実は存在したモノ/スポーツ
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野球[編集 | ソースを編集]
サッカー[編集 | ソースを編集]
記録[編集 | ソースを編集]
- FIFAワールドカップ
- 北中米地区のワールドカップベスト4進出。
- 1930年の第1回大会のアメリカ。欧州・南米以外のワールドカップベスト4進出は第1回のアメリカと2002年日韓大会の韓国(買収疑惑あり)だけ。
- インドネシアのワールドカップ出場。
- 1938年大会に「オランダ領東インド」の国名で出場した。アジア勢初かつアジア勢戦前唯一のワールドカップ出場である。
- 出場自体は不戦勝によるであり、実力で勝ち取ったことはまだない。
- なお予選で棄権した相手国は日本だった。
- 1938年大会に「オランダ領東インド」の国名で出場した。アジア勢初かつアジア勢戦前唯一のワールドカップ出場である。
- インドの幻のワールドカップ出場。
- 1950年に本大会出場を決めていたが、裸足でのプレーを認められなかったため棄権した。
- 但しスパイクを用意してくれる約束されたが、インド側がワールドカップに興味を示さずという一文が加わる。
- 1950年に本大会出場を決めていたが、裸足でのプレーを認められなかったため棄権した。
- サウジアラビアのワールドカップ決勝トーナメント進出。
- 2002年のドイツ戦の0-8をはじめ出れば毎回大敗するイメージのあるサウジアラビアだが、初出場した1994年大会は決勝トーナメントに進出していた。
- ワールドカップ開催国の地区予選参加
- 1934年大会には開催国枠がなかったためのイタリアも欧州予選に参戦した。
- 2010年大会のアフリカ予選はアフリカネイションズカップ2010の予選を兼ねたため南アフリカも参加したが、2次リーグで敗退した。
- キューバのワールドカップ出場。
- 1938年大会に出場。カリブ海の国として初のワールドカップ出場である。
- 出場自体は不戦勝によるものであり、実力で勝ち取ったことはまだない。
- 1938年大会に出場。カリブ海の国として初のワールドカップ出場である。
- 高校サッカー
- 北海道の全国高校選手権決勝進出
- 1978年度の第57回大会で室蘭大谷が準優勝。
- 四国の高校選手権優勝
- 1989年度の第68回大会で南宇和が優勝。
- 沖縄県のインターハイ決勝進出
- 2005年度に那覇西が準優勝。
- 東海大四(現東海大札幌)のインターハイ出場
- 他競技では全国大会の常連である一方で、サッカーでは実績が残せていないイメージがあるが、インターハイであれば2011年に出場経験がある。
- 高校選手権決勝戦に3年連続フル出場
- 国見高校の中村北斗が記録した。
- 伏見工業(現京都工学院)の全国高校選手権出場
- 「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなったラグビー部が有名な高校だが、サッカー部も2002年度の第81回大会に出場を果たしている。
- その他
- PKのみでハットトリック
- 2000年に藤田俊哉が記録した。
- J2で3年連続最下位
- 1999年~2001年のヴァンフォーレ甲府、2006年~2008年の徳島ヴォルティスが達成、当時はJ2からJ3への降格制度が無かった
- 外地(朝鮮半島)のチームが天皇杯で優勝
- 1935年に現在の韓国:ソウルを本拠地にする全京城蹴球団が天皇杯で優勝している
大会及び試合[編集 | ソースを編集]
- インターハイでの同県同士の決勝
- 1991年の清水東VS東海大第一の静岡対決、2013年と2017年のいずれも市立船橋VS流通経済大柏の千葉対決と、これまで3度実現している。
- 市立船橋VS流通経済大柏は2008年も決勝で当たる予定だったが、雷雨のため中止で両校優勝に。
- なお2019年より千葉県の代表枠は1に削減された。
- 高校サッカーの選抜大会
- 高校サッカーに選抜大会がないわけではなく、全国高等学校サッカー選手権大会こそが選抜大会という位置づけである。
- バレーボールでは2011年より、バスケットボールでは2017年より「選手権=選抜大会」となっている。
- 尚、女子サッカーは選手権が公式の選抜大会であり、選抜を自称する大会が別にあるので注意。
- サッカーは選手権を選抜大会扱いすることをインターハイとの共存の条件としたのに対し、バレーボールとバスケットボールは選抜大会の人気を受けて「選手権=選抜大会」となった。
- 柔道も「選手権=選抜大会」である。
- バレーボールでは2011年より、バスケットボールでは2017年より「選手権=選抜大会」となっている。
- 高校サッカーに選抜大会がないわけではなく、全国高等学校サッカー選手権大会こそが選抜大会という位置づけである。
- 川崎ダービー(ヴェルディ vs フロンターレ)
- 当時J1在籍していたヴェルディの東京移転前年となる1999年にフロンターレもJ1初昇格を果たしたため実現している。
- 横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)における横浜フリューゲルスのホームゲーム
- フリューゲルスのラストシーズンと横国の開場がともに1998年のためリーグ戦のホーム9試合を開催した。
- コンサドーレ札幌VS横浜フリューゲルス
- コンサドーレのJリーグ初年度とフリューゲルスのラストシーズンがともに1998年のため、このカードが存在した。ちなみにこのカードがフリューゲルスにとって最後のJリーグ公式戦となってしまった。
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会の5回戦(4回戦と準々決勝の間のラウンド)
- 2004年から2008年まで存在した
- 当時はJ1のクラブは4回戦(ベスト32)、J2のクラブは3回戦、アマチュアシード枠と一部の都道府県代表は2回戦から登場のシード権があったが、現在ではJリーグクラブ拡大による出場チーム数増加の影響でJ1のクラブも2回戦から登場する。
- 2004年から2008年まで存在した
- 全国高校サッカー選手権大会で東福岡VS東海大仰星の対戦。
- どう見ても高校ラグビーにしか見えないカードだが、高校サッカーでも第95回(2016年度)の準々決勝で対戦していた(1-0で東海大仰星の勝利)。
- ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現:横浜Fマリノス)の対戦が「クラシコ(伝統の一戦)」と呼ばれていた事
- ヴェルディは前身である読売クラブ、マリノスのは前身である日産自動車サッカー部の頃から多数の代表選手を輩出し、プロクラブの先駆けになり、80年代~90年代初頭にかけて両チームで多数のタイトルを独占したため、Jリーグ開幕当初は上記2チームの対戦をクラシコと呼ぶ事も少なくは無かった
- 大分トリニータとU-23チーム (FC東京・ガンバ大阪・セレッソ大阪) との対戦
- J3にU-23チームが参加するようになったのは2016年だが、この年はトリニータがJ3所属だったため、3クラブのU-23チームとの対戦が実現している。なおトリニータは2016年にJ3で優勝し、翌年はJ2所属となったため、この対戦カードは2016年のみとなった。
- 長居陸上競技場 (ヤンマースタジアム長居) におけるガンバ大阪のホームゲーム
- 2008年のスルガ銀行チャンピオンシップが該当する。当時ガンバのホームスタジアムだった万博記念競技場が国際基準に満たしていないための措置であった。
- この経緯からも、万博に代わって市立吹田サッカースタジアム (パナソニックスタジアム吹田) が建てられる要因となった。
- なおガンバのホームゲームが長居球技場で、一方セレッソ大阪のホームゲームが万博やパナスタで開催されたことは2020年現在一度もない。
- ただし1996年には京都パープルサンガが、台風で延期となった試合の会場を本拠地・西京極ではなく万博に変更して開催する事例があった (西京極が振り替え開催予定日に使用できなかったため) 。
- 2008年のスルガ銀行チャンピオンシップが該当する。当時ガンバのホームスタジアムだった万博記念競技場が国際基準に満たしていないための措置であった。
- 万博記念競技場におけるJリーグチャンピオンシップ
- 2015年の決勝第1戦が該当する。ガンバ大阪は1993年から2004年までにチャンピオンシップに出場したことがなく、2015年がはじめてのチャンピオンシップだった。なお、この試合が万博でのガンバ大阪トップチーム最後のホームゲームとなった (ただし2016年以降もU-23のホームゲームは開催されている) 。
- 川崎フロンターレVS横浜フリューゲルス
- フロンターレのJ参入は1999年、フリューゲルスのラストシーズンは前年の1998年なのでリーグ戦での対戦はなかったが、フロンターレが準会員として参加した1998年のナビスコカップのグループリーグで対戦が実現している(1-0でフリューゲルス勝利)。
- 天皇杯の決勝戦がPK戦で決着
- 99回の歴史がある天皇杯で、2020年現在PK戦で試合が決着したのは70回(1990年度)の松下電器(現:ガンバ大阪)対日産自動車(現:横浜F・マリノス)の一試合のみ。
- その32年後、第102回 (2022年度) も決勝はPK戦で決着した。J2のヴァンフォーレ甲府がJ1のサンフレッチェ広島を破り初タイトルを獲得。
- 99回の歴史がある天皇杯で、2020年現在PK戦で試合が決着したのは70回(1990年度)の松下電器(現:ガンバ大阪)対日産自動車(現:横浜F・マリノス)の一試合のみ。
国際大会リーグ戦記録[編集 | ソースを編集]
- ワールドカップのグループリーグで4ヶ国がすべて勝ち点4で並ぶ展開。
- もしFIFAワールドカップでこんな有り得ない展開があったらに書かれそうな内容だが、1994年大会のグループEで本当に発生した。
- 勝ち点だけでなく得失点差もすべて並び、総得点で順位決定。メキシコが1位、ノルウェーが総得点1点の差で最下位となり涙をのんだ。
- アイルランドとイタリアは総得点も並んで直接対決でアイルランド2位、イタリア3位に(当時は3位でも成績次第で決勝トーナメントに進めた)。
- もしFIFAワールドカップでこんな有り得ない展開があったらに書かれそうな内容だが、1994年大会のグループEで本当に発生した。
- 国際大会のグループリーグで2連敗したチームが最終戦に勝利し1勝2敗で決勝トーナメント進出。
- ワールドカップではなく2009年のコンフェデレーションズカップで発生。3戦全勝のブラジル以外のアメリカ、イタリア、エジプトの3ヶ国が勝ち点3で並び、総得点で最初の2試合を連敗していたアメリカが大逆転で決勝トーナメント進出。
- 第2戦終了時点で間違って「アメリカはグループリーグ敗退決定」と書いてしまった日本のニュース記事があった。
- ワールドカップではなかったためあまり知られていない。
- さらにアメリカは決勝トーナメントでユーロ2008王者で翌年のワールドカップで優勝するスペインに2-0で勝利し、決勝でもブラジルに前半2点をリードした。後半に逆転負けで準優勝。
- ワールドカップではなく2009年のコンフェデレーションズカップで発生。3戦全勝のブラジル以外のアメリカ、イタリア、エジプトの3ヶ国が勝ち点3で並び、総得点で最初の2試合を連敗していたアメリカが大逆転で決勝トーナメント進出。
- 年代別大会のグループリーグで2分1敗の勝ち点2で2位通過。
- 2005年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)でなんと日本が勝ち点2での決勝トーナメント進出を経験した。
- 3戦全勝のオランダ以外の日本、ベナン、オーストラリアの3ヶ国が勝ち点2で並び、総得点で日本が2位で決勝トーナメント進出。
- ちなみに日本は初戦でオランダに負けて残り2試合引き分けだった。
- 日本はベスト16でモロッコに敗れ、決勝トーナメントに進出したのに4試合未勝利で大会を終えた。
- この大会に出場していた主な選手は当時エースの平山相太、のちのA代表のエース本田圭佑、飛び級の森本貴幸。
- 3位でも一部が決勝トーナメントに進出できた1986年のワールドカップで、ブルガリアとウルグアイが2分1敗の3位で決勝トーナメントに進出。
- ワールドカップのグループリーグで得失点差-5で決勝トーナメント進出。
- 上でも書いた1986年のワールドカップで、ウルグアイがデンマークに1-6の大敗、残り2試合引き分けで2分1敗の勝ち点2ながら3位で決勝トーナメント進出。
- 現在のように決勝トーナメント進出が全グループ2位以内だったら敗退だった。
- また現在のように勝ったときの勝ち点が3だったとしてもウルグアイは敗退(別のグループで1勝2敗のハンガリーが通過)だった。
- 上でも書いた1986年のワールドカップで、ウルグアイがデンマークに1-6の大敗、残り2試合引き分けで2分1敗の勝ち点2ながら3位で決勝トーナメント進出。
- UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグで4勝2敗の勝ち点12で敗退。
- 2013年シーズンのグループFで発生。6戦全敗のマルセイユ以外のドルトムント、アーセナル、ナポリの3クラブが勝ち点12で並び、当該チーム間の成績でナポリが涙をのんだ。
- 3試合のグループリーグで2勝1敗の勝ち点6で3チーム並ぶ展開は1996年のアトランタ五輪のブラジル、ナイジェリア、日本(日本が敗退)など国際大会で何度かあるが、ホーム&アウェーで6試合のグループリーグで4勝2敗の勝ち点12で3チーム並んだのは史上初。多分二度となさそうな記録だろう。
- 2013年シーズンのグループFで発生。6戦全敗のマルセイユ以外のドルトムント、アーセナル、ナポリの3クラブが勝ち点12で並び、当該チーム間の成績でナポリが涙をのんだ。
- 1勝2分で3ヶ国が並び1ヶ国が敗退
- A代表の大会ではユーロ2004のグループCでスウェーデン、デンマーク、イタリアが1勝2分の勝ち点5で並び、直接対決の総得点でイタリアが敗退した。
- 女子の年代別大会では2012年のU-17ワールドカップのグループBで北朝鮮、フランス、アメリカが1勝2分の勝ち点5で並び、得失点差でアメリカが敗退した。
国内リーグ戦記録[編集 | ソースを編集]
- 得失点差プラスで2部降格
- 2012年のガンバ大阪が達成
- それまではもしJリーグでこんな有り得ない展開があったらに書かれていたが、最下位ではないがそれに近いことが本当に起きてしまった。
- 得失点差プラスで最下位もどこかの国のリーグであるかもしれない。
- 2012年のガンバ大阪が達成
- 1部リーグに昇格したチームが国内タイトル三冠達成
- 2014年のガンバ大阪が達成
- 1部リーグに10年以上所属したチームが1部リーグ最下位で降格し、翌年に所属した2部リーグでも最下位になり2年連続、最下位で降格
- イングランドのサンダーランドAFCが達成
- 2016-17シーズン、1部リーグであるプレミアリーグで最下位で降格したサンダーランドは翌年、2017-2018シーズンに2部リーグであるチャンピオンリーグに所属したがこの年も最下位で降格した
- なおサンダーランドAFCは2007-08シーズンに1部であるプレミアに昇格してから2016-17シーズンに降格するまで1部リーグに10年間所属していた
- イングランドのサンダーランドAFCが達成
- 1部リーグに所属したチームが4年連続で降格
- トルコのカイセリ・エルジイェススポルが達成
- カイセリ・エルジイェススポルは2014-15シーズンを17位で終えて2部降格すると翌年の2015-2016シーズンは2部で17位で降格、翌年の2016―2017シーズンは3部で18位で降格、翌年の2017―2018シーズンは4部で18位で降格と4年連続で降格を経験している
- トルコのカイセリ・エルジイェススポルが達成
試合展開[編集 | ソースを編集]
- 一部リーグの試合で得点差が10点以上付く
- 2010年10月24日に行われたオランダの1部リーグであるエールディヴィジ、PSVアイントホーフェンvsフェイエノールトの試合で結果は10-0でPSVアイントホーフェンが勝利した
- 日本女子代表がアメリカ女子代表に90分で勝利
- 2011年のワールドカップ決勝はPK勝ちのため引き分け扱いだが、2012年のアルガルベカップで1-0で勝利している。
選手[編集 | ソースを編集]
- Jリーグに所属経験のある
- 2019年現在、Jリーグ所属経験のある選手がいた国(日本除く)は72か国。
- アメリカ代表選手
- 元広島のダニエル・カリッチマンが該当。
- ニュージーランド代表選手
- 元市原のウィントン・ルーファー、元仙台のマイケル・マグリンチィらが該当。
- ケニア代表選手
- 2018年にマイケル・オルンガが柏レイソルに入団。
- ベネズエラ代表選手
- 2019年にウィリアムス・ベラスケスがジェフ千葉に入団。
- 中国代表選手
- 元ガンバ大阪の賈秀全が該当。
- ガボン代表選手
- 2019年にフレデリック・ビュロがFC岐阜に入団。
- ブルキナファソ代表選手
- ウィルフリード・サヌが浦和と京都でプレーした。
その他[編集 | ソースを編集]
- コイントスでコインが立つ
- 2016年のコパ・アメリカ・センテナリオのグループA第2節、コロンビアvsパラグアイ戦で起こった。
- 2020年東京五輪にイギリス女子代表がオリンピックに参加する可能性
- 2019年FIFA女子ワールドカップのイングランド女子代表の成績で可否が決定する。尚、イングランド女子代表の強豪化が関係している可能性がある。
- 実際に出場が内定したようです。
- 2019年FIFA女子ワールドカップのイングランド女子代表の成績で可否が決定する。尚、イングランド女子代表の強豪化が関係している可能性がある。
- サッカーのゴールデンゴール
- 延長戦の方式としてゴールが決まった時点で試合終了となるものだったが、2004年7月以降順次廃止された。日本ではVゴールと呼ばれていた。
- ちなみにフランスワールドカップ出場を決めたあのジョホールバルの歓喜はゴールデンゴールで決着が付いた。
- Jリーグではかつて延長戦まで実施していた時代、延長戦はVゴールをもって決着することになっていた。余談だが、JリーグにはVゴールをめぐってさまざまなドラマがある (1999年:世界で一番悲しいVゴール、2002年:ジュビロ磐田完全優勝など) 。
ユニフォーム[編集 | ソースを編集]
- ロート製薬の旧ロゴマーク (1989年から2004年まで使われたもの) がプリントされた、ガンバ大阪のユニフォーム
- 2004年の1シーズンだけ存在する。なお、2004年6月にロート製薬のロゴが変更されたが、ユニフォームのロゴはシーズン終了まで旧ロゴの使用が継続された (2005年シーズンから新しいロゴを使用) 。
監督[編集 | ソースを編集]
- 横浜市内の3つのJクラブ (横浜F・マリノス、横浜FC、Y.S.C.C.横浜) のすべてで指揮を執ったことのある監督
- 樋口靖洋が該当する。経歴は2009年横浜FC→2012~2014F・マリノス→2016~2018年Y.S.C.C.。
- ガンバ大阪とセレッソ大阪の両方で指揮を執ったことのある監督
- レヴィー・クルピが該当する。経歴は1997年セレッソ→2007年途中~2011年セレッソ→2012年途中~2013年セレッソ→2018年ガンバ→2021年セレッソ。
- 東京ヴェルディ (旧:ヴェルディ川崎) と川崎フロンターレの両方で指揮を執ったことのある監督
- 石﨑信弘が該当する。経歴は2001~2003年フロンターレ→2005年ヴェルディ (ただし監督代行) 。
オリンピック[編集 | ソースを編集]
大会[編集 | ソースを編集]
- 1940年東京オリンピック
- 東京オリンピックと言えば1964年と2020年だが、実は1940年にも東京オリンピックが開催するはずだった。日中戦争の拡大で中止に。
- この年の立候補国はリオデジャネイロも含まれていたとか…?
- ちなみにこの年の冬季は札幌になる予定だった。東京はまだ知られているがこっちはまだ知らない人が多い。
- ちなみに夏季冬季が同じ年に同じ国で開催されたのは過去3回(1924年、1932年、1936年)例がある。
- 1960年東京オリンピック
- 1960年にも立候補していたのだが、一回目で落選。
- 落選した大会は「存在した」とは言えない気がする。
- 名古屋オリンピックや大阪オリンピックも存在したことになってしまう。
- 北京以前に夏冬の競技両方を行った(行う)都市
- 夏冬を主催する都市としては北京(夏2008年、冬2022年)が最初となるが、両方開催した地域としては軽井沢(1964年東京五輪の総合馬術、1998年長野五輪のカーリング)が最初になる。
- さらに2020年東京五輪のマラソン・競歩を札幌で開催することになれば、「どちらかを主催した都市としては」札幌が最初になる。
記録[編集 | ソースを編集]
- 日本関連
- 女子体操で日本がメダル獲得。
- 1964年東京オリンピックの団体総合で銅メダル。女子体操唯一のメダル獲得。
- 2021年の東京オリンピックでは村上茉愛が個人で銅メダルを獲得した。
- 射撃で日本人が金メダル獲得
- 1984年のロサンゼルスオリンピックで蒲池猛夫が25mラピッドファイアーピストル部門で獲得している。
- ちなみに日本の夏季・冬季通して最年長の金メダリスト記録(当時48歳)でもあり、2019年現在も破られていない。
- 1984年のロサンゼルスオリンピックで蒲池猛夫が25mラピッドファイアーピストル部門で獲得している。
- 2004年アテネオリンピックで室伏広治(男子ハンマー投げ)が銀メダル。
- 実は最初の順位は2位で銀メダル。しかし1位だったアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピングで失格となり、繰り上げで室伏広治が金メダルになった。
- 最近の報道ではドーピングで繰り上げがあったことはなかったことにされ、最初から室伏広治が金メダルを獲得したような編集になってる。
- というよりIOCの公式記録でもアヌシュの記録は抹消されている。
- 最近の報道ではドーピングで繰り上げがあったことはなかったことにされ、最初から室伏広治が金メダルを獲得したような編集になってる。
- 実は最初の順位は2位で銀メダル。しかし1位だったアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピングで失格となり、繰り上げで室伏広治が金メダルになった。
- 男子マラソンで日本人選手が金メダル獲得
- 1936年のベルリンオリンピックで孫基禎が金メダルを獲得しているが、孫基禎は日本統治時代の朝鮮出身の選手だったので、未だに日本人選手の男子マラソン金メダル獲得者は存在していない。
- 銀メダルなら1968年(メキシコシティ)の君原健二、1992年(バルセロナ)の森下広一の2人が獲得している。
- トーナメント方式の競技で、最後の試合に負けて銅メダル。
- 「金メダルと銅メダルは最後の試合に勝ってもらうメダル、銀メダルだけ最後の試合に負けてもらうメダル」とよく言われるが、稀に最後の試合に負けて銅メダルとなることがある。
- 2012年ロンドンオリンピックのボクシングの清水聡
- ボクシングには3位決定戦がなく、準決勝敗者2人が銅メダルを獲得する。
- 2016年リオデジャネイロオリンピックのバドミントンの奥原希望
- 3位決定戦の対戦相手が棄権したことで銅メダル決定。事実上最後の試合(準決勝)に負けての銅メダルとなった(記録上は3位決定戦不戦勝である)。
- ショートトラックスピードスケートで日本人が金メダル獲得。
- 1998年長野オリンピックの西谷岳文。
- しかもソチ大会の羽生結弦を1ヶ月差で抑えて冬季オリンピックの日本史上最年少金メダリスト。
- 冬季五輪の日本最年少金メダリストでもあるのにオリンピックの過去の名場面で西谷の金メダルが流れることがほとんどない。下手すると冬季五輪で最も陰の薄い日本金メダリストかも。
- ショートトラックの名場面といえば2002年ソルトレイク大会のオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーの映像ばかり流れる。
- 1998年長野オリンピックの西谷岳文。
- 明治生まれのオリンピック金メダリスト
- 織田幹雄(日本初の金メダル)、鶴田義行、南部忠平、西竹一の4人。
- だが19世紀生まれの日本人の金メダリストはいない。
- そのため2018年平昌オリンピック終了時点で夏冬通じて日本の金メダリストは全員20世紀生まれ。
- 19世紀生まれのオリンピックメダリスト
- 熊谷一弥(銀)、柏尾誠一郎(銀)、内藤克俊(銅・日本初のオリンピックメダル)。
- 19世紀生まれの金メダリストはいない。
- 戦前生まれの冬季オリンピック金メダリスト
- 1972年札幌オリンピックの笠谷幸生1人だけ。
- ちなみに昭和の冬季オリンピック唯一の金メダルでもある。
- 外国勢
- 冬季オリンピックで南半球の国が金メダル
- 2002年ソルトレークオリンピックのショートトラックでオーストラリアの選手が獲得。
- しかも2回戦以降は全部転倒絡みと、棚からぼたもちという奇跡で金メダル。
- むしろそれ以外にも複数回あるが。
- 2002年ソルトレークオリンピックのショートトラックでオーストラリアの選手が獲得。
- ランス・アームストロングのメダル
- ドーピングで1998年8月以降に獲得したタイトルをすべて剥奪されたが、2000年シドニーオリンピック個人タイムトライアルで獲得した銅メダルも含まれていた。
- ドイツの1大会での金メダル獲得数40個以上、全メダル獲得数100個以上
- 分断前、冷戦後の統一ドイツ、及び分断後の西ドイツでは達成していないが、東ドイツが1大会で獲得した金メダル獲得数40個以上(1976年モントリオールと1980年モスクワ)全メダル獲得数100個以上(1980年モスクワと1988年ソウル)を達成している
- なお厳密に言えば東西分断時代の西ドイツ・東ドイツ選手団は現在のドイツ選手団とは別物として扱われている。
- メダル獲得経験が冬季五輪のみの国
- リヒテンシュタインは冬季は10個のメダルを獲得しているが、夏季のメダルはまだない。
後発途上国、地域、小国のメダル獲得[編集 | ソースを編集]
国じゃなく特定地域から派遣されたオリンピック選手団、或いは人口100万人未満の国、一人当たりのGDPが下から20番目以内の国の何れかで現在までに最後のメダル獲得から20年以上経過している国か同国唯一のメダル(金メダル)でお願いします。
- アフリカ
- ニジェール
- 1960年の独立時から現在まで後発途上国であるニジェールだが1972年ミュンヘンオリンピックボクシングライトウェルター級でイッサカ・ダボルグが銅メダル1個が同国唯一のメダルである
- ブルンジ
- 2019年現在1人当たりの名目GDPランキング最下位(最下位は南スーダン)から一つ上の順位である189位であるブルンジであるが過去に金メダルを獲得した事がある
- 更に付け加えておくと金メダルを獲得した1996年のデータではブルンジは1人当たりの名目GDPランキングは最下位だった
- のこ金メダル獲得が無ければもしこんな有り得ないシーズン展開があったらに「1人当たりのGDP最下位の国が金メダルを獲得したら」と書かれていたはず
- 更に付け加えておくと金メダルを獲得した1996年のデータではブルンジは1人当たりの名目GDPランキングは最下位だった
- 1996年アトランタオリンピックの陸上競技男子5000mでベヌステ・ニョンガボが金メダルを獲得している
- 2019年現在1人当たりの名目GDPランキング最下位(最下位は南スーダン)から一つ上の順位である189位であるブルンジであるが過去に金メダルを獲得した事がある
- ジブチ
- メダル獲得1988年ソウルオリンピックの陸上競技男子マラソンでアーメド・サラが銅メダルを獲得した
- エリトリア
- メダル獲得は2004年アテネオリンピックの陸上競技男子10000mでゼルセナイ・タデッセが銅メダルが唯一である
- カリブ海
- バルバドス
- 2000年シドニーオリンピック陸上競技男子100メートルでオバデレ・トンプソンが銅メダルを獲得しているが、それ以前にバルバドス出身のジェームズ・ウェダーバーンが銅メダルを獲得したが、国際オリンピック委員会では当時存在した国家である「西インド連邦選手」の扱いとなっている
- アメリカ領ヴァージン諸島
- メダル獲得は1988年ソウルオリンピックのセーリングフィン級で獲得した銀メダルが唯一である
- オランダ領アンティル
- 1988年ソウルオリンピックのセーリングで獲得した銀メダル1個が唯一のメダルである
- オセアニア
- トンガ
- 1996年アトランタオリンピックのボクシングスーパーヘビー級で獲得した銀メダル1個が唯一のメダルである
- ヨーロッパ
- ルクセンブルクの金メダル獲得
- 小国のルクセンブルクであるが1952年ヘルシンキオリンピック陸上競技でヨジー・バーテルが金メダル1個を獲得している、今の所この金メダルが同国唯一の金メダルとなっている
- リヒテンシュタインの金メダル獲得
- 1980年に開催された冬季レークプラシッド大会のアルペンスキーで金メダルを2つ獲得している、なおリヒテンシュタインが金メダルを獲得したのは2019年現在この大会のみに留まってる
- なおリヒテンシュタインは冬季オリンピックの金メダル獲得国で参加国中最下位の人口で金メダルを獲得している
- また夏季オリンピックのメダルはないが冬季オリンピックのメダルは獲得したことがある国はリヒテンシュタインのみである。
競技[編集 | ソースを編集]
- レスリングのオリンピック除外
- 2020年東京オリンピックでレスリングの除外が協議されたのは記憶に新しいが、過去に1900年パリオリンピックで1度だけ除外されたことがあった。
- 芸術競技
- 1912年ストックホルム大会から1948年ロンドン大会まで行われていた。
- ベルリン大会では藤田嗣治が銅メダルを獲得した。
- 現在はその名残として大会期間中の芸術展示がオリンピック憲章で義務付けられている。
- 1912年ストックホルム大会から1948年ロンドン大会まで行われていた。
- 綱引き
- 1900年パリ大会から1920年アントワープ大会まで行われていた。
- クイズ番組で「この中で昔オリンピックの種目だった競技は?」という四択クイズの問題になることがある。
- 魚釣り
- 1900年パリ大会で行われた。
- こちらもクイズ番組のネタになることがある。
- 凧揚げ
- 同じく1900年パリ大会で行われた。
- クリケット
- こちらも1900年パリ大会でのみ行われた。
種目[編集 | ソースを編集]
- 柔道無差別級
- 1964年東京大会から1984年ロサンゼルス大会まで行われていたが、1988年ソウル大会で廃止。
- レスリング無差別級
- 1896年の第1回アテネ大会では体重別階級がなかったため「無差別級」として扱われている。
相撲[編集 | ソースを編集]
- 序ノ口~前頭の張出
- 大相撲の番付は平成初期まで、同地位で3人目以降の役力士を「張出」とし番付の欄外に書いたが、一時期下位にも張出が存在した。
- 公傷制度導入後10年余りの間、同制度が適用された平幕以下の力士は「張出前頭○枚目」などと扱われた。
- 戦時中には出征した力士が張出に記載されたこともあった。
- 大相撲の番付は平成初期まで、同地位で3人目以降の役力士を「張出」とし番付の欄外に書いたが、一時期下位にも張出が存在した。
- 幕内力士の顔ぶれが前場所と変わらない番付。
- 1987年九州場所から1988年初場所にかけては幕内と十両の入れ替えが全くなかった。
- 公傷休場者を除く前頭8枚目以下の力士が全員勝ち越したため十両への陥落者が出ず、十両上位の好成績者が幕内に昇進できなかった。
- 1987年末に横綱双羽黒が廃業したが、その時点で番付発表済みだったため四股名は残っている。
- なお「十両陥落力士0」なら1985年九州場所や1997年秋場所も該当するが、幕内に引退力士が出たため翌場所にそれぞれ1名が入幕している。
- 1987年九州場所から1988年初場所にかけては幕内と十両の入れ替えが全くなかった。
- 二子山・藤島・貴乃花・千賀ノ浦部屋以外で「貴」の付く力士。
- 頭に「貴」のつく四股名は貴ノ花や貴乃花の弟子に多いが、貴ノ花の現役時代から井筒部屋に貴ノ嶺が在籍していた。
- 幕内の半数を同部屋所属の力士で占有
- 昭和6年に幕内の西方全員が出羽海部屋の力士で占められたことがある。
- 同じ四股名の力士同士の対戦
- 江戸・寛政期(1790年・1791年・1793年)に「雷電対雷電」(雷電為右衛門と雷電灘之助)、大正期(1919年)に「大錦対大錦」(大錦卯一郎と大錦大五郎)の対戦が行われた。
- 後者は1916年にも同じ取り組みを行っているが、大錦大五郎が朝日山と改名していた時期のため「大錦対大錦」の対戦にはならなかった。
- 江戸・寛政期(1790年・1791年・1793年)に「雷電対雷電」(雷電為右衛門と雷電灘之助)、大正期(1919年)に「大錦対大錦」(大錦卯一郎と大錦大五郎)の対戦が行われた。
- 場所中の四股名の代替わり
- 文化2年(1805年)冬場所(10月)の五日目に千田川喜平治が玉垣額之助に改名し、六日目に弟弟子の荒岩亀之助が千田川善太郎に改名した。
- 三賞の該当力士なし
- 平成30年(2018年)秋場所は上位陣が揃いも揃って好調だったので、このような事例が発生した(敢闘賞・技能賞候補は数人いた)。
- 新弟子なし
- 平成19年(2007年)と平成30年(2018年)の名古屋場所で発生した。
- 昭和・平成・令和で現役を続けた力士
- 立浪部屋の華吹(はなかぜ)が昭和61年初土俵で令和元年五月場所でも現役である。ちなみに最高位は三段目で33歳の時。
- 近代の大相撲で幕下から十両を経ずに入幕した力士
- 昭和7年の1月場所直前に関取が春秋園事件で大量に脱退したため幕下力士5名が一気に幕内に持ち上げられた。
- 中でも瓊ノ浦(のち両国)はその時が新入幕かつ十両に落ちずに引退したため昭和改元以降で唯一の十両未経験の幕内力士となった。
- 昭和7年の1月場所直前に関取が春秋園事件で大量に脱退したため幕下力士5名が一気に幕内に持ち上げられた。
- 優勝未経験で横綱に昇格した力士
- 照國と双羽黒の二人が存在する
- 優勝経験0で引退した横綱
- 双羽黒が該当、厳密に言うと廃業であるが優勝経験0で横綱に昇格し、優勝未経験のまま廃業している
- 優勝経験1回で引退した横綱
- 横綱は引退までに現役時代、複数回優勝経験しているイメージが強いが優勝経験1回で引退した横綱は6人居る(前田山、吉葉山、3代西ノ海、武蔵山、2代西ノ海、安芸ノ海)
- 三役以上の力士と対戦経験なしで新三役に昇進した力士。
- 年6場所制以降では1964年春場所の北の冨士、1987年秋場所の前乃森、1989年初場所の三杉里、1995年春場所の浪乃花、2014年秋場所の常幸龍まで5人存在する。
- 借株だけで停年まで相撲協会に在籍した年寄。
- 元幕内・福ノ海が該当。1962年名古屋場所で引退後1995年4月に停年退職するまでの約33年間、年寄名跡を取得せず現役力士や他の年寄などから借りて親方を務めていた。
- 大阪国技館
- 国技館といえば東京場所の会場として一般に知られているが、かつては大阪市にも同様の相撲興行施設が建っていた。
- 1919年、大阪相撲の本場所会場として新世界に「大阪国技館」が開場。
- しかし1925年を最後に本場所興行は行われなくなり、1927年には大阪相撲も東京相撲と合流して解散した。
- 1928年には映画館の「松映」として再出発したが、1945年の大阪大空襲で焼失した。
- 東西統一後の1937年には、大日本相撲協会が現在の大阪市旭区古市に「大阪大国技館」(別名:大阪関目国技館)を建設。
- 収容人員や規模は東京にある歴代の国技館(旧両国、蔵前、現両国)より大きかったという。
- しかし戦争の激化により1941年に興行が中断し、結局4年間で7回の準場所を開催したにとどまった。
- 戦時中に建物は倉庫として転用され、戦後は進駐軍に接収。1953年に大阪での本場所が再開したがその時点で建物は解体されていた。
- 片男波部屋以外で頭に「玉」の付く四股名の力士(ただし本名(例・「玉木」など)は除く)。
- 頭に「玉」のつく四股名の力士は片男波部屋所属の力士だが、元プロレスラーの田上明の力士時代の四股名は「玉麒麟」で片男波部屋でなく押尾川部屋所属だった。
- 玉麒麟の「玉」は出身地の埼玉からきている。
- 木村庄之助・式守伊之助以外の立行司。
- 1927年から1951年まで大阪相撲の立行司だった木村玉之助が東西合併後も立行司の地位にあった。
- さらに遡れば、1898年から1905年まで6代木村瀬平が立行司の地位にあった。
- 当時は熊本の吉田司家から立行司の免許状が出された。
- 横綱と対戦した翌場所十両に陥落した力士
- 番付編成で「横綱と対戦した力士は十両に落ちない」という暗黙の了解が存在するという噂があるが、それに反して陥落したケースがあるため事実ではない。
- 1983年初場所、西前頭5枚目の大錦は3日目に横綱・若乃花(2代)と対戦したが、敗れた上に頸椎捻挫のため4日目から途中休場し1勝3敗11休。翌春場所は西十両筆頭まで番付が下がった。
- 当時の幕内最下位は初場所が西前頭14枚目、春場所が西前頭13枚目だった。
- 余談だが、初場所の1勝は初日に大関・隆の里から挙げたものである。
- 前頭2枚目から十両に陥落した力士。
- 1990年秋場所、西前頭2枚目の栃司は左肘軟骨除去により全休。翌九州場所は東十両筆頭に降下した。
- 当時の幕内最下位は秋場所が東前頭14枚目、九州場所が西前頭14枚目だった。
- 秋場所では十両から幕内への昇進に相当する成績の力士が4人おり、場所中に引退した大関・北天佑や幕内下位で負け越した多賀竜と旭豪山に加えて、この栃司とも入れ替わる形になった。
- 1990年秋場所、西前頭2枚目の栃司は左肘軟骨除去により全休。翌九州場所は東十両筆頭に降下した。
- 日本生まれの横綱・大関が不在
- 1992年九州場所で霧島が大関から陥落し、横綱は夏場所前に北勝海が引退して空位となっていたため、1993年初場所は大関以上に外国人力士(曙と小錦の2大関)しかいない番付となった。
- 初場所後に貴花田改め貴ノ花(後の横綱貴乃花)が大関に昇進したため1場所で終わる。
- 2011年名古屋場所途中に魁皇が引退したため、翌秋場所が再びこの状態になった。
- 当時は白鵬・日馬富士・把瑠都・琴欧洲の1横綱3大関だったが、秋場所後に琴奨菊が大関昇進を決めたため1場所で解消された。
- 1992年九州場所で霧島が大関から陥落し、横綱は夏場所前に北勝海が引退して空位となっていたため、1993年初場所は大関以上に外国人力士(曙と小錦の2大関)しかいない番付となった。
ボクシング[編集 | ソースを編集]
- ボクシングのリングアウト決着
- リングアウトと言えばプロレスのイメージが強いが、ボクシングでもリングアウトルールがあり、それで決着した試合がいくつか存在している。
- 史上初の4団体統一王者バーナード・ホプキンスが引退試合でリングアウト負けを喫している。
- 世界戦では2022年3月にWBA世界フェザー級タイトルマッチ、リー・ウッド対マイケル・コンランで挑戦者コンランがリングから落ちてそのままレフェリーストップ。
- リングアウトと言えばプロレスのイメージが強いが、ボクシングでもリングアウトルールがあり、それで決着した試合がいくつか存在している。
- マニー・パッキャオと対戦した日本人プロボクサー
- 1998年5月18日に寺尾新が東洋太平洋チャンピオン時代のパッキャオと対戦、結果は1回KOでパッキャオ勝利。
- なお、在日コリアンにも広げると千里馬哲虎も対戦歴がある。
- JBCのIBF加盟前の日本人IBF世界チャンピオン
- 1984年に新垣諭がIBF世界バンタム級王座を獲得している。なお新垣の所属ジムはJBCとは別に存在した日本IBFに参加していた。
- また、2013年にIBFミニマム級で王座に付いた高山勝成も当時は加盟直前だった。
- 38歳で全日本新人王
- 1980年に磯野明が達成。なお当時は37歳定年制が導入される前だった。
- デビュー戦が世界タイトルマッチのプロボクサー
- ピート・ラデマッハーとラファエル・ロベラの2人が該当。
- 前者はメルボルン五輪金メダリストとして認められたが、後者の世界挑戦が認められた理由は不明。
- ピート・ラデマッハーとラファエル・ロベラの2人が該当。
- 新潟県のプロボクシングジム
- 2018年に十日町市の大翔(やまと)ジムが開設。
- 兄弟かつ同門によるタイトルマッチ
- 1993年6月5日に後楽園ホールで日本ストロー級王座決定戦として行われたともに角海老宝石所属だった兄九州男・弟勝昭の江口兄弟による一戦。結果は兄の6回KO勝利。
- しかし、この一戦は「最も痛々しい試合」と酷評されたため、以降、JBCは同門・他門問わず兄弟対決は禁止している。ただし、同門対決は新人王戦などのトーナメントや地方の前座でたまに見られる。
- 「村」のプロボクシングジム
- 琉球ボクシングジムが沖縄県中頭郡北中城村に、琉豊ボクシングスタジオが同郡中城村にそれぞれある。
- 辰吉丈一郎が東京ドームで試合
- プロ2戦目でマイク・タイソン vs ジェームズ・ダグラス戦の前座として経験。
- 5回戦
- 新人王戦のうち全日本新人王決定戦及び東軍・西軍代表決定戦は4勝以上同士は5回戦で行われる。
- JBC女子公認前の日本人WBC女子世界チャンピオン
- 2005年に菊地奈々子がWBC女子世界ストロー級(ミニマム級)王座を獲得している。ちなみにJBCの女子公認は2008年。
- 日本のジムに所属するプロボクサーの世界ヘビー級王座挑戦
- 2006年に当時名古屋の緑ジムに在籍していたオケロ・ピーターがオレグ・マスカエフが持つWBC世界ヘビー級王座に挑戦した(結果は判定負け)。
- 井岡一翔VS八重樫東より前に日本で行われたWBA・WBC王座統一戦
- 1984年7月5日に大阪城ホールで決行された渡辺二郎VSパヤオ・プーンタラット戦。この試合はWBA王者ワタナベとWBC王者パヤオの統一戦として組まれたが、両団体のルールの違い(当時WBAはまだ15回戦だった)を理由に公式には認められず渡辺からWBA王座を剥奪することが決まっていた。
- しかし、WBAと渡辺陣営の協議の結果、剥奪を試合終了後まで猶予することになり、勝利した渡辺はわずかな時間ではあるが統一王者となった。
バスケットボール[編集 | ソースを編集]
- 完封試合
- 2014年に高校女子バスケの新人戦で桜花学園が268-0というスコアを記録している。
- 女子世界選手権(現ワールドカップ)で日本がメダル獲得
- 1975年大会でソ連に次ぐ準優勝で銀メダル獲得。
- 現役bjリーガーの世界選手権出場
- bjリーグ在籍選手が日本代表として世界選手権に出場したことはなかったが、外国人では当時仙台89ERS所属だったマーマドゥ・ディウフがセネガル代表として2006年日本大会に出場した。
その他[編集 | ソースを編集]
- 競馬の重賞競走「銀盃」
- 1995年まで大井競馬場で施行されていた、アングロアラブ種限定の重賞競走である。
- NFLにおける全勝優勝
- マイアミ・ドルフィンズが1972年シーズンに開幕戦からスーパーボウルまで全勝での完全制覇を果たしている。
- ゴルフのロングホール(パー5)でのホールインワン
- さすがにプロの公式戦での達成例はまだないが、アマチュアでは2002年7月4日にアメリカ・コロラド州で世界最長記録となる517ヤードのホールインワンを記録したのをはじめ、過去に4回ほど達成例がある(2018年現在)。
- ちなみに規定打数より4打少ない打数でホールアウトすることを「コンドル」と呼ぶそうな。
- ゴルフ場によってはパー6、パー7のホールも存在するため必ずしも「コンドル=パー5のホールでのホールインワン」とは限らない。
- 関東学連以外の大学の箱根駅伝出場
- 1964年の第40回記念大会にて立命館大学と福岡大学がオープン参加ながら出場を果たしている。
- 戦前には関西大学が3回出場している。
- 羽生結弦が世界フィギュアスケート選手権でメダルなし。
- 2012~2017年と2019年、出場7大会中6大会でメダルを獲得しているが、2013年のみ4位となりメダルを逃した。
- 出場7大会すべて4位以内という記録は達成している。
- ちなみにオリンピックは2連覇、グランプリファイナルは2013~2016年に4連覇しているが世界選手権の金メダルは意外にも2014年・2017年の2回のみ。
- 2012~2017年と2019年、出場7大会中6大会でメダルを獲得しているが、2013年のみ4位となりメダルを逃した。
- 東京大学の箱根駅伝出場
- 1984年の60回大会にて1度だけチームとして本大会への出場を果たしている。結果は20校中17位だった。
- ラグビーで日本代表がニュージーランド代表に勝利。
- ただし7人制。2016年のリオデジャネイロオリンピック。
- ほとんどニュースで取り上げられなかった。前年ワールドカップで南アフリカに勝利したときはあれほど世界中が大騒ぎになったのに。
- 15人制と7人制の違いか。
- 牡馬限定レース
- 皐月賞は牡馬限定という勘違いは有名なネタですが、実はかつて朝日杯とラジオたんぱ杯3歳S(今のラジオNIKKEI杯京都2歳S)は牡馬とセン馬=去勢された牡馬しか出走できないレースであり、牝馬は出れなかった。
- 朝日杯は2004年から牝馬が出走可能に(その代わりセン馬は出走不可に)ラジオたんぱ杯3歳Sは2000年から牝馬が出走可能になり、牡馬(とセン馬)限定レースは無くなった。
- 皐月賞は牡馬限定という勘違いは有名なネタですが、実はかつて朝日杯とラジオたんぱ杯3歳S(今のラジオNIKKEI杯京都2歳S)は牡馬とセン馬=去勢された牡馬しか出走できないレースであり、牝馬は出れなかった。
- 同年の高校野球選手権と高校サッカー選手権で同じ対戦が組まれる。
- 2004年に修徳VS鹿児島実が高校野球、高校サッカー両方で初戦となる2回戦で対戦した。
- 野球は1-0で修徳が勝利、サッカーは3-0で鹿児島実が勝利。
- ちなみに高校サッカーはこの試合に勝利した鹿児島実が優勝し、高校野球はこの試合が行われた直前の試合で優勝した駒大苫小牧が初戦を戦っており、この年は高校野球・高校サッカーどちらも鹿児島実VS修徳のカードが行われた日の会場から優勝校が出ていた。
- 2004年に修徳VS鹿児島実が高校野球、高校サッカー両方で初戦となる2回戦で対戦した。
- 同年の高校野球選手権と高校ラグビー選手権で同じ学校が優勝。
- 1989~1990年に天理、2018~2019年に大阪桐蔭が達成。
- ただし天理は高校ラグビー選手権のあとに高校野球選手権で優勝、大阪桐蔭は高校野球選手権のあとに高校ラグビー選手権で優勝。
- 高校ラグビー(高校サッカーもだが)は正月をまたがるため、初戦が行われた年の高校野球優勝校と決勝戦が行われた年の高校野球優勝校、2つのパターンが想定される。
- ただし天理は高校ラグビー選手権のあとに高校野球選手権で優勝、大阪桐蔭は高校野球選手権のあとに高校ラグビー選手権で優勝。
- 1989~1990年に天理、2018~2019年に大阪桐蔭が達成。
- 桐生祥秀以前に100m9秒台で走った日本人選手
- 公式な記録としては2017年に桐生祥秀が記録した9秒98が日本人初の100m9秒台だが、手動計時では遡ること約20年前の1999年、伊東浩司が9秒9を出している。
- ちなみに伊東は桐生に破られる前の日本人記録保持者(10秒00、1998年)。
- 追い風参考記録なら桐生より2ヶ月前に多田修平が9秒94を出している。
- 国民体育大会のアメリカンフットボール
- 第1回大会の1度きりではあるが採用されている。
- 錫メダル
- オリンピックなどのスポーツ競技大会においては多くは1~3位の金・銀・銅メダルしか存在しないが、全米フィギュアスケート選手権に関しては4位にもビューター(錫合金)メダルが授与される。
- ゴルフにおける日本シリーズ
- 毎年12月上旬に「ゴルフ日本シリーズJTカップ」が開催されている。