ページ「もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら/非スポーツ」と「もしあの人が健在だったら/日本プロ野球」の間の差分

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{{Pathnav2|もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら|非スポーツ}}
==独立項目==
*[[もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら/ゲーム]]
*[[もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら/架空競技]]


==お笑い系==
日本人は行ごとに、外国人選手は「外国人」の節へ。
===ヒゲダンス===
==あ行==
#ドーピング違反で失格→強制送還→タイーホ。
===荒巻淳===
#*どうしてこういう流れに…
#1973年までにヤクルトの投手コーチを務めていた。
#*ヒゲダンスでドーピングてアンタ…
#*その後、西本幸雄監督の率いる近鉄か三原脩氏が球団社長を務めている日本ハムで投手コーチを務めていた。
#審査は志村けん氏&加藤茶氏と[[8時だョ! 全員集合ファン|この人達]]によるネット審査で順位が決まる。
#**毎日の後継球団であるロッテでコーチを務めていた可能性もあり得る。
#NHKかTBSで解説者を務めていた。


===男女野球拳===
===石丸進一===
#男子は競泳用海パン、女子はビーチバレー風の水着になったら負け。(一応五輪ですので)
#「消えた春」は存在していないので、それを原作とした「人間の翼 最後のキャッチボール」も製作されていない。
#*勝敗がはっきり分かるように身体にマジックか何かで”負け(開催国の公用語と英語)”と書かれているかも。
#*久保登喜夫(神風特攻隊隊員として戦死したスキージャンプ選手)や渡辺静(特攻隊隊員として戦死した野球選手)の知名度が上がっていた。
#会場は真夏のビーチまたは摂氏40度に加温された屋内施設。
#戦後も中日(名古屋)のエースとして活躍していた。
#*あるいは冬季五輪の種目として氷点下の屋外施設。
#*中日(名古屋)も1950年代にもう一回ぐらいは優勝出来ていたかも。
#競技開始時、選手は十数枚の衣服を着込むため、勝ち進みすぎて服を脱げないと脱水症状になり、ドクターストップで失格。
#引退後は中日の投手コーチを務めていた。
#*ある程度はわざと負けて、服を脱いだ状態(薄着)で勝ち進むというテクニックを要求される。
#或いはCBCか東海テレビで解説者を務めていた。
#五輪の野球拳は本家同様服を脱がないルールだったりして。
#1994年に母校の佐賀商業が夏の甲子園で優勝した時にはメディアからの取材を受けていた。
#*炎天下で負けるたびに服を着ていく”逆野球拳”になってるかも。
#**負ける度に身体に10kgづつウェイトを装着していく(装着箇所は身体に直接装着し、ウェイトが地面につかないのであれば選手が自由に決められる)スタイルになってるかもしれない。
#本家に倣い、服を脱がない野球拳を行う様になり、参加者激減。
#*「よよいのよい」でグーを出さず失格になる選手続出。


===世界のナベアツ===
===板沢峰生===
#3の倍数と3の付く数字だけアホになる。
#西武の黄金時代はもう少し早く来た。
##タイムアタック。
#2004年の伊東監督就任時に西武のコーチに就任。
##*40までの数字を最も早く正確にいえた選手が金メダル。
#*そして、2007年シーズンオフに伊東の後任として西武の監督に就任していた。
##*早口言葉合戦になるのでもはや審判の判断がつきにくくなりじき廃れる。
#**その場合、(史実での後任である)渡辺久信は現在も西武のコーチのままだった。
##耐久。
#ひょっとしたら、[[テレビ東京|TX]]か[[テレビ埼玉|テレ玉]]の解説者になってたかも。
##*1度も間違えずにより多くの数字を言えた選手が金メダル。
#*前者(テレビ東京)の場合は、[[wikipedia:ja:激生!スポーツTODAY|スポーツTODAYシリーズ]]にキャスターとして出演していた。
##**300番台まで進むとそりゃもう壮絶なことに。
#1985年のキャンプイン直前に、田尾安志との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍していた(史実では、大石友好と杉本正が中日に移籍)。
##***3000番台まで記録が伸びると……
#*1988年のリーグ優勝にも貢献していただろう。
##****300000番台まで進むと、競技後に正気に戻れずにアホになったままの選手が続出する。
##*ちなみに創設者は公式の場では2000まで数えたことがあります。
##フリースタイル。
##*4の倍数、5の倍数等でのバリエーションでの芸術点を競う。
##**もちろん全てオリジナルボケ。
##バトルロイヤル。
##*順番に数字を言い、間違えたら失格。最後まで残った選手が金メダル。
##*アホになった、ならなかったのアホな審議が熱い。
#言語は各選手の在籍国の公用語とする。
#*各言語の数字形態の妙を味わう為。
#借民からも日本代表が…、
#*あっ、違った。バカになるんじゃなくてアホになるんだったか。
#銅メダルが最も名誉ある賞。なぜなら(ry
#なぜかプログラミング部門もある。
#*2008年の企業研修ではよく使われたらしい。
#**PCがアホになったままで、プログラミングによる正常な反応なのかバグなのかウィルスなのか分からなくなる。


===熱湯コマーシャル===
===稲尾和久===
#ポイントは何秒間熱湯に耐え切れたか+コマーシャル(自己紹介に?)の宣伝度で決まるようになると思う。
#「今日感テレビ」のコメンテーターとマスターズリーグ・福岡ドンタクズの監督続行。
#*五輪大会公式スポンサーの宣伝を行うのもありか?
#*[[RKB毎日放送]]解説者としても健在。独特の視点と素人にもわかりやすい解説で「稲尾節」とアダ名され、ファン層拡大。
#**[[コカ・コーラ]]が熱湯コーラ風呂を用意する。
#2008年の<ライオンズ・クラシック>で、[[西武ドーム]][[福岡ドーム]]で始球式やって大喝采浴びたはず。
#[[wikipedia:ja:上島竜兵|この人]]が半強制的に日本代表にされる。
#幾度か、母校・県立別府緑ヶ丘高校(現・県立芸術短期大学付属緑ヶ丘高校に校名変更の上大分市に移転)で講演していただろう。
#*その為、余興も楽しみの一つに。
#ライオンズの永久欠番は史実通りだろう。
#競技後、選手は直ちに医師(兼 公式審判)の診察を受け、2度以上のやけどと診断された場合は失格。
#*ただし全員で24番を背負うセレモニーは存命中ならやらないだろう。
#*そのため、コマーシャルの方に力が入ることに。
#楽天・田中将大の21連勝が達成された2013年8月16日に西武ドームで開催された「西武×楽天」の試合を観に行ったかも。そして、試合終了後に稲尾と田中が会う。
#*選手の準備完了のサインは「押すなよ!?絶対に押すなよ!?」
#*この場合、多分、試合終了後には、球場に詰めかけた報道陣からコメントを求められる。さらに、同日夜のスポーツニュースに出演又はコメントが紹介され、翌日のスポーツ新聞にもコメントが載る。
#*「田中君の様な選手に(連勝記録を)抜かれたのは…」と言ったかも…。


===お笑い===
===稲葉光雄===
#漫談(漫才)とコントと喜劇(団体)の3種類
#2013年も中日の投手コーチとして若手投手の指導に当たっていた。
#*さらに落語も加わる
#*2013年入団の濱田達郎、福谷浩司などを指導。
#*各国が自国の笑芸(例:中国→相声、イタリア→仮面劇)を加えようと躍起になるのは必至。
#*2012年、CSの結果が変わっていたかも。
#*歌ネタもあるじゃないか。
#落合GM就任と同時に結局退任、となっていたかな?
#日本の場合、M-1・R-1・キングオブコントからそれぞれ選出。
#*コーチとしてやってきたのが2009年シーズンだったことを考えると、続けてたと思う。
#*優勝者は代表内定。2位と3位は、開催前年に8組による最終選考。上位2組が出場。
#*中日を退団した後は、オリックスでコーチに就任していたかもしれない。
#*落語種目は東西落語コンベンションから選出。
#*それとも、東海ラジオ、在名テレビ局で解説者を務めていた。
#*歌ネタは歌ネタ王決定戦から選出。
#日本はとりあえずメダル候補には上がる。
#審査員は各大陸から公平に選ばれる。
#*日本からはオール巨人、松本人志、渡辺正行、大竹一樹、関根勤、板尾創路、ヒロミ、博多大吉といった賞レースでの審査員経験者が選ばれそう。
#**または高須光聖や鈴木おさむなど放送作家も可能性大。
#フィギュアスケートの様に言語で評価の違いが出てくる可能性があるため、無言芸になるかも。
#*開催国の主要言語の使用が決まりとなる。
#*優勝候補は[[wikipedia:ja:が~まるちょば|が~まるちょば]]。
#喜劇日本代表は[[吉本新喜劇|ここ]]。


===ズクダンズンブングンゲーム===
===伊良部秀輝===
#まずはルール作りから。
#2012年楽天かオリックスに移籍していた可能性があるね。
#*両球団の監督が阪神時代の監督なので獲得しておけば戦力になっている。
#**また、コーチに就任している。
#MLB中継の野球解説者をやっていた。
#*NHKBSではなく、Jsportsの解説だな。
#日米どこかの独立リーグで現役復帰したかも。
#わたモテのメインキャラに伊良部姓の人物が出ていた。
#2018年に阪神時代の監督であった星野仙一の死を悼んでいた。


===シンクロナイズドテイスティング===
===上田利治===
#2人制もしくは5人制で行われる。
#オリックス関連のトークショーや始球式に登場していた。
#回答の正誤のほか、踊りや推理中の小ネタなどの芸術点を評価する。
#教え子の福良淳一氏の相談を受けていた。
#日本代表はもちろん[[wikipedia:ja:めちゃ×2イケてるッ!|この番組]]から選ばれる。
#*中嶋聡も。


===大喜利===
===江田孝===
#「笑点」と同じように座布団の獲得枚数で競う。
#引き続きクラウン・西武でコーチや2軍監督を務めていた。
#*なお座布団は大会のマーク入り。
#西武の初のリーグ優勝を見届けていたかもしれない。
#英語部門と開催国の言語の部門がある。
#スカウトを務めていた可能性が高い。
#言語による評価への影響を避けるためアクションやお絵描きの問題が多い。
#*スカウト、球団職員、編成部長を歴任していた。
#司会者の代わりにアナウンスを用いる。
#座布団の与奪は審査員5人による採点で決まる。
#*4人以上にウケれば座布団1枚、1人以下の場合は没収。
#下ネタ・政治関連のネタは厳しく規制される。
#1回あたりの回答者は8人。
#日本代表は「IPPONグランプリ」王者から選抜する(笑点メンバーは体力的に厳しいかと)


===笑ってはいけない===
===仰木彬===
#笑った回数が最も少ないものが金メダル。
#体力が続く限り[[オリックス・バファローズ]]の監督を続けている。
#ガキ使のレギュラーは日本代表になれないだろう。
#*中村監督の就任は2008年以降にずれている。
#どこの国の選手も笑わせることができる仕掛けの考案がかなり大変そう。
#**コリンズ監督の就任はなかったかもしれない。
#**ただ、仰木が2008年に監督に就いたとしても、実史通りの順位になったかは疑問である。
#***少なくとも2006、07年は史実よりもマシな成績だったかも。
#**後継は大石大二郎だろう。
#*清原和博のオリックス入団会見に同席している。
#**でも結局、毎年「今年が正念場」と言いながらサボって働かない。
#***だから、清原が覚せい剤に染めることはなかった。
#*ひょっとしたらイチローの提案を受け入れ、背番号「51」をつけていたかもしれない。
#*長谷川をヘッドコーチ、野茂を投手コーチ、田口を守備コーチに招聘。
#*2008年5月21日に辞任したコリンズ監督の後任に急遽なる。
#WBC日本代表の監督も務めていたかもしれない。
#*少年サンデーのMA○ORかよ!
#北京五輪日本代表の監督も務めていたかもしれない。
#*もしかして2009年に開催されるWBCの監督も…。 
#最高齢退場記録は当然更新中。
#2007年に西鉄時代の同僚だった稲尾和久の死を悼んでいた。
#「サンデーモーニング」の週刊御意見番にゲスト出演している。
#広島の新井宏昌打撃コーチが頭部に打球直撃で頭蓋骨骨折となり見舞いかコメント伝えていたかもしれない。
#オリックスの復刻試合「がんばろうKOBEデー」にはレジェンドOBとしてトークショーや始球式に参加した。
#*同じく近鉄バファローズ復刻シリーズにもセレモニーに出演した。
#*2019年の平成最後のオリックス主催試合となったブルーウェーブ復刻試合にもトークショーやセレモニーに出演。
#**健在なら選手・首脳陣全員が背番号72をつけることはなかった。
#***チャンステーマ丑王は史実通り作成されたと思われるが「誇り高き伝説(magician)を想う」という歌詞にはならなかったかもしれない。
#2016年からは元教え子の福良淳一率いるオリックスと梨田昌孝率いる楽天の対決に注目している。


=== アキラ100% ===
===大沢啓二===
#全裸にお盆1枚で股間を隠す。または小道具を駆使して股間を隠す。
#現在も「サンデーモーニング」の週刊御意見番に出演している。
#ハイスピードカメラ (2000コマ/秒) は使用されない。
#*コーナー冒頭に流れる曲は、TBS系スポーツテーマ曲『コバルトの空』に変わってない。
#お盆を落としたらその時点で終了。よって隠しきれた時間で競う。
#*もちろん「助っ人」としてゲストを呼ぶこともない。
#2011年7月24日の「サンデーモーニング」では、サッカー女子ワールドカップで優勝した「なでしこJAPAN」に'''大あっぱれ'''を入れたであろう。
#2013年8月18日の「サンデーモーニング」では、21連勝を達成した楽天・田中に対しても同じく'''大あっぱれ'''を入れたであろう。(実史は張さんと曲者・元木が普通の「'''あっぱれ'''」を入れたのみ。)
#日本ハムの東京時代の復刻ユニフォームでの試合にて始球式を務めた。
#大宮龍男のニックネームは「東海の龍」のままだった。
#「モルツ球団」の監督を続けている。
#ShouheiOtaniの二刀流をどう思ったか?(「サンデーモーニング」で、張本は懐疑的な見方をしていた。)
#2011年に亡くなられた立教大学の大先輩である西本幸雄氏を悼んでいた。
#日本ハム監督に就任した栗山英樹氏にアドバイスを送っていた。


==料理系==
===大下弘===
===料理の鉄人===
#千葉で少年野球の指導にあっていた。
#競技名は「Iron Chef」(アイアン・シェフ)になりそう。
#*彼の名前を冠する野球大会が開かれていたかもしれない。
#*日本の実況や解説が一度は「アイロン・シェフ」と言い間違えそう。
#野球殿堂入りに立ち会っていた。
#**さらには「アイロン・チーフ」と言う始末。
#プロ野球の歴史についてのコメントや川上哲治氏との対談において、テレビ出演していた可能性が高い。
#もちろんスタートの合図は「アーレ、キュイジーヌ!」。
#基本的にルールはテレビ番組の「料理の鉄人」に準じる。
#テーマ素材は開催国の食文化を色濃く反映したものになるだろう。
#*宗教上の食のタブーにも配慮しなければならないため、肉類・魚介類などの取り扱いに苦労する。
#公平を期すため、試食審査員は第3国から1人ずつ選ばれる。
#*そのため、審査はテレビよりも厳しくなる。
#アジア予選での日本のライバルは、この[[wikipedia:ja:周富徳|兄]][[wikipedia:ja:周富輝|弟]]を擁する中国代表。
#*日本代表に鉄人を起用していいのか論争がおこる。
#この[[フジテレビ|放送局]]は本選の放映権獲得に、躍起(やっき)になる。
#この競技のためだけに[[wikipedia:ja:鹿賀丈史|彼]](司会進行)と[[wikipedia:ja:福井謙二|彼]](実況)、そして[[男性声優ファン/あ行#太田真一郎ファン|彼]](冷蔵庫前リポーター)のスケジュールがIOCによって押さえられてしまう。
#*今だったら[[wikipedia:ja:玉木宏|このお方]]か。
#なぜかSMAPの面々がメダルを取ってしまう。
#日本代表に川越達也シェフも出場。


===鍋奉行===
===大杉勝男===
#日韓対決が見所。
#横浜大洋ホエールズが[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に改名後も、しばらくは打撃コーチとして活躍。
#*でもキムチ鍋で共闘しそう。
#*もしかしたら、横浜ベイスターズ初代監督に就任していたかもしれない。
#アク(取り)代官も活躍?
#後に、古巣の[[北海道日本ハムファイターズ]](東映フライヤーズ)か[[東京ヤクルトスワローズ]]の監督に就任。
#*星野仙一や野村克也と因縁の対決を繰り広げていた。
#*後者であれば永久欠番となった8番をつけていただろう。
#*ノムさんの後は後に史実通りになった若松さんか大杉さんかでフロントは迷っていた。
#プロ野球界から完全に引退していた場合、欽ちゃんとの関係で茨城ゴールデンゴールズのコーチをしているかも。
#セ・パ両リーグで200本塁打を無事達成していた。
#*さすがにそれはない。(引退は粛々と受け入れたと思う)
#平成に入り、ドーム球場が次々と完成するのを見て「月に向かって打つ事はもうできないんだな」と嘆いていた。
#実写版セーラームーンに特別出演
#サンデーモーニングで3人で'''喝'''を入れていた。
#*現役引退後はフジサンケイ系と契約していたから難しいと思う。
#**なら、史実での関根潤三のポジションあたり。
#**↑なら、フジテレビ「プロ野球ニュース」(CS版)に出演かも。
#1993年ヤクルトが15年ぶりの日本一でお祝いコメントを語っていた。
#*2006年日本ハムが44年ぶりの日本一になった時も同じく。


===バーベキュー===
===小瀬浩之===
#表彰台はギャル男ばっかり。
#オリックス・阿部真宏⇔西武・赤田将吾のトレード話は存在しなかったかもしれない。
#*いや、本場アメリカの親父たちが独占する。
#*むしろ、小瀬自身がトレードに出されていた(2010年以降のシーズン成績にもよるが)。
#**テンガロンハットに革のベスト、カウボーイシューズを身につけ、ダッチオーブンを引っさげたような……
#*同じく前年の成績によるが、2013年には赤田ではなく仲の良い大引と共に日ハムへトレードされていたかも。
#たけだバーベキューが銅メダルに入りそう。
#T-岡田は1軍出場に恵まれず戦力外になっていたかも。
#*Tとは同じ外野手とは言えど、微妙に小瀬とはポジションが重複しないのでそれはないかと…。
#*Tは現実通りとしても、後に入団する駿太のブレイクが遅れていたかもしれない。
#オリックスでは近大時代に背負った背番号7が与えられたかもしれない。
#*史実通りに糸井嘉男が来ても、彼の背番号は7以外の番号が与えられていた。
#**その場合は2(史実では原拓也)、5(史実では平野恵一)、10(史実では李大浩)のいずれかが有力。
#イチロー級とはいかないまでも、オリックスの核弾頭として地位を築いていたかもしれない。
#*その場合、糸井嘉男がオリックスへ加入することはなかった。
#**糸井と共にトレードされた八木智哉は…、実史と変わらなかったかも(苦笑)いつトレードされてもおかしくなかった状態なので。
#大引のFA移籍について、何らかの反応を示していた。
#*同じく、オリックス時代の同僚・坂口が大引とヤクルトのチームメイトとして再会した事には更なる驚きを隠していなかったはず。
#**その後次第では小瀬本人もヤクルトに移籍するかも。
#***2015年までに移籍していた場合、15年のリーグ優勝に貢献していた。
#*大引がヤクルト優勝のビールかけでオリックスのユニフォームを着ることはなかった。
#オリックスの背番号41は小瀬の後輩選手に授けられていた。(2016年現在も急逝以降欠番となっている)
#オリックスに在籍し続けていて現実以上に活躍していたら2011年にCS出場、2014年にはリーグ優勝出来ていたかも。
#ブルーハーツの「電光石火」の知名度は現実ほど上がらなかった。
#*ブルハの「電光石火」と言えば、サッカーJリーグ・[[ベガルタ仙台]]のチャント以外で由来を知る事はほぼ無かった。
#清原和博の逮捕に関して何らかのコメントを出していた。


===ケーキグランプリ===
==か行==
#基本的に上記「料理の鉄人」に準じたルールになる。
===香川伸行===
#*但し「テーマ」と「パフォーマンス」、「演出」が採点基準に加わる分、若干難しくなるかもしれない。
#再びRKB毎日放送の野球解説者に。
#*制限時間もテーマによってその都度変更される。
#*ちょくちょく福岡のローカル番組に出演。
#[[夢色パティシエールファン|元ネタ]]とは異なり、世界中からプロのパティシエが参加することになる。
#『しくじり先生 俺みたいになるな!!』の先生で出演。
#*最初は[[フランス]]あたりがメダルを独占するかも。
#*『明石家さんまのコンプレッくすっ杯』のおデブ代表に出演していた。
#*日本では[[wikipedia:ja:日本洋菓子協会連合会|日本洋菓子協会連合会]]肝煎りの競技になる。
#2018年のドカベン連載終了の際には何かしらコメントを残していた。
#*選手の年齢制限もないので、アルコール入りスイーツの作成も可能になる。
#**もちろんその場合は試食審査員は成人限定。
#で、やっぱり[[讀賣テレビ放送|この局]]が放送権の獲得に躍起になる。
#*『[[情報ライブ ミヤネ屋ファン|ミヤネ屋]]』から[[wikipedia:ja:林裕人|林先生]](本業はパティシエ)を選手として送り込むかもしれない。


==芸術系==
===蔭山和夫===
*絵画という競技がかなり昔にあったようです。
#後のホークス暗黒時代は訪れ無かったかもしれず、身売り&福岡移転も無かったかもしれない。
**その名残として、オリンピック開催都市では期間中に美術展覧会が同時開催されるんだとか。
#*いずれにしろ、ホークス史はガラリと変わっていただろう。
#野村克也の監督就任が実史よりずっと遅れるので、サッチーがそこまで出しゃばらず事無く南海を追放される事もなかったかもしれない。
#*野村は南海で現役生活を終えていた。しかし、選手兼監督になることはなかったので、江夏豊や柏原純一が南海に入団することはなかった(実際、この2人は野村監督を慕って、南海入りしている)。
#*したがって、古田敦也がヤクルトの選手兼監督になることもなかった(古田自身は野村の影響を受けたと言っている)いや、それ以前に古田がヤクルト、ひいては球界に入れていたかどうか疑わしい。
#**ヤクルトに関してはリーグ優勝はおろか、Aクラス入りも怪しくなっていた。
#***そもそも古田のヤクルト入団に反対していたのは野村。ヤクルトは選手補強と育成を順調に進めており90年代にリーグ優勝は十分に可能。どころか沙知代とダンの母子を90年の時点で完全に駆除できるため史実よりよほど良い環境で戦えた。
#*野村が監督にならなかった以上、ドン・ブレイザーがヘッドコーチになることもなかった。従って古葉竹織や島野育夫が指導者として球史に名を残すことはなかっただろう(野村はブレイザーのヘッドコーチ就任を監督を引き受ける条件としていた。そして古葉、島野はブレイザーの「シンキング・ベースボール」の影響を受けている)。
#*野村が監督になるまでの中継に徹し、70年代中盤頃には野村に禅譲した。
#**野村の監督就任は長嶋茂雄と同時期になったかもしれない。
#鶴岡一人はサンケイアトムズか東京オリオンズの監督に就任。
#*東京の監督になっていた場合、下手したら蔭山南海、西本阪急との間で史実の1988年・89年のような熾烈な優勝争いが起きていたいたかも。
#**[[wikipedia:ja:永田雅一|永田ラッパ]]と鶴岡親分は喧嘩別れに終わり、ほぼ史実どおりでロッテの経営権移譲と東京球場の終焉につながる
#*サンケイの監督に就任した場合は、軸になる選手がいないので2,3年采配を振るも浮上のきっかけをつかめず、とうぜん巨人のリーグ制覇は阻止できずお払い箱となる。
#**で、後任はやはり三原脩か。
#**サンケイは鶴岡を招聘することで、広瀬・森中らを芋蔓式に引き抜こうとしていた。というか蔭山の急死でサンケイ側の皮算用が崩れた結果が三原就任までのどうしようもないゴタゴタの背景だし。
#監督辞任後は、野球評論家として活躍。
#*『プロ野球ニュース』にも出演。
#*野村監督から度々相談を受けていた。


===漫画===
===[[wikipedia:ja:加藤斌|加藤斌]]===
#日本は金メダル多発。
#作新学院時代チーム内のライバルだった八木沢荘六よりプロ時代の実績を残した。
#他国からのクレームに伴い1コマ・4コマ・マンガの各部門に分かれる。
#ドラゴンズで下手投げの投手と問われ、小川健太郎でも三沢淳でもなく彼だと返答するファンが多かった。
#*更に分断されギャグ・ストーリーや萌えか劇画か等数十種目になる。
#もし中日で成績が芳しくなくなったら、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]か[[北海道日本ハムファイターズ|フライヤーズ→ファイターズ]]あたりで投げていた
#**最終的にはSFやロボット、恋愛、アドベンチャー等ものすごく細かく分断される。
#引退後は、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]のプロ野球解説者になってたかも。
#*当然台詞を使ってはいけなくなる。
#交通事故から奇跡的に生還できた場合、ドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
#風刺漫画の部門も確実に設けられる。
#*交通事故防止を呼びかけるCMに自ら出演していただろう。
#大会で描かれた作品はIOCおよび各国のオリンピック委員会が書籍化して販売する。
#国政or栃木県知事選挙に最低1回は出馬していた。
#*収益はオリンピック・ムーブメントのために使われる。
#*前者の場合、船田元と得票数を争っていたかも(どの党から出馬したかにもよるが)。
#**仮に、<!--2011年10月の時点で-->民主党に所属していた場合、<!--鳩山・菅・野田の-->いずれかの内閣で閣僚入りしていただろう。
#2011年シーズンオフに落合博満の後任でドラゴンズの監督に就任していた。
#*その場合、高木守道の監督復帰はなかった。


===書道ガールズ甲子園===
===加藤博一===
#やはり出場選手は女子高生限定。
#今でも試合終盤の代打もしくは守備固め専門で出場してるかも。
#*あるいは年齢別に階級を設け、中学生や大学生、社会人も参加可能にする。
#*んな無茶な。
#*男子競技も創設する。
#*プロ野球は無理だろうがモルツ球団関連での試合ならありえたかも?
#**男女混成での出場も可能に。
#[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]]の打撃コーチか守備走塁コーチ就任。
#日本は金メダル多発…かと思いきや、他の漢字語圏の国々が猛追してくるのは間違いない。
#*あるいは、[[フジテレビ]]の解説者のまま。[[TBS]]から解説者就任のオファー来るかも。
#*漢字語圏以外はカリグラフィーで対抗。
#もし、フジの解説者のままならフジテレビ739→ONEの「プロ野球ニュース」にも登場し続けた。
#**アラビア語圏が躍進する。
#[[ニッポン放送]]「ショウアップナイター」にも解説者として出る可能性もありそう。
#*一番盛り上がるのはやはり日[[中華人民共和国|]]対決。
#[[サンケイスポーツ]]にコラム連載してただろう。
#[[日本テレビ|この局]]は放送権の取得に躍起になる。
#*[[wikipedia:ja:羽鳥慎一|この人]][[wikipedia:ja:西尾由佳理|この人]]のスケジュールがIOCによって押さえられてしまう。
#フィギュアスケート同様、ショートプログラムとフリースタイルの2部制になりそう。
#競技としての正式名称は単に「書道(Calligraphy)」となる。
#審査員はどこの国から選ぶんだろうか。


===似顔絵===
===川上哲治===
#描く枚数を競う部門と完成度を競う部門がある。
#球界最年長の解説者として健在。
#*ただし前者でもあまり似ていない絵は枚数にカウントされない。
#*日本プロ野球80周年記念試合の解説していた。
#部門はモデルの有無でも分けられる。
#2013年の日本シリーズの展開が変わっていた。
#*モデルなしの部門では「何も見ずに世界の有名人を描く」といったような競技が想定される。
#*田中将大が敗戦投手になることはなかった。
#おそらくフランスの選手が活躍しそう。
#**30連勝以上続けていた。
#それまで無名だった画家がオリンピック出場を機に注目されるという事例が続出。
#読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題と清原和博が覚せい剤取締法違反で逮捕の際にはひどく激怒していた。
#*日本の場合は選考段階で画壇の派閥が顔を利かせるから、難しいと思うが。
#**むしろ日本の場合、似顔絵捜査官が選手になるケースもありそう。


===写真===
===衣笠祥雄===
#動物、事件、人物、風景、交通、スポーツなどの分野に分かれている。
#今でも、TBSの解説者を務めている。
#*採点は各分野で世界トップクラスのカメラマンが行う。
#*後輩の新井貴浩氏を可愛がっていた。
#もちろん開催都市やその周辺で所定の期間中に撮影しなければならない。
#サンデーモーニングのコメンテーターのゲストとして、出演していた。
#撮影にあたり危険な行為を行うなどした場合は失格。
#TBSラジオの「鉄人ミュージック」も継続だが、日本で知られてないアーティスト発掘の場になったかも。
#*一番良くある失格は「モデルを全裸にした」か。
#自らと同じアフリカ系ハーフの野球選手であるオコエ瑠偉や宗佑磨の活躍に注目し、コメントしていた。
#*交通部門で写真撮影の列車妨害が頻発し、結果分野からはずされる。
#*さらに大坂なおみの活躍にもコメントしていた。
#人物分野では本国から連れてきたモデルを使った写真と、大会本部が指定した日に指定された区域内にいる現地住民を使った写真を2点制作する。
#*後者は「仕込み」防止のため、撮影区域は当日発表される。
#競技に使う写真機材スポンサーがどこになるかでトラブルがありそう。


===花火===
===木村拓也===
#花火を打ち上げて美しさを競う。
#それでも巨人は2010年シーズンのリーグ優勝は…微妙か?
#夜間のみ競技が行われる。
#*但し、CSの結果がどう変わっていたか…。その辺も未知数。
#*雨の日や風の日は競技中止。
#本人は2~3年ほど巨人のコーチとして在籍した後、古巣の広島に復帰。
#マラソンなどと同じく入場券を買わなくても競技を観戦できる。
#*43~45歳くらいで広島の監督に就任したかも。
#花火の様子が見える部屋の値段が高騰する。
#**だとすれば2015年シーズンには緒方ではなく彼が監督になっていただろう。
#優勝者は閉会式で花火を打ち上げる(エキシビション)
#***そうなると[https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E7%B7%92%E6%96%B9%E4%BC%9D%E8%AA%AC 緒方伝説]はキムタク伝説になっていた?
#*あるいは広島に復帰せず、由伸が監督になった2016年からヘッドコーチに昇格していた可能性も。
#**2016年は所属が巨人か広島かによって、広島のリーグ優勝への反応が変わっていた。
#*古巣広島に復帰したら、(実史で)リーグ優勝した2016年に、フジ系「SMAP×SMAP」で、SMAP・木村拓哉と競演したかも…。
#日テレ『ズームインサタデー』・「プロ野球熱ケツ情報」の準レギュラー?
#彼と同姓同名のメンバーのいるSMAPの解散の際には何かしらコメントを残していた。
#*フジテレビの同姓同名(しかも漢字も同じ)のアナウンサーが入籍した際も何らかのコメントを残していた。
#2019年6月30日に放送されたABCテレビ『「君の名も。」~人生激変!? 同姓同名ストーリー~』に、元SMAP・木村拓哉と同姓同名の人物の一人として出演していただろう。


===建築===
===久保寺雄二===
*開催経験あり。
#南海ホークスはもう少し強かった。
#おそらく選手村を利用して行われる。
#*少なくとも、ダイエーに身売りされる前後に最低一回はAクラス入りしていた。
#*設計図通りに組み立てるスピード部門と、独自の居住棟を建設する芸術部門に分かれる。
#福岡ダイエーホークスの初優勝を見届け引退。
#**どちらの部門も快適性や耐久性なども問われる。
#*スタンドの大「クボデラ」コールに包まれ宙を舞う。
#湯上谷宏のレギュラー入りが遅れた。
#*浜名千広の入団もなかった。
#**大道典良の入団もなかった。
#*その後井口忠仁の入団で久保寺はセカンドに回った。
#**井口がショート守ったら、久保寺はサードに戻る可能性無いかな?
#引退後もホークスのコーチとして残り、2006年の王監督休養時には森脇浩司の代わりに久保寺が監督代行を務めていた。
#*仮に、野球解説者となった場合は[[毎日放送|MBS]]か[[RKB毎日放送|RKB]]あたりでやってたかも。
#2000安打は間違いなく打ってたであろう。
#*自ら持つ二塁打のリーグ記録更新もしてただろう。
#**最多二塁打の日本記録作って「ミスターツーベース」の称号を得ただろう。
#ひょっとしたら、ホークスが福岡に移転する前後に結婚してたかも。
#2008年シーズンオフに王貞治の後任でホークスの監督に就任していただろう。
#*その場合、秋山幸二の監督就任はなかったor史実よりも遅れていた。


===文学===
===黒沢俊夫===
*開催経験あり。
#巨人の戦後黄金時代到来は少し早まっていた。
#もちろんスポーツを題材とすることが義務付けられる。
#ウォーリー与那嶺が来日することはなかった。
#かつて行われていた詩の部門だけでなく小説やルポタージュといったあたりも追加される。
#*通算ホームスチール数は、史実での生涯通算の10個はもちろん、与那嶺がマークした日本記録の11個も超えていたのでは。
#使用言語は何語でもよい。
#*中日の球団史にも影響が出ていただろう。
#*ただし英語かフランス語での要約を付けなければならない。
#当時は稀だった「生涯成績1000安打・100盗塁」に迫っていただろう。
#巨人で現役を終えた場合、背番号「4」は普通に後輩選手に引き継がれた。
#*「1」が南村侑広から王貞治、「3」が千葉茂から長嶋茂雄…誰が継いでただろうか。
#*俊足のレギュラーや代走屋の背番号として緒方耕一や鈴木尚広に引き継がれた。
#*漫画「侍ジャイアンツ」の主人公・番場蛮は別の背番号を付けていた。
#沢村栄治のエピソードは語り継がれるものの神格化はされず、背番号も永久欠番にならなかった。


===映画===
===小林繁===
#開催期間中に脚本の執筆から上映・審査を行うのでとても忙しい。
#2011年シーズンは佑ちゃん専属のコーチ状態だったかも。
#ほとんどが短編映画になるだろう。
#*そこまではいかなくても、多大な影響を与えていたに違いない。
#審査を公平にするために開催地の言語で制作するので、言葉を覚えるところからはじめなければならない。
#江川卓とのわだかまりは完全に決着していた。
#いっそ無声映画のみになるかも。
#*既に、黄桜のあのCMでケリついていたのでは?
#開催地のスタジオは限りがあるので、ロケが多め。
#糸数敬作がスランプに陥った可能性は史実よりは確実に低かった。
#*糸数にかけた一言がきっかけで糸数が目覚めて一気にブレイクしたかも。
#大谷翔平の二刀流に頑固反対していただろう。
#梨田氏の楽天監督就任と共に投手コーチとして抜擢されていた。
#*彼の日ハム監督辞任からそれまでは生活拠点のある[[福井]]で[[ベースボール・チャレンジ・リーグ#福井ミラクルエレファンツ|ミラクルエレファンツ]]監督を務めた。
#または、TBSテレビ系の最終スポーツ番組のMC(かつて実際に担当した『JNNスポーツチャンネル』みたいに)を担当している。


===アニメ制作===
==さ行==
#個人競技でも国別対抗の団体競技でもなく、制作会社対抗の競技になる。
===島野育夫===
#動画再生数や、BD/DVDの売り上げで競う。
#星野仙一が楽天の監督就任した同時ヘッドコーチに就任していただろう。
#*テレビアニメ部門とアニメ映画部門がある(映画部門は興収も)。
#*田淵が就任することは無かった。打撃コーチに就任していた。
#**それどころかCGアニメ部門やストップモーションアニメ部門やクレイアニメ部門まであるのかも知れない。
#**その場合、楽天は史実よりも早くリーグ優勝していた。
#日本勢は間違いなく優勝候補。主に[[京都アニメーション|ここ]]や[[シャフト|ここ]]や[[サンライズ (アニメスタジオ)|ここ]]が有力。
#*星野監督が退場した場合、代行をしていた。
#*[[東映|ここ]]や[[P.A.WORKS|ここ]]も加われるかも。
#*その前の2008年に北京五輪の日本代表でもヘッドコーチに就任していた。
#*映画部門なら[[ジブリファン|ここ]]の他、アメリカのディズニーが有力。
#2009年に真弓ではなく、阪神監督に就任していた。
#売り上げスレのルールにより、この競技だけメダルが4位まで(四天王)になるかも。
#*もしくは、2軍監督とヘッドコーチを務めていた。
#制作が間に合わなかったりして棄権した会社が出ると、実況板やニュース速報板が「万策尽きたー」で埋め尽くされる。
#神戸市・三宮に創作洋食の店をオープン、現在でもオーナーとして務めている。
#2018年星野仙一の死を悼んでいた。
#下柳剛の楽天時代の背番号は91にならなかった。(島野氏の阪神コーチ最終年の背番号にちなんで選んだため)。


====制作会社対抗の競技ではなく個人競技や国別対抗の団体競技になる場合====
===杉浦忠===
#自主制作アニメを作る人達の地位が高まったらこうなる
#現在も野球解説者として活躍している
#*その様な人はアニメ選手と呼ばれる。
#*[[毎日新聞|毎日]]か[[スポーツニッポン|スポニチ]]で連載コラムを持ち、健筆振るってるかも。
#日本代表としてたつき監督を率いるイロドリが参加。
#毎日放送がTBSの株主の関係でサンデーモーニングにもゲストで度々出演できた可能性も
#昔からその様な競技があった場合ピングーの生みの親であるオットマー・グットマンが参戦してた。
#*大沢親分と同じ立教大学出身だからありえる。
#04年のプロ野球再編騒動では合併に走らなかったダイエーに対していくらか評価していた
#ホークスの監督に就任し、王貞治はジャイアンツのコーチか監督に復帰、又はホークスのヘッドコーチに就任したかも。
#*巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、ホークスの終身名誉監督に就任。
#ホークスの南海復刻試合のときにセレモニーに登場した。
#2019年の日本シリーズでホークスが60年ぶりに巨人を撃破した際に何かしらのコメントを出していた。


===地図===
===鈴木貴久===
#開催都市の周囲を測量する「測量地図」と、独自に架空の地図を作る「空想地図」の2種目がある。
#近鉄の合併消滅を目の当たりにして嘆いていただろう。
#どちらも[[日本]]がメダル候補になると思われる。
#*合併知らずに亡くなったのはある意味幸せかもしれない。
#*空想地図部門では想像地図研究所の代表がそうなる。
#*仰木監督の死去に関しても同じく。
#測量地図の測量エリアの面積によって、ランク分けされそう。
#梨田監督の下、日本ハムのコーチに就任していた。
#*有力なのは「1km四方」「3km四方」といった感じか?
#*北海道出身ということもあり、2005年から就任していたかも。
#空想地図は「地図の枚数」「地図の細かさ」「地図のリアルさ」の合計点で競う。
#*楽天のコーチとしては…?と言う感じか。
#*地名は何語でも良いが、必ず英語か開催国語に翻訳する必要がある。
#2007年のシーズンオフに大西宏明がトレードには出されない。
#*既存のフィクション作品の世界をリアルに地図化する部門も設けられるかもしれない。
#*当然、古木克明のオリックス移籍もない。
#*もしかしたらオリックスのコーチになって再び大西を指導していたかも。
#[[テレビ大阪|TVO]]か[[テレビ北海道|TVh]]の野球解説者になってたかも。
#*後者の場合、2009年度は札幌テレビ・STVラジオの解説者に鞍替えしていた。
#道新スポーツに連載コラム執筆もありえた。
#オリックスでの近鉄バファローズ復刻試合にレジェンドOBとしてトークショーや始球式を務めた。
#*大阪ドームの公式戦第1号ホームランを放ったことももちろん話題にされている。


===動画===
==た行==
#上記の映画やアニメ制作と一部被る
===大豊泰昭===
#開催中に動画を制作し、オリンピック公式が用意したyoutubeアカウントに投稿、閉会式までの再生数を競う。
#自分の料理店を閉店させることはなかった。
#*アカウントを同じにするのはチャンネル登録者数の差をなくすため
#今でも中日のスカウトをやっていた。
#再生数だけでなく、評価も基準になるだろう。
#WBSCプレミア12野球チャイニーズタイペイ代表の打撃コーチに就任。
#権利者削除されたら当然失格
#*陽岱鋼などを指導していた。
#日本国内予選はニコニコ動画が使われる(日本のサイトなので)
#指導者として成功していれば、近年の台湾球界のレベル低下にも歯止めがかかっていた。
#*台湾から来日する野球選手を現実より増加させているかも。


====音MAD====
===高野光===
#実写部門とアニメ部門の2種類がある。
#2001年からマスターズリーグに入団していた。
#映像や音合わせが審査基準に。
#[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]のコーチになっていた。
#使用楽曲は公式が決めたものになる。
#*大学の先輩である原辰徳に請われて[[読売ジャイアンツ|巨人]]のコーチ…ってこともあったかも。
====BB劇場====
#ヤクルトの背番号34番は日本人が背負い続けている。
#けもフレ劇場部門、無職劇場部門、先輩劇場部門の3種類。
#*史実では2001年以降、09-11年の八木亮祐を除き外国人が背負っている(13年現在)。
#大会の性質上、過激なネタはできないので、無職劇場と先輩劇場の製作は特に苦労するだろう。
#サンケイスポーツの評論家になっていただろう。
#*そもそも先輩劇場の部門があるかどうか...
#*その縁で、フジサンケイグループ系の放送局([[フジテレビ]]・[[ニッポン放送]]・[[文化放送]])のプロ野球解説者になってたりして。
====PV、MV====
#これも実写部門とアニメ部門がある。
#映像が審査基準と、音MADの場合とほぼ変わらず。


===ロボットコンテスト===
===高畠導宏===
#大会ごとに課題が変化する。
#60歳で教師を定年退職後、筑紫台高校野球部の監督に就任していた。
#パーツの予算を制限なしにすると、金をかけた国が有利になりすぎるのでそういったものへの制限が厳しく制限される。
#*非常勤講師として教壇にも立っていた。
#**筑紫台高校参与の肩書きもあったから、そちらの仕事も忙しくこなしてた。
#***高畠門下生の元プロ選手がコーチ就任するかも…って監督もコーチも元プロだったら凄まじい野球部になるじゃねーかw 監督からして元プロのコーチだしw
#[[NHK]]のドラマ『フルスイング』は製作されず、代わりにNHKスペシャルで何度もドキュメントとして取り上げられていた。
#肩書きは参与だけど、生徒達には以前の先生扱いのまま。勿論大人気。卒業生からも大人気。
#*「肩書きは参与ですがね。実際の半分は生徒たちの相談相手ですよ」なんて苦笑してるかも。


===俳句===
===津田恒実===
#放映権はもちろんTBSが獲得。
#40代前半頃まで[[広島東洋カープ]]の抑えとして現役を続けていた。
#日本からは梅沢富美男と東国原英夫が代表になる。
#*FA権公使で他球団に移籍することはなかっただろう。
#開成高校から多くの選手が出場する。
#**移籍の可能性があるとすれば当時・森脇浩司が在籍していたダイエーであろう。
#*ただ、カープの黄金時代の終わりと共に酷使されて引退は意外と早かったかもしれない。
#**しかし酷使される前に先発に再転向し、150勝150セーブを達成する可能性はあった。
#*佐々木の前にメジャーいってるかも。
#*大野豊と佐々岡真司は先発専門。よって二人とも100勝100セーブは達成していない。ただし二人揃って200勝を達成している可能性はある。
#引退後は直ちにカープのピッチングコーチに就任。
#*またはNHKの野球解説者になり、大野などとともに解説を行っている。
#**津田が先に引退なら、津田がNHK解説者に、大野が在広民放局(多分RCCかHTV)の解説者になっていた。逆に大野が先に引退なら、大野が(現状の)NHK解説者に、津田が在広民放局の解説者になっていた。
#**tssの解説者になっていたら、「プロ野球ニュース」にも週1回ペースで登場した。
#2007年現在では監督に就任していたかもしれない。
#*コーチに森脇浩司を招聘し、ホークスの本塁憤死が減っていた。
#**史実通り森脇がオリックスの監督に就任していたら、投手コーチにはなっていた。
#***2017年からは森脇と共に中日の投手コーチに就任していたかも。
#*達川光男もバッテリーコーチとして復帰していたかもしれない。
#*カープのクライマックスシリーズ初出場が実史の2013年より早まったかもしれない。
#**もしかしたら、この年の日本シリーズに進出した可能性も…。(実史は巨人に1勝もできずに敗退した。)
#カープの暗黒時代突入が数年遅れていた。
#ドラマ「最後のストライク」は存在しなかった。
#新[[広島市民球場]]で始球式をやっていたかも…。
#*実現してたら、ピッチャー:津田・キャッチャー:達川・バッター:ブラウン(現監督)かな?
#*もしかしたら、親子に始球式のバッテリーをやったかも…。
#WBCの投手コーチをやったかも。
#2011年以降評論家生活なら福島原発事故で埼玉県加須市へ避難した双葉町の子どもたちとイベントでキャッチボールをしていたかもしれない(加須市が「鯉幟」の名産地という縁でカープとのつながりがある)。
#2009年春の選抜高校野球で、自身の高校時代以来のベスト8進出を果たした南陽工業高校にお祝いのメッセージを送っていた。
#2016年シーズンの広島のセ・リーグ優勝について喜びのコメントを寄せた。
#*一時期、広島の背番号15を背負っていた同志として[[プロ野球選手ファン/引退選手/か行#黒田博樹ファン|黒田氏]]の永久欠番についても納得していたはず。
#森脇浩司の結婚式にも無事出席していた。
#うまくいけば1995年・1996年もリーグ優勝できていたかも。
#*その場合、96年のメークドラマはなかった可能性がある。


==音楽系==
===土井正三===
===ビートルズコピーバンド===
#度々巨人軍OB関連行事に出席していた。
世界中に数多く存在し、本物顔負けの腕を有するバンドも少なくないそうですので…
#イチローの3000安打、4000安打更新の際にコメントを出していた。
#コピーレベルの高さを「歌と演奏技術」を中心に競う。従って容姿は採点対象にはならない(というルールにしないと本物のメンバーそっくりに顔を整形して出場するバンドが出てくるため)。
#*「イチローを育てられなかったダメ監督」の風評を撤回していた。
#歌のコードは必ずしも本物と同じでなくてよい。
#*2019年の引退の際にもコメントを出していた。
#*世界中のビートルズファンが反発する。
#演奏曲目はビートルズのシングル曲の中からコンピュータによる無作為抽選か、バンド代表者によるくじ引きによって決定される。従って出場するバンドはビートルズのシングル曲を全てマスターしていなくてはならない。
#*実際の競技実施手順
#**出場バンドが一曲演奏し、最も評価の低いバンドが競技から除外される。
#**残ったバンドがもう一回曲目抽選と演奏(当然一回目とは別の曲目)を行い、最も評価の低いバンドを落とす。これを残り3バンドになるまでくり返す。
#**残り3バンドになったところで、最終演奏として、各バンドそれぞれが最も得意な曲目を演奏して、最終順位を決める。
#**マイナーな曲(I Won't to tell you,When I get Homeなど)が好きな人から反発が出るかも・・・
#名誉審判長はオノ・ヨーコ。
#イギリスが面子にかけて強化に乗り出すことになる。


===合唱===
===土橋修===
#1チーム2曲歌う。1曲は課題曲として開催国で愛唱されている曲を(開催国の公用語で)歌い、もう1曲は各チームが自由に選べる。
#阪神のローテーション投手として活躍していた。
#*日本開催だったらJ-POPを合唱風にアレンジした曲だとか…
#1968年、70年、73年とリーグ制覇をしていたことだろう。
#**[[ジャニーズファン|ジャニーズ]]が選ばれて大量の苦情が…
#阪神の背番号40が不吉な背番号として阪神ファンの間から広まることは無かった。
#金メダル最有力候補はたぶんオーストリア。
#上田次朗は入団していなかったか入っても大成しなかった。
#*ハンガリーも侮れないぞ。
#トレードで南海か阪急に移籍していた可能性もある。
#*自由曲の宗教曲がアリかナシかで結果が大いに変わってくる。
#*ロッテ、日本ハム、西武に移籍していた可能性もある。
#国内予選では、廃校が決まった小学校の全校生徒で編成されたチームとかが出てきて、話題性もあってかなり上位に食い込むが、さすがに審査員も理性を取り戻し、本戦に進むのはちゃんとしたチーム。
#審査員には出場国の公用語を使用しない国から選ばれる。


===エアギター===
===土橋正幸===
#競技の方式・審査基準などは現行の世界選手権と変わらない。
#現在もフジテレビONE『プロ野球ニュース』に出演。
#アメリカやフィンランドの選手が活躍する。
#*今なお土橋節は健在。
#*日本もメダル争いに絡めそう。
#今でも沢村賞の選考委員も務めていた。
#オリンピックなのである程度の服装制限がある。
#*意外にも2013年前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24と日本プロ野球新記録を達成した楽天の田中将大では無く、全項目を満たしたオリックスの金子千尋に選出させていたのかもしれない。
#**↑の通りなら、スポーツ新聞等で議論が巻き起こるか?または、『沢村賞は田中マー君だろう』という、世間からの反発を食らったかも…。


==冬季向け==
==な行==
===雪かき===
===中村勝広===
#冬季五輪の開会式前日、競技場の駐車場や通路の雪かきを行う。
#和田監督退任時に一緒に阪神GMを辞任していたか?
#国別の対抗戦で、国ごとに割り当てられた場所をより早く、より美しく除雪する。
#*もし2015年に阪神が優勝していたらor日本一になれていたら、和田監督とともに退任が遅れていたかも。
#1チーム20人で、チームの中に小中学生や高齢者、女性を規定人数入れるものとする。
#*退任後は毎日放送の解説に戻っていた。
#*雪かきは地域総出の作業のため、その精神を尊重して。
#阪神のOBとして、トークショーや始球式に登場していた可能性が高い。
#道具は自由だが、全て人力で行わなくてはならない。
#*汗かき、べそかき、恥かきな人もいる。
#*選手にはかき氷が振舞われる。完食しなければ負け。
#**身体を冷やすと言われる柿も。
#***選手にはほうびとして冷えたビールor牛乳・冷奴・シャーベットが振舞われる。
#*あくまでも雪''かき''なので火気で解かすのは厳禁。
#**唐辛子を食べるか体に塗るかして体温で溶かそうというチームが出て、ドーピングではねられる。
#**雪国出身の友人によると、かなりの火力が必要になるらしい。
#若い男性選手で構成された「屋根の雪下ろし」競技も別途開催。民家の雪下ろしの早さを競う。
#*これは陸上自衛隊員チームが有利かな?
#*北陸・北海道などの豪雪地帯では、毎年冬に五輪代表強化合宿が行われる。


===雪像制作===
===並木輝男===
#競技場内の既定の枠内に、重機を使って既定の量の雪を積み固めるところからスタート。
#コーチとして、低迷期の阪神を支えていた。
#1チーム20人以内。決められた日数で雪像の制作を行う。
#*退任後はサンテレビの解説者に復帰していた。
#*公平を期すために、使用できる道具は競技運営者が用意した道具だけ。
#**説明書は国別の言葉で書かれたものが各チームに配布される。
#*「自由制作」・・・決められた雪の量・道具で自由に作ってもらう。国にちなんだユーモア溢れる作品で話題に。
#*「課題制作」・・・開催国にちなんだ誰もが知るランドマーク<!--日本ならフジヤマ、アメリカなら自由の女神-->を課題としいかに芸術を表現できるかを戦う。
#制作日数及び人数、技術点、芸術点などが得点となる。
#日本の選手が全員自衛隊。


===寒中水泳===
===西沢道夫===
#開催地付近の海で行うものとする。
#現役時代の背番号だった15は、ドラゴンズの永久欠番にならなかった。
#*大津や彦根ならびわ湖になる。
#*1959年に決定しているのでそれはない
#「(海水にいた)時間」・「(泳いだ)距離」・「(海水下にある貝を潜って拾った)個数」で戦う。
#*現在は山井大介(現実では29)あたりがつけてたかも。
#“Karate”大活躍。
#1968年も中日監督を務めていた。
#*辞任後は、TBSの解説者を務めていた。
#**その後も何度かコーチ・監督を務めていただろう。
#2006年にタイロン・ウッズが自身の中日のシーズン本塁打球団記録(46本塁打)を塗り替え、福留孝介が自身(1950年)以来球団史上2人目の打率3割・30本塁打・100打点・100得点を達成した際には、2人の活躍を祝していた。また、2007年に中日が日本一を達成した際には杉下茂・杉山悟・井上登・児玉利一・大矢根博臣ら、(同年時点で存命の)53年前のV戦士たちとともに祝福のコメントを出していた。


==頭脳系==
===中尾碩志===
===そろばん===
#スカウト部長、寮長、2軍監督を歴任していた。
#[[wikipedia:ja:トニー谷|彼]]が注目を浴びる。
#ラジオ日本で解説者を務めていた可能性が高い。
#*彼の伝記がベストセラーになる。
#天2珠地5珠のものは別の種目とされる。
#*こちらでは中国が金メダルの有力候補。


===電卓===
===中谷準志===
#試合会場が世界中に生で配信されるが、視聴者も黙ってしまう。
#引き続き阪急でコーチを務めていた。
#*固唾をのんで見守っていたが、ある瞬間、我に返り「何が面白かったのだろう」と悩む。
#西本幸雄氏に請われて、近鉄でコーチ、2軍監督を務めていた可能性が高い。
#競技指定電卓の座を得るために、カシオ、シャープ、TI、HPあたりが丁々発止。
#*それとも、阪急に残り、スカウトを務めていたかもしれない。
#*金メダリスト使用モデルが大人気に。
#*その場合、寮長、球団職員、編成部長を務めていたかもしれない。
#公式BGMにクラフトワーク採用。


===ハッキング===
==は行==
#当然ながらホワイトハッカーしか参加できない。
===パンチョ伊東===
#競技は大会当局の用意したネットワーク内で行われる。
#現在もフジテレビ「すぽると!」で解説者を務めている。
#競技の性質上生中継不能。
#*いや、[[スポーツ番組ファン#プロ野球ニュースファン|こっち]]じゃねぇか?「すぽると!」に収まりきれる格の人じゃねぇもん。
#*技術が悪用される危険がある上競技時間が極端に長い。
#WBC優勝に、涙してたに違いない。
#競技名が正式名称の「クラッキング」になっているかもしれない。
#*2009年に連覇果たす瞬間は、渡米してナマで見てただろうなぁ。
#「ドラフト会議」の司会を今でも務めていた。
#ガキの使いの笑ってはいけないシリーズにゲスト出演していたのかもしれない。


===記憶力===
===藤井将雄===
#10桁の数字をいくつ正しく記憶できるかを競う。
#息の長い中継ぎ投手として現在も[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]で活躍している。
#*1回戦→5桁、準々決勝→7桁、準決勝→10桁、決勝→20桁と桁が多くなっていく。
#若田部健一がFAで[[横浜DeNAベイスターズ|ベイスターズ]]に移籍せずにホークスで現役を終えていた。
#または文章をどれだけ正しく記憶できるかを競う。
#*先発とリリーフで違うでしょうが。
#*もちろん段階があがるごとに文章が長くなる。
#**若田部が藤井と仲が良かったのは有名な話。むしろ若田部の引き留め役に藤井が駆り出されていたか。
#または絵をいくつ正しく記憶できるかを競う。
#*もしかしたら2015年のソフトバンクの監督は工藤ではなく若田部になっていたかも。
#[[もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら#SASUKE|SASUKEかバイキング]]の1種目として行われてもいい。
#藤井将雄野球大会は開催されなかった。
#*あったとすれば引退後になった。
#徳光和夫の失言語録が一項目減っていた。
#*「藤井が死んで[[読売ジャイアンツ|巨人]]の日本一が一歩近づいた!」
#*2000年の日本シリーズで藤井が登板するたびに「もうだめだ…」とガックリきていた。
#2003年オフに小久保裕紀と一緒に巨人に放出されていた……かもしれない。
#*理由の一つは1997年の出来事。ただ、本間満みたいにそのまま残っていたとは思うが。
#*2004年から[[中日ドラゴンズ|中日]]の岡本真也との間で最優秀中継ぎ投手争いが勃発。
#**勃発して欲しかったよ…。相当見応えある激しい争いになっただろうし…。
#引退後背番号15は普通に後輩に受け継がれていた。
#*引退時期にもよるが、ドラフト1位入団の投手が背負っていた。
#[[九州朝日放送|KBC]]か[[テレビ西日本|TNC]]の解説者になっていただろう.
#*解説者になってなかったとしたらソフトバンクの投手コーチ(ブルペン担当)になってただろう。そしてソフトバンクリリーバー陣は堅固なものになってただろう。
#工藤の2010年西武での背番号は55にならなかったかもしれない(55は自らの誕生日と、藤井の15を意識して選んだとコメントしている)。
#2003年のダイエーのリーグ優勝・日本一にも貢献していただろう。


===競技クイズ===
===藤田元司===
#基本的に早押しと筆記クイズの併用。
#2005年オフの堀内監督解任の後、3度目の巨人軍監督を務めた。
#*バラエティ性の強いものは一切排除。
#*70歳過ぎてるからもう無理かも。
#問題は英語orフランス語で出題される。
#*人心掌握と育成に優れ、守りを重視する戦術をとるから、今の原巨人より余程手強い。
#開催国が有利にならないように、その国にちなんだ問題はできるだけ出さない方向性になる。
#**実際藤田巨人はしぶといし、手強かったし、アンチ巨人としては嫌なチームだったが、他チームから4番とエースあさることは無かった。
#*基本的には所謂「ベタ問」に当たるものが中心。
#***佐々木信也氏「選手ってそんなにカワイイもんかい?」藤田氏(目尻下げながら)「カワイイなんてもんじゃないよ」藤田氏の人柄。
#*そもそも藤田さんの生前に原さんが再任されることがきまってたんですが…
#長島茂雄監督(現:終身名誉監督)勇退後の次期監督になったかも。
#監督に就かなければ、今頃[[wikipedia:ja:NHKプロ野球|NHKプロ野球]]の解説者か…。
#*NHKとの契約が切れていた場合、大学時代の同級生・佐々木信也氏に請われて「プロ野球ニュース」に出演する可能性があるかも。


==旅行系==
===星野仙一===
===大垣ダッシュ===
#2018年シーズンの楽天の梨田監督の途中退任はなかった。
#上位陣のヲタ率高し。
#*2019年も梨田監督は留任していたかも
#開催国の鉄道ターミナルを使用するか、競技場に[[大垣駅]]のプラットホームを再現する。
#*2018年シーズン終了後に梨田監督が成績を理由に自ら辞任していたら投手コーチだった与田が監督になっていたか。
#*競技に使用される車両は、その時期に日本のJRで実際に使用されている車両。
#**その場合は中日の監督は誰がなっていただろうか?
#*2008年現在は373系。
#石井一久が楽天のGMになることはなかった。
#[[福島駅]]も開催地に立候補する。
#*したがって、浅村栄斗はソフトバンクに移籍していた。
#現在はMLが臨時のみなので[[大船駅]]が大垣の代わりで開催地に立候補する。(内容718S(備考:719F・3719F)→743M。)
#教え子である阪神の金本監督の退任劇に激怒していた。
#勿論[[東海旅客鉄道|JR東海]]の完全協力のもと行われる。
#*それでも矢野監督の就任には激励コメントを出していた。
#サンデーモーニングに出演していたかもしれない。
#2020年に野球殿堂入りした親友の田淵幸一氏を祝っていた。
#ノムさんが亡くなった時に追悼コメントを出していた。


===世界一周===
==ま行==
#ルールは「開催都市を出発し5大陸全てを通り開催都市に戻ってくること」。
===牧野茂===
#航空機を使える部門と使えない部門がある。
#1989年、藤田元司が監督に復帰と再びヘッドコーチに就任。
#英語名はおそらく「Global circumnavigation」。
#*原が外野にコンバートされることは無く、日本シリーズの第5戦まで無安打では無かった。
#*日本語名は「世界周航」になっているかもしれない。
#*松本匡史、緒方耕一以降も盗塁王を獲得する選手が多数現れた事だろう。
#**中日の監督、ヘッドコーチに就任していた。
#**退団後、NHKの解説者として健在。
#タフィ・ローズ、小久保裕紀を獲得した超重量打線となった2004年。「こんなでは優勝は絶対に無理だ!」と強く批判していた。
#2006年藤田元司、宮田征典の死を悼んでいた。
#三木のり平と桃屋のcmで共演していた。
#*1999年にのり平の葬儀に参列していた。
#1984年以降もヘッドコーチ、2軍監督として、王貞治監督をサポートしていた。
#*1988年までに務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。
#*サンデーモーニングの週刊御意見番でゲストとして出演していた。
#*もしくは、1989年から1991年までに2軍監督を務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。
#場合によっては、2002年までに放送されていた『知ってるつもり?!』で取り上げられることもなかった。


====世界一周駅伝====
===三村敏之===
#開催都市を出発し5大陸にあるチェックポイント全てを通り開催都市に戻ってくること。
#野村克也の後に楽天監督に就任。
#移動方法は人力と自然の力。陸上は自転車、海上は帆船か手漕ぎボート。(ソーラーパワーに限り補助動力として用いて良い。モーターの出力制限があり、ソーラーパネルは選手を乗せた乗り物につけたものに限る)
#*少なくとも2010年は最下位になることはなかった。
#*人力飛行機、気球等は使用不可。(選手を乗せた乗り物は10秒以上地面や水面から離れてはならない)
#*あるいは広島の監督に復帰していた。それが無くとも2013年にAクラスに入った時に何かしらのコメントを出していた。
#チェックポイントは各大陸の内陸部にあるため、陸上走行の比率が高くなる。
#*かつての教え子の金本を誘って加入させていた。
#選手は1チームで全行程中200回まで交替可能。ルートや交替場所は各国に委ねられ、タスキをスタートからゴールまでつなげる。
#星野仙一は楽天の監督になっていなかったかあるいは就任が史実より遅れていた。
#*ルートを随伴する主催者側の監視員を見失ったら失格。(サポート隊と監視員は内燃機関利用可)
#*これに伴い、デーブ大久保の野球指導者復帰もなかったあるいは遅れていた。
#**過酷なコースを共に走りぬく監視員とコミュニケーションを取ることも必要である。
#かつての教え子の金本が阪神の監督を務めることに対して、金本へ何かしらのアドバイスをしていただろう。
#*政情不安な国や地域は特例として車や航空機で横断することが出来るため、そこを組み込むかどうかも作戦の一つ。
#*同じ教え子でもある緒方広島vs金本阪神の対決に目を細めている。
#*開催国内は出入りする港やルートが指定されている(そうしないと競技として盛り上がらないため)
#*乗り物の交換や修理は監視員のチェックはあるものの、自由。
#*サポート隊と共に随伴する交代選手は5名までだが、選手はチームが開催国に戻るまで自由に入れ替え可能。状況に応じて本国から選手を呼び寄せることも可能。開催国に入ったあとは随伴している選手の中でやりくりする。
#五輪開催の1年前にスタートする。
#ゴールはメイン競技場の外、人が集まる場所に用意され、観客は運がいいとゴールの瞬間を見られる。
#*実際は、開催国に入ってからの選手の動きは刻々と知らされているため、観客が待ち構えるようになる。
#*五輪開催期間前に着いてしまった場合は、指定の場所にゴールしてタイムを確定させた後、開会式の中で象徴的にゴールセレモニーをする。
#日本代表は出発年の箱根駅伝で優勝した学校。


===サイコロの旅===
===宮田征典===
#何故どの開催国でもはかた号が選択肢にある。
#2006年末まで『ズームインサタデー』の野球解説を担当し、2007年に野球界に復帰。
#無論制限時間付き。
#*もし中日に復帰していたら、川上憲伸の大リーグ移籍はなかった。
#**↑の通りになれば、日本テレビ「Theサンデー」のスポーツコーナーに引き続き'''「出演」'''していた。
#2008年度より、昨年度Bクラスに終わった[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]の立て直し役として監督に就任。
#中京テレビ「スポスタ」の評論家グラサン座談会に出演、史実で川又米利相手にでかい口を叩いている川藤幸三も大人しくなっていた。
#一部の局が、宮田氏の登場時刻が夜8時半頃になるように番組編成を練り直していた。


===対決列島===
===三輪田勝利===
#開催国の各都市の料理によって対決。
新垣渚との契約交渉が難航した挙句に自ら命を絶った三輪田氏だが、もし今も健在なら…
#*最後だけは「むじゃき」の白くまナナハンの早食いになる。
#それでも新垣はオリックスの指名を拒否していた。
#魔神藤村が所々で特別参加。負けたチームは失格になる。
#*だが史実よりもバッシングされることは無かったであろう。
#フロントと衝突することなくスカウトを続けていたら、オリックスの暗黒期突入は回避されていた。
#*恐らく例の「契約金ゼロ枠」は、当然ながら作られることはなかった。
#*近鉄との合併は…まあ、変わらなかっただろうとは思う。
#*イチロー渡米後のオリックスの成績ももう少しマシになっていたかも?


===四国八十八箇所巡礼===
===村山実===
#スタート地点は1番札所・霊山寺。
#巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、阪神タイガースの終身名誉監督に就任。
#*「逆打ち」や「乱れ打ち」を認めている場合を除いて順番通りに巡礼しなければ勿論失格になる。
#*監督時代の成績がアレだから、それは無いかと。
#イスラム系の国家は宗教上の理由で不参加になりそう。
#勿論、巨人・阪神OB戦の常連になっていた。
#部門A 規定の白装束を着用し、順番通りに回り、各寺院では規定時間滞在して参拝する。→伝統を尊重し、宗教色が強い
#*東日本大震災復興支援にも参加していた。
#部門B 服装自由、「逆打ち」「乱れ打ち」可能、各寺院門前チェックポイントを通過すれば良い →エンターテインメント性が高く、スポーツ色が強くなる。
#黄桜のCMでは、江川・小林の和解の前に、長嶋・村山の和解の方が先に行われていたかも。
#日本代表は大泉洋。
#*巨人阪神OB戦が開催される年に、その記念として長嶋茂雄氏とテレビ放送の中で対談をしていたかも。
#村山氏以来、大卒後200勝投手となった黒田博樹氏に対して何かしらの言及があった。
#阪神球団が創立70周年を迎えた2005年にはファン感謝デーや始球式で久しぶりに甲子園でユニフォーム姿を見せていた。
#*阪神球団が創立80周年を迎えた2015年に関しても同じく。
#2003年の阪神タイガース18年ぶりリーグ優勝の際に喜びのコメントを寄せていたかも。
#2012年から15年は教え子だった和田豊が監督を務めることもあり、彼の采配に注目していた。


===絵はがきの旅===
===森慎二===
#絵はがきの代わりに各地の写真がランダムで配布される。
#西口文也投手コーチの一軍昇格が遅れていた。
#*一定期間内により多くの写真の場所を特定できた国が優勝。
#2018年の西武投手陣の崩壊及びそれに伴う西武のCS敗退はなかったかもしれない。
#*2019年CSでも少なくともソフトバンク相手に1勝はしていたかもしれない。
#史実での彼の死因である人食いバクテリア(劇症型溶血性レンサ球菌感染症)の世間での認知度は低いままだった。


===ウルトラクイズ===
===森永勝也===
#瀕死になる選手続出。
#達川光男氏とのコンビで、テレビ新広島で解説者を務めていた。
#*お笑い芸人は慣れているのでかなり有利。
#*無論、プロ野球ニュースに出演していた。
#必ずどこかの空港でじゃんけんが行われる。
#2010年代でも健在であるならば、今の広島の活躍を褒め称えていた。
#バラマキクイズは競技場を貸し切って実行。


==心理系==
==や・ら・わ行==
===パワーポイント===
===湯口敏彦===
#ヤマ気・イロ気・詐術の巧みさでアメリカが金メダル独占。
#一軍への初登板が見られていたのかもしれない。
#川上哲治監督、中尾碩志二軍監督が球団全体へのバッシングに発展する事は無かった。
#*昭和48年の優勝は独走し、昭和49年はV10を達成していたかもしれない。昭和50年は球団初の最下位に終わることは無かった。
#**中日の昭和57年の優勝は28年ぶりという事になっていた。
#*1973年のドラフト会議で1位の小林秀一、2位の黒坂幸夫、3位の中村裕二、5位の尾西和夫の4人が入団拒否をする事は無かった。
#**勿論、1位の小林・3位の中村はプロの球界に入っていた。
#***小林・中村はそれでも入団していないのでは?
#****小林はアマor学生野球の指導者を目指していて、当時はプロを経験するとアマ復帰がほぼ不可能だったことが入団拒否の大きな理由になっている。
#****中村は所属の社会人チームで監督候補と言われていた。高卒時にもプロの指名を拒否しており、アマ志向が強かったと思われる。
#**黒坂(後にヤクルト)、尾西(後に近鉄)は、実際よりも活躍できたかもしれない。
#1976年に太平洋・加藤初とトレードは関本四十四・玉井信博では無く玉井と湯口自身だった。
#引退後は[[読売ジャイアンツ]]、または[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]のピッチングコーチに就任。
#*Dramatic Game 1844かNHKプロ野球の解説者として健在。


===ヘリコプター(モンスター)ペアレントの対処===
==外国人==
#ほぼ毎回ルールが変わる。(何日以内に解決しないといけない、ポイント制度の導入、ヘリコプターペアレントの行動変更など)。
===アニマル・レスリー===
#各国の警察官(ネゴシエーター)と心理学者の戦いになるだろう。
#今も日本でタレントとして活躍。
#*亜仁丸レスリーとして。
#**「バンクーバー朝日」に出演していたことだろう。
#***『ビートたけしのスポーツ大将2015〜ナインティナインも参戦SP〜』に出演していた。
#オリックス・バファローズのピッチング・インストラクターをしていた。
#*もしくは外国人スカウトに就任した。
#レジェンド・シリーズでの阪急ブレーブスOBとして始球式に参加。
#*受ける捕手の藤田浩雅をボコボコ殴ってスキンシップを再現して派手なパフォーマンスでファンを魅了していた。
#**息子のルーク健太郎が始球式を務めてはいなかった。


===謝罪会見===
===ルイス・サンチェス===
#日本勢が世界に圧倒的な差をつけて上位独占。
#今現在でも水虫が酷くて登録抹消されたと話題になりバラエティ番組ちょくちょく出てきそう。
#*「中身はどうだっていい、日本人が頭を下げているだけで面白い」という理由で、特定の国・地域で視聴率が馬鹿みたいに高い数字を出す。
#*ブラックバラエティや細かすぎて伝わらないモノマネで本人として登場。
#つまりは[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/エクストリーム・謝罪 こういう]ことになる。


===メンタリズム===
===ルー・ジャクソン===
#フィギュアスケートみたいに技術点や構成点、ミスによる減点で評価する形になりそう。
#来日4年目もサンケイで活躍していた。
#日本代表はもちろんDaiGo(うぃっしゅの方じゃなくて)。
#*サンケイアトムズはもう少し続いていた。
#*1970年はシーズン92敗になることはなかった。
#ボブ・チャンスが来日することはなかった。
#引退後はメジャーリーグの監督に就任していたことだろう。
#酒びたりな生活から足を洗っただろう。
#後に広岡達朗が監督に就任したときに、健康管理の大切さを選手たちに伝える際の「反面教師としての悪い見本」が一つ減る。


===体内時計===
===ヴィクトル・スタルヒン===
#1分間をより正確に計れるかを競う。
#現役引退から数年後、[[読売ジャイアンツ]]、または高橋ユニオンズのピッチングコーチに就任。
#1回戦→10秒、2回戦→20秒、準々決勝→30秒、準決勝→1分、決勝→3分と時間が長くなっていく。
#*その後は[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]あたりの監督を務めていた。
#[[もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら#SASUKE|SASUKEかDoors]]の1種目として行われてもいい。
#*あるいは[[阪神タイガース]]のコーチとして1962年・1964年の優勝に関わっている。(ともに監督は藤本定義)
#**「村山涙の退場」はなく、村山実を説得して下がらせたスタルヒンコーチが猛抗議して退場。意気に感じた村山は炎のパーフェクトピッチング。
#**トーマス・オマリーより遥か前に「ハンシンファンハ、イチバンヤー!」と叫んでスタンドを盛り上げていたかも。
#*巨人のコーチになることは多分なかったと思う。
#1960~70年代のON最盛期を解説者として盛り上げていた。
#*1980年代以降は一転、もっぱら巨人のフロントや補強方針に辛辣な批評を寄せていた。
#**ON全盛期から巨人を批判していたのでは?
#*巨人ファンからは嫌われていたかもしれない。
#2000年頃まではご存命だったことでしょう。
#*共に彼の師である藤本定義氏、浜崎真二氏(両氏とも1981年没)の告別式で葬儀委員長を務めていたかもしれない。
#日本に帰化し、正式に「須田博」となっていた。
#*しかしソ連の崩壊後は、祖国[[ロシア]]に戻って野球を広める活動もしていたかも。
#**総監督としてロシア代表を率いてWBCにのり込んで来た可能性も。
#***予選は日・台・韓・露の対抗戦…。ファンが押し寄せること必至だね。
#当然だが、「旭川スタルヒン球場」は別の名前になっていた。
#*2009年4月の時点ですでに故人となっていた場合はその段階で命名されていた可能性も。
#**命名されてた場合、こけら落としのカードは巨人vs阪神。
#同じ白系ロシア人の元横綱・大鵬とも親交を深めていたであろう。


===我慢比べ===
===トニー・ソレイタ===
#夏冬両方に種目があり、夏季五輪では暑さ耐え対決、冬季五輪では寒さ耐え対決が行われる。
#1年契約で日本ハムの打撃コーチに就任していた。
#暑さ耐え種目ではサウナか灼熱の地で厚着で熱いスープを飲む(日本開催ならうどんを食べる)。
#2006年日本ハムが日本一でお祝いコメントを語っていた。
#寒さ耐え種目では雪の降る屋外で海パン・水着でアイスを食べる。
#モルツ球団で編成された「ワールドパワーズ」に参加していた。
#死者が出ないように慎重にルールを制定。
#*クロマティやブライアントと共にクリーンナップとして出場。
#2010年大沢啓二の死を悼んでいた。


===見破りクイズ===
===趙成珉===
#出題側と回答側に分かれ、出題側のチーム5人がカレー(または麻婆豆腐)を食べて、1つだけある激辛を誰が食べたかを回答側が当てる。
#韓国プロ野球の解説者、指導者として活躍。 2013年のWBC韓国代表のコーチとして参加。
#各対戦の出題側と回答側は毎回抽選で決めるが、出題側が連続で続いたチームは負担が半端ないかも。
#*1次リーグ敗退になることはなかったかもしれない。
#各国とも俳優が代表になるが、日本はリアクション芸人も代表候補になる。
#読売ジャイアンツの2軍のコーチとして来日。
#再現スイーツを当てる種目もできる。
#*主に育成選手を指導していた。
#≒「もし98オールスターで故障およびその後も続投させられなかったら」かもしれない。


==ギャンブル系==
===ミゲール・デルトロ===
===ロシアンルーレット===
#2002年に背番号「32」が1年間限定で欠番になることは無かった。
#じゃんけんと同じく多数の参加者が押しかける。(主にテロリスト、犯罪者)
#西武退団後は母国メキシカンリーグでプレーを行っていた。
#一応安全のため弾は音しか出ないようにされている。
#*主にリリーフとして活躍していた。
#数回の試行後、音だけでは面白くないので、特殊ペイント弾の採用が決まった。
#**再び、日本球界に復帰ヤクルト、ロッテ辺りに入団していた。
#*選手がペンキまみれになる様子は、世界中のお茶の間で大受けww
#WBCの野球メキシコ代表の投手、コーチとして参加していた。
#*閉会式の時、顔にペンキを付けている選手は・・・・
#*勿論、2013年のカナダ戦で起こった大乱闘にも参加したことだろう。
#銃弾だけでなく激辛饅頭の部門もある。


===宝くじ===
===ブライアン・トラックスラー===
#3000円払えば誰でも参加できる。
#1年契約でソフトバンクの打撃コーチに就任。
#*公平のために3000円ずつ100万人に参加する。
#*2011年に日本一の祝勝会でビールかけでは一人ビールを飲み干していた。
#**発売は連番のみとする。
#*再び、トラックスラーを模した博多人形が販売された。
#じゃんけんと同じく誰でも運次第で金メダルの可能性がある。
#ドジャースの打撃コーチも務めていた。
#一等金メダル、ニ等銀メダル、三等銅メダル。
#*メジャーへ移籍した城島や井口を指導していた。
#一等の組違い賞もあり。
#『あらびき団』でふとっちょ☆カウボーイがモノマネを披露していた。
#本数は一等3本、ニ等10本、三等100本、四等1000本、五等10000本、六等100000本、七等1000000本。
#メダルが取れなくても一等の組違い賞と四から七等に当選すれば賞金がある。
#*七等は参加者全員に当せん。
#1枚300円で賞金は一等1億5000万円、一等の組違い賞10万円、ニ等1000万円、三等100万円、四等5万円、五等1万円、六等3000円、七等300円。
#*四等3万円3000本のほうがより多くの方に当せんを味わえる。
#確率は決まっており金メダルが100万分の3で銀メダルが10万分の1、銅メダルが1万分の1。
#オリンピック最終日に抽せんと表彰式。
#*抽せん日当日は宝くじの女神にメダル獲得者などを決める。
#抽せんは前に出た数字は一の位を除きかぶらないようにする。
#*例えば五等で十の位が六等と同じなら十の位のみをやり直す。
#*重複当せんは七等とを除き認められない。
#**これにより四等以下に当せんした場合はメダルは無くなる。
#参加費用のうち当せん金を除いた額はオリンピックの運営費用に充てられる。


===スクラッチ===
===ボビー・マルカーノ===
#宝くじとは違い削ればすぐにメダルがもらえるかどうかが決まる。
#オリックスかヤクルトどちらの春季キャンプで臨時コーチを指導していた。
#同じ色のメダルの絵がそろえばその色のメダルがもらえ金メダルの絵が3個そろえば即金メダル。
#1995年の日本シリーズで観客席で観戦していた。
#一つの競技でもらえるメダルの総数は最多。
#スカウトとして読売ジャイアンツに紹介したルイス・サンチェスの死を悼んだ。
#こちらも参加費用のうち当せん金を除いた額はオリンピックの運営費用に充てられる。


===抽選===
===マイク・ラインバック===
#じゃんけんと同じく誰でも金メダルの可能性があるので、メダル獲得国が毎回入れ替わる。
#阪神でコーチやスカウトを務めていたかもしれない。
#日本からは筑波大学附属小学校の児童やOBが代表になる。
#ランディ・バース氏と同様にゲスト解説者として出演していた可能性が高い。
#*福引きでハワイ旅行を当てた人とかも。
#ランディ・バース氏と同様にプロ野球マスターズリーグやサントリードリームマッチに参加していたかもしれない。
#宝くじとあまり変わらなくなるかもしれない。
#「探偵ナイトスクープ」の依頼VTR「ラインバックを求めて」で依頼者と彼が対面を果たせていた。


===10連ガチャ===
==関連項目==
#10連ガチャを1回回して出てきたカードのレアリティで勝負する。
*[[もしあの人が健在だったら/プロ野球団関係者]]
#*レアリティが全く同一(殆どのソシャゲで10連=SR1枚確定なので最低でもSR1枚vsSR1枚になる)の場合、攻撃力の合算値で勝負をつける。
*[[もしあの歴史上の人物が長生きしていたら/日本史#沢村栄治|もし沢村栄治が戦死せず、肩を壊してもいなかったら]]
#**もしくは「単発ガチャでSR以上が出るまでサドンデス」でも可。
#**本来Nが出ない10連ガチャであっても、勝負を一発でつけやすくするためにNが出るように設定変更。
#運営側の不正を避ける為の何かしらの対策が必要。
#*少なくとも公平性を期すために、競技で使用するソシャゲは複数用意しなければならない。
#*尤も買収が発覚→運営会社の評価が地に墜ちるという可能性もあるので、何もしなくても何とかなるかもしれない。


==その他==
[[Category:もしあの人が健在だったら/スポーツ|ふろやきゆう]]
===宇宙遊泳===
[[Category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|けんさい]]
#宇宙空間に宇宙船を2台並べ、その間の移動時間を競う。
#原則として、開催国の上空で行われる。
#規定時間内にゴールの宇宙船に戻れないと失格。そのまま宇宙船は地球に戻ってしまう。
 
===沈没船捜索===
#開催国近くの海底に沈んでいる(昔の)沈没船を捜索する潜水競技。
#*内陸国の場合は近隣の海のある国で開催。
#宝物発掘の部。
#*1チーム3名の団体競技。
#*発掘した宝物をオークションに掛けて、最も金額の多い国が金メダル。
#**オークションの際は自らの国の出品を買う事は不可能だ。
#*船から持ち出す宝物には国別の重量制限がある (より価値の高い宝物を探すという目利きも要求されるため、チームには鑑定士も含まれるだろう)。
#*オークションの収益金は宝物の所有者(個人)に返還する分を除いて、国際赤十字に寄付。
#*船体の破壊が度を超すと即座に失格。
#遺骨収容の部。
#*個人競技。
#*より多くの遺骨を収容した選手が金メダル。
#*骨の折れる作業。
#*意外と、畑違いながら[[wikipedia:ja:ヤンネ・アホネン|彼]]が活躍したりとか?
#*収容後きちんと供養しないとメダル剥奪もあり。
 
===狙撃===
*一応この手の競技はスモールボアライフル50mが正式種目。
#裏社会の人々が暗躍。
#*顔を知られてしまうとまずいので結局その手の人は出ない。
#*税関を通過するところから競技が始まっている。
#**選手村の中と競技会場(とバスでの移動中)のみ不逮捕の慣習となっている。
#競技名としてはビッグボアライフル500m/1000mなどになると思われる。
#*500mも1000mもかなり運も混ざるので、正式競技としてはあり得ない得点の低さが期待できそう。
#紛争多発国のスカウトで観客席が埋まっている。
 
===応援合戦===
#当然ながら、各国の応援団が選手となる。
#*但し、女子のみチアダンサーでもOK。
#基本的に応援パフォーマンスは自由。ただし、度を越えたものは禁止する。
#*某元プロテニスプレイヤーが参戦、金メダルを独占するも「ドーピングでは?」と各国から疑念の声が。
#パフォーマンスの美術点や、声援点等から順位を決めていく。
#*とにかく美女をならべる、…というのは、アリでしょうか。
#日本からはプロ野球の某球団応援団かJリーグの某球団サポーターが候補。
#欧州や南米からはサッカーのサポーターが参加するものの、発煙筒を使ったり暴力沙汰になって失格するチーム多数。
#[[北朝鮮|あの国]]は見事な人文字を披露するが、間違って「将軍様万歳」という柄を出してしまい、失格。
#男子日本代表は学ランを着用し試合に臨んだため、それを見た欧米人が学ランを着始め、空前の学ランブームに。
 
===ドッグファイト(戦闘機による空中戦)===
#押井守や松本零士が喜ぶ。
#第二次世界大戦で使われた戦闘機を使わなければならないと言うルールができる。
#*アメリカが有利。しかし、日本も震電や天雷などを使い、メダル候補に。
#**使用機体はアメリカのワンメイクに。
#**一方、台湾とパラオは火龍を使った。
#**なぜか日本が藤花を使い出した。
#*第二次大戦に参加しなかった国から苦情がきたため、各クラスに分けることも検討中。
#**WW2 フォーミュラクラス(第二次大戦で使用された戦闘機と同型の機体のみ参加できる)
#**ワンメイククラス (IOCが機体とエンジンを用意する/競艇のような感じで選手はプロペラのみ持ち込み、どの機体とエンジンを使うかはくじ引き。)
#**フリークラス (排気量やサイズ、安全基準を満たせばどんな機体でもOK)
#**第二次大戦に参加しなかった国はまだマシなほう。問題はポーランドとベネルクス三国。
#**WW1クラスが出たら、日本を含めアジア勢がそのクラスで金メダル取るのは不可能かも。ちなみにアフリカ勢は当時の宗主国の機体を使うから以外に有利。南米はどうなるんだろ。
#*一撃離脱戦法を使ったら、反則として退場。
#**その為、零戦や隼を使う選手が優勝。
#出場する選手はもっぱら、空軍のパイロット。また、旅客機のパイロット。
#被弾したら脱出する。しかし、日本人は「日本万歳」とか「天皇陛下万歳」、「敵機に突入する」とか言って、敵機に体当たりする選手が出てきて、「どんな、状況でも決して、体当たりするな」と言うルールができる。
#*脱出する際に何か叫んだら芸術点が加点される。
#**アメリカ人は「ジャップのくせに…。」と言い、日本人は「アメ公のバカヤロ」、ドイツ人は'''「ドイツの科学力は世界一!」'''と叫ぶ。
#***イタリア人なら「こんなことならもっとあの娘にナンパをしておけばよかった」かな?
#ジェットクラスが出来てしまうとラプターの一人勝ちかw
#*いや、米軍の機密上、ラプターは採用されないだろう。
#直訳した「闘犬」も競技になる。
#*日本が有利すぎないか?
 
<!--===オ○ニー===
#競技人口は間違いなく世界一
#*男性器部門と女性器部門がある。
#待て。さすがにこれは無理があるだろw
#*ちなみに、世界選手権なら実際に開催されたことがある。
#せんずリンピック...いえ何でもありません。-->
 
===西宮神社開門神事===
#オリンピック会場に西宮神社を模したコースが設けられる。
#日本代表はその年の1月の1番福~3番福。
#金メダル=1番福、銀メダル=2番福、銅メダル=3番福。
#写真判定、ゴール時はもちろんだが、スタート時も必要になる。
#福'''男'''なので当然男子競技のみ。
#*本家は特に性制限を設けてないし、男女混合でいいかも。
#あくまでも神事であるため、その年の開催地がどこであっても会場は常に西宮神社。1月10日の午前6:00スタート。
#*但し、'''4年に1度は常にIOCの管轄下に置かれることとなる'''。しかも世界中から選りすぐりのトップアスリートが揃うことに。
 
===セミ人間===
#[[テレビ朝日|この放送局]]は本選の放映権獲得に、躍起(やっき)になる。
#[[wikipedia:ja:大熊英司|彼]]のスケジュールがIOCに抑えられてしまう。
 
===開催地決定===
#8年後の五輪の開催地を決める。
#候補都市・国の色々な要素をポイントにして、閉会式の時に8年後の会場を発表する。
#*都市の広さ、会場の作り方、国民の熱意度など。
#*来場した観客による投票(入場券半券の裏が投票用紙)
#*人口当たりのメダルの数。
#やっぱり最終判断は「資金力」でしょう。裏も表も含めて。
#*競争相手の裏の部分の暴露合戦に発展する。別の意味でマスコミの祭典となるかも。
 
===本格的ガチムチパンツレスリング===
#競技の性質上生中継は不可能。
#*当然ながら録画映像では全てのパンツを脱がされた選手の股間に赤さん登場。
#*「ラスト一枚になったら負け」というルールかもしれない。
#もちろんアメリカがメダルを独占。
#*兄貴が金メダリスト…歪みねぇな。
#**トロント出身の木吉カズヤを忘れるとはだらしねぇな…。
#**あとチェコ出身のスカル乳首兄弟も。
#開始時点でのパンツの枚数や技の制限など細部のルール設定が必要。
#*あと時間制限やリングの設定も。
#果たしてスパンキングは勝敗に関与してくるのか?
#ニコニコ動画ファンが喜ぶことは間違いない。
#*東京オリンピックが行われる際にこの競技が採用されていたら「西日暮里でやれ」という声があちこちから聞こえそう。
#*間違いなくあんかけチャーハンを食べながら観戦する人がいる。
#*なんばパークスにパブリックビューイングを設置すべきという声も上がる。
#英語名は"Genuine gachimuchi underpants wrestling"か?
#日本からも出場者がいるがだらしねぇ結果に終わってしまう。
#ダーク♂熊手などの凶器は使用厳禁。
#*脱がしたり破いたりしたパンツを攻撃に用いるのも禁止。
 
===新聞配達===
#地の利を生かして開催国が有利になる。
#代表に選ばれなかった新聞会社は結果を載せたがらない。
 
===ちゃぶ台返し===
#ちゃぶ台の飛距離と芸術点(ちゃぶ台の飛形点+上に載ってるブツの飛散点)によって競われる。
#上に乗せるのはもちろん食品サンプル。
 
===ソーファ===
#「笑っていいとも!」の木曜レギュラーの方々が日本代表として参戦。
 
===ミスコン===
#日本ではミス日本が選考会を兼ねる。
#代表選手は無条件で旗手。
#この競技に限り「性転換以外のドーピング、身体改造フリー」となる。
#男女平等の観点から男子ミスコンも開催。
#*男として選ぶの?それとも女装?
#**男子ミスコンは「ミスター・コンテスト」と言う事になる。
#女子部門は南米、北欧。男子部門はタイがメダル候補。
#*前者は東欧も忘れてはならない。
#*後者は最近は日本、中国、台湾も強豪になる。
#*後者はイケメンが多い国が有利になるのが確実。
 
===子作り===
#オリンピック開会式の1年半前、各国は妊娠していない100組の夫婦を選手として登録する。(もちろん子どもを望む夫婦)
#*登録時、奥さんは妊娠検査を受けて妊娠していないことを確認する。登録検査で妊娠が判明した選手は失格となり、補欠選手と交替する。
#*一夫多妻制の国は、夫と奥さん1名(どの奥さんでも可)を選手として登録し、登録された奥さんの妊娠・出産が競技の対象となる。
#登録後、各夫婦は子作りに励み、100組の内何組から赤ちゃんが生まれるかを競う。
#子作りに成功した夫婦、奥さんが妊娠している夫婦はオリンピック会場に集まり、赤ちゃん1点、妊婦(胎児)0.7点として人数点を計算する。
#*双子は倍の点数。三つ子以上は一律3点として計算。<!--無理な多胎妊娠防止のため-->
#*但し、成功した場合は必ず四年後に「子育て・四歳児検診」の競技に出場しなければならない。
#**この競技では四歳児の死亡(不慮の事故や伝染病は例外)、発育不良、両親の離別にマイナスポイントが付き、当該年度のポイントから減算される。
#**発育良好な四歳児には加点。
#**「虐待死」が判明した場合は大幅なマイナスポイントが付くとともに、順位が3つ自動的に繰り下がる。(実質的なメダル剥奪)
#さらに、会場に集まった赤ちゃんの体重の合計で国ごとの体重点を計算し、人数点と体重点の合計で順位を決める。
#そのため、登録後早く妊娠させる、妊婦の健康管理、産後の発育が良くなるような栄養指導、旅行に耐えられる健康状態を維持することが必要となり、各国の産婦人科医師の威信をかけた戦いとなる。
#オリンピック会場への移動が医師によって禁止されている赤ちゃんや妊婦は地元のオリンピック委員会よりデータを会場に送る。(体重点は加算されず、人数点のみ)
#無作為抽出でDNA鑑定を行い、夫婦の子どもでなかった赤ちゃんは失格となる。人工授精は夫婦間のみOK。
#排卵誘発剤を使用した選手のいる国は失格となる。
#何故か競技部門に「二次元」がある。
 
===詰め放題===
#詰める物は主に野菜。
#*予選・準決勝・決勝で種類はそれぞれ異なる。
#袋が破れると失格。
#各国とも主婦が代表になりそう。
 
===災害救助活動===
#大規模災害が発生し、IOCが競技の対象と認定した所から競技が始まる。
#*救助活動が終了した後、その直近のオリンピックの記録とされ、開会式か閉会式でメダル授与。
#*他国災害の救助活動が対象となる。災害発生国の救助活動に対しては自動的に「プラチナメダル」が授与される。
#*一定基準以上の活動をしたすべての国や地域には「パールメダル」が贈られる。
#'''レスキュー部門'''
#*各国の災害救助隊や警察、軍が救出した人数や収容した遺体の数を競う。
#*治安が悪化し、それを治めた場合もポイント付与。
#'''公的機関による救護活動部門'''
#*各国政府や赤十字によって救護した人の数(避難所に収容した人数や、提供した食事の数、治療した患者の人数)をポイント化して競う。
#'''民間機関による救護活動部門'''
#*非政府団体によって救援した人の数を競う。
#災害を競技の対象とすることに対する批判がIOCに寄せられる。
#*実際に災害現場で他国民のために汗や血を流したり、国民の血税を他国の災害救助のために拠出したことを、スポーツ団体が表彰することには問題はなかろう。
#*むしろ、ポイントになりにくい活動がおろそかにならないか心配だが。
 
===嗅覚競技===
#臭いを嗅ぎ分ける能力を競う。
#嗅覚能力A
#*どこまで薄い臭いを嗅ぐことが出来るか
#嗅覚能力B
#*何種類かの臭いが混ざったものから、何が入っているかを嗅ぎ分ける。
#嗅覚オリエンテーリング
#*フィールド(山林)の中の何十箇所かに、臭い物質の入った袋が偽装してセットしてある。競技者は臭いを頼りに探し当てる。一定時間で何個探せるかを競う。
#*嗅覚と脚力、両方が必要である。
 
===昼寝===
#競技名は「シエスタ」でも可。
#眠りに就くまでの早さ・寝つきの美しさ・目覚めるまでの早さを競う。
#日本代表は野比のび太と五月七日くみん、ってさすがにアニメキャラは無理か。
#*この2人みたいに昼寝が得意な日本人がリアルでいれば。
#**濱口優でどうでしょうか?
 
===掲示板荒らし===
#書き込みの内容で採点される。
#「迷惑行為を競技に採用するとはけしからん」という抗議がIOCに殺到する。
#*最悪の場合選定に賛成した全IOC委員の首が飛ぶ可能性もある。
 
===マシュマロキャッチ===
#マシュマロを落とす高さで種目分け。
#規定された回数落として成功数を競う。
 
=== ポッキーゲーム===
#まず明確なルールを作るところから。
#恐らく男女混合だと思われ。
#*しかし実際には、男子同士、女子同士もあるだろう。
#[[グリコ]]がスポンサーになるのが前提か。
#*しかし、[[ロッテ#韓国のロッテの噂|韓国ロッテ]]がスポンサーに着いてしまい。「ペペロゲーム」とかになってしまう可能性もある。
 
===ストップウォッチ===
#秒数ごとに種目が分かれる。
#*最短で1秒、競技者の多い5秒や10秒、そして、最長は30秒か1分であろう。
#男女混合になる。
#コンマ0.01秒ズレるごとに減点、3回程度やって減点が少ないかを競う。
 
===ブロック遊び===
#とは言ってもレゴなどでクオリティの高い作品などを作る本格的な物になる。
#日本代表として三井淳平が参加。
 
===音が出たら負け===
#いかに音を出さないように競技をする。
#もちろん50dBを超えてしまったら敗退。
#決勝は3名同時に行い音が出たのが早いほうから脱落し最後まで残れば金メダル。
 
<!--オチとしてこれを最後にしましょう。新しく追加したい方はこの上↑にどうぞ。-->
 
=== Chakuwiki ===
#Chakuwiki内でいかに記事が書けるかを競う。
#部門は 「もしWiki部門」 、「勝手に○○部門」 、「こんな○○は嫌だ部門」 、「ベタの法則部門」 を用意。
#言語は英語か開催国の公用語、あるいは日本語。
#Chakuwiki発祥の国の日本が有利になりそう。
 
[[Category:もしあの競技がオリンピックの正式種目に選ばれたら|ひすほおつ]]

2021年2月20日 (土) 13:01時点における版

日本人は行ごとに、外国人選手は「外国人」の節へ。

あ行

荒巻淳

  1. 1973年までにヤクルトの投手コーチを務めていた。
    • その後、西本幸雄監督の率いる近鉄か三原脩氏が球団社長を務めている日本ハムで投手コーチを務めていた。
      • 毎日の後継球団であるロッテでコーチを務めていた可能性もあり得る。
  2. NHKかTBSで解説者を務めていた。

石丸進一

  1. 「消えた春」は存在していないので、それを原作とした「人間の翼 最後のキャッチボール」も製作されていない。
    • 久保登喜夫(神風特攻隊隊員として戦死したスキージャンプ選手)や渡辺静(特攻隊隊員として戦死した野球選手)の知名度が上がっていた。
  2. 戦後も中日(名古屋)のエースとして活躍していた。
    • 中日(名古屋)も1950年代にもう一回ぐらいは優勝出来ていたかも。
  3. 引退後は中日の投手コーチを務めていた。
  4. 或いはCBCか東海テレビで解説者を務めていた。
  5. 1994年に母校の佐賀商業が夏の甲子園で優勝した時にはメディアからの取材を受けていた。

板沢峰生

  1. 西武の黄金時代はもう少し早く来た。
  2. 2004年の伊東監督就任時に西武のコーチに就任。
    • そして、2007年シーズンオフに伊東の後任として西武の監督に就任していた。
      • その場合、(史実での後任である)渡辺久信は現在も西武のコーチのままだった。
  3. ひょっとしたら、TXテレ玉の解説者になってたかも。
  4. 1985年のキャンプイン直前に、田尾安志との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍していた(史実では、大石友好と杉本正が中日に移籍)。
    • 1988年のリーグ優勝にも貢献していただろう。

稲尾和久

  1. 「今日感テレビ」のコメンテーターとマスターズリーグ・福岡ドンタクズの監督続行。
    • RKB毎日放送解説者としても健在。独特の視点と素人にもわかりやすい解説で「稲尾節」とアダ名され、ファン層拡大。
  2. 2008年の<ライオンズ・クラシック>で、西武ドーム福岡ドームで始球式やって大喝采浴びたはず。
  3. 幾度か、母校・県立別府緑ヶ丘高校(現・県立芸術短期大学付属緑ヶ丘高校に校名変更の上大分市に移転)で講演していただろう。
  4. ライオンズの永久欠番は史実通りだろう。
    • ただし全員で24番を背負うセレモニーは存命中ならやらないだろう。
  5. 楽天・田中将大の21連勝が達成された2013年8月16日に西武ドームで開催された「西武×楽天」の試合を観に行ったかも。そして、試合終了後に稲尾と田中が会う。
    • この場合、多分、試合終了後には、球場に詰めかけた報道陣からコメントを求められる。さらに、同日夜のスポーツニュースに出演又はコメントが紹介され、翌日のスポーツ新聞にもコメントが載る。
    • 「田中君の様な選手に(連勝記録を)抜かれたのは…」と言ったかも…。

稲葉光雄

  1. 2013年も中日の投手コーチとして若手投手の指導に当たっていた。
    • 2013年入団の濱田達郎、福谷浩司などを指導。
    • 2012年、CSの結果が変わっていたかも。
  2. 落合GM就任と同時に結局退任、となっていたかな?
    • コーチとしてやってきたのが2009年シーズンだったことを考えると、続けてたと思う。
    • 中日を退団した後は、オリックスでコーチに就任していたかもしれない。
    • それとも、東海ラジオ、在名テレビ局で解説者を務めていた。

伊良部秀輝

  1. 2012年楽天かオリックスに移籍していた可能性があるね。
    • 両球団の監督が阪神時代の監督なので獲得しておけば戦力になっている。
      • また、コーチに就任している。
  2. MLB中継の野球解説者をやっていた。
    • NHKBSではなく、Jsportsの解説だな。
  3. 日米どこかの独立リーグで現役復帰したかも。
  4. わたモテのメインキャラに伊良部姓の人物が出ていた。
  5. 2018年に阪神時代の監督であった星野仙一の死を悼んでいた。

上田利治

  1. オリックス関連のトークショーや始球式に登場していた。
  2. 教え子の福良淳一氏の相談を受けていた。
    • 中嶋聡も。

江田孝

  1. 引き続きクラウン・西武でコーチや2軍監督を務めていた。
  2. 西武の初のリーグ優勝を見届けていたかもしれない。
  3. スカウトを務めていた可能性が高い。
    • スカウト、球団職員、編成部長を歴任していた。

仰木彬

  1. 体力が続く限りオリックス・バファローズの監督を続けている。
    • 中村監督の就任は2008年以降にずれている。
      • コリンズ監督の就任はなかったかもしれない。
      • ただ、仰木が2008年に監督に就いたとしても、実史通りの順位になったかは疑問である。
        • 少なくとも2006、07年は史実よりもマシな成績だったかも。
      • 後継は大石大二郎だろう。
    • 清原和博のオリックス入団会見に同席している。
      • でも結局、毎年「今年が正念場」と言いながらサボって働かない。
        • だから、清原が覚せい剤に染めることはなかった。
    • ひょっとしたらイチローの提案を受け入れ、背番号「51」をつけていたかもしれない。
    • 長谷川をヘッドコーチ、野茂を投手コーチ、田口を守備コーチに招聘。
    • 2008年5月21日に辞任したコリンズ監督の後任に急遽なる。
  2. WBC日本代表の監督も務めていたかもしれない。
    • 少年サンデーのMA○ORかよ!
  3. 北京五輪日本代表の監督も務めていたかもしれない。
    • もしかして2009年に開催されるWBCの監督も…。
  4. 最高齢退場記録は当然更新中。
  5. 2007年に西鉄時代の同僚だった稲尾和久の死を悼んでいた。
  6. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番にゲスト出演している。
  7. 広島の新井宏昌打撃コーチが頭部に打球直撃で頭蓋骨骨折となり見舞いかコメント伝えていたかもしれない。
  8. オリックスの復刻試合「がんばろうKOBEデー」にはレジェンドOBとしてトークショーや始球式に参加した。
    • 同じく近鉄バファローズ復刻シリーズにもセレモニーに出演した。
    • 2019年の平成最後のオリックス主催試合となったブルーウェーブ復刻試合にもトークショーやセレモニーに出演。
      • 健在なら選手・首脳陣全員が背番号72をつけることはなかった。
        • チャンステーマ丑王は史実通り作成されたと思われるが「誇り高き伝説(magician)を想う」という歌詞にはならなかったかもしれない。
  9. 2016年からは元教え子の福良淳一率いるオリックスと梨田昌孝率いる楽天の対決に注目している。

大沢啓二

  1. 現在も「サンデーモーニング」の週刊御意見番に出演している。
    • コーナー冒頭に流れる曲は、TBS系スポーツテーマ曲『コバルトの空』に変わってない。
    • もちろん「助っ人」としてゲストを呼ぶこともない。
  2. 2011年7月24日の「サンデーモーニング」では、サッカー女子ワールドカップで優勝した「なでしこJAPAN」に大あっぱれを入れたであろう。
  3. 2013年8月18日の「サンデーモーニング」では、21連勝を達成した楽天・田中に対しても同じく大あっぱれを入れたであろう。(実史は張さんと曲者・元木が普通の「あっぱれ」を入れたのみ。)
  4. 日本ハムの東京時代の復刻ユニフォームでの試合にて始球式を務めた。
  5. 大宮龍男のニックネームは「東海の龍」のままだった。
  6. 「モルツ球団」の監督を続けている。
  7. ShouheiOtaniの二刀流をどう思ったか?(「サンデーモーニング」で、張本は懐疑的な見方をしていた。)
  8. 2011年に亡くなられた立教大学の大先輩である西本幸雄氏を悼んでいた。
  9. 日本ハム監督に就任した栗山英樹氏にアドバイスを送っていた。

大下弘

  1. 千葉で少年野球の指導にあっていた。
    • 彼の名前を冠する野球大会が開かれていたかもしれない。
  2. 野球殿堂入りに立ち会っていた。
  3. プロ野球の歴史についてのコメントや川上哲治氏との対談において、テレビ出演していた可能性が高い。

大杉勝男

  1. 横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズに改名後も、しばらくは打撃コーチとして活躍。
    • もしかしたら、横浜ベイスターズ初代監督に就任していたかもしれない。
  2. 後に、古巣の北海道日本ハムファイターズ(東映フライヤーズ)か東京ヤクルトスワローズの監督に就任。
    • 星野仙一や野村克也と因縁の対決を繰り広げていた。
    • 後者であれば永久欠番となった8番をつけていただろう。
    • ノムさんの後は後に史実通りになった若松さんか大杉さんかでフロントは迷っていた。
  3. プロ野球界から完全に引退していた場合、欽ちゃんとの関係で茨城ゴールデンゴールズのコーチをしているかも。
  4. セ・パ両リーグで200本塁打を無事達成していた。
    • さすがにそれはない。(引退は粛々と受け入れたと思う)
  5. 平成に入り、ドーム球場が次々と完成するのを見て「月に向かって打つ事はもうできないんだな」と嘆いていた。
  6. 実写版セーラームーンに特別出演
  7. サンデーモーニングで3人でを入れていた。
    • 現役引退後はフジサンケイ系と契約していたから難しいと思う。
      • なら、史実での関根潤三のポジションあたり。
      • ↑なら、フジテレビ「プロ野球ニュース」(CS版)に出演かも。
  8. 1993年ヤクルトが15年ぶりの日本一でお祝いコメントを語っていた。
    • 2006年日本ハムが44年ぶりの日本一になった時も同じく。

小瀬浩之

  1. オリックス・阿部真宏⇔西武・赤田将吾のトレード話は存在しなかったかもしれない。
    • むしろ、小瀬自身がトレードに出されていた(2010年以降のシーズン成績にもよるが)。
    • 同じく前年の成績によるが、2013年には赤田ではなく仲の良い大引と共に日ハムへトレードされていたかも。
  2. T-岡田は1軍出場に恵まれず戦力外になっていたかも。
    • Tとは同じ外野手とは言えど、微妙に小瀬とはポジションが重複しないのでそれはないかと…。
    • Tは現実通りとしても、後に入団する駿太のブレイクが遅れていたかもしれない。
  3. オリックスでは近大時代に背負った背番号7が与えられたかもしれない。
    • 史実通りに糸井嘉男が来ても、彼の背番号は7以外の番号が与えられていた。
      • その場合は2(史実では原拓也)、5(史実では平野恵一)、10(史実では李大浩)のいずれかが有力。
  4. イチロー級とはいかないまでも、オリックスの核弾頭として地位を築いていたかもしれない。
    • その場合、糸井嘉男がオリックスへ加入することはなかった。
      • 糸井と共にトレードされた八木智哉は…、実史と変わらなかったかも(苦笑)いつトレードされてもおかしくなかった状態なので。
  5. 大引のFA移籍について、何らかの反応を示していた。
    • 同じく、オリックス時代の同僚・坂口が大引とヤクルトのチームメイトとして再会した事には更なる驚きを隠していなかったはず。
      • その後次第では小瀬本人もヤクルトに移籍するかも。
        • 2015年までに移籍していた場合、15年のリーグ優勝に貢献していた。
    • 大引がヤクルト優勝のビールかけでオリックスのユニフォームを着ることはなかった。
  6. オリックスの背番号41は小瀬の後輩選手に授けられていた。(2016年現在も急逝以降欠番となっている)
  7. オリックスに在籍し続けていて現実以上に活躍していたら2011年にCS出場、2014年にはリーグ優勝出来ていたかも。
  8. ブルーハーツの「電光石火」の知名度は現実ほど上がらなかった。
    • ブルハの「電光石火」と言えば、サッカーJリーグ・ベガルタ仙台のチャント以外で由来を知る事はほぼ無かった。
  9. 清原和博の逮捕に関して何らかのコメントを出していた。

か行

香川伸行

  1. 再びRKB毎日放送の野球解説者に。
    • ちょくちょく福岡のローカル番組に出演。
  2. 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』の先生で出演。
    • 『明石家さんまのコンプレッくすっ杯』のおデブ代表に出演していた。
  3. 2018年のドカベン連載終了の際には何かしらコメントを残していた。

蔭山和夫

  1. 後のホークス暗黒時代は訪れ無かったかもしれず、身売り&福岡移転も無かったかもしれない。
    • いずれにしろ、ホークス史はガラリと変わっていただろう。
  2. 野村克也の監督就任が実史よりずっと遅れるので、サッチーがそこまで出しゃばらず事無く南海を追放される事もなかったかもしれない。
    • 野村は南海で現役生活を終えていた。しかし、選手兼監督になることはなかったので、江夏豊や柏原純一が南海に入団することはなかった(実際、この2人は野村監督を慕って、南海入りしている)。
    • したがって、古田敦也がヤクルトの選手兼監督になることもなかった(古田自身は野村の影響を受けたと言っている)いや、それ以前に古田がヤクルト、ひいては球界に入れていたかどうか疑わしい。
      • ヤクルトに関してはリーグ優勝はおろか、Aクラス入りも怪しくなっていた。
        • そもそも古田のヤクルト入団に反対していたのは野村。ヤクルトは選手補強と育成を順調に進めており90年代にリーグ優勝は十分に可能。どころか沙知代とダンの母子を90年の時点で完全に駆除できるため史実よりよほど良い環境で戦えた。
    • 野村が監督にならなかった以上、ドン・ブレイザーがヘッドコーチになることもなかった。従って古葉竹織や島野育夫が指導者として球史に名を残すことはなかっただろう(野村はブレイザーのヘッドコーチ就任を監督を引き受ける条件としていた。そして古葉、島野はブレイザーの「シンキング・ベースボール」の影響を受けている)。
    • 野村が監督になるまでの中継に徹し、70年代中盤頃には野村に禅譲した。
      • 野村の監督就任は長嶋茂雄と同時期になったかもしれない。
  3. 鶴岡一人はサンケイアトムズか東京オリオンズの監督に就任。
    • 東京の監督になっていた場合、下手したら蔭山南海、西本阪急との間で史実の1988年・89年のような熾烈な優勝争いが起きていたいたかも。
      • 永田ラッパと鶴岡親分は喧嘩別れに終わり、ほぼ史実どおりでロッテの経営権移譲と東京球場の終焉につながる
    • サンケイの監督に就任した場合は、軸になる選手がいないので2,3年采配を振るも浮上のきっかけをつかめず、とうぜん巨人のリーグ制覇は阻止できずお払い箱となる。
      • で、後任はやはり三原脩か。
      • サンケイは鶴岡を招聘することで、広瀬・森中らを芋蔓式に引き抜こうとしていた。というか蔭山の急死でサンケイ側の皮算用が崩れた結果が三原就任までのどうしようもないゴタゴタの背景だし。
  4. 監督辞任後は、野球評論家として活躍。
    • 『プロ野球ニュース』にも出演。
    • 野村監督から度々相談を受けていた。

加藤斌

  1. 作新学院時代チーム内のライバルだった八木沢荘六よりプロ時代の実績を残した。
  2. ドラゴンズで下手投げの投手と問われ、小川健太郎でも三沢淳でもなく彼だと返答するファンが多かった。
  3. もし中日で成績が芳しくなくなったら、ロッテオリオンズフライヤーズ→ファイターズあたりで投げていた
  4. 引退後は、東海ラジオのプロ野球解説者になってたかも。
  5. 交通事故から奇跡的に生還できた場合、ドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
    • 交通事故防止を呼びかけるCMに自ら出演していただろう。
  6. 国政or栃木県知事選挙に最低1回は出馬していた。
    • 前者の場合、船田元と得票数を争っていたかも(どの党から出馬したかにもよるが)。
      • 仮に、民主党に所属していた場合、いずれかの内閣で閣僚入りしていただろう。
  7. 2011年シーズンオフに落合博満の後任でドラゴンズの監督に就任していた。
    • その場合、高木守道の監督復帰はなかった。

加藤博一

  1. 今でも試合終盤の代打もしくは守備固め専門で出場してるかも。
    • んな無茶な。
    • プロ野球は無理だろうがモルツ球団関連での試合ならありえたかも?
  2. DeNAの打撃コーチか守備走塁コーチ就任。
    • あるいは、フジテレビの解説者のまま。TBSから解説者就任のオファー来るかも。
  3. もし、フジの解説者のままならフジテレビ739→ONEの「プロ野球ニュース」にも登場し続けた。
  4. ニッポン放送「ショウアップナイター」にも解説者として出る可能性もありそう。
  5. サンケイスポーツにコラム連載してただろう。

川上哲治

  1. 球界最年長の解説者として健在。
    • 日本プロ野球80周年記念試合の解説していた。
  2. 2013年の日本シリーズの展開が変わっていた。
    • 田中将大が敗戦投手になることはなかった。
      • 30連勝以上続けていた。
  3. 読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題と清原和博が覚せい剤取締法違反で逮捕の際にはひどく激怒していた。

衣笠祥雄

  1. 今でも、TBSの解説者を務めている。
    • 後輩の新井貴浩氏を可愛がっていた。
  2. サンデーモーニングのコメンテーターのゲストとして、出演していた。
  3. TBSラジオの「鉄人ミュージック」も継続だが、日本で知られてないアーティスト発掘の場になったかも。
  4. 自らと同じアフリカ系ハーフの野球選手であるオコエ瑠偉や宗佑磨の活躍に注目し、コメントしていた。
    • さらに大坂なおみの活躍にもコメントしていた。

木村拓也

  1. それでも巨人は2010年シーズンのリーグ優勝は…微妙か?
    • 但し、CSの結果がどう変わっていたか…。その辺も未知数。
  2. 本人は2~3年ほど巨人のコーチとして在籍した後、古巣の広島に復帰。
    • 43~45歳くらいで広島の監督に就任したかも。
      • だとすれば2015年シーズンには緒方ではなく彼が監督になっていただろう。
        • そうなると緒方伝説はキムタク伝説になっていた?
    • あるいは広島に復帰せず、由伸が監督になった2016年からヘッドコーチに昇格していた可能性も。
      • 2016年は所属が巨人か広島かによって、広島のリーグ優勝への反応が変わっていた。
    • 古巣広島に復帰したら、(実史で)リーグ優勝した2016年に、フジ系「SMAP×SMAP」で、SMAP・木村拓哉と競演したかも…。
  3. 日テレ『ズームインサタデー』・「プロ野球熱ケツ情報」の準レギュラー?
  4. 彼と同姓同名のメンバーのいるSMAPの解散の際には何かしらコメントを残していた。
    • フジテレビの同姓同名(しかも漢字も同じ)のアナウンサーが入籍した際も何らかのコメントを残していた。
  5. 2019年6月30日に放送されたABCテレビ『「君の名も。」~人生激変!? 同姓同名ストーリー~』に、元SMAP・木村拓哉と同姓同名の人物の一人として出演していただろう。

久保寺雄二

  1. 南海ホークスはもう少し強かった。
    • 少なくとも、ダイエーに身売りされる前後に最低一回はAクラス入りしていた。
  2. 福岡ダイエーホークスの初優勝を見届け引退。
    • スタンドの大「クボデラ」コールに包まれ宙を舞う。
  3. 湯上谷宏のレギュラー入りが遅れた。
    • 浜名千広の入団もなかった。
      • 大道典良の入団もなかった。
    • その後井口忠仁の入団で久保寺はセカンドに回った。
      • 井口がショート守ったら、久保寺はサードに戻る可能性無いかな?
  4. 引退後もホークスのコーチとして残り、2006年の王監督休養時には森脇浩司の代わりに久保寺が監督代行を務めていた。
    • 仮に、野球解説者となった場合はMBSRKBあたりでやってたかも。
  5. 2000安打は間違いなく打ってたであろう。
    • 自ら持つ二塁打のリーグ記録更新もしてただろう。
      • 最多二塁打の日本記録作って「ミスターツーベース」の称号を得ただろう。
  6. ひょっとしたら、ホークスが福岡に移転する前後に結婚してたかも。
  7. 2008年シーズンオフに王貞治の後任でホークスの監督に就任していただろう。
    • その場合、秋山幸二の監督就任はなかったor史実よりも遅れていた。

黒沢俊夫

  1. 巨人の戦後黄金時代到来は少し早まっていた。
  2. ウォーリー与那嶺が来日することはなかった。
    • 通算ホームスチール数は、史実での生涯通算の10個はもちろん、与那嶺がマークした日本記録の11個も超えていたのでは。
    • 中日の球団史にも影響が出ていただろう。
  3. 当時は稀だった「生涯成績1000安打・100盗塁」に迫っていただろう。
  4. 巨人で現役を終えた場合、背番号「4」は普通に後輩選手に引き継がれた。
    • 「1」が南村侑広から王貞治、「3」が千葉茂から長嶋茂雄…誰が継いでただろうか。
    • 俊足のレギュラーや代走屋の背番号として緒方耕一や鈴木尚広に引き継がれた。
    • 漫画「侍ジャイアンツ」の主人公・番場蛮は別の背番号を付けていた。
  5. 沢村栄治のエピソードは語り継がれるものの神格化はされず、背番号も永久欠番にならなかった。

小林繁

  1. 2011年シーズンは佑ちゃん専属のコーチ状態だったかも。
    • そこまではいかなくても、多大な影響を与えていたに違いない。
  2. 江川卓とのわだかまりは完全に決着していた。
    • 既に、黄桜のあのCMでケリついていたのでは?
  3. 糸数敬作がスランプに陥った可能性は史実よりは確実に低かった。
    • 糸数にかけた一言がきっかけで糸数が目覚めて一気にブレイクしたかも。
  4. 大谷翔平の二刀流に頑固反対していただろう。
  5. 梨田氏の楽天監督就任と共に投手コーチとして抜擢されていた。
  6. または、TBSテレビ系の最終スポーツ番組のMC(かつて実際に担当した『JNNスポーツチャンネル』みたいに)を担当している。

さ行

島野育夫

  1. 星野仙一が楽天の監督就任した同時ヘッドコーチに就任していただろう。
    • 田淵が就任することは無かった。打撃コーチに就任していた。
      • その場合、楽天は史実よりも早くリーグ優勝していた。
    • 星野監督が退場した場合、代行をしていた。
    • その前の2008年に北京五輪の日本代表でもヘッドコーチに就任していた。
  2. 2009年に真弓ではなく、阪神監督に就任していた。
    • もしくは、2軍監督とヘッドコーチを務めていた。
  3. 神戸市・三宮に創作洋食の店をオープン、現在でもオーナーとして務めている。
  4. 2018年星野仙一の死を悼んでいた。
  5. 下柳剛の楽天時代の背番号は91にならなかった。(島野氏の阪神コーチ最終年の背番号にちなんで選んだため)。

杉浦忠

  1. 現在も野球解説者として活躍している
  2. 毎日放送がTBSの株主の関係でサンデーモーニングにもゲストで度々出演できた可能性も
    • 大沢親分と同じ立教大学出身だからありえる。
  3. 04年のプロ野球再編騒動では合併に走らなかったダイエーに対していくらか評価していた
  4. ホークスの監督に就任し、王貞治はジャイアンツのコーチか監督に復帰、又はホークスのヘッドコーチに就任したかも。
    • 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、ホークスの終身名誉監督に就任。
  5. ホークスの南海復刻試合のときにセレモニーに登場した。
  6. 2019年の日本シリーズでホークスが60年ぶりに巨人を撃破した際に何かしらのコメントを出していた。

鈴木貴久

  1. 近鉄の合併消滅を目の当たりにして嘆いていただろう。
    • 合併知らずに亡くなったのはある意味幸せかもしれない。
    • 仰木監督の死去に関しても同じく。
  2. 梨田監督の下、日本ハムのコーチに就任していた。
    • 北海道出身ということもあり、2005年から就任していたかも。
    • 楽天のコーチとしては…?と言う感じか。
  3. 2007年のシーズンオフに大西宏明がトレードには出されない。
    • 当然、古木克明のオリックス移籍もない。
    • もしかしたらオリックスのコーチになって再び大西を指導していたかも。
  4. TVOTVhの野球解説者になってたかも。
    • 後者の場合、2009年度は札幌テレビ・STVラジオの解説者に鞍替えしていた。
  5. 道新スポーツに連載コラム執筆もありえた。
  6. オリックスでの近鉄バファローズ復刻試合にレジェンドOBとしてトークショーや始球式を務めた。
    • 大阪ドームの公式戦第1号ホームランを放ったことももちろん話題にされている。

た行

大豊泰昭

  1. 自分の料理店を閉店させることはなかった。
  2. 今でも中日のスカウトをやっていた。
  3. WBSCプレミア12野球チャイニーズタイペイ代表の打撃コーチに就任。
    • 陽岱鋼などを指導していた。
  4. 指導者として成功していれば、近年の台湾球界のレベル低下にも歯止めがかかっていた。
    • 台湾から来日する野球選手を現実より増加させているかも。

高野光

  1. 2001年からマスターズリーグに入団していた。
  2. 楽天のコーチになっていた。
    • 大学の先輩である原辰徳に請われて巨人のコーチ…ってこともあったかも。
  3. ヤクルトの背番号34番は日本人が背負い続けている。
    • 史実では2001年以降、09-11年の八木亮祐を除き外国人が背負っている(13年現在)。
  4. サンケイスポーツの評論家になっていただろう。

高畠導宏

  1. 60歳で教師を定年退職後、筑紫台高校野球部の監督に就任していた。
    • 非常勤講師として教壇にも立っていた。
      • 筑紫台高校参与の肩書きもあったから、そちらの仕事も忙しくこなしてた。
        • 高畠門下生の元プロ選手がコーチ就任するかも…って監督もコーチも元プロだったら凄まじい野球部になるじゃねーかw 監督からして元プロのコーチだしw
  2. NHKのドラマ『フルスイング』は製作されず、代わりにNHKスペシャルで何度もドキュメントとして取り上げられていた。
  3. 肩書きは参与だけど、生徒達には以前の先生扱いのまま。勿論大人気。卒業生からも大人気。
    • 「肩書きは参与ですがね。実際の半分は生徒たちの相談相手ですよ」なんて苦笑してるかも。

津田恒実

  1. 40代前半頃まで広島東洋カープの抑えとして現役を続けていた。
    • FA権公使で他球団に移籍することはなかっただろう。
      • 移籍の可能性があるとすれば当時・森脇浩司が在籍していたダイエーであろう。
    • ただ、カープの黄金時代の終わりと共に酷使されて引退は意外と早かったかもしれない。
      • しかし酷使される前に先発に再転向し、150勝150セーブを達成する可能性はあった。
    • 佐々木の前にメジャーいってるかも。
    • 大野豊と佐々岡真司は先発専門。よって二人とも100勝100セーブは達成していない。ただし二人揃って200勝を達成している可能性はある。
  2. 引退後は直ちにカープのピッチングコーチに就任。
    • またはNHKの野球解説者になり、大野などとともに解説を行っている。
      • 津田が先に引退なら、津田がNHK解説者に、大野が在広民放局(多分RCCかHTV)の解説者になっていた。逆に大野が先に引退なら、大野が(現状の)NHK解説者に、津田が在広民放局の解説者になっていた。
      • tssの解説者になっていたら、「プロ野球ニュース」にも週1回ペースで登場した。
  3. 2007年現在では監督に就任していたかもしれない。
    • コーチに森脇浩司を招聘し、ホークスの本塁憤死が減っていた。
      • 史実通り森脇がオリックスの監督に就任していたら、投手コーチにはなっていた。
        • 2017年からは森脇と共に中日の投手コーチに就任していたかも。
    • 達川光男もバッテリーコーチとして復帰していたかもしれない。
    • カープのクライマックスシリーズ初出場が実史の2013年より早まったかもしれない。
      • もしかしたら、この年の日本シリーズに進出した可能性も…。(実史は巨人に1勝もできずに敗退した。)
  4. カープの暗黒時代突入が数年遅れていた。
  5. ドラマ「最後のストライク」は存在しなかった。
  6. 広島市民球場で始球式をやっていたかも…。
    • 実現してたら、ピッチャー:津田・キャッチャー:達川・バッター:ブラウン(現監督)かな?
    • もしかしたら、親子に始球式のバッテリーをやったかも…。
  7. WBCの投手コーチをやったかも。
  8. 2011年以降評論家生活なら福島原発事故で埼玉県加須市へ避難した双葉町の子どもたちとイベントでキャッチボールをしていたかもしれない(加須市が「鯉幟」の名産地という縁でカープとのつながりがある)。
  9. 2009年春の選抜高校野球で、自身の高校時代以来のベスト8進出を果たした南陽工業高校にお祝いのメッセージを送っていた。
  10. 2016年シーズンの広島のセ・リーグ優勝について喜びのコメントを寄せた。
    • 一時期、広島の背番号15を背負っていた同志として黒田氏の永久欠番についても納得していたはず。
  11. 森脇浩司の結婚式にも無事出席していた。
  12. うまくいけば1995年・1996年もリーグ優勝できていたかも。
    • その場合、96年のメークドラマはなかった可能性がある。

土井正三

  1. 度々巨人軍OB関連行事に出席していた。
  2. イチローの3000安打、4000安打更新の際にコメントを出していた。
    • 「イチローを育てられなかったダメ監督」の風評を撤回していた。
    • 2019年の引退の際にもコメントを出していた。

土橋修

  1. 阪神のローテーション投手として活躍していた。
  2. 1968年、70年、73年とリーグ制覇をしていたことだろう。
  3. 阪神の背番号40が不吉な背番号として阪神ファンの間から広まることは無かった。
  4. 上田次朗は入団していなかったか入っても大成しなかった。
  5. トレードで南海か阪急に移籍していた可能性もある。
    • ロッテ、日本ハム、西武に移籍していた可能性もある。

土橋正幸

  1. 現在もフジテレビONE『プロ野球ニュース』に出演。
    • 今なお土橋節は健在。
  2. 今でも沢村賞の選考委員も務めていた。
    • 意外にも2013年前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24と日本プロ野球新記録を達成した楽天の田中将大では無く、全項目を満たしたオリックスの金子千尋に選出させていたのかもしれない。
      • ↑の通りなら、スポーツ新聞等で議論が巻き起こるか?または、『沢村賞は田中マー君だろう』という、世間からの反発を食らったかも…。

な行

中村勝広

  1. 和田監督退任時に一緒に阪神GMを辞任していたか?
    • もし2015年に阪神が優勝していたらor日本一になれていたら、和田監督とともに退任が遅れていたかも。
    • 退任後は毎日放送の解説に戻っていた。
  2. 阪神のOBとして、トークショーや始球式に登場していた可能性が高い。

並木輝男

  1. コーチとして、低迷期の阪神を支えていた。
    • 退任後はサンテレビの解説者に復帰していた。

西沢道夫

  1. 現役時代の背番号だった15は、ドラゴンズの永久欠番にならなかった。
    • 1959年に決定しているのでそれはない
    • 現在は山井大介(現実では29)あたりがつけてたかも。
  2. 1968年も中日監督を務めていた。
    • 辞任後は、TBSの解説者を務めていた。
      • その後も何度かコーチ・監督を務めていただろう。
  3. 2006年にタイロン・ウッズが自身の中日のシーズン本塁打球団記録(46本塁打)を塗り替え、福留孝介が自身(1950年)以来球団史上2人目の打率3割・30本塁打・100打点・100得点を達成した際には、2人の活躍を祝していた。また、2007年に中日が日本一を達成した際には杉下茂・杉山悟・井上登・児玉利一・大矢根博臣ら、(同年時点で存命の)53年前のV戦士たちとともに祝福のコメントを出していた。

中尾碩志

  1. スカウト部長、寮長、2軍監督を歴任していた。
  2. ラジオ日本で解説者を務めていた可能性が高い。

中谷準志

  1. 引き続き阪急でコーチを務めていた。
  2. 西本幸雄氏に請われて、近鉄でコーチ、2軍監督を務めていた可能性が高い。
    • それとも、阪急に残り、スカウトを務めていたかもしれない。
    • その場合、寮長、球団職員、編成部長を務めていたかもしれない。

は行

パンチョ伊東

  1. 現在もフジテレビ「すぽると!」で解説者を務めている。
    • いや、こっちじゃねぇか?「すぽると!」に収まりきれる格の人じゃねぇもん。
  2. WBC優勝に、涙してたに違いない。
    • 2009年に連覇果たす瞬間は、渡米してナマで見てただろうなぁ。
  3. 「ドラフト会議」の司会を今でも務めていた。
  4. ガキの使いの笑ってはいけないシリーズにゲスト出演していたのかもしれない。

藤井将雄

  1. 息の長い中継ぎ投手として現在もソフトバンクで活躍している。
  2. 若田部健一がFAでベイスターズに移籍せずにホークスで現役を終えていた。
    • 先発とリリーフで違うでしょうが。
      • 若田部が藤井と仲が良かったのは有名な話。むしろ若田部の引き留め役に藤井が駆り出されていたか。
    • もしかしたら2015年のソフトバンクの監督は工藤ではなく若田部になっていたかも。
  3. 藤井将雄野球大会は開催されなかった。
    • あったとすれば引退後になった。
  4. 徳光和夫の失言語録が一項目減っていた。
    • 「藤井が死んで巨人の日本一が一歩近づいた!」
    • 2000年の日本シリーズで藤井が登板するたびに「もうだめだ…」とガックリきていた。
  5. 2003年オフに小久保裕紀と一緒に巨人に放出されていた……かもしれない。
    • 理由の一つは1997年の出来事。ただ、本間満みたいにそのまま残っていたとは思うが。
    • 2004年から中日の岡本真也との間で最優秀中継ぎ投手争いが勃発。
      • 勃発して欲しかったよ…。相当見応えある激しい争いになっただろうし…。
  6. 引退後背番号15は普通に後輩に受け継がれていた。
    • 引退時期にもよるが、ドラフト1位入団の投手が背負っていた。
  7. KBCTNCの解説者になっていただろう.
    • 解説者になってなかったとしたらソフトバンクの投手コーチ(ブルペン担当)になってただろう。そしてソフトバンクリリーバー陣は堅固なものになってただろう。
  8. 工藤の2010年西武での背番号は55にならなかったかもしれない(55は自らの誕生日と、藤井の15を意識して選んだとコメントしている)。
  9. 2003年のダイエーのリーグ優勝・日本一にも貢献していただろう。

藤田元司

  1. 2005年オフの堀内監督解任の後、3度目の巨人軍監督を務めた。
    • 70歳過ぎてるからもう無理かも。
    • 人心掌握と育成に優れ、守りを重視する戦術をとるから、今の原巨人より余程手強い。
      • 実際藤田巨人はしぶといし、手強かったし、アンチ巨人としては嫌なチームだったが、他チームから4番とエースあさることは無かった。
        • 佐々木信也氏「選手ってそんなにカワイイもんかい?」藤田氏(目尻下げながら)「カワイイなんてもんじゃないよ」藤田氏の人柄。
    • そもそも藤田さんの生前に原さんが再任されることがきまってたんですが…
  2. 長島茂雄監督(現:終身名誉監督)勇退後の次期監督になったかも。
  3. 監督に就かなければ、今頃NHKプロ野球の解説者か…。
    • NHKとの契約が切れていた場合、大学時代の同級生・佐々木信也氏に請われて「プロ野球ニュース」に出演する可能性があるかも。

星野仙一

  1. 2018年シーズンの楽天の梨田監督の途中退任はなかった。
    • 2019年も梨田監督は留任していたかも
    • 2018年シーズン終了後に梨田監督が成績を理由に自ら辞任していたら投手コーチだった与田が監督になっていたか。
      • その場合は中日の監督は誰がなっていただろうか?
  2. 石井一久が楽天のGMになることはなかった。
    • したがって、浅村栄斗はソフトバンクに移籍していた。
  3. 教え子である阪神の金本監督の退任劇に激怒していた。
    • それでも矢野監督の就任には激励コメントを出していた。
  4. サンデーモーニングに出演していたかもしれない。
  5. 2020年に野球殿堂入りした親友の田淵幸一氏を祝っていた。
  6. ノムさんが亡くなった時に追悼コメントを出していた。

ま行

牧野茂

  1. 1989年、藤田元司が監督に復帰と再びヘッドコーチに就任。
    • 原が外野にコンバートされることは無く、日本シリーズの第5戦まで無安打では無かった。
    • 松本匡史、緒方耕一以降も盗塁王を獲得する選手が多数現れた事だろう。
      • 中日の監督、ヘッドコーチに就任していた。
      • 退団後、NHKの解説者として健在。
  2. タフィ・ローズ、小久保裕紀を獲得した超重量打線となった2004年。「こんなでは優勝は絶対に無理だ!」と強く批判していた。
  3. 2006年藤田元司、宮田征典の死を悼んでいた。
  4. 三木のり平と桃屋のcmで共演していた。
    • 1999年にのり平の葬儀に参列していた。
  5. 1984年以降もヘッドコーチ、2軍監督として、王貞治監督をサポートしていた。
    • 1988年までに務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。
    • サンデーモーニングの週刊御意見番でゲストとして出演していた。
    • もしくは、1989年から1991年までに2軍監督を務めた後に、TBSの解説者に復帰していた。
  6. 場合によっては、2002年までに放送されていた『知ってるつもり?!』で取り上げられることもなかった。

三村敏之

  1. 野村克也の後に楽天監督に就任。
    • 少なくとも2010年は最下位になることはなかった。
    • あるいは広島の監督に復帰していた。それが無くとも2013年にAクラスに入った時に何かしらのコメントを出していた。
    • かつての教え子の金本を誘って加入させていた。
  2. 星野仙一は楽天の監督になっていなかったかあるいは就任が史実より遅れていた。
    • これに伴い、デーブ大久保の野球指導者復帰もなかったあるいは遅れていた。
  3. かつての教え子の金本が阪神の監督を務めることに対して、金本へ何かしらのアドバイスをしていただろう。
    • 同じ教え子でもある緒方広島vs金本阪神の対決に目を細めている。

宮田征典

  1. 2006年末まで『ズームインサタデー』の野球解説を担当し、2007年に野球界に復帰。
    • もし中日に復帰していたら、川上憲伸の大リーグ移籍はなかった。
      • ↑の通りになれば、日本テレビ「Theサンデー」のスポーツコーナーに引き続き「出演」していた。
  2. 2008年度より、昨年度Bクラスに終わった西武ライオンズの立て直し役として監督に就任。
  3. 中京テレビ「スポスタ」の評論家グラサン座談会に出演、史実で川又米利相手にでかい口を叩いている川藤幸三も大人しくなっていた。
  4. 一部の局が、宮田氏の登場時刻が夜8時半頃になるように番組編成を練り直していた。

三輪田勝利

新垣渚との契約交渉が難航した挙句に自ら命を絶った三輪田氏だが、もし今も健在なら…

  1. それでも新垣はオリックスの指名を拒否していた。
    • だが史実よりもバッシングされることは無かったであろう。
  2. フロントと衝突することなくスカウトを続けていたら、オリックスの暗黒期突入は回避されていた。
    • 恐らく例の「契約金ゼロ枠」は、当然ながら作られることはなかった。
    • 近鉄との合併は…まあ、変わらなかっただろうとは思う。
    • イチロー渡米後のオリックスの成績ももう少しマシになっていたかも?

村山実

  1. 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督に対抗して、阪神タイガースの終身名誉監督に就任。
    • 監督時代の成績がアレだから、それは無いかと。
  2. 勿論、巨人・阪神OB戦の常連になっていた。
    • 東日本大震災復興支援にも参加していた。
  3. 黄桜のCMでは、江川・小林の和解の前に、長嶋・村山の和解の方が先に行われていたかも。
    • 巨人阪神OB戦が開催される年に、その記念として長嶋茂雄氏とテレビ放送の中で対談をしていたかも。
  4. 村山氏以来、大卒後200勝投手となった黒田博樹氏に対して何かしらの言及があった。
  5. 阪神球団が創立70周年を迎えた2005年にはファン感謝デーや始球式で久しぶりに甲子園でユニフォーム姿を見せていた。
    • 阪神球団が創立80周年を迎えた2015年に関しても同じく。
  6. 2003年の阪神タイガース18年ぶりリーグ優勝の際に喜びのコメントを寄せていたかも。
  7. 2012年から15年は教え子だった和田豊が監督を務めることもあり、彼の采配に注目していた。

森慎二

  1. 西口文也投手コーチの一軍昇格が遅れていた。
  2. 2018年の西武投手陣の崩壊及びそれに伴う西武のCS敗退はなかったかもしれない。
    • 2019年CSでも少なくともソフトバンク相手に1勝はしていたかもしれない。
  3. 史実での彼の死因である人食いバクテリア(劇症型溶血性レンサ球菌感染症)の世間での認知度は低いままだった。

森永勝也

  1. 達川光男氏とのコンビで、テレビ新広島で解説者を務めていた。
    • 無論、プロ野球ニュースに出演していた。
  2. 2010年代でも健在であるならば、今の広島の活躍を褒め称えていた。

や・ら・わ行

湯口敏彦

  1. 一軍への初登板が見られていたのかもしれない。
  2. 川上哲治監督、中尾碩志二軍監督が球団全体へのバッシングに発展する事は無かった。
    • 昭和48年の優勝は独走し、昭和49年はV10を達成していたかもしれない。昭和50年は球団初の最下位に終わることは無かった。
      • 中日の昭和57年の優勝は28年ぶりという事になっていた。
    • 1973年のドラフト会議で1位の小林秀一、2位の黒坂幸夫、3位の中村裕二、5位の尾西和夫の4人が入団拒否をする事は無かった。
      • 勿論、1位の小林・3位の中村はプロの球界に入っていた。
        • 小林・中村はそれでも入団していないのでは?
          • 小林はアマor学生野球の指導者を目指していて、当時はプロを経験するとアマ復帰がほぼ不可能だったことが入団拒否の大きな理由になっている。
          • 中村は所属の社会人チームで監督候補と言われていた。高卒時にもプロの指名を拒否しており、アマ志向が強かったと思われる。
      • 黒坂(後にヤクルト)、尾西(後に近鉄)は、実際よりも活躍できたかもしれない。
  3. 1976年に太平洋・加藤初とトレードは関本四十四・玉井信博では無く玉井と湯口自身だった。
  4. 引退後は読売ジャイアンツ、または西武ライオンズのピッチングコーチに就任。
    • Dramatic Game 1844かNHKプロ野球の解説者として健在。

外国人

アニマル・レスリー

  1. 今も日本でタレントとして活躍。
    • 亜仁丸レスリーとして。
      • 「バンクーバー朝日」に出演していたことだろう。
        • 『ビートたけしのスポーツ大将2015〜ナインティナインも参戦SP〜』に出演していた。
  2. オリックス・バファローズのピッチング・インストラクターをしていた。
    • もしくは外国人スカウトに就任した。
  3. レジェンド・シリーズでの阪急ブレーブスOBとして始球式に参加。
    • 受ける捕手の藤田浩雅をボコボコ殴ってスキンシップを再現して派手なパフォーマンスでファンを魅了していた。
      • 息子のルーク健太郎が始球式を務めてはいなかった。

ルイス・サンチェス

  1. 今現在でも水虫が酷くて登録抹消されたと話題になりバラエティ番組ちょくちょく出てきそう。
    • ブラックバラエティや細かすぎて伝わらないモノマネで本人として登場。

ルー・ジャクソン

  1. 来日4年目もサンケイで活躍していた。
    • サンケイアトムズはもう少し続いていた。
    • 1970年はシーズン92敗になることはなかった。
  2. ボブ・チャンスが来日することはなかった。
  3. 引退後はメジャーリーグの監督に就任していたことだろう。
  4. 酒びたりな生活から足を洗っただろう。
  5. 後に広岡達朗が監督に就任したときに、健康管理の大切さを選手たちに伝える際の「反面教師としての悪い見本」が一つ減る。

ヴィクトル・スタルヒン

  1. 現役引退から数年後、読売ジャイアンツ、または高橋ユニオンズのピッチングコーチに就任。
    • その後はロッテオリオンズあたりの監督を務めていた。
    • あるいは阪神タイガースのコーチとして1962年・1964年の優勝に関わっている。(ともに監督は藤本定義)
      • 「村山涙の退場」はなく、村山実を説得して下がらせたスタルヒンコーチが猛抗議して退場。意気に感じた村山は炎のパーフェクトピッチング。
      • トーマス・オマリーより遥か前に「ハンシンファンハ、イチバンヤー!」と叫んでスタンドを盛り上げていたかも。
    • 巨人のコーチになることは多分なかったと思う。
  2. 1960~70年代のON最盛期を解説者として盛り上げていた。
    • 1980年代以降は一転、もっぱら巨人のフロントや補強方針に辛辣な批評を寄せていた。
      • ON全盛期から巨人を批判していたのでは?
    • 巨人ファンからは嫌われていたかもしれない。
  3. 2000年頃まではご存命だったことでしょう。
    • 共に彼の師である藤本定義氏、浜崎真二氏(両氏とも1981年没)の告別式で葬儀委員長を務めていたかもしれない。
  4. 日本に帰化し、正式に「須田博」となっていた。
    • しかしソ連の崩壊後は、祖国ロシアに戻って野球を広める活動もしていたかも。
      • 総監督としてロシア代表を率いてWBCにのり込んで来た可能性も。
        • 予選は日・台・韓・露の対抗戦…。ファンが押し寄せること必至だね。
  5. 当然だが、「旭川スタルヒン球場」は別の名前になっていた。
    • 2009年4月の時点ですでに故人となっていた場合はその段階で命名されていた可能性も。
      • 命名されてた場合、こけら落としのカードは巨人vs阪神。
  6. 同じ白系ロシア人の元横綱・大鵬とも親交を深めていたであろう。

トニー・ソレイタ

  1. 1年契約で日本ハムの打撃コーチに就任していた。
  2. 2006年日本ハムが日本一でお祝いコメントを語っていた。
  3. モルツ球団で編成された「ワールドパワーズ」に参加していた。
    • クロマティやブライアントと共にクリーンナップとして出場。
  4. 2010年大沢啓二の死を悼んでいた。

趙成珉

  1. 韓国プロ野球の解説者、指導者として活躍。 2013年のWBC韓国代表のコーチとして参加。
    • 1次リーグ敗退になることはなかったかもしれない。
  2. 読売ジャイアンツの2軍のコーチとして来日。
    • 主に育成選手を指導していた。
  3. ≒「もし98オールスターで故障およびその後も続投させられなかったら」かもしれない。

ミゲール・デルトロ

  1. 2002年に背番号「32」が1年間限定で欠番になることは無かった。
  2. 西武退団後は母国メキシカンリーグでプレーを行っていた。
    • 主にリリーフとして活躍していた。
      • 再び、日本球界に復帰ヤクルト、ロッテ辺りに入団していた。
  3. WBCの野球メキシコ代表の投手、コーチとして参加していた。
    • 勿論、2013年のカナダ戦で起こった大乱闘にも参加したことだろう。

ブライアン・トラックスラー

  1. 1年契約でソフトバンクの打撃コーチに就任。
    • 2011年に日本一の祝勝会でビールかけでは一人ビールを飲み干していた。
    • 再び、トラックスラーを模した博多人形が販売された。
  2. ドジャースの打撃コーチも務めていた。
    • メジャーへ移籍した城島や井口を指導していた。
  3. 『あらびき団』でふとっちょ☆カウボーイがモノマネを披露していた。

ボビー・マルカーノ

  1. オリックスかヤクルトどちらの春季キャンプで臨時コーチを指導していた。
  2. 1995年の日本シリーズで観客席で観戦していた。
  3. スカウトとして読売ジャイアンツに紹介したルイス・サンチェスの死を悼んだ。

マイク・ラインバック

  1. 阪神でコーチやスカウトを務めていたかもしれない。
  2. ランディ・バース氏と同様にゲスト解説者として出演していた可能性が高い。
  3. ランディ・バース氏と同様にプロ野球マスターズリーグやサントリードリームマッチに参加していたかもしれない。
  4. 「探偵ナイトスクープ」の依頼VTR「ラインバックを求めて」で依頼者と彼が対面を果たせていた。

関連項目