ページ「もしあの鉄道が国有化されていたら/関東」と「愛知/東三河」の間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
(文字列「\{\{Pathnav\|.*\|name=.*\}\} 」を「」に置換)
 
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改変 Chakuwiki独自ルール通知済
 
1行目: 1行目:
{{地域|name=東三河|reg=東海|pref=愛知|area=三河|ruby=ひがしみかわ|eng=Higashi-Mikawa}}
==東三河地方の噂==
{{東三河}}
#この辺は[[静岡]]との繋がりも濃くなる。
#*特に[[豊橋市|豊橋]]と田原が顕著。
#**[[浜松市]]や[[静岡/遠江|湖西市]]とは生活圏が同じ。
#*愛知県民としての自覚は、少なくとも他の所に比べて薄めなのは否めない。
#*と言うか、歴史的経緯が愛知県内の他の地方とは全然違う。
#*愛知県下の市外局番は原則056#だが、東三河は静岡仕様の053#。国鉄時代は静岡鉄道管理局管轄だった。
#**[[福岡]]県でいう[[福岡/豊前|京築]]のような感じ。
#「八名郡」があったが、元八名郡の市は無く、他郡からのつまみ食いで消えた。
#*地名としても殆ど残っていない。
#*一応、豊橋・豊川・新城の3市に跨っているが、あくまで3市自体はそれぞれ旧郡が渥美・宝飯・南設楽…。
#*だいたい宇連川・豊川以東、朝倉川以北が旧八名郡。明治の郡制施行の時に南設楽郡辺りに吸収されてもおかしくなかった。
#**八名信夫は旧八名郡ではなく[[岡山]]県出身。
#最近、Googleの「ストリートビュー」で、中京圏も見れるようになったが、東三河は、まったくの圏外…
#*一応[[東名高速道路|東名高速]]は見れます。
#*最近某8万都市でストリートビューカーを見かけたという噂聞いたんで、もうすぐここらへんも対応するんじゃないかと。
#1桁県道が多い(1,2,3,4,5,9号)。6,7号はかつて東三河にあった。
#*r9はかつて{{国道|東海|152|R152}}の一部、r10はかつて{{国道|東海|151|R151}}の一部だった。
#*3桁県道は[[福岡/筑豊|筑豊]]と同様に大半が400番台。
#面積は愛知県の3分の1だが、人口は愛知県の10分の1で[[福井|福井県]]や[[佐賀|佐賀県]]と同じくらい。平成の大合併で[[豊田市#稲武の噂|稲武]]を[[愛知/西三河|西三河]]に盗られたが。
#豊橋ナンバー地域。
#[[名古屋市]]から豊橋市までは60km、[[中津川市]]や[[津市]]や[[米原市]]に匹敵する。
#東三河と西三河の境ってなんだ
#*平野部は本宮山・遠望峰山・三ヶ根山の山並みが、内陸は豊川と矢作川の分水嶺が境界になってますね。
#**尾張と三河の境界よりは分かりやすい。


==栃木・群馬==
;関連項目
===下野電気鉄道===
*[[B.LEAGUE#三遠ネオフェニックス|三遠ネオフェニックス]]
{{駅名標/東日本|name=新高徳|ruby=しんたかとく|roma=Shin-Takatoku|back=大桑|back2=Ōkuwa|next=小佐越|next2=Kosagoe|color=#662211}}
*[[愛知の駅/東三河]]


#現実の野岩鉄道・会津鉄道と合わせて「JR野岩線」。
==おもな市の噂==
#*昭和40年代には全線開通していた。東北本線のバイパス路線という名目もあり急ピッチで建設された。会津線・野岩線の三セク化もなかった。
*[[豊橋市]]
#*上野-喜多方間には野岩線経由の特急「おじか」も運転されている。国鉄時代~JR初期はキハ58系による気動車急行として運転されていた。
*[[豊川市]]
#**「やまばと」に会津若松発着の編成はなかった。
*[[蒲郡市]]
#***=「「あいづ」が誕生しない」のでこちらがあいづを名乗っていたかもしれない。
*[[田原市]]
#JR今市駅と接続している。
*[[新城市]]
#*というか新今市とJR今市が統合していたというのが正しい。
#スペーシアは全て東武日光行きになっている。
#*東武は下今市駅-鬼怒川温泉にバスを走らせている。
#*名鉄の「北アルプス」みたいに連絡線を作って東武浅草~鬼怒川温泉に直通急行が設定されるがスペーシア新宿乗り入れと引き換えに廃止。
#電化された場合、会津田島駅で直流/交流が切り替わる。
#*管轄する支社も会津田島を境に北が仙台支社、南が大宮支社となる。
#*特急運用の関係上少なくとも奥羽本線の全線電化と前後して電化されてそう。
#鬼怒川温泉の開発は現実ほど進んでいない。その代わり東武は日光線を中禅寺湖・日光湯元方面に路線を伸ばしている。
#*それに対抗して国鉄も日足線の建設を進めている。
#*東武ワールドスクエアも存在しなかった。
#*鬼怒川温泉の略称として「鬼怒川」と呼ばれることはなかった。鬼怒川温泉ではなく「滝温泉」という山奥の小さな湯治場に過ぎなかったかもしれない。
#芦ノ牧温泉駅の猫駅長「[http://aizutetsudo.sblo.jp/ ばす]」は誕生しなかった。
#矢板線は国鉄解体まで生き残る。
#*仮に矢板線が野岩線矢板支線となっていた場合現在でも存続している。
#日中線は存続どころか喜多方〜熱塩が整備され、野岩線と合わせて野岩羽線となっていた。
#埼京線と連絡する新五方面作戦の東北方面開発線が整備され、この路線と連絡していた。
#戦時買収の場合,宇都宮-会津若松-米沢の線路増設として早期に会津滝ノ原まで開通。隧道の長さは短いが, 急曲線が多い。日中線も同時期に全通。


===塩原電車===
==新城市の噂==
#改正鉄道敷設法別表第33号第2項にもとづく買収。
;関連項目
#1500v化と専用軌道化は確実に行われている。
*城の噂:[[東海の城#長篠城|長篠城]]
#福渡温泉延伸はその直後に実現している。
*山の噂:[[中部の山#本宮山|本宮山]]
#野岩線建設に合わせて上三依塩原温泉口への延伸工事が行われてるが国鉄再建で中断、工事線共々野岩鉄道に引き継がれる。
*駅の噂:[[愛知の駅/東三河#新城駅の噂|新城駅]]
*道の駅:[[東海の道の駅#もっくる新城|もっくる新城]]
*SA/PA:{{SA/PA|東海|新城PA}}、{{SA/PA|東海|長篠設楽原PA}}
#「しんしろ」と読みます。断じて「[[川崎市/中原区|しんじょう]]」ではありません。
#*「[[沖縄/八重山#新城島ぬ噂|にいぐすく]]」でもないさぁ〜。
#*山形にあるのは「[[新庄市|新庄]]」。そして[[ニューサウスウェールズ#ニューカッスル|ニューカッスル]]でもない。ただし後述のように姉妹都市である。
#市内にコンビニが4~5件しかないらしい・・・。
#*合併前の旧新城市内だけでも12軒あるはずだよ。旧鳳来、旧作手を足せば17軒だと思う。但し、大手の中で[[ファミリーマート|ファミマ]]は未進出。
#**旧151号沿いの野田にあったんだが20年以上前に撤退済)
#**「ファミマ」はないが「[[ミニストップ]]」があることが自慢
#ファミレスがない。カレーの[[ハウス食品#壱番屋|壱番屋]]が進出しようとしたが田舎過ぎてあきらめたらしい。
#*カレーの王様が新城'''PA'''に進出。
#姉妹都市があまりに安直。
#*これか。 →「[http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,3597,162,684,html 世界新城サミット]」
#盆地の為、意外に冬も暖かい。
#*山の麓だからよ。盆地の冬は寒いもの…。(by作手)
#遠距離受信者が真っ先に思い浮かぶのは「[[東海ラジオ放送]]の中継局」
#*「NHK第1の中継局」もできた
#ゲーセンがない。
#*先週オープンした超巨大複合商業施設(新城市の基準による)「[[ユニー|ピアゴ]]」にはあるぞ。新城市なめんなよ。
#合併で県内人口ワースト1位を抜け出した
#*合併した直後、総面積で愛知県NO.1に輝いた。でも喜びもつかの間、直後に[[豊田市]]が周辺市町村と合併したためあっという間に首位陥落...○| ̄|_
#茶臼山駅があるけど、実際はもっと北にある
#*あーその「茶臼山」はスキー場のある愛知県最高峰の山だらー。新城市内には別の「茶臼山」があるだに。設楽ヶ原の戦いで信長が陣を取ったことで地元では有名。うちの校区だに。
#池場駅は、東栄町をまたいでいる。
#飯田線の駅の数が14.4?(野田城~池場駅の一部分)県内のJR1線だけでみたら、名古屋より多いのでは?
#*[[浜松市|浜松]]でも似たような現象が起きている。
#ここ10~15年で稲木~野田地区一帯は、151号バイパス開通に伴い、市内でもめざましい発展を遂げた。
#*「ほびーら」「[[しまむら]]」の出店を皮切りとして、「[[セブンイレブン]]」「[[マクドナルド]]」「[[バロー (スーパーマーケット)|バロー]]」といった都会的な小売店も進出。
#**最近「ほびーら」が閉店した。
#**そこに「V・ドラッグ」が出店した。
#*[[ロッテリア]]はマクドナルドより進出が早かった。
#*カーマは進出が早かったのか、旧道沿いに出店。
#*2004年に「バロー」「[[ケーズデンキ|ケーズ]]」が出店するが、それを最後に大規模小売店の進出がパタリと止まる。
#*最近「[[愛知の喫茶店#コメダ珈琲店|珈琲所コメダ]]」と「[[ゼンショー#すきや|すきや]]」がオープンしたぞ。新城なめんなよ。
#**ゲーセンでも出てきたが、新城ではまだ「なめんなよ」が流行っているらしい。
#旧東海銀行時代からの[[三菱UFJ銀行]]新城支店があるため、三和銀行新城支店と東京三菱銀行新城支店を武蔵新城支店に改名させている。
#童謡「虫のこえ」の「あれマツムシが鳴いている」の後の部分の「チンチロチンチロ、チンチロリン」がよく聞くと「シンシロシンシロ、シンシロシ」と聞こえてくる。
#[[男性歌手ファン/あ・か行#忌野清志郎ファン|清志郎]]さんが生前によく足を運んでいた旅館がある。
#長篠・設楽が原合戦の古戦場はここある。
#*長篠城のところの資料館と、設楽が原の資料館とがある。合併前の鳳来・新城の2つの自治体でそれぞれ造ったんだろうな。
#*連吾川のところに織田方が作った柵を模したものがある。
#*長篠城駅の駅舎は城の施設っぽいつくり。<small>長篠城は長篠の合戦のあとすぐ使われなくなったっぽいので、駅舎のように漆喰になまこ壁だったかは怪しいが。。</small>
#*長篠城は長篠駅から西に600mほど、一般に言われる長篠合戦の主戦場である設楽が原は三河東郷駅の北側の数百m、直線距離でも3kmほどと結構離れている。途中に鳥居強右衛門の碑の場所を通ったりするとより回り道。公共交通で徒歩だと結構たいへん。そして両駅は無人駅でどちらもレンタサイクルはない。
#市長は{{あきまへん}}で逮捕された経歴を持つ。
#新城ラリーが毎年11月初旬に行われる。
#マヂカルラブリー村上の出身地。


===東野鉄道===
===鳳来===
#改正鉄道敷設法別表第36号にもとづく買収。
*駅の噂:[[愛知の駅/東三河#本長篠駅の噂|本長篠駅]]、[[愛知の駅/東三河#湯谷温泉駅の噂|湯谷温泉駅]]
#路線名は「東野線」。
#織田信長が鉄砲の威力を見せ付けた長篠の合戦の舞台。
#*もしくは大田原線か黒羽線。
#*随分、旧町域の隅っこだった…。
#大子への延伸はちゃんと行われている。
#県の鳥コノハズク
#*烏山・茂木方面への延伸も計画されているが実現しない。
#*鳳来寺山で鳴いていることが有名なので。
#*「コノハズク」と聞いてフクロウを思い浮かべる人は、県外でどのくらいいるんだろう。。。
#田舎で高齢化もだいぶ進んでいるのに意外と金持ちだった。その象徴と言えるのがふれあいパーク。今はグラウンドやステージぐらいしかないが、当初は図書館とかも作る予定だったらしい。
#中学校は1か所だけ長篠にある。
#高校はない。以前は鳳来寺高校があったが、新城高校へ統合され閉校。
#飯田線の有人駅は本長篠と湯谷温泉だけ。湯谷温泉は週に3日程度しか駅員がいない。
#長篠城の近く・豊川の崖に中央構造線の露頭がある。黒い岩(太平洋側の地層)の上に白い岩(日本海側)が乗っかっているのが見える。歩きやすい靴でどうぞ。


===上信電鉄===
===作手===
{{駅名標/東日本2|name=群馬富岡|ruby=ぐんまとみおか|roma=Gumma-Tomioka|back=ひがしとみおか|back2=Higashi-Tomioka|next=にしとみおか|next2=Nishi-Tomioka}}
#なぜか「'''[[半田市]]'''野外活動センター」がある。
#*そんなこと言ったら、[[岐阜]]県の[[恵那市#岩村|恵那(旧岩村)]]には「'''[[愛知/知多#知多市の噂|知多市]]'''野外教育センター」があるぜ。
#**そんなこと言ったら岐阜県の[[中津川市]]に「[[名古屋市]]野外教育センター」が・・(ry
#**いずれにしろ妙だ…。
#**[[安城市]]の野外教育センターも作手にある。小学校の自然教室で行かされます。(by安城市民)
#*上の例のように野外活動センターを他所の市町村に持つのって結構あるのよ。
#「さくで」ではない


#「JR下仁田線」という名称になっていた。
==北設楽郡の噂==
#107系によるワンマン運転。
#芸名に「設楽」が入った有名人を見かけなくなって以来、漢字を正しく読んでくれる人の割合が元の水準に戻った。
#*115系も入線していたかも。高崎地域のほかのJR線を考えるとツーマンのままのような気が。
#*バナナマンが居るが。
#運賃が安くなっていた。
#**自分はバナナマンのおかげで読めた。
#下仁田発前橋行、前橋発下仁田行が存在していた。
#*三浦カズの嫁さんの旧姓も「設楽」。
#平日の朝夕は快速が運転されていた。
#*すぐ隣にこの苗字の人がすんでいる(by埼玉
#「上州○○」の駅名は、国有化後一律「群馬○○」に変更されていたと思う。
#*したらじゅん子さんの立場は・・・(ちなみに競輪以外では「設楽淳子」)
#S30年代くらいに上野~高崎~下仁田間に、準急「荒船」(?)が運転開始。
#地酒ってあった?ビール工場はあるけど。と言われる愛知県ながら、全国区で知られる「蓬莱泉」の関谷醸造があるのはここ。
#*今も生き残っていれば、特急列車として、185系-200で運転されている。
#設楽郡が南北に分割されて誕生。一部は新城市や豊田市に持って行かれたが、郡域はよく残っている方。
#1960年代に、全線の魔改造が行われて、特急あさまが内山峠を越えて岩村田あたりで小海線に乗り入れていた。
#*軽井沢はアプト式でボロいままの横軽を越えないと行けないローカル線の途中駅になり、西武鉄道が乗り入れてた。
#**一般的には[[もし西武鉄道が○○だったら#軽井沢まで開通していたら|池袋からレッドアローで行く]]ことが多かった。


==千葉・茨城==
===設楽町の噂===
===常総鉄道===
#田口高校は愛知県初の中高一貫教育だ。
{{駅名標/東日本2|name=水海道|ruby=みつかいどう|roma=Mitsukaido|back=こきぬ|back2=Kokinu|next=きたみつかいどう|next2=Kita-Mitsukaido}}
#*田口高校では薪を割る授業があるらしい
#鉱泉がある。
#トマト、椎茸そして茄子がこの町の特産品。
#意外や町内に'''都市銀行'''である三菱UFJ銀行の店舗がある。地方銀行・第二地方銀行・信用金庫・信用組合の店舗はない。


#「JR常総線」という名称になっていた。
====津具====
#戦後に電化されるも、地磁気観測所の影響で、取手~水海道間は直流電化、水海道~下館間は交流電化され、直流区間ではE231系、交流区間では415系→E531系が用いられていた。
#16世紀までは設楽郡じゃなくて賀茂郡だった。
#*むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
#*明治に入ってから天領の上津具村と挙母藩領の下津具村が合併して誕生・・・と思いきや、翌年に再び別れてしまう。
#**いや水海道までは内房線同様変電所数を増やした方式で直流電化され、現実では取手止まりの快速電車が乗り入れていた。
#東京国際フォーラム(旧東京市役所)と大阪市役所を直線で結ぶとここが中間地点。
#***水海道まで直流であった場合は取手-水海道間は東京北局→東京支社の管轄になる。
#*そもそも北水海道駅が開業しなかった可能性がある。
#*恐らく水海道~下館間の電化は水戸線電化と同時に実現し当初401・403系・103系を使用。
#*E501系もこの路線絡みの運用に入っていた。
#*E531系ワンマン運転は水海道以北で行われていた。
#**103系の運用は水海道以南(直流区間)のみでは?
#上野からの直通列車が存在していた(例:通勤快速下館発・常総線経由・上野行、通勤快速上野発・常総線経由・下館行、ホリデー快速常総)。
#*国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
#**結城方面の需要を考えると「つくばね」は史実通り間々田経由で、常総線(・真岡線)直通は別の列車名になっていた気がする。
#*JR化後、上野~取手~下館間に特急「ホームタウン常総」が運転開始。車両は485系→E653系。
#*TX開業後は水海道発着の上野直通特別快速が運行される。
#**TX対抗のため取手~守谷間は120km/h運転対応に改良。
#*E231系0代も特別快速の運用に入っていた。
#*特快の線内停車駅は恐らく取手-守谷以北の各駅に。
#**品川までの直通一般列車はこの路線発着が多い。
#常総線沿線の宅地化が進んでいた。
#真岡線からの直通列車が運行されていた。
#*キハ58系使用の急行が84-2改正まで存続していた。
#取手駅構内の管轄が東京北局→東京支社ではなく水戸局→水戸支社になっていたかもしれない。
#*常総線の同駅ビルへの衝突事故はなかった。
#昭和初期までに買収されていたら[[もしあの国鉄路線が全通していたら/関東#常野線|常野線]]は戦前に全通していた。
#*その場合上記のキハ58系使用の急行が上野~取手~下館~茂木~烏山~常陸大子間に運行された(上記通りの時期まで存続)。
#*ひょっとしたら戦時中など東北線日暮里~安積永盛間が不通になった場合に同区間を常磐・常総・真岡・常野・水郡線経由で迂回する列車があったかも。
#[[Wikipedia:ja:国際科学技術博覧会|つくば万博]]の観客輸送で活躍した。
#*常磐線万博中央臨時駅は建設されず万博最寄駅は水海道・牛久・荒川沖・土浦の4駅に分散(駅の混雑を分散させるため)されていた。
#**会場行きシャトルバスは前述の4駅発着を中心に運行され、土浦駅東口発着便に連節バスが使用された。
#***上記4駅のの発車メロディーが「[[Wikipedia:ja:HOSHIMARUアッ!|HOSHIMARUアッ!]]」・「[[Wikipedia:ja:一万光年の愛|一万光年の愛]]」になっていた。
#*史実とは異なり常磐線上野口で使用される通勤・近郊電車で万博輸送を賄えたので「エキスポライナー」に寝台電車・客車・気動車を使用する列車は存在しなかった。
#**EF80の全廃がやや早まっている。
#***大宮発着の「エキスポライナー」は401・403・415系が使用されていた。
#*常磐快速線の103系にも万博ヘッドマークが装着されるが塗装変更はなかった(緩行線との誤乗防止のため)。
#*万博最寄駅が常磐線側で3駅に分散されているなら来場者のおもな帰路(上野方面)の混雑を考慮し上野方面の始発駅に牛久(荒川沖から回送)・荒川沖(土浦から回送)の両駅が加わっていた。
#**閉幕まで。
#*万博期間中土浦駅への特急「ひたち」停車が拡大された(多くが臨時停車)。
#*[[Wikipedia:ja:土浦ニューウェイ|土浦ニューウェイ]]は無駄な道路呼びされなかった。
#*万博期間中常磐線中電の車両が不足するため一時的に九州から415系0'・100番代の一部を転属させていたのでは(常磐無線設置)。
#**401系の廃車ペースが遅くなり万博終了後に纏めて廃車される編成が多かった(史実と同じ時期に全廃)。
#***'80年代以降は運用の多くが水戸ローカルに回り予備車的な扱いを受けた。
#*常磐線中電の一時的な車両数増加とその後の快速線輸送力増強を考慮し史実の水海道車両基地の位置に松戸区水海道派出が1983年頃にできた。
#**通勤形・近郊形(中電)・上記の通勤特急運用に入る特急形が留置された。
#*水海道派出の構内をくぐる陸橋が存在したかも。
#*水海道駅は'84年頃に橋上駅化された。


===竜崎鉄道===
===東栄町の噂===
{{駅名標/東日本2|name=竜ヶ崎|ruby=りゅうがさき|roma=Ryugasaki|back=いれじ|back2=Ireji|next= |next2= }}
#東栄駅は地図で見ると町域の隅っこで縮こまって見える。
#*というか線路は南側の出っ張りを'''かする程度'''通っている。
#隣の池場駅は、新城市とまたがっている。地図で見た感じ7:3で東栄町寄りかな。
#チェーンソーアートで有名らしい。
#県道9号線を数百メートル行くと、そこはもう静岡県。


#「JR竜ケ崎線」になっていた。
===豊根村の噂===
#常磐線と同じく、交流電化になっており、E531系5連が用いられていた。
#悲しいほど人がいない
#上野からの直通列車が存在していた(例:竜ヶ崎発上野行、上野発竜ヶ崎行)。
#*富山村を合併したのに、でも山ばっかりだしねぇ仕方ないか。
#佐貫駅が竜ヶ崎駅、竜ヶ崎駅が本竜ヶ崎駅になっていた。
#*豊根村の合併は平成大合併では最小規模の合併だった。
#江戸崎辺りまで延伸されていたかも。
#*合併後の人口、1400人。
#*実際に旧新利根町への延長計画はあった。
#愛知県一高い山、[[中部の山#茶臼山|茶臼山]]がある
#西寒川支線なみの扱いでとっとと廃止。
#*愛知県唯一のスキー場でもある。
#*新城にある茶臼山駅から、かなり遠いところにある。
#**だからその「茶臼山」は新城市内にある別の「茶臼山」だと何度言えば(ry
#***大阪人が茶臼山と言うと[[天王寺]]を思い出す…。
#*毎年5月の芝桜が有名。
#愛知駅伝の時は、約4時間かけて会場に来たらしい。お疲れ様です。
#愛知県なのにおやきを売っている。
#*天竜川流域だから長野県南信との結び付きが強いのでは?
#この村に移住して、30年住めば家が1軒貰えるらしい。
#愛知県で2つだけある村の1つ。[[愛知/海部#飛島村の噂|もう1つ]]は意外にも名古屋市の隣にある。


===筑波鉄道===
====富山====
{{駅名標/東日本2|name=筑波|ruby=つくば|roma=Tsukuba|back=ひたちほうじょう|back2=Hitachi-H&#333;j&#333;|next=かみおおしま|next2=Kami-&#332;shima}}
#決して「とやま」ではありません。「とみやま」です。
#*人口なんて比べ物にならない。
#**昔は1500人位いたが、ダム建設で村の中心部が水没。結局、旧日本一のミニ村に…
#最寄駅は、静岡県にある。
#*こらまた驚くくらい小さい駅。ミステリーものの冒頭に出て来そうな駅だ。駅前にあるのは、村に通じる釣り橋だけだし。
#*郵便配達も静岡県から来る。
#*その静岡県側は市町村合併により現在は「浜松市天竜区」という都会のような名前になったが、名前から来るイメージに騙されてはいけない。
#*その浜松市天竜区の飯田線大嵐(おおぞれ)駅の駅舎はこの村が整備した。コミュバスもこの駅まで運行している。
#**大嵐駅じたいの利用者のほとんどがこの村の人間な気がする。大嵐駅近くの浜松市天竜区内に集落なんてないから。
#***仮にいたとしても、少し南の夏焼集落ぐらい。
#喫茶店が1件ある。
#*郵便局もある。
#**郵便の集配は浜松西郵便局の管轄で郵便番号も431-4121。三遠地区の結びつきの強さを感じさせる…実質湯河原町な静岡県熱海市泉みたい
#富山村時代に寄ってみたが、人を1人しか見かけなかった。
#*1980年代たしか人口が200人ぐらいだったとき村役場には40人ぐらいの職員さんがいた。他に森林組合、小中学校の先生...公務員率高いね?
#長野、愛知、静岡の3県にまたがる県道1号が生活道路。離合困難で屈曲多数。
#旧村内に1つだけある信号は、子供たちが都会に出たとき困らないように、信号とはどういうものかを教えるために設置された。
#*小中学校の下に押しボタン式がありましたよ。
#昭和58年時点の人口が217人、豊根村に吸収された平成17年の人口は218人と、僻地ながら長らく人口を維持してきた。だがもともと役場職員の割合が多かったこともあり、合併後は平成22年時点で140人、平成27年には85人と恐ろしい勢いで人口が減っている。
#人口の6割7割は65歳以上。


#「JR筑波線」になっていた。
[[Category:愛知|ひかしみかわ]]
#国鉄時代は上野直通の急行「つくばね」が運行されていた。
[[Category:所属に議論のある地域]]
#*土浦までは「ときわ」と併結。
#*水戸線の急行列車は別の愛称になっていた。
#*JR化後は「ホリデー快速筑波路」に。
#全線交流電化で、電車は水戸線と共通運用。
#今でも小山への直通列車が走っている。
#土浦駅は2面4線構造のままだった。
#*下り普通列車の付属編成切り離し中に優等待避もでき一石二鳥。
#*一部の列車ではその切り離された付属編成が筑波に向かう。
#関東鉄道の本社は土浦にはない。
#*新土浦駅は開業しなかった。
#TXは筑波駅が終点になっていた。
#*現実のつくば駅は「つくばセンター」駅を名乗る。
#岩瀬から真岡を経て宇都宮への延伸構想が出る。
 
===常南電気鉄道===
#空軍基地への人員や資材の輸送が行われ、軍事路線化していた。
#谷田部線の工事は国鉄に引き継がれ完成していた。
#*史実通り戦時中に坂東市を通り古河や久喜への延伸工事が開始され、戦中あるいは戦後直後に開通している。
#戦後阿見から江戸崎への延伸工事が行われている。
#*佐原への延伸要望が出るが、久喜から先への延伸が優先されなかなか実現しない。
 
===日立電鉄線===
#改正鉄道敷設法別表第40号にもとづく買収。
#戦時中の輸送力増強のため日立への延伸が実現している。
#線形の都合で旧型国電天国になっていた。
#常陸太田から先常陸大宮までの延伸が鉄建公団により行われる。
#史実とは異なり現在に至るまで存続している。
#国有化時点で大甕~鮎川間は廃止。
 
===鹿島参宮鉄道===
{{駅名標/東日本Y|name=鉾田|ruby=ほこた|back=北浦湖畔|next-a=坂戸|next-b=徳宿|back2=Kitaurakohan|roma=Hokota|next2-a=Sakado|next2-b=Tokushukui}}
 
#鉾田~鹿島神宮~佐原間が延長され「鹿島線」が史実よりかなり早く誕生していた。
#*成田線と上り・下りの関係が食い違って阪和・紀勢線のようにややこしくなる。
#*水戸〜鉾田間も「大洗線」として国鉄時代に開業。
#戦時中には百里ヶ原海軍飛行場(現百里基地)への引き込み線が存在していた。
#*[[茨城空港]]開港後に復活を目指す動きが起こる。
#*戦後もそのまま存続した場合、飛行場→基地への資材輸送で利用され、2000年ごろまで残る。ただ上記のため撤去されず。
#昭和40年代まで鹿島神宮行きの急行が乗り入れていた。
#鹿行地域は現実より発展していた。
#水戸機関区が勝田車両センター水戸派出として2020年現在も存続。水郡線、当線および上記の大洗線の運用を受け持つ。
#自動車(バス)事業と竜崎鉄道は1944年に筑波鉄道と同時に常総鉄道に合併された。
 
===総武鉄道===
*[[もし総武鉄道が東武に併合されなかったら#国鉄→JR東日本]]を参照。
 
===銚子電鉄===
*[[もしあの鉄道路線がJRの路線だったら/東日本#銚子電気鉄道]]も参照。
*最初から総武本線の一部だったらという想定は[[もしあの鉄道路線がJRの路線だったら/東日本#銚子電気鉄道]]を参照。
#総武本線の一部となっている。
#確実に1500Vへの昇圧が行われている。
#小型車しか入れないため鶴見線大川支線のような旧型国電の楽園となっている。
#*銚子遊覧鉄道時代に国有化されていたら幻に終わっていた身延線用モハ61形が実現しこちらに導入されていた。
#*貨物機関車はDD20になっていた。
 
===湊鉄道===
#「JR那珂湊線」になっていた。
#阿字ヶ浦から水戸陸軍飛行学校への引き込み線が敷設される。
#*後に国営ひたち海浜公園の最寄り駅が開業する。
#気動車は水郡線と共通運用になっている。
#現在も水戸駅直通が健在。
#「あじがうら」は「奥久慈」と併結の定期急行だった。
#*後年臨時快速に格下げされるが1991年以降も存続。
#**たまに「びゅうコースター風っこ」が入線する。
 
===京成電気軌道===
#勿論狭軌に改軌され、扱いは軌道から鉄道となる。
#白鬚線や谷津支線は国有化と前後して廃止。
#全線の昇圧は早期に行われていた。
#[[もし筑波高速度電気鉄道が開業していたら#国鉄→JR東日本筑波線の場合|筑波高速度電気鉄道は国鉄の路線として開通を果たしていた。]]
#結局京成小岩からは総武本線の複々線扱いとなってしまう。
#*両国がターミナルになることはなく、総武本線の運行上の起点は上野となっていた。
#**東京乗り入れが行われていたかどうか怪しい。
#成田エクスプレスは千葉を通らないルートで運行されている。
#新京成電鉄、千葉急行、芝山鉄道は存在しない。
#*北総鉄道は北千葉線の頓挫と同時に未成線となっていた。
#*北総線は成田スカイアクセス線共々つくばエクスプレスみたいな路線になる。
 
===成田鉄道多古線===
#三里塚付近は成田空港開港によって付け替えられる。
#特急しおさいがこちらを経由する。
#さすがに成田線の支線にはならないか。
 
==埼玉==
===川越鉄道===
#[[もし西武鉄道が○○だったら#国有化されていたら_2]]を参照。
 
===武蔵野鉄道===
#[[もし西武鉄道が○○だったら#国有化されていたら]]を参照。
 
===東武鉄道===
{{駅名標/東日本2|name=館林|ruby=たてばやし|roma=Tatebayashi|back=もりんじまえ|next=たたら|back2=Morinjimae|next2=Tatara}}
 
#鉄道国有法後に東武鉄道が計画した日光線系の各線は敷設されない。
#*よって日光、鬼怒川の観光開発は進まない。
#*幸手、栗橋、栃木などの開発も現実以上に進まない。
#**高野台も
#***栗橋は国鉄同士の乗換駅となり快速が止まり、久喜並になっていた可能性も
#*現実の鬼怒川線・野岩鉄道は国鉄の手によって「野岩羽線」(今市-米沢)として開通。上野から山形・秋田へのバイパスルートとなっていた。
#*国鉄日光線・野岩羽線は少なくとも1970年代前半までは非電化のままであった。
#*史実の東鷲宮駅が「鷲宮駅」として戦前に開業していた。
#*東武との競争が生じないので、国鉄157系電車は誕生しなかった。国鉄日光線の電化もヨンサントオ改正時にずれ込んでいた。
#*史実の東武日光線が敷設されている地域に前後して中小私鉄が出来ているかもしれない。
#他線との連絡の観点から、総武鉄道(現:[[総武本線]])時代みたいに旧:浅草駅(現:業平橋駅)が廃止され、亀戸線経由で両国駅がターミナルになっていた。
#*あるいは、東武の計画にもあった浅草雷門駅(現:[[浅草駅]])~[[上野駅]]間の路線が開業し、地下鉄銀座線は存在しないか他線より遅れての開業となり、上野駅のターミナル地位が向上した。
#*北千住から[[常磐線]]経由で上野に来た可能性もある。
#*どちらにしろ国鉄末期からJR初期にかけて他路線とのスルー運転が行われるようになる。
#**前者なら横須賀線、後者なら上野東京ライン開業後に東海道本線との相互直通が行われるようになっていた。
#国鉄の優等列車は当初から伊勢崎線ルートで設定され、[[東北本線]]ないし[[高崎線]]から[[東日本旅客鉄道/関東地区#両毛線の噂|両毛線]]に直通するものは、日光線が来なかった栃木、ないし前橋までしか乗り入れない。
#*栗橋までは距離が短くて規格も良い東北本線経由で栗橋で伊勢崎線に転線したかも。
#**東北本線のダイヤ次第で、一部伊勢崎・東北方面優等列車が伊勢崎線へ迂回したかも。
#***大宮~上野間の容量確保のため一部の「ひばり」「やまばと」「あいづ」が栗橋から伊勢崎線経由になっていた。
#東武鉄道の根津が当初から計画に加わっており、支援も行っていたので、東上鉄道の敷設は実現せず、別体系での敷設になった。
#*社名は「東上鉄道」のままで、根津の介入が無いため、堤の武蔵野鉄道(現:[[西武鉄道]])に買収されていた可能性も。
#地下鉄日比谷線は18m級ではなく、東西線・千代田線と同様に20m級規格で敷設された。
#*千代田線より先に、抵抗制御車の発熱や電力消費による「迷惑乗り入れ」の問題が顕在化した。
#*日比谷線は東急東横線とは直通運転をしなかったかもしれない。
#管轄支社は
#*竹ノ塚まで:東京
#*谷塚-久喜:大宮
#*鷲宮以遠:高崎 といったところか。
#[[東京スカイツリー]]は別の場所にできていた。
#久喜分断みたいに栗橋分断も出来た。
#*栗橋にも快速停車
#電化は大幅に遅れ、杉戸(現・東武動物公園)までの電化は史実と同じ昭和初期に完成しているが、杉戸以北の電化は昭和40年代に入ってからであった。
#宇都宮線・高崎線同様、線内を走る快速・通勤快速列車に独自の愛称が付けられていた。
#現在の運用は少なくとも中電は宇都宮線・高崎線と共通。
#*伊勢崎快速線は常磐線同様E231系10両固定、伊勢崎緩行線は…独自のE231系orE233系辺り?
#鉄道国有法で国に買収されそうになってたけど南武鉄道・総武鉄道と同様、久喜・栗橋以南は「JR東武線」と名乗っていた。久喜・栗橋以北は「JR東武【本】線」
 
===上武鉄道===
{{駅名標/東日本2|name=寄居|ruby=よりい|roma=Yorii|back=さくらざわ|back2=Sakurazawa|next=はぐれ|next2=Hagure}}
 
#「JR秩父線」という名称になっていた。
#[[西武池袋線]]からの直通列車が存在しなかった。
#*代わりに[[高崎線]]との直通列車が健在。
#*[[東武東上線]]との直通旅客列車も存在しない。<br>[[東武鉄道]]の本線と東上線との間の車両の融通はJR機関車牽引の甲種輸送によって行なわれる。
#高崎鉄道管理局→JR東日本高崎支社の管轄になっていた。
#石灰石輸送が、とっくの昔に廃止になっていた。
#*石灰石輸送の全盛期には軌道の強化が行われ、EF64形1000番台が貨車を牽いていた。
#「急行秩父路」を「ホリデー快速秩父路」に格下げ。
#羽生から栗橋か古河まで延伸されていた。
#*この場合羽生で管轄が変わり、以東は東京北局→大宮支社に。
#東京方面直通の優等列車が設定されていたら、以下のようになっていたかも。
#*S30年代に上野~熊谷~三峰口間に準急「ちちぶ」が設定(のち急行に)。
#*が、西武秩父線開通後は秩父市方面の客をごっそり奪われ、長瀞~三峰口間普通列車に格下げ。
#*S57.11改正で特急に格上げ、185系-200が投入された。
#*JR化後、新宿~熊谷~寄居間に、特急「ホームタウン寄居」が運転開始。
#現実の行田市駅が「行田」駅を名乗り、高崎線の行田駅は、「南行田」か「新行田」駅になっていた。
#熊谷~寄居間は、東京の準通勤圏のような扱いになっており、現実よりも人口が増えていた。
#*寄居町は単独で市制施行条件を満たし、「寄居市」になっていたかも。
#普通列車は115系3両編成が主体となっていた。
#*そしてJR化後は、107系主体になった。
#*沿線人口は他の高崎支社管内のローカル線よりも多いだろうから、211系5連が主体となっていた可能性もありえそう。
#鉄道建設公団の手で大滝どころか甲府方面に延長されていた。
#*その場合、どこか(埼玉・山梨県境辺り?)に高崎局→高崎支社と東京西局→八王子支社の支社境界ができている。
#*あるいは西武の構想通り八ヶ岳線と改称した上で大滝から武州中津川森林鉄道の路盤を流用して信濃川上へ至る路線となっていた。
#SLは史実通り走っていた。
#*特急になっているんじゃ…。
#秩父~三峰口間は非電化…。大滝村まで延びていた有り得たかも。
#熊谷〜羽生間は東武鉄道の一部になっていた。
 
===東上鉄道===
*[[もし東上鉄道が別の会社に併合されていたら#JR東日本]]を参照。
 
===越生鉄道===
*[[もし越生鉄道が東武に併合されなかったら#JR東日本越生線の場合]]を参照。
 
===北武鉄道===
#南武鉄道と同様「JR北武線」と名乗っていた。
#羽生~熊谷間だけだとローカル線に過ぎないので、古河駅まで延伸していた可能性も。
#果たして、秩父鉄道直通はあるのか?
#使用車両はキハ30系→115系→211系か。
 
==東京・神奈川==
===小田原急行鉄道===
→[[もし小田急電鉄が○○だったら#国有化されていたら]]
 
===神中鉄道===
{{駅名標/東日本|name=二俣川|ruby=ふたまたがわ|roma=Futamatagawa|back=鶴ヶ峰|back2=Tsurugamine|next=希望ヶ丘|next2=Kibogaoka|color=#FFFF00}}
 
#相鉄神中線となった後、[[相模線]]と同時に国有化された。
#路線名は「JR神中線」。
#ラインカラーは横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
#複線化は現実より遅れた。
#昭和50年代まで旧型国電が残っていた。
#*おそらく今頃は[[埼京線]]あたりから押し出された205系が運行されている。
#**そしてE233系が投入されるか、中央総武緩行線からE231系が転用されてくる。
#いずみ野線は建設されない。
#海老名駅は相模線と隣接する構造になる。
#*むしろ厚木駅に乗り入れている。相模線の海老名駅は「新海老名駅」。
#相模線の電化も国鉄時代には完了していた。
#かしわ台車両センターは存在しない。
#*寧ろ相模線や横浜線の車両もここに配置される。
#東京都心に直結しないので電車の編成は6~8両編成止まり。最近まで通過運転をする列車の設定もなかったかも(または逆に、早い段階で都心に直通する列車が設定されるようになっていたか)。
#*南武線と違って東京メガループ入りもないだろうし、改良工事も殆ど活発ではなかった。
#*都心直通なら京浜東北線との直通が何度か検討されてそう。
#*根岸線の代わりに横浜線と相互直通しているかもしれない。
#横浜高島屋は建設されず、横浜駅西口はあまり発展していない。
#羽沢-西谷間は貨物線としてもっと早くから開業していた。
#*2000年代以降旅客化の構想が具現化。
 
===目黒蒲田電鉄===
{{駅名標/東日本|name=下丸子|ruby=しもまるこ|roma=Shimo-Maruko|back=鵜ノ木|back2=Unoki|next=武蔵新田|next2=Musashi-Nitta|color=#FFFF00}}
 
#「JR目蒲線」「JR池上線」「JR大井町線」となっていた。
#ラインカラーは目蒲線が目黒・蒲田両駅で紛らわしくないカナリアイエロー、池上線が五反田・蒲田両駅で紛らわしくないオレンジ、大井町線が旗の台・大岡山・大井町駅で紛らわしくないウグイス。
#湘南新宿ラインは目黒から沼部付近までは大崎を通らず目蒲線経由で運転されていた。
#*途中停車駅は大岡山のみ。
#車両は全路線205系。
#*まず間違いなく2000年代前半ごろまで103系が残り続けていた。
#*その後E231系orE233系に置き換わるかは微妙なところ。
#目蒲線の分断は無かった。
#蒲蒲線は無かったか、羽田アプローチ線として計画されていた。
#品鶴線の丸子信号場が駅になっていた。
#*場合によっては田園調布や多摩川よりも沼部のほうが発展していた。
#上手くいけば田園都市線も国鉄が建設していた。
#*[[もしあの路線の直通運転が行われていたら/関東#国鉄線|池上線を介して田園都市線と都営三田線の直通が実現]]していたり、りんかい線と大井町線の直通が検討されていたりしたかもしれない。
#奥沢の車両基地設備が残るとも考えづらく、この3路線のために蒲田電車区は車両配置を続けていた可能性が高い。
#*基地容量の都合上、横浜線の車両の配置が別の場所になっていたかもしれない。
 
===東京横浜電鉄===
#「JR東横線」となっていた。
#ラインカラーは渋谷・横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
#*そうなると南武線はエメラルドグリーン?
#湘南新宿ラインは東横線経由だった。
#*おそらく湘南新宿ライン自体ももっと早く出来ていた。
#*その場合湘南新宿ラインの名前ではなく、東横快速線とかそういう複々線となっていた。品鶴線は横須賀線のみが走るようになっていた。
#横浜線が菊名から横浜まで乗り入れていた。
#*逆に菊名以西は東横線が横浜線の線路を使っていて、東横線の菊名以西は廃線となっていたかも。東横線の方が線形が悪いし、横浜駅の配線とか考えても簡単だし。
#副都心線との直通は計画すらされなかった。
#*みなとみらい線は京急と乗り入れていた。
#快速「ムーンライト」「フェアーウェイ」は横浜行きとなっていた。
#桜木町から根岸線と直通していた。
 
===箱根登山鉄道===
#路線名は「箱根線」あるいは「箱根登山線」になっていただろう。
#旧国鉄における最急勾配はここにおける80‰となっていた。
#*その分碓氷峠の影が薄くなっていたかも。
#**1997年の長野新幹線開通に伴う横川~軽井沢間廃止は現実ほど騒がれなかった。
#小田急ではなく、国鉄→JRが東京~箱根湯本に特急「はこね」を運行していた。
#*小田急も「あさぎり」みたいな形で乗り入れていた可能性もある。
#**小田急ロマンスカーも前面展望室や喫茶カウンターなどは最初から設けられず、EXEのような実用本位の車両ばかりになっていた。
#*東海道本線の普通も一部乗り入れていた。
#**箱根湯本までは東京・横浜の通勤圏となっていた。
#*おそらく「踊り子」と併結運転になっていた。
#箱根湯本~強羅間は国鉄時代には唯一の標準軌の在来線となっていた。
#箱根のケーブルカーやロープウェイも国有化されていたのだろうか?
#*存在しなかったか伊豆箱根鉄道によって建設されたかのどちらかだろう。
#ここで運用されている車両をベースに碓氷峠を自走できる電車が開発されていた。
#箱根の観光開発は史実ほどには進まなかった。
 
===湘南電気鉄道===
{{駅名標/東日本|name=金沢文庫|ruby=かなざわぶんこ|roma=Kanazawa-bunko|back=上大岡|back2=Kamiōoka|next=金沢八景|next2=Kanazawa-hakkei|color=navy}}
 
#そもそも湘南電気鉄道自体が1067mmで開業していた。
#路線名は「浦賀線」または「湘南線」となっていた。
#*当初の計画通り桜木町起点となり、桜木町~横浜間を巻き込んで横浜~浦賀間の路線となっていた。
#*京浜東北線は金沢文庫までの運転。横浜-桜木町-上大岡-金沢文庫が中電停車駅になる。
#久里浜線は開業しなかった。
#史実の京急田浦より先は横須賀線に乗り入れていた。
#*田浦~横須賀間の籍は横須賀線扱いとなり、代々木~新宿間での中央本線と山手線の関係のようになる。
#**寧ろ横須賀市街に近い湘南線ルートが本線となっていたかもしれない。
#***その場合旧横須賀線は、戦後に軍港関係の貨物線としてのみ残っているかもしれない。
#逗子線は早々に旅客営業を廃止し、東急車輛への貨物線として残されるようになっていた。
#*逗子駅の留置線が延長され、横須賀線も付属編成5両+基本編成10両の編成構成になっていた。
#*もしくは葉山への延長が実現していたかもしれない。どちらにしろ逗子駅は無理やり統合されそう。
#相模金谷仮降車場は存在せず、横須賀汐留から軍事用支線が建設されていた。
#はいふりスタンプラリーで横須賀中央(横須賀?)・汐入・浦賀がスタンプ設置駅になっていた。
#*この世界では磯子に駅がないので恐らく金沢文庫にもスタンプがあった。
 
===大師電気鉄道===
*[[もし京浜急行電鉄が○○だったら#大師電気鉄道が国有化された場合]]を参照。
 
===多摩鉄道===
*[[もし多摩鉄道が西武に併合されなかったら#多摩鉄道が国有化された場合]]を参照。
 
===玉南電気鉄道===
#八王子駅は統合されていた。
#八王子~府中間では中途半端すぎるので調布辺りまで延長される。
#*そのまま日本電気鉄道の計画線をなぞり蒲田まで延長されていたかもしれない。
#**一部の「あずさ」にこの路線を経由した品川・東京発着が設定されていた。
#**この場合南武鉄道は国有化されず、戦時統合を経て小田急の路線になっている。
#京王は立川辺りまで自力で延長。
#現在は東京メガループの一路線として扱われている。
#聖蹟桜ヶ丘の街並みが史実と大分異なっていた。
#*前者の駅名はおそらく関戸のまま。
#多摩モノレール開業まで[[中央大学]]は陸の孤島同然だった。
 
===京浜電気鉄道===
*[[もし京浜急行電鉄が○○だったら#京浜電気鉄道になった後国有化された場合]]を参照。
 
[[カテゴリ:もしあの鉄道が国有化されていたら|かんとう]]

2021年4月29日 (木) 16:17時点における版

東三河地方の噂



  長野
設楽 豊根
東栄
新  城  
岡 崎 天竜
  豊川  
蒲郡 浜松
  豊橋
田原 湖西
  1. この辺は静岡との繋がりも濃くなる。
    • 特に豊橋と田原が顕著。
    • 愛知県民としての自覚は、少なくとも他の所に比べて薄めなのは否めない。
    • と言うか、歴史的経緯が愛知県内の他の地方とは全然違う。
    • 愛知県下の市外局番は原則056#だが、東三河は静岡仕様の053#。国鉄時代は静岡鉄道管理局管轄だった。
  2. 「八名郡」があったが、元八名郡の市は無く、他郡からのつまみ食いで消えた。
    • 地名としても殆ど残っていない。
    • 一応、豊橋・豊川・新城の3市に跨っているが、あくまで3市自体はそれぞれ旧郡が渥美・宝飯・南設楽…。
    • だいたい宇連川・豊川以東、朝倉川以北が旧八名郡。明治の郡制施行の時に南設楽郡辺りに吸収されてもおかしくなかった。
      • 八名信夫は旧八名郡ではなく岡山県出身。
  3. 最近、Googleの「ストリートビュー」で、中京圏も見れるようになったが、東三河は、まったくの圏外…
    • 一応東名高速は見れます。
    • 最近某8万都市でストリートビューカーを見かけたという噂聞いたんで、もうすぐここらへんも対応するんじゃないかと。
  4. 1桁県道が多い(1,2,3,4,5,9号)。6,7号はかつて東三河にあった。
    • r9はかつてR152の一部、r10はかつてR151の一部だった。
    • 3桁県道は筑豊と同様に大半が400番台。
  5. 面積は愛知県の3分の1だが、人口は愛知県の10分の1で福井県佐賀県と同じくらい。平成の大合併で稲武西三河に盗られたが。
  6. 豊橋ナンバー地域。
  7. 名古屋市から豊橋市までは60km、中津川市津市米原市に匹敵する。
  8. 東三河と西三河の境ってなんだ
    • 平野部は本宮山・遠望峰山・三ヶ根山の山並みが、内陸は豊川と矢作川の分水嶺が境界になってますね。
      • 尾張と三河の境界よりは分かりやすい。
関連項目

おもな市の噂

新城市の噂

関連項目
  1. 「しんしろ」と読みます。断じて「しんじょう」ではありません。
  2. 市内にコンビニが4~5件しかないらしい・・・。
    • 合併前の旧新城市内だけでも12軒あるはずだよ。旧鳳来、旧作手を足せば17軒だと思う。但し、大手の中でファミマは未進出。
      • 旧151号沿いの野田にあったんだが20年以上前に撤退済)
      • 「ファミマ」はないが「ミニストップ」があることが自慢
  3. ファミレスがない。カレーの壱番屋が進出しようとしたが田舎過ぎてあきらめたらしい。
    • カレーの王様が新城PAに進出。
  4. 姉妹都市があまりに安直。
  5. 盆地の為、意外に冬も暖かい。
    • 山の麓だからよ。盆地の冬は寒いもの…。(by作手)
  6. 遠距離受信者が真っ先に思い浮かぶのは「東海ラジオ放送の中継局」
    • 「NHK第1の中継局」もできた
  7. ゲーセンがない。
    • 先週オープンした超巨大複合商業施設(新城市の基準による)「ピアゴ」にはあるぞ。新城市なめんなよ。
  8. 合併で県内人口ワースト1位を抜け出した
    • 合併した直後、総面積で愛知県NO.1に輝いた。でも喜びもつかの間、直後に豊田市が周辺市町村と合併したためあっという間に首位陥落...○| ̄|_
  9. 茶臼山駅があるけど、実際はもっと北にある
    • あーその「茶臼山」はスキー場のある愛知県最高峰の山だらー。新城市内には別の「茶臼山」があるだに。設楽ヶ原の戦いで信長が陣を取ったことで地元では有名。うちの校区だに。
  10. 池場駅は、東栄町をまたいでいる。
  11. 飯田線の駅の数が14.4?(野田城~池場駅の一部分)県内のJR1線だけでみたら、名古屋より多いのでは?
    • 浜松でも似たような現象が起きている。
  12. ここ10~15年で稲木~野田地区一帯は、151号バイパス開通に伴い、市内でもめざましい発展を遂げた。
    • 「ほびーら」「しまむら」の出店を皮切りとして、「セブンイレブン」「マクドナルド」「バロー」といった都会的な小売店も進出。
      • 最近「ほびーら」が閉店した。
      • そこに「V・ドラッグ」が出店した。
    • ロッテリアはマクドナルドより進出が早かった。
    • カーマは進出が早かったのか、旧道沿いに出店。
    • 2004年に「バロー」「ケーズ」が出店するが、それを最後に大規模小売店の進出がパタリと止まる。
    • 最近「珈琲所コメダ」と「すきや」がオープンしたぞ。新城なめんなよ。
      • ゲーセンでも出てきたが、新城ではまだ「なめんなよ」が流行っているらしい。
  13. 旧東海銀行時代からの三菱UFJ銀行新城支店があるため、三和銀行新城支店と東京三菱銀行新城支店を武蔵新城支店に改名させている。
  14. 童謡「虫のこえ」の「あれマツムシが鳴いている」の後の部分の「チンチロチンチロ、チンチロリン」がよく聞くと「シンシロシンシロ、シンシロシ」と聞こえてくる。
  15. 清志郎さんが生前によく足を運んでいた旅館がある。
  16. 長篠・設楽が原合戦の古戦場はここある。
    • 長篠城のところの資料館と、設楽が原の資料館とがある。合併前の鳳来・新城の2つの自治体でそれぞれ造ったんだろうな。
    • 連吾川のところに織田方が作った柵を模したものがある。
    • 長篠城駅の駅舎は城の施設っぽいつくり。長篠城は長篠の合戦のあとすぐ使われなくなったっぽいので、駅舎のように漆喰になまこ壁だったかは怪しいが。。
    • 長篠城は長篠駅から西に600mほど、一般に言われる長篠合戦の主戦場である設楽が原は三河東郷駅の北側の数百m、直線距離でも3kmほどと結構離れている。途中に鳥居強右衛門の碑の場所を通ったりするとより回り道。公共交通で徒歩だと結構たいへん。そして両駅は無人駅でどちらもレンタサイクルはない。
  17. 市長は×××××で逮捕された経歴を持つ。
  18. 新城ラリーが毎年11月初旬に行われる。
  19. マヂカルラブリー村上の出身地。

鳳来

  1. 織田信長が鉄砲の威力を見せ付けた長篠の合戦の舞台。
    • 随分、旧町域の隅っこだった…。
  2. 県の鳥コノハズク
    • 鳳来寺山で鳴いていることが有名なので。
    • 「コノハズク」と聞いてフクロウを思い浮かべる人は、県外でどのくらいいるんだろう。。。
  3. 田舎で高齢化もだいぶ進んでいるのに意外と金持ちだった。その象徴と言えるのがふれあいパーク。今はグラウンドやステージぐらいしかないが、当初は図書館とかも作る予定だったらしい。
  4. 中学校は1か所だけ長篠にある。
  5. 高校はない。以前は鳳来寺高校があったが、新城高校へ統合され閉校。
  6. 飯田線の有人駅は本長篠と湯谷温泉だけ。湯谷温泉は週に3日程度しか駅員がいない。
  7. 長篠城の近く・豊川の崖に中央構造線の露頭がある。黒い岩(太平洋側の地層)の上に白い岩(日本海側)が乗っかっているのが見える。歩きやすい靴でどうぞ。

作手

  1. なぜか「半田市野外活動センター」がある。
    • そんなこと言ったら、岐阜県の恵那(旧岩村)には「知多市野外教育センター」があるぜ。
      • そんなこと言ったら岐阜県の中津川市に「名古屋市野外教育センター」が・・(ry
      • いずれにしろ妙だ…。
      • 安城市の野外教育センターも作手にある。小学校の自然教室で行かされます。(by安城市民)
    • 上の例のように野外活動センターを他所の市町村に持つのって結構あるのよ。
  2. 「さくで」ではない

北設楽郡の噂

  1. 芸名に「設楽」が入った有名人を見かけなくなって以来、漢字を正しく読んでくれる人の割合が元の水準に戻った。
    • バナナマンが居るが。
      • 自分はバナナマンのおかげで読めた。
    • 三浦カズの嫁さんの旧姓も「設楽」。
    • すぐ隣にこの苗字の人がすんでいる(by埼玉
    • したらじゅん子さんの立場は・・・(ちなみに競輪以外では「設楽淳子」)
  2. 地酒ってあった?ビール工場はあるけど。と言われる愛知県ながら、全国区で知られる「蓬莱泉」の関谷醸造があるのはここ。
  3. 設楽郡が南北に分割されて誕生。一部は新城市や豊田市に持って行かれたが、郡域はよく残っている方。

設楽町の噂

  1. 田口高校は愛知県初の中高一貫教育だ。
    • 田口高校では薪を割る授業があるらしい
  2. 鉱泉がある。
  3. トマト、椎茸そして茄子がこの町の特産品。
  4. 意外や町内に都市銀行である三菱UFJ銀行の店舗がある。地方銀行・第二地方銀行・信用金庫・信用組合の店舗はない。

津具

  1. 16世紀までは設楽郡じゃなくて賀茂郡だった。
    • 明治に入ってから天領の上津具村と挙母藩領の下津具村が合併して誕生・・・と思いきや、翌年に再び別れてしまう。
  2. 東京国際フォーラム(旧東京市役所)と大阪市役所を直線で結ぶとここが中間地点。

東栄町の噂

  1. 東栄駅は地図で見ると町域の隅っこで縮こまって見える。
    • というか線路は南側の出っ張りをかする程度通っている。
  2. 隣の池場駅は、新城市とまたがっている。地図で見た感じ7:3で東栄町寄りかな。
  3. チェーンソーアートで有名らしい。
  4. 県道9号線を数百メートル行くと、そこはもう静岡県。

豊根村の噂

  1. 悲しいほど人がいない
    • 富山村を合併したのに、でも山ばっかりだしねぇ仕方ないか。
    • 豊根村の合併は平成大合併では最小規模の合併だった。
    • 合併後の人口、1400人。
  2. 愛知県一高い山、茶臼山がある
    • 愛知県唯一のスキー場でもある。
    • 新城にある茶臼山駅から、かなり遠いところにある。
      • だからその「茶臼山」は新城市内にある別の「茶臼山」だと何度言えば(ry
        • 大阪人が茶臼山と言うと天王寺を思い出す…。
    • 毎年5月の芝桜が有名。
  3. 愛知駅伝の時は、約4時間かけて会場に来たらしい。お疲れ様です。
  4. 愛知県なのにおやきを売っている。
    • 天竜川流域だから長野県南信との結び付きが強いのでは?
  5. この村に移住して、30年住めば家が1軒貰えるらしい。
  6. 愛知県で2つだけある村の1つ。もう1つは意外にも名古屋市の隣にある。

富山

  1. 決して「とやま」ではありません。「とみやま」です。
    • 人口なんて比べ物にならない。
      • 昔は1500人位いたが、ダム建設で村の中心部が水没。結局、旧日本一のミニ村に…
  2. 最寄駅は、静岡県にある。
    • こらまた驚くくらい小さい駅。ミステリーものの冒頭に出て来そうな駅だ。駅前にあるのは、村に通じる釣り橋だけだし。
    • 郵便配達も静岡県から来る。
    • その静岡県側は市町村合併により現在は「浜松市天竜区」という都会のような名前になったが、名前から来るイメージに騙されてはいけない。
    • その浜松市天竜区の飯田線大嵐(おおぞれ)駅の駅舎はこの村が整備した。コミュバスもこの駅まで運行している。
      • 大嵐駅じたいの利用者のほとんどがこの村の人間な気がする。大嵐駅近くの浜松市天竜区内に集落なんてないから。
        • 仮にいたとしても、少し南の夏焼集落ぐらい。
  3. 喫茶店が1件ある。
    • 郵便局もある。
      • 郵便の集配は浜松西郵便局の管轄で郵便番号も431-4121。三遠地区の結びつきの強さを感じさせる…実質湯河原町な静岡県熱海市泉みたい
  4. 富山村時代に寄ってみたが、人を1人しか見かけなかった。
    • 1980年代たしか人口が200人ぐらいだったとき村役場には40人ぐらいの職員さんがいた。他に森林組合、小中学校の先生...公務員率高いね?
  5. 長野、愛知、静岡の3県にまたがる県道1号が生活道路。離合困難で屈曲多数。
  6. 旧村内に1つだけある信号は、子供たちが都会に出たとき困らないように、信号とはどういうものかを教えるために設置された。
    • 小中学校の下に押しボタン式がありましたよ。
  7. 昭和58年時点の人口が217人、豊根村に吸収された平成17年の人口は218人と、僻地ながら長らく人口を維持してきた。だがもともと役場職員の割合が多かったこともあり、合併後は平成22年時点で140人、平成27年には85人と恐ろしい勢いで人口が減っている。
  8. 人口の6割7割は65歳以上。