国鉄113系電車
113系の噂編集
- 冷房のききが悪い。さすが1960年代に作られた車両。
- それは分散冷房車に限った話じゃない?
- 福知山線の3800番台はデザインのゲテモノぶりか「おんぷちゃんねる」のアイドルと化している。
- 湘南色の車両はだいぶ減った。
- JR西日本では何故か先頭車両だけ塗り替えてある編成がある。
- 先日、房総の113系が湘南色に戻されました、これからも数編成戻すそうです。スカ色との混色が見られるかも。
- 本日6両編成が戻されているのを確認しました。(2009年9月20日)
- 先日、房総の113系が湘南色に戻されました、これからも数編成戻すそうです。スカ色との混色が見られるかも。
- というかもう京都にしか残っていない。その結果、18.のような事件が起きた。
- 2017年4月に最後まで湘南色だった京都の編成が緑色になってしまい完全消滅した。
- その1本は数年前に全塗装で色直しされたのに、なぜか次の検査時に緑色にしてしまった恰好に。いまいち良く分からない。
- JR西日本では何故か先頭車両だけ塗り替えてある編成がある。
- 東海道線ではアンバランスなステンレスの2階建てグリーン車が連結されていた。その次の普通の1階立てのグリーン車はとてもボロく見えた。
- そのボログリーン車の台車はエアサス台車。隣合う普通車と比べると乗り心地が違う。
- あまりの格差と時代遅れな設備内装とあって晩年はラッシュ時以外ガラガラ。玄人(というかタダのマニア)が好んで乗ってたのが目立つ。(そう言う自分も伊東駅で買った駅弁と関東地区ではここでしか売ってなかったポリ容器のお茶持って乗って楽しんでたことがあった)
- 西ではN40延命工事によって、再塗装でピカピカだったり、方向幕がLEDタイプに更新されたりしている。次期更新でドア上に液晶がつくと信じている。
- あのLEDは似合わないし不細工。どこが作ったのだろうか?ちなみに液晶はシャープが作ると信じています。
- もう体質改善工事自体終わったけどね。
- 福知山線では利用は減ってきたものの、まだ朝の運行は多い。いくら朝早いといっても、4両や6両で走るのはやめとけ。
- 四国では113系とは思えない顔に改造され塗装も派手になった。
- あれはもはや別物
- JR四国の113系は4両編成だが、昼間は高松エリアでは過剰ということでだいたい岡山エリアに出かけている。
- マリンライナー以外で岡山と四国を結ぶ普通列車の運用の一部を担当。
- 4両編成で過剰というあたりが、いかに四国が鉄道が利用されていないかを物語っている。
- 広島くらいでやっと主力、岡山の車両基地では半分近くの編成が3両なんだし車社会とかは関係なく四国で過剰なのは当たり前。
- その別物を示すものに、車内の扉上にあるLED装置の表示方法が東日本旅客鉄道のものとそっくりという点もある。
- ドアチャイムは「キンコーンキンコーンキンコーン♪」と派手な音を奏でる。
- 過剰というか、観音寺や琴平から岡山まで来ていた111系4両の置き換えなので、それと同じにしてしまったのが真相。
- しかし、観音寺や琴平と岡山間の電車は今や指で数えるほどの本数になってしまい、四国内で過剰輸送で運用になっているのも真実。
- 4両固定なのだが、当時2両しかなかったホーム対応や頻繁に動く車掌のため、中間にパイプで仕切っただけの「乗務員室」というスペースがあったりする。
- 名鉄のパノラマカーもそんな感じだった。
- 新車を入れると金がかかるので東日本旅客鉄道から譲渡してもらったはいいものの、別物に改造すると新車以上に金がかかって意味がなかったという噂。
- 実はクハ113・112はこれによって初めて登場した。というか四国のやつだけ。
- その岡山運用も2016年3月のダイヤ改正で6000系に取って代わられ四国内のみの運用になった。なので一日1往復のみ運用とかいう編成も出てきた。
- そして3年後、四国からは引退。
- もともとは111系のモーター出力アップバージョン。
- クハ113として新造された車両では存在しない。
- 2009年、なんと広島に新車として投入された。
- 京都地区の車両は湘南色からウグイス色にされるらしい。
- その前に広島転出だったりしてなwww
- 遂に現物が登場。一部ではカボチャがピーマンに化けたと言われている。
- 緑色に塗られてから広島に転属した編成もある。
- 元宮原所属の編成ですね。
- だが、クハは末期色に、モハは廃車されたたので國鐵廣島の抹茶113は夢に終わった。
- 東海道線のグリーン車は特急車改造もいた。非常時換気用に一部の窓が中折れ窓だった。
- あの1両だけ背の低かった車両でしょ?懐かしいな。
- あの見た目と座席の豪華さでマニアには人気あったが定員が少なすぎて通勤時間には座れなくなるのでグリーン定期客からは徹底的に嫌われてた。
- 今ではほぼ総て廃車になったが、グリーン車の種類がめちゃめちゃ多かった。代表的なずらっと窓が並んだ60席の新造車両、準急型グリーン車改造の60席の車両、急行型グリーン車改造の48席の車両、そして特急型改造の背の低い車両など…。最終的には2階建ての90席のグリーン車に進化した。
- 何故かサハ165を種車としたものもあった。
- 関西の東海道山陽本線快速にも1980年までグリーン車があったが、利用率が低く神奈川県へ転用された。
- あの1両だけ背の低かった車両でしょ?懐かしいな。
- 千葉で活躍する113系は、ナンチャッテクロスシートの更新車と国鉄オリジナルの未更新車・国府津移籍組(1978年製造の2000番代車)・大船移籍組(1979年製造の1500番代車)が入り乱れている。1500・2000の両番代はシートピッチ拡大車。
- 幕張生え抜きの初期車は国府津移籍組によって淘汰された。
- 最近、上越線でよく見る(スカ色)
- 何気に付随車(サハ)は全車引退済みらしい。
- 西日本の40Nサハが無駄死にしたのも有名な話。
- 何気に編成のバリエーションも2or4連だけになってしまった。
- 2011年、JR東日本で113系が引退する一方で、広島に113系が新車として投入された。
- 詳しく知りたい方は『國鐵廣島』へどうぞ。
- 2012年3月以降残存するのは、京都、きのくに線、四国、岡山、広島のみになった。残存率も既に1割を切り、まさに風前の灯といった所。
- きのくに線と四国は当分安泰だが、京都は地味に減り続けており、岡山・広島地区でも最近になって数十両の廃車が出ている。
- 湖西線でも221系の普通が走り始めている。
- 草津線でもそのパノラマの普通列車が走りだした。
- 湖西線でも221系の普通が走り始めている。
- なんと、115系に改造された奴が出てきた。113系改造ボロクハを置き換えるのも113系改造クハ・・・
- 115系への改造なら国鉄末期にもあった。その車両だけグローブ型ベンチレーターなのですぐに区別できた。
- 最近は30N車や40N車でさえ廃車が続出しているからな。`12年8月の地点だともう残存車は200両を切っている。
- 四国に関しても第3編成がアラーキーのラッピングが終わったくらい(2016年3月)からずっと多度津の解体線で放置されているので廃車される可能性もして捨て切れない。
- 放置されること2年、ついに除籍された。残る2編成も121系の7200系化が終わったら廃車するらしいので、記録はお早めに。
- きのくに線と四国は当分安泰だが、京都は地味に減り続けており、岡山・広島地区でも最近になって数十両の廃車が出ている。
- トイレが一部を除き垂れ流し式だったため、関西本線(奈良~天王寺~大阪~天王寺)・阪和線では使用禁止の措置がとられていた。
- 関西本線電化(1973年10月)時は横須賀線113系1000番台投入の玉突きで追い出された113系0番台(1963~67年製)をスカ色から春日色へ塗り替えた。その2か月後、平野駅付近で1両が脱線。
- 湘南色が絶滅危惧色となったので運用情報の問い合わせが殺到した結果、JRからクレームが来た。・・・お前ら自重しろ。
- JR東海の113系4両編成とJR東日本の113系11両編成を使って15両にして東京駅まで使用していたけど、JR東日本の運転士がJR東海の113系を嫌っていたらしい。
- それで某走ルンですが本格的に入線した際に、東海の113系による付属運用と静岡乗り入れを無くしたんだな。
- 東海の113系は国鉄時代からのブルーシートを最後まで維持していた(牛革製のシートカバーあり)。中には211系の化粧板の車両があった。あのころはすてきな景色が見れてよかった(特に静岡)。
- 広島よ、春日色の復活を頼むぜ!
- もういないけどな。
- 東京~熱海間が走ルンですIIと211系に統一された後は、113系を返せと言いたくなるくらい癪に障ったことがある。
- クモハは全てモハの改造によって登場した。
- 国鉄末期までは4両編成が最短だった。
- 岡山電車区の113系は2015年から115系K編成の運用を代わり伯備線は正式に運用開始しました。姫路までは網干時代に223系に運用撤退以来です。新製当時の中に網干電車区が最初の配属があります。
- 1000番台は総武快速・横須賀地下線への乗り入れを想定して製造されたが、初期車は地下線に乗り入れることはなかった。
- 理由は総武快速・横須賀地下線にATCを導入したから。わざわざ初期車にATCを設置するより最初からATC付きで製造した車両を増備した方が得だからだとか。
- その玉突きで房総各線や東海道本線などに回されたが、1両だけ阪和色になった車両があった。
- その車両(クハ111-1310)は民営化後はJR西日本に帰属し、高速化改造が行われてクハ111-6310に改番された。
- その玉突きで房総各線や東海道本線などに回されたが、1両だけ阪和色になった車両があった。
- ATC搭載のクハ111-1026~1063・1340~1377のグループは、ATC搭載による乗務員室ドア直後の窓廃止・ヘッドライトをシールドビーム化・タイフォンが下方へ移設等の変更点がある。
- 但しその後製造された1500番台(1000番台のシートピッチ拡大バージョン)ではタイフォンの位置は元に戻った。
- このグループはユニット窓を装備した後期タイプだが、113系では唯一冷房準備車が存在していた。
- 理由は総武快速・横須賀地下線にATCを導入したから。わざわざ初期車にATCを設置するより最初からATC付きで製造した車両を増備した方が得だからだとか。
- 2020年現在、JR西日本のみの在籍。
- 大半は京都と岡山にいる。あろうことか117系も同じ区域にいるのは偶然か?
- 415系に改造されて七尾へ行ったやつのことがこのページに書かれたのは、415系七尾撤退後のことであった。
- にしても、113系の車体で石川県なんて走って大丈夫だったんだろうか?新潟や長野に113系を走らせるようなものなのだが。
- 種車は全て福知山線電化時に寒冷地対応に改造された800番台だった。
- 福井県では、113系の定期運用があった。
- 石川は新潟や長野より雪が少ないから、ギリギリ113系でもいける。新潟や長野、富山くらいの気候だったら、元が800番台とて使い物にならなかったであろう。
- 新潟と長野は廃車回送を兼ねた団臨で、富山は415系化された編成が試運転で乗り入れた実績がある。
- にしても、113系の車体で石川県なんて走って大丈夫だったんだろうか?新潟や長野に113系を走らせるようなものなのだが。
- 実は、JRになってから作られた車両もいる。
- サロ124,125のこと。車体は211系ベースのステンレス製。JR西日本の125系とは無関係。
- そのため、113系の最終製造年は1991年となっている。
- のちに電気指令式ブレーキに改造され、サロ212・213になった。
- 1974年の湖西線開業に備えて登場した700番台は寒冷地仕様になっていて、ドアの手動扱いが可能になっていた。
- そのため、ドアエンジンは115系と同じで、ドア上のカバー形状も異なっていた。ドアに把手がついているため、開いた時の幅も通常の113系と比べて10cm狭い。
- 他にも排障器に雪かきがついていたり、タイフォンもカバー付きだったりする。言わば115系との間の子仕様。
- 1980年には草津線電化用としてシートピッチを拡大した2700番台が登場した。
- 民営化後スピードアップ改造を行って5700・7700番台となった。
- その後1986年の福知山線及び山陰本線の福知山~城崎(現城崎温泉)電化時にも同区間に寒冷地仕様の113系が投入されることになったが、当時の国鉄の財政の関係で0番台を改造した800番台となった。この時クモハ113・クモハ112が改造で初登場し、113系の2連も初登場している。
- この2連となった編成は、大阪駅に2連で乗り入れるという暴挙に出た。
- 福知山線が当時いかに人気なかったかよくわかる。宝塚で阪急に逃げられていた時代だし。
- この2連となった編成は、大阪駅に2連で乗り入れるという暴挙に出た。
- 実は、湘南新宿ラインで営業運転をしたことがある。
- その前には、宇都宮線で運用されたこともある。
- 217投入で横須賀線を追われた車両が用いられていたが、塗り分けは115系と同じだった。
- その前には、宇都宮線で運用されたこともある。
- 113系後期車は珍しく、長野鉄道管理局に入れられた115系後期車みたいに地方都市の電化路線に新製配置された。今まで115・113系は首都圏のお古を関西や他地域に持って行って80系電車を置き換えていたが、昭和53年初頭に新製された113系後期車の投入先は東京でも関西でもなく中京圏