もし坂本九が健在だったら

2010年2月28日 (日) 15:27時点における118.6.88.129 (トーク)による版
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日航ジャンボジェット機墜落事故で亡くなった坂本九。仮に飛行機に間に合わず(実際に乗り遅れて難を逃れた人も居た)健在だったら。

  1. 家族揃って芸能活動している
    • 初孫の顔も無事拝んでいたことでしょう。
  2. STVの「サンデー九」は長寿番組となっている
    • 当然24時間テレビのSTVパーソナリティも継続されていた。
    • tssの「クイズクロス5」も最終回まで司会を務めた。
  3. 日本音楽界の勢力図はがらりと変わっていた。
    • ひょっとしたら、アニソン界にも進出してたかも。
      • 一応、坂本九が歌ったアニソンとしては「科学少年ジョニークエスト」の主題歌と「ガリバーの宇宙旅行」の挿入歌があります。
  4. 缶コーヒー「ジョージア」の『明日があるさ』を自ら歌っていた。
    • TVドラマ版『明日があるさ』にも出演していた
  5. 川崎市の芸術系イベントを自ら引っ張っていた。
  6. 栗山町に「坂本九思い出記念館」は建たなかった。
  7. 21世紀に入って以降最低一回はNHK紅白歌合戦の司会をしていた。
  8. TBSの『オールスター感謝祭』の常連にもなっていただろう。
    • 『平成教育委員会』にも最低1回はゲスト出演していただろう。
  9. 「九ちゃんねる」という名前の公式HPを立ち上げている。
    • 新し物好きで凝り性だったというから、日本の芸能人初の公式HPになっていたかも。
  10. 九が三の倍数だけに世界のナベアツによってアホになって名前を呼ばれることが多くなる。
  11. 平井堅と実際に「見上げてごらん夜の星を」を歌っていた。
  12. 「きゅうりのキューちゃん」のCMに出演していた。
  13. 「踊る!さんま御殿」に度々出演していた。
    • 「さんま御殿」に限らず、「ダウンタウンDX」など主要トーク番組は制覇している。
  14. 「マツケンサンバ」に対抗して「サカキューサンバ」をリリースする。
  15. 『心の瞳』が遺作となることはなく、普通に新曲として発表されていた。
    • もちろん『誰も知らない泣ける歌』で紹介されることもない。
    • 現実ほど学校の合唱曲に選ばれていたかどうかは不明。
  16. 1990年代以降はアメリカを活動拠点にしている。
    • 向こうの大物アーティストとのコラボレーション曲を次々と発表。
  17. 「速報!歌の大辞テン」ではコメントのみならずスタジオゲストにも呼ばれていた。
  18. 2009年2月、長女の大島花子が出産したため、孫が出来たととても喜んでいた。
  19. 主題歌を歌っていた「たんけんぼくのまち」に何らかのかたちで出演していた。
    • おそらく、チョーさんの父親役で出演していただろう。
  20. キューちゃんつながりで高橋尚子の応援歌を歌っていた。
  21. ファンハウスもBMGに吸収されることなく現存していた。
  22. 2001年にはもちろん「悲しき60歳」を自ら歌ってリバイバルヒットさせた。
  23. 「ものまねバトル」でツートン青木が物まねした際に「ご本人」として登場していた。
  24. 事務所の後輩となる西田ひかるを自らの手で育成していた。
  25. 川崎フロンターレの開幕戦にゲスト(始球式あたり)として呼ばれていた。
    • オフィシャルソングを歌い、名目だけではないサポーターとして熱心に応援していたかも。
  26. 「坂本」ってネタが一部(特に某動画サイト)で流行していた。
    • さらにこんな「坂本」ネタも登場。

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