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{{Pathnav2|もしあの国鉄路線が全通していたら|北海道}}
==RKB毎日放送==
==オホーツク==
===西日本新聞系の放送局だったら===
===美幸線===
#社名は「RKB西日本放送」(現実では[[九州朝日放送]]の旧名)を名乗っていたかもしれない。
*美深~仁宇布~北見枝幸
#一方で、九州朝日放送は「九州放送」を名乗っていた。
#結局、開業しても10年足らずで白糠線と同様に廃線となった。
#九州朝日放送の設立には[[毎日新聞]]も資本参加していたかもしれない。
#当然「天の川トンネル」はありえない。
#年が経つごとに西日本新聞との資本関係が希薄になっていた。
#全国最悪の収支係数の座に終止符を打った。
#テレビ西日本は「テレビ九州」を名乗っていたかも。
#線内折り返しはなく、全列車名寄まで直通する。
#*宗谷本線と間違えてしまう人が出る。
#たまに熊が出て遅れる。鹿でも遅れる。
#キハ54形が入っている
#キハ183のリゾート車両が投入され興浜線と共に観光路線になっている。
#国鉄再建法による特定地方交通線に指定されるも仁宇布~北見大曲間の「代替道路未整備」による除外規定により現在でも存続。
#*おかげで北見枝幸駅が今の日南線志布志駅みたいな感じに……
#*最北端の秘境線として一躍観光路線の定番になり、赤字でさっさと廃止したいJR北涙目。
#*こっちのリゾート列車は海が望める終点北見枝幸まで直通する。(途中、歌登にも停車する)
#美幸線全線開業に奔走した美深町長の長谷部秀見氏が執筆した「日本一赤字ローカル線物語」の続編「日本一赤字ローカル線物語 涙の全線開業」なる書籍が全国の書店に並んでいた。
#日勝線ほどでなくとも、瑞祥路線ブーム(路線名本体)に乗ったら、北見枝幸や美深に観光客が増えるか?
<!--#*まさかどちらも市になったり??
#*一過性のブーム程度では自治体の産業構造などは大きく変わらないのでそれはない。-->
#松山湿原はもう少し有名になっていた。


===興浜線===
===朝日新聞系の放送局だったら===
{{駅名標/北海道|name=北見枝幸|ruby=きたみえさし|roma=Kitami Esashi|back=おかじま|back2=Okajima|next=といまき|next2=Toimaki}}
#社名は「RKB朝日放送」を名乗っていた。
*浜頓別~北見枝幸~雄武~興部
#[[朝日新聞]]の暴走により[[大阪]]の[[朝日放送]]と同様にテレビ朝日系列にさせられていた。
#稚内から網走までの直通列車が設定された。
#九州朝日放送は毎日新聞が資本参加し、「九州毎日放送」または「九州放送」を名乗っていた。
#*それどころか天北線の南稚内~浜頓別間、名寄本線の興部~中湧別間、湧網線、釧網本線を統合して「オホーツク本線」となり、釧路から稚内まで直通の特急列車が設定された。
#**その場合興部と中湧別でスイッチバックとなる。
#***あるいは、興部と中湧別の駅配線がオホーツク縦貫線がスイッチバックしないで走れるように変更されていた。<br>また、稚内駅も1番線 宗谷本線方面、2番線 天北線、オホーツク線方面、3番線 特急・急行列車発着のターミナル駅としての体裁を保っていた。
#開業時は流氷鉄道として脚光を浴びた。
#音威子府と北見音稲府と元稲府<!--おといねっぷ、きたみおといねっぷ、もといねっぷ、だっけ?-->の区別がつかないことがネットで話題になる。
#表定時速が100㎞/h以上出るように路線改良されていれば、札幌発名寄本線、興浜線、天北線経由稚内行きの特急スーパー紋別が運転されていた。
#*主な停車駅:札幌、岩見沢、深川、旭川、上川、遠軽、中湧別、紋別、興部、北見音標、北見枝幸、浜頓別、鬼志別、南稚内、稚内
#**旭川~南稚内が、[[北海道旅客鉄道/路線別#宗谷本線|宗谷本線]]を通るよりは距離としては長くなる。
#**現実の宗谷本線の音威子府以北・幌延経由(旧・2代目天塩線)の線形の悪さを回避できるのは利点。
#また、定期夜行急行や臨時で北斗星が上記ルートで運行されていた。


===渚滑線===
===九州放送を名乗っていたら===
*上川~北見滝ノ上~渚滑
#[[TVQ九州放送]]は「テレビ福岡」という名前で開局していた。
#紋別へ抜ける最短ルートとなっていた。
#*札幌~紋別間に国鉄時代は急行、JR化後はキハCO261特急「スーパー紋別」が運転される。
#*高速バスに対し優位の勝負ができていた。
#*石北本線と一緒に軌道強化の対象になり一線スルーなど特急優先の設備中心に整備される。
#*特急の線内停車駅は北見滝ノ上のみ。線内全通過便も存在する。
#名寄本線が廃止されても存続する。
#*その場合、渚滑~紋別間のみを存続させて全線を「紋別線」に改称。
#*それどころか名寄本線も廃止されずに済んだかもしれない。
#紋別市から鉄道が消えることはなかった。
#*人口が3万を切ることもない。
<!--#[[北海道/上川#上川町の噂|上川町]]の市制施行もあるかもしれない(士幌線も全通したら)。
#*…紋別~上川町~帯広~えりも~苫小牧…と電車で通れる、ということは??-->


==十勝・釧路・根室==
===旧西部毎日テレビジョンとの合併がなかったら===
===北十勝線===
#日本テレビ系列になり、「RKB読売放送」もしくは「RKB福岡放送」になっていた。
*新得~足寄
#*当然福岡放送の開局もなかった。
#札幌~南千歳~新得~足寄~北見~網走の急行・特急が設定される。
#**RKBが福岡放送を名乗らなければ、現実のTVQが福岡放送になっていた。
#*この場合、池北線は3セク化も廃線も無く、代わりに石北線の北見以西が消えていたかも……
#場合によっては[[九州朝日放送]]と合併していた。
#白糠線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。
#福岡地区と北九州地区が別の放送区域になりかけるが、郵政省の意地で放送区域が統合される。
#*白糠線との組で「道東版・[[静岡の鉄道#天竜浜名湖鉄道|天浜線]]」と呼ばれたり(ry)
#*福岡県は4系列が全部VHF波になっていた。(KBC 1ch、RKB 4ch、SMT 8ch(北九州)、TNC 9ch)
#**白糠→[[静岡の駅#掛川駅の噂|掛川]]、新得→新所原、士幌線(帯広~士幌)→[[遠州鉄道]]というイメージ
#士幌線の士幌~上士幌間は北十勝線に編入され、士幌線の上士幌~十勝三股間は廃止され、帯広~士幌間が士幌線となる。
#開業直後の祝賀列車には松山千春が乗車して歌を歌う。
#足寄駅にて鈴木宗男が例のごとくw高級スーツに安物のスニーカー姿で開業一番列車を「走って」追いかけ回すw
<!--#*鈴木宗男がどうしても外せない所用(主に北方領土関連)で開通式に参加出来ない場合は身代わりとしてアホの坂田が「一日駅長」を務める。-->


===白糠線===
==長崎文化放送==
*足寄~北進~白糠
===開局していなかったら===
#北十勝線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。
*NIBも開局しなかった場合については「[[もし長崎が現在も2局地域だったら]]」を参照のこと。
#単独開業なら、廃線時期が少し延びただけ…
#長崎県は今なおANN空白区となっていた。
#北進駅は「釧路二股駅」だった。
#*もしくはKTNがFNNとANNとのクロスネットになるか。
#どちらにしろ民営化の翌年には廃止。
#テレビ朝日系の番組はNBCでネット。
#少なくとも、日本一の赤字ローカル線は逃れられた(?)
#ケーブルテレビではKBCのデジタル再送信も行われていたかも。
#*現実でもやりそうな気はするんですけどね…
#**そう思っているうちに諫早が開始した。


===根北線===
===日本テレビ系列局として開局していたら===
*斜里~越川~根室標津~根室
#4局目は間違いなく長崎朝日放送になっていた。
#上記の興浜線などと併せてオホーツク本線を形成していた。
#ANNの番組は4系列揃うまでNBCとNCCで等割りになっていた。
#途中駅がほとんど設けられず信号場ばかりに。
#*[[スーパー戦隊シリーズ#14代目・地球戦隊ファイブマン|地球戦隊ファイブマン]]は、最終回までNBCで放送。
#札幌~根室~網走~稚内~札幌という壮大なクルージング寝台列車が計画される。
#当然、NNN空白となることもなかった。
#*車両デザインは水戸おk(ry
#*代わりにANN空白が長引いた可能性も。
#*道内完結豪華夜行としてプラチナチケットとなり、カシオペア、トワイライトと組み合わせる富裕層も。
#長崎国際テレビを名乗った可能性も?
#*但し釧路湿原を擁する釧網本線と経路が食い合う恐れが。
#*ANN局が「長崎国際テレビ」と名乗ったかも。


===釧美線===
===フジテレビ系列局として開局していたら===
*釧路~阿寒~北見相生~美幌
#長崎新聞に加えて西日本新聞とつながりが深くなる。
#雄別炭礦鉄道が国有化されて路線の一部となっていた。
#KTNはNNNへネットチェンジ。
#*当然美幌線(美幌~女満別)の廃止もない。
#**相生線(美幌~北見相生)の間違いか?
#「おおぞら」「まりも」の一部が阿寒を目指していた。
#阿寒駅が「アカン」ということでおもしろ駅名(爆)の定番となる。
#民営化後第三セクターに移管され、「阿寒湖まりも鉄道」となっていた。
#釧路湿原の観光を主目的とした列車も運転されていた。
#阿寒湖への観光客は史実より多い。


===阿寒線===
===長崎新聞とのつながりがなかったら===
*螺湾~阿寒~北見相生
#長崎朝日放送を名乗っていたであろう。
#網走行きのルートが札幌~帯広(北十勝線が開通していれば非経由?)~足寄~螺湾~阿寒~北見相生~網走になっていた。
#長崎新聞のTV欄の並びも変わっていた。
#*現実の釧路行き急行「まりも」の愛称がこちらの優等列車にコンバートされていた。
#現実の白糠線が開業していない、或いは運炭線として上茶路までしか建設されなかった。
#*接続部分となる白糠未成線の足寄~螺湾間を除く。この場合、足寄からが阿寒線となっていた。
#釧美線開通の可能性が高まっていた。
#*阿寒駅は釧路方面、札幌(足寄)方面のジャンクションとなっていた。
#(シャレで関西人が)阿寒に行くのはアカンと言う?
<!--#さすがに[[北海道/釧路#弟子屈町の噂|摩周]]までは延伸されない。-->
#さすがに阿寒湖近辺~[[北海道/釧路#弟子屈町の噂|摩周]]の支線建設はない。
#*「鉄道未成線を歩く」には上記のコースが[[もしあの国鉄路線が全通していたら/北海道#白糠線|白糠線]]の原案として記述されている


===士幌線===
===関連項目===
*帯広~十勝三股~上川
*[[もし長崎が現在も2局地域だったら]]
#上川からも建設される。
#*層雲峡付近まで開通した時点で「層雲峡線」として暫定開業。
#全通時には「大雪線」と命名。
#*札幌から急行「大雪」が乗り入れる。
#**渚滑線も全通していたら、その急行「大雪」が「紋別~上川~帯広」と言うコースになっていた。
#**その場合は「大雪山」という列車名になって石北線のエース「大雪」と混乱が起きそう。
#糠平~層雲峡(仮)間の駅は廃止・信号場化される。
#*現実で休止された十勝三股は要員の配置上、現役の駅として存続できた。
#*利用客はほぼ0だがそのおかげで逆に知名度が上がり人気が出る。
#*廃止を免れた他の駅も只見線の田子倉同様、冬季休止になるのがある。
#「観光もできる超秘境線」としてブームになる。
#渚滑線・石北線とこれとの3本の路線が通るジャンクション効果で、[[北海道/上川#上川町の噂|上川町]]が市制施行。
#*モータリゼーションが進んだ社会では単に鉄道路線が増えた程度で人口が数倍<!--上川町の人口は70年代前半からずっと1万人を割っている-->にもなることは極めて考えにくい。
#十勝三股~上川で[[VOCALOIDファン|みっくみくな痛列車]]が走る(近くの国道ネタw)
#*現実でも石北本線(留辺蘂以降)であるかもしれない。
#*種車は今や貴重種のキハ183で国鉄車両マニア阿鼻叫喚。


==宗谷・留萌・上川・空知==
==テレビ宮崎==
===名羽線===
[[宮崎|宮崎県]]の民放テレビ局・[[テレビ宮崎]](UMK)は現在はFNN・NNN・ANNのトリプルクロスネットですが、もし別な展開を迎えていたら?
*朱鞠内~曙~羽幌
#空気を運んで一日2,3往復程度運行。
#車窓から何気にヒグマとか見えそう。
#*「全てが秘境駅の超秘境線!」とメディアが煽ったせいでマニアが増えるが、不用意なマニアが熊に襲われる事件が起こって大問題に発展する。
#マキタ産業は貨車を使って砕石輸送。
#深名線はないので盲腸線。
#*「盲腸線」どころか羽幌線も廃止されているので現存の可能性はない。
#**貫気別線みたいになるな。
#*朱鞠内ー羽幌間開通時に朱鞠内ー名寄間が編入されていた
#少し南にずれて「朱鞠内~苫前~羽幌」という進み方なら、全通できたかもしれない。
#深名線・名寄本線・興浜南線が残っていた場合、以下の再編が起きる。
#*深川~朱鞠内:「幌加内線」
#*羽幌~朱鞠内~名寄~興部:「興羽本線」
#**中国人がその読みに驚く(苦笑)
#**「興羽」の中国語の発音が「性欲」の中国語読みと似ている。
#*雄武~興部~中湧別~遠軽:「紋別本線」
#**渚滑線が廃止されていたら「本線」を名乗れずに終わる。
#*戦後の国鉄の動きや路線の位置づけを踏まえるとそこまで大きく再編したようには思えない。


===芦別線===
===NNSにも加盟していたら===
*芦別~納内
UMKはFNSには加盟していますが、NNSには加盟していません。もしUMKがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?
#結局特定地方交通線に指定されて、国鉄末期に廃止された。
#*盲腸線じゃなく距離もそれほど長くないので案外生き延びるかも。
#*存廃の目安は路線それぞれの輸送密度だったのでよほどのことがない限りは生き残れない気がする。
#ただ、故・宮脇俊三氏著「最長片道切符の旅」で書かれた一筆書きルートには、影響を与えた。
#*富良野→旭川(富良野線)の所が富良野→芦別→納内→旭川のルートになり、少し距離が長くなった。
#*勿論、ここに書かれている他の未成線が一切開通していないことが前提だが・・
#神居古譚駅に北海道の鉄道博物館的な施設がオープンし、ここは開拓期の展示中心、小樽のは近代期の展示中心と棲み分けができる。


===富内線===
#めざましテレビではなく、ズームインが放送されていた。
*鵡川~日高町~占冠~金山
#*ザ・サンデーも放送されていた。
#「金山線」のままで開業。
#*ただし、とくダネやにじいろジーンはそのまま。
#振内以北は一日四往復。
#[[日本テレビ|日テレ]]のゴールデンタイムの同時ネットが実施される曜日が[[フジテレビ|フジ]]を上回っていたかもしれない。
#石勝線開通で占冠がジャンクションとなる。
#*多分、月曜は完全に日テレ同時となっていた。
#*石勝線列車に接続する日高町~占冠間の区間列車が設定される。
#*土曜のゴールデンは日テレと同時になっていただろう。
#*占冠~金山間が部分廃止される。
#日テレの深夜番組もそれなりにやっていた。
#*[[北海道の駅/道央#新千歳空港駅の噂|新千歳空港]]発の「フラノラベンダーエクスプレス」が登場。
#24時間テレビも完全放送(ANNのニュース枠除く)。
#ルート次第では登川支線の一部流用があったかも。
#保線車両などの都合で連絡線が設けられる。
#*普段直通列車はないが、イベント時に札幌~占冠~日高町の臨時列車が走る。
#*占冠以西でアクシデント発生の場合は富内~日高線経由で大規模な迂回が行われる。
#[[苫小牧市|苫小牧]]から[[稚内市|稚内]]までの大縦断コースが完成する。
#*苫小牧~鵡川~日高町(ここがつながる)金山~富良野~旭川~名寄~幌延~稚内
#**電化とかもあったら特急が通ったりするか?
#***地図的にはそうだがこのルートにどれだけの需要があるんだ?
#***観光列車が関の山だろう。
#**[[北海道/胆振#旧穂別町|富内]]・金山・[[富良野市|富良野]]の各駅名を由縁に、「クイズ・ミリオネア」ラッピングの普通列車が1往復出ていた
#***これを通すなら苫小牧~旭川間でもOK。
#***現状でも根室本線の帯広~[[北海道/上川#南富良野町の噂|幾寅]]~富良野間で出せるが、こちらの方が「富内」があるのでパワーアップしている。


===歌志内線===
===FNSマストバイ局だったら===
*砂川~歌志内~茂尻
#宮崎でも「ニュースJAPAN」や火曜22時の関西テレビ製作のドラマが視聴できた。
#優等列車は歌志内線を経由していた。
#*月9ドラマや「ネプリーグ」や「SMAP×SMAP」もリアルタイムで視聴できた。
#*「スーパーとかち」は「スーパーおおぞら」との住み分けのため、歌志内線を経由していた。
#90年代には日テレとテレ朝のクロスネットの「宮崎県民テレビ(MKT)」が開局していた。
#歌志内市の衰退はなかったor小さかった。
#*それまで24時間テレビは宮崎放送でネット。
#こちらが根室本線になっていたかもしれない。


==胆振・日高・石狩・後志==
===宮崎日日新聞の資本関係が薄かったら===
===岩内線===
#もちろん現在もMRTとの関係が深い。
*小沢~岩内~黒松内
#函館本線の勾配緩和別線として特急も通していただろう。
#室蘭本線が災害で不通になった際には迂回ルートとして活用…、
#*でも通過できる機関車が限定されたかも?


===留萌本線===
===開局していなかったら===
*新川~石狩市~石狩厚田~浜益~増毛
#宮崎県は現実で言うところの徳島・佐賀両県のように民放テレビ局がひとつしかないと言う事態になっていた。
#札幌近郊区間に入っていた。
#*しかも他県の放送局が受信できないところが多いから余計たちが悪い。
#*よって留萌本線は地方交通線にならず幹線扱いされる。
#沿線の宅地開発が進み、新川~石狩厚田間は複線電化される。
#*そこから先の[[石狩市|難読地名ラッシュ]]も駅名・信号所名で有名に?
#札幌~桑園~新川間は複々線化。
#浜益で運転系統が別れる。
#札幌~留萌、羽幌(羽幌線)間にDC急行「いしかり」が運転される。
#*民営化後特急に昇格。
#**稚内に延長していたかも。
#*場合によっては羽幌線の廃止もなかった。
#*その場合現実の北海道初EC特急の愛称は何になるんだろう。
#**それこそ485-1500納入時に仮表示されていた電車急行名「さちかぜ」が特急昇格となっただろうか。
#札沼線の浦臼以北が早期に廃止されていた。
#軌道状態によってはこちらのルートが対稚内のメインルートになっていた。
#*上記のように羽幌線の廃止はないばかりか高速化事業の対象にもなる。
#*ひょっとすると宗谷本線の名寄~幌延間は廃止されていたかもしれない。
#*更にそれにより、本線となった羽幌線と名寄を連絡する目的で名羽線が開業していた可能性が微粒子レベルで(ry
#*天北線が生き残った可能性も(ry
<!--#厚田・浜益は石狩市に編入されずに町制、市制できていた。-->
#[[相撲ファン]]が「聖地巡礼」として乗ってくる
#*とはいえ松前線ほどの人気ではない。
#これと、留萌本線の留萌~増毛間と、羽幌線の3つだけではまだ「日本海沿岸本線」には程遠い。
#*[[北海道/後志|積丹・島牧]]・[[北海道/渡島#八雲町の噂|八雲熊石]]に鉄道が通らないと…(涙)
#北海道の鉄道でも屈指の難工事として有名になっていた。
#*ちなみに並行道路が開通したのは1980年代。
#留萌本線が「本線」を名乗っても違和感がなくなっていた。


===日勝線===
==琉球朝日放送==
*苫小牧~様似~えりも~広尾~帯広
===史実(1995年10月1日)より早く開局していたら===
#全線を通しての直通普通列車は設定されず、えりもで系統分割となる。
;どのケースにも共通すること
#*一日一本通しで走る列車が走る。
#琉球放送と同居ということにはならなかったかも。
#**運転上は一本だがどこかで列車番号が変わってそう。
#*それでも、琉球放送会館の改築は史実通り行われている。
#えりもへは現在の様似止まり、晩年の広尾行きがそのまま延長されるような形に。
#宮古・八重山両地区での中継局設置がRBC・OTVと同時期に行われていた。
#札幌~えりも~帯広間に急行列車が設定されるも国鉄末期に消滅。
#南西放送もよほどのことがない限り開局してる。
#*えりも~帯広間は普通列車になっていた。
;本土復帰前に開局していたら
#*JR化後は札幌~えりもの快速に格下げされるが程なく消滅。
#『KS』で始まるコールサインが付与されていた。
#現在まで生き延びた場合は優駿浪漫以外にもシーズンにリゾート特急が運転される。
#*本土復帰後は史実通り『JORY-TV』(別のコールサインになっていた可能性もあるが)。
#*主な運転区間は札幌~新千歳空港~えりも。
;本土復帰後に開局していたら
#*オホーツク側より荒天になりにくいので冬季の需要が意外と高い。
#沖縄海洋博関連の番組を放送していた。
#*帯広側も幸福駅に絡めた帯広~様似間のリゾート列車を企画する。
#*これによりJTの種車となるキハ82やキハ183が実際よりも多く生き残る。
#森進一がえりも駅の一日駅長を務める。
#*島倉千代子も。
#2重の瑞祥路線ブーム(路線名本体と「[[帯広市|愛の国から幸福へ]]」)が発生する。
<!--#*広尾・大樹・えりも辺りが市になる可能性も。
#*相当な広域合併が伴わないとおそらく無理。-->
#*少なくとも、愛国・幸福とトマム(石勝線沿い)が同格の観光地になるかも。
#一応、北海道内「太平洋沿岸本線」の完成となる。特急が走るとしたらどういう名前になるか?
#*コース:函館~鹿部~森~長万部~東室蘭~苫小牧~様似~えりも~帯広~厚内~白糠~釧路~厚岸~根室
#**現実は様似~帯広が途切れている形になっている。
#**そうなっても、コース通りならば、様似~帯広~池田~厚内の間では、太平洋は見えないのだが。
#***間違えた、様似駅ではなくて大樹駅から。(広尾駅からなら太平洋は見えるはず)
#現実は様似~広尾間でバスを挟んでいた昭和四十年代の急行「大平原」が一本の列車で運転される。
#*運転区間は札幌~えりも~帯広~糠平
#*行きか帰りのどちらかが夜行になり、えりも近辺で夜明けを見られるダイヤになる。
#*夜行ならB寝台も連結。昼行ではかつての「天北」のように座席開放される。
#*JR化後は一旦廃止されるが、団体向け観光列車としてスジそのものは存続する。
#超遠回りだが、[[北海道旅客鉄道/路線別#石勝線|石勝線]]が不通となった時の代行バイパスになる。
#*逆にこちらが不通になると次の日に廃止が決まる??
#*滝川・富良野周りがあるからその可能性はない。
#おそらく路線名は「日勝'''本'''線」になっている。
#*あるいは「日高本線」のままの可能性も。


===新広線===
===琉球放送との関係が薄かったら===
*新冠~十勝八千代~帯広
#本社が琉球放送会館以外の場所になっていた。
#道内屈指の難工事になっていたのは間違いない。
#*当然会館の正面はでこぼこのまま。あるいは地上デジタル化で改築
#帯広~十勝八千代間は旧十勝拓殖鉄道を買収し国有化。
#候補地:
#*但し市街地などの一部ルートは変更されていた。
#*沖縄市など→那覇市に放送センターを置かなければならず可能性少ない
#山岳地帯は石北本線並に駅間が異様に長くなる。
#*那覇市では久米、壷川(南西とは別の場所)、寄宮近郊など。いずれにせよ沖縄県庁からあまり離れていない。なお、開局当時那覇新都心は未開発なので、現在の沖縄タイムス隣接地への移転はあっても2020年前後。
#特定地方交通線に指定されるも、並行道路の未整備を理由に現在も存続。
#送信所はFM沖縄送信所を利用していたかもしれない。 
#*しかし2010年代にJR北海道の経営危機により廃止論議が再燃。


==檜山・渡島==
==ROK ラジオ沖縄==
===戸井線===
===ラテ兼営局だったら===
*五稜郭~戸井
#テレビ開局前後に社名変更していた。
#JR化前は二両程度の気動車が函館~戸井間をトコトコ運行。
#テレビの系列はおそらく、日本テレビ系になっていただろう。
#JR化後は函館空港、湯の川温泉へのアクセス路線としてテコ入れされる。
#*電化はされないが札幌近辺の近郊型気動車が導入される。
#青函トンネルが東ルートで開業していた場合は幹線化。
#*当然電化される。
#*用地的に単線化は避けられず、ほぼ各駅に交換設備が設けられる。
#*八戸・青森~函館の特急(野辺地で分割・併合)が踵を接して走っていた。
#*優等列車の停車駅は湯の川温泉(仮)と戸井。
#*北海道連絡が八戸拠点になるので青森市が現実以上に衰退する。
#**それは、どうかな?実史でも東北新幹線が八戸起終点(=北海道連絡)だった2002年12月1日から2010年12月3日までの8年で、大きく衰退したとは思えない。
#***現実の北海道連絡は夜行以外青森を通るし奥羽側からの接続駅にもなっているが、このルートだと青森は非経由になってしまうのが大きい。
#そのままぐるっと戸井-渡島大澗-恵山-椴法華-古部-木直-南茅部-臼尻-渡島大船-本鹿部-鹿部で函館線亀田半島東回りになる。
#*「太平洋沿岸本線」の一部を構成できる。
#*大沼公園~鹿部は廃止される。
#*現実は、渡島大船までは[[北海道/後志#積丹町|積丹半島]]並みに「崖がち」な地形で、住宅地を建設しにくい…
#*青函トンネル・東ルートが完成したら、'''函館駅を通らない'''、札幌~苫小牧~(ずっと太平洋岸)~仙台~いわき~水戸~東京の寝台特急も登場する。
#**東日本大震災とともに廃止される…仙台~いわきで寸断されるため(orz)
#***仙台以南を東北本線経由にする手もある。


{{JR会社別|もしあの国鉄路線が全通していたら}}
===沖縄タイムスと親密だったら===
[[Category:もしあの鉄道路線が開業していたら|こくてつほつかいとう]]
#琉球新報はRBCと親密になっていた?
[[category:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのろせんかせんつうほつかいとう]]
#*多分ラジオ沖縄という名前になってない。
#**沖縄放送となって、沖縄テレビ放送はこっちとくっついていた。ネットワークはオープンネットの後ANN中心になった。
#そもそも史実では、琉球放送局が沖縄タイムスに奪われたことに対抗し、琉球新報が親子ラジオ(有線放送)組合に出資し、無線で放送をする放送局にしたのが始まり。
 
===沖縄テレビの子会社だったら===
#沖縄テレビと合併してラテ兼営局になっていたor沖縄テレビの完全子会社になっていた。
#琉球新報との関係がより深くなっていた。
#*沖縄テレビのほうが。
===開局していなかったら===
#琉球新報は復帰前のストライキでつぶれていた。
#*とっくに那覇バスターミナルまで道路拡張されている。
#親子ラジオ組合はRBCに吸収された。あるいは復帰後大阪有線放送社に吸収され、その事業を継承。
#RBCがNRNにも加盟することになる。
===1988年10月31日で免許が失効していたら===
旧郵政省は、極東放送のFM移行の完了後、ラジオ沖縄も廃止し、琉球放送に一本化する予定でしたが、県内全マスコミの労働組合の反対によりお流れになり、周波数変更という代替措置がとられました。
#当然JOXRのコールサインは現在空白。
#廃止の瞬間まで泉崎からの放送だっただろう。
#*元シグマホテルは現在までに取り壊された
#代わりにテレビ免許が与えられ、南西放送として再出発。
#首里崎山送信所は首里城の復元開始以前に取り壊し、もっと早く公園化された。
#*史実の昭和終焉のころに。
#1988年11月1日付で、RBCはNRNにも加盟。
#*民教協にももっと早く加盟していた。
 
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2012年4月10日 (火) 16:33時点における版

RKB毎日放送

西日本新聞系の放送局だったら

  1. 社名は「RKB西日本放送」(現実では九州朝日放送の旧名)を名乗っていたかもしれない。
  2. 一方で、九州朝日放送は「九州放送」を名乗っていた。
  3. 九州朝日放送の設立には毎日新聞も資本参加していたかもしれない。
  4. 年が経つごとに西日本新聞との資本関係が希薄になっていた。
  5. テレビ西日本は「テレビ九州」を名乗っていたかも。

朝日新聞系の放送局だったら

  1. 社名は「RKB朝日放送」を名乗っていた。
  2. 朝日新聞の暴走により大阪朝日放送と同様にテレビ朝日系列にさせられていた。
  3. 九州朝日放送は毎日新聞が資本参加し、「九州毎日放送」または「九州放送」を名乗っていた。

九州放送を名乗っていたら

  1. TVQ九州放送は「テレビ福岡」という名前で開局していた。

旧西部毎日テレビジョンとの合併がなかったら

  1. 日本テレビ系列になり、「RKB読売放送」もしくは「RKB福岡放送」になっていた。
    • 当然福岡放送の開局もなかった。
      • RKBが福岡放送を名乗らなければ、現実のTVQが福岡放送になっていた。
  2. 場合によっては九州朝日放送と合併していた。
  3. 福岡地区と北九州地区が別の放送区域になりかけるが、郵政省の意地で放送区域が統合される。
    • 福岡県は4系列が全部VHF波になっていた。(KBC 1ch、RKB 4ch、SMT 8ch(北九州)、TNC 9ch)

長崎文化放送

開局していなかったら

  1. 長崎県は今なおANN空白区となっていた。
    • もしくはKTNがFNNとANNとのクロスネットになるか。
  2. テレビ朝日系の番組はNBCでネット。
  3. ケーブルテレビではKBCのデジタル再送信も行われていたかも。
    • 現実でもやりそうな気はするんですけどね…
      • そう思っているうちに諫早が開始した。

日本テレビ系列局として開局していたら

  1. 4局目は間違いなく長崎朝日放送になっていた。
  2. ANNの番組は4系列揃うまでNBCとNCCで等割りになっていた。
  3. 当然、NNN空白となることもなかった。
    • 代わりにANN空白が長引いた可能性も。
  4. 長崎国際テレビを名乗った可能性も?
    • ANN局が「長崎国際テレビ」と名乗ったかも。

フジテレビ系列局として開局していたら

  1. 長崎新聞に加えて西日本新聞とつながりが深くなる。
  2. KTNはNNNへネットチェンジ。

長崎新聞とのつながりがなかったら

  1. 長崎朝日放送を名乗っていたであろう。
  2. 長崎新聞のTV欄の並びも変わっていた。

関連項目

テレビ宮崎

宮崎県の民放テレビ局・テレビ宮崎(UMK)は現在はFNN・NNN・ANNのトリプルクロスネットですが、もし別な展開を迎えていたら?

NNSにも加盟していたら

UMKはFNSには加盟していますが、NNSには加盟していません。もしUMKがNNSにも加盟していたら、どうなっていたのでしょうか?

  1. めざましテレビではなく、ズームインが放送されていた。
    • ザ・サンデーも放送されていた。
    • ただし、とくダネやにじいろジーンはそのまま。
  2. 日テレのゴールデンタイムの同時ネットが実施される曜日がフジを上回っていたかもしれない。
    • 多分、月曜は完全に日テレ同時となっていた。
    • 土曜のゴールデンは日テレと同時になっていただろう。
  3. 日テレの深夜番組もそれなりにやっていた。
  4. 24時間テレビも完全放送(ANNのニュース枠除く)。

FNSマストバイ局だったら

  1. 宮崎でも「ニュースJAPAN」や火曜22時の関西テレビ製作のドラマが視聴できた。
    • 月9ドラマや「ネプリーグ」や「SMAP×SMAP」もリアルタイムで視聴できた。
  2. 90年代には日テレとテレ朝のクロスネットの「宮崎県民テレビ(MKT)」が開局していた。
    • それまで24時間テレビは宮崎放送でネット。

宮崎日日新聞の資本関係が薄かったら

  1. もちろん現在もMRTとの関係が深い。

開局していなかったら

  1. 宮崎県は現実で言うところの徳島・佐賀両県のように民放テレビ局がひとつしかないと言う事態になっていた。
    • しかも他県の放送局が受信できないところが多いから余計たちが悪い。

琉球朝日放送

史実(1995年10月1日)より早く開局していたら

どのケースにも共通すること
  1. 琉球放送と同居ということにはならなかったかも。
    • それでも、琉球放送会館の改築は史実通り行われている。
  2. 宮古・八重山両地区での中継局設置がRBC・OTVと同時期に行われていた。
  3. 南西放送もよほどのことがない限り開局してる。
本土復帰前に開局していたら
  1. 『KS』で始まるコールサインが付与されていた。
    • 本土復帰後は史実通り『JORY-TV』(別のコールサインになっていた可能性もあるが)。
本土復帰後に開局していたら
  1. 沖縄海洋博関連の番組を放送していた。

琉球放送との関係が薄かったら

  1. 本社が琉球放送会館以外の場所になっていた。
    • 当然会館の正面はでこぼこのまま。あるいは地上デジタル化で改築
  2. 候補地:
    • 沖縄市など→那覇市に放送センターを置かなければならず可能性少ない
    • 那覇市では久米、壷川(南西とは別の場所)、寄宮近郊など。いずれにせよ沖縄県庁からあまり離れていない。なお、開局当時那覇新都心は未開発なので、現在の沖縄タイムス隣接地への移転はあっても2020年前後。
  3. 送信所はFM沖縄送信所を利用していたかもしれない。 

ROK ラジオ沖縄

ラテ兼営局だったら

  1. テレビ開局前後に社名変更していた。
  2. テレビの系列はおそらく、日本テレビ系になっていただろう。

沖縄タイムスと親密だったら

  1. 琉球新報はRBCと親密になっていた?
    • 多分ラジオ沖縄という名前になってない。
      • 沖縄放送となって、沖縄テレビ放送はこっちとくっついていた。ネットワークはオープンネットの後ANN中心になった。
  2. そもそも史実では、琉球放送局が沖縄タイムスに奪われたことに対抗し、琉球新報が親子ラジオ(有線放送)組合に出資し、無線で放送をする放送局にしたのが始まり。

沖縄テレビの子会社だったら

  1. 沖縄テレビと合併してラテ兼営局になっていたor沖縄テレビの完全子会社になっていた。
  2. 琉球新報との関係がより深くなっていた。
    • 沖縄テレビのほうが。

開局していなかったら

  1. 琉球新報は復帰前のストライキでつぶれていた。
    • とっくに那覇バスターミナルまで道路拡張されている。
  2. 親子ラジオ組合はRBCに吸収された。あるいは復帰後大阪有線放送社に吸収され、その事業を継承。
  3. RBCがNRNにも加盟することになる。

1988年10月31日で免許が失効していたら

旧郵政省は、極東放送のFM移行の完了後、ラジオ沖縄も廃止し、琉球放送に一本化する予定でしたが、県内全マスコミの労働組合の反対によりお流れになり、周波数変更という代替措置がとられました。

  1. 当然JOXRのコールサインは現在空白。
  2. 廃止の瞬間まで泉崎からの放送だっただろう。
    • 元シグマホテルは現在までに取り壊された
  3. 代わりにテレビ免許が与えられ、南西放送として再出発。
  4. 首里崎山送信所は首里城の復元開始以前に取り壊し、もっと早く公園化された。
    • 史実の昭和終焉のころに。
  5. 1988年11月1日付で、RBCはNRNにも加盟。
    • 民教協にももっと早く加盟していた。