残念。しかも昭和に造った部分だったり。
    • かつて地震発生の折、江戸期の構造物は無傷と言っても良かったのに、昭和に作ったモノはすぐ壊れたとか言う城がここだっけ。
  3. 旧東海道がそばを通る。
  4. 正直、城よりも旧街道の方が力を入れて整備されている。

津城

  1. 堀の大きい平城。
  2. 築城名人・藤堂高虎が建てた。銅像がある。
  3. 藤堂氏の家紋にちなんで、ゆるキャラはシロモチくん。
  4. 「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」が、「城で持つ」のは残念ながら津城ではない。
  5. 日本庭園の門は安濃津藩の藩校で使われたものを別の場所から移築してある。
  6. 津観光においては津観音や専修寺と並ぶ貴重な見どころの一つだがそこまで時間が潰せるわけではない。
    • せめて復元された櫓に入れたら…。

松阪城

  1. 小山の上にある平山城。
  2. 建物等はないけれど、石垣は残る。
  3. 本居信長の住居 (鈴屋) が近くにあるが、もちろん移設されたもの。
    • ちなみに元々あった場所は現在空き地。なぜ移設したかは謎。

伊賀上野城

  1. 天守の天井に大量の色紙が貼られているのが印象的。
    • 大正から昭和初めにかけて活躍した画家や書家などの作品が並ぶ。出来にバラつきがあるがなかなか壮観。
  2. この手の城では珍しく木造天守。
  3. 伊賀鉄道の駅名に名がいろいろと残る。
  4. 敷地内には他にも観光移設が揃っている。
    • 芭蕉翁記念館は、正直地味すぎ。俳聖殿はまあ散歩がてら観るならいいけど。
    • 忍者博物館は値段がやや高いだけあって結構本格的。
      • 忍者伝承館は、神代文字をまともに捉えてるのはどうかと思うが、全体的な解説はしっかりしている。
  5. 城のあちらこちらに忍者の人形が潜んでいる。
  6. 堀の石垣は結構立派。
  7. 本丸の石垣も立派 …なんだが、裏手には土が盛られているところがあって簡単に上れそうになってる。
  8. ちなみに三重にはもう一つ上野城がある(伊勢上野城)。ただし、こちらは現在神社になっている。

神戸城

  1. 町中に公園になって残っている平城。その名の通り神戸氏が居て、北勢地方に勢力を持っていた。
    • 神戸氏は織田信長に攻められて、信長の息子の信孝を養子に入れることで和睦(実質降伏)。
    • 公園は(失礼ながらこの程度の城にしては)そこそこの範囲ではあるが、本丸がちょっと高くなっていてその中に天守台があるくらいしか残ってない。
  2. そばには高校あり。城跡のセオリー。
  3. 読み方は「かんべ」です。念のため。

鳥羽城

  1. かつては海に面していた海城。平山城。
    • 現在では海は少し遠のいたが、城に登れば海や島が見えるし、アシカかオットセイの鳴き声も聞こえる。 …向かいの鳥羽水族館から。
  2. 城主は水軍で有名な九鬼氏だった。
    • 関ヶ原の合戦時には九鬼嘉隆は西軍についてこの城に、その子・守隆は東軍について父子相争うハメに。
      • …その実は父子別れて東西どちらが勝っても家が持つように、という企みだったので、鉄砲が空砲だったりしたらしい。
      • 西軍敗戦後、父・嘉隆は城から抜けて答志島に逃げた。息子は徳川に助命嘆願し、受け入れられたんだがその知らせがつく前に父は切腹。もうちょっと待てれば、、という茶番劇から一転して悲劇の舞台の城。
      • 余談。守隆の跡は家督争いが起こり、その息子達は2つの家に別れて摂津三田・丹波綾部という山奥へ移封することに。水軍の猛者達の末裔は水軍の城から引き離されてしまった。
  3. 石垣は結構立派。北東側(近鉄側)には7段くらいの石垣が。
  4. 二の丸には水軍の城らしく、帆船の形をした遊具がある。
    • 本丸には何もない。正直、本丸より二の丸の方が、整備されている感がある。
  5. 城跡らしく、横に市役所がある。
    • 海に近い高台になので、災害時の避難所となっている。高台だし市役所真横だし、避難所としては好立地。
  6. 城の横を流れる川がかつては志摩と伊勢との国境だったらしい。
    • 城のあった時代と、国境の時代は知らないけれど、城の範囲はひょっとすると国境をまたいでいたのかも。