「もし中華人民共和国が○○だったら」の版間の差分
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2021年3月1日 (月) 12:25時点における版
2000年代以降の経済成長がなかったら
- 石油価格が現実ほど高騰しなかった。
- 日本が未だに世界第二の経済大国に居る。
- あるいはインドかインドネシアあたりに抜かれていた。
- 但しGDPは90年代以降横ばいなのは変わらず。
- 2008年のオリンピック開催地は大阪になっていた。
- トロントの可能性も。
- 中国の海洋進出もなかった。
- 一帯一路どころかまだ西部大開発に必死。
- 改革開放政策を取らなかったらこうなっていた。
- この場合東欧革命の余波で共産党政権が崩壊していてもおかしくない。
- 未だに低価格製品の生産地と言えば韓国か台湾。
- さすがに90年代には韓国・台湾も割高になって来るので東南アジアとかインドでの生産が史実以上に増えるのでは?
- 一人っ子政策の廃止は…労働人口の減少から現実通りか。
- それでも中国は年間5パーセント程の緩やかな経済成長を続ける。
- 今でも中国の貧富の差が激しい。
- 外国人労働者に対する中国人の比率は史実以上だった。
- むしろ、ベトナムやタイ、シンガポールなどに流出する比率が高かった。
- 中華民国を承認する国はそこまで減らなかったかも。
- アメリカと対立することはなかった。
あの国と対立しなかったら
ソ連
- 中国共産党もソ連共産党の言いなりになっていた。
- 「向蘇一辺倒」と呼ばれていた。
- 中ソ国境紛争はソ連に有利な形で決着していた。
- 日本や台湾ににらみを利かすため浙江省や福建省にソ連軍が駐留していた。
- あるいは旅順港(帝政ロシア時代に租借地だったので)。
- 毛沢東はスターリン批判のあたりで失脚、劉少奇あたりが権力を握っていた。
- 北朝鮮のあの惨状は無かったかも…(中国とソ連の板挟みになったからという側面があるため)
- その代わりカンボジアあたりが悲惨な状況になっていたかもしれない(ポルポト政権をソ連が支持するため)。
- 金日成は史実の8月宗派事件あたりで粛清された。
- アルバニアも東欧革命までソ連に忠実だった。
- ソ連崩壊で中国も共倒れしていたかもしれない。
- その場合中華民国は大陸に復帰。
- 中国でロシア語を学ぶ人が増えていた。
- カザフスタンとの間の鉄道は史実より早く開通していた。
- 上海からウルムチを経由して中央アジアの共和国やモスクワまで行く列車が存在していた。
- 中国の鉄道軌間は旧ソ連諸国やモンゴルと同様の1524mmに改軌されていたかもしれない。
- 中国はモスクワ五輪に出場、ロサンゼルス五輪は不出場だった。
- 一時的にでもアメリカが肩入れすることが無かったためここまで強国にはならなかっただろう。
- 中華民国が「西側国家」として史実より高い地位にあり、国連常任理事国にも残留していた。
- クレムリンの許可が下りないと思われるため中国の核開発は中断されていた。
- PTBT(部分的核実験禁止条約)に中国も調印していた。
- 共産党系が中国に配慮する必要がないため原水禁運動の分裂が避けられた可能性もある。
- PTBT(部分的核実験禁止条約)に中国も調印していた。
- 中国も平和共存路線を受け入れることになるため後に東西ドイツのように中華民国・中華人民共和国双方の同時承認ができるようになっていた。
- 天安門事件(1989)の展開にも何らかの影響があった。
- 1980年代末までに中国人宇宙飛行士がソユーズで宇宙に行っていた。
- 台湾問題に関してアメリカはより真剣に。なぜならこの世界では台湾が中共の手に落ちれば、それはソ連の太平洋進出を意味するからである。
- 日本の高度経済成長は史実より小規模か場合によっては起きなかった。
- 但し緩やかな経済成長ならば確実に起きていた。
- 韓国の「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長も史実より遅れた。
あの地域を侵略しなかったら
チベット
- 民主的な連邦国家になりダライラマ14世は権威のみの存在。
- それはどうかな。むしろミャンマーやクーデター前のカンボジアみたいな仏教社会主義を掲げるダライラマによる政教一致の絶対君主制国家になっていたと思う。
- 要するにオウムがえがいていた国家構想がそのまま実現したようなもの。
- オウムと一緒にしちゃいくらなんでも失礼だ。
- 中国領となっているチベット地域からチベット系中国人がチベット本国に亡命してくる。
- 中国領内のチベット族居住地を巡って、中国とチベットは紛争を繰り返す。
- 冷戦初期に米軍はチベットに基地を建設し、共産圏に対する重要な拠点となる。
- 新彊ウイグル自治区も独立国家となっていた。
- むしろチベットを併合し損ねたということで中国政府による締め付けが厳しくなっていると思う。
- 下手すれば新疆省になっていた(この場合、後に寧夏省・広西省も誕生していた)。
- 内モンゴル自治区は複数の省で分割されていた。
- チベットで鉄道が開業することはなかった。
- アメリカか日本の援助により国内限定で建設される可能性はある。ただ、2015年現在も構想のままかもしれない。
- もし中国の鉄道と接続するとしても直通は貨物列車のみ。
- アメリカか日本の援助により国内限定で建設される可能性はある。ただ、2015年現在も構想のままかもしれない。
- タイムゾーンはキルギスやバングラデシュと同じものになっていた。
- 日本との時差は3時間。
- モンゴル同様台湾政府には独立国とみなされていない。
- が、近年はそう敵対関係でもなくなっている。
- 2008年の北京オリンピックと前後してチベット問題が騒がれることも無かった。
- 現実のインドのように身分制度による差別が甚だしかった。
- 五%の特権階級が九五%の国民を迫害する体制がそのまま続いていた。
- 中国共産党だってそうじゃん。
- 五%の特権階級が九五%の国民を迫害する体制がそのまま続いていた。
- チベットの寺院も健在。
- オウム真理教を支援したためにテロ支援国家に指定されている。
- オウムの教義や行動を考慮すると支援の対象にはならなかったのでは。
- オウム真理教ではヒンドゥーの破壊神であるシヴァが信仰の対象で、主に日本に対してテロ活動を行っていた。
- チベットにとって日本を敵視する理由は特に見当たらない上、信仰の対象も違うとなると支援の動機はもはや存在しないと見てよいだろう。
- でも今現在もオウムから受け取った1億円を返していませんよね。
- オウムの教義や行動を考慮すると支援の対象にはならなかったのでは。
- 僧侶は民間人よりも上の身分とされていて、民間人には多数の義務が課せられていた。よって中国に亡命する人もいたかもしれない。
- 実際今現在でも命からがら逃げてきた亡命チベット人をスパイ扱いして中国に追い返している。
- しかし、中国に亡命した人の末路は悲惨なものに。
- 日本などからの観光客も現実より多い。
- 観光客目当てに成田からラサを結ぶ直行便が開設されてた。
- チベット側からヒマラヤ登山に挑む人も増えてた。
- 近年になって中国資本の進出が激しくなってきた。
- 一部で「経済侵略」などと騒がれている。
- しかし(無論特権階級を除いて)大体の国民はむしろ生活レベルが上がるため、左程悪くは言われない。
- ラサ市内には史実ほどではないが漢字の看板が多数出現する。
- 確実に発展途上国に認定される。
- 中国に対抗するために日本と友好関係を築いている可能性が高い。
- いわゆる「中国包囲網」の一国を占めていた。
あの政策が採られなかったら
文化大革命
- 人口20億人突破するも、共産党は15億人と発表。
- 文化大革命による粛清やら混乱がなく、ソ連、東欧と友好関係をずっと維持していて、人民解放軍が順調に近代化を達成。1990年代には海軍が正規空母を2隻を実戦配備、ソブレメンヌイ級、カシン級、ウロダイ級駆逐艦などの中国版を20隻以上保有している。キロ級潜水艦も1980年代後半に取得して国産化するなどして大量配備している。
- しかし、ソ連崩壊で共倒れ。中華民国が大陸に戻る。
- そして台湾は台湾国として独立。
- しかし、ソ連崩壊で共倒れ。中華民国が大陸に戻る。
- 空軍にはAWACSが1980年代には配備され、主力戦闘機はミグ23やミグ25の忠実なコピー品を経て2000年代には、Su-30やSu-27が大多数を占める。対地攻撃機であるSu-25やSu-24を大量に保有する。
- 陸軍も現在の人民解放軍のように戦車更新がなかなか進捗しないでT-55などが大量に運用されているなんてことはなく、1970年代にソ連から譲渡されてライセンス生産されたT-72戦車やT-80戦車とその改良型が主力となる。
- 多弾頭大陸間弾道弾を1980年代前半には実戦配備される。
- 中国の影響下にある北朝鮮の軍備も今の悲惨さに比べれば、遥かに正常稼動し近代化されている
- 毛沢東は1960年代に失脚し、トウ小平による改革が10年早く始まる。
- 劉少奇らによる経済改革は順調に進み、1990年代には、「失なわれた10年」に喘ぐ日本に代わり、中国が東アジア経済の中軸を担うようになる。
- 深セン経済特区や上海・深セン両証券取引所の設立が史実より早まる。
- 北京五輪が1988年頃に、上海万博が1990年頃に実現していた。
- 中国のGDPは日本のそれを1990年代前半に抜き、アメリカのそれを2000年代中盤に抜いていた。
- 毛沢東は「国父」として孫文同様の尊敬をされつつも軟禁状態で実権を完全に奪われる。
- トウ小平や華国鋒・趙紫陽がもう少し早く権力の中枢へたどり着いている。
- 劉少奇らによる経済改革は順調に進み、1990年代には、「失なわれた10年」に喘ぐ日本に代わり、中国が東アジア経済の中軸を担うようになる。
- 「ピンポン」の「孔文革」は別の名前になっていた。
- 中国民航の航空部門が1社で民営化され、「中国中央航空」に。やがて「極東のパンナム」と呼ばれるに至る。上海航空、四川航空といった非民航系の会社は日本の全日空の様に大規模化する。
- 或いは航空部門が「中国国際航空(フラッグキャリア、北京ベース、主要国内線と中・長距離国際線を運航)」・「中国内外航空(上海ベース、国内線と近距離国際線を運航)」・「中国国内航空(広州ベース、国内ローカル線を運航)」の3社に分割民営化された。
一人っ子政策
- 中国は史実以上少子高齢化が進まなかった。
- 高考や就職活動がさらに地獄と化していた。
- 子供の数が多いほど中国は人口増加し続ける。
- ひょっとしたら2010年代には中国の人口が20億人を突破していたかも。
- むしろ中国が分裂してしまう可能性も。
- 台湾が1990年代には独立していた。
- 環境への負荷が凄まじいことになっていた。
- 西部どころか海外(特にアフリカ諸国?)への移民が積極的に行われている。
- ひょっとしたら2010年代には中国の人口が20億人を突破していたかも。
- 国際結婚は中国ではあまり少なかったはず。
- この場合、日本でバブルが崩壊することはなかった。
- バブル崩壊時には日中間の貿易量は今ほど大きくなかったのでそれはない。
- 将来の人口予測で「中国の人口がインドに抜かれる」とされることはなかった。
- 人民解放軍の総兵力は500万人を軽く超えていた。
- 社会に不満を持つ若者がもっと増え社会不安も増大していた。
- 21世紀に入ってからも第2次天安門事件のような事態が複数回発生していた。
一つの中国
- 中華人民共和国と中華民国の両方の同時国家承認が可能だった。
- 中華人民共和国の国連加盟や西側諸国との国交樹立が史実より早まった。
- 恐らく1950年頃に実現していた。
- 常任理事国の座は、史実通り中華人民共和国に移っているか、中華民国のままだったかもしれない。
- 世界地図で台湾が中華人民共和国の領土とされることはなく、中華民国の領土とされていた。
第二次天安門事件が○○だったら
武力鎮圧されなかったら
- 反日運動にまで発展。
- 当時は後世のような反日教育を行っていなかったのでそれはない。
- それ以前に主張の内容を考慮すると外国がターゲットにされることはなかったと推測。
- ただし民主化が板につき経済発展を果たしてからはまた大国志向に戻り日本を敵視しても不思議ではない。
- 当時は後世のような反日教育を行っていなかったのでそれはない。
- 中国が文字通り瓦解、南北朝鮮も瓦解、アジアは大混乱に。
- 北朝鮮はともかくオリンピック翌年でまだまだ高度成長真っ只中の韓国が混乱するようには思えない。
- 北朝鮮は瓦解、韓国が占領しようとするが朝鮮労働党の残党がゲリラ化し、泥沼に。
- 日本のバブル崩壊の原因を東アジアの不安定化と勘違いする人もいた。
- 趙紫陽ではなく李鵬ら保守派が危険思想人物として死ぬまで軟禁。胡耀邦は保守派の目を気にせず堂々と靖国にもう一度参拝。日中首脳の戦没者追悼施設への相互の訪問が慣例化。90年代は喬石・胡啓立体制のため反日教育行われず。唯一の反日国の韓国が一層孤立。
- むしろ韓国は前述の理由でそれどころではない。
- 終身刑というより革命の勢いで裁判を行い死刑判決を出される人も多くなるのでは。
- 急激な民主化で社会が混乱し内戦状態となり、結局アメリカ軍が介入、親米政権に落ち着く。
- 人民解放軍が武力鎮圧に反対していたらうまく民主化の方向に進んでいた可能性がある。
- 少なくともあのような殺戮は起こらなかった。
- 上海や広州などでも北京の動きに呼応したデモが発生していた。
- 台湾では国民党の保守強硬派が大陸への介入を主張する。
- 大陸が民主化に成功すれば、「中華民国」としての台湾が大陸政府に合流するかもしれない。しかし台湾独立派が反発して台湾でも混乱、という可能性はある。
- 共産党政権が崩壊していたら辛亥革命になぞらえて「己巳革命」と呼ばれていた。
- 広場に建てられた「民主の女神像」はこの事件のシンボルとして今も健在。
- 1989年と昭和64年を一緒に微博(ウェイボー)に書き込むと削除されるようなことはなかった。
- もちろん5月35日と隠語を使わなくてよい。
- そもそもTwitterやFacebookが普通に中国大陸へ進出しているため微博が普及していない。
- 1989年は「東欧民主化」どころか、東アジアも含めた「世界民主化」の年と記憶される。
- ただし東欧(特に東ドイツ?)の革命がもう少し手こずっていた恐れもある。
- 香港の人々はもっと素直に中国復帰を喜べた。
- もちろん大陸から高速鉄道が伸びたり大陸の法律が適用されたりしても自由が脅かされることなどあるはずがない。
- テレサ・テンは何の問題もなく大陸の土を踏めていた。
- 銅鑼湾書店は今でもごく普通の書店として香港で営業している。
- 史実で運動のリーダーとなった王丹や劉剛は有力な政治家として活躍している。
- 劉暁波もブレーンとして活躍していた。
- 葬儀はおそらく国葬。
- ノーベル平和賞受賞ももっと早かったかもしれない。
- 劉暁波もブレーンとして活躍していた。
- 共産党政権の崩壊が決定づけられた日が「解放節」として祝日になっている。
- 民主化の進行具合によっては日本の言論の自由度は民主中国にも抜かれていた。
- それでもチベットやウイグルは独立できていない。
- 下手をするとミャンマーのように民族間の大規模な衝突が発生していた。