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*各界で活躍している(あるいは世間を騒がせている)著名人がもし最初から(その業界に)存在していなかったら、あるいは活躍しないで亡くなっていたら、世間はどうなっていたか、考えてみましょう。
[[京阪電気鉄道]] > [[京阪の車両]] > [[京阪の車両/形式別|形式別]] > '''3000系(初代)'''
*項目の追加対象となる人物は基本的に昭和改元以降に活躍していた人物に限定いたします(昭和改元以前から各界で活躍し、昭和改元以後も活躍した人はOK)。
==京阪旧3000系(8000系30番台)の噂==
*なお、本項目では(実績・活躍度・知名度の大小に関わりなく)各界著名人としての活動実績及び社会的認知がない、単なる犯罪者は対象から除外するものとします。歴史上の人物の場合は[[歴史のif検討委員会]]へ。
[[ファイル:京阪8531F.jpg|thumb|240px|旧3000系]]
*個人名への敬称は省略とさせていただきます。新規追加は50音順でお願いします。
[[ファイル:3505.jpg|240px|thumb|クラシックスタイル]]
''※注意:今現在において健在の個人、及びその個人が主宰する団体に関する言及は、書き込んだ人も含めた訴訟リスクが存在します。その辺りも考えてテーマを立ててください。もし今現在において健在の個人が活躍する前に死んでいたらという仮定は実際に戦争などで死にそうになった人に限定します。活躍中に死んでいたらという仮定は一切禁止します。''
[[ファイル:Kuzuhamall3505.jpg|240px|thumb|引退後はくずはモールで保存]]
#[[京阪8000系電車|8000系]]と無理やり仕様を合わせた新しいのか古いのかよくわからない車両。
#*まぁ[[京阪の車両/形式別#1900系|1900系]]みたいに緑色の塗装になるのは悲しいからいい選択だとは思う。
#*これを8000系というのはさすがに違和感がある。だから「旧3000系」と呼んでいる。
#*[[京浜急行電鉄|京急]]の例からすれば両立できる気が…あ、車両番号が重複するか。
#新塗装にする気はあるのだろうか…
#*確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
#**新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
#***当時のパンフレットに本系列の新塗装が載っている。
#この手の車両としては珍しく地方に案外輸出されている。
#*但し車体だけ。譲渡先の軌間が異なるので台車や走行機器は別に調達した。
#*余剰となったモータは8000系0番台に流用された。
#**8001Fのモータは検査体制見直しの際に余剰品が出たのを利用している。
#**ブレーキ装置も。新品か本系列の流用品かはブレーキの緩解音でわかる。
#*一部車両の台車は改造の上[[京阪の車両/形式別#2600系|2600系30番台]]に流用された。
#*富山地方鉄道と大井川鐵道に譲渡されたが、実は[[秩父鉄道]]も導入を検討していたらしい。
#京阪最初のダブルデッカーだが、何と旧車体を流用して中央部を大改造した。恐るべき京阪の技術力。
#*車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
#**ちなみにダブルデッカー部は[[山形]]の鉄工所に依頼して作ったらしい。
#*その割にリニューアルされた1編成以外は3扉化格下げなどの改造工事を行わずに廃車された。
#**故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
#***そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
#****当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「'''もっと入れろやゴルァ!'''」と言って来たからねぇ・・・。
#*****んで当時はバブル経済最盛期。あっさり大半の車両が置き換えられた。バブル期後だったらリニューアルで済ませていたかな?
#****後継の8000系もある意味時代に翻弄されていると思う。ダブルデッカーを連結したかと思ったら停車駅増加に伴う一部ロングシート化とテレビ撤去、プレミアムカー連結と。
#*旧3000系は車体裾が絞られているために1階席の幅が狭く座席が1-2列の配置になっている。これに対し8000系0番台は断面が直立形状のため座席は2-2列配置となり転換も可能になった。
#*京阪も2階建て車両に全力を注いだのか、通路に絨毯が敷かれていたり内装がやたらと凝っている。
#一応前面に方向幕があるが、特急運用時は鳩マークで隠される。
#*前面方向幕は更新改造時に設置されたもの。それまでは、特急運用時以外は鳩マークを隠していた。
#旧3000系時代は京阪で唯一の電気連結器付き密着連結器装備だった。後にも先にもこの車両のみ。
#*かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
#**噂によると[[叡山電鉄]]への直通を視野に入れていたとか。
#***実現していたら、鞍馬の火祭の時だけは乗り入れ中止だったろうな、あの混雑っぷりじゃ2扉転クロでは到底捌けるとは・・・。
#旧3000系時代には一時期8000系(0番台)の中間車を1両だけ組み込んだ編成があった。
#*8000系が増備されるまではその車両だけ混んでいたらしい。
#*昔発行されていた「グラフ京阪」という鉄分度がかなり高かった冊子で、(旧)3000系特集という号があったが、その組み込んだ編成の走行写真が載っていたのはさすが京阪というべきか。
#そんなこんなで波乱万丈の人生を歩んできた旧3000系改め8000系30番台だがついに2013年春の引退が決定orz
#*'''ありがとう8000系30番台、さようなら旧3000系'''
#*ついに廃止かー、時代たったしな。お疲れ様。
#*この車両が改番をしてまでこうも長く走っていたのは、社長がこの車両に思い入れがあって長く走らせていたらしい。
#**下手な他社の有料特急車よりも最後まで特急車らしかったこの車両、どこかで保存する価値はあると思う。特に改造ダブルデッカー。
#*2012年9月より引退を記念してクラシックスタイルと称して前面を登場当時の姿に復刻した。
#**2013年3月10日をもって営業運転からは引退、それと共にダブルデッカーもお役御免。月末に運転の惜別臨時列車は往年の7両編成で運行される。
#*[http://www.keihan.co.jp/brand/photogallery/20130304/ Photo Gallery]では「卒業おめでとう。」のメッセージと共にその姿が。
#設計段階では十数年後に登場する[[阪神8000系電車|阪神8000系]]のような前面スタイルも検討されていたらしい。
#リニューアル前には座席指定の列車に運用しないにもかかわらず、車内の壁面に座席番号が張られていた。
#*リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
#**しかしそれを盗んだ馬鹿野郎が現れた。
#*リニューアル前の妻面には装飾が施されていたが、本当の金箔を使った豪華なもの。今もくずはモールに行けば見られる。車内に金箔を使ったと言えば他にJR九州の800系新幹線くらいだろう。
#8000系登場前は外部塗装の色調が今よりも若干暗かった。
#実は歴代の京阪特急車両で唯一ロングシートを装備したことのない系列である。
#何やら旧3505号車が引退時のスタイルのままで、寝屋川車庫からどこかへ搬送されたらしい。保存か?
#*どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
#**どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪と[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]は仲悪くはないんだから。
#***んでダブルデッカー車の8831号車が[[富山地方鉄道]]に売却されるとの噂が・・・。
#****実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
#*****そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
#******平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
#*******譲渡後も時代祭イラストはそのままである事にも微妙な違和感が。
#*******時代祭ではなく立山黒部アルペンルートか黒部峡谷のイラストに変えた方が良かったのにと思う。
#**保存車は「デジタル動態保存」という謎の扱いを受けている。
#***保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
#****化粧板も基本的には登場時のものではなく、リニューアル後のもの(8000系のリニューアル前と同じ)。但し妻面だけは登場当時のものに復刻された。
#****車内の路線図も1972年当時のものが復刻されている。
#その一方で2014年2月14日をもって[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]に譲渡された2両がひっそりと引退決定。
#*一応大井川サイドにもダブルデッカー譲渡の打診はしたんだっけ?
#*大井川鐵道に譲渡された車両は、譲渡先でも「大和田」駅を通っていた。
#*大井川鐵道の車両の中では最も車齢が若かったが、少数派故に異端車扱いされ、現場での扱いが悪く、長野電鉄10系の二の舞に。
#実は1971年製造の1次車のみ1900系との併結運転が考えられていた。
#*ただ実際に併結運転されたことは1度もなかった。
#*このため1次車のみ当初ブレーキ装置が1900系と同じ仕様となっていた。
#リニューアル前は定速運転時のみ回生ブレーキが使用可能で、停車時は発電ブレーキを使用していた。
#*リニューアル時に8000系と同じ制御装置に更新され、停車時にも回生ブレーキが使用可能となった。
#「京阪3000系電車(初代)」とあるが、実は本系列の登場前は電動貨車が3000代の車両番号を付けていたらしい。
#リニューアル前はまさに特急専用で、特急以外の列車に運用されることはほとんどなかった。まさに特別な存在だった。
#*例外的に京都競馬開催時に臨時急行の運用や、ダイヤ乱れ時に普通の運用に入ることはあった。
#1・2次車は当初補助椅子はなかった。
#*補助椅子の場所には仕切り板が設置されていたが、それが凝ったデザインだった。
#2021年、ついに富山へ行った車両からも廃車された車両が出た。
#*1971年製造開始なので、ちょうど同年に50周年を迎えた。


==独立項目==
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;芸能
{{京阪電気鉄道}}
*[[もしあの人が存在しなかったら/俳優]]
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;政治・経済
[[Category:京阪電気鉄道の車両|3000けいしよたい]]
*[[もしあの人が存在しなかったら/政治家]]
*[[もしあの人が存在しなかったら/実業家]]
 
;スポーツ
*[[もしあの人が存在しなかったら/スポーツ]]
 
;アニメ・ゲーム
*[[もしあの人が存在しなかったら/声優]]
*[[もしあの人が存在しなかったら/漫画家]]
*[[もしあのキャラクターが存在しなかったら/あ・か行]]
*[[もしあのキャラクターが存在しなかったら/さ~な行]]
*[[もしあのキャラクターが存在しなかったら/は~わ行]]
 
==その他==
*新規追加は50音順にお願いします。
**ある程度同一ジャンルの人物がまとまったら節分け・独立をしてもかまいません。
 
===あ~さ行===
;秋元康
#おニャン子クラブやAKB48はもちろん存在しなかった。
#*アイドルと言えば今もソロアイドルが中心となっていた。
#**ソロアイドル→女優という道が確立されているため、2010年代に入って主演女優の年齢のインフレ化はなかった。あと女優の登竜門がNHKの朝ドラのみ、ということにもならなかった。
#*乃木坂46ももちろん存在しない。
#とんねるずも史実のようにブレイクできたか怪しい。
#SHOW-YAの曲が少なくなっていた。「水の中の逃亡者」や「その後で殺したい」は生まれなかった。
 
;逸見政孝
#「ガン再発す」という本も存在しなかった。
#「たけし・逸見の平成教育委員会」は放送当初から「平成教育委員会」として放送されていた。
#*あるいは「たけしの平成教育委員会」になっていたかも。その場合、たけしの某事故以後は史実通りの番組名に。
 
;太田順也
#[[もしあの作品が世に出なかったら#東方project|こうなっていた。]]
#トビー・フォックスの運命も変わっていただろう。
 
;大橋巨泉
大橋巨泉は終戦間際に疎開先で米軍機の機銃掃射で命を落としかけたそうです。もし運悪くこの時に{{あきまへん}}していたら?
#「11PM」などは放送されてもヒットしなかった可能性があった。
#*「クイズダービー」は元々海外から巨泉がベースを輸入した番組なので、違う誰かが輸入して始めたかもしれないが、大コケしていただろう。
#*「24時間テレビ」もなかったかもしれない。
#*現実のようなテレビ司会者の地位向上もなかったか遅れていた。
#BIG3の芸能活動も大きく変わっていた。特にタモリは芸能界入りすらしなかったかもしれない(タモリの才能を最初に認めたのが巨泉だったので)。
#小倉智昭もテレビ東京退社してフリーになるのが遅れていた。
#パイロット万年筆も1970年代に倒産していただろう。
#「ボイン」という単語は世間に広まらなかった。
#*月亭可朝の「嘆きのボイン」も生まれなかった。
 
;六代桂文枝
#「創作落語」という表現は誕生せず、上方でも「新作落語」と広く呼ばれていた。
#明石家さんまのブレイクもなかったか遅れていた。
#「新婚さんいらっしゃい!」は月亭可朝が司会を続けたか、別の人物が司会を引き継いでいた。
 
;黒澤明
#日本映画史の概念が大きく変わっていた。
#世界で知られている日本映画の巨匠と言えば小津安二郎だった。
 
;笹川良一
#競艇(ボートレース)は存在しなかった。成立しても現実とは形式が異なっていた。
#*他の公営競技のファン層が少しばかり拡大し、競技場の廃止も現実よりは緩やかなペースだった。
#*ドッグレースと[[Wikipedia:ja:ハイアライ|ハイアライ]]の少なくとも一方が、公営ギャンブルとして存在している。
#**上記2競技は、競艇と同時期に国会に法案が提出されたが成立しなかった。
#日本財団(旧日本船舶振興会)も設立されなかった。もちろんあのCMもなかった。
 
;島田紳助
#羞恥心や新選組リアン等は存在しない。
#*オールスター感謝祭も存在しなかったか…。
#カンボジアに学校は建たなかった。
 
;ジャニー喜多川
#[[Wikipedia:ja:スリーファンキーズ|スリーファンキーズ]](男性アイドルグループの元祖的な存在。初代ジャニーズより先に結成)はもう少し長く活動(史実では1966年解散)していた。
#グループサウンズのいくつかは、バンド演奏をしないアイドルグループとして活動していた。
#ジャニーズ事務所以外の男性アイドルグループのいくつかは、史実以上の人気を得ていた。
#*あるいは、男性アイドルグループはほとんど存在しなかったかもしれない。
#*もしかするとソロの男性アイドル歌手もあまりいなかったかも。
#月刊平凡は史実よりも早く休刊に。月刊明星も休刊か廃刊になっていたかも。
#芸能界どころかTVメディアの構図そのものが今とは全く違う状況になっていた。
#*今でも日本のドラマは韓流ドラマに負けないぐらい面白かっただろう。
#アイドル文化は生まれなかった。戦国武将のような男ばかりになってたかもしれない。そちらのほうが真の男性像なんだけど。
#おそらくミュージカルを始めとした舞台芸術界も現実とは大きく変わっていた。
 
;新海誠
#言うまでもなく「君の名は。」や「天気の子」は無い。
 
;鈴木敏夫(映画プロデューサー)
#間違いなく宮崎駿が国民的知名度を獲得することはなかった。
 
;スティーブン・スピルバーグ
#ハリウッド映画史がだいぶ違ったものになっていた。
#ジョージ・ルーカスの知名度が史実より高まった。
#「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」、「シンドラーのリスト」などは存在しなかった。
#ディスレクシア(読字障害)の啓発が遅れていたかも。
 
===た~わ行===
;竹中平蔵
#派遣労働が拡大されることはなかった。
#*その結果、格差社会は現実ほど問題にならなかった。
#*新自由主義という考え方が現実ほど広まらなかっただろう。バブル崩壊後の「失われた30年」もなかったか早期に終息していた。
#2020年東京五輪ではなく[[もし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったら|2008年大阪五輪が実現していた]]。
#*中国は2010年の上海万博に注力することに。
 
;陳建民
#日本での四川料理の普及は大きく遅れていた。
#*日本人に馴染み深い中華料理といえばほとんどが沿岸部の料理となっていた。
#*四川料理ブームはエスニック料理ブームのひとつとして訪れていたかもしれない。
#エビチリが定番の中華料理とされることはなかった。
#もちろん息子の陳建一も存在しないことになるので、『[[料理の鉄人ファン|料理の鉄人]]』の歴史も大きく変わっていた。
#ケンミン食品がこの人と関係あると勘違いされることもなかった。
#担々麺と言えば今も汁なしがメインだった。
 
;テリー伊藤
#『天才・たけしの元気が出るテレビ』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』などの多くのバラエティ番組は放送されなかったか、されても大コケしていただろう。
#実家の卵焼屋を経営する兄がアニー伊藤と呼ばれることもなかった。
 
;中村修二
#青色LEDや白色LEDは2014年現在実用化されていない。
#*原理自体は発明されているものの、製品化はされていない。
#**鉄道車両の場合現在でも行き先表示に方向幕を使うケースがあり、駅の行き先案内もパタパタが多く残っていた。
#*テレビは今でもブラウン管が主流だったかも。
#**或いはプラズマテレビにシフトしていたか。
#*省エネ対策にLED照明が普及することは無かった。
#日亜化学工業の知名度は今も低いままだっただろう。
#企業内での発明というのは個人ではなく会社のものだという考えが一般的になっていた。
 
;林家木りん
#[[もし日本航空123便墜落事故が起きていなかったら|こうい]][[もしあの力士が○○だったら#清國勝雄|うこと]]。
#林家木久扇はそこまで有名にならなかった。
 
;原西孝幸
#当然「FUJIWARA」というコンビ名は存在しない。
#*藤本敏史はピン芸人として「フジモン」という名前で活躍していた。
#プリキュアの「ナチュラルパワーは野生の力!キュアゴリラ!」を披露することもなかった。
 
;浜崎順平
#大阪府貝塚市は地元民以外無名の街だった。
#*貝塚と言えばつげだった。
#シバターのネタが一つ減っていた。
#8月11日と言えば山の日だった。
#ニコニコでのネタが一つ減っていた。
#のびハザ実況はあぶさんの天下だった。
#当然「オフ会0人」「対馬編集」「ほならね理論」など彼に関係する言葉は存在しない。
 
;水戸岡鋭治
#JR九州の車両のデザインは地味だった。
#JR九州の観光列車の数は現実より少なかった。
#*よって特急誘導は現実ほど酷くなかった。
#*「ななつ星」も無く、「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車は存在しなかった。
#*それどころか日本の観光列車の数そのものが減っていた。
#JR九州は未だに上場を果たしていない。というより、上場は今でも無理。
#*さすがに北や四国よりはマシだと思うが、「やはり三島はどれも赤字」と言われていた。
#*あの大量減便が現実より早く行われていた。
#*経営規模としては本州3社未満、北・四国以上かな。
 
;宮崎駿
#「駿」の字の知名度は現実より低かった。
#*「駿河台」の一文字目で使用されている程度だった。
#**「駿馬」などで使われるから「しゅん」と読むことができる人がいても、「はやお」と読める人はそういなかったはず。
#*「駿」の字が入る名前が流行することもなかった。
#*「駿」の人名漢字追加も遅れていた。
#*ただし駿河という地名がある静岡県では変わらない。
#スタジオジブリは存在しなかった。
#「となりのトトロ」がないので、子供たちが知っている童謡も変わっていた。
#*同様に「天空の城ラピュタ」がないので、バルス祭りは起きず、Twitterが大変な事になる事もない。
#**ニコニコ動画でネタにされる事もなかった。
#邦画興行収入ランキングの上位がガラリと変わっていた。
#*邦画の興行収入ランキング上位に入るアニメ映画がテレビアニメの劇場版ばかりになっていた。
#新海誠もアニメ監督として成功していたかどうか…
 
;村上春樹
#存命日本人で世界でも活躍している小説家といえばカズオ・イシグロ。
#*日本在住の人に限るとほとんどいなかった。
#**吉本ばなな(よしもとばなな)は?
#**小川洋子、多和田葉子も。
#「ハルキスト」という言葉はなかった。
#マスコミがノーベル文学賞に注目することはなかった。
 
;村上龍
#村上という苗字の小説家といえば村上春樹。
#カンブリア宮殿は今ほどヒットしなかった。
#*淫夢厨が「大人の事件簿」の出演者を「MRKMR」と呼んだり、撮影場所を「ガン掘リア宮殿」と命名することはなかった。
#*小池栄子と言えば今もセクシー系のイメージが強かった。
 
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2021年12月6日 (月) 09:43時点における版

京阪電気鉄道京阪の車両形式別3000系(初代)

京阪旧3000系(8000系30番台)の噂

旧3000系
クラシックスタイル
引退後はくずはモールで保存
  1. 8000系と無理やり仕様を合わせた新しいのか古いのかよくわからない車両。
    • まぁ1900系みたいに緑色の塗装になるのは悲しいからいい選択だとは思う。
    • これを8000系というのはさすがに違和感がある。だから「旧3000系」と呼んでいる。
    • 京急の例からすれば両立できる気が…あ、車両番号が重複するか。
  2. 新塗装にする気はあるのだろうか…
    • 確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
      • 新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
        • 当時のパンフレットに本系列の新塗装が載っている。
  3. この手の車両としては珍しく地方に案外輸出されている。
    • 但し車体だけ。譲渡先の軌間が異なるので台車や走行機器は別に調達した。
    • 余剰となったモータは8000系0番台に流用された。
      • 8001Fのモータは検査体制見直しの際に余剰品が出たのを利用している。
      • ブレーキ装置も。新品か本系列の流用品かはブレーキの緩解音でわかる。
    • 一部車両の台車は改造の上2600系30番台に流用された。
    • 富山地方鉄道と大井川鐵道に譲渡されたが、実は秩父鉄道も導入を検討していたらしい。
  4. 京阪最初のダブルデッカーだが、何と旧車体を流用して中央部を大改造した。恐るべき京阪の技術力。
    • 車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
      • ちなみにダブルデッカー部は山形の鉄工所に依頼して作ったらしい。
    • その割にリニューアルされた1編成以外は3扉化格下げなどの改造工事を行わずに廃車された。
      • 故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
        • そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
          • 当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「もっと入れろやゴルァ!」と言って来たからねぇ・・・。
            • んで当時はバブル経済最盛期。あっさり大半の車両が置き換えられた。バブル期後だったらリニューアルで済ませていたかな?
          • 後継の8000系もある意味時代に翻弄されていると思う。ダブルデッカーを連結したかと思ったら停車駅増加に伴う一部ロングシート化とテレビ撤去、プレミアムカー連結と。
    • 旧3000系は車体裾が絞られているために1階席の幅が狭く座席が1-2列の配置になっている。これに対し8000系0番台は断面が直立形状のため座席は2-2列配置となり転換も可能になった。
    • 京阪も2階建て車両に全力を注いだのか、通路に絨毯が敷かれていたり内装がやたらと凝っている。
  5. 一応前面に方向幕があるが、特急運用時は鳩マークで隠される。
    • 前面方向幕は更新改造時に設置されたもの。それまでは、特急運用時以外は鳩マークを隠していた。
  6. 旧3000系時代は京阪で唯一の電気連結器付き密着連結器装備だった。後にも先にもこの車両のみ。
    • かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
      • 噂によると叡山電鉄への直通を視野に入れていたとか。
        • 実現していたら、鞍馬の火祭の時だけは乗り入れ中止だったろうな、あの混雑っぷりじゃ2扉転クロでは到底捌けるとは・・・。
  7. 旧3000系時代には一時期8000系(0番台)の中間車を1両だけ組み込んだ編成があった。
    • 8000系が増備されるまではその車両だけ混んでいたらしい。
    • 昔発行されていた「グラフ京阪」という鉄分度がかなり高かった冊子で、(旧)3000系特集という号があったが、その組み込んだ編成の走行写真が載っていたのはさすが京阪というべきか。
  8. そんなこんなで波乱万丈の人生を歩んできた旧3000系改め8000系30番台だがついに2013年春の引退が決定orz
    • ありがとう8000系30番台、さようなら旧3000系
    • ついに廃止かー、時代たったしな。お疲れ様。
    • この車両が改番をしてまでこうも長く走っていたのは、社長がこの車両に思い入れがあって長く走らせていたらしい。
      • 下手な他社の有料特急車よりも最後まで特急車らしかったこの車両、どこかで保存する価値はあると思う。特に改造ダブルデッカー。
    • 2012年9月より引退を記念してクラシックスタイルと称して前面を登場当時の姿に復刻した。
      • 2013年3月10日をもって営業運転からは引退、それと共にダブルデッカーもお役御免。月末に運転の惜別臨時列車は往年の7両編成で運行される。
    • Photo Galleryでは「卒業おめでとう。」のメッセージと共にその姿が。
  9. 設計段階では十数年後に登場する阪神8000系のような前面スタイルも検討されていたらしい。
  10. リニューアル前には座席指定の列車に運用しないにもかかわらず、車内の壁面に座席番号が張られていた。
    • リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
      • しかしそれを盗んだ馬鹿野郎が現れた。
    • リニューアル前の妻面には装飾が施されていたが、本当の金箔を使った豪華なもの。今もくずはモールに行けば見られる。車内に金箔を使ったと言えば他にJR九州の800系新幹線くらいだろう。
  11. 8000系登場前は外部塗装の色調が今よりも若干暗かった。
  12. 実は歴代の京阪特急車両で唯一ロングシートを装備したことのない系列である。
  13. 何やら旧3505号車が引退時のスタイルのままで、寝屋川車庫からどこかへ搬送されたらしい。保存か?
    • どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
      • どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪とJR西日本は仲悪くはないんだから。
        • んでダブルデッカー車の8831号車が富山地方鉄道に売却されるとの噂が・・・。
          • 実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
            • そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
              • 平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
                • 譲渡後も時代祭イラストはそのままである事にも微妙な違和感が。
                • 時代祭ではなく立山黒部アルペンルートか黒部峡谷のイラストに変えた方が良かったのにと思う。
      • 保存車は「デジタル動態保存」という謎の扱いを受けている。
        • 保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
          • 化粧板も基本的には登場時のものではなく、リニューアル後のもの(8000系のリニューアル前と同じ)。但し妻面だけは登場当時のものに復刻された。
          • 車内の路線図も1972年当時のものが復刻されている。
  14. その一方で2014年2月14日をもって大井川鐵道に譲渡された2両がひっそりと引退決定。
    • 一応大井川サイドにもダブルデッカー譲渡の打診はしたんだっけ?
    • 大井川鐵道に譲渡された車両は、譲渡先でも「大和田」駅を通っていた。
    • 大井川鐵道の車両の中では最も車齢が若かったが、少数派故に異端車扱いされ、現場での扱いが悪く、長野電鉄10系の二の舞に。
  15. 実は1971年製造の1次車のみ1900系との併結運転が考えられていた。
    • ただ実際に併結運転されたことは1度もなかった。
    • このため1次車のみ当初ブレーキ装置が1900系と同じ仕様となっていた。
  16. リニューアル前は定速運転時のみ回生ブレーキが使用可能で、停車時は発電ブレーキを使用していた。
    • リニューアル時に8000系と同じ制御装置に更新され、停車時にも回生ブレーキが使用可能となった。
  17. 「京阪3000系電車(初代)」とあるが、実は本系列の登場前は電動貨車が3000代の車両番号を付けていたらしい。
  18. リニューアル前はまさに特急専用で、特急以外の列車に運用されることはほとんどなかった。まさに特別な存在だった。
    • 例外的に京都競馬開催時に臨時急行の運用や、ダイヤ乱れ時に普通の運用に入ることはあった。
  19. 1・2次車は当初補助椅子はなかった。
    • 補助椅子の場所には仕切り板が設置されていたが、それが凝ったデザインだった。
  20. 2021年、ついに富山へ行った車両からも廃車された車両が出た。
    • 1971年製造開始なので、ちょうど同年に50周年を迎えた。

京阪電気鉄道
京阪本線系統中之島線 京阪大津線 列車種別
車両形式別 大津線