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== 町の噂 ==
*新規追加は藩別に50音順でお願いします。
*[[宮崎/北部|北部]] - [[延岡市]] 日向 西都
==新撰組==
*[[宮崎/南部|南部]] - [[宮崎市]] 日南 串間
===伊東甲子太郎===
*[[宮崎/諸県|諸県]] - [[都城市]] 小林 えびの
#新撰組の参謀。結成時からのメンバーではなく、藤堂平助の紹介で入隊した中途組。
*[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/ 宮崎県庁HP]
#もともと倒幕側の人間で、新撰組を倒幕の組織にする狙いもあったというが、上手く行かず離反する。


==テーマ別の噂==
===沖田総司===
*[[九州旅客鉄道]]
#血反吐を吐きながら敵を斬りまくるイメージがつきすぎてしまったが、結核だったのは本当だが、実は剣はさほど強くなかったとか。
*[[九州の鉄道]]
#超絶イケメンのイメージがつきすぎてしまったが、実はさほどでもなかったとか。
*[[宮崎の交通]]
#*ヒラメ顔。
*[[九州自動車道]]
#朝誰よりも早く起きて掃除するのが趣味だったから、名前を「おきたそうじ」にしたとか。ホンマかいな。
*[[宮崎の食文化]]
*[[宮崎のメディア]]
*[[宮崎の未来]]
*[[宮崎の言葉]]
*[[山形屋|宮崎山形屋]]
*[[宮崎に言いたい]]
*[[偽宮崎の特徴]]
*[[東国原英夫]]
*[[偽東国原英夫の特徴]]


== 宮崎の噂 ==
===近藤勇===
# 時間がゆったりで宮崎の時計は1日26時間である。
#拳を口の中に入れることが出来たのは有名。
#* 待ち合わせによく遅れるのはそのためである。
#*加藤清正も拳を口の中に入れられたので、同じように名をはせたいと思っていたらしい。
#*火星の時計は1日25時間である。つまり、地球は宮崎と火星の合いの子。
#道場破りの際にはいつも助っ人を呼んでいた。
#**火星は地球と宮崎のあいの子じゃないの?でないと辻褄が合わないよ。
#*どうも竹刀の扱いが苦手だったらしい。
# 「2つ目の信号を右折」という道案内を信じて車を走らせる場合、2つ目の信号に出会うのに最低20分は必要。
#*実は新撰組でも有数のチキン野郎だったという噂がある。それが逆に、血の気の荒い土方とで新撰組を率いることのできた理由だったとか……
#* 市街地を除く。でも、村だと1個しか信号機がなかったり。
#**でも池田屋事件では少数で乗り込んでるので、やるときはやる男なのかも。
# 地下のある建物は存在しない。(ボンベルタ橘<>[http://www.mrt-micc.co.jp/ MRT micc]間に地下道があります。)台風で水没するかは不明。
#愛刀は虎徹…のニセモノ。でも池田屋事件で刃こぼれ一つしなかったというすごいニセモノである。
#* 地下=食料品売り場はあります。
#* 山形屋にも、ボンベルタ橘にも、MRTmiccにも、カリーノ宮崎にも、シーガイアにも、宮崎県庁にも、宮崎市役所にもあります。だけど他には無い。
# まだ鎖国をしている。
#*しかし実際は違う。
#陸の孤島とはよく言ったものだ。
#*日本人が陸上交通にこだわるからだ(日本のマスコミや庶民は道路や鉄道が発達していないエリアを「陸の孤島」と呼びたがる傾向がある。航空規制緩和が遅れたのもそのせい)。
#**実際は航空機のネットワークが発達しており、便利である。
# 日本一道路が舗装されていない。
#*国道10号は実は酷道10号。
#**甘い。本物の酷道はあんなもんじゃない。
# 交通機関が無い。
#* バス([[宮崎交通|宮交バス]])・列車([[九州旅客鉄道/鹿児島支社|JR]])・飛行機はあります。
# 気温0度以下とは「極寒」を意味する。
#*気温が15度以下になると、ダウンジャケットを着る人が増える。寒さに弱い気質がある。
# 台風のコント(看板とかが飛ぶ)を見ても、日常風景を映してなにがおもしろいのかと思う。
#*逆に台風が来ないと、いまいち夏になった実感がわかない。(もっとも宮崎県付近にいれば台風の影響の無い年なんて稀だろうけど。)
# ホテルの風呂はビジネスでもデフォルトで温泉。
#* 残念ながら、そんな事はありません
# 宮崎県人は、2時間サスペンスドラマがないと生きていけないらしい。
# 宮崎では、「月9」の如きドラマのことを「ヤングドラマ」と言うらしい。
#* 当然のように、「月9」が土曜の昼に放送される。
#** 夕方16時くらいだったと思う。
#* 実際の月曜9時はテレ朝系「土曜サスペンス劇場」が「月曜−」として放送されている
# 宮崎の北部山沿いの人は救急車の音を聞くと「どこん人が死んなったっちゃろかぃ」と言って、葬儀の知らせを聞くと「あんときん救急車ん乗っちょった人やねぇどかい。」と言う。
#* 山間部では救急車の到着まで2時間かかるところもある。全然救急じゃない。
#* 全国で一番常備消防がない地域だから、ボヤでも全焼。
# 宮崎県南部の人は鉄道は単線だと信じて疑わない。電車なのに列車と言ういなかもんがいる。
#*田舎もんは汽車でしょ。列車は電車や汽車、ディーゼルなどを含めた総合名称。
#*そもそも電車も田舎な気配。都会は電車と言っても種類が多いため、例えば東京なら「東急」「地下鉄」「〜線」など、絞り込んで言うことが多い。まぁ「〜の電車で」って言う程度かな。
#* 列車は問題ないけど、汽車という人の方が多い。
#*日南線は電化されてないから電車じゃない。
# 宮崎〜南宮崎間だけ電車の本数が妙に多い。
# 高校を出るまで鉄道会社はJR以外に存在しないと思っている。
#* ↑県北部の人は高千穂鉄道を知っていた。
#*私鉄は特急券がいらないということを知らず、駅で特急券を探し、焦る。
#*特急券が必要なのはL特急であり、本線を走ってるのが該当する。
#*というか鉄道は利用しないからどうでもいい。
# バスの時刻は最後の方は10分近く遅れている。
#*昼間でも夕方でも20分以上遅れる事がよくあります。
#*1時間に2〜3本しか来ないから20分遅れても実質大差ない。
# 三両編成以上の電車を見ると騒ぎだす。
# とにかく植え込みが多い。
# 小学四年生までは誰も「受験」を知らない。
#* 中学受験(宮崎市だと宮崎大学付属中か私立日向学院中)するのはごく一部の成績の良い子だけ(合格しても行かないケースがほとんど)で、ほとんどの子には関係ない。
#* 公立高校至上主義.
# 高校生はマフラー代わりに白いタオルを首にまく。
#* 5・6年前に、手ぬぐいが流行してました。
#* 手ぬぐいじゃなくてタオルだと思います。通称タオラーです。
#* マフラー代わりじゃありません、夏だけです。
#* というかマフラーは校則で禁止だった。
# 自転車のサドルを調節しないのが普通。
# フェニックスが植えてあるだけで、「南国」と言う。
#*↑それは他の県から来た人がよく言うこと
#*広島大学に進学したら、大学のシンボルツリーがフェニックスだったことに感動した。
# 宮城県とよく間違えられる。
#* 長崎とも間違えられたりしますね。
#* 良くて「宮崎って九州のどこかだよね」と正確な位置までは把握されていない。
# 中学・高校生女の子のヘアースタイルは梳きまくったストパー(肩下位の長さ)が流行っている。
# 鹿児島の事をとにかく意識しライバル視する。飲み会になると「鹿児島の〜〜は・・・」になる。しかし鹿児島の人に相手にされていない事に気づいていない。
#*話題に上った事すらありませんが?
#*砂土原と都城は鹿児島県ですがなにか?
#*「砂土原」ではなく「佐土原(さどわら)」です。それから両方とも宮崎県です。
#*もう訛りも半分以上は鹿児島弁だわなと都城生まれが言ってみる
#*そもそも薩摩藩島津氏の発祥の地は都城なので逆に言えば鹿児島は宮崎。(w
#*むしろ鹿児島が宮崎を意識しすぎてる。鹿児島のメディアが宮崎のことを地元ニュースで報道することが度々あっても逆はほとんどない。
# 普通電車では大分県に行けない。
#*行けますよ。日豊本線で。
#*行けないというより、時間がかかりすぎて電車では行く気がしない。
#*車ですら延岡から先が長くて挫折する。
#*延岡から大分市までは空白地帯だ。
#*佐伯(大分県)〜延岡(宮崎県)間の普通列車は1日に僅か3本。
#ようやくミニスカートの女子高生を見かけるようになった。
#*逆に暴走族やヤンキーまだいる。やってるの氣志團くらいでもはやギャグか化石。
#年配者はいまだに大宮高校が宮崎で一番と信じて疑わない。
#*長らく西や南に押されてたけど最近復権してきた。
#*少なくとも普通科では一番。
#宮崎自動車道は宮崎市内に行くのに都城を経由する無駄に遠回りな造りだ。
#*よい子は小林もしくは高原ICから下道で行きましょう。
#もともとひどかったが、イオンSCが出来てから宮崎のメインストリートである橘通周辺のシャッター街化が止まらない。
#*橘通ですらそうなのだからそれ以外の商店街などは見るも無残なゴーストタウン状態。
#駅は無人が当たり前である。有人駅で切符を買うとワクワクする。
#風向きによっては桜島の灰が飛んでくる。
#多くの子供が秘密基地を作った経験を持つ。
#主な観光資源はシーガイアと、せいぜい霧島温泉。シーガイアは皮肉なことに、倒産で全国区になった。
#*シーガイアをシーガイヤと勘違いしてるヤツが大半。
#福島瑞穂の出身地だが、社民党にはあまり興味ない。
#*個人的には宮崎の恥。
#宮崎県庁の電話は[[NTT]]しかない。
#*県内通話は[[NTT西日本]]で、県外・国際通話は[[NTTコミュニケーションズ]]である。
#NTTグループ(NTT西日本・NTTコミュニケーションズ)の固定電話のシェアが全世帯の8割近くあるらしい。
#*インターネットのプロバイダーは、7割弱の世帯がNTTコミュニケーションズのOCNである。
#*NTTドコモ九州の宮崎県内の携帯電話のシェアでは7割近くもある。
#:「au・ソフトバンクモバイルのシェアを合わしても3割強しかない。」
#*宮崎県在住者が海外旅行に出かけるときに必ず、NTTコミュニケーションズの国際国内電話のプリペイドカードを購入する。
#センター試験の平均点が47都道府県中最下位と言う由々しき事態。
#* しかし、2007年のセンター試験では岩手県が最下位であった。
#まともな私立高校に進学するというのは、県外に出ることを意味する。
#離婚率が高い→母子家庭が多い。
#電化製品は全て吉村生協プロパンで購入する。
#* これはガチでホント
#明治時代には、鹿児島県と合併するという暴挙に出た。
#「てげてげの木」という県内にしか生息しない木があるらしい
#* 「のさん」と言う山に「よだきい」と言う伝説の木もあるらしい。。
#* そして「ひんだれた」という田んぼに「てにゃおか」という丘(または「てにゃわん」という湾)もある。
#電車ではなく汽車(列車・ディーゼル車)が走っている
#*14番をよく見ましょう
#サンメッセ日南のモアイは、本家公認である
#[[東国原英夫|たけし軍団の芸人が知事]]になってしもうた。
#*2007年(平成19年)1月23日、知事職開始。
#*開票0%から(投票終了時点で)'''早々と当確が出たのはインパクトがあったよ'''by他県民。
#*保守系の候補が分裂したのは痛かったな>自民&公明。
#*ヤッシー方式では県民からそっぽを向かれるから、高知県の現知事みたいにやれば安定かもね。
#*「ひがしこくばる」・・・読めない。
#**↑でも、芸名よりこちらの方が宮崎のPR効果大だと思うのだが・・・
#*で、現知事の芸名は'''新聞の一面で始めて大々的に使われた。'''
#**芸名は「酢のマンマ被害」だろうか?「そのまんま被害」だろうか?
#*選挙公約の一つに「民放を増やす」。人によっては悲願か。
#**はたして宮崎は東国原知事効果?で徳島や岩手に次ぐChakuwiki聖地となるか・・・
#昨年、やっとスターバックスコーヒーが県内初出店した。
#宮崎県民に最も知られている温泉はホテルマリックスの「温泉ぱうぱう」。
#宮崎県ではオタクは育たない
#*宮崎県在住の従兄弟がそう言ってた
#*オタク向けの店がほとんど無いことによるが、まぁ育たないことはない。(byオタク)
#*育たなかったオタクはそのまま薄まっていく。育ってしまったオタクは東京や大阪に飛び出していき、不遇だった時代を埋め合わせるかのようにますます拍車がかかる。(by後者)
#隣の鹿児島にはまったく無く、大分にも福岡の近くにしか無いセブン-イレブンが、普通に存在する。


== 宮崎出身の著名人 ==
===斎藤一===
# 浅香唯
#三番隊隊長。沖田総司と並んで新撰組最強と言われる一人。
# そのまんま東(東国原英夫 現知事)
#*最強で並び称すなら永倉新八も入れないと。
# 温水洋一
#伊東甲子太郎が離反した際には、伊東側にスパイとして潜入していたという。
# 永瀬正敏
#晩年、木の枝に吊るした空き缶を竹刀でぶち抜いたという逸話もある。
# 今井美樹
#とにかく名前がいろいろと変わった。
# 蛯原友里
#間違いなく[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|あの漫画]]で知名度が上がった。
# サエコ 
# 堺雅人
# 小渕健太郎(コブクロ)
# 鬼束 ちひろ
#山本圭壱(元極楽蜻蛉)
#*理由:最近そうなったらしい。
#*本当は東京都生まれ、広島県育ち
#藤井治芳(元旧・日本道路公団総裁)


== 宮崎の冷蔵庫 ==
===芹沢鴨===
<gallery caption="宮崎の冷蔵庫">
#新撰組初代筆頭局長。近藤勇の上位者であった。
画像:miyazaki_gyouza2.jpg|[http://www.rakuten.co.jp%2fkinokohonpo%2f322956%2f%23326253 黒豚きのこ餃子]
#むちゃくちゃ乱暴ばかりしていたイメージがあるが、のちの近藤たちによる印象操作や、子母沢寛の小説による創作の面が強く、実際はけっこう礼儀正しい紳士であったとか。
</gallery>
#「[[ガン・カモ類#鴨|鴨]]」という名前は自分でつけたのだが、いま考えてもみょーなセンスである。
*チーズ饅頭


[[Category:日本の都道府県|みやざき]]
===土方歳三===
[[Category:宮崎|*みやざき]]
#剣も強く、組織力もあり、頭も良く、なおかつイケメン。新撰組の実質的指導者は彼だったと言われる。
[[Category:九州地方|みやざき]]
#*日野の薬問屋の出で、少年時代から店員を指揮して製薬の作業をしていた。組織の指導力を培ったのはそのおかげと言う。
#**司馬遼太郎によると、土方の実家は昭和30年くらいまで「お大尽の家」で近所では通じたそうだが、今はさすがに無理だろう。
#**現在でも日野には土方姓の家が結構ある。が、親戚というわけではなく、歳三にあやかってつけた家もあるとか。
#やたらと粛正ばかりしていたのは、ちょっとなあ……
#新撰組瓦解後は、榎本武揚と一緒に北海道へ行き、五稜郭の戦いで戦死。
#*「北海道共和国」が存立していたら、陸軍大臣か何かになっていたかもしれない。
#*この時期になって、「剣がいくら強くても、やっぱり銃には勝てんなあ」と述懐。何を今さら……
#*後ろから撃たれたという説もあるようだが、さて・・・・。
#*生存説があり、現在[[ジョジョの奇妙な冒険ファン|漫画家]]をやってるという噂も…
 
==幕府陸軍==
===小栗忠順===
#財政再建や軍隊の近代化などいろいろと活躍している。
#*司馬遼太郎も絶賛している。
#*一言で言うと、超優秀な経済官僚。
#一説によると徳川埋蔵金はこの人が隠したらしい。
#日本に初めて蹄鉄を紹介した人物。
#*生粋の馬好きだった。
#**馬主に同姓の人がいるが、この人の子孫かどうかは知らん。
#***オグリキャップの馬主の小栗さんだったら、小栗上野介さんの末裔だよ。
#*漫画家の子孫もお忘れなく。
#上野国に領地を持っていたので子孫はこの人を「上州」と呼んでいる。
#*上野介の役職にあったからじゃないのか?
#*因みに所領地では名奉行として知られていて、自分が処刑された後、妻と妻の腹の中に居た忠順の子を匿って守り通してくれたというのは、知る人ぞ知る話しらしい。
#東郷平八郎は仁義礼智信の5つの特が備わった人だと評価していたらしい。
#*「生きておられたら、勝なんかよりもよほど有用な働きをなさっておられたであろう。」と、忠順の孫と曾孫にあった時に言ったらしい。
#**因みに、勝海舟と小栗忠順は性格も真反対で、敵対していた。
#***現代の両者のファン同士も仲が悪い気がする。
#無類の愛妻家だったらしい。
#同僚と花見で行った隅田川の堤防を見て、あの堤防をどれくらいかさ上げすれば付近の田畑と農民を守れるかなどを、同僚がどじょうすくいをやる横で屋形船の中から考えていたというくらいマジメな人物だった。
#*悪く言えば、KYの見本。
#歴史系の掲示板で、この人の話題が出ると荒れることが多い。
#*この人が生きていたら、公武合体が実現して史実より幕府側の犠牲を少なく出来たり、史実より更に効率的に近代化が出来る可能性が見えるため、ifの話が白熱してしまうため。
 
===勝海舟===
#襲ってきた刺客を説得し弟子入りさせる程度の能力。
#弱点:犬。
#*子どもの時に噛まれて大けがをしたため。
#**その噛まれた場所がひどい。
#維新後の本名「安芳」。
#*本人いわく「アホウ」とも読めるとか。
#*安房守になってたからじゃなかったっけ?
#側女と本妻を同等に扱い同じ家で暮らしていたらしい。
#*本妻がデキた人だったので、妾との仲は良好だったとか。
#維新後の身の処し方で、好き嫌いが別れる。
#*旧幕臣と明治政府との橋渡しをするためには、こうした汚れ役の人も必要だろう。
#晩年は談話筆記を何冊も出した。
#*勝の肉声が聞こえてきそうな本。さまざまなことに関する洞察力は感嘆に価する。
 
==公家==
===岩倉具視===
#加山雄三の先祖。
#500円札の肖像画に使われていた。
#使節団団長として赴いたアメリカで条約改正への望みと髷を一度に失った。
#葬儀は維新以降での国葬第1号。
#一時期岩倉に隠棲していた時はド貧乏だったらしい。
#*娘を近所の百姓の養女にしかけたこともあったとか。
 
==長州藩==
===伊藤博文===
#初代にして最年少の内閣総理大臣。
#*ほかにもいろいろ初代。
#フグ解禁の功労者。
#*少し前のJR西日本のCMでも取り上げられた。
#もみじ饅頭の生みの親ともいわれる。
#*芸者の手を見てもみじのようだ、饅頭にして食いたいとのたもうた事に由来する。それほどまでの芸者好きだった。
#かつて足軽だったので出世後も旧藩の集まりでは末席に座らされたらしい。
#芸者好きをたびたび風刺のネタにされた。
#*二人三人と同衾するのは当たり前、半玉(デビュー前の芸者)の最初の客になるのが楽しみだったという。
#*「地方で芸者遊びをするときは、土地のNo.1ではなくNo.2やNo.3を指名しろ」という秘訣(?)を残している。
#掃いて捨てるほど女がいたので、「箒」というあだ名をつけられた無類の女好き。
#*日本で初めてカー×××をしたという伝説がある。
 
===木戸孝允===
#「桂小五郎」の名前のほうが知られているかも。
#*明智小五郎の名前もここから取られたらしい。なので時々両者を結びつけたギャグが生まれる(いしいひさいち「土岐の娘」他)。
#*桂南光の弟子で居た気もする(桂こごろう)が、なんか関係あるのかな?
#近藤勇を恐怖させたほどの剣の達人だったが、危なくなると剣を打ち合ったりせずに、すぐに変装して身を隠した。
#*「逃げの小五郎」という二つ名もあったそうな。変装の名人って、明智小五郎というより怪人二十面相だね。
#西南戦争のあいだに病死。いまわの言葉は「西郷も、いい加減にしないか」だったそうな。
 
===吉田松陰===
#木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、前原一誠など、維新や明治政府に関わる多くの人材を育てた大教育者。
#大教育者と呼べる人物なのに、なんと29歳の若さで死んでいる。どんだけ優秀だったのかと。
#*松下村塾で教えていたのはわずか4年間。それであれだけの人材を育てたのだからすごすぎる。
#*人を褒めるのが超絶にうまかったらしい。褒められた者はみんな感激して発奮したそうな。
#黒船で密航しようとしていたらしい。もし成功してたらどうなっていたことやら。
#*漕ぎ着けるために使った小舟の櫓を固定するために帯もフンドシも使ってしまっており、黒船に着いた時、前ははだけてフルチン状態だったとか。そりゃ拒否されるわ。
#昭和になって、彼の業績を讃える歌が[[Wikipedia:ja:つボイノリオ|この人]]によって作られた。
#孫子の兵法を研究していて注釈書も書いている。上述の黒船密航も「敵を知り己を知る」という孫子に基づいた行動だったのかも。
 
==土佐藩==
===板垣退助===
#相撲が「国技」になれたのはこの人のおかげ。
#*「国技館」はこの人の命名。
#板垣死すとも自由は死せず!
#*暗殺されかけた後に大臣になった際には「自由は死んだのに板垣は生きている」などと風刺されたらしい。
#*これホントは言っていなかったという説がある。
#**新聞が書いたフレーズだって?
#実は国会議員だったことがない。
#*伯爵位を持っていたために衆議院の被選挙権がなく、貴族院に選ばれた際も固辞している。
#100円札の肖像画に使われていた人。
#イタダキタイスケではない。
 
===岡田以蔵===
#幕末三大「人斬り」のひとり。もっともそんなにむちゃくちゃ斬りまくっていたわけではない。
#*井上佐一郎や猿の文吉を暗殺したときは絞め殺している。
#勝海舟の用心棒をしていたこともあった。
#*その時にひとりふたり斬ったのは、勝の回想があるから確か。
#**勝が殺人をとがめると、「私が斬らなきゃ、先生は今頃まっぷたつでしたよ」と返答。これには勝も一言も無かったらしい。
#土佐藩につかまって拷問を受けたところぎゃあぎゃあ泣きわめくので、同じ牢に居た武市半平太から、見苦しいからと毒殺されかけた。哀れ。
#*もっとも、致死量の何倍かの毒薬を服まされてもぴんぴんしていたらしい。変なヤツだ。
 
===坂本龍馬===
#坂本竜馬は高知が嫌になって脱藩した
#*その後一度も帰ることが無かった。
#アレな坂本龍馬ファンが銅像の前で一晩を飲み明かしたりする。
#*酔っぱらって龍馬なぜ死んだんじゃ~とのたまったりのたまわなかったり。
#しかしこれだけ龍馬、龍馬と言っておきながら肝心な彼の墓は[[京都]]まで行かないと存在しない。
#*京都で暗殺されたから。皮肉にも地元の戦国武将が処刑された場所と同じ。
#*龍馬を暗殺したのは新撰組という説がある。(新撰組龍馬暗殺未遂という事実が残っている。)
#**西郷黒幕説、自殺説、まだ分からないからといっていろんな説が飛び出しております。
#**中岡慎太郎暗殺の巻き添えをくらったって説もあるらしい。
#大河ドラマ「竜馬がゆく」は同シリーズ中、最も低視聴率に終わった作品である。
#*2010年「龍馬伝」は吉と出るか蛇と出るか...
#「竜馬がゆく」(原作)は忘れられた日本人として取り上げたわけです。全国的な知名度がないのはやむをえない。
#明治維新の前には土佐藩は幕府派と倒幕派が互いに暗殺合戦したから人材がいなくなった。薩摩藩では武士の7人に1人は(いまは廃止された)華族士族になれた。
#その代わり岩崎弥太郎に代表される経済人が活躍、何気に昭和初期までは日本でも指折りの経済商業発展都市だったりする。しかし今も昔も変わらずの怠惰な県民性故にこの有様だよ!!
#「坂本龍馬って過大評価されすぎだろ」「坂本龍馬ってたいしたことしてないよね」は禁句である
#*「すごい(と言えば通ぶれる)」→「すごくない(と言えば通ぶれる)」を数回繰り返してるので割とニュートラルだったりもする
#**補足:上記2つは高知県での龍馬の扱いの話ね。
#日露戦争の時に、焦慮する皇后の夢枕に現れて「戦のこと、ご心配なさらぬように」と伝えたらしい。
#*明治期の龍馬への認識はその程度のことだったようだ。
#10才くらいまで(だっけ?)寝小便垂れてた。
 
;関連項目
*[[坂本龍馬ファン]]
 
===武市瑞山===
#幕末における土佐郷士のリーダー格。半平太の通称でも知られる。
#親戚でもある龍馬からは「顎(アギ)」というアダ名で呼ばれていた。
#*それに対して龍馬のことを「痣(アザ)」と呼んでいた。
#同時代の人たちから「人望は西郷、政治は大久保・桂に匹敵する」というとんでもない評価を受けている。もし生き延びていたらどれほどのことをしたことやら・・・。
 
==佐賀藩==
===大隈重信===
#[[早稲田大学|都の西北に大学]]を作った。
#同じ日に禁酒の勧めと飲酒の良さをそれぞれ別の場所で語ったことがあるらしい。
#*前者は禁酒組合、後者は酒造組合での講演だったとか。
#始球式でバッターが空振りする風習の生みの親。
#「あるんである」という言い回しをよく使ったのであるんである。
#政治家としてはともかく、総理大臣としてはあまり有能ではない。
#*藩閥勢力に利用されすぎ。
 
==薩摩藩==
===大久保利通===
#外では冷血、家では親バカ。
#私生活はハイカラだったが実は漬物も好きだったとか。
#近年まで鹿児島ではあまり人気がなかった。
#*他県からの指摘があるまで銅像も立たなかった。
#**そりゃ、薩摩で大人気の親友(=西郷隆盛)を殺せって命令出しゃ、誰だって、嫌うでしょ。
#頭頂部の禿を前髪でごまかすのが大変だったという。
#良くも悪くも近代日本のグランドデザインを描いた偉人。
#身長180cm以上だったらしい。ガチの殴り合いでは勝てないなあ、俺。
 
===西郷隆盛===
#どんな顔だったか未だに謎。
#*とりあえず[[東京/台東区#上野公園の噂|上野]]の銅像は似ていないらしい。
#**銅像の完成式で妻が本人に似ていなくてがっかりしたとか。
#***奥さんががっかりしたのは、似てないからではなく、公的な場に飾られるのに相応しくない平服姿で表されたため。
#*確かに確実な写真などはないが、まだ西郷の顔を覚えている人が大勢生きている時代に作られた作品だから、全く似ていないということはないだろう。
#**今残る肖像画は、弟の西郷従道と、従弟の大山巌の容貌を参考にして描かれたもの。まあ、当たらずといえども遠からずというところじゃないかな。
#*顔と言うより、名前も正確なところは不明だったような・・・。
#**「隆盛」は親父さんの名乗りで、本人は本当は「隆永」だったらしい。留守中に部下がうろ覚えで届け出てしまった。
#***ついでに、弟の従道も、本当は「隆道」だったらしい。名乗りを訊かれて、音読みで「リュードーじゃ」と答えたら「ジュードー」と聞き間違えられたとのこと。
#愛犬家。
#鹿児島と熊本での評価の差がすごい。
#小さく叩けば小さく響き大きく叩けば大きく響く。
#死後も何か変事が起きるたびにこじつけられた。
#*火星の大接近、ロシア皇太子来日、巡洋艦行方不明・・・
#日本人の「鹿児島」という土地のイメージにこの人の存在がかなり影響していると思う。
#実は維新以前に島流しを食らっている。
#奄美に流されたときに風土病になったとかで、{{あきまへん|金玉}}が異常にでかく、馬にも乗れないほどだった。
#*西南戦争で死んだ後、首がなくてどれが西郷さんの遺体かわからなかったときにコレで判断された。
#「もうこのへんでよか。」
#[[ドラえもん|愛犬は未来の東京からやってきたもの。]]
 
==関連項目==
*[[幕末ファン]]
 
[[Category:バカ人物志/日本|はくまつしてん]]

2014年5月15日 (木) 21:20時点における版

  • 新規追加は藩別に50音順でお願いします。

新撰組

伊東甲子太郎

  1. 新撰組の参謀。結成時からのメンバーではなく、藤堂平助の紹介で入隊した中途組。
  2. もともと倒幕側の人間で、新撰組を倒幕の組織にする狙いもあったというが、上手く行かず離反する。

沖田総司

  1. 血反吐を吐きながら敵を斬りまくるイメージがつきすぎてしまったが、結核だったのは本当だが、実は剣はさほど強くなかったとか。
  2. 超絶イケメンのイメージがつきすぎてしまったが、実はさほどでもなかったとか。
    • ヒラメ顔。
  3. 朝誰よりも早く起きて掃除するのが趣味だったから、名前を「おきたそうじ」にしたとか。ホンマかいな。

近藤勇

  1. 拳を口の中に入れることが出来たのは有名。
    • 加藤清正も拳を口の中に入れられたので、同じように名をはせたいと思っていたらしい。
  2. 道場破りの際にはいつも助っ人を呼んでいた。
    • どうも竹刀の扱いが苦手だったらしい。
    • 実は新撰組でも有数のチキン野郎だったという噂がある。それが逆に、血の気の荒い土方とで新撰組を率いることのできた理由だったとか……
      • でも池田屋事件では少数で乗り込んでるので、やるときはやる男なのかも。
  3. 愛刀は虎徹…のニセモノ。でも池田屋事件で刃こぼれ一つしなかったというすごいニセモノである。

斎藤一

  1. 三番隊隊長。沖田総司と並んで新撰組最強と言われる一人。
    • 最強で並び称すなら永倉新八も入れないと。
  2. 伊東甲子太郎が離反した際には、伊東側にスパイとして潜入していたという。
  3. 晩年、木の枝に吊るした空き缶を竹刀でぶち抜いたという逸話もある。
  4. とにかく名前がいろいろと変わった。
  5. 間違いなくあの漫画で知名度が上がった。

芹沢鴨

  1. 新撰組初代筆頭局長。近藤勇の上位者であった。
  2. むちゃくちゃ乱暴ばかりしていたイメージがあるが、のちの近藤たちによる印象操作や、子母沢寛の小説による創作の面が強く、実際はけっこう礼儀正しい紳士であったとか。
  3. 」という名前は自分でつけたのだが、いま考えてもみょーなセンスである。

土方歳三

  1. 剣も強く、組織力もあり、頭も良く、なおかつイケメン。新撰組の実質的指導者は彼だったと言われる。
    • 日野の薬問屋の出で、少年時代から店員を指揮して製薬の作業をしていた。組織の指導力を培ったのはそのおかげと言う。
      • 司馬遼太郎によると、土方の実家は昭和30年くらいまで「お大尽の家」で近所では通じたそうだが、今はさすがに無理だろう。
      • 現在でも日野には土方姓の家が結構ある。が、親戚というわけではなく、歳三にあやかってつけた家もあるとか。
  2. やたらと粛正ばかりしていたのは、ちょっとなあ……
  3. 新撰組瓦解後は、榎本武揚と一緒に北海道へ行き、五稜郭の戦いで戦死。
    • 「北海道共和国」が存立していたら、陸軍大臣か何かになっていたかもしれない。
    • この時期になって、「剣がいくら強くても、やっぱり銃には勝てんなあ」と述懐。何を今さら……
    • 後ろから撃たれたという説もあるようだが、さて・・・・。
    • 生存説があり、現在漫画家をやってるという噂も…

幕府陸軍

小栗忠順

  1. 財政再建や軍隊の近代化などいろいろと活躍している。
    • 司馬遼太郎も絶賛している。
    • 一言で言うと、超優秀な経済官僚。
  2. 一説によると徳川埋蔵金はこの人が隠したらしい。
  3. 日本に初めて蹄鉄を紹介した人物。
    • 生粋の馬好きだった。
      • 馬主に同姓の人がいるが、この人の子孫かどうかは知らん。
        • オグリキャップの馬主の小栗さんだったら、小栗上野介さんの末裔だよ。
    • 漫画家の子孫もお忘れなく。
  4. 上野国に領地を持っていたので子孫はこの人を「上州」と呼んでいる。
    • 上野介の役職にあったからじゃないのか?
    • 因みに所領地では名奉行として知られていて、自分が処刑された後、妻と妻の腹の中に居た忠順の子を匿って守り通してくれたというのは、知る人ぞ知る話しらしい。
  5. 東郷平八郎は仁義礼智信の5つの特が備わった人だと評価していたらしい。
    • 「生きておられたら、勝なんかよりもよほど有用な働きをなさっておられたであろう。」と、忠順の孫と曾孫にあった時に言ったらしい。
      • 因みに、勝海舟と小栗忠順は性格も真反対で、敵対していた。
        • 現代の両者のファン同士も仲が悪い気がする。
  6. 無類の愛妻家だったらしい。
  7. 同僚と花見で行った隅田川の堤防を見て、あの堤防をどれくらいかさ上げすれば付近の田畑と農民を守れるかなどを、同僚がどじょうすくいをやる横で屋形船の中から考えていたというくらいマジメな人物だった。
    • 悪く言えば、KYの見本。
  8. 歴史系の掲示板で、この人の話題が出ると荒れることが多い。
    • この人が生きていたら、公武合体が実現して史実より幕府側の犠牲を少なく出来たり、史実より更に効率的に近代化が出来る可能性が見えるため、ifの話が白熱してしまうため。

勝海舟

  1. 襲ってきた刺客を説得し弟子入りさせる程度の能力。
  2. 弱点:犬。
    • 子どもの時に噛まれて大けがをしたため。
      • その噛まれた場所がひどい。
  3. 維新後の本名「安芳」。
    • 本人いわく「アホウ」とも読めるとか。
    • 安房守になってたからじゃなかったっけ?
  4. 側女と本妻を同等に扱い同じ家で暮らしていたらしい。
    • 本妻がデキた人だったので、妾との仲は良好だったとか。
  5. 維新後の身の処し方で、好き嫌いが別れる。
    • 旧幕臣と明治政府との橋渡しをするためには、こうした汚れ役の人も必要だろう。
  6. 晩年は談話筆記を何冊も出した。
    • 勝の肉声が聞こえてきそうな本。さまざまなことに関する洞察力は感嘆に価する。

公家

岩倉具視

  1. 加山雄三の先祖。
  2. 500円札の肖像画に使われていた。
  3. 使節団団長として赴いたアメリカで条約改正への望みと髷を一度に失った。
  4. 葬儀は維新以降での国葬第1号。
  5. 一時期岩倉に隠棲していた時はド貧乏だったらしい。
    • 娘を近所の百姓の養女にしかけたこともあったとか。

長州藩

伊藤博文

  1. 初代にして最年少の内閣総理大臣。
    • ほかにもいろいろ初代。
  2. フグ解禁の功労者。
    • 少し前のJR西日本のCMでも取り上げられた。
  3. もみじ饅頭の生みの親ともいわれる。
    • 芸者の手を見てもみじのようだ、饅頭にして食いたいとのたもうた事に由来する。それほどまでの芸者好きだった。
  4. かつて足軽だったので出世後も旧藩の集まりでは末席に座らされたらしい。
  5. 芸者好きをたびたび風刺のネタにされた。
    • 二人三人と同衾するのは当たり前、半玉(デビュー前の芸者)の最初の客になるのが楽しみだったという。
    • 「地方で芸者遊びをするときは、土地のNo.1ではなくNo.2やNo.3を指名しろ」という秘訣(?)を残している。
  6. 掃いて捨てるほど女がいたので、「箒」というあだ名をつけられた無類の女好き。
    • 日本で初めてカー×××をしたという伝説がある。

木戸孝允

  1. 「桂小五郎」の名前のほうが知られているかも。
    • 明智小五郎の名前もここから取られたらしい。なので時々両者を結びつけたギャグが生まれる(いしいひさいち「土岐の娘」他)。
    • 桂南光の弟子で居た気もする(桂こごろう)が、なんか関係あるのかな?
  2. 近藤勇を恐怖させたほどの剣の達人だったが、危なくなると剣を打ち合ったりせずに、すぐに変装して身を隠した。
    • 「逃げの小五郎」という二つ名もあったそうな。変装の名人って、明智小五郎というより怪人二十面相だね。
  3. 西南戦争のあいだに病死。いまわの言葉は「西郷も、いい加減にしないか」だったそうな。

吉田松陰

  1. 木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、前原一誠など、維新や明治政府に関わる多くの人材を育てた大教育者。
  2. 大教育者と呼べる人物なのに、なんと29歳の若さで死んでいる。どんだけ優秀だったのかと。
    • 松下村塾で教えていたのはわずか4年間。それであれだけの人材を育てたのだからすごすぎる。
    • 人を褒めるのが超絶にうまかったらしい。褒められた者はみんな感激して発奮したそうな。
  3. 黒船で密航しようとしていたらしい。もし成功してたらどうなっていたことやら。
    • 漕ぎ着けるために使った小舟の櫓を固定するために帯もフンドシも使ってしまっており、黒船に着いた時、前ははだけてフルチン状態だったとか。そりゃ拒否されるわ。
  4. 昭和になって、彼の業績を讃える歌がこの人によって作られた。
  5. 孫子の兵法を研究していて注釈書も書いている。上述の黒船密航も「敵を知り己を知る」という孫子に基づいた行動だったのかも。

土佐藩

板垣退助

  1. 相撲が「国技」になれたのはこの人のおかげ。
    • 「国技館」はこの人の命名。
  2. 板垣死すとも自由は死せず!
    • 暗殺されかけた後に大臣になった際には「自由は死んだのに板垣は生きている」などと風刺されたらしい。
    • これホントは言っていなかったという説がある。
      • 新聞が書いたフレーズだって?
  3. 実は国会議員だったことがない。
    • 伯爵位を持っていたために衆議院の被選挙権がなく、貴族院に選ばれた際も固辞している。
  4. 100円札の肖像画に使われていた人。
  5. イタダキタイスケではない。

岡田以蔵

  1. 幕末三大「人斬り」のひとり。もっともそんなにむちゃくちゃ斬りまくっていたわけではない。
    • 井上佐一郎や猿の文吉を暗殺したときは絞め殺している。
  2. 勝海舟の用心棒をしていたこともあった。
    • その時にひとりふたり斬ったのは、勝の回想があるから確か。
      • 勝が殺人をとがめると、「私が斬らなきゃ、先生は今頃まっぷたつでしたよ」と返答。これには勝も一言も無かったらしい。
  3. 土佐藩につかまって拷問を受けたところぎゃあぎゃあ泣きわめくので、同じ牢に居た武市半平太から、見苦しいからと毒殺されかけた。哀れ。
    • もっとも、致死量の何倍かの毒薬を服まされてもぴんぴんしていたらしい。変なヤツだ。

坂本龍馬

  1. 坂本竜馬は高知が嫌になって脱藩した
    • その後一度も帰ることが無かった。
  2. アレな坂本龍馬ファンが銅像の前で一晩を飲み明かしたりする。
    • 酔っぱらって龍馬なぜ死んだんじゃ~とのたまったりのたまわなかったり。
  3. しかしこれだけ龍馬、龍馬と言っておきながら肝心な彼の墓は京都まで行かないと存在しない。
    • 京都で暗殺されたから。皮肉にも地元の戦国武将が処刑された場所と同じ。
    • 龍馬を暗殺したのは新撰組という説がある。(新撰組龍馬暗殺未遂という事実が残っている。)
      • 西郷黒幕説、自殺説、まだ分からないからといっていろんな説が飛び出しております。
      • 中岡慎太郎暗殺の巻き添えをくらったって説もあるらしい。
  4. 大河ドラマ「竜馬がゆく」は同シリーズ中、最も低視聴率に終わった作品である。
    • 2010年「龍馬伝」は吉と出るか蛇と出るか...
  5. 「竜馬がゆく」(原作)は忘れられた日本人として取り上げたわけです。全国的な知名度がないのはやむをえない。
  6. 明治維新の前には土佐藩は幕府派と倒幕派が互いに暗殺合戦したから人材がいなくなった。薩摩藩では武士の7人に1人は(いまは廃止された)華族士族になれた。
  7. その代わり岩崎弥太郎に代表される経済人が活躍、何気に昭和初期までは日本でも指折りの経済商業発展都市だったりする。しかし今も昔も変わらずの怠惰な県民性故にこの有様だよ!!
  8. 「坂本龍馬って過大評価されすぎだろ」「坂本龍馬ってたいしたことしてないよね」は禁句である
    • 「すごい(と言えば通ぶれる)」→「すごくない(と言えば通ぶれる)」を数回繰り返してるので割とニュートラルだったりもする
      • 補足:上記2つは高知県での龍馬の扱いの話ね。
  9. 日露戦争の時に、焦慮する皇后の夢枕に現れて「戦のこと、ご心配なさらぬように」と伝えたらしい。
    • 明治期の龍馬への認識はその程度のことだったようだ。
  10. 10才くらいまで(だっけ?)寝小便垂れてた。
関連項目

武市瑞山

  1. 幕末における土佐郷士のリーダー格。半平太の通称でも知られる。
  2. 親戚でもある龍馬からは「顎(アギ)」というアダ名で呼ばれていた。
    • それに対して龍馬のことを「痣(アザ)」と呼んでいた。
  3. 同時代の人たちから「人望は西郷、政治は大久保・桂に匹敵する」というとんでもない評価を受けている。もし生き延びていたらどれほどのことをしたことやら・・・。

佐賀藩

大隈重信

  1. 都の西北に大学を作った。
  2. 同じ日に禁酒の勧めと飲酒の良さをそれぞれ別の場所で語ったことがあるらしい。
    • 前者は禁酒組合、後者は酒造組合での講演だったとか。
  3. 始球式でバッターが空振りする風習の生みの親。
  4. 「あるんである」という言い回しをよく使ったのであるんである。
  5. 政治家としてはともかく、総理大臣としてはあまり有能ではない。
    • 藩閥勢力に利用されすぎ。

薩摩藩

大久保利通

  1. 外では冷血、家では親バカ。
  2. 私生活はハイカラだったが実は漬物も好きだったとか。
  3. 近年まで鹿児島ではあまり人気がなかった。
    • 他県からの指摘があるまで銅像も立たなかった。
      • そりゃ、薩摩で大人気の親友(=西郷隆盛)を殺せって命令出しゃ、誰だって、嫌うでしょ。
  4. 頭頂部の禿を前髪でごまかすのが大変だったという。
  5. 良くも悪くも近代日本のグランドデザインを描いた偉人。
  6. 身長180cm以上だったらしい。ガチの殴り合いでは勝てないなあ、俺。

西郷隆盛

  1. どんな顔だったか未だに謎。
    • とりあえず上野の銅像は似ていないらしい。
      • 銅像の完成式で妻が本人に似ていなくてがっかりしたとか。
        • 奥さんががっかりしたのは、似てないからではなく、公的な場に飾られるのに相応しくない平服姿で表されたため。
    • 確かに確実な写真などはないが、まだ西郷の顔を覚えている人が大勢生きている時代に作られた作品だから、全く似ていないということはないだろう。
      • 今残る肖像画は、弟の西郷従道と、従弟の大山巌の容貌を参考にして描かれたもの。まあ、当たらずといえども遠からずというところじゃないかな。
    • 顔と言うより、名前も正確なところは不明だったような・・・。
      • 「隆盛」は親父さんの名乗りで、本人は本当は「隆永」だったらしい。留守中に部下がうろ覚えで届け出てしまった。
        • ついでに、弟の従道も、本当は「隆道」だったらしい。名乗りを訊かれて、音読みで「リュードーじゃ」と答えたら「ジュードー」と聞き間違えられたとのこと。
  2. 愛犬家。
  3. 鹿児島と熊本での評価の差がすごい。
  4. 小さく叩けば小さく響き大きく叩けば大きく響く。
  5. 死後も何か変事が起きるたびにこじつけられた。
    • 火星の大接近、ロシア皇太子来日、巡洋艦行方不明・・・
  6. 日本人の「鹿児島」という土地のイメージにこの人の存在がかなり影響していると思う。
  7. 実は維新以前に島流しを食らっている。
  8. 奄美に流されたときに風土病になったとかで、×××××が異常にでかく、馬にも乗れないほどだった。
    • 西南戦争で死んだ後、首がなくてどれが西郷さんの遺体かわからなかったときにコレで判断された。
  9. 「もうこのへんでよか。」
  10. 愛犬は未来の東京からやってきたもの。

関連項目