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==分割済み==
[[京阪電気鉄道]] > [[京阪の車両]] > [[京阪の車両/形式別|形式別]] > '''3000系(初代)'''
*[[東映]]
==京阪旧3000系(8000系30番台)の噂==
==あ行==
[[ファイル:京阪8531F.jpg|thumb|240px|旧3000系]]
===IVSテレビ制作===
[[ファイル:3505.jpg|240px|thumb|クラシックスタイル]]
#創業者は元[[讀賣テレビ放送|ytv]]のプロデューサー。そのため登記上の本店は大阪。
[[ファイル:Kuzuhamall3505.jpg|240px|thumb|引退後はくずはモールで保存]]
#テリー伊藤、和田薫、高橋がなりらが所属していたことで有名。
#[[京阪8000系電車|8000系]]と無理やり仕様を合わせた新しいのか古いのかよくわからない車両。
#IVSは「'''I'''nternational '''V'''ision '''S'''ystem」の略。
#*まぁ[[京阪の車両/形式別#1900系|1900系]]みたいに緑色の塗装になるのは悲しいからいい選択だとは思う。
#*これを8000系というのはさすがに違和感がある。だから「旧3000系」と呼んでいる。
#*[[京浜急行電鉄|京急]]の例からすれば両立できる気が…あ、車両番号が重複するか。
#新塗装にする気はあるのだろうか…
#*確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
#**新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
#***当時のパンフレットに本系列の新塗装が載っている。
#この手の車両としては珍しく地方に案外輸出されている。
#*但し車体だけ。譲渡先の軌間が異なるので台車や走行機器は別に調達した。
#*余剰となったモータは8000系0番台に流用された。
#**8001Fのモータは検査体制見直しの際に余剰品が出たのを利用している。
#**ブレーキ装置も。新品か本系列の流用品かはブレーキの緩解音でわかる。
#*一部車両の台車は改造の上[[京阪の車両/形式別#2600系|2600系30番台]]に流用された。
#*富山地方鉄道と大井川鐵道に譲渡されたが、実は[[秩父鉄道]]も導入を検討していたらしい。
#京阪最初のダブルデッカーだが、何と旧車体を流用して中央部を大改造した。恐るべき京阪の技術力。
#*車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
#**ちなみにダブルデッカー部は[[山形]]の鉄工所に依頼して作ったらしい。
#*その割にリニューアルされた1編成以外は3扉化格下げなどの改造工事を行わずに廃車された。
#**故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
#***そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
#****当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「'''もっと入れろやゴルァ!'''」と言って来たからねぇ・・・。
#*****んで当時はバブル経済最盛期。あっさり大半の車両が置き換えられた。バブル期後だったらリニューアルで済ませていたかな?
#****後継の8000系もある意味時代に翻弄されていると思う。ダブルデッカーを連結したかと思ったら停車駅増加に伴う一部ロングシート化とテレビ撤去、プレミアムカー連結と。
#*旧3000系は車体裾が絞られているために1階席の幅が狭く座席が1-2列の配置になっている。これに対し8000系0番台は断面が直立形状のため座席は2-2列配置となり転換も可能になった。
#*京阪も2階建て車両に全力を注いだのか、通路に絨毯が敷かれていたり内装がやたらと凝っている。
#一応前面に方向幕があるが、特急運用時は鳩マークで隠される。
#*前面方向幕は更新改造時に設置されたもの。それまでは、特急運用時以外は鳩マークを隠していた。
#旧3000系時代は京阪で唯一の電気連結器付き密着連結器装備だった。後にも先にもこの車両のみ。
#*かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
#**噂によると[[叡山電鉄]]への直通を視野に入れていたとか。
#***実現していたら、鞍馬の火祭の時だけは乗り入れ中止だったろうな、あの混雑っぷりじゃ2扉転クロでは到底捌けるとは・・・。
#旧3000系時代には一時期8000系(0番台)の中間車を1両だけ組み込んだ編成があった。
#*8000系が増備されるまではその車両だけ混んでいたらしい。
#*昔発行されていた「グラフ京阪」という鉄分度がかなり高かった冊子で、(旧)3000系特集という号があったが、その組み込んだ編成の走行写真が載っていたのはさすが京阪というべきか。
#そんなこんなで波乱万丈の人生を歩んできた旧3000系改め8000系30番台だがついに2013年春の引退が決定orz
#*'''ありがとう8000系30番台、さようなら旧3000系'''
#*ついに廃止かー、時代たったしな。お疲れ様。
#*この車両が改番をしてまでこうも長く走っていたのは、社長がこの車両に思い入れがあって長く走らせていたらしい。
#**下手な他社の有料特急車よりも最後まで特急車らしかったこの車両、どこかで保存する価値はあると思う。特に改造ダブルデッカー。
#*2012年9月より引退を記念してクラシックスタイルと称して前面を登場当時の姿に復刻した。
#**2013年3月10日をもって営業運転からは引退、それと共にダブルデッカーもお役御免。月末に運転の惜別臨時列車は往年の7両編成で運行される。
#*[http://www.keihan.co.jp/brand/photogallery/20130304/ Photo Gallery]では「卒業おめでとう。」のメッセージと共にその姿が。
#設計段階では十数年後に登場する[[阪神8000系電車|阪神8000系]]のような前面スタイルも検討されていたらしい。
#リニューアル前には座席指定の列車に運用しないにもかかわらず、車内の壁面に座席番号が張られていた。
#*リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
#**しかしそれを盗んだ馬鹿野郎が現れた。
#*リニューアル前の妻面には装飾が施されていたが、本当の金箔を使った豪華なもの。今もくずはモールに行けば見られる。車内に金箔を使ったと言えば他にJR九州の800系新幹線くらいだろう。
#8000系登場前は外部塗装の色調が今よりも若干暗かった。
#実は歴代の京阪特急車両で唯一ロングシートを装備したことのない系列である。
#何やら旧3505号車が引退時のスタイルのままで、寝屋川車庫からどこかへ搬送されたらしい。保存か?
#*どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
#**どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪と[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]は仲悪くはないんだから。
#***んでダブルデッカー車の8831号車が[[富山地方鉄道]]に売却されるとの噂が・・・。
#****実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
#*****そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
#******平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
#*******譲渡後も時代祭イラストはそのままである事にも微妙な違和感が。
#*******時代祭ではなく立山黒部アルペンルートか黒部峡谷のイラストに変えた方が良かったのにと思う。
#**保存車は「デジタル動態保存」という謎の扱いを受けている。
#***保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
#****化粧板も基本的には登場時のものではなく、リニューアル後のもの(8000系のリニューアル前と同じ)。但し妻面だけは登場当時のものに復刻された。
#****車内の路線図も1972年当時のものが復刻されている。
#その一方で2014年2月14日をもって[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]に譲渡された2両がひっそりと引退決定。
#*一応大井川サイドにもダブルデッカー譲渡の打診はしたんだっけ?
#*大井川鐵道に譲渡された車両は、譲渡先でも「大和田」駅を通っていた。
#*大井川鐵道の車両の中では最も車齢が若かったが、少数派故に異端車扱いされ、現場での扱いが悪く、長野電鉄10系の二の舞に。
#実は1971年製造の1次車のみ1900系との併結運転が考えられていた。
#*ただ実際に併結運転されたことは1度もなかった。
#*このため1次車のみ当初ブレーキ装置が1900系と同じ仕様となっていた。
#リニューアル前は定速運転時のみ回生ブレーキが使用可能で、停車時は発電ブレーキを使用していた。
#*リニューアル時に8000系と同じ制御装置に更新され、停車時にも回生ブレーキが使用可能となった。
#「京阪3000系電車(初代)」とあるが、実は本系列の登場前は電動貨車が3000代の車両番号を付けていたらしい。
#リニューアル前はまさに特急専用で、特急以外の列車に運用されることはほとんどなかった。まさに特別な存在だった。
#*例外的に京都競馬開催時に臨時急行の運用や、ダイヤ乱れ時に普通の運用に入ることはあった。
#1・2次車は当初補助椅子はなかった。
#*補助椅子の場所には仕切り板が設置されていたが、それが凝ったデザインだった。
#2021年、ついに富山へ行った車両からも廃車された車両が出た。
#*1971年製造開始なので、ちょうど同年に50周年を迎えた。


===イースト===
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#社名は創業者の苗字にちなむ。
{{京阪電気鉄道}}
#大橋巨泉、ビートたけしと関係が深い。
#*その縁もあって、[[芸能事務所#オーケープロダクション|オーケープロダクション]]を完全子会社化した。
#*エイベックスとも親密。
#傘下に福澤朗が所属する事務所がある。
#[[TBS]]・[[フジテレビ]]・[[中京テレビ放送|中京テレビ]]・[[毎日放送]]と親密。
#逆に[[日本テレビ|日テレ]]とは犬猿の仲。
#企画の使いまわしは非常に多い。
#バラエティ番組のイメージが強いが、ドラマにも関わっている。


===オフィスクレッシェンド===
[[Category:京阪電気鉄道の車両|3000けいしよたい]]
#テレビのみならず舞台や映画も幅広く展開。
#ジャニーズ事務所、古舘プロジェクトと関係が深い。
 
===オフィスぼくら===
#テレビスタッフのマネジメントが本業ながら、多くの番組制作を手がけている。
#社長は放送作家の岩立良作。
 
==か行==
===共同テレビ===
#元々は共同通信社の関連会社だったが、現在はフジサンケイグループ。
#アナウンサーも会社に所属しているが、一部セントフォースとの合弁に移った。
#フジテレビ以外のNHKを含む他局の番組も多く制作。
#*TBS系が多いが、共同テレニュースをNETにも配信していた関係からテレ朝系も目立つ。こっちもやはり日テレ系は数えるほどしかない。
 
===ケイマックス===
#ワンルームマンションで創業した。
#笑福亭鶴瓶、ウッチャンナンチャンと親密。
#かつておちまさとがいた。
#現在は元ビビる大内が所属。
 
==さ行==
===ザ・ワークス===
#ナベプロ系。
#[[東京MXテレビ|TOKYO MX]]開局にも深く関わった。
#[[5pb.|この会社]]が[[FMナックファイブ|ここ]]でやってるラジオ番組とは何の関係もない。
 
===ジャパンプロデュース===
#あのヤラセ番組「愛するふたり別れるふたり」で問題になった。
 
==た行==
===大映テレビ===
#言うまでもなく元は大映のテレビ番組制作部門だった。しかし、現在資本関係はなく、さらに大映本社もテレビ番組制作に再参入してややこしくなっている。
#多くの名作ドラマを生み出した。
 
===タイクス===
#TBSの名物プロデューサーが創業した。
#アルファベット表記は「TIX'E」だが、Eは鏡文字。
 
===ディ・コンプレックス===
#かの悪名高き[[#日本テレワーク|ここ]]の関連会社で、問題の番組にも関わっていたが、親ほど叩かれなかった。
#フジテレビの番組が大半を占めるが、TBSの番組も多めに手掛けている。
 
===テレビ朝日映像===
#社名から分かる通り[[テレビ朝日]]の関連会社だが、「ViViA」の名で他局の番組にも関わっている。
 
===テレビマンユニオン===
#「日立 世界ふしぎ発見!」「遠くへ行きたい」「世界ウルルン滞在記」など紀行番組に強い。
#*その強みが最大限に発揮されたからこそ初期の『アメリカ横断ウルトラクイズ』はあんなに面白かったんだろうなぁ。
#欽ちゃんも株主のひとり。
#制作会社の草分け。
 
===東阪企画===
#[[朝日放送|ABC]]の名物プロデューサーが創業した。
 
===ドリマックス・テレビジョン===
#旧社名は木下プロダクション。映画監督の木下恵介とTBSなどが設立した。
#現在は事実上TBS第二制作部。
#*他局の番組に携わる時は極力名前を隠している。
 
==な行==
===日テレアックスオン===
#日テレ傘下の制作会社を集約した。
#アックスオンのアルファベット表記は「AXON」。
#NHKの番組も1本制作している。
 
===日本テレワーク===
#通称、{{あきまへん|捏造}}番組制作会社
#「あるある2」の問題が起きた時はなぜか、[[関西テレビ放送|ここ]]ほどはあまり叩かれる事はなかった。
#*しかし、実際に捏造を行ったのは[[関西テレビ放送|そっち]]ではなくここである。
#**[[テレビ東京]]の番組においても前科あり。しかし、超不人気番組だったため、忘れ去られている。
#実際は、{{あきまへん|捏造}}番組問屋
#略して'''日テレ'''。しかし、[[フジテレビ]]の関連会社である。
#昔(宇宙軍大元帥が社長をしていた頃)は「科学のテレワーク」って言われていたんだけれどねぇ……。
#現在、業務のほとんどを子会社のネクステップに移管。
 
===ネクサス===
#イーストから独立してできた会社。
#現在の社長は馬主としても知られる。
#NEXCO中日本のSAPA会社とは一切関係ない。
 
==は行==
===ハイスタンダード===
#[[#日本テレワーク|ここ]]の業務停止後、元スタッフによって創立。
===ハウフルス===
#元々は「フルハウス」という広告会社の一部門だった。
#オタク心をくすぐる番組が多い。
#*[[毎日放送|それって・・・]]
#*代表格はやっぱり[[タモリ倶楽部ファン|これ]]でしょう。
#イースト同様企画の使いまわしは多い。
#日テレとは蜜月関係にあったが、「ザ・ジャッジ」問題で関係が悪化した。
#*そういえば[[秘密のケンミンSHOWファン|この番組]]もytv制作だし。
#マークが温泉の記号に似ている。
 
===フジクリエイティブコーポレーション===
#略称は「FCC」。
#かつては「フジテレビプロジェクト」という社名だった。
#さくらんぼテレビと高知さんさんテレビの東京・大阪における営業拠点もここ。
 
==まやらわ行==
===メディアミックス・ジャパン===
#関テレやテレ朝等のドラマを数多く手がける。
#*「特命係長・只野仁」「結婚できない男」などはここ制作である。
 
===レジスタエックスワン===
#大阪の制作会社だが、キー局(特にTBS)の番組も手掛けている。
#元は「エックスワン」だったが、持株会社化された。
 
===ロコモーション===
#テリー伊藤がIVSから独立して設立した。
 
===ワイズビジョン===
#ytvと[[吉本興業]]の合弁。
 
[[Category:番組制作会社|*]]

2021年12月6日 (月) 09:43時点における版

京阪電気鉄道京阪の車両形式別3000系(初代)

京阪旧3000系(8000系30番台)の噂

旧3000系
クラシックスタイル
引退後はくずはモールで保存
  1. 8000系と無理やり仕様を合わせた新しいのか古いのかよくわからない車両。
    • まぁ1900系みたいに緑色の塗装になるのは悲しいからいい選択だとは思う。
    • これを8000系というのはさすがに違和感がある。だから「旧3000系」と呼んでいる。
    • 京急の例からすれば両立できる気が…あ、車両番号が重複するか。
  2. 新塗装にする気はあるのだろうか…
    • 確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
      • 新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
        • 当時のパンフレットに本系列の新塗装が載っている。
  3. この手の車両としては珍しく地方に案外輸出されている。
    • 但し車体だけ。譲渡先の軌間が異なるので台車や走行機器は別に調達した。
    • 余剰となったモータは8000系0番台に流用された。
      • 8001Fのモータは検査体制見直しの際に余剰品が出たのを利用している。
      • ブレーキ装置も。新品か本系列の流用品かはブレーキの緩解音でわかる。
    • 一部車両の台車は改造の上2600系30番台に流用された。
    • 富山地方鉄道と大井川鐵道に譲渡されたが、実は秩父鉄道も導入を検討していたらしい。
  4. 京阪最初のダブルデッカーだが、何と旧車体を流用して中央部を大改造した。恐るべき京阪の技術力。
    • 車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
      • ちなみにダブルデッカー部は山形の鉄工所に依頼して作ったらしい。
    • その割にリニューアルされた1編成以外は3扉化格下げなどの改造工事を行わずに廃車された。
      • 故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
        • そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
          • 当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「もっと入れろやゴルァ!」と言って来たからねぇ・・・。
            • んで当時はバブル経済最盛期。あっさり大半の車両が置き換えられた。バブル期後だったらリニューアルで済ませていたかな?
          • 後継の8000系もある意味時代に翻弄されていると思う。ダブルデッカーを連結したかと思ったら停車駅増加に伴う一部ロングシート化とテレビ撤去、プレミアムカー連結と。
    • 旧3000系は車体裾が絞られているために1階席の幅が狭く座席が1-2列の配置になっている。これに対し8000系0番台は断面が直立形状のため座席は2-2列配置となり転換も可能になった。
    • 京阪も2階建て車両に全力を注いだのか、通路に絨毯が敷かれていたり内装がやたらと凝っている。
  5. 一応前面に方向幕があるが、特急運用時は鳩マークで隠される。
    • 前面方向幕は更新改造時に設置されたもの。それまでは、特急運用時以外は鳩マークを隠していた。
  6. 旧3000系時代は京阪で唯一の電気連結器付き密着連結器装備だった。後にも先にもこの車両のみ。
    • かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
      • 噂によると叡山電鉄への直通を視野に入れていたとか。
        • 実現していたら、鞍馬の火祭の時だけは乗り入れ中止だったろうな、あの混雑っぷりじゃ2扉転クロでは到底捌けるとは・・・。
  7. 旧3000系時代には一時期8000系(0番台)の中間車を1両だけ組み込んだ編成があった。
    • 8000系が増備されるまではその車両だけ混んでいたらしい。
    • 昔発行されていた「グラフ京阪」という鉄分度がかなり高かった冊子で、(旧)3000系特集という号があったが、その組み込んだ編成の走行写真が載っていたのはさすが京阪というべきか。
  8. そんなこんなで波乱万丈の人生を歩んできた旧3000系改め8000系30番台だがついに2013年春の引退が決定orz
    • ありがとう8000系30番台、さようなら旧3000系
    • ついに廃止かー、時代たったしな。お疲れ様。
    • この車両が改番をしてまでこうも長く走っていたのは、社長がこの車両に思い入れがあって長く走らせていたらしい。
      • 下手な他社の有料特急車よりも最後まで特急車らしかったこの車両、どこかで保存する価値はあると思う。特に改造ダブルデッカー。
    • 2012年9月より引退を記念してクラシックスタイルと称して前面を登場当時の姿に復刻した。
      • 2013年3月10日をもって営業運転からは引退、それと共にダブルデッカーもお役御免。月末に運転の惜別臨時列車は往年の7両編成で運行される。
    • Photo Galleryでは「卒業おめでとう。」のメッセージと共にその姿が。
  9. 設計段階では十数年後に登場する阪神8000系のような前面スタイルも検討されていたらしい。
  10. リニューアル前には座席指定の列車に運用しないにもかかわらず、車内の壁面に座席番号が張られていた。
    • リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
      • しかしそれを盗んだ馬鹿野郎が現れた。
    • リニューアル前の妻面には装飾が施されていたが、本当の金箔を使った豪華なもの。今もくずはモールに行けば見られる。車内に金箔を使ったと言えば他にJR九州の800系新幹線くらいだろう。
  11. 8000系登場前は外部塗装の色調が今よりも若干暗かった。
  12. 実は歴代の京阪特急車両で唯一ロングシートを装備したことのない系列である。
  13. 何やら旧3505号車が引退時のスタイルのままで、寝屋川車庫からどこかへ搬送されたらしい。保存か?
    • どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
      • どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪とJR西日本は仲悪くはないんだから。
        • んでダブルデッカー車の8831号車が富山地方鉄道に売却されるとの噂が・・・。
          • 実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
            • そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
              • 平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
                • 譲渡後も時代祭イラストはそのままである事にも微妙な違和感が。
                • 時代祭ではなく立山黒部アルペンルートか黒部峡谷のイラストに変えた方が良かったのにと思う。
      • 保存車は「デジタル動態保存」という謎の扱いを受けている。
        • 保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
          • 化粧板も基本的には登場時のものではなく、リニューアル後のもの(8000系のリニューアル前と同じ)。但し妻面だけは登場当時のものに復刻された。
          • 車内の路線図も1972年当時のものが復刻されている。
  14. その一方で2014年2月14日をもって大井川鐵道に譲渡された2両がひっそりと引退決定。
    • 一応大井川サイドにもダブルデッカー譲渡の打診はしたんだっけ?
    • 大井川鐵道に譲渡された車両は、譲渡先でも「大和田」駅を通っていた。
    • 大井川鐵道の車両の中では最も車齢が若かったが、少数派故に異端車扱いされ、現場での扱いが悪く、長野電鉄10系の二の舞に。
  15. 実は1971年製造の1次車のみ1900系との併結運転が考えられていた。
    • ただ実際に併結運転されたことは1度もなかった。
    • このため1次車のみ当初ブレーキ装置が1900系と同じ仕様となっていた。
  16. リニューアル前は定速運転時のみ回生ブレーキが使用可能で、停車時は発電ブレーキを使用していた。
    • リニューアル時に8000系と同じ制御装置に更新され、停車時にも回生ブレーキが使用可能となった。
  17. 「京阪3000系電車(初代)」とあるが、実は本系列の登場前は電動貨車が3000代の車両番号を付けていたらしい。
  18. リニューアル前はまさに特急専用で、特急以外の列車に運用されることはほとんどなかった。まさに特別な存在だった。
    • 例外的に京都競馬開催時に臨時急行の運用や、ダイヤ乱れ時に普通の運用に入ることはあった。
  19. 1・2次車は当初補助椅子はなかった。
    • 補助椅子の場所には仕切り板が設置されていたが、それが凝ったデザインだった。
  20. 2021年、ついに富山へ行った車両からも廃車された車両が出た。
    • 1971年製造開始なので、ちょうど同年に50周年を迎えた。

京阪電気鉄道
京阪本線系統中之島線 京阪大津線 列車種別
車両形式別 大津線