四国の神社
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香川[編集 | ソースを編集]
金刀比羅宮[編集 | ソースを編集]
- 通称こんぴらさん。琴平とも書く。船の神様。参道は上り坂に土産物屋がずらり。
- とある地点から土産物屋が無くなるが、その先にも5軒だけ飴を売る露店がある。
- 何故5軒だけ営業を許されているのかについてもしっかりとした由来がある。
- 結構な値段のする彫刻なんかも売っている。ン十万とか、誰が土産で買うんやろ?
- とある地点から土産物屋が無くなるが、その先にも5軒だけ飴を売る露店がある。
- 海の神様の1つ。主に瀬戸内が勢力圏である。
- 宮の名前はよく大漁旗などにも染め抜かれている。
- 源平どちらにもつかない中立の神様。
- 平家方の厳島神社は海の神様として瀬戸内を勢力圏にしていたが、源氏方の宇佐八幡も武の神であるとともに、海の神様として瀬戸内(周防灘)を勢力圏としていた。そんな中で活路を見出すためにこういう立ち位置になったとか。
- 参道は結構登る。お年寄りは籠に乗せて貰って登ることも可。いくらするのかは知らないけれど。
- 坂もさることながら、「金壹百萬圓」のオンパレードに辟易とする。
- やっとの事で本宮にたどり着いた…と思いきや、奥社に向かう為に更に登る事になる。
- 後継者不在のため2020年1月をもって廃業。廃業時点での料金は上り5300円、往復6800円だったそうな。それほど元手がいる商売ではないから人手があれば復活するかもしれないが。
- 由緒ある神社だけあって文化財も豊富。
- 駐車場は有料。神社に近い場所ほど客引きが激しく、あこぎな商売もしでかしてくる。
- やたらと手招きしてくるから公式の駐車場(料金表示なし)だと思って停めたら「500円以上お土産買わないと出してやんないよ」な商売だった。結局、お土産を買わずに「駐車料金」を払わさせられて、ようやく解放された。
- 町営駐車場に停めたほうが、いやな思いをせずに済む。
田村神社[編集 | ソースを編集]
- 讃岐一宮。
- 延喜式神名帳には名神大社として列せられているほど、格がある。
- 建仁元年(1201年)には正一位に昇叙されている。
- 本社拝殿・奥殿は宝永7年(1710年)の造営。
- 日曜日にだけ食える日曜市うどんが有名。
- 1杯150円と安いくせに、いりこだしがしっかり効いていて旨い。
- たくさんの小判を纏ったどでかい龍が印象的。
- この神社の規模が大きく隣接する一宮寺(四国八十八箇所)が非常に小さく見えてしまう…
石清尾八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 高松市
- みかんを焼いてみんなで食う神事がある。
- 行われるのは1月の第3日曜日。みかんを竹竿にぶっ刺して、焼いて食う。味は案外悪くない。
- 京都の石清水八幡宮に似た名前だなあと思った、そこのあなた、間違ってはいない。
- 延喜18年(918年)、石清水八幡宮から八幡神を勧請したのが始まりと伝わっている。そのときに亀尾山という山にまず依代を造ったとかで、石清水+亀尾⇛石清尾だとか。
- 仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を祀っている。
- 松平頼重が高松の街の神社として以降、ここは高松の氏神様を名乗っている。
滝宮天満宮[編集 | ソースを編集]
- 綾歌町
- 天満宮というだけあって、菅原道真を祀る。
- 讃岐に国司として派遣されていたことにちなんで祀られている。
- 讃岐国司の居館跡らしい。
白峰宮[編集 | ソースを編集]
- 崇徳上皇の死体が打ち捨てられていたところを二条天皇が神域化したことに始まる。
- 打ち捨てられて、ではなく、湧き水に浸されていたらしい。あ、状況は同じか。。。
- で、そこから光が立ち上ったため、別名「明(あかり)ノ宮」という。
- 元々は崇徳上皇をお祀りしていたが、崇徳院御霊が幕末に京都の白峯神宮へ移った。今はどなたを祀っているんだ?
- 御霊は移ったけど主祭神はそのままらしい。あとアマテラス、カナヤマビコ、カナヤマビメ。
- 昔は四国八十八箇所第七十九番札所だった。
- 神仏分離令の余波を受けて、元々別当寺院だった天皇寺にその立場を譲る。
津嶋神社[編集 | ソースを編集]
- 夏の例大祭のときにだけ本殿に参拝できる神社。
- 本殿は宝永3年(1706年)に造営されている。
- 本殿が沖合の津島にあり、そこへ橋が架けられているのだが、例大祭の日以外は、通行止めになるため。
- この橋、人に対しても通行料金をとる。大人300円で、これが事実上の拝観料。
- 素戔嗚命が祭神。
- 牛馬の神であり、また子供の守り神として、昔から信仰されていた。
- 拝殿や社務所は四国本土にある。
- 歌川広重の諸国名所百景「讃岐久保谷のはま」に描かれたほどの景勝地。
- 美しい浜が広がる。
- JR四国の臨時駅が最寄。年間2日しか営業しない。
琴弾八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 琴弾山の南斜面一体を神域とする神社。
- 大宝3年(703年)に、この地で修行していた坊主に、瀬戸内海を宇佐の方から船に乗ってやってきた八幡神が「この辺、ごっつええとこじゃけえ、留まりたいのう」と言ったことをきっかけに祀り始めたとかなんとか。
- この坊さん、修行のし過ぎで頭いかれたんちゃうかと思ってはいかんのやろなww
- 弘法大師空海が阿弥陀如来を安置してから、1,000年以上もの間、神仏習合の神社となっていた。
- 四国八十八箇所第六十八番は、今でこそ神恵院だが、元々は琴弾八幡宮が指定されていた。
- もっとも、納経自体は観音寺で引き受けていたらしいけど。因みに、神仏分離令までは観音寺はここの別当寺だった。
- 八幡宮だからか源氏の信仰が篤い。
- 本殿が琴弾山の山頂にあって、眺めは悪くない。
高屋神社[編集 | ソースを編集]
- 観音寺市
- 天空の鳥居として、急に脚光を浴びた鳥居を持つ神社。
- 延喜式内社の1つ。讃岐において延喜式神名帳に載ったのは24しか無い中、残っているんだから、大したもんや。
愛媛[編集 | ソースを編集]
大山祇神社[編集 | ソースを編集]
- 国宝級の鎧の8割くらいがこの神社にある。
- 瀬戸内のジャンヌダルク、鶴姫の甲冑もここ。
- 実物見ると、個性的で興味深い胴丸だが女性用とまでは言えないと思う。
- あの鎧が鶴姫のものだ、女の子用だというのは昭和40年代に大山祇神社の関係者(鎧のシロウト)が勝手に騒いで広めた眉唾話。実際は戦国時代の普通の鎧。
- 実物見ると、個性的で興味深い胴丸だが女性用とまでは言えないと思う。
- 瀬戸内の島に居られる、山の神様。
- 日本の山の神の中で最もお偉いさんに当たるらしいが、出身は百済らしい。
- 両親はあのイザナギとイザナミだから、れっきとした日本の神様。
- 物凄く意外かもしれないが、実は、山の神というのは間違いでもない。というのも、大三島には標高400m以上の山があるから。
- 日本の山の神の中で最もお偉いさんに当たるらしいが、出身は百済らしい。
- 現住所は大三島町宮浦。そのまんまである。
- 宮浦というだけあって、昔は数多くの参拝客が訪れたらしい。
- 武士も例外ではなかったようで、数多くの国宝や重文物の武具が収められているのはそのためらしい。
- 現代でも広島から海上自衛官が実習のついでに訪れる。おそらく研修扱い。
- 武士も例外ではなかったようで、数多くの国宝や重文物の武具が収められているのはそのためらしい。
- 宮浦というだけあって、昔は数多くの参拝客が訪れたらしい。
- 神事としての「一人
相撲角力」で有名。 - 宝物館の横には海事博物館がある。
- 生物や鉱石などの標本がいっぱい。
- 戦艦陸奥の碇の鎖が1個(重さ42kg)もある。
- 車がないと行くのが非常に面倒くさい。
伊予豆比古命神社[編集 | ソースを編集]
- 読めない。
- 「いよずひこのみことじんじゃ」と読む。
- 通称「椿神社」。というか、こっちのほうが知名度が高い。松山の人に「伊予豆比古命神社はどこですか?」って聞いても「どこそれ?」って言われるかも・・・
- この神社に最も人が集まるのは七五三や初詣ではなく、「椿まつり」の時。
- 20万人の人が集まる四国最大の祭りらしい。
- 「伊予路に春を呼ぶ」祭り。これが過ぎたら春という認識になる。(たまに祭りが終わってから雪が降ることもあるが。)
- 神社の前を通る県道は、はなみずき通り~R33までの長い区間が通行止めになって、そこに露店が出る。こっちの方を楽しみにしている人は多いと思う。(特に子供)
- 金を借りる神事(?)をするらしい。
- 20万人の人が集まる四国最大の祭りらしい。
徳島[編集 | ソースを編集]
大麻比古神社[編集 | ソースを編集]
- 阿波國一宮のため、大変有名。
- 合格祈願などで、初詣の時期は人が押し寄せる。
お松大権現[編集 | ソースを編集]
- 「ねこがみさん」として有名。
- 主に合格祈願で参詣する人が多い。
- ここに参詣する際、猫の置物(?)を持ち帰り、受験に合格したらこの神社に返すという風習がある。
天神社[編集 | ソースを編集]
- 阿波踊り会館の脇にあり、徳島の中心地にある神社。
- 「知恵の牛」がおり、撫でると頭が良くなるそう。