もしLCCが1980年代に日本に登場していたら
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全般
- 現実よりも早く航空需要が増加したことから、関西国際空港は1980年代のうちに、中部国際空港も2000年までに開港していた。
- 羽田空港の拡張も現実よりも早く行われている。
- 茨城空港などの地方空港も利用客が増えてた。
- 神戸空港や佐賀空港は主にLCCが使う空港となっていた。
- 東京湾に首都圏第三空港が出来ていたかも。
- 八尾空港に旅客機が発着していた可能性もある。
- 福井空港も北陸のLCC専用空港として復活していた。
- 岩国空港の民間定期便再開も20世紀のうちに行われていた。
- 既存の日本航空や全日空の経営にも影響を与えていた。
- 日本航空の完全民営化も早まっていた。
- 日本エアシステムあたりがLCCに転向していた可能性も。
- 現実で既存の会社がLCCに転向してうまくいったケースは1例もないのでおそらく社名変更することもなく潰れていた。
- JALは墜落事故も相まって客離れが一層進んでいた。
- 破産も早まってた?
- 史実では日本の会社に導入実績のない機材が使われた可能性もありそうだ。
- 有力なのはB757。
- A310を導入する航空会社も現れていそう。
- 中古のプロペラ機を運用していたりして。
- 全日空・日本エアシステムから中古のYS11を譲り受ける会社もあっただろう。
- 日本でも諸外国と同様にワイドボディ機よりナローボディ機がよく売れていた。
- 冷戦終結後は機体価格の安さから東側機を導入する会社も現れたかも。
- 有力なのはB757。
- 民鉄や三セクが空港アクセスにもっと力を入れている。
- 80年代に登場したとしていても、実際に利用され始めるのはバブル崩壊後。バブル時代に安かろう悪かろうのLCCはあまり使われない。
- とはいえ安さを追求するユーザーはそれなりにいるだろう。バブル期は当時台頭してきた夜行バスの客層を取り込んでいた。
- MGMグランドエアのような豪華さを売りにした航空会社も存在していたかもしれない。
- 要するに「アメリカに倣い1980年代前半に規制緩和をした場合」という感じか。
- いわゆる「45-47体制」はこの時点で崩壊していた。
- 安全基準次第では1986年以降に乗客に犠牲者を出す事故を起こした会社が出た危険もある。
- 確実にどこかの会社がバブル期に海外の航空会社の買収やリゾート経営など手を広げ過ぎて後に潰れている。
- 外資に乗っ取られる会社もあっただろう。
- 大手に対抗するために格安会社同士の連携も行われていそう。
- 地方都市が拠点の航空会社は現実よりもっと多い。
- 地方都市間を移動するのは確実に便利になっていた。現実には直行便が廃止され羽田での乗り継ぎが必要な高松~新千歳などにもLCCによる直行便が運航されている。
- 離島の空港建設は現実以上に進行し,多くの船便は貨物主体への転換を迫られる。離島行き航路の旅客輸送廃止が,のちに相次いだかも。
- 地方都市間を移動するのは確実に便利になっていた。現実には直行便が廃止され羽田での乗り継ぎが必要な高松~新千歳などにもLCCによる直行便が運航されている。
- 「空港行き」のバスや鉄道の運賃が跳ね上がることはなくなっている。
- 南海「ラピート」や名鉄「ミュースカイ」は特別料金不要の全席自由席特急となっていた。
- JRの「はるか」は関空新快速に、「成田エクスプレス」も快速列車の扱いになっている。
- (余談)和歌山以南に直通する日中の快速は新快速へ移行。和歌山以南が各駅停車に。阪和間を45分以内で結ぶ。
- 日本以外のアジア諸国でもLCCの誕生が早まっていた。
- JRグループもLCCの会社を設立していたかもしれない。
- 「LCC」などと呼ばれず「格安航空」という言い方が主流になっていた。
- 京成電鉄は成田空港の需要増加により,京成線の利用者が増加。傘下企業のオリエンタルランドが運営する,東京ディズニーランドのオープンなどのグループ内好況により,経営状態の回復が早まる。青電の全廃が少し早まる。3600形は予定とは異なり,3603F以降は(新製時より)8連・先頭車が電動車(京浜急行乗り入れ対応)となる。少なくとも100両以上導入された。
- 中日本航空などの中小航空会社(軽飛行機中心の会社)が定期路線を積極的に開設している。
- 長崎航空は1980年代から本州路線に参入しているかも。
- バブル期に国際線参入の構想が出る。
- 長崎航空は1980年代から本州路線に参入しているかも。
国内線
- 1980年代(特に前半)といえば国鉄の財政が悪化し、毎年のように運賃値上げが行われていた時代なのでさらに国鉄離れが進んでいた。
- 分割民営化も早まったかもしれない。
- 長距離客はほとんどが航空に移行していた。
- 特定地方交通線として廃止あるいは3セク転換された路線も現実よりも多かった。
- 夜行列車は1990年代のうちにほとんどが姿を消していた。
- トワイライトエクスプレスやカシオペアといった豪華列車以外は全て姿を消している。
- 新幹線は東北新幹線の盛岡以南・上越新幹線は開業するものの、東北新幹線盛岡以北と九州新幹線は建設が凍結されていた。
- 北陸新幹線は長野五輪と碓氷峠の線形改良の関係で高崎~長野間だけ開業し以北は凍結。
- 結局地元の要望で全部作られていた。ただし北海道新幹線だけは凍結。
- 開業しても現実よりも航空機に利用客が流れるため苦戦を強いられるかも。
- 新幹線の割引切符が現実よりも増えていた。
- 開業しても現実よりも航空機に利用客が流れるため苦戦を強いられるかも。
- 東海道・山陽新幹線では「のぞみ」が現実より早く登場していた。
- 100系は270km/h対応になっていた可能性もある。
- 「のぞみ料金」はなく、自由席も登場当初から存在していた。
- 在来線改良の山形新幹線と秋田新幹線も開業していなかった。
- 航空機で安く移動できることから、現実よりも夜行バスは発展しなかったかもしれない。
- 高所恐怖症の人だっているだろうから。
- あるいはツアーバスのような形態が早くから一般化していた。
- 公立中学・高校の修学旅行は1980年代に航空機利用が解禁となっていた。
- ただし表向きは安全上の(実際には利権の?)問題から修学旅行にLCCが使われる事はない(それしか選択肢がないのなら別だが)。
- 上空の混雑がさらにひどくなりTCAS搭載の義務化が早まっていた。
- 横田空域の返還ももう少し進んでいたかも。
- 史実では実現しなかったTCAS搭載によりYS-11がもう少し長く国内で飛んでいた。
- 地方空港でもターミナルなどの設備が早くから充実したものになっていた。
国際線
- 全日空の国際線就航は史実の1986年より早かった。
- 東亜国内航空の国際線就航(・日本エアシステムへの社名変更)も史実より早かった。
- 主な目的地は現在と異なりハワイやグアム・サイパンなどが多かった。
- 「アジア初就航」といえば香港が目的地だった。
- 日本のLCCが大量に乗り入れるために当時の啓徳空港の発着枠が更に逼迫し、現在の香港空港への移転が数年早まる。
- 中国大陸に就航する会社は日本側の交流協会と台湾側の亜東関係協会が日台路線の直接運航を承認するまで台湾に就航できなかった。
- その逆で台湾に就航する会社は中国大陸に就航できなかった。
- 「アジア初就航」といえば香港が目的地だった。
- 中には国際線専門のLCCも存在していた。
- 利用客の多い路線ではかつてピープル・エキスプレスが使っていたような座席数の多いジャンボを使用。
- 90年代からは「日本の地方都市→ソウル・上海など」や「日本の大都市→中国などの地方都市」という便が増加してきた。
- 大韓航空の日本人利用者数は現実より少ない。
- 大手が飛ばない国への格安会社による直行便運航も見られたかもしれない。
- 地方空港からの国際線が格安会社により運航されていたかもしれない。