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#紀州路快速は南海の「サザン」との対抗のため、現在でも熊取以南が通過運転となっている。 | #紀州路快速は南海の「サザン」との対抗のため、現在でも熊取以南が通過運転となっている。 | ||
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2021年3月1日 (月) 12:23時点における版
- 一部の路線のみ位置が違う場合は、駅名の後ろに路線名を追記して下さい。
もしあの駅の開業位置が違っていたら 目次 | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
岩手
花巻空港駅
- 花巻空港の目の前にあったら
東北本線にある花巻空港駅は、「空港駅」と称しておきながら花巻空港から2㎞も離れていて、空港アクセス駅としての機能をほとんど果たしていません。もし、花巻空港駅が花巻空港に隣接していたら?
- 隣接したところで空港利用者が乗るかな?快速通過してるし。
- 確かに。盛岡~北上間の電車の本数は県内では一応一番だから、よくても微増程度じゃないかと思う。
- 逆に、「空港連絡駅」の役割担うなら、国鉄(現:JR)は快速を停車させるだろう。
- 快速エアポート花巻が運転される。
- 新幹線が少し苦戦する。
- それはどうだろ?東京-盛岡間では空路では全く歯が立たないだろうし、名古屋・大阪-盛岡なら現状でも空路を利用しているから変わらないかと。
- それに現実として、新幹線新花巻駅から空港行き又は空港を経由する路線バスは運行されていない。
- そもそも開業時の駅名が「二枚橋」じゃなかったかも。
- 史実どおりの開業日だった場合はありえない(駅のほうが先に開業している)。
宮城
仙台駅
- 今の宮城野貨物駅に開設されていたら
ここでは東北本線・新幹線共に、宮城野貨物駅所在地に仙台駅が開設されていたら・・・ということにします。
仙台 | |||||
せんだい | 大梶 | ||||
長町 | Ōkaji | ||||
Nagamachi | {{{roma}}} | 東仙台 | |||
Higashi-Sendai |
- 現行東北本線ルートは存在しない。
- 現行貨物線が東北本線。
- 仙石線は現行通りだが、宮電仙台→西榴ヶ岡~石巻の路線として運営されている。
- 地下化後は、西公園~一番町~新仙台~西榴ヶ岡~以下略の路線となる。
- 地下鉄南北線も現行通りに建設されるが、仙台駅は新仙台として開業される。
- 仙山線は仙台~大梶~(中江)~(東照宮)~北仙台~以下略の路線となる。
- 大梶駅が出来るため、中江駅、東照宮駅が開設されるかは不明。
- 仙台にも鉄道忌避伝説が存在していた。
- 宮城球場の立地が変わっていたかもしれない。
- 長町〜仙台間のどこかに貨物専用駅が開業する。
- 宮城野区の人口がより多くなる。
- 仙台市電の廃止が遅れていた。
栃木
那須塩原駅
- 旧西那須野町に出来ていたら
- 駅名は東那須野駅のままだった。
- 西那須野駅が那須塩原駅に改称。
- 黒磯市は合併しなかった。
- 西那須野町と塩原町が合併してこれで「那須塩原市」を名乗る。
茨城
古河駅
- 現在の古河市役所(旧総和町役場)辺りに出来ていたら
- 駅名は古河駅ではない。
- まあ古河市に駅は出来ているだろうけど…。
- でも、中心地には出来ていない可能性がある。
- まあ古河市に駅は出来ているだろうけど…。
- 野木駅は町役場の東側に出来ていた。
- 後は、史実通り。
- 東武日光線は群馬県板倉町ではなく合併前の旧古河市を通っていた。
- よって、東洋大学板倉キャンパスは存在しない。
- 現在の新古河駅の場所だったら
- そもそも駅名が古河駅になっていたか怪しい。
- 史実通りの駅名なら古河市は完全に埼玉県・栃木県扱いされている。
- あんな馬鹿みたいなカープは出来なかったはず。
- 茨城県内の東北本線は出来なかった。
群馬
前橋駅
- 現在の新前橋駅の場所だったら
- 史実の前橋駅は本前橋駅として開業していた。
- 前橋の市街地が西寄りになる。
- 利根川東岸の城下町エリアは寂れていた。
- 電車区は高崎に設置された。
埼玉
西大宮駅
- 西大宮バイパス宮前ICの場所だったら
- 西大宮駅は元々宮前IC付近に設置する予定でしたが、駅機能が十分に確保できないため現在の場所になった。
- 駅名はかなり揉めていそうな気がする。
- 「宮前駅」「三橋駅」…。
- ロータリーなどの用地が十分に確保できないため2009年の時点では開業は出来ない。
- 宮前インターの場所だったら
- 「宮前駅」になった可能性が若干高くなる。
- 「宮の前」のバス停は宮前駅南口に改名されていた。
- 佐川急便さいたま店の近くに設置か。
- 指扇駅~日進駅間の駅がバランスが良くなる。
指扇駅
- 現在の西大宮駅の場所だったら
- 駅名はもちろん「指扇駅」。
- 川越線の新駅は指扇駅~南古谷駅間になっていた
大宮駅
- 現在のさいたま新都心駅の場所だったら
- 史実の大宮駅は「北大宮駅」となる。
- それでも史実のようには栄えないだろう。
- 史実の北大宮駅の駅名はどうなっているのか・・・?
- 旧与野市と重なっているので「大宮駅こそが与野駅と名乗るべき」という意見があった。
与野駅
- 大字下落合に設けられていたら
- 埼京線開業以前から与野市に駅があった。
- 埼京線開業後は与野本町駅へのアクセス道路を建設していた。
北大宮駅
- 鉄道博物館の近く(東大成町)に建設されたら
- 開業当時、鉄道博物館は無いが…、どのように活躍するか。
- 氷川神社のアクセスは大宮公園駅に。
- JRの鉄道博物館駅計画は無かったか?
東京
東京駅
- 有楽町駅辺りに設けられていたら
- 官庁集中計画(明治時代の官庁街設計計画)でベックマン案が本格的に採用されていたらありえた。
- この場合、中央駅が東京駅を名乗っていた。
- 東京駅のデザインも霞が関の町の雰囲気も全く違ったものになっていた。
- 丸の内がビジネス街にならなかったかもしれない。
- 地下鉄日比谷駅も東京駅になっていた。
- 東京メトロ日比谷線・千代田線・有楽町線、都営地下鉄三田線の他、丸ノ内線も東京よりに駅があった。
- 半蔵門線も東京(有楽町)経由になっていた。
- 現実の東京駅は呉服橋または八重洲駅と名乗っていた。
- 京葉線ホームがあんなに遠くなることはなかった。
- 都市計画と同時に建設されたため、ホームの拡張に難儀していた。
- 京葉線ホームが○○だったら
- 地上ホームの真下にできていたら
- 京葉線利用者は相当便利になっていたことは言うまでもない。
- 東京ディズニーランドに向かう客を高速バスに取られることはなかった。
- 八丁堀と新木場の乗降客数は少し減っている。
- 通勤快速は八丁堀に止まらなかったかもしれない。
- 東西線の混雑がもう少し緩和されていたかもしれない。
- 成田新幹線の新宿延伸構想は初めから存在しなかった。
- 京葉線の三鷹延伸計画もない。
- 有楽町駅辺りに設けられていたら
- 流石に有楽町駅と一緒にならないと思うが…。
- 史実よりも不便になっていただろう。
- 新東京駅と名乗るべきだと意見が出ていた。
- 総武快速線ホームに乗り入れていたら
- 総武快速・京葉線のホーム数が3面6線になっていたかもしれない。
- 品川方面へはスイッチバックになってしまうので、せいぜい「さざなみ」や「わかしお」が少し乗り入れる程度。
- 一方で千葉方面にも乗り入れても意味がないので、線路は繋がっていても乗り入れ自体はほとんど無いものと思われる。
- 東京駅と蘇我駅以南で総武線と京葉線の車両の向きが逆になってしまうのが案内上の問題になっていた。
- 中央快速線が高々架ではなく地下に乗り入れた可能性もある。
- 東北新幹線ホームが地下にできていたら
- 中央線のホームは移動しなかったし、東海道本線のホームは2面3線のままだった。
- 東海道新幹線との直通は絶望的になっていた。
水天宮前駅
- 人形町駅の近くにできて乗換駅になっていたら
- 駅名は「人形町」になっていた。
- 半蔵門線は現在東京の地下鉄で唯一東京メトロ・都営全路線と乗り換えられる路線になっていた。
東京テレポート駅
- 台場駅辺りの場所だったら
- 駅名は普通に「台場駅」と名乗っていた。
- 踊る大捜査線の舞台は台場駅~国際展示場駅間になっていただろうか?
- 発車メロがフジテレビ関係に。
西大井駅~新川崎駅間の新駅
- 史実では武蔵小杉駅となりました。
- 沼部に設けられていたら
- 旧丸子信号場あたりに建設されていた。
- おそらく特急停車駅にはなっていない。
新橋駅
- 烏森駅が旧新橋駅と同位置にあったら
- 史実では旧新橋駅(→汐留貨物駅)と現新橋駅(旧烏森駅)は別の場所にありますが、烏森駅が旧新橋駅の位置にあったら?
- 史実と異なり東京駅へは銀座を経由していた。
- 銀座四丁目交差点近辺に銀座駅が出来ていた。
- 言うまでもなく銀座の風景は史実とは大きく異なるものになっていた。
- 銀座四丁目交差点近辺に銀座駅が出来ていた。
- ゆりかもめは汐留から直進して新橋駅に至っていた。
- 銀座線の新橋駅と大江戸線の汐留駅には影響はないだろうが、浅草線の新橋駅が史実よりも北寄りになっていたかもしれない。
目黒駅
- 旧目黒村に設けられていたら
- 当初は旧目黒村に作る予定でしたが農家が「煤煙でダメになる」と反対になり現在の場所になりました。
- 山手線に関する雑学の定番ネタは「品川駅の港区」のみになっていた。
- 山手線は目黒川沿いに通っていた。
- 五反田駅は史実より少し左に建設されていた。
- 恵比寿駅は…微妙かも。
品川駅
- 品川宿に設けられていたら
- 本来、品川宿の近く出来るはずだったが、用地買収が面倒になる事から町を避けたそうです。
- 恐らく史実の北品川駅辺りにあった。
- 田町-品川間がかなり広くなる。某新駅は史実よりも早く出来ていた?
神奈川
横須賀駅
- 横須賀市の中心にできていたら
- 現在の京急線横須賀中央駅付近にできていた。
- 京急は実際よりかなり苦戦していた。
- 一方で横須賀線は実際より混雑していた。
- 湘南新宿ラインはここまで乗り入れていた可能性も。
- 京急の横須賀中央は「京急横須賀」になっていた。
小島新田駅
- 殿町に出来ていたら
- 神奈川県側の羽田空港のアクセスが出来ていた。
- それでも利用者は…あんまり多くない?
- 流石に京急空港線があるから空港延伸はないでしょ。
大磯駅
- 大磯中学校の近くに出来たら
- 南口は東海道のアクセスに繋がっているので便利だが、北口は…住宅がたくさんあるから便利か?
- 町役場の近くの事を考えると少しだけ栄えていたかもしれない。
湘南江の島駅
- 海岸沿いに出来ていたら
- 当初の計画ではもう少し海岸寄りの場所に造る予定だったが、色々あって今の位置になってしまった。
- おそらく江の島入口交差点の辺りに出来ていた。
- 川の向かいに片瀬江ノ島駅があるので、江ノ電よりも小田急との乗り換えがメインになっていた。
- 史実通り江ノ電との乗り換え駅ができるかは微妙なところ。出来たとしても駅名は史実と異なっている。
- 川の向かいに片瀬江ノ島駅があるので、江ノ電よりも小田急との乗り換えがメインになっていた。
- 少なくとも乗り降りに不便な構造にはなっていない。
- その代わりに史実の駅の位置から一気に坂を下る構造になっていた。
千葉
東成田駅
- 成田空港のターミナルビルに乗り入れていたら
- 北総線方面は空港第2ビル駅で分岐していた。
- 分岐というよりは無理をしてでも本線が第二ビルに寄れるようにしていたと思われる。
- 芝山鉄道は当駅から延伸していたか、京成成田駅から分岐。
- 当然だが駅名は「成田空港」のまま。
- JRと京成の線路は並走していない。
- JRの線路は複線化されていた。
- そうなると成田スカイアクセスが史実通りに建設できなくなるので、京成成田の少し先で本線と合流するルートになっていた可能性が高い。
- JRの線路は複線化されていた。
海浜幕張駅
- 幕張メッセ・イオンモール幕張新都心グランドモールの間に出来ていたら
- 海浜幕張駅ではなく幕張新都心駅と名乗っていた。
- 史実の海浜幕張駅は開業していない。開業しても別の駅名になっていた。
- その前にイオンモール幕張新都心グランドモールが京葉線開業前に開業するべきなのが条件。
- むしろ幕張新都心が史実より西寄りになっていた。逆にイオンモールが史実の海浜幕張側に出来ていたかもしれない。
千葉駅
- 史実の国鉄千葉駅前駅は開業しなかった。
- 史実の千葉みなと駅に設けられていたら
- 総武本線は遠回りしていた。
- 何処かに新千葉駅が出来てもおかしくない。(史実は京成千葉線)
- 東京側は幕張から直線に進んでいけば京葉線の稲毛海岸駅付近にぶつかるから遠回りにはならない。一方で銚子側は都賀から加曽利貝塚の辺りを経由しているだろうから、ちょっと距離が増える程度だろうか。
- 市役所が近くにある意味では意外と便利かもしれない。
- 史実の千葉駅辺りは京成千葉駅となっていた可能性が高い。
- 京葉線はもちろん停車。
- 港公園は存在していない。あっても別の所に出来ていた。
- おそらく本千葉駅も存在していない。
- 史実の黒砂信号場に設けられていたら
- 東千葉駅は開業していないか、現在は無人駅。
- 外房線~成田線の電車が千葉駅を2回寄るという運行形態にはなっていない。
- 千葉市の市街地から遠くなるため、京成千葉線の利用客が増えていた。
- 稲毛区一帯が中央区になっていた。
- 千葉気動車区が別の場所に開設される。
- モノレールは穴川からそのまま直進してここに向かっていた。
- 快速は現在も稲毛を通過。その代わり本千葉への停車が早まった。
京成船橋駅
- 船橋駅より北に設けられていたら
- 当初の予定では総武本線より北に設置される予定でしたが、市街地から遠すぎるため南側に変更されたそうです。
- 史実より前後のカーブが少なかった。
- 現在では鉄道忌避伝説扱いされている。
- 野田線はこちらを終点としたかもしれない。あるいは交差地点に東海神駅(仮称)が設置された。
- 船橋〜海神の連絡線はなかった。
佐倉駅
- 史実の京成佐倉駅に設けられていたら
- 市役所に近かった
- 四街道や都賀より栄えてたかもしれない
富山
富山駅
- 奥田地区辺りに設けられていたら
- 富山駅の位置に対する3つの案の一つであった。
- 呉羽トンネルは無かった。
- 富山港線はかなり短い路線となり、旅客輸送の経営状況が史実より悪かった。
- 富山の市街地(当時)から余りに遠く、駅前はさほど発展しなかった。
- 地鉄が市街地近くに電鉄富山駅を作り、それが実質中心地になっていた。
- 史実より地鉄の経営状況が良かった。
- 富山駅から都心部へは路面電車がメインアクセスとなっていた。
- 地鉄が市街地近くに電鉄富山駅を作り、それが実質中心地になっていた。
- かつてあった国鉄→JRと富山地鉄の直通は魚津駅を介して行われていた。
静岡
新富士駅
- 富士山のアクセス道路に設けられていたら
- 場所的には新東名高速沿いに建設されたと思われる。
- 新富士駅~富士山のバスが開通している。
- 新幹線で富士山に行ける様になる。
- 場合によってはこちらが富士山駅を名乗っていた。
- その場合、富士急行の富士山駅は富士吉田駅のまま。
- 現実の富士駅に出来てたら
- 駅名は変わらず富士駅になっていた。
- 現実の新富士駅より新幹線利用者が増えている。
- 富士ー吉原間の線路上にできていたら
- 在来線からも利用できるのでより便利になり、駅間間隔も国電形に近づけられる。
愛知
三河安城駅
- 名鉄碧海古井駅に隣接していたら
- 当初は上記駅に隣接して開業する計画でしたが、諸事情により現在の位置になりました。
- 名鉄側の駅名も三河安城のはず。
- 北・南・新+安城が使われている以上、他に使えそうな名前が見当たらない。
- それでも劇的に利用者が増加するとは思えない。新羽島駅を見る限り。
- 当初有人駅→後に無人化なら有り得る。
- せいぜい西尾市民が使うくらいか。
- 名鉄も故意に不便なダイヤを組みそう。
- 当初は優等全停車→普通で本数的に間に合うから再び全通過、とかかな。
- 羽島線と違って元々西尾線には別の役割があるから名鉄線自体は羽島線ほど衰えてはいない。一方で、住宅街で開発余地が無いから史実ほど駅周辺の発達は見られなかった。
名鉄名古屋駅
- 地下2階にホームができていたら
- 当駅のホームが史実よりも広くなっていた。
- 名古屋本線のダイヤもスムーズになっていた。
東大手駅
- 地下化時に出来町通の下に移転していたら
- 名城線市役所駅と地下通路で結ばれた。
- 市役所や県庁へ行くのに便利だった。
- 2000年代にバリアフリー化された。
京都
丹波口駅
- 七条通との交点にできていたら
- 梅小路蒸気機関車館や梅小路公園、京都水族館へのアクセス駅として機能していた。
- 民営化後、緑化フェアがあった時期に「梅小路」駅に駅名改称されている。
- その代わり臨時駅の「緑化フェア梅小路」駅はなかった。
- 民営化後、緑化フェアがあった時期に「梅小路」駅に駅名改称されている。
- 高架化の際現実とは逆に南側に移転したことになっていた。
- 壬生新駅(四条通との交点)の構想が現実よりも早く具体化していた。
宇治駅
- 京阪宇治線の駅がJR宇治駅に隣接していたら
- JRとの乗り換えが便利になっていただけでなく、京阪も宇治市の中心市街地に乗り入れていたため利便性が増していた。
- 平等院には現実とは反対側から行くことになっていた。
- 現実の京阪宇治駅の利用客は三室戸駅を利用していただろう。
- 宇治川を渡るので難工事になっていた。
大阪
大阪駅
- 現在の新大阪駅の場所だったら
- キタの繁華街が市役所から遠くなることに。
- 大阪市役所との接続も悪くなるので、市役所の方が移転していたかも。
- 逆に、大阪モンロー主義がもっと華やかになっていたかも。
- 大阪市役所との接続も悪くなるので、市役所の方が移転していたかも。
- 地上と高架で国と阪急がもめることもなかった。
- 十三駅や淡路駅周辺が、現実以上に発展していた
- キタとミナミの境界は淀川ということになっていた。
- 京橋が現実以上に繁華街として発展していた。
- 「キタ」「ミナミ」に次ぐ「ヒガシ」という繁華街が形成されていた。
- 京阪百貨店の1号店はここにできていた。
- 大阪市電が淀川以北に路線を延伸していた。
- 地下鉄御堂筋線も戦前の時点で淀川を渡って大阪駅に乗り入れている。中津以北は現実と同様地上線。
- 東海道本線ではなく大阪環状線が淀川を2回渡っている。
- 新幹線はもちろん大阪駅に乗り入れている。
- 北方貨物線が存在しないため吹田〜尼崎間が三複線になっていた。
- 現在の梅田貨物駅の場所だったら
- 貨物駅がもっと分散化されていた。
- 阪急と国がもめない代わりに、阪神と国が高架と地上線でもめていた。
- 現在のJR難波駅の場所だったら
- 梅田貨物駅の規模が恐ろしく巨大になる
- もしくは、「開発遅れ」の象徴になってる。
- キタの繁華街が成立していない。
- 新幹線は、現実の大阪駅の場所にできていたかも。
- 「湊町」の地位が史実の「梅田」並になる。
- 堂島地区だったら
- 京阪中之島線は大阪駅の直下に乗り入れていた。
- 大阪キタの繁華街は「梅田」ではなく「堂島」になっていた。
- 磐越西線の堂島駅が大阪にあると勘違いする人が出てくるかも。
- 阪急も阪神も堂島を起点にしている。
- 御堂筋ではなく四つ橋筋が大阪のメインストリートになっていた。
- それに関連し、ミナミのターミナルも難波ではなく湊町になっている。
- 心斎橋ではなく堀江が繁華街として発展している。
- スイッチバックを避けるために、いずれは淀川北岸に移転した。
- 大阪(堂島)駅とJR難波(湊町)駅の間に、直通する線路が引かれていた
- 阪神高速環状線と同じルートの場合、なにわ筋線計画は当然なかった
- 昔からの中心地である本町あたりに、いずれは大阪駅ができていた。その場合、東海道本線・山陽本線・関西本線の起点が大阪駅になっていた
- 関西本線から山陽本線に直通できるので、関西本線が名阪間のメインルートになっていた。当然全線伏線電化
日本橋駅
- 堺筋線の駅が松坂屋(現・高島屋東別館)と直結できる位置にあったら
- 現在の高島屋東別館が松坂屋の頃、実際に計画があって、ほとんどそのつもりだったのですが、紆余曲折があってダメになりました。今もその予定地は残存しています。
- 日本でほぼ初めての百貨店直結型の駅になってる。
- 近鉄や千日前線との乗り継ぎが悪くなってたか、ホームが恐ろしく長くなってた。
- 三越前駅「・・・」
- 恵美須町駅がもう少し南寄りになってた。
- 日本橋駅はでんでんタウンの最寄り駅にもなってた。
- 意外と南海難波駅との乗り換えが便利になっていた。
- 堺筋線が天下茶屋に延長するまではここが南海と堺筋線・阪急京都線との乗換駅の機能を果たしていた。
- 松坂屋は天満橋に移転しなかったかもしれない。
- 副駅名に松坂屋前がついていた。高島屋の場合は本館じゃないのでつかないと思われるが。
天王寺駅
- 谷町線の駅がJR天王寺駅の南側にあったら
- 御堂筋線や近鉄南大阪線との乗り換えが便利になっていた。
- 阿倍野駅はなかった。
- そうだとすると、南海平野線の地下化計画が進行していた。
守口駅
- 京阪守口市駅に隣接する位置にあったら
- 京阪との乗り換えが便利になっていた。
- 京阪は地下鉄に利用客を逃がさないよう必死になっていた。優等列車の守口市駅通過も現実よりも多くなっている。
- 守口市駅に停車するのは区間急行以下で、準急・急行は通過のままだったかも。
- ちょうど南海高野線と地下鉄御堂筋線が接続する中百舌鳥駅のようなことになっている。
- 京阪は地下鉄に利用客を逃がさないよう必死になっていた。優等列車の守口市駅通過も現実よりも多くなっている。
- 駅名は「守口市」となっていた。
- 谷町線が開通する頃には京阪の守口駅は守口市駅に改称されていたため。
- 京阪百貨店の来店客が増えていた。
四条畷駅
- 国道163号との交点にできていたら
- 駅名の通り四條畷市内に位置する駅となっていた。
- 市名に合わせるべく駅名の表記が「四條畷」に変更されていたかも。
- 四條畷市役所にも近かった。
- 京阪大和田駅方面から来る京阪バスは四条畷駅を経由して清滝団地方面に行くことになっていたため、現実よりも系統がシンプルになっていた。
- 忍ヶ丘駅は開業しなかった。
淀屋橋駅
- 京阪本線の駅が御堂筋の西側にできていたら
- 地下鉄御堂筋線を潜るため、現実より深い場所にホームがあった。
- 中之島線はここから延伸する形で建設されていた。
- 御堂筋線淀屋橋駅のほか四つ橋線肥後橋駅とも接続していた。
梅田駅
- 便宜上東梅田・西梅田駅もこちらに含めます。
- 阪急電鉄の駅が最初から現在地にあったら
- 茶屋町がさらに発展していた。
- 省線の高架化に翻弄されずに済んだ。
- 営業キロが短くなり、運賃も少し安くなっていた。
- 東梅田・西梅田駅が御堂筋線梅田駅に隣接していたら
- 東梅田駅のみ同じ位置にあったら
- 谷町線は当初御堂筋線梅田駅に乗り入れる予定でそのためのトンネルも出来ていましたが、ルート変更で現在の東梅田経由になりました。
- 大国町駅と同じように御堂筋線とはホーム上での乗り換えが可能になっていた。
- 駅名も「東梅田」ではなく「梅田」となっている。
- 御堂筋線⇔谷町線の乗り換えの際、改札外に出て買い物とかをすることが不可能になっていた。
- 御堂筋線だけではなくJRや阪急との乗り換えも便利になっている。
- 谷町線の利用客そのものも増えていた。
- 中崎町駅は存在せず、中津駅か茶屋町駅ができていた。
- 梅田地下街の人の流れが変わっていた。
- 梅田駅がパンクしていた。
- 御堂筋線、四つ橋線、谷町線の検車場が統合されていた。
- 西梅田駅のみ同じ位置にあったら
- 当初は阪神梅田駅の北側、御堂筋線梅田駅に隣接させる計画もあったそうです。
- ルートは阪神本線の線路を潜った後右に急カーブし、JR大阪駅と阪神梅田駅の間の地下に西梅田駅が設置されていた。
- 阪神の線路を潜るので西梅田駅は現実よりも深い位置にある。
- 地下鉄御堂筋・谷町線や阪急との乗り換えも便利になっていたので、四つ橋線の利用客は現実より増えていた。
- 御堂筋線のバイパス線という本来の機能を果たしていたかまでは微妙(本町駅やなんば駅は御堂筋線と離れるので)。
- 場合によっては御堂筋線と改札内で乗り換えられるようになり、駅名も「梅田」になっていた。
- 西梅田駅から北、十三方面への延伸計画はなかった。
- 阪神梅田駅の拡張は四つ橋線の駅が邪魔するため不可能となっていた。
JR難波駅
- 難波駅に隣接していたら
- 湊町駅を移転する際に難波駅と接続する計画があった模様。
- 勿論駅名は単なる「難波」となっていた。
- なんばウォークの規模が若干縮小していた。
- OCATは別のところに建設されていたかもしれない。
津田駅
- 国道307号との交点にあったら
- 枚方市駅から穂谷方面に行く京阪バスとの連絡が良くなり、バスの運用効率も上がっていた。
- 藤阪駅は開業しなかった。
- その代わり、河内磐船~津田に新駅が設置されていた。
- アルプラザ枚方の来店客が増えていた。
肥後橋駅
- 中之島に駅があったら
- 当初計画ではその案もあったようです。
- 大阪市営地下鉄の駅では唯一中之島に所在する駅となっていた。
- 場合によっては渡辺橋あるいは中之島という駅名だったかもしれない。
- 京阪中之島線との乗り換えが便利になっていた。
- 京阪渡辺橋駅の乗降客数も現実よりも多くなっていた。
- 位置的には朝日新聞大阪本社とフェスティバルホールの間くらい。
- 堂島川の対岸にあるドーチカと地下道で繋がっていた。
難波駅
- 四つ橋線の駅が現在よりも東側にできていたら
- 当初は新川を埋め立てた跡地に建設する計画もありましたが、道路拡幅が終わっていたなかったなどで四つ橋筋の現在地にできたそうです。
- 現在で言う阪神高速1号環状線や大阪シティバスなんばバスターミナルの真下くらいにできていた。
- 御堂筋線や南海との乗り換えは間違いなく便利になっていた。
- 御堂筋線とは開業当初から改札内でつながっていたので、難波元町駅ではなく当初から難波駅として開業していた。
- その反面、国鉄湊町駅(現JR難波駅)からは遠くなっていたので、同駅はさらに衰退していたかも。
- 地下化の際四つ橋筋の地下に移設されていた。
- 四つ橋線は大国町寄りで急カーブしていた。
- なにわ筋線の南海新難波駅の計画位置が変わっていた。
兵庫
神戸駅
- 福原にできていたら
- 新開地は現実よりも衰退しなかった。
- 神戸高速鉄道の高速神戸駅も現実より西側に設置され、新開地駅はなかった。
- 阪神と阪急の合流や神戸電鉄線との乗り換えもここで行われていた。
- 神戸市内における「福原」の知名度が現実より高かった。
西宮駅
- 阪神西宮駅の北側にできていたら
- 徒歩連絡は必要なものの、阪神西宮駅との乗換駅として機能していた。
- 阪神側は現実以上にJRに利用客が奪われていたかも。
- 毎年1月9~11日の十日戎の時には臨時改札口が設置される。
- 新快速は芦屋駅ではなくこちらに停車していた。
- 西ノ宮→西宮の駅名改称は現実通り。
- さくら夙川駅は開業しなかった。
奈良
新大宮駅
- 奈良そごう(現イトーヨーカドー奈良店)に隣接する位置にできていたら
- 奈良そごうの来店客は現実よりも多かった。
- ひょっとしたら閉店→イトーヨーカドーへの店舗譲渡、もなかったかも。
- 新大宮駅開業が1969年、奈良そごう開店は1989年なので、新大宮駅前に奈良そごうが出来たと言ったほうが適当か?
- 平城宮跡や奈良市役所へのアクセスも便利になっていた。
- 快速急行の停車も現実より早く行われていた。
- 平城遷都1300年祭の時には特急も臨時停車していたかも。
- 距離的に近鉄奈良~大和西大寺のちょうど中間くらいになるので、駅間距離のバランスもとれていた。
近鉄奈良駅
- JR奈良駅に隣接する位置にできていたら
- 当初は現実よりも西寄りの三条通り付近に駅を作る計画もあったそうです。
- 興福寺や東大寺、春日大社など奈良市内観光が不便になっていた。
- これらの場所に行くには駅からバス利用がメインだった。奈良交通の奈良市内循環バスは現実よりも利用率が高くなっている。
- その反面JRと近鉄の乗り換えは便利になっていた。
- 駅名も「近鉄奈良」ではなく単に「奈良」となっていたかも。
- 地下駅にはなっていなかった。
- JRと同時に高架化されていた。
奈良駅
- 現実の近鉄奈良駅近くに作られていたら
- JRでも奈良市内の観光地へ行くのが便利になっていた。
- 大阪・京都から奈良に行くのにJRよりも近鉄が圧倒的に有利、ということにはならなかった。
- 特に梅田や大阪北部から奈良に行く場合JRの大和路快速が圧倒的なシェアを誇っている。
- JR奈良線は史実より早く電化・複線化が行われ、近鉄京都線と互角な戦いをしていた。
- 「みやこ路快速」との対抗上近鉄京都線の京奈特急は南海の「サザン」のような指定席+自由席という編成になっている。
- 大阪・京都から奈良に行くのにJRよりも近鉄が圧倒的に有利、ということにはならなかった。
和歌山
紀和駅
- 現在の紀伊中ノ島駅の場所だったら
- 高架で阪和線がパスするような形で現在も存続。
- 当時の市街地から遠いため、阪和電気鉄道が入ってくるまでは苦労する。
- 現在の和歌山市駅の場所だったら
- 南海がJRに乗り入れた形になって現状どおり。
- 現実の紀和駅の場所は、巨大な車両基地あるいは、信号所になっていた。
- 駅名は現在も「和歌山」のまま。
- 現実の和歌山駅は今も東和歌山駅を名乗っているか、こちらが「和歌山市」に改称されていた。
- 現在より少し東に寄っていて紀伊中ノ島駅とは別駅だったら
- 貨物駅化されて、現在では廃止されているかも。
- 現在の和歌山駅の場所だったら
- もちろん駅名改称はない。
- 要は和歌山駅が当初から現在の場所にあったということ。従って「東和歌山」駅も存在しなかった。
- 南海本線もここが終点になり、現実の紀和駅付近に途中駅が設置される。
- 和歌山市駅前の現状を見ていると、むしろ南海の利用客は現実よりも多かったと思われる。
- 貴志川線が離れ小島になることはなかった。
- 場合によっては南海から経営分離されなかった。
- 南海と国鉄(JR)の共同使用駅となっていた。
- 南海の線路から国鉄駅に直通できる線路も存在し、難波発の急行「きのくに」はここを経由していた。現在は南海の新車搬入で使われている。
- 和歌山港線が現実とは異なっていた。
- 紀州路快速は南海の「サザン」との対抗のため、現在でも熊取以南が通過運転となっている。