戦国武将
- 戦国時代に生きた武将の噂を集める。
全般
- 天下統一のため、日々戦に明け暮れる。
- というのは後世の錯覚で、殆どの武将は自分の領土を維持するだけで手一杯だった。
- 馬術と剣術と政治力は必須。
- 実際は剣よりも槍、槍よりも弓の方が重要だったそうな。
- 実は×××××も多かったらしい。
- 両方の技に長けてこそ、一流の武将だったらしい。
- どんなに政治的、軍事的に手腕があり自家の領土を最大に広げたとしても、最後の最後で大きなミスをやらかして家を滅ぼしてしまったりすればそれだけで無能呼ばわりされてしまう。
- よしもっちゃんやうじまさクン、かつよりサマなどのことかな?なんかみんな狸親父が貶めた人物のような気が…。
各戦国武将の噂
- 記事を見やすくする為、基本的に新しく追加する際や気づいた時などには上から漢字も含め五十音順にしてください。
今川義元の噂
- イメージは「麻呂キャラ」。
- ついでに「やられキャラ」扱いが多い。桶狭間の戦いは歴史の教科書にも載ってるので。
- 決して無能じゃないんだが、やられシーンばっかりクローズアップされる。
- 息子は静岡サッカー王国の祖。
- ↑父親の弔い合戦やって奪われた自領奪還するとかしなかった。戦国大名の跡取りらしからぬ振る舞いが裏目に出て領地を武田・徳川に全部奪われてしまった。ネタ殺し
- 後継者争いに勝って今川家の実権握ったはずなのに無視されてる…。
- 「海道一の弓取り」とまで言われてたのにねぇ・・・。
- 当人は優秀で今川家は戦国有数の強国だったのに運悪く信長の踏み台になってしまったことが運の尽き。後世ではデブの偽公家扱い。
- 実は半分公家の血を引いてる。(母が公家の姫)
- でもその母親(寿桂尼)は「女戦国大名」と言われたほどの凄腕スーパーレディー。
- 義元の大軍師・太原崇孚雪斎を抜擢したのは彼女。長子・氏輝死後の「花蔵の乱」が首尾良くおさまり、義元が無事家督を継げたのも、彼女が暗躍したおかげらしい。公家の姫君出身とは思えない思考力と行動力を持っていた。
- でもその母親(寿桂尼)は「女戦国大名」と言われたほどの凄腕スーパーレディー。
上杉謙信の噂
- 女性説がある。
- 信憑性は極薄。
- Gakuto
- Gacktじゃない?
- 越後の竜
- 越後の虎ともいう。
- 自分が毘沙門天の化身だと思い込んでたらしい。
- 旗に書かれた文字は「毘」の一文字。
- 大酒のみ。肴をほとんど食べず飲むタイプだったらしい。
- 酒の肴は塩。それで脳溢血を起こし、便所で倒れたらしい。酒席の相手は専ら直江兼続だったらしい。
- 梅干も好きだった。どっちにしろ塩分採り過ぎ。
- 軍事の天才だったのは間違いないのだが、天才すぎて作戦構想を家臣に説明することができず、「黙って俺についてこい」というスタイルを貫き通した。
- とはいえ、戦えば勝つしカリスマもあるので、家臣も「しょうがねえなあ(苦笑)」とか言いながら最後までついていくことになる。
- けっこう家臣に裏切りが多くて、いじけて出奔したこともある。
- とはいえ、戦えば勝つしカリスマもあるので、家臣も「しょうがねえなあ(苦笑)」とか言いながら最後までついていくことになる。
織田信長の噂
- 戦国武将で人気No.1。
- 魔王。
- 大虐殺をたくさん行った。
- 家康もやっている。
- なのに英雄扱い。ヒトラーと扱いがまるで逆。
- 信長の場合は政・戦略上必要だからやっている(やり過ぎだけど)。ヒトラーは、政略以上に差別意識に基づいてやってる。
- 同族との戦いで尾張統一後も「ワシの野望はこんなものではない!」と豪語したとか。
- 信長の場合は政・戦略上必要だからやっている(やり過ぎだけど)。ヒトラーは、政略以上に差別意識に基づいてやってる。
- 桶狭間の戦い、長篠の戦い、本能寺の変など、歴史の教科書に載ってる出来事に多く関わっている。
- 美濃攻略(稲葉山城攻防戦)後にもともとの「井ノ口」を現在の「岐阜」に変えた。
- 人間50年の舞いでも有名。
- 神や仏を信じなかった。
- 実父の葬儀で焼香する際、「死んだ者を拝んで何になるか!」と抹香を投げつけた位だもの。
- 実際は普通よりちょっと信仰心の薄い大名ってレベルだろ。
- 家臣たちに自らを神だとして崇めさせたってぇのは家臣の忠誠心を試す為だったのかそれともマジだったのか。
- 正確には安土城の前に巨石を置き、「ぼんさん(盆山?)」と称して拝ませた。自分を神扱いしたのではなく、「お前らが有り難がっている神仏なぞ、この石みたいなものに過ぎん」と言いたかったように思える。
- フロイスらこの当時の西洋の宣教師たちには「無神論」自体が想像できなかったので、信長が自らを神とした、というような表現になってしまったのではあるまいか。
加藤清正の噂
- 年配の熊本県民には神。
- 地元における愛称はセイショコさん。
- しばらく前まで、ドサ廻りの劇団などが熊本で公演する際は、芝居の筋とまるっきり関係なくても加藤清正を登場させたそうな。
- 唐突にひげ面の武者が出てきて、
「さしたる用は無けれども、現れいでたる加藤清正」
とひとこと言って退場すると、熊本の観客は大喝采したらしい。
- 唐突にひげ面の武者が出てきて、
- 虎退治をやったらしい。
- 「熊本の大名」のイメージが強いが、出自は名古屋出身で、鍛冶屋の倅。
- 武断派大名で、福島正則とは仲良しだったが、石田三成とは豊臣秀吉に見いだされて以降から仲が悪かった。これがもとで秀吉没後の豊臣家分裂につながる。
- とはいえ、福島正則のほうが貰った知行が多かったというので号泣して悔しがったことも。意外と嫉妬深い甘えんぼさんだったらしい。
- 詩歌を嗜まず、嫌っていたらしい。
真田幸村の噂
- 実際に幸村と名乗ってた形跡はないらしい。資料上もっともよくでてくるのは信繁らしい。
- 関ヶ原の合戦では父・昌幸と共に西軍(兄・信幸は東軍)につき、敗戦後浪人してた。が、大坂の陣では大坂方につき、多様な作戦で東軍(徳川軍)を苦しめた。夏の陣で家康本陣に攻め入って備えを手薄にさせたが、あと一歩のところで武運つたなく戦死。
- 歴史シミュレーション小説では、幸村が味方した側が必ず勝つことになっている。
武田勝頼の噂
- 長篠の戦いで大敗し、あげくに信長に亡ぼされてしまったので、すっかりダメ武将扱いされているが、実はけっこう知勇兼備だったらしい。
- ただ偉大な父・信玄の影に常にプレッシャーを感じて、焦りすぎた気配はある。
- 信長のやっていた「城下町作り」「楽市楽座」「鉄砲隊の充実」など革新的な施策の意義をよく理解していたようだが、実現するための財力と時間が無かった。
- かろうじて城下町作り(新府城)には取り掛かったが、完成させることなくタイムオーバー。
- 謙信亡き後の上杉家の内紛に首を突っ込んだのが命取りだった。
- 北条氏政の弟である景虎が上杉を継ぐと、北条家の力が強大になりすぎると見て、景勝に肩入れ。局所的に見れば、関東の勢力を均衡させる、悪くない判断なのだが……
- おかげで北条家と決定的に仲違いし、大事なところで助けて貰えず命を落とすはめに。織田家が大きくなりすぎて、関東で勢力均衡を図っているような場合ではなかったのであった。
- 信玄の跡継ぎとされたのは勝頼の息子の信勝で、勝頼は信勝が成長するまでの後見役に過ぎなかったという説もある。
- 勝頼は本来、武田軍団中の信濃衆(諏訪衆)旗頭としての役割を期待されていた。もともとの後継者であった兄・義信が失脚・落命したために、急遽全軍を率いることになったので、部将たちからの人望がイマイチだったようだ。
武田信玄の噂
- 山梨県民にとっては神である。
- 一般的に『甲斐の虎』と呼ばれている。
- 人望・カリスマ・知略・軍略などさまざまなものに恵まれていたが、唯一天命には恵まれなかった。
- 子供も。
- 関東管領上杉氏の名跡を、甲斐源氏の嫡流である自分ではなく、ライバルの長尾景虎(上杉謙信)が継いだことが気に入らず、その後も「長尾」の旧姓で呼んでいた。
- 四畳半くらいの便所(それも水洗)を作り、よくそこに篭って作戦を練っていた。
- その便所には香が焚き込められてたとか。便所を「山」と呼んでたそうな。「山には草木(臭き)があるではないか」と言ったとか言わなかったとか。
- 信玄は出家以降の法名。出家前は晴信(はるのぶ)。
伊達政宗の噂
- 独眼流
- 独眼だからといって一つ目じゃありません。
- だが某戦国ランスで目玉の化け物になってた…
- 独眼流?
- 独眼竜じゃないのか? 隻眼だったからそう呼ばれたらしいよ。
- だが某戦国ランスで目玉の化け物になってた…
- 独眼だからといって一つ目じゃありません。
- あと10年早く生まれてれば・・・。
- それより、もっと都近くに生まれていれば・・・。
- しかし奥州に生まれ、特に周囲に強敵もいなかったので運がいいとも言える。
- せめて最上芦名佐竹くらいは強敵と認めてあげて。苦戦はしてるんだから。
- 南部大崎安東あたりも手ごわい。
- せめて最上芦名佐竹くらいは強敵と認めてあげて。苦戦はしてるんだから。
- 昔、フジテレビの特番で「もし天下を取っていたら、今頃『仙台ラブストーリー』が放映されていた」というネタがあった。
- 奥州筆頭。
- もともとの地名・千代を「仙台」に変えたのはこの人。
- 伊達男という言葉はこの人が発祥。
- 徳川将軍家が発した「一国一城令」に唯一あてはまらず、一国二城(仙台城と白石城)許された武将。それだけ徳川家に恐れられていたということ。
- 詩歌を嗜み、なかなかの文化人だったらしい。
- ユーモアたっぷりな狂歌・公家衆が絶賛した和歌のクォリティーに「ケッ田舎大名が」と嘲笑う中央の大名が赤っ恥かいたそうな。
- 連歌などに堪能だった武将は他にもたくさん居たが、完全な平仄で漢詩を詠めたのは、同時代の武将では政宗だけらしい。
- 晩年を過ごした仙台若林屋敷は現在刑務所。庭の臥竜梅のみ残ってるそうな。
- 誰が何と言おうと渡辺謙
長宗我部元親の噂
- 最初「土佐の姫若子」といわれていた。
- 別に女の子みたいに可愛らしかったわけではない。
- 初陣を華々しく飾った後は鬼若子に昇格した。
- 初陣が22歳になってからと、超遅咲き。他家では10代半ばで初陣してたからなぁ。
- もし10年早かったら天下を…という意見もあるが、当人は四国の覇者になれれば満足だったらしい。
- 戦国無双でもBASARAでも有名であり、後世のゲーマー達に論争の種を与えている武将の一人である。
- 後半生および子孫は悲惨すぎる・・・・・・。
- 嫁は明智光秀の片腕だった齋藤利三の妹。
徳川家康の噂
- 狸。
- 東照宮の神様。
- 江戸幕府を開いた。
- 暴れん坊将軍のひいお爺さん。
- ついでにあっちのほうもかなり暴れん坊だったらしい。
- 子供は十一男五女。別名「三河の後家殺し」(コーエーの攻略本より)
- 耐えて忍んで我慢して、最後に笑った人。
- この人の最大の武器は、長寿だったことだろう。
- そりゃあ75歳まで生きりゃあねぇ。20代~40代で死んでることがごく普通で、60まで生きられることすら稀なあの時代にあっては…。
- 信楽焼の物が有名。
豊臣秀吉の噂
- 猿もしくは禿ネズミ
- 日本初の農民出身の天下人。
- 最初は木下藤吉郎、それから羽柴筑前守秀吉と改名。
- 片手の親指が6本あった。
- 親指が6本て、おいおい。
- 太閤とも呼ばれる。ちなみに、母ちゃんは大政所、嫁は北政所と呼ばれる。
- 太閤というのは関白職を引退して自分の子に継がせた人を呼ぶ一般呼称なのだが、ただ太閤といえば誰もが秀吉をイメージする。
- 中納言の唐称「黄門」が徳川光圀ばかりを意味するのと似ている。
- 太閤というのは関白職を引退して自分の子に継がせた人を呼ぶ一般呼称なのだが、ただ太閤といえば誰もが秀吉をイメージする。
- 子孫はいないと言われる。
- 豊臣秀頼は妾の淀殿との間にできた子供。大坂夏の陣で母子とも自刃し、正妻の千姫(家康の息子で秀忠が父)との間にできた子供は大坂夏の陣後に殺されたり尼寺に入れられたりして、血縁は断絶。
- 揚げ足取りのようで悪いんだけど、その言い回しって「千姫=家康の息子で、秀忠は息子」にも見える。あえて書くなら千姫は「家康の孫。父は秀忠」「『家康の息子の秀忠』が父」の方がわかりやすい。
- 壮年のころ名乗っていた羽柴って苗字は丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ拝借して勝手に名乗った勝手に作った苗字ってよく歴史モノの小説なんかに出てくるが現代の羽柴さんは末裔なのか?ま、確実に末裔ではないと思われる人もいますが…。
- 豊臣秀頼は妾の淀殿との間にできた子供。大坂夏の陣で母子とも自刃し、正妻の千姫(家康の息子で秀忠が父)との間にできた子供は大坂夏の陣後に殺されたり尼寺に入れられたりして、血縁は断絶。
- 覇王。
- 最も有名な下克上の代表例。
- 成り上がった距離日本史上ナンバーワン。
- 永ちゃんもびっくり。
- 成り上がった距離日本史上ナンバーワン。
- 奥さんの名前は「ねね」だったか「おね」だったかよくわからない。
- まあ、漢字の「寧」をなんと読むかはさておき、当時の女性の名前が残っているだけでも上出来だが。
- 個人的には、ひらがな一文字の名前ってのはさすがにないんじゃないかと思う(「お」は名前の一部ではなく「おまつ」「おふく」同様の接頭辞)。
南部信直の噂
- 領地は北の果てにあるのに南部。
南部晴政の噂
- 伊達政宗のせいで影が薄くなりがちだが、当時の奥羽ではかなりの勢力。
北条氏康の噂
- 地元の神奈川でさえも地味。早雲からの後北条家と言えば少しは有名?
- 鎌倉執権とは直接関係ない。
- 上杉謙信の宿敵の一人だが、謙信が上杉氏の名跡を継いだきっかけを作った人というのはあまり知られていない。
- 息子が飯に汁をかけて食べる様を見て「これで北条家も終わりだ」と嘆いた。
- ご当人は卵をかけて食べるのが好きとかいう話があれば面白かったのに。
- 確か、汁を何回にも分けてかけていたからではなかったかな。「飯にかける適量も一発でわからんのか」というわけで。
- まあ、この話自体が作り話だけどね。
- 確か、汁を何回にも分けてかけていたからではなかったかな。「飯にかける適量も一発でわからんのか」というわけで。
- ご当人は卵をかけて食べるのが好きとかいう話があれば面白かったのに。
- 元々領民に優しかったといわれる北条家の税制を改革して、領内に善政を敷いた。
北条早雲の噂
- 恐らく日本史で始めて電撃戦(と思われる作戦)を行ったが、登場時期が時期だけに、かなり影が薄い。
- 没した時80代だったらしい。
- 北条姓になったのは息子の氏綱からで早雲自身は死ぬまで伊勢姓だった。
前田慶次郎の噂
- 天下無双の傾奇者
- あまり資料が残っていないため大抵の創作物は『花の慶治』の影響を受けている。
- 『慶治』じゃなくて『慶二』な。
- 誰か突っ込んでよ。
- 『花の慶次』の影響を排除したらしい大河ドラマ『利家とまつ』の慶次郎はヘタレすぎてすこぶる評判が悪い。
- 『慶治』じゃなくて『慶二』な。
- 『花の慶次』では利家と反目したように描かれているが、実際には利長と仲が悪かったとか。
前田利家の噂
- 犬
- いつもお腹をすかせている。
- いいかげん服を着ろ。
- 妻のまつには頭が上がらない。
- 加賀百万石の礎築いたのに…。
松永久秀の噂
- 知名度の割には大河ドラマに主役として出たことはないが・・・まあしょうがないか。
- 第一話の冒頭、三好長慶の下で地味な事務方を勤める冴えない中年男がふと漏らしたとんでもない野望「天下をこの手に…」、巻き込まれ人生を狂わせる群像、魔王との出会い、そして衝撃の結末へ…。確かに大河向きではないがなんか面白そうだな。
- 井上靖が短編小説の主人公にはしている。いつでも利を求めて冷静だが、信長だけは心底嫌いだったために感情で動いてしまい、そのために亡びたということになっていた。
- ドラマにするなら果心居士の登場も欠かせないかな。
- 性のHow to 本を書いた。
- 要約すると、「大切なのは大きさじゃない、テクニックだ!」とのこと。
- あの信長相手に謀反(それも複数回)を起こしても許された。
- 120才まで生きると公言していた。
- 普通は1年で死ぬコオロギを複数年飼って観察し、普段の生活しだいで長寿を保てると考えていたらしい。なら謀反すんなよ。
毛利元就の噂
- 本人よりも三本の矢が有名。
- サンフレッチェ広島のチーム名の由来でもある。
- 広島東洋カープ設立前の広島のヒーロー。
- 結構愚痴っぽい性格だったようだ。
- 息子は3人。それぞれ吉川家(きっかわけと読む)・小早川家(水軍の将)の養子に出し、長男に毛利本家を継がせて広い領土を安泰させた。
- 正室との間には、な。側室との間には穂井田元清や毛利(小早川)秀包なんかもいて子だくさん。ちなみに長子隆元と(おそらく)末子の秀包との年齢差は40歳以上。秀包が生まれた時にはすでに隆元は鬼籍に。その時元就は御歳70。孫に当たる輝元がすでに元服・家督相続済み。すげぇよ元就…
最上義光の噂
- 意外といい人だったらしい。
- 後半生は可哀想だ。