もし篠ノ井線が○○を通っていたら

2021年3月12日 (金) 16:26時点におけるりんご3号 (トーク | 投稿記録)による版 (→‎独立項目)
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独立項目

東北地区

奥羽本線

黒石経由になっていたら
  • 奥羽本線浪岡・弘前間は川部を経由しているが、これがもし黒石経由だったら?
  1. 弘南鉄道弘南線がJRで複線化になってた
    • その為退避施設があったかもしれない
  2. 平賀駅や黒石駅にみどりの窓口があった
  3. 新里ー弘前間が変わってた
  4. 五能線の弘前ー川部間が五能線のみだった
    • その関係で川部駅は、早い時期に無人駅となった。
    • または、五能線が名実共弘前駅起終点になっていた。
  5. 大鰐線は弘前電気鉄道のままだった
  6. 本数もかなりあった
  7. ほぼ平行したであろう青森県道13号線沿線の開発が進んでいた。
    • 上記記述の県道13号線沿線を通っていたら、浪岡駅は県立浪岡高校付近に設置され、通学には便利となった。
  8. 規模が小さいながら「黒石駅ビル」が建設されていた。
  9. 戦前に廃止された駅があった。(実史の弘南鉄道弘南線や奥羽本線「川部-石川間」で、廃止された駅があった。)
二井宿峠経由で建設されていたら

奥羽本線の計画当初は、板谷峠より山越え区間がなだらかな二井宿峠経由(白石~高畠~赤湯)が有力だったそうですが、もし二井宿峠経由で建設されていたら・・

  1. 米沢へは高畠から支線が分岐。そのまま坂町まで延長され、「高坂線」になっていた。
    • 長井線は史実通り赤湯から分岐。ただ、赤湯駅は市街地の東にあったと考えられるので、赤湯の市街地をぐるっと迂回するルートに。
    • 野岩羽線(新藤原~会津若松米沢~高畠)が実現していた。米坂線・長井線の今泉以東は、現在の山形鉄道ルートで赤湯で分岐していた。
    • 東武東上線の高坂駅がこの路線にあると勘違いされる。
    • 読み方はこうばんせん?たかさかせん?こうさかせん?
  2. 高畠町は「高畠市」になっていた。
    • 逆に米沢市は現実より衰退していた。
    • 福島市も現実より寂れており、現在は殆ど仙台の衛星都市化していた。
  3. 東北新幹線は白石駅に乗り入れており、白石蔵王駅は存在しなかった。
    • 山形新幹線の分岐駅は、白石駅になっていた。
  4. EF71は登場しなかった。
  5. 直流電化の経験があるのは山形〜羽前千歳間のみ。
  6. 後に福島と米沢を結ぶ「米沢線」というローカル線が計画された。
    • むしろ福島~米沢間に限り新線で開通していたかもしれない。
    • 東北新幹線の開通に合わせて米沢ルートが開業した可能性も。
  7. 米坂線は高畠までの「米高線」として開通していた。
  8. 七ヶ宿町が衰退することはなかった。

五能線

弘前駅で奥羽本線と分岐していたら

現在、JR五能線は、運行上の起点が弘前駅、路線上の起点が川部駅であるが、名実ともに弘前駅起点(=川部駅を経由しない)だったらどうなっていただろうか?

  1. 弘前駅は、現状と変わらない。
    • いや、奥羽本線⇔五能線への乗り換え客と特急に乗車する客とで、現状より混雑したかも。
  2. 川部駅は、ド田舎の寂しい駅となる。
    • 黒石線が国鉄で運行されるまでは国鉄直営駅、黒石線が弘南鉄道に転換した時点で弘南鉄道管理駅、黒石線が廃止された時点で田舎館村委託駅か無人駅になった。
    • 隣りの奥羽本線「北常盤駅」が村委託だから、無人駅になるんじゃない。
  3. リゾートしらかみが川部駅に停まらなくなる。
    • 五能線区間に乗り入れる場合は、進行方向の転換が必要なので、停車するか、旅客扱い無しの運転停車という可能性も
    • むしろ実史の川部駅でのスイッチバックをする様な路線にならず、違うルートで開通していたかも。
      • その場合、撫牛子駅に相当する駅は弘前市青山地区に藤崎駅は青森県道131号線が平川土手に合流する地点あたりに開業した可能性も…。
    • 快速「深浦」は、当初から運行されないか、弘前駅で(実史の)青森行きと大館行きに分かれる編成で運行されていたかも。
  4. 弘前駅~川部駅間も単線になっていた。
  5. 五能線から奥羽本線特急で新青森以北の区間に乗車する場合の特例が認められなかった。(実史は、五能線から奥羽本線特急で新青森以北の区間を利用する場合と臨時快速「リゾートしらかみ」で青森・新青森~板柳以遠の区間を利用する場合は、「川部~弘前」で、該当区間で下車しない限り、運賃は不要の特例措置がある。)

大船渡線

陸中門崎-千厩間が気仙沼街道沿いに建設されていたら

当初の計画では大船渡線は気仙沼までは気仙沼街道沿いを通る予定でしたが、政治的な理由により陸中門崎から北へ折れ、陸中松川で東へ向かい、摺沢で南へ曲がり千厩で再び東へ向かうルートになりましたが、当初の計画通り摺沢を通らず陸中門崎から直接千厩に抜けるルートだったら?

  1. 大船渡線は「鍋弦線」と呼ばれることもなく、「我田引鉄」の象徴として語られることはなかった。
  2. 大船渡線の改良が進み、スピードアップも図られた。
    • 一ノ関~気仙沼間の距離は50km弱になり、約1時間程度で結ばれる。
      • そのため、気仙沼と一関がお互いに買い物圏くらいには入っていた。
      • 運賃も現行の1,140円から840円くらいまで下がり、バスとの競争にも勝てていたかも。
  3. 一関-気仙沼間はバスより鉄道を利用する人が多くなった。
  4. 大東町・東山町は衰退していた。
    • 逆に、千厩町が史実より栄えていた。
    • 猊鼻渓の知名度も低かった。
  5. 快速スーパードラゴンは別な名前だった。
摺沢から大船渡へ向かっていたら

我田引鉄の過程で摺沢から直接大船渡に向かうルートも検討された。

  1. 陸前矢作あたりで史実のルートと合流していた。
    • 気仙沼線は前谷地~陸前矢作だった。
  2. 大船渡線は宮城県を通らない。

磐越西線

会津坂下経由だったら
  1. 中央線より先の開業なので当初の駅名は「坂下」だった。
    • 只見線もここが起点。
  2. 会津若松でのスイッチバックはなかった。
    • 現実の会津若松〜喜多方が日中線の一部になる。
  3. 逆に磐越自動車道が喜多方経由になっていた。
    • IC繋げる関係上さすがに49号沿いのルートを取るはず。ただでさえ通行止めの多い区間だ。

信越地区

信越本線

碓氷峠以外のルートを経由していたら
  1. 軽井沢は鉄道のルートから外れ、モータリゼーションの進展まで観光地化が抑えられていた。
    • 町名が「沓掛(くつかけ)町」になっていた可能性もある。
  2. 「峠の釜めし」は存在しなかった。
  3. 場合によっては上越線の方が先に開通していた。
    • その場合、大宮~宮内が「武越本線」になっていた。
      • 大宮~新潟では?
  4. 髪に見放された男性が横軽を通る度に憂鬱になることはなかった。
  5. 長野発着の特急「あずさ」が北陸新幹線開通まで存在した。
  6. 西武鉄道が西武秩父から軽井沢まで延長されていた。
    • 東京~軽井沢間の観光輸送は西武が独占。
  7. 新幹線開業後も、一部区間が廃止されるということはなかった。(現実では軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道として存続するも横川~軽井沢間は廃止)
    • そもそも北陸新幹線は越後湯沢〜上越経由になっていた。
  8. Gマーク(「●」)はなかった。
  9. 急行「白山」に475系が投入された可能性がある。
  10. 碓氷峠以外の場所に鉄道文化むらができていた。
富岡~下仁田~中込だったら
  1. 安中から富岡・下仁田を経て、内山峠を越えて中込(佐久市)へ向かうルート。
  2. 安中ではなく高崎から直接富岡に向かった場合、上信電鉄は国有化されていた。
    • むしろ上信電鉄そのものが建設されなかった(現実の信越線の開通はM18年で、M30年開業の上信電鉄より古い)。
    • 逆に高崎~安中~松井田間に私鉄線が建設され、そちらが「上信電鉄」を名乗っていたかも。
  3. 北陸(長野)新幹線も富岡を通るが、勾配緩和の都合で妙義山麓の山ん中に「富岡妙義」駅を造るハメになり、現実の安中榛名駅と同様に殆ど秘境駅化。
    • 但し、2014年6月に行われるユネスコの世界遺産委員会で富岡製糸場が正式登録された場合、最寄駅として活況を呈するかも。当然、駅から富岡製糸場までのアクセスも改善される。
    • その場合、急カーブになる高崎ルートではなく、八高線との交点付近(本庄市あたり)から藤岡を回って富岡に出るルートになる。
      • 本庄早稲田駅は分岐駅として史実よりも賑わっていた。
      • 史実の本庄早稲田駅に当たる駅が八高線の交点あたりにあった(多分「本庄藤岡駅」)。
  4. 安中市は平成の大合併で高崎市に編入されていた。
渋川~大前~上田だったら
  1. 現実の吾妻線を上田まで延伸するルート。
  2. 草軽電鉄は、現実と逆に草津温泉側から軽井沢に向かって建設された。
  3. 「万座・鹿沢口」という駅名は存在しない(より鹿沢温泉に近い田代地区に駅ができるため)。
  4. 渋川市がもっと発展していた。
    • 上越新幹線も渋川を通り、駅もできていた。
  5. 上田交通真田傍陽線は開業しないが、現在でも真田線とほぼ同じ区間を鉄道が走っている。
  6. 特急「草津」は菅平高原の最寄り駅まで運行されていた。
  7. 大前駅は秘境駅にならなかった。
  8. 安中は鉄道空白地帯になり市制施行できなかった。
  9. 史実の北軽井沢(嬬恋村)側が開発されていた。逆に浅間山を越えて長野側が「南嬬恋」とかになっていたかも。
柏崎以東が出雲崎経由だったら
  1. 現実の越後線に近いルート。
  2. もちろん複線電化。
  3. ひょっとしたら越後線より海沿いを走っているかもしれない。
  4. 宮内〜長岡〜新潟間は上越線になっていた。
  5. 宮内〜柏崎間は「柏崎線」あたりになったが、単線のローカル線になっていた。
    • しかし信越本線の迂回ルートとなるため電化される。
  6. 巻町は「巻市」になるが、やはり平成の大合併で新潟市に呑まれる。
  7. 吉田市」もしくは「弥彦市」ができていた。
  8. 現実より鉄道の開通が遅くなる長岡の発展が遅れていた。
    • これを「戊辰戦争で旧幕府側に付かされたばっかりに・・」という恨み節がChakuWikiの長岡市のページ等に多数書かれる。
      • それに対し、「地形的に理にかなっている、一種の伝説だろ」等の反論も反射的に書かれる。
  9. 羽越本線は新潟から今の白新線のルートで建設された。
  10. 新津は磐越西線の途中駅に過ぎず、「鉄道のまち」にはならなかった。
  11. 上越新幹線は吉田と燕との間を通り、「燕吉田」駅が造られる。その後北陸自動車道に「吉田燕IC」が設置される。
飯山経由だったら
  1. 越後川口ー宮内間は信越線の路線になっていた。
  2. 宮内ー直江津間は北越線。
    • 直江津ー豊野間は妙高線。
    • むしろ宮内以西が北陸本線になっていた。この場合北陸本線にJR東日本管轄区間が存在することになっていた。
  3. 十日町に停まるはくたかは史実より多かった。
  4. 長野〜新潟の所要時間が短縮される。
  5. 北しなの線は長野〜飯山の路線になっていた。

篠ノ井線

篠ノ井線の計画当初、松本以北のルートは主なものでも6案もあった(信濃毎日新聞社編『信州の鉄道物語』より)そうですが、もし別のルートになっていたら?

大町方面

穂高経由
  1. 大糸線が、線名の通り信濃大町~糸魚川間になっていた。
  2. 松本~信濃大町間の駅間距離は現実の大糸線より長い。
    • 松本駅から400m先に駅がある、なんてありえない。
  3. 豊科穂高は現実より人口が多く、単独で「豊科市」「穂高市」になっていた。
  4. 大町市も現実より発展しており、平成の大合併前に人口が3万を割ることもなかった。
    • アルペンルートの玄関口でもあることから、今も「あずさ」の半分近くが信濃大町まで乗り入れている。
  5. しなの鉄道の分岐駅は安茂里駅か長野駅。
    • 安茂里駅が開業していなかった場合(現実では国鉄末期に開業)、長野まで自社線となるため現実より経営は安定していた。
      • 安茂里駅は転換後に開業、しなの鉄道のみが停車していた。
池田経由
  1. 大糸線、大町市、及びしな鉄の件は上と同じ。
  2. 松本~豊科~穂高間には別に私鉄線が建設された。
    • 戦時統合で松本電気鉄道に合併され、同社の「穂高線」になっている。
  3. 池田町が現実より発展している。
    • 平成の大合併で松川村を合併して「信濃池田市」になっている。

犀川沿い(国道19号ルート)

  1. ほぼ平坦なため、スイッチバックの駅や信号場は存在しない。
  2. 水害や土砂崩れによる運休が度々発生していた。

上田方面

青木経由

因みにこのルートの中でも青木峠経由(岡田~四賀~青木峠~青木)、保福寺峠経由(岡田~保福寺~保福寺峠~青木)の案があった。

  1. 青木峠経由だった場合、かなりの難工事だった(青木峠の所で立て続けに2つ峠を越える必要があるため)。
    • スイッチバックも現実以上に多かったかも。
  2. ルートが重なる上田温泉電軌別所線(現上田電鉄)、青木線は建設されなかった。
  3. 松本側から長野に向かう列車は、上田駅でスイッチバックを余儀なくされた。
    • そのため、客車急行「ちくま」が現実より早く廃止されたか、国鉄時代に165系電車に置き換えられていた。
  4. 上田市が現実より発展し、平成の大合併で20万都市になる。
  5. 長野新幹線開業後、新幹線「あさま」+「しなの」(上田で乗換)の方が「あずさ」より松本に早く着くようになってしまっていた。
    • なので上田~松本間のミニ新幹線化構想が浮上するが、諏訪地方より猛反対に遭う。
三才山峠・丸子経由
  1. 上田市と長野新幹線の件は上と同じ。
  2. 戦前に製糸業で栄えた丸子がそのまま発展して「丸子市」になっていた。
  3. 丸子鉄道(後の上田丸子電鉄丸子線)は建設されなかった。
  4. 鹿教湯温泉に駅が設けられてメジャー化するため、「鹿教湯」を正しく読める人が多くなっていた。