大分市

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大分市の噂

  1. 大分川と大野川の河口付近に広がる平野部にある都市。
  2. 大分県全体の半数の工業生産額を誇る。佐賀県や宮崎県の工業生産額にも劣らない。
    • 昭和30年代に「新産業都市」に指定される。以後「重厚長大」工業都市へ。
      • 社会科見学といえば新日鉄
        • 大分の高炉は世界最大らしい
        • 火力発電所が3つもある。うち1つはもうじき廃止されるようだが。
    • 「軽薄短小」のIT企業の進出も進む。
  3. 2代続けて大分県知事が通産省出身。しかも今の知事は元通産事務次官。
    • PS2のCPUは大分で作られている。
    • キャノンの御手洗社長が大分出身(蒲江)のため、大分をエコヒイキしてくれている。
  4. 大分県では一番の人口増加都市(人口47万)。長崎市の人口を抜いてしまった。
    • 以前は陸の孤島であった…
    • 佐賀関はともかく、なぜか野津原とも合併してしまった…
      • 野津原は富士見が丘団地の目の前まで大分県立看護科学大学と九州乳業の工場の建設が進んでいたことも理由にある。
    • 実は戦後しばらくは九州の県庁所在地で佐賀市の次に人口が少なかった。高度成長期の人口増+昭和の大合併で宮崎市を、平成の大合併で長崎市を抜いた。
      • 昭和の大合併ではなく1963年の合併。昭和の大合併では大分市と合併したところはない。
  5. 戦国時代は「府内」と呼ばれ、大友宗麟のお膝元として貿易関連で賑わった。
    • 宗麟の子が腑抜けで、朝鮮出兵の際に敵前逃亡で改易。それから小さな領地に分割されて停滞。
    • 関が原で大友家が豊臣側についたため、大分の江戸時代は不毛の時代。
    • キリスト教が盛んで、イエズス会は日本を都(京都)、豊後(大分)、下(それ以外の九州)の3地域に分けていた。
    • 日本で最初の西洋式病院ができた。その病院を作ったアルメイダを記念して、今でもアルメイダ病院という病院がある。
      • 俺はそこで盲腸切ったが、先生日本人だったぞ。
        • 大分市医師会が運営
    • 現在でも府内町という地名はあるが、大分市民が単に府内と言ったらその周辺まで含むことがある。
    • 最近は観光資源にしたいのか、市や商工会議所などがやたら府内という名前を使いたがってる気がする。
  6. 「ぶんだい」を大大学を指す派と日本理大学を指す派の二つに分かれる。その結果、大分大学の学生は時々日本文理大の学生だと思われる場合がある。
    • 大分大学生はそれを非常に嫌う。
    • 文理大生もそれを非常に嫌う。
      • 日本文理大は「ぶんりだい」と呼ばれることの方が多い。
      • 日本文理大は昔、大分工業大学だった。その当時、大工大と呼ばれていたかどうかは定かではない。
    • 残念ながら大分大学を大大と呼ぶことは無い。
      • 大阪大学だって大大じゃなくって阪大だ。
    • 大分高校のことを「いたこう」と呼ぶが、大分大学のことを「いただい」と呼ぶことはない。
  7. 大分上野丘高校の読みは「うえのがおか」である。おかげで修学旅行先では「歓迎!上野ガ丘高校御一行様」と書かれることが多い。
    • 上野丘高校のライバルは大分舞鶴高校。県内での知名度は上野が優勢だが、県外だと舞鶴が圧勝。ラグビー強いから。
      • しかし今となっては県外でも上野丘の知名度が優勢となっている。
        • いやいや、上野丘が知られてるのはせいぜい九州の中だけよ。他の地域では断然舞鶴の方が有名。
  8. サッカーチームがある。
    • サッカーチームの名は「トリニティー」であったが「トリニータ」に改称された。トリニティーとは「三位一体」のことでキリスト教みたいな名前…昔からキリシタン多いから?
      • 「行政」「企業」「県民」が三位一体でこのチームを盛上げようという意味。
      • 「九州ダンディーズ」にしようとした知事がいた。
        • 「豊後ソウリンズ」という話も・・・・・
          • ちなみに「大分ソーリンズ野球倶楽部」が実在。
  9. 都町というのは「中州」とか「大工町」とかと同じ歓楽街。
    • 地方都市の歓楽街の中でもxxxなお店が多い方だが、その癖道路一本隔てたところに県警本部がある。いいのか?
  10. トキハ」の紙袋を持って歩く人が多い。
    • 「トキハわさだ店」は日本最大の郊外型百貨店。
      • 大分市民は週末になるとわさだタウンかパークプレイスのどちらかに行く。
      • 2015年にはアミュプラザおおいたもこれに加わる。
  11. 市内から大分空港まですごく遠い。
    • ホーバーが廃止された今、交通手段はエアライナーだけになってしまった。
    • 空港跡地はスポーツ公園になっていて、ここの野球場でたまにプロ野球の試合がある。
  12. 大分-大阪間のフェリーは同区間の高速バスを撤退させたほど。
    • 2011年12月に「SORIN号」として再参入。今度は神戸、大阪を経由して京都まで足を伸ばしている。
  13. 47万人しかいないのにイオン大杉。
    • 1982年の時点で市内だけでジャスコが5つもあった。その時の店舗はどれも現存していないけど、ジャスコ→イオンの多さは今に始まったことじゃない。
    • 光吉のイオンは24時間営業。決してマックスバリュではない。
    • 人口40万人の長崎市はイオンが3店舗、人口23万人の佐賀市には2店舗(うち1店舗はイオンモール)
  14. 挟間の医大が丘をジャスコとマックスバリュで挟み&狙い撃ち。丘の上のインダで買い物させないつもりらしい。
    • 学園台店のことね。何だかんだでまだ続いてる(2011年末現在)。
      • 向かいに大学病院があるから?
        • 丘の上のインダには郵便局があるが、ここから500mもない大学病院の入り口近くにも簡易郵便局が設置されている。
  15. サティ(旧ニチイ)大分店閉店。西友からは始まり、長崎屋・ダイエー・ジャスコ…駅前からスーパーがなくなりますね。ドンキもはるか彼方にあるし、どうする?パルコ??
    • 2011年1月末を以て撤退決定。
      • 上層にある第一ホテルも2012年10月までに撤退することに。
      • パルコ跡には中村病院が移転することになっているが、2015年時点では駐車場…本当に来るの?
        • てか、あんな超一等地に病院なんか建てる意味がわからない。
        • 結局中村病院の移転話は潰れた。さてどうなる。
        • 今(2020年9月現在)は、「祝祭の広場」という多目的広場になっています。
    • サティの跡地にはインダ若草公園店が出店、駅前のスーパーが復活。さらには敷地内にタリーズコーヒーが県内初進出。
    • さらに大分駅にコープ大分も開店
      • アミュプラザおおいたも開業した。これでもうパルコが無くても寂しくない。
  16. 大分市内のラブホは古いのが多い。理由つけて別府まで行く?新川は要下見。
  17. なんであんなにデリヘルが多いの??人口に対してあまりにも多すぎ。そんなに需要があるのか?別府温泉があるからなんていう理由だけではないぞ。あの多さは。
    • 顧客の奪い合いが起きているため、結果的にサービスの質が良い。「本番アリ」もザラ。
    • 「本番アリ」が基本で料金の半分近く店に取られるらしい。東京行けば派遣で時給1000円以上の仕事たくさんあるのに…理解できない。
  18. 大分市民はTVで日田の事が紹介されても「日田は大分やねえし、そげなん知らんっ」の一言発しチャンネルを変える。
    • 大分市民は辛うじて中津は大分だと認めている。
      • 中津ならソニック一本で行けるけど日田はねえ...一応高速バスがあるけど、中途半端な場所で降りることになるし。
        • 久大本線経由の特急が4往復あるけど、そのうち1往復は全席指定なので実質3往復だけ。
  19. 釘宮市長
    • 釘宮は大分じゃメジャーな名字。あの釘宮さんは熊本だそうだが。
      • 眼鏡屋と言えばビューシック・クギミヤ。ちなみに本店は別府市。
    • この市長と言えば Oh!ITA CITY
      • 指原莉乃の応援をしたり・・・。
    • 県知事選に打って出たがあえなく玉砕。
  20. 中央通りやアーケードなどで変なマークを掲げてぐるぐる回る泡沫候補のおっさんがいる。
  21. 中心部はそれなりに都会だが、(野津原、佐賀関を除いても)周辺部では農業が結構盛ん。
    • 平野で水も豊富なので、古くから稲作が盛んだった。「大分」という地名自体、「田んぼが多い」→「多き田」→「大分」になったという説がある。
  22. 他県民には観光するところがないと思われがちだが、高崎山とうみたまごという立派な観光資源がある。
    • しかしこの2つは別府市との市境ギリギリにあるため、他県人は別府観光のついでにしか来ないし、別府市にあると思われることも少なくない。
  23. 中央街商店街はシャッター街化が進み始めたと思いきや、何故か飲み屋がやたら増え始めた。商店街抜けたらすぐ都町だというのに。
    • 良くも悪くも古い飲み屋街のイメージを残す都町に対して、商店街のは若い男女が入っても平気な雰囲気の店が多いので、そこは棲み分けが出来ているのかも知れんが。
  24. ヒット曲のモデルとなった喫茶店「ハローグッバイ」は、かつて大分市の中心部(私の親の記憶では現・インダ若草公園店の前)で南こうせつのお兄さんがやっていた店。
    • 歌詞にある「白いお皿にグッバイ」「カップにハローの文字」は、この店が実際にやっていたこと。紅茶が美味しかったかまでは知らん。
  25. 釘宮市長が決めた中央通り車線減少は市長が変わったので取りやめになった。
  26. 40万人以上都市で最もCATV加入率が高い。
  27. 大分県で初めて市制した市だが、市制したのは明治末期の1911年(明治44年)とかなり遅い。
    • ちなみに道県内初の市制が大正以降になってからの道県は、北海道(1922年8月)、埼玉県(1922年12月)、千葉県(1921年8月)、宮崎県(全国で最後の1924年4月)、沖縄県(1919年)がある。
    • 県庁所在地が昭和になってから市制なのは浦和市(現・さいたま市)山口市のみ。
  28. 2005年1月1日に大分郡野津原町(のつはるまち)・北海部郡佐賀関町(きたあまべぐんさがのせきまち)を編入合併したが、政令指定都市に移行するわけではない。
    • 大分郡は05年10月1日に挾間町・庄内町・湯布院町の三町が合併し「由布市」発足の際に消滅、北海部郡は長らく佐賀関町1町が残っていた末に合併されたためそのまま消滅した。

大分市の駅

地域別の噂

鶴崎

  1. 大分市は以前強引な手を使って景気の良かった鶴崎市を併合したので、今でも鶴崎の人は大分が嫌い。
    • そのため、今でも鶴崎の人が大分市中心部に行く時は「大分に行く」と言う。
    • 一方で大分の人も鶴崎を見下していた。「旧市内」という表現があり、言外に鶴崎は大分じゃないと匂わせていた。
  2. 江戸時代、鶴崎は熊本藩の飛び地領だった。外港があり、参勤交代ではここを通って熊本と江戸を行き来していた。
  3. 同じ鶴崎支所管内でも鶴崎より森町バイパス沿いの方が発展している。
    • スーパー一つとっても鶴崎旧市街は1つだけなのに対し、森町バイパスには4つもある。
    • 小学校は1000人台に達する学校が複数ある。

大在

  1. 大在と書いて、「おおざい」と読む。「だいざい」ではない。
    • 私は「おおあり」かと思ってましたが。
    • ちなみに合併した当時は村だった。
  2. 大在公共埠頭が有名。
    • この辺りの港から横須賀行きのフェリーが出ていたが、いつの間にか廃止になっていた。
  3. 2009年、ソニックの大在駅停車を記念して日本文理大学のチアリーディング部と吹奏楽部の学生がそれを記念したイベントに参加したが、文理大のある場所の行政区画は坂ノ市である。「文理大=大在地区」という勘違いがさらに定着しそうで怖い。
    • 実際、学生用のバスは大在駅から発着してる。
    • 近くには大在中学校がある
  4. 「学生アパートは山のほう(一木の丘)よりも駅周辺のほうがいい」という学生やOBもいる。でも、津波が来たら…?
  5. 決して広くない地域なのにマクドナルドが2つある。
  6. 大野川の対岸から見る工業地帯の夜景は「大在ディズニー」と呼ばれている。
  7. 大在小学校は一時期生徒数日本一だったことがある。
    • 日本一から陥落したのは過疎化の影響…ではなく、大在西小学校が出来たから。
      • 分離しても1000人台

坂ノ市

  1. 万弘寺の市が有名。
    • 万弘寺は「まんこうじ」と読む。ちょっと口にしづらい。
  2. 山側にはTOTO旭化成の工場がある。
  3. 邪馬台国の首都だったという説があるらしい。
  4. 佐賀関同様に北海部郡に所属していた。
    • 大在も同様。

佐賀関

街並み
  1. 佐賀県と間違えそうな名前だ。
    • 子供の頃、佐賀関行きのバスを見て本当に佐賀に行くものかと思ってた...
  2. 関サバ、関アジが有名。
  3. 日鉱の製錬所(銅製錬は世界屈指)の大煙突は佐賀関のシンボル。
  4. 旧役場、随分狭苦しい場所に…。
    • 合併後に支所(旧役場)を移転した。とりあえず窮屈さからは開放された。
  5. JRの駅は旧中心部ではなく幸崎地区にある。
    • その昔は、国鉄幸崎駅から日鉱佐賀関までの鉄道があった。
  6. ここから三崎港へ渡る国道九四フェリーの航送料金は、滅茶苦茶高い。
    • まあ、生活路線と言うよりは観光路線だから仕方ないか。
      • 平日の夜間に乗ったけど、トラックもそれなりにいましたよ。積み残しも出かねないほどの盛況ぶり。
    • 軽自動車で6800円(2013年1月乗船時)。しかし四国西南地域(南予幡多)から九州へ戻ろうとするのにわざわざ、尾道まで大回りするのを考えたら安いし速い。
  7. 毎年10月に行われる築山古墳の石棺様祭りは有名。
    • 石棺様については卑弥呼の墓という説がある。
  8. 神崎小学校が旧大分市内に神崎(かんざき)小学校があるという理由で、こうざき小学校に変更させられた。(現在は小中一貫校の神崎小中学校に統合と名称変更)
  9. 大分市から分離独立したがっている町でもある。(青森県南津軽郡浪岡町などと同じ)
  10. 国道197号沿いにファミレスの「ジョイフル」があったが潰れた。で、それより東の道の駅は盛業。

明野

  1. 1960年代後半から造成された、県最大の団地群。
    • 大分平野は現在中心地となっている地域を丘が囲むような構造で、丘の上はだいたい団地になっているが、その中でも最大規模。
    • 大分市中心地への道は坂の傾斜がきつく、チャリ通の高校生は難儀する。また車道も片側一車線なのでしょっちゅう渋滞する。
    • 旧来の公営住宅がどんどんマンションに建て替わっている。
  2. トキハ系のあけのアクロスタウンがある。
    • わさだタウンやパークプレイス、アミュプラザよりも規模は小さいが、週末は駐車場がよく満車になり、意外と人気。
      • 市役所の支所はもちろん、大分銀行の支店、郵便局まである。
  3. 小中学校はもちろん、高校や国立高専も団地内にある。
    • 大分高校は書道部も有名。お騒がせなこともあったけど…
  4. 団地内の学校は伝統的にサッカーが盛ん。
    • 明野中学は全国制覇の経験があり、当時の監督は現在U-17の日本代表監督。元日本代表の三浦淳宏などJリーグで活躍したOBも多い。
    • 大分高校は全国高校サッカーで県勢最高のベスト4を経験している。
    • 日本代表の清武弘嗣は明野の近くにある明治北小学校出身。

稙田

  1. 県内屈指のロードサイド店舗集積地帯。トキハわさだタウンはこの地区にある。
  2. わさだタウンからさらに西に行くと、フリーモールわさだ(サンリブ系)もある。
  3. 旧来からの中心地である宗方にはトライアルがある。
  4. 一時大分市とは別に「大分村→大分町」を名乗っていた。
    • 釧路町のようだ。
      • 稙田村・東稙田村・賀来(かく)村の合併で大分村に。その後町制施行で大分町。
  5. 賀来もこの地域に属する。2006年に松岡に移転するまで大分県運転免許試験場があった場所である。

野津原

  1. 旧大分郡仲間(挾間、庄内、湯布院)と別れて大分市にくっついた。
    • 稙田小学校から南西に1Km程度で野津原町に入る。なお、旧町名は住所にはつけない。(佐賀関も同様)
  2. 臼杵市の野津と紛らわしい。
  3. 一心寺の八重桜は一見の価値あり。
  4. 大分県立看護科学大学があるところ。そこから徒歩10分もしない所に九州乳業の工場がある。
  5. のつはると読む。
  6. 野津原タクシーの本社は野津原ではなくて賀来にある。

大南

  1. 戸次がこの地区の中心。読みはへつぎ
    • おにぎりあたためますかで戸次重幸がここがルーツだと語っていた。
    • 戦国末期に起こった戸次川の戦いの戦場となった地。
  2. その戸次地区の特産品はごぼう
    • このゴボウを使うのが大分市の郷土料理「吉野鶏めし」。